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2020-02-19

anond:20200219212830

なにもなくなっとるようにみるんじゃが??

ここまでやれば再投稿は甘えとはいわれないだろうし

投稿でしっかりやれ

PCつかえれば見本からコピペが一番確実だがご多聞漏れスマホなんだろうな

2019-01-20

近所のダイエー閉店セール

ダイエーが滅びの呪文を受けて全国的崩壊しているころ、近所のダイエーもご多聞に洩れず閉店となることが決まった。だいたい、今話題のゴーンさんが日産に乗り込んできたころのことだ。そのとき、久しぶりに上から下まで店内を散策していたとき見切り品に凄まじいものを見つけた。

オレンジ色A4サイズの紙だ。

本当は売り物ではなく、店内の販促用のPOPを作るための用紙だと思うのだが、ひと包み198円だった。

ダイエーのコーポレートカラーオレンジの用紙を山積みにして本当に売ろうとしているのか、ほのかな疑問が頭の中をよぎったがそんな狂気崩壊間近の企業グループにはただよっているのかもしれない。ライバルジャスコサティオレンジ色の紙でPOPを作るわけにはいかないだろうし、オレンジから読売巨人軍になら引き取ってもらえそうな気がした。

2017-10-09

まあ早朝に米を炊きながら考えることと言っても多聞に触れて声のドスが利くようになっているコンビニ店員のいるコンビニ煙草を買いに行くのは心労の原因になるのでもう辞めようとかそんなもん

2017-09-15

何もする気が起きない

現在夏期休暇中。今週の平日を5日間休みにしている。

5月連休明けから仕事ストレスがひどくて、7月の頭にはあちこち体調を崩してしまった。今まで経験したことない質のストレスはいえ、毎月100時間残業半年以上やってた頃と比べると、体力落ちたのを実感してヘコむ。おかげで7月8月病院通いしながら出勤し、変な肉体症状におびえながら仕事をしていた。

そしてようやく休みがきた。休み前にはご多聞漏れず、スケジュールに遅れないため残業して深夜まで必死に働くハメになってしまった。何やってんだろうという気持ちと、自分生産性の低さに絶望しつつ休みに入り、何もする気が起きずとにかく寝ていた。

あれこれ数字で縛って裁量を与えてくれないうるさい上司と顔を合わせなくて済むのは大幅なストレス軽減になるはずだ。休みの間に、荒れ気味の部屋の掃除とか、溜めている本やゲームを進めようとか、今後のことだってゆっくり考えなきゃと、休み前には思っていたのに、何もできていない。そもそも何かやりたいという気持ちが湧いてこない。

やりたいことに期限を設けてタスク化しようにも、期限自体が怖くなってしまった。タスクを進めているうちに事前の見積り時間からはみ出してしまうのが面倒くさくてたまらない。リカバリ必要はあるのかないのか、リカバリプラン実現性はとか、検討することが増えるじゃないか

人間どうせいつかは死ぬのに、なんでこんなに悩みを増やしながら生きていかなきゃいけないんだろう。生きていくの自体が面倒だよ。

やる気スイッチどこいった。

というより鬱のはしりなんだろうか。

2015-07-30

地銀行員は落ちこぼれ

田舎地銀5年目

先日直接自分が頂いたわけではないけれど、うちの支店にきたとあるクレームが印象に残った

要約すると次のような内容だ

「先日A銀行のB支店(僕の所属している支店)に行ったが、電話は3コール以上鳴っていることが多いし、挨拶にも元気がない。A銀行の皆さんは一流の大学卒業したエリートたちかもしれないが、高卒が大半の私の会社経営しているという意味なのか所属しているという意味なのかは不明)の人たちのほうがよっぽど社会人として立派だ。やはりエリートだとかそうでないとかは社会では関係ないのだ」

店内に常駐しているのは、大半が高卒含む女子行員で、このお客様のいうところの「エリート」は店内にいないことが多いのだが…それは置いといて、だいたいにおいて同意できる内容だ

だけれど看過できないところが一つだけある

それは「地銀エリート」という認識

このクレームに限ったことではなく、「A銀行エリート様」みたいに認識されていると感じることは頻繁にある


僕がこの銀行で働いているのは、長男なので地元に…ということもあるが、それ以上に東京大企業にことごとく落ちまくって、唯一内定がでたのが地元地銀だった、というところが大きい

ようは落ちこぼれた結果地銀で働くことになったのだ

学歴だってMARCHkkdrだ

ついでにどこの田舎地銀もそうだと思うがこのくらいの学歴ボリューム層だ

僕以外の行員だって「できれば都会の大企業がよかったけれど受からなかった」「地元に残るなら公務員がよかったけど落ちたので仕方なく」という人は多い

(少なくとも僕の年代場合は)うちの銀行に勤めている人たちは大卒落ちこぼれ地元に残らざるを得ないので…といった人が大半で

ヒャッハーーーー!A銀行内定もらえればエリート様として順風満帆人生が送れるぜー!!」なんて思っている人はほとんどいない

給料だって5年目じゃ、それこそ高卒ライン工と大差ない

なのに県内ではエリート様扱いされるのだ

確かに「県内で」という条件がつけば、まあ順当にいけば将来的には年収額面1千万近くはなるかもしれないし、地方にしては福利厚生はまともだし、残業代だって単位ででる優良企業かもしれない

でもそれはあくまで「県内で」という前提がある状態での話であって、日本全体で見ればエリートなんて口が裂けてもいえない むしろ落ちこぼれ

多聞漏れず当行でも地方創生というのは大きな目標になっているけれど

都会で淘汰され落ちこぼれた人々である地銀の行員をエリート扱いしている人たちや

落ちこぼれなのにエリート扱いされている銀行員たちでは地方創生なんて何世紀かけても無理だと思う

2014-08-14

[]釈迦十大弟子

《智慧第一》サーリプッタ

神通第一》マハーモッガラー

《頭陀第一》マハーカッサパ

《解空第一》スブーティ

《説法第一》プンナ・マンターニープッタ

《論議第一》マハーカッチャーナ

《天眼第一》アヌルッダ

《持律第一》ウパー

《密行第一》ラーフラ

多聞第一》アーナンダ

2014-01-26

エンダーのゲーム』のストーリーに不満のある奴は原作を読むといい

※※※※映画原作ネタバレ注意!※※※※

エンダーのゲーム』の新訳を読もうと思う。十数年ぶりの再読だ。映画は観ていない。

この昼、原作未読のまま映画を観た友人と話した。ご多聞漏れず評価はいひとつだった。そんな彼に向かい、奥深さが足りないのはきょうだい活躍がないせいだろうと言ったら、妙な顔をされた。

——あのとき、あれは『エヴァ』じゃなくて『フルメタル・ジャケット』なんだよと付け加えていたら、同映画好きの彼からは理解の意志さえ望めなかったかもしれない。

テーマ

エンダーのゲーム』というタイトルからはじめる。

ゲームというのは運命比喩だ。ゲームには規則ルール)があり、そこには目に見えない支配者(ルーラー)がいる。『エンダーのゲーム』とは、エンダー=終わらせるものを名乗る少年が、誰かのルールで動かされた人生の終わりを求めて闘うという意味だ。

では何と? 憎き兄か、いじめっ子か、昆虫のごとき侵略者か、それとも戦争強要するおとなたちか。——どれでもない。そんな単純な図式はこの世界にない。

ルールけが意味をもつ世界に、命を与えられた子どもたち。生きるために従い、人であるために抗う。本当の敵が誰なのか、だれも教えてはくれない。どこまでも歪な世界に、しか私たちは強烈なリアルを見つけ出す。

本作が今日に復刻される意味はそこにある。

しかしそれを描き切るには、どうしてもきょうだい二人の活躍必要だ。

エンダー

そもそもエンダーはその生まれから天才でないかぎり存在を許されぬ命だった。

先に生まれた二人の天才児。それに続くことを期待され誕生を許された特別な三人目(サード)。それがエンダーこと、アンドルー・ウィッギン少年だ。社会規範はそれを望んでいなかった。両親もまた同じ。だからエンダーは徴用に応じた。戦争を終わらせるもの=エンダーとしての宿命を受け入れた。ほかの選択肢がなかったからだ。

そのきょうだいピーターヴァレンタインは、常にその先行する分身としてエンダーの将来を写し出す。

ピーター

兄・ピーターはエンダーの鏡像であり、エンダーが認めたくない自己像の投影である(ただし事実においてピーターはエンダーが思う類いの〝人殺し〟ではない)。

その野心が選んだ道は言論による人類思想的支配だった。そうして自らの生を規定ルール)したピーターヴァレンタインを同志に引きこみ、一直線に権力の頂点である覇王(ヘゲモン)』への階段を昇りきる。

十二歳のピーターも、また十歳のヴァレンタインも、電脳世界ではおとなと同じ。彼らはそれを最大限に活用する。『ピーターゲーム』では、勝利することとおとなになることがイコールだ。だから彼は生きることにぶれがない。

けれどエンダーはちがう。おとなたちの期待は彼の意に反する行動を強いる。しかし彼が守ろうとしているのは道徳という、人として正しいあり方だ。

からエンダーは悩み、もがき、ときに逃げもする。だが皮肉なことに、才気あふれる兄と姉による状況認識と優性の証明が、エンダーを戦争英雄に縛りつける。

ヴァレンタイン

その姉・ヴァレンタインは慈愛の両腕と明晰な頭脳を持つエンダーの庇護者であり、最愛のひとだ。その両義性はやはりエンダーと相似する。エンダーが知らないことに、ヴァレンタインのなかにもピーターはいる——彼女もまたペンによって自らの有能を試すゲームに挑んでいるのだ。〝愛情深い〟姉に向けたエンダーの過剰な崇敬は、つまるところ自己愛への飢えに過ぎない。ヴァレンタインがエンダーの善良さに寄せる信頼も同じ。四年を経て面会する日まで、ふたりは驚くほど互いを知らない。

エンダーとヴァレンタインを通じて描かれるのは「人はいかにして殺戮者となるのか」ということだ。エンダーが戦争の術を学ぶのは侵略者からヴァレンタインを守るため。しかヴァレンタインから手紙によって彼女がおとなたちの側にまわったと認めたエンダーは、彼らを打ち倒すゲームに没頭しはじめる。やがてエンダーは彼らのルール破りに失望し、彼らのもとを離れる。彼女にふたたび声がかかるのはそのときだ。

ピーターとの言論活動によって政治的人格を獲得していたヴァレンタインは迷わず務めを果たす。彼女もまたウィッギンなのだ。だが戦場に戻るエンダーのうちに『カサブランカ』のような義心はない。あるのはただ、生かすために殺すという戦争矛盾のものだ。勝利の丘に荒ぶ風は、きっと冷たい。そう確信するから、その先の戦いはどこか空疎に映る。

そして、アンドル

この凄惨物語の結末は、赦しだ。自らの手で滅亡させた異星人たちの遺産から、やっとはじまるアンドルー・ウィッギンの物語。それは茨と十字架の生だ。偉人のままいることもできた。けれど彼は今度こそ選んだのだ。

2012-08-17

http://diamond.jp/articles/-/23352

これ読んだ。

俺の生育環境がまさにそうだった。父親とは6歳くらいのときに死別、当時の金で200万以上の借金が残り、母親は返済地獄で、朝は新聞配達、そのあとは事務職で働き詰め。そのストレス反動からか男関係は派手になっていく一方だった。自力で借金を返したのはずいぶんと偉かったのだな、といまになれば思うものの、男関係はどうにもならないくらい破綻し、最後には地元を飛び出ることになった。

当地での生活は30年前なりの極貧といってよかったと思う。子供のころは文房具すら満足に買ってもらえず、道端に落ちていた新品に近い鉛筆を拾って喜んでいた記憶が鮮烈にある。かろうじて食うものは食わせてもらえたが、子供のころの俺の心配は、主に「母親が消えたら食うものがなくなる」ということにあった。実際その心配別に子供らしい杞憂ということでもない。連絡なしに一晩帰ってこないことはそこまで珍しいことではなかったし、とても現実的なものだった。

低所得者向けの公営住宅では、周囲の環境も似たようなものだった。知的障害ある子供を抱えた過程が極端に多かった。そもそも両親揃っている家庭が珍しい。昨日までいた子供今日いなくなっている、ということは少なくとも数回あって、そのうちひとつは船から落ちたとのことだったが、どこまでが事故だったのか、そのことはよくわからない。ご多聞漏れず、家のなかではふつうに歩いているのに、外では足を引きずっているような人も多かった。

逃げるような状況で都会に出てきて、家は狭かった。家族4人で二間で生活するような状況で、俺はひとり暮らしを始めるまで個室というものを与えられたことがない。中学の進路相談では「うちの子供を高校に行かせる気はない」と出し抜けに言われて、俺は呆気に取られた。

成績は悪くなかった。勉強らしきことをほとんどしたことがなくても、余裕で公立の上位校に行けるだけの学力はあった。頼むから高校は行かせてくれと親に頼んだときのことはよく覚えている。

環境というのは、与えられればそれが「あたりまえ」になってしまう。俺にとって、勉強をするというのはなにもプラスのことではなかった。本が好き子供だったが、うちでは本を読むのはむしろ「悪いこと」に属した。高校に行くことに関して親が前向きでなかったのもあたりまえのことで、それは金がかかるからだ、という事情もよくわかっていた。そして頭を下げながら、それでも俺は少しだけ思った。

「なんでみんなあたりまえに高校に行くのに、俺はこんななんだろう」

そんなわけで、俺の最終学歴高卒だ。

進学した高校は、公立中位くらいの、大学に行く人間もいない人間もいる、くらいの高校だったが、その程度の高校とはいえ、俺は成績トップクラスを維持しつづけた。学校は嫌いだったが、勉強は嫌いではなかった。テストで点数を取るのはおもしろかった。国公立の四大への推薦という話もあったが、それは出席状態の悪さで消えた。

大学に進学しなかったのは、経済的に無理だった、というのもあるが、それ以上に俺自身にまったく進学する気がなかった。18年も学校というものに通って、このうえさらに4年も通う気にはとうていなれなかったからだ。

さらにいえば、俺の周囲に、俺を大学に行かせようとする人間がだれもいなかった。奨学金なんて制度存在も知らなかった。大学に行けばどんなことがあり、その先の進路にどういう違いがあるのか、だれも説明できる人はいなかった。で、その当時の「大学」というものの通念は「4年間遊ぶところ」というもので、それを信じた俺は、だったら別にそういう場所には行かなくてもいいと思った。

まり、俺にとって、勉強というものは「なんの意味もないもの」でありつづけたわけだ。学ぶ内容はさておき、基本学力というものいか重要であるか、そしてなにより学力をつける方法論を知っていることがいか大事なことかを知ったのは、実際に自分と似た境遇にあった高校生たちを見るようになってからのことだ。

それでも俺には「読書」という方法があった。気がついたときには活字中毒といっていいくらいの本好きだったから、この世界に甚大に蓄積されている知の体系に触れる方法だけは知ることができた。たぶんなんだかんだで成績を維持できたのも、読書の習慣があったからだと思う。

小学生のころ、ゴミの日にはよくゴミ捨て場を回った。学校の図書室の本は読み尽くしてしまった。公立の図書館子供が行ける場所にはない。それで、捨てられている雑誌を探した。活字と名がつけばなんでも読んだ。家に持って帰れば親に捨てられるかもしれない。隠し場所には苦労した。自分には未来があるなんて完全に想像の外だった。いま、そのとき本が読めればそれでよかった。

子供世界は狭く、その世界の外側を見ることは容易ではない。本がなければ、難しいどころか不可能だったろうとも思う。

家庭環境学歴を決める。そんなことは、俺にとってはただの事実しかない。

2009-10-01

[]9月30日 宴

こんばんは。司法修習生増田です。

昨日の日記のとおり、今日は即日起案でした。

それが終わって、今日は飲みに出る修習生も多かったようです。

多聞漏れず、僕も飲み会でした。

起案にまつわる話。

起案は、実際にあった事件を元にして作成された記録を用いて行うわけなんですが、

当事者が誰なのかばれないように、もちろんフェイクが仕掛けてあります。

そのフェイクのかけ方が、司法研修所教官室の個性が出るところでして、一番わかりやすいのが、登場人物の名前です。

たとえば今日の起案の記録の登場人物は、全て将棋界の偉人をもじった名前でした。

羽生谷川、に始まり、矢内女史やら加藤一三氏まで(!)

昨年の起案では、検事名前が久利生だっていうので、かなり話題になりました。

2回試験は毎回新作の問題が出るので、どんなネタで責めてくるのか、いまから楽しみです。

 
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