はてなキーワード: ワクチンとは
NHK「ニュースウオッチ9」で、コロナワクチン接種後に死亡した人の遺族でつくる団体から、遺族の男女3人が出演して「5類になったとたんにコロナが消えるわけではない」「風化させることはしたくない」と語らせたが、家族をワクチン接種後に失った遺族という紹介はなく、テロップで「夫を亡くした」「母を亡くした」とだけ編集して、回答者の趣旨を捻じ曲げて報道していた問題。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2ec9d3c077c1c6b296d5a0c8288b620f741da931
私もかつて編集者として民放だけでなくNHKでも実務をしていた経験があるが、NHKの場合は根本的な問題として、いざ編集する段になると、圧倒的にプロデューサーが内容の決定権を握ってしまい、強引に内容が「簡単に」「分かりやすく」捻じ曲げられてしまうという組織的風土がある。現場の記者やPD(ディレクター)は意見をすると歯向かったみたいな扱いになり、どうせ自分たちの意思は通らないと最初から諦めてしまっている。
いつもであれば、プロデューサーの介入によって非常にシンプルな分かりやすい構図となり、皿洗い中にながら見をしていても理解できるような単純な情報となって流れていく。だが、あまりにも強権的な介入に対して、記者やPDが忖度しすぎた場合、あるいは意見をしても全く聞く耳を持たない場合は、今回のようなありえない完全な間違いが起きる。
そもそも現場にも行ってない、取材もしてないオッサンが、頭で想像した通りに、下から上がってくる情報を分かりやすく単純に情緒的に整理するからこのようなミスを起こしてしまう。上意下達の軍隊的な思考が令和になっても改まらず、今回も現場の人間が責任を負わされ、プロデューサーは栄転ともなれば離職スピードは加速するだろう。
私はNHKの職員ではないし今はNHKの仕事はしていないが、客観的な立場から提言を述べたい。これはNHKに限らないかもしれないが、立場の上下を固定せず、プロデューサーとディレクターを自由に異動できるような体制としてはどうか。本来、それぞれ重要な独立した役割であって上下関係となっていること自体がおかしい。日本特有の年功序列カースト制度だからこのような風通しの悪い組織になる。記者やディレクターとして理不尽な命令に耐えた結果、プロデューサーに「上がれる」という価値観自体を改めるべきである。
というわけで、NHKの偉い人は現場の若い人たちのためにも、真剣に組織風土の改革を考えてほしい。上記のような改革であれば、簡単ではないか。
>https://twitter.com/MIKITO_777/status/1435633970394378243>
打つか打たんか迷ったけど「反ワクしか生き残ってない世界で生きてくなら死んだほうがマシかもしれん」と思って打った。結果はまあ死ななかったわけやけど、あれも難しいよな。
自分はワクチンを100パー信用はしてなくて、政府の言う2週間より間隔空けて2回目を予約した。あと打たれた後水飲みまくった。500ミリペットほとんど飲むくらい。血栓できたらヤバいと思ってたから。先に打ってた祖母や母が問題無かったのも大きかった。自分の血筋ならまあ副作用も軽いんかなと判断して。子供には打たせてないけどな。
だから「自分の親族はワクチン打って具合悪くなったから自分は打たんかった」てのも正しいし、「自分の周りは平気そうやから打ったで」てのも正しいと思うんや。全員に使える安全なワクチンを早急に作るなんて無理なんよな。ワクチン打って重症化する人もおれば打たずに感染して重症化する人もおるわけで。そこらへん判断してもらうために爺さん婆さん先に打たせたと思ったんやけどな。
あれ打って寿命縮んだかもしれんけど子供が成人するまでもてばええ覚悟で打った。もし老人になるまで生きててまた未知の感染症が蔓延したら子供のためにもワクチン打とうと思う。ええ実験台になるために健康にも気をつけとかなアカンな。
右も左も価値判断と事実判断を切り分けて議論しないからこういうことを言い出す人が出てくる。
たとえ「ワクチンを打てば生存率が上がる」ことが事実だったとしても、「ワクチンなんて不自然なものは身体に入れるべきでは無い。自然に任せて病気で死ぬのは仕方がない」という価値観を否定することは出来ない。
ハックルさんみたいな事言うけど、俺が思う『本質』はそこにあるんだよね。
悪徳に纏わる文化から派生したコンテンツを好むことは、果たしてその悪徳を肯定することに繋がるのかっていう。
たとえばコミックLOを自分から進んで読むという行為は「未成熟な肉体に対して欲情を持ってしまう性癖が存在する」というのを間違いなく肯定している。
そういった肯定は世界の水面下においてゆったりと広がり、まだ正常だった人間にさえ「もしかして子供の身体にエッチな気持ちを持っても良いのでは?」という意識を起こさせる。
これが果たして性犯罪の増加に寄与しているのか、むしろ捌け口となっているのか、暴走を防ぐワクチンとして機能しているのか、それについて安易な結論は出せない。
ただ間違いなく言えるのは、「人はロリエロに興奮してしまうことがある」という概念を世の中に広めているということだ。
そういったコンテンツは「法的に禁止された性行為に対して興奮してしまう人の存在」そのものは間違いなく肯定、認知している。
そこから実際に犯罪行為を行うか、漫画の中で済ませるかは別として、そういった行為、少なくともそういった行為が描かれたものに対して価値を感じる人がいなければ成り立たないものを安定的に供給しているわけだ。
アルコール・タバコ・ドラッグがもしも初めからこの世界に一切存在しなければ、誰もそれを求めることはしないだろう。
それらが存在することに気づいた時、それを求め、もっと強いものや、安価に手に入る代替品を探そうとしだすわけだ。
「ロリエロという性癖に気づかせてしまう」ということが、そういった探索の旅へと眠っていた犯罪者予備軍を駆り立てている可能性があるわけだ。
つまり、「戦争というものの中に人が憧れを抱くような要素がある」という事に気づかせるようなコンテンツが存在することが、そういった欲望を後押ししているのではないかという話だ。
賛美からは少しずれるのかも知れない。
テレビが流す戦争は悲惨であるというある種のハト派プロパガンダの中で戦争の中に秘められた格好良さや美しさが描かれることはない。
実験映像のような殺風景なカメラワークで撮られたキノコ雲や、そこから逃げ惑うタレント的な格好良さなんて持っておらずむしろ極限状態に顔をゆがめる醜い人間たちの姿が映し出されるばかりだ。
そうした映像の中でヒーローとして語られるのは兵士ではなく「悪辣な兵士同士のコロシアイから人々を守る普通の人達」である。
兵士は暴力を振るうことで金を得ようとする下劣で合法な現代の山賊でしかないかのようにメディアは語る。
それを見て軍人に憧れる人がいるだろうか?
美男美女、顔はともかく心は魅力的な数々のキャラクター達が、戦争という極限状態を通すことで自分の人生をより濃く美しくある意味で現代社会での歯車ぐらしよりもずっとずっと人間らしく自分らしく生きるさまが描かれてしまう。
その中ではロマンをくすぐるように脚色された兵器達が、少しでも魅力的に映るようにと工夫をこらして描き出されるではないか。
これを見た子供は「兵隊さんって格好いい!パイロットになりたい!」と思うのも無理もないことだ。
実際、ロボットアニメを見た子どもたちは自分もロボットに乗りたいと口にするし、ウルトラマンになって怪獣を倒すのではなく、最新兵器のプロトタイプに乗って敵陣営へのパイロットを撃ち落としたいと語りだすのである。
果たしてこれが「戦争を賛美していない?」と言い切れるのだろうか?
戦争の悲惨を描いている所はあるとはいえ、「戦争は賛美していないが、戦争の中にある輝かしい部分を箇条に脚色して見せつけようとしている」ぐらいのことは認めるべきなのではないか?
戦闘機がマッハで雲を割る姿に子供を憧れさせたことを「戦争を通して生まれたモノを過剰に持ち上げた。戦争は絶対的悪であり全面的に悪しきものであるはずなのだから、これはもう戦争賛美だ!」と叫ぶのは流石にやりすぎに思う。
だが「戦争によって失われる命を描いている。トレーズが戦いを賛美しているとは私には全く思えない」というのは作品をちゃんと見ろと言いたくなってしまうだろう。
おまえは何回ワクチン打ったんだよ
39歳の知人女性は給料が安く長時間労働で学校の先生をやってる。ある時同僚の先生に恋をしてLINEや電話で粘着したが「先生は他に熱中できることないんですか?」と暴言を吐かれて終了したらしい。
彼女はコロナを呪っていている。ここ数年恋人ができなかったのは社会が必要以上にコロナを恐れたせいで一緒に食事に行く人がいなかったからだと。
10代の頃に1人付き合った経験があるだけだが容姿には自信があるようでコロナが無ければイケると思っている。
憎しみはマスクやワクチンへと向かっていきSNSで反マスク・反ワクチンを発信していた。
やだもー。やっぱこれ正しかったじゃないの! ※地上波放送。速攻で削除された https://youtu.be/--YygBQuj8g?t=529
かけ離れちゃいねえよ
ネットのミソジニークソアンフェがバケモンだらけだから、ネットの女性はバカにデマでデタラメな攻撃された結果過激派になってるんだよ
バカな反ワクチンにぐだぐだ攻撃されて医師がキレまくる過激派だらけになったのとおなじ
それよりもネットで真実しちゃうネットリテラシーの低さがやばいんじゃねえの?
ジジイだらけなんだろうけど
昭和の偏差値60は現在の偏差値40なんで、ジジイがそのまま生きてると現代の水準では教養レベルが名前書けば合格する職業訓練校じみた大学でabcしてる生徒と同じレベル、ど底辺なんだよね
32歳。9価を3回受けるとざっくり10万円。
この年まで処女だし結婚願望もないし、はてなでバズり中の「子供は産まないことにした」女だし、もういらねーか?という思いと、
でも35~40くらいになって突然結婚したくなったり子供が欲しくなったりする女、いるよな…という思いが戦っている。
稼いでる独身女なので10万円は余裕で払える。でもどうせ自己投資するならそのカネで介護を見越したVIO脱毛でもしたほうがトータルで人生のためになるか?
答えは出ないが、夏のボーナスまであと3日。
🅰 苦労してる誰かの恩恵に預かっていて
自分たちだけが特権的に恩恵を確保しておいて、他者がそれを受けるのは妨げる。
これを逆さまにすると、
「スポーツ選手の俺に言わせて貰えば、人間のしてる仕事を AI に置き換えるのは大いにいいと思う」
kuwa-naiki 恩恵とか言い出すなら世の中にある様々な弊害も誰かが産んだ子供のせいで、それを是正するためには子供など産まないほうがいいという理屈も立つから話にならんでしょう。世の役に立てないなら黙れと言うのと何が違う
産んだ子を育てるのは苦労するので 🅰 に当たらない。出産を推奨して弊害を促進する方向ではないので 🅲 にも当てはまらない。だから身勝手とは言えない。
世の役に立てないなら黙れ、とは違います。
一応断っておくが、本稿は岡田索雲によるwebアクション掲載『アンチマン』( https://comic-action.com/episode/4856001361287348513 )のネタバレ論評である。ネタバレが嫌な人は先のリンクから漫画を読んでからお進みください。
父親を介護しながら食品会社に勤務する溝口。彼は、日常で蓄積した鬱憤を“ある方法”で発散していた……。『ようきなやつら』の岡田索雲が描く、アンチの哀歌。
公式のこの紹介文のなかの“ある方法”がダブルクオーテーションで括ってあるのは、それが妄想である事の示唆となっている。その妄想と現実の境界線をどこに引くか、実はそれは本作においてあまり重要ではない。溝口のポジションが少し変わるだけだからだ。
だが、一応妄想と現実の区別を付けておこう。妄想の範囲を広く取りすぎると発散してしまうので、できる限り狭くとる方向でいく。
1回目ヘルパー、2回目同僚田山への描写が妄想である事に異論はそうないはずだ。実際に手を出すまでのマッサージ依頼や、ジャスティスブレードマグカップの部分を妄想に含めるか否かは本稿ではあまり問題にならない。個人的な感想としては、田山がジャスティスブレード好きと言うのは都合が良すぎるように思えるので、妄想だと思う。
こちらははてブ内では結構割れているようだが、どちらともとれるよう曖昧な描写に留めているようにみえる。それでも、スマホ破壊率100%やウキウキでぶつかり3連発があまり現実的描写には思えない事と、本稿の前提である「溝口に同情的に」という前提のもと、妄想であるという前提で進めていく。その方が溝口の悪質性が弱まるからだ。
この場合も、1回目の妄想対象を見つけて横目で追いかけるコマまでは妄想ではないとする。漫画では描かれていないが、対象を決めて尾行を実際に行いながらぶつかり妄想をしたとしておく。3回目で、ぶつかりターゲットのストーキング中に田山を見つけ、尾行対象を変更しているからだ。
こちらもそこそこ割れているように見えるが、正直どちらでも良い。レスバトルに完全勝利していない事から、紹介文での「鬱憤解消」には当たらない。なので、現実であってもおかしくはない。しかし、特にここが溝口の感情読み解きにかかわる事はないので、好きな方を採用してほしい。2回とも父親のうなり声で中断される所が、目覚ましで中断される強姦妄想と似ているな、とは思う。
同僚、結果的に通り魔から庇った女性、母親の3組が溝口の見舞に来るが、こちらもレスバトルと同様、溝口の感情読み解きにはかかわらないので、好きな方を採用してほしい。
まず、溝口の心に一番重くのしかかっているのが、幼少期に自分を連れずに去って行った母親である事に異論はそうないだろう。
それを埋める代償行動として、溝口は女性嫌悪、ミソジニーに嵌ってしまう。これが如実に表れるのが、2回目のレスバトルでの「女は戦えないから逃げる」(女性ヘルパーも入るかもしれない)、そして直後父親に言い放った「あんたがあの女殴って愛想つかされなかったら」というセリフのなかの「あの女」だ。「母さん」や「母親」じゃなくて「あの女」と呼んだ所にミソジニーの染みつき方が垣間見える。
母親への執着は、父親の葬式後、戸口の方を眺めるコマでも強調される。来るはずのない(恐らく連絡もしていない、そもそも知らないかも)母親を期待する視線だ。
2回目の会議後、「繊細さは女性ならではのものじゃない」という発言にお礼を言われて溝口は浮かれる。ただ、これは田山をフォローしようという意図はなく、直後に描写されるように、自分が父親の介護をしていたり、ジェンダーロールの押し付けをつらいと思っているから出てきた言葉だ。だからお礼を言われても第一声が「へ?」となる。
溝口の目に目にハイライトが2つ入るのは全編で2回あるがその内の1回が本件である。なお、お礼を言われた直後は何のことかわかっていない様子で、その後も本当に分かったのかは不明瞭だが、「溝口に同情的に」ルールで、分かったという事にしておく。
その後スキップのような軽い足取りでぶつかり3連妄想に繋がる。上機嫌なのに何故、鬱憤発散行為であるぶつかりをするのか?という疑問が沸くが、自分はこれは妄想の習慣化と考える。電車事件の前段階だ。
溝口の目にハイライトが2つ入る2か所の2つ目が、ネットで情報を仕入れて実際にスマホで女性ジャスティスブレードを観た瞬間だ。ミソジニーを忘れた、女性主人公への純粋な好意の表れ。しかし、ネットの声ですぐにミソジニーが戻ってくる。
溝口は他人が居るスペースでは基本的にマスクをしている。自宅でもヘルパーを迎える時はマスクONだ。これは、社会的な望ましさに合わせようとする意図の表れで、やったらまずい事・言ったらまずい事を出さない様に自制している事の表れでもある。
社内会議1回目での、女性モデルの胸の強調をマスクON状態で「気にしすぎ」と言ったのも、溝口が考える社会的望ましさのラインを越えていないという事だ。
また、喫煙所ではマスクをあごに寄せて口を出し、眼鏡の同僚にあまり望ましくない「狙ってんの?あの女」などというセリフをはいてしまう。
溝口の考える社会的望ましさのラインは恐らく一般社会が考えるそれよりも低い。
まず、女性ヘルパーをジロジロと眺めて嫌がられ、男性に交代されてしまう。男性ヘルパーへ「急に変わるものなんですか?」と質問しているが、自分の行為によるものだという自覚があるか否かは特に描写されない。同情的ルールに基づいて、本稿では質問の時点で気づいた(それが出来るだけの知恵がある)ものとする。
また、この件の前には、電車内で女性を盗み見するコマがある。「見る」事が加害行為になりうる事は分かっていなかったのだ。
スマホ歩き女性へのストーキングも、毎回ターゲットを変えているから発覚・問題化しないだけで、少なくとも一般社会では褒められた行為ではない。これに溝口が気づいているかは明確ではないが、先ほどの盗み見と同様に、気づかれなければ問題ないと思っていたのだろう。
父親の死後、栄養ドリンクの空き瓶の山が、ハードワーク・オーバーワークの忙しさで気を紛らわせようとする溝口の心情がうかがえる。
父親は、母親を失う原因であり、憎む対象であってもおかしくないのだが、基本的には社会的望ましさに従ってか、無言で介護をする。
2回目のレスバトルで劣勢だった怒りに任せて本音をぶつけはするが、その後もすぐに介護を続ける。
微妙な関係性ではあれど、自分の言葉が父親を自殺に追いやった事は溝口にとってつらい事実だったんだろう。
結果、残業のしすぎで上司に「最近厳しくなってる」と残業を禁止される。そこで1回目の会議で「女性の体の強調」を問題視した田山と眼鏡に目をやり、ハイライトの無い目のコマの後、「そうやって男の仕事も奪っていくんだよなぁ…」「お前たちは…」というセリフ。これは父親死亡前までなら出さなかったセリフだ。上司も大丈夫か?と違和感を示している。
溝口はここではマスクをしている。先ほど示したとおり、本稿ではマスクを溝口の社会的望ましさへあわせる態度の象徴として考えるのだが、ここでのセリフはそれに合致しない。ここに歯車の狂いが見える。自分で自分を制御しきれなくなってきている描写なのだ。
その後、ぶつかり妄想の対象を公園でみつけた溝口は、その対象を尾行中にスマホを見ながらすれ違う田山に気づく。尾行対象を田山に変更するが、これはぶつかり妄想対象としてはないように思える。その後、田山が眼鏡と会い、2人で車に乗り込んで走り去るのを目撃する。
溝口にとってこれは不倫の現場で、喫煙所での眼鏡の「狙ってませんよ、結婚してますし」というセリフが嘘だったという認識になっているのだろう。
電車の中で、溝口はだらしなく寝込んでしまう。この際、マスクが片耳にかかっているだけの状態になり、それを両脇の女性が嫌がっているコマが挟まれる。
これは溝口本人がマスクを外そうとして外したものではないと考える。片耳は残っているので、寝ぼけて意図せず「外れて」しまったと考えることが出来る。
これは直後の事件と関係する。目の前でコケて四つん這いになった女性の尻を見て、襲い掛かってしまった事だ。マスクと同じく、これはきっと溝口は意図せずやってしまったのだ。いつもしている妄想だと思い込んで乗り掛かってしまったのだ。それを補強するためのストレスが父親の死、過労による疲労、同僚の密会だ。
意図せず女性に襲い掛かってしまった瞬間に通り魔に後頭部を刺されてしまう。
最初に確認したとおり、見舞客が妄想か否かは本稿では問題にならない。同僚達や庇った女性たちは、ただ淡々と見舞に来る様子だけが描かれ、溝口の感情が動く様子はみられないからだ。どうでもいいのだ。
だが、死の間際(飛び立つトンボ、落ちる最後の一葉、飛行機雲の3重の示唆がある)に母親が見舞に来て、手を添えられた時に溝口の目からは涙がこぼれる。結局溝口が欲していたのは母親だけだったという事だ。余りに単純すぎる解釈だと思うかもしれないが、であればこそ溝口の哀れさが際立つ。
ここからはIFの話だ。母親を失った悲しさで得たものは偽の名誉であり、それは溝口にとって何の意味も無かったことは言及した。
孤独は闇の感情を加速させる。孤独な以上、「ケア」される機会もない。ネットのレスバトルはネットで完結してしまい、その先に居る個、溝口を慮ることは無い。
割れたスマホとのレスバトルで、溝口は一端の真実を話してもいる。「(ぶつかり)被害者は女だけじゃない」「役割を押し付けられて辛いのは女だけじゃない」。ただ、それは加害の理由にはならないのだ。内心の自由はある?ただの妄想?私見では本作ではそれが現実に結びつく危険性が示唆されている。
一方で、割れたスマホから流れてくる溝口に敵対する意見にも論点ずらしやただの悪口になってるのも多い。
大前提として、レスバトルで人は考えを変えないのだ。カルトや悪徳商法に嵌った人は、ただ事実を突きつけられても意固地になって更に悪化する事がある。そこから抜け出させるためには、親身になって付き合ってあげる人が必要になってくる。近年の反ワクチン問題やカルト問題でもそういう記事をたくさん見た。
作品中には溝口が心を許せる相手は一人も出てこない。友達の影すらない。同僚とすら付き合いは希薄だ。助けが必要な人ほど助けて!と言いづらい構造もある。
朝日新聞の記事に、『「死刑囚の元同僚」ツイッターで実名発信 孤独な人の相談に乗る理由 (https://www.asahi.com/articles/ASR655CM1R65UTIL015.html)』というものがあった。
「最後にアクセルを踏むか迷った時に、頭に浮かぶ人になりたい」そうだ。溝口はアクセルを踏んだのではなく、うっかり道を踏み外したわけだが、彼に必要だったのはこういう人の存在だったんだろう。時には赤の他人の方が悩みを打ち明けやすい場合もある。チャンネルは多い方がよい。ただ、こんな重い事自分に出来る気は全くしない。
孤独による不幸を減らすために出来る事を考えてみよう。
鋭い切り口の批判だけど、納得ができません。
①
やりたいは苦労を打ち消すのですか?
AEDを使って誰かを助けたくて、あるいはワクチンを打って社会に貢献したい人がいれば、
女にAEDを使わない・ワクチンを打たなくて良かった、は許されるのでしょうか。
②
「ありがとう」は、「有り」「難い」が語源ですが、コンビニ店員やレストランの給仕に感謝するのは間違いでしょうか。
③
才能や環境に恵まれていて世の為になる苦労をラクにこなしてる人たちが多ければ、彼らの恩恵を当然視して・無視してよくなるのですか?
🅰 苦労してる誰かの恩恵に預かっていて
自分たちだけが特権的に恩恵を確保しておいて、他者がそれを受けるのは妨げる。
そんな発言は、恩恵に気付いてなければ傲慢、気付いていれば不誠実だと感じます。
たとえば
「逆に、社会が全力で子どもを産み続ければ破綻するのだから、子どもを産まない人にも感謝しろ」
—— 🅰 を満たさないので感謝しないのは身勝手ではない。子どもを産まないのは特に苦労しない。
—— 🅱 を満たさないのでセーフ。恩恵を拒絶するなら特権的ではない。
—— 🅲 子どもを産ませないのを推奨する意図がないので、本文中で子どもがいないのを明かしていても文句は言われない。
追記注・
私見では、
「私は子供を持ってよかった」、「私は子供を持たないでよかった」、
それらの意見は必要です。でも、覚悟を持って言われる世の中であってほしい。
私は、ゲームプレイを Youtube で配信してる人たちを時々批判しています。
彼らの中にカジュアルゲームを「バカゲー」と評する人がいるのです。
少人数で作られた気軽な笑いを狙うライトなゲームだろうと、ゲームを作って生計を立てること自体が地獄のごとく苦しい。
それを知ってほしいし、その恩恵に預かってることを忘れないでほしい。
mRNAワクチンの治験不足やそれを接種することへの不安もわかる
でもさ、風邪引いて咳やくしゃみが出てたら唾飛ばさないようにコロナ前はマスクしてたじゃんか