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2018-11-21

anond:20181121133047

世界は酷い。

社会弱者が虐げられることばっかりだ。

弱者自分は悔しい。

凄く良く分かる。

.

でもどうすればいいかは、きっと本当は君も知っているんだろうな。

戦え。現実と。

それはゴーンを倒して保証を勝ち取れという意味ではなくて。

ただ自分弱者だということを受け止めて、そのうえで自分が納得いくようにしろ

DINKsがほんと身勝手だと分かった

https://note.mu/arimayoco/n/n0392cc970118

夫婦幸せなのは分かるよ。子供持たないのも分かるよ。

でも、今の日本制度だと、どうやってもDINKsの払った税金は今の老人に使われ、DINKs老いた時は下の世代のお世話になる

超長期視点だとDINKs生産性無いでしょ。老いても下の世代並に多く金を使い、多く納税するなら分かるが

こんな事書くと「子供奴隷じゃない!」とか変なの湧きそうだけど、だからこそ子育て無償化で子持ちもDINKsも大して変わらないようにしなきゃ駄目なんでしょ。DINKsは好きで子育て無償化メリット享受しないだけにすれば、変な嫉妬も生まれない

現状だと2馬力自分達のことだけ考えて、自分達にだけ金を使う将来のフリーライダーしか見えないから子持ち世代に嫌われるのは仕方がないし、冒頭のように吹っ切れて悪びれない奴が出てくるのも仕方がない

もしくは年金を無くして公的保証も無くして、自己責任社会にすれば良いんだろうけど、そんな事したらジジババのジェノサイドが始まりそうだから無理だろうな

少子化のおかげで女叩き減ってきたよな

さすがに少子化が深刻になってくると女叩きしてた奴も考えを改めたのか。

日本人反省できるんだなあ。

ミソジニー達も女の社会進出を防ぐには出産奨励することだって気づいたんだよ。

もはや子供を産んで育ててくれる女は無条件で生涯を保証される価値があるんだ。

そういう考えが広まれば女の社会進出は減少するだろう。

子供を産むだけで社会重要地位を得られるのだからな。

2018-11-20

anond:20181120192906

リスクを冒してもリターンが返ってくる保証がないし、リスクとリターンがまるで釣り合ってないか女性を遠ざける

これも全て女性が自ら望んだ結果だろ

anond:20181120175916

満足して死ぬならnext stepだろうけど、現世から逃げるように自殺するのはどうだろうか

転職と同じで、ここでやり残したことはないという円満退社と、逃げるような退社はどちらが次につながるだろうか

死んだ後、本当に何もないのか、楽になれるのか、保証はない

そもそもオカルト宗教的要素を排しても、脳が死ぬときには相当な激痛が走るらしい

らしい、というのも客観的な計測から推測してるに過ぎない

走馬灯が見えるのか、三途の川が見えるのか、急激な激痛が永遠に続くように思える状況で意識がなくなるのか、もしくは続くこともありえるのか

我々はこの宇宙がどう誕生たかも、外宇宙がある多元宇宙なのかも、観測できなかったり、実験がまだまだ足りない

宗教であれ、オカルトであれ、科学であれ、死んだらこうなるはずだ、という断定はできない

死んで帰ってきた人はいない

それでも死にたい、寧ろ死にたい、というのは、楽になれるからではなくチャレンジャーからできるモチベーションである

できれば、ホラー映画オカルト」のように、死後の世界から何らかの方法ビデオテープを届けてほしい(ネタばれ

anond:20181120012402

本当にこれ

科学技術が進めば、AI人間労働の大半を肩代わりし、人間労働時間は大幅に削減され、さらベーシックインカムで最低限の収入保証される時代にそのうちなるかなぁ

2018-11-19

anond:20181119172922

39歳無職が低レベル私大合格したってだけで金貸してくれる人なんかいんの?

医学部入っても医者になれる保証もないのに。

anond:20181119160246

自分に都合の良いようにデータを用いるってのは多かれ少なかれ、意識無意識を問わず誰でも行いがちだと思うけどね。

そもそも論敵にデータ依存するってのが間違いだと思う。なんなら上野に不利なデータこちらが突き付けてやったらええんや

一対一の「議論ならいいかもしれんが、上野は「社会学者」を名乗って血税研究してる。

そんな奴が、その無駄にある影響力を湾曲した研究という形で振り回すのが悪以外のなんだと思ってる?

かにエマジェンダーロールの恩恵を得る立場だ。でも当の本人が要らない言ってるんだから

下々の俺たちが頑張ってジェンダーロールを無くしてエマからその恩恵剥奪してやるんだ!って考えればガッツが湧いてこないか

湧いてこない。

奴は「自分が受けてる恩恵は死んでもなくさない」という保証のもと、弱者嘲笑ってる。

そんな奴の思惑に乗る理由がない

というかエマの言う『ジェンダーステレオタイプ』が無くなることで恩恵を得られるのはむしろ弱者男女だろう。

ジェンダーステレオタイプ」という物差しを捨てろ捨てろというが、それに代わる物差しを用意できてない。

自分だけは従前の物差しを使い続けながら、庶民右往左往するのを眺めようとしてるだけ。

色々書いたが、上野もハマ子も『論理の通じないモンスターからは程遠いと思った(逆に話が分かるからこそ質が悪いのじゃないか?と少し思ったのは内緒だ)。

論理の通じないモンスター」の話は別ツリーだよ。これは「無用男性攻撃を全くせず、首尾一貫して論理的で差別用語に頼らない「真のフェミニスト」」の話。

個人の所感としては、上野は「論理を捻じ曲げる化けもの」、エマは「サイコパス」だと思ってる。

2018-11-18

自分と他人が同じ認知をしている保証はない?

自分他人で同じ共通認識を共有するのは、確実な確認方法がないと案外難しいことなのかもね?

デイヴィッド・チャーマーズを読むとクオリアについて再考せざるを得ない?

anond:20181118162837

バイトは消耗までしてやることじゃない。何かあっても保証もされない。こちらの都合で降りていいのがバイトだ。責任感が無いと言われようが自分の体が大事だ。さっさと逃げろ。

anond:20181117232409

被爆地の被害がどうたらっていうなら、まず被爆者がどう思ってるか? ってのが重要じゃない?

被爆者の人達って同じ日本人差別されてきた訳じゃん

なのに今回の件は被爆者を差別してきた側の人達が、勝手被爆者を代行して怒ってる

長崎人間としてはなんだそりゃってのが正直なところなんだよ

それでもまだ原爆の事とか、核廃絶活動の事とかについて真剣に考えて、その上で自分なりの考えを持ってるならまだ分かるんだよ

真剣に考えた結果が核武装論だったり、確証破壊保証推し進める立場になるなら、それは一つの考え方として尊重されるべき

でもそういう風には全く見えない人が大半なんだよ

とりあえず韓国叩ければそれでいいやっていう様に見える

そういう人達被爆団体が今回の件で抗議してないって批判してるの見ると、なんつーか言葉にならない

なんでこんな事になってるんだろうなぁ

2018-11-17

anond:20181117172055

平和ボケした現代日本感覚で論を建てるからうなっちゃうんだよ。

たとえば人種でもLGBTでも服装趣味でもなんでもいいけれど、ありのまま自分でいたら抹殺されてしまうような社会を想定したら、ありのままでいる自由がとても大切だということに気づくはずだ。

その社会においては「ありのままで居たら他者からプラス評価が得られない」とか、そういう生ぬるい話じゃないわけよ。「ありのままで居たら他者から生命自己存在に関わるレベルマイナス評価をされてしまう」わけ。軽くて村八分公共サービスを受けられないとか、親族から精神的肉体的な懲罰を受けるとか、歴史的に見るとそれで処刑されちゃうようなケースも実在するわけだ。

ありのまま自分でいる権利」っていうのはそういう社会念頭に置いて「せめて放っておいてくれ」ってレベルで唱えられたものであって、極論すれば「どんな人間であっても人権保証されるべきだ」のディティール部分なわけだ。そんなの当たり前だろって思うかもしれんけれど、過去「どんな人間であっても人権保証されるべきだが、黒人、お前は人間じゃねえし」みたいな時代地域があったのを考えれば深刻なのはわかるでしょ。

これに限らず欧米で発生した思想現代日本に輸入したら、発生した時点での地域背景や時代背景が喪われて、日本現代状況では歪んじゃったケース多いよなあ。ラディフェミとか。そういえば「ありのまま」もフェミ経由なんだっけ。

今年のアカデミー賞作品賞にひっかかりそうな映画たち

自分ブログにでも書こうかなと思ったけど、だいたい https://www.metacritic.com/pictures/oscar-best-picture-contenders-for-2019?ref=hp からパクリだしそんなに力いれて調べてないので増田に放流します。

本命は『スター誕生』、『BlacKkKlansman』、『グリーンブック』あたりか。ノミネーションだけなら『ファースト・マン』や『女王陛下のお気に入り』も。


BlacKkKlansmanスパイク・リー監督

今年のカンヌで『万引き家族』の次点グランプリを獲得した、黒人映画永遠トップランナーの最新作。

黒人なのにKKKにもぐりこんでしまった潜入捜査官の実話を描く。

スパイク・リー監督作のなかでは『ドゥ・ザ・ライトシング』や『マルコムX』をも凌ぐ評価を獲得している(そして興行的にもここ十年で自己最高)。

公開時期が夏季であることと、ややコメディよりのタッチノミネーションに不利に働くかもしれないが、トランプ政権下において「ブラックリブス・マター」運動はまだまだ意気軒昂。「黒人映画」枠競争を勝ち抜くポテンシャルは十分だ。


ブラックパンサー(ライアン・クーグラー監督

解説不要だろう。今年米国内で最高興収をあげた作品にして、マーベル映画史上でも最も支持された傑作ヒーロー映画

アメリカ国内外黒人問題歴史的視点にめくばせしてオスカー好みの社会性もばっちり備えているものの、やはり「アメコミ映画」のレッテルがネック。

まだまだ白人男性・おじいちゃん大勢を占めるオスカー会員にあっては弱い。ギリギリノミネーションがあるかどうか、といったポジションだろう。

余談だが一時期新設されそうだった「ポピュラー映画賞」部門ブラックパンサーを受賞させるために作られるのだという噂だった。裏返せば、作品賞本選に選ばれる格ではない、と会員からみなされているのだろう。


Can You Ever Forgive Me?(マリエルヘラ監督

落ち目ライター有名人手紙文章捏造して高値で売る詐欺に手を出し、それが嵩じて博物館から実物を盗みだそうと企む実録犯罪コメディ

日本ではあまり知られていないけれど主演のメリッサ・マッカーシーアメリカで今いちばんアツいコメディアンのひとり。

夫のポール・フェイグと組んで『ブライズメイズ』、『SPY』、『ゴーストバスターズ(リメイク版)』などの陽性の笑いでヒット作を飛ばしてきた。

そんなマッカーシーが一転してシリアスブラックコメディに挑戦し、見事大成功。本年度の主演女優賞ノミネートが確実されている。

演出したヘラ監督の手腕も高く評価されており、初の監督ノミネート、さらには作品賞も夢ではない。


Eighth Grade(ボー・バーナム監督

インディーからまれた今年最大のダークホース

とある気難しい現代っ子少女中学生最後の一週間を描いた青春コメディ

中学生版『レディ・バード』にもたとえられる(中二病的な意味で)痛々しくも切ない、みずみずしくもどんよりとしたフレッシュローティーンライフ描写が広範な支持を集めている。

監督は若干28歳のコメディアンで、なんとユーチューバー出身アメリカ映画界における新世代の台頭を予感させる一本。すでに数多くの映画祭や映画賞にピックアップされている

オスカーコメディ敬遠する一方で、サプライズ的なインディー作品を好む傾向にあるが、はたしてこの作品の出目は吉とでるか凶と出るか。最悪でも脚本賞ノミネートは固いか


女王陛下のお気に入りヨルゴス・ランティモス監督

ロブスター』、『聖なる鹿殺し』と強烈かつキテレツ作風で知られるランティモス監督最新作にして初の時代劇

アン女王を演じるオリヴィア・コールマンを巡る二人の家臣(レイチェル・ワイツとエマ・ストーン)のバトルを描く百合時代劇……たぶん百合だとおもう。

すでに巨匠地位確立したランティモス監督過去作のなかでも群を抜いて評価が高く、今年のベネツィア国際映画祭でも第二位にあたる審査員賞を勝ち取った。オスカー前哨戦となる各種賞レースももちろん名前を連ねている。

今年の本命作のひとつとも目されるが、ランティモス特有変態さ加減が(今回は脚本までは書いてないとはいえ)どこまでお上品なオスカー会員たちに受け入れられるか……。


ファースト・マンデイミアン・チャゼル監督

ラ・ラ・ランド』で幻の作品賞受賞というなんともかわいそうな結果に終わった(それでも本人は史上最年少で監督賞を獲っているが)デイミアン・チャゼルライアン・ゴズリング

そんな彼らのリベンジマッチが実録宇宙開発物語ファースト・マン』だ。人類で初めて月面に降り立ったニール・アームストロング船長スポットライトを当て、彼の視点からドラマを描く。

企画段階から作品ノミネートは当然、という空気のなかでプレッシャーを跳ねのけて見事高評価を集めた。ノミネーションはほぼ確実といっていいのではないだろうか。反面、今度こそ受賞なるかというと、今ひとつパンチがきいてないようで不安が残る。


グリーン・ブック(ピーター・ファレリー監督

オスカー前哨戦の最も重要とされるトロント国際映画祭で観客賞に輝いた作品。ここ十年で同賞を得た作品オスカー本選にノミネートされなかった例はたった一回しかないのだ。

黒人差別が法的に是認されていた時代アメリカで、自分ちょっとレイシスト入っている用心棒白人男が南部コンサートを開きに来た黒人ピアニストを送迎する仕事を命じられる。最初は「黒人のくせに上等なスーツを着てお上品にピアノなんぞひきやがって……」と反感を抱く用心棒だったが、行く先々で差別待遇を受けるピアニストに対してだんだんシンパシーが湧いてきて……という内容。

ほろ苦くもユーモアメッセージ性に満ちた内容はまさしくオスカー好み。「分断されたアメリカ」というテーマタイムリーさもある。ちなみに監督は『メリーに首ったけ』などのロマコメで知られるファレリー兄弟の兄。このところは過去のヒットコメディリメイクなどで仕事に恵まれなかったが、もともと潜在的に持っていた社会派なセンスが一挙に花開いた。


If Beale Street Could Talkバリージェンキンス監督

ムーンライト』で一昨年の作品賞を獲得したジェンキンスの最新長編。今度こそはチャゼルにかっさらわれた監督賞もいただいて完全制覇を目論む。

原作は今年日本でもドキュメンタリー映画私はあなたのニグロではない』が公開された、黒人小説家ジェームズボールドウィンによる短篇濡れ衣をきせられて収監された夫を助け出すために奮闘する若き妊婦お話

テーマ重厚さも話題性も十分だが、公開が当初予定していた11月から12月にのたことが若干きがかり。クリスマス狙いのブロックバスター大作のなかで埋もれてしまう恐れがある。


Mary Queen of Scots(ジョージィ・ルーク監督

互いにイングランド王位をかけてあらそったスコットランド女王メアリーイングランド女王エリザベス一世を、それぞれシアーシャ・ローナンマーゴット・ロビーという旬な女優が演じる。

脚本担当したのは『ハウス・オブ・カード』や『スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』などの現代政治劇の名手、ボー・ウィリモン。

いずれもオスカーノミネーション歴を有した名前ぞろいでクオリティ保証されている。同じくイギリス舞台にした時代劇である女王陛下のお気に入り』がライバルか。


ROMA(アルフォンソ・キュアロン監督

世界的に見れば今年最も評価の高い映画といっても過言ではない。ベネツィア国際映画祭の最高賞。

1970年メキシコ・シティで家政婦として働く女性とその一家ドラマモノクロで撮る。

評価の高さと『ゼロ・グラビティ』でオスカーを獲ったキュアロン知名度があれば当然作品賞も……となりそうなものだが、障害は多い。

まずスペイン語映画であること。長いオスカー歴史のなかでこれまで十作品外国語映画作品賞にノミネートされてきたが、受賞にいたったものは一つとしてない。

次に Netflix 映画であること。カンヌみたいに公に締め出すことはしないにしても、アカデミー会員のなかでも動画配信サービス勢に対する反感は根強い。一昨年の『最後の追跡』やドキュメンタリー作品例外として、『ビースト・オブ・ノー・ネーション』『マッドバウンド』といった作品たちもその年最高クラスの称賛を受けながらもオスカーノミネートには至らなかった。

いちおうネトフリも『ROMA』については配信に先駆けて劇場公開を行うなどの「オスカー対策」をやっているが、はたしてどうなることやら。

ちなみに Netflix でも来月に配信される。驚くべき時代になったものだ。


アリ― スター誕生ブラッドリー・クーパー監督

ショービズ映画古典リメイク。この八十年で三回目の映画化です。

本年度大本命に数えられる一本。批評家・観客からの圧倒的な支持率もさることながら、商業面でも大ヒット(現時点で世界興収三億ドル突破)を飛ばした。主演のブラッドリー・クーパーレディ・ガガの演技もさることながら、これがイーストウッド降板を受けての初監督となったブラッドリー・クーパー演出にも嬉しい驚きが満ちているとかなんとか。

監督役者脚本、成績と四方に隙のない完璧映画に見える。

だが、一昨年の『ラ・ラ・ランド』、昨年の『スリー・ビルボード』と「早すぎる大本命」はかならずバックラッシュに晒されるのがオスカーという場。12月以降に猛然と差してくるであろう後続期待作たちを振り切れるかどうか。


Widows(スティーブ・マックイーン監督

2013年アカデミー作品賞を獲得した『それでも夜はあける』のスティーブ・マックイーン最新作。オスカー獲得後の第一作でもある。

シカゴでヘマをやらかして死んでしまった強盗たちの四人の未亡人ヴィオラ・デイヴィスエリザベス・デビッキミシェル・ロドリゲスシンシア・エリヴォ)が亡夫の後を継ぎ女だけの強盗団を結成するちょっと変わった犯罪映画

マックイーンとヴィオラ・デイヴィスというアカデミー賞受賞コンビ鉄板の出来。

そのパワーでジャンルムービーを嫌うオスカーノミネーションを勝ち取れるかが見どころだ。


Boy Erased(ジョエル・エドガートン監督

厳格なキリスト教である両親のもとで育ったゲイ少年ルーカス・ヘッジス)が教会同性愛矯正プログラム(いわゆるコンバージョンセラピー)に放り込まれセラピストとバトルする青春ドラマ

近年では『ダラスバイヤーズ・クラブ』のジャレド・レトがそうだったように、LGBTもの俳優にとってオスカー像への近道だ(スカーレット・ヨハンソンみたいに非LGBT俳優LGBTの役を演じることに倫理的非難が高まりつつあるにしても)。

批評家から評価的には作品賞には届かないかもしれないが、演技賞ではノミネートが有望視されている。

トランプ政権下でLGBTに対する抑圧が増しつつあるだけに、時事性も捉えているかもしれない。


Vice(アダム・マッケイ監督

GWブッシュ政権下で「史上最悪の副大統領」とも呼ばれたディック・チェイニー副大統領クリスチャン・ベール激太り(何度目だ)+ハゲという負の肉体改造で演じたブラックコメディ政治劇。

他にも妻リン・チェイニー役にエイミー・アダムスラムズフェルド国防長官役にスティーヴ・カレルGWブッシュ役にサム・ロックウェルなどアカデミー賞級の芸達者がずらりと並んでいる。

題材としてはなかなかトリッキーだがマッケイ監督の前作『マネーショート』がそうだったように、ツボにはまれば一挙にアカデミーノミネートまで行ける。

同じく政治ネタでライバルだった『フロントランナー』(ジェイソン・ライトマン監督)の評判がいまひとつ芳しくないのも本作にとっては好材料


The Old Man and the Gun Now(デイヴィッド・ロウリー監督

名優にして名監督ロバート・レッドフォード引退作。15才で逮捕されたときから人生を通じて強盗を繰り返してきた70才の犯罪者(レッドフォード)と彼を追う刑事ケイシー・アフレック)、そして彼に惹かれていく女性シシー・スペイセク)を描く実話犯罪コメディ

作品ノミネートは微妙なところだが、レッドフォードはまず間違いなく主演男優賞候補入りするだろう。

ちなみにデイヴィッド・ロウリーの前作であるゴースト・ラブストーリー『A GHOST STORY』は今日から封切り。観に行け。

一方で、実話犯罪・老人・名監督にして名俳優共通する要素の多い作品としてクリント・イーストウッド監督の『The Mule』にも注目しておきたい。こちらは80才の麻薬の運び屋をイーストウッドが演じる。映画祭などでもまだ未公開なため、どう転ぶかはまだわからないが、近年のイーストウッド作品に対するアメリカ人の冷め方からすると賞レース的な意味での期待はあまりできなさそう。



その他有望そうな作品

メリー・ポピンズ リターンズロブ・マーシャル監督

シカゴ』でアカデミー作品賞をさらったミュージカルの名手ロブ・マーシャルディズニー伝説的名作の続編を制作

エミリー・ブラントベン・ウィショーこりん・ファース、ジュリー・ウォルターズといった英国の名優たちでがっちり固めつつ、リン=マニュエル・ミランダメリル・ストリープといったミュージカル定評のある俳優陣をフィーチャーし、万全のこのエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20181117012715

それは違うだろ。生産性のないこと、金にならないことに精力を注ぐのが道楽だと言うならわかるし、努力の一部は実際道楽だろうけど。

ピッチャーが新しい変化球習得しようとか、筋トレして球速あげようとかしたとき100%成功する保証なんてないが、道楽とは呼ばんだろ。

2018-11-15

anond:20181115205658

いや、「萌え絵規制すべき!」って意見に対して「表現の自由憲法保証されている」とか「萌え絵規制する法的根拠はない」とか、ある種の原則論に終始してるのが気になって。

anond:20181115112437

席数より多めに取るのはどこでもあるけど、金とる場合は、慎重にやるわ。それこそ過去データ経験を元にやる腕の見せ所

今回は無料だし、イベンターも手を抜いたんでしょ。無料から保証もしなくていいしね

無料より高いものはないってのはそういう事。ラーメン禿も良い事言ってたでしょ

2018-11-14

[]ボヘミアン・ラプソディ

ボヘミアン・ラプソディ』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向けですぞ

総評

すごいぞなんと140点。点数の基準は「上映時間映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。なんでサントラ買いたいくらいには良かったです。

ただその一方で実はこの映画感想を書くつもりは当初なくて、というのも自分クイーンリアルタイム応援してたファンではないからなんですよね。もちろん日本人普通に暮らしていればCMやら飲食店の店内楽曲クイーンの曲は耳にしてるし聞けば、あああれね! くらいのことは言えるんだけど。

でもどうせファンの人がたくさんレビューを書くと思ってたんで自分が書く必要はねえでしょうと、思ってました。

フィクションでええやないか

んだけど、実際見てみてその周辺の感想とか聞くと、もやもやした気持ちが募ってきたわけです

やはり133分という限られた尺の中では出来事を省略する必要もあったり、感情動線設計エピソードの順序入れ替えなどは行われているわけです。そういう意味でこれはノンフィクションではなくて、エンドロールにも書かれているようにフィクションです。

本国広報プロデューサーもそうフィクションだと発言しているんだけれど、コアなファンであればあるほど史実との違いが目につき、ニコニコ笑いながら(多分なんの悪気もなく)貶すという光景がなきにしもあらず。実在人物フレディ・マーキュリーの伝記的な映画でもある以上仕方ないのだけれど、正解/不正解という視点がついてきてしまう。

オタクオタクであるゆえ仕方がない心性で「かー。しょうがないな、この部分もうちょっとこういう描きを入れてほしかったな。かー」「よくやってるけど30点!(地獄のミサワの顔で想像してください)」的な、本当は大好きなクイーン映画がすごく良い出来で嬉しいのだけれど一言わずにはおれないような。そういう反応多いのです。

気持ちはすごくわかるのだが、ソロで鑑賞にいったこ映画の後ろに行ったカップル男性が「あいクイーンのことになると早口になるよな」とかで、なんか、すごくいたたまれなかったりもする。キミのその愛情彼女さんには全く通じてないし、むしろ映画の感動いまどんどん減らしてるよみたいな。

からこのレビューでは物語フィクション)としてこの映画おすすめします。

若い人もクイーン知らない人もちょっとしか知らない人も寄っといで。これはとても良い映画だったよ。知識なんていらないよ。単体で物語としてよかった。だから観るといいよ。そういうレビューです。

何もないという窒息

映画はフレディがクイーン前身バンドであるスマイルメンバーに声をかけるあたりからまりますデビュー前のフレディは当然まだ若く、瞳だけがギラギラした挙動不審青少年で、当たり前の話だけど何も持ってないわけです。

何も持ってないというのは、金も実績も名声も持ってないし、家庭ではなんだか居心地が悪いし、将来の確固たる保証もないということで、その何も持っていないという閉塞感が初っ端から強烈に描写されます

それがすごく良かった。

それは、この映画ロック界のスーパースター伝説偉人フレディー・マーキュリーを崇める映画ではなくて、何にも持ってないチンピラのフレディから始める映画だっていう鮮烈な意思表示なわけですよ。

野心を持った若者っていうモチーフ映画でも小説でもよく出てくるモチーフなのだけれど、若者は野心を持つってわけではなくて、それは全く逆で、財産らしきものは他に何も持ってないから野心ぐらい持たないと惨めでやってられないってことですよね。

作中で描かれるフレディがまさにそれで、デビュー後彼はすぐさまオレ様キャラを発揮し始めるのだけれど、最初デビュー前のシーンでは内気で繊細な少年なわけですよ。オレ様ってのは虚勢だとすぐわかる。スカウトの前でも音楽プロデューサーの前でもでかいことを言うけれど、それは「いまは何者でもないチンピラだ」ってことを当の本人たちが痛いほどわかってるからにすぎない。

かに伝説バンドクイーンメンバー全員が稀有な才能を持っていて音楽に愛されていたのかもしれないけれど、でもそれは人間的な弱さを持っていなかったことは意味しないし、何も持ってないし、何も確かなことがない。将来何になれるかわからないし、不安だけど、弱みを見せるわけにも行かない。それって、青少年普遍的鬱屈だとおもう。そういう意味で、スクリーンの中のフレディは、たしかに観客席と地続きだと感じました。

生存戦略としての虚勢

から無駄に見栄を張り無駄喧嘩を売ってオレ様は天才なので何をやっても大成功なんだぞー! と嘘でも吠えなきゃならない。それは文字通りの意味で虚勢なのだけど、フレディはその意地を張り通して段々とスターへの階段を登っていくわけです。

生存戦略としての見栄と意地で、それがある程度以上に通用成功する。

からこそフレディは問題解決する手法として去勢音楽しか持たないわけです。下手に成功しちゃったから。そして、バンド内で揉め事が起きても、スポンサー揉め事が起きてもこのふたつで解決していくしかない。他のノウハウはびっくりするほど何もない。

でもその問題解決手法アーティストとして成功するために最適化されているために、フレディ個人内面の寂しさや煩悶を癒やす役には全く立たない。

溝ができつつある恋人であるメアリーとの間をなんとかつなぎとめようとするフレディのやり方は、小学性みたいに真っ直ぐすぎて、純真ではあるのだけれど多分恋愛検定で言うと偏差値43くらいでとてもつらい(っていうかお前隣り合った家の寝室の窓から明かりのオンオフ相手確認するとか昭和少女漫画クラスやぞ)。

バンドメンバーとの関係傲慢ワンマンが過ぎてギクシャクしていくが、こち解決傲慢&虚勢に仲間に対する甘えをトリプルでどん!! しているわけでお前よくこんなんで空中分解しないな?(とおもってたら分解した)という感じで、これまた辛い。こっちは偏差値41くらい。素直でない分2低い。つらい。

全体的にコミュ力中学生レベルでしょう(つらい)。

自分性自認ヘテロなのかゲイなのかで悩むフレディは、その鬱屈がたたって恋人メアリーとは距離を置くことになってしまうし、それをきっかけとして私生活が荒廃していくわけです。周辺に金をばらまき、ドラッグ乱交パーティーに溺れていくけれど、それで内面の寂しさは癒せない。

そもそも音楽&虚勢という生存戦略アーティストとしてのし上がることに特化しているので、私生活を豊かにするには役に立たないわけです。それどころかスターダムにのし上がればのし上がるほど、マスコミの下世話な視線に晒され、心無い詮索で私生活崩壊していく。仕事音楽)に逃げ込もうとするその弱い心が、事態を決定的に悪化させてしまう。

バンド危機だし、フレディは仲間からも「キミって時々本当にクズ野郎になるよね」といわれてしまう。スクリーンを見ながら「せやな」と言わざるをえないわけですよ。

フレディは、フレディの才能に殺されつつあるわけです。

でも、やっぱり、救いはある

この映画ふたり大好きな登場人物が居て、そのひとりはバンド精神的なリーダー?であったブライアン・メイ(演グウィリムリー)。この人の演技が、めちゃくちゃ良かった。特にセリフにならない表情の動きみたいなもので、映画の深みを何層も掘り下げてくれました。

喧嘩をした直後に浮かべる「仕方ないなあ」というような許容の表情や、ラストライブシーン中の「言葉にしなくてもわかってるよ」とでもいいたげなさりげない承認の表情など、どんだけバンドが砕け散りそうでも、メンバー音楽に対する愛を、演技だけで表現してのけた。ぶっちゃけすごい。

朴訥な、言葉は悪いけれど垢抜けない田舎者風のキャラ構築だけど、静かな思いやりと知性が感じられるっていう難しい役だったのにね。

もうひとりはジムマイアミハーバー。このひとは、当初クイーンというバンドプロデューサーから紹介された弁護士として登場します。契約面でクイーンを支えるためのスタッフのひとりでした。

出会ったその最初のシーンで(ヤング傲慢な)フレディからジムという名前はつまらないんでマイアミに変えろ」くらいのことは言われて笑いのもととなり、つまりコメディキャラ位置づけです。

でも物語中盤、フレディは誤解と癇癪からマネージャーであるジョン・リードを一方的にクビにしてしまうわけです。そしてフレディは、後任のマネージャーを「次のマネージャーはきみだ」のひとことで、その場に居たジムマイアミハーバー押し付けちゃうわけっすよ。

そんなの嫌でしょ。自分なら引き受けたくないです。だってクイーンの連中は音楽やってるとき以外は飲んだくれてるか喧嘩してるか女といちゃついてるかで、偉そうだし、わがままだし、人の話聞かないし、どう控えめに評価しても糞ガキ(主にフレディ)だもの

でも、ジムマイアミハーバースタジオ演奏しているクイーンを見て、引き受けてしまう。「わかった、やるよ!」といってしまう。それがすごく胸に詰まるシーンでした。

だってさ、たしかクイーンは(主にフレディ)は人の迷惑を考えないクソ野郎だけど、音楽の才能は本物で、それ以上に音楽と観客に対して真摯なのは見ててわかるんだよね。そこだけは本気で一切手抜きしないで、いいものを作ろうとしてるのがわかるのだ。

ジムマイアミハーバー弁護士としてのキャリアもあるし、こんなワガママ集団のお守りなんかしなくても十分生活できるはずでしょ。一方、クイーンマネージャーを引き受けるっていうのは彼らのツアーもついていくだろうし、各方面からの問い合わせやスケジュール管理もしなきゃいけないわけでしょう。それは控えめに言って、人生を捧げるってのとほぼイコールですよ。このわがまま集団を守って、彼らの盾になり続けるという意味だ。

立派な大の男の人生進路変更させてしまう、クイーン音楽のちからってのは、別段彼らの業績を知らないスクリーンこちらの素人にも、やっぱり分かるんですよ。そこで迂闊にもホロリと泣けてしまった。

(あとで調べて、彼ジムマイアミハーバー本人は最後までマネージャーを続けて、この映画制作にも関わったことを知って二度泣けました)

チャンピオンは誰だったのか?

フレディは前述の通り、性自認問題やら持ち前の癇癪から疑心暗鬼になって、「家族」とまで思っていたバンドメンバーを遠ざけて孤独になり、その孤独がつらくてより酒におぼれて生活がぼろぼろになっていく。

でもそういう最悪の時期を、元恋人メアリーの助言で断ち切ってバンドメンバーのもとに戻るわけです。

そこから映画クライマックスへ、復帰のための厳しいレッスンから1985年のライブエイドに向かっていく。自分HIV罹患していて余命がいくばくもないこと。でもそれでも「同情はゴメンだ。俺の望みは残りの人生音楽に捧げることなんだ」とフレディは仲間に言うわけです。

それに対する仲間のアンサーが「お前は伝説だ」と。

でもフレディは「俺たち全員だ」と応えてライブへとつながってゆきます。幾つもの和解があって、ライブ当日、フレディは素晴らしいパフォーマンスを見せる――というのがクライマックスの展開なわけです。そこで立て続けに流れる名曲の数々ですが、やはりひときクローズアップされているのが"We Are The Champions"という楽曲です。

おそらく誰もが耳にしたことがあるこの曲が名曲だってのはもちろんあるんですが、やはり、この物語の中では、すごく重いです。そして良かったです。

この曲は確か公開当時「傲慢歌詞だ」という批判を受けたはずなんだけど、実際映画館で、物語の中で聞くと、ちっともそういう曲には聞こえないんですよ。歌詞のものは「俺たちはチャンピオン勝利者)だ。今まで色々やってきた結果勝利者になった。敗北者に用はない。俺たちはこれからも挑むんだ」というもので、なるほどそう要約してみれば、傲慢にも聞こえます。とくに大セールスを記録した世界アーティストのそれともなれば、そういうやっかみを受けるかもしれない。

でも、そういうふうには聞こえなかった。

しろ、今まで自分たちがやってきた努力や行動のすべてを自分たちは自分たち自身に胸を張っているけれど、それを周囲には理解してもらえてない、“未だ自分たちは最終的な何かを何も受け取っていない”若者である自分が、自分自身に対して「俺たちは勝利者だ」と励ましているような、自分友達鼓舞するような、そんな曲に聞こえるのです。

しかに名声も金も手に入れたけれど、でもだからといってそれがゴールだなんて思わない。今現在環境は決着ではない、だから敗北者に用はない。もっともっとおれたちは目指す何かに向かって、求めていた何かに向かって手をのばすんだ。そんな歌詞に聞こえてしかたがないわけです。

人間人生の何処かのシーンで、自分を励まさずにいられない心境になるってどうしようもなくあると思うんですよ。

苦境にあっても、自分は間違っていない。今まで歩いてきた道は愚かだったわけではない。それを証明するために現在という試練を超えて、未来で何かを手にしたい。

そんな気持ち世界アーティストであろうともそこらに兄ちゃんおっさんであっても、抱くことはある。むしろそこらのおっさんやおばさんだからこそ、自分応援する必要がある。多くの観衆のそういう内面祈りのような感情を、本人に変わって歌い上げるからこそ大スターになれるんじゃないかと思うわけです。

から"We Are The Champions"という曲におけるWeは、フレディでありクイーンメンバーであり、ライブエイドの観客であり、そしてこの映画を見ている人間でもあるわけです。

それがとても良かった。この映画自分に関する物語として見れることが、とても良かった。

これらのことは別段クイーン情報を知らずとも、楽曲に対する知識がなくてもこの映画を見るだけで十分についていけます

この映画は、伝説バンドクイーンというのが居てその偉業にひれ伏すためのものではなく、かと言って歴史的事実に対して○×クイズをするための出題でもなく、音楽に深い愛を捧げた内気な少年プライドと虚勢を頼りに世界と戦った――そして最後には家族の元へと戻り偉大な勝利を得た。

そういうビルドゥングスロマン映画であって、あるいは中途半端知識のあるファンよりも、何も知らない世代や人々にこそ深く刺さるものだったと思います

2018-11-13

安易スピンオフとそうじゃない作品の違いって何だ

そんなもの主観面白いと感じるか、原作ファンが受け入れて売れてるかの数値でしか判断できないけど、

個人的に思ってる良いスピンオフとそうじゃないスピンオフの違いを書いてく。

作者本人が話を考え描いてるスピンオフ

実質的外伝だし、原作が好きなら面白さは保証されてる。

「天→アカギ」みたいに原作を超えるほど人気が出たら大成功

とある魔術→科学」のように違うファン層を開拓できるパターンもある。

修羅の門は今見ると格闘技知識が古くきつい所もあるが、修羅の刻歴史物にすることで総合格闘技の要素が無くなり古さが消えた結果本編より良かった。

ただし作者が同じはずなのに「ばらかもんはんだくん」みたいになんじゃこりゃ化するパターンもあるし「キン肉マン闘将!!拉麺男」みたいにキャラだけ引っ張ってきて別物化しなんじゃこりゃ化する事もあるので油断はできない。

別人が作ってるけど原作への理解が深くリスペクトを忘れていない作品

原作エッセンス理解して作ってるスピンオフなら原作者じゃなくても面白い事が多い。

それは絵がすげー似てて原作と並べても違和感が無いとか、キャラクターや世界観大事にしているとか。お仕事でやっているんじゃなく原作ファン目線を感じられると最高。

読者が納得できる範囲でならキャラ世界観崩壊してても良い。面白ければ許される。

ここから嫌いなスピンオフ

タイトルがぷち/みに/ちび○○みたいなギャグパロディ

2頭身のデフォルメキャラになったギャグ4コマとかショートアニメね。

ちょっと原作流行るとすぐ始まるこれ系。キャラや設定だけ拝借して別物化させ、公式なら絶対言わない事を言わせたり行動を過激化してギャグ化する。公式看板を背負ってるくせに公式にはないファンネタネットミームを堂々と取り入れる。

それが見る人によっては面白いというのは理解できるし、このキャラがこんなこと言うわけねーだろなんて野暮なツッコミはしない。

しかし内輪受け狙いが強く寒すぎる。はいはい原作知ってると分かるネタねって感じで冷めた目で見てしまう。

見るのも買うのも元作品を知っているファンなんだから内輪受けでもいいんだけどね。

○○学園、○○中学校みたいな現代パロディ

「もしもあのキャラ達が現代学生だったら…?」……だから何だよ。

原作の出生も環境世界観も全部めちゃくちゃにしお決まり行事イベント恋愛部活、先輩後輩、生徒会長校長など分かりやすポジションにあのキャラを配置して…ってもうね。安易すぎて引く。ファン二次創作でやるなら別に良いけど、公式自ら作ってるアレとかさ。

特にやべーと思ったのはカップヌードルCM。旧作アニメ新海誠風の絵にしてキャラ現代風にして声は人気男性声優にして…。寒気が止まらなかったわ。

何がアオハルかよだよ化学調味料の取りすぎで頭がおかしくなったんじゃねーか?

そのキャラでやる意味あるのかってスピンオフ

グルメ漫画ブームスピンオフブームに便乗し作られたが別物すぎると話題になり「自分を野原ひろしと思い込んでいる一般人」というミームまで生まれたアレとか

巴マミが死なずにアラサーおばさんになってる同人誌公式化してしまったアレとか

全身がスピンオフのものガンダムエースでも特にやべーと感じる機動戦士ガンダムさんとか

長門有希ちゃんの消失」は涼宮ハルヒの消失連想させるタイトルなのにこの漫画長門ゲーム趣味普通に喋れるおとなしい女の子で、朝倉涼子母性溢れる常識人で、ハルヒも友人達青春満喫している破天荒さの無くなった女子高生で、当然そこには不思議も無く平凡な日常の中でイチャラブするだけ。原作消失関係あるのか読んでいて疑問だらけだった。

2ちゃんねる投稿されるSS漫画化したような内容で、ハルヒの登場人物を借りて私物化性格まで改変した闇鍋のような漫画

ただこれは「涼宮ハルヒちゃんの憂鬱」というスピンオフ漫画に登場した長門ベースにした孫スピンオフという経緯に原因があるのだが。

原作厨なので原作からかけ離れすぎたスピンオフ存在のもの拒否反応が出てしまう。

結論として、俺はこういう物を安易スピンオフと感じるらしい

anond:20181112193005

いないと思えば増田の視界からは居なくなるかもしれないが、それが存在しないことの保証にはならない

anond:20181113201906

選ぶのはバンドマンの方だから無論選べるに決まってる

選んだ結果「食いまくり」ができるかどうかは保証されてないが

2018-11-12

anond:20181112193613

>人さまの家のおかずまで用意するのは手間のわりに喜ばれる保証のない行為

コレ含めてその通りだと思うけど、「一過性」なので、後日まで話が続いても「ありがとう。」で一応終われるとは思う。(実際には不要なら、全部/一部食べないで、感想だけ伝えることは出来る。心理的負担になりますが。)

服は、後日まで残るものなので、そこは面倒かな、と。

食べ物も、伝え方を失敗すれば、また頂いちゃいそうですけどね。(実際、そういう人居ますが。)

anond:20181112192152

私は一過性で生ものであるところが食べ物の面倒くささだと思ったのですがどうでしょう

自分ご飯の支度をしていないとかもう一品ぐらいおかずが欲しい状況だったら有難いですが、「既に自分調理済み」とか「外出の予定でいただいたものを食べる余裕がない」とか「メニューや味付けが好みでない」とかだったら始末に困ると思います

食べてもらえる状況にあるのがはっきりしているならともかく、人さまの家のおかずまで用意するのは手間のわりに喜ばれる保証のない行為ではないでしょうか。ある程度お互いの家庭の状況が分かっている相手でないと出来ないことだと思います

結婚後の仕事

結婚しても働きたい。

今の仕事楽しいし、それなりの収入産休育休のサポートもしっかりしているので結婚理由に辞める必要はない。

でも、今結婚を考えている人は結婚したら仕事を辞めて家の事をやってほしいと言っている。

向こうは親と自営業で既に半分くらい継いでいるような感じになっている。

でもその店も人手が足りないというわけでも無く、経営は順調だし、確かに私が専業主婦になってもいい暮らしはできる。

 

ネットでは女性側が専業主婦希望するイメージが大半だが、一方で結婚相手専業主婦になって欲しいと考える男性もいる。

結婚を考えている友人の中にも相手がそういう希望を持っていて、辞めるかどうか悩んでいると言っていた。

家事育児を押しつけたいのか、惚れた相手に楽をさせたいのか、その真意は様々だと思う。それは今は置いておいて。

女性側に働く意志があるとして話をする。

 

どれだけ稼いでいて、ホワイト企業に務めていて、この先も安定した仕事に就いているとしても。

相手がこれまで積んできたキャリアを捨てさせて家庭に入れと言える神経がわからない。いや、単に無神経なだけかもしれない。

企業が30年先まで無事でいる保証も、自分自身健康である保証もない。

現時点で90歳になるまで生活レベルを変えずに不自由なく生活できるくらいの蓄えがあれば別だよ。

けど、そんな保証もないのに自分の身ひとつでやってこうと思える自信がすごすぎて笑ってしまう。

いざ何かあった時に、キャリアを捨て何年もブランクが生じた専業主婦が働こうとしたら結構キツいと思う。

手に職系の仕事を持ってても久しぶりに働くって結構苦労する。

そういうとこまで考えた上で相手キャリアに口出しすべきだと思う。

 

なんでこういう考えに至ったかと言うと、両親がそうだったから。

父親会社を継いだけどこのご時世だから大分苦労している。

専業主婦だった母親介護業を始めて、こんなはずじゃなかったのにね、なんて言いながら働いているのを見てきた。

時代はどんどん変わっていく。両親が結婚した時とは違う。

今の私は将来への不安があまりにも大きい。

 

から私は働き続けていきたいと思う。

仕事が全てではないけど結婚が全てというわけでもない。

相手が承諾しなかったら結婚なんてしなくていいや。一人で生きていくよ。

無責任に楽しく遊んでいればいいという時期ではなくなってしまった

長いので最初に3行で。詳しくは下のほうを。

32歳のオレ、今のところ人生順調で充実している。急いで結婚したくない。

25歳の彼女はそろそろ結婚したいって考えているようだけど、俺はまだ遊びたいよ。

まだまだ自由謳歌したい俺、結婚したい彼女。この状況みんなならどうする?



スペック

俺32歳 準社員

彼女25歳 正社員保育園のセンセ)

自分イケメンでも高スペックでもないが、根拠のない自信があり、いつか自分のペースでしたいとき自分の納得した相手結婚できるだろうと思っている。この年齢になった今でも同様に考えている。そんなワケがないのはわかっているつもりだが「俺なんだし大丈夫でしょう」という甘い考えをもっている。他人がそんなことを言っていたらアホだとは思う。

それでも一部の稀有な人たちからは、可愛がってもらえたり、慕われるし、モテてるというか人気があるという自負があり、実績もあり、今後もそんな感じで自分人生は進んでいくのだろうと漠然と考えている。会社の後輩とデートして手をつないでみたり、デリを呼んで本番交渉してみたり、午前1時から飲みに出かけて、スニーカーの自慢をしてみたり。そんな自由な今が続いてほしい。

彼女は前述の通りのスペック。近頃の彼女言動から、そろそろ結婚願望が願望というバケツからあふれ出そうになっている様子が感じ取れる。

普段から元気がないのは、周囲の友達結婚した焦りからだろうか。正社員登用はいつなのかと聞いてくる。ぶっちゃけ正社員になれる保証はないし、いつかも決まってないんだよ。だなんて言えない。正社員になれるように頑張ってるよと答える。自分誕生日旅行をした時には、いつか嫁にしてねと手紙を読んでもらったりした。うれしい半面、困ったなあというのがホントのところ。自分には奥さんが、今、必要ない。

付き合い始めた頃のように、無責任に楽しく遊んでいればいいという時期ではなくなってしまった。結婚以外もう選択肢はないのかな。次の夏、付き合って5年目を迎える。自分は今の生活を変えたいと思えない。

相手が25歳で、付き合って5年ということを考えてみると、そろそろ結婚婚約をする or 早めに別れを告げる かのどちらかであることは明白。しかし、自分社会的地位に自信がないというのを隠れ蓑にしていて、もう潮時だと感じる日までこのままでいいと思っている。けじめはいつかつけたいけど、つける計画はない。いや、つけなきゃならないんだろうけど。。。。

いまの自分たちの関係は、早急に白黒つけないとならない話ではないように思うがどうなのだろうか。どこかのタイミングで、この投稿のような話をしっかりすべきなのだろうか。

2018-11-11

人工妊娠中絶は「女性の権利」ではない

人工妊娠中絶はしばしば女性の権利問題として語られるが、冷静に考えてみれば別に女性の権利でもなんでもないような。

胎児人間ではないとする立場を取るならば、胎児母体から栄養供給されることによって成長するものであり、母体身体の一部であるのだから、爪や髪、あるいはタトゥーといっしょで、より普遍的な「自分身体の一部を好きにする権利」にすぎないように思う。私は髪を短くしておくのが好きだけど、長く伸ばすのが好きという人もいるし、それを配偶者や親が「いや、お前は髪を伸ばさねばならない」とか「髪を切れ!」と強制するのはおかしい。胎児もそれと同じで、ことさらに「女性の権利」と呼ぶようなものではないと思う。自分身体に関する権利は男女がともに等しく持っているのだから

逆に胎児人間であるという立場を取るのなら、中絶殺人であり、殺人をおかす「権利はいっさい認めるべきではない。アメリカ中絶反対派のなかには、中絶には反対だがレイプでできた子は中絶してもよい、という立場を取る人がいるようだけれど、はっきり言ってわけがからない。レイプされたという理由で罪もない一人の人間を殺してよい理由はどこにもないのだからレイプ犯への復讐すら殺人罪に問われるのに)、仮に胎児人間であるとするならばレイプされてできた子供であっても人工妊娠中絶を認めるべきではない(もちろんその子供を育てる義理はないので、施設に預けるとかそういう選択肢が存分に保証される必要があるけれど)。中絶をしなければ母親死ぬという場合に限っては緊急避難が認められる余地はあるだろうが、そうでなければレイプされてできた子供だろうが経済的に養えない子供だろうが、人工妊娠中絶を選んだ妊婦産科医は殺人罪で訴追されるべきだ(情状酌量がされてはいけないとはもちろん言わない。裁判にかけられるべきだと言っている)。なぜなら、人を殺した者は殺人罪で訴追されるべきだからだ。

私はそもそも胎児人間ではないと思うので中絶自由だと思うけれど、それを「女性の権利」と言うのは上のような理由違和感がある。また、ローマ・カトリック中絶絶対認めないマンなのを理解不能と呼ぶ人を見かけるが、胎児は人であるという前提条件を採用するなら中絶絶対認めないマンにならざるを得ないので、理解できないという人の方がわからない(ただし、「私人勝手に人を殺してもよい」という前提を持っているならば、「胎児人間」と「中絶自由」は矛盾なく両立するので、論理的に必ず中絶禁止が導かれるわけではないことは注意したい。ヒャッハー!)。

かつてとある場所で、中絶の可否について議論したことがあった。私は「中絶自由」派だったのだが、「胎児人間なので中絶反対」と言っている反対派を、経済的に困窮した女性はどうなる、とフェミニストであろうと思われる賛成派が追及していて、お前の言ってることはおかしい、と横から突っ込んだ。「胎児人間なので殺してはいけない」という主張に「経済的に困っている人もいる」と反論したら、それは「経済的に困っていれば人を殺してもよい」という主張と同じだ(「人を殴ってはいけない」という主張に「聞き分けのない子供はどうすればいいんだ」と反論したら「聞き分けのない相手ならば人を殴ってもよい」と言っていることになるよね? それと同じ)。「胎児人間」と主張する人に対しては「胎児人間ではない」と返すべきで、それに対して経済的困窮とかレイプ被害とかを持ち出す論者は、貧困層であることや性暴力被害に遭ったことを理由に罪も無い人を殺してよいと主張していることになる。80歳の老親が50歳の引きこもりの子供を殺したら殺人なのだし、長年の性暴力に耐えかねて人を殺した尊属殺法定刑違憲事件だって、「裁判を経て情状酌量が認められた結果執行猶予がついて釈放された」のであって「人を殺したのに裁判にかけられずに堂々と暮らした」わけではない。もしも仮に胎児が人であるならば、20歳妊婦胎児中絶する行為も、同様に扱われるべきであるはずだ――もちろん実際には、胎児は人ではないので、中絶した妊婦裁判にかけられる必要などないのだが(堕胎罪有名無実化しているとはいえ悪法なのでさっさと廃止するべきだ)。

神学論争なっちゃうじゃないか、と言われればその通り。結局これは徹頭徹尾人間の始期」をどこに置くかという神学論争に過ぎない。生物学的には受精から乳児に至るまでの過程連続しているが、社会的にはどこかで線を引く必要がある(乳幼児から成人に至るまでの過程連続しているが、社会的にはある瞬間から選挙投票できるようになったりお酒が飲めるようになったりするのと同じだ。15年経てば20歳になるのだからこの5歳の幼児を成人として扱って酒を飲ませてもいいじゃないか、と主張する人は皆無なのに、1年経てばこの胎児乳児になるのだから人として扱うべきだ、と主張する人が後を絶たないのは奇妙なことだと思う)。なので本質的人工妊娠中絶をめぐる問題女性の権利とはなんの関係もないのだ。これを「女性の権利」と呼ぶのはミスリードにすぎないと思う。

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