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はてなキーワード: 回避とは

2024-06-25

プロ出身者の使えなさは異常

anond:20240624084844 を読んで思ったこと。2番目以降は正直良くわからないが、一点目についてはわかりみしかない。

うちはメガベンチャーで内製アプリの開発保守をしてるんだが、新卒で採った青(水色?)のエンジニア連続でクソ野郎でめちゃくちゃしんどかった。

◯色コーダーマウント

ちょくちょく自分は◯色コーダーだって主張してくる。

こっちはお前が学生時代に取った資格の話なんて興味ねえんだよ。

センター試験の点数自慢してる社会人いるかいねえだろ。

評価されたければ与えられたタスク以上の成果を挙げろ。

資格自慢をしたければ、社会人にふさわしい資格を取れ。

お前のガクチカなんぞ知らん。

コードゴミ

プロエンジニアといっしょに仕事したことある人なら大体頷いてくれると思うんだが、彼らの書くコードは本当にひどい。

処理がどれだけ効率的だろうが、実務においてメンテナンサビリティの無いコードゴミだということが理解できないらしい。

しかも彼らは「コードは短くて高速なのが善」という前提を頑なに信奉しているので、注意しても聞く耳を持たない

実験Python触ってましたくらいの理系プログラマの方が可塑性があってよっぽど有益だ。

典型的ブリリアントジャーク

PRSlackの文面がいちいちキツく、他のチームメンバーを萎縮させることもしばしば。

「そんなこともわからないんですか」って本当に言う(しかも文面が永久に残る場所で)やつ本当にいるんだ、って驚愕した。

しまいには自分業務と全く関係のないリポジトリゴミPRを投げて別の部署との間で一悶着起こす始末。

流石にこれについては上長経由で苦情が来たので、コミュニケーション問題があるって人事評価で伝えることになった。

コイツらのせいであまりにも空気が悪くなり、部署全体のミッションとして「心理的安全性を高めよう」と書かざるを得ないところまで行った、といえば影響の大きさがわかるだろうか。

最終的に二人共インフラ系の部署に移ってくれて、俺等は内心ホッとしている。同じような経緯で追放された赤コーダー二人の下で、彼らの好む"競争的"環境をさぞ楽しんでいるに違いない。

自律性のなさ

彼らは与えられたタスク以上の「余計なこと」をやらない。

これはまだタスクとして振られてはいないけど、間違いなく誰かがやらないといけない事だから自分仕事にしてしまおう、みたいな気の利くムーブができない。

先見の明に欠けるというか、たぶん、彼らの中には「上から問題が与えられ、それをクリアできたら合格」という価値観が染み付いているのだろう。

もっと悲観的に捉えると、むしろ同僚を貶めれば相対的自分評価が上向くと思っているので、チームメンバーへの協力を積極的回避しているのかもしれない。


不思議なのが、この子達、出身大学全然違うのに上記問題行動は共通してたんだよね。

競技プログラミング学生人格を歪めているのか、元々歪んだやつが競技プログラミングにハマるのかわからないけど、何らかの相関はあると確信してる。

とはいえ、もしかすると我々は彼らにとって役不足だったのかもしれない。競技プログラミング出身者を採って上手くハンドリングできてる事例があったら教えてほしい。

いずれにせよ、うちは全社的にエンジニア採用の時に競技プログラミング実績は加味しないという方針になった(実際のところはマイナス評価点になっているらしいが)ので、このような悲しいミスマッチはもう起こらないだろう。

1年休職してアニメ映画復職した話

太い実家理解ある彼君は出てこない

30代女 営業職 一人暮らし

人間関係メンタルを病んで休職に至るまでと復職までをエントリしました。

しんどい人や療養中の参考になれば嬉しいです。

休職まで

元々の増田推し活、美容時間給料を注ぎ込んだ

年に1回はハーフマラソンに出るためにジムに通い、

毎月ネイル、マツパ、美容皮膚科の手を借り、

メガ割、ビューティーデー、メイパで踊り

毎月の新商品限定品を吟味する

年位で徐々に体調を崩し、もっと早く気がつけばと今なって思う

最初仕事終わりにジムに行く気にならなかった

その後は休日の楽しみだったネイル、マツパで今どうしたいかを選べなくて同じものリピート

テンションが上がらないなと思い通うのを辞めた

同時に寝つきが悪い、すぐに目が覚めるといった不眠

新しいコスメ洋服を買いに行っても似合うものが分からない

婦人科系の不調(PMSが重い、不正出血生理不順)

めまい耳鳴り

顔の蕁麻疹

多汗

胃痛

この頃か毎日同じ物を食べて洗濯物を取り込んでも畳めない

ガリガリで顔も痩け生理が止まった

鏡に映る顔が嫌でヘアアレンジはおろか、メイク適当になった

金曜夜や在宅勤務の前日は中々お風呂に入れない

自分はどうしようもなくだらし無いダメ人間だと悲しかった

推し現場で今まで通りのオシャレをしていない自分が嫌で1秒でも早く終わって欲しかった(推しから自分は見えていなくて認知もいらないけれど)

通勤電車で吐きそうになって途中下車を繰り返した

新規提案資料作成に倍以上かかる

新人ミスイライラしそうになる

何百回も繰り返した商品説明言葉が出なくなった

家も通勤電車でも涙が止まらない

電車飛び込みそうになる

休日出勤や残業中に会社で首を吊れる場所ってないんだなと探している自分に気づいてやっと受診を決めた

受診休職

初回で鬱の診断と即日の休職診断が出た

睡眠薬が出るかなぁが大事だった

増田支店の1/4強売上があって、先輩や上司クレームリカバリー先が何社かある

新人の育成、他支店メンターも持っている

推し現場大事な人の冠婚葬祭といった何ヶ月も前から有休にしていた日に、先輩社員ミス謝罪訪問をさせられたり社内からどうでもいい電話がひっきりなしにかかって対応が常

休めないし、きっと休ませてもらえないから無理だと話すと主治医に怒られ鼻水垂らして泣いた

休むまで少し時間がかかって、また主治医に怒られた

休職に入ってから、誰とも話さず取り残された焦りで毎日が終わる

メンクリ以外の外出は無理でネットスーパーアマゾンに助けられた

少し前に風呂キャンセル流行ったまさにそれで髪はおろか顔も洗えない

メンクリ当日朝に泣きながらシャワーを浴びた

不眠がマシになる頃、副作用の過食で自尊心ゴリゴリ削れた

納税すらできていないウ○コするゴミは消えればいいと呪った

よかったこ

近くのメンクリを選んだ

 ダラ着スッピン伊達メガネマスクでも徒歩3分だと許容できた

主治医要望を伝えられたこ

 薬の効きが悪い、過食、落ち込みといった症状を毎回伝えて擦り合わせた

 初診で鼻水垂らしているから今更恥ずかしいことはない

デリケートゾーンソープの習慣

 スキンケア必要がないからシモはほぼ毎日洗えた。コスメ垢で良かった

ゴミを捨てられた

 親がとある依存症の汚家育ち恐怖と24時間ゴミ捨て可物件汚部屋回避できた

 立入点検が何回かあって、大掃除できたのも大きい

過食の対応 

 休職直前から10キロ(通常時の5キロ増)でも過食嘔吐はしなかった

 増田は吐くと同時に○が出る体質で自発的に吐けない

固定費を抑えていたこ

 傷病手当申請〜振り込みまで2ヶ月はかかった

 インセンティブ賞与が途中無い

 業務引き継ぎの合間に定期の払い戻しやサブスク解約できたのは偉かったな

 

アニメ映画ハイキュー)の出会い 

リア垢アニメ好きの幼馴染が「全人類見るべき」でツイートしたハイキュー映画に興味を持った

上映時間が85分の短時間レイトショーは社不でも行けそうなハードル

出かけられた日は一生忘れないと思う

事前に調べなかったから入場特典もらえて嬉しかった

野良試合の話だと思ったら全国大会ゴミ捨て場とは…)

金髪の子主人公じゃなかった

最近コンテンツなのに誰も怪我しないし死なない!絶対病室のおじいちゃんぽっくりすると思ったのに

全然話わからなくて帰ってからアマプラ原作読んだ

チームメイトもだけど大人がまともでいい人ばかり。武ちゃんマジで幸せになって欲しい

小学校大学まで続けた競技で全国何回か出た真剣に頑張れた自分を思い出せた

ダメ人間じゃなかった

復職

学生時代の頑張りの気付きから、色んなことが今はできていないだけと視点が変わった

元の自分美容を頑張ってメイクが好きなことも忘れていた

復職前後に前職の同僚や上司と会う機会があって沢山励ましてくれた

ヤバい色のリップ塗ってゲラゲラ笑ってる増田も今のカジュアル増田も年相応で悪くないこと

引き継いだお客さんからいまだに増田の話が出ること

初めて教育した新卒が渡したマニュアルをもとに教育担当を頑張っていること

いつも言われる「戻っておいで」の冗談に値する自分だった

今は働き方をセーブ中で通院と両立できてちょうどいいと思えている

得た物

今まで見ないでいようとした問題に向き合う期間になった

増田は条件付きでしか自分肯定できないし尊重できないと知った

大学からずっとシンデレラ体重以下を10年以上キープするなんて無謀だし

実家が汚くて臭いから普通ハードルを上げ過ぎた

営業職しながら、丁寧な暮らしコスメ推しオタク美容の全ての両立は難しい

休職で失ったものもあるけれど、頑張り屋で愉快な可愛い自分を少しずつ愛せるようになりたい

もし今辛い人がいたら、「できない」じゃなく「できていた」と思って欲しい

ちょっと今はおやすみ期間なだけだよ

一緒に寛解しましょう

女性の方で生理の異常がある場合はすぐ受診してください!増田生理不順で受診してストレスかなと言われてから1年放置してこのザマなので)

余談

青根君と鷲尾君すっごい好き

強面デカい無口だけど心優しくて強い男マジで癖なのにアクスタとぬいがない

バッグに入れて通勤したいよー

青根くんのユニ受注生産は本当にありがとう

生活必需品以外で久しぶりにカード切りました

クローゼット大事に保管しま

鴎台戦とプロ編まで待つから2人のグッズ出して欲しい

30代独身寛解に向けて検討を何卒!

2024-06-24

anond:20240624212138

個人転職で避けられても

会社はいったいどうやって回避したらいいんだろう

[]ロバ票

義務投票制かつ優先順位投票制を採用しているオーストラリアにおいて、支持候補のいない有権者が無投票による罰金回避するため、いいかげんな順番を書いて投票すること。

anond:20240624111117

マラソン的な素早さではなくて、

全身の柔軟性からくる、身のこなしが素早いんじゃないのかね。

回避うまいみたいな。

2024-06-23

みんな電波少年見てたんだ…

1978年まれだけど、バラエティー番組視聴禁止の家庭で育ったので友人から話を聞くだけだったのでなすび惨状はほぼ知らなかった。

懸賞生活と聞いても「なるほど。懸賞で米とか当ててるのか。切手代とかどうしてるんだろ?」くらいしか思わなかった。

というか今でもよく理解していない。

 

 

ちなみにバラエティー番組視聴禁止だったので当然クラスの友人とは話が合わなかった。

小学生の頃はマモーとかミモーとか、ウッチャンナンチャンとか言われてもサッパリからなかった…

けど、ジャンプの話は通じるからそれで何とかなってた。

もっと自転車も買って貰えなかったから友人の行動に着いていけずにわりとぼっちだったな…

今思うとわりと毒親家庭だったな…(パチスロに負けた腹いせに親父は殴ってくるし)

 

 

バラエティー番組を楽しむ素養が幼少期にできてないせいか社会人になって北海道出身の友人が見せてくれた「水曜どうでしょう」も何が面白いのかさっぱりわからなかった。

大泉洋(当時は知らなかったが、後に真田丸に出てきて俳優として認識した)に無茶振りして振り回すという印象なんだけど、20年後コンプラでまた海外から叩かれるんじゃない?

どちらにしろ水曜どうでしょう」を楽しむ同期の輪に入れなかったのは、小学生の頃と同じ疎外感があったな。

そして社会人になるとジャンプ話題で繋ぐことができないのである

 

 

職場での話を円滑にするにはバラエティー番組野球ドラマあたりはやっぱり便利なんだなぁ、と社会人になって知った。

野球は、幼少期にアニメが観たいけどナイターが見たい親父が許してくれなくて泣いてたら「うるせー!」と殴られて家から追い出された過去が多々あるせいで大嫌いなっているので見ない。

ドラマ刑事モノと時代劇は見てたけど、社会人になって見なくなった。

なので、わりと詰んでた。

 

 

結局ネットで知り合った同じ漫画好きとオフ会を含めて交流したお陰で友人ゼロという悲劇回避できたんだけどね。

やっぱりインターネットは私にとって救いだった。

職場転職して関わる人が変わったことで、仕事関係する話とか、近所の飲食店の話とか当たり障りのないものコミュニケーションはある程度取れるからわりと何とかなってる。

 

 

とはいえ、やはりバラエティー番組視聴禁止の家庭育ちっていうのはわりと人生デバフとして効いていると思っていたんだけど、

はてブでの見苦しいコンプラ意識なすりつけあいをしているのを見ていると、視聴したことがないというのも、割りと有りなのかもしれない、と思えるようになりました。

ありがとうはてブ

anond:20240623025544

昔の当たり前が今は虐待ってことになってる

NG行動を回避しようとすると難易度は上がる

2024-06-22

anond:20240621180502

夫婦が別姓でも子供のほうは戸籍筆頭者のほうの姓になるのが確定してるよ

結婚する段階で子供の姓はすでに確定してるから、生まれから決めるんではないし増田心配してるようなことはおきないよ

子供自分の姓を名乗らせたいと思うほうが戸籍筆頭者になればいいだけだね!

ちなみに、現行法では結婚して姓を変えても離婚すると旧姓に戻るのが原則だよ

その時に親権をどっちがとっても子供戸籍筆頭者の戸籍に入ったままだよ

から父親戸籍筆頭者で母親親権を取るパターン(おそらくいちばんよくあるパターン)だと、母親子供の姓が違うってことになるよ

それを避けるとか姓が変わることでの不都合回避するために「婚氏続称」って制度があって、離婚しても結婚して変わった姓をそのままにする母親はけっこういるよ

これは「選択制親子同姓制度」とか「選択制元夫婦同姓制度」って言えるよね

「婚氏続称」って例外が作れるなら、「夫婦別姓」って例外を作るのは同じぐらいの難易度だと思うよ

あと、婚氏続称制度悪用すれば、好きな苗字ロンダリングできるけど、それする人はあんまりいないね

(なりたい苗字の人と結婚して改姓→離婚する)

投資のいま

40代も後半に突入するとやはりお金のことがきになるもの当方嫁子あり、都内在住、リーマン

2010年から株式投資を始め、累投やNISAに全力投下、現在は新NISA企業DC両刀

でちくちくやっております。まだまだFIREには遠いがやっと3500万。

65歳まで働くとして、あと20年弱を運用しつづければ1億くらいいくだろうか。暴落はあれど。

仮にそこまで貯まっても、相続税を極力回避する必要があるので50代になったら遺産マイグレーション計画

策定しないとなあ。やっぱり最後税金安い海外資産おくのがよいのだろうか。

同居の親がコロナった

急遽、飯は別にするなどできる範囲生活を分離した

ただ、朝から気にならない位ではあるんだけど鼻が垂れるんだよな

もらっちゃったかな〜

同居だと回避なんてできないよね

マイクロプラスチックに恐怖してる人に言いたいこと

マイクロプラスチックはもう世界を覆っていてどこにでもある

絶対回避できない

もう死ぬ洞窟にでも逃げるしかないぞ♡

 

って耳元でささやきたい

2024-06-21

Xで絵師を凍結される方法

すべての絵師は無理だけど条件に合う絵師結構確率で凍結させられてる。

その条件っていうのは過去に凍結していて、アカウントを再取得していること。

なのでほとんどがエロ絵を描いている絵師に限られる。

適当な絵をチャイルドセーフティー性的行為に関わる未成年者を描写したイラストとかで通報して、その他の背景情報過去に凍結したアカウント避難であるという証拠を入れておくだけ。

これは回避行為禁止に関するポリシーっていうのがXにはあって、運営に見つかると一発で凍結させられるから

https://help.x.com/ja/rules-and-policies/ban-evasion

これでいまのとこと20人くらいの絵師を凍結させることに成功してる。

これを対策するならXにアカウントを作らないか、誰にもわからないように今までの交友関係断ち切って1からアカウントを育てるしかない。

二次創作で稼いだ数万人フォロワーのいるアカウントを一瞬でぶっ壊せる。

2024-06-20

自分モチベってなんだろう、とふと思った

お得な買い物 これ割と大きい

で、まあセール中に買いすぎてしまうわけだが

このお得な買い物は脳汁バドバ出ると思う

危機回避 これ仕事の時にすごい強いネガティブ感情で突き動かされる

この関係各位の動きや話の流れに空気感炎上するヤツ… と感じた時の急きたてられる感じ

モチベというとちょっと違う気もするけど

やる気なんていうレベルじゃなく動ける

あとなんだろ…

自分モチベのネタを知れば、いろいろやりやすくなるかなと思ったんだけど

あんまりないなあ

2024-06-19

anond:20240619083720

子供も交えて飲み終わったやつが作るルールにすると、必ずあと1口分だけ残して次のやつに作らせようとするやつが出てくる

トイレットペーパー微妙に残して自分が交換するのを回避したりとか

そういう行為をするやつが行く地獄があると思ってる

2024-06-18

anond:20240618221543

途中で切れた。長いと切れるんだな。知らなかった。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援必要特性について見過ごされたまま、強いストレスを肉体と精神の両方に受けることになったこと。

また、発達特性が仇となり、ストレスを軽減するための人間関係を作れず孤立したこと

これらの要因により精神的な限界に達した時、受けた負荷が強いパニックの形で噴出してしまい、結局はそれが水泳挫折する原因になったということ。

その後も必要ケアが十分には受けられなかったこと。

また、子ども当人(つまり、私)が、その負荷をむやみに強いられたと感じ、母親への不信を深め、その感情に向き合って修復する機会がないまま、成人後に関係破綻させてしまたこと。

そして、これらの感情的な傷付きに至る経緯とは別に特性について適切なケアトレーニングを受ける機会を得られなかったこと。

これらのことが、社会に出てから仕事への意欲が薄いこと、将来への展望を描けないこと、社交場面における不安などに影響し、また自分特性を扱う上での経験不足がストレスによる不眠、日中の眠気などに繋がり、上記不安拍車をかける結果となった可能性はあるのではないか、と私は思う。

そして、冒頭の「あなた言葉感情説明しない」という指摘もまた、やはり『嫌だ』『つらい』という訴えを繰り返し退けられ練習強要された経験から自分のつらさを他人に訴えてケアしてもらうことを諦めてしまい、直視せずに蓋をすることが常態化している精神状態にある、そのために精神的な問題を抱え込みやすくなっている、と説明できるかもしれない。

また、休職前に孤立無援と感じられる状況にふたたび置かれたことで、水泳パニックを起こしたときのように、強いパニックをおそらくまた起こし(あいまいな書き方なのはあんまり覚えていないので)会社に行くことができなくなっている。

これが当時のトラウマのいわゆる『再演』にあたる可能性はあるかな、と少し思う。

とはいえである

両親は私を愛しすぎるほど愛してくれており(少し連絡が取れないだけで着信を100件超えて入れるのが常態化していた程度には)、特に金銭の面では一般的な親の倍以上に私に支援をしてくれたことは事実である

上記事実をもって、私をまだ幸運なほうと思う人もいるだろうし、就活のくだりなんか、特に甘ったれていると思う人間も多いだろう。

ただ、3歳〜16歳ごろの人格形成期+思春期に、チームメイト精神的にまったく連帯できない状態スパルタ式の暴力的な教練を日がな毎日受けるという負荷は、おそらく定型発達の人間でも耐えられる人は限られるのではないか、という気もする。

そういう負荷に発達特性のある子どもが挑む場合には、おそらく精神的なケア定型発達の子ども以上に必要重要なことだったのだろうと思われる。

私がそういう子どもであったことが親の不運で、特性由来のストレスに対する適切なケア社会トレーニングの機会が得られなかったことが私の不運である

正直なところ。

母は小学校高学年くらいの段階で、私を発達障害者だと疑ってはいた。ネットの普及し始めた当時、私の持つASD的な特性の一部分はアスペルガーと呼ばれていたが、そのことについて母が情報収集していたことを覚えている。

しかしそれは、障害を受容した上で、適切な支援に繋げるという結果にはならなかった。

ちょうどそのくらいの時期に平成不況がやってきたのだ。私の特性を考え、進学先に私立中学を視野に入れていた母の計画は、完全にそれどころではなくなってしまった。父の会社にもリストラの波がやってきたのだ。

タイミングの悪いことに、私が水泳の過度のストレスからチックに陥った時、ちょうど母は不況への恐れからパートを始めたばかりの頃だった。私の『病気』の原因について、母は周囲からの責めを一人で負うしかなかった。父の両親との二世帯同居の家で、専業主婦の母は孤立した養育者だった。

結論から言うと父はリストラを免れ、我が家経済危機回避されたのだが、その頃には私の私立進学計画はとっくに頓挫していた。母が「結果で黙らせなさい」と言うようなことを口にし始めたのも、この頃だったかもしれない。

父親はというと、やはり私の親で発達的な特性が強く、自分の興味のあることしかやりたがらないタイプだった。養育者として、社会的な範を示すとか、発達的な特性とどう付き合っていくかとか、そうした問題についてまったく頼りになる人ではなかった。

悪い人ではない。悪気のある人でもない。一流企業にまじめに勤め、高収入であり、私に関わる多額の費用を全部賄ってくれた人である。そしてそれが、おそらく自身でも困りごとをたくさん抱えていたであろう身で父にできた、私への精一杯の愛情だったろうと思う。

母もまた、母の出来ることを最大限にしてくれた。母は、思春期の私の苛烈で発達のアンバランス性格(受けていたストレスを考えると、おそらくそうなるしかなかった)に何度も振り回されて、傷付き、それでも最大限考慮した上で、「あなたは結果で黙らせなさい」と言うしかなかったのだと思う。

これは私がどう生き、どう傷つき、現在どう困っているかにまつわる記録ではあるが、同時に単に毒親から被虐待についての記録としてはなるべく書きたくはないと思っている。充分悪者に書いただろう、と思えるような筆致だったかもしれないので、ここに補足しておく。私は難しい子供で、両親は常に一方的加害者ではなく、私を支援してくれようとした。私たちはお互い感情的な対立を何度も経験し、お互いに何度も傷付き、それを乗り越えてきた。その過程でいくつか間違いがあり、一度関係破綻してしまったが、それでもまだ、この先に和解可能性がないわけではない。

それぞれの人間がそれぞれに苦しんだ結果、私の今日につながっているのである

・これから

これを書いているいま、これからどうなるのか私にはわからない。これらの生い立ちから私が受けた傷を癒せるかもしれないし、そうではないかもしれない。困りごとを軽減してなんとか社会で上手くやっていけるかもしれないし、どうにもならないかもしれない。

ただ、良くなってほしいという希望を持って先生たちは治療に当たってくれているし、希望は捨てるべきではない。そう思うので自分恥部を曝け出す覚悟でこれを書いた。一種の『底尽き』を気力で前に持ってきた、というやつかもしれない。

ただ、強いトラウマを抱えた発達障害当事者予後は正直あんまり良くなさそうだなぁ、とは、当事者たちの声をインターネットで拾ってみて思わなくもない。

・これからどうしたい?

社会復帰がどうなるにせよ、実家にだけは帰りたくない。

ただ、復帰できないとこれが現実に起こりうることが現状最大の懸念である

プリントアウトして病院池添謙一

当然、持っていく予定である

プラダリアの取捨だれかおせーて。

カウンセリング先生も「感情説明しない」と言っただけで、そこまでドバーッといきなり半生にまつわる自己開示が出てくると思ってないんじゃない?

それはそう。

カウンセリングにはこの記録を持っていこうとは思うが、どの程度まで自己開示すべきなのか、いまが適切なタイミングなのか、そのあたりをきちんと確認しながらやっていこうと思う。

少なくとも、これを書き下せたことで、私の中では問題解決へ向けて、整理と準備がついたと思っている。

・おまえが誰かわかった

べつにわかってもいっかと思って書いている。とくに失うものはない。

何かしらの連絡手段で私とつながっていて、内容でなんとなく察した人は、「もしかしてこれお前?読んだよ」とメッセージくれると嬉しいよ。困窮者だ!金ヅルにしよう!と思って寄ってこられるとちょっと悲しい。というか休職人間に金はない。

やあ。まだ生きていますよ、私。あなたはどう?

・本当のトラウマもっと混沌としたもので、こんなに整然と説明できるものではないのでは。ストーリーをがっつり作りこんで、無意識に本当に触れられたくないことから逃げている可能性はないか

自分言語理解比較的高い特性を持っているので、書くことによって自分をメスで捌くように腑分けして、人前に晒すという自傷行動に割と慣れているし、やはり言葉によって自分説明できるとなんとなく落ち着くタイプである。その助けもあってなんとか書き切れたが、それでも書き切るのにかなり涙を流したので、この記録には多大な精神的労力を必要とした。文字通り血を流しながら書いたと言っていい。

その上で、超フラットに、予断を挟まず言えば、その可能性はないとは言えない。私のような人間レトリックを使うのがうまい。そのレトリックの中にいつでも逃げ場を作り出せてしまうので、「可能性がない」と言い切るのはフェアではない。自分でも気づいていない可能性がある。

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

    ベランダから現在見える、ときわ台メリーガーデンの2階の、電磁誘導で、小島良二に見える人で、 テレビを見るか寝るかという生活を繰り返しているように電磁的動画でいつも再生

  されている部屋の人が、今見たときに、完全に真っ暗で寝ているのではないかと思われる。  さて、河川敷の件だが、昔は、本官が、あのあたりに拳銃結界を張っていたので俺があそこに

  行ったときに誰もいなかったが、最近は、佐藤命令で、結界を張るな、と言われているので、本官の他に、木元、山本も、あそこにはいないように言われている。 そういうときにあそこに

    行った場合には、次のことが予想される。 最初から付近の暗やみにあいつが隠れていて出て来る可能性がある。また、赤羽の、エクセレントサイレントジェネレーターの大型のもの

  設置されている方向からも、別の者が出て来る可能性がある。

    怪物が出て来るといっても、当然、バリーメイザーの幾何直観で、 出て来る条件、つまり、点があるから、それをしらみつぶしに研究して、その点に触れないようにすれば出て来ないか

  その点を回避すればいいだけの話である

2024-06-17

    A町では、パソコンのワイファイ等を通じて、個人の居室内に電磁場形成されており、個人は、自らの言葉はないが、その電磁場を介して、人工知能計算をしている言語を代位して

  発することができる。電磁場自体そもそも個人脳内には存在していないが、バクサイや増田電磁場言語を何回も書いていることで次第に電磁場支配されるようになる。光粒子は

  個人がどのような形式をしているかで電磁基地局から自動的かつ強制的配信されている。しかし、光粒子の送信による電磁場形成は、その個人の私宅をターゲットにしてそこに磁場がかけられて

  いると、自動的かつ強制的にどこかのマンション運営がそこにリモコン送信することにより、個人睡眠をしている最中に何らかの映像再生されるようになっている。これを回避する手段として、

  電磁場遮断シート、電磁場遮断マスク等があるが、乳首勃起しているのも電磁場によってしているので、乳首勃起していれば、そこに何らかの磁場形成されている可能性がある。従って、

  自室に遮断シートを張り巡らせても、勃起している乳首自然状態に戻らない場合は、その商品電磁場カットしていない可能性が高い。また、本人が気が付かないうちに、その部屋に磁場

  形成され何らかのプログラム配信され支配されている場合もあるが、本人が外に出たり、インターネット上の匿名空間で誰かが指令概要を変えた場合にはその配信されたプログラムは変更される。

トリオじゃなくてコンビじゃね?



特に20ドラフトトリオ”のゲームメークが光った。1位の早川は1勝ながら防御率0・39で、14日広島戦は10回無失点の力投。3位の藤井球団左腕初の交流戦3勝、防御率1・56で、6位の内も2勝、防御率1・06と、それぞれ好投した。

 リリーフ陣の運用もはまった。今季は一貫して3連投を回避。7回が酒居、8回が宋家豪、9回が則本と勝利の方程式確立も、時には好調鈴木翔を組み込むなど勝ちパターンを使い分けた。一時、救援陣は22回2/3を連続無失点。2連投中の則本に代わり、鈴木翔を代役守護神で起用した試合もあり、誰が出ても抑えられる体制が整った。

anond:20240617003248

どんなに駄々こねても反論回避して誰かの言い分を否定するのは無理だと思うよ

それが本気でわからないなら君は頭が悪い以前に義務教育もなんか飛んでる

あと誹謗中傷要件は調べた方がいいな

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