はてなキーワード: イスラエルとは
最近その人がスレ住人から頭おかしい認定されたら怒って思想を長文で語ってるんだけどこれがすごい貴重な資料なのよ。ほえーこういう人が反ワクチン親ロシア、ついでに癌んの自由診療やってんだなって思った
・科学リテラシーはほぼ皆無
・米国では抗ガン剤が使われていないという調べればすぐわかる嘘を信じ続けられる環境、教育歴(俺は悲しい)
・日本の人口が最近減ったのはワクチンのせいであり、政府はそれを隠して統計データを捏造した痕跡がある。不自然な増減がその証拠(らしい)
・科学者が「それについてはまだ分からない」というのを中立気取りと思っている
・イスラエルでなんかの病気が5倍発生したからワクチンは有害立証されていると思っている(論理的思考能力の欠如)
・過去に(子宮頸がんなどの)ワクチンで訴訟が起こっているから(コロナの)ワクチンは有害とry(論理的思考能力のry)
・こっちがワクチン有害のデータ出してるのに無害のデータ出せないんだ?という謎の煽り(論理的ry)
・ソースは5ちゃん、個人ブログ、youtubeの陰謀動画など。そういったものを根拠としても意味がないことや、どう受け取られるかを知らない
ウクライナ人が火炎瓶を作って反撃するとレジスタンスと呼ばれて賞賛されるがシリアやイラクやパレスチナで同じ事をするとテロリストと呼ばれるって言われてたけれど
IT業界とかシリコンバレーや深センとかマイアミとかイスラエルとか、なんなら日本だって
みーんなITの中心地やトレンドに食い込んで働いてるのってイスラエルなら軍隊上がりの体育会系で
アメリカでもジョック階級やアマチュアアスリートでも実績出した文武両道みたいな人らとかばっかになって
昔のゲイツやジョブズみたいなみたいなナードや変人とか一生下働きかIT業界で仕事のクチさえないってのが主流になって久しいのが悲しい
ITに限らず例えば、オタク産業が勃興しても二次元そっくりなコスプレイヤーやモデルやアイドル声優とかを食い散らかしてるのは
ネットで斜に構えて気炎上げてるオタクのおじさんたちでなく反社のおじさんやダーティな陽キャや犯罪者たちだしな
なんでこんなことが起きてしまうんだろね
もうほぼしてるんだよな
宗教的なゆるしがないだけだぞ
▼プラスチック製「人工子宮」でヒツジの赤ちゃんが正常に発育 | ニューズウィーク日本版
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/04/post-7517.php
【元論文】 An extra-uterine system to physiologically support the extreme premature lamb | Nature Communications
https://www.nature.com/articles/ncomms15112
▼人工子宮でマウスの受精卵を「胎児」まで成長させることに成功
イスラエル、ワイツマン科学研究所のグループが『Nature』(2021年3月17日付)で発表した研究によると、
人工装置を使ってマウスの赤ちゃん1000匹を6日間成長させることに成功したそうだ。
哺乳類としては世界で初めて子宮の外で成長したマウスの胎児は、母親のお腹の中で育った赤ちゃんとまったく同じであるという。
【元論文】Ex utero mouse embryogenesis from pre-gastrulation to late organogenesis
原文
https://lb.ua/culture/2022/03/18/509953_cancel_russia_yak_instrument.html
ヴォロディミール・シェイコはウクライナ研究所(日本の国際交流基金にあたる)の長で、ウクライナの文化外交の責任者。訳者の感想は最後に。
ロシアの侵略開始からわずか数日後、ウクライナの文化関係者および団体は、国際社会に対してロシアに対する「文化的制裁」を実行し、プーチン政権やロシア資本から直接的・間接的に支援されている人物・団体に対する協力の停止を呼びかけるアピールを出した。
ウクライナ研究所は、国内・海外のパートナー団体や専門家のネットワークの代表500人以上に対してアピールを送って拡散することを依頼し、それとは別に欧米の学術団体や大学に対しても書簡を送ってみた。この「文化的制裁」に対する公開書簡には3800人以上のジャーナリスト・人権活動家・教育関係者・文化人たちが署名していて、在外のウクライナ人たちも同様のアピールを拡散している。
ウクライナの主張に反論することはできないだろう―――ロシアによって仕掛けられた戦争は、明らかに国際法に違反しており、罪のない人々を数千人も理由なく殺害し、歴史的建造物を意図的に破壊しているのだから。この状況で侵略者と文化的に協力することは戦争犯罪を正当化することであり、ロシアによる印象操作のために新たな場所を提供することに他ならない。ウクライナ研究所は声明の中で、ロシアが数十年もの期間にわたって文化を政治的プロパガンダの手段として利用して国際的評価を高めることで、世界の注目を他国への戦争犯罪から逸らしたり、人文学において帝国と植民地のヒエラルキー体制を確立してきたことを指弾した。このロシアの行為に高名な学者、キュレーター、美術史家、財団理事、美術館、フェスティバル、フィルハーモニーたちは加担してきた。彼らは2014年以降もロシアの政府機関に進んで協力してカネの出所を無視して見なかったことにしてきたし、そんなロシアの芸術的プロジェクトを通じて広められた有害で非科学的な主張に対して反論することもなかった。その象徴的な事例が、ニューヨークのMoMA、ロンドンの王立芸術院、パリのグラン・パレで十月革命百周年の2017年に開かれた「ロシア芸術」の豪奢な展覧会だろう。ロシアから「最恵国待遇」を受けてコレクションを借り出したキュレーターたちは、ロシアがウクライナその他の国の芸術を盗み出してきたことを見なかったことにしたし、その全体主義的な芸術を無批判に美化することを止めようとしなかった。
ウクライナに爆弾が落ちた2022年2月24日、「素晴らしいヒューマニズムのロシア芸術」というメタファーはようやく消し飛んだ。それでも、文化をプーチンの政治や戦争責任と切り離して考えることができるという信じている数百万の海外の人々にとって、トルストイ、ドストエフスキー、ショスタコーヴィチあるいは「ロシア・アヴァンギャルド」は心の中で生き続けているようだ。
全世界とウクライナとの連帯は過去に類を見ないほど広がっており、世界の文化界は言葉と行動によってウクライナに大きな支援を送っている。しかし「ロシアに対するキャンセルカルチャー」に対して西側が示した反応は、ウクライナの文化外交に課題を投げかけた。
メトロポリタン歌劇場、カーネギーホール、バイエルン歌劇場などの多くの団体は、指揮者であるゲルギエフや歌手のネトレプコとの契約を打ち切って、ロシアのアーティストと協力しないことを公表した。カンヌ映画祭はロシアの代表団と政府関係者の参加を拒否した。それとは裏腹に、ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスはウクライナの戦争を「人道危機」とした上、ロシアについては何も言及しないという恥さらしの声明を発表した。私たちがコンタクトを取った人々の多くは、ウクライナの難民を支援することを口約束する程度で、ロシアとの協力を停止する呼びかけには大した反応を見せなかった。思っていた通り、ポーランドとリトアニアの団体が最も毅然とした態度をとって、ドイツペンクラブは「真の敵はプーシキンではなくプーチンだ」という声明を出し、フランス人たちは沈黙した。
そして、西側の文化学術団体はウクライナとロシアの「和解」や「異文化交流」を推進する事業を始めたようだ。注目すべきは、彼らがどうやら戦争が始まって4週間でのウクライナにとっての「和解」の必要性への無関心だろう。ロシア人を「プーチン政権の犠牲者」と位置付けることで、戦争の犠牲者となっているウクライナ人と同じ「犠牲者」として等しくとして扱うような形で、ウクライナ人、ロシア人、ベラルーシ人を一緒くたにした沢山の事業が始まった。
こうして、23年もの長期にわたってプーチン政権が継続してきたことや、ウクライナでの起きている戦争や、ロシア社会の政治的受動性、あるいは市民の抵抗が失敗し敗北してきたことにに対して全てのロシア人の責任をなかったことにしたいのだろう。他にも図々しい連中はいる。フリードマンとカーンというロシアのオリガルヒによって資金提供を受けたことにより度し難い妥協的施設となったバビ・ヤールのホロコースト・メモリアル・センターの芸術監督イリヤ・フルジャノフスキーはプーチンの犯罪と戦うことを要求する書簡に署名した。これがウクライナ世論の怒りに火をつけたことは言うまでもないが、逆にブリュッセル、ワシントン、ベルリンでは歓迎されたようだ。
これは偶然そうなったわけではない。西側はウクライナとロシアの関係を完全に誤解してるし、ウクライナには独自の文化もアイデンティティもない軽視すべき存在だという考え方を持っているのだから。よって、国際社会にはロシアによる戦争が新たな植民地主義であることや、ウクライナが脱植民地を目指して何世紀にもわたって独立運動を繰り広げてきたということを理解してもらう必要がある。ロシアの帝国主義とウクライナの独立は絶対に両立しない。ウクライナは武器で遊んでいるのではなく自らの独立をかけて戦っているのである。だからこそ、軍事だけではなく文化も同様に重要な最前線なのだ。
ウクライナがロシアへのボイコットを呼びかけていることへの見下した反応や、侵略者とその犠牲者を「和解」させようとする一際魅力的な欲望は、西側が持つ植民地主義的な考え方を強く反映している。この考え方の根底にあるのはロシアが中心でウクライナが辺境であるという先入観で作られた世界観だ。これは権威あるロシアの文化は周辺の人々の生死よりも重要なことで、ロシアの言うことは聞くべきだが、周辺の人々の言うことに価値はないという考え方だろう。そのようなパラダイムの解体なくして「和解」や「対話」もあるべきではない。
ロシアとの和解は遠い遠い未来に始まる―――まずはロシアがドンバスとクリミアを含むウクライナの領土から完全に撤退し、国際法廷で戦争犯罪が裁かれ、ウクライナに賠償金を支払わなければならない。プーチン政権は打倒しなければならないし、その後に生まれる民主的な政府、市民社会、メディアはウクライナへの犯罪を認めて謝罪しなければならない。そのようなロシア社会の自己批判と深い反省があって、ようやくその時になって始まるのである。
もちろん、こんなバラ色のシナリオが待ち受けていることは分かっているが、だからといってウクライナが今日にでも妥協しなければならないということでもない。ロシアとの「和解」を急ぐことは危険なことだ。それは旧来の考え方に基づいたロシアによるウクライナの再植民地化が開始されることを意味している。要するに、ウクライナを再び文化的辺境へと押し戻し、ロシアが「スラブ」「ポスト・ソビエト」「ユーラシア」の中心であり続けるということだ。世界はロシアの帝国主義や植民地主義の知識人とさらに深く和解することを望むだろう。そうすれば、ウクライナは自分たちの意見を反映した和解のあり方を作るチャンスを失ってしまう。
「戦後のロシアをどうするか」は、ポストコロニアル研究には重い宿題となる。ロシアは脱植民地化の苦痛という歴史を経験しなかった不幸なほど時代遅れの国だが、なぜかは分からないが西側はそのことをよく理解していないらしい。この戦争はそんな西側の目を覚ます機会となるだろう。新しい視点、コミュニケーションや共存の新しい在り方を作っていく機会なのだ。それは理論だけではなく、より重要なのは法的、経済的、人道的な政策として具体化されるべきで、ウクライナはその創造者の一人とならなければいけない。
これが現在のウクライナの文化外交が目指すべき到達点だ。これは長期的な目標になるだろう。ロシアとの戦争という状況下においての文化外交は、対話や和解を促進するべきではなく、ロシアの文化的・言語的な支配という脅威に対して抑止力として機能することで、私たちのアイデンティティを守らなければならない。
訳は下訳を作って機械翻訳とも照らし合わせて作りましたが、あいにく初学者なので文責は持ちません。
ウクライナ研究所はそのブリティッシュ・カウンシルに範をとった機関として2017年に設立されました。ヴォロディミール・シェイコはブリティッシュ・カウンシルで働いた経歴のある人物ですが、日本語wikipediaで所長として示されている指揮者の人とは同姓同名の別人です。
lb.uaはそこそこウクライナでは有名なニュースサイトで、元々は週刊誌のweb版です。
で、このコラムは前半はアリキタリで面白くないんですが、後半からの西側批判は面白い部分かなと思います。特に文化界にありがちな既存のヒエラルキーを温存した形の「和解」を強要しようという流れを戒めているわけですな。
最近流行りのネオナチ問題に絡んでウクライナの右翼問題に言及しておきますと。
途中のバビ・ヤールについてですが、このメモリアルセンターは地元ウクライナのユダヤ人たちによって反対運動が起きたほど国内では評判の悪い施設です。要するにロシアによる情報操作の一環として「ウクライナが反ユダヤ主義的な国であるかのような展示」をするのではないかと考えられていたようで、ウクライナの情報機関SBUが「その証拠は今のところ存在しない」という文書を出すに至り、センターがその御墨付をWebページに掲載しているほどです。フルジャノフスキーもセルフプロモーション目的のクズ扱いされてました。まあドンバスで内戦やらせてる奴の身内連中が集まってきて虐殺を記念するセンターを作ろうなんてグロテスクな話ですわな。
それと、元からウクライナのユダヤ人というのはロシアはもちろんのことイスラエルを中心とした西側のユダヤ人社会とも折り合いが悪く、この反対運動の先頭に立っていたYosyf Ziselsなんかは西側でネオナチ扱いされているほど評判が悪いようです。なぜかといえば、このYosyf Ziselsを始めとしたウクライナのユダヤ人というのはソ連時代に反体制派の経歴を持つことも多く、独立以降はウクライナ人意識が強烈だったりするんで、平気でWW2時代の「ナチス協力者」を擁護しちゃったりするんですな。まあ自分たちユダヤ人が建国した国という意味ではイスラエルに負けてへんぞ!みたいな意識があるんでしょうな。
なのでウクライナ右翼の金主の一人であるコロモイスキーがユダヤ系だったりするのは、それほどおかしなことではありません。
よってウクライナの極右というのは、西側のネオナチよりも、日本の「任侠右翼」と類似しています。靖国神社とか橿原神宮に集まってる右翼のお兄ちゃんが数年後に民団の役員やってるのとかと同じで、思想的背景にはほとんど意味ありません。欧米の学者やジャーナリストは「犯罪的組織の公然部門としての右翼団体」みたいなものが理解できないので頓珍漢な「サッカーフーリガン起源説」を唱えるのですが、そんなものにコロモイスキーが金主になるわけもないし、戦闘力が高い説明がつかないでしょう。要するに軍事的経験のある右翼のアニキが愚連隊を抱えて作ったお国のための組織という説明で日本人ならすぐ分かると思うのですが、これが西側の人には理解できないようです。
鈴木智彦さんがちょっと笑い話みたいな形で織田絆誠のPMC構想をウクライナと絡めて話していましたが、ウクライナの極右グループは実際にチェチェンやグルジアで得た戦闘経験を元に国家機関までのし上がったわけで、割と笑い話にもできません。まあ日本の暴力団と同じで、なんだかんだお上には絶対に逆らえない性質があるので、ナチスの紋章がどうだとかは暴走族が旭日旗振り回してるのと同じだし、奇妙な儀式とかやってるのはヤクザの盃事みたいなものだと思って受け流せばよいと思います。
というわけで反乱の懸念もないどころか、国家親衛隊は普通の大隊の方がヤバい奴多いと思ってるんですよ。なんせ2014年には自腹でも戦争したいって連中が集まってたわけで、金目当てだの兄貴分に言われて参加しただのの方が理由としてはいくらかマシでしょう。ただまあ、いつか武装解除した時には犯罪者を野に放つようなものなので、単純に治安が悪化することを懸念してなくもないです。
オスマン帝国におけるアルメニア人は、中央政府と共存共栄する共同体であった。
19世紀に入ると、カトリックへの改宗などを通じて西欧諸国の庇護を受け特権を享受する
さらに1803年~1815年のナポレオン戦争により西欧において民族主義が高まると、
アルメニア人富裕層の間から西欧との交流を通じて民族主義に目覚める者が現れ始めた。
1877年の露土戦争で、ロシア帝国が勝利し南カフカスとアルメニア人居住地帯の北東部を占領。
ロシアはオスマン帝国領内のアルメニア人を支援するようになり、1878年のサン・ステファノ条約で
オスマン帝国東部の六州におけるアルメニア人の権利向上を目指す改革の実施を約束させようとした。
ロシアという後ろ盾を得たことを機に、オスマン帝国領内でアルメニア民族運動が盛り上がり、
帝国外ではアルメニア人民族主義者によるアルメニア独立を目標とする政党が結成された。
やがて、彼らの中から帝国内に秘密支部を設け、オスマン官吏を狙った爆弾攻撃を行う者も現れた。
露土戦争のときアルメニア人がロシア軍に協力してムスリムを追い立てたのだとする風評がムスリムの間で広まり、
アルメニア人を国内にありながら外国と通謀して「テロ」を行う危険分子と見なす敵愾心が高まっていった。
④1894年、オスマン政府による「暴動鎮圧」としてのアルメニア人虐殺
1894年、アナトリア東部のビトリス県でムスリムとアルメニア人の大規模な衝突が起き、
オスマン政府は正規軍と非正規部隊を動員して衝突を鎮圧し2万人の犠牲者を出した。
アルメニア人政党はこれを国際世論に訴え、西欧諸国はオスマン帝国を批判。
1895年1月、英仏露の列強は共同でアナトリア東部の行政改革案を提示して、その履行をオスマン帝国に要求した。
オスマン帝国はそれらの要求を受諾するも、履行しないため、アルメニア人による履行要求デモが行われた。
デモに対して「外圧を笠に着た横暴」と感じたムスリム民衆が激高しアルメニア人を襲撃。
1905年7月21日、アルメニア革命連盟が爆弾によってアブデュルハミト2世暗殺を試み、
護衛26人が死亡、アブデュルハミト2世は軽傷で済み失敗に終わった。
アルメニア人15,000-30,000人がムスリム住民に虐殺された。
オスマン帝国が同盟国側、ロシア帝国が連合国側で第一次世界大戦に参戦した。
オスマン帝国に対するゲリラ活動を行ったりしてムスリムが殺害された。
これに対してオスマン帝国はイスタンブールでアルメニア系の著名人たちを逮捕・追放し、
著名でないアルメニア人たちをシリアの砂漠に徒歩で強制移住させる虐待を行い、
60万人から80万人のアルメニア人たちが強制移住等の迫害により死亡した。
1918年3月、アルメニア革命連盟が、アルメニア人虐殺への報復として、
バクー(現在はアゼルバイジャンの首都)にて3,000-12,000人のムスリムを虐殺した。
ロシア帝国崩壊により民族主義的な社会主義政党のアルメニア革命連盟を中心として
⑩1918年、同時期に建国された隣国アゼルバイジャンと領土をめぐり戦争になる。
⑪1918年、同時期に建国された隣国ジョージアとも戦争になる。
アルメニア第一共和国が倒れアルメニア・ソビエト社会主義共和国というソビエト連邦構成共和国になる
1938年4月6日に大粛清の一環としてホレン1世が殺害され、8月4日にエチミアジンの総本山が閉鎖された。
1936年にアルメニアの人口を70万人まで減らしてグルジアへ併合することを目論んで、アルメニア人をシベリアへ強制移住させた。
スターリンは戦争によって疲弊したアルメニア経済の復興を期待して、アルメニアの人口増大と労働力強化のために、
キプロス、フランス、ギリシャ、イラク、レバノン、シリアなどに散っていたアルメニア人をアルメニアに帰還させるキャンペーンを開始した。
帰還者には食品券やよい住宅などの優遇措置が与えられたために、在来のアルメニア人との間に衝突がもたらされた。
また、帰還者の話すアルメニア語(西アルメニア語)と、従来のアルメニア人の話すアルメニア語(東アルメニア語)と分岐していたため、
ソ連がアゼルバイジャンに編入したナゴルノ・カラバフ自治州(アルメニア人住民が多数派)が、
ナゴルノ・カラバフの「アゼルバイジャン化」を懸念し、同地とアルメニアの統合を求める運動を開始。
1988年2月29日にアゼルバイジャンのスムガイトで発生した民族暴動。
市内の路上やアパートで、アルメニア人住民に対するアゼルバイジャン人の群集の襲撃事件が発生し、
アルメニア人26人が死亡した。この事件の後、全てのアルメニア人が町から脱出した。
アルメニアで大地震が発生。死者は少なくとも約2万5000人、負傷者は約1万9000人に上る。
震央に近い地域の高層建築物はほとんど倒壊し、40万人を超える人が家を失った。
旧ロシア帝国領におけるアルメニア人共同体がソビエト連邦から独立してアルメニア共和国が誕生した。
それからずっとアゼルバイジャンと、ナゴルノ・カラバフ自治州を巡って戦争してる
アルメニア人の歴史を見てるとユダヤ人に似ている気がするのだけど
イスラエルはアゼルバイジャン軍に武器供与するなどアゼルバイジャンの味方らしい
そして日本はトルコの海底トンネル事業に大成建設が参画してたりなどトルコと蜜月