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はてなキーワード: 無垢とは

2017-11-15

「しゃぶる」という単語を使う適切なタイミングがわからない

この単語、単体でいやらしいよね。

しかもなんかちょっとねっとりした感じがある。

なにと組み合わせてもいやらしく聞こえてしまう。

赤ちゃん

という無垢単語を使っても

赤ちゃんがお母さんのおっぱいをしゃぶる

ご覧の通り赤ちゃんという存在を打ち消してよくわからないいやらしさを演出してしまうほどのパワーを持っている。

で、この「しゃぶる」るの持ついやらしさを出さない使い方・例文をここ数日考えているのだが全く思いつかないので

あるのなら教えて欲しい。

俺が女の子の足をしゃぶる

ほらダメだ。

2017-11-14

anond:20171113194152

最近無印は油断するとどんどんクオリティ落としていってるよ。

昔は値段からすると適正か、やや安い気すらしてたけど今は全く感じない。

5年か10年位前の無印家具無垢が多くて良かったのに、今は突き板貼ってるだけじゃん

2017-11-13

anond:20171113105024

今の出会い系って実際売春婦の餌場だから

俺も一時期出会い系にハマってて、単純にパートナー探しをして「趣味友達募集」みたいな掲示板を利用してたんだけど、そこもサクラじゃなくて売春婦ばかりがいたわ。

ポイントかを使ってメッセージを送るとほぼ9.9割ぐらいが返信で

最初お金がほしい(理由として、以前騙されたから、今お金がないからが多数)

・2回目以降もある事を示唆

してくる。

純粋無垢な22歳新社会人ボク君は、4人ぐらいにお金を払って食事ホテルというデートをするが2回目以降があった人は残念ながら0。

と、いうより、食事も食べたらすぐにホテルいこうとする。

終わったら「なんか母親心配して迎えに来たみたい」とか「ちょっと今すぐ帰らないといけなくなった」といって帰る。

そして、出会い系PROの友人に酒の席で話したら、「おまえ、それ業者やで。風俗店として出せない売春婦出会い系売春させてんのや」とのこと。

かに…、メッセージ内ではめちゃくちゃゲームの話をしていたのに食事では話をふっても噛み合わない、22歳って言ってるのに20歳っていわれる、新社会人って言ってるのに「就職活動中?」って言われる等などよくよく考えたらメッセージをしてる人と出会ってる人が別の可能性を考えていなかった。

てかそもそも、おつきあいしたいって感じの投稿なのに内容がエロばかりだったのもおかしい。それで性欲でわからなくなって結局あってしま自分もアホで悔しい。(でも、感じちゃう!)

そこから2年間ぐらい、お金最初ほしいみたいなメッセージ送ってくるやつは即ブロックしてお金はいらないよ(でも○○買ってほしいなので実質○万円)かかる人に同じことされたりで、月に5,000円つかってメッセージ送ったけど全く成果を得られなかった。

それからもう5年経って状況が変わってるようには思えないので、多分出会い系は今でも売春婦の餌場だと思う。

2017-11-10

また底辺奴隷と化す日本サブカルチャー

かつては、オタクの道を生きる人々の憩いの場であった日本サブカルチャー

今や、その空間社会底辺アジトと化しています

無理もありません。

私たちは、子供の頃、子供にこんなケシカランものは見せないべきという声も聴かされ、「常に苦しんでいた」と涙ながらに訴える彼らによって、その無垢な心に羞恥の杭を打ち込まれてきました。

それがどうでしょうか?

世間の反応は180度変わっています

アニオタ害悪説は、とある雑誌ゴシップによって広められた作り話でした…。

差別も何も、もともと彼らは社会的地位を持っていませんでした…。

サブカルチャー層のほとんどは、はじめからその道での生活を望んでいた人々であり、そんな彼らに日本殆ど口出しをしませんでした。にも関わらず、ゴシップによってその偏見が植え付けられたのです。

それだけではありません。

日本サブカルチャーは、1950年代から始まっていた事…。

そして、その文化を支えてきたのは左翼であり、かつての作家の多くは、左翼出身者が大半であった事…。

サブカルチャーに対する誹謗の多くが、右巻きによって引き起こされていた事…。

1990年代新興宗教暴徒化は、左派右派による宗教団体の操縦に端を発していた事…。

多くの事実が、彼らの手で歪められ、隠滅されていたのです。

彼らは、日陰者を演じる事によって不都合歴史隠蔽し、「文化性」を掲げる事によって、自らの現実否定してきたのです。

私たちは、彼らの都合の為にサブカルチャーに金をつぎ込み、あたかもそれが日本大衆文化であるようにさせてきたのです…。

この事実が明らかになるに連れ、SNS雰囲気は変わり始めました。

「俺たちは知らなかった!」という驚嘆の声が上がり、サブカルチャー大衆社会からのへの中傷罵倒で満ち始めました。

手駒の様に人材精神性を使い捨てる彼ら。その彼らの戦略には、一つの大きな誤算がありました。

それは、世界大衆事実に気づいた時、サブカルチャーに対してどんな感情を抱くようになるか、計算に入れていなかったという点です。実に、彼らの誤算が、若者サブカルチャー市民から市民へと一変させてしまったのです。

このような経緯を承知している為、私は、サブカルチャーのわかり辛さを理解する事はできます

しかし、それでも私は訴えずにはいられないのです。

現実を見ろ!」・・・・と。

自らの正体を“一般人”というマント羽織ることによっておおい隠し、自らの立場を“リア充”という盾を掲げる事で守り、自らの行動を“木鐸”という装飾を施す事で正当化してきた人々に、誹謗発言を浴びせて何の効果があるのでしょう?

例え誹謗する側に理があろうとも、誹謗発言を行えば、第三者には精神障害者一方的迫害しているようにしか見えません。

これでは、彼らの正体をおおい隠す“一般人”のマントが、より厚みを増してしまうだけです。

リア充”の盾を構え、“木鐸”の剣を奮う者に、中傷弾丸罵倒の投石を浴びせた所で、

サブカルチャー精神異常ぶりは、かくの如き酷きもの」と、その盾をより強固に、その剣をより鋭利にする口実を与えてしまうだけです。

放った無数の弾丸は、彼らの盾を貫く所か、盾を補強する鋲にしかなりえません。

投げ付けた投石は、彼らの剣をへし折る所か、刃を磨き上げる砥石しかなりえません。

サブカルチャー過激ぶりが進行するほど、彼らの「一般人」という名の武装は強化されてしまうのです。

事実、彼らは右派を味方に付け、サブカルチャーの居場所を潰す事に成功しつつあるのです。

今後、サブカルチャーが“現実を省みない行動によって”彼らを助け続ける限り、

我々は、世界から精神異常者という汚名を受けながら、既に蝕まれ社会の中で、未来自分たち奴隷としての道を歩ませる事になるでしょう。

もし、それを憂うならば、どうか暴走を止めて下さい!

2017-11-02

[]環方このみねこ、はじめました」2巻まで

主人公は猫

ただし中身は男子高校生

交通事故にあったときに近くにいた猫と中身が入れ替わってしまった)

天然だけど純真無垢女子高生に拾われて飼われることになる

戻る方法を探しながらねこライフで苦労したり楽しんだりする


いつぞやのおまけ目当てにちゃお買ったら面白かったので購入

やっぱり大人の男がよんでも面白い

猫が表情豊かだし、女の子かわいい

下ネタもがっちりガード(ほんのちょpppっぴりだけあったけど)してて安心して読める

2017-10-29

大阪における黒髪強要問題で悪いのはオタク

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/geopolitics/20171028

その通り。本件は旧来の「個性多様性を踏みにじる学校という管理システム」ではない。むしろ逆。悪いのはオタクオタクロリコン趣味(童顔で巨乳)と「黒髪カワイイ制服」は同じ『キャラクター化』という発想。大阪教育改革オタクがそうやってるように女子高生キャラ化してるだけ。これは完全に自業自得

アニメライトノベルにおけるキャラクター化とは類型的な容姿服装からその人物の行動・思考が決定されてること。例えばメガネをかけたお下げ髪女子生徒だったら『委員長タイプ』。このようなとある条件下での『お約束』をキャラクターと呼ぶ(山川知玄・2009」。これは決して管理社会vs抵抗する無垢な我々ではなくその先の未来データベース社会動物化するポストモダンが生んだ快適な(目に優しい)均質化。オタクが童顔で巨乳幼女表象を好むのは童顔で巨乳幼女セックスアピールけが「怖くない」から(丸の内OL全裸とかはスゴい怖い。もちろん「駅のポスターにそんな童顔巨乳幼女の絵なんか使うんじゃねえ!」と大問題になったわけだがこれは言われてる「性的目線を常に女に対し…」では実はなく快適な目線対象幼女という情けなさゆ炎上した。あれがもし成熟した橋本マナミさんのような女が過剰に攻撃的なお色気を振りまいてる姿だったらバッシングされてない。

ここでも同じことが起こってる。「オタク実はヤンキー女のほうが相性いい」説がその証拠

よって「私たち偏見を捨てれば多様性が実現する」は完全に誤り。むしろ偏見を捨てるほど『ではどのキャラを選びますか』の全体が新たな広義の『制服』として収斂する(やっぱメガネっ子黒髪でしょ。みたいになる。




ちょっと何を言ってるのかわからないので誰か解説して

2017-10-28

オバさんになるのが怖い

老いに対する恐怖ではなく、文字通り「オバさん」という存在自分がなることが猛烈に怖い。

あなた今日からオバさんです!もう若くないですよ!」と定年退職のようにスパッと自らがオバさんである認識できる仕組みがあるならいい。

でも、オバさんって無意識だ。

すごく尊敬していた年上の友人がいる。それなりに賢くて(賢いと思っていた)理知的自分意思がしっかりある人。

こんな大人になりたい、と学生時代は思ったものだ。

彼女最近よく怒るようになった。

さいこから自らに関係ない世の中のゴシップ、あと「結婚」が異様に地雷のようで、テレビ番組家族団欒特集ウェディング特集に常に怒っている。見なきゃいいのに。

「こんなことも知らないんだw」と周りに自らの薄い知識を開けかすようになった。

「軽い気持ちで●●を見たら後悔するよ( ;´Д`)」 その作品、割と有名だし、そこで優位に立ったところで誰が得をするのか。

「これだから老害は!」「これだから若い子は!」自分と同じテリトリーに属さな人間をいつだってひとくくりにして批判するようになった。

以前はこんな人じゃなかった、と思う。

少なくとも、楽しそうだった。イキイキしている彼女が、何事にも捉われず自由に生きている彼女が好きだった。

老害」「新規」を叩き、様々なものを阻害する、まさに「オバさん」だと思う。

現実でもインターネットでも若い人間に異様に物事を教えたがったり、はたまた異様に忌み嫌ったりする割と年配の女性というもの一定存在する。

自らの界隈ではないので詳細は不明だが、先日とあるベテランアイドルグループ中学生くらいのファン女性に、デビュー当時からファンを名乗る女性が長文で「若いファンのこういうところが嫌い。あなたたちが私たちに擦り寄ってきてくれれば私たちデビュー当時の貴重な映像音源なんかをあなたたちに無償提供してあげるのに」といったような文章を送りつけているのを見かけた。

ドン引きした。「ドン引き」という言葉しか形容できないほど気持ち悪く、まさに「オバさん」的であると感じた。

自らの娘と同世代、下手したら孫世代でもおかしくない子供に対してだ。(しか中学生くらいの女性本人はマナー違反等をしたわけではなく、「どうして新規が嫌われるのだろう?もっとみんなと仲良くしたい!」といったような純粋な呟きがトリガーとなったようで、彼女はそれを批判するでも煽るでもなく「そうか!こうすれば昔からファンとも仲良くできるんだ!」とはたまた純粋気持ちインターネットにその婆オタクから届いたメールを載せたらしい。気の毒だ。)

そんな純粋無垢でまだわからないことの方が多い若い年齢の人間にムキになって何が楽しいのだろう。

若い子と若くない大人と住む世界が違う、と許容して、攻撃するくらいなら関わらなければいいじゃないか

短いスカート、ヘアメイクネイルアート、派手な洋服何が悪いんだ、なぜ私たち私たちの何も知らないただ私たちより年が上というだけのオンナに見下され、「これだから若い子はw」なんて言われなきゃならないのだ。

女子高生は身なりは派手でも、好きなものを着て自分の好きなように生き、自分とは違う人間を怒っている暇がないくらい「自ら」の物語謳歌している。

私より若いの子たちがとても眩しく、そういった存在を素敵だと思う。

「オバさん」はきっと自らなりたくてオバさんになっているわけでも、批評がしたくて物事を厭世的に見ているわけでもない。

きっと「オバさん」は無意識的に生まれてきて、自らが「オバさん」であることには気づけないのだ。

「オバさん」というモンスターの悲しき宿命である

これが加齢や長く生きていることに対する弊害ならば私は歳をとることが怖い。

そして、彼女を受容することも直接注意することもできずこんな掃き溜めのような場所愚痴を書いている私自身もまた、「オバさん」への道を少しずつ歩んでいるのだ。

2017-10-26

anond:20171026002153

ロリコン性癖人間保育士を目指している」と一般的には思われがちだが、

因果関係が全く逆で、

男性保育士になるとロリコンに目覚める。」

というのが真相のように思う。

男性保育士給与が高給で、余暇も十分に取れていれば、普通に彼女を作ってシアワセになれるんだが、

現実はそうじゃない。

低賃金長時間労働ですっかり疲弊した状況で、毎日純粋無垢けがれなき幼女の体を目にしていれば、

ロリコンになってしまうのもやむを得ないだろう。

まりロリコンかどうかに関係無く、男性保育士にしてはいけない。

2017-10-21

世界は美しい」という言葉を、創作物で知った。

このせいで、多分、本当に心から世界は美しい」と思える事は無くなってしまった。

心の底から湧き上がってくる、本当の感情が、失われた。

果たして、そうなのか。

疑問。

何も知らない、無垢な小(こ)が、「美しい」を、理解るのか?

無垢な小が感じた「在る感情」を「美しい」だのと判定するのは、第三者しかない。

その小に影響を与えるのが、第三者だ。

但し。

その小がコチラにも影響を与えることが出来るならば、コチラはただの他人である

逆にできないのであれば、コチラは神だ。

創作物は、アチラに影響を与えない、神が読むものだ。

そうか。

感情なんて、そんなものだ。



1000円くらいの美味いもの食べたいはらへった

2017-10-11

○○ックスランキング TOP100

思いつくたびに調べてメモしていたら、かなりの数がたまってきたので増田放出

かに役立てられる人はお役立てください。

ランキング形式にしてはいるけれども、決して人気をそのまま反映しているわけではなさそう。

人気があってSNSでよく話題にされるから件数が伸びるパターンと、

同人誌タイトルになって件数が伸びるパターンがあってそれが峻別できていないので。

無知ックス約15800件
慰めックス約7520件
筆下ろしックス約3070件
水着ックス約2670件
土下座ックス約1930件
ごめんなさいックス約1520件
初めてックス約1230件
ご褒美ックス約1210
制服ックス約1190件
無理やりックス約1160件
姉ックス約948件
寝取られックス約883件
エルフックス約809件
無責任ックス約765件
弟ックス約754件
合意ックス約690件
催眠ックス約671件
妊婦ックス約637件
クリスマスックス約608件
お尻ックス約583件
触手ックス約545件
寝取りックス約527件
友達ックス約521件
スク水ックス約438件
時間停止ックス約436件
記念ックス約363件
おはようックス360
妹ックス約342件
拘束ックス約317
逆転ックス約315件
男の娘ックス約292件
夜這いックス約275件
繁殖ックス約267件
契約ックス約243件
屋上ックス約241件
奴隷ックス236件
魔物ックス236件
我慢ックス約213件
おやすみックス約209件
お願いックス約181件
分身ックス176件
練習ックス171件
兄ックス約150件
卒業式ックス約148件
勘違いックス約125件
無垢ックス約84件
残業ックス約73件
無言ックス約69件
最後ックス約61件
先輩ックス約58件
後輩ックス約46件
言いなりックス約41件
お預けックス約37件
記憶喪失ックス約36件
バニーックス約36件
サキュバスックス約35件
悔しいックス約32件
二人羽織ックス28
セーラー服ックス約27件
ごっこックス23
ナースックス17
ふんどしックス約16件
他人ックス約16件
侍ックス約13件
大晦日ックス10
年上ックス約9件
絶叫ックス約9件
人質ックス約8件
あのねックス約7件
新年ックス約7件
強気ックス約6件
カスメックス約5件
騎士ックス約5件
弱気ックス約4件
年下ックス約4件
まんざらでもないックス約4件
勇者ックス約4件
夢オチックス約4件
修学旅行ックス約4件
従順ックス約4件
年ぶりックス約4件
二回目ックス約3件
同い年ックス約2件
両手に花ックス約2件
懐妊ックス約2件
男同士ックス約2件
素直ックス約2件
四人ックス約2件
見ないでックス約2件
ぱふぱふックス約2件
出張ックス約1件
困惑ックス約1件
許してックス約1件
三人ックス約1件
五人ックス約1件
世直しックス約1件
許婚ックス約1件
卑怯ックス約1件
たわわックス約1件
のしきたりックス約1件
女同士ックス約0件
寝たふりックス約0件
記憶操作ックス約0件
やめてックス約0件
気の強い女はックス約0件

マンドリン業界、そろそろ足並みを揃えようよ

※完全に業界人向け

大阪でARTE国際コンクールフェスティバルが開催された。

マンドリンオーケストラに入って10年近くになるが、様々な演奏を、しかもとてつもなく高いレベルで聴ける機会はこのコンクールを除いてほぼ知らない。

高校の全国フェスもこうはいかないから、やっぱりすごいことだと思う。

何となく派閥みたいなものが見えてきた。活動が活発なのはいいことだが、各々が勝手な方向を向いて、互いが互いの悪口を言っているのは見苦しい。それだけでなく、大切な部分で足並みがそろっていないのが情けない。

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ARTE MANDOLINISTICA

活動の幅が広く、若い世代からはそこそこ信頼も得られているのではないだろうか。しかし、2012年頃の丸本大悟作品集ピークに演奏会での方向性が定まっていないのが不安である

私が地方高校生の頃は遠路はるばる聴きに行ったが、今は関西関東学生集客すら苦戦しているようである地方出身の私からすると、目の前にいい演奏があっても行かないなんて信じられないことだが…。

交響曲シリーズ個人的には大好きだが、業界人間の興味を惹くには的外れ(これには思うところがあるけど)で、一般の人には何だかんだハードルが高くなっている気がする。業界に向けるか、一般に向けるか、折衷案をとるか、悩ましい部分だが、ここが上手くいけばマンドリンオケコンサートで新しいスタンダードが出来て、全体の集客にも貢献できると思うので頑張ってほしい。

マンドリン響演

先日、京都で行われた演奏会プロ奏者の演奏公募した奏者(主に学生かな?)によるオケ演奏会。実力者が集った演奏の上に、オケに乗れば指導を受けられるという仕組みは非常に魅力的だ。特に比較学生団体が盛んな関西地区でこのような機会を設けるのは良いことだと思う。モチベーションアップにつなげてほしい。

同じことを、次は関東でも出来ないだろうか。学生団体社会人団体が乱立している関東地区は、指標となる奏者、団体に乏しかったり指導者同士の絡みがあったりして何となく全体のレベルの魅力が低く感じる。奏者人口は多いので、こんな機会があればいいのにな、と思う。

Mandolin Lovers Club

試みとしては非常に面白い。有料会員制をとったこと、奏者が頭をひねってコンテンツを全力で提供することは意義深いと思う。マンドリンオーケストラでの演奏会というのが一つの活動単位となっている感がある。それに対して、演奏会1回分の値段(マンドリンで3000円取るところは少ないけど)でコンテンツ提供しているのは発送としては良い。

しかし、時期尚早かと思う。そのように価値判断を出来るアマチュア奏者は非常に少ないのが現状であるマンドリンオケだと無料演奏会が基本となっているなかで、そのようなコンテンツお金を払う意識がきちんと芽生えるかが大きな課題である本来なら、もうワンクッション置いて、マンドリン業界における価値(お金を払う場所)についての意識が高まってからこのサービスが出来たのなら最高だったと思う。

無駄な対抗意識

アマチュア奏者でも、プロ奏者でも、指導者でも、互いが互いの足を引っ張ることが非常に多い。

とある団体で賛助で出たときアンケートを読ませてもらったら「○○(普段私が所属しているオケ)より上手かった」と書かれていた。純粋無垢高校生が書いてしまうならともかく、わざわざ他所団体を引き合いに出してくる大人がいることに笑ってしまったし、関係者が乗っていることに気付かない(普通気付かないだろうけど)ことにさらに笑ってしまった。

百歩譲って、アマチュアだけでやる演奏会であれば理解は出来る。他所団体に負けたくないから同じ曲をやるとか、初演が良くなかったから再演したいとか、器が小さいとは思うけど、人間なんだからそういうことはあってもいい。

問題は、演奏会以上のことでそれが発生することだ。

高校の全国フェスでは、審査体制が変わって、あげくに大会名前が変わって大騒ぎになった。自分の頃よりは審査はマシになったけど、ちょっとマシになったところで止まってしまっている。その頃に「他のコンクール演奏した曲を全国フェスでは演奏してはならない」という規約がついたことには卒倒しそうになった。誰がどう見ても、アルテの合奏コンクールへの嫌がらせだった。

ARTE国際もそうだ。せっかくの三連休で大きな行事をやるというのに、そこに演奏会を合わせてくる、被せてくる団体結構多い。何も一番規模の大きいコンクールに合わせなくても…と思う。高校の全国フェスに合わせて演奏会をする団体はいない、下手したら独奏コンクールでもいないにも関わらず、アルテがやるときはそういうことを平気でしてしまうのは腑に落ちない。方法はともあれ、頑張ろうとしている人の揚げ足をとっているように感じる。

(同じようなことをトップの人が個人アカウントで言っていたが、言い方がやらしすぎる点には共感できなかった)

コンクールはみんなで支えてあげようよ

支えると言っても、みんながスタッフをやるとか、そういうことじゃない。コンクールに行って、感想Twitterに書く。全国フェスでもARTE国際でも独奏コンクールでも、全部一緒だ。

チケットを買って、聴きに行く。一人じゃなくていい。大学メンバーをみんな引き連れてとか、オケマンドリンパートだけでも一緒に行くとかでもいい。

普段の態度が気に入らないとか色々あるかもしれない。でもそんなのは演奏会でやろう。

(個人的には、演奏会にも行かず、聴きもせず「気に入らない」と言ってしま人間が最も愚かだと思うので、そのままのスタイルマンドリン生活を楽しんでればいいと思う)

あるいは、そんなに気に食わないなら自分達でコンクールを開いてみるとか。

精神論になってしまって恐縮だが、私はコンクールを聴きに行くと、楽器が弾きたくなる。「その程度かよ」と思われるかもしれないが、足を運べば確実にモチベーションが上がる。そこから楽器を上手くしていこうと思うのは別に恥ずかしいことではないと思うがいかがだろうか。上手くするモチベーションがなくても、得られるものはあると思う。

以上、高校フェス出身者の戯言。

2017-10-06

少女漫画主人公が許せない

なんでみんな純粋無垢なのにイジメられてんだよw

なんで好意を持たれてることに気付けない鈍感体質なんだよw

なんで嫌な感じの男に惚れて真面目で一途なサブキャラを振るんだよw

いい加減にしろ

2017-10-04

「光属性うわあーっ」みたいなアレ

なんで肉欲に溺れた側が光属性やねん

どう考えても闇落ちした闇属性じゃねえか

俺達みたいな純真無垢な奴等こそ光属性だろ

闇の住人に怯むまず立ち上がれ光の騎士達よ

2017-09-29

anond:20170929094838

従順美徳として反抗を悪徳と見る、無垢神聖性を帯びさせてそれに反するもの俗物と見る、とか、文化的論理親和性が低いんだよ。

世論の気分や迷信ルール解釈コロコロ変わるとか目も当てらんない。

日本神様女性だろう。(皮肉

家族大切にしよう。返信ありがとう

2017-09-28

純粋無垢子供みたいに

前頭葉がほやほやになって

そのせいでうんこ漏らして

ショックで泣いて

泣き疲れてぐっすり眠りたい

イエスタデイを誰か歌って

それが僕の子守唄

2017-09-16

マジだるい

新人ミスしました」

うんそうだね、新人の子ミスしたね。確かにその子反省しなきゃしけないね

ものそのあと

「お前が悪いんだろ、俺は知らん」

って言ってそのあとなにもしなかったのは何なの?

いちいち俺に仲裁させなきゃ気が済まないわけ?

新人の子ミスしちゃって悪いね~。ほんと申し訳ないけどフォローしてあげてよ」

っていちいちいちいち俺が言わなきゃなんねーのかなぁ~~~~~!?

そういうのも俺の仕事のうちって言えばそうなんだろうけどさ

新人の子電話させて「私がミスしてしまって」から始まる状況報告させてさぁ

君に電話代わってもらうとさ

君は新人の子100%悪くて自分無垢被害者みたいな態度取ってるけどさ

君が新人ケンカ中どんな態度取ってるのか皆に伝わってるから

そもそも新人ケンカすんなよ

何人か君のせいで新人辞めてるよね、君はそういう時だけ素知らぬ顔してるけど

2017-09-15

映画ワンダーウーマンを見た

ワンダーウーマン」を見たので感想。と言うか考えたこととかのメモネタバレ気にしてないのでそういうの嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので、見た人向けだと思いますフェミの話とかも出てくるんでそういうの苦手な人も回避でよろしくっす。

総評

まず最初に、「ワンダーウーマン」、個人的にはそんなに評価高くない。少なくとも世間で(特に欧米で)いうほど大絶賛、大感動をすることはできなかった。これは映画を見終わったあとのファーストインプレッション

しかしじゃあ評価低いのかというとそんなこともない。

「1800円という価格&2時間という投資に見合った体験できるのか?」という視点で自問したところ、その答えは「100点」なのだ。十分高評価だろう。いい加減な脳みそだなあ、オレ。とも思った。

なんでこんな評価のすれ違いが発生してしまったかというと、今年見たアメコミ映画の先行2本、すなわち「レゴバットマン ザ・ムービー」と「スパイダーマン:ホームカミング」の評価が高すぎた、というのが原因であるらしい。前出の基準で言うと、「レゴバットマン」も「スパイダーマン ホームカミング」も200点くらいの評価なので、「ワンダーウーマン」はタイミング的に損をしてしまったのかもしれない。これが「ドクター・ストレンジ」のあとだったら感激できてたのに。

「100点である理由」としては大きく2つ。

まず「予告編で期待される要素が全て入っている」。無垢主人公ダイアナの島での生活スティーブとの出会い、「外の世界」への出発、人間社会との交流、第一次世界大戦の泥臭い戦争描写、圧倒的な戦闘シーン、ど派手なCGバトル。主人公ダイアナの衣装替えもアマゾン戦闘服マント姿→1910年代のヴィクトリアンはいったロンドンファッション→鮮やかな青のナイトドレス神の子戦闘服と飽きさせない。

そして「アメコミ映画ありがちなダメダメ要素を極力入れないようにしてある」。とくに3点「主人公の不幸描写に力点をおいたヒーロー誕生秘話」「クリフハンガーの繰り返しによるピンチ感の陳腐化」「取ってつけたような絶対悪敵役」の排除には成功している。そういう意味では、既存作品の悪いところがよく研究されているのだ。これは簡単なことじゃない(アメコミ映画はこの3つの罠によくハマるのだ)。

要約すると、よくできている。期待通りの作品だ。

一方で「100点でしかない理由」としては「取ってつけたような批判回避策」、「人物描写の底の浅さ」だろうか。

主人公ダイアナスティーブ自分たちの定めた使命を果たすためにチームを結成して第一次対戦の最前線に向かうのだが、そのチームは「絶海の孤島で育った主人公の女戦士ダイアナ」「イギリス軍諜報部に協力中のアメリカ外征軍大尉スティーブ」の2名を中心としているのだが、それ以外の参加者が3名いる。

フランス領モロッコ諜報員サミーア(おそらくイスラム系)」「ネイティブ・アメリカン密輸業者で通称酋長」「スコットランド人の酔いどれ狙撃チャーリー」この三人なかなか個性豊かで好感がもてるにはもてるのだが、「イギリスvsドイツ塹壕戦」にたいしてイギリス陣営でこれを主人公チームにするのは、いかにもPC的な取ってつけた感があった。

それを言うと映画冒頭のアマゾン族が暮らす絶海の孤島にも、白人だけじゃなく黒人アマゾンが配置されてたりして「こんな風に色のバランス取っとけばいいよね」的なそれを感じる。

この種の気遣いがあるのはもちろん良いことなのだが、それが気遣いの要素を超えていない、多様性テーマに対して踏み込んでないという部分があったせいで、浮いて見えてしまっている。またそれに対応するドイツ軍が通り一辺倒な描写で(つまりは白人集団なので)片手落ちに見えてしまう(ドイツ下げをしたかったわけじゃないだろうに)のも気にかかる点だった。

総じてエンタメ作品として秀作ではあるけれど、秀作止まりというのが個人的評価である

無垢子供ダイアナ

たぶんこのPC的なディレクション――批判に対して自覚的で先手を打って内容を適正に作っていこう――は最近ハリウッド映画では多かれ少なかれあるのだと思う。ただ、そういう制約(どういってもある種の制約ではあるだろう)を逆手に取って笑いやネタにしたり(デッドプールにおける「女性も男同様にブン殴ったほうが公平じゃない?」)、むしろそこに正面から踏み込んでえぐり出す(スパーダーマン:ホームカミングの敵役ヴァルチャーはいま注目されている「見捨てられた白人労働者」)のにくらべ、ワンダーウーマンのそれは踏み込みが浅くどうしても「そういうルールなので設置しました」感が出てしまっている。

重ねていうけれど、これは減点部分だという話ではなく、加点はなかったという話だ。

おそらく「ワンダーウーマン」という作品――つまり女性戦場に出て戦うという作品を作るにあたって、制作側は、(フェミニズムを中心に)炎上の可能性を覚悟して作ったのだと思う。だから、予め潰せる問題点は潰しておいた。

それは主人公ダイアナの人物設定にも反映されていて、彼女美女で、アマゾン族の王女で、めっちゃ強い。すごい跳躍力や筋力を持ってるし、噛み殺しの特殊能力を持つスーパーゴリラだ。だが多分そのままだと脳筋批判も巻き起こすだろうから、島で英才教育を受けてた設定になっている。作中でも数百の言語を操り、古典に詳しく、第一次世界大戦当時の最先端化学式を読み取るなど知能面でも卓越している。(第一次世界大戦当時の)女性だからといって馬鹿ではないのだ!

しかし、だからこそというか、逆説的にというか、なんだかすごく残念な人物描写になってしまっている。

彼女世間から隔絶された島で育ったので無垢だ……という設定なので、物語終盤になるまで「人間は悪神アレス洗脳されているせいで地獄のような戦争をしているのだ。悪神アレスさえ倒せば人間は正義と慈悲に立ち返り戦争は即座に終わる」と信じ込んでいる。ここは物語のテーマなので、外せない重要な要素だ。

それはそうで、重要に間違いはないのだが、それってどうなのだろう。

言語というのは必ずその文化を含んでいる。外語を学んだことがある人ならわかると思うけれど、外語を学ぶというのはその言語を操る民族や地域文化を学ぶということをニアリーイコールだ。文化も歴史も言語には含まれているからで、そこに理解無くしては言語の意味を理解するなんてできない。ましてや古典まで学んだダイアナが、人間の持つ二面性や、善悪といった内面を「全く理解してない」なんてのはありうるんだろうか? いやまあそこが物語のキーなわけだから、理解していないということにしないといけないのはわかるのだが、そういう描写にしてしまったせいで作品は別のメッセージを持ってしまった。

すなわち「知識も教育も倫理や人間について理解の助けには全くならない。世界を良くするという意味では、教育は全く無意味である」というメッセージだ。多分これは随分うがった見方だろうし、制作側はそんなメッセージを発信するつもりはないだろう。けれど、物語上ここでねじれが生じているために、そう取られかねない「隙き」が生じてしまっている。批判される要素をなくそうと頑張っていた制作陣が、塞げなかった穴に見えてしまうのだ。こういうねじれが、どうも彼女をそこの浅い子供に見せてしまっている。

ワンダーウーマン」は「(邦画では珍しくもないが)戦う女性主人公」「女性が監督した初めての大手スタジオによるスーパーヒーロー映画」という点で、フェミニズム界隈から賞賛を受けた。

けれど、個人的にはダイアナ女性ではないのだと思う。すくなくとも、フェミニズムが想定するような「解放されるべき女性」ではまだなくて、子供なのだ。まだ思春期すら迎えていないような子供で、世界に対して良く言えば無垢だし、シニカルに言えば無知無責任だ。

ダイアナに強い好感を覚えられなかったのがこの映画評価に加点が少ない理由だと、整理した今なら自覚できる。

善き大人スティーブ

多分、自分にとって不幸だったのはこの部分で、それは「ワンダーウーマン」を観るまえに「ウーマンリブ的な文脈でフェミニスト絶賛」みたいな評価を知ってしまった点だ。「そういうつもり」で見てしまったせいで捻じれが目についてしまった。

しかし、見終わったあとに思い返してみると、魅力的な部分がいくつもある映画だ。その最大のものアメリカ外征軍大尉のスティーブトレバである

彼はドイツ軍スパイした結果恐るべき毒ガス計画を知り、逃亡の最中に絶海の孤島アマゾン島に漂着し、主人公ダイアナを「外の世界」に連れ出す役目をする。無垢美女ダイアナエスコート役であり物語最終局面まで彼女を支えて導き続ける。

ぶっちゃけ、序盤はただのイケメン俳優だと思っていた。

いやイケメンなのは最終盤まで変わらないけど。

ヌードシーンがあったりもするので、女性向けの眼福要素も担当させられたイケメン俳優だと思っていたのだ。二回もイケメンって言ってしまったよ。

彼は優秀な軍人でありパイロットなのだが当然人間なので、スーパーヒーロー神の子であるダイアナに比べたら喧嘩においてはまったく弱い(軍人として適正に強くはあると思う)。おまけに非文明圏であるアマゾン島では虜囚に近い扱いも受けていたし、さらにいえば彼はアメリカ軍大尉であり、物語中盤の舞台イギリス(&イギリス議会イギリス軍)では大きな権力を持っているわけでもない。上司に対しては愛想笑いを浮かべたり、自分意見をひっこめたりもする。

物語中盤、未知の世界である外界に出たダイアナは完全にお上りさん状態であり、大都会ロンドンにおいて常識を知らないことから、スティーヴに迷惑をかける。それにたいしてスティーブはなだめたり、すかしたりしてダイアナに行動を抑制しようとする(そして失敗する)。スティーブダイアナに「外の世界常識や考え」を事細かに説明して理解を得ようとはせず、断念する。命の恩人ではあるし天下無双の戦闘能力を持ってはいるけれど、「面倒くさい子供」でしかないダイアナに呆れているように見えることもある。

こうやって説明すると際立つけれど、スティーブイケメンが売りなだけのダイアナの介添に見えていた。

しかし、上映後に振り返ってみるとこの映画の中心はスティーブだと思う。

ド派手なCGバトルアクションとか、世間フェミ的な評価を全部取っ払って、個人的に「ワンダーウーマン」の感想を述べるならば、「ワンダーウーマンスティーブ映画なのだ

全般的に人物の内面描写が浅いきらいのあるこの映画だが、スティーブに関しては脚本も俳優も素晴らしい仕事をしている。

彼は心の中にロールを持っている男だ。それは「善き男」であり「善き大人」であり、おそらくだけど「善きアメリカ人」であり「善き隣人」だ。彼はそういうふうに生きたいのだ。正しさや信念というよりも、自分の中に理想像ロールモデルがあると表現したほうがしっくりくるのがスティーブである

彼が軍に身を投じたのは、混迷続く世界情勢の中で、善きアメリカ人として社会に奉仕しようとした時、そのモデルが軍人だったかである。今の価値観で言えばもちろん異論はたくさんあるだろうけれど、その当時の常識で言えばそれは愛国心であったし、善き市民の善き行動だった。

ドイツ軍に密偵した結果、彼は恐るべきマスタードガスの開発と、それが講和間近のイギリス軍へ向けられていることを知ってしまう。彼はこの情報を持ち帰るために命を捨てるような危険を犯す。それもまた、彼の中にある「それが善き男の行動」だからだ。

その過程ダイアナに命を救われ、彼女の「外の世界戦争を止めたい」という希望を叶えるためにも、一緒にイギリスまで情報を持ち帰ることにする。

しかし、イギリスにそれを報告したが、結果ははかばかしくない。講和が間近に迫ったイギリス軍は、ドイツ軍(の一部)に災厄的な行動があったとしても全面攻勢には移りたくない。スティーブ情報事実上握りつぶされる。

彼はここで彼自身の行動規範である「善き人」を曲げられる。軍の階級差という世俗の権力構造のせいで、彼がすべきだと信じる行為を行うことができない。

講和のためとは言え、前線舞台をマスタードガスの脅威の前に放り出してよいのか? 良いはずはないが、議会や政府の決定に従うのも「善き国民」の義務ではあるのだ。

でも隣には精神的に子供ダイアナがいて「ねえなんでなんで? なんで正義しないの? まさかここでやめるわけ? 処す? 処そうか?」という視線で見てくる。彼は、その結果、軍の命令を無視して、私費で(というかボランティアのつもりだった?)傭兵を雇い前線に向かう決意をする。彼は心の中にある「善き人」の指し示すところに従ったのだ。ダイアナがあんまりにも無垢なので引っ込みがつかなくなったという側面があったにせよ。

前線に向かい、血みどろの後背地を抜けて塹壕にたどり着き、取り残された村をダイアナ神話的な能力にも助けられて開放して、ダイアナスティーブの関係は接近する。男女間の性愛的な意味での愛情もあったような描写だったけれど、個人的にはスティーブ父性も強く感じた。その父性というのは、子供しかないダイアナに「善き大人」を見せるというものだ。戦争なんて醜悪なものなのだけれど、それだけではないということ、世界には「善き隣人」の「善き努力」もあるということを示したかったように見えた。孤島から世界に連れ出した人間として、世界に失望してほしくなかったのかもしれない。

終盤。マスタードガスの大量生産はすでに完了しており、その暴挙を止めるために一行は秘密基地に忍び込む。ダイアナはその中で、アレス化身だと思われるドイツ軍ルーデンドルフ総監を倒すことに成功する。ダイアナは「これで悪神アレス洗脳は溶けて戦争は終了する!」と歓喜するが、兵士たちは戦闘をやめない。殺戮の準備を辞めない兵士ダイアナパニック状態になる。ダイアナにとっては今まで信じてきた世界観が崩れ去った瞬間なのだ

そのダイアナに向かって、スティーブは今まで何度も説明しようとしてしきれなかったことを告げることになる。

それは「この戦争は人間が開始して人間が拡大させたものなんだ。神はいない。僕たちの責任だ」ということだ。その告白はとても辛い。「善き男」として生きたかったスティーブは、まったく「善き男」ではなかった。戦争をしちゃってるのだから極悪人なのだしかし、スティーブは「この戦争は僕達の罪なのだ」ということを認める。なぜなら、戦争の責任を誰かに転嫁するのは、戦争を始めるよりも更に恥ずべきことだからだ。「善き男」として彼は、世界の醜さの責任を取らなければいけないと決意する。

スティーブダイアナの間にあったものは多分とても複雑で、男女でもあったし、父と娘でもあったと思う。でもその一部には神と人間というものもあった。

彼女の戦闘能力があまりにも隔絶してたかスティーブもその視点を持たざるを得なかったのだろう。

ダイアナの考えは「神が神の邪悪を振りまいたせいで人間が迷惑をしている」から「神の使命を持つ私が人間を救う」というものなわけだけれど、スティーブはこれに「善き人間」としてノーを叩きつける。ダイアナの考えはある種のパターナリズムだが、スティーブの答えはそこからの脱却だった。

神々の戦いは神々であるアレスゼウスの娘ダイアナが決着をつけるだろうし、人間であるスティーブは戦闘能力の関係上そこには関与することができない。しかし人間の始めた戦争であり、人間の悪意であるマスタードガスは人間であるスティーブが止めなければならない。筋としてそれが正しい。

ダイアナの戦闘能力やスティーブたちの状況を考え合わせると、彼らはここで戦闘を放棄すれば逃げて安全に暮らすことは十分に可能だったように見える。その場合はもちろんマスタードガスで前線の部隊は凄惨なことになるのだけれど、倫理的に考えてスティーブが彼らを救う(その結果命を落とす)絶対的な義務があったわけではない。戦争の悲惨すべてを、個人であるスティーブが背負う必要はないからだ。

スティーブが命をかけた動機として、父(先行者)として娘(後続)に「この醜悪な外の世界にも善はあるのだ」という事を示したかったのか、人間として神に「あなただけにすべてを背負わせない。人間は弱いけれどそれでも自分たちのしでかした行為の責任は取る」ということを示したかったのか、それとも男として女に「俺も戦う」といいたかったのか、それはわからない(そこが返ってスティーブという男のテーマとしてよかったと思う。彼の愛情には名前がつけられない)。

けれど、スティーブは「自分の戦い」として今まさに離陸していこうとする毒ガス満載の爆撃機を止めるために飛び出す。そして乗り込み、爆弾を抱えて、前線を救って、結果としてダイアナを残して死ぬ。

こうやって思い直してみると、中盤、ロンドンの街で常識知らずにうろつくダイアナに手を焼いていたのも、「善き大人」として子育てに苦労してたんだなあ、と思える。

スティーブは大尉だからおそらくエリートなんだろうけれど、まだ若いし、それ以前にすべての人間がそうであるように、不完全で未熟だ。しかしそうであるからこそ、彼には「こんな存在でありたい」という理想像があった。そして常にそうであろうと、努力していた。都会ではトラブルメーカーダイアナを「善き保護者」として(オロオロしつつも新米父親のように)導こうと思ってたし、最前線では「善き戦友」として肩を並べて戦った。戦火から救い出した村でチャーリーが歌ったときは「善き男」としてダイアナを熱っぽく見つめた。彼は最終的に、「惚れた美人との安全な生活」よりも自らの役割を優先した。自分自身の信じる正しさに殉じた。それは「善き人間」として神の前に立った時、他の誰でもなく自分が、人間すべての代表として神に「人間の誠実」を見せるべきだと思ったからだ。

それは上野千鶴子あたりの言葉を借りると「男性の安っぽいヒロイズム」であり「戦争に興ずる幼児性」なのかもしれないけれど、物語としてみるとスティーブの人物描写はこの映画の中で一番複雑で深みがあった。魅力的だった。

そんなことを考えると、「ワンダーウーマン」はウーマンリブ的な価値観映画というよりも、男性的な価値観の、そして「神(あるいは超越的な力を持つスーパーヒーロー)の前に立った『善き人間』の覚悟と誠意」の映画だと思う。そして、そこがこの映画の美点だと思える。

2017-09-11

ロリコン分類案

https://anond.hatelabo.jp/20170911171731

 

書いてみた

厳密なロリコンではなく、ロリコンと称される人の分類

 

真性ロリコン 小学生女児しか愛せない

ペドフィリア 幼女性愛

少女志向 女子中高生特に好き

ファッションロリコン趣味 ロリ系のコスチュームシチュエーションが好き

性愛者 男と女中間みたいな人に魅力を感じる(ショタ併発する)

支配性欲者 強引に女性支配下におけることに興奮する(抵抗力が弱いか女児が好きなだけ)

リョナラー リョナラー

二次ロリ好き 二次元におけるロリが好き(リアルロリは嫌いと言う人もいる)

守備性愛者 女なら何でも好き、ロリペドも好き(犯罪者に多い、狙いやすかったか女児を狙ったなど)

無垢志向者 無垢な娘が好き(ロリでもビッチNGタイプ

守備性愛者 成人女性も好きだが守備範囲小中学生くらいまで及んでる人

細身性愛者 ロリ特有の細い体が好き(貧乳好き、脚フェチショタを併発)

華奢性愛者 弱い娘、守って上げたくなる娘が好き、父性混同しているタイプ

身長好き 150cm未満が好きな人高身長ロリNG

性的倒錯者 色々患っててよく分からない人

 

もっといい分類が欲しい

こういうの参考になる↓ 名前かっこいい

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/性的倒錯

2017-09-02

輝くアイドルを消費する薄汚れた大人

アイドルとは、その輝きによって、人々に希望を与える存在。その無垢笑顔に救われる人も多い。

しかし、一部の薄汚れた大人は、輝くアイドルを消費するために、他人の「好き」を否定する。

「私の好きなアイドルはAと仲良くない」「Aのファン気持ち悪い」「私の推しを女と絡ませないで」

そうやって、自分だけのアイドル像を、より確かなものにしていく。みんなのアイドルではなく、自分だけのアイドル……

いつからか、アイドル工場の灯りに成り下がってしまった。ススや油にまみれたアイドルに、価値はあるのだろうか?

2017-08-31

篠崎

SCENE1

愛ちゃんトイレに入って来たと思うと、筋肉の緊張を解くためか、おもむろに服を脱ぎ始め一糸纏わぬ姿になった。

その西洋画の裸婦のような豊満な肉つきの身体が一段高くなった和式便器にまたがるとき普段は閉じた尻たぶはヴィーナスの誕生よろしく左右にぱっくりと割れ、奥の毛の茂みとは対照的に、うぶ毛に覆われたピンク色の窄まりをあらわにする。こんな無垢で可愛らしい窄まり直腸の末端で、奥には愛ちゃんが食べて消化し終えた3日分のうんちが詰まってるだなんて誰が想像できるだろうか。

SCENE 2

しゃがみこんだのも束の間、少しの吐息を漏らすと同時に朝一番の純度の高い黄色い飛沫がホースの先を摘んだように股間から噴出し真っ白な便器を叩きつける。朝トイレに行く暇も無くロケバスで揺らされた膀胱解放される時、それはダム決壊するようなもの20秒も続いた放水は徐々に緩やかになり、滑らかなアーチを描き、性器の終わりから後ろの窄まりを滴り、収束する。放尿の開放感はその黄色い水たまりアンモニア臭をかき消すほど。

尿意が引くと同時に膀胱に圧迫されていた腸が解放されると、無意識のうちに大腸がぐりぐり蠕動し、いよいよ便意が彼女の脳を占拠し始める。体も無意識本能も含め、彼女は今

社会的レイヤーから全て解放され、動物のように糞をしたくて堪らなく、思いっきり出していいというシチュエーションなのだ

SCENE 3

愛ちゃんは糞(うんち)を今すぐにでも出したい気持ちを抑えながら一度立ち上がると深呼吸をする。

から息を吸い、口から出すとずっしりとした下腹部の重さと便意を如実に感じとる。

愛ちゃんはさっきより前の位置便器にしゃがみ直すと、今度は前かがみのままつま先立ちになり、上体を起こす。普段から快便の彼女はつま先立ちで背筋を伸ばすと腸の管が直角になり、より便がスムーズに出ることを知っている。”キバる”ために視点を定め一点を見つめ、少しずつ、少しずつ腸への圧力を強めていく愛ちゃん。先ほどまでの豊満ぽっちゃりとした下半身は、溜まったうんちを吐き出すため、鍛え上げた腹筋と臀部が軋みをあげて引き締まり丸みを徐々に落としていく。全身を小刻みに震えさせるとその姿は四股を踏む力士のように鬼気迫る姿となり、その尻はもちろんおっぱいからも汗がにじむ。

SCENE 4

愛ちゃんがたいらげた食物はその童顔の中でぐちゃぐちゃに唾液で掻き回され、白いグラマラス身体の中では、胃で消化されたあと強靭な腸で栄養を吸い尽くされ長い時間を経てうんちに整形される。とにかく肉や米が多いこととお酒を飲むことから愛ちゃんのうんちの繊維質で密度もあり、香り高い。まさに糞、うんちといったところだろう。今まさに出ようとしているソレは水分を失い硬くなった先端部分が愛ちゃんの可愛らしく窄まったピンク色の肛門を内側からこじ開け、卑猥フジツボに変容させようとしている。

うんちを出そうと肩で呼吸をする愛ちゃん。一気に出してもつまらないので肛門を開いては閉じてを繰り返し、緩急をつけながらお腹に込める力を強めていく。

SCENE 5

ついにうんちが顔を出すとき愛ちゃん肛門はさっきとはまるで別人の様な形相で皺を伸ばし5センチ近くも太さがあるうんちを咥え込んでいる。腸液を浴びて怪しく艶めいたチョコクランチの様な硬い先端がゆっくりかたつむりが這うようなスピードで、湿った音とすかしっ屁を立てながら愛ちゃんのお尻からまれ始める。10センチほど出たところでうんちの色がこげ茶から茶色に変わり、程よい固さになってきた。

愛ちゃんはかすかに呻きながらうんちを途中で切らないようにお尻に力を入れ続ける。脱糞快楽はここからなのだろう。自らの腹で育てたうんちによって直腸粘膜と直腸越しに性器をくすぐられ、上半身色欲に染まった童顔、汗で艶めく首筋とたわわに膨らんだおっぱい下半身は汗で蒸れた性器は時折小水を流し、わずかに粘液を垂らす、すぐ後ろの肛門卑猥に蠕動しながらその立派な一本糞(うんち)をニチニチ産んでいる。尻や脚は震えを増しながらも全てを支えている。

SCENE 6

尻尾の様に伸びた繊維の詰まったうんちは40センチを超えてもなお途切れることな便器に着地するとなおも産まれ続ける。体が大きく大食い愛ちゃんの腸は太く長いのだ。綺麗な肌で居られるのは醜い部分を全て排泄しているから。うんちが60センチを超えたあたりでうんちは切れ、ぴちゃっと水に落ちた。見事にキレのいいうんちは出し終えてぽかーんと開いた肛門を少しも汚さない。

愛ちゃんは一度つま先立ちを崩す。和式便器水道管にもたれかかり大きく息を吐きながら

便器確認すると蛇のようになったうんちがUの字に横たわっているのと、お米が発酵したような強烈な匂いが息を反射して帰ってきた。思わずくっさいとつぶやく

SCENE 7

出したうんちを見つめながら、肛門はスースーしてるのに一向に腹痛は治まらないことに表情を曇らせ、首をかしげながらお腹をさすろうとした愛ちゃん

その刹那、全身に鳥肌がたつと同時に、急に腸が活発になり始め下腹部から特大の音が響く。体が油断していたのか、水道管を触って冷えた手でお腹をさすったことで愛ちゃんの腸はクリティカルな刺激を受け、まだ残っているおかわりやガスが暴れ始めたのだ。姿勢を直す間もなく肛門をこじ開けるガスはけたたましい音を立て直腸を震わせ、ギャグ漫画さながらの下品な音を立てる。なすすべもなく直腸の勢いに任せ、思い切りいきみ、カバの排泄さながら、おならとうんちのかすを便器に撒き散らす愛ちゃん。口から上品食事をする愛ちゃんは今、下の口からそこはかとなく下品に排泄行為をしている。

SCENE 8

お尻からおならが止まったかと思うと再び”実”が出そうな感覚電気のように走る。肛門麻痺してきたような錯覚を抱きながらも腹筋に最後の力をこめる愛ちゃん。するとガスを出すだけで閉じかけていた肛門の数え切れない皺の一本一本が再び一斉に伸びきり、中央から茶色い塊が現れる。硬めの太い一本目とは違い細めの、熟しすぎたバナナのような硬さのうんちがにゅるにゅるアイスクリームように押し出される。出した途端からの刺激臭。昨日の飲み会果実酒が効いたのだろう、できたてホヤホヤのうんちだ。ゆっくり出すのとは違い直腸が焼けるような感触愛ちゃんのお尻からするすると伸びるとさっき出した巨大な一本糞にトッピングされ雑なとぐろを巻いている。

SCENE 9

愛ちゃんの2本目のうんちは30センチで切れたかと思うと、また同じ長さのが2本出終わったところで

やっと便意が収まった愛ちゃん自分のへこんだお腹と山盛りになったうんちを交互にしばらく見つめ、ようやくお尻を拭く。熟成されたうんちと柔いうんち。トイレットペーパーを引っ張り出す時の音がやけに新鮮に感じる。山盛りになったうんちは三回目でようやく流れた。全身汗まみれの愛ちゃんはすっかり冷めた服を着て、トイレを出て行く。

2017-08-29

Call Me By Your Name@miffレビュー

8月29日、思ったより拡散したため追記。自分ではネタバレなしのつもりで書いて、ツイートにもそう明記してしまったが、ネタバレという言葉には個人差があることをすっかり忘れていた。ネタバレ見たら死ぬタイプの風上にも置けない。地雷を踏んでしまったら申し訳ない。配慮したつもりですが、どうぞご注意ください。太ももの話以外もします。

なにせ太ももがすごいらしいのである

俳優アーミー・ハマーの太ももである

サンダンス映画祭直後、賞賛と祝福の声とともに、あまりの刺激のために悩殺されてしまったという感想ツイート散見されて、映画祭参加の幸運に預かれなかったファンはもどかしさに身悶えしたのであった。

Call Me By Your Name1983年北イタリアとある町のひと夏を舞台にした、二人の青年あいだの恋を描いた映画である。くわしくはimdbを参考にされたい。

http://m.imdb.com/title/tt5726616/

この映画2016年5月世界中の一部界隈にて話題になった。言わずもがなアーミー・ハマーファン界隈である。そのあまりに蠱惑的なあらすじにつられて手に取ったのが原作小説である

そんなごく軽くかつ不純な動機で読み始めたAndré AcimanによるCall Me By Your Nameだが、回顧体で描かれた物語に一瞬で虜になった。

冒頭のシーンからして心憎いのである

まりにも印象的な出会い、一生を変えてしまうたった一言から語り始められるその物語は、意識の流れを実に巧みに取り込んだ、プルースト研究者でもある著者ならではの文体で読者を陶酔させる。やがて語り手であるエリオと一体化した読者はオリバーの冷淡さに苦しみ、意外な素顔を見せられはっと息を呑み、ただ呆然と結末を迎えることになる。

ツルゲーネフの「はつ恋」やらナボコフの「ロリータ」やらをこよなく愛するわたしにとっては好み直撃ど直球であり、そのうえアーミー・ハマーの太ももやばいとあってはなにがなんでも映画を見なくてはという気持ちになった。

しかネタバレ見ると死ぬタイプオタクにつき、どうしても世界公開より先に見たいという気持ちを抑えられない。はたしてMIFF(メルボルン国際映画祭8月3〜20日、CMBYNは4日と6日上映)に飛んだのである

笑ってほしい。

かなり早い段階でチケットも売り切れ(一度キャンセルが出たが、最終的に上映日までには両日完売!)ていたため、予想はしていたが、当日は冬のメルボルンにて1時間から長蛇の列である

席は早い者勝ちなのでみんな普通に必死だ。特に二度目の上映での、劇場をぐるり半周する列は写真に撮らなかったのが悔やまれる。みんなが手の端末にQRコードを表示させ、南半球ならではの冷たい南風に身を縮めながら待機している。

2度のCMBYN上映の他は同じくアーミー・ハマー出演のFinal Portraitに参加したばかりだが、それに比べるとやや平均年齢が下がるかなという感じ。

それでも、老若男女ということばがふさわしい、実に幅広い客層。

そんなことより映画だ。ここからネタバレはなるべく避けて進める。なにせネタバレ見ると死ぬタイプなので安心してほしい。後日一部シーンバレ感想もあげるつもりでいる。万全の態勢です。

さて、本編はピアノ音楽によって始まる。

劇中曲について、MIFFのQ&Aにてルカ・グァダニーノ監督が語っていたことだが、基本的には登場人物が耳にした音楽……エリオの弾くピアノ曲ギターオリバーが身を委ねて踊るダンスミュージック家族が耳を傾けるラジオレコード……に限った、とのことである。それを知らされるまでもなく、最初楽曲から没入感があり、一息に世界に引き込まれる。

そしてオリバーが現れる。イタリア太陽である。明るい陽光主人公エリオのいる部屋の暗がりを際立たせる。

エリオを演じる当時弱冠20歳ティモシー・シャラメは終始少年健全さと病的な魅力をひとしくたずさえて美しいが、とりわけ夜、ベッドでのシーンでの肌は内部から光を放つようだった。

アーミー・ハマーが、その見せ場においてはつねにイタリア太陽に照らされて灼けたなめらかな肌とあかるい金色に見える髪を輝かせているのと好対照で、一場一場面が絵画を見るようだった。あるいは、冒頭でわれわれを一息に映画世界に引き込む、連続的な彫刻群のショットのようだ。

この対照関係意識されたものだと思う。

エリオオリバーに魅了されるのはかならず真昼の屋外だし、エリオオリバーを室内に引き込むと、オリバーは初めて(ようやく、と言ってもいい)エリオに見とれるのだ。

野外と屋内、昼のシーンと夜のシーンが交互にさしはさまれて、われわれ観客はふたりうつくしい青年に2時間超の間目まぐるしくも目移りしてしまうのだった。

そしてくだんの、アーミー・ハマーの太ももである

ももに殺されたひとびとのツイートがいまならよくわかる。

しかしいざ太もも談議をするとなると血で血を洗う戦争になるにちがいない。

短いショーツか、あるいは水着でのシーンが大半で、太ももは終始晒されているので各人のフェイバリットももがあることだろう。

マイフェイバリットももとある場面にてエリオとともに床にぺったりと座るオリバーの太ももである。だが自分多数派である自信はない。これについてはまたあとで。

オリバー原作よりもなお複雑で謎めいたキャラクターになっていると感じる。

原作では物語がすすむにつれ、読者はエリオとともにオリバーの知らなかった一面に驚かされるのだが、映画ではむしろ序盤からオリバー大人の男としての魅力と奔放な子どものような無垢さが入れ替わり立ち替わり現れてエリオないし観客を翻弄するのである

(シーンバレありの記事にでも書くつもりだが)序盤からオリバーエリオよりも幼い子どものようないとけない振る舞いを見せ、グァダニーノ監督言葉を借りるなら、エリオより「なおイノセント」だった。

アーミーハマーファンの同志は心してかかってほしい。奇声を発するか原作エリオ言葉を借りるならswoonに至らないよう上映中握りしめるなり揉みしだくなりできる柔らかい布など持っていくことをおすすめする手ぬぐいとか)

そのような差異こそあれ、アーミー・ハマーオリバー原作を読みながら夢想していたオリバーほとんど完璧に一致していた。

この結論にはアーミーハマーのじつに感情たかな目の表現が大いに寄与しているのだと思う。たとえば「J・エドガー」でのクライドトルソン役において彼が見せたような目つきだ。沈黙の場面で熱っぽく目が話す。このものを言う目がとくに生きるのは、逆説的だが目の映らない場面で、たとえば映画の中でもひとつクライマックスにあたる戦争慰霊碑のシーンがその一例だ(トレーラーにも引用されていた)。

もうひとつ、結末に近い重要な場面でピントを外したカメラオリバーをとらえる。オリバーの顔が長く映されるのだけれど、けして鮮明な像を結ばない。観客は食い入るようにスクリーンを見つめてはじめて、自分エリオと同じようにオリバーの目に浮かぶ表情を読み取りたいと熱望していることに気づかされる。

目について語るならばティモシー・シャラメにも言及しなくてはならない。

ティモシー・シャラメは今後少なからず目にする機会が増える役者だとつくづく思いしった。身体の使い方が素晴らしく、手足の隅々まで神経を張り詰め、あるいは意図的脱力し、髪の先まで演技していると感じさせる。(この先エリオ面影を振り払うのが難しいのではとも感じるが、むしろその印象を己に利するものとして使ってほしいしこの期待は報われるにちがいない)

だがなによりも、その目つきである! トレーラーにも含まれていた、踊るオリバーをじっとりと見つめるあの目が全てではない。映画から小説通底する一人称の語りが省かれているものの(あれば安っぽくなり得たと個人的には思う)それを補って余りあるティモシー・シャラメの目つき。

まさに小説が羨む技法で、文字で書かれたフィクションを贔屓しがちな身としては、こういった映画化を見せられるとただひたすらに喜びを感じてしまう。

さてトレーラーといえば、あの実に夢見心地で幻惑的で、緊張感とせつない予感に満ちた映像を、わたしだってリリース直後には再生する手が止まらなかったほど熱愛しているが、 本編とは少しトーンが違っているとも思える。

トレーラーから、そして原作から想像していたものにくらべると、より明るく、ユーモアがあり、笑いだしてしまう瞬間がある。

かなりの頻度で笑いが起こっていたが、これは映画祭だったのと、おそらく英語圏中心とおもわれる観客層も関係してくるのかもしれない。

ただ、エリオ食卓でのとあるシーンについては国内映画館でも笑いが起きると予想できる。そしてその直後におとずれるエリオオリバー官能的な接触に息をのむことになることも。(さてくだんのマイフェイバリット太腿はこの場面で登場する。すくなくとも個人的にはこの場面はお祭りだった。細いのに肉感的な大腿部に釘付けになるあまり台詞をごっそり聞き逃したのだ……)

こういった感覚の急激な転換は映画全体を通して言えることで、一瞬たりとも気を抜けないと感じた。ほほえましく口元を緩めた直後に、心臓が指でひっつかまれるように締め付けられる。

ところどころに埋め込まれた、笑える箇所について、今ふと思ったが、これは原作にて重要役割果たしているが本来映画だと表現しにくい「時間性」をどうにか持ち込もうとした結果なのかもしれない。

10代のころの恋愛とか、恋愛でなくてもエモーショナルなやりとりは当時は必死真剣なんだけれど、そのときの行動を大人になって振り返ってみると、わがことながらおかしくて笑ってしまう、あの感じがよみがえるみたいだ。

そのようなノスタルジーを引き起こす展開に身を委ねるうち、二度の上映は割れんばかりの拍手でしめくくられた。自分も同じように手を叩きながらLater、と軽やかな別れの言葉脳内で繰り返していた。原作で読んで想像していたよりもなおあっさりと、冷淡で、なのに奇妙に耳に残るオリバーの声。

一夏の客人のその挨拶を、エリオが、母が、父が真似たように、自分もつい口にしたくなるはずだ。

じつは原作を読んだ時から自分は最適な読者じゃないと思っていた。

小説として心から好んではいものの、「この物語自分物語だ」「この物語によって救われた」「こういう物語が描かれるのをずっと待っていた」と感じる人がいることを、一行読むごとに、確信し続けたからだ。

この映画現代を生きるごく若いセクシュアルマイノリティに届くことを願っている。

キャロル』がそうであったように、相手性別特別なのではなく、ただその相手特別だっただけ、ということを描いた映画。だが一方で、両親という存在の描かれ方において、この作品はこれまでのクィア作品と一線を画している。

そして、『ムーンライト』があまりにも普通恋愛映画であるという事実特別だったのと同様に、Call Me By Your Nameエリオの一夏の恋愛は美しいと同時に「ごく普通青少年悶々とする」という部分が色濃くて、その事実をとにかく祝福したい。

自分はこの映画クィア映画だとは思っていないのだとグァダニーノ監督がQ&Aで語っていたが、この言葉がすべてだと思う。

10代の頃に出会ってたら人生が変わっていたなと確信を持つ映画はいくつかあるけれどCMBYNはそのトップに躍り出た。

現在のところレーティングはR18のようだけれど、そこまで直接的なショットはなかったように思う。

何かが起こったこと、そして何が起こったかから目をそらすという悪い意味での曖昧さは無いが、物語破綻させないように、そして必要以上にセンセーショナルに煽らないと努めての結果なのかもしれない。

からこそ、PG12かR15バージョンが作られるといいなと思っている。エリオと同年代の、この映画肯定感を本当に必要としているひとたちに見てもらいたい。

キャストきっかけに興味を持ったCMBYNだが、自分の中にそびえる金字塔を打ち立てた。日本に来た時にも従来の俳優物語ファンに愛されるのはもちろん、新しい映画として多くの観客に愛してほしい。そして本当に必要としているひとにぜひとも届いてほしいと思う。

ちょうどこのレビューを書いている最中8月23日)にMIFFの観客賞が発表され、Call Me By Your Nameが晴れて1位を獲得した。http://miff.com.au/about/film-awards/audience#

もちろん自分も最高点の星5つで投票したし、あの盛り上がりを考えると納得の結果だ。

アジア内では台湾映画祭での上映が決まっているCMBYN。東京国際映画祭に来ないはずがない、と信じている。

お願いします。

邦訳本もどうぞよしなに。

2017-08-28

アニメ業界に関する愚痴

私はアニメ業界で働いている1人の技術者です。

この仕事従事している人達はみんな基本的はい人達だし、1つの事に向かって頑張る仲間達なので基本的には好きなのですがそれでも少々もやもやがあるのでここで眠い目をこすりながらこの場を借りて愚痴をこぼします。

言葉を選ばずに言うと、技術者ビジネスの面で非常に子供なため頭が痛いこの頃なのです。

更にそれが結構な人数な為やっかいです。しかも実力のあるアニメーターでもそんな感じの人がいたりするので更に更にやっかいです。

仕事したくないけどお金は欲しい。自分は後輩の育成なんか面倒だからしたくないけど使えない後輩は仕事が増えるから嫌だ。誰でも良いからなんとかしてくんないかなー自分はやりたくないけど。という人が結構ます

ていうか、そんな感じでみんな他力本願で何もしないから今もアニメ業界はこんな感じなわけです。

でもそういう人ほど声がでかくてため息が出てしまます

声がでかいと真っ当だった純粋無垢な後輩達の耳にも入ってこういう思考汚染されていってしまうので更に深いため息が出ちゃいます。負のスパイラルです。幸せ逃げまくり

まらなかった管理能力のあるまともな人たちはこんなやつらと仕事したくねえ!と業界を去ってしまます

ぶっちゃけアニメーター貧乏になってしまう原因の片棒をこういった方々が担いでいると私は思っています

人より可愛い絵が描けるだとか、セルワークができるから自分は人並み以上に金を貰えるべきだと言う方がいるが、人よりできるからなんだという話。

ものに付く金銭的な価値とは質だけではなくどれだけ需要あるかなので、質さえ良ければ金銭価値が高いという訳ではないはずです。

質が良い作品と売れている作品は別物で、どんなに出来のいい絵を描いたところで興味を持ってもらえてお金を出してもらえないならそれは金銭的には無価値なのだけどその事をわかっていないのか、わかっているけど知らないふりがしたいのか、業界内にはそんな方が沢山います

そしてそういう人ほど先のことを考えず目先の小遣い欲しさに単価は良いけど作業は重い作品ばかり引き受けていたり、1日の労働時間が人より短かったりするのです。

稼ぐ為に作業効率を良くするとか徒党を組んで強気に単価交渉してみるとかそういうことをする気がない。

アニメというと絵が動くコンテンツなので芸術に属するものと捉えられがちだが、その本質製作委員会が売りたいグッズやDVDなどのコマーシャルビデオである

もちろん監督意図だとかアニメーターのこだわりだとかそういうものが込められているのでバッサリと芸術じゃないとは言わない。しかし、クライアントから発注を受けて部品を納品するというプロセスで動くのでどこかの工場でなんらかのネジを量産する仕事とそう変わらないのだが、その事にも気付いてない方が多くてこれも困る。

オートメーション化された工場で作るネジと全て手作業原画作監作業を一緒にされては困ると思うのだろうが、いくらオートメーション化されていたって規格が違えば手作業でそれを調節しなければならない部分はあるだろうし全てが機械だけで回っている訳ではないはずです。それに絵を描く作業は確かに大変だがこの世で一番大変かと言われたらそうではないし大変な作業は世の中には沢山あります

作画プロ。ネジ作りのプロ。分野は違うけど両方共にプロフェッショナルなわけですが後者はちゃんと会社雇用されていて給与としてお金が貰えているのは何故でしょうか。

私は社会人としての意識の差にあると思います

工場で働くプロ達は毎朝ちゃんと決まった時間に出社してその日のノルマ分をきちんと生産して利益を出しているわけですが、作画プロ達はというと規律を嫌い、適当自分の好きな時間に働いて今日は気分が乗らないからと明日仕事を伸ばしたり、頼まれた以上どころかやり過ぎなくらいクオリティを上げてみて自分の首を締めてみたり、締め切りギリギリにドバッと上がりを出してその後の工程の人が悲鳴をあげたり、挙げ句の果てには締め切り守らずトンズラしたりするのです。(もちろんきちんとしているアニメーターもいます)

会社はこんな感じの人達正社員でなんて雇えないし、アニメーター正社員になったら毎朝早起きさせられて気が乗らなくても仕事させられるからなりたくない。

そしてアニメーターは「アニメーターが稼げないのは業界が悪い!」と言うのです。

他にも参入コストだとか技術者の多さとかリスクの大小だとか要因は色々ありますが大きな問題はこういった身から出た錆的なところだと思います

明確にアニメ仕事従事しないといけない理由がある訳でもないならお金がないのは業界のせいって言ってる人たちはみんなアニメ辞めて真っ当な仕事に就けば早いのに…。はっきり言って絵が描きたいだけなら趣味でも描けるんだし…。と思ってしまうわけです。

とりあえず、今の待遇に不満があるなら自分から改善に向けて行動するということをしてみてもらいたいものです。

2017-08-19

なぜ自分が生まれてくる世の中の方がよくなると無条件に信じられるのか

重度心臓患者で、幼児期の手術で一命をとりとめた。

せっかく助かった命だが、俺が生まれた時に親はまだ30代前半で、もう一人産もうと思えば産める年齢だったが、俺が病気で生まれたことで、俺は一人っ子になった。

そして、俺には大した才能もないようだ。俺の病気遺伝しない。

計算してみよう。俺が生まれてきた事で、社会は重度心臓患者を一人ゲットした。

しかし、俺が幼児期に死んでいれば、親はもう一人子供を作って、その子は99%以上の確率で健常者であっただろうから社会は健常者を0.99人ゲットできたはずだ。

どう考えても、これは、俺が生まれてこない方が社会プラスになったのではなかろうか。

なぜ、世の中の人は、自分が生まれてくる世の中の方が無条件に良くなると信じられるのか。そうやって無条件に信じるのは、傲慢ではないのか。あなた物心付く前に死んでいた方が、社会は少し良くなったかもしれないのに、なぜ、エビデンス理由付けもなく、自分は生きていて当然みたいな顔をしているのか。それが腹が立つ。

自分が死んでいた方が少しは良い社会になったはずだと確実に信じられる私みたいな事情があれば、生まれた罪を自覚するのではないか。生まれてこない方がよかったのに生まれてきてしまった罪を持っている人は、私だけではないはずなのに、なぜ、正しい罪悪感を持って生きているのが私だけなのか。それが納得がいかない。

健常者の中にも、生まれてこない方が社会が良くなった可能性があるのにもかかわらず、生まれてきてしまった罪人がいるはずだ。なぜ、罪人としての自覚を持って生きる人がこれほど少ないのか。なぜ、自分が罪人である理解している人がこれほど少ないのか。なぜ、社会は私だけを罪人扱いして、健常者を罪人扱いしないのか。健常者の中にも、罪人がいるはずなのに。

私は生まれながらの罪人であることに自覚的に生きてきたし、そのための償いも社会に十分して、働いて還元してきたはずだ。私は生まれた罪を償った。もっと、生まれながらの罪人を探し出して、引っ張り出して、働かせて罪を償わせる仕組みを社会実装していかなければならない。

まれながらの罪人を探し出して、引っ張り出して働かせて社会に貢献させることこそ、正義だ。私が苦しむのは正義。これを読む、生まれながらの罪を持たない無垢な人が私を苦しめるのも正義無垢なのに私を苦しめないのは不正義だし、生まれながらの罪人なのに罪を償わないのも不正義だ。私を苦しめない大多数の人間不正義だ。

2017-08-17

ものが居て、のけものが居た

上野動物園

オオカミケージの前にいて、オオカミがうろうろしてるのを眺めていたら、

男2女2くらいのリア充グループがいて。

男「なんでウロウロしてんの」

女「えーでぃーえっちでぃーじゃないの」

男「あー。多動なんだ」

彼らの口調には若干の草が生えていた。

僕はあのとき地雷踏んでますよ」って言ってやったほうが正しかったと思う。後悔。

まあ、一般人の認識ってこんな程度ですよね。雑談自然差別発言が出てくる。

Google業務上メールでもないし、大学論文でもない、なんら公共性のない、

ごく個人的な内輪での会話なので、咎められることは無いローカルプライベートな会話でしょう。

リア充というか、一般人って、怖いな。って。

悪気は無いとは思うんですよね。ただ無知なだけで。知らないだけで。無垢なんですよ。

暇な手持ち無沙汰で、ふと無意識にアリの巣を水攻めにして命を弄んでいるような。

次はカップルの会話。

売店で、彼のほうがハシビロコウぬいぐるみか何かを衝動買いした様子。

「数年前まではハシビロコウのグッズこんなになかったよね」

「まあ、人気が出たのかなー」

オタク気持ちちょっとわかったわー」

うん、人間扱いされてないですね。

昔、秋葉原がいまほど小奇麗になっていなかった頃、動物園動物を観察するような態度で

一般人秋葉原へやってきてオタクを観察して指差して笑うことに憤慨する、

みたいな時期が少しあったのを思い出した。

まあ、一般人の認識ってこんな程度ですよね。雑談自然差別発言が出てくる。

こういうのがあるから一般的な人たちの雑談が耳に入ってしまう場」が怖くなるのだ、出かけたくなくなるのだ、と気づきを得た。

Facebookとか、動物園とか、遊園地とか、パークが危険なのだ


動物園には、けものが居て、のけものが居た。

それはぼくだった。

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