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はてなキーワード: 高校生とは

2023-06-03

anond:20230603134554

あなたなんjに入り浸ってる高校生レベル投稿しかできないのは多分若いからなんだろうし狂ってるのは最近ではなく学生時代からでは…

おもしろFLASH倉庫小学校で見た

小学校3年生くらいのころか…学校パソコン教育がはじまった。

教師ヤフーきっずのサイトの使い方とかデジカメ写真の取り込み方とかパワポのようなものを教えてくれたと思う。

授業中に生徒の画面を見てた記憶はない。見られてたのかもしれないが解像度が今ほど良くないので目が悪かったら何が表示されてるのか分からなかったかもしれない。

生徒の中には教師よりインターネットにくわしいやつが居た。

というか教師そもそもインターネットに詳しくないのか…マニュアル確立されてなかったのかもしれない。

当然のようにおもしろFLASH倉庫流行った。

パソコン室が使える時間は早く集まったり遅く残ったりして、みんな好きにインターネットを見ていた。

タイピング練習orおもしろFLASH倉庫だった。

北朝鮮ミサイル飛ばしドラえもんが変な歌をうたう。赤い部屋で騒ぐ。

そんな子どもたちも大人になった。

そろそろ小中学生なる子供を持つ同級生もでてくるころなのだが、みなスマホをどこまで許容するか悩んでいる。

自分たち中学生のころには殆ど同級生フィルタリングなしのガラケーを持っていた。

学校掲示板もあった(幸いなことに流行ってなかったが)

違法視聴ハルヒを見て、けいおん流行った高校生ごろには音楽違法ダウンロードもあったし個人ホームページミニブログなど)も備えていた。彼氏との半裸写真を載せてる先輩もいた。

高校パソコン授業ではOfficeネットマナーを学んだ。

掲示板本名でやれ」という教えを今も忘れることが出来ない。

ニコニコには性行為動画が上がっていたり、YouTubeにはテレビ番組普通にあがっていた。

mixiの裏でこっそりTwitterをする人も出てきた。その頃ははてな匿名ダイアリーなんか一切やってない。なにそれ。

自分たちはそうやって育ってきた。

ネットの怖さはよく見てきた。顔と名前を出してTikTokちょっと遠慮するという価値観がまだある世代だ。

そんな奴らがこどもに、どんな顔で一部のサービスネット遮断できると言うのか。

あの頃の自分たちはそんなことを言われて、生きてる心地がしたのだろうか。

親は不良だった過去をすべて隠してSNSをやるなと言うしか無いのはわかる。本当にSNSはやらないほうがいい。あの頃とリスクが段違いなのだ

でも学べたことは沢山あったのだ…。

インターネットでの学びはすべて自発的な学びだったから今仕事で役立ったりもする。大人になってSNS炎上しない方法も知ってる。本当に大事だ。

それを子どもから奪えというのか。

いやでも…そうするしか無いのだろう。

時代は令和。平成初期生まれとは違うのだ。

絶対はてな匿名ダイアリーだけは子どもから避けなければならない。

フィルタリングサイトに設定しとこう。

大嫌いな八月に恋をする


昔のことに整理がついた。いつもお世話になっているはてなで語りたい。

ちょっと長くなるけどごめん。ピュア気持ちが赤裸々に表現されているなんてことはないので安心してほしい。若かりし頃の日記を見ながら書いている。

かつては花の高校生だった。今はすっかりアラサーが身に付いている。

地元の小中学校卒業してからは、家からキロほど離れた高校に通っていた。進学理由は、そう、友達三人がその高校を志望していたから。制服もかわいかった。だから私も志望した。今思えばその程度の理由だけど、自分には大事なことだった。

偏差値が高い学校ではなくて、みんな専門学校かに行く感じの、ごく平凡な高校だった。同じクラス大学に進んだ子は5人もいない。そんな中で、晴れて高校生になった私は、コンビニアルバイトに挑戦することにした。同じクラス女子アルバイトをしている子は少なかった。早く大人になりたかったのもある。

七月の始めだった。近所のセブンイレブンに応募した。夏は暑くて元気が出ないから嫌いで、新しいことを始めたくはなかった。けど、上の友達の一人がどうしても同じお店がいい!! というので、一緒に挑んでみることにした。

60才ほどのお爺さんがオーナーで、二人一緒に面接を受けたのを憶えている。パイプ椅子に座って面接を受けた。それで、志望動機を聞かれて、私は「社会勉強したいです」と言った。お小遣いが欲しかったのが本当だけど、別に嘘はついていない。

友達のMちゃんは、「タウンページを見て応募しました!!」と言っていた。「タウンワークのこと?」とオーナーに問い返されて、隣の部屋の大学生達が大笑いしていた。ほかにも同じくらいの時期にアルバイトで入った子達がいた。



八月頃だった。働いていて、ある男性に気が付いたのは。

その人は、がっしりした体形で、作業服を着ていた。あまり汚れはない。夏頃は薄い緑の作業服で、冬になると白い作業服の下からワイシャツネクタイが覗いていた(作業服の下にワイシャツを着ている人がいるよね。わかるかな…? 建設コンサルタントみたいな)。黒いカバンを持っていて、手のひら大のキイロイトリストラップひとつ付いていた。

ある時だった。その人のレジを受けたのが何度目かの時だ。私がいるレジの前に来た時、「こんにちは」と声をかけてきた。その時、私はどうすればいいかからなかった。ひとまず「こんにちは」と返して、何点かの食料品バーコードを読み取っていった。

レジ袋を渡す際、少しだけ手が触れた。変な感じがして手を引っ込めた。

その後も、その人は週に1,2回は私のいるレジに来た。その度に、「こんにちは」や「こんばんは」と挨拶をする。私は黙ってることにしていた。挨拶は返さない。マニュアルにないのもあるけど、なんだか変な感じがした。

ほかのアルバイトの子は、みんな「落ち着いてる」とか「男らしい」とか言っていて、でも私にはわからなかった。嫌な人じゃないとは思っていた。

その人のことをMちゃんに話してみた。すると、Mちゃんも同じように挨拶されているとのこと。そういう人みたいだった。彼女は、ちゃんと男の人に挨拶を返していた。何度か見たことがある。Mちゃんと一緒のシフトになることは珍しかったけど、作業服男性(当時の苗字を取ってKさんにする)に「こんにちは」と挨拶されると、「こんにちはー!!」と元気に返していた。

Mちゃんは人気があった。はつらつとしたキャラクターの子だった。30才になった今でもかわいい。異性にモテる子で、小柄で明るくて元気だった。不細工ではない。本当にいい子だった。



八月の終わり頃だった。生まれて初めて美容院に行った。当時実家には、両親と私と弟がいたんだけど、毎回千円カットだった。弟はスポーツ刈りで、私は簡単なボブカットだった。Mちゃん小学校の時から美容院に連れて行ってもらっていて、うらやましいと思っていた。

で、私も晴れて、初めてもらったお給料美容院に行ってみた。当時の私は物を知らない子だった。美容院にかかる料金も知らなかった。恥ずかしくて友達に聞くこともできなかった……。

入口では綺麗な人がこっちに来て、「初めてですか?」と聞かれた。緊張しながら「カットお願いします。ブローなしで」と言った。Mちゃん受け売りだった。「シャンプーしますか?」と問い返されたので、「お願いします」と伝えた。

こうして私は、まるで違う人になったみたいなショートヘアを手に入れた。料金はシャンプー込みで五千円だった。

それで、次の土曜の昼にコンビニレジをしているとKさんがやってきた。彼の順番がくると、「ん!?」という声が店内に響いた(はずだ。さすがに記憶あいまい)。ちょっとびっくりした。

増田さん、髪切った?」

どうしようかと思った。まだ、親以外の誰からコメントをもらっていない。なんだか怖くなって、「はい……切りました」って小さい声で答えた。そうしたら、

「似合ってるね!!」

と、Kさんは言うのだ。自信満々の目つきで。

あの頃は、Kさん特殊な人だと思っていた。まだ16年しか生きてなかったけど、彼のような人を見たことはなかった。でもその時、理由がわかった気がした。彼を特殊だと感じた理由が。

瞳だ。力強かった。当時、私と同じクラス男子はもちろん、周りの大人や、教師でさえあんな瞳の人はいなかった。Kさん目力ダントツだった。

ありがとうございます…」

途切れ途切れだったと思う。恥ずかしいけど、嬉しかった。レジの中で私は小さくなっていた。心臓の音が大きくなってきて、震える手でKさんが選んだ商品を読み込んでいた。お釣りを返す時に、緊張のあまり10円玉を床に落としてしまった。急いで拾って、拭くのも忘れて返した。



土日のどちらかで、Kさん接客をすることが多かった。

別に、その人に会うためでは全くない。そんなことは全然ない。ただ、雇用契約書を交わす時のオーナーとの約束で、「平日は2日と、土日のどちらかにシフトに入る。お盆正月シフトに入る。試験間中休み」という約束を守っていただけ。

月に何度か、Kさんは話しかけてきた。他愛のない話で、10秒くらいで終わる。ほかの話しかけてくる男の人と違って、こちらが返しやすい問いかけや、共感を呼びかける言葉が多かった(雨が多いね、名札が曲がってる、ゴキブリ死体が落ちてる、会計金額が2000円ぴったりとか)。

和やかな日々が続いていた。学校勉強は難しくなかった。偏差値が高くないところだった。風紀が乱れているとか、そういうことはなかったけど。制服を着崩す人は少ないし、部活動をやってる人もたくさんいた。女の子可愛い、ということで有名な広島県東部公立高校だった。思い出話が多くなってごめん。こんな時しか話せる機会がないので許してほしい。

その年の冬だった。放課後にMちゃんから相談を受けた。夕日が教室を照らしている時間帯で、ほんのりとまぶしかった。Mちゃんと一緒にやっている文化部活動が終わった後だった。彼女自分の机に座っていて、私は自分椅子をそこに移動させていた。

Mちゃんカバンの中から取り出したのは、手紙だった。薄い青色封筒だったと記憶している。小さい便せん2枚に渡って手紙が添えられていた。

「これ、あの人からもらった」

とMちゃんが言った。Kさんのことだ。話を聞くと、一昨日の夜にKさんコンビニに買い物に来て、帰り際にMちゃんに渡したという。それで、Mちゃんは受け取った。

もやもやとしていた。何かが燃える感じが、ぶすぶすと胸の奥から込み上げてくる。あの時、私の表情は歪んでいたかもしれない。へんな感情だった。心臓から血管へと、血液が流れ出ている感じがわかって、心臓から流れ出たその血が体の中を巡っていった。そういう感覚があった。

増田さん。これどうすればいい?」

「あー、はいはい。うん。すごいね。知らんよ。好きにすれば」

気持ち言葉で表すとこうなった。

そのまま席を立って、教室を出て、靴箱まで下りるところの階段で涙が込み上げてきた。別にKさんのことが好きなわけじゃなかった。当時、私に「付き合ってよ」と告白してくる男子もいた。Kさんはただのお客さんだった。何の感情もない。本当だ。

今思うと、わかる。女として負けたのだ。Mちゃんに。だから気分がもやもやした。当時は「女としての負け」という考え方はなかった。でも、心の中で感じていたのは、まさにそれだった。

コンビニを休むようになった。それまでは試験間中しか休んでなかったけど、行く気がしなくなっていた。休んでいる間は、別に普通だった。学校は楽しかったし、部活は週に二回しかなかったし、それ以外の日はまっすぐ家に帰っていたし、稼いで貯めたお金好きな音楽漫画雑誌に使っていた。

美容院には通い続けていた。三ヶ月に一度。何度もお風呂で髪を洗っていると、セットしてもらった髪がシワシワになる。そうなったら行くことにしていた。周りのおしゃれな子に合わせて、大人の女性が読むような本も買った。



高二の梅雨時だった。Mちゃんコンビニを辞めると聞いたのは。マクドで、同じ中学出身のみんなで騒いでいる時にMちゃんがそんなことを言った。別に理由はないらしい。

そんなことはないはずだ。だって、冬頃からMちゃんは太りだしていた。以前はスラっとしてこぢんまりしていたのに、今ではすっかり丸くなっていた。お腹が出ていて、制服を着ていても目立つ。以前はハムスターだったのに、今はチンチラだった。

Mちゃんが「オーナーが困ってるよ」と私に言った。ほかにも欠員が出て苦しいらしい。もう何ヶ月も休んだし、そろそろ出てみることにした。

Kさんは、やっぱり週に何度か来店していた。冷凍食品ホットスナック炭酸水ビールを買っていく。最初は「久しぶりだね」と聞いてきたので、「はいお久しぶりです!」と作り笑いを返した。

昨年入った高校生は、みんな辞めていた。先輩の大学生やパートさんに聞いてみたけど、そんなものらしい。オーナーは「働くという行為に耐性がつく子が少ない」「もっと楽なアルバイトを探す子も多い」と愚痴をこぼしていた。

それからKさんと話す頻度が増えていった。前よりも話すのが楽しくなっていた。Mちゃんが辞めて気分が楽になったのも正直ある。

その夏だった。一度、ファッションカラーというのをしてみたかった。夏休み限定で。完全に金髪にするんじゃなくて、線状にスッと部分的に染めるのをしてみたかった。

馴染みになった美容院に行って、当時流行っていたロングヘアの横髪の方に金色ラインを入れるのをやってもらった。後ろの毛先もちょっと染めた。

次の日、コンビニレジを受けているとKさんが入ってきた。土曜日で、ジーンズTシャツラフな格好だった気がする。

増田さん、今日どうしたの。金色じゃん」

はい。変えました」

「うん、うん。変わってるね」

「どーですか?」

「似合ってるね!」

この時、息がしにくくなって、左手を前に出して2,3回すばやく振った。小さい声で会計金額を告げて、お札を受け取って釣銭を取ろうとしたところで、また落としてしまった。お釣りを拾う時、休日だったので当たり前だけど、Kさんカバンを持ってないことに気が付いた。キイロイトリ(リラックマ…)のストラップを思い浮かべて彼の前に立った。

Mちゃん気持ちがわかったかもしれなかった。何も言わずにお釣りを返した。Kさんはほんのり笑っていた。2023年の今と違ってマスクをしていない。朗らかな笑顔だった。懐かしい。

でも、怖い時もあった。同じ年のことだったけど、私は中年のお客さんに怒られていた。声が聞き取りにくくて、タバコ選びに二度も失敗したからだ。Kさんレジの三番目に並ぼうとしていた。

ずっと怒られ続けていて、ようやく終わるかと思ったけど、やっぱりまだ続いていた。すると、Kさんが割って入ってきた。「すいません。あと二名ほど並んでるんですが」とフォローしてくれた。

でも、その中年のお客さんはキレてしまった。「兄さんは関係なかろうが。おい!!」とヒートアップしてた。「関係あるでしょ」とKさんが返していた。

かに店員もいなくて、話のやり合い(ほとんど平行線)が続いている中、いきなりだった。Kさんが「あぁ!!?」と怒鳴ったのだ。彼はおじさんにこんなことを言っていた。

「さっきからお前、つまらんことをグチグチグチグチと……俺はのう、お前に手を出そうとするんを、ずっと我慢しとるんやぞ!!」

「……兄さん警察呼ぶよ」

「呼べ!!」

「……」

おじさんが退散すると、Kさんバツが悪そうにしていた。ほかの子応援に来たので、私は向こうのレジに行った。



もうすぐ高3になる頃だった。変化があったのは。

Kさん手紙をもらった。夜9時くらいで、お客さんもほかの店員も誰もいなかった。会計を終えた後で、「増田さん、増田さん」と声をかけてきて、カバンの中から手紙を取り出した。

何も言わずに受け取って、家に帰って読んでみた。以下内容。

増田さんはよく動いていてすごいと思う

・どんな人なのか知りたい、食事に行きたい

・今年中に引っ越すのでその前に

・興味があるならメールがほしい

・興味がない場合は返信はいらない

当時は彼氏がいた。初めての彼氏だった。同じ学校で、お調子タイプ男子だった。

そこまで好きではなかったけど、告白されて悪い気はしなかったし、嫌な人でもないから付き合っていた。クラスの中でも悪い立ち位置の子じゃなかったのもある。

ある夜、その彼氏Kさんとを心の中で比べてみた。別に、どちらがいいとか結論は出なかった。いや、見た目も中味もKさん圧勝なんだけど、今の彼を嫌いにはなれなかった。それで、交際中の人がいる以上は、Kさんに何も答えない方がいいなって思った。

もし仮にKさんと会ってみて、一緒にご飯を食べて、もし仮に告白とかされて、付き合いはじめたとしても・・・・・・すぐにフラれるだろうなって、ベッドの中で思った。

Kさん雰囲気が優しそうで、見た目も悪くない人だった。ほかのアルバイトの子も皆格好いいって言ってた。自分相手にされない、付き合ってもすぐに幻滅されると思った。



高3に上がってからも、これまでどおりKさんとの関係が続いた。私のいるレジに並んで、たまに会話をする。天気の話が多かった。あとは、私のメイクとか、髪型とかが変わった時は気づいてくれた。ほかのお客さんがいない時に限って会話をしていた(迷惑になるから?)。

当時、高校を出た後の進路は美容専門学校を考えていた。そこまで大した志じゃない。高校入学した頃は、見た目が『じゃが芋』だった私も、メイクファッションを覚えてだいぶましになっていた。『メインクーン』になっていた。

自分でいうのはどうかと思うけど、本当に私は変わったのだ。高1の時の写真と高3の時の写真を比べると、じゃが芋から進化した存在になっていた。別人みたいだった。

その年の秋になると、第一志望の専門学校に入るために、コンビニの隣にある地域集会所で毎日勉強していた。いつも親が仕事帰りに迎えにきてくれる。当然Kさんと会うことはできず、悶々とした気分になった。

入学試験ちょっと前だった。集会所を出て、お腹がすいていてコンビニに何かを買いに行こうとしていた。すると、ちょうどKさんがお店から出てきたところだった。自転車に乗ろうとしていて、コンビニ駐車場に入った私を呼び止めた。

お疲れ様です」と声をかけてきて、私も「お疲れ様です」と返した。「今日寒いね」には、「本当寒いですね」と返した。「元気そうでよかった」には、「はいめっちゃ元気です!」と返した。泣きそうだった。嬉しかった。

その時、Kさんが「増田さん。俺、今日最後なんだ」と手短かに言った。「今週末に引っ越す。今日コンビニ最後から。じゃあ、元気で」と、Kさん自転車に乗った。

私が「こちらこそ、ありがとうございました」って言うと、「増田さんはい社会人になると思う。もし、大人になってどこかで会うことがあったら何か奢る。約束な」って、自転車に乗って私の家とは反対方向に駆けていった。



あれから十年以上が経った。今は結婚二年目で、生活に慣れてきた頃だ。子どもはまだいない。そろそろ社会人として復帰しようかと考えている。コンビニで働こうか、それとも昔いた会社契約社員ポジションを探そうか思案している。

実は、あの別れの日から数年後にKさんに会うことがあった。当時の私は、美容専門学校卒業した後、都会の方で美容とは関係のない仕事に就いていた。求人情報誌への掲載営業で、とある喫茶店に出入りしてたんだけど、ある日そこでKさんサンドイッチを食べているのを見た。その時は、作業服じゃなくてスーツだった。後日聞いたところだと、会社からの出向で政令指定都市に赴任しているとのこと。

お久しぶりです。元気でした?」と声をかけてみたけど、Kさんちょっと悩んだ様子だった。かくいう私もメイクが濃すぎたし、髪も長くなっていたから、気づくのに時間がかかったみたいだ。向こうも驚いてたっけ。やっぱり優しそうな雰囲気で、笑顔がまぶしかった。あの日約束どおり、後日ご飯をおごってもらった。

この日記を書こうと思ったきっかけは、早朝に旦那を送り出した後で、昔の自分を思い出したからだ。玄関で、旦那カバンに付いているぬいぐるみストラップを眺めていて、思うところがあった。

とりとめのない内容だったけど、以上になる。最後まで読んでくれた方がいたらうれしいな。

小学生高校生英語勉強の仕方を同じにしてはいけない

タイトルのまんまなんだが、これを知らずにそのままスライドして教えてる人がいるから困ったもんだ。

もちろん、人によってはそのままの方が理解できる子もいる。しかし、ダメだったときに別の方法を知っていた方がいい。

まず、みんなが英語勉強想像やすいのは高校生のやり方だ。これは、抽象的な知識をもとにする方法だ。英語にはこういうルールがある。だから、このルールを応用すると、英文が読めるというものだ。演繹だと考えると分かりやすい。

こんな感じで高校生と同じように小学生も教えてないだろうか。実はこのやり方が人によっては合わないことがあるのだ。

小学生は脳が発達段階だから抽象能力が人それそれなのだ。だからルールがこうだから、このように応用するという方法は人によっては合わないのだ。

ではどうするか。逆のことをしたらいい。帰納的に英語を学ばせたらいい。大量に英語与えたらいいのだ。すると感覚英語理解することができるようになる。それで抽象能力が発達したら、中学高校理論を学べば良い。

こんな方法があるなら学校でやればいいじゃないかと思うかもしれないが、それは無理。時間があまりにも足りない。この方法はようは私たち日本語を学ぶプロセスに似ている。だから、かなり時間が足りないのだ。

最近中学高校文法をしっかり教えないという話を聞いたことがないだろうか。実は、学校では帰納的な学びかたにシフトしつつある。

でも結果はどうか。大失敗している。そんなの当たり前で、時間が足りないか中途半端になっているのだ。

文法を教えるというのは限られた時間の中で英語勉強することにおいては最適の方法だ。しかも、中高生なら抽象能力も発達している人が多いから、理解もできる。だから学校文法をしっかり教えるのは、良いことだと個人的に思っている。

今の学校文法をあまり教えず、中途半端な量の英語を読ませてるだけだから、どっち付かずの状態なのだ

よく文法やるやらない派が喧嘩しているが、そんなのどっちでも良い。どっちも英語ができるようになるし。ただ、時間という制約を考えると文法を学ぶのが良いってこと。

飲食チェーン店で働いていた頃の思い出


ちょっと話してみたい。昔の話だ。

若い頃、都内繁華街にある飲食チェーンで店長職を務めていた。今はもう会社を辞めて実家に帰り、細々と親の仕事を手伝ってる。農業を営んでるから食料品という意味では繋がってる。

あの頃はまだ30代半ばで、男が乗っている時期だった。心も体も無理がきいて、若者の考えもなんとか理解できて。懐かしいなぁ。今では50代が近づきつつある。

守秘義務とか一応あるから、どこの飲食チェーンかは言わない。読んでるうちにわかるかもしれないが。できればそっとしておいてほしい。

何の話をしようか迷ったが、『人』の話がいいだろう。何人かに絞って話がしたい。皆、よくも悪くも思い入れがある。三人だけ挙げよう。



1人目 スダ君

 もちろん仮名だ。雰囲気で名付けている。背は低めだったかな。危なっかしいけど、素直な子だった。だが、ある事件を機に店を辞めてしまった。

 大学二年生で、MARCHクラス大学に通っていた。やんごとなき方々が通いそうな大学名だった。私は専門学校出なので、大学生と聞いただけで眩しい感じがした。

 彼は夕方~夜のメンバーだった。クローズまで残ることもあった。ところで、ある従業員I氏との折り合いが悪く、さらにスダ君が好きだった女子店員TさんがI氏と交際していることもあってか、勤務中に不安定な感じになることがあった。若さというものだ。

 閉店作業中にI氏と諍いになることがあったらしい。マネージャークラスアルバイト従業員場合、連絡日誌を付けるのだが、そういう報告をみかけた。

 実際、迷ったものだ。I氏は当時、二十代前半のフリーターで、付き合っていたTさん大学四年生だった。I氏はほかの女子アルバイトにも手を出していた。時には、新人クルーを無理やり自分ビッグスクーターに載せて、当店の近くにあるラブホテル直行することもあった。

相関図

I氏 ⇔ Tさん ← スダ君

ほかの女子数人(身体目的)

 当時は2000年代の半ばだった。男のそういう行為甲斐性のひとつとされた時代だ。迷惑行為ではあったが、相当の戦力だったため目を瞑らざるを得なかった。

 ある年の秋、閉店数時間前だった。いつもだと、店の目の前にある事務所シフトを作ることが多いのだが、この日ばかりは実店舗で指揮を取っていた。どんな時間帯にもインして、店舗運営状況を確かめねば……という意識もあったが、正直この日は気分だった。

 夜9時頃、スダ君がお店にインしてきた。この日は3時間半のシフトだ。だが、様子がおかしい。足早にタイムカードを切ったかと思うと、店の奥にあるシンクに手をかけてうずくまるように立っていた。

 ほかのアルバイトも「様子がおかしいのでは?」と察していた。私は、スダ君と仲のいい大学ふたり事情聴くように指示した。こういう時はこれでいい。私が聞いても真実を答える保証はない。聞き取りするとしたら彼らの後だ。

 大学ふたりが聞き取ったところによると、スダ君が事務所に入った時、こんなことがあったらしい。

事務所の休憩室で、I氏とTさんが半裸でセックスをしていた

・運悪く、スダ君が入ってきた音に気が付かずに目撃することとなった

過去にもスダ君の目線からみてそうなのでは、と思うことがあった

 これには悩んだ。どう対処すればいいのか。店を預かる者としては判断に迷うところだ。というのも、I氏もTさんも、はっきりいって当店の最高戦力(I氏はマネージャークラスTさん接客専門職クラス)であり、辞めてもらっては困る。困るのだ。ただでさえ人手不足なのに。

 本来免職処分とすべきだ。事務所本来目的以外に使うな、とは言わない。待機時間学校での課題を片付けたり、シフトを上がった後にお喋りをするとか、そういう使い方をしてもいい。少しくらいは。

 ただ、過去においては、休憩室で飲み会を催していたクルー3名をまとめて免職処分したことがある。線引きが難しい。

 結局、I氏もTさんも当店に残すことにした。I氏は「次やったら辞めさすぞ」と何度もクギを差したうえで、出勤停止処分とした。Tさんは、大学卒業まで残り数か月だったのもあり、比較的温情のある処分をした。※思惑までは書かない。自分なりにバランスを取ったつもりだ。

 スダ君には、「人生いろいろあるけど挫けてはいけない」「あなたはひたむきだから。きっと報われる時がくる」など精一杯フォローしたものの、冬になるまでには店を辞めて、同系列チェーン店移籍した。確か、そこの店長から電話があって、「面接に来たけど、彼どんな子?」と聞かれたから、「ひたむきでいい子です。ちょっと心が弱いところもありますね。でも、戦力になりますよ」と答えた。今でいうリファラル採用だった。

 それから一年後、あの時スダ君から聞き取りをしてくれた大学から連絡があった。スダ君が、移籍した先の系列店でマネージャークラスランクアップしたという。私もその店に行ってみたところ、確かにスダ君がいた。社員と同じ服装でキビキビと働いていた。あの頃とは雰囲気が違う。人間として成長したのだ。

 それからすぐ、私も遠方の店に異動になってしまって、スダ君を見ることはなくなった。今はどんな人間に成長しているのだろう。いい男になっているだろうか。そんな未来を願っている。



2人目 フナモトさん

 この子は、いわゆるプレーヤータイプ極致だった。ほかの繁盛店から移籍してきた子で、クルーとしての実力は折り紙付きだった。POSでの接客もキビキビとこなすし、サービスレベルは最低限以上だし、料理を作るオペレーション作業も人並み以上にできた。

 どんな分野でもマルチ活躍できる子だった……ただし、現場作業に限っての話ではあるが。残念ながら、性格であるとか、人格であるとか、気質であるとか、そういうところに問題のある子だった。

 話は逸れるが、圧倒的美人だった。街を歩いていたら男は皆振り返るし、雑誌モデルをしていたとして不思議ではない。そういうルックスの子だった。

 ただやはり、性格に難があった。気に入らないクルー雑談を振られても冷たい態度を取ったり、無視することがあった。相手のことをミカンの皮くらいにしか思っていないのだ。

 ある時だったか、フナモトさんの接客現場でこんなことがあった(※当時は、女子厨房に入る子は極端に少なかった)。母親子どもふたりレジに並んでいて、子どもおもちゃ付きセットの説明を求めた。店内のカウンター横には、おもちゃの反則セットが豪勢に飾ってあった。※フナモトさんmaidになる。

 だが、彼女は冷たい様子で「ポケモンです。種類はこちから」とメニューを指さすだけだった。そのお子さんが十秒ほど迷っていたところ、フナモトさんがローファーの先でコーヒーシロップストローが入ったラックを何度も蹴り飛ばすのが見えた。

 またある時などは、夜の店内におばあさんがテイクアウトの注文後、「お水を持ち帰りでくれませんか」と言ってきた。フナモトさんはマニュアルどおり「お水は持ち帰りができません」(※衛生管理上の問題。お客の家で水が品質劣化した場合など)と答えたところ、おばあさんは「車にいる孫が薬を飲むので……水がほしいんです」とのこと。

 さて、こういう時はどうすべきか。一応、会社マニュアルには、接客については「ルールに準じつつも、自分らしい接客スタイルを求めてください。お客様のためになる接客を。迷った時はマネージャーに指示を仰ぎましょう」といったことが書いてある。

 フナモトさんはおばあさんに告げた。「その子カウンターまで来るなら用意できます」と。なるほど、機転が利いている。おばあさんが了承したところ、フナモトさんが水を用意してカウンターの前にいるおばあさんに水を届けた。

 しかし、おばあさんは水を取って、そのまま車に戻ろうとしたのだ。フナモトさんが一瞬早かった。おばあさんの二の腕を掴んで、水泥棒をガードしたのだ。

船「ダメっていいましたよね!?」

婆「いいでしょ。やめて!」

船「ダメって言ったよな、おい!?」

婆「ちょっと!」

船「おい!! ……お廻りさん呼びましょーか?」

婆「……」

 さすがに堪忍したのか、おばあさんは諦めて外の渋谷通りに留めてあった車に歩いていった。私はその様子を観ていたけど、どっちもどっちだと感じた。フナモトさんはお客様ファーストではなかったし、おばあさんにしてもジュースを買えばよかっただけのことだ。別に水でなくてもよかった。

 私だったら、「本来は衛生管理上の問題があり認められませんが、今回はお薬の事情があるということで持ち帰りを認めます」と言っていただろう。マニュアルに反する行為ではあるが、これなら上の人間が観ていたとしても申し開きできる。

 三つ目になるが、フナモトさんが専門学校卒業する半年前のことだ。店内のポジションを替わりたいという要望があった。弊社では、漢字表記だと接客専門職とでもいうべきランクがあり、それに選ばれるとお洒落制服を着ることができる。昔懐かしい、アンナミラーズ制服ちょっと似ている。

 だが、それはフナモトさんのわがままに過ぎなかった。本人から理由を聞いたところ、「可愛い制服から最後に着てから卒店したい」とのことだった。当然却下したのだが、それに激昂したフナモトさんは「だったら店を辞めます!!」と宣言して、マネージャールームパイプ椅子を立った。そのまま事務所を出て行き、二度と連絡してくることはなかった。残りのシフトはバックれてしまった……。

 約二週間後、別の系列から「フナモトさんという子が面接に来ているけど、どんな子ですか?」という問い合わせがあった。ちょっと迷った挙句に、こんなことを答えたかな。

「一本筋が通った子です。いい方に働くこともあれば、そうでないこともあります

 と告げた。嘘は言っていない。確かに嫌な別れ方はしたけれども、かつての仲間だ。応援はしたい。少なくとも、ほかの店への移籍妨害したくない。

 人格者じみたことを書いたけれども、保身のためでもあった。フナモトさんとは過去に二度、ホテルに行ったことがある。お店の公式飲み会があると、私はいつも若い子だけの方がいいだろうと思って(一万円を置いて)早めに帰るのだが、その時は最後の方まで残っていた。

 宴も酣(takenawa)ということになって、二次会に行こうと幹事が言い出した後で、フナモトさんと帰り道が一緒になり、いろいろ話すうちに飲み直そうということになった。私はまだ三十代だったので、いろいろと抑えることができなかった。

 フナモトさんの見た目はクールビューティといったところだが、いざ一緒に寝てみると情熱的なところがあった。やはり、体のいろいろな部分が柔らかかったのを憶えている。そういう体験が二度あった。

 それで、上の段で電話を受けた時は、フナモトさんが暴走したらよくないことになるのでは……!? という懸念があった。そうはならなくてよかった。

 思い返すと、これも懐かしい記憶だ。あの子は今も元気にしているだろうか。健やかであってほしい。



3人目 ワタベくん

 この子も鮮烈だった。当時は大学生。独得な雰囲気の子で、普段はボーっとしているかと思えば、厨房でのオペレーション中は熱気に満ち満ちていた。閉店時のクローズ作業も抜群に早かった。

 難点があるとすれば、マイペースなところや、人を怒らせる発言をするところや、常識のなさだった。ある時などは、冗談だと信じたかったが、早朝の開店作業中に「今日気合いを入れるためにビールを飲んできました!!」と宣言していた。

 今でいうところの、発達障害というやつだと思う。そうでないならパーソナリティ障害か。医師ではないので判断はできないが。

 さて、そのワタベ君だが、大学三年生のある時に「マネージャーになりたい」と言ってきた(※説明が遅れたが、正社員仕事をするアルバイトをいう)。確かに作業能力的には余裕でマネージャークラスだった。しかし、彼の発達障害的な言動は、他のアルバイト仲間の間では賛否両論だった。マイルールに対して過剰適応なところがあり、それが特に若い高校生クルーとの間に軋轢を生んでいた。

 当時のマネージャー全員に賛否を聞いたところ、半々ということになった。これは低い数値だ。普通は八割以上が賛成する。そして、ワタベ君本人に対して「貴君の意に添いかねる」という意思を告げたところ、なんと……彼は弾けた。バックレたのだ。

 フナモトさんと違って、自分シフトちゃんと消化していったが、店長である私に何も告げずに店を辞めた。ほかのアルバイト仲間には辞めることを伝えていたらしい。なんということでしょう……(劇的ビフォーアフター)。

 でも、これでよかったのだ。こういう極端な行動を取る人間管理者として相応しくない。彼がマネージャーになっていたとして、またどこかで軋轢を生んで誰かが店から消えてしまうような、そういう事態になっていたに違いない。

 それから、約七ヶ月が経った頃だった。なんと、ワタベ君がお店に戻りたいという(ほかのマネージャーから聞いた)。なんでも、そのマネージャーにワタベ君が電話をかけて「就職活動が終わったので店に戻りたい」という旨を伝えたらしい。

 これは、社会人でいうところの根回しに相当する行為だ。ワタベ君は成長したかもしれなかった。直球ストレートではなく、カーブを覚えた的な意味で。ワタベ君やるなぁ……。

 実際、この時期はとんでもない忙しさだった。スタッフの頭数があまりに少なく、基準に達していない人でも雇わざるを得ず、それがまた現在クルーとの摩擦を生むという悪循環だった。さすがの私も、相当な日数出勤することになった。時間外手当はゼロだった。名ばかり管理職というやつだ。

 話が逸れた。数日後、ワタベ君とマネージャールーム面談をしたところ、次のような意見があった。

・もうマネージャーになりたいとは思わない

・これまでは申し訳なかった

・週に四日以上必ずシフトに入る

 まあ、バックレではあるが、これからちゃんとするならいいだろうということで、ワタベ君を再雇用することにした。

 しかし、私が人を見る目がないのは皆様すでにお分かりのとおりだ。本当に見る目がない。この会社でも、最終的にはエリアマネージャー部長級)までは行けたのだが、そこでさらに上のクラス人達と揉めごと(本部クラスセクハラ関係)を起こしてしまい、最終的には理不尽降格処分店長に戻れ!!)を突きつけられ、会社を辞めることにした。

 さて。ワタベ君は普段はマジメだった。しかし、稀に凶悪な面を見せることがあった。ある日の早朝、お店の目の前に食品資材を搬入するトラックが停まっていた。ワタベ君は、せかせかと動いてトラックドライバーと協力し、荷台から野菜ジュースコーラシロップタンクPotatoを下ろし、店内に運んでいた。

 だがある時、見てしまった。トラックドライバーの目を盗んで、ワタベ君が野菜ジュースが50本ほど入ったビニル巻きの段ボールを――丸ごと盗んでいるのを。一瞬の早業だった。私でなければ見逃していたね。※一応、どうやって盗んだのかは伏せる。同様の行為を防ぐため。

 その時ほど、自らの人を見る目のなさを恨んだことはない。ワタベ君はすでに雇用三ヶ月目だったし、彼がいなければ深夜と早朝のシフトが回らない。困った事態だった。当時の私には、見て見ぬ振りしかできなかった。

 それから、ワタベ君は大学卒業まで店に在籍した。発達障害はやはりそのままで、ほかのアルバイト仲間との小競り合いが度々起こった。実は、ある時期から人手不足は解消していて、別にワタベ君には辞めてもらってもよくなっていた。クビにしようかと思ったことがある。しかし、性格や人柄が悪いとしか思えない彼が、多くのスタッフから嫌われながらも、一部のスタッフには懐かれているという現象を目の当たりにして思い留まった。

 なぜ、そんな判断をしたのか? 彼は本当に悪どい人間なのか、と思ったのもあるが――今風の言葉でいえば「多様性」だ。彼は確かに社会人以前に人として未熟なところが多くあった。だがしかし、一部の得意分野においては紛れもなく輝いていた。だったら、嫌なところには目を瞑ろう。それが当時の私の判断だった。

 風の噂だと、新卒時点での彼は、都内の某区役所地方公務員としてのキャリアスタートしたらしい。東京まれ東京育ちだから、やはり地元が一番ということだろう。彼も、元気でやっているといいのだが。



以上で終わりになる。

当時を振り返ってみて、間違いだったと思われる行動は多々ある。どれだけ後悔しても足りない。でも、それも人間だ。迷いながら進んでいくしかない。

ところで、満たされない心というのは、すごく大切だと思う。当時も今も、満足できる仕事をこなすというのは、とてもとても遠いことだと錯覚していた。

成長していくためには、これまでの自分を一人ずつ殺害していく必要があるのだと30代の頃は思っていた。朝が来るから起きるのです、みたいな当たり前のことだと思っていたけど、違うんだな。

人生が満たされなくても、自分自分なのだ理屈も何もない。ただ、それだけだ。だから店長として飲食チェーンで働いていた頃の失敗だらけの自分も、今では受け入れられる。そういう情けない私まで含めて私なのだ再確認できてよかった。

ここまで読んでくれてありがとう増田の皆さまの幸福を祈ってる。もし希望があれば、時間を空けて続きを書いてみたい。

都会のJKJD

放課後宮下公園にいる高校生見てたらジェラシーだわ

地方都市高校通ってたよ

放課後はもっぱら友達イオンモールだった

やっぱり都会の子なら勉強してもこういうメリットがあるのに田舎だとあんまりメリットがないね

当時も都内高校にいけるなら勉強してたけど地元嫌いだし地元高校しか行けないのなら努力しても無碍になるよなと思ってたけど

実際目の当たりにしたら本当にそんな気持ちになるとは

喪女SNSの思い出

もう20年近くも前だが、2ch喪女発祥喪女SNSというやつに登録していた。毎日日記投稿したりたまにオフ会したり遠征先で他地方喪女オフしたりして楽しかった。思いつくままに思い出を書き連ねてみる

 喪女たちの話

だいたいボリュームゾーン20代前半〜半ばくらいだった。大学生とか、会社員とか。高校生が数人いて、わしら成人からしたら「高校生で喪を名乗るのは早いんじゃない?」て感じだったが、高喪は高喪同士でスカイプとかオフして仲良くしてたみたい

 HNの話

すごい喪女っぽいHNの人が多かった!

実名出すわけにはいかないか説明難しいんだけど、「○○虫」とか、「喪○○」とか。

汚い名前や卑屈な感じの名前の人もいて、オフ会で呼びかけるときなんて呼んでいいかわかんなくて困ったw

 普通に可愛い子が多かった話

こういうこと言うと痛いオタクみたいだけど本当の話

そりゃアイドルみたいな子ばかりというわけではないが(中にはアイドルみたいな子もいた)、普通にオシャレしてメイクして彼氏がいそうな普通の子ばっかりだった

オフ会で「なんでみんな喪女っぽくない子ばっかりなんだろう?オシャレで可愛いし」みたいなこと言ったら、「本当に気にしてない人は自分喪女ということも気にしないからじゃない?」と言われて納得した記憶

 擬態の話

会社員喪女の方が言ってた話が印象に残ってるんだけど、会社女子とかで恋バナになったとき彼氏いたことないって言えないからなんとかしてごまかすらしい

その人は「ちょっと言いづらくて…」とか言って濁して不倫してた風の雰囲気を出してそれ以上突っ込みづらくさせて逃げるって言ってた

 クリスマスオフ会の話

クリスマスオフしよう!って大学生喪女3人が集まったんだけど、当日示し合わせたわけでもないのにみんなモテ服(当時のエビちゃんみたいなやつ)着て髪巻いてまるでデートみたいな扮装で来てワロタw

3人で新宿歩いてたら変なオッサンに「クリスマスなのに寂しいねえ!おじさんが3人まとめて面倒見ちゃうよ!」と絡まれ

 オタクの話

喪女オタクが多かった

日記とかでもアニメとか特撮とかの話が多かった

SNSマスターの人は非オタだったんだけど、あるときオタクSNSじゃないかオタク話ばかりしないでほしい」みたいに発言したことがあって、会員の中でも意見割れたんだよね

あれ結局どうなったんだっけ…

 脱喪の話

中には脱喪(卒喪)してSNSを退会する人もいた

日記で脱喪を宣言するとみんな「おめでとう!」ってコメントして送り出してくれる

小生も脱喪退会したんだけど、みんな元気かな…

 その他

その後知り合った男性喪女SNSやってたことあるって言ったら「オレも非モテSNSやってたよ!」って言われたことある

その非モテSNSでは男女が集まってオフ会して付き合ったりしてたらしい。チャラチャラしやがって!

俺らの喪女SNSは…喪女SNSもっと硬派なんだよ。女だけの楽園でした

追記 喪女定義について

当時、喪女板では「恋人いたことがない」「告白されたことがない」「セックスしたことがない」が喪女定義とされていました

「今は彼氏いないか喪女かも♪」みたいなヤツはネ喪(ネット喪女)として忌み嫌われていた…

2023-06-02

いうほど偏見か? anond:20230602184757

共働き夫婦育児に手を抜きがち→子どもがグレる」とかがあってすごい偏見あったけど

欧米でも仕事にフルコミットしているヤツは家庭をぶん投げてるヤツが多いぞ 

 

子ども『親の面倒なんかみたくね〜』

日本の子どもが親を尊敬しているのは調査最下位の37%で、
親の面倒なんかみたくないし、(強いて言えば)金は出してもいいけど他人に親の面倒を看て貰いたいし、
体の不自由な人、 お年寄りなどの手助けはしないし、弱い者いじめは見なかったことにするし、
なによりも自分自身のことをダメ人間だと思っている

 日本  米国  中国  韓国 
 親(保護者)をとても尊敬している  37.1%70.9%⭐️59.7%44.6%
 どんなことをしてでも自分で親の世話をしたい 37.9%51.9%87.7%⭐️57.2%
 親の経済的支援をするが、世話は家族他人に頼みたい 21.3%⭐️19.3%6.3%7.3%
 体の不自由な人、お年寄りなどの手助けをしたことがある 53.5%78.7%78.8%⭐️60.8%
 弱い者いじめケンカをやめさせたり、注意したことがある 27.2%63.2%⭐️54.2%50.5%
 私は人並みの能力があると思う 55.7%88.5%90.6%⭐️67.8%
 自分ダメ人間だと思うことがある  72.5%⭐️45.1%56.4%35.2%

 

 

子どもがいようがいまいが現実そもそも子どもと一緒に暮らしていないのがマジョリティである現実をしっかりと見つめてもろて

65歳以上の者のいる世帯数及び構成 令和元 (2019)  昭和55 (1980) 
 単身世帯  28.8% (7,369千世帯)⭐️10.7% (910世帯)
 夫婦のみの世帯 32.3% (8,270千世帯)⭐️16.2% (1,379千世帯)
 親と未婚の子のみの世帯 20%(5,118千世帯)10.5% (1,379千世帯)
 三世世帯 9.4% (2,404千世帯)50.1% (4,254千世帯)⭐️
 その他の世帯 9.5% (2,423千世帯)12.5% (1,062千世帯)
3 家族世帯|令和3年版高齢社会白書(全体版) - 内閣府

https://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2021/html/zenbun/s1_1_3.html

anond:20230602132854

高校生くらいからは欲しいなら止める必要はないだろう

子どもの話がよく耳に入るようになった。私の考え方の変化日記

今の私は結婚して子どもがいてもおかしくない年齢です。

中学生くらいの頃】

純粋子どもが好き。将来はお父さんとお母さんみたいに結婚して子ども産んで生きていくのだろうと思っていた。

というか、子ども欲しいとか欲しくないとか、そんなことはただ考えず漠然と家庭を築いているんだろうなぁと想像妄想していたと思う。

高校生くらいの頃】

メンタルがやられ、なんて自分ダメ人間なんだと本当に落ち込む。絶対来世は人間にならないと誓う。絶対人間なんかなるもんか。自殺は痛いから嫌だけど、本当に消えたかった。

・こんな辛い思いを可愛い子どもにはさせられない。

・もしかしたら、いじめられるかもしれないし、人をいじめるかもしれないし。すごく理不尽な目に遭うかもしれないし、悲惨事故に巻き込まれるかもしれない。可哀想で辛すぎる。そこまでひどくなくても、まぁ生きていれば辛いことがある。そんな酷い仕打ちを我が子にはさせたくない。が、かといって辛いことが何もありません、というふにゃけた人間になっても生きづらいだろうな、と思う。

自分子どもを産むことが許されるほど、能力を持っていない。子どもに受け継がれる全ての遺伝子可哀想。ごめんね。


大学生の頃〜社会人数年目まで】

絶対子どもは産まない!と固く決意し、兄弟子どもを産みたいと言ったら全力で止めてねと言っておく。いや〜止めないよ。と和やかに言われる。

子どもを産みたい友達の話を聞いても産みたいとは思えない。



結婚妊娠ラッシュ期】

・なんと好きな人ができて、この人に子どもを抱っこさせたい、でも私の子どもは嫌だという大問題に直面。ただ好きな人の子どもは私だって見たい。

自分遺伝子問題なんだよ。でも好きな人他人卵子受精させ子を育てさせること、養子をとることは違う気がする。代理母出産申し訳ない。その痛み経験したい気もする。なんてわがままなんだ。

彼に失礼。自分メンタル治せ!いや性分か?自分を愛することで他人を愛することができる!と自分の中の修造が言っている気がする。

・ごちゃごちゃ言いつつ、なんだかんだ今とても幸せで、人と環境と運に恵まれたと感じている。今の人生と同じ人に巡り会えるならもう一度人間をやってもいいかな、と思えるようになった。

・生まれてくる子は絶対大変だ、辛いはずと決めつけてしまっていたが、それは私が決めることではないし、今わかることではない。辛いかもしれないし、辛くないかもしれない。それは本人のメンタルの持ちようにもよるだろうし。まぁそのメンタルの基盤を作るのは、本人の性分と、親がいかに関わるか、周りの環境がどうであるかではあるのですが。遺伝環境相互作用。辛いか辛くないか、それは私達の努力も大切ではあるが、それが全てだと思わなくてもいいのかな?と考えるようになった。

・周りの子経済的不安を感じて出産を悩んでいた。私も友人もありがたいことに何不自由なく育ててきてもらっており、親がしてくれたような水準で子どもに関わってあげられる自信がない。そう思うと、大学まで金銭的援助ができる自信がないのに産んでいいのか?と不安になる。だって大学お金まで出してあげたいと思ってしまう。理想としては。

「身の丈をわきまえろ」「脳内お花畑か」「奨学金制度使えばいいじゃないか」と言われそうだが、奨学金を借りない方向で子育てをしたいと考えている為、何不自由なく過ごせる経済的自信がないのなら産まない方がいいのかな?と思っているが、そもそも経済的自信満々で子育てをしている人はごく僅かだと思う。なんだかんだうちも「家計が火の車だよ」と言っていた。親のやりくり力すごい。

優生思考資本主義社会のこの世の中で戦い抜ける我が子を産み育てる自信がない。そもそも遺伝子に自信がないのだから、ね。親はちゃんとしていたのに、親に申し訳ない。

・私ものらりくらりと生きているということは、なんとか楽しく生きられる可能50%毎日死にたく生きる可能50%そもそも人間人生って白か黒か、くっくり色分けできるものではなくグラデーションなのでは?なので何とも言えないのか?

・ちょびっとだけ親に孫の顔を見せられない申し訳なさはある。

【今の考え】

・この先100年辛そうだし、子ども可哀想からあんまり産みたくはない。しかし彼の人生にも関わることだから申し訳ない。彼のことを考えると産みたい。多分いいパパになれると思うから

・多分私は、このメンヘラのようなものが治ったら産めると睨んでいます


皆様はどのような覚悟ができたら子どもを産もうと思うんですか?

2023-06-01

約100万円貸した女子高校生に“みだらな行為”した疑い ゲーム実況ユーチューバーの男を逮捕

ホストクラブに通うのもすごいし、他人に100万円借りるのもすごい。37歳が女子高生に性行為するのもすごい。20歳もちがうじゃん。

最近高校生すんごい…

女子高校生ホストクラブに通うため、中岡容疑者におよそ100万円の借金があり、これを理由にみだらな行為要求されたということです。

ネット検索が上手でドヤッてるZ世代

俺の孫がネットで調べものウマくてドヤッてるけどさ、それ俺が高校生の時に通って来た道じゃん。ピーガガガガーの時代で通過済みなのよもう。

あと別に自分が考えた訳じゃないじゃん。テレビ洗脳も大概だけど、ネットも相当ヤバいと思う。googleが与えたい情報だけを検索結果で出してる訳じゃん。操作されてるよ。それ

anond:20230601153410

そんな高校生大勢いるのも、増田みたいな変態が覗いて回ってるのも、治安悪すぎでは?

岸田の息子 バカで幼い顔←大絶賛 大谷翔平 高校生みたいな顔してキモイ大炎上

岸田のバカ息子 32歳ってちょっと信じられない、16歳でも通じると思うよ

https://twitter.com/shelfall/status/1663130847711739904

大谷翔平28歳なのに高校生みたいな顔してて正直キモい

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2098940

ダブスタやめてくれませんか?

時代が私に追いついた」って言葉を言い続けてるアホの子を見るとどうしてこんなに気恥ずかしい気持ちになるんだろう。これって恋?

高校生の頃から怪しいと思ってたか

「やっと時代が追いついた」

高校生の頃の俺にさえ世界は追いついてなかったのか」

っていうぐらいの感覚…。

人口が多い国が栄える」理論が正しいなら、とうの昔に失墜してる国はいくらでもあるし、栄えたとして次のステップシフトできるかは別問題

自分高校時代にはもう構築されてた仮説が、ようやく現実になったのがつい最近

というのは、政治経済教育分野では本当に多い。

社会の現状に合わせないで、仮説を信じてたら良かったぐらい。

逆に文化科学技術については、急速に進化しすぎて置いていかれそう。

加速度的に進化してる

逆に、「立憲だけはない」と言い続けてる30代だから、上の世代からはけっこうブロックされてたり、反発受け続けてるのよね。

私に時代が追いついてきてよかった。

野党に入れること自体はいいと思うんだが、立民だけは…民主党政権を見た身としてあり得ない。



俺が10年前から言ってる事だよ。一部の例外を除いて基本的には作品と作者は切り離せないってずっと言ってる。やっと気づいてくれた人がいて時代が追いついたなって思った



日本若者が、俺に追いついたwww


00年代に年の24時間化とかほざいてた政治家経営コンサルタント10年越しで勝利した。よかった、俺に時代が追いついた



よくも悪くも世界保守化してきたし、自分の国の利益の話をし始めた。地球市民とか言ってた人がバカだと10年前から思ってたが、やっと時代が追いついた

高校生に考えた仮説が、実現したのがつい最近

という事例が複数あるけど…これ、逆の事も言えるよね。

「今の高校生たちは、世の中はおじさんや老人が多く、彼らは全然勉強しないか、すごく古いやり方にしがみついてるから、君たちが正しいと思うものが実現するまで20年かかるぞ」

とも言える。

高校生の時のぼくは

物事の正しいあり方からすると、こうなるはずだよね」

という考えで仮説を組んだ。

それはおとなになって実際に見聞きしてみるとそのとおりだった。

ただね…大人高校生より受けた教育も古い。

新しいことも勉強してるとも限らない。

彼らが投票するから…変化は遅いよ

勉強し続けてる大人ももちろんいるし、勉強どころか実行力もドンドンアップしてる大人もいる。

ただ、社会政治経済は、図体がデカすぎるから基本的に動きは遅い。

図体が大きいほど、他人がわかるほどの変化が実現されるのは時間がかかる。

その辺を読みそこねたなぁ…

自分デブからデブの話で例えると、デブ10キロ痩せても世間的にはデブなんです。

でも、デブの方が普通の人と同じ運動したくても、体への負担が2倍3倍かかることもあれば、骨格に負担がかかるからできないことも出てくる。

図体が大きいのは色々な意味で強みになるけど…それを変えるのは大変




10年経たないと時代が追い付いてこないことを10年前から言ってるのはかしこいんじゃなくてただの馬鹿だぞ。

もうどうしたらええねん

小さい頃からよく親の経済状況を伺う子供だった

決して貧しい家庭ではなかったと思うのだがそれでも親に気に入ってもらうためにあらゆる手を尽くした

家族との関わりの薄い父親がたまに本屋に行こうと兄弟を誘っても誰もついて行こうとせず寂しげにしているのが見ていられなくてついていき、行った先の本屋でも何も欲しいと言わず立ち読みだけして帰るようなことは何度あったかもうわからない

そのようなことを繰り返して高校生になると兄弟の中で俺だけ家業を継ぐように命じられた

扶養下にある身なので文句は言えないが俺にもやりたいことはあるので当然反抗し数ヶ月毎晩にわたり言い争っているがもう疲れた

教師相談したが教師は親の肩を持つ

塾の恩師にも相談し、こちらは親に電話までして説得しようとしてくれたらしいがこの話を聞いたのは恩師本人からで親からはその旨を一切聞いていない。なかったことにされたようだ

自分人生の結果が見えてしまっているからなのかなんの気力も湧かない

したいことも食べたいものも思いつかない

近頃は遅刻の回数が格段に増えて教師に注意される

もうどうしたらええねん

2023-05-31

大人になる前に亡くなった故人より大人になれない

中学生の頃に一緒に帰ったりしてて、高校生になってから付き合い始めた同級生彼女がいたんだけど、その子高校3年生の時に亡くなったんだよね。

彼女の死を引きずって立ち直れず、なんてことはなく、その後も普通に毎日高校に行って大学受験を経て大学生になって、サークルワイワイやって、バイト先の女の子と付き合って、就活して、ゼミの仲間と旅行行って、社会人になって、共通の友人がいる女性と付き合って結婚して、子供が産まれてみたいな感じで生きてきた。

未だに彼女の事を思い出して涙が出る、なんてこともない。声も顔も忘れかけているので悲しい気持ちにすらならない。むしろ子供がいる身としては一人娘を失った彼女の親の立場から同情してしまうようになった。

ただ一つだけ引っかかるのが「高校生のまま死んだはずの彼女より大人になれた気がしない」ってことなんだよね。別に彼女が特段周りより大人っぽい子だったわけではなく、年相応の普通女の子だったはず。

今の俺は30後半で、彼女の倍近く生きている。成人迎えて、大学卒業して、社会人経験10年以上あって、結婚もして、子供も育てている。

高校生のままで死んでしまった彼女よりも確実に色々なことを経験して大人になってるはずなのに、あの時の彼女よりも大人になった気がしない。

anond:20230531190911

本当に高校生なら「反面教師にしてください」としか言えない

感情的に喚き立てる人達

高校生くらいの頃は「なんて下品で愚かなんだ」と思っていたんだけど、同情を誘いながら喚き立てることで利益を得ている人達大勢見てきて、「あれは正しいアプローチだったんだな...」とか思った。

無能

バイト先にさ社長の親戚の十何年か引きこもりをやった後に、今ここで勤務しているという男性(おそらく40手前)がいるんだけどマジでこいつが無能の極み

最初倉庫整理の仕事やらせていたんだけど、体力が無さすぎてすぐ倉庫の隅で座ってしまい、酷い日には嘔吐

これではダメだと事務仕事に移動させたがミス多発で使い物にならずまた移動。

今は掃除係(実際はそんな仕事はない)をしていて、職場をほうきとちりとりを持ってうろうろしている。

ふと、思ったのだがこういう人ってこれから自分人生ビジョンとか、老後のこととか考えているのだろうか?

お先真っ暗としか思えない

今、高校生だけどこんな大人には絶対になりたくない

anond:20230529200331

https://maamaa-create.com/how-to-make-plot/

ログラインではなさそうだが)

恋人を亡くした科学者は、タイムイムマシンを完成させ、亡き恋人を助けるために過去を改編しようとする。『タイムマシン

かしこくなりたいと願うIQの低い青年は、開発されたばかりの脳手術の話を聞き、かしこくなるために被験者になることを決意する。『アルジャーノンに花束を

自分の夢を持たない少女は、カルタ好きの少年出会いカルタ世界一になることを夢見るようになる。『ちはやふる

頭脳明晰高校生は、不思議ノートを拾い、ノートの力で犯罪者のいない新世界をつくろうとする。『デスノート

・家庭を顧みない仕事人間の男は、妻に逃げられ、仕方なく息子の面倒を見るハメになる。『クレイマー、クレイマー

・腕利きの交渉人は、濡れ衣を着せられ、真犯人を捕まえるためにやむをえず立てこもり事件を起こす。『交渉人

・豪華客船乗客たちは、突然の大津波に襲われ、転覆してしまった船の中から脱出しようとする。『ポセイドン・アドベンチャー

・都会育ちの女子高生は、母が恋人夜逃げしてしまったせいで、田舎祖母旅館アルバイト仲居として働くことになってしまう。『花咲くいろは

anond:20230531131952

アニメ放送開始の1995年高校生で15歳だった人が「直撃」と考えるといま43歳だな

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