はてなキーワード: 巨匠とは
整合性というか、さっき言ってたことと違うこと言ってるやん…、
ギャグ漫画みたいなものなんだ、と思えばマシなのかもしれない。
こういうの何ていうんだろう、メランコリーというのも違うか。
感情がブレてる、ふらついている、というのが芸なんだろうか。
その段階で違和感があると、共感どころか文の解釈の段階で違和感を禁じえない。
あと、私がペドフィリアであること、主観でないと抜けないことから、
彼女のAVもいくつか眺めてみたが、視聴する興味さえわかなかった。
でも、AVに好意的ならジュニアアイドルにも肯定的なんだよね?
だったらJSはピークなんじゃないかという考えだっておかしくないよね?
何か主題があって論じている文章だとするなら、読んでてつらい。
ギャグなんだ、これは読者のツッコミを待っているんだ、と思わないと読めない。
あと、他人とは分かり合えないことを強調するけど、
それって、あなたの文章、というか、あなたが良く分からないと他人に言われることが多かったのではないか。
他人と大きく価値観がづれているけど、慶応東大元日経元AV元風みたいな肩書で、
一方で、その肩書だけでも感動したり評価してくれる人もいるわけで、
巨匠が描いた意味のない意図のない落書きに勝手に客は感動するみたいなもので、
無意味な数列を勝手に意味があるものとして解釈したりとか、そういう感さえあって、
本当にそんな意図があるんだろうか、なんとなく観て、なんとなく読んで、
そのとき琴線に触れなかったら、それはnot for meなんだし、
つまらなかった、理解できなかった、と素直に述べること=バカ、扱いされる恐れ、
脳内ダンプしたので、この自分の文章も無茶苦茶だし、論理的に破綻しているかもしれない。
いずれにせよ、文章がちゃんとしていても、自分はペドフィリアな時点で、
文章が破綻している時点で共感できるできないまでたどり着くのが遠いと思った。
なんか、こういうのがあるから、だから女性は駄目なんだ、みたいなのを逆に引き出していないか?
ペドフィリアの自分としても、優れていたり尊敬できる成人女性はいる。
寧ろ、多くいる。
あと、他人の評価を凄く気にしている、気にしすぎている、自意識過剰なのがどの文とかインタビューからも滲み出ていて、
承認欲求魔神というか、近年のバカや暴力行為を自慢するTwitterとかYouTubeとかバイトテロとかと原理は同じで、
そこまで他人に振り回されるの辛くない?と心配にまでなるレベル。
というか、他人の評価を気にする割に、AVや風俗で働く気持ちが自分にはまったく理解できない。
だとすると、根底にあるのは自己破壊衝動的なものなのかな、と思いもするわけで、
だとしたら、この世の多くの他人は、大衆は、あまり共感しないのではないかとさえ思ったり。
他人の人生だから、コンテンツとして、ピエロとして消費されるというのはあるだろうけど。
まあ、だから文章で見返してやりたい、みたいな感情が奥底で支えている人生なんだろうし、
それはそれで幸せではあると思うんだけどね。
圧倒的に「この世界の片隅に」の勝ちであった。
「この世界の片隅に」の圧倒的な戦争描写、生活描写のリアリティに震えた。
妄想といっても、宮崎駿の戦車や巨大な爆撃機の妄想のことではない。
そちらはナウシカやラピュタのようなものより遥かに現実寄りになり、
自分を主人公に見立て、しかも「ラノベ主人公」だった。宮崎駿のオナニーだった。
なんというか、観ていて恥ずかしかった。
他人の中二病ノートを読み上げられても共感性羞恥心を感じるような、
正直、ごめん、観ていて「痛い」と思ってしまった。
素晴らしい作画や音声に魅せられているから裏打ちされているのであって、
そうでなかったら、自分以外でも「痛い」と思ってしまうのではないだろうか。
というか、ストーリーがずっと空回っている気がした。
「この世界の片隅に」は少なくとも右手を失うという転機がある。
しかも絵を描くのが好きな主人公が描けなくなるという絶望がある。
私も事故で右腕を怪我してしまい、絵を描くのが好きであったが、
描けないことはないのだが、痛いこともあって描かなくなってしまった。
そんなこともあって、「この世界の片隅に」の浦野すずには余計に共感してしまった。
「風立ちぬ」はなんというか、話の強弱がないように感じた。
しかも、ずっとエリート無双を見せられているような感じさえあった。
ラノベの主人公はみんなエリートだと芥川賞の市川沙央も述べていた気がするが、
本当に「風立ちぬ」は宮崎駿による堀越二郎=堀辰雄=宮崎駿を主人公としたラノベであり、
余り調べないで書くが、堀越二郎や堀辰雄の史実にあまり基づいていない、
どちらかと言えば断片をヒントとして作り上げたパッチワークであり、
試写で泣いたと宮崎駿は言っていたらしいが、正直キモいとさえ思ってしまった。
申し訳ないが、「痛い」「キモい」というのが正直な感想だった。
例えば、何らかの苦難を乗り越えて零戦にたどり着く物語とかだったら、
もしくは小説「風立ちぬ」としてやった方が良かったのかもしれない。
現実であるように見えるだけの異世界で無双するような話に思えてならなかった。
主人公の俺、堀越二郎=堀辰雄=宮崎駿、強ぇえ!を見せられている気がした。
堀越二郎の顔のアップとか、絵と合わせて観てしまうと駄目だった。
あと、これも比べるのはおかしいが、
「この世界の片隅に」の方が圧倒的に上であった。
あと、個人的には宇宙戦艦ヤマトのような取り上げ方も好ましくないと思っていて、
一発ボカチン食らっただけで撃沈したのに何で神格化されとるんだ?
「この世界の片隅に」で子供が空母があまりないようなことを言っていたが、そのとおりだと思う。
どれだけドッグファイトというかアクロバティックな戦闘機ができるか、
それは「風立ちぬ」の設計者の会議でも語られていたとおりであり、
機銃を載せなければ軽くなる、そうはいかないから徹底的に軽量化する、
その結果、敵の銃撃に簡単に貫通するような機体になり、敗因につながった。
その分だけ空母を増やし、こまめに燃料補給をすることで補っていた。
もっと大きな戦略や戦術の視点を見誤っていたのが敗因のひとつに思う。
優れた飛行機を作ろうとすることが、逆にある意味では敗因にもなってしまったのは皮肉だ。
「風立ちぬ」は戦争を美化したような作品でないことは明らかだ。
ただ、「風立ちぬ」で描かれる世界は戦争前とは言え「軽い」と思わざるをえない。
エリートや金持ちにとってはそうだったんだろうな、軽井沢の別荘とか、
みたいにどうしても思えてならない。
これが小説「風立ちぬ」寄りだったら、そう思わなかったかもしれないが、
「この世界の片隅に」でスイカを盗み食いしていた子供の立場でなかったのは明らかだ。
考えてみれば、「生きねば。」というコピーも、どちらの作品に合っているかといえば、
これも圧倒的に「この世界の片隅に」の方であった。
右手を失い、孤児を養子として、この世界の片隅で出会い、この世界の片隅で生きていく。
あの時代の大衆寄りの世界を描いたのは「この世界の片隅に」の方であった。
それもあってストーリーが薄くなっている気がした。
美術系の大学に通ってるんだけど、サブカル系の講義で諸星大二郎が絶賛されていた。世界的評価が高く、今の漫画やアニメに多大な影響を与えていると。
名前も聞いたことがなかったので、大学の友達と一緒に『マッドメン』やら『暗黒神話』やら『妖怪ハンター』やら読んでみた。
オカルトや文化人類学、SF要素があって、内容的には面白そうというか、好きなタイプの話だ。五十嵐大介は好きだし、文化人類学の書籍を趣味で読んだりもするし。
でも、なんか乗れない。
読み進めていくほどの力が感じられない。
自分がわからないだけかと思って、他の友達にも聞いてみたが、皆いまいちな反応。
アイデアが面白い話はあるけれど、それを活かしきれてないというか…。
こういうこと言ったら失礼かもしれないけど、諸星大二郎って絵があまり上手くない。昔はこれぐらいの漫画家が標準だったのかもしれないけど、今、巨匠という意識で読むにはちょっとしんどい。線が多くて、悪夢性というか独特な凄みはあるんだけど、リーダビリティが低くて、読んでて疲れてしまう。先へ進んでいけない。
絵の密度が高くても水木しげるは圧倒的に上手いと思うし、上手くなくても手塚治虫はリーダビリティが非常に高いと思う。重厚長大な火の鳥とかでも、どんどん読み進めていけるし。
ストーリーテリングの部分でも、あまり上手いとは言えないというか、昔の漫画家でももっと上手い人たくさんいるのでは…?と思う。
描かれるイメージも、シュルレアリスムのアウトサイダーによる再生産(車輪の再発明的な?)みたいに感じてしまうし。
諸星大二郎、宮崎駿とか庵野秀明とか大御所が影響を受けた超大御所って感じなのに、何がいいのかわからなくて辛い。自分に才能がなくて分からないんじゃないかという不安がぬぐえない。
こういうのって、結構辛くないですか。
最近のパヤオの新作とか見て改めて確信したけど、天才って予算とかスケジュールとか内容とか色々鬱陶しい制約がある中で作品作らせた方が圧倒的に傑作生み出せる率高いよな。
パヤオの初期の名作を作ってたころは彼もまだ中堅で予算もスケジュールも充分でない中で「これコケたら次のチャンスはもうないかも?」っという緊張感で作品作ってたからちゃんと一般ウケしやすい傑作作ってくれてたけど、「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」で興行的にも作品的にもピークを迎えた後は「もうあなたは巨匠なので予算とかスケジュールとか気にせず好きに作ってください」なんて甘やかすからどんどんわけわからん方向に行ってしまった。
皮肉なのはアーティストに多大なストレス負担をかけてるスケジュールやスポンサーなどの制約が、「この限られた条件下でいかに少しでも良くするか」っという構造を生み出して結果として万人にも受け入れられる傑作が生まれやすいってことよね。
古い例だと当時人気アーティストだったゴダイゴなんかは過密なツアースケジュールの中の限られた時間で一気に作り上げた「銀河鉄道999」がいまでも通用する名曲に仕上がったし、それこそ中世のイタリアのミケランジェロもスポンサーであるカトリック教会の過度な干渉や予算管理にもめげずにあの歴史に残る数々の傑作を作り上げたわけじゃん。
作り手としては予算とかスケジュールとか気にせずに好きなように作りたい!って想いは強いんだろうけど、結果的にはさまざまな制約の中で神経擦り削りながら作った作品の方が評価されやすいんだよな。
まぁパヤオなんて今更世間の評価なんて気にしてないって感じだからさらにタチが悪いんだけど。大嫌いな資本家様に首根っこ抑えられてた時の方があんた輝いてたよ。
サン・ぴえんトロ大聖堂建設の資金源は少女たちのホストメンチカへの貢金を私立中高一貫セルフクンニ軟体開発女学院が秘密裏に押収したものだとの説もあるが実際には現代の贖宥状とも言われるVtuberを始めとした配信女子への投げ銭を主な資金源としており東京都が血税20億円を投じて購入した豪華クルーザーの船上では同乗させた若手官僚に都知事の陰部を舐めさせて服従を誓わせるクンニの儀が行われているとの噂が流れてからは都税を建設費に充ててはどうかとの意見も交わされたがその一部が若年被害女性支援団体への援助に投入されていることが周知されるとやはりホストメンチカへの貢金を押収し建設資金に充てたほうがいいのではと気勢が上がるようになり舐め犬飼育委員会担当委員にも出撃が命じられるが彼女たちが手を焼かされている舐め犬の一頭である飼育3年目の黒豹科の長谷川さんは昆虫食推進カルト団体トリプレ・アの洗脳から解き放たれ舐め犬としてのセカンドライフを提供したにも関わらず咽頭癌のリスクを恐れてクンニすることを怖がり派遣先の国々で女性VIPに奉仕し貴重な外貨と機密情報入手のチャンスを棒に振るという失態を幾度も犯しておりもはや殺処分しかないという瀬戸際まで追い詰められていたため長谷川さんの調教に全力を注がねばならないので出撃は難しいとの返答があり最終的にはセルフクンニ特殊空挺部隊の一部を伴って出撃したが残された舐め犬飼育委員会の面々は彼女らが帰還する前に長谷川さんの調教を完了し面子を保とうと躍起になり建設中のサン・ぴえんトロ大聖堂内部のレズティーン礼拝堂に長谷川さんを連れ出し巨匠大竹夏紀に酷似したタッチで描かれた創世神あのちゃんとその左右を護る守護天使高嶺ヒナとサヤスカーレットが召喚した守護聖獣エレメンタルヒーローを取り囲むように円陣を組むじゆりぴを筆頭とした地雷系女子たちが迫りくるロスジェネ非正規ミソウヨキモオタペド専チンポ共を聖なる炎で焼き払いその残火を天使の翼を授けられた私立中高一貫セルフクンニ軟体開発女学院の生徒1919人が天空から殺人潮吹きで嫋やかに鎮めているという荘厳極まりない超大作壁画が室内の全面を使った立体性を生かした構図でくまなく描かれその静謐な空間にリバーブの効いた黒百合姉妹の楽曲が響き渡る神聖な空間にたかが舐め犬如きが足を踏み入れるとは言語道断だと誰もが思うだろうが長谷川さんに自身の置かれた状況を思い知ってもらうにはこれ以上無い環境でもありこの壮麗たる大聖堂の建設には長谷川さんの国外での奉仕活動による貢献が不可欠であると委員たちは亢奮を禁じ得ない口調でとくと語り始めるが長谷川さんにとっては気色悪い以外の感想は思い浮かばず思わず口にしかけるがそこは流石に殺処分を間近に控える身であるので壁画に描かれた少女たちの美麗さを大いに讃え始めるが彼女たちの名前を聞かれると三年前に凶悪なメンヘラ地雷集団であるセルフクンニ軟体開発女学院の面々に誘拐されてきたただの50代男性である彼には検討がつくはずもなく答えに窮しているとかつて無く怒り心頭で額に青筋を立てた舐め犬飼育委員会の面々によってこの駄犬に麻酔無しでの前歯八本の抜歯と去勢手術を実施することが決定し長谷川さんは別室に連行されることになって舐め犬飼育委員会の面々はこのレズティーン礼拝堂の神聖な美しさに改めて涙を流し願わくば很しの我が身に赦しつればと深々と一礼し礼拝堂を後にするが創世神あのちゃんの壁画が慈愛に満ちた表情で微かに頬を緩ませたのを眼にした者はこの中の誰一人として居なかったのであった
I see that among men all things depend upon three wants and desires, of which the end is virtue, if they are rightly led by them, or the opposite if wrongly. Now these are eating and drinking, which begin at birth—every animal has a natural desire for them, and is violently excited, and rebels against him who says that he must not satisfy all his pleasures and appetites, and get rid of all the corresponding pains—and the third and greatest and sharpest want and desire breaks out last, and is the fire of sexual lust, which kindles in men every species of wantonness and madness.
私は、人間のあいだではすべてのことが三つの欲望に依拠していると見ています。それらは、正しく導かれれば徳であり、誤って導かれればその反対となります。まずは「食欲」と「飲欲」であり、これらは生まれたときから始まります。あらゆる動物が自然とその二つの欲望を備え、激しく興奮させられ、己の快楽や食欲を満たしてはいけないと言う者に逆らい、付随する苦痛からは逃れようとします。そして第三の、最も強く鋭い欲望が、最後に噴き出します。それは人々のあらゆる種類の淫気と狂気を燃え上がらせる「性欲」の炎です。
今のところこれが最古である。さすが西洋哲学の祖。「食」と「飲」が分かれているのが特徴。プラトンの著作は明治時代に翻訳されていて日本人にも知られていたと思われる。
欲界三欲
(一)飲食欲,即凡夫於種種美味之飲食,多生貪愛之心。(二)睡眠欲,即凡夫之心多暗塞,耽著於睡眠而不能勤修道業。(三)淫欲,即一切男女由互相之貪染,而起造諸種欲事。
欲界三欲
1. 飲食欲、すなわち凡夫はさまざまな美味の飲食において、多くは貪愛な心を生む。2. 睡眠欲、すなわち凡夫の心は暗く塞がり、惰眠に耽って修業に励むことができない。3. 淫欲、すなわちすべての男女は互いに貪欲に染まり、それがさまざまな欲事の原因となる。
『翻訳名義集』は中国・南宋時代に編纂された仏教系の書物。もちろん日本にも伝わっている。というかこの組み合わせが現在のスタンダードである。
いにしへの人三慾を忍ぶ事をいへり。三慾とは、飲食の欲、色の欲、睡の欲なり。
『養生訓』は江戸時代の大ベストセラー。貝原益軒は儒学者だが、この組み合わせは仏教の「三欲」と同じなので、「いにしへの人」というのは僧侶のことなのか。三欲を「抑えるべきもの」と捉えているのも仏教的である。「睡眠を減らすと健康になる」みたいなことも言っている。
『歌学提要』は幕末の歌人・香川景樹の理論をその弟子の内山真弓がまとめたものだという。
人間の根源の欲望を、食欲・性欲・表現欲に三大別して言うそのことは、江戸末期の巨匠香川景樹以来、歌界ではならいとなっている。
ということで「食欲」「性欲」「表現欲」を表しているらしい。
これはイギリス科学振興協会の当時の会長であったライアン・プレイフェアのスピーチが翻訳されたもののようだ。原文を当たると「かつての錬金術師は黄金・健康・不死のために賢者の石を研究していた」…みたいな内容だったらしい。
they hoped to attain the three sensuous conditions of human enjoyment -- gold, health, and immortality.
村上専精は僧侶だが仏教の「三欲」とは異なるのか。「生存欲」は戦時中の文章で「日本人は三大欲求の生存欲を抑えて国家に殉じるからすごい!」というふうに使われているのを見かけて面白かった。
人間の三大慾望たる衣食住
個人的に「衣食住」は欲望というより「基本的なもの」「必要なもの」というニュアンスで捉えていたのだが、井原西鶴の『世間胸算用』でも「分際相応に人間衣食住の三つの楽の外なし」と書かれているそうなので、あながち「欲望」的な捉え方でも間違いではないのか。似たようなパターンだと三大欲求を「福・禄・寿」に割り当てることもある。
美術評論家が三大欲求に「美欲」を入れるのは、歌人が「言語表現欲」を入れるのと似通っているか。
明治以降は経済発展もあってか「金銭欲(利欲・財欲)」や「名誉欲(出世欲)」を挙げることがかなり多い気がする。
もとはアメリカで1948年に刊行された小説だが、原文だと「three main pastimes」なので「三大娯楽」かな。
といった記述がある。
食欲、性欲、排泄欲の根源的意味に比べたら、人間の他の欲望である出世欲とか名誉欲とか権力欲とか支配欲とか金欲とか知識欲など、それこそ屁以下の価値しかない。
いわゆる「生理的欲求」のひとつとして食欲や睡眠欲と並べて語られる「排泄欲」だが、「三大欲求」として挙げられていることは少ない印象を受ける。ただ「性欲(射精欲)」を排泄欲の一種とみなすこともあるようだ。
本来、仲間と一緒にいたい、集団の中で自分の安定した位置を占めたいという欲求――集団欲は、食欲、性欲と並んで三大欲と言われる程のものである。
この「集団欲」を三大欲求とみなすのは戦後にかなり広まった感じがする。近年の書籍でも睡眠欲に代えて集団欲が挙がることがあるようだ。
貞潔・清貧・従順の修道三誓願は人間共通の三大欲求(肉欲・所有欲・支配欲)にかかわるものとして、生涯の一大試練と誘惑になりうる。
これはつまりカトリックの修道士が守る三誓願の対義語となるような欲望(貞潔↔肉欲 清貧↔所有欲 従順↔支配欲)を「三大欲求」と見なしているらしい。カトリックのあいだでポピュラーな解釈なのかは知らないが、三誓願そのものは3世紀末くらいまで遡るらしいので、当時からそうした発想があったとしたら面白い。
現在の一般的な認識。「金銭欲」「名誉欲」「集団欲」あたりを含めて「諸説あり」と言われていてもおかしくなかったと思うが、最終的にほとんど「食欲・睡眠欲・性欲」で固定されてしまったのは面白い現象である。
松本零士の「見ても読んでもいない」度が高いのは納得できね?
たびたび映画がリメイクされてるけれどアレ見に行くの 見たことある人が大半でしょ?
テレビ放送のリメイクも1クール深夜帯とかで オタク以外が見るのは無いでしょ?
赤塚不二夫も「見ても読んでもいない」度は高いのではなかろうか?
バカボンとかのキャラは松本零士作品のキャラより知名度、理解度は高そうだけれど、テレビ放送のシリーズ的に20さい未満の「見ても読んでもいない」度は高そう
手塚治虫はどうだろう?
一方、ブラックジャックははだしのゲン、三国志と並んで学校図書に並んでたのと2000年代に長期間ゴールデンタイムでの枠があったのでそこそこ低いのでは?
石ノ森章太郎も平成ライダーを含めないと「見ても読んでもいない」度が高そう
水木しげるの「見ても読んでもいない」度はどうだろう?
今「高齢者の集団自決」とか「colabo問題」などあるが、この頃炎上させる気持ちも分からんでもないけど、その力を少しだけ救う方向に転換してみてはどうだろうと思っている
じゃぁその中にいる高齢者達をどう救うのか
「成田さんはよく『老人は自害』と言ってるじゃないですか?老人は実際日本から退散した方が良いと思うんですよ。老人が自動でいなくなるシステムはどうやって作ります?」
みたいなことを考えて、その答えにのっかるような発言をされた小学生とどう接していいのか
他の方向へ考えることの方が必要だとは思った。
ちなみにウィリアム・マッカスキルの『〈効果的な利他的主義〉宣言!善意活動への科学的アプローチ』は持っていて、物凄くさらっと読んで、日本赤十字社のトルコ・シリア地震救援金に5000円払い初めて自ら寄付というものをした。
しかしその後、このお金でビックマックいくつ食べれたんだろう…とかいう『シンドラーのリスト』の中のシンドラーが、私の心の中では反シンドラーという現象(誰かこの現象を上手く名付けてほしい)が起こっていた。
まぁ今はどんどん現状がひどくなっているようなので多分良かったんだろうと思っている。
他には献血とかも行った方がいいのかなとか考えてたりする。ただ針が怖いのでちょっと躊躇しているが。
やっぱ、グラフとかデータとかで貧困国の状況とか比較であらわせられても、自分に時間とお金に少し余裕がないとなかなか、行動するのは難しそうだし、まずやっぱり国内から救った方がいい思ってしまった。
多分分かってない部分がかなり多いので、あとでじっくり読んでみようとはしている。
この後の文章は
安楽死に対する考え
私の現在状況が書かれている。
興味のある方は読んで欲しい。
T4作戦を実行したナチスドイツの総統のヒトラーが現代にタイムスリップして世論を動かしていく『帰ってきたヒトラー』とか
実際歴史はあってるのかよく分からないけど、物語の中では軍の命令で、戦って手や足がなくなったり動けなくなったりした重症の人達に毒を飲ませたり、刃物で自決したりする、『激動の昭和史 沖縄決戦』
を見てたのでさすがに怖くなって、あなたに安楽死について考えてほしいなんて言われたくないし、どうせメディアも視聴率や再生回数のためにTVやネットで出してんだろうとは思う。
「colabo問題」はいろんなのが絡んでて実際よく分からんが、不正に税金使ったり、叩き合ってるイメージしかない。名誉棄損的なものが互いにあって、怖いし苛立ってるんだろうなとは時々思う。訴えたりするのも仕方がないのだろうが、その集めたお金で一体何人救えるのだろうとは思った。
安楽死については
カルト問題にちょっと興味をしめし始めた頃、『世界』の2022年の12月号を買ったのだが、ちょうど『安楽死を遂げるまで』や『安楽死を遂げた日本人』を執筆した宮下洋一氏のルポが載っていた。フランスの巨匠ゴダール監督の安楽死について書かれている。
安楽死容認国では今、「死にたいと」思わせる社会に潜む問題の解決よりも、その意図に反映に重点を置く傾向にある。それが「死ぬ権利」というものなのか。私の理解が彼らに追い付くには、まだ時間が足りないのかもしれない。
『PLAN75』とはちょっと違った目線から見る、もし現代自分の家族が安楽死を願ったら?というのがテーマで、主人公の父親が脳卒中で回復を少しずつしているのにも関わらず、死を願う。というのがあらすじ
終末期でなく、まだ生きる望みがあるならば?
「尊厳ある命」とは一体何なのか…。
とコメントしている
見た感想としては、まずこの親子関係複雑だし、抗うつ薬みたいなの飲んでるし、その精神的なものを回復できることはできなかったんだろうかと思った。何がどう回復なのかは分かってないのかもしれないが。やっぱ価値観が違うんだろう。
まだ自分の親は認知症でも脳卒中でもないし、今聞く勇気もない。
主人公の父親のようにあそこまで頑固でもないと思うし、病気になって回復してきたら少し気持ちが変わるかもしれない。
いろいろ考えると答えは出ない。
私の場合、おそらく個人の尊重を優先してと思いながら親の安楽死を願ったとしても、必ずどこかでは自分の介護の負担が出てきて楽になりたいとう気持ちがどこかには少なからずあると考える。
もし今、日本の政府が安楽死法案を出すとしたら、本当に苦しんでいる人には悪いとは思うけど、私は反対する。
今回の問題発言もそうだし、それに賛同する人達や、笑っている人達、や政治家たちの失言を見ると優生思想が強すぎると感じる。
私の現在状況
その時のB型事業所は、月曜日から金曜日10時~16時(昼休憩45分)で給料は平均して月1万5千円くらい。
今の給料は平均して月7万円くらい。
家賃は3万ほど出している。
今、年金は払っていない。
まだ私は親がいる分、生活は楽な方だとは思っている。
貯金は300万ほどある。
もう遅いのか、NISAとか考えた方がいいのだろうかと最近思う。
発症原因はあまり教えたくないので、ここには書かないことにする
普段、母親の部屋で洗濯物を取り入れて畳んでいるのだが机の上に、一冊の本がカバーを裏側にして置いてあった。
なんだろうと思い、カバーを取ったら『老いの品格』という本だった。
中の目次さっと見たら、良い老人であろう的な感じがした。
まぁ品格って書いてあるし、そうなんだろう。
これを見て思い出したのが、テレビでやっていた『月曜から夜ふかし』の"通りすぎる人全員に会釈するおばあちゃん”の回である。
ある女性がその行為を不思議がって調べてほしいと投稿した話なのだが、そのおばあちゃんの理由が感動というよりも、そこまでさせないといけない社会なんだなと思ったし、私たちもそういう風になるのかもしれないと少し怖くなってしまった。その理由は興味があれば調べてほしい。
私は母親とうまくいっておらず、会話はほとんどない。なので何を考えているのかよく分かっていないのだが、そんな感じでとりあえずこの本をkindleで買うことにした。そして最優先にこれを読もうと思う。
ついでに、映画『生きる LIVING』のパンフレットも置いてあった。
まぁ母親と話せば済む話なのだが。それができないのが私のダメなところである。
どこで働いているか判明されるかもしれないので、分かりにくく書くが、清掃作業をするととある消耗品が毎回なくなるのだが、それを注文するたびに一枚の絵ハガキが入っている。
その絵は私にとっては上手くはない。おそらく障害者が描いたであろうと思われる。
初めはその絵ハガキを清掃道具入れにためていた。捨てると罪悪感がある気がしたのもあったし、以前ここで障害者雇用として働いていた人がずっとそうしていたのもある。
その後一旦その清掃道具入れを整理してほしいと補助役の人に言われたので、このたまった絵ハガキはどうしようか相談し、申し訳ない感じもするが捨てようということになった。
それから少し経って、相変わらずその新しく入ってきたその消耗品の中には、絵ハガキが入っている。ふとなぜこの絵ハガキは入っているのだろうと疑問に思い、その意図は分かってはいないが、私としては「絵は描けます」というメッセージみたいなのを受け取った。
もしこれが、障害者でなく高齢者だったらどうなんだろうとか、通院している精神病院に、病にかかっている人が作った、よく分からないパズルとか、ちょっと凝った折り紙だったりとか展示されているのを見るとあれは一体何なんだろうと不思議だったが、これも実際意図は分からないが、この社会にいる存在を表しているのではないのかと思うようになった。
その後、私はこの上手くはない絵ハガキをなんとなく家に持って帰っていて、本当に何かの緊急事態が起こった場合以外は捨てずにためることにしている。
その消耗品の会社が分かった人は、変な人が絡むと嫌なので黙っていてほしい。
終わり
タランティーノをオタク呼ばわりするなんて!って普通にcriticsの常識だし巨匠だからタランティーノはオタクなんて呼べないなんて言ってるやつ相当の無知では
本人がオタクって自称してても、オタクなんて失礼だから言っちゃダメ!て言ってんの?
"every time I hear that name it touches my heart, what can I say, I've always been an anime otaku", (Japanese slang for a person that is a fan of anime, manga, and Japanese video games and culture) this is a reference to the classic anime film "Akira".
お前それ、「巨匠が脚本を担当したことが話題になったゲーム」だったら同じ感想になったのか?
ならねえだろ。
多分だけど「この程度か……」となったんじゃないかな?
つまりさ、お前は最初NIKKEのことをクソほど見下した所からスタートして、その差分に対して凄い凄いと興奮してるだけなんだよ。
その自覚がないから、そうやって「僕はこんなに差分を感じるぐらいに最初バカにしてました!!!」を大声で言ってるも同然なのに気づかねえの。
まあそりゃさ、小学生の絵画コンクールに「こんなの大人と比べたら雑魚だね……60の手習いから1年でここまでいくお爺ちゃんもいますよ……」とか抜かすやつはクソだよ。
でもNIKKEはゲーム業界という無差別階級に殴り込みにかかった1人の無差別階級戦士だからさ、そこを「ふーん。見かけより強いじゃん」ってのは単にお前の目が最初フシアナだっただけって話にしかならんだろ。
・理由
現在の日本アニメ文化の供給源となっていた漫画が、完成期を終えて本格的な衰退期に入るから。
まず、今のアニメが黄金期であることは疑いようがない事実である。
2023年1月現在においても地上波アニメだけで「ぼっちざろっく」やアキバ冥途戦争、水星の魔女、ブリーチ、スパイファイミリー、異世界おじさん、DIYのようなオリジナルかつハイクオリティのアニメたちが競い合い鎬を削る時代である。
また、アニメ映画にしても現在爆走中の完全新作「すずめの戸締り」から過去作オリジナルのスラムダンク、現在連載中のワンピースからFILM REDなど、時代や原作新作問わずで非常に盛り上がりを見せている。
であるにも関わらず、なぜこれから20年の間にアニメは衰退するのか?
・現在のアニメは宮崎駿などの巨匠たちが作り出したハイクオリティ映像作品と、手塚治虫や永井豪などの巨匠たちが漫画で発掘した資源のハイブリッドであり「日本サブカルチャーの完成」そのもの
声優であったり作画であったり音響であったり映像であったりコンテであったり色彩であったりシナリオ、脚本、・・・いろいろとあげだすとキリがない。
この場合の「原作」とは漫画や小説のことではなく、「アニメという作品を作るうえでの軸となる材料」であり、それが監督であろうが脚本であろうがプロデューサーであろうがディレクターであろうが何でもいい。
日本サブカルチャーから原作が枯渇したとき、日本のアニメは終わり、アニメ制作会社は海外の下請け企業としてしか活動しなくなる。
「映像」はそのままの意味で原作を元に作成されたアニメーションそのものだ。
原作がなくともアニメ制作会社たちは映像を作り出す力をレベルの差は違えど各々が持っており、それを商品として経済活動をしている。
・ここまで書いて飽きた
続きを読みたいならブクマしてくれ。
もうお正月休み気分も家に帰るまでです!って多分始業式の校長先生の挨拶でもありそうなレヴェルで
2日頑張ったらまたお休みという、
とりあえずは
この2日は気力で乗り越えるわ!
あのSFの巨匠アーサー・C・クラーク氏の『都市と星』10億年プレイされるゲーム「サーガ」みがあって
まあ多分ホラ貝ある程度集めて称号が「えいえんの~」になるまでは遊ぶとは思うけど、
あとガチャでギア各10個セット詰め合わせは引き当てたいわっ!
って結局遊ぶんかーいってなるけど
これ逆にさー
10億年遊べてるゲームってのも凄くないどんな内容よ?って言わば思うけど
まあそれはさておき、
今日は年末年始のどっとたまったお仕事こなしてパパッと片付けて終わりたいところね。
私はこちらの部屋の事務所で片隅で見付からないようにしているんだけど
だけどまあ私がいることを分かっている人は私の所にも丁寧にご挨拶してくれて恐縮だわ。
いつもより32本遅い電車に乗ってみたけど、
座れるかどうかの瀬戸際で車内混み合っていないレヴェルでこの時間帯でも優雅に電車に乗れるのは多分今日までな気がするわ。
昨年の今頃何してたっけ?って
さっぱり内容が私自身でも分からないので今はもうほとんどあんまり滅多なことでは振り返り増田はしないことにしているわ。
じっくり本当は見返してみたい季節も訪れるんだけど、
たぶんそんなことやってる暇があるなら前進あるのみよ!
ってこと。
あー
そうそう
年賀状いただいた分のお返事書いてしまったんだけどピョンピョンとウサギだけにって
多分今年の干支がウサギだって覚えているのも多分7日までだと思うので
でね、
いただいた年賀状お返事書く際に
この人なんのつながりでやり取りしている人だったんだっけ?って
ましてや会ったことない人たちとかのこう言う年賀状のやり取りはもう惰性中の惰性しかないダサさかも知れないわ。
私は印刷した面だけで送るのは淋しいので気が効くように何か一筆書いているんだけど、
本当にこの人は何の人だっけ?と思いつつ
昨年の年賀状の返事的なことも書きつつ、
なんか変な1年に1回しかやり取りが進まない通信手段で連絡を取り合っているのよね。
変なのーって我ながら思いながら、
お返事書いていたわ。
まあ万能に使えるコロナご自愛下さい的なことを書いておけば100点的な内容よ。
私なんかこのふと気付いて、
SFの巨匠アーサー・C・クラーク氏の『都市と星』10億年プレイされるゲーム「サーガ」の
その現象に。
ふと外界の世界のことに気付く住人の様に
ふと我に返ってこの人もうやり取りしなくても大丈夫なんじゃね?って思うのよね。
そんな多分、
私に送ってきてくれてる年賀状もだんだん少なくなってきているこの時代背景の昨今
だって年賀状の配達枚数だって年々少なくなってきているって言うじゃない。
ファミリーレストランの配膳ネコロボットと戦わせたらどっちが速いのかな?
多分ロボット三大原則の1つである最高速度は決まっているって事項の項目があるから、
同程度のスピード争いなのかも知れないわ。
あの遅さは。
映画の『ワイルド・スピード』でドミニクさんもレストランのシーンであまりの配膳ロボットのスピードの遅さに激怒するレヴェルだと思うわ。
そんな中、
また来年その返事が来て
年に1回ずつしかやり取りできなくて全然話が進まないのが続くのよね。
まったく
サーガみがあるわ。
うふふ。
あとホッツヒーコーね。
牛乳をたっぷり入れて大好きなアニメの柄で飲むのは美味しいわっ!
勢い余ってたくさん買ったものの、
さすがにこの寒さではがぶ飲み出来ないわね。
減らなくて悲しー時ーって叫びたいわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
>これが予想以上に売れたので、石黒版「銀河英雄伝説」が生まれた。
>LDボックスをお買い上げ頂いた皆さま、おそらく「そんなの知らんよ」と笑われるかと思いますが、それでも心からの感謝を送ります。
>https://twitter.com/adachi_hiro/status/1580476952519282688
昭和うる星といえば超高額33万円のLDボックスの話を聞いたことある人も多いと思う。
俺もその買った一人だけど、まさか大好きなOVA版銀河英雄伝説に貢献できていたとは知らずこのツイートを見た時はすごく誇らしい気持ちになれた。
なぜあの30万もしたLDを買ったかっていえば、それだけパワーがあって面白かったんだよね。
令和うる星が当時やってたら楽しんでただろうけど、30万もするLD買うまではしなかったな。
俺は漫画も好きだったけど、アニメはアニメっていう考えで、俺の周りもそういう人が多かった。
それはまだテレビアニメが新しい文化だったってのもあると思う。
映画みたいに上の世代の文化じゃなくて、俺たちの文化だって思いがあった。
まだ巨匠がいなくて、やったことない表現やストーリーがたくさんあって、アニメ雑誌なんかも作り手や演出的な内容の話も多かった。
今みたいに批判しないみたいなこともなくてライターも読者も良いものは褒めて、悪いものは批判してた。
それだけまだ生まれたばかりのテレビアニメを熱入れて盛り上げようとしてたんだよね。
今はもうアニメは漫画の下請けみたいな扱いだよね。原作通りにやらないとだめっていう。
当時は漫画は漫画、アニメはアニメってリテラシー持った人たくさんいたんだけどなんでこうなったのかな。
>>うる星、昔は好きだったけど、もう完全にオワコンだと思う。
40年前だぜ(笑)当時新しかったキャラもギャグもとっくに古びてもうオワコンだよ。
ただ若い人がわざわざこれを書くのは、俺たち世代が何度も語って伝説の作品扱いしたからだとは思う。
ネットのアニメの話題追っかけてる人なら毎年目にしてたかもな。
令和うる星制作発表された時に騒いで、1話の予告が出た時に騒いで、いざ放送開始されたら全く話題にしないのは当てこすりたくなる気持ちもわかる。
メモを取っているので一冊にかける時間が長い。とはいえ、世界史の教科書では一行で終わっていた出来事の細部を知るのは面白い。
東アジア史が中心。
価値観が現代とは変わってしまっている点が多数あり、今読むときついと感じる箇所も。
旧約聖書を読み始める。
旧約聖書を読了。学生時代に新約聖書を通読したから一応全部読んだことになる。
生物の標本にまつわる本を読みだす。やはり生物学は面白い。ネタが尽きない。
ジョジョを読み終えた。それにしてもハルタコミックスばっかりだ。
十三機兵防衛圏については友人に薦められたからクリア後のノリで買った。
今年はたくさんいけた。行かない月もあった気がするが、それはそれ、そのときの気分に従った。
「シン・ウルトラマン」★★
「プラットフォーム」★
「12モンキーズ」★★★
(長くなったのでブコメ)