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はてなキーワード: スポ根とは

2023-09-19

anond:20230919123857

ITコンサル→作者の頭がよくないと1話で終了。(面白い展開にしつつあほにもわかるレベルに落とし込むのは高難度)

婚活→どうせリアルにならねえからやめとけ

薬物スポ根→一番惹かれた。どうつながるかわからんから持って行き方次第では跳ねる

anond:20230919091918

魔界転生してITコンサルタントとして悪の組織をDXしていくラブコメ

悪の組織の非効率業務プロセス人材強化をDXで変革していく

覚醒剤密造販路拡大を描くスポ根漫画

シマの取り合い、反社から攻撃反社の懐に入る過程スポ根風に描く

30代後半独身女性婚活リアルに描くギャグ漫画

読者が感じるイライラギャグで笑いに変える

2023-09-13

ハチミツとクローバー少女漫画だった

当たり前だがハチミツとクローバー少女漫画だ。

少女漫画から恋愛が中心になる。美大での活動は思ったより薄味だった。

少女漫画を読むのは初めてだが、俺は心の成長が男子小学生で止まってるから、やはりバトルしてどっちが強いとか修行して道を極めるとかばかりやってる少年漫画の方が好みだ。

一方で心理描写やそこでの言葉の使われ方などはなかなか自分の発想にはないものだと思った。そこが少女漫画の専門分野ということだろう。

美大スポ根が読みたければブルーピリオドを読めってことか。内容知らんけど。

それにしても登場人物が何かまどろっこしい恋愛してるなあと思った。とりあえず寝てみて相性悪いなと思ったら次行って、脈がなかったら次行って、てのを繰り返すのが現実だと思うが、何年も片思いをし続ける物語が求められてるのか?

竹本君が一人旅を始めたあたりから面白くなってきたように思うのは少年漫画脳だからだろうか。お父さんの焼け焦げた頭部パンは唯一爆笑した。

森田ってどっかで見たなと思ったら、自由人なところと外見が東のエデン滝沢そっくりだ。

2023-09-03

anond:20230903084651

ウマ娘で釣るなら「スポ根性的消費の食い合わせの悪さ(またはその矛盾への愛)」、凱旋門賞でなら「欧州競馬貴族主義ポリティカルコレクトネス矛盾(またはそれによる欧州競馬限界)」、新シナリオなら「オリジナルウマ娘人気と競馬愛、サラブレッド愛との間に揺れる心」的なテーマで書けそう

2023-08-08

anond:20230808094830

完全に搾取の要素で構成されているでしょ。

問題は、これが一部の人間いよる搾取ではなく、かなり大規模な甲子園ファンとか一般人による搾取だって事。

感動ポルノというか、スポ根ポルノというか、もういっそ「甲子園ポルノ」と直接言ってしまってもいいくらいだよ。

よく甲子園魔物かいうけど、これも一種魔物であって、「甲子園」と言ってしまえば全てが許されるみたいな風潮があって、

それに当の高校球児すら飲み込まれて「洗脳」されてるってのが実際のところだと思う。

まずその根本的な部分を自分を含めみんなが自覚しないと無理だろう。

まぁ死人が出るまで無理かな、って感じ。

2023-07-03

アイドル超人性が求められるのではなく、主流物語には超人性が必要なのではないか

アイドル作品等身大の躓き方をしていると嫌がられるというのは確かにそうだが、それはアイドル超人であってほしいからというより、沢山作品が作られる流行ジャンル超人の話でないとダルくて見てられないからじゃないか

これまでブームになってきたスポ根アニメだって格闘技ものだって恋愛トレンディドラマだってロボットだって、だいたい主人公超人だったろう。

数年に一回アニメが作られるどうか程度の人気のないジャンルだったら、ちまちました生活感のある躓き方をしていてもいいだろう。渋い魅力の変わり種として楽しめるだろう。

だがワンクールに二本も三本も出るような流行ジャンルではそんなのかったるい。

時代の寵児になったジャンルは、派手でダイナミックな物語キャラクターでなきゃならない。

anond:20230702234225

2023-06-22

anond:20230622135809

メジャーとかテニプリバリバリ血筋やん。

スポ根とかは才能以前に環境要因もデカいし、主人公能力の高さに説得力を保たせるなら親がプロとかの方が分かりやすいんだよね。

2023-06-21

EGO

スマホゲーのウマ娘には、ゲーム構造上の欠陥があると思っていて、それは「アスリートとしてウマ娘を描く、スポ根もの」と「かわいい女の子が歌い踊り、人間関係を描くアイドルもの」の間で生じる矛盾

スポ根が正しく熱く描かれるほど、じゃあアスリート本業以外のダンス歌唱はいらなくない?むしろこんな多様な性格ウマ娘がいるんだから、みんなが喜んで歌い踊るのは解釈違いだろう、という気持ちになってくる。アスリートに外見的な可愛さを求め、押し付けていると言えばその通りで、まぁルッキズムだ。

一方で、現実競馬もよくよく考えると構造的に欠陥がある。馬が好き、馬が走るのが好き、馬に血筋歴史あり、という楽しみの中で、速く走るためだけに改良されたサラブレッドという品種の歪さ、不自然さ、人間エゴが見え隠れする。

この現実ゲーム構造的欠陥はどこかでリンクする。それはエンタメの中で、問題点を見て見ぬフリをするということ。ある種の快楽を優先することで、意識的隠蔽する負の部分。

これらとどう付き合うべきなのか?意識をして罪の一端を精神的に背負うことで、自分への言い訳を用意し、致命的な矛盾回避することができるのか。それとも単に忘れて楽しむことが正解か。

上手な現実との付き合い方を探る。

2023-05-01

映画BLUE GIANT感想

映画は終わったはずなのに、心の中にまだ音楽が鳴り響いていた。帰り道の高揚感はまるでライブ会場から帰るときのようで、音楽に包まれ世界で息をするような感覚からずっと抜け出せない。映画BLUE GIANT』は、感情を奏でる演奏で観客の心を掴む、最高の音楽ライブだった。

公式サイトhttps://bluegiant-movie.jp/

予告編YouTube): https://www.youtube.com/watch?v=h1I116oS_Lk

今年の二月から上映している本作は、同名の漫画原作としたアニメーション映画だ。音楽人間物語を楽しみながら、ジャズ界の独自価値観や挑戦についても理解を深めることのできるものになっている。

主人公宮本大は「世界一のジャズプレイヤーになる」という大きな目標を抱え、故郷仙台を飛び出し、単身上京する。東京出会った凄腕のピアニスト・沢辺雪祈や、高校同級生素人ドラマー玉田俊二とジャズバンド「JASS(ジャス)」を結成し、それぞれが音楽に向き合いながら、壁にぶつかりつつ、夢の実現に向けてひたむきに取り組む一年半が描かれる。

原作の「東京編」を中心にエピソードを厳選し、上映時間の四分の一をライブシーンに充てるという大胆な構成採用されていたが、まずこれが見事な成果をもたらしていた。上原ひろみピアノ)、石若駿(ドラム)、馬場智章(サックス)の演奏はとにかく圧倒的で、音楽アニメーションコラボレーション最高峰と言える。また、その魅力を余すことなく味わうことができたのは映画館という環境存在が大きく、Netflix支配力が高まる現代において、専用施設役割可能性を示すことにもなっていた。

今回は、そんな傑作の魅力を紹介すると共に、宮本大の「ジャズを信じる」信念の問題点や、JASSの「So Blueに立つ」という目標物語性質に与えた影響について考えていきたい。

(以下、ネタバレを含みます。)

アニメーション技術を活かした音楽の魅力表現

映画BLUE GIANT』のテーマは「演奏者と音楽関係性」だ。宮本大、沢辺雪祈、玉田俊二は、それぞれ「演奏すること」について異なる意味見出している。その違いゆえに彼らの人生は巧妙に交わり、そして必然的に別れを迎える。

演奏である彼らが「音楽に向き合う」ということは「自分自身と向き合う」ことを意味しており、この作品において演奏技術を高めることは、自分自身真摯に向き合うことと同一に描かれる。自分自身対話を重ねて演奏力を磨き、ライブを繰り返しながら音楽との関係性を深めていく若者たちの姿が、本作の大きな見どころだ。

ライブシーンはどれも素晴らしかったが、中でも僕が心を奪われたのは「汗」に関する表現だった。演奏者たちの身体から吹き出る大量の汗や、そこからこぼれた大粒の一滴が、アニメーションならではの表現で美しく描かれる。それは、音楽空気振動させて生じる運動の結果であることや演奏者の存在再確認させるばかりでなく、自己探求の試みを象徴しているようにも思えた。落ちてきて弾け飛ぶ汗を見たとき、その背景にある身体的な研鑽精神的な苦悩に思いを馳せてしまうのは、物語音楽映像が見事に組み合わさって感情を揺さぶからだろう。

ライブシーンでもう一つ印象深かったのは「凄まじい演奏に目が釘付けになる」という描写だ。特に終盤の人々の目が幾重にも重なって演奏に引き込まれていく表現が印象的だったが、これらは音楽演奏聴覚だけでなく視覚も惹きつけるものであることを効果的に示している。実際に音楽ライブに行くと、音楽は「耳で聴くもの」というよりも「目で見るもの」「肌で感じるものであることを実感するが、この映画ではアニメーション技術アイデアによって同じ体験をもたらしていると言える。

また、脚本として素晴らしかったのは、この映画が「沢辺雪祈の物語」として完璧に仕上がっていたことだ。漫画版では交通事故によって最後ライブに参加できなかった雪祈だったが、映画版ではアンコールで大や玉田と共にSo Blue舞台に立つというシナリオ改変が施されている(最高だ!)。怪我を負った雪祈は片手で演奏することを余儀なくされるが、その姿が大が初めて雪祈のプレイを見たときに片手で演奏をしていたシーンと重なり、呼応することになる。手を抜いて片手で演奏していたプレイと、片手でしか演奏できない状況で全力を尽くすプレイの対比があることによって、映画版はより一層雪祈の精神的成長が強調されるものになっていた。

ジャズを信じる」大の信念の問題

本作はジャズライブ世界を美しく表現しているだけでなく、コミュニケーション人間関係のあり方についても、ジャズプレイヤーたちの世界文化を伝えるものになっている。素晴らしい取り組みである一方、その描き方にはついては大きな問題がある。それは、彼らの世界をただ単に肯定的に、あるいは美学さえ伴って、無批判に描いてしまっているという点だ。

ジャズバンドには「独立した個人たちが自分自身活躍や成長を目指して組まれる」という文化的な特徴がある。作中のセリフにあるように「ジャズロックバンドみたいに永遠に組むもんじゃない。互いに踏み台にして名を揚げていく」ということだ。そのため、良くも悪くもバラバラ状態肯定され、自助基調としたコミュニティ文化が成立している。

例えば、玉田俊二や沢辺雪祈はそれぞれ大きな課題に直面するが、大はその苦境に共感したり、手助けをしたりはしない。それどころか、雪祈が玉田を、玉田が雪祈を心配しても「自分自身問題から、おれたちに出来ることは何もない」と、その配慮無用ものとして切り捨てる態度を取っている。

しかし、自分自身問題であることと、周囲がその解決サポートすることは決して矛盾しないはずだ(でなければ、カウンセリングという仕事は成立しなくなってしまう)。むしろ人間が抱えるあらゆる問題は究極的には自分自身問題しかない。それでも人は、他者の悩みや状況を想像し、共に心を痛めることができる(=エンパシー)。そこに人間の素晴らしさがあり、そのような想像力に支えられることで、僕たちは日々の問題に対して継続的に立ち向かうことができているはずだ。

ところが、ジャズプレイヤーとしてあまりに完成されすぎている大のメンタリティは、そのような想像力を必要としない。自助を当然とする大の態度に、玉田は大きく動揺し、雪祈でさえ戸惑いを見せ、二人は困難に直面しても「助けてほしい」と言うことができない状態に追い込まれしまう。大は「ジャズを信じている」と口にするが、これはジャズという音楽の良さが理解されることだけでなく、「ジャズバンド的な人間関係コミュニケーション方法が通じる」と信じていることを意味しているのではないか。つまりジャズを信じる」大の信念が、JASSの「助けてほしい」とさえ言えない人間関係を強固にしているのだ。

「信じるだけ」の大は、いわば「仲間のために戦わないルフィ」だ。彼の言動からは、人の弱さを認めず、自分が出来ることはみんなも出来ると思い込んでいるマッチョワンマン社長のようなパワハラ気質が伺える。もしかするとそれは「お互いを追い込みながら、最高のソロを引き出し合う」というジャズ性質を、人間関係アプローチ転用したものなのかもしれない。だとしたらそれは、今日ではあまり受け容れられないスポ根的なスタイルが、文化系の皮を被ることで見過ごされているだけなのではないだろうか。

この映画では、周囲の人々に助けを求めず、自分自身を追い込んで課題を克服しようとする姿を肯定的に描いている。しかし僕は、それらをもう少し批判的に捉える視点があるべきだったと思う。あれほどまでに深く自己と向き合うことができるのであれば、そこで培った想像力を活かして他者の心に深く寄り添う可能性も求められるはずだ。自助圧力高まる世の中だからこそ、自分自身に向き合い、自分自身問題に取り組みながら、他者に対しても理解し、助けることができる人間関係を築く、そんなジャズプレイヤーたちの関わり方を提案して欲しかった。

権威に認められようとする挑戦」の物足りなさ

この作品にはもう一つ、物語性質に関わる問題がある。それは彼らの立てた目標、あるいは権威との関わり方の問題だ。

大、雪祈、玉田の三人は「JASSの目標」として、十代のうちに日本一ジャズクラブ・So Blueステージに立つという目標を掲げる。もちろん大きな目標であり、大胆かつ困難を伴うチャレンジではあるのだが、僕はこの目標によって彼らの物語が「質的に」小さいものへと制限されてしまったと思う。

ジャズマンにとってのSo Blueは、野球甲子園ラグビー花園に相当する憧れの舞台だ。ただ、その性質は大きく異なっている。甲子園花園は「勝ち上がる」ことで立てる舞台であるが、So Blueは「認められて」立つことができる場だ。つまり、そこに辿り着くためには権威を求めなければならない。このことから権威に認められなければ成功しない」という価値観が生まれるのだが、それが(若者たちの挑戦を描くにしては)物語を物足りない方向へ導いてしまっている。

JASSはSo Blue支配人・平にライブを観に来てもらうというチャンスを掴むが、雪祈のプレイ否定され、夢への道が閉ざされてしまう。このとき「縁がなかったということで」と断った平だったが、後に彼が自戒したことで雪祈へのオファーが生まれ、それがJASSのSo Blue出演へとつながっていく。雪祈のソロ克服という要因はあったものの、もしこの権力者凡庸人格の持ち主であったら、JASSはSo Blueに立つことはできなかっただろう。若者たちの挑戦に重きを置くには、権威的な存在が過剰である

また、中学生の頃からSo Blueに立つという目標を持っていた雪祈には、権威主義的な性格が定着してしまっている。自分評価していないギタリストと共演しても、相手一定プレゼンスを持っているとお世辞を言ったり、自分ソロについて大から指摘を受けたときは反発しつつ、平から叱責を受けると素直に聞き入れたりする。葛飾ジャズフェスティバルへの出演が決まった際には「フェスとなればジャズ業界人間もたくさん集まる。駄目バンド烙印を押されたら、もう一生どこにも呼ばれない」とまで言い切っており、妄想の中で権威肥大化し、視野が狭くなっている様子が伺える。これらは、挑戦する若者というキャラクターの魅力を損ねる要素だ。

若者たちの挑戦を描くのであれば「権威に認められようとする挑戦」よりも「権威を打倒しようとする挑戦」のように、もっと質的に大きなものを期待したいが、ジャズプレイヤーの挑戦である限り、権威に対する依存は避けられないのかもしれない。

それでも、映画演奏世界を美しく表現している―――問題をかき消す「音楽の力」

映画を通じてジャズという音楽の魅力は十分に伝わってきたが、僕は大がジャズを信じる姿に共感する気持ちにはなれなかった。映画BLUE GIANT』は、ジャズ美学を称えるはずの作品でありながら、同時にジャズ的なもの自助を前提とした人間関係コミュニケーション権威に認められることで成功するという価値観)が抱える課題も浮き彫りにしてしまっている。

それでもこの映画は、音楽の力とそれを支える視覚的な表現力で観る者を魅了してしまう。そこに問題があったとしても、圧倒的な恍惚によってどうでもよくなってしまう。それこそが、この映画の正体なのだろう。最高のクリエイターたちがもたらす感動が、自助強要する主人公や助けを求められない人間関係、挑戦の質による物足りなささえもかき消すことで、「音楽の力」を証明することに成功したのだ。物語パートで引っかかることがあったにも関わらず、あまりに強すぎるライブシーンが全てを帳消しにした結果、鑑賞後の僕の心にはただ音楽けが存在していた。大、雪祈、玉田たちにとって演奏することがそうであったように、まさに、最高の演奏によって数々の問題を乗り切った物語だったと思う。

2023-03-27

anond:20230324224150

世代ですかね。

小学生のころ確かにそういう空気はあって、中学高校と進むにつれて、薄くなっていった印象がある。

アニメだとスポ根ものや、男子向けの作品にそいう描写がちょいちょいあって(偏見)

一方でラブコメとかもあって、うしろめたい思いをしながら観てた。

脱線ですが、関連して思い出したのが以下のような言説、事象

○○歳にもなって結婚してないのは(普通に見えても)人間性に何か問題がある、異常がある。(○○は30だったか40だったか)

(男は)結婚しないと出世できない。させない。

所帯を持てば身持ちが良くなるだろうと考えて結婚させる。

お母さんが働いているのは特別事情のあるかわいそうな家。

同じ職場で男女が結婚したら女性が辞める。

同じ職場共働き夫婦で夫が管理職になったら妻が辞める。

妻が働きに出るのを夫が許可する。

2023-03-03

アニメシャインポストいね

昭和スポ根アイドルというジャンルでやってるし名言も多い

これは何度も見直したいアニメだね

決してただの萌え系ではない

2023-03-02

羽生結弦を叩く増田を読んで思ったこ

anond:20230301102603

 男性フィギュアスケート選手揶揄嘲笑する風潮というのは、これは実は日本に限った話ではない。

 アメリカスポ根コメディ映画で『俺たちフィギュアスケーター(原題:Blades of Glory)』という作品がある。フィギュアスケートライバルとして犬猿の仲だった主人公二人が、史上初の"男性ペア"を組んで競技に挑むという筋立ての物語である

 この作品を観た観客に笑いを喚起する根源となっているものこそが

男性フィギュアスケート選手は、何だかゲイっぽい」

という、日・米・欧を問わず世間存在する、男性フィギュアスケート選手に対するステレオタイプ(偏見)である

 そしてまた、そこには

世間が『ゲイっぽい』と見做した存在であれば、イジったり嘲笑したりしても構わない(許される)だろう」

という、根強く残る暗黙の了解と呼ぶべき空気存在している。

 それを裏付けるように、作中で主人公たちが披露するフィギュアスケートの演技は、性行為連想させる下ネタ的なものである。「女性アスリート競技する姿によって、性行為連想させ、それで観客の笑いを誘う」という手法をとったとしたら、現代社会ではセクハラと見做されて糾弾されかねないが、ゲイっぽいと思われている男性フィギュアスケート選手対象ならば問題視される虞はないというわけである

 男性殊に世間一方的ゲイ認定した男性に対するセクハラは、セクハラと見做されないという、現代社会根深問題の一つと言えよう。

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 芸能人アスリート等の中には、ナルシスティックに感じる言動・振る舞いをする人が存在することは確かである。そして、世間には「そういったナルシスティック言動が許せなくて、何とか揶揄してやりたい」と考える人が、或る程度の割合存在する。

 とはいえ、そのナルシスティック言動をしている人間が、強面の格闘技選手とか、不良出身ヒップホップミュージシャンとかであれば、揶揄するのは怖いし度胸も要する。

 それに比べると、フィギュアスケート選手であれば、線も細いし、そこまで強面でもないから、揶揄しても何となく許されそう(逃げることができそう)な気がする。羽生結弦揶揄する人間心理を推測するならば、おそらくそういったところであろう。

 また、ゲイフォビアの感情正当化する言い訳として「アイツはナルシスティックだ!」と"判定"をしている可能性もあるように思う。

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 そもそもナルシスティック言動をすることが何か問題が有るのだろうか。それは果たして非難されるような、許されざる行為なのだろうか。

 宝塚歌劇団男性役の人とか、男性バレエダンサーとか、表現活動生業にしていてナルシスティック言動をしているという人間は、探せば幾らでも世の中には存在する気がするが、彼女ら/彼らは羽生結弦ほどにはバッシングされていないように思う。

 例えば、この文章を書いている増田は、かつて"ももち"の愛称で親しまれたアイドル嗣永桃子(※現在芸能界引退済)が今でも好きなのだが、芸能人だった当時の彼女が「ももちカワイイ」と自称していたからといって「ナルシスティックだ!許せない!」などと言う人間はいなかった(と思う)。仮にそんな人間がいたとしても、狂人しか思えない。王子発言をするミッチーこと及川光博を指して「ナルシスティックだ!許せない!」と言う人間狂人と見做されることと同じである

 彼女ら/彼らのポジティブナルシスティック言動や振る舞いこそを目的として、ファンは対価を払い、そして元気を貰っているのだから、何も問題は無いはずである

 別に時計じかけのオレンジ』のルドヴィコ療法のように、無理やり羽生結弦ショーを見せられたわけでもあるまい。それどころか、わざわざ羽生結弦及び彼のファンを腐す/叩く理由付けのために、自ら羽生結弦ショーを観に行って、「羽生結弦キモイんだ!だから皆で叩け!(叩いて欲しい!)」という願望をダダ漏れにした駄文を書き連ねるのだから、これは立派な狂人である

 元増田の「ナルシスティック!許せない!」という論調のものが、昭和女性向け週刊誌のような時代遅れ感に満ち溢れている。もしかして座敷牢か何処かに長年閉じ込められていて、時代の変化に取り残されたのだろうか。

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 それで思い出したのだが、数年前に映画監督の福田雄一が、自身コラム記事で、世間羽生結弦バッシングを引き起こそうとして、ものの見事に失敗したことがあった。福田雄一といえば、佐藤二朗ムロツヨシを起用しさえすれば、それだけでコメディ作品になると思い込み、次々と駄作を量産していることで有名な、貧しい感性の持ち主である

 羽生結弦を腐すコラム執筆した時の福田雄一映画俺たちフィギュアスケーター』(を観ていたかどうかは知らないが)と同じ感覚で「男性フィギュアスケート選手ってキモイよね!?」と書けば、世間から同意を得られてウケが取れると思っていたのではないだろうか。

 しかし『俺たちフィギュアスケーター』は2007年作品なのである。今、この映画を観ると、正直キツイと思う。仮に、あれと同じ感覚で今「男性フィギュアスケート選手キモイ!」とか言っていた/いるとすれば、元増田福田雄一も明らかに時代遅れなのである

 羽生結弦叩き増田はともかく、福田雄一現代実写映画業界においてそれなりに有名な映画監督なので、こんな時代遅れ人間大手を振って活動できているのであれば、日本実写映画が衰退するのも納得である

 むしろ、つまらなくてコメディと呼ぶに値しないような駄作を量産して映画監督を名乗る方が、よほど(有害意味での)ナルシスティックではないだろうか。

 元増田は、福田雄一他山の石として、道を引き返した方が良い。今どき羽生結弦叩きでウケが取れると思うような古臭い感性人間は、これからどんどん肩身が狭くなるだろうから

2023-01-31

anond:20230130180827

異世界おじさん面白いやん。

ちゃんとおじさんが主人公であり、女は脇役ポジションの枠を超えてない。

今季だと、とんでもスキル異世界放浪メシも男が主役で面白い。あれも話が進むと女キャラも出てくるけど、主役はサラリーマンと魔獣とネットスーパーだし。

スポ根も男しか出てこないの多い。

ブルーロックはチョロっと出てくる秘書女の子以外男子おっさんだけ。

ツルネは男子高校生筋肉描写偏執的すぎて心配になる。あれは性的搾取だろ。

2022-12-25

ブルーロック面白い

最近見始めたおっさんだが面白い

友人にすすめられて見始めた

そいつ女子なので明らかにビジュアルで見はじめたタイプだけど

普段きらら見てるような俺でも楽しめた

 

構成はデスゲームスポーツって感じ(ちょっとカイジ地下労働っぽさも入ってる)

どっかでみたなーと思ったら大運動会だった、あれ大好きなんだよね

 

理不尽なことする主催者枠の人がちゃん理屈っぽいこと言ってて笑う

主人公理屈屋っぽいか解説役が居なくても成り立っている

主人公ビジュアルの割にかなり好戦的エレンタイプ

スタンドプレイかチームプレイか、っていうクソみたいな二元論に終止してないのがいい

サッカー作画めっちゃよくてかっこいい、良質な格闘漫画みたい

BL狙ってそうな雰囲気めっちゃ感じるけど個人的に嫌な感じがしない、むしろ尊い

・デスゲームでよくある「敵」「味方」がコロコロ変わる感じもおもしろ

 

てかこの話の構成ってうまくやるとハマるよな

スポ根ってどうしても試合がメインになるけど、試合ってもう擦られすぎてて新しいものが生まれにくいんだよね

そうなると「チーム戦を一回バラす」っていう作業必要になってくる

ハイキューの強化合宿とかそういう感じ

この作品はそれをデスゲームミックスさせることで常にバラしまくりの状況を作ってる

ただデスゲームみたいな「死」を作れないからそこを「選手生命」に変えることで成立させてる

デスゲームみたいなファンタジーよりかはスポーツ立脚してるからリアリティも出せる

どんどん数が少なくなっていくからトーナメント戦みたいな「負けるキャラフォーカスを当てていく」もできる

 

この作品が向いてると思う人

・デスゲーム好き

スポ根好き

BL好き

 

向いてない人

・熱血嫌い

純愛過激派

・女キャラが出ないと発狂する人

2022-12-12

電波ソングブルマーそれからオーストラリアブルマー画像


前回、学校園との体操着の変遷についてまとめると書いたが、気が変わった。

方針

電波ソング歌詞DBからブルマ」という歌詞を含んだ歌を検索する。

ブルマの秘め事

「バトルアスリーテス 大運動会」という1997年から1998年にかけてのメディアミックス作品の曲。OVAヒロイン夏樹リオが歌う曲。SFスペースオペラスポ根ものらしい。

赤 青 黄色 白 緑 あずき コーヒー ゆず さくら

どの色も金色メダルを目指してる

コスモビュティーになるまで履き込め ブルマ値打ちも上がる

ミニスカの下に履いたらいきなり ブルマ値打ちは下がる

……。

お兄ちゃん放課後のひ・み・つ☆

いもうとブルマ」というあまりにもそのまんまなタイトルゲームOP2002年

主人公と幼馴染の姉妹の親同士が突然再婚し、幼馴染の姉妹自分の義妹になった。良好だった関係がふとした関係性的ものとなり……みたいな話。

体操服とブルマだけでなく、レオタード水着チアリーディング服などを収録」だそうな。

放課後の体育倉庫に 突然呼び出されて(みたら)

お兄ちゃんったら も・う・エッチ

 【ななる】『ふあぁん……お兄たん、ブルマの上から擦っちゃいやぁん』

はいアウト。

絶滅回避ブルマー☆絶対“妹”領域

いもうとブルマ2というあまりにもそのまんまなゲームの続編。中身も親の再婚により突然4人の義妹たちの兄になってしまうというもの2006年。ちなみに歌っているのは上の人と同じ萌娘。

全国各地で ブルマが消えてる もどかしい 痛ましい

くいこみブルマは 不滅なり われらの煩悩ある限り!

内容が妹とブルマーに関する欲情なので以下自主規制

関係ないけどブルマフェチにも裾だしと裾たくし込みフェチや、食い込みやハミパンフェチと区別があるみたいだ。

ガンダムパロディ多し。

MY MOTHER AS A DOG

「こすままにあ」というゲームより。2003年

ストーリーは、彼女との初体験挫折した主人公を、義母が教え導くものコスプレの一つとしてちょっと言及されるだけである

ブルマハイレグロリータ

ネコミミ尻尾着ぐるみ

Princess Party ~青春禁止令~

2009年のPrincess Party〜プリンセスパーティー〜というエロゲOP

古いゲームなので情報が少ないのではっきりしたことは言えないが。メインヒロイン青春禁止令を出しているそうだ。ただ、キャラの振る舞いとしてはツンデレ風だとか。

 スク水やぶいて穴から突撃

 ブルマは脱がして燃やせばいいよ

 絶対領域 分割統治

 接待麻雀 ふんどし 放置ハイ!)

暴挙

エプロン

2004年はるのあしおとというエロゲ

片想い相手が同僚と結婚することを告げられて、何も言えずに田舎に帰ってしまった主人公が、伯父の代理として教師をする物語で、OP映像があの新海誠である。そういわれてみれば主人公のうじうじ具合もそんな気がしてこないか

それと、「ほしのこえ」ではヒロインブルマー姿があったよな。

以下は妹的な立ち位置メインヒロインキャラソンのようだ。

 『続いてマット運動! ブルマに着替えてでんぐり返し

 えぇーっ?! 水着は? ねぇ、水着はどうすればいいの?

 『1・2・3・4・5・6・7・8』

エプロンだけは取らないで!

2001年に連載が始まったみづきたけひとによる「こはるびより」という漫画があるが、これを2007年OVAにしたものOP

人間と同等の容姿能力を持つメイドロボが実用化されている時代舞台に、オタクフィギュアマニアのご主人様にあくまメイドでなく愛玩人形として扱われているメイドロボが、その使命とのギャップに悩む話、らしい。

1000歩譲って着せかえOK

普段着 晴れ着に スク水 ブルマ? ♪なんじゃコリャ

これもブルマーそのものではなく、数多くのコスプレの一つとして出てくるに過ぎない。

ぶるまー2000

anond:20220613080116ブクマにて載っていたので掲載

「ぶるまー2000」というゲームの曲。2000年ゲームかな? ジャンルが「ケツゲー」。なんじゃそりゃ。エロゲジャンル、いや、エロゲだけに限らないんだけど、ジャンル説明説明になってないケースって多いよね。

ちょっとよってね 私のお店 あなたを待ってる ブルマっ娘

 紺に エンジに 緑に 水色 サイドラインのあるのもないのも

 よりどりみどりの ブルマっ娘

 ブルマ世界秋葉原 ぶるまーず☆

内容はここによれば、「地球全土のブルマー化を目論む「BB団(ビッグブルマー団)」と世界微妙ブルマバランス監視する国際ブルマ機構MIB(ブルマーの男たち)」の抗争の中、大陸間弾道ブルマーが発射される」らしい。

エロゲではときおり正気を疑う設定があるので面白い個人的には設定がぶっ飛んだソローキンとか読むのが好きなのでこういうのは嫌いじゃない。

なお、ゲーマーズパロディだそうな。

参考:バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳「ちゆニュース - 歌関連」

「みつめて☆新選組

行殺 新選組」の主題歌2000年ゲーム

Wikipediaによれば「ライターの大澤良貫は、書籍美少女ゲームマニアックス』に寄せたレビューの中で、新撰組を題材としたアダルトゲームというと冒涜のように見えるが、実際は歴史ファン幕末ファンをうならせるようなマニアックで愉快な作品に仕上がっていた」らしい。

一つ ブルマ絶滅したら切腹

と、何が何でも切腹が繰り返される曲である

参考:同上

結論

おまけ、オーストラリアブルマ画像

「scungies」「basketball」という単語検索をすると、以前の記事のようにバスケでブルマーをはいていた証言がたくさんヒットした。

以前と重複するのもあるが、貼る。記事を見ると豪州では90年代までブルマーは現役だったようだ。

ブルマーの流行ショーツ化、廃止の流れは日本だけの現象ではなかった傍証がまた一つ増えた。

https://www.facebook.com/coffslocalhistory/photos/back-to-school-orara-high-school-coffs-harbour-1980-junior-basketball-team/1075844562581107/

https://www.facebook.com/mvbasketball/photos/a.578919878830876/3029438987112274/?type=3&paipv=0&eav=AfZzVEZHYomM4X2lvhKy2-0kTB9TjozOZIV3dal64YIMi7C94AGnwdwuCfOhGo3DaHQ&_rdr

https://www.facebook.com/thecanberrapage/photos/a.157184407655728/7718097748230985/?paipv=0&eav=AfYSav0TfxbsNVDMjw34KsSPz-t4bQP_t7DsDyV7MpzigklbY15otILgDFLEY_DP7Ps&_rdr

https://www.facebook.com/bibsnskirts/photos/a.245704185447177/245704202113842/

(これはネットボールか)

あと、こちらの拒食症を扱った記事では、陸上でもブルマーをはいいたことが記録されている。

https://www.smh.com.au/lifestyle/health-and-wellness/sarah-berry-eating-became-my-enemy-because-it-was-the-only-thing-i-could-control-20170309-guu8vb.html

関係ないけど、体育の教科書なんかだと、普通体操着以外にレオタードを着ている女子生徒が映っている。普通体操着以外の体操服を注文させられる学校が昔はあったんだろうか?

こちらでは男子が短パンなのに対して女子ブルマなのは「不完全」に感じられるということが書いてある(ななめよみ)。

https://sirensport.com.au/op-ed/lycra-wars-when-one-size-does-not-fit-all/

ざっと書いてしまったが以上。

2022-12-11

今思えばいじめられっ子だった私

私は女子校育ちだ。

小学校までは地域公立校に通っていて

私の地区はみんながみんなとりあえず私立受験をする風潮だった。

地元中学が荒れていて、少年院に入ったとか、髪の毛が青いやつがいたりそんなのが噂になっていたのもあったし勉強はしなくてもそこそこだったので母の勧めもあったし女子校へ通うことにした。

第一志望に落ちてしまったらあとはどこでも一緒という気持ちもあったし、なによりも自転車で通えるのが楽そうで良かったからだ。

今思い起こせば私は内部進学生から嫌われていた。

運動部に入って運動部お荷物だったのも原因かもしれない。

内部進学の子が4人、外部の子が4人。

バレー部は内部進学が5人、外部の子が2人。

バレー部はよく考えなくてもいじめをしていた。1人はやめた。

もう1人はいじめに加担することで身を守っていたのかもなあと今思えば思う。

1人敵がいると団結できるもんな。

運動部は内部進学生が強かった、

母親たちのバックアップという意味でも

それでも自分なりに雑用をし、自分なりに頑張ってきた。

そんな中、入院するぐらいの怪我をした。

下手くそバスケさらに下手くそになった。それでも辞めたら負ける気がして最後までやり切った。

なんでか中3だったと思う機嫌を損ねたかもう記憶にないが、内部生の中でも勉強は出来ないけど親は大金持ちという、攻撃的な子Aに嫌われて毎日お前の味方なんかいない、お前見てるとムカつく、他の奴らに言ってみろ殴ってやるなど色々言われて全てが嫌になったのを覚えてる。トイレに呼び出されてなんか壁に押し付けられたのを覚えている。

当時の私は細くてAは小太りだった。

このAは帰宅部だったのに運動部の中で君臨しようとする、実際には友達があまりいないタイプだったのかもしれない。

このままでは私の数少ない友達いじめられてしまうと思ったか親友と連絡を取らなくなった。

その当時流行ってたmixiとかCURURUブロックしたのだ。長文のTwitterみたいな使い方をしていた。

ジャニーズ大好きで一緒にコンサートもたくさん行った。今思えばなんで愚かだったんだろう。

わかってもらえなくても相談したらよかったのに。言ったら

親友でなかったのかもしれない。

その友人は部活高校に入るタイミングで辞めてしまった。

そのことで私はお揃いのストラップをつけるような友を失ってしまったのだと。

ジャニーズから離れてしまったのも私はこのタイミングだったかもしれない。

ただただ毎日その内部進学生Aが高校に進学出来ないように祈っていた。

実際進学できないと聞いてすごく嬉しかった。

もし高校も一緒だったら死のうとすら思った時もあった。

未だにそのAを見ると嫌な気持ちになる。

彼女高校には進学出来なかったにも関わらず大学時代部活仲間との飲み会にいる時があった。確か成人式にもいた。

私は嫌な気持ちを消せなくてそのAがいるとわかったら参加しなくなった。

部活同窓会にもなかなか行っていない。

Aがいなくなってからは私は普通に高校に進学し、大学へ行った。

高校はなにも大きな出来事はなかった気がする。

大嫌いな部活高校になったら気楽になった。

スポ根を味わえたし、私の基礎体力を作ったのでいい経験だった。

チームメイトとは普通に楽しく過ごせるようになった。

負けて悔しい、そんなことすら思えた。

Aは日本高校に受からアメリカに行ったらしい。

向こうからしたら中学までは自分ぬるま湯に浸かってだけでアメリカで開花したとのことだったが、私は未だに彼女を許せてない。

そんなAが子供を娘を産んだというのを聞いた。Facebookに欲しいものを全て手に入れたとか宝物だとか、子供にも人権があるとかこの子を守るみたいなことを書いていて正直不幸になって欲しいと思ってしまった。

最愛の夫はあなた学生時代いじめっ子だったのは知ってるのだろうか。

本人からしたらそんなことなんてあったっけ?みたいな事なんだろう。

同じように人をいじめ子供になるのか、はたまたいじめられる側になるのか、

女子校陰険だという話ではない。

嫌なことは嫌だし、何年経ってもやられた側は忘れないのにやった側はケロッと忘れてる。

しろ向こうからしたらお前が悪いんだろという案件なのかもしれない。

その時の周りはもうみんな気づいてないのかもしれない。

周りはいじめられてたっけ?と思うかもしれない。

世界狭いで今生きてる中学生の私に言いたい。

全て捨てたっていいんだよって。

部活も辞めていいし、学校だって変えたっていい。

勉強だってなんだってやればやるだけ自分の力になるんだから

何もかもが悪い方にいく気がする時は何もしなくたっていい。

そのままのあなたを好きでいてくれる人が1人でもいるなら幸せなんだよって。

それはその狭い世界はいいかも知れない。でも世界は広い。

無理に嫌いな奴と付き合わなくたっていい。

嫌いなやつといなきゃいけない理由なんてないんだから

それを認めてくれる人を探す旅なんだよって。

アンジェラアキの曲を聞いて号泣してしまった。

拝啓15歳の私へ

今負けそうで泣きそうなあなたより

15年後はあなたらしく生きれる友人を選ぶのが上手になりました。

このブログがもしバズって本人が読んだとして今更の謝罪なんて1ミリも欲しくない。ただ過去いじめていた側が、何も知らずに幸せになってほしくない。

いじめてた側は消せない罪を背負っていることを忘れさせたくない。

そんなどこにも吐き出せない想いを綴る。

そして同じような15歳に伝えたい。

いじめてくるやつがクソなんだって

2022-11-30

anond:20221130202608

そういう観点では、ネット麻雀て賭けではないという意味では健全イメージに貢献したんだろうし

麻雀漫画がだいたい反社が云々みたいなのが多い中「咲」は甲子園に出る的なスポ根漫画のノリで麻雀を扱うって意味クリーンものなんだろうなと

まあめっちゃ恣意的見方ということになるんだろうけど

ぼっち・ざ・ろっく!が面白い

昨日くらいに見ようと思って今見終わった

8話でようやく噂が自分まで届いた感じ

トレンドとか調べると尻上がりに話題になっていってる感じらしい

今期のダークホース枠だと思う

アマプラ評価見たら異常に高かった

海外の今期アニメランキングではSPYxFAMILYと同じくらい

 

何で見ていなかったか

ジャンル的には「バンドアニメ」「コミュ障アニメ」「きららアニメ」だと思うんだけど、どれもこれも食傷気味だった

似た設定ってここ数年で結構アニメ化されてるんだよね

あと「ゆるふわ日常系」と「バンド」「コミュ障」は正直相性が悪い

ノーストレスで見たいのに、所々シリアス展開とかトラウマ展開が入ってくるし主人公もうじうじしてるし

実際、その組み合わせで大成功してる作品は俺の記憶では無かったと思う

あとはパット見のビジュアルに惹かれる感じがなかったし、1話パンチのある楽曲が出てこないというのもあった

それで見送ってた、一応数分は見たけど

 

これはスポ根アニメだった

少し勘違いしてた、これはスポ根アニメに近い

ちょっと大運動会を思い出した、あかりハウス

個人的に一部のアイドルアニメが好きなんだけど、それはスポ根文脈が好きだからだと思う

ジャンプ系のスポ根に近いかな、実は才能があって戦いの中で覚醒するみたいな

コミュ障というのはよくある「なぜ才能を発揮できないか」の仕掛けとして使われている

 

そもそも舞台下北沢で、バンドメンバー部活じゃなくてバンド経験者ってあたりでも

文脈としてはゆるい部活系ではなく、ガチ目のやつだとわかる

 

アニメとしての出来が良い

とんでもなく作画が良いというわけではないんだけど

要所要所で楽しんでアニメ作ってる感が出ていて見ていて楽しい

思い切った変わった表現(例えば実写とか)って大体外すことが多いと思うんだけど、このアニメではちゃんとハマってる気がする

コミュ障の嵐のような内面表現しようと頑張ってる

あと声優の演技も上手いし、楽曲も好き

ちょいちょい原作を改変しているらしいが上手くはまっている原作期読者も納得しているのがすごい。てか8話でようやく1巻終了らしい。ふくらし粉使った?)

 

コミュ障解像度が高すぎる

コミュ障ぼっち表現する時の超えちゃいけないラインちょっと超えてる気がする

あとコミュ障特有思考回路結構こだわってるように見える

これ「その気持わかる!」となるのって半分以下だと思うしちょっと危ないのではと思うんだけど、個人的には理解できるので面白い

あと「目線の動き」がマジで俺じゃんとなるので注目してほしい

 

コミュ障の演技がうまい

声のトーンとか、抑揚がおかしくなるところとか、「アッハイ」とか、唐突早口とか、うますぎて一部の人ダメージ行きそう

 

みんな優しい

ぼっちキャラ主人公だとまわりが優しくないと破綻するからそりゃ優しいんだけど

個人的にはちょうどよく優しくてちょうどよく厳しいから良い感じ

 

どういう人に向いてるか?

スポ根とかスポ根アイドルアニメ好きな人

ジャンプ的なアニメ友情努力勝利)が好きな人

コミュ障表現見てフラッシュバックしない人

きららファン百合は薄め)

ネタアニメ好き

ライブ好き、特にインディーズ

 

とりあえず何話まで見るべきか

5話

 

色々アニメ見たけどちゃんと今風のライブ表現してるのあまりない気がする(正しく今風やるとコロナになるんだけどね)

あと主人公、歌わないってところがアニメ的にすごくチャレンジだと思うが、作詞担当ってところは上手い仕掛けに思えてきて面白い

若手バンドってバンドとしての苦しみを歌うの定番だけど、それが実現できてるからクリエイターにも刺さりそう

 

追記

ぼかしたけど私もゾンサガ大好き民です

強烈なビハインド音楽ねじ伏せるの好き

しかも今回はギターだよ?演出してる人すごいよね

弾けなくなるとか分かりやすい感じじゃなくて「なんか微妙」「なんか良い感じ」みたいなのよく表現できるよな

しろそこでコミュ障というキャラが生きてきてるのが

2022-11-28

雀魂×咲コラボの目玉がなぜ「微エロイラストなのか解説する

大阪駅のどか住宅街でもなく個人的にそう高級駅であるとの認識は持っていない)に掲示することの是非はともかく雀魂運営Yostar社は、咲コラボであのイラストを大いに宣伝する必要があった。

あのイラストが認められないなら広告出稿中止もやむを得ずという姿勢JR西日本交渉に望んだことは想像に固くない。

日本スマホゲーム会社代表としてCygamesを思い浮かべてほしい。Cygamesは「デレステ」「ウマ娘」とカード一枚に数万円(デレステ天井9万、ウマ完凸12万)の価値を持たせ売り捌くことで大いに収益をあげてきた。高級路線を支えるのは高いブランドイメージデレステアイドルものの中ではかなり露出控えめであり、ウマ娘ではエロイラスト禁止まで打ち出した。

中国製スマホゲームを展開するYostar社は比較ガチャ課金圧が緩いことで、日本でも高い評価を得た。アズールレーンSSR排出率7%は驚異である。その分減った収益源が問題になる。高級路線ではない分、ガチャを回さな庶民にも広く薄い課金を促すことが必要だ。そこで「微エロイラスト課金アイテムで売ることにしたのである男性にとってエロというのは女性にとってのスイーツや高級化粧品と同等の日用品、多少貧乏でも少々金を出す気になるのである

というわけであのイラスト自体商品なので、もっと売るためには宣伝をしなければならない。実は、光や文字やらでイラストの一部を隠すのは問題ない。寧ろそのほうがエロいので。

逆にあのイラストが出せないのなら商品イメージ広告できないも同然なので、高額な宣伝費は別の媒体に回ることになったであろう。


スマホゲーとアニメ作品コラボというのはそのゲームにあまり興味のない人にアニメ作品を餌にして興味をもたせる、あるいはその逆によって相互利益を狙う企画である

咲-Saki-2006年連載開始、2009年アニメ開始作品であるからファンオタク達には、オタク活動を停滞させ、最初から普通社会人でしたというフリをして生きている者も多い。だから場所大阪駅なのだ家族連れが見たらどうするという人がいるが、家族連れの元オタクのお父さんは宣伝対象なのだ。お父さんの性欲って日本では認められてないけどどうするの問題にも関わってくるのだが脇道にそれるので止めておく。


ちなみに「咲-Saki-」という作品基本的にはスポ根麻雀漫画であるが、百合入門的漫画でもあり、巻を追うごとに登場人物同性愛であることが基本とされ、衣服をはだけていく。イケメンたちの露出のなぜか多いBLの逆だとイメージしてもらえればよい。彼女たちの関係は尊く、エロは鑑賞に値するものであるが、男性略取されるべきものではないし、そういうものとしては見ていないと咲ファンとして言っておく。

あと重要だと思うのが「微エロ」という概念で、これはオタクでない女性や、ただ射精のためにエロ本やアダルトビデオを購入する男性には理解し難いものであろうが、エロいけど実用的とまではいかないのが良いのである。鑑賞芸術としての裸体画とか裸体像に近い。「チンコ立ててる自由戦士」とか「脳がチンコもの考えてる」とか言うのは端的に言って酷いセクハラ発言であるから止めてもらいたい。過去痴漢などにあった復讐のつもりかもしれないが、男だろうが女だろうが何かの復讐関係のない他人性的嫌がらせをするようになったら人としておしまいであるという良識は持って欲しい。

2022-09-27

anond:20220927134055

獣姦ものでもウマは定番ですし性的魅力を感じても不思議ではないのでは

それはそれとしてウマ娘百合スポ根なのであまり興奮はしないですね

少なくとも「エロいから同人誌が作られる」というタイプではなく

エロくないものを敢えてエロくすることで興奮する」タイプコンテンツではないかと思います

2022-09-23

anond:20220923141532

スポ根漫画は置いといても恋愛映画は長時間大画面で見せられるのに耐えられる美形の演者を起用してるだけで美化されてない実際の登場人物はせいぜい大学サークルかによくいるレベルの顔と思って見るもんやで

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