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はてなキーワード: 盆踊りとは

2018-12-01

anond:20181201205347

それは江戸時代以前の村社会だぞ

増田も知っているとおりに過去日本では養子縁組比較障害低く行われていた

何故かと言えば子供は村という共同体所属する存在であって「家の子であると同時に「村の子」だったか

「別の家の子」になっても「村の子である事実は変わらず、後継者に悩む家には他家から次男三男があてがわれた

それと同時に日本にはもう一つ「村の子」として形成するための文化があった

それが「盆踊り」だ

明治維新以前の盆踊りでは男女の出会いの場としての性質があり、明治維新の際に欧米文化輸入の兼ね合いにより性風俗の乱れを問題視した政府によって盆踊り禁止される

これは戦後自治体青年部による盆踊り復活運動まで続く

まり明治維新前の盆踊りとは男女乱交の場であって、そこで誰の子かわからない子供ができてしまうわけだ

の子供がわからなくとも「村の子」ではあるので、問題なくどこかの「家」に所属できたんだ

日本の一夫一妻なんてのは明治維新以降に生まれ社会制度であって、むしろ日本では(日本式の)多夫多妻の方が「妾」も含めて長い歴史があるんだぞ

2018-11-11

なぜよさこいけが成功するのか

ガーナで『よさこい踊り』が独自の変化を遂げ、超クールダンスへと進化していた「完全にアフリカンナイズされている」 - Togetter https://togetter.com/li/1287106

高知県民ではないので伝統よさこいというのがどういうものなのか知らないが、

ググった限りだともともと盆踊りと同じようなスローペースの踊りらしい。

それが今やドラムやらベースやら電子音が鳴り響く音楽に合わせて踊る集団舞踏パフォーマンスとなっている。

盆踊りとかそういう次元ではない。

現代の音楽昔ながらのYOSAKOIの融合、初めて知った時、これは新しい時代祭り始まったなと思った記憶がある。

地元で人気の踊りはそれなりにあるけれど、それらは地元を離れられない。

地元を離れても受け入れられ、ローカライズされてもなおアイデンティティを失わずに居るのはYOSAKOIだけだ。

あと関係ないけど東京に来て「よさこい」と表現されているもの

わりと高確率YOSAKOIソーランなことが多いので

最近ではYOSAKOIソーラン=よさこい認識してる人も多いのかもしれない。

でもそれってよさこいにもソーランにも失礼なような気がするんだけどこういう事言ったらお気持ちとか言われちゃうのかな。

2018-11-01

渋谷ハロウィン現象ってめっちゃ面白いよね

自然発生的に祭りが出来上がるってなんて面白いの!って思いませんか?

抑圧された若者が性を解放しに行く側面もあって、かつての盆踊り彷彿とさせる部分もあるし

経済効果も大きくあるし

いろんな分野からいろんな分析が出来そう

なのに、批判だけして常識人ぶろうとするのってすごく勿体無いよね

2018-10-29

渋谷ハロウィンがやばかったみたいだけど

毎年言われてるけど、元々はちゃんとしたルーツがあるのにそれを知らないで騒ぐとか頭悪すぎる

パリピの真似した程度の知らん田舎者がパ楽しけりゃいい精神で、物を壊したり、色んな場所痴漢が起きてるとかそれどこの世紀末だよって感じ

それが今じゃ伝統行事として毎年色んな場所で行われてるとか驚きだわな

時期になれば屋台もでて、老若男女関係なく楽しんで踊るし、夏の風物詩となってるので、ハロウィン盆踊りみたいに500年ぐらい経てば日本の伝統行事として扱われるんじゃないか

2018-10-12

anond:20181012094032

田舎者はクソみたいな理屈こねてる暇があったら盆踊りでもやってろwww

2018-10-11

オリヒメサ

私の地元にはオリヒメサマという風習がある。年頃の娘がその年のオリヒメサマに選ばれ、6月1日に墨染山の頂上でおでこデカデカとハンコを押す。「オリヒメサマ、この娘の体をお使いください」という目印らしいが、最近子供大人観光客にも押すようになった。

オリヒメサマに選ばれた娘は、年末までオリヒメサマとして振る舞う七夕短冊を焚き上げて願いを本物のオリヒメサマに届けたり、8月半ばのオリヒメ祭り彦星役と舞を踊って酒を飲み交わしたり、糸紡ぎの儀、機織の儀、衣染めの儀、灯籠流し、えびす講、松の文字下ろし、はては最近カラオケイベント盆踊りにまでも引っ張りだこだ。

最後仕事大晦日の飽体祭・滝流しの儀だ。

オリヒメサマにいい加減帰ってもらうために、皆してオリヒメサマの悪口を言いながら山を登る。山を登った先では仏僧とオリヒメサマが参列者の頭に御神酒を注ぐ。年暮れだから当然凍えるように寒い

かくしてオリヒメサマは天の彼方へと帰って行き、娘は解放される。

が、たまにオリヒメサマが帰らないことがある。

1月1日を過ぎてもオリヒメサマとしての言動が抜けなかったり、何やら奇妙なことを口走るようになって、その後半年で半分廃人のようになってしまうことが十数年に一度の頻度であったらしい。

昭和中頃までは「もらわれた」「よばわった」、あるいは「いらっしゃる」、「いごいた」など、我々はそのような娘を好き勝手に呼び、半分憐れみ、半分尊び、注目しながらも、目を背けつつ、みんなで世話をした。21世紀になって思うに、宗教的ものというよりは、年端も行かぬ若娘がまったくの別人格を無理やり与えられてチヤホヤされ、崇められ、その他全ての町人の上に立つという経験自体精神に良くないのかもしれない。が、私は医者でも学者でもないので詳しい事はわからない。

昭和後半になって、これらの行事はどこからともなく現れた「正式名称」で呼ばれるようになり、「正しく」紹介されるようになり、行事はやんわりと修正された。もっとソフトでポップな雰囲気が欲しかったのかもしれないし、観光資源化のために必要だったのかもしれないし、何か良くないことをしているから変えなければならないという自覚旦那衆にもあったのかもしれない。

若い衆は何も知らずに、単にイベントとしてこれら行事を楽しんでいることだろう。しかし、年寄りあのころディープ記憶を持っている。

最近はオリヒメサマ選びはただの美人コンテストなのかもしれない。ただのまちおこしなのかもしれない。

でも、あの頃の記憶は忘れられない。オリヒメサマを持っていることによる神秘的な高揚感。他町民への優越意識。そして、どこかいけないことをしているような共犯意識

今の行事には、あの頃の妖しい魅力と強力な毒はない。腑抜けた、という表現がぴったりくる。でも、きっとこれでいいんだろう。我々が皆死にゆけば、この町は普通の町になる。

2018-09-30

日本師弟関係がなぜ理不尽暴力的になるのかについての覚え書き

身毒丸』について検索していた時に見つけた、

折口信夫への旅 第1部 ~小説身毒丸」をめぐって(歌舞伎批評家山本吉之助)

http://www.kabukisk.com/geitohito33.htm

という折口信夫身毒丸解説文の中に、日本師弟関係がなぜ理不尽暴力的になるのかについての興味深い示唆があったので、

もしかして既によく知られていることかもしれないが、自分は初めて知ったので、覚え書きとして残しておこうと思う。


日本師弟関係

最近ではそういうことはだんだんなくなって行きましたが、日本師弟関係はしきたりがやかましく、厳しい躾(しつけ)をしたものでした。まるで敵同士であるかのような気持ちで、また弟子や後輩の進歩を妬みでもしているかのようにさえ思われるほど厳しく躾していました。

例えば最も古い感情を残している文楽座人形遣いなど、少しの手落ちを咎めて、弟子を蹴飛ばしたり、三味線弾きは撥で殴りつけたりした。

そういうことは以前はよくあった。そうした躾を経ないでは一人前になれないと考えられてきたのです。

なぜ、そうした、今日の人には無理だなと思われるような教育法が行なわれてきたかということが問題になります。(中略)

それはある年齢に達した時に通らねばならない関門なのです。(中略)

子供または弟子能力を出来るだけ発揮させるための道ゆきなのです。それに耐えられなければ死んでしまえという位の厳しさでした。』

折口信夫座談会日本文化の流れ」・昭和24年12月)


■例えば…

七月に入り一座は泉州のある村の盆踊りに迎えられますが、源内法師は身毒丸の踊りに若い女たちの面貌がチラついていることを認めて、その晩、師匠身毒丸自分の部屋に引きずっていって「龍女成仏品」に一巻を渡し「芸道のため、御仏のため、心を断つ斧だと思って、血書するのだ」と厳しく命じます

しかし、出来上がったものを持っていく度に師匠はこれを引き裂きます

「人を恨むじゃないぞ。危ない傘飛びの場合を考えてみろ。もし女の姿がちょっとでもそちの目に浮かんだが最後、真っさかさまだ」と師匠は言います

身毒丸は血を流しながら一心不乱に写経を続けますが、身毒丸脳裏には彼の踊りに熱狂する若い女たちの面貌がなかなか離れません。

一心不乱に写経を続ける身毒丸の姿を見ているうちに師匠の頬にも涙が流れてきて、五度目の写経を見た時には師匠にも怒る気力は失なわれていました。


春琴の教え方は 非常に厳しく、

あかんかかん、弾けるまで夜通しかたかて遣りや」と佐助を激しく叱咤し、

時には「阿呆、何で覚えられんねん」と罵りながら撥で頭を殴り、佐助がしくしく泣き出すこともしばしばであったと云います


芸道小説としての「春琴抄」~谷崎潤一郎・「春琴抄」論

http://www.kabukisk.com/geitohito72.htm


『昔は遊芸を仕込むにも火の出るような凄じい稽古をつけ往々弟子に体刑を加えることがあったのは人のよく知る通りである

本年〔昭和八年〕二月十二日の大阪朝日新聞日曜のページに「人形浄瑠璃の血まみれ修業」と題して小倉敬二君が書いている記事を見るに、


摂津大掾亡き後の名人三代目越路太夫の眉間には大きな傷痕が三日月型に残っていた

それは師匠豊沢団七から「いつになったら覚えるのか」と撥で突き倒された記念であるという


また文楽座人形使い吉田玉次郎の後頭部にも同じような傷痕がある

玉次郎若かりし頃「阿波鳴門」で彼の師匠大名人吉玉造が捕り物の場の十郎兵衛を使い玉次郎がその人形の足を使った、

その時キット極まるべき十郎兵衛の足がいかにしても師匠玉造の気に入るように使えない

阿呆め」というなり立廻りに使っていた本身の刀でいきなり後頭部をガンとやられたその刀痕が今も消えずにいるのである


しかも玉次郎を殴った玉造もかつて師匠金四のために十郎兵衛の人形をもって頭を叩き割られ人形が血で真赤に染まった。

彼はその血だらけになって砕け飛んだ人形の足を師匠に請うて貰い受け真綿にくるみ白木の箱に収めて、時々取り出しては慈母の霊前に額ずくがごとく礼拝した

「この人形折檻がなかったら自分は一生凡々たる芸人の末で終ったかも知れない」としばしば泣いて人に語った。』

谷崎潤一郎:「春琴抄」)


日本古代の、理不尽に怒る神と無辜民衆との関係

自分にはこのような仕打ちを受ける謂われはない」という強い思いです。その場合・何に対して彼は意地を張るのかということが問題になります

世間に対して意地を張る場合もあると思いますが、あるいは神に対してという場合があるかも知れません。


ここで神に対して意地を張るということは、神に反抗するという意味ではないのです。

そのように考えるのは近代人の捉え方でして、古代人の場合には絶対者である神に対して反抗するという発想は考えられ ません。

自分に対する神の仕打ちが不当であると感じた時に、古代人は自らの清らかさを神に示すように控え入るのです。

「神よ、この清い私を見てくれ」というようにです。

まり表面 上は畏れ入っているのですが、内心には自分に対する神の仕打ちは不当であるという強い思いがあるように思えます

(中略)

神に対して自分が清い(あるいは正しい)ということを示そうという気持ちを失ってしまえばそれは不信仰ということになります

から理不尽な神の仕打ちに耐えて・彼がそれでもひたすらに生き続けることは「神よ、この清い私を見てくれ」ということになるのです。

それは神に対して意地を張るということでもあ ります


折口信夫座談会神道キリスト教」において次のようなことを語っています

折口は憤りを発することが日本の神の本質であるします。

神の憤りとは人間がいけないからその罰として神が発するものではなく、神がその憤りを発する理由がどこまでも分からない。

神がなぜ祟るのかその理由が分からない。

このことが重要である折口は言うのです。


神が憤るのは人間がいけないからだ・人間が何か悪いことをしたから神が怒ったに違いないと考えるのは、道徳倫理が完成した後の時代の人々の感じ方なのです。

既成の道徳基準があれば、人々はそれに照らし合わせて・神がこれほど怒ったのにはこんな理由があったに違いないと後で納得できる説明を付けようとします。

しかし、道徳がまだ成立していなかった古代人には照らし合わせるべき倫理基準などまだなかったのですから、人々には神が怒る理由など全然想像が付きませんでした。

古代人にとって神の怒りは唐突で・理不尽で、ただただ無慈悲ものに思えたのです。


『神の怒りに当たることと言う怖れが古代人の心を美しくした』(折口信夫・「道徳研究」・昭和29年)


古代人にとって神の怒りはただただ理不尽ものでした。

そのような理不尽な怒りを神はしばしば・しか唐突に発しました。

例えば地震台風洪水旱魃・冷害などの自然災害がそのようなものです。


このような時に古代人は神の怒りをみずからの憤りで以って受け止めたのです。

みずからの憤りを自分の内部に封じ込めて黙りました。ただひたすらに耐えたのです。

そうすることで古代の人々はみずからの心を倫理的に研ぎ澄ましていったのです。

「神よ、この清い私を見てくれ」と言うかのように。


古代人の 生活というものは、風雪災害飢饉病気など、現代人が想像するよりもずっと過酷で・辛く厳しいものであったということなのです。

そのような時に古代人は神の理不尽かつ無慈悲な怒りを強く感じたのですが、そこをグッと持ち耐えて自己を深い内省と滅却に置くことはまこと殉教者以上の経験したことになるのです。

折口はそのような過程から道徳のようなものが生まれて来ると考えました。


貴種流離譚というもの民衆に与えた印象というものは「身分の高い人が落ちぶれて哀れな姿になって・・」というものでは決してないのです。

民衆貴種流離譚に見たものは神の与えた理不尽かつ過酷な試練に従順に耐える殉教者の姿なのであり、それは過酷な生のなかに生きる民衆自身の姿と も自然に重なって来るわけです。

民衆貴種流離譚を愛したのはそれゆえなのです。


神は別に何もするわけではないのです。

しかし、神がたまらなさを感じて涙を流してくれるならば無辜贖罪者は何かしら救われることになる・ 実はそのことだけで十分なのです。

これが古代人が神に対する時の態度です。


源内法師は身毒丸無慈悲折檻を強いながら、それに抵抗することなく・懸命に師の言いつけを実行しようとする身毒丸の健気さ・ひたむきさのなかに無辜殉教者の姿を見たのです。


最近ではそういうことはだんだんなくなって行きましたが、日本師弟関係はしきたりがやかましく、厳しい躾(しつけ)をしたものでした。

まるで敵同士であるかのような気持ちで、また弟子や後輩の進歩を妬みでもしているかのようにさえ思われるほど厳しく躾していました。(中略)

子供または弟子能力を出来るだけ発揮させるための道ゆきなのです。

それに耐えられなければ死んでしまえという位の厳しさでした。』

折口信夫座談会日本文化の流れ」・昭和24年12月)


折口がこのように語る時、折口日本伝来の師弟関係なかに理不尽に怒る神と・神を信じてその仕打ちに黙々と耐える無辜民衆絶対的関係をそこに重ねて見ているのです。


神はしばしば理不尽な怒りを発して、我々に謂れのないひどい仕打ちします。

我々には神の意図することがまったく理解できません。それはただただ理不尽ものに思えます

しかし、それでも神をひたすら信じ・神の指し示す道を黙々と歩むということことです。

過酷仕打ちを受けてもなお神を信じて神に従う人を見る時、神はそのような人々に対して賜らない愛おしさを覚えるであろう。慈悲の涙を流してくれるであろう。願わくば我々を悲嘆のなかから救い上げてくれるであろうということです。

折口はそのような気持ちから道徳のようなものが生まれてくるというのです。


そこには正しいとか・間違っているという倫理基準など存在しません。

善とか悪というのは道徳が成立した以後にある基準なのです。

あるとするならばそれは「清い」とか・「清くない」という感覚的(あるいは生理的な)基準です。


源内法師と身毒丸理不尽に怒る神と無辜民衆との関係無意識のうちになぞっていることになります


まり


神の理不尽な怒り(地震台風洪水旱魃・冷害や飢饉病気など)

→「自分にはこのような仕打ちを受ける謂われはない」と思う

→それでも神をひたすら信じ・神の指し示す道を黙々と歩む

 「神よ、この清い私を見てくれ」


これが、古代の神と民衆関係であり、師弟関係はこれをなぞっていると。


なるほど、自分がそういう目にあうのはいやだけど、ドラマ物語で接するとなんとなく納得してしまうのは、そういう古代から宗教的感覚が今も心の中にあるからなのかもしれない。

2018-09-24

マドリッド盆踊り大会

テレビでやってるけどこれ文化の盗用だろ

抗議してくるわ

2018-09-23

自治会強制加入が辛いし、村八分が怖い。

奈良県とある市の村八分問題になってるけど、自治会の力って本当に強いんだな。

転勤で西日本の某市に引っ越して分かったことを書いてみる。

地域ゴミステーション自治会員専用で、当番で見張りをしている人に部外者ゴミ不法投棄していないか監視されている。

ゴミ分別も当番が厳しく見張ってて、出勤前の急いでいるときでもちょっとした分別ミスでも呼び止められる。

ゴミステーションを使えない場合は、15km離れた市の最終処分場まで搬入しなければいけない。それも平日だけ。

もしくは自分産廃業者を探せって。

うちのような自治体結構あるようだ。

https://matome.naver.jp/odai/2138096109034929701

まず「入町費」が1万円、月会費が2千円。これだけで初年度3万4千円。

他に、神社の「氏子費」が月千円。更に年間1万2千円。

あとは神社お祭りの「奉納」が慣例で5千円、町内会盆踊りの「奉納」も慣例で5千円。

合計初年度5万6千円、2年目以降は4万6千円になる。

ゴミステーション監視当番、お祭り盆踊りの手伝い、定期的な雑草取り。

これも強制参加で、半日有休を取らざるを得なかったりして会社からは白い目で見られてる。

先日の豪雨台風で近所も被害に遭ったが、万が一と思って火災保険請求必要罹災証明書の取得方法市役所

ホームページで見たら、罹災証明書申請には自治会長の判子が要ると書いてあった。

から自治会に入らざるを得ないし拒否権はない。

そして、村八分が怖い。

2018-09-17

下町祭りに馴染めない

東京墨田区錦糸町に住んでるんだけど今の時期各所でお祭りやってる。所謂下町地域。参加してないか雰囲気を感じてるだけで詳細は不明なんだけど、「〇〇(町名)N丁目」ごとにお祭りやってるっぽい。

丁目ごとに法被やTシャツ着て、櫓組んで盆踊りしたり、御神輿担いだり、食べ物売ったり。歩いてすぐの所でそれぞれお祭りやってる。

地元では町名ごとのお祭りはやってたような気がするけどさ。なぜ丁目ごとなのか、馴染めないというか不思議しょうがない。

2018-08-25

anond:20180825124543

伝統文化にはそういうものもある

女はなんちゃらとか

でも人権に反するなら形を変えるべきだと思うよ

現代盆踊り乱交パーリィしないでしょ

 

誤字訂正

パーティ

パーリィ

2018-08-18

え、盆踊りってお盆にやるの!?

あ、盆踊りからお盆にやるのか

 

盆以外にやるのは夏祭り

そういや盆踊り一覧ってないよね

地域祭りからあってもしょうがないんだが

引っ越し先でいつの間にかやってたりする

2018-08-12

anond:20180812142644

先祖代々の墓の掃除しましょう。

すいかをたべよう。

むぎわらぼうしをかぶろう。

地元盆踊りに参加しよう。

親孝行してみよう!兄妹と遊びに行ってみよう。

2018-08-07

anond:20180807081504

通勤はずらして、盆踊りはずらしちゃいけない、とか、前提が勝手だな

2018-08-06

サマータイム導入で日本から無くなるもの一覧

花火大会(21時スタート?? 帰りどうするの?)

盆踊り阿波踊り大会(西日が厳しい猛暑のなかで踊るの?)

プロ野球ナイター試合(日が照っている間に試合? 暑すぎるでしょ)

Jリーグ試合(21時スタートだと遅くて帰れない)

夏休みの夜、繁華街をうろつく中高生(日の暮れにはもう補導される時間に)

神社縁日夕方にやるの?? それとも深夜?)

ビアガーデン(さすがに夜にならないと暑くて飲めないでしょ)

靖国神社みたままつり(夜にならないと提灯が。。。)

長崎精霊流し(これも日が暮れないと厳しい)

屋形船(日がかんかんな時だと風情がない)

ナイトプールでのインスタ自撮り(夜じゃなくなってしまう)

他にもいろいろあると思うので、よろしく

2018-07-27

三十路おっさんが1人で祭りにいった

数年前に彼女と別れてから夏祭りにはわざわざ行くことはなかった

思い出してしまうからというのもあるが、友人たちも祭りが好きではない

何より俺自身多忙のため行く気にすらならなかったである

残業が終わりオフィスを出ると、ふと祭囃子が聞こえた

何故か今日自然と足がそちらに赴いていた

なにかあるかもしれない、いつもと違う行動を取ったらなにか変わるかもしれない

たこ焼きくらい買って食べたら楽しいんじゃないか?案外いい出会いもあるんじゃないか

いいじゃないか祭り楽しいぞ?きっと楽しいはずだ

そんな淡い期待感祭り喧騒へと吸い込まれていった

近づくに連れ笑い声が溢れ、盆踊り囃子喧騒に飲まれ

屋台の眩しい光が目に飛び込んできた

こんな雰囲気久しぶりだ

気分も高揚するというもの

しかし、そこには何もなかった

正確には愉快に笑う家族連れや友人、恋人同士で楽しんでいる者たちばかり

いい歳をしたおっさんが1人で歩いているのを最後まで見かけなかった

俺、なにしてるんだろうなって気持ちになって

急に無性に悲しくなってそっと祭りを後にした

夜になっても少し蒸し暑いコンクリの上を

なんとはなしに昔のことを思い出しながら歩いた

過去を美化しすぎるのは良くないとわかっていながらも

の子と色んな祭りでかけたなとか、花火大会しかったなとか

二人で浴衣着ていったなとか色々思い出した

ジジジジ

急に足元でなにか音がしたと思ったら蝉だった

から落ちてしまったのか

でもしばらくしたら蝉は動かなくなっていた

そうかお前一生懸命生きたんだな

踏まないようにそっと横を通り帰路についた

我ながら女々しいなと思いつつもあの頃は楽しかったなって感慨にふけってしまった

たこからも1人で行くことがない祭りが来るのだろうな

2018-07-25

anond:20180725002846

メインストリートにある”こぼこぼ”っていうブルワリーが地下で作ったビールそのまま地上に引っ張ってきて売っててそれがガチマジでめっちゃうまいからぜひ飲んでみてくれよな

しかもすぐとなりがバーになってて盆踊り中は常に解放してるから酒飲みにはたまら

2018-06-29

anond:20180629185438

ダンス教えてくれよー。

楽しそうだってのはわかるんだが、

どうあがいても盆踊りになりそうで怖い。

2018-05-27

anond:20180525192312

盆踊りでも踊りながら千鳥足で歩く。(向こうから避けてくれる)

2018-03-24

天皇制廃止思考

天皇制の存否はよくお風呂入るときとか寝る前に考えるけど、そのものだけでは何となく結論が出ない。

例えば、富士山って別にいらないよね? 全部取っ払って平地にして畑なり工場なりを作れば良い。

けど富士山信仰持ってる人や、登山愛好者や観光業の人は困るだろうし、あるいは富士山で育まれ自然や水なんかは手に入らなくなる。

富士山がないことで気候風向きが変化するかも。富士山を取り払う費用は?

これらを、和服盆踊り和歌、常用文(漢字仮名交じり)、旧華族の人がよくなる企業や団体の特別職、社寺仏閣、漆工芸とその用具、アイドル寿司、稲作、巫女コスプレ忍者相撲伝統芸能備中鍬などで考える。

すると非常に現状維持的な意味での保守的思想になり、個人的には天皇制あってもまあいいじゃんと考えてしまう。社会不要なモノが組み体操くらいになってしまう。

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