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2019-05-10

文系学問において資料実在証明するものとは何か

久々にビッグ研究不正ニュースktkr

ということでキリスト教思想史研究やってた人が研究不正で懲戒解雇された件について、報告書に目を通した上でちょっと書きます

今回調査委員会被告発者に求めたのは、以下の項目でした。

この「写し」というのはどういうことでしょうか? 資料のもの調査委員会が求めなかったのはどういうわけでしょうか?

歴史学者にとっては常識なのですが、他の分野の人にとってはどうかわからないので、解説してみます

そもそも文系はどんな材料を使って研究してるのか

これは人というか研究分野によるので、安易なことは言えません。文学哲学社会学人類学歴史学言語学とでは使う資料がぜんぜん違います

で、この被告発者の研究手法は、近現代を扱う歴史家の多くが採用している手法だと思います近現代史を扱う人たちは、

を主に史料として使います(「史料」ってのは、歴史を記録したナマの資料のこと。「資料」と呼ぶと後世に書かれた二次文献なんかも含む)。あるいは、上に書いたようなものをまとめて出版した本とかを使います

これらの史料の特色とは何か……それは、

ことです。

公文書館というのは、「お役所の書いた書類を保管しておく施設」のことです。これはどのくらいかというと半永久的にです。普通文明国ならどんなに細かな書類でも公文書館に保管されていて、(民主国家場合は)数十年して機密解除されたり(独裁国家場合は)体制崩壊して民主化したりすることによって「申し込めば誰でも読める」状態に置かれます。これによって我々はソ連時代領収書なんかをロシア公文書館で読むことができるわけです。ソ連ですら公文書を保管して後世の我々に見せてくれているというのに……いや、これは余談でした。

当たり前ですが、それらはその国(あるいは地方)の公的な記録であって、自分のものにして持ち帰ったりすることはできません。ではどうするか。多くの歴史学者

などの手段史料を入手して研究しています(ちなみに写真撮影もカネを取る公文書館結構ありますね。日本だとどうなんでしょ)。

昔の人が書いたものも、本とかなら古本屋さんとかで流通しているのを買うことができるかもしれませんが、稀覯書でなかなか手に入らなかったり、古雑誌バックナンバーとか揃えるの無理ゲーだったりするので、図書館に所蔵されているのを使うことが多いです。近場の図書館に置いてない? 相互貸借もさせてくれない? そういう場合は当たり前ですが所蔵している図書館がある街まで行きます。その図書館がある街というのが新幹線必要距離だったりパスポート航空券がないと行けない距離だったりすることも稀によくある(歴史学者研究費は旅費と本代に消えていく運命なのです……)。そして、辿り着いた図書館カメラをパシャパシャやったりコピーを黙々と取ったりするわけです(最近スキャナーが普及してくれてマジ嬉しい)。

なので、調査委員会は「一次資料の写し」を求めたわけですね。たとえ彼が清廉潔白研究者であったとしても、一次史料原本なんてふつうは手元にないわけですから

しかし、本来、彼は「一次資料の写し」を提出する必要などありませんでした。自分論文を黙って調査委員会に提出すればよかったのです。なぜでしょうか?

ここで、もう1つの大事な話をします。

文系に「実験ノート」はない

もちろん分野によります心理学みたいに人を対象とした研究だとしっかり実験ノートつけるように言われるかもしれないし、考古学とかは発掘時の状況を克明に記録しておくことが重要だったりするかもしれない。でも、少なくとも近現代史みたいな分野では、実験ノートをつける、という習慣はありません。

私は一度も、理系で求められるような意味での実験ノートを書いたことはないし、書けと言われたこともないし、書いていないことを理由に責められたこともありません。もちろん史料ノートに筆写したりはしていますが、そのノートだって別に厳密なものではない。普通研究においてノートは使いますが、それは高校までのノートと一緒で、鉛筆で書いてもいいし、好き勝手なやり方で書いていいし、なんなら途中で破ったりしてもいいごく普通ノートです。最近ノートじゃなくてパソコンとかを使って研究上のノートを取ってる人も多いんじゃないかな(手書き疲れるもんね……)。

なぜか? と言われれば、

です。

まり、「もとになった資料」というのは、理系のように自分実験室の試験管の中にしかないものではなく、別の誰かが保管してくれているものなのです。

理系学問において標準化された改竄不可能な形で実験ノートをつけなければならないのは、自分実験室の試験管の中にしかオリジナル資料がないからですよね? しか文系場合は、少なくともここまで説明した近現代史場合は、オリジナル資料はどこかの政府管理している公文書館とかどこかの大学図書館かに保管してあるわけで、そこに辿り着くまでの情報さえ明記してあればそれで十分なのです。これはドイツ連邦共和国ベルリン連邦文書館の何々というファイルに保管してある何というタイトル史料だ、とわかれば、チェックのためにはそこに見に行けばよいし、これは19世紀に書かれたほにゃららという新聞に載っていた記事である、と書いてあれば、その新聞が所蔵されている図書館を探して読んでくればいいわけです。

なので、別にどんな方法ノートを取ろうが自由なわけですね。最終的に読者がその元になったデータを見つけられるようにしておけばいいわけから

ゆえに、歴史学論文や著書には膨大な注がつけられます引用した史料のそれぞれについて「どこに保管されている史料なのか」「なんという本の何ページに書いてあることなのか」ということを書かないといけません。

なかには、史料自分の手元にある場合もあります。多くの場合それは「昔の人が出版した商業出版物」なので(たとえば、極端な例ですが『わが闘争』)、他の誰かも持っていることが多いです。もしそういう史料捏造とかしちゃうと「俺もこの本持ってるんだけど、お前が引用してる箇所見つからなかったよ?」という怒られが発生します(なお、捏造ではないですが誤訳指摘は受けたことがあります。コワイ! でも覆面査読なのにこの文献の誤訳を指摘できるってことはあの人しかいないじゃん……ってわかっちゃう! 文系世界基本的に狭い!)。「むっちゃ少数しか発行されなかった自費出版の本」とかが典拠になっている場合もあります。こういう史料典拠にするのも仕方ない場合があるんですよ……典型的には、そこまで有力ではなかった政治家とか在野の知識人とかを研究したい場合、彼らが出してる本は全部自費出版というのがありえます(あと、言語学とかだと、たとえば与那国島方言研究したい場合に一番の参考資料になるのは与那国島のお年寄り自費出版した方言辞典だ、みたいな例がありまして……与那国町が進めてる辞書出版プロジェクトむっちゃ楽しみ)。ごくごく稀に、古本屋歴史上の人物が書いた手紙の山をまるごと購入できた、みたいな奇跡があって、モノホンの一次史料研究個人の所蔵になっている場合があります。これはねえ……もう本当に個々の研究者の良心を信じるほかないよね……若手研究者だと色んな大学を移り歩くこともあるだろうから所属してる大学図書館寄付しろとも言えないしね……原史料出せって言われたときにすぐに見せられるようにしておいてね、定年退職するときは勤務校の図書館に置いていってよ、とお願いするくらいしかできない感じはあるよな……

さて、長々と書いてきましたが、要するに、捏造を疑われた研究者がきちんと注で出典を書いていれば、彼は論文調査委員会の人たちの前に突きつけて「ここに出典書いといたから、見に行って確かめてこい」と言えばそれで済んでいたのです(それが生データにあたるものなので。実際、今回の調査委員会ドイツに問い合わせたりしていますね)。もっと言えば、彼本人から話を聞く前に、調査委員たちはまず典拠との照合作業を行って、彼が誠実に引用したこと、つまり彼が研究不正に手を染めてはいないことを確認してくれていたでしょう――もしも彼が潔白であったならば。

しかし今回の件では、注に不備があったので調査委員たちは注から出典を辿ることができませんでした。そこで被告発者に「写し」を求めた結果、元となる史料そもそも存在しない、捏造されたものであることが判明したわけです。

注をしっかりつけろよ! まことにごもっとも。特に今回のケースは注の多い学術書であり、注の不備は申し開きができません。しかし、しかしです、この背景には、日本出版事情が絡んでいるのです。

「注がない本」問題

今回の被告発者は、学術書のほかに新書も書いていました。多くの新書には、参考文献リストはありますが注はありません。そして日本には、「研究者が書いた真面目な学問に関する本だが、注がない」というのが一定数あります(一応言っておくと、ここではauthor-date方式みたいな「厳密な意味での注じゃないけど、ともかくも出典を示す機能を担っているもの」も含めて注と呼んでいます)。実はこれ、文系あいだでも問題視されていることなのです。

文系学者が書いた学問に関する著書には、明白に書誌情報として区分されているわけではないですが、いくつかの区分があります第一にいわゆる狭義の「学術書」。むっちゃ小難しい語彙で書かれてて、先行研究とか新規性かに一言及して、参考文献を何十ページも載せてたりするやつです。読者は同じ学者、あるいはその卵。これで注を省くのは論外です。第二に「教科書」。これは学生さんとか初学者向けに易しく書き、内容には特に新規性を求められておらず、包括的な参考文献はなくとも読書案内がついていればそれでよし、という感じでしょう。注は別になくたっていい。

そしてこの2つのあいだには、「一般向け」という広大なグレーゾーンが広がっています

あなた読書好きで、少々お硬い本にも興味があるのなら、中公新書とか講談社選書メチエとかそういったレーベルを聞いたことがあるでしょう。岩波書店青弓社社会評論社といった出版社の名前を聞いたことがあるでしょう。実はこの辺、色々な種類の本が入り交じるグレーゾーンなのです。

これらのレーベルで真面目な学術書出版する人もいます講談社選書メチエでも、末尾にビッチリ注がついてたり参考文献リストがあったりするやつあるでしょ? ああいうやつ。一方で、こういうレーベル一般向けの概説書・入門書を書くことに使う人もいます。よく中公新書で、包括的タイトルで薄めの本を見ることがあるでしょ? 今回の『プロテスタンティズム』もそれですね。そして、一般向けの解説を書きながら、さり気なくその中で新しい見方提唱したりする人もいます学術的な新規性のある内容を、一般受けしそうだという理由で限りなく一般向けの本の体裁で書く人もいます最近のやつだと『姦通裁判』マジお勧め)。

さて、こういう本を出す上では、内容は著者の完全な自由にはなりません。編集者は、もちろん学術的に正しい内容を求めているのでしょうが、彼らにとって重要なのは「売れること」です。そのために「一般向けにもうちょっと柔らかい言葉遣いで書いてください」とか色々と内容に介入してくるわけです。文体くらいなら別に構わないかもしれませんが、彼らの中にはこんな要求をしてくる人もいます「注なんてつけたら一般読者に嫌がられます、注は省きましょう」

こうして生まれるのが、「学術的に新規性が高く面白い内容を扱っているのだが、注がない」という一般書の群れです。

もちろんこういった本にも参考文献はあり、「注はないけど、典拠を探しながら読めば典拠がわかるような書き方になっている」本もそれなりにあります(たとえば、はてな太郎の説によれば、と本文中に書いてあれば、注がなくても参考文献リストはてな太郎が書いた『増田研究』という本を探し出せる)。ただ、やっぱりそれは注がある文献の出典表示の厳密さに比べれば一段劣るわけです。

これに関しては、研究者も出版社もそれぞれに問題があります研究者サイドは簡単に「注を省け」なんて要求妥協すべきじゃないし、そもそも「著書を出版する」ことが、博士論文を見るためにはわざわざ学位を授与した大学国会図書館に行くほかなく出版して書店流通させることが最も良い研究成果の流通のさせ方だった時代であればともかく、各大学リポジトリを持っていていくらでもディジタル研究成果を公表できる時代にあって本当に重視されるべきか考え直す必要があるでしょう(でも、欧米出版社でも学術出版は盛んなので、これは日本だけの問題じゃないんですよねぇ。今でもオックスフォードケンブリッジハーバードコーネルといった有名どころのUniversity Press学術書出版しまくってます学術書研究業績として重視されるのは人文系では割と世界標準なので……)。

一方で、出版社は注をもっと重視するべきです。というよりも、日本出版社やジャーナリストノンフィクション作家は注をつけなさすぎます。先日、ボブ・ウッドワードトランプ大統領についてのルポルタージュ出版しましたが、体裁も内容もおおよそ学術的とは呼べない一般書そのものの本なのに、きちんと出典を示す注がついていました。出版社は、学者に注を削れと言うべきではなく、ノンフィクションを書く作家記者たちに注をつけろと言うべきでしょう。

とはいえこれは一朝一夕はいきません。そもそも知の折り詰めである新書」という形態が割と日本独自のもので、そういう一般学術を橋渡しするレーベルが広く一般読者に読まれていることの重要性というもの鑑みると、簡単になくせとか言えません。私も色々お世話になってるし。人口1億人ちょいの書籍市場ではどうしたって限界があり、色々な本を出すのではなく折衷的な本を1冊出すのが経済学的には最も合理的という考え方だってあるでしょう。ただ、やっぱり一般書にも(それこそ講談社ブルーバックス岩波新書レベルにも)注を入れるようにする、というのは必要だと思うのですよね。

さてここまで「注がない本」問題について解説してきました。でも何が一番言いたいかというと、

注はあなたの身を守るためにある

これ。これに尽きます。注はちゃんとつけよう。もしもあなた捏造者でなくとも、研究不正をしていなくとも、実験ノートをつけない我々の業界において潔白を証明してくれるのは注だけなのだから。注だけが資料実在証明してくれるのだから。本の売上よりも、あなたの保身のことを考えよう。あなたが、部屋が汚いとかハードディスクがお亡くなりになったとかパソコンの買い替え時に行方不明になったとかの色々な理由で、史料の「写し」を紛失する日はきっと訪れる。そのときに、これまでのあなた研究の誠実性を証明できるのは、人文系学問においては、注だけなのだ

以上です。駄文に長々と付き合ってくださりありがとうございました。続きはanond:20190511125053で。

2019-05-03

anond:20190427182949

ハードSF短編は人気作家が書いても一般受け良くないので諦めろ。

つーかカクヨムチェックしてる人間の中で、非人類の知性体の意思疎通がビッグエンディアンかリトルエンディアンかで盛り上がれる人間がはたして三桁いるのか怪しいぞ。さらに言えば面倒くさいSFオタクは君が書いた説明くさいセリフを、全部知ってる内容だからと読み飛ばして、『幼年期の終わり』の次の認識を求めてくるぞ。

あんまりから十まで科学ネタで作ると全部知ってる読者しかまらないし、それを越えようとすると円城塔みたいな難解すぎてやっぱり一般受けしない話になる。

表面上は読者がすんなり理解できる世界にして、世界意味別に見えてくるようなSFギミックを仕込むほうがいいんじゃないかな。マトリックスとか内なる宇宙とかネタかぶりしそうな先人もいっぱいいるけどさ。

2019-04-08

anond:20190407225535

まり関心を持ったことのないポイントなので、勉強になります僭越ながら、グロテスクさが感じられうる示唆的なシーンが、人物の行動の結果などに繋がって作品としてのテーマになるまで昇華されていなかったとしても、芸術的意味はありうるのでは、と考えています。例示していただいたアイデアのように正面からこれをテーマに据えてしまうと、作品自体目的が”説教”になってしまうので避けたが、示唆したいことは確かにあった、という可能性です。別の方の増田引用します。

芸術というものは非常に幅広い概念であり、故に、善し悪しを語るのは、非常に難しくなります。話が拡散しすぎてもしょうがないので、ここでは、いわゆる一般的エンタメ(これ自体もかなり広い概念ですが)の方法論に沿った評価します。

あるモチーフをメインテーマに直接繋げると説教臭くなる場合は確かにあります。メインテーマ一本調子にならないように「Aの正しさ」を中心に描きつつ、「A以外の正しさ」にも軽く触れるといった構成はよくありますね。ただ、その場合でも広い意味調和し、繋がる必要はあります。さもないと単に、とっちらかった話になってしまます

けもフレ2の場合、キュルルが「みんなのことが~大好きなんだー!」と叫び、これが多分メインテーマなわけで、だとすると、「リョコウバトを絶滅させ、イルカアシカにショーをさせ、イエイヌ人間なしには生きられなくした人間の業」はメインテーマと真っ向からぶつかるアンチテーゼなわけで、その業とどう向かい合うかは、避けて通れない話でしょう。軽く触れるだけで終わらせるのは構成的に不備があります

私は、それを「深く考えないで出した」と考えますが、「示唆したいものがあったが描ききれなかった」と考えることもできるでしょう。意図はわかりませんね。

それを仰るなら、けもフレ1の黒いセルリアンとの戦闘でも多くのフレンズは野生解放していないです。

「さぁとっとと野生解放するのです」「我々の群れとしての強さを見せるのです」からの、闇に光る数々の目、は名シーンであったと思います。あれを見ると、「ここが正念なのだから、野生解放できるフレンズは全員した」という流れが伝わるかと。

それはそうと、あのシーンを、フレンズセルリアンで再現した、けもフレ2は本当に何をしたかったのだろう……。

ところで「野生解放を言わない」ということには、けもフレ制作陣の明確な狙いがあると思いますけもフレ2では他にも「ちほー」や「フレンズ」といったタームがほとんど言われません。推測ですが、これは一般受けを狙うために途中から入ったりぼーっと観てる視聴者キッズが引っかからないように配慮したものだと思われます。逆に明確に説明するようになったものもありますキャラクター性格です。「私、体が丈夫なだけじゃなくて記憶力もいいので」「私は用心深いから」… などなど、けもフレ2ではキャラクター自分性格自己申告します。作劇技術的な難度という点ではこのような表現はおそらくレベルが低く、エレガントでもないのでしょう。しかしそれが直ちに作品として悪い、ということにはならないでしょう。解りやすいというメリットは確実にあります。あざといくらいハッキリ言うので、おそらくここを起点に自分でも動物性質を調べてほしい、という願いも込められているのかもしれません。

全体としてキッズ向けのノリで、わかりやすくする意図はあったかもしれません。それはそれで一つの方向性ですよね。ただ「野生解放と言わずに野生解放で急に強くなる」は、わかりやすさ優先ではなく、むしろ、わかりにくくなっています子供なのだから、そのへんの脈絡を気にしない……と仮に制作者が思っているとしたら、それはそれで、子供馬鹿にした話です。子供向けにわかやすくするというのは、そういうことではないでしょう。

ケムリクサ周りは、まだまだ見返して伏線を捜しているので、勘違いしてる点もあるかもしれないことを先に述べて起きます

おっしゃる点、それぞれについて、説明はできると思います。例えば、ミドリケムリクサ自体回復できるのに、なぜ、赤を回復してしまわないか、は、複数の葉を重ねて作られた赤を「治す」ことで、元に戻してるのかもしれません。あるいは、ワカバが苗床になった時に、ミドリに赤に対する抵抗力を与えたのかもしれません。リンの中に、リリの記憶漏れていることは、わかばロックを解除して、そのまま開けっぱなしの状態だったのかもしれません。光については、木を倒して、残った全部の力を、わかば治療に使った描写に思えました。

このへん、贔屓の引き倒しというか、脚本ミスの部分を無理矢理、好意的に見てるものは混じっているかもしれません。好意的に見れば、けもフレ2の矛盾点とおぼしき部分も説明をつけることができるとは思います

ただケムリクサという作品は、全体を通して様々な伏線があり、矛盾意味不明に思えた描写が「なるほど、こういうことだったのか!」と思う瞬間が何度もありました。だからこそ、矛盾と思える部分についても「もしかして、これはこうなのでは」と考えたくなりますけもフレ2は、そういう作品ではないので、その点は一緒にできないなと。

しかし「優しい世界」では全然ないでしょうということは主張しておきます(でもりつ姉はオアシス)。

ケムリクサは、けものフレンズ1に比べて全体的にダークなわけで、それを「優しい世界」と呼ぶかは意見が分かれるかもしれません。ただ、ここで書いたようにキャラ基本的な優しさ、裏表のなさなど、けもフレ1とも共通してる作家性があり、だからこそ、全体として、けもフレファンの人にも人気が出た、くらいは言えると思います

設定や伏線において、けもフレ2に不備があるように思えるのは錯覚で、実態作品の狙いと得意な表現範囲の違い「へーきへーきフレンズで得意なこと違うから」、で済むレベルなのではと考えているのです。

作品の狙い、得意な表現分野の違いにすぎない点が、1との比較で、不当に欠点とされてる部分は多いと思います。その一端は、一連の記事で書いています

その上で、けもフレ2の設定や伏線に不備がない、とまでは私は言えません。もちろん、どんな作品にも瑕疵はあるわけで、減点法だけで評価するのも、考え物です。どこを重視するかの違いかもしれません。

2019-04-07

anond:20190407175202

一般的な作劇として、不愉快イベントは、単体だと「単に不愉快なだけ」で終わるので、作品テーマ性として発展させ、そこに意味を持たせるわけです。...

まり関心を持ったことのないポイントなので、勉強になります僭越ながら、グロテスクさが感じられうる示唆的なシーンが、人物の行動の結果などに繋がって作品としてのテーマになるまで昇華されていなかったとしても、芸術的意味はありうるのでは、と考えています。例示していただいたアイデアのように正面からこれをテーマに据えてしまうと、作品自体目的が”説教”になってしまうので避けたが、示唆したいことは確かにあった、という可能性です。別の方の増田引用します。

動物園から人と動物関係についてあくまで人は管理者であって友達ではないという指摘があった。人の都合で檻に閉じ込めている現実から目を背けるべきではないとのこと。学習研究、人の活動によって個体数が減らされてしまった種の保存など、人が人のために他の種を管理しているのだから、あまり動物と人が対等に取り扱うことは教育上望ましくない。2期では是非そういった視点も踏まえ、動物同士がフレンズでありヒトは違うという体でお願いしたい。

"けもフレ2の脚本オーダー"への返信

動物園から制作陣への要求… もちろん、そのような体で書かれた冗談しょうが、こういう視点制作側にあったのかもしれません。

野生解放といえよ、とか、他のフレンズは野生解放しないのか、とかは、内面世界問題ではなく、脚本の不備の問題です

それを仰るなら、けもフレ1の黒いセルリアンとの戦闘でも多くのフレンズは野生解放していないです。ところで「野生解放を言わない」ということには、けもフレ制作陣の明確な狙いがあると思いますけもフレ2では他にも「ちほー」や「フレンズ」といったタームがほとんど言われません。推測ですが、これは一般受けを狙うために途中から入ったりぼーっと観てる視聴者キッズが引っかからないように配慮したものだと思われます。逆に明確に説明するようになったものもありますキャラクター性格です。「私、体が丈夫なだけじゃなくて記憶力もいいので」「私は用心深いから」… などなど、けもフレ2ではキャラクター自分性格自己申告します。作劇技術的な難度という点ではこのような表現はおそらくレベルが低く、エレガントでもないのでしょう。しかしそれが直ちに作品として悪い、ということにはならないでしょう。解りやすいというメリットは確実にあります。あざといくらいハッキリ言うので、おそらくここを起点に自分でも動物性質を調べてほしい、という願いも込められているのかもしれません。

ケムリクサに置いて、内面世界シンクロする際は、ケムリクサというギミックを使っており、SFとしての筋は通っていると考えています。ここでいうリアリティラインは高めです。

そうでしょうか。最終話の赤い木との戦いで、りんの本体の葉から水がなくなって戻ろうというときに、ミドリの核の枝と桃ちゃん継承しました。枝を肘につけてパワーアップして復帰しますが、しかミドリの枝にケムリクサを修復する機能があったのでしょうか。ミドリの葉は状態を治す・保つ事ができますわかばの腹に空いた穴や、りんの欠けた手足を補ったことはありますが、ケムリクサそのものを治したことはないです。もしケムリクサをも治せるなら、赤い木に指して倒せるのと矛盾してしまうと思います。かといって桃ちゃん自分を分裂させたという可能性もありません。桃ちゃんは、(姉妹では)りなだけが使える葉だからです。また同じく最終戦で、りんは、りり最後記憶を取り戻しますが、あのとき記憶ケムリクサが突然発動したのはなぜでしょう。直前に二回わかばが開いていますが、二度ともロック解除が必要でそれは、りくにさえできない、わかばけが可能手続きだったはずです。りんは最終戦終了後キャッチした、わかばとともに船のそこに落ちますが、そこで突然ミドリの光の柱が伸びて二人の怪我を修復します。でもミドリは葉も枝も戦闘で使い切ったのでは。リアリティラインが低い… 内面の高まりがなし崩しに外面に出てしまう。お話を頂いて頭に浮かんだのはむしろこのシーンでした。ケムリクサを万能の舞台装置、あらゆる話の粗を吸収するスポンジと捉えるなら、けもフレ2のセルリウムサンドスターをスポンジにすれば全て解決では。

悪意のあるキャラがいない、という点では「優しい世界」を継承しているでしょう。りんがわかばを警戒するのは自然なことですし、それ以外は全員が素直で、また世界破壊の原因も優しさに起因し、わかりやすい「悪役」はいない

「優しい世界」の解釈が俺らふたりの間で異なっているように思いますけもフレ1で、カバ新参かばちゃんに「パークの掟」を諭しつつも、去りゆく二人に何度も声をかけて心配しているさまを示す。ツチノコは地下迷路で口の悪い闖入者を疎んじつつも、(諦めた体で)二人に協力して出口を探すわけです。最後には絶滅していなかったヒトへの安心気持ちを口にする。サーバルかばちゃんを、「かばちゃんは…したかったんだよね?」のように道中何度もフォローを入れる。このような誰かを深いレベルで思いやる描写があちこちにあり、一方で人物間の衝突はあっても形骸化した、表面的なものしかなかった。全面的留保余地なく安心できる世界観がけもフレ1の「優しい世界」としてみんなに愛された、そう考えていますしかケムリクサではもう最初からわかばは異物扱い、いつでも落とせる、落としてやろうのような脅迫的な発言が毎回あるわけです。もちろんおっしゃる通りそこには合理性があるんですが、しかし、りくさん、あなた最後散り際にまで「こんなやつのどこがいいんだ」的なdisりをくれる必要はあったのか、あれ実はあなたも好きだったんで吹っ切るために強がったんですよね、などと視聴者の俺は解釈していますが、しかし「優しい世界」では全然ないでしょうということは主張しておきます(でもりつ姉はオアシス)。

「悪意を持って作られた創作」と言われるものは、悪意が前に出すぎてて、作品として楽しみづらいものなわけです。

設定や伏線において、けもフレ2に不備があるように思えるのは錯覚で、実態作品の狙いと得意な表現範囲の違い「へーきへーきフレンズで得意なこと違うから」、で済むレベルなのではと考えているのです。むしろ楽しむことを妨げる、エゴイズムという意味での悪意は、視聴者の俺らの側にあるのではないでしょうか。拝読した記事には総論としては同意で、いわゆる「ハンロンの剃刀」は強力なのですが、作品を論評するとき必要環境安心して自分意見を言える状況、とは現状はかなり食い違っているように思います。この空気の中での分析は、かなり注意深く精査しなければ容易に流されて最悪のケースでは誰かの筆を折らせる結果になりかねない、そう思って眉に唾をつけ考察しています

例えば一期のメインキャラが、十数人として、それが全員、根が素直で優しいとするなら、「根が素直で優しいキャラを十数体、キャラを立てて描き分ける」ことになるわけで、えらいことです。もちろん、素直なやつばっかりじゃないですが、それにしても想像すると怖くなりませんか。

ううむ、言われると、けもフレ1のサーバルコツメカワウソプレーリードッグはみんな似てはいものの、ごくごく微妙キャラが違っており、おそらくセリフに落としても区別がついてしまうでしょうね。制作陣の構成についても明るくないですが、この功績は吉崎観音さんの成果?

2019-03-21

マジで読んで「ちゃん面白い漫画を教えてくれ

最近TSUTAYA漫画を借りるのにハマっている

から気になってた作品はあらかた読み尽くしてしまったので新規開拓したいと思う

でもなんか、人に「オススメ漫画教えて」って言うと当たり前だけどみんなその人の好みが混ざったものとか、一般受けしないものとか、通っぽいセレクトとか、「人に勧めていばれる(?)もの」を選びがち そして面白い漫画について聞いていたはずなのにいつのまにか「それが好きな自分」をプレゼンされているような気分になる

(周りがオタクばっかだから余計そうなんだろうけど)

例えば自分は「オススメカフェは?」って聞かれたとき、本当はドトールが大好きなのに、人に勧めるとなると何というか穴場的カフェ名前を出してしまいがちだ

から、買ったか愛着が湧いてる作品とか読んでるのがカッコいい作品とか通好みの何度も読み返すと沁みてくるぜ!みたいな、そういう漫画じゃなくて、

単純に話がおもしれーーー!!!トリックが熱い!バトルが熱い!きゅんきゅんする!泣ける!みたいな、そういう漫画あったら教えてくれ

ウシジマくんとアシガールを同時に借りて読むような人間ですので、ジャンル問いません

2019-03-14

anond:20190314123349

こういうの昔からありそうでないって事は

一般受けがそれほど良くないんだろうな

2019-01-31

anond:20190131144912

うーんどこまでを現実というかだけど・・・

ぱっと思いつく現代みりたりーっぽい作品

フルメタ

ガンスリンガーガール

ヨルムンガンド

シェイファーハウンド

ガルパン

あたりかなあ。

皇国の守護者とかはちょっと違うし。

軍靴のバルツァーとかはちょっと古い気がする

読んだことないけどマージナルオペレーションとかもそうなのかな

現代仮想戦記自体オタク臭すぎて一般受けしないのが原因な気もしてきた

2019-01-27

anond:20190127211255

別にどのジャンルも出始めはアホみたいに盛り上がって、

少したってみたら、そこまでなかったなってなるだろ。仮想通貨とかそうだったじゃん。


それに現状アニメは良くやってるよ。ジブリ以外の「君の名は。」が世界的ヒットしたり

宇宙よりも遠い場所」がニューヨークタイムズに賞されたり。


まぁエロゲ的なストーリーが少なくなったのは根本的にそれらが一般受けしなくて、

アニメがそれだけ一般的になったって事だろう

2019-01-22

けもフレ2とケムリクサ

たつき監督降板をめぐっていわくつきの今期放映中のアニメけものフレンズ2とケムリクサ。

どちらも2話まで放映されたが、いまのところの印象は以下の通り。

さてこの予測があたるかどうか。2ヶ月後にはわかるだろう。

追記(2019-04-04)

どちらの作品最終回まで放映が終わった。さて答え合わせをしようか。

まずは、けものフレンズ2。

たつきがいなくなったことで、ただの日常系アニメになりそう。頑張ってたつき風のダークな伏線を入れ込もうとしているのかもしれないが、おそらく滑ってしまうと予想。声優ファンを中心に楽しむ、ありがちな日常系アニメの一つとして記憶されるだろう。売上は1には遠く及ぼないだろう。」

「ダークな伏線を入れ込もうとして滑る」というのは、まさにそのとおりだった。「売上が1に遠く及ばない」というのも当たった。だが「ありがちな日常系アニメの一つとして記憶される」というのは外れた。まさか、これだけのヘイトを集める作品になるとは予想していなかった。名作になることはおろか、「普通アニメ」にすらなれなかったという驚くべき結末だった。

次にケムリクサ。

こちらはたつき監督作品だけあって、たつき色が極めて濃厚。けもフレ1と同様、伏線が張り巡らされていて、物語後半での回収が楽しみ。ただ、世界観がダークすぎるので、一般受けはしないかもしれない。売上は大きくないかもしれないが、コアなアニメファンには、長く記憶され愛される作品にはなりそう。」

こちらはほぼ正解。ただ、一点だけ外したのは、売上が思ったより多くなりそうだということだ。いまの時点で確定している BD 販売数は約5,700枚だが、品切れが続出しているし、アマゾンランキングもまだ上位で推移しているので、最終的には相当よい売上になる模様だ。たつき監督けものフレンズに引き続き、2打席連続ホームランとなりそうだ。さすがとしか言いようがない。

2018-11-25

二次創作したいのに出来ない病気を患っているマイナー腐女子の話

タイトルの通りです。

現在とあるジャンルにハマっていて、そして中でもマイナーカップリングに身を置いています

正直組み合わせ自体は、ジャンルの話で基本的に絡みがある子たちなのでそこそこ王道です。が、自カプはいわゆる逆カプで、逆になった途端ガクンと数が減るんです。悲しいね

本題ですが、私は今まで何かと忙しくしていたので、そのジャンルで自カプの二次創作することがあまり出来ないでいました。

まあ、そこまで忙しくなくても出来ない人種ですが。

自分の好きなキャラが出来て、話が進んだりするなかで解釈が変わったりキャラ同士の関係性が変わったりとか、自分の中で消化するのに必死なので参入は大抵遅れます。下火になってからが本番。

ただそのジャンルの開始当初からドハマりしていて、アナログで汚い落書きやら思い付くネタメモやらは死ぬほど溜まっていきます

アナログ落書きノート現在5冊目です。

しか落書きメチャクチャ汚いのでとても人様にお見せ出来るものではありません。ですので、投稿して誰かに見てもらって……なんて夢のまた夢。漫画なんてそれこそ幻。

デジタルに取り込んで修正して線画から描き起こして色つければまぁなんとかそれなりの形にはなるのですが、なにぶんその作業がとても面倒臭い

そうです。私はデジタル不精なのです。

ここから私の悪癖が出てしまうのですが、最近はもっぱら人様のお上手な作品を見るともう憎悪しか湧かない。

上でも言いましたが自カプはマイナーですのでもうそりゃ殆ど作品がありません。ですが逆は世の中に溢れている訳であります

逆カプの理想的作品を見かけてはもうメチャクチャに羨ましくなってぐぬぬな訳です。

自分で絵をかいて自カプを増やしたいのに!今までずっとずっとネタ考えてきたのに!!!

画力もなけりゃ気力もない。

自カプが雀の涙すぎて世の中に自カプは求められてないんだなぁTLに流れてくる人とかみんな逆だもんな逆はみんなに愛されてていいな

しんどいというふうにどんどん悪い方へ……

前までは地雷みたら画力でぶん殴ってやると燃えていましたが、誰にも求められてないカプなんだなと考えるともうただただ虚しくなって無理だ……モードになります

そして手に付かなくなります

TL自カプだけで固めればよくない?と思われるかもしれませんがマイナー故に他カプの方が気紛れに描く自カプを頼るしかないのです。大手はとっくに蒸発しています

さらに自カプの人も雑食だらけの呪いがかけられているので普通に他カプばかり語っています

正直自分も他カプを描いたりするため、完全固定さんには害になることがあるかもしれないので遠慮するのですが、考えているのは推しと自カプばかりですし、推しが本当に本当に大好きなのは揺るぎません。自分も周りと仲良くするために、合わせて何でもイケますアピールしてますがつらい!自我を通して嫌われる勇気を持ちたいです。

これは顔色を伺ってばかりの人種故の自業自得のただのアホなんですけどね。

自カプの人が地雷のこと楽しそうに語っていたり逆と仲良くしてばっかで自カプほぼ語らないとかよくあるのですが、それが一番キツいですね。そんなにあいつがいいならもう出て行けよ!と包丁を向けたい気持ちで一杯です。TLに地雷を流されて負傷すること多数です。

そもそも自分の嗜好があまり他人と共有できないようなものなので、自分と同じベクトル推し愛する人がいません。

二次醍醐味萌えを分かち合ってわいわい盛り上がるものだと思っているので苦悩します。

自分はまず推しが中心で推し大好きマン推し第一にしています推しのことを好きな人はそれなりにいらっしゃいますが、大抵地雷カプの方や地雷兼任の方が何故か多く、拒否反応を起こしてしまます

さら推しは受けにしたいのでそこでもさらに数が絞られます

ただ自分推しへの解釈が相当に面倒臭い腐女子なので、残った総受け推しが極端に乙女になる推しの受け数が最大のカプも弾きます

ですがそういった他カプの方に縋らないと飢え死にしてしまうので包丁を隠し持ちつつなんとか生きています

ここまで見てお察かもしれませんがお前交流向いてなくね?と思われるでしょう。

その通りです。

昔はやっていましたが、交流上記のような敏感モンペ性分で苦しんだために利用しなくなりました。

実際このジャンルにハマってからも今年の中旬頃までツイは利用せず、支部を漁って生きて参りました。しかし、マイナー!!限界が訪れます

徐々に更新されなくなる作品欄。消される作品たち。消える大手。そりゃもうしんどいです。

中でも、その推しのことが好きになって初めてご本を買わせて頂いた大好きな方の更新ストップしたのは大ダメージでした。

この私の推し像や解釈を作り上げ、自カプの親と言えるような方でした。その方は新しく他ジャンルへ移ってしまいました。

ここまで長くハマったカプは今まで無かったので、取り残されるのがこんなに悲しいものだとは……

それでもう供給が足りない!辛抱ならん!とツイへ飛び込んでいった訳です。

ですがマイナーさらに遅漏参入。その上自分創作一般受けするものでなくちょっとアレな雰囲気ですので、周りの方に積極的に絡みにいくのは憚られます

ですがそんな奴にも一丁前に評価されたい欲望はある訳です。

自分と同じような方向で求めてくれる人なんかそうそうおりません。

そもそもちゃんと人様に見せられるような創作はまだ全然出来ていないので自分作品で殴り付けたり人に布教するなんてもう全くもって出来ません。

近々オンリーイベントがありますが、漫画は描いたことがないしきっと何も出来ずじまいで過ぎていくのでしょう。

そして数少ない界隈の方にとっては無産なんか見向きもされません。

それでも推しは大好きで大好きでまだ毎日推しのことを考えては幸せ気持ちにさせてくれます

これから時間がかかっても大好きを形にしたいし、全員に好きだと言われなくてもたった一人でも、自分の大好きがこもった作品を気に入ってくれる人がいたら幸せ。あわよくば言葉にして伝えてもらえたらな。

仲間が少しでも増えてくれればいいな

2018-10-07

キズナアイ論争とごちうさ2期論争は似てる

今のキズナアイ論争を男のオタク内の騒動に例えると、ごちうさ2期論争に似てる。

ごちうさ2期は1期と比べると露骨に媚びてる感じや"あざとさ"が目立ったので、それを批判する人も多かった。

まり構図としては

ごちうさ1期=一般受けする絵 ごちうさ2期=キズナアイ的な萌え絵

という感じでオタクにも過剰な萌故にごちうさ2期に気持ち悪さを感じる人がいたのだ。これはキズナアイキャラフェミ気持ち悪さを感じるのと似ている。

違いは、オタク自分の好みに合わない2期を視聴するのを辞めたのに対して、フェミニストはゾーニング規制女性差別だと主張した事である

キズナアイ論争でフェミニストが叩かれるのは、「このキャラクターは気持ち悪くて好きじゃない」と個人の感想ですませてNHKサイトを閉じれば良いものを、「私が気持ち悪いと思うキャラクターを規制しろ」と強く主張しすぎたところではないだろうか。

2018-09-23

Ubuntu絶対一般受けしない

UIがクソすぎる。

アプリケーションの設定をするのにウィンドウ本体からは出来ず、タスクバー右クリックからのみ出来るというソフトウェアが多々ある。

気が狂っているとしか思えない。

2018-09-03

anond:20180528235911

車離れして、単身者が増えてる若者にこそ車と違い維持費が安く気軽に乗れるバイク流行余地あると思うけどな。

昔みたいにかっこいいとかタバコと同じような感覚じゃなくて、一人で気ままに買い物したり休日日帰りや一泊二日で気軽に旅に出れるってあたりが現代バイク需要としてあると思う。

実際町乗りやちょっとした遠出にもぴったりな150cc流行ってるし。

あとは宣伝だね。

バイクのものじゃなくてバイクがあるちょっと充実した生活番組でも流行れば行けると思う。

ゆるキャンとか孤独のグルメとかみたいなソロを楽しむ雰囲気ので、バイクがあることにより駅から離れたちょっとしたスポット自然等をソロで楽しめるって作品

バイクあくまでおまけなので、あえて一般受けやすい125〜150ぐらいのスクーターメインにしてさ。さらリアボックスもつけちゃって。手軽に荷物積めるのは大事ボックスデザイン若者受けしそうなものを、無ければオリジナルで作って需要あればあとで販売してみたり。

ばくおんとかダイレクトバイク番組バイク推すよりも、今はバイクのものに興味があるわけじゃなくバイクがあると生活が充実しそうな層をターゲットにしてさ。

そういう原作を探して映像化の協力するか、オリジナル作品作るか。

多分西武鉄道とかそういう戦略で実際に行動してんじゃないかな。

そうしてバイクのある生活に興味を持ってきた人たちが出来てから、それより少し先の楽しみ方としてバイクのものの楽しさを売り出していけばいいんだよ。

2018-06-19

趣味仕事か、人生をどちらに賭けるか

30歳になったけど、ここ数年趣味漫画を描いてる。

仕事はたまーーに在宅で請け負ってるけど、ほぼしてない。

仕事スキルはどんどん錆びついて、気付いたらここまできてしまった。

今更普通会社に復帰すんのは無理だろうなと思ってる。

趣味でひたすら漫画描く時間が欲しかっただけなんだけど。

プロになる気はさらさらなくて、そもそも絵も上手くないし話は一般受けしない二次創作

ずっと赤字


趣味時間と体力と気力を考えたら、仕事なんかに人生を使うよりはずっとずっと楽しい数年間だった。

ここからどうしようか。

趣味選択してしまって、趣味のみで生きることができる社会は目前のような気もするけど、現時点で結局1円も稼げていない。


なんでこんな時代なのに稼げないのか。

人のために何もしないから。

100%自分のために、好きなことをやっている。

人に合わせた時点で商業気が入ってしまう。

そのことを嫌っている。

めんどくせぇ

とは言え、そろそろどんな方法でもいいから金を稼ぐことを考えなければならない。

趣味ばっかやってきて、ここからどうするか。

切り離した仕事を探すか、趣味仕事にするか。

なんで二者択一なんだ。なんでどちらかに賭けなきゃいけないんだ。


ブレにブレて、もう自分が何したいのか、何をすべきなのか、見失いつつある。

好きなことをずっとやってたらいつか何かになるかもと思ってたけど、まだ何にもなれない。

ただ、自分楽しいだけの人生になった。

それこそが一番のような気もするけど、それだけじゃ駄目のような気もする。

2018-06-13

二次創作同人誌で稼ぎたい

別に10万や100万稼ごうとは思わない

てかたぶん無理

100部売れたら印刷代など引いて3万くらいにはなる?

100部売るハードル、どれくらい高いんだろう

ジャンル行けばみたいな説あるけど数多すぎるとこは埋もれるじゃん

かといってマイナーすぎるとこは買い手がいないじゃん

間?

オンリーで300集まるくらいのところがいいんだろうか

よくわからない

普段は絵も話も一般受けしないようなものを描いてる

それでも売れるジャンル果たしてあるのか

金の前で自分の好きを曲げて絵柄が話を変えるべきなのか

うーん

2018-05-29

anond:20180529000252

一般受けしないまま、終わっていくのが悲しくて悲しくて

anond:20180528235911

「金がかかる」「危険すぎる」時点で、一般受けしないのは仕方がないのでは。

2018-04-15




フェミニストの方が、ゴールデンカムイ無理って言ってますけどそれは……


http://d.hatena.ne.jp/nanamino/20160404/1459764221

で、試し読みしてみたのですが。えーー、ごめんなさい、無理です。とてつもなく気持ち悪いです。

主人公が成人男性(どう少なく見積もっても二十歳は越えている。下手するともっとずっと上)で、ヒロイン12~3歳って……。

しかもこのヒロイン、顔立ちは大人っぽい感じの美少女なのでまだマシなんですが身長が低い。めっちゃ低い。主人公の腰の辺りくらいしかないんじゃないってくらいに小さい。小さすぎて7歳くらいに見える。

本当に真性ロリって感じで見ていて気持ち悪い。

それでもこの二人でそういう関係になるとは限らないし…!と思いWikipediaを読んでみたらヒロイン祖母ヒロイン主人公の嫁にしたがってるとか、主人公に思いを寄せるセクシー占い師ヒロイン嫉妬するとかの情報が出てきてやっぱ無理だと思いました。ヒロイン主人公への想いはあくまで憧れであって、同年代少年キャラに本当の恋をしてそっちと上手くいくという展開がこの先あるのならば評価は変わるのですが、そうでないならばどうにも無理です、受け付けません。主人公には梅子という想い人がいるらしいのでそっちとくっついてくれないかなあとも思うのですが、梅子の存在は「主人公にその気はないけどロリ片想いされてやれやれだぜ」という設定にするための舞台装置に過ぎないのかな、やっぱり。Wikipediaを見る限りではヒロインと同世代少年のメインキャラはいないようですし。

20歳過ぎのの男性と12歳の少女が出てる時点でアウト! 同年代少年と恋をしない女はアウト! この人同性愛とか絶対駄目っていいだしそうなやつだ!

銀魂なんかも主人公が二十代後半(推定)の成人男性ヒロイン14歳少女なんですが、ロリコン的な気持ち悪さはないんですよね(最近は別の意味での気持ち悪さは出てきましたが)。それは多分、十代の少年キャラちゃんとメインにいるからだと思います。真っ当な作品ヒロイン主人公と歳の離れた少女にしても、ヒロインと同年代少年キャラちゃんと出すんですよね。主人公は一歩引いた所にいる大人であって、遥かに年下のヒロインと『対等』になったりはしない。

ゴールデンカムイ気持ち悪いけどセクハラ発言たくさん出てくる「銀魂」はセーフ。だって私が気持ち悪いと思わないんもん! だってよw

まあ実際、当時のアイヌ民族では歳の差婚が当たり前だったのかもしれませんが。でもやっぱり気持ち悪いです。アイヌ民族しろ在日コリアンしろ同性愛者にしろ、ある点で被差別者からと言って別の差別をしないという訳ではないし、また差別しても許される訳ではないと思う。ロリコンがアイヌ民族文化だというのなら、そんな民族滅んでよし、滅ぶべき。インドカースト制と同じだ。民族差別問題視する側が女性差別には鈍感、って非常によくある話過ぎて本当に嫌になる。だから私はたとえ「アイヌ民族を正しく描いた作品」であっても、このようなロリコン漫画肯定的に受け止める気には到底ありません。

当時のアイヌ民族では年の差婚が当たり前だったかもしれなくても気持ち悪いんだってさ。

ロリコンがアイヌ民族文化だというのなら、そんな民族滅んでよし、滅ぶべき。」だってさ。

おう、withnewsに憤ってたみなさん。少数民族差別LGBT差別に厳しいみなさん。同じ仲間のフェミニストがこんなこと言ってるけど放置しておいていいの?

差別主義者は絶対さない。みんなで囲んで叩いてもいいんでしょ? 女だったらアイヌに対する差別発言してもいいの? 

まあねー…青年漫画にはこの手の、成人男性主人公少女キャラ恋愛やそれを明らかに意図した作品は珍しくないんだと思いますよ。よくある話、よくある話。

そういう作品の多くに対しては、心の底できめえとは思いながらも娯楽作品にいちいち目くじら立ててもしょうがいかスルーできるのですが。

ゴールデンカムイ気持ち悪いのは変にポリティカルコレクト作品として持ち上げられているからです。

本当だったらこの人もスルーできてたはずなのにフェミニストの方々が「ポリティカルコレクト作品として持ち上げ」るせいで気持ち悪くなっちゃっただってさ。かわいそうかわいそう。

単なる娯楽作なだけならいちいち怒ってません。偏りまくりロリコン作品を『正しいもの』として持ち上げる世の流れが気持ち悪い。

「明るく、おもしろアイヌを描く」手段が、12、3歳の少女を成人男性主人公とどうこうさせる事なのか。もっと他の手法はなかったんですか。

今の日本サブカルチャーにおいて『少女』という表象けが過剰に持て囃されるのを痛感しました。つくづく気持ち悪い。

フェミニストのみなさん、同じお仲間のフェミニストの方にここまで言われてますけど?あなたこの作品褒めまくってたんだからなにか言ったら?


ヒロイン少女なら、主人公少年じゃいけなかったんですかね…。病気母親治療費を稼ぐために大金が欲しい少年とか、両親を亡くして幼い弟妹を養うために金を稼ぐ少年とか、そっちの方が少女キャラと『相棒』になるには自然だと思うんですが。少年少女で描くアイヌ物語だったらなあ…そっちなら進撃の巨人みたいに一般受けして大ヒットしそうなのに勿体ない。(少女ヒロイン大人主人公なら、グイン・サーガみたいに主人公別に少年キャラを出して主人公は二人を守る保護者ポジションでも良かった。少年少女を守るかっこいい兄貴ポジション主人公なら、好きになれそうなタイプキャラなのにな…残念です)

青年漫画から主人公大人じゃなきゃいけないというのなら、そしてヒロインとの間に色恋沙汰を入れるなら、ヒロイン普通に成人女性でいいじゃないですか。「少女」だとしても、せめて十代後半ならまだ受け入れられた。ヒロインの年齢はせめて16歳前後じゃいけなかったんですかね……。12、3歳はちょっといくら何でも、おええぇ(しかもその年齢より更に小さく見える)。色々な事件の影響もあって、最近とみに成人男性少女の組み合わせが苦手になっています

すげえなこの人。自分の好みのためにキャラクターの年齢や配列まで自分の思い通り出ないと駄目なんだ。

2018-03-05

[]木尾士目新連載(アフタヌーン

合唱部の話

歌詞しまくりでJASRAC権利料大変そうとか無駄心配してしま

でもげんしけん呪縛からはようやく逃れられそうな面白さがありそう・・・と思う

もっと読みたいつーかまとめ読みしたい~

一般受けする感じだしヒットしてほしいなあ~

2018-02-05

褒められて伸びる人、けなされて伸びる人

二次創作の話を含みます。そのことに理解がない方は読まないことをお勧めします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

褒められて伸びる人がいるように、けなされて伸びる人もいる。

私だ。

いや、褒められることは好きだし、励みになるのだが、少々天狗になってしまうのだ。

いいねがついたり、RTされると嬉しい。

でもそれだけを求めてしまう。

ちがうの。

本当は、自分が描きたい雰囲気ポーズがあって、それを描きたくて、上手くなりたいの。

それが一般受けしない者でも。

でもやっぱり目に見えて見える評価を追いたがってしま自分がいる。

難しい。

私には、けなしてくれる人がいる。助言を言ってくれる人、と言った方が正しい。

見えなかったものが見えるし冷静になれるし性壁も合うからありがたみしかない。

でも、そうすると自分がだめだめの人間に思えてきて、創作意欲が消えてしまう。

はあ。

どうしたらいいんですかね。

私、相当な特殊性壁持ちなんですよ。

想像妊娠拷問去勢、お薬、首絞め、白痴幼児退行、死ネタ自傷行為発狂虐待嘔吐、血反吐

皆様から見たら、特殊ですよね。

本当はキラキラした絵じゃなくて、鬱みたいなのが描きたいのに。

めろんぱんさんの絵、キラキラふわふわしてて可愛いです!」

褒めて、もらえているんだろうけど。

とっても嬉しいんだけど、ちゃんと喜べないのです。

描きたいものはそうじゃないんだ。

でも褒めてもらわないと生きていけない。

生きづれえーーーーーーーーー!

大手地雷だし!

生きづれえーーーーーーーーー!

はあ。何言いたいのかわかんなくなってきちゃた。

自分性癖に正直で萌える絵を描きたいなあ。

小説も。文字も上手くなりたいな。

どうしたらええんじゃ

2017-12-13

進撃の巨人が嫌われる理由って

なんだろうなあとグラブルコラボをやっていて思った

2017-12-01

Qiitaの新デザインがしっくりこない

LINEブログやアメブロのような一般受けする感があるデザインになってしまった。

前のエンジニア的な殺伐としたそんなにこだわってない感があるデザインは嫌いじゃなかった。

2017-11-28

anond:20171128143626

舞台コアファンしか行かないか最初からコアファン向けに作ることができる。実写が苦手な層はそもそも行かない。期間も短く円盤も出回らない

映画中途半端一般受けを狙おうとして無意味恋愛要素などを入れてくる。CMなどで否応なく視界に入ってくる。円盤黒歴史として残る

舞台の方が無名だけどキャラに似ている役者を使う

映画は使いたい役者がすでにいて、それにキャラを無理くり当てはめる

漫画原作映画でもセンスのある監督が作ればそこそこ良くなる

るろ剣とか帝一の國とかの成功前例もあるから、やはり失敗作は制作陣のセンスが悪いからだろう

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