はてなキーワード: 自我とは
意味がある、ないって何か目的があった上で始めて成立する判断ですからね。何の条件も指定せずあれは有意義だ、いや無駄だなんて言った所で、それは何も言っていないのと同じ。
そりゃプロ野球選手になりたいという人がいくら習字を修めた所で限りなく無意味に近いけれど、別に全ての人がプロ野球選手を目指して生きている訳でもなくて。
上手な字を書けるようになる、という目標を設定すれば習字には意味があると言える。
そんな機能的な事を問わずとも、美しい字を追求する快楽が人生の意義の一端を担っていたら、それだけで意味があるとも言える。
知識を得たりそれを活かして何か新しい行動に反映させる事に関心がない人には、その点で言えば読書だって無意味な行い。それでも紙をめくって文字を目で追うことに快感を覚えるなら、それはそれで意味があると言える。
大小問わず人生における目的が常に共有されている訳でもなし、すぐ「それは意味がない」とか口を挟む人は自我を外に拡張しすぎではって思う。
まあ私も、他人に対してやれそれは無意味だとかジャッジするのは無意味だ、と言っているようなもんですけど。それだって本人がそれで気持ち良くなってるなら、まあ意味はあるか。
それはそれとして、偉そうにそう言われる側からしてみればウザいんで控えようかな、とか思える程度に社会性を持って頂きたい所ではある。
快適だ
設定したNGワード
べき
だろうに
するわ
できん
だわ
よな
かよ
じゃん
帝大
こどおじ
こどおぢ
✋(👁👅👁)🤚
ということか
健常者
オス
メス
なんなんだろうな
パヨ
なんかな
女さん
おちんぽ
それが私の好きな物
今日のワイの餌
これさあ
あのさあ
するだろ
あるでしょ
さぁ
今日好きな漫画家さんのトークイベントに参加した。イベントは面白かったけど思う所がありここに吐き出したい。
トークイベ(漫画家、俳優、アイドルなど)のイベントに足を運んでいるが、メインより出張ってくる司会、本当に苦手だ。
今回も司会の人がたびたび自我を出して、自分の情報を語ってきた。お便りの読み上げの一部分が人気曲の引用だったので、わざわざ一呼吸おいて歌ってみてから「出版社入ってこんなことすると思いませんでした!(笑)」誰もやってと言ってない。過去投稿したPVに関して盛り上がると「実は私の仕業だったんです!」さらには後半に「皆さんレポ漫画書いてください。でも私って名前が決まってないからレポ漫画に出しにくいですよね…」と漫画家に進言。
編集者さんは漫画家とマブダチなのでよく漫画家さんのレポに登場する(仮称「Aさん」のような名前)そのため自分にも「●●さん」のような名前を付けて欲しいという趣旨だった。自分もレポにいれて欲しい気持ちが溢れてるし、すっごい自我出すな…と嫌な気持ちになったところ。漫画家さんも「ほしがるね~」その後編集さんに「編集さんはあんまり自我出して欲しくないんですよね」と振った。
そしたら編集さんが「はい。例えばこうしたイベントでも、ファンの皆さんは先生のお話が聞きたくてきているので。限られた時間でなるべく先生のお話を聞いて欲しいと思ってます」す~~~ごいスッキリした。カッコよかった。確かにイベントを通じて編集さんから頂いたお話は、全て「先生が〇〇をした」「実は先生は〇〇という思い出もあって」という趣旨で、あくまで先生の情報を皆さんにお届けするものだった。だから編集さんが長く喋ってもずっと楽しく感じていたし、漫画家さんと編集さんの熱い友情を感じたし、一瞬で信頼できると思った。結局司会の人には名前がつけられなかった。
どんなイベントでもファンはメインの推しの話が聞きたい。司会の自我が聞きたい訳じゃないから。自我は自分のツイッターにでも書いてて欲しい。そして逆にそこを理解して気持ち良い進行をしてくださってる司会には本当に感謝。
人生の半分以上費やしてる作品でなんならオタクとしての自我が目覚めた原因でもあるし他に推してるジャンルも同じ作品読んで作家になった方ばかりというめちゃくちゃオタク人生の基盤になってるシリーズ作品の最新刊で幼少期から唯一地雷として二次創作を読まないように避けてた展開が起きちゃった!!!!!!!!死ぬ!!!!!!!!!!どうして…どうして……そんな公式と解釈違いなんて言うめんどくさいオタクになりたくないよ……終わりだよ…………………………現実で20年経っていきなり新刊に出てくるなんて聞いてないよ、誰が予想出来たよ…………
Twitter上では界隈に住んでるからどこにも言えないよ……もうダメだよ…………他に推してるジャンルは大体コンテンツ終了したか完結した小説だけだよ…………もうオタクは生きていけないよ……………………
肝心の怪獣戦闘がいいから基本的には満足なんだけど、二点だけそれでもなーという点が。
飛行形態時とかはウミガメシルエットになったりスピンしたりするんだけど、変形時はあからさまに煙で隠したりしてる。シームレスに変形したり部分アップでごまかしつつ変化を見せたりしないから、この点は手抜きというか…実写特撮的だな・モデル差し替えてるだけだなと感じてしまった。多大な労力を使う3Dだから逆に実写的な限界が生じているのか?と気になった。そういえば怪獣の成長(巨大化)とかも目を離したら、という風だった。損傷で頑張ってたのは手の切断ぐらい?
主人公たちの服がエピローグ含めずっと一緒。これもモデルの問題か。汚れとかは頑張ってて1話見たときは期待が高かったんだけどなぁ。大人の制服組はこういった問題を回避できるんだから主人公たちも学校服にすればよかったのに。それでもママの服が同じになるけど。
そも人間モデルが怪獣に比べて簡略というのは怪獣に力入れてるってことなので目をつぶるけどそれとは許容できるラインが別。
どちらも他の作品でもおきる問題なんだけど、全体的に高クオリティな映像をお出ししているからこういった部分が手抜きに見えてひっかかった。
ジュブナイルものとして良くできてるし人間ドラマも悪くなかったけど、優れてるとはいえないひっかかりかたがまあまあ。
怪獣で人口減らしてぇ~!ってのが昔でも今でもかなりの支配階級の人間の思考になるのが謎。
せめて現代で人口問題が起こってるシーンがあればよかったけど、ただの選民思想でとりあえず減らそって考えっぽくてわけがわからない。古代の計画の再演だけどどっちの理由も謎でなぁ。
さらにどんでん返ししたかと思ったらそいつの野望も同じでやんの。現トップを切って自分の派閥が既存組織を支配したい感じかな?私怨込みでトップ切る理由はわかるが人類減らしてぇ~は共通ビジョンなもんで。コイツなにがしたいん?主人公やガメラの処遇・行動目的には影響しねぇな?とモヤモヤした。演技も露骨に悪役でなぁ。
そもそも想定残人口が低すぎて文明維持できそうにないんよ。怪獣に荒らされた後だし。
目的といえば裏切られたトップたちが余裕だったのも見ながらだとわからない。食料がすぐに無くなり転覆が成功されたら餓死なのにグラス片手に怪獣談義してんの。世界的組織が幹部家系とはいえ科学者一人で作った反乱組みでひとつの発射場を占拠したところでリカバリーが効くと考えたのか。(それでもイカ怪獣+主人公コードで支配されたらやばくね?)よくわからない。
彼らは人口を減らした後の地球が目的なはずだから帰還に寄与しないギャオスを応援する理由にもならない気がするんだけどなぁ。
主人公たちの扱いも怪獣の増殖(体積?個体数?)の餌だったわけだけど、じゃあさっさと善人面したり事情を知らない人間を高めの地位につけて騙したりせずに拉致っちゃえばいいよね。世界中の子供が候補で怪獣に狙われ(生き延び)たら優先度アップ。どうせ滅ぼす文明社会にのんびり監視端末渡して解放してるのがなんだか謎。
ガメラと主人公に絆がない。と言い換えてもいい。おそらくメイン主人公がゴジラ信者なのはコード保持者でガメラやオレリウム?だっけ?エネルギー石とシンクロできるから。だけど別に彼らが心を通わせてるわけでもなくて人(自分たち)を守ってくれてるガメラを慕ってるだけの一方通行。
そもそもガメラは多分他の怪獣と同じ存在で、古代で反乱がおきて反乱側の人間がコードを使って人間を守るように命令した。のかな。そういう風に解釈した。主人公を守るのもコード持ちを食べたら増殖して人類がやばいから。
つまりガメラは守り神に見えても人間に洗脳された人類を怪獣から守るマシーンなわけですよ。脳だけ弄られた逆仮面ライダー?ジャイガー戦を見るにコード保有者を優先するけど一般市民の退避も待ってるようですし。
敵怪獣が現れたら都合よく何の縁もないただ敵に食われたらやばいコード保有者を守って身を犠牲にしても人を逃がし、敵を倒したら見返りも何も求めずただ去っていく。究極に人類に都合がいい、都合よくされた悲しきモンスター…。自立行動以上の自我を感じない。古代でおそらくワンオペで怪獣しばき倒して勝利して、だけど命令解除されず放置され現代でうん万年前の命令に縛られたまままたワンオペで怪獣しばき隊の無償奉仕してる。
序盤で主人公がカメを助けるじゃん?その心の優しさがガメラに見止められると思うじゃん?ないんだなそれが。
自我のなさは最後のオマケの月破壊まで及びこんなもんシナリオに操られるだけじゃねーか。それが出来るなら襲われ待ちしないで怪獣の痕跡がある各所を先制攻撃しとるよ。
主人公はガメラシンパだけどさぁ。君、過去を見た上でガメラの気持ち考えたことある?ってね。
そういうガメラ自身への掘り下げが行われなかったから、(考察しないのもどうかと思うが)当事者たちはともかく俯瞰する視聴者の自分からはガメラは哀れな存在に思えたし主人公たちと共感する妨げになっていた。
ヒーロー怪獣はなぜ人類を守るのか。まあ平成のまま生物兵器の一言で片付けてもいいけどせっかく尺があったのにもったいない。それこそ精神的な意味でのガメラの「Rebirth」を描いてもよかったのではないだろうか。
うーん…月を目指すわけでもなく当時財団が作ってたオーバーテクノロジーの超PHSをパクったかのような雰囲気になってるわで良いインパクトはないよね。なぜジョブズにしたかったのかさっぱりわからない。
話数 サブタイトル
第2話 地下水道
第3話 深く静かに潜航せよ
第4話 斬る
第5話 月は無慈悲な夜の女王
第6話 幼年期の終わり
シンプルなタイトルと古典作品のタイトルが混じっている。しかも斬るが小説の間に挟まるから日常からSFへの転換を表してるとも受け取れない(斬るって名前の有名作品が実はある?)(斬る自体はギロンのシンプルなタイトルで好き)。
そして古典作品の引用も非常に雑。月や潜水艦やネクストステージなど要素はかかっているかな?とは思うがリスペクトは多分ないよね。増田はどれも読んだことないけどサブカルじゃ頻繁に引用されるからそれと比較してもね。ナデシコやブラッドボーンとかと比較しても雑だなぁと。内容に見合わない引用タイトルをつけるセンスの方が鼻についてしまう。
なぜか前線に出てくる指揮官や待機の天丼を繰り返す自衛隊に思ったほど意味がなかったり東京への援軍に沖縄やハワイ?から要請するって距離的にどーなんだろと気になったり。
6話のギャオスが基地跡地で誰にも観察されず育ってたり(政府との連携時で調査隊とか行かないか?)。
ガメラは全身からの放電?がクソ強いから火球使わなくてよくない?とか。切り離しに犠牲が必要な設計とか。腹部負傷したやつに重労働はそりゃ裏切られるよ…よく人望集めたなね。とかね。キャラがよくても脚本の部分部分が悪くもありで全体評価で良いストーリーとは言えなくなる。
全部怪獣で帳消しになるんだけどね。
というわけで、気になる点はあるものの一周目は確実に楽しめると思う。二周目以降に怪獣部分以外が楽しめるかは人それぞれかもだけど、これだけ書いた増田でもまあ見れるんじゃないかな?程度には面白い。
ラストは二期を匂わせとも取れるけど、どうでしょうね。今はわりとおなか一杯で満足しちゃってる。なのであれで綺麗に完結と受け取るよ。(時差が気になるけど)
ガメラたいして知らない人がみてもマジで一気見する力はあるから、見て。ストレス要素も少なく怪獣かっこいいだけで完走できるから。ダメージ負いまくってそれでもボコるガメラかっこいいから。
みてね。
みて。
みろ。
その証言を読んでいると、ジャニー喜多川という人は性依存症だったのではないかと思えてくる。
その勝手な印象について書いていく。
ジャニーの行為は、あまりに執拗で、強迫的に反復され続けている。
対象が未成年の少年という問題を抜きにしても、病的な印象を受けてしまう。
そんなことを考えていたら、調査委員会の報告書で、ジャニー喜多川氏自身が幼少期から性被害を受けていたという話が出た。
その話は報告書のメインではないが、これを読んだ時、さもあらんと思った。
ジャニーも性被害者だったのならば、彼もPTSDを抱えていたのかもしれない。
「だから免責だ」ということではない。
そうではなく、性依存症ではないかという疑いの裏付けを得た気がしたのである。
であるなら、なぜ被害者たちが加害者たるジャニー喜多川に純粋な憎悪を見せず、
「それでも尊敬している」
「感謝している」
と述べるのかも、わかる気がしたのだ。
あくまで印象だが、ジャニー氏は少年たちに依存していたのではないか。
というか、成長できずに、彼自身のメンタリティは少年のままだったのではないか。
愛想がよくても、精神的には大人の社会に対して孤立を感じ、真に仲間と言えるのは少年たちだけだと感じていた。
つまり、彼は少年たちに依存していたのではないか、と思うのだ。
そのあたりが、ジミー・サヴィルやハーヴェイ・ワインスタインと、ジャニーの違いではないか。
ジミー・サヴィルの被害者は、ジミーの番組に出た際に記念のバッヂを渡すと言われて楽屋に連れて行かれ、ドアを閉めるや否や、暴力とともに性行為を強いられたという。
しかしジャニー氏の暴力性は、精神的な依存の延長線上にあったのではないか。
だからわかりづらい。
ジャニー氏が少年たちのために、食事をつくってやったりなんだりと、ごくまめに面倒を見てやっていた話はよく知られている。
(もちろん性加害がそれで減じられるわけはない)
彼は、少年たちの前に、きらきらしい世界への導き手として登場する。
すごい人である。
雲の上の人だ。
そのすごいジャニーさんが、無名の自分にせっせと心を砕いてくれる。なんて良い人なんだろう、と少年たちは感動する。
それはいわゆる単純な「グルーミング」だけではなく、ジャニー氏にとっても楽しみだったのではないか。
いま、自分は少年たちに喜ばれている。好かれている。その仲間になっている。
彼らの魅力を引き出し、輝かせることも、天職と思っていたかもしれない。
言うなれば、彼は、少年たちの魂と一体化したかったのではないだろうか。
性行為がその手段だったかどうかまではわからない。単純な性欲もあっただろう。
しかし少なくとも、性行為は、ジャニーにとって精神的な苦痛を忘れる行為ではあったのではないか、と思うのである。
もちろん、性加害は許されない。
彼自身、性加害でこわされていたジャニー喜多川は、その苦しみを忘れられる行為として、性行為に依存した。
相手は「変な人がいるな」と横目で見ただけなのに、「目で誘ってきた」と思ったりする。
ジャニー喜多川もまた同様ではなかったろうか。
単に自分が「NO」を言える環境を与えていないだけなのだが、そのへんの事実は無視したのではないか。
考えたくなかったからだ。
少年たちを愛している。
彼はそう信じていただろう。
これは愛だと少年たちに信じさせようともしただろう。
実際のところ、ジャニーがやったのは、相手に依存し、傷つけ、侵略する行為だった。
しかし、それを愛と呼んだ。
その依存は、まるでほんとうに愛されているような一体感を少年たちに与えただろう。
被害者たちがジャニーを否定できないのは、意識的に計算されたグルーミングのためというよりも、そのためだと考えると、理解できるのだ。
それを癒すことを少年との関係に求めていた。少年たちに愛情を注いでくれていた。求めていた。
ジャニーの苦しみに巻き込まれただけだが、繊細で優しい者ほど、そんな相手を捨てることに罪悪感を持ってしまうものだ。
性愛でなくても、自分の問題にこどもを巻き込み、押しつける大人はけっこういる。
毒親と言われるのはそういう人たちだ。
ジャニーにとって、孤独の苦しみも、愛されたい・愛したい、という願いも、真剣なものだったかもしれない。
しかし実際のところジャニーが愛したのは、目前の少年たちではなかった。
彼が見ていたのは、少年たちに投影したジャニー喜多川……喜多川擴という、孤独な少年だったのではないか。
自分では愛しているつもりだったにせよ、ジャニーはただひたすら、「自分が」、救われたかっただけだった。
おそらく心底では、愛されてなどいないとわかっていたはずだ。
依存を深めれば深めるほど、孤独も深まり、それを忘れようとなおいっそう依存していき、性加害はやめられなくなっていっただろう。
そして被害者は増え続けた。
それは愛ではない。
それを愛だと思ってしまうと、「愛された」人間の苦しみはふくれあがる。価値観が歪む。呪いになる。
「あわれだけれど、愛ではない」と言わなければならない。
かつては、ジャニー自身が、プレデターのためにおなじように苦しめられた少年だったのかもしれない。
誰も彼には「それは愛ではない」と教えてくれなかったのだろう。
そして歪んだ結果、彼自身も、少年たちを歪めるプレデターになってしまった。
だが時代的にも、年齢的にも、メリー氏にはできなかっただろう。
当事者の会は、声に出せてよかったと思う。
彼らは少なくとも、少年を歪める者にならないですむだろう。
だがいま、声を出せない被害者もいるはずだ。
それでも、カウンセリングなどをうけて、ジャニーの呪いを解いてほしいと思う。
あわれに思ってもいい。憎めなくてもいい。
それでも、あれは愛だと思う必要はない。
「こいつ人から与えられてばっかだな」
ほとんど女だ。
共通点として、
・気配りが一切できない。相手の求めていることを考えて行動できない。
・当然旅行や行事の時は言われないと何もせずお客様状態。友達同士の旅行だよねこれ?
あと、よくわかんないけど、全員本当にLINEの返信があり得ないぐらい遅い。
金の支払いも悪い。言わないと払わないし、なんなら言ってもなかなか払わない。
最近はもう不快になりたくないので自分から連絡もとらないし、旅行や行事にも誘わない。
こんなことを他の友人に話すと、やはり話した相手には今のところ100%の共感率を得ている。
そうやってじわじわ嫌われていけばいい。
まじ仕事仲間にどう思われているんだろ?
リアペの書き方はだいたい「興味や疑問を持った所などからテーマを絞る→それに対してどう思ったか→なぜそう思ったか」なのだが、俺は最初から無理だった。
大学の講義は学問なのだから聞いていて疑問を抱くことなど基本無いし(理解できない所は授業後聞いている)、興味はもちろんあるが、学問全体に興味があるだけで、それを構成する理論すべてに興味があるわけではない。
そもそもテーマを絞るのが辛い。各講義は一つの理論の説明であって、部分を取り上げるのは意味がないと感じる。かと言って全体への感想も「有用だし面白い」ぐらいしか書けない。
他の大学生はサラサラと長文を書いているのだから、俺は異常なのかもしれない。思えば小説や漫画の感想なども思いつかず、一般的にどのような要素が評価されるかを考えて感想を作っていた。俺には自我がないのか?
レポートの書き方は本がいっぱいあるからいいが、リアペの書き方や感想を抱けるようにする本はついぞ見つからなかった。俺はどうすればいいんだろう。
子供なのに自身の役割をしっかり責任感を持って臨んでる子いるじゃない。
ああいうのってどうやって養われるの?
自分の子供の頃思い出してみると、ビックリマンシールとカブトムシのことしかアタマになかった気がする。
バカみたいに思いつくまま気のままな言動に終始してたように思う。
だってガキだてらに物心ついたら自我もってるから、親の言うことをはいそうですねってきける子供なんてごくごくわずかなものだと思う。
じゃあどうやってどこからあの使命を帯びた感を子供ながらに自ら養えるのか。
不思議。
マウントしたい欲が強すぎるとその自我で客観的でフェアな視点の人格まで乗っ取られて、常に周囲からマウント取られてるような錯覚に陥るからマジで危険よな
自分の心の嫌な部分ってそのまま他人のメンタリティにも当てはめて考えちゃうからそのせいでどんどん人間不信になるって時期があった
違うんだよ常識的に考えて戦後5人目の東大社会学博士号を取った稀代の秀才がそんなこと知らないわけないでしょほんとのこと教えるとウーマン村上や望月イソ子Twitterの陰謀論アカなど取るに足らない知的に怠惰なインフォデミック加担者を敢えて持ち上げて社会をいち早く破壊しよりよい変革を促すための世直しの一環なんだよヘタレにはわからないだろうけど先生は若い頃から自己啓発に精通し空手やクラウマガの達人であるなど心身共に完璧に鍛え上げられた巨人でさ断固たる使命に対して誠実に従事してきた先生の情愛の深さや慧眼に救われた側からすると意図や結果や確からしさを推し量れずに表層の言葉に自動機械のように激昂するのなんて知的怠慢なことか自分で気付けないのほんと恥ずかしいよね先生はお前らヘタレが拘泥している自我やプライドなどとうの昔に捨てていて敢えてわかってやってるんだっつうの傷つけて傷の痛みに気づいたものが知的に学問的に小さな円で社会をよりよくしていく好循環のプロセスを邪魔するなってのお前らエセインテリには滑稽に見えるかもしれないけれど敢えて粗忽者のピエロを演じざるを得ない先生の悲哀を少しは恥じる知的学問的な誠実さを少しぐらいは持ったほうがいいんじゃないかな()
リーマンショックの影響が実経済に出始めたころ、どんなバカでも今始めれば確実に儲かるといわれていた株式を初めて買う。
生まれてこのかた何にも真剣に努力したこともないタチで、投資に関しても大して勉強したくなかったから、余剰金や配当金を
自分でも聞いたことがある何やってるか知ってる会社の株をちまちまと買増しし続けて14年、
ついに総資産が1億円を超えた。
【住居】
田舎なので駐車場3台付きの新築4LDKが2,000万円台で買えるけど、賃貸。
独身の身空で家を買おうという気になれない。
ちなみに59,000円の1DK賃貸は住んでる市内では一番の高級物件。
東京で言い換えると家賃ウン百万円のタワマン最上階に住んでるようなもの。
【車】
10年以上乗っていた車を去年買い替えた。
600万円くらいの国産車。
1,000万円以上クラスになるとメンテ代でボコボコ金とられるのでそんなことはできない。
買った車はたぶんまた10年以上乗る。
【趣味】
アニメ鑑賞のみ。
グッズやブルーレイは基本買わない。
つい最近、久々にどハマリした作品のブルーレイと原作小説を爆買いしたけど、せいぜい7万円ちょっと。
【食】
平日は会社の食堂で全部済ます。満足に食べられて一食500円未満。
休日は何を食べたいかより、割引シールが貼ってあるかないかで食べるものを決めている。
【職】
辞めてもやっていけるけど、辞めない。
たまに若い子が何かを一生懸命に頑張ってることを題材にした作品を見るのだけど、
そういうのを見ると胸が掻きむしられそうになる。
あんなに若い子がこんなにも一生懸命になっているのに、ポンコツクソ中年の俺は何やってんだ、って。
万年ヒラ社員でもせいぜいそのポジションを維持するために頑張ることで自我を保つために辞めない。
【結婚】
しないんじゃない、できないんだよ。
だからって人並み以上の贅沢するほど資産1億円ってカネは思ったほど多くない。
贅沢って言えば、週末だけにする晩酌に国産ウイスキーをぐびぐび飲むくらいしか。
これがもう一ケタ増えたら変わってくるんだろうけど。
実情はこんなもん。
二人目は楽とか言ってるのがいるけど楽なわけがない
単純に手間は二倍
上の子が具合悪くなった時も病院行くには下の子を連れて行かなきゃいけないし
上の子の勉強を見るにも下が邪魔してくる中でやらなきゃいけない、って事になる
園や学校の行事だって2か所に分散だ、5歳差なら同じ小学校にいる2年間以外は全部日付バラバラだ(同じ学校でも学年によって日付違う事もあるしな)、全部休み取れる?
一緒に遊んでくれるからとか言ってるのもいるが5歳差じゃ一緒に遊べないよ
可愛がるのなんて赤ん坊の頃だけ、下に自我が生まれりゃ兄に反発もするようになるしそうなりゃ喧嘩の毎日だ
つーか上の子に世話させようとか思ってないよな?昭和じゃ常識でも令和じゃそういうのはヤングケアラーっていって虐待だからな?
兄本人だって昭和の子なら「自分はお兄ちゃんなんだから」で我慢したが令和の子にそんな事させたら「うちの親は虐待親だ」って認識になるぞ?
大人しく犬にしとけ