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2019-04-15

火ノ丸相撲高校相撲編まで」(が良かった)と言われる理由

・・・自分なりに考えてみた。

※だらだら書いたので恐ろしく長い。

あくまで「自分の周りでの評価」の話でこれは決して一般論でない。面白さの感じ方は人それぞれということも重々承知している。ごくごく個人的見解だと思ってもらえれば。

推敲もせず勢いにまかせて書いたので、多少ふざけている部分もあるし、すぐ脱線するし、色々な意味で所々間違っているかもしれないし文章も順序も何もかもめちゃくちゃだけどおおよその意味は通じると思うので堪忍してほしい。

小学生大学生あたりまでは欠かさずジャンプを買い続けてきたオッサンなのでいわゆるWJお約束アンケート事情等は踏まえている。

前置き

WJをずっと読み続けている友人が数人いるのだが、誰も火ノ丸相撲を読んでいない。読んでいない理由、ほぼ全員が口を揃えてこう言う。

大相撲からついていけなくなった」「高校相撲の時は面白くて毎週読んでいた」「ごちゃごちゃしてわかりづらくなり読むのをやめた」系統理由

自分原作連載時の初期の方だけは本誌で読んでいて元々相撲好きというのもあり、珍しい題材なのに巧みに関心を引く、驚くほど絵が上手くて話も面白漫画始まったなという印象だった。

そしてアニメをみているうちに改めてもう一度通しで原作ちゃんと読み直したくなったクチなので、彼らの評価を確かめるべく単行本最新刊まで読み進めた結果、なるほどそうか・・・と腑に落ちた。

火ノ丸相撲といえば・・・知名度のわりに本当に単行本が売れていない、アニメ化されても伸びない、掲載はいつもだいたい後ろの方。(これらはしばしば公式でも自虐ネタに使われているようだ) このような状況でありながら打ち切り危機を免れてきたのは、根強いタニマチ(後援者、ファン)の後押し、国技を題材とした作品である社会的評価少年誌作品とは思えない画力構成力、質の高さ、純粋作品としての魅力が高かったからに他ならない。

本題

大相撲編がイマイチ理由の一つとして「異様なほどの性急さ」が挙げられる。これはWJ連載であるりある程度しかたないことかもしれんが・・・

本来であれば、

A★→B→C→D★→E→F→G★ (★は物語の進行上外せない重要な話とする)

と進むべきところが、

★以外のエピソードをすっとばして読者を置いてけぼりにしている感がすごい。 つまりWJ特有事情で話を早くすすめたいがために最低限描かなければ成立しない部分しか描かせてもらっていない印象をうけるのだ。この流れは非常にまずい。なぜならばかつて打ち切られた作品で幾度も幾度も目にしてきた流れだからだ。

高校相撲編ではここらへんが比較的丁寧に描かれていたので余計に異様さが際立つ。

なお、この「すっとばし」はキャラクターにも多大な悪影響を与えている。

一人目は主人公火ノ丸。高校時代までの彼はどこか浮世離れしたつかみどころのないキャラクターでまさに相撲の申し子、ある種神聖視された存在だった。ところが大相撲編では詳細は省くが色々な意味で「人間」にまで「落ちて」しまった。神の化身(横綱)になろうとする者がそこから遠ざかってどうするんだ!?と首を傾げざるを得なかった。(もちろん無垢であること=神性というのが単なる概念にすぎないのは百も承知として)

極論ではあるが、親方に薦められるままにお見合い女性と所帯を持つ方がよほど彼らしかった気がする。それほど色恋には淡白なのが火ノ丸だと思っていた。

彼は一見他人にも自分にも関心があるように見えて実はかなり希薄に思える。かといって他者から本物の好意を向けられれば真摯に応える度量は持ち合わせている。相手によほどの理由がない限り彼は好意に応えようと努力するだろう。とかく恋愛経験値が低い者は猛烈な「押し」には弱いものだ。誰が主人公の心を射止めるかというのは少年漫画面白さの一要素でもある。そういう意味ではあの咲や景子ですらヒロインになりうる一種ワイルドカード的な魅力が無自覚の神性を有していた頃の火ノ丸にはあったように感じる。

さらに言えば、主人公を射止めたヒロイン(レイナ)のキャラが強く立っているにも関わらず、動機付けの弱さ、たまたま近くにいた異性、半ば成り行きのような、描写不十分でさほどの必然性がないように見えたことがとても残念で引っかかるのだ。

いささか潮火ノ丸というキャラクター幻想を抱きすぎた感はあるが、少年期の彼の印象はどうしても強いのだ。

二人目はヒロイン枠のレイナライバルらしいライバル千鶴子くらいのものだったので、これはまぁ順当ともいえるが(ちなみに自分1話での火ノ丸との運命的な出会いからずっと彼をひたむきに愛していた千鶴子推しであった…)、あまりにも性急に距離が急接近したのにはさすがに困惑しかなかった。彼らが後々恋愛関係になることは容易に予想できたし特に異存はない。ただあのような相思相愛関係?に至るまでのプロセスがあまりにお粗末すぎるのでは?何なら高校相撲編のレイナが火ノ丸の相撲魅せられていく名前のつけられないあの純化された感情を抱いた付かず離れずの関係性をもっと見ていたかった・・・

三人目はチヒロ。主人公国宝を脅かすほどの屈指の人気キャラでありながら夢を追うために渡米し実質的な退場となった時は「なんて潔いんだ!!」と感動したものだ。しかし彼は帰ってきた。それは別に良い。問題は特段なんの経緯も語られることなくいきなり彼がシングルファーザーとなっていたことだ。読者は大困惑しかない。あきらかに悪い意味でのサプライズといえる。

他にも数人いるが特に際立って目立つのはこの三人だろう。

実際この漫画きっかけで相撲に興味を持った子供もいると思うが、高校相撲編はともかく自分の子小学生以下なら大相撲編は読ませたいとは思わない。高校相撲編に関しては各種教育関連機関業界団体等(?)からの推薦も十分受けられそうな内容だと思っていただけに遺憾だ。

安易なお色気(下ネタ)、ギャグ、過度な恋愛要素に逃げる作品は総じてレベルが低い。(余談だがお笑いに関しても同様だ)そんなものに頼らなくても十分面白ものこそ本物の面白さなのだ。

火ノ丸相撲は今時珍しく「硬派」な漫画だと思っていたから(大相撲編での品格の落ち方、別方向への舵の切り方に)結構ショックを受けたとは友人の弁。

硬派イメージが強かったのは、高校相撲編までは極力セクシャル描写が避けられてきたからだと思う。

痴漢被害表現

1話満員電車で堀千鶴子痴漢被害に遭うシーンがあるが、彼女はあまりのおぞましさに心底怯えた表情をしている。一見流してしまいそうだが賞賛すべき点がある。痴漢という最低の犯罪行為を決して性的な興奮材料にしていないことだ。他作品には被害女性の顔を紅潮させたり目を潤ませたりといった不適切表現が見受けられるが、火ノ丸相撲はそのようなけしからん作品とは一線を画していた。

②景子の性癖

彼女は優秀な観察眼を持つ記者であることは言うまでもないが、若い男性(とりわけ少年)の裸体や尻に向ける欲望が度を超えておりセクハラまがいの行為が目につく。女性男性であるから流されがちだが本来はあってはならないことだ。ギャグとして笑い飛ばすにはどぎつすぎるし、もはやそういう時流でもない。

レイプ未遂

これは本当に驚いた。①であのような配慮を見せた作者とこれを書いたのは同一人物なのかと目を疑ったほどだ。事のあらましは、意気消沈して部屋に引きこもる火ノ丸をレイナがドアを蹴破り強引に拉致し車でラブホテルへ連れていき、彼の合意を得ないまま性行為を迫るという驚くべきものだ(結果未遂に終わったが)。

たとえ交際していても合意を得ない場合性交渉レイプである。これも女性男性から見過ごしがちだが、この立場を火ノ丸が女性レイナ男性だったとしたらどうだろうか・・・笑えねえよとなるはずだ。さらに悪いことに「成人が飲酒した状態未成年性交強制する」構図なのだ。これはオチウこわぁいどころの騒ぎではない!マジでどうしたんだ川田先生!いよいよウェンカムイに取り憑かれたか?(??)

主人公の魅力度が落ちた作品はその人気も下降の一途をたどるのはいうまでもない。高校相撲編での火ノ丸は他を寄せ付けない魅力があった。あの輝ける国宝たちの中にあってもだ。大相撲編になってからあきらかに精細を欠いている。主人公陣営(メインサイド)の話よりも童子切草薙大包平三日月等の敵陣営の話の方に興味を引きつけられるほどに。むしろそちら側メインの話を読みたくなるというのは相当問題に思える。

火ノ丸はまごうことな平成終盤生まれ平成の子だ。しかし彼の中に古き良き?昭和スポ根漫画主人公を見ていたのは自分だけではないはずだ。

不幸(両親を若くして亡くしており裕福ではない環境)、逆境(あまりにも小柄な体躯)、自己実現能力(自らを厳しく律し、徹底的に稽古で肉体を痛めつける)、黒電話携帯を持たない、機械音痴時代がかった物言い兄貴肌、相撲のことしか頭にない、私生活が見えないなどいかにも昭和ヒーロー感(?)満載である

潮火ノ丸の中に矢吹丈のような壮絶な最期を遂げる姿を夢見ていたのかもしれない・・・モブも言っていた「鬼丸ハッピーエンドが見えない」。決してハピエンが悪いわけじゃないしそちらの方が良いに決まってる・・・が、いかにもな予定調和エンドだけは勘弁してほしい。

ハピエンではなくとも「あしたのジョー」は不朽の名作だ。主人公最期勝利し真っ白に燃え尽きて生死すらどうなったかからないなんてこれ以上ハートが震えて痺れるラストがあるだろうか?ヒーローが完全に浄化され何者にも貶められない最上級存在になった瞬間だと思う。

取組を殺し合い、命のやり取りとまで作中で表現しているならそれくらいの危うさがあってもいい。昨今の少年誌では厳しいかもしれんが。

第1部を第2部以降がクオリティで上回る作品はほぼない。あってもごくまれである。(ちなみに続編が悉く期待外れだった作品としては東〇喰〇等が挙げられる。続編の一報を聞いた時は飛び上がるほどうれしかったものだが、完成度の高い前作とどうしても比べてしまい、しだいに期待は失望へとかわっていった。)少なくとも火ノ丸相撲に限ってはそうはなるまいと思っていたのだが・・・

WJの数多くの縛りや規制大人の事情に阻まれ駄作になるくらいならいっそしかるべき媒体アプリ、あるいはヤンジャンなど)に移籍してのびのび描いてほしい。青年誌の方が表現の幅が広がるだろうし。もし角界の諸問題(暴力八百長パワハラモラハラセクハラ等)の闇の部分に切り込んだりする気があるのならばなおさらだ。

高校相撲編のような神々しいまでの輝きを取り戻すことはもうないのかもしれない。それでも自分火ノ丸相撲という稀有作品に魅せられた一読者して、最終話まで見届けたいと思う。

総括

長々とかいてきてアレだが、要約すると

『あまり余計なことにページ数を割かずに相撲をじっくり見せてほしい。タイトルにおこがましくも相撲を冠してるんだからそれに恥じない内容にしてくれ!相撲で堂々と勝負せんかい!』

・・・だろうか。

2019-04-13

anond:20190413005221

ドラえもん最終回 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%81%88%E3%82%82%E3%82%93%E3%81%AE%E6%9C%80%E7%B5%82%E5%9B%9E

のび太植物人間

もとは1986年秋頃に子供たちの間で流行した噂であり、「ドラえもんがいた話はすべて、交通事故にあって植物状態となったのび太が見ていた夢であった」という内容である

「この噂は本当か」と、『ドラえもん』連載学年誌出版である小学館に問い合わせが相次いだため、作者の藤本弘(当時は藤子不二雄コンビ解消前)が正式に「ドラえもんはそのような突然で不幸な終わり方にはしない」とするコメントを発表する事態となった。

藤本がこの年の夏病気入院したため、このような噂が生まれたと考えられる。

その後出回ったチェーンメールでは内容が追加されており、「ある日、事故にあって植物人間状態になったのび太を、ドラえもんどこでもドアを使いのび太をおぶって天国へと連れて行く」というものや、「実はのび太は心身障害者で、ドラえもんは彼による作り話(妄想・羨望といった派生型あり)」といったものもある。

 

また、同じ植物状態説でも「動かないのび太ドラえもん自分の全エネルギーを与え、自身の命と引き換えに助けた。その後、のび太が停止したドラえもんを抱きしめ、泣きながら『ドラえもーん』と叫ぶと、垂れた涙がドラえもんに当たった瞬間にドラえもんが復活し、エンディングテーマが流れスタッフロールが出てきてフィナーレ」というハッピーエンドになるものもある。

このエピソード1991年アニメ化された『丸出だめ夫』の最終回ほぼそのままの話である

ちなみにこのエピソードに関して作者の娘が作者に尋ねたところ、藤子は「ドラえもんはそんな終わり方をしない、もっと楽しい終わり方にする」と、コメントした。

エピソード

ドラえもんのび太の家に行く前に、のび太の息子(40歳ひきこもりニート)の家に寄っていたというスピンオフ作品が作れる予感(この夏、劇場で公開!?

2019-04-07

前職を退職した理由

5年間勤めた前職を退職したのは自分にとってはどうしようもなかったからだ。

元々アフィリエイトの軍資金を稼ぐためだけに「半年くらい入れればいいや」と思って入った会社だったが

そこの創業者社長面白い人だったのでついつい長くいてしまった。

こんな伝説がある。

まだ創業して間もない頃、ある営業お客様を怒らせてしまたことがある。

お客様電話越しに「お前じゃ話にならん!社長をだせ!」と息を巻いたそうだ。

そこで素直に社長電話を取り次いだのだが、しばらくしたら「最初のやつに戻してくれ」と言われて結局最初営業対応したという。

まり社長が一番話が分かってないと。

年齢は若く、右翼的思想の持ち主で、他の従業員には恐れらていた社長だったが、どこか愛嬌というかいい加減なところがあり

失敗しない人間より失敗する人間評価する気質があったせいか居心地がよく、また会社も順調に成長していった。

しかしその社長自分就業してから3年ほどで退任した。

退任の理由はいろいろと聞かされたが簡単にいうと「飽きた」というのが本音なのだと思う。

どこのベンチャー企業もそうだが、会社が成長するというのは一方的にいいことばかりではない。

顧客従業員が増えれば厳密な資産運用事業計画必要になるし、そのためにはより優秀な従業員をいれなくてはいけない。

しか創業メンバーの全てが組織の巨大化に耐えられるわけは決してない。

20人規模の会社エースが必ずしも100人従業員を抱える会社取締役として勤まるとは限らない。

そういう厳しさへの自覚社長自身にもあったのかも知れない。

またオーナー社長独特の孤独さがそれに拍車をかけたのかも知れない。

結局会社類似事業を展開する大手企業に全株売却による子会社化という形になった。社長は即退任したかったようだが

1年はいてくれと言われ、結果形だけ在籍してるが実際はほとんど会社にこなくなった。

その後社長職はNo2役員が昇格する形で引き継がれたが、オーナーだった前社長とは違い100%子会社サラリーマン社長である

社長と比べればどうしても影響力に差は出てしまう。

その後2年ほど在籍したが、やはり前社長に対する面白さで続けていた身としては「大手子会社従業員」に変わることができなかった。

手続きが多くなり、前社長のようなリーダーシップが発揮される場面も少なくなり、安定の代わりに面白みがなくなってしまった。

また全株式売却以前からいた従業員に比べ、それ以降に入った従業員良かれ悪しかれ「良い子」であり、そういう意味でも

世代交代空気を感じてしまい、それが退職きっかけとなった。

社長は育てた会社を売却してお金自由を手に入れ。その怖い前社長必死についていった幹部たちは大手グループ幹部社員という肩書を手に入れ、

食い詰め浪人のような古参社員たちも収益経営基盤の安定を手に入れ、新世代の従業員たちは大手グループ企業従業員として相応しいキャリア学歴もつ若手社員たちだ。

この会社という「物語」はハッピーエンドを迎えたのだ。

そういうのに耐えられなかった。何の目的があるでもないが「良い子」として振る舞うことができなかった。

水清ければ魚住まずではないが、会社創業期や発展期の勢いを楽しんでしまうと安定期というのはどこか白々しく「劇の終わり」を感じざるを得なかった。

自分にとって安定というは、想像以上に重く不自由だった。

2019-04-06

加藤純一に習って、けものフレンズ2を擁護したい

ニコニコ動画にて、この動画結構再生されている。

https://www.nicovideo.jp/watch/sm34915088

私が初めて見たときはすでに、生放送コメント加藤純一信者現在動画批判が多い、という状態だったが、加藤純一の放った「アニメなんだから、みんな仲良く見ればいいじゃん!」という発言がすごいとおもった。

私はアニメにこのような視点を持ち込んだことがなかったので、彼が「うんこちゃんから加藤純一」として有名になったアマガミにて譬えてみたら、むしろけものフレンズ2いいな、と思ったので書いておく。




    うんこちゃんは、このアマガミ2をどう思うのだろうか?

    ギャルゲーなんだから、みんなで仲良く見ればいいじゃん!」と思うのだろうか?いうのだろうか?だとしたら上級者だな、と思った。

    そんで、個人的には、サーバルちゃんは梨穂子っぽいと思ったので、アマガミ2梨穂子ntr、ってゲーム、あったらどうだろう?って思った。

    ちょっとやってみたいな、と思った=>けものフレンズ擁護したくなった。

    けものフレンズアンチのみんな、ごめんな!

    2019-04-04

    けものフレンズ寓意メモ(加筆)

    ビースト

     1期の狂信的ファン。誰彼構わずいかかる

     その最終カットビーストである事を示す黒きオーラが消える

     が、制作陣の淡い願望だろう。

     ホテル崩壊(2期の商業的な失敗)程度で死に(消え)やしないかと。

     

    イエイヌ

     1期で切ったソシャゲファン

     もしくは、

     2期を擁護しようと振る舞い、誹謗中傷され心が折れた通期ファン

     ビーストにズタボロにされて引きこもる(隠れファン化)

     

    うみのごきげん

     インターネット風評

     

    ミライ  … ヒト

    かばん  … ヒトのフレンズ

    キュルル … 素のヒト(過去のヒト)?

     

     空腹…欲望(儲け)こそがヒトのヒトたる所以

     欲望によって消費する者達が居なければ2期も無かった

     

     ミライソシャゲファン投影先で、

     そのフレンズである かばんとはソシャゲ勢の生き残りの寓意

     でありつつも、1期のみのファンとして乖離、別の主体へ。

     キュルルはネットを知らない素の(旧来的)視聴者を想定か。

     2期の"かばんさん"は、1期を普通に「卒業」したファン

     

    サンドスター

     素材(リアル)をネタ(キャラ)に変えるもの

    フレンズ

     作られた作品

    セルリアン

     物語駆動させる動因としての障害

     商業的な炎上も含むのか?

    セルリウム

     ヒトの思いに反応して姿形を得るもの

     視聴者の側で潜在的に抱えている葛藤寓意か。

     それは常に強く出口を探し求めているが故に、

     象徴的に類似性のあるものに反射的に投影され、時に

     全人格的に同化されてしまえば、これの否定人格否定にも

     受け取られるように…。

     ビーストセルリアンの違いは、純粋ファンを経るかどうかか。

     

    火山

     サンドスターを産み出す火山とは、出資者制作陣か

     地上は、運営コントロール下のソシャゲ空間

    海底火山

     1期とは別の財源?

     海底は、運営コントロールの効かないSNS空間

     

    もし仮に、

     ネットでの1期狂信者等によるバーサーカー状態が、

     10制作中時点くらいまでに止んでいたのなら、12話の展開は、

     ビーストセルリアンとの化学反応によって黒オーラが消え(ここまでは描写がある)、

     アムールトラガレキの向こうに消えるのではなく、こちら側に残る…

     という展開も予定していたのかもしれない。

     

     そうだったかもと思える理由は、

     最終話エンディングに1期のオープニングを準備していたこと。

     

     キュルルの願い通りアムールトラをも、ともだちとして対立は溶け、

     その歌詞通りに「♪のけものはいない」と歌い上げたかった故だろう。

     その願いも空しく、2期バッシングはなお苛烈さを極めている。

     その現状を前に安易ハッピーエンド描く事ははあまりにも空々しく、

     現実をそのまま反映するかのように、アムールトラガレキの向こうに

     そのまま残さざるを得ないと判断したのではなかろうか。

     敗北を、厳しい現実を素直に認め、残酷なこの世界の姿をありのままに、

     その通りに提示された訳だ。まさに鏡として。

     

     リアル原作だ …というコンセプトそのままに。

     

     セルリウム  + ヒトの思い = 攻撃する複製体

     セルリウム  + 生 → 死

     セルリウム  ─加工処理?→ サンドスター

     サンドスター + けもの = フレンズ

     サンドスター + 無機物 = セルリアン

    サンドスターロウ)

     

     セルリアン ─破壊(生→死)→ サンドスター(多数)

     けもの + くさり + サンドスター = ビースト

        (ヒトの造りしモノ)

     

    要素:無機物 姿 細胞 命 人の心 人の思い

     

     人の作った道具=無機物+人の思い(弱い)

     書かれた絵  =無機物+人の思い(強い)

     フレンズ=生きた動物+人の心(サンドスター)

     かばん=ヒトの毛髪(生きてる?)+サンドスター(+α?)

     セルリウム細胞の素?

     細胞+思い(遺伝子的な?)=思いに応じた姿?

     

     セルリウム…生・死、聖・邪、愛・憎を反転させる?

     

    2019-04-03

    死ぬ気で推してきたゲームがサ終決定して心情が面倒くさい女

    一年推してきたゲームサービス終了決定した。

    この『一年間』という期間を短く感じた人は多分ゲームに恵まれてると思う。

    コレは私がジャンルにハマってからの期間であり、そしてそのゲームリリースしてから終了するまでの期間だ。回りくどい言い方だけど、許して欲しい。

    『千銃士』という作品がサ終することになった。推し声優が出ていたから始めた。事前登録して、リリース当日にキャラ個別エピソード解放して、そこから色んなことを妄想したり考察したり、一年間本当に楽しかった。

    昨今、色んなゲームがサ終してる気がする。いや、ゲーム運営っていうのも永久機関じゃないし、いずれはどんな形であれ終わってしまものだろう。千銃士の終わり方はきっとその中で、良いものに分類されると思う。ハッピーエンドだ。

    ストーリーも一応完結、今までのイベのカード復刻、ガチャカード復刻、ストーリーはサ終後もオフライン配信ゲームが終わってもジャンル推していける、良い終わり方、だろう。

    サービス終了という文字列運営ちゃんから見せられた時、発狂たかと思うほど叫んだりとか、脱水症になるくらいの涙が出るとか、そういうことには意外とならなかった。私だけかも知れないけど。

    でも、その事実を受け止めた後からゲームを開くと、ログイン画面のキャラの声や、ホーム画面の推しの何千回と聞いたセリフ、今までのイベで獲得してきたカードストーリー、敵キャライラスト、背景グラフィック音楽──。

    大切なものは失ってから初めて気付く、とはよく言ったもので、涙が止まらなくなってしまった。

    けれど私は千銃士のゲームスタイルみたいなものには依存してなかった。周回要素が多かったからか。それともイベ形式に変化がなかったからか。分からないけれど、ゲームを失うことより悲しくて怖いのが、このゲームを通して得た縁がいずれ消えてしまうかも知れないということだ。

    ゲーム作品を、一つの木に例えてみる。

    ファンという存在、その考察妄想が枝や葉だとすると、サ終したゲームはもうそれ以上背丈を伸ばさない。当たり前だ。新イラストという光も、新キャラクターという水も、新ストーリーという養分ももう出てきたりはしない。

    けれどジャンルは続いていく。それはつまり、木は縦には伸びないけれど、横に横に、枝や葉が増え続けていくということだ。そしてやがてそれらは枯れ落ち、大きな木があった場所には幹だけが、根だけが、跡だけが残る。

    葉っぱのフレディ』という絵本を思い出す。葉っぱにおいての死、つまり散り枯れることを恐れる一枚の葉のフレディの物語だ。私は今まさにそれだ。

    仲間が散って、やがて枯れた寂しい木になり、見に来る人もいなくなる。全部なくなる、忘れ去られる。それがどうしても怖い。

    あんなに推しのことを呟いていた人が浮上しなくなってる」「別のジャンルのことを楽しそうに語ってる」「もう好きじゃなくなったの?」「もう絵も文章動画も何もかも作ってくれなくなるの?」

    嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!!!!!こんな気持ちになるくらいならこのジャンルにハマらずにいたかった、知りたくなかった、一年間狭い世界だったけどその中でお互い分かり合って楽しんでる時間が好きだった、『ゲームが好きだった』んじゃなく『ゲーム好きな人と一緒にいることが好きだった』と気付いてしまった私は面倒くさい女だ。西野カナにでも歌ってもらいたい。

    そう言う私もいずれ新しいジャンルを見つけて、もう千銃士のことを呟かなくなる時が来るのかも知れない。それがいつだか知らないけど、それまで皆、留まっていてよ、まだ語ってないこといっぱいあるよ、あ〜〜、寂しい。自分勝手だな。

    このジャンルから推し作家を引き抜いていった別ジャンル嫉妬しているのか、いち早く悲しみから抜けて別ジャンルで楽しそうにしている推し作家嫉妬しているのかは分からないけれど、自分嫉妬深さが恐ろしい。マジで西野カナだなコレ。『会いたくて 会いたくて』の歌詞が、別に恋愛してるわけでもないのに刺さる刺さる。

    私のことは忘れて、きっと多分誰かとはどこか別のジャンルで会うかも知れないし、だから皆それぞれ良いオタクライフを!って送り出せるような気持ちに、サ終する6月までになれたら、と思いつつ、また泣く私だった。

    この文章が、推しゲームがサ終しそうな人の参考になればなんて、ゴミカスみたいなことを祈ってる。

    2019-04-02

    ゆらぎ荘の幽奈さん円満ハッピーエンドになる方法

    がんばって考えた結果、コガラシが女体化して、みんなで百合楽園エンドになればいいという結論になった

    親と縁を切ろうか迷っている

    一行要約:人の気持ちを汲み取ろうともせずに家業仕事一方的に息子(おれ)に押し付け父親に心底辟易しているが,母親はどちらかと言えばいい人サイドなので両親もろとも縁を切ると母親に辛い思いをさせそうでつらい

    登場人物

    おれ:大学生研究職に興味アリ

    父親先祖代々から続くとある家業をやっている自営業者

    母親専業主婦.(おれ目線では)父親比較すると人格は非常にまとも

    思えばおれは昔から父親のことが嫌いだったが,そのことをはっきりと自覚したのは家業を継ぐ/継がないで親と喧嘩になったときのことだ.父親は少しマイルド昭和の堅物,といった感じの人間で,常に自分のことを正しいと信じて疑わないところがあるとおれは感じている.彼は身内の人間対立したときに,相手気持ち理解しようという努力を一切しない.おれは彼が身内の人間に対して「ごめん」などの謝罪言葉を発した場面を一度も見たことがない.おれのことは「当然家業を継ぐべきである」という前提のもとで育ててきただろうから,おれが「家業を継ぎたくない」と伝えたときも一体このバカは何を言っているんだというような反応だったし,おれが「先祖代々うんぬん以外におれが継ぐことを納得できるような合理的理由はねえのか」と訴えたときも,生まれてこの方息子を説得する必要があるとは考えたこともなかったというような顔をしていた.しょせん家業なんて「昔からやってきたから」以外に継ぐまともな理由存在しないので,おれも無い物ねだりをしていた側面はあるのかもしれない.だが,幼少期から家業の手伝いをする中でこの仕事絶望的なまでにおれに合わないなと感じていた上に,そんなに嫌いな仕事を嫌いな親と一つ屋根の下営むメリットなど微塵も感じられなかったので,このまま無理にでも家業を継がせるつもりなら縁を切るぞとほとんど脅しめいた交渉をして家業を継がないことにした.おれはこのゴタゴタでだいぶメンタルがやられ,今でもそれを引きずっている.

    これで晴れておれの人生の操縦桿はおれの手に,というハッピーエンドなら良かったのだが,ことはそう上手くは進まなかった.父親はその後も折に触れて家業の手伝いを要求してきた.おれは美しい国ニッポンの高雅な儒教精神とやらを少しは持っていたので,親の期待を裏切ったことに対する罪悪感からこの手伝いには応じることにした.結果として,夏休みの三分の二程度が家業の手伝いに消えた.おれは学生の本分であるところの勉学もやらねばならなかったので,夏休みは友人からの遊びの誘いは全て断り,土日も休みなしの六時間睡眠毎日家と大学を往復する日々だった(ショートスリーパー人間には分からいかもしれないが,ロングスリーパーのおれにとって六時間睡眠はつらい).親から労いの言葉は一切なかった遅刻をすればきちんと説教をされた.

    さすがにやってられんわ,とおれが思ったのは言うまでもない.

    おれは家業を継がないことにすれば親の支配下から逃れられる,と思っていたが,それは間違いだった.おれは罪悪感と「家族の絆」いう名の鎖で結局親の元に繋がれている.家業を将来的には継がないとはいえ,結局家業の手伝いに従事させられているのでは,生き急いでいる若者のおれにとっては事態は大して変わっていない.おれは別に女遊びやパチスロのためではなく,それなりの大志を持って家業放棄したのだ.おれは意を決して「家業の手伝いとしては度が超している.お前はおれが家業仕事を覚える必要があるとか言うが継がないおれがそれをやる必要がなぜある.バイト補填できない部分の仕事を息子の責任にして息子に押し付けるな」と訴えたが,父親は依然として「家」がどうこうというおれには理解できない向こうのロジック反論してきた.おれは何より,おれのこの不満に理解を示そうともしない父親の態度に心底腹が立った.継がないことにすれば事態好転すると思っていたおれがバカだった.おれが本当に逃げるべきだったのは,家業からではなく父親からだったのだ.おそらく.

    おれは今後の人生をかけて養育費を親に返済してやってもいいくらいの勢いで親と縁を切りたいと思っている(結局のところ罪悪感はまだ残っているのだ).それで一人で苦労して野垂れ死んだとしても,家業を無理にでも継ぐくらいなら自殺してやると思っていた昔と比べれば大きな前進だ.おれはいつまでたってもおれ自身人生を歩めないことに,流石に苛立ちを隠せなくなってきた.

    おれが親と縁を切る決断をできないでいるのには,ひとえに母親存在がある.母親父親とおれの間を取り持って,どうにか事態をうまく収められるよう色々と配慮をしてくれた.父親とは異なり,母親はおれの人生についておれ目線から考え気遣ってくれた.母親がいなかったら,おれと父親はすでに一生顔を合わせることのない仲になっていたと思う.母親が家に嫁いできた当初の辛苦を祖母から聞いていることもあり,そうまでして頑張って育てた息子が家出,となるととてもつらい思いをするだろう.そうなってしまってはおれとしてもとても心苦しい.

    インターネッツ観測できるいわゆる「毒親案件は,清々しいほどまでに両親がクズであることが多く,その点はある意味羨ましいなと思う.おれは母親のことをクズだと思うことはできない.おれが母親まで嫌いになることができたなら,ゴミゴミ箱に捨てるのと同じ感覚で躊躇なく親と縁を切れたのになと思う.おれが縁を切ったことで母親が苦しめば,おれも儒教精神やら罪悪感やらを抜きにして,心底悲しむ.

    おれは,父親のことが嫌いである以上に,この家族は不運だな,と感じている.父親は堅物なところがある以外は目立った問題はなく,この家に家業なるもの存在しなければこんなに面倒な沙汰にはならなかっただろう.だからおれは職業選択の自由とは相容れない「家業」という概念自体がこの世から消えてしまえばいいのに,と思っているが,それはまた別の話.

    2019-04-01

    電話に出んわ!w

    ちょうど一年前くらいに増田で「ずっと昔仲が良かったけどふとしたきっかけで連絡が途切れてそのままになっている人がいて無性に懐かしい」みたいな文章を書いたら、「何はともあれ連絡をとってみたら?」という意見が多かったので悩むこと一年勇気を振り絞ってついに電話をかけてみたんですよ。共通の友人から「xxが増田に会えなくて残念そうにしてたよ」とかそういう話も聞いたし。

    そしたらガン無視されたw

    まあそれは見事なガン無視ですわ。夜22時くらいにLINE電話したけど出なくて、一日待ったけど折り返しの電話はおろか「なに?」の一言すら来ませんでした。

    とにかく平成30年度のうちに連絡しよう! ってなけなしの勇気を全部振り絞ったんですよ。LINEの画面開いて閉じて開いて閉じて、電話アイコンタップするまでにゆうに1時間以上かけて、静かな部屋に呼び出し音だけが妙に響いて、いたたまれいから音量を最小にしてそれでもびっくりするほど大きな音に感じられて、で、切れた。

    昔会おうって話になって日程決めの途中で未読無視されてそのまま会う約束が流れたという苦い経験があるので電話にしたんですけど、電話だって無視はできるよね。ただやりとりの途中で切るのは難しいというだけで。

    ちなみにTwitterはずっとフル回転だったっぽいです。

    たぶんこうなるのが怖くてずっと連絡しなかったんだと思います。昔すごく気にかけてくれた人がもはや自分には何の関心も抱いていないということを直視するのは辛い。連絡してみさえしなければ「あの人は今も心のどこかで私を気にかけてくれている」とか思い込めるからね。

    まあそれが嘘だということには私も薄々気がついていたよ。本気で気にかけてたらそっちから連絡くるもんね。

    当時は気づいてなかったけど、今にして思えば君のことはすごく頼りにしてたんだなと思う。他の人には言ってないややこしめの家庭環境の話とか君にはしてたし。だからこそこうなったのはきつい。

    一回は心を開いて、それを受け入れてくれた人間が今は自分迷惑がっているようだという現実は辛い。眼の前でドアをぴしゃんと閉じられたような気分になる。

    あの頃の楽しかった思い出が心を苛むから全て忘れてしまいたいと一年前は思ったけど、今となっては本当にそうなりつつある。

    なんで胸に何かがつかえたような気分になるんだろうな。ずっと前から昔の人間関係を断ち切ってリセットしたい、もう楽しかった頃の思い出に引きずられるのはやめたいって思ってたんじゃないの。そうなるように行動してきて実際そうなったんだからむしろ喜ぶべきじゃん。

    でも本当はそうじゃなくて昔のあの楽しかった空間がそのままの形で戻ってくればいいと思ってたんだよね。それが不可能からもういっそ全部ぶち壊したいなあと思ってただけで。

    いつか訪れる完璧な再会を何通りも頭の中で思い描くのは気持ちのいいことだったけど、若さと思い出の残り香が言い訳を作ってくれているうちに無様でいいからとにかくアクションを起こしてみるべきだった。思えば私の失敗はいつもこのパターン心配してくれる人がいるうちはちっぽけなプライド邪魔して誰にも相談できなくて、やっと人に相談しようと思えた頃にはもう周りに誰もいなくなっている。

    というわけで本当にしょうもないお話でした。一年前のほうの増田に「続報頼む」とか書いてくれた人、なんかごめんなさい。現実には伏線もなければハッピーエンドもないね

    じゃーねxx君、優しくしてくれて嬉しかったよ。ありがとう

    綺麗に締めようとしたけど今からでも返事してくれたらやっぱり嬉しいです。

    2019-03-30

    ケムリクサ難しくてよく分からんかった

    結局ケムリクサってなんなん?

    地球はどうなってるん?

    自分達が同一人物と気づいたのはいつ?

    記憶継承はどこまで成功してた?

    それぞれが使ってる不思議パワーは結局ケムリクサなん?

    元々してた研究ってなんなん?

    あのあとどうなるの?

    水とケムリクサの関係は?

    水だけでエネルギーを得ているの?

    なぜバケットホイールエクスカベーター?

    ハッピーエンドなの?

    性格上や身体能力上の個性は何由来?

    どこで分離が行われた?

    2019-03-28

    お見合いばかり続けて、最終的に恋愛結婚をした私が学んだこと。

    つらつら書く。

    高校生の頃からお見合いばかりしてきた。

    両親がそれなりに高所得だった、そして、恋愛に関してだけ、父の脳みそ戦前だった。

    高校生の時に、初めて彼氏が出来たが、すぐに見抜かれ、殴られた。

    「お前の結婚相手は俺が決める」

    そう叫んで席を立った父を見て、松岡洋右はこんな感じだったんだろうかと思った。

    初めてのお見合いは、その数日後だったと思う。

    それから、定期的にお見合いをした。

    変な人もいたし、そうじゃない人もいた。

    お見合いから、皆、何かしら条件があった。家族病気介護必要な人、精神的な疾患の通院歴がある人、女性恋愛が出来ない人、多かったのは、プレッシャーや昇進で結婚歴だけが必要な人。

    自分の中で、こちら側も条件を決める事にした。

    1. 男兄弟長男

    自分性格には合う確率が高いと判断した。

    2. 主婦希望しない

    働きたかった。家を守るよりは、何かあった時に「仕事を辞めて下さい」と言いたかった。

    3. 学歴理系旧帝大院卒

    自分と同等の学力が欲しかった。

    4. 話し方と言葉遣い

    私の好み。

    5. 他人に敬意を払う

    お店での態度などもそうだが、子供マイノリティーの人に対して、態度を変える人が苦手。あと、職業から派生するそれも。

    (一部の警官医療関係者教師などに見られる、無意識上から目線と馴れ馴れしさが苦手)

    1、3に関しては釣書で分かる。

    2、4、5に関しても、一度会えば、ほぼ分かる。

    もちろん、釣書も頂いた時点ではじくことは出来なかったが、私の期待を裏切る人はいなかった。

    結果、どうなったか

    全ての条件を満たす学生時代同級生結婚した。33歳の時だ。単純に、私の女性としての市場価値が落ちた事を父が理解した。加えて、夫の職業が父が若い頃に諦めた職業だった、と言う理由で、父が折れたのだ。

    結婚なんてしなくてもいい世の中になっていくはずなのに、それに逆らえなかった私が学んだのは、「条件を決めて、それを守る」事で、少しだけ幸せになれる確率が上げられそうだと言うことだった。

    最近、ウイさんと言うブロガーの「ハッピーエンドを前提にして」と言う書籍を買った。

    https://www.zentei-happy-end.com

    彼の体験から得られるものと唯一同じだったのが「結婚必勝法」の部分だった。

    この書籍が売れると言うことは、なんだかんだ恋愛が上手くいっていない人が多い、と言うことのなのだろう。

    だけど、もし、結婚する前に、この本、ないしは氏のブログを読んでいたら、もっと恋をしてみたいと思っただろうと思う。

    2019-03-24

    悪役令嬢ものの元の

    ファンタジー学園もの卒業式相手役と結ばれて悪役令嬢断罪してハッピーエンドになる話ってほんとにあるの?

    2019-03-22

    [][][]

    AB二人でなにかをしないといけなくなったけど、Aがものすごくかたくなでこころをひらかない

    BはそんなAを嫌がったり呆れたりすることなくて、真心をこめて対応をし続ける

    そんな中、Aは、Bの言動の中で、ふとした折に琴線に触れるものがあることに気づく

    それをきっかけに雪解けのフキノトウの芽のように固く冷たく閉ざされていた心が溶けていく

    でもやっぱりAの前ではそっけなくしている

    ここでルート分岐

    ハッピーエンドルート

    バッドエンドルート

    ハッピーエンドはそのままBはAの近くで心を溶かし続けて最後ツンデレあらあらまあまあ包容力系のいいカップルになって終わり

    バッドエンドはせっかく心を開いて距離が近づいてきたのにBが殺されるかなにかで急にいなくなってしまって、その穴の大きさに失ってはじめて気づくAの慟哭で終わる

    運び屋  (2018) クリンイーストウッド監督・主演 感想ネタバレ

    https://www.google.com/search?q=こち亀 不良

    ときどき見かける「イケメン/美少女勝手に惚れられる主人公マンガ/ライトノベル作品が都合よすぎなのでキモイ」論、共感したことなかったんだけど、ようやくそ気持ちちょっとわかったわ

     ハリウッド映画らしさ

     ディズニー映画やその亜流などに顕著だが「偽りの勝利」→「どん底/敗北/最大のピンチというクライマックス」というパターンを踏む作品が多いのは周知の事実で、本作でも「麻薬の運び屋になる」→「大金を手にする」「最初はおそろしかったヤベー奴らに一目おかれるようになる」→「ヤベー奴らが代替わりしてもっとヤベー奴に締められる」「家族との亀裂深まる」「順風満帆に見えた犯罪稼業もDEAに嗅ぎつけられい逮捕されるかわからない」という風に展開していく。

     その展開は「間違った価値観に基づく悩み(疑似問題)」→(最大のピンチ)→「真の問題に気づくことと、問題解決のセット」というプロセスによって挟まれていることが多い。(ファインディングニモ然り、シュガーラッシュ然り、インクレディブルファミリー2然り…)

     クリンイーストウッドらしさ

    アメリカン・スナイパー』『15時17分、パリ行き』『ハドソン川の奇跡』『インビクタス』あるいは別監督の同年作品グリーンブック』みたいな、実話に強く寄せた話ではない(一応、実在事件インスパイアされてはいるが、左記作品群のようには実名使用していない)。

     花卉栽培に熱中し、実益があるもんだから家族を顧みず全米を飛び回る。ところがインターネットの発達により実益消滅、畑は差し押さえになる。みんな金がないのが悪いんや…から始まる物語

    グラン・トリノ』を連想しながら鑑賞。

     ハッピーエンドというと、多くは「生きるか死ぬかの賭けに勝つ」「優勝してチャンピオンになる」「絶体絶命のピンチに遭遇し知恵と勇気で切り抜ける」「悪者をやっつける」「宝石を手に入れる」「一か八かの挑戦をして成功する」「追手から逃げ切る」といったものになり、「死ぬ」「負ける」「やっつけられる」「大金を手に入れられない」「失敗」「捕まる」で終わるものは通常バッドエンドとみなされることになる。

     ところが『グラン・トリノ』は最後主人公リンイーストウッドが撃たれて死ぬが、ハッピーエンドなのである。これは「生命を失わない」ことより高い価値を持つもの主人公リンイーストウッドが手に入れたというによって達成される。すなわち「他者との精神的つながり」が、生き長らえる、物質的な豊かさを超える至上の価値としてアピールされているのだ。(もっと一般的なのは童話の昔から定番の男女間のカップル成立だが、『グラン・トリノ』の場合アジア人少年とのつながりを得ることができれば死んでもいいという価値観

     

     本作では、「間違った価値観に基づく目標と偽りの勝利」は「(悪いことをして)カネを稼ぐ」「それによって、家族ではなく、在郷軍人仲間(ベトナム戦争に参加していたという設定)や園芸職人仲間から称賛される」「モテる」で、成功=偽りの勝利シーンに”ああ、こいつ(クリンイーストウッドあかんやつや”という通奏低音がいやというほど鳴り響いている。

     

    公正世界信念

     ところが、このじじいがいろんなところで調子よすぎるのである

     前述の「ヤベー奴らに脅されたりスマホSMS)も使えなくてバカにされたりもしたが、持ち前の気骨ある行動とイケメンぶりで一目置かれるようになる」もそうだが、

    家族とのディスコミュニケーションマイナス要因で「妻からは冷たくあしらわれ、娘から12年間口をきいてもらえず、家族の中では唯一孫娘だけが味方」

     からの「妻が病気で倒れたと孫から連絡を受けるも、コカイン運搬中であり、どうしても駆けつけられないし事情説明できない。そのためついに孫娘からも敵に回る宣言を受ける」という最大のピンチの後には、

     「どうにか一仕事終えて家に駆け付けたら死にかけた妻に”あなたはひどい夫だったけど、最後そばにきてくれて看取ってくれるなんて超最高よ愛してるわ”と言われる」のだ。

     妻の葬式、娘とも和解葬式優先したために、グレードアップ後の、一目置いてくれていたやつらよりさらにワルいやつらに殴られる。(唯一のダメージらしいダメージはここだ)

     そして逮捕

     裁判では無罪を勝ち取ろうとする弁護士を制して「わしゃ有罪じゃ」

     潔く罪を認めるクリンイーストウッドがカッコいい!

     最後は、刑務所の中で再び大好きな花育てを行うクリンイーストウッド

     引いて、終わり(ゲットワイルドは流れない)

     っていやいやいやいや。違うでしょ。

     何(1)妻が死んだ(2)ちょっと殴られた だけのダメージで 幸せいっぱいに園芸やって終わってんだよ。(服役中だけど)

     全然釣り合わんでしょ。

     娘もなんで最後ちょっとふらっと現れて口先で謝っただけで受け入れてんの?

     涙まで流して「なるべく面会に行くわ」「(犯罪で稼いだお金で)取り戻したお父さんの大事な畑は私が守るわ」と抱きしめてたの?

     「わしゃ有罪じゃ」宣言、そりゃ万ドル単位犯罪マネーを蕩尽しといて当然でしょ。

     前半にはアジア人差別するクソ白人至上主義野郎だった『グラン・トリノ』の主人公が、見終わったらいい奴だったと心に残るのは、撃たれて死んだから

     (自分東欧移民でややカースト低め、非WASP白人だったということもある)

     本作の主人公くそじじいが因果不応報で、びっくりしたわ。

     

     

     最初の話に戻ると、「空から美少女が降ってきて惚れられるし俺はTUEEE」な話を叩く人は、等価交換を重視してるのかもしれないと思ったよ。

     何らかの理由がないと、いい結果を享受することはできない、逆に悪いことをした人は罰を受けなければならない

     という価値観の中で生きているんじゃないか

    2019-03-15

    マクロスフロンティア劇場版を見た(後)

    anond:20190315022042 の続き。

    劇場版マクロスFサヨナラノツバサ

    ストーリー

    本当にTVからガラッと変わった。途中まで、ギャラクシー侵入作戦が始まるところまではだいたい同じだった。しかし正直なところ名前髪型クーデターに失敗する噛ませ犬だと舐めていたレオン三島まさかここまで有能であったとは。TVから反省会を繰り返したのか三島よ。本作におけるTV版との分岐点はできる三島とついに人の心をインストールしたグレースである。まあ最終的にやっぱり三島死ぬけど。

    そして何より本質的な違いは二つ。オズマによる自分を演じることへの肯定と終盤のランカシェリル役割の裏返り。この二つの変更点により驚くほどすんなりとシェリルメインヒロインに固定された。

    劇場版役割と設定が整理されストーリー単純化したことで、TV版の中盤までの流れ(病に弱るシェリルシェリルに惹かれるアルトスターダムを駆け上がるランカから終盤への流れ(シェリル行方不明ランカからアルトへの告白)が一気にスムーズになった。というかTV版でも密かに思っていたけど、明らかにアルトくんシェリルのこと好きだよね!そうじゃないといくらなんでも終盤のあの展開はないよね!!つまりあの矢三郎めがいなければ(主にシェリルが)あそこまで苦しむことはなかったのだよ!!!

    ちなみに好きなシーンは、アルトに会えなくなってもいいのかと優しく問うグレースと答えに詰まるシェリルアルトの病室での包丁を巡る不器用な二人のやりとり(イチャイチャ)、放課後オーバーロウイントロに合わせて閉まっていくマクロスクォーターの外装。

    ところで劇場版ではオミットされたTV版終盤でのランカシェリル:バジュラと交感できる声をしているせいでミンメイの再来と政治的に担ぎ上げられ生体兵器としての運用に疲れていくランカ、病に犯されながらも自分にできる最大のこと(ランカの代わりに死を覚悟して歌う)を選ぶシェリル、という無駄に重い展開も増田はかなり好き。特に歌ったら死ぬことに気づいているから最終決戦の前にアルト恋人ごっこは終わりと告げる(= 強がる)シェリルとそれを聞くアルトのシーンがとても好き。そういえば劇場版はこの「今は答えないで。歌えなくなってしまうから」部分はランカセリフになっていたな。どっちのシチュエーションでも振られる流れだよなあ。

    バルキリー

    冒頭のバジュラの巣の攻略大気圏内でのマクロスクォーターサーフィンマニューバ、やたらと陽気で軽そうだがシリーズファンからするとこれ以上ない安心感が得られるYF-19からの声、S.M.S大隊によるマクロスキャノン斉射、そしてアンタレス1との熾烈なドッグファイトなどなど見所だらけだった。増田が一番グッときたのは、実はバジュラの巣攻略戦での隧道内のブレラの操縦テク。このシーンは狭い隧道を先行するブレラをアルトが追いすがるという形なのだが、驚くべきことに狭い上にバジュラも向かってくるのに、ブレラは一度も変形を行っていない。可変戦闘機バルキリーセオリー様式美ともいう)通り、垂直方向への移動や複数体のバジュラの掃討にガウォーク変形で対処し即座にファイターへの変形で高速移動を行うアルトに対して、ブレラはファイター形態のままインプラント特有反応速度をもって、機首の向きをわずかに調整することでノンストップでバジュラの殲滅と移動を行うのだ。マクロス様式美否定するような非常に地味ないぶし銀描写がよかった。

    三角関係!決着!

    TV版の不満点であった超時空二股エンド。アルトくんはっきりせいやと前の感想に書いたが、劇場版ではズバッとアルトくんの男らしい告白三角関係に決着がついた……ついたのだけど……ついたのだけど、だけど、

    思いが通じ合って両思いになった恋人たちが次の瞬間に離ればなれになるなんて、そんなことは望んでなかった!

    ただ思い合う二人がイチャイチャしているところを見たかっただけなのに……

    初見ときはこのエンディングで完全に固まった。そしてエンドロールの「dシュディスタb」(願いは叶うとヒロインズが歌う)を聞いてすわビターエンドの先のハッピーエンドかと沸き立ったのだが、生命維持装置に繋がれて昏睡しているシェリル脳内想像ライブという可能性に思い当たりより消沈した。しばらくアルトシェリルのことを愛している設定でTV世界に戻ろうかと考えていたのだが、絶対に救いはあるはずだと考えて二週目へ。そしてなんとか一つのこじつけに思い当たった。

    そう、眠り続けるシェリルは眠り姫のモーチフであり、王子様(アルト)のキスで目を覚ますのが必然であるのだ。TV版ではシェリルランカの両方から唇(一部R18)を奪われていたアルトであるが、運命付けられたように劇場版ではシェリルにされた頬へのキスしかない。これはもうそういうことだろう。運命だよ。よって増田の中では、アルトくんが(アイくんとかで)なんとかしてフロンティアシェリルのもとへ戻ってきてシェリルの目を覚ましたあと、二人で幸せになることが確定しました。多分アルトの病室での一幕のように互いにからかいあってイチャイチャするのだろう。よかった……。

    サヨナラノツバサでも「禁断のエクシリアからまり、二人の掛け合いと会場のバタバタ具合が楽しいGet it on光速クライmax」、めちゃめちゃイントロが格好よく演出もパーフェクトな「放課後オーバーロウ」、そしてエンディングお祭り「dシュディスタb」と素晴らしい曲ばかりである。ただ、劇場版代表する曲となると「ダイアモンドクレバス」だろう。イツワリノウタヒメでのバジュラを呼び寄せてしまたことや、ギャラクシー軍のミッション開始の合図だったこと、墜落したフロンティ教会跡など劇中の要所で美しくも悲しいこの歌が効果的に使われていた。

    それから見ていて気になったのがライブ演出演出といってもすごく手のかかったCGの方ではなくて(これもすごかった)客席の後ろからステージを映すカメラワークカメラ歌手を追うPV型ではなく観客との一体感を深めるライブ型の演出選択したのは興味深い。ミュージックシーンがPV中心からライブ興行中心へ転換しつつあったことと関係しているのかもと考えた。なお増田PCモニターで見たからそこまで臨場感はなかったのだけど、当時劇場で見た人は自分ライブに参加している感覚を味わえたのだろうか。またサイリウムなどを持ち込んで応援上映のようなことができたのだろうか。

    そしてもう一つ気になったライブアルカトラズ刑務所での「星間飛行からの流れ。何と言っても慰問ライブに参加していた/できなかった囚人たちが声を合わせてこの歌を合唱するのだ。正直はじめはなぜランカ中島リーさん以外の声を入れてせっかくの星間飛行邪魔するのかと思った。ただ、よく考えるとランカリー星間飛行を聞きたいのならばCDPVなりを聞けば良いことに気がつき、そこでようやくこのシーンがマクロス伝統である歌の力を素朴な形で描写していることに気がついた。

    増田理解としてはマクロスメカニズムというのは武力と歌の相互補完にある。武力では暴力は防ぐことができても心(世界)を変えることはできない。歌は心(世界)を変えることができるけど暴力に対しては無力。しかしその二つが合わさることで等身大人間奇跡を起こすことができる。そのリアリティSFをコアに持つマクロスメカニズムであり、非対称なこの関係性に三角関係が加わることで豊かなドラマが生まれてくるのだと思う。

    この歌の力という面からフロンティアという作品を見ると、二つの場面が思い浮かぶTV版の星間飛行ライブと先ほど挙げたライブ@アルカトラズだ。前者は言わずと知れたゼントラーディ部隊の反乱を歌とキラッ☆のみで熱狂の海に沈めた伝説ライブである。このライブ演出は、最初は戸惑っていた兵士たちが曲が進むにつれ武器を投げ出し鼻血を噴きそして最終的にクァドランが肩を組んで踊るという実にアホなものだが、歌が心を変える様子をこの上なく描いていた。アルカトラズライブはというと、先に書いた通りランカを知っていた知らなかったに関わらず荒くれ揃いの囚人たちが自ら歌を口ずさみ心を一つにする。これが星間飛行のすごさであり歌の力であるのだ。なおこのライブ、この後のクランアジテーションから囚人たちと看守たちの大乱闘Get it onに乗せて始まるというやっぱりアホな展開になるのだけど、やっていることは単なるテロである。そして最後の「ランカちゃん〜」と「ジェリ゛ル゛さ゛〜〜ん゛」のコールに吹き出すのである(何度見てもこの部分で笑ってしまうのだけどエキストラなのかな?)

    蛇足マクロス7のこと

    増田マクロス7のサウンドブースター演出違和感を持ったのは、サウンドブースターにより視覚化・数値化された歌が武器ビーム兵器バリア兵器)のように使われていたから。それと力と歌をバサラ一人が担当するのにも関わらず王道マクロスフォーマットストーリーが作られていたため、最終的にバサラ一人で世界平和へ導くという一人の人間を超越した行いをさせてしまたことも同様。作品テーマとして武力否定ラブアンドピースを狙っていたのは理解できるのだが、武力の代わりとしてサウンドブースターというまた別の武力を持ち出し、バサラ一人に全てを背負わせたため普通若者の織りなす物語というセオリーを壊してしまったように見えた。洗脳されたバロータ兵を初めから出すのではなく、初めは市民トラブルを歌で解決するというような入りかたでもよかったのかなと思う。


    最後になぜ増田シェリル派なのかというとプロフェッショナルであることの誇りと責任さらにケー鯛(口からアンコ出る)を愛用するセンスを持ち、泥水をすすっても生き抜く根性があり、たとえ死を迎えることになっても自らの役割を全うする覚悟をまとい、でも支えを失うと心が折れそうになる繊細な所があり、そしてアルトくんをからかう姿がとても楽しそうなシェリルが好きだからです。


    次はIIかデルタを見る予定。アイドルものと聞いてあまりデルタには興味が湧かなかったのだけど、たまたまワルキューレの歌を聞く機会があり、メインボーカルの声にぶっ飛んだので俄然興味が湧いた。アイドルものであのガチ音圧の人がメインを張るってかなり攻めてると思うのだが、どういう狙いがあるんだろ。

    2019-03-06

    俺の弁当箱を返してくれ 【追追記

    昨日地下鉄の網棚に小さい鞄にいれた弁当箱水筒を忘れた。

    降りて5分後くらいに気づいて駅へ連絡し、乗っていた電車が2つ後ろの駅についた後回送電車になったことはわかったが現物の届け出はなかったそうだ。

    誰かが回収して落とし物のデータとしてあがってくるまタイムラグがあると聞いたので本日も問い合わせたがそのような届け出はないとのこと。

    いやいやいやいや10分以内に他人弁当箱盗むか???おかしいでしょ・・・

    一番腹が立っているのは自分自身に対してだがその次に持ち去ったやつが憎い。高級な弁当箱というわけでもなくただの黒いタッパーにも見える代物だぞ?頭沸いてんのか?

    よもまつとはこういうことをいうんだろうな。

    毎日職場弁当作って持っていくのがささやかな楽しみだったのにこれから弁当つくるたびに顔も知らない犯人への憎しみがわいてくるわ。心が狭いのか?そうかもしれない

    ほんと頼むから返してくれ。どうにか俺の中でこの事件ハッピーエンドで着地させたい。いやほんと他人の物を触るどころか盗むなんてお前の血は何色だよ。道徳教育受けたか社会常識ぶっこわれてんのかテメー。いやほんとに人間

    末代まで呪うとは言わないわ。お前を末代にしてやるんだから!!!死ね!!!!!!んんんんんんんんんんんんんんんんんんんんん!!!!!!(呪詛)

    追記

    ブコメゴミ捨て場にどうのこうのってあったけどなんで・・・

    なんで持ち去ってすてるの・・・?どんな発想なの?サイコパスなの?

    【追追記

    金目の物をあさってすてる・・・?こわ。金銭目的窃盗って・・・モラルがもろすぎる。よしんば財布でも入ってたら「うおおおおおお!豪遊じゃああああああ!」ってなるのか?盗まれた人の気持ちがわからいからやっぱりサイコパスじゃねえか。

    そういう人って同じことやり返されても平気なのかな。俺は平気じゃないか絶対やらない。

    人の嫌がることはしない。人間として当たり前だろう?人間じゃないのかよ・・・

    あと今更弁当箱たちが返ってきても気味が悪いので新しいの買いました。臨時出費いたいな。おい窃盗くそサイコパス野郎。お前の所業金銭的にダメージだよ死ね

    2019-02-28

    anond:20190228131113

    2019-02-22

    はてなーは「スモールフット」を見ろ!!!!!!

    全然話題になってないけどめちゃくちゃいい映画

    俺も公開時は全然知らなかったけど飛行機の中で見た。

    アニメ映画か… 時間つぶすにはいいかなと思った…

    見てみると引き込まれた。

    あらすじは人里離れた雪深い山奥に住んでいるイエティ雪男)達は「ストーン」に書かれた掟や「事実」があり、その教えを守って暮らしていて、その中には「スモールフット人間)は存在しない」というのも含まれていた。

    しかしそこへ飛行機が墜落しスモールフットが出てくるところを、この物語主人公が目撃してしまう… ところから物語は始まる。

    ただのアニメ映画かと思っていたけど扱っているテーマが「無知啓蒙」「好奇心とその危険性」とかいったテーマ内包していて示唆に富んでいる。

    本当に子供向けなのかと疑うほど、全く関係ない海外でこの記事を書いてしまうほど、素晴らしい作品に仕上がっている。

    特に、なぜストーンの教えができたのかという観点からも掘り下げた、無知に対する一方的非難で終わらず、観衆に考える材料提供するところが非常に良い。

    最後子供向け映画らしくハッピーエンドなのもよい。とにかくよい。すべてがよい。

    はっきり言うがこういう評価を私が下したのはあんまり記憶にない。

    平均的リテラシーが高いはてなーには見てもらって、色々と考えてもらいたい(皮肉じゃない)。むしろはてなーからこそこの映画の魅力がわかってくれると、そう思っている。

    こういう表現は嫌いなんだけど、「やっぱり見てない人は損している」そう私に思わせてしまう魔力がこの作品にはある。

    この映画あなたが費やす時間お金以上の価値があることを保証する。

    まあつべこべ考えず見てくれ!!!!!!

    というか日本全然宣伝やってないってどういうことだよ!!!

    映画館で見れなかったじゃねえか!!!!!!

    こういう映画こそ宣伝しろ!!!!!!

    2019-02-16

    百合ジャンル歴史現在 前

     本稿では、BL/やおいと比べ論じられることの少なかった「GL/百合ジャンル確立歴史と、その現状について考察する。

     はじめに、「百合」というマンガアニメにおけるジャンルを示す言葉概要説明する。「百合」とは主に、女性同士の恋愛と、それに満たない関係性も含めて描いた作品ジャンルを指す。川崎によれば、定説として語源ゲイ雑誌薔薇族」に由来する。男性同性愛を指す「薔薇族」と対になるよう、女性同性愛者を「百合族」と呼称した「百合族の部屋」というコーナーが1976年から不定期連載されるようになったのが始まりであるとされる(川崎2014:44)。当時はレズビアンを指す用語だったが、徐々にサブカルチャーに輸入され女性同性愛を扱った作品群を呼称する言葉に変化していった。

     まず、日本での「百合」のマンガジャンルとしての成立について述べる。そもそも大正ごろの日本においてマンガとしての形態以外で女性同性愛テーマにした創作物としては、性描写過激男性向けポルノか、少女向けの小説に二分されていた。特に女学生同士の姉妹関係エス」をテーマにした少女小説金字塔として、「花物語」(1925)などが代表される。しかし、大正時代少女文化として流行した「エス」の概念現代の「百合概念とは違い、上田は「自覚的女性を愛することを選択したというよりは、良妻賢母になるための安全なる予行演習という側面もあった」と述べている。(上田 2014:192)

    マンガが発展し、女性同士の関係性を主題とした最も初期の連載作品1970年代ごろから山岸涼子「白い部屋のふたり」(1971)、池田理代子おにいさまへ…」(1974)、「ベルサイユのばら」(1972-73)のオスカルロザリーなどにみられはじめる。これらは、「24年組」に代表される少年愛テーマとしたマンガと同時発生的に少女マンガ誌に掲載されたものだ。藤本は、このころの百合マンガの大きな特徴として

     ①対照的な二人の容姿(中性的・くっきりとした美人可憐少女イメージ)

     ②演劇モチーフ(宝塚歌劇の影響)

     ③悲劇的なストーリー(少年愛を扱う作品対照的同性愛による葛藤描写)

    を挙げている(藤本 2014:101)。これらの特徴は、1970年代女性の抱えていた抑圧感を反映していたものなのではないかと考えられる。女性作家による「少年愛」が現実の抑圧から解放として、性的未分化存在(少女)の何物にも縛られない感情の動きを描写したものなら、このころの「少女愛」はそれと対照的に、抑圧からの逃避としての悲劇的な結末が設定されることが多かったのではないだろうか。表現手法舞台設定は耽美幻想的でありながらも、当時の日本での女性のおかれる立場に忠実な閉塞感が描写されたものだと考えられる。また、この時代百合マンガ少年愛ほどの大きなムーブメントには発展せず、作品数も多くはなかったため、自然消滅的に衰退していった。

     しかし、1990年代同人誌文化の発達に伴い、百合ジャンルも急速にその勢いを復活させる。

    まず、「美少女戦士セーラームーン」(1992-97)によって、女児向けマンガにおける戦う美少女という概念ジェンダー論的な観点においての大きな転換点となる。異性愛的な要素が物語の中心に関与していたにもかかわらず、同人イベントではセーラー戦士同士のカップリングを描いた作品が爆発的なブームとなった。その理由として考えられるのは、消費される客体としてではなく主体としての戦う美少女像が確立されたことではないだろうか。これにより、百合的な描写70年代における悲劇的な結末に向かう物語ではなく、少女が二人で主体的に幸せを獲得していく過程が重視されるようになっていったと推測できる。

    そして、物語の中の関係から百合文脈を汲み取っていた時代から、前提として百合のもの主題においた作品も増加していく。代表的なものとして、「少女革命ウテナ」(1996-98)がある。この作品は、古典的少女マンガシンデレラストーリーを基盤に「王子様」と「お姫様」を少女同士に置き換えてなぞりつつ、70年代百合作品に見られた演劇的なモチーフや学園モノ、男装美少女といった設定を取り入れ、また絵柄としても耽美で繊細なものであったが、これらは意図して行われたパロディ化された演出だった。ストーリーの結末も、最終的には二人が離れ離れになる点は悲劇的にも取れるが、その後ヒロインたちの再会が示唆されている。アライによると、「王子様」と「お姫様」が結ばれてハッピーエンド、という構造少女同士で反復するだけではなく、最終的にヒロインたちは「王子様」と「お姫様構造破壊し、自身覚醒させ歩き出すことで、社会的女性規範を打ち砕くことができるのだ。(アライ 2015:57)それこそが「世界革命する力」であり、この結末によって投げかけられたのは、異性愛規範や家父長制へのアンチテーゼと、黒人女性解放運動日本女性ウーマンリブ運動などの背景を踏まえた社会的メッセージだった。

    これらの2作品によって、社会的な動きと呼応した百合マンガの潮流が形作られはじめる。「セーラームーン」も「ウテナ」も少女マンガ誌に掲載されており、本来ターゲット層は10代の少女対象にしていたと考えられるが、ここでのプラトニック少女たちの絆がオタク層にも受け入れられ、恋愛的な文脈解釈した成年層による二次創作が爆発的に流行する。これと同時に一次創作オリジナル同人誌においても、「百合」という概念が定着しはじめ、少女同士の恋愛主題にした作品がみられるようになる。

     そして2000年代に入ると、マンガジャンルとしての百合を専門に掲載した「百合姉妹」(2003-2005)が発刊される。その後、「コミック百合姫」(2005-)に統合され、現在刊行中。専門誌の発刊は大きなジャンルの発達の手掛かりとなり、この雑誌に連載されていた作品アニメ化や二次創作流行によって、「百合」というジャンルがはっきりと定義されはじめ、広く認知されるようになっていく。しかし、その定義に関して「男性が主要人物として登場し、恋愛関係に介入する」「性的関係が生じた場合百合ではなくポルノ」などといったさまざまな議論が巻き起こったのもこの時期である

    また同時期に、「神無月の巫女」(2004-05)や「舞-HIME-」(2004-05)などの少年誌で連載される百合作品が登場する。これらの作品は、少女マンガ作品よりも直接的な同性間の恋愛としての描写性的表現が強く押し出されていた。ここから現代男性向けと女性向けの要素を同時に内包した現代百合マンガ形態確立しはじめたといえる。2007年には、前述した「コミック百合姫」の姉妹紙として一迅社からコミック百合姫S」と「コミック百合姫Wildrose」が発刊。「S」は本誌よりソフトで繊細な関係性の百合を扱い、なもりゆるゆり」(2008-)が代表するような「日常系百合」の流れを作った。一方「Wildrose」は、それまで成人向けポルノとしての過度な性描写忌避されがちだった(厳密な定義での「百合」ではないとされる議論があった)当時の風潮の中、直接的な性描写掲載した作品を扱う専門誌として独立した挑戦的な試みだった。

     ここで、2008年に行われた「コミック百合姫」の読者アンケートを参照してみる。2008年7月号時点の『コミック百合姫』読者の男女比は男性27%、女性73%であるのに対し、『コミック百合姫S』の方は男性62%、女性38%となっている。つまり現在統合された「コミック百合姫」の購買層は、この男女比を単純に平均すると男女差はほぼ半々で、やや女性読者のほうが多いということになる。ここでは百合マンガの購読層を性別と消費の形態に4つに分類して考察した。

    ①「傍観」型女性

     女性購読層において基本的には、社会的比率を前提にすると異性愛女性のほうが多いと考えられる。彼女たちは少女同士の関係性に、「現実における異性愛ジェンダーロールによる苦痛から隔絶された「非現実的な同性間による越境快楽」を心の拠り所として愛好するのではないだろうか。なおこれについては、やおいBL ジャンルを愛好する女性においてもほぼ同じ理論適用できる層が存在すると思われる。

    ②「投影」型女性

     百合というジャンル性質上、他の恋愛形態をメインとしたジャンルよりもレズビアンバイセクシャルを自認する女性が購読層に多い傾向にあることは考慮するべきである彼女たちは、異性愛女性が「少女マンガにおけるロマンティクラブ」を夢見るのと同じように、自身性的指向に一致した自己投影先として「百合マンガにおけるロマンティクラブ」を享受していると考えられる。

    ③「傍観」型男性

     百合自分投影先の存在しないストーリーを消費するものとして受け取っている購買層。①「傍観」型女性とほぼ同じ論拠が適用できると考えられる。

    ④「投影」型男性

     百合マンガ登場人物自己投影する男性は、ジェンダーロールから解放と、女性との恋愛の疑似体験を同時に達成できる。この購読層の性的指向に関しては、社会的比率として異性愛男性が多いと思われるが、異性愛コンテンツNL)ではなく百合GL)を愛好する彼らに関しては、③「傍観」型男性よりさらに複雑な感情ルーツを持っていると考えられる。また、TS願望を持つ男性MtFとは区別する)や、同性愛男性共感を持って少女同士の関係性を愛好する例も、この枠にひとまず収めることとする。

    ⑤「乱入」型男性

     特に男性向けの性的描写の含まれ百合マンガ等においては、その世界の中に没入し登場人物の中に「混ざりたい」という観点で消費する層も存在する。これは上記の4つの例と異なり、少女同士の関係性ではなく「(男を知らない、穢れのない存在として描写される)レズビアンである少女を自らの男性性によって屈服させたい」というマウンティングによる性的欲望や、男性主人公やその代わりとなる女性キャラクター存在しない「ハーレムもの」といった受け止め方に由来するものと思われる。ただし、これらの男性百合ジャンルファンから忌避される傾向にあり、特に近年の百合主題とした作品においては減少している。

    これらのファンがそれぞれ百合というジャンル定義について議論を重ね、各需要を満たすような創作物制作していったことにより、百合ジャンルが発展していった時期だった。

    次に、2010年代百合文化を振り返る。このころに代表的な作品として挙げられるのはテレビアニメ魔法少女まどか☆マギカ」(2011)だろう。この作品は、「セーラームーン」にルーツもつ戦闘美少女系譜を受け継ぎながら、現代調に前提として百合意識して構成された作品ひとつで、魔法少女同士のカップリングを扱う二次創作が爆発的に流行した。

     また、少女マンガ誌において百合を扱った作品が満を持して再び登場する。70年代以降、異性間のラブストーリー(NL)に偏っていた少女誌において約30年ぶりに百合が復活した形で、「野ばらの森の乙女たち」(2011)や「ブルーフレンド」(2010―2011)が連載された。これらの作品は、少女漫画特有の筆致でありながらも明確な少女同士の恋愛関係としての描写があり、また両作品とも70年代のような悲劇的なラストを迎えることはない。少女向けの要素として、学園設定や疑似姉妹などの設定は残されているものの、これらは批判的なパロディというよりも前時代少女誌における百合作品に対する敬意からくるオマージュ解釈するほうがふさわしいだろう。これは近年において少年誌よりもジェンダーロールの強固だった少女誌界隈に百合ジャンルブームの波及がみられた、極めて注目すべき例である

    <続きと参考文献リストこちら>

    https://anond.hatelabo.jp/20190216025236

    2019-02-12

    anond:20190212163533

    読書量と自身創作するかどうか の違いじゃない?

    余裕で1000タイトル以上所有してるし、WEB漫画(新都社個人サイト商業サイト)も見るし、物理で出してる媒体電子で見る

    その感想プロアマは違う

    のじゃロリは早々にハッピーエンドになってしまったところだよね

    世知辛いのじゃ〜ってコンテンツだったのに、2-3話目でハッピーエンドみたいな

    ただ、非常に誠実な人だとは思った

    2019-02-05

    何故恋愛オチになるのか

    途中まで恋愛関係ない話だったのに話の終わり間近にいきなりヒロインと付き合って終了!みたいな話どうしても萎えしまう。

    なんで恋愛を絡めないとオトせないのか不思議だ。フェミとかじゃないんだけど恋愛トロフィー代わりになってハッピーエンド!みたいなのがどうしても納得できない。

    もうヒロイン主人公が既婚じゃないと素直に楽しめなくなってきた。

    男女バディで恋愛絡まないバディものだと思ってたらくっつくから何も信じられない。

    『彼方のアストラ』は過大評価な気がする

    アニメ化されるらしい。少しネタは古いが、たしかに設定はオタク好みでなかなか面白い

    やたらと評価が高いが、終盤イケメンペラペラ喋って世界の謎がわかるという単純な構成であり、表現技術的にはかなり稚拙作品でもある。設定は面白いのだが、本当にそれだけ。設定が面白いだけ。物語の組み立てとしてはレベルが低い。

    主人公たちは全員クローン人間イケメン刺客で、彼は最初からすべてを知っている。終盤追い込まれイケメン世界の謎を説明する。2063年のとき西暦を100年戻して1963年改竄、本当の歴史隠蔽された。最後ハッピーエンド

    設定は面白い

    2019-01-30

    ルート次第でめっちゃ展開が変わるゲーム教えて

    ルート次第でAルートでは仲間で良い感じだったのにBルートだと敵になるとか

    ハッピーエンドに見えて実は別ルートに行くと…

    とにかくそういうのが好きなんだけどなんかない?

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