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2019-05-23

anond:20190523213148

じゃあお前が犯罪が起こらないような社会になるように努力すれば

刑法があっても犯罪が起こらなければ刑罰はなくなるよ

実際戦後徐々に犯罪発生率減ってるから

刑罰も減っていて良かったね

ヴィーガン記事ブコメバカばっか

私は優しいかidは晒さないでやるけど、どいつもこいつも「私は肉食うけどアンチヴィーガンバカすぎてアンチアンチヴィーガンになりそう」とか「自分は肉食べるけどヴィーガンの主張に向き合うことは大切だと思う」とか、したり顔で書きやがって。

お前らはまず悪びれもなく肉食ってる時点で絶対ヴィーガンのアライではありえないんだよ。

ヴィーガンのアライってのは精進料理しか食べない僧侶とかベジタリアンがなるものであって、お前らはまず肉食をやめてからじゃないと理解者として振舞うことはできない。

お前らがやっていることは、例えて言うなら「レイプセクハラが大好きな魂の殺人者」とか「女性教育の機会を奪う試験下駄履かせ野郎」とかが「自分女性人権を認めないけどフェミニストの仲間です」って言ってるようなもの

あるいはコンゴアフリカ人の手の平に穴開けてロープ通して何人も繋げて奴隷労働させてた東インド会社白人が「私には黒人友達いるか人種差別主義者ではない」とか言ってるようなもの

あるいは東欧のシュテトルでアシュケナジムを何人も一列に跪かせて命乞いさせて、ヘラヘラ笑いながら一人ずつ銃殺していったナチス兵士戦後うまく過去を隠して「ヒトラー大罪人」とか言ってるようなもの

肉食をやめるまでお前らは家父長制の豚の側、奴隷制受益者の側、ナチス賛美者の側、あるいはもっとはてな的な言い方をするならネトウヨ側の人間なんだよ。

からといって肉食をやめて倫理的に生きろと強要することはできない。

リベラルの考え方の基本は「“私の選択”は正しい」』なので(たしかテリーイーグルトンの言葉)「押し付けられたヴィーガニズム」よりは「自らの選択による肉食」の方がある意味倫理的とも言える(もちろん皮肉で言ってる)。

もっとも、お前らの肉食は無思考批判に上に世代の肉食を受け継いだだけだろうから論外。

まり保守主義としての肉食なんだよ。

You are what you eat.というスローガンがあるが、つまりお前らの体は動物から搾取動物苦痛でできているということ。

人の姿をした種差別、それがお前の正体。

からヴィーガン理解を示す振りなんかしないでくれ。

しろお前が何も理解できてないことを大声で喧伝しているようにしか見えないから。

2019-05-22

昭和時代

 普通に公立学校も熟れていたし、校長教頭にも偉大なキチガイがおり、定期試験なども

ちゃん機能していて、卒業認定なども厳格にやっていたガチキチの真夏があった。

 平成と違い昭和民間ではなく国家が信頼されており、昭和天皇国家体制は、ガチキチの正義

集団で、しか社会戦後の混乱期で激臭だったので、気が狂ったような少年少女がたくさんおり

よしお前は成績優秀でガチキチだから東京に出て活躍してこい、などと普通に言われていたし国家

この激臭社会の中に介入し、正当に機能し、社会の役に立っていた。

 平成国家はクソ無能で、昭和のその中身は他に流れたが、その他に流れた正義といわれた奴らがここ12年

何の反応もなくて何やっているのか実に怪しい。

2019-05-21

anond:20190521203041

物心ついた頃には戦後やけど今では想像もつかへんような貧相な食事をしとったな。豆ばっかりや。

社会に激臭ウンコがないか昭和みたいにはならないだろ

 昭和時代は、明治時代が腐れて男も女も激臭キチガイで食い物もなくて発狂していて

社会が超絶に危険だったから、その危険性を肌で全部食いとって脳ミソカンカンにして

働いてたやつが東京大阪形成したわけだが、この飽食ネットコンテンツもあって

太平楽の世の中、戦後のあのクソ危険キチガイだらけで飯も食えない恐怖がないか

その恐怖がトリガーになって自分感情大脳に集中しないから、先日死去した志村五郎

のように日本人なのにフェルマーの最終定理に貢献したキチガイも出ない

 今はどこそこの刑事施設の中に激臭ウンコ刑務官を配置し、受刑者にそのウンコを食べさせて激怒させ

働かせてシャバに出して脳圧下げているだけ

刑務所から出てきた男は脳ミソが機能性ビンビンなわけであって

 当然、昭和時代のように勧善懲悪をやりまくりたいと思っているわけであるが、平成のお前らが

まりにも腐れゴミで、戦後30年のあのビンビンに働いていた時代のことを知りたくないので

闇に葬っただけ。本当に平成の奴はクズだな

 刑務所の中では昭和時代ばりにビンビンにやっているわけであって、むしろ受刑者刑務官の方が

実のあるキチガイであって、シャバに出ている公務員等が、ウンコカスキチガイなだけだよ

 刑務官受刑者の方が、実のあるキチガイっぷりで、シャバにいる奴には中身がない

ただのウンコ食らいしかいない

anond:20190521083301

戦争後の後始末(平和条約)が済んでない。

戦後のどさくさに紛れて北方領土を分捕って人を住まわせて「今の人にも生活があるから無理~」とか言ってる。

2019-05-20

丸山穂高議員を支持します。北方領土を取り返そう!

対話解決できないならもう武力しかないですよね

一体全体、戦後何年、「対話解決」と繰り返すばかりの日本政府なのでしょうか

取り返したいという、真剣味が見えません

やるからには徹底的にやらないと!!

こんな日本じゃおしまいです!

今こそ丸山穂高議員発言が重視されるべきなのです!!

2019-05-19

anond:20190519154156

自分ゲイではないのだが、同性婚が認められると「同性愛可視化される」のは

長期的視野ノンケにもメリットがあるかも知れない

現状では、同性愛を隠している人間が非常に多い

そんで、普通の友人と思ってたらゲイだったとか

自分が思いを寄せていた異性が「同性しか愛せません」という場合もあり得る

ノンケとしては「だったら最初からそう言えよ」と言いたくなるが

当人にとっては、言うに言えない空気があるからだろう

こういう面倒くささは、「同性愛は隠さねばならない」という暗黙の了解があるせい

同性婚が認められれば、このめんどくさい問題がかなりオープンになるのではないか

当然、同性婚が認められてもなお表に出さない人は一定数いるだろうが

表に出しやすくなれば、それだけでいろいろハッキリしてすっきりする

あと、同性婚が認められたら、ブライダル産業だのデートコースになる観光地だの

指輪だのといったリア充向け業界経済効果がどれだけあるとかの試算もどっかで見た

むろん俺個人の腹の足しにはならんが、日本経済の景気振興になるのなら良し

***

あと、「まともな普通同性愛者」が世にオープンに出てくるようになれば

同性愛をクッソ汚いイロモノとして描く不快淫夢厨は淘汰されるかも知れない

一部の腐女子には、「同性愛タブーでなくなったらBLがすたれる」

と主張する者がいるそうだが、法制度で同性婚認められても

相対的少数派に変わりはなく、タブー自体はそうそうなくならないのではないか

(現に同性婚が認められている外国でもオープンにしにくいという人はいる)

それに、戦後日本じゃ姦通罪が廃止されたが、おかげで不倫物の文学作品ドラマ

が衰退したかと言えば、ちっともそんなことはないではないか

2019-05-16

anond:20190516093220

国会議員が、外交手段としての戦争検討している」というのが国際的にアウト。

まぁ言いたいことはわかる。が、「日本ダメ」ってのは戦後の悪しき風習だろ。

このまま何十年もカードとしての戦力を失ったままでいいのか?という問題提起もしていかなきゃならん。

あい言動をしてどういう反発を買うか、を想定して動けてないのがダメ

これは全くのいちゃもん。

いじめはいじめられる奴が悪い」と言ってるのと同じことだ。

一度酒でトラブって、酒に弱い事を自覚した上で断酒宣言までしたのに、その後も普通に酒飲んでるのでダメ

これは擁護のしようがない。


私の感覚では、「酒に呑まれて」以外のところにさほどダメさを感じられない。

0点とは言えないな。「戦争肯定した」は完全な読み違いだし。

手段としての戦争提示した」というのは快挙ですらあると思う。

2019-05-15

anond:20190515104503

戦後にやって「駅が溢れて危険」とかい理由廃止されたらしいがやはり乗車させてはいけないと思う

子供が育てにくい社会? 嘘つけ!

昔のこと考えてみろよ

毎日死ぬほど働かなきゃならなくて

子供はすぐ死ぬし、口減らしもあるし

昔のほうが圧倒的に子育てし辛いわ!

バカジャネーノ

 

それでも何人も産んでいたのは何故か?

それは子供=人が労働力になるから

もちろんそれは作物の収穫量に寄るが

昔は今で言う「会社を成長させるために採用活動する」が「子供を産む」だったわけだ

子供を産み育てないのは、もちろん自由だが社会人としては褒められたことではないってのは当たり前だろう

 

戦後だって高校進学率が1960年代でまだ70%とかだ

大学進学率が15%とかそこらだからほとんどの家庭では15歳〜18歳で子供社会に出た(平均したら16歳くらいか

20歳で産んだら36歳くらいの時には独り立ち、25歳で産んでも41歳の時に独り立ちする

 

出生数がゴリゴリ減っていった1980年代

高校進学率は95%、大学進学率も37%まで増えた

独り立ちするのに18年〜22年(平均したら20歳くらい?)になった

20歳で産んだら40歳、25歳で産んだら45歳でようやく独り立ちとなる

 

もちろん、直接的な少子化の原因は他にあるわけだが

ここらへんで完全に子供資産ではなく負債になってしまった

子供資産なら貧乏人ほど子を増やそうとするだろうが、子が負債なら金持ちしか子を増やせないことになる

 

時代の変化とともに、完全に子の位置けが変わってしまった

元々本能ではなく理性で子を増やしてきた人間にとってこれは致命的だ

おかげで世界各国で少子化の嵐

 

だいぶ話が逸れたが

今の時代を「子供が育てにくい社会」「だから少子化になる」なんて言うのは甘え

子が単に負債なだけ

 

これから時代は旧時代とは分けて考えたほうが良いのではないか

戦争しないで北方領土ってどうやったら取り戻せるのか?

素朴に疑問だけれども北方四島って、戦争しないでどーやったら取り戻せるのか?

お金解決ってソ連崩壊時に話が出たけど、まとまらなかった。

外交解決すると言っても、何十年も解決できずにいるわけでしょ。

竹島もそうだけど、実効支配が続いている領域については、もう日本領土って言わなきゃいいのに。

売国奴! とか言われそうだけどさ。

かつての島民の思いだとか、先祖代々のお墓が、だとか色々あるでしょうけど、それはもう戦争が悪かったで沈黙してもらおう。

ほら、満蒙開拓団とかで大陸に渡ってた人たちだって財産を投げ出し、娘や嫁を中ソに供出して逃げてきた人だっているわけでしょ。

そーいう人たちは戦争が悪かった負けたのが悪かったで、戦後はみんな沈黙するか「いやー大変だった」って終わってるじゃない。

から北方四島のかつての島民だとかのお気持ち大事だけど、あきらめてもらって、日本政府としても、戦争で負けたのが悪かった、混乱時にやられちゃったであきらめましょう。

戦争とか武力で持って領土を取り戻すって選択肢はありえない、なら、やっぱり領土あきらめるって選択肢もないとダメだよね。

anond:20190515121618

ほんとに日本人平和ボケしてるよね

戦争でも武力行使でもなんでもやってでも取り返したいならやらないと

最終手段とかじゃない

今現時点で戦後何年経っても解決できてない現状

議論解決できるのならとっくに解決してる

竹島北方領土相手の国が武力支配したならこちらも武力で取り返すのみ

それ以外方法はない

2019-05-14

氷河期世代バイトのおじさん論破したった(笑)

その前の世代障害年収3億が当たり前だったんだから本来氷河期世代にそのくらいの保証がないとおかしいって言うから

けど、もっと前の戦後の貧しいひとよりは恵まれてるし格差是正するならその時代を生きた人にお金上げる側ですよって言ったら

つば飛ばしながらなんか言ってバイト来なくなっちゃった(笑)

氷河期世代?とかいう人たちがいか無能学生ながら思い知ったわ

anond:20190514141311

陶磁器の茶碗を台所に集めて洗うのは戦後米国文化猿真似 極右なら自分の塗り椀を川の水で濯いで木箱に詰め込め

anond:20190513023247

それよく言われてるけど違うと思う

やなせ本人も「これはアンパンマンテーマソングであり、ぼくの人生テーマソングである」って言ってるし。

イケメン文武両道で誰からも愛される人格の弟と、ニキビブサメンで何をやっても劣等生な自分、そして家族自慢の弟が特攻で死んでしまい取り柄のない自分が生き残ってしまったショック。

戦後の苦しみで「正義のための戦いなんてどこにもないのだ」「正義はある日突然逆転する」「逆転しない正義とは献身と愛だ」と反戦的になってるし、特攻を美しい歌詞にするとは思えんのよね。

2019-05-11

芸能界薬物汚染作品公開のガイドライン整備

戦後日本芸能界反社勢力が仕切っている。

芸能人反社勢力の金蔓になっており、シャブ漬けにされて弱みを握られ、上級国民の枕要員にされている。

政治不祥事が起こると、火消しのために芸能人スキャンダルマスコミリークされる。(逮捕もあり)

 

ピエール瀧逮捕で出演作品の公開が自粛された。

役者逮捕に備えて、制作会社配給会社アメリカ式ガイドラインを整えるべき。

過去作品はそのまま公開して、新規制作する作品では降板、交代させる。

ハリウッドでは、#Me Too運動告発されたケヴィン・スペイシーの主演ドラマハウス・オブ・カード 野望の階段」がケヴィン降板を発表したが、これまでの放映分は今まで通り配信されており、もちろん彼の過去作も消えることなく残っている。

この違いはなんなのか。

取材した映画プロデューサー

映画では役者本人が積み上げてきたもの説得力を生む。

でもそれが真逆のことをしてしまった場合、観客は騙されたと思ってしまい、そこから作品自体が嘘になってしまうんです。

劇場クレーム電話が来たり、SNSで叩かれれば正義はそこに作られてしまうのが現実です。

最近SNSマイナス言葉に引っ張られるようになっている傾向はますます強くなっています

被害者感情はもちろん大切だが、映画には観る、観ないの選択肢ができるコンテンツからこそ、なんとか作品を残したいという気持ちは声に出せずとも誰もが持っていると思います

海外映画業界映画文化的価値が優先されますが、日本では、世論体裁へのプライオリティクリエイティブ面よりも高いんです」

と話す。

海外では、個人的問題として対処されることも、日本は一人の責任映画全体の責任になってしまうのが現状なのだ

 

人気ドラマの復活で、過去作品自粛カットされると話がつながらなくなる。

 

2019-05-10

文系学問において資料実在証明するものとは何か

久々にビッグ研究不正ニュースktkr

ということでキリスト教思想史研究やってた人が研究不正で懲戒解雇された件について、報告書に目を通した上でちょっと書きます

今回調査委員会被告発者に求めたのは、以下の項目でした。

この「写し」というのはどういうことでしょうか? 資料のもの調査委員会が求めなかったのはどういうわけでしょうか?

歴史学者にとっては常識なのですが、他の分野の人にとってはどうかわからないので、解説してみます

そもそも文系はどんな材料を使って研究してるのか

これは人というか研究分野によるので、安易なことは言えません。文学哲学社会学人類学歴史学言語学とでは使う資料がぜんぜん違います

で、この被告発者の研究手法は、近現代を扱う歴史家の多くが採用している手法だと思います近現代史を扱う人たちは、

を主に史料として使います(「史料」ってのは、歴史を記録したナマの資料のこと。「資料」と呼ぶと後世に書かれた二次文献なんかも含む)。あるいは、上に書いたようなものをまとめて出版した本とかを使います

これらの史料の特色とは何か……それは、

ことです。

公文書館というのは、「お役所の書いた書類を保管しておく施設」のことです。これはどのくらいかというと半永久的にです。普通文明国ならどんなに細かな書類でも公文書館に保管されていて、(民主国家場合は)数十年して機密解除されたり(独裁国家場合は)体制崩壊して民主化したりすることによって「申し込めば誰でも読める」状態に置かれます。これによって我々はソ連時代領収書なんかをロシア公文書館で読むことができるわけです。ソ連ですら公文書を保管して後世の我々に見せてくれているというのに……いや、これは余談でした。

当たり前ですが、それらはその国(あるいは地方)の公的な記録であって、自分のものにして持ち帰ったりすることはできません。ではどうするか。多くの歴史学者

などの手段史料を入手して研究しています(ちなみに写真撮影もカネを取る公文書館結構ありますね。日本だとどうなんでしょ)。

昔の人が書いたものも、本とかなら古本屋さんとかで流通しているのを買うことができるかもしれませんが、稀覯書でなかなか手に入らなかったり、古雑誌バックナンバーとか揃えるの無理ゲーだったりするので、図書館に所蔵されているのを使うことが多いです。近場の図書館に置いてない? 相互貸借もさせてくれない? そういう場合は当たり前ですが所蔵している図書館がある街まで行きます。その図書館がある街というのが新幹線必要距離だったりパスポート航空券がないと行けない距離だったりすることも稀によくある(歴史学者研究費は旅費と本代に消えていく運命なのです……)。そして、辿り着いた図書館カメラをパシャパシャやったりコピーを黙々と取ったりするわけです(最近スキャナーが普及してくれてマジ嬉しい)。

なので、調査委員会は「一次資料の写し」を求めたわけですね。たとえ彼が清廉潔白研究者であったとしても、一次史料原本なんてふつうは手元にないわけですから

しかし、本来、彼は「一次資料の写し」を提出する必要などありませんでした。自分論文を黙って調査委員会に提出すればよかったのです。なぜでしょうか?

ここで、もう1つの大事な話をします。

文系に「実験ノート」はない

もちろん分野によります心理学みたいに人を対象とした研究だとしっかり実験ノートつけるように言われるかもしれないし、考古学とかは発掘時の状況を克明に記録しておくことが重要だったりするかもしれない。でも、少なくとも近現代史みたいな分野では、実験ノートをつける、という習慣はありません。

私は一度も、理系で求められるような意味での実験ノートを書いたことはないし、書けと言われたこともないし、書いていないことを理由に責められたこともありません。もちろん史料ノートに筆写したりはしていますが、そのノートだって別に厳密なものではない。普通研究においてノートは使いますが、それは高校までのノートと一緒で、鉛筆で書いてもいいし、好き勝手なやり方で書いていいし、なんなら途中で破ったりしてもいいごく普通ノートです。最近ノートじゃなくてパソコンとかを使って研究上のノートを取ってる人も多いんじゃないかな(手書き疲れるもんね……)。

なぜか? と言われれば、

です。

まり、「もとになった資料」というのは、理系のように自分実験室の試験管の中にしかないものではなく、別の誰かが保管してくれているものなのです。

理系学問において標準化された改竄不可能な形で実験ノートをつけなければならないのは、自分実験室の試験管の中にしかオリジナル資料がないからですよね? しか文系場合は、少なくともここまで説明した近現代史場合は、オリジナル資料はどこかの政府管理している公文書館とかどこかの大学図書館かに保管してあるわけで、そこに辿り着くまでの情報さえ明記してあればそれで十分なのです。これはドイツ連邦共和国ベルリン連邦文書館の何々というファイルに保管してある何というタイトル史料だ、とわかれば、チェックのためにはそこに見に行けばよいし、これは19世紀に書かれたほにゃららという新聞に載っていた記事である、と書いてあれば、その新聞が所蔵されている図書館を探して読んでくればいいわけです。

なので、別にどんな方法ノートを取ろうが自由なわけですね。最終的に読者がその元になったデータを見つけられるようにしておけばいいわけから

ゆえに、歴史学論文や著書には膨大な注がつけられます引用した史料のそれぞれについて「どこに保管されている史料なのか」「なんという本の何ページに書いてあることなのか」ということを書かないといけません。

なかには、史料自分の手元にある場合もあります。多くの場合それは「昔の人が出版した商業出版物」なので(たとえば、極端な例ですが『わが闘争』)、他の誰かも持っていることが多いです。もしそういう史料捏造とかしちゃうと「俺もこの本持ってるんだけど、お前が引用してる箇所見つからなかったよ?」という怒られが発生します(なお、捏造ではないですが誤訳指摘は受けたことがあります。コワイ! でも覆面査読なのにこの文献の誤訳を指摘できるってことはあの人しかいないじゃん……ってわかっちゃう! 文系世界基本的に狭い!)。「むっちゃ少数しか発行されなかった自費出版の本」とかが典拠になっている場合もあります。こういう史料典拠にするのも仕方ない場合があるんですよ……典型的には、そこまで有力ではなかった政治家とか在野の知識人とかを研究したい場合、彼らが出してる本は全部自費出版というのがありえます(あと、言語学とかだと、たとえば与那国島方言研究したい場合に一番の参考資料になるのは与那国島のお年寄り自費出版した方言辞典だ、みたいな例がありまして……与那国町が進めてる辞書出版プロジェクトむっちゃ楽しみ)。ごくごく稀に、古本屋歴史上の人物が書いた手紙の山をまるごと購入できた、みたいな奇跡があって、モノホンの一次史料研究個人の所蔵になっている場合があります。これはねえ……もう本当に個々の研究者の良心を信じるほかないよね……若手研究者だと色んな大学を移り歩くこともあるだろうから所属してる大学図書館寄付しろとも言えないしね……原史料出せって言われたときにすぐに見せられるようにしておいてね、定年退職するときは勤務校の図書館に置いていってよ、とお願いするくらいしかできない感じはあるよな……

さて、長々と書いてきましたが、要するに、捏造を疑われた研究者がきちんと注で出典を書いていれば、彼は論文調査委員会の人たちの前に突きつけて「ここに出典書いといたから、見に行って確かめてこい」と言えばそれで済んでいたのです(それが生データにあたるものなので。実際、今回の調査委員会ドイツに問い合わせたりしていますね)。もっと言えば、彼本人から話を聞く前に、調査委員たちはまず典拠との照合作業を行って、彼が誠実に引用したこと、つまり彼が研究不正に手を染めてはいないことを確認してくれていたでしょう――もしも彼が潔白であったならば。

しかし今回の件では、注に不備があったので調査委員たちは注から出典を辿ることができませんでした。そこで被告発者に「写し」を求めた結果、元となる史料そもそも存在しない、捏造されたものであることが判明したわけです。

注をしっかりつけろよ! まことにごもっとも。特に今回のケースは注の多い学術書であり、注の不備は申し開きができません。しかし、しかしです、この背景には、日本出版事情が絡んでいるのです。

「注がない本」問題

今回の被告発者は、学術書のほかに新書も書いていました。多くの新書には、参考文献リストはありますが注はありません。そして日本には、「研究者が書いた真面目な学問に関する本だが、注がない」というのが一定数あります(一応言っておくと、ここではauthor-date方式みたいな「厳密な意味での注じゃないけど、ともかくも出典を示す機能を担っているもの」も含めて注と呼んでいます)。実はこれ、文系あいだでも問題視されていることなのです。

文系学者が書いた学問に関する著書には、明白に書誌情報として区分されているわけではないですが、いくつかの区分があります第一にいわゆる狭義の「学術書」。むっちゃ小難しい語彙で書かれてて、先行研究とか新規性かに一言及して、参考文献を何十ページも載せてたりするやつです。読者は同じ学者、あるいはその卵。これで注を省くのは論外です。第二に「教科書」。これは学生さんとか初学者向けに易しく書き、内容には特に新規性を求められておらず、包括的な参考文献はなくとも読書案内がついていればそれでよし、という感じでしょう。注は別になくたっていい。

そしてこの2つのあいだには、「一般向け」という広大なグレーゾーンが広がっています

あなた読書好きで、少々お硬い本にも興味があるのなら、中公新書とか講談社選書メチエとかそういったレーベルを聞いたことがあるでしょう。岩波書店青弓社社会評論社といった出版社の名前を聞いたことがあるでしょう。実はこの辺、色々な種類の本が入り交じるグレーゾーンなのです。

これらのレーベルで真面目な学術書出版する人もいます講談社選書メチエでも、末尾にビッチリ注がついてたり参考文献リストがあったりするやつあるでしょ? ああいうやつ。一方で、こういうレーベル一般向けの概説書・入門書を書くことに使う人もいます。よく中公新書で、包括的タイトルで薄めの本を見ることがあるでしょ? 今回の『プロテスタンティズム』もそれですね。そして、一般向けの解説を書きながら、さり気なくその中で新しい見方提唱したりする人もいます学術的な新規性のある内容を、一般受けしそうだという理由で限りなく一般向けの本の体裁で書く人もいます最近のやつだと『姦通裁判』マジお勧め)。

さて、こういう本を出す上では、内容は著者の完全な自由にはなりません。編集者は、もちろん学術的に正しい内容を求めているのでしょうが、彼らにとって重要なのは「売れること」です。そのために「一般向けにもうちょっと柔らかい言葉遣いで書いてください」とか色々と内容に介入してくるわけです。文体くらいなら別に構わないかもしれませんが、彼らの中にはこんな要求をしてくる人もいます「注なんてつけたら一般読者に嫌がられます、注は省きましょう」

こうして生まれるのが、「学術的に新規性が高く面白い内容を扱っているのだが、注がない」という一般書の群れです。

もちろんこういった本にも参考文献はあり、「注はないけど、典拠を探しながら読めば典拠がわかるような書き方になっている」本もそれなりにあります(たとえば、はてな太郎の説によれば、と本文中に書いてあれば、注がなくても参考文献リストはてな太郎が書いた『増田研究』という本を探し出せる)。ただ、やっぱりそれは注がある文献の出典表示の厳密さに比べれば一段劣るわけです。

これに関しては、研究者も出版社もそれぞれに問題があります研究者サイドは簡単に「注を省け」なんて要求妥協すべきじゃないし、そもそも「著書を出版する」ことが、博士論文を見るためにはわざわざ学位を授与した大学国会図書館に行くほかなく出版して書店流通させることが最も良い研究成果の流通のさせ方だった時代であればともかく、各大学リポジトリを持っていていくらでもディジタル研究成果を公表できる時代にあって本当に重視されるべきか考え直す必要があるでしょう(でも、欧米出版社でも学術出版は盛んなので、これは日本だけの問題じゃないんですよねぇ。今でもオックスフォードケンブリッジハーバードコーネルといった有名どころのUniversity Press学術書出版しまくってます学術書研究業績として重視されるのは人文系では割と世界標準なので……)。

一方で、出版社は注をもっと重視するべきです。というよりも、日本出版社やジャーナリストノンフィクション作家は注をつけなさすぎます。先日、ボブ・ウッドワードトランプ大統領についてのルポルタージュ出版しましたが、体裁も内容もおおよそ学術的とは呼べない一般書そのものの本なのに、きちんと出典を示す注がついていました。出版社は、学者に注を削れと言うべきではなく、ノンフィクションを書く作家記者たちに注をつけろと言うべきでしょう。

とはいえこれは一朝一夕はいきません。そもそも知の折り詰めである新書」という形態が割と日本独自のもので、そういう一般学術を橋渡しするレーベルが広く一般読者に読まれていることの重要性というもの鑑みると、簡単になくせとか言えません。私も色々お世話になってるし。人口1億人ちょいの書籍市場ではどうしたって限界があり、色々な本を出すのではなく折衷的な本を1冊出すのが経済学的には最も合理的という考え方だってあるでしょう。ただ、やっぱり一般書にも(それこそ講談社ブルーバックス岩波新書レベルにも)注を入れるようにする、というのは必要だと思うのですよね。

さてここまで「注がない本」問題について解説してきました。でも何が一番言いたいかというと、

注はあなたの身を守るためにある

これ。これに尽きます。注はちゃんとつけよう。もしもあなた捏造者でなくとも、研究不正をしていなくとも、実験ノートをつけない我々の業界において潔白を証明してくれるのは注だけなのだから。注だけが資料実在証明してくれるのだから。本の売上よりも、あなたの保身のことを考えよう。あなたが、部屋が汚いとかハードディスクがお亡くなりになったとかパソコンの買い替え時に行方不明になったとかの色々な理由で、史料の「写し」を紛失する日はきっと訪れる。そのときに、これまでのあなた研究の誠実性を証明できるのは、人文系学問においては、注だけなのだ

以上です。駄文に長々と付き合ってくださりありがとうございました。続きはanond:20190511125053で。

2019-05-08

anond:20190508130031

北朝鮮に無条件降伏してお金をいっぱい渡して拉致被害者を返していただこうと

昔書いたら左翼扱いされたんだけど

今結局そうなってるじゃん

日本本土決戦から逃げたのに戦後自分らが勇猛果敢な戦士だと自画自賛してる嘘つき国家から絶対こうなると思ってた

男塾みたいな我慢比べで勝負したらまっさきに白旗を上げるのは日本国だ

だって俺と同じ血が流れているのだから勇猛果敢でもど根性でもあるわけない

弱い奴の前で強いだけが本当の日本人のはずだ

2019-05-07

国民には法律を変えられる権利がある

っていうけどさ、

なぜか強制徴収されるNHK受信料とか、

どんどん支給年齢が上がっていく国民年金

法律はご立派でもまともに運用されない労働基準法に、

法律的な要件を満たしていても水際で断られる生活保護

曲がりなりにも戦後、ずっと選挙を続けてきた日本でこれなら、

もう民主主義限界なんじゃないの

ジオリジン見てると安彦さんの限界を感じる

なんか争いとかのレベル学生運動ベースなんだよね。

その点本家ガンダムではちゃん空襲の怖さだったりが描かれてるし、戦争をしてるよなと思った。

富野は一応戦中生まれで安彦さんは戦後まれってことになるからそういうとこの違いなのか、単に力量の差なのか

とにかくちょっとチープさを感じてしまった。

キャラの表情とかも安彦さんの漫画っぽくしすぎてなんか変顔してるみたいになってるし

2019-05-06

https://anond.hatelabo.jp/20190506100957

俺はもちろん専門家じゃないし当事者でもないので、読んだ幾冊かの本や番組から判断となるが、

昭和天皇東条英機が当初は開戦反対派(というより、開戦を望む主戦派を押さえるために東条が登用された)というのは、誰が良識的で誰が空気に流されてしまったのかという点について示唆的だと思っている。

当時の背景として原油が採れない日本が、中国大陸をめぐる権益米国対立していたにもかかわらず、戦力の源である原油の輸入を米国に頼らざるを得ないという、外交的にやってられないほど厳しい環境下にあり、

もう一方の背景として、米国と和平を続けるには中国大陸から全面的ではないにせよ)大きく手を引く以外の選択肢がなかったにも関わらず、

中国大陸陸軍は戦友の血であがなった中国から黙って手を引くなど到底受け入れられず、統帥権干犯を楯にして政府から撤退命令を出せない状態だったと認識している。


で、陸軍が言う事を聞かなきゃ米国和解できないんだから陸軍大将であり開戦反対派」である東条英機首相に任命した所までは筋が通ってるのだが、

その先がなんだか不透明で俺にははっきり分からなくなっている。


陸軍は西でしか戦ってないので、東の米国なんて海軍がなんとかすりゃいいだろとしか思ってなかった。

これは分かる。

海軍米国がやべえ相手認識していたが、山本五十六ですら「勝てない」とは言わなかった。

これは本気で勝機はあると思ってたのか、単に立場上「勝てない」と言えなかったのかは分からない。

ただ、昭和天皇東条英機も「米国と戦いたくない」とは思っていても、「米国と戦ったら絶対負ける」とまでは考えていなかったであろうと思っている。

だって陸軍統帥権理由政府にたてついてるなら、統帥権を持ってる天皇に逆らえるわけないから、天皇が引けといったら引かざるを得なかったはずだからな。

実際、終戦だって最終的に天皇がやめろと言ったからやめたんだし。

そう考えると、昭和天皇は「米国と戦えば敗滅必至」とまでは考えていなくて、あくまで「東条が上手い事、波風立てずに陸軍を纏めてくれる事」位しか期待してなかったのだろう。

その状態米国から原油輸出打ち切りを告げられ、昭和天皇も東条も「陸軍あくま中国から手を引かせて米国要求に屈するか、勝つ可能性に賭けて米国と戦うか」の二択となり、後者を選んだ、というのが俺の認識

東条と同じ状況なら俺でもそうすると思うよ。

そこで屈して原油の禁輸を回避したとしても、その先の将来像が全く描けないからな。

そんなわけで、ここに至るまで、大衆の「た」の字も出てきてないんで、

正直、当時の大衆が開戦賛成だろうと反対だろうと結果は変わらなかったんじゃないかと思う。

仮に大衆になんらかの決定権があったとしても、それが「隠忍自重して開戦を回避する」という判断を下したとは想像しにくいし。


そういう情勢だった事を考えると、よく言われる「軍部暴走」というのは、当たらずとも遠からであるとは言える。

陸軍統帥権を楯にして政府外交の足を引っ張ったわけだし、海軍は正しい戦力分析政府に渡せなかったわけだからな。(俺としては、負けるものを負けると言えなかった海軍責任陸軍より大きい気がしている)

米国との開戦が避けられれば後はどうでも良かったかと言えばそんな事はないと思うが、少なくとも「なぜ天皇総理も開戦反対派だったのに最終的に開戦に賛成したか」と言えば、この陸軍海軍の間違いが主要因の一つだったと言える。


から戦後改革は、半分は悪くない線だと思っている。

統帥権とか無くなって総理大臣が自衛隊最高司令官になったから、陸軍外交の足を引っ張る事は一切できなくなったのは大きい。

(※だからちょっと前に首相自衛隊最高指揮官だと言った事に対して妙なバッシングが加えられた事について、俺はバッシングした人たちこそ正気を疑いたい。

首相最高指揮官である事は、自力で勝ち取ったとは言い難いにせよ、第二次大戦で流れた数万トンの血で贖った成果の一つと考えているので)

ただ、もう半分は戦後も直せていないんじゃないかと思っている。

もう半分というのは、『陸軍海軍がそれぞれの組織内の空気を読んでしまい、「上の言う事も聞かねーし、上に正しい状況分析提供できねえ」って状態だった』事で、これが何よりヤバかったと思ってるんだが、

なんか最近、記録隠しとかさ。

それヤバくない? って思うんだけどね・・・


日米開戦時と同じ轍を踏まないようにするには、

・軍は政府絶対服従する。

・軍は軍事専門家として政府に適切な判断材料提供する。

国民国家が重大な二択を迫られた時に最終的な決断を行う。(結果の良否はともかく、brexitの投票みたいなやつね。戦前なら天皇がこの役割だが、今は主権在民だし)

・その政府国民が正しく判断できるように、軍および官僚情報絶対に曲げない・隠さない。

最低でもこの4点は必須だと思ってるから、記録隠しだけは何が何でもダメというのが俺の立場

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