はてなキーワード: 二次とは
年金を出している場合に対する不服審査請求という制度は、上の2種類があるが、厚生労働省で現在、裁決を担当しているのは、元裁判官(高野伸)、中森正二、後藤昭夫(いずれも
医学関係者)であり、一次審査である社会保険審査官の裁決は処分と言われており、一般に原処分などと言われる。要するに、これらは司法による裁判ではないが、裁判と同じような
効力を持つと推測される。しかし、二次審査の裁決は、行政事件訴訟法により裁判所にかからなければ判決にはならないところ、現実的には、年金に裁決処分に対し、東京地方裁判所から
最高裁までに争われる道も、そんなことをするような人も存在しない。時間の無駄であり、面倒くさいの一言に尽きるからだ。従って、年金に対する裁決が厚生労働省で確定し止まっている場合
には、厚生労働省内で一定の力を持つと解される。しかし、厚生労働省による裁決が社会通念を形成するかどうかについては明らかでもなく、それを調べるのは全く無駄な作業である。
日本人がどのようなものかを考えたときに、これらの裁決等の処分にありがたみを感じるような者はいないと思われる。ところで警察官は対象者に精神障害があるかどうかについて、都道府県が
発行する福祉手帳でしか判断しない。検察官がどのように判断しているのかは分からないが警察官は医師の診断書などをいちいち読んでいない。手帳でしか判断しないからだ。従って、
厚生労働省でそのような内容の裁決があっても、その裁決自体を警察官が読むわけではないし、またそのような裁決があったからといってそれが社会通念、すなわち、例えば都民であればそこに
記載されているとおりに考えるという保証もない。なぜなら、例えば、 A という人が、広汎性発達障害で厚生労働省から裁決認定を受けていても、Aという人について一般人が広汎性発達障害
@aiueomunmun
最高裁で認定は実質敗訴した文春がデマで言い続けていて最近テレビでも文春のデマをそのまま流していますね
発端となったBBCも文春と元Jr.の平本淳也氏の持ち込み企画という話もあります
@akiS2_aaa
·
最高裁で認められた→認められたけど誰もみてない。性被害瞬間の音や映像はありますか?岡本カウアン氏「それがあるんですよね」証拠あるならさっさと出せよ。そんなもん撮る時間や余裕あったんだ…ツベ見たけど嘘ばっか。
#カウアン
@KikyoShikina22
@duuymusic twitter.com/hirox246/statu…
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https://twitter.com/aiueomunmun/status/1662374527165435905?s=20
@ndldnjaem
昨日はぱっぷす今日はspringがニュースに出ていてジャニーズ問題も報道
SHELLYが国会で性被害について語ってカウアンは法律に言及
https://twitter.com/ndldnjaem/status/1658476994190000128?s=20
桜夜
@MinaseSakuya
こんないつメン役満で、カウアンが顔出し実名の真実告発してる!ジャニーズ許すな!なんて素直に信じちゃダメでしょ
sayu
@sayu_nt
PENLIGHTの記者会見映像の後に #ぱっぷす 金尻カズナ出てきて笑った。やっぱりぱっぷす案件だよね
#newszero
https://twitter.com/MinaseSakuya/status/1658248926758318080?s=20
つまりジャニーズを乗っ取りたいやつが岡本カウアンを利用し、立憲民主党、日本共産党がぱっぷすを使ってBBCに噓の番組を作らせた。
・普通に私も恨みつらみがあるのでキツい言い方になってるとこもある
・普通にフェイクも含まれてるので辻褄が合わなかったらそのせいだと思って欲しい
そこでたまたま、創作が趣味の数人と知り合い、親しく話すようになった。
DiscordやTwitterの鍵垢なんかのSNSを中心に交流をして、創作企画をしたり、TRPGをしたりするうちに、疑似サークルのようになっていた。
出会いは新歓だったものの、ほぼほぼネットの知り合いといった感じで気楽に付き合っていたのである。なんせ顔も知らなかったので……
その中に、Aという人がいた。もともと昔から創作を続けていたようで、絵も文も上手く、グループの中でも一目置かれていた。私は、交流をした自キャラとAのキャラの絡みを小説で書いてもらったりするうちに、彼女の作品にどんどん惹かれていった。「Aの創作のオタク」になりつつあったのだ。
ただ、彼女と私は性癖が少しズレていて、キツイ時もあった。創作キャラを虐めるのが好きで、「あーあ、なんかひどい目に合わせたくなってきちゃった」などと言われて、「やめてくださいよw」と冗談交じりで止めるのが定番になっていた。
そんなこんなで遠隔で交流を続けていたものの、おや?と思うことが増えていった。
「親に殴られる、しんどい」「公園に逃げてきた」「今親に言われて家事させられてる」
どう見ても虐待を匂わすような内容に、TLの全員が心配し、Aにエアリプなどを飛ばした。近郊に住んでいるので、匿おうか?などと言う人もいた。
しかし、Aは大丈夫の一点張りで、我々は特にできることはなかった。
彼女のいない場で、心配だね〜などと話していたのだが、毎回「もう大丈夫!心配かけてごめんね!」とツイートされるので、だんだん過剰に心配する人もいなくなっていった。
それに、創作でも虐待の話をしないほうがいいよね、と思っていたものの、Aは普通に毒親持ちの創作キャラなどを出してくる。その時の私は呑気に気丈な人なんだな〜と思っていた。A劇場が始まっていることにも気づかずに。
突然、Aが「私のマシュマロに『創作やめろ』とか送ってこないでください」とツイートし始めたのだ。前述の通り、私達は鍵垢で交流を行っており、毒マロを送る人間は限られてくる。私達は疑心暗鬼に陥った。
他の人の内心は知らないが、私は「Aの創作のオタク」だったため、かなりのショックを受けてしまった。そして一次創作からとりあえず離れるために別のアカウントを作った。二次創作と愚痴を吐くオープン垢。創作グループには、昔からの友人がいたので、その人にだけその垢の存在を教え、FFになっていた。
鍵垢で呟くのが減ったものの、私はTLの内容は把握していた。大学の友達の会話なので……そんな中でもAは絶好調だった。(ここ恨みつらみのせいであげなくてもいい情報あげてるかも)
・ストレスで創作キャラの人格が表に出てきちゃう。ご飯もその人格が食べてるから記憶ない。私は憑依型だから〜
・私が辛いときに支えてくれたBちゃん(創作グループの一人)と交際することになりました。実はトランスジェンダーでバイなんだよね
・私は共感覚持ちだから毒マロの文を見ると色がトゲトゲしてて気持ち悪い
・色々しんどいことはあったけど頑張ったよ!親と他地方で(?)裁判(?)して縁切りました!やった〜!→なんだかんだあって親が戻ってきて今も召使いです
・実はクソ親のかわりに昔から叔母が金銭の面倒見てくれてたんだけどそのせいで過労で亡くなっちゃったんだ……
・実は中学の時からゲーム制作しててチームを組んで会社として(?)制作してるんだ、他のみんなは大人なのに「社長」って呼んでくるんだ、100万は稼いでるかな
私はおっとっと……になってしまった。グループの他のみんなは優しくそうなんだ!すごい!と反応していたが、私は性格が悪いので(九分九厘嘘でしょ……)としか思えなくなった。一度グループから離れて冷静になったからというのもある。前までしていたAの創作に対する感想ツイも徐々にやめ、Aをヨシヨシするエアリプもやめた。AはBちゃん(Bちゃんも憑依型で創作キャラの人格同士でいちゃつくこともあるらしい)と仲良くしていた。
「ひどい」「最近病むことばかり多すぎる」「関わっていきたい人とだけ繋がる新垢作ります」「なんでそんなことできるかな」
私と数人は切られた。私は若干心当たりがあったのでァ……と思ったが、なんだか私と数人がAに相当ひどいことをしたことになっているらしい。それは知らないな…??と思った。
私以外の数人は全く心当たりがなかったらしく、「気がついてないだけでなにか酷いことしたのかな……」と落ち込んでしまった。
Bに話を聞いたのだが、私を切りたくて新垢を作ったものの、「私さんだけを切ったら私さんが悪いことしたって分かっちゃうから、カモフラージュとして他の人も切った(?)」らしい。他の人たちは傷ついて落ち込んでましたけど???私のせいで切られたってなったら私とその人達の関係も悪くなるけど???そもそも何かしたっけ??
それは、彼女の創作世界の崩壊と、創作キャラが私に向けて怨嗟を吐くという内容のssだった。少しの間だったが、オタクになるまでハマっていたキャラクターに暴言を吐かれ、私はショックだった。さらにAの恋人のBから、長文のDMが来た。抜粋するとこうだ。
「あなたが裏垢でAの悪口を吐いていたから、Aが気にしてしまったみたいです。」「Aはただ謝ることを望んでいます。きっとそうです、寂しそうに見えるから。」
え〜〜…〜?????
寂しそうに見えるのはあなたの主観だし裏垢ってもしかしてしんどくなったときに作った二次創作オープン垢のこと……??
どうやら、Aは創作グループの友人のいいねから、私の垢の存在に気づいたらしかった。そこで「虐待ものの二次創作はしんどくて無理」と呟いていたものや、「一次より二次のが落ち着くよね〜〜今はそう」などと呟いていたものが、Aにとって攻撃だったらしい。
め、めんどくせ〜〜〜〜!!!
同じ授業を取っているから……と思って穏便に済ませようとも思ったが、面倒すぎた。まあ関わらずに上手くやればいいだろう……と思い、「すいません、私も今は心の整理がつかないのでAに会いに行けないです」とだけ告げ、謝罪要求を無視した。
結局、AとBとはそれで縁切りになり、共通の友人である創作グループのメンバーは「まあ私さんもやらかしたとこがあるかもしれんけど客観的に見たらそんなに悪くないし……」ということで私と友人関係を続けてくれている。というか、コメントしづらすぎて大体みんな触れられないといった趣である。
現在のAは何をしているのか、創作グループの人に聞いてみた。Bの裏垢曰く、
「通話で話をしたいものの、病みすぎて人格が色々でてきてしまって多重人格状態」「Aの兄から通話しないでと言われてしまった」
佐藤がやった犯罪の数々と、それぞれの年度の特徴 安倍晋三が死刑となった理由
平成23年以前 何かやりたくてもできなかったので問題がなかった
平成24年 2ちゃんねるに村田に書かせて事件を作って捕まえて拉致した
24年2月 山田に会わせた
27日 確定 ← これがただの裁判官の独り言であることを言わなかった
26年4月24日 満期出所 ~9月24日 まで様々な嫌がらせをしていた。
9月25日~
27年1月19日 FF9で遊ばせていた。
28年4月 晴生にインターネットを解禁させた。
11月 数検1級に落とした。
1月27日 宮崎旅行の際に裁判所に文句を言ったり、宮崎刑務所に行ったためにインフルエンザにりかんさせた。
3月29日 法学部で顔合わせをさせた。
5月 児島の塾を手伝わせるようにした。
中略
6月16日 〃
7月4日 杉浦真理子の診断を受けさせる。
平成30年11月6日 206号室の篠原にベランダで滅茶苦茶言わせた。
令和元年5月1日~12月31日 あまりにも寒い時期だったので特に何もしていなかったがシェアハウス内で意図的にもめごとを起こさせていた。以下に特記すべき事件を挙げる
令和元年7月26日 クンニが即時抗告に対して理由がないものと思料するという意見を述べる。法学部で卒業証明書の発行を受ける。
令和元年11月12日 高野伸による何も意味のない二次審査の開催。
令和元年11月19日 60500円でシェアハウスの掃除をする。富澤が勝手に掃除をするなと切れる。
令和元年12月 宮脇に電話をさせて、96800円を返還してもらうと言った。
令和2年6月10日 屋上で歌を歌っていた時に志村署の井上が、コウボウだかんなといってどついた。
令和2年7月 ネットライドキャッシュで39万円をもっていった
令和2年10月6日 荒川河川敷で後ろから村田が出てきて警棒で殴った
令和3年4月22日 大けがをさせた
令和3年8月4日 14階に殴らせた
令和4年2月28日 富澤にシェアハウスを閉鎖させた
令和4年11月29日 延岡警察署で強制保護をする。 同時期に、 宮台真司氏がめった刺しにされる事件を起こす。
令和5年1月19日~4月30日 手が出せなかった
オタクこそ学校いってたほうがよくないか、どうせ社会じゃ俺たちみたいなコミュ障のチー牛居場所ないんだから
ソシャゲ攻略すんのに二次関数とか連立方程式とか使ってたし、大昔の風景画とか意外とイラストの色調の参考になるから美術の教科書はかなり使ってたし、ていうか化石のクラシックの時代に作られた楽典とか音階が今でも現役なのすごくね?あとバカだから自分ひとりじゃラノベしか読めないけど現代文の授業では先生が小説とか古文とかの意味だの元ネタだの全部教えてくれるから最高だったし、友達はいなかったけど楽しかった
名誉毀損訴訟の被害者です。「ある種の弁護士」にやられました。
法律相センの嘱託弁護士だと思わせられ着手金50万取られ、自動車事故原因者への介入連絡されない、罵声の面談受ける、辞任されて原本資料返されない。
懲戒請求するとほぼ誹謗中傷のみの主張書面が送られてくる、単独の綱紀委員長の連絡書も同じ。他の手続を失念させて時効にする目的だったらしく、増田が被害者請求をしたら消えた。つまり文書応酬終わり、無懲戒決定。
それで簡裁に着手金返せ裁判を起こしたら反訴されて地裁送り。ツイッターに事実や感想を書きました。それとは明確には書かずに弁護士登録番号の数字はツイートした。似せ契約書などは名前伏せてアップ。
裁判所は弁護士登録番号らしき数字で個人が特定できるとして益田に賠償命令を命じた(東京地裁h23ワ17843)。控訴上告棄却。2万円敗訴確定。高裁の定年裁判官、弁護士事務所に天下りして保身。裁判記録は5年のみ保管。敗訴額は請求こないまま10年たった。
さすがにNHK取材を受けることはできましたがボツ。なんで?上の裁判1審担当は、NHK受信料判事だった。何をか言わんや。
当時ヤフーブログに法曹非難コミュ的なものがあったが、同サービスは終了し、今はちらばっている。
それから、自動車事故原因者から債務不存在確認訴訟が来た。ひき逃げも幅寄せも嘘報告もしてない、という旨を主張してくる。これもNHK担当裁判官(かつ最高裁指名単独判事補)。
むしろ、NHK受信料裁判は、裁判所がNに利益を与えて報道の監視を逃れようとしているアレかな。
と、こうした二次三次被害があると弁護士はまず依頼できません。事故原因者が債務不存在確認訴訟する時点で変だね。裁判所と保険会社が裏で糸引いてるかな。
不採用だった。全力は尽くしたが、致し方ないと思った。約一週間後、mixi日記でキャプテン君が住友商事の内定を取ったことがわかった。第一志望だったので、そこに行くらしい。その日記には、いろいろと別世界のことが書いてあった。
・去年の秋、大学に五大商社の人が来て、体育会の部活に挨拶に来た。その時に一緒に食事をして、「ぜひ弊社に!!」とスカウトを受けた(五社中の三社)。
・ほかに受けた化学メーカー(東レ)の最終面接では、「御社は第二志望です。住友商事が第一志望です。そこに落ちたら弊社にお世話になります」とはっきり宣言したうえで内定を獲得。
・三菱商事も、三井物産も、伊藤忠商事も、選考を途中で辞退。自分とは合っていないと感じたため。
この時ほど、人間力というものの差を実感したことはない。アイツはすごかった。俺とはレベルが違う。俺はサッカーしか頑張ってこなかったけど、あいつはサッカーだけじゃなくって、受験勉強だって、人間関係の構築だって頑張れる人だった。
いやアイツは、どんなことにも本気で取り組むことができる。それでいて人間が好きだ。そういうエリートなのだ。当時も今も、俺はキャプテン君が羨ましい。俺もそんな人間になりたかった。なれなかった。
もし、今どこかでキャプテン君が俺の増田日記を観ていたとしたら、匿名でいいからコメントがほしい。誰だとわからないように隠してくれて構わない。
今では俺は、こんなに落ちぶれてしまった。正社員じゃないし、年間収入だって今のキャプテン君の五分の一に満たないだろう。クビになる可能性だってある。毎年、戦々恐々だ。
今でもサッカーが好きだ。自室の中にはサッカーゴールが置いてあるし、今でも試しにそれを蹴ってみることがある。部屋の壁にぶつけないよう、慎重に、慎重に蹴っている。たまに飛び出してしまうこともあるけど。
キャプテン君はどうだろうか。今でもサッカーをやっているのだろうか。とにかく今は、二十年前の思い出が懐かしくて、愛おしい。涙が止まらない。
第一志望の企業を不採用になった後は、坂道を転がるみたいだった。入りたい会社を受けども受けども、内定は得られない。二次面接までは行くのだが、そこではなんというか、明らかにやる気みたいなのが足りてなかった。
春を過ぎた頃だったか。同じ京都にあるITベンチャーを受けに行った。詳しい時期はもう覚えてない。はっきり言ってしまうが、㈱はてなだった。実は大学生の頃からはてなユーザーだったりする。
俺と同じ大学出身の人が面接をしてくれて、縁を感じた。エントリーシートも筆記試験も一次面接も、特に問題なく進んだけど、二次面接で一気に苦しくなった。
志望動機とか、会社を将来どうしたいとか、自分が将来どうなりたいとか、そういうことを喋れなかった。しどろもどろだった。どう考えてもこれは落ちた――そう思った。
相手の面接官は、「自分が入りたい会社というのはね、自分が将来どんなキャリアを描きたいのか、どんな人間になりたいのか、そういうところから逆算して決めていくんですよ」「今のままだと、増田くん、僕らの仲間になれないよ。ほかの会社だって難しいんじゃないかな」「もっと、ゆっくり立ち止まって考え直そう。増田君がどの会社に行くとか関係ない。真剣に考えて」と、人生のアドバイスまでしてくれた。
後日、大学のパソコンにログインすると、二次面接の結果通知がきていた。『合格』だった。次の選考に進めるらしい。これが最後通牒だと思った。「次でなんとかしろ」。そういうメッセージだった。
結局、俺はダメだった。はてなは辞退したし、ほかの選考が続いていた会社も悉く落ちて、ようやく内定を得られたのは夏の終わりだった。烏丸御池の辺りにある小さい広告会社だった。※今は別の場所に引っ越している。
この頃には、千亜子ともあまり会わなくなっていた。就活期間中は、お互いに忙しいから会えなくて当然なんだけど、まさか俺のせいでここまで会えなくなるとは。
千亜子は、その年の初めから一気呵成に就活に励んでいた。それで、俺より四か月も早く内定を決めていた。千亜子がスチュワーデス(CAのこと。当時は呼び方の過渡期だった)に内定したと聞いて、やはり只者じゃないなと感じた。劣等感だった。
この頃の自分というのは、なんかもう、劣等感がすごかった。就職活動でサッカーはできないわ、千亜子には会えないわ、勉強だって最後の単位を取り終えるあたりで躓いていた。
フツーの人生だったけど、それなりに成果を得てきたつもりだった。持ってる側のつもりだった。でも、俺はダメだった。今でいう抑うつみたいな状態になっていた。
秋になると千亜子と会うようになっていたのだが、よそよそしくなっていた。俺が内定した会社を告げると、「あー、よかったね。一緒に東京行けないのは残念」と言っていた。
もうすぐ最後のインカレという時期だった。ある日のアルバイト帰り、千亜子とキャプテン君が働いている河原町通りの飲食店の近くを通ると、千亜子がいた。ほかの大学生数人と一緒だった。私服だったし、おそらく飲み会帰りだろう。
店の近くまで行ったところで、自動ドアが開いた。すると千亜子が中に入って行って、上の階へと小階段を昇ろうとする男子学生(※キャプテン君ではない)の背中を掴んで、ぐいっと引きずり降ろしていた。
ちょっと驚いたけど、別に険悪な雰囲気でもなかった。それで、何やら彼と顔を近づけて話を始めた。この後の段取りとかを話してたんだろうか。俺のすぐ傍にいたほかのアルバイト友達と思しき学生が、こんなやり取りをしていた。
「そういえばキャプテンさん、最近千亜子さんにアタックしてる」
「二人とも一流企業だし。似合ってると思う」
こんな話をしていた。※当時の日記に書いてあった。
惨めな気分だった。俺が千亜子と釣り合ってないのは確かだ。内定した会社のランクが違うから。俺は就職活動に失敗した。インカレだってスタメンに選ばれなかったし、アルバイト先でも俺よりすごいやつは何人もいる。
人生で、ここまで負けまくるのは初めてだった。「畜生」と思ったけど、当時の俺にはどうにもできない。
千亜子にフラれたのは、新年が明けてすぐだった。大学のカフェテリアで、夕方に一緒にコーヒー飲んでる時に、「卒業するし、そろそろ終わりにしない? いい人、いるんでしょ。知ってる」と言われた。
今日、そんな予感はしていた。サッカーの試合勘みたいなもので、雰囲気でなんとなくわかる。今年の初詣は千亜子の予定が合わずにダメだった。おそらくキャプテン君と一緒に行っていたのだろう。
当時、『いい人』はいなかったけど、「そうしよう。お幸せに」って言ったら、「お互い、これからの人生でいい思い出にしていこうね」と千亜子が言った。
当時の日記には、そんなことが書いてあった。記憶や言葉をごまかしてはいないはずだ。当時の俺は、そこまで弱い人間ではない。40を過ぎて今それを読んでいる。やはり涙が止まらない。
これで結びになる。
就職してからの俺は、うまくいかなかった。仕事の才能は平凡のようだった。しかし、大学時代の失敗を引きずっていたせいで使えない人間だった。「あんた、サッカーすごかったんやないん?」みたいなことは何度も言われた。また、同じ会社で「学生サッカー選手権で活躍するところを観た」という同年代の社員もいた。
確かにそうだったかもしれないが、最後に出たインカレだって、負けかけの試合で後半でお情けで出してもらったくらいで、別に凄いわけでもない。アルバイトだって、ずっと居酒屋で頑張っていて、そこで最後に新しい彼女作れるかなって頑張ったけど、五人以上にアタックして全く相手にされなかった。素の自分というのは、モテる方ではなかった。ちょっとサッカーができるくらいで女にモテようなんて傲慢だった。
そんなこんなで、気持ちが沈んだまま新年度の四月を迎えたのだ。でもって、実社会で通用するはずもなく、新卒で入った広告会社は二年で辞めて、後はずっと契約社員とか派遣社員だ。
キャプテン君と千亜子は、俺が広告会社を辞める頃に結婚した。mixiの日記を読んだけど、それはもう凄い結婚式だったらしい。総合商社勤めだけあって、マイミクだったら無条件に結婚式招待OK!! という宣伝をしていた。会場までは知らないが、きっと東京都内のオシャレな会場だったに違いない。
俺は行かなかった。お金がないのもあるが、なんかもう、人生が面倒くさかった。
不惑になった今でも、当時の俺の何が悪かったんだろうと振り返ってる。昨年末も、実家にあった段ボール箱を引っ張り出して、当時の日記を読んだ。大学二回生から付けている日記を、半日かけて読んでいったのだ。この増田日記のベースになってる。
俺の何が悪かったのか? 三点にまとめると、次のようなところか。よくない行動のハットトリックみたいだ。
・就活で失敗した程度で凹んだのはおかしい。どんな会社に入ろうと未来はあった。
・どんな自分でも自分自身なんだって気が付いてなかった。失敗したって、自分という人間の価値が下がるわけじゃない。むしろ、失敗前の自分<失敗後の自分だ。それがわかっていれば卑屈になることもなかった。俺は挑戦したのだ!! そんなメンタルだから、就活もサッカーも恋愛もうまくいかなかった。
・サッカーができるくらいで調子に乗っていたこと。どれだけサッカーができようが、それは実社会で必要とされる力の一部分にすぎない。大事なことはもっとある。
・もっと自分を認めること。生きているだけでもすごいんだと、自分を褒めてやりたかった。人間にはみんな価値があるのだ。
いや、四つあるんかーーーーい!! と、大学時代の俺だったら、陣内智則みたいにツッコミを入れていただろう。今はそんな気力もない。
あの頃に戻れたら、とは思わない。いや、本当は戻ってみたいけど、それは間違いだ。これまで負け犬なりに努力してきた自分を否定したことになる。過去の自分を裏切ってる。だからダメだ。
今の俺は、あの時よりも成長してる。だったら、もっと成長できる!! もっと頑張ったら、幸せになる未来があるのかもしれない。結婚はできそうにないけどな。
ここまで読んでくれた人、ありがとう。何人読んでるかはわかんないけど。
気持ちの整理をつけることができた。また来週からは、しみじみと社会人生活をやっていきたい。
どうすれば幸せになれるんだろうかと考えて、ひとまず、今年の春から地元の草サッカークラブに入ってみた。自分自身が練習してるのもあるけど、子ども達に教えることもある。
ひとまずは、こんなところでいいのだろうか。まあ、ゆっくりやってみよう。幸せでありたい。増田やブックマーカーのみんなも幸せにな。
大学四年になる頃、就職活動が本格化した。当時は就職氷河期で厳しい状況だった。講義もレポートもあるし、当然サッカーだってやらないといけない。居酒屋(どんがま、というお店一本になっていた。今はもうない)でのアルバイトは週二に減らした。
当時は、三年の秋から企業説明会が始まって、四年の春以降に面接スタートというのが一般的だった。俺が行きたいと思っていたのは総合商社だった。説明会に行ってみて、とある商社に惹かれたのだ。ほかの総合商社に比べて「オレがやってやるぞ!!」みたいな社員の人が多かった。
三菱商事は、政府の高官みたいなキャラの人が多くて、三井物産はスマートなイケメンキャラが多かった。伊藤忠商事は、頭を鈍器で殴られても生きていそうな人が多かった(生命力があるという意味)。そんな記憶がある。
その春までには、俺とキャプテン君はmixi上でマイミクになっていた。お互いの日記にコメントをした繋がりがあって、サッカー友達ということで俺から申請をしたっけ。いや、もう正直覚えてないけど。とにかく、俺とキャプテン君はmixiで友達になった。
キャプテン君のmixi日記はすごかった。俺も、彼もサッカーのことを綴った日記が多かったが、彼の場合はなんというか、思考のレベルが違った。普通に大学サッカーをやってるヤツが、一生懸命サッカーのことを考えているのだとしたら、彼の場合はもっとずっと、『上の視点』からサッカーそのものを見詰めていた。
例えば、同志社大学のサッカー部は、今でも大学単位のブログを更新し続けている。各選手が自分の生活やサッカーに関する考えを書き綴っていく。
ここにある後輩達の日記は、読む価値がある。若いながらも自分なりに考えて学生生活を過ごしている。
当時のキャプテン君のmixi日記は、この内容をはるかに上回っていた。日記そのものは、すでにこの世にデータはないが、当時の俺個人の日記に断片的なメモがある。
当時、キャプテン君はこんなことを日記に書いていた。ほぼサッカーのことだ。本当は繋がりのある文章なのだが、断片化しているので意図がわかりにくいかもしれない。
・集団というものは常に問題に直面してる。人が寄っている以上は必ず争いが生まれる。価値観の違いとか、追求する目標の度合いとか、相手への要求の基準とか、争いの種は無数にある。それでも同じ集団として、組織として「仲間」を自称して日々共に暮らしている。
・自分らは、全員で一丸となって目標に邁進するために集まったはず。でも、いつからか、別の方向を向いている人たちをひとつの目標に進ませることに奔走してる。組織とは難しい。
・組織には、絶対に衝突や背信が生まれる。リーダーには、それをまとめる人間としての自覚がいる。自分がやらなければならないという責任感が。自分には実力が足りないといって何もしないのは卑怯だ。逃げだ。後輩には、早くこのことに気付いてほしい。
・理想を語って、現実に不平不満をこぼし続けるのは簡単。問題を黙って見過ごすのも楽だけど、人間が腐っていく。
・オレは現状を変えたいと思った。現状を変えるにはかなりの労力がいる。俺はあの時、みんなに不快なことを言ったけど、妥協してほしくないからあえて言った。
・言いたいことを言い合えない集団に未来はないんやで。お互いに機嫌を伺って本音を出せないとしたら、自分らの関係は友人ですらない。本当の仲間って、暑苦しくて、うっとうしくて、そして清々しい。
・ぶつかっても、嫌われてもかまわない。まだ間にあう。オレ達はここからが勝負だ。残された時間を考えると、今は悩みながらでも正しいと信じることを貫くしかないよな!
ぶつかっても、嫌われてもかまわない。何年か経った時に俺の伝えたかった真意を理解してくれれば、それはそれで素晴らしい。
・愚直にやることは本当に重要やで。ひたむきにやらない人間に付いていく気にはなれん。
・結果を出すことは、集団をまとめるための必要条件であっても、十分条件にはならん。サッカーの試合に出れない人の方が多いんやし、俺達のチーム!!って愛情をみんなが持てるチーム作りをしないと。勝って喜んでいるのはレギュラーだけってことにもなりかねない。今の俺には難しい。
・好む好まざるに関わらず、人には立場が与えられ、それに見合った働きが要求される。自分には難しい、できないかもしれないと言ってるヒマがあるなら必死に勉強しなきゃいけないし、責任を負える人間にならんとな。
・今のチームには、勝ちたいという執念を見せるヤツや、自分を演じてでもチームのために尽くそうとする人間が少なすぎる。たしかに個人個人は頑張ってるけど、みんなそこ止まりなんよな。他人に対して意見を言おうとせん。勝ちたいなら叫ばなきゃいけない場面もあるのに。だから俺は三年に怒ったんや。なに自分のことだけ頑張ってんねんと。自分らの代やったらそれ相応に振る舞えと。
・他人に言及することは、自分へのハードルも上げることにもなる。言ったからには自分もやらなきゃいけない。そんな風に、自分を追い込んで成長していかんと。
・時には集団のために自分を演じる必要がある。嫌われ役でも買ってでよう。自分を大事にしすぎるあまり、みんな守りに入ってもうてる気がする。
・自分のことだけに集中して動くのは本当に楽。でも、それなら今の場所にいる意味はないからね。引退までに、俺らの4年間を後輩に叩き込もうと思う。そうやってチームの魂は引き継がれていくものなんやで。
上の日記は、なんJ民が書いたものではない。日記を書いたのは、当時21歳の大学生だ。一般的な学生とはレベルが違う。社会人の域に達している。キャプテン君が反則で退場処分になったサッカーの試合を見た時は只者じゃないと思ったが、ここまでとは思わなかった。
実際、彼はいい奴だった。対面で話したことは数回しかないけど、でも確実にいい奴だった。熱い闘志が漲っていて、爽やかな笑顔が眩しい。それでいて面白いことも言える。ずるい。
就職活動に話を戻す。必死でエントリーシートを磨いて、SPIの勉強をして、面接対策をして、総合商社の一次試験を突破した。二次試験のグループ面接も通って、いよいよ三次になった。
会場は、晴海トリトンスクエアという海が綺麗な高層ビルだった。会場には、当たり前のようにキャプテン君がいた。緊張している様子だったから、声はかけなかった。かと思えば、ほかの志望者と一緒に雑談をしていて、さすがだなと感じた。
面接試験の部屋の前で待っていると、自分の前に終わった人が出てきて、「頑張ってください」って言われた。「ありがとうございます」と返して部屋の前に立った。
肝心の面接試験は、一応やりきることができた。子どもの頃からやっていたサッカーのアピールもできたし、面接官二名もサッカーをしていたことがあったらしい。「インカレにスタメンで出ました」と言ったら、「おー、うまいんだね!!」と言われた。
面接全体だと、簡単な質問もあったし難しい質問もあった。覚えてる限りだと、
□卒業までをどう過ごしたい
□総合商社で叶えたいことは何か
□弊社の弱点を教えて
こんなところか。ゆっくり落ち着いて答えていった。こういう時、サッカーをやっていてよかった。緊張はするけど、それが心地いい。失敗してもいい、飛び込んでもいいやって思えた。よい意味で、周りが見えなくなる。
時間というものの退屈さを感じない。これは採用試験なのだという不安も忘れて、不採用がありうるという事実すら忘れてしまって、どんな恐れすらも感じなくなる。面接、という世界に全身全霊で移り棲んでしまったからだ。
面接が終わった後は、さっきの自分と同じく、面接試験の部屋の前で待っている人がいた。俺は、ちょっと迷ったけど、「頑張ってください」って言った。その人は、「ありがとう。行ってきます」と返して面接室の前に移動した。
それから、普通に社屋を出て、ちょっとその辺でご飯を食べて、夜行バスが来るまで街を歩き回って、バスが来る頃にはすっかり疲れ果てていた。
続き
こういうことを言うと警察の肩を持ってるみたいなヒステリックな陰謀論者に叩かれそうだがよく考えてほしい。
当該事件の警察の担当者、要は調書を取るレベルの捜査官なんて本当に数人しかいない。
入れ代わり立ち代わり登板で何十人もの取調官がやってることなんざあり得ない。
国民が注目してる事件だけにただの無理心中ではない警視庁でもトップの集団が慎重に情報も管理している。
そんなエリート集団が芸能マスコミごときに数万から数十万程度で情報を売るだろうか?
まあどの組織でも不良人員が居たとして万が一捜査情報を流したら?秒で特定されて懲戒処分だろう。
マスコミとズブズブで情報交換してるんじゃないの?っていうのもちょっとフィクションの観過ぎである。
よく政治家の汚職事件なんかで検察と新聞社が情報を交換しあってるなんて話はある。
ただこういうのも昔の捜査トップが絶大な権力を持っていたごく一部の例だろう。
そもそもマスコミにメリットはあっても警察側にメリットが薄すぎる。
このコンプライアンスやらに厳しい世の中でそんな情報取引が他のメディアに報道されたりしたらどんなエリート捜査官でもクビが飛ぶだけではすまない。
お硬い上の組織がオーケー出すはずもないし何十人の部下、ライバルである同僚のうち一人でも、そのマスコミとスタンドプレー決めた上司を嫌いな人間がいたらライバルメディアに告発されれば終わりである。
要はもっと警察組織が絶大な権力を持ってスタンドプレーが許された昔の時代でしかまずあり得ない。
まあ現代でも相当なカリスマ的な捜査官がいて上も下も掌握しきってるとか、よほど警察組織とメディアの利害が一致しているならあり得なくもないが、
今回のような芸能やらスポーツ新聞を賑やかすような三面記事で乱発されるようなことではない。
じゃあ今回の猿之助の「両親に薬を飲ませてビニール袋被せた」なんてどうやってかけるんだよ!メディアはエスパーか?
って話なんだけどなんのことはない。こういうのは捜査担当者以外の関係者たちが喋ってる場合が99%である。
誰かって言うと現場に行ったマネージャー、救急隊員、一報を受けて駆けつけた警備会社の社員や近所の警察官(警官じゃねーかって話もあるが報道されているような取り調べに当たった捜査官ではない)、担ぎ込まれた病院で問診した医師、看護師などなど。
これぐらいの事件ならまあ一次的に情報に当たる人だけで数十人いる。
そして二次的にビニール袋云々程度の情報ならこの数倍の人間に共有される。
病院関係者はもちろん、芸能事務所も対応に追われるし対策を話し合うために人数は絞るとはいえ決めることは決めなければならないのでそれなりの人数に情報が共有され検討される。
結果100人、もっというと数百人程度は知っている話なのである。
これだけの人数で誰一人情報の漏洩がないっていうのはまあ無理な話である。
「警察とか医療関係者っていう守秘義務がどーのこー!」ってキレたところで芸能事務所やら警備会社やら病院の関係者なんかは特別高い職業倫理感を持ってる人ばかりではない。
ふつーの務め人でありたいしてお給料があるわけでもない。
それは喋っちゃうのである。マスコミではなくても周りに。家族や本当の仲のいい友達なんかもあるだろう。
こんだけの大事件だ。話題に上がったら「実はさ…」なんてなるのが人情ってもんである。
そうなったらもう分かるね?マスコミが知ることになるのは時間の問題である。
文春やらフラッシュが三面記事の捜査関係者の談話って書いてるのはほぼ間違いなくこういう関係者の話を少し裏取りしたものだ。
裏とりは簡単だ。こういう何百人いる関係者に「ビニール袋被せたんですよね?」って聞けば頷く。
自分が漏らしたわけじゃなくメディアが最初から知ってたんだから。
最後にマスコミがなんで捜査担当者って嘘書くかと言うとそっちのほうがそれっぽいからである。
それでなくても取材源の秘匿ってのは週刊誌レベルでも最優先の事項でありそれを無視した原稿は校正の段階ではじかれる。
芸能事務所の電話番のパートさんの家族から情報を得て裏とりをした場合でもその人を特定されるようなことは絶対に書かない。
なんならそこだけフェイクを入れたい。別にビニール袋云々が正しければその部分は誰でもいいのだ。
というわけで一番説得力が増し、読者が納得し、なおかつ反論をしてこない「捜査関係者によると」が乱発されるのだ。
「マスコミがそんな気を使うかよ。テレビで雑に人の入れ違いとかしてるじゃん」とか言われそうだが、
それは昨今のテレビ業界が金がなさすぎて制作会社に丸投げで無能で全くスキルも何もない素人のスタッフが取材も裏とりもチェックもしてるからである。
別に文春やらフラッシュを持ち上げる気はさらさらないが活字メディアの叩かれやすい週刊誌のデスクがそんなことはしない。
スポンサーは気にしないかわりに訴訟リスクは常に抱えてるし実際に訴訟されている。
そしてテレビみたいにありネタじゃなく常に新ネタで勝負する関係上、リークする側に「文春とかに漏らしたら酷い目に合う」なんて思われたらもう食っていけないのだ。
読者や広告主に嫌われても情報提供者は守る。それが週刊誌の生きる道である。
よくマスコミと一括りにされるが活字とテレビで気を使うポイントがまるで違う。畑が違うんです。
1.三 ポンティアック
2.二 リトル・タートル
3.捕 テカムセ
4.遊 オセオラ
8.右 ジョゼフ酋長
五大湖周辺のオタワ族の酋長。元々フランス人と交易を通じ友好な関係を築いていた。しかし、フレンチインディアン戦争でイギリスが勝利すると、情勢は変化する。フランスに変わり台頭したイギリス人は次々に入植し土地を奪う、一方的に交易を制限するなどの横暴に出る。これに脅威を感じたポンティアックはオジブワ族、ポタワトミ族などの諸部族と提携し、イギリスの一斉攻勢をしかける(ポンティアック戦争1763)。イギリス人の完全追放という目的には失敗したものの、大打撃を受けたイギリスは広大なインディアン保護区を制定するなどの大幅な妥協を強いられた。
・リトル・タートル
北東部のマイアミ族の酋長。アメリカ独立戦争ではイギリスと同盟し、フランス軍のオーギュスタン・ド・ラ=バルム大佐を戦死させるなど活躍した。戦後オタワ族、ショーニー族、レナペ族などと共に北西インディアン同盟を結成。イギリスとも結託し、北西インディアン戦争(1785~95)を戦った。1790年ハーマー作戦では250名以上の米兵を戦死させる戦果を挙げ、更に翌年ウォバッシュ川の戦いでは包囲奇襲により米軍の死者600名以上、インディアンの死者20名程度という大勝利を収めた。これはインディアン戦争で最大の勝利である。しかし、フォールンティンバーズの戦いで破れ、イギリスに見捨てられたため降伏、広大な土地を割譲することになった。
・テカムセ
北東部のショーニー族の戦士。北西インディアン戦争でショーニー族は敗れたショーニー族は抵抗の意志を失っていた。しかし、テカムセは弟の預言者テンスクワタワと共に白人への抵抗運動を再開する。土地を守るために全インディアンの団結が必要であると考えた彼は各地を訪問し、インディアン諸部族に連携を呼びかけた。1811年ティッペカヌーの戦いで米軍に敗れたが、その後も抵抗を諦めず、米英戦争ではイギリスと組んで米軍と戦う。デトロイドの戦いで勝利、メイグス砦包囲戦では攻略には失敗するも大損害を与えた。しかし、1813年テムズの戦いで戦死し、彼の壮大な夢は実現することなく幕を閉じた。
・オセオラ
フロリダ半島のセミノール族の戦士。アメリカはフロリダからセミノール族を追放しようと3渡に渡る侵略戦争を仕掛ける。オセオラが活躍したのはその中でも最大規模の第二次セミノール戦争(1835~42)である。彼の指揮する巧みなゲリラ戦に苦しめられた米軍は37年和平交渉の最中にオセオラを捕らえ獄死させた。しかし、セミノール族の怒りは収らず戦争は続いた。第三次セミノール戦争でも米軍は苦戦した。セミノール族の一部はフロリダの奥地エバーグレイズに立て籠もり続け、現在に至るまで降伏していない。そのためセミノール戦争は「インディアンのベトナム戦争」と呼ばれ、フロリダセミノールは征服されざる人々を自称する。
グレートプレーンズのラコタ・スー族オグララの酋長。モンタナ州で鉱山が発掘されると、アメリカはララミー砦から鉱山に至る道路の建設を企む。これに反発したレッド・クラウドはシャイアン族、アラパホ族と連携し、レッドクラウド戦争(1866~68)を戦う。途中のフェッターマン虐殺では陽動に乗せられたウィリアム・フェッターマン大尉指揮下の米軍80名が完全包囲され全滅した。米軍は道路建設を諦め、ララミー砦を放棄したため、レッド・クラウドは唯一アメリカに勝利した偉大なインディアンとして賞賛されることになった。しかし、米軍の強さを実感した彼はそれ以後白人と戦わなくなり、晩年はキリスト教に改宗し居留地に入った。
シッティング・ブルはラコタ・スー族ハンクパパ、クレイジー・ホースはオグララの戦士。本来ならば別個に扱うべきだが、打線に収りきらないのでやむを得ず同じポジションに収めた。二人はレッドクラウド戦争でも活躍し、その知略と武勇を称えられた。その後インディアンの聖地ブラック・ヒルズで鉱産資源が発掘されると、聖地を巡りブラックヒルズ戦争(1876~77)が勃発,ラコタ・スー族は再度シャイアン、アラパホ族と共に戦うことになる。76年リトル・ビッグホーンの戦いではジョージ・カスター大佐指揮下の騎兵連隊250名が完全包囲され全滅した。そのため、シッティング・ブルとクレイジー・ホースの二人は偉大な戦士としてインディアンから賞賛され、白人からは恐れ憎まれるることとなる。しかし、米軍の容赦ない猛攻と兵糧攻めの前にインディアンは敗北、クレイジーホースは捕らえられ刺殺された。シッティングブルはカナダに亡命し、帰国後無実の罪で逮捕されそうになり抵抗したため射殺された。
カリフォルニア溶岩地帯のモードック族の酋長。モードック族は故郷から追放されるが、キャプテンジャックと数十名の戦士はこれに反発し居留地を脱出した。彼らは複雑な地形を利用したゲリラ戦で10倍近い戦力の米軍を1年近く苦戦させた。手を焼いた米軍は和平交渉のためにエドワード・キャンビー少将を派遣するが、交渉が決裂し殺害されたため、インディアン戦争で唯一米軍の将軍が戦死した戦争となった。白人の猛攻の前に降伏したキャプテンジャックは将軍殺しの罪で処刑され遺体は見世物にされた。
・ジョゼフ酋長
アイダホ高原部のネズパース族の酋長。平和主義者であった彼はキリスト教に改宗するなど白人に対して従順であったが、居留地入りを命じられるとこれに反発、部族を率いてカナダへの亡命を目指した逃避行に出る。彼らは兵力と装備で圧倒する米軍の追撃を巧みにかわし続け、遭遇した際にも返り討ちにしたため、白人はジョゼフ酋長を赤いナポレオンと賞賛した。しかし、2000kmにも及ぶ逃避行の末に目的地直前で米軍に敗れ降伏した。故郷を追われ仲間を失った彼は傷心で没することになった
アメリカ南西部国境地帯チリカワ・アパッチ族の戦士。家族を殺された報復にメキシコ軍との戦いに身を投じ武名をはせた。ジェロニモの名は銃弾の雨を無視して襲い来る彼に恐れをなしたメキシコ兵が聖者ヒエロニムスに助けを求めたことが由来である。一旦米軍に降伏し、保留地に入るも、1874年に脱出し、96年に降伏するまで戦い続けた。ゲリラ戦の名手であった彼は米軍を苦戦させ続け、捕らえられても何度も脱出を繰り返した。彼の降伏によりインディアンの大規模な抵抗は終焉を迎えた。彼は見世物にされるなどの屈辱を受けながら虜囚のまま没した。
二次元の女性キャラの描かれ方が現実の女性に偏見を齎す形で悪影響を及ぼしたり、現実の女性への認識を歪ませるという批判が何度も繰り返されている
そして実際に悪影響を及ぼしたり、認識を歪ませる人々も多々いる
だが個人的にはオタクがイライラするのもわかる、わかるけれど、事実をない事にした上で敵を間違えるのは駄目だろう
ではまずその敵とは何か? 対人性愛中心主義的な社会だ! 対人性愛とは現実の人間に対して恋愛や性交渉を行う、あるいはそういう願望を持つ事で社会はそれを中心にまわっている
そして二次元でしかそれを抱けない人々は非対人性愛である、しかし非対人性愛はまるで夢や幻のように、つまりいないものとして扱われがちだ
非対人性愛者は実際にいるし、対人性愛者ではないから二次元の女性キャラへの性的欲求やイメージを現実の女性に押し付ける事もしない、だから爆乳キャラやロリキャラでいくらシコりたおそうが差別の再生産や反映は行わない
では二次元から影響受けちゃう奴らは何者なのか?二次元への興奮は単なる代替品に過ぎないと思ってるインセル型対人性愛者だ
つまり現実の女性とオタクを苦しめているのは対人性愛中心主義と、それに甘んじている対人性愛者だ
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ここまで言っといてなんだけど、まあオタクはそうはしないだろう
オタクの大多数はコスプレイヤーや声優、AVでエッッッッッってやってるだろうし、現実の女性への憎悪が趣味になってるんだろうから