はてなキーワード: 表現規制とは
絵にもテキストにも一切描いてないことを、何なら作者が否定していることを読み取る表現規制派が存在することはおそらくこの話題に興味ある人達は認知していると思うけど、表現規制派はこの超解釈能力者をどうにかしようっていう気にはならないのだろうか?
いやだって表現規制とか言論弾圧とかそういうレベルじゃなく、表現していないことを表現していると主張して規制しようとしてるわけだぞ?
あんまりこういうことを言いたくないけど、そういう心の障害を抱えているんですか?と言わざる得ないでしょ存在しないものが見えてるんだから。
百歩譲って表現規制派へ理があると仮定しても、なぜそのような存在しないものを見ている人たちと協調して動けるのか一切理解できない。
疑わしきは罰せずなんて言うけれど、疑わしいどころか表現すらしてないことで罰しようとしてるわけで、そんな連中が味方であって良いの?どう考えても表現規制運動の足引っ張ってて、表現規制派の信用を失わせることにしかならないはず。
例えば先日、増田に赤松健擁護のエントリが作成されていたけど、ココに付いてるブコメにびっくりだよ。
くりした善行氏「私が来た!」。ああ、赤松氏支持の方々って本人同様「自民党に非ずんば人に非ず」って思ってるクチ??
https://b.hatena.ne.jp/entry/4719697204022343714/comment/rosaline
元増田そんなこと一切書いて無いよね?えっマジで何処からそんなことを読み取ったの?
ほかのブコメにそういうこと言ったやつ居たのか?と思って確認しても居ないし、この人は一体どこからそんな情報を読み取ったんだ?
本人同様って何???ちょっと・・・いやちょっとじゃないな、このエントリに付けるブコメとしては明らかにおかしすぎるだろ。一体何が見えてるんだ・・・。
「これも表現の自由だろ?優しく許してやれよ。自分にもこのブコメ意味不明だが当人にしかわからない苦労が色々あるんだろ」って言われたら何も返せなくなってしまうんだけどさ、世の中広いよねぇ・・・。
そして表現規制はんたーいとか言ってる赤松は、風俗店みたいな看板の事務所でふんぞり返って、幸福の科学の圧力で漫画の連載が打ち切られてもガン無視、インボイスもガン無視、鬼滅のような大ヒットしたコンテンツだけにお金をあげたらアニメーターが豊かになるぞ!とか言い出すしな。
そんな事は大体の人が知っているんだよ…
「社会的合意で児童ポルノ(アニメ、漫画等)をガンガン潰して商売として成り立たない様にしましょう!」とかいう過激派まで
結局お前ら表現規制戦士じゃねーか!!って言われてるだけじゃん。
正直、共産党が、ラディカルフェミニスト一派と連携して、彼女ら彼らにとって「都合の悪い、不愉快な」表現を規制するのに賛成派に回るとは思ってなかったよ。
がっかりだ。
むしろ表現規制の親玉を「ローゼン麻生」とか言って崇めてたからな。
そして下野していた自民党が新たな票田としてオタクを利用することを思いついた。
なにがどう転ぶかわからんもんだね。
児童ポルノ法改正案のときや非実在青少年条例のときに反表現規制で戦ってくれてた政治家は共産社民民主あたりに多かったけど、オタクはミソジニーネトウヨ多かったからそのへんの政治家は歴史捏造して叩き回しちゃったからなぁ…。
しかも規制されず守られてやった事は、エロをゾーニングせず公共の場に持ってきて、嫌がる人たち相手に法規制されてませんがー規制されない限りやり放題やりますがー?って粘着嫌がらせだし。
まあ、事実としてフェミニスト系の団体が表現規制に関わってきているという現実はある。
しかし、俺自身がアンチフェミに成り下がってしまったものの、「自分はフェミニズムに奉仕してきたのに、裏切られた」という個人的な恨みとはきちんと向き合う必要があると思ってる。個人的な恨みは、冷静な議論からは丁寧に排除しなければならない。
「表現の自由の価値を認めないのかー!!1!!」とか言ってるけど、表現の自由でないものを表現の自由だと言ってるから馬鹿にされてることもわかってない。
次に表現規制の使い方がおかしい。表現規制は公的な強制力を伴う物を指すのに、一民間人が批評批判することを表現規制と言うとか本当に馬鹿でしょ。
「そんな定義は古い今は民間人でも表現規制できるんだー!1!」みたいな事言う馬鹿もいるけど、200年前のトクヴィルの時代(より正確にはフランス革命の時代かな?)に中間団体はむしろ自由を抑圧する物だと観念されてたの。だから、より古いのはどちらかね?
まあ、Twitterなどの巨大プラットホームの影響力が強いので、それが力を持ちすぎるのは表現の自由に一定の問題が生じるという議論は可能だけど、表現規制の問題としてとらえるのはどちらかといえば欧州あたりの法感覚なんじゃないかな?
で、頭の悪い表現の自由戦士がひねりだしたのが、「純粋な批判批評は表現の自由のうちだが、運動は違う」みたいな馬鹿な意見。
政治的言論や商業的言論を考えれば、純粋な言論・表現と運動の違いなど区別できないと分かるよね?それに、表現の自由の価値、自己実現にしろ自己統治にしろ、それは運動という側面もあることを考えると、そもそも表現の自由をまったく分かってないとでない発想なんじゃないかな?
次にひねりだすのが「作品は特別の保護が必要なんだ!」とかいう愚論。まあ、「価値観の自由市場」とか言う面白ワードでググるとそういう事言う人いて、いとワロスだよ。
そもそも、言論の自由でも、経済的な言論の自由はその価値が低い、というのは表現規制する時のハードルの高さの問題にすぎないので、価値が低い言論だから表現規制になるとか本当意味不明。
なんで作品は特別の保護される存在なのか、そしてそれに対する批判批評が表現規制になるかまったく論証できてない。
てか、いい加減、表現規制を求めてないのを「表現規制派」とか言うのやめてくれない?事実に基づかないデマと言われてもしかたないよ。
つーかさ、表現の自由の問題になると、表現規制の区別もできてないよね?例えば、ある表現をテロでもって抑圧しようというのは民間人でもできるけど、それは表現の自由の問題にはなるけど表現規制にはならないって分かるよね?
しかし、民間人の批評や批判が表現規制なら、強制力を持たない行政指導でコンビニエロ本が無くなった事をたいして問題視しないのはなんで?実際コンビニからエロ本消えたよ。君らがオタクコンテンツの広告だけに血道をあげるのに、本当不思議だね。
「フェミ」なり「リベラル」の批評批判は何年前のでも挙げるのに。本当は表現の自由とかどうでもよくてアンチフェミニズムやアンチリベラルしたいだけなんじゃない?
基本魔法がデモフェミア、上級がデモフェミラ、最上級がデモフェミガーみたいな感じ。
しかし、先週はアンフェの成りすましアカウントや、嫌がらせ営業妨害の話がでたけど、「でもフェミガー」けっこう多いね。
ロシアのウクライナ侵略の jus ad bellum なり jus in bellum の違反行為がやばい!ていうニュースで「でもウクライナガー」「でもアメリカガー」「でもNATOガー」と言ってるのと一緒でしょ。
アンフェの自己認識だと論理的で党派性に囚われない合理的な私みたいなのよく見かけるが、デモフェミガーは党派性に凝り固まって、敵と味方という陣営を基本的な思考のベースにしてないと、なかなかでないよね。
あと嫌がらせや営業妨害はいけないと言いつつ、デモフェミガーで「フェミは表現を燃やしてきたがそれはいいのか?」みたいな雑なDD論もやばいよね。
まあ「燃やす」とか「攻撃」とか「殴る」とか、フェミニストなりが通常の表現の自由に属する批評や批判を行った事を「表現規制」するためのアンフェの間の俗用だけどそういう攻撃的な比喩は反撃として「嫌がらせ」や「営業妨害」を惹起するってわからないのかな?
今も件の店は二次加害にあってるけど、そういうの煽ってた人間は反省してるのかね?
まあアンフェの中でかなりの勢力の、表現の自由戦士は表現の自由ではないものを「表現の自由」だと言い張り表現規制ではないものを「表現規制」だと言い張る頭の悪い集団なので、本気で加害行為をあおっていることがわかってないのかもだけど。
『規制反対派の反フェミに理由を聞いたら、現実にフェミニストの異常な言動に晒される被害を受けていることや、実在の身近な女性の認知の歪みを挙げていた。
規制賛成派の無理解は、「現実のフェミニストの認知の歪みや無理解」という問題をさらに立証して強化することになって、火に油を注いでるのでは?』
って置き換えたら何言ってんだこのバカって思わない?
「せめてその異常とか歪みってのが何を指してるのかくらい出さないと本当に異常かどうかもわからないだろ」
「まあフェミニストはいっぱいいるから被害を受けたのは本当だとしよう。だがそれはフェミニスト全体に敷衍できる話なのか」
「そもそも迷惑フェミニストの話と表現規制の話は本当に同じレイヤーなのか」
「ていうかこんな風に人を異常呼ばわりしてくる連中の気持ちをなんで議論の最中にいちいちケアしてやらないといけないんだよ。議論は議論でやれよ」
「ていうか賛成派が反論することで反対派がますます思い込みを強めるんだったら、反対派は議論不可能なバカってことじゃん」
とかいろいろ考えるよね?
要するに君は「質問」と言いながら、その中に先取りした結論をいくつも混ぜ込んでいるので、その結論を共有しない人にとっては質問として成立していないわけ
これは結構難しい話な気もする。
まず、ゼロ年代までの日本において、政治組織は主婦層の奪い合いを行っていた。
数が多く、政治活動を行う暇があり、組織に拘束されておらず、思想的に特定の傾向がないが横のつながりはあるという、まさに格好の動員対象だったからだ。
ただし当たり前だが動員というのは上から自由に政治的思想を植え付けられるわけでなく、自由なタイミングで動員できるわけでもない。
比較的どうでもいい案件については積極的に下から吸い上げて常に運動欲を満たし、「自分たちが動かしている、声が届いている」という実感をもたせるのが重要。
主婦層に共有された嫌悪感があり、社会悪だという方向に持っていきやすく、婦人会による規制運動を展開することで低コストで定期的に運動実績を満たしやすい。
要するに叩くのに丁度いいから自民も公明も各種の野党も性表現規制論をだし、逆に政敵の手柄になりそうな風向きのときだけそれを批判してきた。
矯風会もこのころ潜り込んでいろいろやっているが、別に思想的には主体性を発揮したわけではない。
あくまで普通の女性が、「素朴な感性」を運動で増幅させた結果に相乗りしただけだ。
大半の政治家にとっては「自分の票にならなければどうでもいい、だがある程度便利使いするため風向きを読んでたまにコメントする」程度の話題だった。
リベラルと呼ばれてるが中身は様々な人々にとっても大半は同じだろう。
しかし、ネット時代で性表現市場が拡大し、規制論者もオタクの声もでかくなったことで、この話題はそれなりのネタに昇格した。
ただ、山田太郎はうまくやったが、ワン・イシューで国会に1議席確保できるぐらいというのは、小さくもなく大きくもない、なかなか微妙なラインである。
これも基本的には思想や強力なトップダウン利権があるわけではない。
普通のオタクが「素朴な感性」を運動で増幅させた流れをうまく利用したということになる。
こういうネタは言論屋や政治プレイヤーとしては非常に扱いが難しい。
「普通の人々」の「素朴な感性」というのは、たいてい思想的にはメチャクチャであり、民主主義にも自由主義にも完全に敵対している。
なんとなく思ってるだけならまだしも、運動で増幅させるとカルトの原理主義と対して変わらない。
それでいてカルトと違って思想的核のない多数派だから、批判にも難儀する。
山田太郎も統一教会と絡んだりしているが、こういう連中がオタクを「操って」いるというのはいろいろな意味で間違っている。
オタクの普通の言動に素直に乗っかれば自分の主張が認められる部分がありそうだから、のこのこやってきたというだけだろう。
矯風会が政治に熱心な主婦層によってくるというのも、主流はあくまで強大で消し難い「素朴な感性」のほうで、矯風会なんてのは張り付いた雑菌の如き存在だ。
「素朴な感性」に公然と敵対する人間は、たとえ理屈の上で正しいことを言っていても、政治レベルではあっさり抹消される。
逆に、そうなってない人間というのは、理屈以前の話で、「素朴な感性」にうまく忖度しているからこそ生き残れている。
だから、問うべきは、リベラルの人々は、一般人の、あるいは自身の中の「素朴な感性」と自由主義が対立する事実にどう向き合うか?
という話だが、これに真剣に答えること自体も「素朴な感性」への敵対の一種であるから、政治プレイヤーとしては公然と議論することは難しいだろう。
矯風会系の思想って人類を滅亡に導く邪悪な思想なので表現規制やら思想統制やらがはじまるなら真っ先に規制すべきものだと思う
日本に矯風会がなかったら太平洋戦争であんなに日本人が死ぬこともなかったしあんなにアメリカ人が殺されることもなかった
娯楽のための表現物(映像作品・マンガ・小説その他)の表現規制に対しては、殆ど例外なく反対するけれども、逆に報道の自由に対しては「メディアスクラムを許すな」みたいなノリで、制限されるのは公共の利益のために当然、って言いそうな気がするんだけど、実際の所はどうなんだろうな。
俺も表現の自由戦士だが、報道の自由はむしろ娯楽作品のそれよりも強く守られている必要があるとは思ってる。
ただ、メディアスクラムに代表される様な「俺達マスコミは社会的要請の下に仕事をしているのだから、取材対象側の受忍義務は大きいに決まっている。 メディアスクラムなどと騒ぎ立てる連中は報道の自由を犯している!」みたいな了見はやはり許せないし、そういう「我々は特権を持つ」と内心では考えてる連中の正義もおよそ信用できない。
だが、被取材側に受任すべき程度はある事、その部分の調整のもとでなるべく充実した取材が出来ることも大事であるから、相互にぶつかる権利の調整として「報道はどこまで被取材者の人権を侵害し得るか」のラインは公に決められているべきだと思うのである。
まあ、マスコミは「そんな事は長い報道の歴史で業界ルールとして固まっている。だから素人は……」と言い出すに決まってて、だから俺はマスコミの連中は全員クズだし、人間として信頼できるものなど一人も居ない、クズのやってるゴミ商売だと思っているが、マスコミという事業が民主主義社会にとって不可欠で重要であることは否定できないから頭が痛いのである。 ウンコは臭いし汚いが、それを排泄しないと人は死んでしまうのである。
amunku キスシーンすら封じられたインド映画が「ダンスしてラブラブを表現」とか最高な方向に行く快作に溢れたのを知っているので、規制が進んだ上でどうするのか、は嘆く前に少しもがいてから弱音を吐いてほしい
規制された上で頑張れというお達し。
萌え絵にもそう言えよ。
今回は「萌え絵の規制は大反対なのにテレビの規制は大賛成」な論敵として選ばれたamunkuさんが、最近盛り上がった萌え絵炎上である月曜日のたわわ案件では、どのようなコメントをしているのか調べてみました!
(もう一人の方は無言ブコメが大半で、たわわ問題では表現の自由戦士として名高い白饅頭を罵倒するコメントくらいしか見つかりませんでした)
amunkuのブックマーク
「どうせ女もいい思いしてるんだろ」とか言い出すんだよな。男と女で性的に見られる意識が真逆なのはこういう漫画のせいで浸透しない。恥ずかしげもなく女を鑑賞物と平然と言い切る作品が溢れている、人権侵害なのよ
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718216879353880962/comment/amunku
現実とフィクションの区別がつかない男がそれなりの数いるということ。少なくとも日本で痴漢は犯罪であるという当たり前の風紀が全ての男性に周知されるまでは(女子高生エロいが日本文化としてある)控えるべき
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718241157743732898/comment/amunku
未成年のおっぱいに興奮してもいいという公共意識を隠さない日本。広告出す場所の問題つってんのに表現規制と騒ぎ事が大きくなる。我々は子供の人権無視しておっぱいに癒やされたいです!と騒いで恥ずかしくないのか
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718217861291314370/comment/amunku
キモい脳みそ下半身男ども、諦めろ、公共の場でエロ本は読めなくなるし、女子高生かわいいねなどと言ったらえっ?という顔で見られる世界に日本はなるんだ。もうとっくに周りの女性はそんなお前らにドン引きしてるが
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718261983515194786/comment/amunku
ヒエ…たわわファンが痴漢予備軍であることの証明をしている…頭が悪すぎて凄い
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718617788996286914/comment/amunku
この件無視を決め込んでる日経と講談社は信頼も信用も置けない企業/性犯罪の矮小化に日本の漫画は一役買ってる。セックスのこと誰から学んだ?母親じゃないだろ男目線のファンタジーであるAVとエロ漫画からだろう
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718794062067426082/comment/amunku
よくエロ2次表現規制で揉めてるときに「これがだめなら殺人描写もだめになるけどいいのか」とか言う人おるけど、事件が身近な人にはもちろん駄目なわけで、治安が悪くなってくると探偵物が受けなくなるというね
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718880569732848578/comment/amunku
お、言語規制増田か こうやってキチガイだの障碍者だのも規制されてどんどん言い換えされていくんだよね、表自のくせに他人には平気でこうやって表現規制かけちゃうとか矛盾にもほどがある。このツリーのおまえの1つ目の書き込みから反省して消して出直したほうがいいよ。
「これからは××すべきだ。なお、すでにある〇〇だけでは有効ではない」という話において〇〇そのものはもはや主題ではないんだよね、とっくに検討済みなの
すでにある〇〇の話をしたい我欲のために文章の主題を無視して我田引水ばっかしないでね。自己紹介していただくまでもなく表自増田が自分に都合のいいことしか主張しないクソだってことだってはみんな知ってるから。