はてなキーワード: 実写映画とは
もうすぐ36になるんだけどオタクの魂100までじゃないが、オタクはいつまで経ってもオタクだ。30も後半になれば俺もアニメじゃなくて実写映画、漫画じゃなくてビジネス書籍を読んでいたりするかもしれないと思っていた時期があったがまったくもってそんなことはなかった。
具体的にはしんどい系の話を見るのがこれまでに比べると非常に辛くなった。
いい人が死ぬ話、挫折する話、虐げられる話、苦労する話を見たり読んだりするのがすげー辛い。
陰鬱な気分になる。
推しの子もなんかしんどい話なるらしいって聞いてまだ見れてない。
1000年前にブームが終わっちゃったけどたこピーも結局読んでないし、その人の新作も読んでない。
若い頃の俺にとってエンタメってもっと強烈で刺激的で破滅的でも何の問題もなかったし、むしろそうであってほしい時期もあったが、歳を取って「なんでフィクションの中で迄そんな辛いものを見にゃならんのじゃ」と思うようになってしまった。
なので最近はなんも考えなくても見られる日常系アニメばっかり見てる。あとは精神年齢低めの少年漫画系。
絶望的な状況でも主人公がバーンって覚醒してだいたいなんとかなっちゃうやつ。ワンピとかさ。
おじさん、もう辛い話を長期間見るのに疲れちゃったよ。
私、女オタクだけど演劇興味ない。少なくとも2.5次元は嫌い。
まあ、舞台からオタクが流入してくれたおかげでゲームだけだったらすぐ終わってた刀剣乱舞が人気コンテンツとして存続してるのはありがたいと思うけど、自分はミュージカルも劇も絶対に行かない。理由は
声優ライブとかは行くので、イベントが嫌いというわけではない。
イベントって演者と会場との一体感を楽しみに行くものだと思うんだけど、演劇は 結局自分の世界に没入するだけだし意味ないなーって。
まあ、今のマジョリティのオタクが舞台好き多いからあまり大きい声で言えないだけで、そういう女オタクも多いと思う。
幸い、だいたいチケット取りづらいから無理に誘って布教しようっていうオタクもいないから助かる。
結局、作品はテキストか絵で楽しみたくて、生身の人間で具現化してるの自体に興味がない。
【ジョジョの奇妙な冒険】はアニメシリーズが始まるまで人気無かったという偽史が広まり始めている様子を察知して証言する皆さん - Togetter
「人気がある」「人気がない」というのは相対的なものであって、人気がなかったと言っている人も「まったく誰にも知られていないマイナー作品だったぜ」と主張しているわけではないと思うし、ジョジョファンも「社会現象になるほど人気があったぞ」と言っているわけではないだろう。
ただ、ファンのほうも個々でだいぶトーンが違ったりするので、実際のところどんなもんだったの?というところを調べてみたい。
ジャジャン研 - 『ジョジョの奇妙な冒険』少年ジャンプ掲載データ
平均順位 | |
---|---|
第一部 | 11.95 |
第二部 | 10.01 |
第三部 | 11.94 |
第四部 | 11.63 |
第五部 | 14.64 |
第六部 | 15.65 |
ジャンプの連載作品はおおむね20作品前後である。と考えると全体的に低空飛行ではある。ジョジョファンがよく言う「一部二部は低迷していたが三部で人気が出た」という傾向も窺えない。もちろん、ファンのあいだで第三部が高く評価されたことは間違いないし、結果的に超長期連載となって黄金期ジャンプにおいて独自の存在感を発揮していたことも確かであるが、コンスタントに上位を取れるほど爆発的な人気があったわけではなさそうである。
1999年10月 | ゲーム『ジョジョの奇妙な冒険』売上26万本 |
2000年5月 | 第6部『ストーンオーシャン』1巻発売 |
2002年7月 | ゲーム『ジョジョの奇妙な冒険 黄金の旋風』売上16万本 |
2004年5月 | 第7部『スティール・ボール・ラン』1巻発売 |
2005年3月 | ウルトラジャンプへ移籍 |
2006年ごろ | シリーズ累計7000万部 |
2007年2月 | アニメ映画『ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド』 |
2010年3月 | シリーズ通算100巻 |
2011年12月 | 第8部『ジョジョリオン』1巻発売 シリーズ累計7500万部 |
2012年10月 | テレビアニメ放送開始 シリーズ累計8000万部 |
2013年1月 | テレビアニメDVD・BD発売 第一巻は2.5万枚? |
2013年8月 | ゲーム『ジョジョの奇妙な冒険 オールスターバトル』47万本 |
2016年12月 | シリーズ累計1億部 |
2017年8月 | 実写映画『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』 興行収入9.2億円 |
2022年ごろ | シリーズ累計1億2000万部 |
ネット上で検索するかぎりは2006年ごろからの数字しか拾えなかったが、2000年代後半はずっと「7000万部」で足踏みしていたようだ。100巻7000万部なら単純計算で巻割70万部だが、連載期間が2000年代後半に該当するSBR(全24巻)の前後で500万部しか増えていないと考えれば、その間は巻割20万部程度と推測できる。そして、そこからテレビアニメ放送開始以降に4000万部を積み増しているとすると、第一部から第八部まで合計131巻・1億2000万部なので、現在は巻割90万部まで回復していることになる。
ちなみに他のジャンプ作品でたとえると、巻割90万部は『封神演義』、巻割70万部は『家庭教師ヒットマンREBORN!』、巻割20万部は『魔人探偵脳噛ネウロ』くらいの売上である。
私は2000年以降しか知らないが、2000年代のジョジョは「ネットミームとしての人気」が先行しており、「作品としての人気」があるわけではなかった。古くからのコアなファンが支えているだけで、新規読者がほとんど入ってきていなかったと思う。ただ、ジョジョの名台詞だのコピペだのMAD動画だのはネットに溢れていた。「リアルタイムで人気がある作品」というよりは「重要な古典」として受動喫煙する機会が多い作品、という扱いだった。
また、第五部や第六部になると絵柄がさらにとっつきづらくなり、スタンド能力が複雑化して辻褄の合わない展開も増えてきていた。2chなどではジョジョを否定的に見る人もかなり多かった印象がある。平均掲載順位でも第五部・第六部でガクッと落ちていて、そのあとにジャンプ本誌からウルトラジャンプへの移籍をすることになるので、このあたりはジョジョにとって「逆風の時期」だったと言えるだろう。
しかし2010年代に入ってテレビアニメで新規読者の獲得に成功した。「興味はあるが長すぎて読む気になれなかった名作をあらためて一から履修する」ためにはうってつけのアニメだった。社会現象級ではないにしても売上も立派なものだったし、下降線をたどっていたジョジョという作品がそこであらためてグッと引き上げられたと思う。
まとめると、1980年代・1990年代のジャンプにおいては中堅作品の立ち位置ではあったがコアな人気に支えられて連載が長期化、2000年代は人気がやや落ち込むもネットの普及とともにパロディ元として存在感を高め、2010年代に遅ればせながらテレビアニメ化されてスマッシュヒットした、というくらいが妥当な説明なのではないか。それぞれの時点で「人気があった」と判断するかどうかは人によるってことで。
「好き」「嫌い」「どうでもいい」以外に「芸能人そのA、くらいの関心はある」ってのが大量にいると思うんだけど
はてなってそういう層の存在が完全に抜け落ちてるよな(アニメばっか見てて実写のドラマとか映画見ない、って人多いからなんだろうけど)
別にジャニーズだけが特別好きなわけじゃないけど、テレビとか実写映画とかよく見てて
それによく出てくる人たちには関心あるよ、その中にジャニーズも入るよ他の俳優とかアイドルとか歌手も関心あるけど、みたいな層
はてなでも声優の名前はよく知ってて誰がどのアニメに出演してるかとかもよく知ってるし
ディズニーのリトルマーメイドの実写映画版アリエル役を日本人ファンが批判する事に対して
「アジア人なのに」って言い方で揶揄する擁護派の発想って、それこそ名誉白人の発想だと思うんだよね
だって人種差別の構造的に、白人が黒人に対して持つような優位性を、アジア人は一切持っていないんだよ
白人が黒人俳優に対して過度に肯定的になるのって、自らの人種的な優位性を自覚した上での、言ってみれば罪悪感だと思うんだよね
でもアジア人である日本人には、その理屈は当てはまらないんだよ
アジア人なのに黒人に対して妙な罪悪感めいたものを持って、批判を封じようしている人達こそ
自分自身を白人と同一視して、黒人に対する優位性があると思い込んでるんじゃない?
でも実際にはアジア人にはそんなもんないんだよ
でも少なくともアメリカにあったような黒人奴隷制度やその遺物としての制度的差別は存在しないし
日本において「黒人」の立場に当たるのは、在日コリアンとか被差別部落出身者だろう
全然違うんだよね
王様のブランチの映画ランキングを見てたら、女性向け2.5次元コスプレイケメン実写映画が2作もランクインしていた。こんだけヒットするのなら今も量産されてる少女漫画の実写映画みたいに2.5次元系コスプレイケメン映画も量産されていくのだろう。
一方で、男性向け2.5次元コスプレ美少女映画でヒットしたものといえば「咲」の実写化しか思いつかない(「キングダム」は『一般向け』実写化映画である)。男性向けでこの手のものはハードルが高いと思われて全然量産されないのだ。
このハードルの違いはどこにあるのか。
女性がイケメンをイケメンと判断するのは顔ではない。顔はそこそこでいいのだ。イケメン判定に必要なのは身長とスタイル。別に高身長であればあるほど良いわけではないが、頭が小さくてスタイル良ければイケメンである。原作のイケメンはとにかく高身長ばかりだが、若手男性俳優も180前後はザラにいる時代なので、イケメンを集めるのは簡単。
一方で、男性が美少女を美少女と判断するのは顔である。あとおっぱい。しかも細部にこだわり「このアイドルは鼻がちょっと、唇がちょっと」と注文が細かい。さらに原作の美少女は身長が超低身長から高身長まで幅がありすぎる。若手女性俳優に170以上の子なんてめったにいない。なんなら原作ではファンタジーじゃなくても180cm190cm以上の女性キャラが出てくる。そんな女性俳優は集められない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/wezz-y.com/archives/95482
これ、リトル・マーメイドのアリエルを実写版で黒人に改変した事に対して「子供は気にしない」というコメントが多いけれど
例外はあるにせよ一般的に言えば、アニメは子供向け、実写は大人向けなのでは?
わざわざアニメじゃなくて実写にする以上は
かつてアニメ映画の方を見た大人の観客も期待していると考えるのが自然だと思うんだが…
なのに、子供は気にしてないから問題ない!大人の意見なんて聞く必要がない!って理屈はおかしくない?
本当に黒人の子供向けならばビジュアルを全部一新して、リトル・マーメイドブラックとかいって、
なんやかんや危機が訪れても最終的に回避してめでたしな話、じゃなくて回避出来ませんでしたっていうのが知りたい
調べてあるにはあるけどどうしようもなくて打ち切りになってそう言う終わりになったとか不評とか放送自粛とかでやっぱり難しいんかな…
【追記】
たくさんの反応、本当にありがとうございます
増田はあまり実写映画を見ないし、SFも星新一をちょろっと齧ったことある程度なので、知らない作品をたくさん上げてもらえて助かります
滅亡の規模についてですが、人類だけでも世界でも地球でも宇宙でも何でも
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具体的な作品上げると、進撃の巨人やFILM REDで回避出来ない展開を見たかったと言うか期待してしまった
もちろんあの結末は良かったです、それはそれとしてという…
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エヴァ→エヴァ未履修の状態で、シン公開のタイミングで序波Qを一気に見たことがあり、旧劇は未履修
「今日の日はさようなら」が流れるシーンで良くも悪くも具合が悪くなりそれ以外の記憶が吹っ飛んでる
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宝石の国→読んでる、そういえば同作者の短編集にも滅亡はしてないけどそんなニュアンスの好きな作品があったことを思い出した、全部好き
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天気の子→好き
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だいたいのことは「庵野だから仕方ないか」と許してしまう程度の庵野ファンが見た完全ネタバレ感想
怪人蜘蛛男とのバトル
地味だが中々いい。期待が高まる。
コントラスト強めの白黒映像についていけない独自設定を早口で解説され、
人を殺してしまった主人公の苦悩などを忙しないカット割で表現され、
なんか本郷猛は常にプルプル震えている。メンタル大丈夫かこの人
緑川ルリ子の顔面のクオリティが高すぎ、どアップで映してもアニメの綾波レイ以上に美しいのでずっと見ていられる。
怪人蝙蝠男の顔面のクオリティがキモすぎてドン引き。飛び方もキモい。
バイクが発進したと思ったらもう敵のアジトについているなどTV版を踏襲した荒っぽいカット割が多い。
劇場を埋め尽くしたルリ子の複製が拍手するシーンでシンエヴァの最後の方を思い出す。画面はしょぼいけど庵野だから仕方ないか。
サイクロン号が変形して浮上し高高度からのライダーキック。かっこいい。
死んだ怪人が泡になって消えるCGのエフェクトはこの後何度も出てくるが自然で秀逸。
貨物列車をバックに線路でルリ子とやりとりシーン、かっこいいけどシンエヴァで見た。まあ庵野だから仕方ないか。
次の怪人に期待していたら、テンションマックスの怪人蠍女が登場。完全に長澤まさみの無駄遣いだった。
昭和の女怪人のキッチュな感じを狙ったんだろうけどマジでキッツー。この映画大丈夫か?と本気で不安になったところで、
にがりきった顔の竹野内豊が遠隔から見守る中仮面ライダーの手を一切借りず鎮圧。
長澤まさみを見ている時の俺の沈痛な表情と竹野内豊の残念な表情が完全に一致していたのでこの映画で一番笑った。
商店街で後ろからゾロゾロ洗脳された人がついてくる面白カットからの怪人蜂女の登場。
セットや衣装は良かったがツインテールのB級アイドル感からコスプレ学芸会臭が漂う。
浜辺美波との百合展開もあるが顔面のクオリティに差がありすぎて残酷である。マスクのデザインは秀逸。
同じセリフを何度も繰り返すことでキャラを立てようとするのをやめろ!「あらら、」て10回以上言ったぞ。
ルリ子の「私は用意周到なの」も言い過ぎ。庵野には2時間映画で同じセリフは2回までという鉄則を守ってもらいたい。
無職なので野宿に慣れている本郷猛。生体電算機なので目が青く光るルリ子。アニメっぽいベタな表現なのに
仮面ライダーのチート技でアジトを急襲され、超スピードのバトルに。キャシャーンとキューティハニーを思い出す。
蜂のひと刺しはバッタごときの装甲を破れず、特性をいっさい生かすことなく蠍の毒で死亡。
本郷猛とルリ子が急接近したことで急にルリ子のメンタルが中学生になり、
あてがわれた畳部屋でルリ子が突然風呂に入れないことにブチギレ。アスカみたいなキャラになる。
お前そんなキャラじゃなかっただろ!レイとアスカしかヒロインの引き出しを持っていない庵野だから仕方ない。
いい歳して中学生みたいな体臭フェチネタを何度も入れるのもいい加減にしろ!まったく庵野は恥ずかしいやつだな。
怪人蝶男が羽化。森山未來が映っているとそれだけで画面に緊張感が生まれ目が離せないのだが、
その衣装でその動きをされるとオリンピックの開会式を思い出してしまうのでマイナス。これから一生あの十字架を背負っていかねばならんのか。
蝶の玉座のセットやエフェクトが秀逸。大物感は十分だがハビタット世界とか言い出して急激に不安になる。
おじいちゃん、人類補完計画はシンエヴァでもう終わったでしょ!一人の変人の妄執に全人類を巻き込むのはいい加減にしろ。
仮面ライダー2号が登場。日本人らしく短足で頭がでかいが、サマになっている。
こうした飄々としたキャラを重要な役に配置するところが庵野の実写映画の美点である。
工場でのバトルは良かったがシンウルトラマンで見た。本当に引き出しすくねーな。
せっかく透明化能力を持ってるのに透明マントを投げ捨てた結果、カマキリの能力が全く通用せず仮面ライダー2号に完敗。
本郷猛はルリ子の遺言ビデオを見て号泣。泣かせるお膳立ては全て揃って泣かせる気満々の演出を決めてくるが、
腕を組んだ庵野のドヤ顔がバックの空に大きく浮かんでいたので泣けなかった。庵野の映画はいつもそうだ。庵野だから仕方ない。
いよいよクライマックス、怪人相変異群体バッタ男だ!すわシンエヴァで見た数億匹の群体戦か!と期待したが、10体ぐらいだった。
ほぼCGのこのバトル、作中No.1のしょぼさだった。なんなんだ。
パンフによると雨の中苦労して集団のバイクアクションシーンを撮影し現場は達成感に包まれたが、庵野監督が全ボツにして作り直したらしい。
ついに1号と2号が協力して最強の怪人蝶男に挑む。ロボット刑事Kが企むサステイナブルハッピネスなんとかはどうなった・・・?と
頭をよぎるが、蝶男が人類補完計画を実行しようとしているのでそれどころではない。
満を辞して蝶男が仮面ライダー0号に変身!文句なくかっこいい!二人の力を合わせても全く歯が立たないほどに強い!
と思ったらあれ?なんかえらいスタミナ消耗してんな。無限のプラーナを操れるのかと思いきや5分ほど戦ったところでグロッキー状態になってしまった0号。
ずっと座ってたからトレーニングが足りなかったんだな。やぶれかぶれのくんずほぐれつからの頭突きで兜割。
自分勝手に人類を補完しようとしてすいませんでした、と改心した0号。
やったな本郷猛。あれ?君も意外と消耗してたんだ。あ、相打ちでしたか。二人とも仲良く泡になって消滅。
一人残された一文字隼人。謎の清涼感を残しつつ、山口県角島へと向かう2号。ドローン映像で庵野の郷土山口県の風景をじっくりと見せつつ終了。
シンエヴァと同じ終わりかたやんけ!
男性フィギュアスケート選手を揶揄・嘲笑する風潮というのは、これは実は日本に限った話ではない。
アメリカのスポ根コメディ映画で『俺たちフィギュアスケーター(原題:Blades of Glory)』という作品がある。フィギュアスケートのライバルとして犬猿の仲だった主人公二人が、史上初の"男性ペア"を組んで競技に挑むという筋立ての物語である。
この作品を観た観客に笑いを喚起する根源となっているものこそが
という、日・米・欧を問わず世間に存在する、男性フィギュアスケート選手に対するステレオタイプ(偏見)である。
そしてまた、そこには
「世間が『ゲイっぽい』と見做した存在であれば、イジったり嘲笑したりしても構わない(許される)だろう」
それを裏付けるように、作中で主人公たちが披露するフィギュアスケートの演技は、性行為を連想させる下ネタ的なものである。「女性アスリートの競技する姿によって、性行為を連想させ、それで観客の笑いを誘う」という手法をとったとしたら、現代社会ではセクハラと見做されて糾弾されかねないが、ゲイっぽいと思われている男性フィギュアスケート選手が対象ならば問題視される虞はないというわけである。
男性、殊に、世間が一方的にゲイ認定した男性に対するセクハラは、セクハラと見做されないという、現代社会の根深い問題の一つと言えよう。
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芸能人やアスリート等の中には、ナルシスティックに感じる言動・振る舞いをする人が存在することは確かである。そして、世間には「そういったナルシスティックな言動が許せなくて、何とか揶揄してやりたい」と考える人が、或る程度の割合で存在する。
とはいえ、そのナルシスティックな言動をしている人間が、強面の格闘技選手とか、不良出身のヒップホップミュージシャンとかであれば、揶揄するのは怖いし度胸も要する。
それに比べると、フィギュアスケート選手であれば、線も細いし、そこまで強面でもないから、揶揄しても何となく許されそう(逃げることができそう)な気がする。羽生結弦を揶揄する人間の心理を推測するならば、おそらくそういったところであろう。
また、ゲイフォビアの感情を正当化する言い訳として「アイツはナルシスティックだ!」と"判定"をしている可能性もあるように思う。
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そもそも、ナルシスティックな言動をすることが何か問題が有るのだろうか。それは果たして、非難されるような、許されざる行為なのだろうか。
宝塚歌劇団の男性役の人とか、男性バレエダンサーとか、表現活動を生業にしていてナルシスティックな言動をしているという人間は、探せば幾らでも世の中には存在する気がするが、彼女ら/彼らは羽生結弦ほどにはバッシングされていないように思う。
例えば、この文章を書いている増田は、かつて"ももち"の愛称で親しまれたアイドル嗣永桃子(※現在は芸能界引退済)が今でも好きなのだが、芸能人だった当時の彼女が「ももちはカワイイ」と自称していたからといって「ナルシスティックだ!許せない!」などと言う人間はいなかった(と思う)。仮にそんな人間がいたとしても、狂人としか思えない。王子様発言をするミッチーこと及川光博を指して「ナルシスティックだ!許せない!」と言う人間が狂人と見做されることと同じである。
彼女ら/彼らのポジティブでナルシスティックな言動や振る舞いこそを目的として、ファンは対価を払い、そして元気を貰っているのだから、何も問題は無いはずである。
別に『時計じかけのオレンジ』のルドヴィコ療法のように、無理やり羽生結弦ショーを見せられたわけでもあるまい。それどころか、わざわざ羽生結弦及び彼のファンを腐す/叩く理由付けのために、自ら羽生結弦ショーを観に行って、「羽生結弦はキモイんだ!だから皆で叩け!(叩いて欲しい!)」という願望をダダ漏れにした駄文を書き連ねるのだから、これは立派な狂人である。
元増田の「ナルシスティック!許せない!」という論調そのものが、昭和の女性向け週刊誌のような時代遅れ感に満ち溢れている。もしかして、座敷牢か何処かに長年閉じ込められていて、時代の変化に取り残されたのだろうか。
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それで思い出したのだが、数年前に映画監督の福田雄一が、自身のコラム記事で、世間に羽生結弦バッシングを引き起こそうとして、ものの見事に失敗したことがあった。福田雄一といえば、佐藤二朗やムロツヨシを起用しさえすれば、それだけでコメディ作品になると思い込み、次々と駄作を量産していることで有名な、貧しい感性の持ち主である。
羽生結弦を腐すコラムを執筆した時の福田雄一は映画『俺たちフィギュアスケーター』(を観ていたかどうかは知らないが)と同じ感覚で「男性フィギュアスケート選手ってキモイよね!?」と書けば、世間から同意を得られてウケが取れると思っていたのではないだろうか。
しかし『俺たちフィギュアスケーター』は2007年の作品なのである。今、この映画を観ると、正直キツイと思う。仮に、あれと同じ感覚で今「男性フィギュアスケート選手はキモイ!」とか言っていた/いるとすれば、元増田も福田雄一も明らかに時代遅れなのである。
羽生結弦叩き増田はともかく、福田雄一は現代の実写映画業界においてそれなりに有名な映画監督なので、こんな時代遅れの人間が大手を振って活動できているのであれば、日本の実写映画が衰退するのも納得である。
むしろ、つまらなくてコメディと呼ぶに値しないような駄作を量産して映画監督を名乗る方が、よほど(有害な意味での)ナルシスティックではないだろうか。
元増田は、福田雄一を他山の石として、道を引き返した方が良い。今どき羽生結弦叩きでウケが取れると思うような古臭い感性の人間は、これからどんどん肩身が狭くなるだろうから。
それを元にした作品にハケンアニメ!があり実写映画化もされたりした。
円盤の価格は、例えばぼっちざろっく!を基準にすると¥5,000~¥6000だ。
一般の歌手のアルバムを今時買う人も少なくなっているのだが、買う人は複数形態を購入する場合が多数であり二形態くらい買うだろう。3000円くらいだとすると2枚で6000円になる。
世間で「そこそこ」人気で「ミリオンとかじゃないけど」「時々歌番組にでるアイドルのアルバム」が30万枚くらいだ。
アニメ円盤売上で覇権とは言うが、数字をちゃんと俯瞰すると、動かす経済圏や人数はアニメ円盤基準だと狭すぎやしないだろうか。
どう考えても楽曲を制作するよりアニメを制作するほうが金はかかるので返ってくる金額が少なすぎる。1億ちょっとじゃ都内でちゃんとした家も買えない。
そうなるとアニメ商売に視聴者数が多い配信事業は欠かせないものであろう。
「視聴者一人あたり円盤の売上があるわけではない」が「総数が多ければお金は入ってくる」。
ボンズはそのやり方で視聴率も円盤も伸びずMBSに蹴られたヒロアカを制作し続けてきた。
グッズ売上なども考慮されてくる。または原作売上がのびれば出版社が出資という形を取ることもできる。
メディアミックスは「原作ありのアニメ」だけではなく沢山のメディアで利益を生み出すことが重要なのだろう。社会現象はここまでを含めなければいけない。
上記のことは誰でもわかっているのだろうが…
にしたって令和5年、2023年にもなって円盤売上で煽り合う文化が未だに残り続けているのは少々異様である。
さらに言えば未だに「オリコン」を基準にしているのも不可思議だ。
オリコン加盟していない独自店舗で販売する会社も多く、時代らしい取り組みだ。
配信抜きでもCD売上を基準に見ると、ビルボード集計のほうで数万枚計算に上ブレが出たりするので、もうアニメ円盤界隈以外ではオリコン基準を古いものだとする流れができている。
要するに円盤売上の数が数年前よりもさらに正確に把握できない状況になったはずなのだ。
(もちろん制作側は実数を知っているので、コケた成功したが消えるわけではない)
アニメ円盤売上を注視する界隈は、他の売上を見守っている界隈からも大きく取り残されている。
さらに独自ルールの計算方法を作り、サイトにまとめて「議論」しているのだ。
そこのルールブックにはデータが分からないような売り方をしたアニメが悪いような言い方で解説されている。何一つ建設的ではない。
そもそもアニメ円盤より、人気の洋画とかが特典付き1万円とかで凄い枚数売れてたりするのだが、そこであまり言い争うようなものを見たことがない。
円盤にこだわる彼らは一体そこでなにをしているんだろうか。
映画ハケンアニメ!は大規模に公開され、SNS口コミを頑張ったので名前は聞いたことが多いと思うが、実際のところ売上は1.8億のところで記録が止まっているほどの大コケ映画になった。
原作が発売されたのは2014年で、その時点でも少し題材として古かったかもしれないが、