はてなキーワード: PVとは
kingateさんってどんな人!?
これが初エントリだよ!
2010/03/30 https://b.hatena.ne.jp/entry/20384059/comment/kingate
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/b.hatena.ne.jp/kingate/
露悪的
正気?
xevraを超えられるのは君しかいない。期待しているよ
自分で自分を「う○こ投げゴリラ(一部修正)」と言ってるように、下品な言葉が目に付く。
自他共に認めるお電波様。言っている内容に一から十まで正確なところが何もなく的外れのみで構成されているのはたぶんわざと……とは思う。多分。
注意事項
・良いも悪いも包み隠さず書いています。特に欠点に関する指摘はボロカスに書いている部分もありますが悪しからず。
・プレイしていると比較的簡単に気付きはするものの、先に知ってしまうと探索の楽しみを半減させるネタバレが含まれます。
評者について
ゼルダ歴9年。クリア済み作品は神々のトライフォース、時のオカリナ、ムジュラの仮面、風のタクト、ふしぎのぼうし、夢幻の砂時計、トワイライトプリンセス、大地の汽笛、スカイウォードソード、ブレスオブザワイルド、夢を見る島(2019)、ティアーズオブザキングダム。スピンオフ作品も加えればゼルダ無双HADX、厄災の黙示録。
後付け設定ではあるものの、公式の書籍にも掲載され、公式サイトでも大々的に紹介されていることを鑑み、物語の一貫性・整合性についてはゼルダ史を非常に重視します。
1. グラフィック
720p30fpsっていつの時代のゲームだよ。とはいえ、現代のゲーム機としてはあまりにも性能が低いSwitchでこの規模のゲームを作るとなれば致し方ないか。
AMDのFSRという超解像技術を採用することにより、低スペックながら美麗なグラフィックとフレームレートの安定を実現と謳われていたが…
・近景ではあまり気にならないものの、遠景ではちらつきが目立つ
・全体的に処理落ちが多くフレームレートが極端に落ちる場所が目立つ(1か所や2か所ではない、ほぼ全域にわたって)
これ、絶対に逆効果にしかなっていないよね。さらに次の理由も併せて、画面を見ているだけでも非常に疲れる。
・デザイン上仕方のない面はあるものの、瘴気など赤色系統のものが多く、画面全体が赤く目が痛くなることもしばしば。
祠や鳥望台をはじめ、視認性の悪すぎるデザインも多い。加えてムービー中の字幕の見づらさもひどい。アクセシビリティガイドラインに完全に違反している。美術・映像スタッフは一体何をやっていたんだと言いたくなるレベルで出来が悪い。
絵そのものの出来はいいのだが、結局上で上げた欠点があまりにも大きいので評価としては10点満点で1点といったところか。
2. UI
前作BotWのUIをほとんどそのまま引き継いだ感じのUIという印象。インベントリがいっぱいの状態で宝箱を開けたときに、その場で手持ちとの入れ替えができるようになったのは純粋に前作から改善されていた点だろう。もっとも、「入念にテストを重ねた」のであればすぐに気づくであろうこの欠点をBotWの時点できちんとしたものにできていなかったのは、UI設計班もテストを行った人間もプレイヤーサイドの快適性をまるで考えていなかったことの証左であり、「できていて当たり前のことができるようになった」だけのこの改善自体はプラス評価には値しない。
スクラビルドの追加により、矢の先端にいろいろな素材を付けられるようになった。これは面白い試みであるが、問題はどの素材を付けるか選ぶのに、いちいち探しにくい。おそらく100はあるであろう矢に付けられる素材を検索するのに、なぜカテゴライズもろくにされていない上に左右移動で1個ずつしか動かせないクソみたいなメニューから検索せねばならないのか。テスターは一体何をテストしてフィードバックしたのか。ソート機能があるとはいえ、あまりにも快適性がおろそかである。
矢のスクラビルド機能を十字上ボタンに割り当てた結果、前作をプレイしているプレイヤーにとっては、シーカーアイテムに相当するゾナウ能力の切り替えとの操作の一貫性の破綻がストレスとなる。シリーズ物でしかも同じハードで出されている以上、タイトル間における操作体系の一貫性は常に注意を払うべきであり、本質的に同じ機能は常に同じ操作に割り当てられなければならない。
評価は文句なしの0点。評価できる要素がない。UI設計班はシロートの集まりなのか?
3. 操作面
良くも悪くもBotW。このゲームが悪いというわけではないのだが、スティック押し込みという悪しき操作法を考えたやつは磔獄門になるべき。ただでさえ低コストのために耐久性が犠牲にされて飛躍的にドリフトしやすくなった、現代のアナログスティックという可動部品に対して、さらに製品寿命を縮める押し込み機能を追加するのは正気の沙汰ではない。誤操作の原因とかどうとかいう以前に単なる計画的陳腐化であり、それに何の疑問も呈さず受け入れている業界も本当にふざけている。
話題が逸れたが、1本指操作に対してジャンプボタンとダッシュボタンが離れているのはストレスでしかない。Yが攻撃、Bがダッシュなのであればジャンプ機能を割り当てるべきボタンはRかZR、あるいは1本指操作にこだわるのであればAボタン(これは実際にはやや使いづらい)である。まあ、TotKでここを変えると上に書いた操作の一貫性に矛盾するのだが。
カメラが非常に使い物にならない。制約も多かったが64ゼルダのほうがまともなカメラである。注目(注目できない)とかもはやいらない。ないほうがいいレベル。
カメラ距離もやたら近かったり、ややアオリ気味のカメラアングルかと思いきや急に変な角度になってみたり、何を映したいのか伝わってこない上に、何を映すべきなのかが分かっていない。
はっきり言って風のタクトのカメラの完成度が高すぎるゆえに最近の3Dゲーのカメラの劣化が余計に目立つ。まともなカメラプログラマーはいないのか。視覚情報が非常に重要なゲームにおいてカメラの性能はゲーム体験の品質を左右する非常に重要な部分であり、絶対に妥協してはならない部分である。特に、普段あまりゲームを触ってこなかったライト層に訴求するにあたり、制作者の自己満足でしかないやたら複雑な操作や、やたら見づらいカメラは、単に本質的でないくだららない理由でゲームのハードルを上げているだけであることにいつになったら気付くのか。
評価は文句なしの0点。操作の快適性はゲーム体験の根本であり、そこが犠牲にされてしまっていてはどんなに面白いゲームもクソゲーまっしぐらである。
4. マップ
使いまわし。これ自体が悪いとは思わない。BotWの時のような新鮮味はないが、(ほとんど)同じマップでなければならないというのも頷ける。
地底と空島が追加されたが、PVなどで比較的アピールされていた割には空島はおまけミニゲームのための追加マップ程度でしかないという印象。もっとも、空に大量の島が浮いていたら空は暗く汚いのでこれは仕方のないことなのだろう。量が少ないといって不満を言うほうが間違っていると思う。その分内容を濃くしてほしかった。
地底マップは実は地上マップの高低を反転しただけのものということに気付いてしまえば、良くも悪くも地上マップを使って探索ができてしまう。個人的にはこれ自体が謎解きだととらえたが、人によってはただの手抜きと取られても仕方がないだろう。破魔の根の位置が地上で祠のある位置と完全に一致していることも、気づいてしまえば探索をするうえで道しるべとなる。地上と地下が完全にLinkしているというのは、デザインとして優れていると思う。
完全に新しいマップを期待していた人には肩透かしだったかもしれないが、評価は7点くらいかな。
5. ストーリー
作品単体としてみても、シリーズとしてみても、あまりにも整合性が取れておらず破綻している。過去作の設定をあまりにも軽視しすぎ。
・初代ハイラル国王が「ゾナウ族の」ラウル???ハイラル王国は神に選ばれしハイリア人の国ではなかったか?
・天から地に降りたゾナウと地上のハイリア人が手を取り合って国を興したと描かれてはいるが、それに対する動機づけが一切なされていない。これまでの設定を変える(公式の言葉を借りれば「新しい史料が発掘された」)のであれば、相応に納得できる理由づけが欲しい。
・初代国王がガノンドロフを封印したのはいいが、ではBotWやTotKよりも過去の時代である、例えば時のオカリナやトワイライトプリンセスなどの時代のガノンドロフは一体何者?ガノンドロフは、4剣+は例外として、それ以外は一貫して同一人物ではなかったのか?そもそもガノンドロフが初めて現れたのは時のオカリナの時代である。「名前だけ同じ別人が時の勇者の時代以降何度も蘇っては滅ぼそうとし、そのたびに封印していましたが、本当の諸悪の根源は別の(初代国王が封印した)ガノンドロフです」とでもいうのか?もしそうであるならば、完全に過去作のストーリーを無に帰す最悪な話である。
・(初代)ガノンドロフがラウル治世下のハイラルを攻め滅ぼそうとしたことについても動機づけがない。王に服従するふりを見せて寝返るのは時のオカリナと同じ展開であるが、決定的に違うのは時のオカリナにおける彼はそうする動機がきちんと説明されていたことである。何の説明もなく「家臣の一人が唐突に魔王となって王国を乗っ取り滅ぼそうとしました」と言われても「ああそうですか」としかならず、そこに納得感は生まれない。
・ガノンドロフがソニアの持つ時の秘石を奪い、闇の秘石に作り変えてしまっているが、それならばなぜ現在のゼルダは、ガノンドロフの手中にあり既に存在しないはずのソニアの時の秘石を受け継げているのか。そもそも過去にワープしたゼルダと当時のソニアがなぜ同時に時の秘石を持っているのか。初歩的なタイムパラドックスだし、この描写が正しいのであればゼルダが持っているのはレプリカかなんかですか?ご都合主義も甚だしい。
・秘石を飲むことにより竜へと転生し、悠久の命を得るが、代償として自我を失い二度と人へは戻れないとされた禁術。砕け散ったマスターソードをゼルダの持つ聖なる力によって長時間かけて修復し、現代へと伝えるために彼女はその禁術を使ったが、なぜか最後は人に戻ってハッピーエンド。散々不可逆性を煽っておいてこの終わり方は何なんだ。戻れてしまうなら禁術でも何でもない。もしも例外的な事例であるのであれば、それを慎重に理由付けしなければならず(「姫を連れて帰ってくるようにと言われているから」は理由にならない)、それもないままハッピーエンドにされても単なるご都合主義であり、納得感もなければ感動もない。
過去作への冒涜と整合性もなければ納得も感動もできない表層だけのストーリーのどこを評価しようというのか。0点を通り越してマイナス100点。
6. バランス面・その他
・プレイヤーの発想次第で好きなようにプレイできることがオープンワールドの良さであるにもかかわらず、いちいち攻略ルートを指定してくるような会話・イベントが多すぎる。そのうえそのルートから意図的に外れると、理不尽を通り越した仕打ちを受けることになる。これではオープンワールドにした意味がない。
・大妖精の開放イベントは、前提イベントとしてシロツメ新聞社のイベントを受注していることが条件となる。オープンワールドの意味をぶち壊す誘導に従ってプレイしないことを選ぶと、そもそもこのイベントを受注しないまま大妖精を見つけてしまい、解放イベントが発生しないのでいつまでたっても服を強化できないことになる。しかもこの前提イベントと大妖精解放イベントとの関連性がなく、前提イベントの存在に気付けても何が前提なのか全く手掛かりがない。
・いちいち敵の攻撃が重い。これは前作からの問題。ろくに装備が整わないうちは、大体すべての攻撃が即死級であり、実質ただのオワタ式ゼルダでしかない。そこに防具強化のために大妖精を訪れても、イベントさえ発生しないので強化できないという余計にストレスな状況に陥る可能性すらある。そして強化もろくにできない状況ではハートを1個2個増やしたところで焼け石に水であり、状況はさして変わらないのでハートを増やす動機さえ発生しない。
・スクラビルドとウルトラハンドの機能の類似性から、これらを分ける必要性がない。そもそもスクラビルドは武器や盾に対して使うものであるから、武器を構えているときにウルトラハンドを使えばスクラビルド機能になる程度でよかっただろう。
・いちいちロードが長い。ただでさえオワタ式でリトライ回数が増加しがちなうえに、広大なフィールドをワープしつつ探索するとなるとロードの長さはストレスでしかない。加えて、馬で走っているだけでもしばしばロード待ちの停止が挟まる。本当にテストしたんですか?
・敵のHP・攻撃力に対して武器が総じて弱い。これはある程度進めてしまうと強い武器が売るほど手に入って戦闘の難易度が極端に低下してしまう前作の問題点を、弱い武器と強い強化素材をスクラビルドすることで強い武器を現地調達させることにより解決を図ったものと理解している。これにより戦闘に適度な緊張感が持続することになり、この点は特に悪い印象は持たなかった。一方で弓は瘴気によって蝕まれていないために元から強いのがバランスが悪い。矢をスクラビルドしてしまうと、どんなにいい素材でも使い捨てになってしまうためだと思われるが、結局は遠距離からヘッショし続けるのが一番楽な戦闘法になってしまった感は否めない。
・前作では地形ギミックなどを活用して、ある意味ズルく戦ってズルく勝つことができたが、そういった敵配置はかなり削減されている。スクラビルドを半ば強制するような戦闘になってしまうのは、結局プレイヤーの選択肢を奪っていることになる上に、いやでも接近戦が増えるためにオワタ式ゼルダの問題点がより強調される。
・全体的に6年かけた割にはバランス調整がいい加減すぎる。
・無駄に精密な操作を要求される場所が多い。そもそも謎解きですらない、どれだけうまく操作できるかチャレンジでしかないような祠もある。これは前作も同じ。
・そもそもゼルダのゲーム体験のキモは謎解きであり、アクションはそのおまけでしかない。やたらとアクションを強要されるようになった前作も含め、本質が変容しているように感じる。「アタリマエを見直す」とは「本質を破壊する」ではないはずだ。アクションをやらせたいのであればマリオで十分である。そういった部分でそりが合わないので余計にストレスを感じてしまうのだろう。
つまびらかに見ていくと、決して100点とはいいがたいゲームである。巷の評価が軒並み100点なのは一種の気持ち悪さすら感じるし、100だらけのレビューにいったい何の意味があるだろうか?欠点から目をそらしているだけのレビューはレビューではないし、これだけの擁護不可能な欠点をすべて覆すほどの魅力があるとは思えない。私はかなりに辛口に評価をしている自覚はあるが、それでも軒並み100というのには非常に強い違和感を覚える。
昨日投稿した記事がとてもありがたいことに伸びたので、調子に乗って別の話をしようと思う。軽い気持ちで書いてたらクソ長くなった。
これを読む前に注意してほしいのは
だ。
YOASOBIの「アイドル」を聞いて、これはすごいと思って推しの子を見た。
そして第一話でアイが殺されて「??????」となった。あまりにも納得がいかなかった。それは以下のような理由による。
偶像としてのIdolを死守する(「嘘が愛」とかアイっていう名前からも推察できるように)というのが最序盤のテーマだったわけで、そこに子供がいるっていう嘘を死守するっていう物語があって、さらにIdolとしてファンを愛してるっていう嘘(本当は誰のことも愛したことがないから)もあるから、その嘘が本当のこと(ファンとほかの人々を心の底から愛することができるようになる)になる、っていうのが大筋のストーリーになるべきだったわけだ。
その重要な過程(アイが少しずつ成長していく)が完全にすっ飛ばされたので肩透かしを食らったという感、殺されるところでいきなり愛してるって言っていて、正直第一話だけだとアイに対して人間としての共感が全くできない。
この物語が評価されている大きな要因としては、まず推しの子に自分がなるっていう第一話のインパクトとコメディ性、次にアイが死んでしまうっていうさらに劇的な展開。
これ自体は別に悪くないと思うが、やはりアイが本当の愛を知る過程をスキップしているので作品としての完成度が低下している。
たぶんその理由として乳幼児だと行動の幅が狭すぎるっていうのがあるのかなーと。簡単に動かせないから話を作りづらいっていうのがあったんだと思う。それをどうにかするのが脚本家の仕事ではあるんだけど。でも子役ルートがあるならそういう問題もなくないか?
また、アクアとルビーの父親に関する伏線が第一話だけっていうのもつらいポイントではある。
どうしてもそこからのストーリー展開が難しくなる。第二話以降の話は割と自由に進めることができるはず(ルビーがアイドルを目指すとか、主人公が父親を捜すとか)で、その辺の先の読めない感じは面白い。
1クール目の最後でアイが殺されたりしてたらもっとよかったんじゃないかなーとか思った。
「え!? この感じなのにこの1クールを全部このOPでやるの!?!?!?!!?」
初めてこの曲を聞いた時とんでもない衝撃を受けた。
それは初めてYOASOBIの「夜に駆ける」を聞いた時に感じた衝撃と同じものだった。
まず、「夜に駆ける」が空前絶後のヒットを叩き出した最大の理由について述べようと思う。
もちろんこれは俺の意見であって、完全に正しいということを主張したいわけじゃない。別の意見があればコメント等に書いてほしい。
音楽というのはほぼすべてが感覚で成り立っているので、それを正確に記述することは本当に難しい。
「夜に駆ける」を語るにはまずコンポーザーのAyaseについて紹介する必要がある。
Ayaseはもともとボーカルとしてバンド活動を行った後、解散したのちいわゆるボカロPになったミュージシャンだ。
ボカロP:Ayaseを象徴する代表曲は「幽霊東京」や「ラストリゾート」が挙げられる。
初めてこの曲を聞いた時の俺の感想は、”よくあるボカロ曲だなあ”というものだった。
正直これらの曲はボカロ曲としては古典的な印象を与えるものだと思う。DTM感が強い、打ち込みで構成されたボカロ曲……という感じだ。
しかしここで重要なのは、実はこれらの曲でAyaseのパーカッション、リズムに関する凄まじいセンスが光っており、それが当時のネット音楽のトレンドにぴったりとマッチしてある程度の人気を博していたということだ。
Ayaseのリズム感に関する才能には目を見張るものがある、というのは上記の二曲を聞けばたぶんわかってもらえると思う。もちろんこの曲が発表されてから時間が経っているので、当時は真新しくとも今では多少風化しているように感じるかもしれないけど。
「夜に駆ける」においてもそのリズム感が遺憾なく発揮されている。ただ、この曲がそれまでのAyaseの曲と大きく違うのは
・繰り返される転調
と
だ。
一つ目の繰り返される転調に関しては「夜に駆ける」を聞けばわかる。最後のCメロのところとか二回くらい転調してる。で、たぶんなんか普通の転調とは違う感じがする。音楽知識がないのでその辺はわからないけど。まずそこの斬新さがある。異論は認める。
まずikuraが持つリズム感についてはもうとりあえず「夜に駆ける」聞いてみてほしい。歌詞の子音がバスドラとクラップに気持ちよくハマっている。
この文章を書くにあたって今一度「夜に駆ける」を聞いていたら、そのikuraのリズム感の素晴らしさについてちゃんと語りたくなったので細かく述べる。興味ない人は飛ばしてください。
・イントロの”沈むように「溶けて」いくように”の「溶けて」のリズム感が良い
・”二人だけの空が広がる夜に”ここのリズム感は全部いい
・”さよなら「だけだった」”の「だけだった」のリズム感が良い
・”その一言で「すべ『て』がわかった」”の『て』が良い
・”日が沈みだした空と君のすが「た」”の「た」のリズムの取り方がマジですごい
・Bメロの”いつだってチックタックと「鳴る世界で」”の「鳴る世界で」のリズムの取り方がすごい。
・Bメロの”触れることない言葉うるさい声に涙が”ここのリズムは全部すごい
・サビの”騒がしい「日々に」笑えない「きみに」”の「日々に」と「きみに」のリズムの取り方がすごい。
・二番のBメロは正直全部リズムの取り方すごい。”信じてたいのに信じれないことそんなのどうしたってきっと これからだっていくつもあってそのたんび怒って泣いてくの”ここがすごくいい
・Cメロの”もういや「だって疲れたんだって」”の「だって疲れたんだって」のリズムがすごい。
ここにリズムの優れた曲を作るAyaseとのシナジーがある。偶然にしては出来すぎたユニットである。
次の”ikuraが持つ自我の顕れない説得力のある歌声”について
これは説明がとても難しい。
と
・なんでも歌える歌手
の二種類だ。一見後者の方がなんでも歌えて優れているように思えるかもしれないけど、事態はそんなに単純じゃない。
まず前者について具体例をいくつか挙げようと思う。
とりあえず例を列挙する。
米津玄師「アイネクライネ」というか米津玄師はほぼ全部自分の話をしている感じがする。
実はほとんどのバンドマンは自分の話しかしていない。ヨルシカが「八月、某、月明かり」の歌詞で叫んでいるように「心を売り出し」ているのだ。
ちなみにヨルシカは「詩書きとコーヒー」でも「寿命を売るなら残り二年」とか歌っていたりして、そういう自分のことしか歌えないナブナ自身をどこか皮肉めいて表現していたりする。
りりあの「浮気されたけどまだ好きって曲」を聞いてほしい。これ絶対自分の話だろと思って調べてみたけど明言してないっぽい。なら自分の話と考えていいのかな?
この曲は浮気された女の子の心情を歌うにしてはリアリティが高すぎる。
汚れた君は嫌いだ
君を汚したあいつも嫌いだ
この歌詞の下のほう、「君を汚したあいつも嫌いだ」ってそっちにヘイトが向く心情を表現できるのすごくないか? 普通浮気された曲って恋人に対する恨みつらみで話が終わると思っていただけにびっくりした。
こんな風に自分のことを歌う曲は”その人の人生の重み”が自然と声に乗っかるので、ものすごい破壊力がある。
でも、こういう歌手がほかの人の作った歌を歌うと、どことなくちぐはぐな感じになる。なんか違うな~とか、ぐっとこないな~みたいな気持ちになる。
あとこのタイプの歌手は一発屋で終わる傾向が多い。劇的な経験がないと歌えないならそうなるのも必然、という感じはする。
歌い手文化はいろんな人の曲を歌うっていう前提があるわけで、そこでさっき挙げたような自分の歌を歌うタイプの歌手は歌い手文化にそぐわない。
自分が共感できる曲だけを歌うことでその問題を解決してる人もいるっぽいけれど。
なんでも歌える歌手の例を挙げる。
・ikura
・Ado
・yama
・suis
ヨルシカはナブナの個人的な、本来だったら本人にしか歌えないような歌をsuisが上手く歌っている感がある。
これらの歌手は限界まで自分の色を出さない。でも無個性とは違う。ただひたすらに歌詞にひたむきに向き合って、そこから読み取れる感情をまっすぐに表現している。だから聞く人の心にダイレクトに届いているように思う。
YOAOBIのコンセプトは”小説を音楽にする”だ。このコンセプトとikuraのどんな曲も歌うことができるという特性は実に親和性が高い。
「夜に駆ける」の元となった小説は「タナトスの誘惑」というものだ。
あらすじをめっちゃざっくりと言うと、死にたがりの彼女を助けた主人公だったが実は彼女は死神で、最終的に一緒による闇に飛び降りるという、中二病要素をこれでもかと言うほど詰め合わせたような物語だ。大学生が書いたらしい、笑った。
さて、どれほどこの物語がチープであろうとしても、この歌を実体験として生々しく歌うことができる人はなかなかいない。テーマが重すぎるし、全体的に闇が深いものだからだ。
ただ、ikuraは「夜に駆ける」を独自に解釈することに成功している。
この作品自体をどことなく俯瞰的に見下ろして歌うことによってそれはかなった。過度に主人公やヒロインに感情移入するのではなく、どこか客観的な視点から物語を淡々と紡ぐように歌う感じ。無機質な――機械的な、ある種ボカロっぽい歌声と、どことなく人間の闇を感じさせるPV(このPVもあの原作小説から作ったとは思えないほどクオリティが高い)が悪魔的に融合した。
これが「夜に駆ける」がヒットした二つ目の要因だと思う。
もう一回PV見てるけどやっぱりいいな。
“制限が新たな芸術を生む”的な言論があったりする。「アイドル」が素晴らしい曲であるのにはここに要因がある。
今回の場合は
・最新の曲調(Adoが歌う「踊」に似てるとか指摘されてるね)
・”推しの子”のOPに要求される、アイドルソングライクな(コールが差し挟まれるなどの)要素
この三つが程よくミックスされた結果、既存の物にはない斬新さを持った曲としての大ヒット……だと思う。
この話をするにあたって、YOASOBI「アイドル」の歌詞について軽く説明する必要がある。
「アイドル」の歌詞は原作「推しの子」とそのスピンオフ小説の「45510」をもとにしたものだ。
医者の主人公のところに推しのアイドル(アイ)が妊娠出産のために入院してくる→出産日に主人公が殺される→気づいたらアイの子供に生まれ変わってた→アイドルなので子持ちはまずい→なので必死に嘘で隠す
というものだ。
そしてスピンオフ小説「45510」の主人公は、アイとかつて同じアイドルグループに所属していた女性だ。
「アイドル」の歌詞の中での主人公は歌の途中で変わっている。二回目のサビまではスピンオフ小説の「45510」の主人公がこの歌の主人公で、その後はアイ自身の歌に変わる。
1サビまでの歌詞は「45510」の主人公の、アイに対する憧憬を描いたものと思われる。同じグループの中でも抜きんでて人気のあるアイに対する羨望を表現している。
ここの歌詞をikuraは上手く歌えている。
問題はその後だ。
我々はハナからおまけです
お星様の引き立て役Bです
全てがあの子のお陰なわけない
これはネタじゃない
からこそ許せない
完璧じゃない君じゃ許せない
自分を許せない
誰よりも強い君以外は認めない
これはアイが所属するアイドルグループ「B小町」の別のメンバー:「45510」の主人公の心情を描写したものだ。正直、この歌詞を書いたAyaseは天才だと思う。
一見、最初はアイに対する強烈な嫉妬心を表現しているように見えて、最後には
完璧じゃない君じゃ許せない
自分を許せない
誰よりも強い君以外は認めない
とアイに対する信仰とでも言うべき強い感情の発露を描いている。この一見相反するようでいて、しかし同一の感情を詳細に表現したセンスはマジですごい。
Vtuberの歌ってみたとかを聞いた時に「お、この曲はこの子とマッチしてるからいい感じだな」とか思ったことがないだろうか? 俺はその現象を”人格一致ボーナス”と呼んでいる。
たぶんikuraはまっすぐに、幸せに育ってきたタイプの女の子なんだと思う。だから、こうした嫉妬などのどす黒い感情にそれほど縁がないのではないだろうか? なので、それを歌おうとしても、どうしてもうわべだけのものになってしまう。
先ほどの話に戻る。世の中には
・どんな歌も歌うことができる歌手
の二種類が存在する、と言った。
の二つがあるのだ。
そして「アイドル」という曲は”とある人間にしか歌えない曲”に属する。それはこの曲が極めて個人的な体験(この場合だと、45510の主人公とアイ自身の体験)をベースに紡がれているからだ。
ikuraのスター性と「アイドル」の明るい部分は極めて親和性が高い。特に一番のサビなんかは完璧に歌えている。しかし、45510の主人公のアイに対する嫉妬などのダークな部分は歌えない。聞けばわかると思うが、なんだか上っ面で歌っているような印象を受ける。
そんな私の嘘がいつか本当になること
信じてる
恵まれないアイの家庭環境を背景とした暗いCメロの歌詞だ。やっぱりここでも、ikuraの歌はどことなく空虚な感じがする。ikura自身にこんな経験がなく、想像することさえも難しいからだ……と思う。
あるいは、
【ikura】今回は、レコーディングする前にたくさん話し合って…。どういうイメージで、どういう声色で、ニュアンスでやっていこうかっていうのを考えながらレコーディングしました。
【Ayase】そしてたどり着いたのが…「最強のかわいい!」です。僕はikuraがレコーディングブースに入って一生懸命歌っている中、勇気づけるようにディレクションブースから「もっと自分のことかわいいと思って!」って伝えていました。https://news.yahoo.co.jp/articles/32691ffa10659b427d43550c4eda76ad09a1ea74から引用
とあるように、レコーディング環境が足を引っ張ってしまった可能性もある。
「アイドル」の歌ってみたをいくつか聞いてみると、この二番を上手に表現する歌い手を何人か発見した。やはり、こうした現代的な嫉妬の経験がある歌い手のほうが歌声に説得力が増す。
しかしこうした歌い手は同時に、サビの部分で顕著に表れるアイが持つ底抜けの明るさ、可愛さを表現することが難しい。
「アイドル」を完璧に歌える人間は存在しないかもしれない、とか思った
単刀直入に言おう、俺は「うっせぇわ」と「可愛くてごめん」が嫌いだ。
「可愛くてごめん」は最初気に入って何度か聞いていたが、しばらくしてからその歌詞から漂う人格にだんだん嫌気がさしてきて、気づくと聞くのをやめていた。
初めて聞いた時、なんて痛々しい歌詞だと思った。この歌詞考えたやつ絶対黒歴史になるだろ。
高校生が考えた歌詞に違いない。と思ったが調べてみたらこの歌詞を書いた作曲家は25歳らしい。嘘だろ。じゃあ天才だ。
まずこの曲の歌詞の大意は、社会に出るまでに敷かれたレールに対する反抗というこれまでの音楽で幾度となく繰り返されたありきたりなテーマだ。
こういった思考は中高生に多く見られるというのは同意してもらえると思う。
気づいたら大人になっていた』
というフレーズを見てほしい。この時点でこの歌詞における主人公は”大人”になっている。
俺の意見では、”社会のレールに乗ってしまった”という意味での”大人”だと思う。
精神的な成熟を示す”大人”という形容詞は”気づいたら”なっているものではないからだ。
さてここで作者の話に戻るが、作曲家は通常の社会のレールに乗ってなれるものではないので、この作者は仮想の主人公を立てていると考えられる。
そう考えると歌詞の奇妙さが浮き彫りになってくる。
それは、この”大人”像があまりにもディティールが低いということだ。
・最新の流行は当然の把握
・酒が空いたグラスあれば直に注ぎなさい
・皆みながつまみ易いように串外しなさい
・会計や注文は先陣を切る
ステレオタイプ過ぎないか? 俺が最初に高校生が考えた歌詞か? と感じたのはここが大きい。
俺の考えだと、この歌詞の仮想主人公は高校生くらいだ。というか社会に出た人間がこんなこと考えてたらヤバくないか? いくらなんでも幼稚すぎるだろ
『社会のレールに乗るくだらない社会人になりたくない、という中学生か高校生の痛々しいメンタリティを表現した曲』
だった。
現代は誰もが「何者」かになりたい時代だ、としばしば指摘される。「うっせぇわ」の歌詞は痛いほどその事実を体現させていると思う。
という歌詞は、自分はほかの者たちとは違う、一切合切凡庸ではない「何者」であるという宣言に他ならない。
他にも、
・頭の出来が違うので問題はナシ
・私が俗に言う天才です
自分が特別だ、と思うことがどれだけ特別じゃないことかとかそういうことも気づいていない青臭い歌詞だ。
はぁ?うっせぇうっせぇうっせぇわ
“自身のお気に入りの歌詞は「あなたが思うより健康です」というフレーズだという。syudouはまだネットシーンでのみ活動をしていた当時に、ネットの音楽が「病んでいる」「暗い」というイメージで片づけられていたことに不満を持っていたといい、それに対してガツンと伝えたいという思いが上記の歌詞に込められている”
と言っていたそうで、これはつまるところ”大人”に対する反抗というこの曲のテーマに加えてもう一つ、”陰キャの復讐”というものがあるということだ。暗い、根暗な陰キャは実は強いんだぞ! というシンプルなテーマだ。
俺が最も気に食わないのは
『つっても私模範人間
殴ったりするのはノーセンキュー』
という部分だ。
昔の有名なコピペを思い出す。
“初カキコ…ども… 俺みたいな中3でグロ見てる腐れ野郎、 他に、いますかっていねーか、はは
今日のクラスの会話 あの流行りの曲かっこいい とか あの 服ほしい とか ま、それが普通ですわな
it'a true wolrd.狂ってる?それ、誉め 言葉ね。
なんつってる間に4時っすよ(笑) あ~あ、義務教育の辛いとこね、これ”
この最後のほうにある
という部分が「うっせぇわ」の歌詞とめっちゃ似てる。すごい似てる。
結局、この曲の歌詞とこの曲に共感している人々は、自身を社会のレールに乗ることを受け入れた”模範的な人間”なんだ、という肯定的な評価を(無理やり)することで、国家による法的な統治に安住している卑怯者に過ぎず、その自分が語る反抗もせいぜいSNSで(しかも匿名で)文句を言うくらいしかする度胸しかない。
うわあ、まさしく陰キャって感じだ。
と俺は思ったわけだ。ああ、もちろん犯罪行為を肯定しているわけではない。
この曲で最も頻発される「可愛くてごめん」という歌詞に関する俺の考察を述べておく。
まず想像してほしい、橋本環奈が「可愛くてごめん」と言ったとする。そんなことを言われてしまったら俺たちは何も返す言葉はない。「はい、可愛いです」と答える以外の余地はない。
さてここで考えてみてほしい、
と言うだろうか?
まあ俺の意見では、橋本環奈はそんなことを一ミリも思わないだろうし、言うわけがない。橋本環奈にとって自分が可愛いことは息を吸うことと同じくらい当たり前のことだからだ。わざわざ自慢する必要がない。
そして本当に可愛い女の子は、自分のことを可愛いなんて言おうものならほかの女子から総攻撃を受けるので、心のそこでそう思っていたとて口に出さないものだ。
つまり本当の勝者は他者の僻みに迷惑をかけられることはあれど、そこから一転攻勢、「むかついちゃうでしょ? ざまあw」などとは絶対に言わない。ここに「可愛くてごめん」に秘められた興味深いメンタリティが表現されている。
この「可愛くてごめん」の主人公は、学校では地味な女の子で(確かPVでもそう表現されてたかな?)、周りの、いわゆる”一軍”女子に憧れ嫉妬し、ある種、僻みさえしている。
そして休日になると自分の好きな可愛い服を着て、メイクをして、”可愛く”なって街に出かける。そう――”一軍”女子と肩を並べるために。
可愛い自分に嫉妬する誰かがいると思い込み(実際にいる可能性はもちろんある)、自分のことを僻む、顔の見えない誰かのことを意識し、自撮りをSNSに載せて、自分が可愛いことを証明することで、そうした誰かと一人孤独に戦っている。
その誰かとは実は、スクールカーストのてっぺんに位置する一軍の女子を僻み、コンプレックスを抱く自分なのだ。
「可愛くてごめん」について考察してるとなんか可哀そうだなという感情がわいてきて、執筆当初にあった嫌いという感情が薄れてきた
俺もこんな風に匿名掲示板で嫌悪を吐き出すという陰キャムーブをしてるなと今思ったw ダブスタかもしれん
誰もが「何者」になりたい世界はSNSの発展によってもたらされた。他人といくらでも比べることができる世界で、自分という唯一無二の存在が本当に唯一無二であるということを証明する必要がある。
俺もこんな記事を書いて「何者」になったつもりなんだろう。伸びるといいな。
ありがたいことにたくさんのコメントを頂いた。
いくつか興味深い指摘があったのでその点をもう一度考察してみた。
この指摘は、「可愛くてごめん」の歌詞はほかの人からバカにされたりする自身の趣味に対する偏見をはねのける少女の精神性を表現したものだ、というものだ。
そうした精神性からこの曲の歌詞を振り返ると真っ先に浮かぶ疑問はこれだ
“なぜ自身の趣味をバカにされたり、見下されたりすることへの反抗が「自身が可愛いこと」なのか?”
これはルッキズムに少女の価値観が支配されていることを示していると言える。しばしば言われるように”可愛いは正義”というやつだ。この価値観の元では”可愛い”者は強く、”可愛くない”者は弱いのだ。
人からバカにされたり、根暗や変わっていると思われる蔑まれがちな趣味を持っている私(≒いわゆる陰キャ)の私でも可愛いぞ(≒強いぞ)! という主張だ。これは”陰キャの復讐”という文脈に回収できるのではないだろうか?
そして、その精神性の内側には普段抑圧されているマイノリティのコンプレックスがある。
そのコンプレックスが最も示されているのは、「可愛くてごめん」の歌詞すべてと言っていい。
「可愛くてごめん」と連呼することは、可愛くない自分を無理やり鼓舞するために必死に主張しているように見える。私は可愛いのだ! ということを全身全霊で認めようとしている。それは他者に向かっているように見えて、自分自身を納得させるために繰り返されている。
そうすることで「私は強いのだ!」と納得しようとしているように見える。
あと、「うっせぇわ」も「可愛くてごめん」も作詞者がそう考えている、と俺自身が思っているわけではないよ。正直ここまで若者に刺さる歌詞を詳細に書くことはマジですごいと思う。
実際こうやって俺が嫌いになっているという事実こそがこの曲の歌詞が素晴らしいものであるということの証左でもあるしね。
あと、「それを嫌うお前の中にそういう精神性がまだ少し残ってるからだろ」的な指摘があって笑ったwww
最近もマリオの映画の話になって「任天堂は王道すぎるから若い子にはウケないんじゃない?」みたいなこと言ったら「え?任天堂めちゃくちゃ面白いですけど」みたいに返された。
いやいや、任天堂って子どもっぽくて物足りないでしょ、って言っても頭に「?」を浮かべている。
大衆で受けているもの=退屈、って感覚がごっそりなくなっている。
ほかにもほかの子とディズニーの映画の話になったときも「研究としては見るけどね……」みたいなこと言ったら「逆じゃないですか?」と返された。
「普通はマニアックな映画を新しい表現を接種するために研究として見るんじゃないですか」と言われてぽかんとなった。
えええ、きみらってディズニー映画を心の底から面白いと思っているの?っていうことばが喉元まででかかった。
どう思う?
結婚式(というか披露宴になるのかな)に使いたい!と思ってる曲がある
・日時計の丘(たしかフリー音源)、こども讃美歌の「小鳥たちは」とかを開始まで流してたい
・A Thousand Years(この曲で薄暗いところから入場したい)
・RADWIMPSのいいんですか、セプテンバーさん、ラストバージン、マニフェスト(ドンピシャの世代だから特にラストバージンは親子のシーンとかで流してほしい)
・米津玄師のアイネクライネ、アンビリーバーズ、サンタマリア、メランコリーキッチン(単に好き)
終わり方とか繋ぎ方とかは提案してもらえるのかな。後音源の用意が物理的にCD用意しないといけない感じだと大変そう。
実際のところは彼氏もおらず結婚の気配もなく、万が一結婚することになっても人前で晒し者になりたくないからしかも披露宴もしないと思う
自分で言ってて謎だけどそれとは別の次元で式や披露宴に対するこだわりがある。ケーキカットはみんなで食べられる平たくて大きいサイズが良いとか、肉も魚も両方コースで出てきてほしいとか、ウェディングドレスはかっちり系の胸から肩を覆う布が回ってるデザインが良いしリボンのモチーフが嫌いだからレースとかは草花デザインが良いし、装花はラナンキュラスが1番好きなので白とそれにあうグリーン系メインで置いて欲しい
場所は親戚が各地にあるから羽田空港集合でバスチャーターで近場の式場集合が現実的かなとか、そういう、理想の結婚式の妄想は捗るんだけど現実としてこれをやりたいかと言われるとちょっとお断りしたい…が…
https://anond.hatelabo.jp/20230506002819
「ネットの中心が「老人たちの噂話」になっていてあーヤダヤダ」とかもそうだが、日本語のネット圏ってなんかパターン化されてるんだよ。それはSEOなどのPV攫う方法論と日本特有の隣組的監視で。
英語ってアメリカとイギリスのコンテンツを見る言語だと思ってない?
そうじゃないんだ。英語を使うのは、インドネシア人、ブラジル人、フランス人、ドイツ人、ケニア人、中国人、台湾人、ロシア人、ベトナム人…要するに世界中の人間だ。例外は日本人くらいだ。
特におススメはYoutubeだ。日本語でようつべ見るとどれも同じノリの動画ばかりが並ぶじゃない?
でも英語でアクセスすると全然違うのだ。しゃべりや行動に合わせて「ポコン」とか「ドドーン」とかのウザイSEが入る事もない。
日本語のYoutubeがダルイ原因の一つに10分引き伸ばしがある。動画の長さが10分超えると広告を入れられる数が増えるので収益アップする。そこで10分までダラダラ引き伸ばす手法が一般的なのだ。
だが海外動画では10分に至らなくてもぱっと切ってしまう動画が多いからダラダラ感が余りない。
もう一つの利点が広告で、日本語Youtubeだと結構程度の低い広告が目立ってオワタ感があるなーとか言われてるが、英語だとそうじゃなくなるのだ。
因みに接続元が日本の場合、英語の広告になるという事は少なくて日本語広告が流れるが、大手企業のものが多い。あとゲームアプリの広告。
英語むずいんじゃ?
そこで字幕ですよ。Yutubeの字幕エンジンは日本語の聞き取りはてんでダメだが、英語ならきっちり文字おこししてくれる。
また、ネイティブ(とくにアメリカ人)の英語は聞き取りが難しいが、他言語圏の非ネイティブ英語はめっちゃ聞き取りがしやすい。リンガ・フランカの特徴だ。
やり方はYoutube右上のアカウントアイコン→言語→英語、とするだけ。ロケーション→USAとやってもいいが大して効果はない。
するとその動画を元にリコメンドが並ぶ→好きなのを再生→リコメンドの繰り返し。既存のチャンネル登録を解除する必要もない。
日本語の動画を見ると日本語動画のリコメンドが増えるので、そしたら英語動画を再生してリセットさせればいい。見ずに裏で流してるだけでもOK。
最後に増田の登録してるチャンネルから幾つか紹介するから参考にして。
・ElectroBOOM https://www.youtube.com/@ElectroBOOM
カナダのイチケン。中東系移民の濃いおっさんが電気の実験しながら技術解説して感電したり感電したり感電したりする。
・Sheet Music Boss https://www.youtube.com/@SheetMusicBoss
ピアノ譜面を作成して演奏しているチャンネル。毎日公開。時々RUSH Eとかの大ブームを引き起こす。
・Adam Savage’s Tested https://www.youtube.com/testedcom
「怪しい伝説」で有名なSFXエンジニア、アダム・サベジのチャンネル。最近ちょっと元気がない。
・ ahmad arif 29 https://www.youtube.com/@ahmadarif29
インドネシアのサトウキビ鉄道のチャンネル。放置されて線路がなくなり、廃線を通り越してただの道路や森になっているところに無理に機関車を走らせて重量と鉄車輪の面圧の暴力で鉄路を復活させる。バキバキとヤシの木やバナナの木をなぎ倒して行くところなどが圧巻。勝手に線路の上にアスファルト舗装されたところも面圧蹂躙で舗装を砕いていく。線路上に貨車があって通れないところは人力で貨車をひっくり返して進む。
・Linguoer?mechanic https://www.youtube.com/@linguoermechanic
女性がガラクタ機械をレストアするチャンネル。ロケーションUSAって書いてあるがどう見ても中国奥地。
・Hydraulic Press Channel ttps://www.youtube.com/@HydraulicPressChannel
有名だが。フィンランド人夫婦が油圧プレスであらゆるものを破壊していく。紙やベアリングを破壊した時の爆発が名物。
・Grand Illusions ttps://www.youtube.com/@grandillusions
英国のおっさんが色んなオモチャの実演をする。物理オモチャなど風変りのものばかりなので興味深い。
・Red Dead Restoration ttps://www.youtube.com/@RedDeadRestoration
・Vinheteiro ttps://www.youtube.com/@Lord_Vinheteiro
決して笑わない音楽の先生。使用楽器は数千万のピアノから数百年前のハープシコードから絶叫アヒルまで。
・Brick Experiment Channel ttps://www.youtube.com/@BrickExperimentChannel
レゴで複雑な機構を作り続ける。ただ作るのではなく、作成→新たな課題→克服→新たな課題、とプロダクトマネージメントの形で見せる。
・The Slow Mo Guys ttps://www.youtube.com/@theslowmoguys
超速度カメラで決定的瞬間を撮影。弾丸が強化ガラスを割ってヒビが進行して爆発に至るまでなどこのチャンネルじゃなきゃ見れない。
・木根 Mugen Woong ttps://www.youtube.com/@mugenwoong
マレーシアの彫刻盆栽師。ジオラマと日本の盆栽を合わせたような緻密な作品を作る過程。
・Primitive Technology ttps://www.youtube.com/@primitivetechnology9550
原始人となって自然にあるものから家や道具、製鉄までを作る工程を見せる。登録1000万人の大人気原始人。なろう系IRL。
・TopSpeedGermany ttps://www.youtube.com/topspeedgermany
様々な車でひたすら最高速チャレンジ@アウトバーン。停止時に時速250kmで抜かれたフェラーリをテスラモデル3で追いかけ40秒で追いつく動画は驚愕する。
・my mechanics ttps://www.youtube.com/@mymechanics
人気ジャンルの道具レストアチャンネルだが、クオリティが異常に高い。完全な新品に仕上げる。
・Practical Engineering ttps://www.youtube.com/@PracticalEngineeringChannel
主に土木に関して、事故の原因や土木物構造、仕組み。技術を解説するチャンネル。ゆっくり動画なんかよりいいぞ。
・HAHNS ATELIER ttps://www.youtube.com/@HahnsAtelier
韓国の革工房。映像の撮り方がよく、音声もASMRで非常に気持ちのいい動画になっている。パンチで革を叩き切る音が特にいい。
もう一つの利点は、こういう動画群を見ているとネトフリのファン動画も出てくるようになってきて、それで面白い番組が知れるって事もある。
「love robots and death」の「jibaro」なんかはマジですごいのだが、Youtubeでのおすすめで出て来ないと知れなかったような番組だ。
ストリートファイター6、通称スト6で導入されたワンボタンで必殺技が出る操作形式・モダン操作の是非をめぐる論争だ。
個人的には自分が格ゲーやる上で躓いた部分に配慮された素晴らしいシステムだと思ってる。
この操作方法については肯定・否定いろんな意見があるが、挫折しかけつつも浅瀬でぱちゃぱちゃしてる底辺ゲーマーからの意見があまりないなと思ったので書くことにした。
一応実力を書いておくと、スマブラをきっかけに格ゲーを始めて実力は
スト5 ・・・ リュウ→キャミィでシルバーまで あまり肌に合わなくてしばらくトレモしか触ってない
ぐらい。
コマンドや基礎コンボならある程度は安定してるし、完璧に読んだ上で噛み合えば対空昇竜も出せなくはない…程度。
スト6はベータテストには参加せず、体験版が出てからモダン操作で始めた。今はCPU Lv.7にまあまあ勝てるぐらい。
まず、モダン操作で素晴らしいなと思ったことは「モダンのまま上手くなる道筋が用意されていること」と「コマンドを否定していないこと」だ。
一部出せない必殺技こそあるものの、基本的にコマンド入力することで普段よりも強力なダメージの必殺技が出せるし、弱中強の使い分けもできる。
つまり、最終的にはある程度はコマンド入力をすることを想定して設計されている。
コマンドは格ゲーの醍醐味だというのは自分もある程度は正しいと思っているし、実際にコマンドを入力して技を出すのは気持ちいい。
コマンド技が出るようになる → トレモでコマンド技が安定する → 実戦でコマンド技が安定する
という3段階が必要だ。
特に2番目と3番目の間が厄介で、実戦で緊張せずにコマンドが出せるようになるまでは、暴発や不発を受け入れ続けなければならない。
しかも、入力を失敗すると相手に至近距離で巨大な隙をさらして負けるというオマケがついてくる。(GGSTはこの辺はまだ入りやすかった)
そういうしょうもないミスを拾って勝つのを楽しいと思う人もいるかもしれないが、少なくとも自分はそうではない。
この「しょうもない負けをする期間」が減るだけでもモダンの価値はあると思った。
咄嗟の時にでもワンボタン必殺を出せるという保険があるのはものすごくありがたい。
さらに、昔はどうだったか知らないが、今はまずコマンド技が出ることが前提でゲームの基礎が構築されているため、コマンド技が出せたところでそれはスタートラインに立っただけで勝てるわけじゃない。
格ゲー経験者からすれば慣れ親しんだ基礎システムの上に新システムが乗っかっているのかもしれないが、初心者からすればまずその基礎システムが複雑で、読み合いすらわからずにしばかれる。
「勝つために練習するのは当たり前だ」という意見をよく目にするし、実際に自分もそう思う。
だが、それを楽しめるのは「これを克服すれば勝率が上がる」という明確なビジョンがあるからだ。
土俵に立った人間が練習して上手くなるのと、まず練習しないと土俵にすら立てないのでは話が違うと思った。
自分が格ゲーにすんなり入っていけたのは、スマブラで格ゲーキャラを触っていたおかげで最低限コマンドの技術は安定していたからだと思う。
上にも書いたが、自分が格ゲーを触ったきっかけはスマブラのテリーを使ったことだった。
テリーである程度勝てたので「これなら本家の格ゲーもいけんじゃね?」と思い上がってスト5を買った。
ちなみにスマブラのテリーはひたすら密着で回避と弱攻撃を入れ込んでお手軽コンボを擦りまくるキャラで、スマブラ勢には割と嫌われているキャラだ。
だが、このキャラには「コマンドさえ安定すれば(ある程度のランク帯までは)手軽に勝てるようになる」という特性がある。
しかも、コマンドが不発でも弱攻撃は最終段まで出るため、相手は吹っ飛んで状況がリセットされ、クソデカリスクを背負うことも滅多にない。
つまりミスしても致命的に結果が悪くことはなく、でもコマンドさえ安定して出せれば絶対に勝てたという反省ができるキャラなのだ。
練習すれば勝てるという希望が見えたからこそ、自分は喜んでコマンドとコンボを練習したし、それで勝率を安定させられた。
実はスマブラのテリーとカズヤという存在は、格ゲー界にすごく貢献してると思う。スマブラにおける影響はノーコメント。
最初は中攻撃連打や強攻撃連打でコンボが出るため、それで最低限試合になる。
しかもアシストボタンを使えばゲージまでちゃんと吐いてくれる。
これだけでもコマンド暴発やコンボミスで致命傷を負うことがなくなる。
人間、パニくった時は連打をする生き物なので、それだけで最低限の火力と仕切り直しまで行けるのはありがたい。
だが、これで最大リターンまで取れてしまっていたら、間違いなくこのゲームをすぐにやめていたと思う。
モダン操作の素晴らしいのは、「モダン操作のまま強くなれる道筋があること」だ。
簡単なところでは、コンボの締めだけをコマンド技にすることで少しずつリターンを伸ばしていける。
波動拳をコマンド入力で出すことで、弱中強の使い分けができるようになる。
自分も今はCPU相手に中攻撃→アシスト中攻撃→OD足刀→コマンド昇竜みたいなコンボ決めて楽しんでいる。
なんだかんだコマンドで技が出るのは気持ちいい。その楽しみを奪っていないのがモダン操作のよくできたところだと思う。
さらには高等テクニックとして、ドライブラッシュを絡めたコンボまで習得すればモダンでも十分に高火力を狙いに行ける。
(ドライブラッシュについては、入力の難しさに加えて、出せたところでCPUにほぼほぼ技を置かれてつぶされたので、今の自分には不要なものと判断して触ってない)
このように少しずつ練習を積み重ねて上達する余地があるというのが、モチベとして大きい。
もし、これでモダンの経験値を捨ててクラシックに移行する以外の成長の道が残されていなかったとしたら「じゃあ卒業でいいや」って言ってたと思う。
なので、「結局やり込むならクラシック」とか「クラシックでやってるやつだけが本物」という風潮にはなってほしくないと思ってる。
あくまで「初心者救済お手軽モード」ではなく「モダン操作」としてデザインされているのが個人的にはすごくデカかったし、しかもコマンド入力自体も否定されていないのがとてもいいバランスだった。
あと、巷で言われているワンボタン無敵技について。
上級者帯でどうなるかは知らないが、ゲージさえ溜まっていれば何とか仕切り直せる技が出せるというのは個人的にはありがたい。
画面端や起き攻めのタイミングでどう打開していいかわからずにそのまま殺されるというのは初心者あるあるだと思う。
また、少なくともリュウとルークを使っている時点では無敵技は何かしらのゲージを払っているし、ガードされるとガッツリリスクがある。
少なくとも相手のコンボ中にEX昇竜入れ込みまくってお祈りしたり、ひたすらコマンドだけ入れて待って覚醒必殺ぶっぱなしてきた身としては、根本的にやってることは変わらない。
(逆にそんなプレイをしているので、モダンは発生を遅らせれば平等じゃない? という意見については、そんな単純な話じゃないなと思った)
そんなわけで、自分は今のところGGSTでいうバーストのような感覚で使っている。
特に今作はラッシュにインパクトに飛び込みにと非常に相手の攻めの選択肢が非常に多く、非常時にその大半に対応できる「なんとかなるボタン」の存在は非常に助かっている。
(自分はSA発動を右スティック押し込みに設定しているため本当にワンボタン)
バーストと違って無視できないレベルのダメージがついてくるため、単純比較できないのはわかる。そこは調整のし甲斐がある部分だと思う。
モダンとクラシックにあえて絶対に超えられない火力差が設定されてる理由はむしろこっちなんじゃないの?って思った。
ワンボタンSAの存在が上級者のレベルでどんな影響をもたらすかについては、当然自分は上手くないので何とも言えない。
ただ、スマブラでPVだけ見て「ぶっ壊れ!」と上位層が的外れに騒ぐ文化を見まくってきた自分としては、今の時点で決めつけるのは早いんじゃないかと思った。
(大体の場合はわかりやすく派手な技にはしっかり対処法が存在していて、むしろ騒がれた部分以外の強みが徐々に明らかになっていく。経験者の「予言」はあてにならない)
結局、ワンボタン無敵で待つという行為がどの程度強い行動になるのか、それを打開する術があるのかないのかは、発売してしばらくしないとわからない。
少なくとも、発売してないゲームのゲーム性を知ったような口で叩くのは、見ていていい気分はしなかった。
余談だが、「初心者救済用のシステムを設けたら、上級者がそれを悪用してさらに勝つようになる」という話がある。
だが、上級者が初心者用のシステムを悪用して勝つ分には、自分はあまり気にならない。
なぜなら、ゲームシステムをうまく使いこなす人が勝つのは当然だと思っているし、その上手い人たちの活用方法を学べば、自分でも勝てるようになるかもという希望が見えるからだ。
むしろ、「共通知識」である基礎システム関連の経験値の差でメタメタにされたほうが心に来る。
これに関しては、どちらが評価されるのが絶対に正義とも思わないので何とも言えないけど。
色々言ってきたが、言いたいのは「モダンは入門者の学習曲線まで考え抜かれた素晴らしい独立した操作大系」だということだ。
スト6運営にはこれが新しいスタンダードだという姿勢は崩さないでほしいし、モダンは初心者のための補助輪、クラシックに移行するのが正義、という風潮にはならないでほしいと思う。
自分も最初はモダンの操作感に馴染めず戸惑ったが、モダンが強いと思うのならば、せっかくだから「勝つために地道に練習」してみるのも一興ではないか。