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2019-05-22

はてなブックマーク - 「動物はおかずだ」デモに関して(1) - 道徳的動物日記

http://b.hatena.ne.jp/entry/davitrice.hatenadiary.jp/entry/2019/05/21/172032

動物福祉」と「動物権利」の区別がつかない人が 人間動物ちゃんと見分けれるのか問題

rgfxrgfx おわ、「アニマルライツ運動」と「動物屠殺されない権利」をイコールで結んじゃった。

nonstandardlife 「肉を食べるな」はハードルが高すぎるけど「家畜飼育環境改善しよう(その分のコストは受容する)」というのなら賛同してくれる人はある程度いるんじゃないかと思うので、そういう方向に行ってくれたらなあと思う

スターつけてる人のコメント

AKIMOTO 人間動物の間に境界線を引けない人間がそんなにいることに恐怖を感じる

h5dhn9k ありゃ?…… 普段のDavitRice氏の主義主張とは真逆じゃない? 何かあったのかな?……

kirifuu アニマルライツは肉を食う権利を奪っていると言えるのではないか。お前それサバンナでも同じ事言えんの?ってこった。

mventura 飼育環境動物実験のあたりで改善をめざすなら賛成なんだけど。いつも極論どうしで溝が深くなるばかり。

Yagokoro 人間以外の動物権利保護したいなら、とっとと自殺すべき。それが論理的帰結

kenjou 動物権利を主張するのに、植物権利はどうして認めないの? っていつも思うんですよね。動物を食べるのはダメ植物はいいっていう話は、まったく筋が通らない。自己欺瞞から目をそらすのをやめてほしい。

suzunya やべえ思想だ。怖い怖い、戸締まりしとこ

kangiren 京都名物雀の姿焼きのお店を襲撃したら、支持してしまうかもしれない自分がいる。

ykhmfst2012 「人間社会人間の都合で出来ている」この厳然たる事実を見なかったことにし、あまつさえ享受しておきながら動物食だけを否定しても賛同は得られないだろうね。結局の所感情論しかないし。

magnitude99 お約束通りに、対立する立場に対して相対的価値観を持たずに一神教価値観攻撃し、分煙も許さない、欧米発の基督教的社会運動副流煙被害集団ヒステリーと全く同じな所が、こうした類の運動体解明のヒント。

kotetsu306 今は人間動物の間にある線引きを、動物植物の間に引こうと言うわけね。それとも高等動物と下等動物の間かな、農作物を荒らす害虫はもちろん駆除するもんね

minakoch 馬鹿だなあ。権利が衝突する以上、片方を優先させる理屈こそが問題なのに、一言も触れていない。そして他人の食欲を邪魔するんだから相当なもの必要。せいぜい、アリを無益に踏まないために引きこもってるべき。

jaguarsan そっか。俺は屠殺された肉を食べたいかアニマルライツ否定することにするね。

2019-05-21

日本には人権があるから

在華坊氏のエントリホッテントリになっている

日本人観光客中国大陸)に行かない問題 http://zaikabou.hatenablog.com/

内容は面白かったし、特にケチをつけたいわけではない。

それより俺は反応の方が気になった。

中国には人権がないか行きたくない」という反応。

これも別に反論したいわけじゃない。

まあそりゃネックに感じる人もいるよね、って感じ。

いざとなったら危なそうだし、怖いし、そこを挽回する材料はない。

じゃあ結局何だ、というとこういう話をみると連想して思い出す話があるからちょっと聞いてほしいなってだけ。

あれは20数年前、俺は小学校の3・4年だったと思う。

ごく普通小学校生活に、ある日転入生がやってきた。

これが強烈なインパクトだった。

カーキ色の人民服をぴっちり着こなし、頭には人民帽、表情は同じ小学生ながら今にも敬礼しそうなほど固く引き締まったもの

そこには当時思い描きやす中国人そのものがいたのだ。

余りにも異質で、教室も静まり返った。

の子名前はもう忘れてしまった。

俺ら小学生は驚きと物珍しさに包まれた後、彼をからかう気持ちがわいてきた。

具体的に言うと、帽子取ったんだな。

よく小学校いじめである「へいパスパース」ってやつ。あれをやったわけだ。

当然許されないことだし、彼も怒りの形相で俺らを追いかけてきた。

確かそれをやったのは俺を含め4~5人。

全員でからかいながら逃げ回っていた。

最終的にそれは屋上まで続いた。

そこでは屋上解放されてたんだな。

屋上まで逃げた卑劣な俺たちは、屋上につながるドアを彼が入る前にバタンと閉めた。

当然彼は怒りのまま、俺たちの方を見ている。

ここで記憶はいつも途切れている。

最終的に大人の誰かがやってきて、怒られつつ俺らは帽子を返したはずである

ただ、子供のしたことで時代もあるとかを考えても、これは「人権が一応ある国」でやっていいことだったのだろうか。

これはやった俺が悪い話で、ほかの日本国民に罪はない。

でも「人権がない国と違い、ある国では」の前フリがあるとこれを思い出して仕方ない。

あるよ、あるけどない所よりひどい目にあわされることもままあるよ。

ってかお前がやったろ?

記憶からいつも怒られる思いがするのだ。

欧米での有色人種日本人含む)差別の話を見ても思いだす。

あるだけで胸を張ってるけど、いつも人権相応の待遇が得られるのかな

ないだけで怖いけど、そこにいる人や社会は必ず唾棄すべきものたちのみなのかな

多分今日も俺は記憶に怒られる。

僕が差別した彼と、ドア一枚隔てて被害者卑劣加害者になって隔離した記憶に謝り続けるしかない。

2019-05-20

女は誕生日結婚記念日母の日もクレクレちゃん

男が女に与えるのは欧米基準らしいが、逆は違うらしい。

パッパに女として大切に育てられたせいで勘違いしてる。

プレゼントサプライズ旅行も全部男にやらせる。

女はそれが当たり前と思っている。

男は愛してると言うが、女は言おうとしない。

ツンデレではなくただのガキ。

2019-05-16

anond:20190516192917

サイコパス世界だなあ

欧米が作ったAIつうのも実はホーキングや有能科学者脳みそがビーカーの中に浮かんでる研究施設なんだろう

2019-05-15

日本人女は「愛してる」と言わない

欧米に比べて言わないのは日本人男ではなく、圧倒的に女。

日本人男は若い人ほど普通に言う。

甘ったれ日本人女は都合のいい欧米像を使うのをやめたほうがいい。

2019-05-14

「苦しみから逃れたい」→「死にたい」?

生きていると苦しいことがあるのは正常です。

苦しみがないという方が異常です。(単なる嘘つきか、思考停止に陥っているだけでしょう。)

苦しみは存在しますが、苦しみの解決方法もあります

 

三苦

苦しみとは何か?

まず最初に苦しみの定義を考えてみましょう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A6_(%E4%BB%8F%E6%95%99)

三苦とは、苦苦、壊苦(えく)、行苦の三つである

  1. 苦苦(くく) とは、「苦痛を苦とする状態」を意味する。「苦事の成るによって成立する苦」などと説明され、「寒熱飢渇によって生ずる苦」といわれるから、外的な、感覚的な苦である。このような苦が人間にとって第一段階の苦で、自然的、基礎的なものである
  2. 壊苦(えく) とは「壊滅の苦の状態である人間にとって好もしいと感ずる対象が、次々とこわされてゆく時に感ずる苦である。この第二の苦の中に、人間一般に感ずる苦は含まれる。
  3. 行苦(ぎょうく) とは「生起の苦の状態」といわれる。人間生存無常という事実の中に感ずる苦であるから生存苦、生きること自身が苦であることを示した。

したがって、苦苦も壊苦も、この行苦を根本として起ってくるといえる。

その意味で、行苦や五蘊盛苦は、人間根本的な苦を示す。

仏教は、根本的には生きていること自体が苦であるという形而上学的な考え方をもととして、人間の「自分が」という我執こそ苦の根本であると言う。

 

行苦とは、簡単に言えば「対象を求めても、それが得られないときの苦しみ」です。

「ないものねだり」ってやつですね。

「苦しみ」を三苦に分類すると、そのいずれかに当てはまります

 

苦諦

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E8%AB%A6

四諦(したい)とは、仏教が説く4種の基本的な真理。苦諦集諦滅諦道諦のこと。苦集滅道ともいう。

  1. 苦諦(くたい) - 迷いのこの世は一切が苦(ドゥッカ)であるという真実
  2. 集諦(じったい) - 苦の原因は煩悩妄執、求めて飽かない愛執であるという真実
  3. 滅諦(めったい) - 苦の原因の滅という真実無常の世を超え、執着を断つことが、苦しみを滅した悟りの境地であるということ。
  4. 道諦(どうたい) - 悟りに導く実践という真実悟りに至るためには八正道によるべきであるということ。

 

ゴチャゴチャ書いてますが、簡単に言うと、

  1. 苦:苦しみは存在している。
  2. 集:存在している苦しみは生じる。
  3. 滅:生じた苦しみは滅する。
  4. 道:苦しみを滅する方法がある。

というだけの話です。

 

縁起

苦しみを滅する方法には順番があります

その順番は「12のステップ」で実行可能になっています

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E5%9B%A0%E7%B8%81

十二因縁 (じゅうにいんねん)、あるいは、十二縁起(じゅうにえんぎ)は、仏教において、現実人生の苦悩の根源を断つことによって苦悩を滅するための12の条件を系列化したもの

仏教基本的な考えの一つである

 

十二因縁の支分は、無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死の12個であり、この12個の支分において、無明によって行が生じるという関係性を観察し、行から次第して生や老死という苦が成立すると知ることを順観という。また、無明が消滅すれば行も消滅するという観察を逆観という。

 

止観

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A2%E8%A6%B3

止観(しかん)とは、仏教瞑想の主なものである

仏教では瞑想を止と観の二つに大別する。

止(シャマタ)とは、心の動揺をとどめて本源の真理に住することである

また観(ヴィパシヤナ)とは、不動の心が智慧のはたらきとなって、事物を真理に即して正しく観察することである

このように、止は禅定に当たり、観は智慧に相当している。

止だけでなく観を重視するところに、仏教瞑想法の特徴がある。

止観は、しばしば2つの車輪に例えられ、不離の関係にある。

止観は、仏教三学である「戒定慧」の定慧に相当する。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%9E%E3%82%BF%E7%9E%91%E6%83%B3

サマタ瞑想は、こころ特定対象に結びつけて集中力を養う瞑想である

サマタ(巴: samatha)、シャマタ(梵: śamatha)、奢摩他とは、ひとつ対象に心を落ち着かせることを意味する仏教用語であり、止と漢訳される。

 

上座部仏教では業処と呼ばれる瞑想対象が40種類ある。

現在欧米で広まっているヴィパッサナー瞑想(観行)の一類である上座部仏教のマハーシの文脈における瞑想では、準備段階としてサマタ(止)の一種である慈悲の瞑想が行なわれる。

最も一般によく使われるサマタは呼吸を対照する安那般那念(別名アーナーパーナサティである

呼吸法(アーナパーナサティ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E9%82%A3%E8%88%AC%E9%82%A3%E5%BF%B5

安那般那念(あんなはんなねん、巴: ānāpāna-sati:アーナーパーナサティ、梵: ānāpāna-smṛti:アーナーパーナスムティ)とは、仏教瞑想一種

 

安那般那念は、狭義には文字通り、入出息(呼吸)を意識する(あるいは、呼吸を数える)ことで、意識を鎮静・集中させる止行(サマタ)の一種、ないしは導入的な一段階を意味するが、広義には、そこから身体の観察へと移行していき、四念処に相当する観行(ヴィパッサナー)の領域も含む。

 

長く息を吸っているときには「私は長く息を吸っている」とはっきり知り(pajānāti)、長く息を吐いているときには「私は長く息を吐いている」とはっきり知る。

短く息を吸っているときには「私は短く息を吸っている」とはっきり知り、短く息を吐いているときには「私は短く息を吐いている」とはっきり知る。

「私は全身の感覚を把握しながら(paisaṃvedī)息を吸おう」と訓練する(sikkhati)。

「私は全身の感覚を把握しながら息を吐こう」と訓練する。

「私は身行(=吸う息)を静めて息を吸おう」と訓練する。

「私は身行(=吐く息)を静めて息を吐こう」と訓練する。

これが呼吸による気づきであり、このように熱心に行い、自身を訓練することは大きな果報となり、大きな利益となる。

  • 呼吸の操作を様々な方法で訓練すると、心と体が連動していることが理解できます
  • 体を操作することで心を操作することができるようになります
  • 心を操作することで体を操作することができるようになります
  • 心を鎮めて雑念がなくなると呼吸を長時間停止することができるようになります

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%91%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%8A%E3%83%BC%E7%9E%91%E6%83%B3

ヴィパッサナー瞑想は、ナーマ(こころのはたらき、漢訳: 名〔みょう〕)とルーパ物質漢訳: 色〔しき〕)を観察することによって、仏教において真理とされる無常・苦・無我を洞察する瞑想である

 

仏教において瞑想漢訳「止観」)を、サマタ瞑想(止行)と、ヴィパッサナー瞑想(観行)とに分ける見方がある。

サマタ瞑想精神集中であり、高ぶった心を鎮める手段でもある。

ヴィパッサナー瞑想洞察智慧)であり、沈み込んだ心を活気づける手段でもある。

通常、ヴィパッサナー瞑想サマタ瞑想ペアで修習される。

一般仏教においては、集中力を育てるサマタ瞑想と、物事をあるがままに観察するヴィパッサナー瞑想とが双修され、この点は南伝仏教でも北伝仏教でも変わらない。

 

動いている対象を観察して理解するためには、

  1. 止める
  2. 見る

という順番で行います

例え話として、時速300キロで走っているF1カーの構造を観察する場合を考えてみましょう。

  • 車を止めないと、構造を観察するのが難しい。
  • 車を止めただけで満足してしまい、観察を怠ると構造理解できない。

 

今後の人生で、あなたが苦しみに直面したら、苦しみを観察して、その分解方法を得てください。

必ずその方法はあります

 

人間には何ができるのか?

止観によって自分自身を観察して、苦しみの原因を知り、苦しみの原因を解除すれば、苦しみから解放されます

あなたが「自分」と呼んでいるもの本質を知ることが、あなたが死なずにまだ生きていることの意味です。

それを知るまでは自殺をしないで、踏みとどまってください。

世の中には知らなくて損していることがいっぱいありますね?

人生無駄にしたら本当にもったいないですよ。

anond:20190513180124

公衆浴場は、男女区別なくして水着着用にしたらいいのでは?

テレビでどこか欧米温泉を見たら水着で入ってたで。

2019-05-13

anond:20190513131427

日本って欧米よりパートナーがいない人に対して寛容だし、Incelほど追い込まれないような気がする

MGTOWが増えてく可能性は高い気がするけど

メモ

【まえがき】

日本過去500年、国際日本大日本小日本の3モデルで、中国ロシア西洋との距離を探ってきた。

日本の3モデル

1.信長の国際日本モデル

外向き(世界)。

日本を超えた地球レベル理念を追及。

陸奥宗光西園寺公望

2.秀吉大日本モデル

外向き(アジア)。

西洋の影響を排除し、アジア中国に替わって日本盟主となることを目指す。

伊藤博文山県有朋

3.家康小日本モデル内日本モデル

内向き。

エネルギーを対外進出ではなく、田畑開墾や生活の工夫など内部開発へ向ける。

柳田國男石橋湛山

徳川小日本から明治大日本を経て戦争へ】

日清日露戦争を経て帝国主義志向へ。

大日本天皇制限界を持つ小日本であり、アジアを取り込む普遍性が無かった。

日本は、「人類」を持ち出すとき普遍性欧米に比べて極めて弱い。

国際社会では国際日本として振る舞い、アジアでは大日本として振舞う矛盾

2019-05-11

anond:20190511122820

ほんとですよね

何か「欧米IT流行ってるからやっとかなヤバイよね」ぐらいの感覚やらせてる感がありますよね

anond:20190511171301

これは単純に、日本出版社東京に集中しているからだと思います

最も良いやり方は、英語なら(Oxford: Oxford University Press, 2004)のように「出版地:出版社出版年」を書くやり方で、日本語でもたまに(東京岩波書店2017年)とか書いてる人はいます

ただ、英語(あるいは他のヨーロッパ言語)の文献は出版地があちらこちらにあるわけですが、日本語の場合ほとんどが東京でたまに京都横浜が混じり、分野によっては札幌が加わり、たまに広島大阪福岡で出た本が散見される……といった具合なので、「東京」とだけ書いてたら大混乱必至だと思います

英語圏の日本研究なんかを見ると、「特別表記がない限り出版地は東京ね」と記して、日本語の文献については出版地を書かずに出版社だけ書いてたりします(たとえば、ケネス・ルオフ紀元二千六百年』朝日新聞出版2010年)。

この「出版社を略す」風習欧米でも議論があるところで、ウンベルト・エーコ先生は『論文作法』という名著の中で「出版地だけ書いてあっても本を探せない! 出版社も書くべきだ!」って主張してます。私はもっともだと思うんですが、根強く普及していて廃れない形式なんですよねこれ。

ただ、最近は逆に「出版地を略す」方式が出てきつつあるみたいです。なんでかといえばOxford University Pressみたいに世界各地に支社を持っていると、どこを発行地として書けばいいのか混乱するし煩雑になるからなんですよね……

anond:20190511164801

日本ダメなやつが欧米で生きていけるわけないわと思う。一昔前の東南アジアとかならまだしも。

2019-05-10

文系学問において資料実在証明するものとは何か

久々にビッグ研究不正ニュースktkr

ということでキリスト教思想史研究やってた人が研究不正で懲戒解雇された件について、報告書に目を通した上でちょっと書きます

今回調査委員会被告発者に求めたのは、以下の項目でした。

この「写し」というのはどういうことでしょうか? 資料のもの調査委員会が求めなかったのはどういうわけでしょうか?

歴史学者にとっては常識なのですが、他の分野の人にとってはどうかわからないので、解説してみます

そもそも文系はどんな材料を使って研究してるのか

これは人というか研究分野によるので、安易なことは言えません。文学哲学社会学人類学歴史学言語学とでは使う資料がぜんぜん違います

で、この被告発者の研究手法は、近現代を扱う歴史家の多くが採用している手法だと思います近現代史を扱う人たちは、

を主に史料として使います(「史料」ってのは、歴史を記録したナマの資料のこと。「資料」と呼ぶと後世に書かれた二次文献なんかも含む)。あるいは、上に書いたようなものをまとめて出版した本とかを使います

これらの史料の特色とは何か……それは、

ことです。

公文書館というのは、「お役所の書いた書類を保管しておく施設」のことです。これはどのくらいかというと半永久的にです。普通文明国ならどんなに細かな書類でも公文書館に保管されていて、(民主国家場合は)数十年して機密解除されたり(独裁国家場合は)体制崩壊して民主化したりすることによって「申し込めば誰でも読める」状態に置かれます。これによって我々はソ連時代領収書なんかをロシア公文書館で読むことができるわけです。ソ連ですら公文書を保管して後世の我々に見せてくれているというのに……いや、これは余談でした。

当たり前ですが、それらはその国(あるいは地方)の公的な記録であって、自分のものにして持ち帰ったりすることはできません。ではどうするか。多くの歴史学者

などの手段史料を入手して研究しています(ちなみに写真撮影もカネを取る公文書館結構ありますね。日本だとどうなんでしょ)。

昔の人が書いたものも、本とかなら古本屋さんとかで流通しているのを買うことができるかもしれませんが、稀覯書でなかなか手に入らなかったり、古雑誌バックナンバーとか揃えるの無理ゲーだったりするので、図書館に所蔵されているのを使うことが多いです。近場の図書館に置いてない? 相互貸借もさせてくれない? そういう場合は当たり前ですが所蔵している図書館がある街まで行きます。その図書館がある街というのが新幹線必要距離だったりパスポート航空券がないと行けない距離だったりすることも稀によくある(歴史学者研究費は旅費と本代に消えていく運命なのです……)。そして、辿り着いた図書館カメラをパシャパシャやったりコピーを黙々と取ったりするわけです(最近スキャナーが普及してくれてマジ嬉しい)。

なので、調査委員会は「一次資料の写し」を求めたわけですね。たとえ彼が清廉潔白研究者であったとしても、一次史料原本なんてふつうは手元にないわけですから

しかし、本来、彼は「一次資料の写し」を提出する必要などありませんでした。自分論文を黙って調査委員会に提出すればよかったのです。なぜでしょうか?

ここで、もう1つの大事な話をします。

文系に「実験ノート」はない

もちろん分野によります心理学みたいに人を対象とした研究だとしっかり実験ノートつけるように言われるかもしれないし、考古学とかは発掘時の状況を克明に記録しておくことが重要だったりするかもしれない。でも、少なくとも近現代史みたいな分野では、実験ノートをつける、という習慣はありません。

私は一度も、理系で求められるような意味での実験ノートを書いたことはないし、書けと言われたこともないし、書いていないことを理由に責められたこともありません。もちろん史料ノートに筆写したりはしていますが、そのノートだって別に厳密なものではない。普通研究においてノートは使いますが、それは高校までのノートと一緒で、鉛筆で書いてもいいし、好き勝手なやり方で書いていいし、なんなら途中で破ったりしてもいいごく普通ノートです。最近ノートじゃなくてパソコンとかを使って研究上のノートを取ってる人も多いんじゃないかな(手書き疲れるもんね……)。

なぜか? と言われれば、

です。

まり、「もとになった資料」というのは、理系のように自分実験室の試験管の中にしかないものではなく、別の誰かが保管してくれているものなのです。

理系学問において標準化された改竄不可能な形で実験ノートをつけなければならないのは、自分実験室の試験管の中にしかオリジナル資料がないからですよね? しか文系場合は、少なくともここまで説明した近現代史場合は、オリジナル資料はどこかの政府管理している公文書館とかどこかの大学図書館かに保管してあるわけで、そこに辿り着くまでの情報さえ明記してあればそれで十分なのです。これはドイツ連邦共和国ベルリン連邦文書館の何々というファイルに保管してある何というタイトル史料だ、とわかれば、チェックのためにはそこに見に行けばよいし、これは19世紀に書かれたほにゃららという新聞に載っていた記事である、と書いてあれば、その新聞が所蔵されている図書館を探して読んでくればいいわけです。

なので、別にどんな方法ノートを取ろうが自由なわけですね。最終的に読者がその元になったデータを見つけられるようにしておけばいいわけから

ゆえに、歴史学論文や著書には膨大な注がつけられます引用した史料のそれぞれについて「どこに保管されている史料なのか」「なんという本の何ページに書いてあることなのか」ということを書かないといけません。

なかには、史料自分の手元にある場合もあります。多くの場合それは「昔の人が出版した商業出版物」なので(たとえば、極端な例ですが『わが闘争』)、他の誰かも持っていることが多いです。もしそういう史料捏造とかしちゃうと「俺もこの本持ってるんだけど、お前が引用してる箇所見つからなかったよ?」という怒られが発生します(なお、捏造ではないですが誤訳指摘は受けたことがあります。コワイ! でも覆面査読なのにこの文献の誤訳を指摘できるってことはあの人しかいないじゃん……ってわかっちゃう! 文系世界基本的に狭い!)。「むっちゃ少数しか発行されなかった自費出版の本」とかが典拠になっている場合もあります。こういう史料典拠にするのも仕方ない場合があるんですよ……典型的には、そこまで有力ではなかった政治家とか在野の知識人とかを研究したい場合、彼らが出してる本は全部自費出版というのがありえます(あと、言語学とかだと、たとえば与那国島方言研究したい場合に一番の参考資料になるのは与那国島のお年寄り自費出版した方言辞典だ、みたいな例がありまして……与那国町が進めてる辞書出版プロジェクトむっちゃ楽しみ)。ごくごく稀に、古本屋歴史上の人物が書いた手紙の山をまるごと購入できた、みたいな奇跡があって、モノホンの一次史料研究個人の所蔵になっている場合があります。これはねえ……もう本当に個々の研究者の良心を信じるほかないよね……若手研究者だと色んな大学を移り歩くこともあるだろうから所属してる大学図書館寄付しろとも言えないしね……原史料出せって言われたときにすぐに見せられるようにしておいてね、定年退職するときは勤務校の図書館に置いていってよ、とお願いするくらいしかできない感じはあるよな……

さて、長々と書いてきましたが、要するに、捏造を疑われた研究者がきちんと注で出典を書いていれば、彼は論文調査委員会の人たちの前に突きつけて「ここに出典書いといたから、見に行って確かめてこい」と言えばそれで済んでいたのです(それが生データにあたるものなので。実際、今回の調査委員会ドイツに問い合わせたりしていますね)。もっと言えば、彼本人から話を聞く前に、調査委員たちはまず典拠との照合作業を行って、彼が誠実に引用したこと、つまり彼が研究不正に手を染めてはいないことを確認してくれていたでしょう――もしも彼が潔白であったならば。

しかし今回の件では、注に不備があったので調査委員たちは注から出典を辿ることができませんでした。そこで被告発者に「写し」を求めた結果、元となる史料そもそも存在しない、捏造されたものであることが判明したわけです。

注をしっかりつけろよ! まことにごもっとも。特に今回のケースは注の多い学術書であり、注の不備は申し開きができません。しかし、しかしです、この背景には、日本出版事情が絡んでいるのです。

「注がない本」問題

今回の被告発者は、学術書のほかに新書も書いていました。多くの新書には、参考文献リストはありますが注はありません。そして日本には、「研究者が書いた真面目な学問に関する本だが、注がない」というのが一定数あります(一応言っておくと、ここではauthor-date方式みたいな「厳密な意味での注じゃないけど、ともかくも出典を示す機能を担っているもの」も含めて注と呼んでいます)。実はこれ、文系あいだでも問題視されていることなのです。

文系学者が書いた学問に関する著書には、明白に書誌情報として区分されているわけではないですが、いくつかの区分があります第一にいわゆる狭義の「学術書」。むっちゃ小難しい語彙で書かれてて、先行研究とか新規性かに一言及して、参考文献を何十ページも載せてたりするやつです。読者は同じ学者、あるいはその卵。これで注を省くのは論外です。第二に「教科書」。これは学生さんとか初学者向けに易しく書き、内容には特に新規性を求められておらず、包括的な参考文献はなくとも読書案内がついていればそれでよし、という感じでしょう。注は別になくたっていい。

そしてこの2つのあいだには、「一般向け」という広大なグレーゾーンが広がっています

あなた読書好きで、少々お硬い本にも興味があるのなら、中公新書とか講談社選書メチエとかそういったレーベルを聞いたことがあるでしょう。岩波書店青弓社社会評論社といった出版社の名前を聞いたことがあるでしょう。実はこの辺、色々な種類の本が入り交じるグレーゾーンなのです。

これらのレーベルで真面目な学術書出版する人もいます講談社選書メチエでも、末尾にビッチリ注がついてたり参考文献リストがあったりするやつあるでしょ? ああいうやつ。一方で、こういうレーベル一般向けの概説書・入門書を書くことに使う人もいます。よく中公新書で、包括的タイトルで薄めの本を見ることがあるでしょ? 今回の『プロテスタンティズム』もそれですね。そして、一般向けの解説を書きながら、さり気なくその中で新しい見方提唱したりする人もいます学術的な新規性のある内容を、一般受けしそうだという理由で限りなく一般向けの本の体裁で書く人もいます最近のやつだと『姦通裁判』マジお勧め)。

さて、こういう本を出す上では、内容は著者の完全な自由にはなりません。編集者は、もちろん学術的に正しい内容を求めているのでしょうが、彼らにとって重要なのは「売れること」です。そのために「一般向けにもうちょっと柔らかい言葉遣いで書いてください」とか色々と内容に介入してくるわけです。文体くらいなら別に構わないかもしれませんが、彼らの中にはこんな要求をしてくる人もいます「注なんてつけたら一般読者に嫌がられます、注は省きましょう」

こうして生まれるのが、「学術的に新規性が高く面白い内容を扱っているのだが、注がない」という一般書の群れです。

もちろんこういった本にも参考文献はあり、「注はないけど、典拠を探しながら読めば典拠がわかるような書き方になっている」本もそれなりにあります(たとえば、はてな太郎の説によれば、と本文中に書いてあれば、注がなくても参考文献リストはてな太郎が書いた『増田研究』という本を探し出せる)。ただ、やっぱりそれは注がある文献の出典表示の厳密さに比べれば一段劣るわけです。

これに関しては、研究者も出版社もそれぞれに問題があります研究者サイドは簡単に「注を省け」なんて要求妥協すべきじゃないし、そもそも「著書を出版する」ことが、博士論文を見るためにはわざわざ学位を授与した大学国会図書館に行くほかなく出版して書店流通させることが最も良い研究成果の流通のさせ方だった時代であればともかく、各大学リポジトリを持っていていくらでもディジタル研究成果を公表できる時代にあって本当に重視されるべきか考え直す必要があるでしょう(でも、欧米出版社でも学術出版は盛んなので、これは日本だけの問題じゃないんですよねぇ。今でもオックスフォードケンブリッジハーバードコーネルといった有名どころのUniversity Press学術書出版しまくってます学術書研究業績として重視されるのは人文系では割と世界標準なので……)。

一方で、出版社は注をもっと重視するべきです。というよりも、日本出版社やジャーナリストノンフィクション作家は注をつけなさすぎます。先日、ボブ・ウッドワードトランプ大統領についてのルポルタージュ出版しましたが、体裁も内容もおおよそ学術的とは呼べない一般書そのものの本なのに、きちんと出典を示す注がついていました。出版社は、学者に注を削れと言うべきではなく、ノンフィクションを書く作家記者たちに注をつけろと言うべきでしょう。

とはいえこれは一朝一夕はいきません。そもそも知の折り詰めである新書」という形態が割と日本独自のもので、そういう一般学術を橋渡しするレーベルが広く一般読者に読まれていることの重要性というもの鑑みると、簡単になくせとか言えません。私も色々お世話になってるし。人口1億人ちょいの書籍市場ではどうしたって限界があり、色々な本を出すのではなく折衷的な本を1冊出すのが経済学的には最も合理的という考え方だってあるでしょう。ただ、やっぱり一般書にも(それこそ講談社ブルーバックス岩波新書レベルにも)注を入れるようにする、というのは必要だと思うのですよね。

さてここまで「注がない本」問題について解説してきました。でも何が一番言いたいかというと、

注はあなたの身を守るためにある

これ。これに尽きます。注はちゃんとつけよう。もしもあなた捏造者でなくとも、研究不正をしていなくとも、実験ノートをつけない我々の業界において潔白を証明してくれるのは注だけなのだから。注だけが資料実在証明してくれるのだから。本の売上よりも、あなたの保身のことを考えよう。あなたが、部屋が汚いとかハードディスクがお亡くなりになったとかパソコンの買い替え時に行方不明になったとかの色々な理由で、史料の「写し」を紛失する日はきっと訪れる。そのときに、これまでのあなた研究の誠実性を証明できるのは、人文系学問においては、注だけなのだ

以上です。駄文に長々と付き合ってくださりありがとうございました。続きはanond:20190511125053で。

anond:20190510164827

出たよ欧米には明文化されていないルールなどないと思っている勘違い野郎

anond:20190509183556

決算の読み方は人それぞれとお逃げになられるならまぁいいや。

他のことで書きましょうか。

単年度が増収増益ならベアが上がるのかって言ったらそうじゃない。

トヨタみたいな日本型大企業が単年の業績良かったからってベア過去最高なんてやらないように、赤字転落たから大幅賃金カットなんてしないでしょ?

単年度増収増益どころか過去最高レベル営業利益ですね。来年は更に増収増益の見込みです。

なお、赤字転落しても大幅賃金カットのない正社員の方はご存じないかもしれませんが、非正規賃金カットどころかクビ切りですね。

官製春闘に何の拘束力も無いと言うのなら、組合春闘にも拘束力なんて無いだろ。ちょっとは考えてから書けばいいのに(笑)

っていう煽りだけど、春闘にはスト権あるから政府には何があるの?

その理屈ならば政府には最低賃金を上げる権限があり、その権限を存分に使って毎年2~3%上げていますね。

で、労働組合はスト権とやらを存分に使って賃上げを勝ち取っていますか?

労組非正規を人と思っていないような雰囲気を感じていましたが、非正規賃上げなど興味無いですか?

政府賃上げ発言がウザいのは各社の状況がまったく反映されずに適当指標での3%だから

もっと上げれるとこもあるし、そんな上げれないとこもあって当たり前なのに言ってるからだよ。


労働組合企業側の理屈配慮してどうするの?御用組合幹部か何かかな?

その適当指標での3%とやらを批判したにもかかわらず、適当発言以下の成果しか取れないのが悪いと言ってます

もっと上げられるところとの話ですが、「もっと上げた」企業はそんなに有りましたか

そもそも労組がやる春闘なんて横並びだらけじゃないですか。

あなた理屈こそ「テキトー」ですよ。

もう一度言いますが、単年度増収増益どころか過去最高レベル営業利益で、翌年は更に増収増益予定です。

日本企業労働分配率欧米諸国比較するとかなり低いのですが、企業理屈を重視する御用組合存在が原因の一つではないですか?

官製春闘開始前に出来てたらとか、世界情勢にのって伸びてるタイミング勝手に言いだしただけで手柄になるのがおかしいだろ。


官製春闘不快感を表明しながら春闘不調だった労組を尻目に、政府は今年も最低賃金を3%上げましたね。

労組ベアを取れなかったのは世界情勢の悪化が原因ですか?世界情勢とやらが悪化しているのなら、政府が3%も最低賃金を上げる余地など無いのでは?

おかしいとおっしゃっているあなた労組の実績は何ですか?

アベ政治を許さないデモですか?

最後に1番思うところだけど、もしあなたがどこかの会社労働組合に属してるのなら、

増田で「怠慢だ」、「口だけ労組」なんて言ってないで、自労組に働きかけろよ。

組合費払ってるからって組合員はお客様じゃないんだよ。労働運動なんだから参画しろ。その考えを行動に移せよ!


リーマンショックの時に組合に助けを求めて見捨てられ、今はフリーランスの者ですが。

労働運動に参画しようとしたら門前払いくらって、派遣は俺らと違うのでと捨て台詞までいただきました。

御用組合内で企業理屈尊重してごっこ遊びしている方に「行動に移せよ!」と説教食らうとは思いませんでした。

お前が労働者の為に「行動に移せよ」

2019-05-09

anond:20190509084140

日本ほど何の施策もない国は完全な貧困国くらいだよ。

国民健康にもエネルギー政策にも大きく関わるのが建物の断熱だからね。

日本の最高等級欧米はもとより中国韓国の最低基準すらクリアしない。

日本人の住環境はおおよそ先進国とは呼べないレベル

からさっきから言ってるじゃん

お前の想像も及ばないくら日本は衰退してるんだって

2019-05-05

有色人種女性白人男性と交配し白色化しなければならない

欧米文化を真に取り入れるということは、そういうことだ。黄色人種と交わっている場合ではない。

2019-05-04

anond:20190504183441

こういうのがまさに。

現場で射殺するなんて欧米人権軽視は酷すぎる!こんな国とは付き合ってられない!」とはならず、「日本現場で射殺すればいいじゃん」と考えてるような連中が死刑制度賛成派だからな。

大型ダークウェブ摘発タイミング

2019年5月4日、大型ダークウェブ、の運営者5人が逮捕されたようです。

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世界最大級闇サイト摘発 欧米当局、百万人超利用か

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190504-00000009-kyodonews-int

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以下は、2019年5月3日10:24記事です。

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サンジ氏の逮捕タイミングなのですが、原因はこちらのはてな投稿かもしれません→ウィキリークスへご報告願い

https://anond.hatelabo.jp/20190503102432

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この記事投稿した次の日に大型ダークウェブサイトが捕まりました。

私は、以前よりこういう事がちょくちょく起こるので、偶然ではないと思ってしまます

大型ダークウェブ運営者を逮捕したのは、逆に米国にとって隠したい何かがあって、アサンジ氏のように捕まえたのではないかとか。

ファイブアイズNSAが知らないことがあるとは考えられませんので権力者御用達のダークウェブだったとも考えてしまます

私の知的財産を吸い上げてバラマイていたのは政権に近いメディア企業政治家です。

anond:20190504002955

日本欧米人の描く欧米に興味ない

日本人が好きなのは日本人が作ったドラクエのようなヨーロッパ観であり日本すごいといわない白人などに用はない

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