はてなキーワード: どんととは
真面目な親が、"お金を払って働く"というイミフな状況におかれ、それでも府民のためやでと働いてた。親を誇りに思うと同時に、人のためという思いは報われないことを知った。
国政もひどかった。はてブのエコーチェンバーにかかりどんどんと国への忠誠心が下がった。ふるさと納税も自粛し、コロナでは外出控えたが、そういう者が不利益を被る社会に絶望してきた。
資本主義が嫌いで慎ましく清貧に生きるつもりだったが、なんか吹っ切れてもう利己的でもいいかと思い始めて、国にとっては良くないかもしれない投資を始めた。
アベノミクスで円が刷られまくって、でも経済循環には回らず金持ちの懐に入るだけ入るという時限爆弾と化し、こいつぁ発火したらハイパーインフレも気をつけなきゃなあと思い、今のうちに資産をと外貨に避難してる。
金利差もあるので、国債を買うようなつもりで、気軽なFXを始めた。
国債をレバレッジかけて買うとか普通できないよなぁ!ということでFX。
100万預けて1日200〜250円もらえる。レバ20倍で見ると5万預けて日利0.5%だ。年利200%近い。爆益だ。
だから長期でドルを持った。リスク分散とは言いつつも、この行為が円安の原動力ともなり、自分だけ他人と比べて得をするという発想からの行為であり、他人のためにまったくならないことに頭を使うのは、なかなか居心地が悪い。
さて運用は余剰資金を年100万用意してレバ10倍程度かけて運用。
2022年:円安トレンドを見て再開。掛金倍プッシュした直後に為替介入が起こり、持ち続けて下がってロスカット引退
2023年:年始から投資。11月に掛金倍プッシュしたら円高に変わったがトータルではプラス300万
2024年:年始から投資。4月末に掛金倍プッシュしたら介入あり700万溶かすが、7月には2000万となる。レバ10倍になるよう掛金倍プッシュしたら介入あり1300万溶かす。
今年はちょうど2000万溶けてたな。まぁトータルでは400万の原資で700万まだ残ってるけど。
介入やらファンダメンタルやら雰囲気やらに釣られてトレード実施した時に損しなかったことは今のところ一度もない。
デイトレを天気予報に例えるなら、スパコンでシミュレーションされる数値予報が存在する前で、その情報にアクセスせず実況の天気図を見ながら、明日晴れるか曇るかを予想するようなもんだと思う。
デイトレにおける個人と機関投資家との差は圧倒的な情報へのアクセス性と金融工学知見その他ツールだろう。
素人なんて心理的な動きを統計的に刈られたり、ほにゃららな線を元に〜みたいなのを強引に刈りとる金の動かしができるんだから、予測性に対して圧倒的な格差がある。半々の博打と思ってはいけない。
そうはわかってるはずなのに、手を出してしまうのがギャンブル依存症。
個人的にレバレッジかけてる=ギャンブルなのではない。この言説よくわからん。機関投資家もレバかけてるっしょ。
負けるとわかってても、あの時こうしてたらいけたなと夢見てしまうそれがあかんのだ。
下がってる。今は引き上げよう。あれ1円下がってる。ショートで持ってたらあんなに稼げたのか……今からでも雰囲気一緒だし乗っかれるかな……とか考え始めて、もう溶ける溶ける。
事後諸葛孔明が、だから手を出すなというんだけど、でもほんとにあそこで逆張りしてたら…!という心理がものすごく強いんよねぇ。
ほんと、ほんの少しの、ほんの少しの先読みが当たれば、後から考えたらこう持てばみたいなのが、客観視がものすごく難しい。
ほら日本海に雲が広がってただろ、だからあれがやってきて曇るんだよって。後になったらわかるのに。
次の日はいや太平洋高気圧が張り出してるから、みたいなのを後になって考察できてさ。
こんなん予測に活かせられてなくて、後付の無根拠な理由つけだ。
デイトレは自分でツール開発するくらいしないならやめとけとしかいえんね。
戒めの日記。
700万守らなきゃ。
でも目が眩んでる。こんなん書いててもまだ眩んでチャートを開いてる。
自分でどうせ趣味のギャンブル資金だしとか言い訳つけてまた開いてる。一貫性が自分の中で保てない
まじでやばい。元の、金利差を頂戴するという価値観が、目の前の振れ幅に目移りしてる。
介入やらなんやらきっかけで一度デイトレで遊んでしまうと、つい手に取ってしまう。
鋼の心が必要。戒め。
夏になると危険なのが見越し入道です。見上げ入道、伸び上り、高坊主、など地域によって様々な名前で呼ばれることがあります。
いずれも入道(和服ハゲのこと)の姿をしており、夏の路地やコンビニなどに不意に現れ人間を驚かせます。
それだけなら、別にいいのですが、見越し入道は人間に見られると大きくなるという性質があり、見続けるうちにどんどんと巨大化します。
なんと、大きいものでは300mを超える高さになると言われています。すごいですね。
しかも大きくなるだけでなく、最後には自分を見つめる人間を頭からばくっと食べてしまいます。
大事な家族や自分自身を食べられないように、夏は充分に見越し入道に気を付ける必要があります。
それでは見越し入道の対処法にはどのようなものがあるでしょうか。
それについては現在、調査中です。新たな情報がわかり次第、追記いたします。
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アベ自民がネトウヨをけしかけて、リベラルに不当な批判を向けて政治生命を維持してたんだからネトウヨに報復する正当過ぎる理由があるんだよな。石丸とかに投票したことを表明している奴とかも告発すればいいんだよ。次は勝てるよう舐め腐った愚民共をしっかり〆て欲しい。
インターネットには女性が多く存在しており、メスガキという攻撃性の高い言葉は反発を食らう。リアルでもネットでも女性がどんどんと離れていくことになる。女性だけでなく少なくない人数の男性も離れていく。
そうして徐々に「メスガキ」という言葉の攻撃性が理解できなくなっていく。正統はこちらだと考えてしまう。過去はそうだったかもしれない。だが価値観をアップデートしなければどんどんマイノリティになるだけだ。
また、若い女性にメスガキだとかまんこだとか言うようなひたすら下ネタを話す男が一定存在するため、彼らの一種だと判定される。彼らは女遊びして女性を傷つけたりするクズ男よりも、ただ女性を傷つけることしかできないという点でガチクズである。手に入らないなら殺してしまえ、のような観念が見える。よって、1語話すだけでそういうガチクズのメンバーというレッテルを貼られる。
メスガキやらわからせるやらのことばには、女性を人として見ていないという尊厳の問題が含まれている。「女なんて」とか「女のくせに」とか「若いくせに」とか「アホのくせに」とかそういう気持ちを、自分のちんこや殴る蹴るとか社会的権力とかの暴力で従属させたいという欲求があるように見える。「いやあれはファンタジーだから」と言うが、そもそも人間を対等として見ていないのである。これは、普段女性たちから蔑まれていると感じていることへの反発かもしれない。だから、より弱いものであろう若い女性をメスガキという動物にカテゴライズしておもちゃにしている。
いわゆる旧時代の男尊女卑観を引きずっている男性たちであろう。今の世の中では相当生きにくいはずだ。
さて、明らかにしておきたいことだが、中年男性(または若くても非モテの男性)は若い女性よりも圧倒的に下の存在である。これは重要なので正しく認識をしなければならない。
若い女性には未来があり、美人のJKは専業すればP活で1億単位稼げることもある。わからせられるべきなのは中年男性なのである。若い女性は弱そうに見えはするがそれは物理的な腕力のみであって、社会の影響力は若い女性の方が絶大である。レア度が高いからだ。
一部の中年男性はそれを認めると死や絶望が待っているために、何かすがりつきたくてメスガキという信仰に染まっているように見える。普段わからせられているから、せめてファンタジーではわからせたいのかもしれない。
一部の中年男性らはそれについて「穴があるだけで偉そうに」と、ろくに女性のことを知りもしないのに、勝手に彼女らの努力や生きづらさをゼロのように考えて、楽して手に入れた地位のように見て嫉妬する。これは見苦しい。
とくに自分の容姿を棚に上げて女性の容姿をめちゃくちゃに批判する男が多い。現実が見えていない。
ラノベや同人エロ漫画ばかり読みポルノばかり見ているとモテなくなる。モテなくなったから読んでいるのか、読むようになったからモテなくなったかは定かではないが、女性観が歪んでいき現実と乖離していく。当たり前だ。唯一の女性との接触点がラノベやエロ漫画やポルノばかりになれば、女性とはそういうものだという考え方になる。リアルはクソだと。
メスガキという言葉を使わないほうがいい、というのは言葉狩りではない。メスガキという言葉を使う自由は保証されている。単にますます誰も相手にしなくなっていくだけだ。それは思想の自由だからだ。やがてただの社会から収奪・搾取されるマシーンとなり、一時的に感情を麻痺させるドラッグとして「メスガキ」やらを摂取して、日々の生をかろうじて繋ぐことになる。自由はなくなっていく。
女性は男性に向かって「ブスのくせに話しかけるな」とか「デブのくせに私と対等に話せると思うな」とか「不潔で臭いし見苦しいです」とか直接言うことはほぼない。恨まれたり、殴られたり、殺されたり、ストーカーされたりすることを恐れている。だからさりげなく離れるのだ。ごく一部の正直者だけが指摘してくれる。
「メスガキ」概念は、ますます堕ちていくためのドラッグでしかない。もしそれが嫌ならさっさとやめることを推奨する。余計なお世話かもしれないが。
あまり生意気に相手をからかって挑発し人を侮る態度で罵倒嘲笑し相手を苛立たせてはしゃいでいると、リアル側で堪忍袋の緒が切れた「メスガキ」に強制的に「わからせられる」ようになっていくだろう。
いや現に、すでにそうなっている。
【悲】自分に自信が無い、優しいけどナメられてしまう、人間関係に疲れてしまったって人専用のスレ
2024/07/15(月) 01:32:45.973 ID:hyFTj8wU9
もし最後まで付き合ってくれたら今日から少しでも変われる方法を教える
ただ辛いだろうけど今の現状を見つめ直すことから始めていく
根幹にある部分の話
2024/07/15(月) 01:32:53.176 ID:hyFTj8wU9
ええか?
2024/07/15(月) 01:33:36.308 ID:hyFTj8wU9
ではまずそういう人は承認欲求(人に自分を認めて欲しい、評価して欲しい)と親和欲求(人との繋がりを感じていたい)が比較的高い傾向にあるということを覚えておいてほしい
自分を評価して欲しい&人に嫌われたくないという願望が強くなってしまって相手に過度に尽くしてしまうんだ
2024/07/15(月) 01:34:19.734 ID:aLnGSCFtO
なるほど
2024/07/15(月) 01:34:25.405 ID:hyFTj8wU9
今、一時的にでも目の前にいる人に認められることが評価されることが自分の全てなんだという誤認
自ら相手の奴隷になりにいくというか「優しさ」ではなく「媚び」の側面が強くなっていく、相手の機嫌を伺う媚びるようになってしまう
2024/07/15(月) 01:34:58.362 ID:hyFTj8wU9
その結果相手からナメられ、こいつには失礼なことをしてもいい奴なんだという評価をされてしまう
都合の良い人、ナメられる人、優しいだけの芯のない人の完成ってわけだ
2024/07/15(月) 01:35:42.839 ID:hyFTj8wU9
そうなると自信の喪失、自分に自信が無くなりアイデンティティが崩壊し、更に他人に認めて欲しい=他人に更に優しくしなきゃダメだ(媚びなきゃ)
2024/07/15(月) 01:36:26.881 ID:hyFTj8wU9
もう都合のいい存在でもいいから嫌わないで!側にいて!という風になり、自己を正当化して「都合良く扱われること」にいつの間にか心地良さを感じるようになる
更にそれが進むと「都合良く扱われること」で自分は他人に必要とされてるんだ!と歪んだ認識をするようになってしまう
2024/07/15(月) 01:37:20.407 ID:hyFTj8wU9
2024/07/15(月) 01:38:15.077 ID:hyFTj8wU9
→当然認識が歪んでるのでその時は気持ちが良くても無意識にストレスが溜まっていき
でも人とは繋がっていたい、評価はされたい=SNSや掲示板等でそれを紛らわすようになる
2024/07/15(月) 01:38:27.314 ID:hvzHSq.HG
なるほど
2024/07/15(月) 01:39:16.547 ID:ZmOpcl9An
めんどい奴やな
2024/07/15(月) 01:39:21.285 ID:hyFTj8wU9
自分は相手からどう思われてるかな、ここでこう言ったら自分はどう思われるかな、相手に対し自分は何か失礼をしてないかな等々
2024/07/15(月) 01:39:23.422 ID:0Snm8y3rS
それでどうしたらいいの?
くるちいお
2024/07/15(月) 01:40:12.216 ID:hyFTj8wU9
2024/07/15(月) 01:40:29.419 ID:hyFTj8wU9
初スレ建てなんですけど!
2024/07/15(月) 01:40:58.128 ID:hyFTj8wU9
もうちょっと待ってくれ
2024/07/15(月) 01:41:33.153 ID:hyFTj8wU9
その結果人間関係が深まらない、浅い人間関係、上辺だけの関係、傷付くのが怖いから自分の深いところには入ってきて欲しくない、興味が無いので相手の深いところにも入りたくない、無意識にバリアを張るようになってしまう
そして人といても気を使ってばっかりで苦痛に感じるようになる
2024/07/15(月) 01:42:01.957 ID:axYgMFW4i
ワイやん
2024/07/15(月) 01:42:20.539 ID:hyFTj8wU9
でも他人とは一緒にいたい、評価されたい(認めて欲しい)、嫌われたくない、傷付きたくない、だから相手の機嫌を伺う、媚びる、もはや奴隷になる
2024/07/15(月) 01:43:51.317 ID:7RRgUkbf0
2024/07/15(月) 01:43:56.650 ID:hyFTj8wU9
これの根本的なところにあるのは"自分の心が傷付きたくない"、という深層心理
過去に(特に幼少期~学生時代)人間関係で失敗した、他人と喧嘩してしまって心に何か深い傷やストレスがかかった経験がある人になりやすい傾向ということなんだ
2024/07/15(月) 01:45:46.462 ID:hyFTj8wU9
これは科学的にいうとドーパミンが出なくなっちゃったってことなんだよ
一番の原因は全て"想定内"で何の変化も無いってことだろうね
2024/07/15(月) 01:46:38.554 ID:hyFTj8wU9
ではここから
2024/07/15(月) 01:47:08.687 ID:7RRgUkbf0
2024/07/15(月) 01:48:22.118 ID:hyFTj8wU9
相手のことを考えてどうしたらこの人は喜んでくれるかを考えて動くということ
2024/07/15(月) 01:48:52.350 ID:hyFTj8wU9
人に「気を使わなくちゃいけない」では無くて
「気を使ってあげたい」って風に変えてあげること
2024/07/15(月) 01:48:58.374 ID:iMPpvbwcg
喜んでくれなかったらどうするんだよ😫
2024/07/15(月) 01:49:10.254 ID:axYgMFW4i
2024/07/15(月) 01:51:36.249 ID:hyFTj8wU9
しばらく期間を空けるのが一番早いか
2024/07/15(月) 01:52:51.872 ID:hyFTj8wU9
他者評価を気にするなって凄く難しいよ、他者があってこその自分だから
でもそれは自分の肯定感をすり減らすだけってこと、自分の自信を削いでいくだけ
世の中上には上がいて、それをSNSで簡単に見られてしまう時代だから
2024/07/15(月) 01:53:07.416 ID:Jt3hgw2sj
でも周りの人はワイが喜んでくれることしてくれないやん
2024/07/15(月) 01:53:22.006 ID:hyFTj8wU9
昨日の自分に出来なかったことが、昨日の自分がしなかったことが
今日できた、出来るようになった
2024/07/15(月) 01:54:05.646 ID:hyFTj8wU9
そう言われても中々難しいよね
いつも自ら媚びに行ってるあの人の横に自分を置く
自分のことを一番理解してる親友のポジションのように他人と自分を同じ場所においてほしい
2024/07/15(月) 01:56:00.913 ID:7RRgUkbf0
2024/07/15(月) 01:56:02.076 ID:hyFTj8wU9
それはナメられてるから
人は何かをされたら、それを返そうとする
でもお菓子をもらって当然と思われてる相手にわざわざお菓子を買いに行ったりはしない
2024/07/15(月) 01:57:00.977 ID:hyFTj8wU9
他人と自分では無く、他人と自分と自分って風に他人の隣にもう一人の自分を置くんだ
常にそれが出来るようになればもうほとんど他人の評価なんて気にならない
2024/07/15(月) 01:59:29.867 ID:2RWUuHHtW
難しい概念やな
2024/07/15(月) 01:59:37.118 ID:hyFTj8wU9
嫌われるのを恐れないということ
よく言われるよね、嫌われるのを恐れないなんて身勝手すぎる、人間関係が壊れたらどうするんだ、他人事だから言えるんだ、と
少しでも自我を出した時点で嫌われ、壊れるような人間関係が正常だと思っているのか
2024/07/15(月) 02:00:27.728 ID:dMAQpkrjE
これは良スレ
2024/07/15(月) 02:01:37.999 ID:hyFTj8wU9
自我を出して嫌われるって怖いよね
でも心を殺して他人に媚びを売る性質って心が痛いってレベルじゃなくて、本当に心を殺してるってことを理解しないと心が死んでしまう
2024/07/15(月) 02:02:48.106 ID:2RWUuHHtW
過剰適応ンゴね
2024/07/15(月) 02:03:11.955 ID:hyFTj8wU9
上司に媚びたり、上役に気を使ったりね
でも日常レベルでそんなことをしてたら心が壊れてしまう、死んでしまう、枯れてしまう
2024/07/15(月) 02:06:06.004 ID:hyFTj8wU9
以上何か質問があれば
2024/07/15(月) 02:07:45.590 ID:ntVTu/5lt
親和欲求、承認欲求を下げる方法はないんか?もしあればそれぞれおしえてほしい
2024/07/15(月) 02:07:51.733 ID:KE6lfPHzv
ないです
ありがとうございました
90年代末期の江副浩正の社会的イメージといえばそれはそれは酷いもので、反社会的人物の最たるものと思われていたが、当時より彼が行なっていて慈善活動として奨学金事業があるのでそのことについて書いておきたい。
リクルートスカラーシップは学術,芸術に秀でた人物に対して無償の奨学金を提供するというもので、今は多少異なっているようだが、当時はオペラ、建築、心理学の各領域で年間6人程度が対象となっていた。当時はまだ有望な学生だった私も、この奨学金の受給者として選定され、2年間の間、毎月十万円もの支援をしていただいた。
残念ながら、能力もモチベーションにも欠けていた私は、その後、その分野において芽を出すことは叶わず、別の領域でひっそり生きているのだが、大学院進学後の困難な時期に得られた支援によって、やはり私自身の糧になっているという思いがある。財団からはOB奨学生に対して,毎年色々とコンタクトがあり、落ちこぼれの私は総会などにも一度も出席したことはなく、ただただ恥ずかしいという思いをこの20年間以上積み上げてきたが、この歳になって、非才の私を支えてくれた支援に対する思いはどんどんと強くなる。
思うに奨学金事業というのは「成功率」の非常に低い営みであり,金を渡しても私のように音信不通となってしまい、そのリターンが不明となるケースも多々あると思うが、そんな時でもその支援というのは決して無駄ではない、と各種基金の設立者や関係者の方々には伝わってほしいと思う。こんなことをここに書いていても仕方がないので、今年は何らかの形で事務局には連絡を取るか,あるいは当時に受けた支援金額の何分の一かでもリクルート奨学金か、あるいはあしながなどの他の基金に対して寄付したいと思っている。
親が高齢になり生業にしている農業に支障が生じ始めたとのことなので田舎に戻ることにした
私は農作業をせず家事の手伝い係としてサポート、昼間はフルリモートの正社員として東京の会社で働いているという形なんだけど想像以上に田舎暮らしがキツすぎる
東京に出てきて20年、「給料変わらずに田舎に戻るならまぁ悪くないかもな」なんて思っていた当時の私をぶん殴りたい
私は東京に染まりすぎて田舎暮らしに順応できない体になってしまっていた
東京で暮らしている頃には何とも思ってなかった素朴な文化の数々がどれだけ日々の暮らしに潤いを与えてくれていたのかを身を持って体験しているので、つらつらと愚痴を吐きたいと思う
東京に勤めている頃は仕事終わりにIMAXの映画を観たりミニシアターの小規模作品を観たり色々な映画を観ていたものだが、いま私の住んでいるところにはそもそも映画館なんてものがない
一番最寄りの映画館までは車で1時間半、IMAXのあるシアターに行こうとすると3時間もかかる
たかが映画に行くという行為すら一日がかりの遠足になってしまう
おまけに単館系のアート系映画は地元の映画館では上映されない場合も多い
元々映画鑑賞を趣味にしていた私は田舎に帰るにあたってこの田舎の映画砂漠を甘く見すぎていた
帰省前は「まぁ週末車で出かけて映画を観ればいいや、なんならサブスクもあるし」などと思っていたがこれは甘かった
「そう言えば今日〇〇の公開日じゃん観に行こ」といった突発的な映画鑑賞ができないというのは想像以上のストレスになる
東京にいた頃、「今日は残業なかったしなんか観て帰るか〜」って気軽に映画館に行っていたけどこれは都会にのみ許された贅沢だったんだね…
Xの皆の感想を眺めながらサブスクでの配信を待つってことがこんなに屈辱的だったなんて思わなかったよ…
スタバのカップを片手に通勤なんてこともこれまで一度もしたことがない
Xやインスタで季節の新作の広告が流れてきたり、たまたま通りがかったときにのぼり旗で新作の存在を知ったりして、気分が乗っていたらスタバに立ち寄って飲む
それくらいの使い方をしているだけだった
これは本当に文化的で贅沢なことだったんだ
映画館と同じくスタバを飲むためには車を走らせて一日がかりの遠足をしなければならない
「お、桃のフラペチーノの季節やんけ飲みに行こ!」なんて気軽にスタバに立ち寄ることは、田舎に暮らしている限り無理なのである
たかがスタバの新作を飲むという程度のことすら気軽にできない!
スタバを飲むなんてこと、本来は文化的には大したことないはずなんだよ…
でもそんな大したことのないことすらも満足にできないってことにどんどんみじめさが募っていく
田舎に戻って3ヶ月が経った頃、私はスタバの公式アカウントのフォローを外している
東京に暮らしていた頃は何とも思っていなかったことだけど、デパートのコスメは心を豊かにさせてくれるオアシスだったんだね…
田舎に変える前は「化粧品?最近は同じのしか使ってないし通販でいいでしょ」なんて思っていた
そして、一側面的にはそれは正しかった
でも、デパートのお気に入りのブランドのところに行って「お、新作あるやんけ試してみるか」「いやこれ普通に前のほうがいいわ乗り換えるのやめよ」なんてあれこれ試している時間は本当に心に潤いをもたらしてくれる貴重なものだったんだ…
普段使ってるのよりグレードの高い、例えばグッチとかトム・フォードとかを見て、店員さんに良かったら試してみますかー?なんて言われて「いやー、誕生日に自分で自分にプレゼントするのもありかもなぁ」なんてお試しで付けてもらったリップの輝かしさを鏡で見ながらニコニコする
そういう時間がどれだけ心を豊かにしてくれていたのかなんて当時の私にはわからなかった…
私は自分のことを化粧品にはそんなにこだわりのない女だと思っていた
田舎に帰ってはじめて「化粧品にこだわらない」ということの本当の意味を知った…
私は元々そんなにイベントに行く方ではない
SNSで好きな漫画家さんの原画展が開催されると知って、しかも定期圏内の気軽に行けそうな場所であれば赴く、といった程度の頻度だった
あるいは電車の広告でモネ展をやるという情報を見て、「まぁ人生で一度もモネを見たことないってのもなぁ」なんて思いたち何の知識もないまま鑑賞しに行ったりする
映画以外のことについては割とインドア派なので、ほんとそれくらいの感じだった
何度でも言う
当たり前だと思っていたことは都会の人間にのみ許された贅沢だった
そしてこの種の贅沢が一切できないというみすぼらしさ、そのみじめさがどれだけ心を苛むのか私は全くわかっていなかった
田舎に帰ってきてからというもの広告にそそのかされてついついイベントに赴いてしまう、なんて経験は絶無である
日々の色彩を豊かにしてくれていたのはこういうイマイチ積極的に行っていたってわけでもないイベントの数々だったんだね…
ここでの毎日は本当にただの繰り返しのように感じられて、どんどんと心から弾力が失われていってる気がする
とにかく毎日が退屈
そして退屈しのぎをするのにも労力がかかる
東京の文化は借り物だ的な議論が一時期流行ってたけど、いやいや借り物だろうがなんだろうが文化的に豊かなほうが毎日楽しいよ
田舎暮らしを満喫できるタイプの人間もいるんだろうけど、少なくとも私には無理だった
東京で暮らしていて一時でも「楽しい!」って思った経験のある人は田舎に帰らないほうがいいと思うよ
想像以上に反応をもらえてびっくりしている
誤字脱字を直すついでにもらった反応をいくつかかいつまんで答えようと思う
これに関しては書いてある通り車で1時間以上ドライブしないと映画館すらないようなレベルだよ
住所に郡だ村だと書くようなところだよ
ここで言う田舎ってのはそういうレベルなんで別に地方都市ないし幹線道路沿いの小規模な町などなどを田舎として一括りにして貶してるつもりはないです
私が貶してんのは人よりカエルの方が多いようなクソ田舎だけです
そこんとこよろしく
これに関しては単純に私の見通しが甘かった
まず私が勤めている会社内でフルリモート地方勤務のルールが敷かれたのが大きなきっかけ
私は社内デザイナーなんだが、元々管理職方面のキャリアは積んでいなくて専門職系の実働部隊の中での一番年上みたいな立場
管理職と違ってひたすら手を動かすだけだから地方勤務との親和性が高かったんだよ
一応年齢✕1万以上+年2回のボーナスくらいの給料はいただけているし、この給与水準なら物価の安い田舎に帰れば不便さを差し引いてもメリットあるのでは?って考えに取り憑かれてしまった
しかも折悪く両親の体調の話を聞いたんでこれは天の采配だ!って意気揚々と帰京して後悔しているって顛末
早とちりと言ってしまえばそれまでなんだけどまさか私自身ここまで東京の暮らしに充実感を覚えていたなんて思ってなかったんだよ
割と叩かれて凹んでいたんだけど、この反応を貰えたから増田に投稿してよかったなと思えたよ
なんでこんな簡単なことにも気づかなかったんだろうね
まだ思いつきだけど、自分専用の映画館を建てるのを目標に生きてみようかな
田舎だから音漏れも気にしなくていいし、私のブルーレイコレクションも無駄にならないで済むし
ここで挙げられているのは消費であって文化ではない
うるせぇ
何を書こうか忘れてしまった。何かしら人生の目標のような、諦観のようなものだったと思う。
そのことを思い出そうと試みる。そのことを思っていた時はたしか車に乗っていて、退勤ラッシュなのに広い道路を法定速度で走るものだから、どんどんと大きい車がビュンと追い抜かしていって、なんだか流星群の中にいるみたいだとか、大きな蛇に丸呑みにされているようだとかそんなことを考えていた。肝心な内容は思い出せない。こうなるととっても意味のあるものだったような気がする。ポイを破った金魚をいつまでも目で追うように、こぼれ落ちたものを欲しがるのは悪癖だ。
こんなふうに寄り道に逸れていくから何も覚えていないんだと分かったことは良かったが、やっぱり思い出したい。
誰かに贈る言葉だった。そう、誰かに伝えたい言葉だった。自分以外の、人に言うほどのことではないことで落ち込んでいる誰かに。
何を書こうか忘れてしまった。何かしら人生の目標のような、諦観のようなものだったと思う。
そのことを思い出そうと試みる。そのことを思っていた時はたしか車に乗っていて、退勤ラッシュなのに広い道路を法定速度で走るものだから、どんどんと大きい車がビュンと追い抜かしていって、なんだか流星群の中にいるみたいだとか、大きな蛇に丸呑みにされているようだとかそんなことを考えていた。肝心な内容は思い出せない。こうなるととっても意味のあるものだったような気がする。ポイを破った金魚をいつまでも目で追うように、こぼれ落ちたものを欲しがるのは悪癖だ。
こんなふうに寄り道に逸れていくから何も覚えていないんだと分かったことは良かったが、やっぱり思い出したい。
誰かに贈る言葉だった。そう、誰かに伝えたい言葉だった。自分以外の、人に言うほどのことではないことで落ち込んでいる誰かに。
「丙午年生まれの女性は、気性が荒く激しくなり、夫の命を縮めてしまう」という迷信があって、実際に前回の1966年(昭和41年)の出生率は前年比で約25%も下がっています。
昭和40年出生数182万 → 昭和41年出生数137万 → 昭和42年出生数194万という推移で、特に田舎の農村部で妊娠中絶が繰り返されました。
2026年においても、この迷信を信じて妊娠を避けようと考える者が出てくることがすでに懸念されており、少子化にさらに拍車をかける年になると思われています。
これだけ科学が発達した現代においても、オカルトや占いの類いの人気は衰えることを知らず、むしろ不安を煽るものはSNSのせいで拡散されやすくなってしまった時代だと思います。
そこで、この馬鹿馬鹿しい迷信を逆に利用することで、出生率を前年比より上げることを目指したムーブメントを、今のうちから作りましょうという提案をします。
ムーブメントの中心はSNSから、フェミニストの方たちに率先して動いてもらいたいと考えています。
丙午の迷信はつまるところ、「男性支配に縛られることのない、強い女性が誕生しやすい年」であると言い換えることができます。
これからやってくる女性の時代の幕開けに向けて、相応しい女性の誕生を望める年だとして、潜在的に占い等を信じてしまいがちな人たちの背中を押してあげることで出生率のブーストを図ります。
しかし、これだけでは迷信に迷信をぶつけるだけになってしまうので、あえてこういう意図でやっていますということを同時に大っぴらに説明していきます。
科学的ではない迷信に囚われることの愚かさを同時に語ることで、カウンターとしてのこの運動に意義を持たせ、本来オカルトを嫌う理知的な人たちをも巻き込んでいきます。
そうすることで、逆にあえて2026年の丙午の年に子供を産むこと=オカルトを信じない科学的思考のできる人間、であることを内外にアピールできる絶好の機会として、SNSで大々的にキャンペーンを打ち出します。
ただし、これだけでは出生率の降下を止められないでしょう。
なので、さらなるブーストのために、丙午の迷信を利用し尽くします。
まず、その迷信にあえて乗っかり、男児ではなく女児を産むことを暗黙の目標として掲げます。
べつに男児でも当然良いのですが、これをあえてすることで、韓国系のラディカルフェミニストというチンドン屋を引き寄せることができ、爆発的にSNSでキャンペーンを拡散させることを狙います。
過激な発言も増えることは必至ですが、悪名は無名に勝るという清濁併せ呑む考えの基、国内のフェミニストもここは大いに議論を盛り上げていくべきです。
議論の内容はともかく、重要なのは、これからやってくる女性の時代の始まり、そのファーストイヤーとなる2026年に子供を産むことをトライする、という意識をSNSを通じて潜在的に人々に植え付けていくという目的です。
まず、男性よりも女性の方が占い系のオカルトに興味を寄せやすいという傾向は、事実はともかくとして、大体の人がある程度そう思われがちであることに納得するところだと思います。
これは逆に言えば、男性はあまりそういうのを信じる傾向にない、という意識を作りやすい状況にあると考えることができます。事実は置いておいて、です。
そこで、2026年にあえて子供を作ることは、迷信に惑わされない冷静で理知的な男性である、というイメージを作っていきます。
これを達成するのは容易ではありませんが、昨今の状況においては、とある属性を利用することで、これを比較的簡単に達成できる状況にあると言えるでしょう。
2026年に子供を作らない男性=子供を作る相手がいない男性⇒迷信に囚われた古い価値観のダサい男性、という文脈を根付かせることにより、独身や弱者男性と呼ばれる属性の人たちの意識をこちらに向けさせます。
当然、謂われのないレッテルを貼られるわけですから、反論してきますし、大いにネット上で吠えてくれることでしょう。これは上記の韓国系ラディフェミと同じく、キャンペーンの宣伝材料として機能します。
たとえ男性側の主張が正しくとも、必死でそれを訴える様は女性からの嫌悪を誘うであろうことは容易に想像できるため、それは逆説的にさらに2026年妊娠出産の意識を強く根付かせていく結果となるでしょう。
事実はどうであれ、2026年に妊娠と出産をして丙午年生まれの女児を授かった方が、迷信の真偽に関係なく、単純に勝ち馬に乗れることになるという潜在意識を強く強く植え付けさせることが、なによりも重要となります。
ここまでやって、ようやく出生率を上向けることができると思います。
そこからさらにその後も続けていく必要はありますが、まずは一年目、その切っ掛けとなる千載一遇のチャンスが2026年に訪れます。
その年になってから急にそんなことを言われても、すぐに妊娠出産ができるわけはなく、ゆえに今から大急ぎでこのムーブメントを起こす下地を整えていく必要があります。
大切なのは、2026年に妊娠出産をすることで強い女性が生まれる、という考えの基でムーブメントを起こすのではなく、丙午の迷信に対するカウンターとして、あえて2026年に妊娠出差を目指す、という形にすることです。
その過程で様々な議論が巻き起こるでしょうが、それらはすべて気にする必要はなく、むしろ薪をどんどんとくべて火を大きくしてさえくれれば、その中で生まれるであろう犠牲も、それだけで必要な役割を果たしてくれていると言えます。
あれこれ理由をつけてこの火に水をかけようとしてくる輩には、どんどんと丙午の世迷い言を信じる馬鹿者扱いをしていくことで、2026年妊娠出産を掲げる側こそが理知的で科学的で先進的であるというイメージを強くしていきましょう。
そして、こうして私がこの場ですべての考えを大っぴらに公開しているように、このムーブメントにおいて二次的に生まれる中傷等の被害については、すべて意図的で意味のある行為だと初めから説明をしておくのです。
すべては日本の少子化解消に向けての第一歩、そのための運動であるということを隠すことなくす伝えることによって、何も分からずにただ殴られるだけという状況を回避する手段を用意し、運動を支える側に回った方が得であると認識させていきましょう。
2024年もすでに折り返し地点で、2026年まであとわずか18ヶ月しかありません。
私はここに、具体的な手段として日本の出生率を一時的に上げる方法を上げました。
もう20年以上前の中3だった頃のはなし。日曜日の夜に塾から帰る満員に近かった電車のなかでドアの前に立ってた
すると後ろに立った人からドアに体ごと押し当てられた。満員だったから別に不思議じゃなかったんだけど
しばらくして、いきなりスウェット生地のパンツに手を入れられた。驚いたけど声は出なかった。というより出せなかったというのが正しい
耳元で荒い鼻息が聞こえると同時に手が下着のなかに入ってきた震えるくらい怖かったけど、うつむくことしかできなかった
手が股間をまさぐり始めた。実をいうと私は男だ。今で言う男の娘というやつで、自分でいうのも何だけど見た目は女そのものだった
女子の格好をしなくても女に間違われてすごく嫌だったのを覚えてる。今までも痴漢されたことは数え切れないほどあったので
「またか」程度にしか思ってなかったが、男だとわかればすぐに止めてくれるだろうと考えていた。けど違った
この人は私が男だとわかっていて痴漢しているんだと悟ったのは、アレの皮を剥いたり戻したりを何度も繰り返して鼻息が強くなっていたときだった
私は当然、興奮することはなく恐怖心しかなかったので大きくなることはなかったが、その手はどんどんと荒く激しくなっていった
少しずつ平常心を取り戻し、恐る恐る首を回して後ろに視線を送ると目がキマったおじさんがこっちを凝視していた
下着のなかに入った手を握り力を入れて追い返そうとすると、反抗して更に荒く手を動かしてくる
だんだんと恐怖心より怒りが勝り始めた私は、おじさんの手を両手でつかみ下着から追い返すことに成功した
振り返ると、おじさんはやり場のない興奮と従わなかった私に対する怒りのような視線を送ってきた
さすがに私にはにらみ合い続けられるほどの度胸はなく視線を外したが、おじさんがずっとこちらをにらみ続けてるのはわかった
次の駅に到着するやいなや、おじさんは逃げるように電車を降りた
それからは必ず友達と一緒に電車に乗るようになったのと、駅を降りたら後ろを振り返り警戒を怠らないようになった
月日は流れて私は結婚し子供も生まれた。中学生3年生になった娘は当時の私そっくりで親戚は合うたびに毎回驚いている
なぜ、この日記を書こうと思ったのかというと、この子が先日痴漢にあったからだ。その当時のおじさんというオチではない
痴漢の具体的な内容までは掘り下げなかったが、ふと当時の記憶を思い出したので書いてみた
実際に痴漢にあうとAVのように都合の良い流れにはならない。被害者には恐怖心しか残らない
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigirokua.nsf/html/kaigirokua/002615620030226004.htm
次に、東京集中は自然に起こっているんだ、これは経済の流れであると言う人がおりますが、これは全く間違いでございます。
戦後、昭和十六年体制、あるいは一九四〇年体制と言われる中で、官僚が猛烈な勢いで東京一極集中を無理やり進めてまいりました。
そのやり方というのは、まず、産業、経済の中枢管理機能を全部東京に移す。
そのために、全国的な産業団体の事務局は東京都に置かなければならない、二十三区に置かなければならないという指導を徹底しました。
だから、もともと大阪にありました繊維業界の団体も、強引に、あの日米繊維交渉のときに無理やり東京に移しました。
十年かけて移しました。名古屋にありました陶磁器工業会も移しました。京都にあった伝統産業振興会も東京に移しました。
団体が東京に移りますと、団体の長になるような大企業の社長は、何々工業会の団体長になりますと週に三回ぐらい東京に呼び出される仕掛けになっていますから、地方に本社を置いていられない。
二番目は、情報発信機能を、世界じゅうで類例がなく、日本だけが東京一極集中いたしました。
例えば、印刷関係で申しますと、元売を東京一極に集中しております。
今これがまた問題になっておりますけれども、東京にしか日販とかトーハンとかいう元売会社はございません。
したがって、関西で出版していたエコノミストやPHPは発行が一日おくれる。
大阪で印刷した本を川一つ挟んだ尼崎で売るためにも、必ず東京へ持ってこなけりゃならなくなっております。
これは非常に強い犠牲でございます。したがって、雑誌の場合は締め切りが一日早くなる。
これで東京以外で雑誌をつくることができなくなりまして、全部東京へ無理やり移しました。
これは国土政策懇談会でも何回も問題になりましたが、政府、官僚の方は頑固に譲りません。
香川県や長野県でも元売をつくろうという動きがありましたけれども、ことごとくつぶされてしまいました。
また、電波につきましては、世界に類例のないキー局システムをつくって、キー局は東京にしか許されていない。
そして、キー局でないと全国番組編成権がございませんから、すべて東京都スルーの情報しか流れないようになっています。
だから、特定目的の施設、例えば歌舞伎座でありますとか格闘技専門体育館でありますとかいうのは、補助金の関係で東京にしかつくれないようになっています。
これで歌舞伎役者は全員東京に住むようになって、関西歌舞伎は一人もいなくなりました。
あるいはプロレス団体も、東北地方にみちのくプロレス、大阪に大阪プロレスがあるだけで、四十団体はことごとく東京に集められました。
さらに、最近は、BS放送七局を全部東京にしか許可しないという制度になっています。
こういった官僚の強引な、コストを無視した集中制度によって東京に集まっている、このことも重要なことだと思っております。
https://www5.cao.go.jp/99/e/kgiji/19990531chiiki.html
ここにも記述してありますが、日本の地域政策は、昭和初め、昭和16年ごろの決定がございまして、日本全体を有機型地域構造にするというような決定がございました。
有機型というのは、人間の体のようにするということです。人間の体であれば頭は1つだということで、全国の頭脳機能を1つに集める。それは首都東京でなければいけない。
頭脳機能というのは、産業・経済の中枢管理機能と、情報発信機能と、文化創造活動である、こう定めました。
そして、各地に地方中核都市をつくりまして、北海道なら札幌、東北6県なら仙台、中国なら広島とする。
ここは地方限りの頭脳機能をもつ。各県限りのものは、県庁所在地に置くという、段階的なヒエラルキーをつくりました。
そして、すべての文化創造活動、情報発信機能、産業・経済の中枢管理機能を東京に集めることにする。その手法として様々なことがとられました。
例えば、産業・経済の中枢管理機能を東京に集めるためには、各産業別、職業別に全国団体を作り、この全国団体の本部事務局は東京都に置かせるという政策をとりました。
私が通産省に入りました1960年代は、まさにこの政策を継続し、強化する真っ最中でございました。
この方針に反して地方に、東京以外に、全国団体の本部があると、一日も早く東京へ来なければいけない。
その対象になりましたのが、大阪にありました繊維業界、名古屋にありました陶磁器業界の2つでございまして、繊維業界については再三圧力をかけておりましたけれども、なかなか成功しませんでした。
ところが、うまい具合に68年に、あの日米繊維交渉、これを折衝するにあたって、まずアメリカと折衝する前の条件は、紡績協会が、各種団体が東京に本部を移すことだ、こういう話をいたしました。
当時の局長室に、「敵は米国にあらず、大阪なり」という有名な看板を掲げられて、新聞にも出たことがあります。
いろいろ折衝したのですが、なかなか職員も大勢おられてそう簡単にいきませんで、日本繊維工業連合会という屋上屋の団体をつくりました。
銀行協会などもずっと東京にあったのですが、銀行協会長は東京にある銀行からしか出さないということがずっと続いて、三和と住友はダメということになっておりました。
それが、70何年でしたか、本社機能を東京に移すことを条件に、まず住友銀行、次いで三和銀行が会長銀行になりました。
国というのは面白いもので、他の国から認められることによって国として認められる。ではその国はどのようにして生まれたのかというと他の国から国として認められたことで生まれたわけだね。じゃあ最初の国はどのように生まれたのか?それはヨーロッパ人が喧嘩をしたせいで生まれたんだね。長いこと喧嘩していて疲れたので国というものを作り出したわけだね。そしてヨーロッパの国々から国と認められた国々がどんどんとできていくわけだね、ウイルスのように。
国を国と認めることで国として認められるというのはとてもおもしろくて、例えば日本は台湾を国と認めてないんだね。中国が台湾は中国の一部だっていうんでみんなプーさんに喧嘩を売りたくないから台湾は国じゃないよと世界のほとんどの国が言っているわけだ。
今回スペインなどがパレスチナを国として認めるというのは、要するにイスラエルに喧嘩を売っているということだね。これは台湾は国であると認めるのと同じようなものでね。そもそもイスラエルというものはイギリスが勝手にユダヤ人を引き連れてパレスチナに作ったものでね、なんともイギリスとユダヤ人の身勝手さから無理やり作られた国であってね、色々と面倒なことになっていたんだね。
そんなことで作ろうじゃないか増田国を。他の国から認められれば増田国の誕生だね。まず我々は台湾やパレスチナを国と認めよう。そして彼らから国として認めてもらう。このようにして並行世界を作っていこうじゃないか。
人気がなくて、国民から信用されず、人望がない岸田からはじめたことで政府機関の信頼が地に落ちた。
「“回復”はプレイヤーの時間を奪う要素だから要らない」──『サガ』生みの親・河津秋敏氏が語る、超鋭角な「攻める」ゲームデザイン論。最新作『サガ エメラルド ビヨンド』では短くかつヒリつくバトルを追求、「プレイヤーに同じような体験を何度もさせない」ことを目指した
https://news.denfaminicogamer.jp/interview/240527t
そのブコメ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.denfaminicogamer.jp/interview/240527t
先に断っておくと、ギリギリのゲームバランスみたいな事に異を唱えるわけではない
だが限られたリソースの削り合いって意味ではヒリヒリする緊張感を味わえる
救援対象の操作可能キャラが砦に居て、リーダーがロードでユニットがソルジャー
敵に囲まれながら削られたユニットを下がらせ城壁に元気なユニットを回す
さてどうやって防衛してやろうか
RPGバトルで行動の最適解をシステムが押し付けてくると自由度は下がるんだが
「ギリギリで独壇場発動して勝利」をバランスがいいと有難がるのは違う
レベル(サガ系ならステータス)を上げて物理で殴っていい筈なんだよ
力こそパワーとばかりに、ビュッテン突破しても良い筈だ
だから「“回復”はプレイヤーの時間を奪う要素だから要らない」と選択肢を奪ってしまってはダメなんだ
そう思うプレイヤーがいるなら、勝手に制限プレイすればいいだけなんだよ
でも大概のシリーズは製作者のシステム的な思想がゲームに侵食していく
どんどんとプレイヤーの手からゲーム体験が離れてクリエイターの理想のリプレイになっていく
「敵のガードをブレイクしよう、一転攻勢だ」(ブレイクしないと満足にダメージ出ない)とかが典型で
これを有難がる人が増えると、シリーズが停滞していく