はてなキーワード: 新宿とは
オカマのおじさんというのも変な呼び名だが、友達に話すときはいつも「オカマのおじさんがさぁ」と言っていたのでそのまま書いてみる。
22くらいの時に、路上で泣いてる私を気に留めて話しかけてくれ、あったかい飲み物をくれたのがきっかけで知り合った。
お金もなく仕事もうまくできず、適応障害っぽくなっていろんなことがうまくできなくて、繁華街の隅っこで静かに嗚咽してた時にパーっと寄ってきて世話焼いてくれた。今考えてもちょっとウケる。歌舞伎町やぞ。ただの酔っ払いの可能性もあるのに、私が泣いてる感じがしたから声をかけてくれたんだそうだ。
おじさんはオカマだが(ゲイ)、その時たまたま女装していただけで普段は男の格好をしていた。缶に入ったお茶かなんかをもらってそれで手をあっためて、感情失禁みたいになってた私は自分の置かれた状況を聞かれてもないのにただ話した。おじさんは聞いてくれた。なんかいい人そうだったので連絡先を交換した。
別に魔法みたいなことは何も起きなくて、おじさんの知り合いがやってる工場の仕事を紹介してもらって(一人で黙々とできるから人に気使わなくて疲れないんじゃない?とのことでやってみたら自分的にとても良かった)時どきLINEしたり飯に行ったりした。
おじさんは酒がほぼ飲めない。一杯飲んだら真っ赤になるタイプだからと酒を飲んでるところを見たことがない。バー勤務なのに働いてる時も基本はお茶しか飲んでいなかった。
何ヶ月かに一回おじさんに話を聞いてもらいにおじさんが働いていたゲイバーに遊びに行った。
そしてその店で知り合った別のゲイの人に、おじさんが亡くなったことを教えてもらい葬式に出た。
コロナでほとんどおじさんに会えず(2回くらい新宿ですれ違って少し離れたところから近況を叫び合った)、体調がちょっとね〜なんて話を聞いていたのだがおじさんはエイズだったのだそうだ。
ここで私が言いたいのは「会いたい人には会える時にあっておいてね」みたいな綺麗事ではなく、頼むからみんな性病の検査に行ってくれよなということです。
おじさんは人の世話は散々焼いていたが、自分の体調には無頓着で、しっかりエイズを発症するまで病院に行くことがなかった。
おじさんが昔は普通に結婚していて、でもやっぱりゲイである自分を偽れなくて離婚して、ゲイとして新しい人生を歩んで、そして私におせっかいを焼いて、エイズになって塵みたいに消えてしまった。
消えちゃったよ。もうどこにもいないよ。
めっちゃ優しい人ってわけでもなく結構女嫌いなのかな?って思うくらい口悪い時もあったし、100パーいい人って感じでもなかったが、おじさんがいなかったら今の私はいなかったよ。
病気が憎いよ
娘さんを連れていったりもする。
秋葉原ではその脚を「確かめていく奴」「無断で性的搾取するオタク」が沢山いる。
……正直吐き気がする。
娘さんはまだ六歳だよ?僕の娘を、そんな目で見るな。ふざけんな。
秋葉原だけじゃなくて、あちこちで、僕の娘の脚を見ていく奴らがいる。
日本橋はオバサマが多いから、僕みたいなイクメンは褒められますが、僕の娘はまだ六歳だ。
オタクの好きそうな、黒髪ロングのストレートだ。麦わら帽子も、よく似合う。
娘さんはコロナに負けずに無邪気に跳ねまわってるけれど、
僕はそのたびに「じっとしてなさい」と言わなきゃいけない。
男達、オタク達、が……
同じ様なことは、二歳になった息子にもある。
練馬とか柏に住んでいた頃は、望遠レンズをつけたカメラ持ちの奴らがいた。
僕は黙っていられなかった。
なんでそこにいるのか。なんで望遠つけてるのか。
一々確かめに行った。
なにしてるのかって。
でもみんな、声をかけたら逃げていく。
それってありか?
僕は、声をかけないほうがよかったのか?
https://anond.hatelabo.jp/20220517213328
リアルタイムに聞いていた。塾に行っていた頃で(恋愛的な意味で)好きな人がいたのを思い出す
リアルタイムに聞いていた。塾に行っていた頃
割とリアルタイムに近い時期に聞いた
2007年のRUSHBALLがtvでダイジェスト放送されていて知りました
2007年のRUSHBALLがtvでダイジェスト放送されていて知りました
何で知ったか忘れたけどいい曲
mv公開されて割とすぐに見て、なんかぞくぞくした。今思うと、アルバム「Too many people」(2017)のジャケット、藤井風っぽい気がする(そうでもなかった)
後追い。youtubeのコメントに「自殺した彼氏を思い出す」というのがあった気がする
リリース時から少し遅れて聞いたけど素晴らしい。素晴らしすぎます。
最初、「風吹けば来い」と誤変換された。初めて女の子とカラオケに行ったときに、これを歌いだして死ぬかと思った(あっ書いてしまった
後追い。すごいなあ、かっこいいなあ、と呆然とした
なんかかっこいい、イケイケ。pvがかっこいい。学校でやんちゃな友達に教えてもらった
後追い
後追いだニャー 昔のmarqueeeに広告が載ってて知ったかも
曲いいし歌詞よくできてるなあと。後追い
後追いで。ネタがなくなってきました。。新宿カフェ・ド・ボアに捧げます
声が素敵です
いい!ギターかっこいい!
テレビに出てて知りました笑
輝いてる✨
夜更かししてて、だんだん夜が明けてくる感じがする。「お願い!セニョリータ」「イケナイ太陽」でもよかった
PVがいいです
かっこいい。東京モード学園かなにかのCMで使われてたけど、しばらくタイトルがわからずフラストレーションがたまった記憶がある
ふと北九州の中学で同級生だったマドンナと若いころ新宿で再会した出来事を思い出した[1]。画家を目指し上京したものの夢破れ不本意ながらデザイナーの道に進んだ吉田は、あるとき歌舞伎町で一杯ひっかけてモダンジャズ喫茶の前でタクシーを待っていた[1]。そしてかつて親しくしていたマドンナと偶然鉢合わせるのだが、美人で利発だったかつての初々しい面影は失せ、こちらを避けるような眼差しを向けながら黙って雑踏へ消えていった彼女の姿に吉田はひどく心を痛め、「ああ、きっと苦労しているのだろうな」「あの子に恋人がそばにいたら、幸せになれるだろうに」といたたまれない気持ちになったのだった[1]。吉田は彼女の境遇を自分の境遇に重ね合わせ、都会での生きづらさ、人を変えてしまう都会の非情さを詞に込め[1]、1964年の東京大渇水の際に生まれた「東京砂漠」という言葉にタイトルを託した[2]。
「あなた(恋人)がいれば…」と何度も繰り返されるフレーズを[1]、前川清はその粘りのある歌声で[2]切々と歌い上げた[1]。
役者や芸人やバンドマンって下積み時代の苦悩をよく語るけど、売れてないって事実があるだけで実は彼らは別に大して努力をしていない。
下手すりゃ、下積み時代ですらヒモやってとか先輩に完全に食わしてもらってとかの理由で
衣食住は何不自由なく、世間の人達よりはるかな楽~に確保出来てたまである(目黒とか渋谷とか新宿で一人暮らしなんて大した苦労人ですこと)。
とにかくみんな、恋愛、飲み会、バイト、セックスばっかりしてて、芸事に打ち込む時間なんて1日あたりにならすとマジで2時間もない。
公務員試験の勉強してるそこらへんの大学生のほうがリアルな話よっぽど目標に向かって努力してる。
でもそんなゾッとするような意識の低さでいても、年数重ねて粘っていると0.5%くらいの奴は本当に売れて食えちゃうのがテレビの世界。
でも別に心を入れ替えて1日10時間かけて芸を磨く生活を続けてました、とかはなくて、相変わらず時間換算だとチョロっとやってただけ。でも売れる。
しかも死ぬほど売れてからも週休4日で年収1億とかマジで貰えちゃうような凄い世界。
彼らはもっぱら『歯食いしばってるフリ』を見せる生き方しかしてなくて、それで本当に売れちゃった人達が、昨今業界自体がコロナとかで汲々としてきた影響で、
徐々に社会人っぽい厳しさに見舞われるようになり(世の中の社会人のほぼ全員が受けてる程度の厳しさ)、
そういうのに耐える訓練なんて今までの人生でほぼ受けてこなかったから病んじゃうのでは?
と想像している。
どうだろ?
当時田舎の学生だった自分は何かのイベントで新宿に行く事になった。
「せっかく東京に行くんだから何か名物になるものが食おう、そうだ好きなミュージシャンがブログでうまいうまいと書いてた二郎って店に行こう。」そう思って歌舞伎町の二郎に足を運んだ。
当時ブログというかweb日記みたいなものしかなく、二郎がどう言う系のラーメンなのかさっぱり分かっていなかった。調べても出てこなかったし。
また学生で視野も世界も狭く、ラーメン=地元の鶏ガラ出汁に背脂たっぷりの中華そばだと思い込んでた為二郎に到着して先人の食べているラーメンを見て驚いた。
今思えば一旦そこで店を出れば良かったのに子供だから一回入ったら注文しないと出れないと思って次のような注文をしてしまった。
・野菜全部抜いてください
・チャーシュー薄切りに出来ますか?出来ないなら抜いてください
二郎の良さ全部抜き。店員さんに5.6回すげえ変な顔されながら本当にそれで良いのか聞かれ、今なら二郎がどういうものか分かるけど分からなかったのでいい加減しつこいなと逆ギレしてしまった。申し訳ない。
先述の通り鶏ガラ背脂がラーメンだと思ってた自分、出てきたラーメンがそうではないので思ってたのと違うからとほとんど食べる事が出来ず逃げるように退店した。
昔は良かった。今こんな事したらどうなるかわからん。
アクリル板の向こう側の人とお互いに声が聞こえにくくて会話しにくいんだよ。
声届くように大声出さないといけないから、むしろアクリル板が飛沫の発生を助長しているんじゃないかと。
この間、新人の歓迎ランチで初めて行った店がそれで、周りも大声張り上げて会話してうるさいせいもあって、お互いに「えっ?、えっ?」ってなって全然会話にならず、打ち解けるためにいったのに全然だめだったわ。
飲食店の「うちの店でクラスター起きて欲しく無い!」って気持ちは十分わかる。やれることはなんでもやっておきたい気持ちもわかる。
でも、よく考えて欲しい。ボックス席に座っている時点で、家族だったり、恋人だったり、友人だったり、同僚だったりで、その店以外の場所でも濃厚接触している間柄だ。
そのボックス席の全員がある時感染したとして、「あの店で飲食した時だ!」と誰が言えよう。
カウンター席の横のアクリル板は他人同士になる可能性もあるからわかるけど、大抵の場合知人のボックス席の場合はアクリル板なくても良いだろ。もしくは、どかせるようにしておいてくれ。
そもそも、このアルリル版含め、ほとんどのコロナ対策がもはや意味ないと思っている(先に言っておくと別にマスク反対派ではないよ)。
このコロナ禍の中ずっと新宿に満員電車に乗って通っているけど、感染したことはない。
ランチも毎日普通に外食してたし、緊急事態宣言中でも社内で飲み会やったり、普通に営業している飲み屋(新宿には結構あった)とかに行ったりしてた。
200人くらいの会社で、みんな同じ状況だけど、これまでの感染者は社内で十数人程度。ワクチン一度も売ってないという人もいるけど、一度も感染してない。
一方フルリモートで家から一歩も出てないという友人が感染した。
2週間以上家から出ず、誰にも会っていなかったので感染経路は不明。
強いていうなら宅急便や出前館とかの宅配の人と一瞬顔を合わせた程度。
つまり人から感染しやすい状況にあるかどうかに関係なく、「かかるときはかかる」というのが俺の肌感の考え。
鳥とか虫とかもウィルス運んでんじゃねっていう。
支障がないならやれることはやったほうが良いとは思う。電車内でマスクしたり、手洗いうがいをまめにしたりとか、やることでそんな困ることじゃなければ。
ただ、外食や旅行、イベントを制限したり、アクリル板で会話しにくい状況を作ったり、2m間隔で並んで長蛇の列を作ったりとか、0.01%(仮)の可能性を減らすためだけにやるべきことだろうか。
もうインフルエンザと同じ扱いでええやろ。