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はてなキーワード: 就職活動とは

2019-01-20

日本の働き方の偏見(皆さんの意見が知りたいです)

初めてはてな匿名ダイアリーに書きます.私は就職活動を終えて今年の4月から会社で働きます

私が就職活動していて思ったことを少しここに書きます

それは日本IT産業パソコン使用した業務全般)の働き方は非効率ではないかということです.

働き方がパソコンスマートフォンでこれほど変化しているのに多くの人は朝から電車に乗って

会社に行く.デスクに座って夕方~夜まで仕事をして帰宅をする.私はIT使用した働き方は一人

一人が自分の得意な部分を最大限に生かし,自由に働ける方法だと思っていました.だから,自宅

ワークなどが活発になり会社に30分~1時間かけて会社に行くというのは今後なくなるだろう

と昔思っていました.だけれども,最近思ったことは日本人という民族は自宅で働くということ

が実は苦手な人達なんではないかなと思っています.家はリラックスする場所であり,会社仕事

をする場所であるというような形で空間仕事をする場所を決めているような気がします.(私の偏見です)

しかしながら,以前youtube動画Microsoftの働き方についての説明では会社でやる事の指針

をみんなで決めたら後は各自に任せる.つまり夕方くらいに子供学校に迎えに行かなくては

いけないの帰りますといった人がいてもOK.または,家庭を優先させて早めに帰宅する人もい

る.しかしながら,家に帰ったあと,しばらくするとビジネスチャットがオンになり,夜家で仕

事を始める人もいるそうです.(すみません,私の記憶が正しければこんな感じだったはずです)

米国文化なのかこれがグローバルスタンダードなのかが分かりませんが,Microsoftの人は空間

で働く場所を分割せずに,時間で働き方を分割できている人達であると私は思います.そしてIT

産業というのは時間で働き方を分割するという働き方に相性がいいと私は思っています

私の偏見ですが,日本IT産業が弱い理由の一つとして実は働き方の考え方自体が実は日本人と

相性が悪いからではないのかなと思っています

IT産業にかかわらず,働き方をITシステムの上手に活用し,個人個人に適した働き方をもっと

活用していくべきではないかと思います

少しの予定が長文になり申し訳ありません.学生ときが失礼しました.

2019-01-19

何がしたいのか分からないまま人生が終わった

小さい頃から逃げてばかりいた。

近所の子供たちが遊んでいるのを離れたところから見ているだけの自分に、親は「よして」と言うように教えてくれた。漢字で書くと「寄せて」になるのだろうか、仲間に入れてほしいというような意味だ。ついに一度も言わなかった。

家の中でばかり遊んでいた。本もゲームもそれなりに与えられてたので退屈はしなかった。テレビアニメ特撮をやってるときだけ見ていたが、ドラマ歌番組には興味がわかなかった。

幼稚園小学校は真っ暗なジャングルだった。そこら中に猛獣が潜んでいて、油断すると噛みつかれる。顔も名前もわからない「ともだち」たちから笑われ、小突かれ、追い回された記憶ばかり残っている。

教室にいると何が飛んでくるかわからいから、隠れ場所を探して校内をさまよった。目を閉じたら何をされるかわからいから、まばたきするのも怖かった。

このまま公立中学に行ったら殺されるに違いないという親の判断進学校を目指すことになった。進学校が何なのかもよく分からなかったが、言われるままに頑張った結果まあまあそこそこの私立に引っかかった。

公立を知らないので私立がマシだったのかどうかは分からない。同級生は相変わらず猛獣の群れだったが、目立った不良グループとかはいなかった。大きな図書室があったので、空いた時間に通いつめた。帰り道にあった古本屋お気に入り場所だった。家からバスで一時間くらいかかったが、本を読むには丁度よくて時々乗り過ごした。

せっかく入った進学校だが、勉強を頑張った記憶は無い。授業中は教科書落書きばかりして、溜まった妄想秘密ノートに描き連ねた。入学後に部活を選ぶ機会があったが、入ろうとした部の先輩に初回で約束をすっぽかされてそのまま無かったことになった。中高一貫だったので何の区切りもなくただ学年の数字だけ増えていった。

高校を出たら大学へ行くものらしいとは聞いていたが、受験の仕組みとかはまるで理解しておらず模試センター試験区別もついてなかった。どの大学に行きたいのかと言われても特に思いつかなかったので、自分の成績で向いていそうな学部適当に受けた。

一浪して隣県の国立に入り、仕送りもらってアパート一人暮らしを始めた。山と田んぼばかりの実家と比べるとずいぶん都会だったが、主に利用したのはスーパー百均古本屋古ゲーム屋くらいだった。アルバイトはせず、与えられた金額範囲いか生活するかばかり考えていた。

講義はどれも興味深かったし、図書館も大きかった。パソコンインターネットにも初めて触れた。けれど溜まっていくのは雑学ばかりで、何を目指して進めばよいのかが分からないままだった。

この頃には周りの人間猛獣ではなくなったが、自分から近づく気にはなれなかった。声をかけてくれる人もいてサークル活動などもやってみたが、結局はどの付き合いも長続きしなかった。人と関わって舞い上がる自分への嫌悪感と、夢や目標をもって進む人への劣等感で押しつぶされそうだった。

ノート落書きは続いていたが、書けば書くほど自分空っぽさを見せつけられた。オリジナルだと思っていた設定もデザインも誰かの真似でしかなかった。愛も理想言葉だけで、何一つ信じてなんかいなかった。

つまづきながら単位は取っていったが、論文が書けなかった。研究したいテーマなんて何一つ思いつかない。自分がやりたいことも、やるべきことも、できることも何も見えなかった。院に行けるような頭が無いのは分かっていたし、学んだことを社会で役だてるイメージもまるで出来なかった。

あてがわれた研究室で無意味に悩んでくすぶって、二回留年してから卒業した。教授に与えられたテーマそのままに本とネットでかき集めた文章をつぎはぎしただけの卒論を提出して、実家へ逃げ帰った。

家でただ寝ているわけにもいかないので就職活動をはじめたが、大卒肩書きしかない、やりたい仕事もできそうな仕事も分からない人間を雇ってくれる会社など見つかる訳がない。取りあえずどこでも良いので働いてみてから考えればという助言に従って、隣町の食品倉庫で時給労働をすることにした。取りあえずのはずだったが、そのまま十数年たった。

肉体労働苦痛だったが何年かすると慣れた。基本的には書かれた数字にあわせて箱を動かすだけなので頭を使う必要は無い。周囲に人はいるが朝の挨拶トラブルの報告以外で話すことは無い。毎日たくさんの箱が出荷されていくが、買い手のことはラベルに書かれた名前しかからない。ただただ箱を運び続けている。

学生アルバイトでも務まるような仕事から給料もその程度だ。実家住まいのおかげで多少の貯金はできたが、病気などで大きな出費があれば簡単に消し飛ぶだろう。別の仕事を探すべきだったが、こんな簡単仕事ですら苦労する自分に他の仕事などできるだろうかと思うと身動きが取れなくなった。

日々の暮らしのものには不満は無い。食べるには困らないし、仕事上のストレスくらいなら家でお菓子を食べてゲームしていれば解消できる。会社以外で人に会うことがないので服にも身だしなみにもこだわる理由が無い。特に行きたい場所もないし会いたい人もいない。飲まないし打たないし買わない。

このあいだ四十歳になった。独りのまま四十を過ぎると妖精になるなんて言ったもんだが、実際に妖精郷というのはこんなふうかも知れない。苦労が無い代わりに、新しいことも起こらない。小雨の降る午後のように、静かにただ夜を待つだけの時間

今週は先週と似たような週だった。来週も同じだろう。来月も、来年も、かわりばえのしない日々がただ続いていく。そうする内にいずれ親が倒れる。そして自分が。人生に残された大きなイベントは、もうそれくらいしか無い。

すでに自分人生は終わった、と思う。死んでいないだけで生きてもいない。小さな目標はいくらでも立てられるけど、それが他の何かにつながっていくことが無い。

自分は何がしたいのか、考えても結局わからないままだった。空っぽのまま生まれ空っぽのまま死ぬのだと思うと、少し寂しい。

2019-01-15

フリーランスサラリーマン自分

最近はてなフリーランスサラリーマン話題ぽかったので、遅ればせながら書いてみることにした。

といっても、主要なところは先人の方々によってキレイにまとめられているので、自分のケースと所感をつらつらと書こうと思う。

アドバイスというより自分に対しての反省や振り返りだが、読んでくれた誰かの参考になれば少し嬉しい。

自分場合は、フリーランスサラリーマンといった過程を経て現在に至っている。

初めはフリーランスとして、特定クライアントと月々いくらという契約で色々な企画仕事をしていた。いわゆる業務委託というものだ。

定期的に事務所に集まって他の人たちと作業したりするので、感覚的は会社に行っているのに近い感じだったと思う。

ここでの仕事は楽しかった。好きな仕事をして毎月お金がもらえるからだ。

数年後、若気の至りや内外の様々な事情により、そことの契約を切ってひとりでフリーランスをすることになった。

そして、ここから自分は大きく痛感することになる。

仕事を取ってくる大変さとお金の大切さを。

当時は企画提案での実績もあったので、ひとりになっても仕事は取れると思っていた。

だが、それは完全に見当違いだった。いくら実績があっても、クライアントとの接点がなければ仕事は発生しないのだ。

今まではクライアントとの接点は他の人が作ってくれていたが、これから自分で作らないといけないのだ。

そんな当たり前のことに気づき、なんとかクライアントとの接点を作って仕事をはじめたが、今度は別の問題が発生した。

お金ほとんど入ってこないことである

そう簡単に毎月まとまった金額仕事が入ってくるはずがない、ましてや個人でできる規模なんか知れてるわけで。

同時に、今まで毎月当たり前のように入ってきたお金が入らなくなることがとてつもない恐怖だということを実感した。

そんなの普通分かるだろと言われれば至極ごもっとなのだが、当時の自分は慢心しており、自分なら上手くいくんじゃないか、今まで知り合った誰かが助けてくれるんじゃないかと非常に都合のいい考えでいたのである

つまるところ、自分フリーランスのことを全然分かっていなかった。確かに自分フリーランスでやれていた。実績も評価もあった。だがそれはフリーランスとして極一部の部分だったのだ。いざひとりでやるとなると、足りないものだらけだったのである。当然その中にはやりたくないことだってあった。

取れない仕事、毎月着実に減っていく貯金不安無力感がどんどん大きくなっていく中、せめて何か勉強しようと思っても、それが実際の現場ではどう使われているなんてネットや本だけでは分からないし、でも実践的なスキルがないと仕事にならないといった堂々巡りを来る日も来る日も繰り返していた。

悩み悩んだ結果、今の自分には足りないものが多すぎる、フリーランスとかサラリーマンとか関係なくお金スキルを手に入れないと詰んでしまう、ということで就職活動をはじめることにした。

そこからあり合わせの知識技術作品を作りはじめ、その甲斐あってなんとか就きたい職に就くことができた。

おかげで今は、その会社でやりたいことをそれなりに楽しくやっている。

とはいえ、当然フリーランスとは違い不満や理不尽など、思うことも色々あったりするが、やはり毎月お金が確実にもらえるということは非常にありがたいことだと思う。

他にも仕事が降ってくる以上、実践的な技術強制的に身につくことや、何かあっても会社フォローしてくれることなど、フリーランスにはない様々なメリットがあることも実感した。

あと、不規則だった生活規則正しくなったことで肉体的にも精神的にも健康になった。

フリーランス時代サラリーマンなんかやってられないと考えていたが、思っていたよりサラリーマンも悪くないというのが現在の心境である

といった感じで、フリーランスを経てサラリーマンになった自分が得た答えとしては、サラリーマンフリーランス目的のための手段であって、やりたいことができればどちらでもいいのでは、ということである

サラリーマンとかフリーランスとか色んなもので世の中が回っているんだから、人それぞれでいいんじゃないかなと思う。

働いてる人みんなえらいとみんなが思えるようになればいいな。

今更そごう記事について思うこと

書いていてめちゃくちゃ今更かよ、もう二週間も経ったよって思ってしまったけど、書いちゃったから上げる。

パイを投げられている広告女性差別的外れがこないだ話題になったけれど、この一年でこういった女性差別もの見方が随分変わった気がする。

女性差別について、前なら、ひどいなあ21世紀になってもまだこんなひどいことが横行しているのかという気持ちだった。でも今だと日本だもんなそんなもんだろうなっていう気持ちになる。

あの広告をつくった人間がどういう気持ちでつくったのかは知らない。でも私にどんな文才があったとしてもあの広告にはたどりつかないだろう。

きっかけは就職活動だ。私は就職活動で初めて自分差別される側の人間だということを知った。

多分そういう女の子は少なくないんじゃないかと思う。

家庭内差別されたことは一度もなかった。成績の良し悪しについて性別理由文句を言われることもなかった。大学に行くことも反対されたことがなかった。祖母も喜んでくれた。

学生のうちでもそういう差別を見たことがなかった(単に私が気がつかなかっただけなのかもしれないけれど)。大学だって私の学科は男女比が半数だったのもあって肩身の狭い思いをしたこともなく、所属サークルの今の代の長は女の子だ。

ちょうど昨年まで運よく痴漢にもあったことがなかった。(よくよく考えれば高校下り電車に乗る関係痴漢ができるほど混んでなかったし、大学では田舎住みだった関係で朝は基本的に座ることができたのが大きかったのだと思う)故に私にとって女子差別とは過去のものという印象が強かった。

でも就職活動が始まるようになってそんなことないんだっていうことを有り有りと認識させられた。

説明会に行けば、女性の働き方というものがわざわざパワポで一枚使って表示させられる。育休から復帰する女性の人数ですと出される。女性社員の育休からの復帰率はわかったけどじゃあ男の人は育休とるの?って何度も思った。(これに関しては男性差別でもあると思う)

面接を受ければ、結婚後はどうしていきたい?出産後も働く?みたいなことを聞かれる。知るかよ、結婚するかもわかんねえよ、出産したいかわからんわ。

男の子であればこんなしょうもないこと聞かれないんだろう。男性社員だって育休とってがっつり子育てに関わりたい人だっているのかもしれないのに。

会社によっては、もっとからさまだった。エントリーシート通過後に説明会開催の企業では、私が希望した部署そもそも男性社員しかいないということを私は説明会で初めて知った。今年女性を取る気があったのかはしらない。でも、それを知った時点で私は何を考えたらいいのかわからなくなった。今となっては落ちてよかったなと思うけど。「重いものを運ぶことが多いから今のところ男性社員しかいないですね」みたいなことを言っていた。じゃあそれをどうしてエントリーシート書かせる時点で明記しておかないの?っていう気持ちでいっぱいだった。私の他にも女の子は何人もいたけれど彼女たちは何を思っていたんだろう。

最終面接直後に、「うちは女性社員が少ない会社だし、あなたを取るかはこれから会議にかけてから決めます。しばらく時間をください」って言った企業もあった。私が女だから会議にかけないといけないのかと愕然とした。面接説明会内では確かに女性は少ないという話はあった。別に私自身はそんなことあまり気にしないし、大丈夫ですと何度も言ってきた。

でも、私の性別が男だったらこんなこと言われないんだろうなって思ったらものすごく悔しかった。結局私がこの企業からOKもらえたのかはわからない。ここの結果を待つより先に他の企業内定をもらって、ここには断りを出してしまたから。

日本という国は私にとって生き辛い部分が少なからずあるのだ、ということを突きつけられたのが2018年だった。(ついでに就活中に初めて痴漢にあった。クソみたいな社会だなって余計に思った)

2018年の一月の私ならめちゃくちゃ文才があったらあの広告をつくったかもしれない。でも今の私には絶対に作れない。

だって、「わたしは、私。」、ということを訴えてもどうしようもないのだから面接という場において、「あなたという人物が見たいです、ありのままを見せてください」なんて言う面接官は多い。私も何度も見てきた。つまりわたしは、私。」を発揮する場所みたいなもんだろう。でも、その場で私はお前は女だからちょっと結果待っててよ。会議かけるわって言われたのだ。

たとえ仮に、「私は私です。女というレッテル判断しないでください」って最終面接後に会議しますっていった面接官に言ったところで何が変わるのだろうか?きっとその人は困った顔をしながらも、「そういう訳にはいかないから」としか言わないのだろう。

だって時代の中心は男なのだから。あの面接官は私の気持ちなんてちっともわからなかったはずだ。だってわかっていたら、「あなた女の子から会議にかけます」なんて絶対に言わない。あの面接官は自分社会の中心であるであるから、こんなことが言えたのだろう。私がその言葉にどのくらい深く傷つけられたのかなんて絶対に知らないのだ。

一人ひとりがつくればいい、という無責任さ、それが男の人が女に思う気持ちみたいなものだろう。仕事?いいけど家事もおろそかにしないでね、みたいなそれに近い。

女がパイを投げられる時代を終わらせるには、男が必要なのだ白人黒人が手を取り合って黒人差別に立ち上がるように、男と女が共に協力する世界必要だ。

あの広告をつくったひとにはそのことから目をそらさないでいて欲しいと切に思う。

2019-01-13

働かない理由

 社会プレステ4どころか、セガサターンや、日の目を見ることもなく消えて行ったゲームハードレベルのクソハード

ソフトに至っては全部クソゲーからだろ。

 社会が、ゲームボーイ、スーファミスーパーファミコンプレステレベルに素晴らしいときは、みんな進んで

就職活動したもの。今はクソゲーすぎて、変な性的趣味の奴しか働いてない。

 司法試験国家試験も、昭和時代なら、全国の猛者が殺到して受けていたし、採点にも趣味が趣きがあったし

素晴らしい答案を書ける者が採用されるいい時代があったが、今の司法試験なんて、お決まり論点吐き出し+短答式試験事務処理能力みる

かいう、死ぬほど寒いクソゲーで、昔の比じゃないし、今、検事判事になってる時点でウンコ

2019-01-11

うつ病彼氏に振られた

当方、もうすぐ30歳になる女。1年半前から付き合っていた同い年の彼氏から、先日とうとう別れを切り出されてしまった。

理由は「年末ケンカしたこときっかけに、付き合った当初に比べて愛情がもう冷めていることに気づいた」、そして「今は病気治療就職活動で手一杯で、付き合う余裕もない。将来のことも考えられない」ということだった。薄々覚悟はしていたけれど、やっぱりショックだ。

2年前の冬に共通の友人経由で知り合い、付き合い出したのは1年半前の初夏。当時、彼は職場を辞めたばかりだった。

付き合ってしばらくしてからうつ病である旨を打ち明けられた。全然そんなふうには見えなかったし、快方に向かっているみたいだったので気にせず付き合った。今まで付き合ったどの彼氏よりも優しくまじめで誠実で、いい付き合いができていたと思う。

ところが、その年の秋の終わり頃に、転職活動中の彼のうつ病悪化。その後は低空飛行のまま付き合い続けていた。

昨春に再就職先が決まったものの、夏にうつ病が再発し、しばらく休職していた彼。年明けに復職する予定だったが、年末面談の際、職場から遠回しに辞めてもらいたいと言われたそうだ。障害者手帳を取得した彼は、次は障害者雇用で働くつもりらしい。

その話を年末に聞いたとき、「彼との将来は厳しいかも」と思った。でも、元気で明るかった時の彼をしっているので、支えていきたいと思っていた。

しかし、彼のほうはそうはいかなかったようだ。どこまでがうつ由来なのか、どこまでがそうでないのかはわからないけれど、「もう愛情もなくなってしまった。自分のことを優先したい」ということだった。

これまでにも、「きみのことは好きだけど、幸せにできる自信がない」「ダメだと思ったら、いつでも振っていいよ」と泣きそうになりながら言っていたことが何度かある。そのたびに私は「気にしないで。私たちのペースで幸せになっていこう」と言ったりもしていた。

けど、今回はそうじゃなかった。ドライに「もう、愛情がないんだと思う」と言われてしまった。年末デートでは仲良しだったのに。

ただ、この秋くらいから片鱗はあった。彼はデートでも上の空のことが多かった。将来のことが考えらえない、ということは、夏ごろからこぼしていた。

彼が私と付き合った理由には、「彼女ができることで、うつ病回復にも繋がるかも」という下心もあったとのこと。ところが「彼女のために頑張らなくちゃ」と思った彼は、1年前の秋にうつ病悪化させてしまっていた。申し訳なかった。このことを聞いた時点で身を引くべきだったのかな、とも思った。

私も、年末の時点で「別れたほうがいいのかな」とは思っていた。たとえ二人の関係が良好だったとしても、年始にクビになった彼がまた転職活動をして仕事がしばらく落ち着くのを待ち、それから同棲結婚……となると、どれだけの時間がかかるかはわからない。

また、彼は治療薬の副作用関係で、男性機能障害があった。射精障害だ。まったくできないわけではなかったが、1年前にうつ悪化し薬を変えてからは、頻度が減ってしまっていた。結婚したら、いろいろ大変なことは多かったかもしれない。

それでも、あと半年くらいは待つつもりではいた。将来子どもはできなくても、それはそれで仕方ないと思っていた。

別れる際、「きみには悪いけど、今、ようやく肩の荷が下りたような気がしている」と言われた。私と別れることで病気が快方に向かうのなら、それでいいと思う(じゃないと別れ損だし)けど、私の存在がネックになっていたのか……という悲しさと申し訳なさと悔しさもある。

出会った・付き合った当初のような、明るく元気なときの彼の姿をまた見てみたかったな。

2019-01-07

21の大学生です。

21の大学生です。

前置きとして、ただ自分気持ち吐露したいのと、増田で誰かに共感してほしく、乱文を綴っています

よくある話かもしれませんが、私は地方田舎の生まれで、都会のような中学受験や、どの中学校入学しようか、私立公立に通うなどの選択肢はありせんでした。故に近隣の1番近い学校入学するしかなく、また当時はそれが当然だとおもっていました。また選択肢として先生や親が、ここの学校がいいなどの提案はありませんでした。その延長で高校選択肢として、商業高校Fラン)か普通科偏差値数字上は50ぐらい(おそらく50もない)の2択しかなく、私は何となく将来の事を考えると後者の方が良いのではないかのかと、当時も今もそうですが、田舎特有マイルドヤンキーが嫌いで、入学しました。

高校では高3になり1日、10時間以上勉強しましたが、私は国語の成績が上がらず、東京文系の中堅大学入学しました。私は自分高校の中での、進学者の中では偏差値の高い大学入学できました。ですが、当時は第一志望には入学できなかったものの、使用がないと思っていました。(父には浪人はなしと言われていました)

私は大学入学し、勉強東京での生活田舎にはない新しい情報を得る機会が多くありました。一言で言うなら文化資本でしょうか。今更言っても、どうしようもない悩みかもしれませんが、その新しい文化資本を取り入れる中で、大学文系ではなく理系選択しておけばと思うことが多くなりました。いま大学勉強していることは楽しいですが、理系的な研究や開発をすることに対して魅力を強く感じています。私の浅はかな考えですが、実際に理系の方は多忙で大変だと思いますが、探究心によるトライアンドエラーは茨の道かもしれませんか、それほどに興味があります

私は今現在大学3年生であり、来年には本格的な就職活動が控えていますが、以下のような事を思います

私の家は田舎では比較的に収入は多いほうですが、けして裕福ではありません。(調べたら平均所得は250万でした)父親母親高卒です。私の高校では進学に伴い、利子付きの奨学金を学年の半分が借りる学校です。これが相対的普通なのか分かりません。何が言いたいかと言うと、学歴収入相関係数にあり、親は収入が多いと子供投資でき、良い教育を受けることができるため、収入も多くなるのは、知識として知っていました。ですが、1年前か、半年前にみた文献で、母親の最終学歴子供の最終学歴に大きく影響することを知りました。また経済資本が親から子へ受け継がれることは当たり前ですが、文化資本も同様に受け継がれることを知りました。また文化資本子供に与える場合にも経済的な状況が関係してきます。例えば家に児童向けの本の数が多いほど、学力は高いという統計がありますしかし、家庭の経済状況が裕福な程本の数が多いという統計もあります

長文で疲れたので終わりにしますが、

まり大卒収入が多い親は文化資本も有しており、それが子供にも受け継がれると言うことです。私が幼少期に文化資本享受し、親が大卒だったら、もっと違う選択肢を選んでいたのではないかとおもってしまます

文脈おかしな所もあるかも知れませんが、お許し下さい。

2019-01-06

どう考えても奨学金問題自己責任だよ。

いまのご時世、「大学まで行かないと就職先がない」という認識自体、正確ではない。

単に就職活動というシステム問題があるというだけ。

個々の企業に焦点を当てれば、大卒限定ではない採用を行っている優良企業は多々ある。

就職活動という情報戦に負けているにすぎない。

奨学金は単なる借金だ。

借金は返済を求められるのは当然のこと。

住宅ローンについて「返済が必要ない」などとは誰も言わない。

奨学金だって単なる学費ローンなのだから

2019-01-03

面接が好き

新卒就職活動で一番苦労した事は何でしたか

https://okwave.jp/qa/q9573953.html

回答No2

私は面接は好きですので

ありのままで行いました。

面接が好きとは、いろんな人がいるんだなと思った。

anond:20190102063518

北大の人がいたので懐かしくなって自分も書いてみたが、どうやら消してしまったらしい。勿体ない。

だがまぁ見かけたので僕も自分語りなどしてみようと思う。もう20年は前の話なので話半分程度に聞いて欲しい。あ、とくに受験に役立つ話とかは無いです。自分語りのみです。

中学時代

 関東のどこにでもある公立中学に通っていた。

 成績は良い方だったが先生にウケがいい方だったかというと別にそういうわけでもない。虐められていたわけでもないが、自分にはよく分からない理由からかわれることがあった。

 当時は少し不思議がる程度だったのだが、今にして思えばクラスの中でも割と、いやかなり浮いていたのだとは思う。

 成績はトップクラス運動もできた(サッカー部で足が速かった)から大事に至らなかっただけで、先生にも同級生にも興味が無く、他人不快にさせても気付かず、いつもぼんやりとしていて一人遊びが好きな子供だったらしい。昔、母親に「あんたは自分が虐められていても気付かなそう」と言われたことを今でも覚えているが、つまりはそういう子供だったようだ。今でも他人の心が分からないのは変わっておらず、割と苦労することが多い。

 暢気な性格であり、行く高校も学区内で近くて偏差値が高いところ(親が文句を言わないところ)であればいい、と思っていた。滑り止めも受ける気がなかったので調べもしなかった。今なら分かるが、そういうとこやぞ。

 その上適当でも受かるのが分かっていたので真面目に受験勉強もしていなかったところ、みかねた両親からとにかくお前はもっと偏差値の高いところを一校受けろ、と言われ学芸大附属高校を受けることになった。

 自主学習では限界があるということで近くの塾にも行ったが、バイト大学生先生過去問を見せても的確な解説が帰ってくるでもなく困った様子だった。そこで使っていた教材とのレベル差も大概だったしまぁ仕方ない。というかそこはあくま学校の授業について行けない生徒の補習的な個人塾だったようで、よく考えれば筋違いである。高難易度受験校に受かろうとするならそれ相応のところに行く必要があったはずだ。まぁ当時は僕も両親もそんなことはよく知らなかったし、塾ならどこでもいいだろう、という程度の発想しか無かった。

高校時代

 学芸大附属高校には当然かすりもせず、第一希望公立高校入学する。

 世の中には自分と似たレベルあるいはそれ以上で勉強が出来る奴がいるんだなぁ、というのをようやく理解するが、この頃でも生来ぼんやりした性質は変わらずにのほほんと学校生活を過ごしていたらしい。変人の多い学校だったのであまり浮いていなかったようだがたぶん中学の時と余り変わっていなかったはずだ。

 今でも覚えているのだが、廊下ですれ違った先生挨拶をしながら「この人どこかで見た顔だな……」と思っていたが、よく考えたら一年世界史の授業をしてくれた先生だった、という事があった。他人の顔や名前を覚えるのが苦手だと思っていたが、そもそも他人に興味が無いのだ、という事に気付かせてくれる出来事であった。今でも仕事で会う人の顔と名前が一致せずに苦労しているし、これはどうにもならないのだろう。

 大学受験という物に本腰を入れ始めたのは三年からだった。

 といっても例によって「まぁどこでもいいかな……」という感じだったのだが、両親から「国公立」「一人暮らし」「浪人は一回まで」という条件を出され、紆余曲折合って北大を志望することになった。

学校に進路相談をするでもなく、成績とのギャップに悩むでもなく、軽く決めたので相変わらずアレな性格だったらしい。

 友人に東大を受ける奴がいて、そいつ天才だったので自分の分というのはよく分かっていた。数IIIの定期テスト理系コースの学年平均点が30点くらいだった(僕もそんなものだった)のに、そいつだけ満点近くを取っていたし、暇つぶし数学の高難易度問題集をやるような奴だった。世界が違うなぁ、というのが正直なところだったから妬むこともなかった。

 受ける模試はいいとこD判定(一度だけCが出た)、予備校には行ったが授業が身になった気はせず、もっぱら図書室や自習室でひたすら自習する日々であった。

 どこに自信があったのかは知らないが、センター何となく取れると思っていた。実際目標ラインの点数を取れた。

 過去問を解いていても2次試験がイケる自信は全くなかったが、恐ろしいくらい焦ることがなかった。他人事のように淡々勉強をし、まぁなんとかなるでしょ、と楽天的な構えを取っていた。……もっとも、この性質のツケは後で受け取ることになるのだが……

 試験から帰ってきてから溜まっていたエロゲー(年齢がアレだがもう時効だと思うので勘弁していただきたい)をプレイして春休みを過ごし、ネット合格通知を見ることになった。合格祝いに買って貰ったノートPC月姫プレイしたことを良く覚えている。

 勉強自体特別なことは何もしなかった。テキストを読んでもよく分からなかったのでひたすら過去問を解いたことくらいだろうがそれだって目新しいことではないはずだ。

 まぁ、北大程度の人間から画期的な物を期待されても困る。そういうのは東大京大に行った人達に任せておきたい。

【その後】

 入ってからものほほんと過ごしていたところ、4年の時に8割受かるはずの院試に余裕で落ちて途方に暮れるという事になった。人生適当に過ごしていたことのツケをここで受けることになった……が、結果的には塞翁が馬という奴で何が幸で何が不幸かは分からない。

 冬の再試験を受けるかそれとも今から就職活動するか、と教授に言われたが、どうやら自分にはアカデミックな才能は無さそうだ、というのに薄々気付いていたので就職活動をすることにした。人間にも物事にも興味が薄く執着の無い人間にとって研究の道はあきらかに向いていないのでこれは正解だったと思う。

 といっても時期は既に秋、適当一社だけ受けてダメなら就職浪人でもするか、と思っていたところを拾って貰い、そのまま就職して今に至る。

 適当に選んだ会社だったが気付けば海外を飛び回ることになり営業のような技術のようなよく分からない仕事をしている。しんどいしんどいしさっさと仕事辞めたいとは毎日思っているが、給料がそこそこいいので未だに辞められていない。

 ソーシャルゲーム課金し、声優を追いかけ、両親に「あん結婚は」と追い立てられる普通ヲタク人生を送っている。誰か結婚して下さい(

2019-01-02

仕事勉強に対するモチベーションについて

ここのところ、東大とか京大受験して合格した人々の投稿が続いているけど、それが何年前の話なのかはおいといて、細かく模試の成績とかを覚えていることに感心する。私は大学を出て就職してから25年以上も経っているので、あまりかいことは覚えていなくても仕方ないと思っているけど、勉強が出来る人、努力家の人というのはそのへんからして違うのかも知れない。

私はそこそこ進学校で有名な公立高校に通っていたわりには、受験勉強にあまり熱意がなく、浪人覚悟東大一本とか早稲田一本とかやってるクラスメートを横目に何とかMARCHとある学部滑り込み自分より成績のいい友人に「合格おめでとう」と言わせた記憶けが残っている。確か彼女は私が入った大学の中で一番偏差値の高いところを滑り止め(!)にしており、第一希望の国立大学に落ちたという理由一年浪人した後、東大合格した。

そういう人たちを見ていてすごいなと思うのは、とにかく努力であること。そして努力を続ける根性があること。私はあまり受験勉強に熱心でなかったので、私大文系にすれば数学理科受験しなくていいからと理系勉強ほとんどスルーし、保険のために第一希望と同レベル大学学部を何校も受けるようなことはせず、確実に受かりそうな大学しか受験しなかった。今思えば早慶ぐらい受験しておけば良かったかも知れないけど、うっかり合格してしまって大学生活で勉強について行くのに苦労したり希望の専攻に行けなかったりするとイヤなので受験料をムダにするようなことはしなかった。

だいたいよほどのエリートコースを目指さない限りMARCHぐらいの大学を出ていれば困らないと思っていたし、実際バブル崩壊直前に就職活動をした我々はそこそこ名の通った企業入社する連中が多かった。飛び抜けて成績優秀な先輩や後輩はキャリア組官僚になったり司法試験に受かったりしたが、さすがにそれは一握りのエリート限定でまぁそれが妥当な結果だろうと思える状況だった。

で、無事就職するところまで行ったはいいが、自分欠点として反省しているのは「(勉強でも仕事でも)ほどほどに足切りされない程度にやればいい」「完璧を目指して自滅するのはバカ」という認識がしみついてしまたこと。だいたい職場で優秀だと見なされる人間は、「結果を出すためにベストを尽くす」ことを旨とし、仕事のために自分時間犠牲にすることを厭わなかった。でも、優秀だと思われると激務ポストでいいようにこき使われ、嵐のような残業に耐えるわりにはさほど見返りがないので、全然そういう人々を羨ましいと思えなかった。

さらに私のやる気を失わせたのは、2~3年ごとに人事異動があり、異動のたびに前の職場で覚えた仕事がムダになることだった。結構専門的な仕事であってもきちんと研修が行われることは少なく、一所懸命勉強しても異動すればそれがパーになると思うと、自分必要最低限の仕事だけこなして極力定時で帰れる職場こそ最高だとしか思えなくなった。当然そんなヤツが上司にいい評価をもらえるはずはなかったけど、まっとうに出勤して最小限の仕事をしている限り、上司も私の給料を減らすようなことはできないのだった。逆に優秀だと評価されている人間でも、多少給料に色が付く程度で、むしろ収入の差は自分時間犠牲にすることによって得られる残業手当によるところが多かった。

一番つぶしが効くのは、新人女の子がよくやらされる「庶務担」というやつで、旅費や残業手当の計算をし、年末調整の時期が来れば書類を皆に配って書き方や必要書類指導をする仕事だった。一緒に福利厚生社会保険関係手続きもする。あとは経理系の仕事で、予算執行状況を見ながら消耗品を買ったり業者に支払いをしたりする仕事だ。私は今、勤続25年を超えてそんな仕事をしている。我ながら給料ドロボーな気がしなくもないが、どうしても仕事生活費を得るための手段しか思えないのでどうにもならない。仕事自体モチベーションを見いだせる人、「ベストを尽くそう」と頑張れる人がちょっとだけ羨ましい。

自分でも何が言いたいのか分からなくなってしまったけど、「仕事でも勉強でもモチベーションを持って努力し続けられる人は偉い」「家庭の事情などが許す限り、勉強(スポーツなどでも可)はやれるところまで努力した方がいい」というのがまぁ結論なのかな。ただ、仕事に関しては「優秀な人に仕事は集中する」「頑張り屋だと思われるとどんどん重荷を背負わされる」というのが鉄則なので、自分会社過労自殺とかが出るようなところに勤務している人は無理しすぎない方がいいと思う。長文なのに大した結論じゃなくてごめんなさい。

2018-12-30

この話が私のもとに巡ってくれば

今年5年勤めた仕事退職した。

社員登用を目指していたけれど、結局うまく行かず退職してしまった。

年齢としてもギリギリアウト、自業自得といえば本当にそうで言い訳も弁解も出来ないレベルまで来ている。

今は就職活動をしながら夕方からパートとして働いている。基本一人で動く仕事だけに気持ちも楽ではある。

家族特に父親はこの件について珍しく私を叱ってきた。

から何かあったとき母親が私をこっぴどく叱ってきて父親フォローを入れるというのは常態化していた。

母親の叱り方に耐えきれず私は実家と疎遠になったわけだけど、今回父親が口を出したのには衝撃だった。

仕事においてあーだこーだ言われるのは覚悟していたし、想定内ではあった。

しかし「お前、うまくいかなかったら首吊ればいいと思ってるだろ。失敗したら死ねばいいと思ってるんだろ」と言われた。

そんなことはないけど・・と言葉を濁した。濁したんだけど実際はばっちりそう考えている。

それこそ「本当に何やっても駄目なら死ねばいいし」ぐらいの感覚である。お父さん、伊達に私のお父さんやってないな!と感心してしまったし、

見抜かれたくないところを見抜かれたようでびっくりした。

死ねない理由結構しっかりある

大切な人がいる、結婚も考えてる。友人たちがそれなりにいて、友人たちに私が死んだことを伝えられる手段がないのも大きい。

友達からは「うまくいかなかったら結婚しちゃえばいいんだし、そこは女ってことを上手に使えよ」とも言われた。

それこそ「いつでも死ねる」ぐらいに考えていたほうが気持ちが楽になった。

しかし、死んだら今住んでいる家のこと、恋人友達のこと、遺品整理とか諸々が気になってやっぱり死ぬのは無理だなと感じてしまう。

きっと両親は「やっと死んだか」ぐらいにしか考えないだろうし、悲しむこともないのだろう。

誰かが生きたかった明日が云々とか高尚なことを言う人はきっと幸せ人生を送ってきて、

悩みも些末で可愛らしいものだったんだろうなと邪推してしまうわけで。

どうか人生関わることな平穏に生きていて欲しい。

最後に、私はどうしても人生詰んだ死ねばいいと思ってる。

でも実際はまだ詰んでないし、大事で守りたいたくさんの人達ものがたくさんある。

よく心療内科に行くことを勧められるけど、「性格問題」って言われたから通院はやめなさいと親に言われてそれっきり。

性格問題なんで死ななきゃ直らないもんです。なので人生詰んだらそれなりにきれいに死にますんで、

それでひとつ勘弁して頂けませんでしょうか。

私がこの日記を忘れた頃に客観的に見ることが出来たら面白いだろうなあ。

自分」を説明するのが苦手

説明能力は人と比べても高いほうだと思う。

今までも人に勉強のことやら何やらを説明して、「わかりやすい」と言われたことが何度もある。

ポイントを整理して話して、相手の反応を見つつ、

理解しづらそうに見えるところは厚めに説明して、

「もうわかってるよ」みたいなリアクションだったら、適度に割愛しつつ話す。

いわゆる説明が下手な人、という枠には入らないと思っている。

ところが、「自分」を説明する機会になると、途端に困ってしまう。

たとえば自己紹介とか、就職活動自己PRとか。

趣味は割とコロコロ変わってしまう方だし、似てる芸能人みたいなのもいない。

すごく明るいわけでもないし、ヤバいコミュ障という感じでもない。

普通」と言われることもあれば、「ちょっと変わってる」と言われることもある。

キャラ立ちに悩んでる、と言われればそうなのかも。

こんな悩み持ってる人他にいません?

ググっても普通説明が下手な人へのアドバイスしか出てこなくて困ってます

2018-12-29

anond:20181229144432

エロいけど言語史には詳しくないオジサンです。

オジサン就職活動をしていた1994年には「就活」なんて略していなかったので、少なくともここ25年以内ですね。

Google先生に期間を指定する(ツール→期間指定)と、2001年には (おそらく個人の)日記サイトに 「就活」という単語が出てきています

2002年All About記事タイトルに「就活」という単語が出てくるので、このあたりで一般化したのでしょう。

以下オジサン考察です。

使われる頻度の高い言葉は、短く略される傾向が強いです。

就職氷河期(1993~2005年代)は就職難が社会問題になり、それこそ就職活動生以外も口にする機会が増えました。

そんな悲壮感漂う中でも若者たちは「シューカツ」と、少しばかりポップな響きを与え、明るく前向きに立ち向かったのですね。

2018-12-28

生きるのが辛い

もうすぐ2018年も終わり。

自分は今、関東から田舎帰省している大学生大学駅弁理系

今はほとんど荷物のない自分の部屋で死にたい気持ちと涙が出てきています

来年3月卒業しなければいけないのですが就職決まっていません。

内定がないんです。

理由吃音です。うまく話せないのです。

自分吃音を隠さずにどもっていいとも価値観で生きてきました。

これは間違いのようです。

子どものころ吃音のある学生大人交流する学校イベント??があって。

そこに参加しているスタッフさん、吃音を持った大人がこんな仕事をしているよ。

職場カミングアウトしているから堂々とどもりなさいって話していたけどこれはウソだったんだろうな。

履歴書面接吃音のことを堂々とカミングアウトしたけど相手にされなかった。

エントリーシートの段階で貴意に添えない結果が42社、運良く面接まで行けたところは5社。

ただ、自分の話し方がどうもダメだったらしい。

ある企業では帰り際に障害者枠で再度応募してくれないかとも耳打ちされた。できる限り早く連絡してくれということだった。

その時の自分はこんな心の狭い企業なんてこっちから願い下げだと思っていた。

でも今になって考えればこれは助け舟だったのかもしれない。

結局11月ころに大学学生支援室・キャリア支援室に相談したけど後の祭りだった。

なぜもっと早く相談してくれなかったのか。どうして吃音があること障害があることを堂々と

カミングアウトしてしまったのか。今の雇用情勢について解説があって自分がやっていたことは

全部裏目に出ていたことがわかった。吃音発達障害から精神障害者手帳を持つ方法もあると教えてもらえた。

就活開始時に精神障害者手帳を持って一般枠と障害枠両方で就活する

選択肢があったことも教えてもらえた。というかそうやって内定もらった同じ学部の人がいるということもわかった。

その人は東証一部上場企業障害者枠で内定もらったそうだ。大学側も入学当初から相談してくれていれば

可能な限り最大限の支援をすることもできたそうで拍子抜けだった。

自分がこれから精神障害者手帳をもらって就職活動しても半年の待機時間があるため障害者枠での応募はできない。

大学から留年したらどうかと言われているがそれはできない。

自分家族は母しかいない。留年できるほどの金の蓄えはない。

今の学費だって半分は自分バイトして穴埋めした。

悔しい。悔しい。悔しい。悔しい。悔しい。

所詮この世はウソや見栄や本音と建前なんだ。

吃音があっても問題ないって大丈夫だって就職はできるよって言っていた大学生大人の話を真に受けて信じてしまった自分馬鹿だった。

もう死にたい人生馬鹿らしい。

エンジニアするには、まず人脈♪

私は現在進行系で就職活動を行っている(コード書く方の)エンジニア志望の大学生である。先日ある企業面接に行った際に聞かれた質問について思うところがあったので書いてみようと思う。

その質問とは「SNS 等での開発者同士の交流の有無」だったのだが、私はしていなかった(そもそもネット上の知り合いがいない)ので、していない、と答えた。

それでその質問は終わったのだが、私が気になったのは新卒採用の場でそのことを聞かれたこである。つまり開発者同士の交流の有無を何らかの判断材料にしようとしたように見えるのである

その質問が、単純なコミュニケーション能力の有無を計ろうとしたのか、それとも交流によって得られた何かを計ろうとしたのか、それは分からない。分からないが、確実に言えるのは交流していた人間プラス評価が与えられる可能性が高いということだろう。

ネット上での知り合いがいないという時点で察しがついたかもしれないが、私は無名雑草だ。GitHubフォロワーは 0 だし、作ったプロダクトのスター数も全て 0 だ。しかプログラミングは大好きだし、最新技術キャッチアップも行っている。エンジニアを志望しているのも、コードを書くのが好きだからだ。

自分の言うのも何だが、技術力はそれなりに高めてきたつもりである向上心もまだまだある。あらゆることをやりたいと思っている。しかし、このように開発者同士の交流の有無を判断材料にされると――私は消えて吹き飛ぶ。技術が「人脈♪」に負ける瞬間、と言っても過言ではないと思う。絶望だ。

最後に、これがさらエスカレートした場合、つまり今後採用の場において開発者コミュニティの中での活動(OSS への貢献だけに限らない)が内定に大きく影響するようになった場合…私のような雑草はどうやって生きていけば良いのだろうか?交流する?自分利益(=評価)のために?

そして――これが私が最も懸念していることなのだが――そのような界隈は健全と言えるのだろうか?誰しもが企業でのポジションの獲得のためだけに活動する世界交流するあらゆる人間が、「評価」というビジネス的な尺度に一瞬にして変えられてしま世界。(我々がもっと忌避すべきことである!)ハッカー文化ビジネス文化に乗っ取られてしまった世界最近嘆かれることが多い今の Qiita惨状は、そのような世界が実現しつつあることを示しているのではないだろうか?

私は非常に心配している。

という怪文書大学掲示板に先日貼られていました。僕から見ると文章にまとまりがなくていまいち何が言いたいのかよく分からないのですが、とりあえずシェアしておきます

エンジニアの書類選考でQiitaが評価される?!現役転職エージェントが語る活用術

2018-12-23

退職しました(無能編)

今年で5年務めた客先常駐メインの自称SIer派遣会社退職しました。

退職指示の通知は去年の10月ごろに「あなたスキルではもう派遣先がありません」と言ったメールの本文と共に退職届が添付され同時に事務所への入室カード無効化した通知と共に来ました。

一応、選択肢として関西の某製造工場期間工として派遣される道がありましたがIT業界にいた身としてはあまりに違いすぎるので断りました。

ネットワークに興味がある3年制の専門卒で卒業前に基本情報CCNAを取得して、意気揚々就職活動をしたもの大企業~中堅(web企業含む)まで30社ほど

エントリーしましたがエントリー段階で全滅、渋々学校の勧めに従い学校訪問してくれる起業を中心に面接したものの「プログラミングには興味はない」と

正直に話してしまったせいで面接までこぎ付けたのは退職した会社だけでした。

今でも覚えていますネットワーク技術者の育成に力を入れている弊社にぜひ来てほしい」と大喜びされたことを

入社後に1ヶ月の外部研修を受けた後に、派遣されるまで社内待機で5社ほど事前面談を行いましたが断られ、社内で

幹部候補と謳われる派遣社員とセットみたいな形でとある金融系の運用現場派遣されました。

派遣後は社長も喜んでくれて「おめでとう」と言葉を掛けてもらったのも鮮明に覚えています


しかし私が派遣された現場は私と同じ会社の派製本社員1名以外は子会社と2次請けの社員がメインで4次請けは私しかいませんでした。

なので扱いも雑でした、初日にいきなり目の前に卓上製本機と紙の山を置かれ「これ10ページずつやっといて」と言われ何も教えてもらえず

聞くタイミングもわからない新卒の私はとりあえず積んであった順に作業をしたら後ろにいた2次請けの人にいきなり怒鳴りつけられ

あたふたしている間に目の前の卓上製本機と紙の山を持っていかれ机からも退かされ段ボールが積んである部屋の隅に放置されました。

椅子もなく机もPCもなく立っているだけで1日が終わり2日目は現場マネージャーから「君は業務では使えないからそこにある資材整理して」と

指示をされそれから2ヶ月くらいはずっと資材の整理をしていました。

散らかった資材整理は思いのほか整理に時間がかかりキレイにしても翌日にはぐちゃぐちゃにされてしまう上にキレイにせず帰ろうとすると

ものすごい形相で睨みつけられたので毎日22時ごろまでサービス残業をして帰りました。

2か月後になって初めて椅子と机と電話が与えられましたがやることは納品するPCの台数確認と資材整理だけでした、仕事が遅いと子会社の人から

蹴られることもありました、その時はスーツに靴の裏面の跡がクッキリ残って目立たなくするのに苦労した事を覚えています

そんなある日、会社営業から携帯に怒りの怒鳴り声と共に呼びつけられクレームの話と自分無能さを滾々と説明され大変ショックでした。

派遣先の人からは「クズ」だの「死ね」だの言われていたり蹴られる事を訴えましたが「それはお前が仕事が出来ないクズから」と一蹴され

その1年後に穏便な退場を行うことになりその後、派遣された現場元請け企業が関わる所からは出入り禁止との通告を受けたとの報告を

営業からされました


そこから1ヶ月の待機ののちに派遣された現場24時間365日で2交代制の監視サポートを行う現場でした。

そこは現場の人たちは良い人ばかりで大変お世話になりました、監視スキルサポートスキルやその他事務スキル

そこで全て身につけられたと言っても過言ではありません。ただランダムシフト人手不足な2交代制なので休暇はなく土日も出勤

休み現場責任者が決めた1日ずつの飛び石休日でまわしていたため大変キツく季節の変わり目に毎回風邪をひく状態でした。

4年目を目前とする年に営業相談するところ次の現場を探す言う言葉と同じ日にメールにて退職指示を通知するメールが届きました。


その日から有給消化を命じられたため、転職活動をして何とか転職先が決まりました。


ただ、ネットワークに関わる仕事ではなく客先常駐ヘルプデスクです。転職活動をした当時は基本情報以外の有期資格は全て失効済みでアピールできる点は

そこしかないと某転職サイトのアドバイザーから言われ泣く泣く決めた感じです。給与は1社目では手取りが15万~20万でした、訴えればよかったかな?

でも転職で忙しかったのでそんな余裕はなかったのです。転職先では手取りが19万で残業時間はフルに加算してくれるので23万になる時もあると聞きました。


実は先月あたりからeラーニングによる研修客先常駐ヘルプデスク業務をやっていますが、夜勤もなく休日出勤もない長期休暇も取れる以前とは

大分待遇面での改善が出来たと思っています。周りの社員さんも業務の進め方に対して丁寧に教えてくれてとても働きやす職場です。

しかしながらネットワークに関わる仕事は未だにできていません、今年で26歳になります・・・・・今の常駐先も40歳以上の人は元請けを除いて

古参派遣社員1人しかいません。このまま感動してはいけないと失効してしまったCCNAを含めて休日を利用して勉強しています

いずれ近いうちに転職することになるので・・・・。


退職しました(無能編)はここで終わりです、キラキラした話題はどこにもありませんがこれを読んでいただいている方に言いたいのが

劣悪な環境で優秀な人材は育たないということです、ブラック企業でもキツい環境でも優秀に育つ人はごく稀です。働かないよりはましと

変な会社に入らないよう願っています

2018-12-19

7年ごとに、おれは生まれ変わる

海外では「7年周期」という言葉があるらしい。

体の細胞が入れ替わる7年ごとに人生の転機が訪れるという意味で、

7年ごとに今まで見えていたものがいきなり変わって見えるという人もいるようだ。

考えてみたら、確かにそうだ。

俺は7歳までの記憶が無い。真面目に1mmも無い。

7歳になって自我が生まれたというか、物心ついたとでも言うのだろうか。

しかしたら幼児時代の高熱(40度が1週間程度)で記憶がすっ飛んだのかもしれない。

幼稚園ときに一緒だった子の名前も覚えていないし、幼馴染も覚えていないし、

急に学校に居て、なんとなくこの子名前が分かる…っていう程度だった。

その後も小学校6年生くらいまでは部分的にみているような感じだったと思う。

俺の意識が定着(?)したのは7歳頃。

14歳の時にはイジメを受けてやり返したりとか。(全然関わったことないやつに階段から突き落とされたりもした)

21歳の時には就職活動。無事、決まった。

そして今、28歳だ。でも、特に何も変わっていない気もする。

ただ、「人に期待する」のはやめて「もう少し自分も頑張ってみよう」と思った次第だ。

2018-12-17

それでも世の人は、正社員を舐めずにはいられない

正規雇用職場を求めての就職活動は辛かった。でも就職活動後も、同じだけ辛かった』。

社会人になってからが、地獄でした。

非正規の人たちは、私の想定の10倍以上、正社員を舐めたがっていました。

私の就職した職場には、いわゆる正社員の先輩はあまりいません。おばちゃん達がセールスをかけまくる、それをまたサポートする人々がいる、保険販売営業所のようなイメージで、非正規雇用の方が多い感じです。

(念のため言っておきますが、ここでは事実を述べているだけです、私は非正規に対してバカにするような気持ちは一切持ってません)

叱られるとき文句が謎だった。

あなた正社員のくせにこんなこともわかんないの?物覚え悪いわね」

マウントを取っていないのに逆にマウンティングされる。

参照元url

https://note.mu/_katsura/n/n20df50ba1dc1

2018-12-16

医学部いけなかった東大卒から見た本当の東大

https://note.mu/tonoike0604/n/n611642c5f61c

東大から意見。これだけネット社会になったのにこんな意見しかなかったようなので、ちゃんと書いておく。

最近Twitterとかでいろんなすごい意見が見えるから、そういうのを見て、若者意見ももうすこしフラットに見えるのかな

と思ったらSNSもなかった時代の俺とあんま変わらない化石のような東大エリート観が書かれていたのでいろいろ知った上で選択をしてほしい。

こういう18歳ぐらいの人はやっぱ社会しらないから、意見が偏ったり、むしろ生きづらい意見になりやすい。

彼の苦労は半分くらいしかからないけど、大人から意見を書いておく。

(かなり殴り書きなので読みづらさは容赦してな)

大人になったら東大ってホントあんま強くない。

勉強が得意で他が不得意だったら、士業狙わないと意味ない。法律は、やはり大学入ってから更に資格取る戦争しないといけないか

頭悪いことを理解している努力型は医学部やね。

俺は正直自分は、中高一貫校から東大

から中高一貫校に入った時点でむしろ最低東大を狙わないとやばいって感じの高校だったから、ほとんどの人は医学部志向

ほとんどは東大 or 他の大学という選択をしてなくて、医学部 or 東大という選択をしていることが多い。

気持ち悪いけど。

なので、東大に入って純粋東大研究したいって言っている層がいることを知って驚いた。

彼らは純粋勉強研究学問自然に好きで、きっちり大学でも勉強し、いろんな才能(デザイナーやら、普通メーカーやら

商社やら)を発揮していく。かれらの30%は医学部にも普通に受かるし、なんなら東大医学部普通にいける。

菊川怜とか慶応医学部いけるのに、東大建築やって、さらアナウンサー目指して、今はケツでメガネ踏んで、衝撃しか無い。

こういう東大都内から輩出されやすい。親が結構金もっていて、しか別に親戚も東大とか医者とかワサワサいる。

から、もう医者をめざすとかでもないのか余裕がある。


俺は彼らはやっぱ、普通の人にはないライフハックの術をなんとなく聞いて、余裕もあるから勉強もして、爽やかに東大に入っている

気がする。本当はそういう人がこういうのを書いてほしいけど。

就職活動外資系投資銀行とか狙いにいくようなのは東大の一部(ロンダとかもおおい)早慶かになってきて、ようは東大生って

あんガツガツするの好きじゃない。良くないところでもある。まったり霞くっていきたい人多め。

卒業後、会社でははむしろ早慶トップとの戦い、こいつらはまた、レベルが高い。馬力や見た目もかっこよくて、また実業家の息子だったりする。

株とかやってたり、やっぱ強い。結局士業やってないとまたこれと戦い。

自分はずっと医学部受験すべきとのムラムラしながらなんとか自分人生路線を選ぶのに時間がかかった。

なんども医学部受験を考えた。いまは、もうそういう道いきたくない。6年も医学部行ってられない。

やりたいこともあるし。


このような葛藤はでも結構多くの人間がしていると思う。日本だけではないらしい。

アメリカとかも創業文化があるというけど、マシオカが言っていたけど、やっぱエリート医学部志向らしい。

アメリカ高校トップ医者狙い。それに起業文化が少しの地域ではデプロイされているぐらい。

俺はずっと医学部受験を考え続けたし、本当はそれがよかったのかもしれない。でも仕方がないから今の人生を歩んでいる。


大人の人にこういう意見高校生で聞けたらいいなと思っていた。それを書いてみる。

twitterがあるのに、あまり変わらないものなのだなぁ。

2018-12-15

anond:20181215174702

資格取得に手厚い高校だったので、就職活動で活かせるような資格は何個か持っています

人間的な面で褒められたり、伸び代になりそうな点は他人からも言われたことがないのであまり思い付きません。優しいね、とか思い遣りがあるね、とは言って貰えますが、本当にそれだけです。

2018-12-14

自分にだけわかるミリもない可能

先日39歳になりました。

からおめでとうのメッセージと共に

最後の三十代、婚活しませんか?」

お金出すよ」

ってきてウワーてなった。

相談所に登録すれば結婚できると思ってるようなところとかーーー

私が女子アナ風の格好ができる人間ではないとかーーー

働いてはいるけど会社員ではないことのハードルとかさーーー年齢のハードルとかさーー

わかってる?まだわかってないか???

ていうか私いま髪の毛青やしな、この髪じゃ婚活どころか就職活動も無理やで?

つーか結婚たかったらもっと早くに行動してるわ!!!

若いから結婚しないの?とか子供産まないの?って質問には

興味ない、しない、面倒くさい、嫌だ、と

はっきり言ってきたけど、ワンチャンするかもって思ってる? いつか気が変わると思ってる??

知人の娘が40で結婚たか自分の娘もすると思ってる???

悪いけどせーへんでーーーーーー

ということは自分で母にウワーと言えばいいんで、別にいいんですけど。

こう折につけ結婚どうよっていってくるのって、母の周りの人達話題が、

孫の話や娘の旦那の話や息子の嫁の話や相手の親の話とかばっかりで、

単に母が友達との話題についてけなくてアレなんやんな、きっと……

私も弟もまるで結婚予定なしだもんなー

私の誕生日年末に近いから余計にそういう息子/娘家族やらの話題多いのかも。

母が特別強く私に結婚してほしいとか孫ほしいとか思ってるわけではなさそうだけど、いつになったら諦めるんだろ。

もしかして母はこんなクソ人間にいつかするかもというワンチャンを一生期待し続けるのか?

なんだかなあ。。。。

2018-12-13

anond:20181213122854

一般庶民向けの大学でも、就職活動でもあることだからなあ。

医学部ほどのインパクトがないからいちいち問題にならないだけで。

2018-12-10

専業主婦やらせたら奥さん可愛そうじゃない?

離婚したり、お前が死んだらどうすんの?

生命保険だってたかだが数千万だろ?

年食ってから就職活動すんのだって大変だろうし。

妻のためを思うなら専業主婦やらせてるのは絶対おかしいよ。

2018-12-08

大阪と間違えて京都に来た

大阪に住んでいる彼女に会うため近鉄に乗り込んだが発車してすぐ間違えて京都行きの電車に乗り込んだことに気づく。

大阪の隣、京都の下にあるため奈良電車一本で両方に行けるが確認するのがめんどくさい僕は急行の表示だけ見てすぐに反対方向の電車に間違えて乗ってしまった。

家を出るときも最寄りのバス停時刻表確認せず出たもんだからバス停無駄に待った。奈良バス20分に一本しか無いのだ。

奈良から京都行きに乗るとイオンや古めかしい名前高校を過ぎた後は田んぼが続く。田んぼの中にポツンと家があって止まってるトラックなども目につく。他県の人が京都と聞いて思い浮かぶのは寺社仏閣や舞妓の華やかなイメージだけど奈良県民からすると奈良風景とそう変わらない。この傍流の風景こそ京都イメージなのだ

僕は地方高校を出て大学に進学したけど就職活動を真面目にやらず卒業して無職になった。その後資格を取って就職したけどこの仕事でもあまり熱心に取り組まないので職場評価も芳しく無い。

大学の同期や後輩も似たような者で、卒業してしばらくして就職したような連中が多い。まじめに就活した顔見知りなんかは地方大手中小でも堅実な会社内定をもらってはやくにけっこんして家を建てている。

大学卒業してそのまま就職結婚と順風に生活をしている人は電車を乗り間違えたりしないんだろう。最寄りのバス停に行くときも前日の夜くらいに時刻表確認して家を出る時間確認するし、資格があるのに地方から奈良に移り住んだりしない。そんな人生の遠回りをしないんじゃないかな。

就職活動でもエントリーシート受付開始日に出せるような人はとてもすごいと思う。一社じゃない。少なくとも10社くらいの企業エントリシートを受付開始日にはもう出してるような計画性があるからいい企業内定をもらえる。そんな人は就活でも仕事でもプライベートでも事前に時刻表を見て行動できる人なのだ。彼らは決してワーキングプアーやフリーターにはならない。社会メインストリームとして働き家を建て生活を送る。冴えない生活を送る傍流には落ちてこない。

そんなことをつらつら思いながら仕方なく傍流を流れる僕は大阪行きの電車に乗り直している。

近鉄はよく揺れる。

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