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はてなキーワード: 約束とは

2018-10-23

どうしても5分くらい遅刻してしま

何故か毎回約束に5分くらい遅刻してしま

なんなら会社にも5分くらい遅れることがある

結果的にはあと10分早く動けばいいだけなのにそれができない

どうしたらいい?

2018-10-22

先延ばしに関連する脳の働き

頭前皮質とは「今君は勉強すべきなんだ、成績の40%に関わる宿題の提出は明日だぞ」と私達に語りかけてくる部分で、脳内でも高機能な働きをする部分です。

そして、こちらが大脳辺縁系。これは脳内でも原始的な部分を司ります。これが「もう一話だけゴシップガールを見てから取り掛かろう」と僕らがやるべきことを後回しにする原因をつくるのです。 なぜ大脳辺縁系が常にこの議論の勝者になるのでしょうか? そこ答えは脳内のこのキュートな部分、偏桃体にあります

偏桃体は恐れや不安危険可能性を含む刺激に対する闘争・逃走反応を司る部分です。例えばジャングルで野生のライオンを遠くに発見したとします。どうしますか? 僕はどうするかまったくわかりません、野生のライオンに遭遇したことはないですから(笑)。でも、宿題提出日に宿題をやっていない時に先生こちらに向かってくる時の恐怖は知っています。 (会場笑) ライオン出会ったときと、先生が向かってくる時の恐怖に対する偏桃体の働きは非常に似ているのではないかと思います。 (会場笑) その瞬間、まずは身体が動かなくなります。 (会場笑) 手のひらに汗をかき、心臓バクバクし始め、意思決定を司る前頭前皮質機能しなくなります。なぜなら、もし野生のライオンジャングルで遭遇したとして、その時「エッセイの提出締め切りが近いぞ」と語りかけてくる脳の部分が機能し始めると、状況に対応するのに邪魔になりますよね。身を守る為に今その時その瞬間どうすべきかを決定せねばなりません。

私達が物事先延ばしにすると、身の危険を含む刺激に対する軽度の不安反応が起こります。 一体私達は何が怖いというのでしょうか? ちょっと怖くてどこから手をつけて良いのかわからず、それに直面したくないのかもしれない。そしてそれが面倒で嫌な作業であれば、不快感を感じます。それが複雑な作業で、自分能力を測られてしま作業であれば、失敗することを怖いと感じることでしょう。 完璧主義者は物事先延ばしにすることで個人的な失敗を逃れようとします。例えば、宿題の提出日が金曜日だとします。今日月曜日です。明日にでも宿題を終わらせることは可能です。しか宿題の出来がもし悪ければ、自分能力は疑われてしまます。 木曜の夜にその宿題を始め、一晩で終わらせることにした場合、もしも宿題の出来が悪くても一晩で一夜漬けしたのだから出来が悪くても仕方がないと言い訳をすることができます。「自分バカではない、一夜漬けなのだから当然だ」と。人の前頭前皮質は、それが愚かな決断であることを知っていますしかし、偏桃体は無意識のうちに反応します。

物事先延ばしにしないための対処



では、私達はいかにして物事先延ばしにする癖を直すことができるのか? 答えはメタ認知にあります。つまり「考えることを考える」という意味です。私達は「他の誰でもない私達自身明日必ず勉強をするという意思決定をする」という事実をまずは認めねばなりません。その決定をするのが怖いので、私達は自由でなまけもの思考意思決定をしてもらうのです。 それを避けるにはまず、ゴールを設定をせねばなりません。実際具体的に何をせねばならないのかをステップごとに分けて設定します。ステップごとに分けることで、その作業に対する苦手意識が薄くなります。 次に時間の設定、つまり何をいつまでにするのかを決定します。しかし何かやらねばならないことに取り組むためにこれを毎回すべきであると言っているわけではありませんよ。何かやらねばならないことに取り組む際には、これを自動的にできるよう習慣づけるのです。 そして資源計画する。作業に取り組む前の10分間を使って、その作業に取り組むために必要ものをすべて机の上に揃えます。 そしてプロセス計画します。研究によると、その作業に取り組む前に、その作業プロセスを頭の中で思い描き想像してみると、その作業が取り組みやすくなるのだそうです。目を閉じて、やらねばならないことを考えてみると、脳はそれを自分過去にすでにやったことがあるものだと認識するので、その作業がより容易になります

障害物を計画

これはつまり、何かに取り組んでいても5分ごとにFacebookを見たくなってしまうことを自分理解し、今はその作業に集中するのだと自分約束することです。 最後に失敗も計画します。例えば数学に取り組んでいるとして、ある問題が全く解けないとします。こんな時は「考えるのを諦めて、5分休憩しよう」と思うのが人の常です。「あきらめてはいけない!」というのはありきたりなセリフであるとわかっていますが、何かを終わらせようとする時に「あきらめるな」と考えることは重要であると思います勉強作業に取り組むことだけではなく、人生いかなるポイントでもそうです。何かにつまづいたからといって、他のことに逃げてはその根本的な問題解決できないのではないかと思います。歯を食いしばってとにかくそれに取り組めるようにならねばなりません。 「待っていてもダメだ。それをするのに正しい時などないのだから」というナポレオン・ヒル名言があります。私達が物事先延ばしにするのは、それをやるのに状況が完璧に整っていないと思うからだと思います。 例えば、エッセイを書くのに週末にまとめて時間を取ろうとしたり、ものすごい集中力を発揮するその時までやるべき勉強先延ばしにしたり、充分にお金を稼げるようになるまで寄付などできないと思ったり。 計画すること、思考思考すること、やるべき事をなるべき早く終わらせることを習慣づければ

2018-10-21

「若おかみは小学生」を褒めてる奴はネトウヨアンチフェミ

最後の方で宿を移ろうとしてる客を引き止めるシーンがあまりにもひどい軍国主義美的描写で私にはダメだった

あの「私は若おかみですから」という宣言主人公自我を殺してしま他者への奉仕を優先するということであって、戦中に少女小説が軍国少女生産に一役買っていた歴史を思い起こさせる

>>天使のごとく麗わしい女性と化す秘訣は、その女性芸術オブジェになろうと聖者になろうと、とにかくそ自我を、個人の喜びを、そして個人欲望を、あるいはそのすべてを放棄することである。それはまさに、その女性に死と、天国約束した犠牲意味する。無私ということは高貴であるというだけでなく、死んでしまっているということでもあるからである

サンドラギルバート/スーザン・グーバー屋根裏の狂女」<<

あのシーンで泣く観客は主人公実質的に「命」を差し出す自己犠牲精神に感動して泣いているということ

戦争美的で、反フェミニズム

きっとアベに投票してるような層が感動しているのだろう

占い師女性と仲良くなるのも気持ち悪い

「女は非科学的」というジェンダーロールの再生産になっている

女性科学者にすればよかったのに

めんどくさすぎる

毎回アプリでおんなのこ呼び出して

ご飯食べさせて、適当に話して、おごって

次の合う約束つけて、ニコニコしといて

合うまでに他愛もない話を、タイミング図って送って

次あったときも、飽きさせないように気を付けて

いい感じかなと思ったら「また会えないかな」とかなんとか言って…

だけど、全然長続きしない、あーめんどくせー

いつになったら彼女できんだよ

今年はもう5、6回繰り返してんぞ

アプリマッチングするのは簡単、そこからめんどい

モチベ下がってくるわ

あー、俺の何が悪いんだ

2018-10-19

anond:20181019180031

もしそうじゃないなら、夫のほうが「確約までしていた人生大事約束をはなから破る気だったクソ男」になるからね。

そこまでのクソ男は流石に少ないと思うよ。

まあ、そこまでのクソ男なら、やはり離婚なんだが。

anond:20181019174656

子無しのつもりで約束して結婚しても途中で片方が気が変わって子供が欲しい、となった時に

子無しのまま、を強制する事は出来んよ

性格の不一致で離婚はできるけど「子供を作らないまま離婚もしない事を法的に認めさせる」事はできない

anond:20181019111451

わたし総理大臣だけど

キモくて金のないおっさん日本国民の一員として認め

現在処遇社会問題として扱い真摯議論する事を約束しよう。

スーパースター

3万人以上も収容できるさいたまスーパーアリーナ

その一部利用で9,000人規模のコンサート

これだけでも箱がでかすぎたという感じが伝わってくる。

一部利用で、囲われた空間となると、

9,000人が7,000に減ったとすれば「満席ではない」感じは有るだろう。

それでも公演を行う義務は有ったのではないだろうか。

「意地が有る」「意地を通した」と本人は語っていたが、

その姿に往年の容姿はなく、アメリカ唐揚げ屋のおじさんの風体だった。

一部メディア報道によれば、損害額は4,000万円以上と言われていたが、

チケットを買ったファンにしてみれば、チケット代だけではなく、それ以外の損害も大きい。

それらを含めた補償など、当の本人は考えてはいないのだろう。

約束を守らなかったのは主催者。」だから補償主催者負担すべき、自分に非は無いと。

自分ファンではないが、なにか釈然としないものを感じた。

心拍確認後の流産

流産確認されて、来週流産手術をする。

わかったらすぐ手術するものかと思ってたけど、血液検査の結果が出るのに1週間かかり、そのあとの手術になるらしい。

手術というのは、絶対するんですか、自然に出てくるのを待つとかはしないものなんですかと聞くと、胎嚢(赤ちゃんが入っている袋)がもっと小さければ待つこともあるけど、あなた場合は胎嚢も赤ちゃん結構大きくなってきているから、ほとんどのケースでは自然娩出は待たない、待っている間に感染が起こることもあるし、手術することをすすめますとのことだった。

書くことで落ち着きたいので、妊娠発覚から今日までの経過を書かせてください。

私の排卵障害で2年前から不妊治療をしていた。

夫も治療には意欲的で、精液検査もすんなり2回行なってなんの問題もなく、むしろ非常によい数値が出ていると毎回ほめられていた。

仕事等の都合で途中治療を休んでいた時期があり、排卵誘発でのタイミング療法を再開してしばらくしての妊娠だった。

自然妊娠はむずかしいのかなあと思い悩むことが増えはじめた頃で、妊娠検査薬が陽性になった時も、うれしさと同じくらい、浮かれてはいけない、ぬか喜びしてはいけない、という気持ちが強かった。

排卵誘発の注射偽陽性を出すことがあると聞いたことがあったからだ。

夫に検査薬を見せると、飛び上がって喜ぶようなことはなかったが、へえ、と言いながらいろんな角度で何枚も力強いピンクの線を写真に撮っていて、この人らしい大喜びのしかただと思った。

でも、擬陽性かもしれないから、ぬか喜びかもしれないから、と何度も言ってその日は2人とも喜びすぎないことに注力して寝た。

次の日いつもの不妊治療のクリニックに行った。

その日はエコーも尿検査も何もしなかったが、医師からは、排卵誘発の注射からは1週間以上経っているし、最近市販検査薬は精度が高いから、妊娠で間違いないでしょうと説明があった。

看護師さんから妊娠初期に気をつけることや通常の産婦人科にかかるのは大体8~10週頃になるとの説明があった。

次の週にエコーで胎嚢が確認できた。

ここで子宮妊娠否定され、妊娠がはっきりとわかったが、夫にはまた、心拍確認までの流産確率結構いから、まだ何があるかわからいから、と何度も言った。

私は、がっかりしないように、期待しないようにと身構えるのに躍起になっていて、今思えばそのせいで、結果最後まで夫婦で大喜びする機会を逃してしまったように思う。

その次の週にはエコーで卵黄嚢(胎盤が出来るまでの赤ちゃん栄養源)と胎芽(胎児の前段階)の確認ができた。

同じ日に心拍確認ができたが、大人と同じくらいの心拍数で、非常にゆっくりだと言われた。

心配兆候だが心臓が出来たばっかりだとゆっくりのこともあるので、来週また来てくださいと言われた。

生活で気をつけることや出来ることはありますかと聞いたら、出血しているわけでもないし、この時期のことは食べ物運動でなんとか出来ることは何もない、普通に過ごしてくださいと言われた。

はじめてのはっきりと不安な帰り道だった。

心拍確認できれば流産可能性は15%から5%に下がると聞いていたから、今日心拍が見られればやっと夫婦で喜べると思っていた。

この場合は喜んでいいのかわからなかった。

自分の両親には夫の承諾を得て妊娠を知らせていたが、心拍確認できれば、夫の実家兄弟や親しい友だちにも妊娠しらせようと思っていた。

結局電話はしないことにした。

夫に、心拍確認できたらたまごクラブを買う、と言っておいたので、はじめてのたまごクラブという雑誌を買った。

夫は、表立って浮き足立つことはなかったが、体重計を買ってくれたり、座椅子がいるんじゃない、あれがいるんじゃない、と言って淡々と色々とさがしてくれたりした。

たまごクラブをぱらぱらみていた。

いそいそとしている夫をうれしく思った。

夜は2人で少し散歩をしたりした。

つわりも出てきて、体を動かすことが怖く、夫が帰ってきても晩ごはんが出来ていないことが何度もあったが、いいよいいよと言ってくれた。

不安気持ちでの次の検査には、夫もついてきてくれた。

不妊治療のクリニックなので、内診室には夫は入れない。

エコーで、卵黄嚢が大きいですねと言われた。

検査後に自分検索してわかったのだが、栄養源の卵黄嚢が大きいということは赤ちゃん栄養が行っていないということらしい。

胎芽は1週間分ちゃんと大きくなっていたが、心拍数は先週と変わらなかった。

診察室に移り、夫とともに話を聞くと、よくない兆候ですとの説明があった。

医師が、元気ですよ、元気なんですけどね、と途中で言ったので、元気なんですか?と聞くと、元気というか、現時点で生きてはいます、と言いにくそうに言っていた。

医師言葉選びを悩んでいる様子だった。

この時期の胎芽がもし上手に育たなかった場合ほとんどは染色体等の問題でもともと育つことができない子がなんとかここまで育ったがやはり上手くいかなかった、ということであり、医師にも、我々にも、出来ることはないとのことだった。

今後どうなるかははっきり言えないとのことだった。

でも医師はかなり難しい顔をしていたので、あの、もちろんはっきりと言えないと思うんですが、確率的には、と聞くと、医師はやっとここで、正直かなり厳しいでしょう、と言った。

呆然としてしまったが、今日は夫がいてくれてよかったなと思った。

夫に、どう思う?と答えにくい質問をすると、夫は来週まで待ちましょう、とだけ言った。

本当に良くないんだけど、『卵黄嚢が大きい』『心拍数が少ない』などで検索ばっかりしていた。

かなしい、不安、というよりぼーっとしてしまう、ついつい見てしまう、という感じだった。

落ち込む準備をしているようだった。

つわりで船酔いのような状態の時が多かった。

検査の前日、不安だよ、行きたくないよと夫に強く当たってしまった。

最後検査の日、エコーでそう長く続けないうちに、やっぱり厳しいですね、と医師が言った。

心拍は見えなくなっていた。

この時期なら大きくなる一方のはずの胎芽は先週の半分に縮んでいた。

流産と診断された。

手術の説明の前に一度戻った待合室の端っこで、人から見えないように少しだけ泣いてしまった。

夫に電話してまた少しだけ泣いてしまった。

昼食をとりながら父母に電話するがつながらず、誰かに話を聞いて欲しくて、兄に連絡すると姪が熱を出してたまたま仕事を休んでいた。

今寝てるから電話できるぞと了承を得て、これまでのことを頭から話したら、いろんなことを思い出してぼろぼろに泣いてしまった。

兄は、俺は色々言えないし、かなしいことになったのは事実だけど、お前はずっと妊娠を目指してきたんだろ?かなしいことが事実なのと同じように、お前が妊娠したこと事実だし、次があるのも事実から、というようなことを言った。

姪が起きたようなので、ごめんもう切るぞと言って電話は終わった。

父母に電話した。

少し落ち着いてきたので泣かなかった。

実家は離れていて、母は、こんな時に近くにいてあげられなくてくやしい、というようなことを言った。

夕方、夫が仕事の合間に短い電話をくれた。ありがたかった。

流産稽留流産などのワード検索をしてしまう。

はじめはGoogleで、次はTwitterで、あらかためぼしいものは読んだなと思ったので次ははてな検索した。

体験記を読む間はあまり余計なことを考えなくて済んだし、内容に没頭できた。







ぬか喜びでもなんでも、後で死にたいほど大泣きすることになっても、もっとはしゃいで、もっと浮かれて、2人でばかみたいに大喜びしてあげたらよかった。

落ち込まないよう、がっかりしないよう、びくびく気をつけて、そんなことに気を取られている暇があったら、はじめから2、3ヶ月しか一緒にいられないと決まっていたとしても、もっともっと、おなかに来てくれてありがとうって、あなたが来てくれて幸せよって、伝えてあげられたらよかった。

元々お酒は宴席で飲む程度だが、妊娠してから夫の晩酌を見て、飲めないと飲みたくなるね~なんて言って笑っていた。

心拍数が遅いと言われてから、少しでも体を冷やさないように、好きなバニラアイスを食べないことにした。

妊娠がわかってから、友だちと前から楽しみにしていた遊園地約束を断った。

今、ビール日本酒も平気で飲めるのがかなしい。

アイスクリームが食べられることがかなしい。

遊園地にでもどこにでも行けるのがかなしい。

世界中どこにでも行けるのがかなしい。来年の何月頃にと想像していたことがかなしい。来週おなかからの子がいなくなるのがかなしい。

かなしい、かなしい、かなしい

手術の前なのでまだつわりがある。

気持ち悪い。この気持ち悪さが、来週の今頃にはきっとないのがかなしい。

でもこの子はまた来てくれると信じて、しばらくは体を鍛えたり、体を冷やさないように気をつけたり、食べ物に気をつけたりしながら、また不妊治療がんばりたいと思います

長くなってしまってごめんなさい。読んでくれてありがとう

2018-10-18

セフレへの片想いをやめた

10月18日。1年以上好きだった人を諦めた。諦めると言えば大そうに聞こえるが、1ミリ希望もない恋だった。

好きでいることをやめる。この1年と4か月、どれだけ冷たい態度をとられても、数少ない友人たちに口をそろえて諭されても、検討すらしなかった選択肢今日自分で選んだ。

好きな人がいた。顔を見た瞬間一目ぼれだった。誰が見てもわかるくらいに整っていた。バンドが好きないまどきの若者だった。

特別可愛いわけでもスタイルいいわけでもない私は、ものの数日で目も当てられないくらい夢中になってあっという間にフラれた。好意プライドもズタボロになって、しばらくは抜け殻みたいだった。一人でいたくなくて、マッチングアプリで知り合った男の子と頻繁に会っていた。彼は、その中の一人だった。

好きだった人と同じ髪型だったかLIKEして、マッチして、しょうもないやりとりをして、初めて会ったとき「ああハズレだな」と思った。タイプじゃなかった。背丈は私と同じくらいで、髪は写真よりもずっと短かった。

「どこか行きますか?」と聞いてもめんどくさそうな声で「どうしましょうね」と返ってきた。待ち合わせ場所でしばらくグズグズしていたけれど、ようやく入ったファミレスで彼はずっと携帯を触っていた。気を遣って話しかけるとようやく液晶から顔を上げる。眠そうな目がこちらを向くのも少し怖かった。

私が「ハズレ」だと思ったように、彼も私を「ハズレ」だと判断したのだろう、と自分を納得させた。ドリンクバーデザートのみの会計は彼が払ってくれたけれど、それくらい自分で払いたかった。

いざ帰るとなったとき、彼は駅のホームまで送ってくれた。自分が乗る反対方面の電車が行ってしまっても、私が乗る電車が来るまで隣で待っていた。乗り込んだ電車が発車するまで見送り、すぐに「気を付けておかえり、また会おうね」とLINEをくれた。

これは「ハズレ」だとは思われていない?しばらく様子を伺いながら連絡を続けたけれど、彼のLINEは会う前と変わらず好意的で、なんなら会う前よりも少しくだけたように思えた。

「変わった人だなあ」が第一印象だった。

その後は以前よりも親しげに、日常的なこともLINEで話すようになった。なんとなくレスしていただけだったけれど、次に会うのが少し楽しみになった。

2回目に会ったときにはもう夏も間近で、2人でかき氷を食べた。くすりとも笑わずに、淡々と話をする彼は、言葉選びから仕草視線の移し方に至るまで私のこれまで知る男の子とは違っていて面白かった。彼は、一通り二股にはげむ友人のクズエピソードを話し終えたあと、最後に残った餡子に向かって「もう1つくらい白玉入ってると思ったのに…」と小さく悪態をついていた。

それからは急速に仲良くなっていったように思う。そう思いたい私の記憶いかもしれないが、7月に入るころには、無愛想な受け答えやつまらなそうな振る舞いに悪気はなく、それが彼の癖のようなものだとわかるようになっていた。「今日はどうしようか」と聞けば相変わらず「どうしようね、決めて」とめんどくさそうな返事が戻って来たけれど、「いつも私が決めるんだけど?」と軽口を返すことができた。彼に興味があった。見ていて飽きなかった。別れ際はいももう少し一緒にいたかった。でもその感情好奇心とよく似ていて、私はまだ自分の恋心が動きつつあることに気づかなかった。

ホテル映画見ようよ」と誘ったのは私だった。彼は一度断ったけれど、不機嫌な私の態度を見てか、「いいよ、行こう」と言い直した。何度も「たぶん俺すぐ寝るよ」と言っていたのに無視をした。私が選んだ映画再生して、眠そうな彼を何度か起こして、エンドロール流れるころには深夜2時を回っていた。彼は髪を撫でたり、頬を触ることはあってもそれ以上のことはしなかった。「ここまできてキスしないんだね」とけしかけたのも私だった。彼は「そういうこと言わなくていいから」と言った。私たちは付き合う前にセックスをした。

それ以降、泊まりが増えた。元々向こうのバイト終わりに会うことが多かったから、時間を気にしなくていいのは嬉しかった。お金に多少ルーズな彼と会うために、ホテル代は私が多めに出すことが多かった。

このころには、「彼のことを好きになれそうだ」と思い始めていた。まだ失恋を引きずっていたし、次に依存できる恋愛を見つけたかっただけかもしれない。

それでも男女の関係にありながら、普通に「この間会った男の子がね、」なんて彼に話していたし、彼はそれを興味なさそうに聞いていた。

彼はたまに、らしくない、思わせぶりなことを言った。「他の男の人の話されるの好きじゃない」と言ってみたり、「俺のあとに他の人に会いに行くって俺は気分良くないよ」と言ってみたり。失恋自尊心を損なった私にはそれがとても気持ち良かった。ある土曜日、私は他の男の子との約束をやめて彼とホテルに泊まった。彼と会う前に少し嫌なことがあって、本当に本当に馬鹿だと思うけれど、抗不安薬オーバードーズした。視界がぐらぐら揺れて、手足がしびれるような感覚がしていた。彼は私の腰を抱いて「馬鹿じゃないの」と叱ってくれた。嬉しかった。どうしようもない女だと思う。そこから記憶は途切れて、次のシーンはホテルのベッド。「他の男のところに行かせなくてよかった」そう言われて抱きしめられて、私はいとも簡単に恋に落ちた。あるいは、いとも簡単に落ちていた恋に気づいてしまった。

そこからはまた、一瞬だった。失恋を忘れたい、新たな恋愛依存したいという気持ちが、このしょうもない恋愛アクセルをかけた。踏み込んだら思った以上に加速した。告白をしたらもう止まれなかった。

「フるわけじゃないけど、今は付き合えない」

保留にされて、少し冷静になって、「あれ、ブレーキのかけ方知らないや」って気が付いたときにはもう遅かった。7月中旬には、彼を好きでいることが私のアイデンティティになっていた。どうして付き合ってくれないの?「もう好きに寄ってるよ」って言ってくれたのは嘘だったの?告白を保留にされていた期間は不安心臓が千切れそうだった。幼稚な私はそれをそのまま彼に伝えて、彼は「わかるよ」とだけ言って肝心なことはいつもはぐらかした。それでも、どれだけ不安でも寂しくても辛くても悲しくても、このころが人生で一番幸せだった。

はいつまで経っても告白の返事をくれなかった。

告白からひと月がすぎ、彼の返信は少しずつ遅くなっていった。「会いたい」といえば「忙しい」と言われた。

「好きでいることは迷惑ですか?」と聞いたことがある。彼は「これまたクズって言われると思うんだけど」と前置きをして、「好きでいてほしい」と言った。

8月14日お盆休みの4日目。ようやく彼と約束を取り付けた。朝10から連絡を取って、会えたのは18時。喫茶店他愛もない話をしながらお茶をして20時には彼は駅のホームまで私を送って行った。「まだ一緒にいたい」というと「もう充分でしょ」と笑い、「充分に見える?」というと「俺はもう充分だから帰るよ」と返された。

ホテル行こうよ」と誘ったのは私だった。彼は初めて誘ったあのときよりもずっとめんどくさそうな顔をして嫌だと言った。「これが最後から」と腕を引っ張ると、「だったらお茶してまた会えた方がいいんだけど」と小さく言っていたけれど、すぐ「ホテル代タダならいいよ」と言い直した。ホテルを出た帰り道、彼は駅の階段の前で「じゃあ元気で」と言い、私の顔を見ると「また泣くじゃん、泣く前に帰ってね」と冷たく言い放って手を振った。ひとりホームまで歩いて電車に乗り、方面を間違えたことに気づいたら我慢できずに泣けてきた。

それでもこの頃の私は、この恋がこれまでしてきた恋と何一つ変わらないと思っていたし、こんな気持ちもまたひと月すれば忘れられると思っていた。

すぐに彼氏ができた。すごく優しい人だった。私に好きな人がいることも知ったうえで、「僕のことを好きにさせます」と言ってくれた。一緒にいれば楽しかったし、だんだん惹かれ

ていったのは確かだった。

でもデートをして、車で送ってもらい、別れ際にキスをして部屋に戻ると見るのは好きな人SNSで、ただでさえ不安定気味な私の情緒さらに揺れて、そう長くは続かなかった。

「好きだけどもう疲れた」と言われたとき、「やっぱり私には好きな人しかいないんだ」なんて馬鹿たことを思った。

そこからまたひと月、ふた月と過ぎて、気持ちは一向に変わらず。最後だと言っておきながら彼に連絡をしては、無視をされたり冷たい言葉で返されるような日々が続いた。毎日毎日彼のことだけを考えた。いつしか私の生活は会うこともできない一人の男の子のためにあると思うようになった。SNSを盗み見るのが習慣になり、彼の友人に彼の写真をもらったり、彼の好きなものを調べては行きそうな場所待ち伏せをした。

彼が手に入るなら何もいらなかったし、彼が手に入らないのなら生きている意味がなかった。それでも私が明日を生きるのは、明日返信が来るかもしれないから。数年先の未来には、彼の隣で私が笑っているかもしれないから。

彼は最後の日から今日にいたるまで、2回だけ、気まぐれに私に会ってくれた。

2月17日、たった1時間ちょっと時間だったけれど、本当にこれまで頑張って生きていてよかったと思った。渡したバレンタインチョコにお返しはなかったけれど、おいしいと言ってくれただけで嬉しかった。

2回目は、そこからまた4ヶ月。1年前、まだ仲が良かったころにも遊んだ6月17日。二人でウィンドウショッピングをした。人がごった返す渋谷駅で、私には彼だけが輝いて見えていた。彼は優しかった。面倒なセフレに対する態度ではなく、親しくない友人にするように。どんどん距離は離れて、それでも私は何も変わらず彼が好きだった。

10月16日。彼のSNSひとつに鍵がついた。もうひとつSNSでは落ち込んでいるような旨の投稿をしていた。彼の友人から、私との出会いきっかけでもあるマッチングアプリを消したときいた。「真面目に生きる」のだそうだ。彼女ができたのだと思った。ついに恐れていた日が来てしまったと思った。

息がすえなくて抗不安薬をたくさん飲んだ。「もう薬たくさん飲んだりしちゃだめだよ」ってあの日優しく言ってくれた彼がちらついてあるだけ飲んだ。気絶するみたいに眠りについて、気がついたら15時間が経っていた。彼女かあ。彼女いいなあ。可愛い子なんだろうな。こんな惨めな女がいることなんて知りもせず、当たり前のように彼と手を繋ぎキスをして、セックスをするんだろうな。

悲しくて悲しくて、だけど好きな気持ちは変わらなかった。好きで好きで好きで好きで、笑った顔を思い出しては、彼がその彼女と楽しそうに過ごしているといいと思ったり、すぐに別れてほしいと思ったり、どうか幸せになってほしいと思ったり、殺してやると思ったりしていた。

これから私は彼女持ちの男に不毛な恋をしていくんだなあ、とぼんやり思っていた。

ただそんなことを考えながら泣いているだけで、丸1日が経った。

彼のSNSには相変わらず鍵がついていたけれど、祝福のコメントひとつでも読んでやろうと彼あてのメッセージ検索した。涙も枯れて、何を見ようとこれ以上悲しいことなんてないと思った。でもこれが、彼を諦めるきっかけになった。

好きな人には、彼女はできていなかった。

「両想いだと思っていた女性から連絡が来ず、傷心している」といった内容のことを彼の友人が茶化して書いていた。投稿に添付された写真には、大好きな彼が写っていた。やっぱり世界中の誰よりもかっこいいと思った。でも私の知らない横顔だった。私の好きな彼じゃなかった。

喉の奥がきゅっと詰まるような感覚がした。虚しくて、寂しくて、吐き気がして何度もえずいて、信じられないような気持ちで見返しても写真は変わらず切なげな表情の私の知らない好きな人だった。

好きな人が、私を好きにならないことにはとっくに諦めがついていた。でも私以外の誰かを好きになる好きな人は見たくなかった。私がどうやっても手に入らない彼の好意が、無下にされていることも虚しかった。私は誰かを好きだと思う彼を知らない。彼の事を知らない。これまで散々私と恋愛をする彼の妄想も私に愛をささやく彼の夢も見てきたけれど、現実の「恋をする彼」は、あまりに遠くて、遠くて、遠くて。もう潮時だと思った。大好きだけどもう好きでいてはいけないのだとようやく気が付いた。

彼の写真を消した。何度も見返したLINEも消した。

SNSももう見ないと決めて、一番そばにいてくれた友人と姉に「諦める」と連絡をした。

私の人生で一番大きな恋が終わった。はたから見れば遊ばれたメンヘラ女の、惨めで愚かなよくある話だと思う。

今はどうしたらいいのかわからない。たった1年と数か月でも、もう彼は私の生活だった。彼に出会う前に何を思い何を考えて生きていたのかわからない。死にたくはない。

やめた方がいいのだとたくさんの人に言われたし、諦めたと言えば「頑張ったね」「よかったね」と大切な人が喜んでくれた。これは進歩なのだと思う。本当にできるのかもわからないけれど、彼を忘れることは喜ばしいことなのだ。私が彼を好きでいることは誰にとっても悪いことのようだったから。でも今はまだそれが悲しい。こうして、何度も思い返すうちにすりきれてしまったような曖昧な昔の記憶を引っ張り出しては誰にも言えない心情とともに匿名日記にするくらいには悲しい。

本当に本当のことを言えば、これは備忘録だ。忘れることを強いられた私の最後の逃げ道だ。たとえ叶わなくても、私は君にずっと好きでいさせてほしかった。毎日がすごく苦しくて悲しくて幸せだった。君は迷惑だったかな。好きになってごめんなさい。ずっと好きでいてごめんなさい。気まぐれに言っただけの「好きでいてほしい」を一年以上も信じてごめんね。君は優しくてかっこよくて面白くて愛おしい、最高の男の子から絶対絶対絶対幸せになってね。

2018-10-17

ツイッターで胸の写真をメインに上げている人が居て

初期からある程度の頃は「私は胸だけでここまで来たので顔は出しません」とか言ってたクセに

最近ではスタンプで一部隠しつつも顔を晒している姿を見ていると

随分とエラい事を言ってた割には結局、承認欲求を満たしたくてたまらないんじゃないか

いや、別に承認欲求を満たすのはいい。自分過去発言約束を破ったことが腹が立つし納得がいかないのだ。

2018-10-16

週末女子デートなんだけど、同じ人と3回もデートできるなんて47年の人生で初めてだ

ひょっとしたらこの人といずれお付き合いできるかもしれない

向こうもデートだと認識してくれたてたら嬉しいけどどうなるんだろう

天気は曇りだから屋内プランになるかもしれない

会う約束だけしててなにするのかまだ決めてない

なんにせよ会うのが楽しみだ

これ、実はけっこう深遠な話

もはや無効メタファー…というわけでもない

書き方は釣りっぽいけど、今30代前半以下のPCユーザーにはフロッピーディスクを実際に見たことがない人達が多いはずで、あのアイコンが「保存のメタファー」として直感的でなくなってるのは確かだと思います

ただ、検索を虫眼鏡アイコンで、電話黒電話アイコンで、電気稲妻アイコン表象するのと同じように、ひとたびユーザーの側に「これはこういうもの」という強力な連想確立・共有されてしまえば、ユーザーが必ずしもその表象されてる実物を知らなくても大きな問題は起きないようにも思います

そもそも機能アイコンとは何なのか

それより何より、自分が昔から気になってるのは、この保存アイコン代表される「機能アイコン」の特殊性についてです。多くの人々が感じているように、機能アイコンには意味がわかりにくいものが多い。たとえばWordExcelだとこんな感じ:

https://gyazo.com/c0d77ae6fd252d756b40f95da10c9cc7

https://gyazo.com/f2807738b32978daa8edb8ab9f9b8441

「これアイコンにする意味あんのかな、単体で見ても全く意味わからんな」というものがたくさんあるよね。

機能アイコンオブジェクトではなくアクション

何で機能アイコンってわかりにくいか、考えたことありますか? デスクトップメタファーでは、コンピューターの中にあるオブジェクトファイルディレクトリ)を実世界存在する書類フォルダ見立てて、それをアイコンとして表現することで直感的に理解操作できるようにしているわけですが、機能アイコンはそうじゃないんですよね。機能アイコン表現したいのは、オブジェクトではなく、アクション(行動・働きかけ・変化)なんです。

そして機能アクションアイコンで伝えようとすると、

①その機能表象するモノをそのまま使う(フロッピーや虫眼鏡錠前など)

②その機能表象するモノに、動作や変化を示唆するプラスマイナスバツや矢印を重ねる(削除行に×マークをつけたスプレッドシートなど)

③その機能を実行したとき視覚的結果を表す(中央寄せや下罫線など)

ぐらいしか手段がないのです。

このうち①は、実世界での活動になぞらえられるような基礎的機能しか使えない。②は、もともと小さい機能アイコンさらに小さい意味素を付け加えることになるので、とても見にくいうえに、似たような機能アイコン区別しにくい。③は、ごく簡単な結果であればよいけれど、複雑だったり抽象的だったりする結果を表現することはほとんどできなくなる(たとえば、上のExcel機能アイコンの「アイテムの後ろの空行を削除する」や「XPS形式添付ファイルとして電子メール送信」など)。①②③のいずれも、アクションオブジェクト表現することに本質的に無理があるからわかりにくいわけです。

機能アイコン直感理解を助けるためのメタファーではない

じゃあ、なんでそんな「本質的に無理がある」ものがここまで普及して広く使われているのか。この問いを突き詰めると、機能アイコンはもはや直感理解を助けるためのメタファーではないからだ、という答えにたどり着きます

例えば、わかりにくい(アイコンとしての具象性が劣っている)からといって機能アイコンを取り去るとどうなるか考えてみると、「いや、やっぱちょっと困るな」となる人は多いのではないでしょうか。もしリボンUI文字だけで機能がずらずら並んだらものすごく見にくいし、目的機能を探しにくい。つまり機能アイコンの利点は、今では①UIの省スペース性(たくさんの機能を有限のUI領域に整然と詰め込める)と、②瞭然性(学習さえ済んでいれば、文字列の読解処理を経ずに瞬時に判別できる)の2つにあるのです。

機能アイコンデスクトップメタファーとは違って、ユーザー学習コストは下げてくれない(直感理解は全く支援しない)けど、一度学習してしまえば、日々その機能を利用するとき操作コストは格段に下げてくれます元増田も、保存アイコンがないよりは、フロッピーアイコンのままのほうがずっと楽なはずです)。これが確実にユーザーエクスペリエンスを向上してくれているわけですね。

個人的には、だから機能アイコンのことは機能シンボルって呼ぶ方が実態に則してるんじゃないかなと思ってますアイコン偶像だけど、シンボル約束事、協約ですからね。

https://anond.hatelabo.jp/20181015232008

どうにもならない現実の話

 私は4年間恋をしています同級生女の子です。蛇足かもしれませんが、同性です。

 中学入学したばかりの時、寒い結構長い間外で待たなくてはいけなかったことがあり、その時に「寒いね」と話しかけてくれたのがきっかけでした。彼女は色白で、長身で、人が良くて優しくて、私は彼女に憧れて、惹かれて、気づけば周りの友達が恋と呼ぶものに落ちていました。初恋です。

 中二までは、よかったんです。一緒に登校して、一緒に時間が合えば下校して、お弁当食べたり、休日に出かけたりして、友達としてでも、仲良くしていたと思います

 私の通う学校中高一貫で三年になると上と下のクラス、発展と普通の二部に再振り分けされます。私と彼女普通入学しましたが、彼女は三年から発展のクラスに進みました。

いつからか、彼女は朝一緒に登校しなくなりました。また、お昼も一緒に食べなくなりました。発展のクラスの子と仲良くしている様子を見て、どうしようもない焦りが出てきました。

 取られる、とか、そんな異性性愛者が多い中思うわけはないでしょう。単に、私の人間性の無さが露呈したのではないか、という不安です。

 私はどうしようもない性格です、口を開けば皮肉愚痴。一緒にいて楽しい人ではないでしょう。可愛く言えば、素直ではないのです。頭の中で考えることが外に出すとなると、どうにも気恥ずかしくて、皮肉でも交えなければ伝えられないのです。だから、仕方ないなんて言うつもりもありません。きっと幾度も彼女を傷つけたでしょう、「う、刺さる……」「愚痴が止まらいね」苦笑交じりにそう言う彼女の姿が表情が声が、ふと脳裏に現れるときがあるのです。

 だから、発展のクラスと仲良くなって、私と離れて、「なんだ、あの子といると疲れるじゃない」なんて、おもわれてるんじゃないかなって。

 そう思い始めてから、偶然だと思いたいのですが、彼女が三度ほど私の約束ドタキャンしました。気づいたら呼び方あだ名ではなく苗字さん付けになっていました。皮肉癖は抜けず、久しく一緒に下校しても家に帰って自己嫌悪に浸るだけ。そんな生活一年間して、私の中のダムのようなもの決壊しました。

 忘れられてしまうくらいなら、すれ違うだけで死ねと呪われるくらい嫌われて恨まれよう。

内容は省略しますが、結果的に私は美しくて優しい彼女自分彼女への劣等感を全部、ぶつけました。たくさん言葉で切りつけて、彼女を傷つけました。それは諸刃の剣で私は自殺を考えるほどに罪悪感で吐き気を覚えました。全部、全部夢だったらいいのに。加害者なのに、私はひたすらに願いました。

 残念ながら、私のこの恨まれよう作戦は失敗しました。私の心が弱かったために。

体育祭彼女の両親に出会いました。縁でも切られるのだろう、そう思っていたのに彼女の両親は他愛のない話をして、去っていきました。

 彼女は、両親にすら、私に傷つけられたと言っていない?心の中が彼女への好きであふれて、尊いとすら思いました。その帰り、私は彼女謝罪し、謝罪し、謝罪しました。やっぱり、彼女は許してしまうのが、どこかゆるせなかった記憶がありました。

 それからしばらくして、今現在彼女とは顔もほとんど合わせない日々。喧嘩してるわけでもありません。ただ、私が恋を自覚しただけ。

 彼女は私を好きだといいます。私も彼女が好きです。違うベクトルで。

 友人がクラスメイトとお付き合いし始めました。私は異性とはそういう関係になりたいと思えません。彼女が好きです。彼女は私を"彼女"だと一度言いました。そんな冗談、言わないで。あなたの頭の中の人設計ではどこかに結婚があって、出産があるのに。

告白すればいいのに。」友人に言われても、あんなに傷つけた彼女告白?あの人はあんなに美しくて、優しくて、清廉潔白体現したような子なのに、傷つけた私が横に並べると思うのかと、責め立てる口調をどうにか飲み込む。あの人は私を好きじゃないのに優しくしてくる、許せない。だからあきらめきれないの!

彼女はもう朝の待ち合わせも、お昼も来ない。なんでかは知らないけれど、私のことが嫌いだったからだと嫌だなと思う自分勝手な私がいる。彼女には相応しい友人がいるはずだ、優しい賢いクラスメイトが。

 私は馬鹿皮肉屋で、利己的で。彼女と並ぶには相応しくない。

 

 二次元は当たり前のように女性同士のカップルがいる。それがどうしようもない私の現実から見ると少しうらやましい。だって彼女は私の好意が恋の方面からだという考えすらないはずなのだから

私は美人で優しいあの子がどうにもならないくらい、好きです。そして男に生まれていたら少しでも変わっただろうかと考えるだけ。

2018-10-15

副業地獄にはまる

趣味実益を兼ねてWebシステムアプリ開発を始めてみた。

売り上げの5%をもらうという約束で、近所の社長が作ってほしいというショッピングシステムを作った結果、毎月20万円程度の収入になっている。

私がプログラミングをして、先方の社員さんにテストを行ってもらうという作業分担を確立した結果、開発のサイクルがうまく回るようになった。

最初システムってなんだ、と言っていた社員さんも、いまでは、何も言わなくても、全パターン網羅するようなテストをしてくれるようになった。

帰宅後のわずかな時間プログラミングだけに徹し、テストは先方にやってもらうのだ。

今では、ちょいちょい保守するだけになり、かなり楽になってきた。

街の中小企業システムを作りたいと思っても、システムに関するノウハウが一切ないらしい。

①どこに発注したらいいかからない、②見積金額妥当性がわからない、③作ったあとに、追加の開発をするお金がない等、の問題がある。

ひとり情シスなんぞ、担当者がいるだけ幸せな方で、社員みんなキーボード人差し指タッチレベルなんてざらである

そんなわけで、私のように全部やってあげる。また、開発が終わってから運営フェーズお金をもらう、ちょっとした追加開発もどんどんやってあげるというスタイルだと、Win-Winで喜んでもらえるのである

ところが、である

この開発&収益モデルが、社長のつてやなんやで評判になり、いろんな人から別のシステム作ってほしいという依頼を5個も抱えることになってしまった。

それぞれ報酬を出してもらうことになっているので問題はないのだが、こうなると、毎晩、会社から帰っても深夜まで作業である

かい案件Lancersなんかに発注する方法はあるのだろうか。

タスクごとに発注金額を決めて、こまかい仕様を伝えて、やってもらって、デプロイしなおすのもめんどくさい。

信頼できるエンジニアの見つけ方を教えてください。

丸山吉平

初めて丸山吉平に行ったのは今年の4月。散々相方に脅された。

無駄なおしゃべり禁止、静かに食べる。

ハイハイわかりましたと言って、食べたあの味は小生には衝撃だった。

あの分厚く切った肉の旨味、ソースで食べるのがもったいない甘みと奥深さ。

ガッツリなのに、サクサクの衣が肉と小生の対話を弾ませるBGMを奏でる。

無言なんて何のその、パクパク食べていた。

しかも店内オシャレ。どこぞのカフェみたいだった。

それがなくなるとは、残念。

相方と、また臨時収入が入ったら行こうね、と約束していた最中

一度しか行ったことなかったが、アレを口にできて小生は幸せ者でした。

交通事故に遭われたとのこと。お体大切にしてください。

【9】2018秋、ベトナムホーチミン

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anond:20181015000834





予言


ホテルの日々が素晴らしいものだったとは言え、そのまま10時間まりラウンジでぼうっとするのも退屈だ。

昨日訪れたH.I.Sのホーチミン支店にまた行って、素っ気ない日本人スタッフに勧められたお土産バインミーラスクを買おう。

ホテルを出て地図確認すると、残り少ない旅のタスク、チェーを食べられる店がすぐ近くだった。

そうだ、行けるなら行っておこう。

店のあるベンタイン市場を再び訪れた。


広大で複雑なベンタイン市場で、目当ての店を見つけられず、別のお店のお姉さんにスマホを見せて尋ねると、すぐ背後を指さされた。

あ、これか

店のおばさんにメニューを手渡され、指差し注文すると、おじさんに手招きされて、プラスチックの赤いベンチを指さされた。

座ってまてという事らしい。

いい歳をして、疲れて来ると頬に掌をあてて首を傾げる癖があるのだが、おじさんはそれを観てマネして笑った。

こっちも笑う。

程なくカラフルなチェーが運ばれてきた。

その場で食べる場所はあったのだが、歩いて食べたかった。

チェーを片手に、ホテル正面の公園に戻る。

スプーンですくうと、ココナツミルクの中からグミの様に色取り取りな正体の分からないものが出てきた。

一口すると、色彩のドリーミングさに反して甘さは上品だった。

やはり、ホーチミン美食の街だ。


大した苦労もなく辿り着いたH.I.Sのラウンジ一休みしながらこの旅行記を書いていると、ベトナム人スタッフ若い日本人スタッフが近づいて、なにやらレクチャーを始めた。

「すいません」の使い所に関する話らしい。

かに日本人象徴する様でいて、いろんな場面でそれぞれ違う運用をされるよく分からないフレーズだ。

結構長い間話は続いたが、ベトナム人スタッフはしっかり腹落ちしてない様だった。


まあまあ一息つけたし、旅行記を書いていると時間も過ぎて行ったので、バインミーラスクと、追加で缶入りクッキーを買ってホテルに戻る事にした。

途中、昨日スマホしか撮れなかった中央郵便局サイゴン大教会 with マリア様カメラで撮る。

ホテルへの道すがら、ホーチミンでもう一つの近代商業ビルビンコムセンターを覗いてみる。

テナントのH & M のシャツは429,000ドン

日見サイゴンセンターシャツよりはお安いが、ホーチミンにおいてはファストファッションの値段ではない。

そう言えば、平日の昼だというのに、地べたに座った若者が辺りにはいて、一度は声をかけられた。

新卒一括採用などきっとないベトナムだ。

若者失業率は高いのかも知れなかった。


本屋を物色したのち、もう少し気になる建物もあったが、海外一人旅で軽々しく予定を変えないというのは鉄則だ。

16:00頃に戻るという約束通りホテルに向かう事にした。

失業率はともかく、異国のユースカルチャーは気になる。

ファミリーマートで運よく見つけた雑誌を買い、ホテルに戻った。


約束通りホテルに戻った後、朝に教えられた2Fのラウンジに向かう。

一瞬止められるかと思ったが、そんな事はなかった。

ただ、2Fに行ってもラウンジはない。

あるのは、スパジム、そしてプール

そう言えばスパが利用できるという様なことを言われたが、荷物をどうしようとか、湯冷めしそうとか思って、プールサイドに行くことにした。


プールサイドバーでは、お兄さんとお姉さんが笑顔で迎えてくれる。

バーカウンター前のテーブルに陣取り、マンゴー香りづけされたグリーンティを頼んだ。

フレーバーについてお兄さんが念押ししたのは、自分日本人だと分かったからかも知れない。

問題ない。

そういうのが良かったから。

プールでは5歳ほどの少女が遊んでいる。

とうとう雨には当たらなかったな。

これは勝ったのか負けたのか。


勝敗は意外な事にすぐ明らかになった。

ファミマで買ってきた雑誌を眺めていると、プールの水面に幾つもの同心円が広がる。

すぐに雨足が強くなり始めた。

What a thing!

なんて事だ!

ベトナムの事など大して知らなかった時からあった、あのビジョンそのままに、俺は今、お茶を飲みながら雨の水面を観ている!

完璧だ。

でも全然呆然とはしていない。

レインシートの下で雨に濡れてはいないのに、目が濡れてきた。

こっちの勝手な感動をよそに、雨足はますます強くなり、スコール様相を呈してきて、これは言い訳できないくらい完全な夕立だ。

夕立もきっと来るだろう」

予言はまたしても実現する事になった。

激しい雨にお兄さんはもっと奥の席を案内する。

移動しながら大声で笑った。

もう予言の書を確かめしかない。

スマホMV再生するとやはり涙が溢れて来る。

海辺の砂浜に一人寝転がる4,000年に一度の美少女は、イントロでビーチパラソルの下から立ち上がる。

場面が変わって様々な仲間が次々に現れ、共に歌い、踊る。

画面の中ではやがて曲も終盤に差し掛かり、片や画面の外では雨足が弱くなり始める。

画面に目を戻すと、アウトロで、長い黒髪予言者はまた独り、青空の下、晴れやかな表情でフレームの外に駆け出して行った。

完敗だ。


【10】2018秋、ベトナム、ホーチミン Day 4-5|ありのまま、恋と愛、バインミー へ >>

浮気はクソって言い続けていたはずなのに

これは浮気だ。どう考えても浮気だ。

体の関係がなくなって、たった1回ドトールお茶をしただけだって

手を握ったことすらなくなって、誕生日も、好きな食べ物も知らなくたって、

そもそも相手にとって私はなんでもない存在の一人だとしたって

それでもこれは浮気だ。私は浮気をしている。最悪だ。浮気だ。

他愛もないラインの往復を1日に1~2回している。たったそれだけが楽しい

ラインがくると胸が躍る。返事がこないと少し寂しい。

もし私に彼氏がいなければ、もうさっさとご飯約束をしていただろうなと思う。

これは付き合う路線だったろうなと考える。

私の彼氏は私のことが大好きで

私の病気の猫のミーちゃんのこともすごく大切にしてくれて

でも価値観がなんだかおかしくて、私とは決定的に合わないのだろうと思う。

相手にとっては何でもない(であろう)言葉に私はひどく傷つく。

何でもないと思った私の発言相手不愉快にする。

喧嘩のたびに、仲の良い友達には「本気でもう別れなよ」と言われる。

なのに別れられずにいる。そして私は浮気をしている。

結婚たらこんな感じかなあ、なんていう彼氏セリフ

前みたいに楽しみだねと大きく首を縦に振れずにいる。最悪だ。

果たして新たに現れた彼が好きなのか、

何回かご飯でも行って、確かめて、何とかすべきだと思っている。

でも、こんな状態ご飯なんてしてしまったらいよいよ

本格的な浮気なんじゃないかと恐ろしい(すでに浮気なのだが)

なんでこの期に及んで私はいい子ちゃんになろうとしているんだろう。最悪だ。

できないことをできると言っちゃう

‪できないことを「できます!」と約束してほしくないなぁ。後々になってから「できません」とか言われるので周りが迷惑こうむることがあった。

そういう人はなんで「できます」って言っちゃうんだろうなぁ。自分はできる!ってところを見せたいからとかなのかなぁ。うまくくすぐればやってくれたりするのかなぁ。

夢で好きな人が出てきてたくさんお話しできた

次会う約束するときもなるべく早く会いたい、できればこのままずっと一緒に居たいと言ってくれた

もちろんこれは夢なので現実は違う

現実は会話を交わしたことはない

4年くらい片思いしてる相手

いつもいくスーパーで働いてる相手

こちらのことを認識すらしてないと思う

遠くから、あるいはレジ打ちの姿をチラチラ見るのが精一杯

本当はどんな人かわからないけど見た目通りの可愛い子だと思う

しかけたり接点を持つ気はないのでこのまま気持ちはどこにも行かずもやもやとしたまま終わると思う

しかしかわいいな

きっとすでに相応しい相手がいると思う

また夢で会えたらいいな

増田

いろんな意見あってマジで面白いなと思うんですけどすぐ殺すとかレイプするとか言っちゃダメですよ

お姉さんとの約束だよ

2018-10-14

[][] (仮題)第3話

(執筆途中の作品であり、今後内容を変更する予定です)

高田

雙葉学園は、フランスサンモール修道会の会員が1875年に設立した築地語学校を祖とする、私立学校法人である

雙葉学園はその長い伝統において、「徳においては純真に、義務においては堅実に」という校訓のもと、幼稚園から高等学校にわたる一貫したカトリック教育を行ってきたが、雙葉女学院大学設立により、さらに4年間の大学過程をふくむ一貫教育が行われることになった。

というのも、雙葉中学校・高等学校は、東京大学をはじめとするいわゆる旧帝国大学や、慶應義塾大学などの難関私立大学合格者を多数輩出し、全国有数の進学校と呼ばれるようになっていたが、多数の生徒父兄が、単なる学力の追及ではなく、カトリック教育さらなる徹底を望んでいたこと、卒業生の多くがカトリックの信仰を保持していない現実を嘆くサンモール修道会の強い推薦により、2002年に大学過程を行う教育機関の設立が決議されたのである。その後、文部科学省の認可を受け、雙葉高等女学校設立からちょうど100年となる2009年、開校に至った。

私が雙葉高校卒業したとき、もしこの大学があったら、このエスカレーターに乗っていだろうか。キーボードを叩く手が止まり、ふと自分過去を反芻した。

中学受験成功し、晴れて雙葉の門を潜ることはできたものの、入学後は成績が低迷し、人生の目的も見出せないまま、あるいは、先生がたがおっしゃっていた、神に与えられた使命を感じることもなく、特に受験勉強もせずになんとなく大学受験をした私は、願書を出した中で最も無名な、平凡な私立大学に行くこととなった。

パッとしない4年間の大学生活の間、やはり人生に意義を見出せず、大学卒業後は、飲食店塾講師などのアルバイト転々としたのち、25歳で、あるカリスマ英語学者執筆アシスタントとして雇われることになった。

受験生向けから社会人のやり直し英語のための参考書まで、様々な英語関連書籍を多数執筆し、そのほとんどすべてがベストセラー、2005年から教育テレビでレギュラー番組放送されている、クリストファー・トンプソン、その人である

誰もが認めるカリスマ英語学者アシスタントベストセラー約束された数々の出版物編集作業。やっと使命が見つかったかに思えた。

が、それもつかの間のことだった。

最初の数ヶ月で気づいたことは、クリス・トンプソン執筆作業ほとんど全てを、彼の『アシスタント』に任せているということだった。それでも、はじめのうちは、英語学者である彼の理論専門家でない一般大衆向けに落とし込むのに、アシスタントが最大限の貢献をしているのだろうと好意的に考えていた。

働き始めて半年が経った頃、主力の『アシスタント』が結婚出産を機に退職することになり、私がその立場を引き継がなければならないとなったとき彼女から真相が告げられた。カリスマ英語学者クリス・トンプソンは、自分ではなんの理論も持っておらず、彼の博士号はディプロマミルから得られたもので、彼のアイデアと言われるものはすべて、彼女作品だったのだ。

『徳においては純真に。』私は、彼が世間を欺き続けるのを手助けすることはできなかった。

代わりの職を求めた私はその後、27歳にして都内にある無名私立高校英語教師として採用された。

須藤智くんとの出会いは、私がその学校で働き始めて3年目のことだった。

高校といえば雙葉高校しか知らなかった私は、おそらく世間では平均的であろう、学習意欲のない生徒たちを前に、教師として戸惑っていた。そんなとき入学してきた須藤くんは、『教え子』と——おこがましいが——呼びたくなるような、優秀で向上心の高い、私の初めての生徒だった。

彼はすべての科目の定期試験で満点を取り、全国模試では偏差値が80を超えていたので、瞬く間に教職員あいだで評判になった。

彼の非凡な才能は、主に自然科学理解に向けられているようであったが、彼の言語に対する洞察も、単に受験勉強ができるというレベルを超えているように思われた。

それは、彼が二年次に進級し、私の授業を受けることがなくなった新学期のことである。珍しく残業もなく、夕方6時に山手線新大久保駅で帰りの電車を待っていた私の元に、彼が歩み寄ってきた。

自然言語構成する元素を見つけました」

突然そう告げた彼は、意表を突かれてうろたえる私の返事を待つことなく、ノートを広げ、彼の発見説明し始めた。

私は彼の理論を即座に理解することができた。なぜなら、中性子陽子原子核電子といった、化学アナロジーを用いているものの、それらの用語を適宜『主要部、内項、外項、句、付加部』という言語学の用語に置き換えれば、それは現代言語学の父、ノーム・チョムスキーが1970年に発表した、エックスバー理論のものだったかである

彼はきっとエックスバー理論をどこかで読んだのだろう、そしてそれを、自分の慣れ親しんでいる化学アナロジー理解したのだろう、と私は考えた。

しかし、彼は、これは紛れもなく自分でたどり着いた理論で、とっかかりになったのは、クリス・トンプソンの『60億人の英文法』にある「日本人名詞が主でそれに冠詞がくっつくと考えがちだが、冠詞がまずあって、そこに名詞がくっつくというのがネイティブ感覚だ。」という記述だと言う。

ともかく、私は彼の話を信じた。そして、彼が自分発見を教えてくれたお返しに、私も自分の『発見』を彼に打ち明けた。こうして彼は、クリス・トンプソン秘密を知る、部外者第一号となるのであった。

秘密を共有した私たちは、ときどきメールを交換する仲になった。話題は主に、言語学。彼は初め、原子力工学の話をしたがったが、私がついていけないということに気づくと、言語学を中心に、私が理解できる話題を選んでしてくれるようになったのだ。これは私にとって、10年遅れて訪れた青春の一ページだったが、彼にとってはたぶん、相手先生から、気を使って付き合ってくれていただけだったのかもしれない。

私は一度、言語学の道に進みたくはないか、と彼に尋ねたことがある。彼がチョムスキーほどの天才かどうかはともかく、才能があることは間違いない。しかし、彼は原子力工学をやるといって譲らず、ワシントンにあるベルビュー工科大学を単願し、同校に進んだ。なぜマサチューセッツ工科大学や、スタンフォード大学を目指さなかったのだろう、あるいは、ワシントンならなぜ同州トップワシントン大学に行かなかったのだろう、願書くらい出しておけばよかったのに、と当時も思ったが、きっと彼なりの理由があったのだろう。

メールのやり取りは彼が高校卒業した後もしばらく続いたが、彼が希望通りベルビュー工科大学に進学すると、須藤智という天才を失ってただの無名私立高校に戻ったその場所で、張り合いのない授業を続ける私が、なんだか取り残されたように思えて、劣等感からメールを送るのが億劫になって、やめてしまった。

須藤くんとのメールをやめた私は、高校教師仕事もやめた。また人生に迷ってしまったと思った私は、以前のように求人情報をチェックしたり、履歴書作成したりする気もなくなって、目白アパートに引きこもった。

そんな張り合いのない生活を続けるうち、あるとき新聞広告欄に、雙葉学園が、大学新設にあたり職員を求めているという求人情報が載っているのが目に留まった。行き場を失った私は、まるで蜂が巣に戻るように、こうして古巣に戻ることになった。

はいま、雙葉女学院大学国際交流課で、4年ぶりに須藤くんへのメールを書いている。雙葉女学院日本大学として初めて、ツー・プラス・ツーのダブル・ディグリー協定海外大と結ぶことになったのだが、なんの因果か、その協定第一号が、ベルビュー工科大学だったのである。そして、私が留学カウンセリング担当した学生が、第1期生として派遣されることになったのだ。

彼女聡明女性だが、単独海外に行った経験はないと言う。現地に信頼できる知人がいれば、少しくらい世話を焼いてもらってもばちは当たらないだろう。

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