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はてなキーワード: 中学校とは

2021-02-24

anond:20210223235037

よう俺だ!チャレンジした世界線増田だ!そうだね!どんな環境でも隣の芝は青く見えるもんだよ!増田には二つの選択肢しかいからどちらかで納得するしかないよ!

1.あと30年地方都市IT市場が今のまま維持されると盲信して労働人形になる

2.日本階級ポータビリティがまだあるうちに子供自分以上になれるように東京圏に挑戦する

20代後半でSIerからGitHubk8sなどは当たり前の環境転職して5年が経った。増田と違うのは、自分も妻も東京圏に住んでいた者という点にある。後述するがでかい違いとは思う。

生存バイアス自覚もあるが、個人技術を詰めていたので適応は早かったし(技術自体というよりは適切な情報ソースサーベイして自走する能力が一番大事だな)、勉強無駄にはならんかったよ。

そして、この年代(昭和 60-64 年生まれくらい)はリーマンショックの影響で市場にいる人材が薄いから、良い条件の働き口が割とあると思う。

しぬほど仕事があって、平均45時間残業して年収700万弱くらいだ、ベース給与はおそらく大して増田と変わんねえ。地方拠点仕事を作ってあげる仕事ときたまあって実体はわかるが、増田生活も悪かねえと思うぞ(ただし後述の取り、リスクはあるし増田の大切な人達に跳ね返る可能性もあるだろうな)

こちとらリモートフレックスを使って育児家事効率よくこなしながら、進捗の遅れは寝かしつけのあとにどうにかする日々だ。それでいて一日中車を運転したオフの夜中にコードも書いたり検証したりもすれば、面白そうな技術書や論文を漁りもする。

ここんとこは英語ができなきゃ話にならんくなってきて洋書読んだりもするな(まともな学会会議論文は当然英語前提)。オライリーの訳書のラグ2年弱の間に世界が変わっちまう。マジかよって感じ。世界が加速しているのか、日本が遅くなっているのか、はたまた色んな事情で訳書が遅くなっているのか、俺の認知が広がっただけなのか、或いはそれらすべてが原因か。

そんな状況になると外資が競合になってくる境界くらいにいることになるのだが、社会の分断の片鱗を程よく感じられるような位置だ。ここいらになると、周囲にいる人間国立大学CS修士博士とかが当たり前だ(体感半分くらい。そんでもって残りの半分はいいところのCS学士とか。こんなにCS専攻っていたんだな?)。

そいつらは帰国子女だったり東京圏中学受験して、英語は堪能、財テク節税に勤しみ、文化的資本も豊かで楽器を嗜めば運動も習慣化しているような人種だ。加えて技術への情熱半端ないときている。小さい頃から好きで、仕事というよりは趣味でやっている人だらけでもこの年収とかなもんで、余談だが「スクール卒業リモートワーク年収1000万!」みたいなコピーは儚き虚言だと断言できる。

そしてハイソサエティ人材達が順次GAFA(笑)(大体がeコマーのAなんだが)に転職するようなルート確立されつつある。日本やべー。(AZ障害を俺達が手先になって謝る状況を脱して謝らせる側に回りたい気持はわからなくもないがな!)

彼等とスタート位置が違うんだからどうしようもないと感じることは多々ある。公立中学校の話なんかすると作り話扱いもされる。そして更に言うと、海の向こうには、彼等も勝てないような人達大勢いる。大阪なおみ選手のような世界トップランカーにでもならない限りこれが続くんだろうな。

冒頭の話に戻るが、地方出身学生や中途の話を聞いていて、日本ITエンジニアについてもそうなんだが、子供教育に関しても東京にいないと話にならんとは感じる。

もう増田ひとりの物語じゃなく、増田子供物語という意味で、今から東京で挑戦することは選択肢もなくはないと思うぞ(SAPIXかに重課金するレベルまでやれとは言わん)。一番のハードルパートナーキャリアとは思うから、お互いが納得できるように人生を決めろ(育児丸投げとかありえんからな、ITエンジニアなら冗長化してみせろ)。あと単身赴任観測する限り破滅への道だ、それだけはやめとけ。

日本はやべーと思うが、それでもまだ欧米よかは格差は少なくて、上へのポータビリティもある。ただ、これからどんどん色々壊れていくだろうから、何かをやるなら早いに越したことはないと思う。おたくらのビジネスモデルはこの先30年持つか、俺は疑問視している。付加価値薄いって気付いてるっしょ。だから俺は転職したよ。

地方IT特にリモートワークの普及は地獄の窯の蓋みたいなもんで、逆に東京圏エンジニアに食われるんじゃねえか?北米と違って全都市JSTで高品質回線が全国に張り巡らされているんで、逆の立場だったら気楽でいられん。効率的なことが禁止された結果甘い汁を吸えている面はあると思っていて、それって焼き畑みたいな最終手段から、その先はないと思うぞ。

ちなみにだが、この話は俺にもブーメランになってくる話で(時差と日本語の難易度の高さと平均的な語学力の低さで、外資に食い尽くされずに守られてるな東京は)、東京圏キラキラケイITエンジニアやっていても選択肢は二つだ。

1.あと 30年東京圏IT市場が維持されると盲信して労働人形になる

2.階級ポータビリティが踏めるうちに子供自分以上になれるように海外に挑戦する

ということなんだが、コロナ次第だな。世界境界でもがきながら、日本治安労働法と医療制度年金制度(老齢年金も悲観するほどではないし障害年金と遺族年金が現状心強すぎる)を最大限利用するのもよし、海外に挑戦するのもよしだが(俺のパ―トナーは配偶者海外帯同休職一定期間できる)、状況を見極めながら俺の子供が俺以上になれるよう努力するお気持ちだ。東京圏にやってきた爺さんや、俺を大学に出してくれた親父以上のことをやらんとな(俺は所謂ファーストジェネレーションってやつだ)。

自分物語をほどほどに、子供達がワンチャン自分以上になってくれればそれでよくね?と思いつつある。子供アメリカ国籍選択できるようにしてあげられればよかったんだがそこまではできなかった。あとやってあげられることは、ワンチャン帰国子女にしてあげられるかくらいだ。

最後に。仮に俺達が無駄なことをやって虚無しか生まずにこれから30年過ごすとだな、子供達が過ごす未来がやべーんだわ。俺達が楽するほど、子供達が楽できなくなる可能性が高くなる。増田、わかるか?俺達が自己実現して目指す理想郷は、子供達に良い未来を作る。もっと効率的なことをやって、空いた時間で今困っている人達の働き口や、未来の子供達の食い扶持を作るような成果を出せ。もしも、無駄なことをやって、虚無を生んで、その割に好待遇を得ている状況という自覚がもしあったら(実際そうなのかは俺が決めることじゃない。案外いいことやってるかもしれんよな。)、それには抗ってくれ。

福岡教育大学の初等の副免について

ここでは、福岡教育大学初等教育教員養成課程(幼児教育選修は除く。以下、初等とします)の副免について、書いていきます

==== =====

福岡教育大学の初等は、小学校教員養成に重点を置いています

初等では、原則として、中学高校教員養成はしていませんので、注意をしてください。


中学高校先生になりたい人は、中等教育教員養成課程(以下、中等とします)に進学してください。

なお、初等に進学した後に、中等に転課程すること(課程を移籍すること)は、基本的にはおこなえません。

どこの大学でも、転課程はきわめて難しいと考えてください。


初等の学生は、小学校教員教育職員免許の取得を前提にしています

初等で得られる免許小学校一種)は、主免(しゅめん)といいます

主免とは、卒業時に主として取得する免許(必ず取得できる免許)のことです。

したがって、初等の学生小学校一種が主免になります

中等の場合、主免は、中学校・高等学校一種免となります


この主免以外に、他の授業を履修することにより、与えられる免許を、副免(ふくめん)といいます

まりオプションとして取得できるものが、副免です。

初等の学生は、幼稚園一種・二種)、中学校(一種・二種)、高校一種)が副免になります


これら副免は、福岡教育大学の初等では取ることが難しいです。


「初等に入ったけれど、中学高校免許も取って、中学高校)の先生になりたい」

という人は、残念ですが、それは諦めて、小学校先生になられることに専念してください。


福岡教育大学の初等は、小学校教員になる教育をしています

初等では、中学高校)の教員になる教育は、標準的提供していません。

中学高校先生になりたいのなら、中等に入るべきでした。

「それでも!どうしても!」というなら、他大学に入り直すか、一旦卒業した上で、働きながら通信制大学放送大学)に通って免許必要単位を修得する、ということしかありません。


福岡教育大学公式ホームページに「福岡教育大学で取得できる教員免許状について」(https://www.fukuoka-edu.ac.jp/files/bgeditor/other/H28menkyo.pdf)との文章が公開されています

これによると、初等では、小学校一種は主免です。

幼稚園中学高校免許は、

卒業要件を満たし、さらに所定の単位を修得することで取得も可能となる免許状(副免)」、「副免のうち、人数制限や修得する単位が多い等の理由により、特に取得が困難な免許状」とされています

この文言をよく理解してください。

「取得も可能」=取れるかもしれません、「特に取得が困難」=取るのはとても難しいです、ということです。


初等の学生が、副免で取得する講義などは、原則として中等の学生に向けて提供されている講義に、初等の学生が「参加させてもらう」ものです。

もし、その講義や演習などが、人数を制限する場合や受講制限がある場合は、中等の学生が優先されます

中等の学生に向けての授業なのですから、そこに「参加させてもらう」初等の学生立場が弱くなることは、おわかりいただけるでしょう。


初等の学生が、副免を取得したい場合は、まずは担任先生相談してください。

といっても、担任先生も、副免のことがよくわかっていない先生もいます

学生支援課の「学生なんでも相談窓口」(https://www.fukuoka-edu.ac.jp/data_ex/pdf1421305397_0.pdf)に相談することが、てっとりばやいです。

副免を取得したい学生は、希望する科目の「教科基礎学力テスト」を受験し、A・B・Cの判定のうち、B判定以上を取る必要があります

C判定(不合格)では、副免の授業の履修は認められません。

なお、この教科基礎学力テストは、不合格のC判定であっても、来年度も希望すれば受験できます

もし不合格であれば、それを謙虚に受け止めて、勉強し直して、再受験をするか、もしくは副免は諦めるか、という二つの選択肢になります


例年、教科基礎学力テストは5~6月に実施されます。2020年はコロナ禍のため、8月に実施されました。

日時や、テスト範囲などは、大学内の掲示板掲示されます

教科基礎学力テストの結果は、遅くても夏休み中には告知されます

B判定以上の学生は、後期から副免の授業の履修が可能になります

そのため、前期の期間か、夏休み期間にテスト実施され、結果も後期の授業が始まる前にはなされるはずです。


教科基礎学力テスト過去問は公開されていません。

テストでは、解答用紙とともに、問題用紙も回収されますから受験したことのある先輩に過去問を見せてもらうこともできません。

問題用紙の回収は、過去問を見ることができた人間が有利になる/見ることができなかった人間が不利になることを防ぐ、公平性を確保するためです。


出題範囲難易度は、教科によって変わります

高校入試の問題がそのまま出た、センター試験共通テスト)のレベルだった、国立大学二次試験レベルだった、など、さまざまな噂がありますが、出題範囲は示されるので、その範囲内の勉強をよくしておく必要があります

とりあえずは、高校での履修内容の範囲内で出題されるはずですから大学受験勉強と同じような勉強しておけば良いでしょう。


この教科基礎学力テストを課す目的は、中学高校)の基礎学力を備えているかをチェックするものです。

この基礎学力がなければ、副免の授業に出ても、単位の修得は難しいです。

教員から見れば、基礎学力のない初等の人間が、中等の授業に出てくると、レベルが保てず授業の運営に支障をきたします。

いくらやる気があったとしても、身につけておくべき基礎的な知識がないと、授業で先生の言っていることが理解できませんし、単位の修得は難しいです。


「やる気はあるが、学力の低い学生に、再教育をする必要がある」と主張する人がいます

しかし、高等教育機関である大学では、「中学高校の復習をしましょうね」という「復習の時間」はありません。

高等教育機関である以上、そのような「学び直し」の授業で単位を出すことは、制度的にも許されていません。

福岡教育大学Fランク大学ではありません。

そもそも、そんなに「やる気」があるのならば、学力が低いことはありえないはずです。

そんなに「学び直し」をしたいのであれば、自分で好きなだけ勉強すべきです。

それでも勉強ができるようにならないならば、予備校などに通うしかありません。

高等教育機関である大学に「学び直しの機会」を要求することは筋違いです。


福岡教育大学の初等の学生の特徴でもありますが、文系偏重しており、理系の分野は不得意のようです。

教科基礎学力テストでも、その傾向は明らかで、英語国語社会受験者数は例年、とても多いです。

受験者数が多いと、ライバルが多いということで、それだけC判定をもらう学生は多くなります

各教科ともに、合格者を百人単位で出すことはありません。

というのも、中等の学生向けの授業は、少人数を想定したものが多いため、そこに初等の人間が大挙して押し寄せると、中等の学生への教育の質が保証できなくなってしまう、との理由があります

たくさん受け入れてあげたいのはやまやまだが、合格者はなるべく少ないに越したことはない、と大学側は考えているようです。

先にも述べましたが、副免の授業は、中等の学生向けに設けられたものが多いので、そもそも初等の学生が授業に来ることを想定していません。

初等の学生が来たとしても「参加させてもうらう」という扱いになり、初等の学生が多くなってしまうと、中等の学生学習の機会を奪うことになるため、とても困ります

このようなことから合格者は、受験者の10%ほどの合格率の教科が多く、教科によって50%あたりのものもあるようです。

おおよそですが、教科基礎学力テストで7割あたりがボーダーラインで、8割以上取れていれば、ほぼ安心していられる、と言われていますが、これも受験者数や教科によりばらつきはあるようです。


狙い目の教科があります

理系の科目です。数学理科そもそも受験者数が少ないようですし、その割に合格率は高めのようです。

かにも、美術や保健体育、技術や家庭なども、合格率が高いようです。


小学校にも「教科担任制」が22年から導入されます北九州市では既に一部教科担任制が導入されています

小学校の教科担任制とは、小学校でも、高学年からは専門教科の先生が、その教科については教える、という制度のことです。

中学校の教科を思い出してください。中学校では、既に教科担任制ですよね。

中学校のように、小学校でも、高学年からは、教科の専門の先生がいて、その教科を教えるのです。

導入される科目は、算数理科英語、です。

これらの科目の中学高校の副免を持っていると、その教科の専門に強い先生として、小学校の中で教えることができるようになるでしょう。

また、採用する側も、算数理科英語の教科に強い先生は欲しいところです。

したがって、狙い目の科目は、算数理科英語になります

しかし、英語は、例年、副免の希望者がとても多いようですので、よほど英語の力に自信がないといけません。

ちなみに、英語で求められる学力は、英検二級レベルと考えられます英検二級は、高校卒業程度のレベルと言われているからです。

そう考えると、数学理科は、狙い目の科目になります


福岡教育大学の初等の学生で、副免を取りたい、という学生が多く、また副免に関して、学内外で、根拠のないデマが流れたりしたので、このような文章を書いてみました。


初等の学生は、小学校先生だけではなく、中学高校先生としても通用する、確かな学力を身につけてください。

そのために、よく勉強をしてください。しっかり勉強をし、学力を高めることが、あなたから教わる児童生徒のためになります

anond:20210224123040

では公立中学校時代に、各クラス男児の方が女児よりも多かったのはなぜなんだろうね。

普通に男の方がやや多めに産まれからやろ

anond:20210224095426

では公立中学校時代に、各クラス男児の方が女児よりも多かったのはなぜなんだろうね。

中国農村部ほど極端ではないにしろ、今の日本でも女児中絶する習慣は残っている。

攻撃的な同僚と、それを見過ごす会社

んー。

同僚、すぐに社内のオープンチャットの場で他人批判するし、揉め事に顔突っ込んで話を大きくする。

DM(一対一のやり取り)が嫌いみたいで、すぐにオープンオープン言うけれど、オープンな場で批判される人間の身にもなってみて欲しい。

彼に何人もオープンな場で謝罪させられるのをみてきた。パワハラだよもう。

正論っぽいことを言うことが多いけれど、他人を貶めて怯えさせるのはどうだろう。私は嫌いだな。

から見ると、声デカいし一見正論っぽいけれど、独りよがりな主張で単なるパワハラのこともある。けれどもあまりにも威圧的から周囲も批判できない。仕返しが面倒だしね。中学校かよ。

マネージャークラス以上になると、その同僚のことをある程度注意しているみたいだけれど、まあ変わらないだろうね。知ってる範囲で注意されてるのみても変わらなかったもの。ちなみに私も注意したよ。意味なかったけど。

そういう同僚を「物申してくれた」くらいに思っている人たちも嫌い。何パワハラ見逃すばかりか持ち上げて助長してるのって思う。

ホント会社がなんであんな人まだ放置してるかわからない。仮に彼が人の上に立つようになったら会社も終わりだね。

とりあえず社内通報から始めてみますか。大人大人のやり方でやれるだけやるさ。

2021-02-23

anond:20210223180601

家父長制の問題だよ、十分な土地とか関係ない

家長が男だけで財産相続できるのが男だけなんだから女を育てる理由そもそもない

法の下の平等がなければ、そんな無意味存在学校に行かせるのも金がもったいなくなるから日本全体の教育水準も下がる

男は肉体労働ができるから殺されることはないけど、その変わり学校にはロク行かせてもらえない

中学卒業したら高校は無理。家をでたあと働きながら学校通ったり、新聞配達バイトをしながら中学校通うってのが実情。

現代人は親の愛とかなんだとかいうけど憲法法の下の平等があって財産保障されてるから成立するわけで、家父長制なんて人権侵害みたいな制度復活させたら昔と同じようになるよ。

anond:20210223114523

俺は教員免許の取得を目指して大学一年生のころから、興味もない授業をギュウギュウに詰め込んで頑張っていたんだ

大好きなサークル連中との旅行パスして障害者施設介護もやった。謎にウンコ匂いがする施設だ。教職免許取るのに必修なのだ。ド田舎動物園みたいな公立中学校教育実習もやった。だが馬鹿な俺は隔年開講の授業を一つ取り忘れ、教員免許を取得しそこねた。

通信教育で8万払えば代替授業を受けられると言われたが俺はやめることにした。もともと親に言われ仕方なくとっていた教職だ。仕事も決まっていて無駄に思えたのだ。

金銭的に失ったものは目に見えないが、楽しい大学生活犠牲にして成果を出すことなく終わった。それが俺の悔しい勉強代。

自分がどのような音に囲まれていたのかを抜き書きしてみる。その10

https://anond.hatelabo.jp/20210124182909

https://anond.hatelabo.jp/20210125165404

https://anond.hatelabo.jp/20210127120151

https://anond.hatelabo.jp/20210128145233

https://anond.hatelabo.jp/20210201193917

https://anond.hatelabo.jp/20210205170510

https://anond.hatelabo.jp/20210208231113

https://anond.hatelabo.jp/20210210000401

https://anond.hatelabo.jp/20210215162711

今のインターネット田舎は不利の大連呼だ。

2020年代では子供の数が少ないので何をやっても盛り上がらないし、その主張には一理ある。

しかし、1980年代田舎ではこんなこともできた。

1980年代小学校中学校プールは必ず開放しなければならないことになっていた。

何を言いたいのかというと、泳ぎに来る生徒が1人でも、必ず水泳先生が1人、保護者が3人いなければならないのである

まり、全く生徒がおらず、水泳先生が1人、保護者が3人だけ、炎天下で見張りをしなければならない。

おそらく今の母校でこんなことはしていないだろう。

中学校プールは、新築であった。

市の経済状態子供の数の増加で上向いており、中学校のぼろぼろのプール新築になったのである

その新築プールを、ほぼ貸し切り状態で使っていた。

もちろん私が予約したのではなく、単に、誰も来ない。

中二病というのは、みょうなプライドが発生することだが、私の住んでいた市では「学校プールになんか絶対行かない」ことが中二病であった。

この中二病に誰もが罹患し、誰もプールに来ない。

罹患しなかった私は、1人でやってくる。

そうしたら

「おい!バタフライの泳ぎ方教えてやるよ!」

水泳先生からバタフライの泳ぎ方を指導され、バタフライで25メートルを泳ぐ教習が始まっていた。

来る生徒は私1人。

私のほかには生徒なんて誰もいない。

その先生と仲が良かったわけではないのだが、何度もプールに行った。

ばっしゃばっしゃと水の音がこだまする。

小学校プールは必ず誰かがいて、気温が上がればもう何十人の児童がいたのに、正反対だったことをいまだに思い出す。

高校に上がるまでに多くの音の風景がどこにでも転がっていたので、他の作曲家よりもこれらの経験は有利に働いている。

anond:20210223003326

あーなんかわかる。

言われてみれば、小学校中学校高校も今の勤め先も、ぜんぶ雰囲気が似てる。メンバー性格とかそこからまれ空気感とか、問題が起こった時の意見の出方とか解決の流れとか、みんな似たような感じなんだよな。ずっと不思議に思っていた。

自分の周りは小学校の時から常に雰囲気が悪かったから、今も当然に雰囲気が悪くて過ごしにくい。つらい。

2021-02-22

都会から出ないから、かっぺと同じ成分でできてるって気づかない

文化的資本がどうとか言ってるの見たけど。

どうせ学校会社の外ではユニクロGUの服着てイオンシネマ映画見て、ブックオフとかツタヤで本買ってくら寿司食ってニトリのベッドで寝るんだろ。

上京して数年経つが上記休日はいつも混雑してるし、30万人都市もそんな感じだったよ。

そこから差別化するとして美術館だの博物館だの言ってるけど正直苦しい。自分もその辺によく行くが、ある程度教養積んでからじゃないと、印象に残らないただの落書きガラクタだろう。家で鑑定団とか見てる方が文化的だろう。実物を見たか自分文化的だと思うのはあまりにも野蛮。

下北沢神保町みたいな街は確かに田舎にはないねカレーコーヒー古着…この辺は簡単に周りと差別化できるからアイデンティティを守れていいね〜。蕎麦打ちにハマってるおっさんそっくりだよ。

東京の大きい街は薄く延ばした田舎デカイオンモールしかない。バーガーキングがないだけで店は一緒。バーガーキング文化的資本だとしたら負けを認める。

都会と田舎で違うのは私立の小中学校に入れたりするやつか。あれで人生かになんのかね。子供いないかわからんけど。

あれが一番文化的資本から程遠い旧時代遺物に見えるけど、都会民さんの先進的な考え方があるっぽいから黙ってよう。

元増田より、古典を義務教育で扱う理由について

元増田です。はてなでは定期的に出る話題であり、この仕事をしていれば生徒に必ず聞かれることでもありますね。すでに質問増田氏への反応でかなりの部分が議論されていると思います国語先生ごとに考えが多少異なるとは思いますが、現場にいる者として、同じことを生徒に聞かれたと思って、自分なりに誠実にお答えしたいと思います

以下、常体で失礼。


・まず、この疑問への論点はたくさん含まれていると思う。自分なりに整理してみると

日本という国家義務教育で(貴重な時間を割いて、他の教育されない分野を差し置いて)古典を扱う理由教育制度論)

上記の上で、古典選択科目ではない(または高校教育現場で「選択させられている」)理由

学校における古典学習時間は適切な長さであるのか?

学校における古典学習内容は適切なものであるのか?

古典を学ぶことは何かの役に立つのか?(個人レベルでのメリットはあるのか?)

……などなど。


しかし、増田氏の質問古典は、なぜ義務教育の科目なの?」に対して、学習指導要領等を引き合いに出しながら上記のぜんぶに答えても増田氏は納得しないように思う。なぜかと言うと、それ以前の「義務教育(および後期中等教育)とはそもそも何か?」「義務教育に求められているもの本来どのようなものか?」という重要命題増田氏は考えていない(もしくは適切な答えを持っていない)と思えるからだ。


質問増田氏に足りていない視点は「教育とは多様性を前提にしている」ということだ。学校にはあらゆる子供が来る。子供たちは、あらゆる適性・資質長所性質個性能力を持って、学校へやってくる。その多様な子供たちに国から一律のシステムとして授けられるのが義務教育である

子供たちの多様性、というのは学校に勤務していると本当に感じるところであるが、それでなくても、皆さん小中学校にいたクラスメイト、同じ学校にいた児童生徒の「多様性」というものに思いをはせていただければある程度イメージできると思う。

この多様な子供たちに、一律に与える教育が「義務教育普通教育)」というものだ。これは「全国民共通の、一般的・基礎的な、職業的・専門的でない教育」を指す。この時点で、小中学校とは原理的に「個人個人資質能力に合わせた教育を行う」場ではないということが(その是非はともかく)わかると思う。程度の差はあれ、後期中等教育高校教育)も同じようなものである


・そして、ここで注意すべきポイントは「教育経済的効率という尺度はなじまない」ということである

これについて(はてなでは評判悪いが)内田樹がわかりやす説明しているので一部引用してみる。


教育アウトカム単位時間を区切って計ること(つまり効率」を論じること)には何の意味もない。教育を受けたその直後にきわだった成果を示す人もいるし、同じ教育を受けたのだが、その成果が現れたのが卒後50年してからという人もいる。死の床において来し方を振り返ってはじめて「私の人生がこのように豊かなものであったのは、小学校ときに受けた教育のおかげだ」ということに不意に気づくということだってある。 

(中略)

これほどに学びの機会が多様であるのは、「自分が何を学んだか」についての決定権が最終的には個人に属しているかである。同じ教師に同じ教科を同じ教室で学んでも、それによって震えるような感動を覚える生徒もいるし、何も感じない生徒もいる。そのときは何も感じなかったが、何年も経ってから電撃的にそのとき教師言葉意味がわかるということがある。人間はそのつどの成長レベルに従って、自分経験の全体を「私をこのようなものにならしめた要素の必然的連続」として再編集する。必ずそうする。過去出来事意味現在自分状態に基づいて、そのつど改訂されるのである

(中略)

自分が何を学んだかを決定するのは私自である。そして、「誰も同じその人から私と同じことを学ばなかった」という事実こそが私たちひとりひとりの代替不能性、唯一無二性、この世界に私が生まれなければならなかった当の理由形成している。

http://blog.tatsuru.com/2012/03/10_1013.html


そもそも、これだけ多様な生徒に対して同一の教育を与えるのならば、それは最大公約数的なものにならざるを得ない。けれど一方で、そういった最大公約数的なものをどれだけ集めても、一部の児童生徒にとって「役に立たないもの」は、多様性に対して共通教育提供する限り必然的に発生してしまう。そして、「~の勉強は役に立った」「~の勉強は役に立たなかった」という『後付けの、結果論的な』評価もまた、その生徒児童によって異なってくる。例えば元増田にとって数学は役だっても、国語教員の私の役にはあまり立っていない。逆も然りで、古典を学んで僕は役立っているが、元増田の役には立たなかったのかもしれない(けれど、今後の人生で役に立つ機会が訪れる可能性もゼロではないよね?)。「役に立った/立たなかった」という言葉は、それぞれの人生の差、多様性が生み出した、結果論的な、後付けの評価しかない。


・まとめると、その教育が役に立ったかどうかは、後付けでしか評価できないが、多様な生徒全員に「役立つ」教育はごく一部の基本的ものに限られる。よって、多様性を前提にした普通教育は「役に立つかどうか」を基準とすべきではない、という前提が、義務教育を考える際には必要である


・では上記を踏まえ、改めて、義務教育とは何か考えてみたい。おそらくたくさんの学者先生議論されていることだと思うけれど、自分なりの表現をさせていただければ「児童生徒たち(と国全体)への、将来のための、大規模な投資であると思う。(もちろん、これは上記の前提を踏まえた、ある種の比喩表現であることに注意していただきたい)


・前述の通り、ある生徒にとって何が「役に立つ」かは分からないし、卒業後であってもそれぞれの人生様相が変わればその評価も変わりうる。どの教科がいつどのような形でリターンとなるのか(または全くならないのか)わからない、ということだ。

言い換えれば、義務教育の内容選定にはあらかじめ「(ある生徒には)役に立たないかもしれないが、それでもやるべきなので、やる」という前提が入っているし、その前提があるために「全員の直接の役には立たなくても、間接的には多くの生徒の役に立つようになるといいな」という思想が入ってくる。また、「それを扱わないということは、全員に機会損失リスクを与える」という側面もある。

から、リターンがどれだけあるかわからないにせよ、限られたリソースの中で、できるだけ多くのリターンが生徒に(ひいては国全体に)返ってくるような投資を考える、という設計思想になってゆく。


・このような条件を満たす科目としては様々に考えられるが、特に古典思考根本たる母国語に密接に関わっているという点は大きいと思う。そして質問増田氏含め多くの増田議論で指摘してくれていたように、古典は以下のような理由上記の条件を多く満たしている。


・「自国の古の言葉から国民として学ぶべき」「愛国心の育成」(国家というアイデンティティ形成

・「文化の発展」のため(「春はあげぽよ」で笑いを一つ作るのも文化の発展の一つの形)

歌舞伎などの歴史ある文化和歌集などは誇れる文化である

人文学研究の基礎体力として(研究者は国家必要で、大学等で研究を進める際に古典ゼロからだと困る。)(たとえ研究しなくとも、国民知的レベルを上げられる。ちょっとググりたいとき学校で学んだ知識があると有用なことも多いし、知らないことは検索もできない)

学習すべき内容が時代によって大きく変わらない(日進月歩学習内容の変遷が激しい分野は義務教育には不適)

現代日本語に繋がる、語学学習として。(現代語をより豊かに用いるため)

・「故きを温ねて新しきを知る」、長年読み継がれてきたものを読む(教育において、精神論の何がいけないんだろう?)

古典籍という膨大な一次情報に各個人アクセスできる(源氏物語などに顕著だが、現代語訳がすべてのニュアンスを残せているわけではない。また、現代語訳のないマイナー古典籍が例えば古い災害の記録になっていることもある)

・「論理的な推測」を学べる(「~の気持ちを答えよ」問題はよく槍玉にあがるが、大抵は本文に論理的な推測の範囲で心情が書いてあるので、読解問題であるそもそも言語を扱うという行為じたい「論理的な推測」を行う行為なので、よほどひどいものでない限り、最近のものは全文をきちんと読めば適切な出題だと思う)

教養(あるいは常識)を学べる



・あとは、自分にとって古典がどのように「役に立つ」のか(あるいは現時点で役に立っていないのか)、各個人評価をそれぞれにすればいい。そして今度は、より大きな視点に立ったうえで、改めて教育の中の古典位置づけやあり方、内容を考え直すということを考えてしかるべき、そんな時代であると思う。もちろん、法律情報処理の勉強大事なのは言うまでもない(ただし、プログラミング教育導入される方向でどんどん進んでいるし、現行の公民分野にも法律はそれなりに入っているはず)。他にも様々なことが教育には要求されていると思うし、その中での取捨選択優先順位の付け方は、きっと社会全体でなされるべきなんだろう。けれど、それは「役に立つ」という価値観に縛られるべきではないということは強調しておきたい。

あえてここでポジショントークをするならば、古典学校で扱うべき理由は、先ほどの条件を満たしていることに加えて、「千年単位で変わらない本質的事柄」とは何かを生徒に示唆してくれ、時間的なスケール感の大きさに思いを馳せる時間を持てるという点だと思っている。(そう思って前の共通テスト古典分析を書いていました。授業でもよく言うんだけど、千年前に妻を亡くした人間が、現代人とおんなじようなこと考えてるって、結構安心しないですか?)


・これが生徒に対してなら、上記の話はやや難しく話が長すぎる。自分担任をした生徒(物事意味について考えようとする人物だった)には、例えばこう話したことがある。

「今あなた意味を感じていない世界史を、例えば学ばなかったとしましょう。(あなたにとって何が意味を持つのかは今の時点では分からないので、それもあなた自由ではあります。)そしてそのまま大人になります。その時、あなた世界史の知識を元とした発想やアイデアを失うだけでなく、その発想を失ったことそのものにさえ気づけないことになります。つまり自分可能性が狭まっていることにさえ気づけないでしょう。あなたなら、その怖さってわかるんじゃないですか」

(いちおう、この話をしたこの生徒は、世界史の勉強について、成績は別にしてもこの生徒なりに考えてくれたようではある。後から他の先生にこの言葉意味について話していたらしい。)

これが古典なら、別な増田が言っていたように「矛盾語源を知らない」ことの機会損失について話すことになるだろうか(矛盾故事は中一の教科書に載っている)


・おそらく質問増田氏にとって(多くの生徒と同じように)古典は役に立ちもしなければ面白くもない科目だったのだろうと思います自分はなるべく古典面白さやエッセンシャルな部分を伝えるべく授業で努力をしていますが、もちろんそうでない先生もいます。また、今回は触れなかったけれど「入試対策」という四文字が実際の古典学習に与える影響は計り知れず、本質から外れた苦行的な暗記学習パターン学習が強くなってしまっている現実には自分ジレンマを感じないわけではないです。古典という科目が抱えた問題点や古典嫌いを生むこの構造的な病理は、なかなかに根深ものがあるのもまた事実最初に挙げた①~④の論点あたりにはかなり課題もあるでしょう。

(少し話題はそれますが、前回の共通テストエントリを書いてから他教科の同僚と話していて至った結論は「共通テストはより学問エッセンシャルな部分に近づけられている」というものでした。大学入試が変われば高校進学校勉強も変わるので、これは良い兆しです。共通テストには今回のような学問エッセンスを込めた入試問題を作り続けていただきたいと思います。)


・ただ、今回の質問増田氏のような生徒に対して自分が感じるのは、もっと広い視野物事を見て欲しいという気持ちです。綺麗事かもしれないけれど、自分にとって意味がないものに見えても他人にとって意味があるものもあります。もしかしたら自分にとって後々意味が出てくるかもしれません。けれど、そのように意味をとらえなおすことができなければ、いつまでも古典仮想敵のままでしょう。国語教員である自分がどれだけ古典の魅力をここで語っても、それはやはりポジショントークに過ぎません。意味というのはやはり自分で見つけるものだし、見つからないことだって往々にあるでしょうから、それを受け入れることや合理化することだって大事な「勉強」です。

(今回の話題に関連して、最近読んだ本だと、SF作家森博嗣が出した「勉強価値」(幻冬舎新書)が、ツッコミどころも多いながら興味深かったのでオススメ。)

それに、自分にとって意味が無いと思っていたものがこんなに深く豊かな世界内包していたんだと気づければ、それは素敵なことです。少なくとも、それを認めることが多様性をはぐくむ態度であると思います


P.S.

これを読んでいる生徒の皆さんへ(元生徒さんでもいいです。笑)。


自分にとってイヤだったり不得意だったりしてもいいし、つまらないと感じることもいいです(わからない・つまらないは教育する側の問題なので、どんどん声をあげてください)。けれど、だからといって排除することは、自分可能性が消えるという別な問題を生みます自分がイヤだったものをイヤなまんまで自分の中に置いておくのもしんどいことだろうなと思うので、ちょっとだけ面白ものを紹介しておきます

からでも、古典に関する自分評価を変える機会になればいいなと思います。頼めそうなら、複数の生徒で担当先生もっと面白ものを扱ってもらえるようにお願いしてみるのもいいかも。先生は案外、そういう授業に飢えています


https://kawadeshobo-blog.tumblr.com/post/129340109097/町田康訳奇怪な鬼に瘤を除去される宇治拾遺物語より

↑これを読んで


https://www.koten.net/uji/gen/003/

https://www.koten.net/uji/yaku/003/

↑その後、これと見比べる。これだけでも立派な古典勉強です。

https://anond.hatelabo.jp/20210222020804

  平成を生きてきたが、中学校社会科資料集をながめていた段階で、日本史とかウソだしwwwwwwwwwwという感じだったが

    高校でも日本史という科目があったが、明らかに強者の作り話だった

  我々30代の世代は、平成に入ってから既に、生徒全員が、おんなこどもに戻っていた時代で、日本ワロスという時代だった

      平成8年からミスチル  GLAYなど、  日本のような古びた文化否定し、日本人のガキ女に受けるものが大量に出て流行った

   中学校では、女子存在が圧倒的で、 男子も、ナヨナヨした男の子に人気があって、部活で鍛えた屈強な男はバカにされていた

     それに平成中期の中学生高校生の男は暴力的で悪いというよりも、「幼稚で残酷」だった

   しかるに今の東京の10,20代の若者には日本人らしいところがなく、半分ブサイク、残りは危険犯罪者だらけで最悪

anond:20210222012046

そんなお母様でも中学校くらいはちゃんと通われていたでしょうに。ひどい増田君だこと。

2021-02-21

anond:20210221113739

前編:https://anond.hatelabo.jp/20210221113739

一応、大手企業障害者枠で就職する為にしたことは、

障害者職業能力開発校に通った

ハローワーク求人ではなく、就職エージェント登録して就活した

履歴書添削就職エージェントにしてもらって書き直しをした

面接練習の為に、カメラ自分の喋りを録画して見直し改善した

この4点だ。

あと、俺は元々資格だけは様々なものを持っていたから新たに取得したりはしなかったが、資格を持っていない人は資格取得の勉強もした方が良い。

障害者職業能力開発校では資格勉強もするから、そこでしっかりと取得しよう。

障害者職業訓練校、障害者職業能力開発校へはハローワーク障害者窓口で相談して通うことが出来るぞ。

普通職業訓練校と違って、国立県営だし生徒は障害者だけしかいないから通いやすいし、講師の当たり外れも民間に比べたら少ないぞ。

入学の為には筆記試験なんかがあるが、中学校卒業レベル知識があれば解ける。

俺の時は、国語数学だけだった。

障害者職業能力開発校には様々な科があって、自分の興味のある分野の勉強が出来る。

リモートワークで就職をしたいなら、OAビジネス科に入ってWordExcel簿記を取得するのが一番良いだろうな。

若いなら、プログラム設計科でプログラマーを目指すのもありだろう。

ただ、住んでいる地域学校によって設置している科が違うから、その科があるか分からないけどな。

就職エージェントは、障害者枠で働きたいなら障害者専門のエージェントを使うのが良い。

ネット検索したら色々と出てくるから、片っ端から登録して就職活動を行うのが良いだろう。

障害者リモートワークで働きたいなら、障害者専門・リモートワーク専門の就職エージェントがあるから、そこに登録したらいい。(俺はそういうエージェント登録した。)

就職エージェントには面接マニュアルもあるし、お願いしたら面接練習なども付き合ってくれる。活用しよう。

ちなみに、俺が使用した就職エージェント就職後も企業との間に入ってサポートをしてくれている。

そういうサポートの充実した就職エージェントを選んだ方が良いだろう。就職してもすぐに離職したら意味いからな。

最後に 毎日が新鮮

俺は会社会議というものに出たことも無いし、会社メールなども出した経験が無い。

30代半ばにして、初めての経験ばかりだ。

大変ではあるけれど、毎日が新鮮だ。

普通の人にとっては当たり前のこと。サラリーマンOLなら当然のことを俺はやったことが無い。だから、時々失敗をするけれど、それでも毎日が新鮮で楽しい

収入も安定しているし、「社会保険証」というものも初めて手に入れた。

ちなみに、俺は九州田舎に住んでいるが会社東京だ。会社へは一度も行ったことが無いままの入社となった。

九州支店があるが、感染症関係で今は行くことが出来ない。いつか、自分の働いている会社を見てみたいから行くけどな。

俺は今、事務員だがプログラミングを学んでいたことを生かして、会社内のITヘルプデスクのようなことをしている。

毎日やり取りしている、仕事を教えてくれている先輩達は俺より一回りくらい年下だ。

年上の後輩に仕事を教えるのは何かと面倒だとは思うが、それでも懸命に仕事を教えてくれる先輩達には感謝してもしきれない。

本当に毎日が新鮮だ。

この会社で一生働いていくのかは、今の段階ではなんとも言えない。個人事業主が恋しく無いといえば嘘になるからな。

でも、今のところは会社に不満も無いし、社会不適業者がせっかく就職出来たのだから、まずは社会人としてのマナーをこの会社で身に着けようと思う。

ここまで読んでくれてありがとな。

炎上ブロガー」としての俺は、もういない。

俺は今や、立派かどうかは分からないが、サラリーマンとして次の人生を歩んでいる。

毎日が新鮮で、キツいけれど、楽しい

まともな職業に就いたから、次は彼女が欲しいな、なんて思ってブログ彼女募集してみている。

良かったら読んでみて欲しい。

■1級身体障害者だけどネット恋愛相手募集します!!

https://xn--n8jvce0l6c.com/entry/2021/02/09/lovers/

おまけ 障害者職業能力開発校の紹介

もし、障害者職業能力開発校に興味があって、通ってみたいなら下記のリンクを参考に、自分の住んでいる地域から探してみてくれ。

残念ながら自分の住んでいる場所から近いところに学校があるとは限らないが、学校には寮もあるから、そういうのに抵抗が無い場合は寮に入るのもありだろう。

専門の相談員さんなんかもいるし、担任先生いるから、そういう職員さん達と相談しながら学校生活を送ってくれ。

障害者職業能力開発校一覧

北海道障害者職業能力開発校

宮城障害者職業能力開発校

東京障害者職業能力開発校

神奈川障害者職業能力開発校

石川障害者職業能力開発校

愛知障害者職業能力開発校

大阪障害者職業能力開発校

兵庫障害者職業能力開発校

広島障害者職業能力開発校

福岡障害者職業能力開発校

鹿児島障害者職業能力開発校

青森県障害者職業訓練

千葉県障害者高等技術専門校

静岡県立あしたか職業訓練

京都府京都障害者高等技術専門校

兵庫県立障害者高等技術専門学院

20年前の吹奏楽コンクールで何もせず突っ立てた俺が今では家で楽器

20年前、中学2年生のときに参加した秋の吹奏楽コンクール夏休みをつぶして練習をしていた彼女たちを横目に見ながら、ステージの上で俺は何もせずに突っ立っていた。割り当てられた楽器トライアングル特定パートで音を鳴らすだけだった予定だが、誰かのミスで俺の楽器ステージに用意されることなく終わった。別にトライアングルを準備しなかった誰かを怨んじゃいないし、たぶん本当にただのミスだったんだと思う。悪いのは夏休み中に一回も練習に参加しないどころか、辞める意思を伝えなかった俺だと思う。

うちの家族音楽一家だ。俺が小5のときに死んだ父親フルートの奏者で、同期の友人を集めて社会人サークルを作ってときどき演奏会をしていた。姉も姉でピアノが得意でときどき、受験勉強の合間に演奏をしていた。妹もサックスの奏者で運転免許教習のためにと渡した金で自分用のサックスを買ってた。母親別に音楽はしなかったが、彼女たちを育てるのにリソースを費やしていた。そんな家族だったから俺も音楽が好きで、得意できっと才能もあるのだろうと思っていた。

俺が楽器に触っていた一番古い記憶幼稚園のころにピアノを習っていた記憶だ。音大卒業したばかりの若い女性の先生を家に呼んで姉と俺が習っていた。彼女の教え方は結構自由な感じで、俺は楽譜無視して勝手ペダルを押してみたり、習ってもない黒鍵を押して変な音を出したが彼女は「じゃあ、アレンジしてみようか」って言って楽譜の改変を許してくれたし、そんな優しい対応をしてくれる大人の女性に気恥ずかしさを感じた記憶がある。

それに対して母親はどちらかというと教科書的に楽譜を覚えさせようとする人で、幼稚園から帰ってピアノ自主練する時間になるとひたすら楽譜の同じフレーズを繰り返させられた。ちょっとでも間違えると「あと10回繰り返しなさい」という具合。これが原因でピアノが嫌いになってしまって先生を呼んでの個人レッスンも辞めてしまった(辞めた時の具体的な流れはもう覚えていない)。

そんな俺だったが小5のとき父親が死んだ。彼が残したフルートを見て「これを俺も吹けるようになりたい」と思った。そんなことを思いはしたものの、具体的に行動は起こさず、塾やら剣道やら(これも嫌いだった)中学受験に失敗したりしているうちに進学先の中学校に吹奏楽部があることを知ってそこに入部した。思えばこれが間違いだった。

俺の入部した吹奏楽部は俺以外全員女子顧問まさかの俺の父親の知り合いで、そこに男子が参加したものから舞い上がっていたように思う。最初に割り当てられた楽器チューバだった。いわく、低音でバンドの全員を支えろとのこと。チューバ奏者には申し訳ないのだが、これが全く楽しくない。低音を鳴らしても自分が何を演奏しているのか分からない。顧問部員モチベーションをあげるためなのか、自分趣味なのか分からないがみんな知っているポップス歌謡曲演奏させたが、メロディを奏でるメンバーが聞いたことのあるフレーズ演奏しているのに対して低音が演奏している音は一体何の役に立つのか全く分からなかった。定期的に同じ音を鳴らすこの行為になんの意味があるのか分からなかった。ついでに俺は残念ながら肺活量が低くてチューバを満足に吹くことができなかった。その後、顧問命令アルトサックスへ、そして最後コントラバス転向。もはや管楽器ですらなくなり、この辺で完全に俺のやる気は消失して部活をさぼるようになっていた。

で、中学2年生の夏休み。俺は部活に行くと言って家を出てから友達の家へ行って連邦VSジオンで遊んでいたものの、あるタイミング顧問がその友達の家に乗り込んできて俺は拉致されてしまった。与えられた楽器トライアングル夏休み明けのコンクール部員全員で参加して今の3年生を送り出すんだから、お前も参加しろとのこと。無理やりワンフレーズだけのパート練習させられて、そして迎えた本番で事故は起きた。トライアングルが無い。

理由は分からない。楽器を運ぶ担当の1年生からも下に見られていた俺は、楽器の用意をしてもらえなかったのかもしれない。それか、俺が自分責任で運ぶように指示されていたのかもしれない。分からないが、ステージ上で何もせずに突っ立っていた記憶だけは残っている。指揮棒を振る顧問の困った顔、演奏が終わった後でほかの部員から向けられた視線。すべてが苦痛で俺は逃げるように会場を後にした。顧問はさすがに哀れんだのかそれとも呆れたのか、それ以降俺を部活に連れていくことはなくそのまま俺の存在自然消滅した。

そんなことがあって、何年もの月日は経過したが幸いなことに音楽自体を嫌いになることはなかった。どちらかというとDreamcast勢だった俺はクレイジータクシーソニックアドベンチャー洋楽に触れて、バンド存在を知って低音が奏でる面白さをそこで初めて知った。と言って、特に具体的な行動を起こすでもなく大学に行ってからギターヒーローとかドラムマニアときどき遊ぶ程度。あとはオーケストラマーチングジャズなんかをときどき思い出しては聞く程度だった。だけど心の中で、音楽をもう一度やってみたいと思う気持ちだけはちょっとずつ育っていっていた。

結婚して子供もできて、その子供が8か月になったころの2020からコロナの影響を強く感じるようになった。仕事はそれ以前から完全リモートだったので特に支障はなかったのだが、趣味温泉旅行制限されたのはつらい。そんな中でおこもり需要の一つとして注目されたのが楽器だったわけ。俺もその例にもれずヤマハが発売しているヴェノーヴァを購入してみた。生まれて初めて自分お金で買った楽器。これがめちゃくちゃ面白い。

練習はだいたい朝子供保育園に送る前と夕方保育園から帰ったあとの夕食までの時間。だいたいどっちも20分くらいだから1日のうち40分くらい。しか最近寒いから朝の練習はしない日もある。練習と言っても昔のように間違えたフレーズをなんども繰り返すわけじゃない。最初こそ音を鳴らす練習や指の運びの練習はしたけど、一通りそれっぽく音が出せるようになったら後は自由だ。楽譜を買ってきて自分が好きな曲を自分が満足するまで吹けばそれでいい。アニメ特撮が好きなので「ドラえもんのうた」とか「ウルトラマンのうた」とかを一通り吹いて、サビだけ吹けるようにしておしまい最近コンビニで曲ごとに譜面印刷できるので、気になる曲だけ印刷してくれば1枚400円くらいで収まる。飽きたらまた別の曲をやるし、ときどき思い出して前にやった曲を吹いてみて自分の中の変化に目を向けると、ちょっとは上手になったかな?と思って自己満足する。それだけでいい。

子供の時にやっていたバイエルをひたすら反復する練習は何だったのか。中学とき面白さが全く分からなかった低音をひたすら鳴らしていたのは何だったのか。そんなことやる必要なんてなかった。自分が好きな曲を適当に吹いてひとまず満足して、そしてまた戻ってきて高みを目指したり目指さなかったりすればいい。そう言う物だったんだな。

今にして思えば父親が俺に音楽を教えてきたことは無かった。たぶん、彼は今の俺と同じことが分かってて練習強要するんじゃなくてやりたくなったらやればいいくらいのスタンスだったのだと思う。俺もそういう気持ち子供に接して行きたい。

次はスタートゥインクル プリキュアのTwinkle Stars演奏したい。

2021-02-20

anond:20210220183133

痴漢冤罪でっち上げ

女 +100

何度も痴漢されて心の傷がおっきくてかわいそう +100

中学校気持ち悪い男だらけでいじめ主犯にされてかわいそうだった +100

中卒 +5

低所得 +10

合計 +315

LGBT女性より5%かわいそうでーす

中高一貫校って実質飛び級してるよね

中学校高校3年生まで行ってそこから卒業まで高校3年生で止まるけど

古文漢文をやったことに意義を感じない

全然役立った気がしないぞ

確かセンター古文満点だったし、漢文も1ミスくらいだったから、少なくとも「古典が大の苦手」ってことはない あんなんカン結構読めるしな

でも、ホントになにかに活きた感じが全然しないのよ

俺の「活きた」のハードルはかなり低い

ナショナルジオグラフィックとか見てて、森の中にひらけた場所があるのが映ったとき「あ!ギャップだ!ヤッター!」と思えればもうそれは活きた判定になる

そうすると、かなり色々活きてるんですよ

現代文:評論文を読もうという気になれる 漢字が読める 問題に使われた小説を読もうと思う

歴史:フィクションの下敷きになってる史実がわかって楽しい

科学:科学番組を観てて楽しい 擬似科学を警戒できる ドクターストーン的な作品をより楽しめる

英語:洋楽を聴いて楽しめる 洋画を原語で見ると楽しい 英語インターネットを楽しめる

数学:日常のなかでちょっとした確率計算とか測量の真似事みたいなことをして楽しめる お金計算にも役立つ

 

ほら、ホントに色々役立ってるんスよ

古典文法くんさあ……君はなんだい?

俺が日本史に興味薄いかそっち系コンテンツに触れることが少ないっていうのももちろんあるけど、それにしたって活かす機会がなさすぎる

枕草子パロディでウケられる」みたいな話を古典学習メリットとして出してくる奴いるけど、枕草子くらいのメジャー作品って逆に古典時間あんましっかりやらなかっただろ!

あいうのはむしろ中学校の初期とかにサラサラっと通すだけなんだよな そのころの教科書にはだいたい結構しっかりした現代語訳も載せられていて、ホント入り口っぽい感じの運用なんだ

で、そういう体験ツアーみたいな感じで読むメジャー作品の話しか出てこないんだよマジで 古典の話するときはさあ!

とりかえばや物語とか落窪物語とかそういうのもやった記憶はうっすらあるんだけど、ホントにうっすらした記憶なんだよな

なぜならクソつまらなかったか

古文ってほとんどカスだな……昔の日本人ゴミだったのか……」みたいなことを思いながら読んでた記憶しかない

からいからつまらないとかじゃなくて、文意をしっかり解釈できた上で、「で?」という感想しか残らないんだ

つうか、かきつばたを見て都を思い出すのはいいけどよ、そこで「この気持ちを歌にしよう、そこにかきつばたの頭文字を織り込もう!」ってなるのがホンマに気色悪いね

マジでキモいんだよな キレそうになる

ミュージカルじゃねえんだから気持ちをいちいち歌にするな 薄ら寒いねん 俺はもっと自然感情の発露が見たい

歌が技巧的だと「こいつこんな小手先テクニック弄してる余裕あるし、実は全然感情動いてねえだろ」ってなる

逆にシンプルな歌だと「クソつまらんヘタクソな歌だ、こんなん読むくらいなら黙ってた方がマシだろ」ってなる

和歌文化ホントに心から嫌いなんですよ マジで気色悪い 死んで欲しい(もう全員死んどるか!ガハハ!ざまあみろ!!)

友蔵心の俳句本質が同じなんですよね オッサンが事あるごとにヘッタクソな俳句を詠んで聞かせてきたらマジでぶち殺したろかと思うが、古文読んでると常時その気持ちになる 常時

あと、なんかムダに引用みたいなのを会話に織り込んでた記憶もある 内輪ネタへのリファレンス=賢さみたいなノリ本当にキモい 淫夢ネタゲラゲラ笑ってるのと何が違うのか

本当にカスなんだよな古文

そんで漢文だよ

漢文、さすがにバカでけえ中国産なだけあって内容はやや面白いことが多い そこは認めよう

でもこう、なんつうか、儒教的?すぎるんだよな

基本的オチというか教訓が読めるんだ この展開ならこういう教訓を引き出す方向に行くだろうっていうのが容易に読めてしまう こぢんまりと纏まってるんですよね サプライズがない

そんで、あの形式をわざわざ読めるようになる意味マジでまったく感じられない

返り点とか漢文の授業以外で一切見たことねえもん 最初から書き下して出してくれればいいじゃん

古文にも共通する話だけど、漢文ってもう増えないじゃん いや、増やそうと思えば増やせるだろうけども、増やす意味がない

中国語をそのまま読むわけでもなく、かといって日本語でもなく、なんなんだ?マジで

というか、機械的に書き下せるものをワザワザあの若干読みにく形で出してくる意味マジでからない

漢文自転車でいうところの補助輪みたいなもんだと思ってるんだけど、補助輪つき自転車トラックをビュンビュン走らされてるような違和感がある

ガッツリやりたいなら補助輪をとれ 軽くやりたいならそれなりの軽さにしろ 半端やねん全てが

つか、内容、古文よりマシとはいえ意味わからんのも多いしな なんか突然神仙要素が出てきて、昔の中国ってこんなノリなんだ〜…ホーン…と思いつつ終わることが多かった

何が言いたいかからなくなってきた

とにかく、古文漢文文法からガッツリやるようなものではないんだよな

それよりスペイン語でもやったほうがいいですよマジで スペイン語やったらイタリア語ポルトガル語あたりもうっすら分かるようになるし、英語への理解もより多角的になる感じあるもん

¡Que mueran los hatenars! ¡Os odio!

ホラかっこいいじゃんスペイン語

朝ぼらけとか言ってる場合じゃないですよ、マジで

 古文死ね ああ古文死ね 古文死ね

  つまら和歌を 詠むんじゃないよ

マジでこんなクオリティ和歌ときどき出てきてたからな 問題用紙破り捨てたくなるもん

俺、なんなら古文なかったほうが先人への尊敬度高かったと思う

古文いくら読んでも軽蔑の念しか出てこないんだよな 垣間見文化とかもキモいし、とにかく全体的にキモすぎる 

あと平安あたりだと都なんかに住んでる貴族しか出てこないのも腹立つ 所詮金持ちボンボンどもが暇にあかせて遊んでるだけやんけ

本当に嫌いなんだ俺は

つのはどちら?

公立中学校暴力放置し、学力を下げる日本

通報が横行し、大学進学率を極限まで上げる中国

つのはどちら?

anond:20210219201256

大概の県には「天下の○○高」「○○高生にあらずんば人にあらず」と称されるようなトップ校(旧制一中を前身もつことが多い)があって、地域政財界に強力な高校閥を作っていることが多い

子供がそうした高校卒業すると、地域でのエスタブリッシュメント資格を得ることになる(もちろん十分条件ではない)

また地方でも周囲より地価の高い住宅地があって、その地域小学校中学校は落ち着いた環境で成績も優秀だ(大都市圏以外では新興の「高級住宅地」は避けた方がいいかもしれない。城下町だと昔は武家屋敷街だったりする)

そうした地域民度が高く文化的程度の高い家庭が多い

江戸明治から続く階層社会の名残は地方ほど色濃く残っており、上級土地に住んでトップ校に子供を通わせることによって、上質な友人を作り文化資産を身につける可能性がでてくる

大都市圏でなければ、トップから東大いったりしたら地元役所地銀での出世は期待できるし、政治家だって夢ではない

リベラル的な価値観からすると気持ち悪く感じるかもしれないけど、地方左翼に傾倒してもいいことはあまりない

2021-02-19

名前ハッシュ化して匿名で生きたい

anond:20210219101113

名前は生まれた時にランダムもの付与されてさ、ICとして体内に埋め込んで、通名はそれをハッシュ化したものを使いたい。

場所ごとに名前を使い分けたい。

小学校で使う名前中学校で使う名前書道教室で使う名前会社で使う名前、著書で使う名前……を分けたい。

役所管理する時の個人番号も、名前から生成した数字にしてほしい。で、何か漏洩とかのトラブル?があったときは、届け出を出して新しいものに変えてもらうの。

犯罪がしやすくなるとか、そういう問題が考えられるけど、それはITの力で解決できるんじゃないかな。

ただ名前コロコロ変わると本人としても混乱しそうだから、書面上の通名ハッシュ値を使うとして、呼び名としての通名自由に名乗りたい。外国人サインとか好きな記号で済ませるじゃん。ああ言うふうに自分で決めたりしたい。ちょうど「名前」と「ID」みたいな関係かな。書面上の識別子は@masumasu123で、普段呼び名は「ますたろー」みたいなさ。

そもそも識別子と通称が同じってのがガバガバすぎるよね。分けて欲しい。未来人が戸籍と氏名みたいな化石制度使って生きてたら絶望ちゃうよ。

 

はやく名前ハッシュ化する時代が来て欲しい。正直さっさと死にたいけど、そんな時代が来ると思えばワクワクして生きたくなってくる。

一生増田太郎として生き続けるのって怖くないか?俺は怖い。すごく怖い。耐えられない。

はてなー諸君だって自分名前はてなID紐付けられたら死にたくなるでしょ。

2021-02-18

30歳になる前に友人が死んだ


らしい。原因は知らない。でも病気とかじゃないみたいだから、多分交通事故とかそういう不慮のやつ。

全て母親経由のママ友グループコミュニティから情報。それにしても、俺の中学生時代ママ友とまだつながりがある母親って冷静に凄いよな。15年以上前だぞ…。

で、俺とそいつ田舎出身だったから、公立小学校(1クラス)⇒公立中学校(隣の小学校と一緒になって2クラス)⇒公立高校(そこら辺で一番頭がいいとはいえ所詮偏差値55程度)って流れがずっと一緒だった。別に2人きりで遊んだり、相談したり、親友とかじゃなかったけど、何となくつるんでたし、地元帰った時は会ったりしてた。そういえば書いてて思い出したけど、成人式の時も一緒のタクシー使って会場まで向かったな。家が徒歩10分の距離だったからだけど。会うのが2年に一回になり、それから全く会わなくなるのも、別に取り立てた理由があったわけじゃない。ただ疎遠になっただけ。

それでも、きっついな。きつい、っていうか現実味がなくて、この話聞いたのも8か月以上前なんだけど、ふとした瞬間に、「あ、あいついないんだよな」ってなる。死んでからその存在が色濃くなるってやつだ。これが不在の在なのか?ぜってえ違うよな。昨日もなんか夢に出てきて、そいつが得意だったサッカー一緒にやってたわ。そいつ、割と顔は格好良いのに、なぜかモテなくて、一方で顔がそっくりの弟は異常にモテてたんだけど、夢の中でゴール決めてもギャラリーから歓声はあがってなかった。ウケる。どんだけ現実に忠実なんだよ。もう死んでんだからそいつに良い思いさせてやれよ、俺。それでも両親が仮面夫婦だったのを埋めるように、兄弟仲はすげえ良かったんだよな。今、弟はどうしてんだろうな。

2週間前、俺は30歳になった。何の感慨もない。ただそいつ20代で終わってしまったんだな、っていうのと、30代以降は、こういうのが続くんだろうか、と思いながら、今日電車に揺られて職場へ向かうだけだ。俺には彼女もいなければ、将来のビジョンも見えないし、なんなら「もうやめたい」「消えたい」って半分まじで思う夜だってあるけど、それでも生きていくしかない。

それにしても、あと何回こんな思いをすれば慣れていけるんだろう。多かれ少なかれ、誰もがこういう感情を乗り越えて何でもない顔して生きてるんだよな。大人ってすごい。いやまじですごくない?

2021-02-17

スポーツできるDQNいじめっ子のほうがモテる公立中学校教室みたいなモテ観のままひねくれてる奴ら多いけど、成人したらそうでもなくない?それとも十代のころの打算のない恋愛だけを恋愛だと認めたいタイプか?

公平な世の中 in増田

小学校→足が速い奴ずるい

中学校陽キャずるい

高校→頭いい奴ずるい

大学イケメンずるい

社会人金持ちずるい

他人の取り柄は全てずるいもの

なけなしの自分の取り柄は何故か大量ポイントになる公平な世の中なら

自分もっと評価され優遇されるはず

こういう主張する奴多くね?

ルサンチマンにも程がある。

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