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はてなキーワード: 中学校とは

2019-01-20

なんとなく生きてきたけど

今までなんとなく生きてきた。

なんとなくでもそれなりにこなすのは得意だった。

ただ、それなりにこなすことができれば満足して、それ以上の努力はしてこなかった。

いや、努力が苦手だった。楽しいことだけを好んでやっていた。

漫画だと一夜漬けのシーンは数コマで終わるのに、学生時代に真似したところで一夜漬けを始めて1時間で眠りこけてた。

から将来の夢を見つけることもできなかった。

ただ、なんとなく生きていた。

小学校の頃は勉強しなくてもテストは満点近かった。

この頃から目立ちたがりだった気がする。

中学校では生徒会長もやっていた。

テストの点数は右肩下がりだったが、問題のあるレベルじゃなかった。別に焦りもしなかった。

面白そう、という理由総合学科高校入学した。

そこには確かな夢を持った同級生がたくさんいた。

きっと自分高校の3年間でやりたいことを見つけられるんだと信じていた。

3年間で彼女がいた時期もあった。自覚は無かったけど、所謂青春がそこにあったんだと思う。

ただ、将来の話題になると、具体的には何も思い浮かばなかった。

卒業前に題材自由ミニ卒論を完成させなければいけないんだけれども、題材を考える時間が一番長かった。

大して時間もかけずに、陳腐な内容で適当お茶を濁して終わらせた記憶が残ってる。

学科柄、就職を進路に決めている人が多い中、なんとなく進学を決めた。

成績も優秀では無く中の下に成り下がっていたので、推薦入試も使えなかった。

やりたい事がみつからいからこそ、少しでも有名な大学に進学しなければと考えていた。

そんな後ろ向きな目標必死勉強することも出来ず、受験勉強もなんとなくだった。

一般受験をする生徒は珍しいので、同級生先生応援してくれた。

ありがたかったけど、反面全然勉強してない罪悪感も辛かった。

結局第一志望のMARCHは落ちた。

現役時代ですらまともに勉強できないのに、浪人が出来るとは思えなかった。そのまま第二希望で1ランク下の大学入学した。

就職した同級生は皆輝いていた。何とかして自分も輝きたくて焦った。

でも、何となくで入った心理学科の授業はまったく面白くなかった。興味も持てなかった。

時間だけは沢山ある中、ネットゲーム実装されたばかりの対人コンテンツランキングに入ることが出来た。

ゲームのフレンドから賞賛された、知らないプレイヤーに声をなんどもかけられた。

そしてなにより、自分名前ランキングボードに載っている事が最高だった。

一度ランキングに載ってからはそれまで以上に時間を費やした。

ただ、それも長くは続かなかった。

コンテンツ人口が増え、コミュニティや戦い方が成熟し、要求されるスキルが上昇していくのについていく事が出来なかった。

声をかけられることもパタンとなくなり、かといって追いつこうと練習することもなかった。

ゲームですら努力はできなかった。

ランキング上位への熱意も冷め切って気づいた頃には、単位の全く取れてない留年確定の大学生がそこにいるだけだった。

留年して通学する貯金もなく、そもそも心理学への興味が一切なかったので大学中退した。

兎に角働かなければ食っていけない状況に追い込まれて、SIer就職した。

面接で「君と是非働きたい」なんて言われて浮かれたけど、今思えば誰にでも同じことを言ってるに決まってる。

最初に配属された現場プログラミングのプの時も無い倉庫整理だった。

中高と体育会系部活所属していたので、上下関係には慣れてたし、挨拶や体力に問題はなかった。

それなりにこなすだけで雇用元の社員にも気に入ってもらえた。

「直接雇いたいから連絡をくれ」と言われたが、22歳の自分にはこれからずっと倉庫整理で食っていくなんて考えられなかった。

何と言えばいいのか、変なプライドがあったんだと思う。

小中高と目立ちたがりだった自分がそんな誰にでも出来る仕事をこなして爺ちゃんになるなんて考えたくもなかった。

契約期間も終わり、次の現場通信系の検証業務だった。

プログラミングのプくらいはあるかもしれないが、

メインはExcelに書いてあるように操作して、PASSかFALSEをつけていくだけだ。

これもそれなりにこなすだけだったけど、最初倉庫整理よりかは給料がよかった。

今まで買えなかった漫画ゲームを買える経済的余裕もでてきて、

毎月の給料で今まで金銭理由で楽しめなかったコンテンツを味わって2年が経った。

ゲーム漫画楽しいけど、仕事は相変わらずそれなりにこなすだけだった。

それなりにこなして、小さなチームのリーダーにもなった。

といっても特段業務内容に変化は無かった。

このまま何となく勤続年数に応じて給料が上がっていき、何となく生きていくんだろうかと不安になったし、まあそれでもいいかと思うようになっていた。

けど、変わった。

年末山手線高輪ゲートウェイ駅開通のテレビCMを見たときに急に何かに気づいたような感覚に襲われた。

テレビCMを見てそんな感覚になったのは初めてだった。

「あ、これがやりたいことだ」と感じた。

これ、というのが簡潔にいうと「自分が関わったのがわかる形で"何か"を作り、残したい」だった。

言い換えれば、自分存在を認めてもらいたい、つまり承認欲求が溜まりに溜まったものなんだろうか。

から目立ちたがり屋だった事、ネトゲランキング名前を残すことに躍起になっていたこからも、人より承認欲求特に高いのかもしれない。

"何か"は別に高輪ゲートウェイ駅みたいに実体である必要もない。

なるべく多くの人にこれは自分が作ったんだといって見てもらいたい。

具体的ではないけど、夢に近いものテレビCMを見て気づいた。

義務教育プログラミングカリキュラムが導入されているこの時代スタートは遅いけど、まだ諦めるには早いのかもしれない。そう思った。

どうすれば「"何か"を作る事」に近づくことができるかを考えて、開発側の業務に移れるようPythonの勉強を始めた。

Progateでチュートリアルやった後に何に手を付ければわからなくて、既に壁にぶつかってる。

きっとここから努力するってことなんだろう。

特にスキルも身につけずアラサーを迎えたITエンジニアだけど、この気持ち言語化してみたくて書いた。

やりたい事が見つかったからなのか、敬遠していたFaceBookを見ることができた。

文化祭映像を作ってた友人はYoutuberになってたし、高校卒業前に惚れてた笑顔が素敵な女の子舞台俳優になってた。

Facebook自体がそういう場所から、というのはあるかもしれないけど、いまだみんな輝いている。

もし、何かみんながわかるようなものを作って残せたら、またここで報告したい。

2019-01-18

不審者情報野田市岩名中学校

https://www.gaccom.jp/safety/detail-313644

平成31年1月17日(木)午後4時45分頃、岩名中学校区において、女子生徒1名が下校途中、路上ストレッチ体操をしていた男がいきなり下半身露出してきた。生徒は走って逃げた。

男の特徴:30代、175cmくらい、黒に黄色ラインジャージ、やせ型、メガネをかけた短髪(学校情報

 路上ストレッチ体操してるだけでも変態度高いのに、下半身露出とはwww

2019-01-16

anond:20190116133241

倫理的に人道的に正しいっぽいことを押し付ければ、

醜い本音をひた隠しにすれば、

かっこいい、世間体がいい、現実わかってる、大人、みたいな中学校の中二的ヤンキー思考日本中蔓延している。

anond:20190116132254

倫理的に人道的に正しいことの反対を張れば、

醜い本音をあからさまにすれば、

かっこいい、世間体がいい、現実わかってる、大人、みたいな中学校の中二的ヤンキー思考日本中蔓延している。

日教組に対する(元々は正当な批判だったはずの)拒否感をこじらせた感じ。

まじで日本終わる。

プログラミング教育は、結局、コンピューター史学を暗記させるだけになる。

いまだに、中学の「技術」や高校の「情報」の授業では、情報を教えているのでなく、まるでコンピューター史学に出てくる言葉を教えているだけになっている。

これがプログラミング教育になったところで、ほとんどの中学校、高等学校では、プログラミング教育ができる人的リソース不足により、結局、昭和の「技術」の授業と何も変わらない。

だって、教える人が同じになる可能性が大だから

現に、現場無視したプログラミング教育押し付けようと躍起になってのが良い証拠ではないですか!

なので、プログラミング教育は、無理です!

2019-01-15

ドルオタだけど舞台見るの楽しい

乃木坂46なんだけど、メンバー最初プリンシパルって言う特殊形式舞台をやるだけあって、定期的に色んなメンバー舞台に出てる。

乃木坂46主体だったり、外の舞台で主演だったりゲストだったりするんだけど。

卒業生結構な人数が女優として活動してて、舞台中心にしてるメンバーも居る。

舞台って見るの楽しい

中学校の頃に芸術鑑賞、課外授業として舞台演劇を見ることは何度もあったけど、全く興味なかったのに不思議

プロレス観戦も趣味なんだけど、それに近い物がある。

演技を見るなら映画ドラマでも良いんだけど、やっぱり生で目の前で見れるのが良い。

本当にシンプルな板の上で、声と表情と体を使って全身で表現するのを見るのは楽しい

年明けもある卒業生がW主演で出てる舞台と、現役メンバー卒業生がメインで出てる舞台見てきた。

演技の上手い下手は正直な所どうでもいい。

ただただ楽しい。これからも色々見に行きたい。

あと元宝塚の人がゲストで出てたのを見たんだけど、ヤバイね。

足なげえし顔小さいし背高いし歌うまいし声でかいし一挙手一投足がもう高級品。

幼稚園から高校までずっと同じだけど別に仲良くない

タイトル通り、私には幼稚園から高校までずっと同じ学校で、ずっとかは覚えてないが少なくとも卒業アルバムクラスは一緒の同級生(男)がいた。

普通、ここまで同じならもう少し仲良くなっていても良さそうだが、まったく距離が縮まらない。むしろ高校で離れた。

その人はイケメンで、大学なんか凄いところにいったので、今になってめっちゃチャンス無駄にしたなーと感じている。

ただ周りのSNSみてると、遊んでる人は全てイケメンまたはかわいい人だったので、自分じゃどっちにしろ無理だったのかとおもったりする。(私は引くほどブスではないが特別かわいくもない。ただ人畜無害そうな顔)

中学校までは成績も近くてもうすこし喋っていた気もするけど、気がついたら学歴にも距離感的にも大きな差がついていたみたい。

思い出すと少し心がもやっとする話。

2019-01-14

anond:20190114134927

中学校からは1人でと決めたら12歳にならんか

[][][] 不良の三大生産地九州大阪神奈川県

Q:なぜ神奈川県は不良を量産しているのか?

A:米軍基地があるから

敗戦後に設置された米軍基地の影響で、アメリカ人兵士の不良文化が、日本人にも感染した。

戦勝国アメリカ人兵士が、日本法律無視して、やりたい放題やっている。(殺人強盗レイプetc。=基地内に逃げ込めば、日本警察逮捕できない。)

それを知った子供たちも、「世の中やった者勝ち」と気付いて、ルールに縛られず、自分エゴを主張することがカッコイイと勘違いした。

神奈川県ロケーション地域特性に注目すれば、日本人非行に走る心理理解できる。

 

参考

 

追記

東京九州福岡県)に変更しました。

ぼくの公立中学校の荒れた実態

インターネットで「子供公立中学校に通わせて多様な階層の生徒らの中で人生経験を積ませたい」という意見を見ることがあるので、

公立 / 私立選択の参考として、ぼくが通っていた(2006年度~2008年度)地方公立中学校の荒れた実態を書いておきます

当時は普通と思っていたが、犯罪レベル出来事もたくさん起きていました

必要人生経験も多いんじゃないかなあ、と思います

3割不良、1割不登校

残りの6割の中にも軽い不良や不登校には至らないものいじめられている子がいるので、、

皆さんのお子さんが公立中学校へ入ったとして、普通暮らしていければラッキーという感じですね。

(じゃあ私立中学校のほうが教育に適した文化なのか、は知らない)

2019-01-12

anond:20190112155913

小学校中学校に行くかどうかは個人自由であり、社会人になるかどうかも個人自由です。

anond:20190112103721

うん、一応はブスにも法規上の人権はあるよ。

しかしブスは小中学校はいじめられたりハブられたり、社会人になってもひどい扱いを受ける。

実質的には人権は無い状態だと思う。

2019-01-10

真面目に通学し始めるまでの話

うっかり進学校的なアレに入学してしまったのがすべての間違いだった。弟が壊滅的に勉強が苦手なのでまだマシと思えていたのもある。

高1の1学期末、数学試験で3点を取った。勉強へのやる気が消えた。

それからというもの全く勉強せず、高校2年に上がってから半年ほどは、オトナに話すとそれはまあ叱られそうな生活を送ってきた。




1学期は、これでもかと言うほど学校をサボった。3日行って1日サボる。そんな生活を3週間続けると、担任に呼び出され進級に響くから体調不良その他の理由がない限りはなるべく来なさいとお達しがあった。

その時1年間で何日休むと進級できないのか、と行った旨の数字を聞き、私は即座に脳内でそれを3で割った。

月に3回は休んでも進級に響かないという結果だったため、5月中旬からはしばらく毎月3回休むことにした。



親には学校を休むことを言っていなかった。

部屋の窓の鍵を開け、わざと遅刻する時間に家を出、親に遅刻連絡を入れてもらう。こうなると私の勝ちだ。

学校遅刻連絡を入れた生徒が欠席しても電話を掛けてこないことは、数年前酷い生理痛遅刻連絡を入れ、結局体調が優れず休んだ経験からすでにわかっていた。

両親が仕事に行って家を出たであろう時間帰宅し、自転車を親戚が住んでいる近所のアパート駐輪場にこっそり置く。

部屋の窓から家に入って靴箱に靴をしまい、哲学書を読み、父親本棚から経営指南書を拝借して読み、日本史教科書を開いては眺め、日本史問題集を解いては資料集を開く。

数学の成績は中学一年のころから壊滅的だったので、時折チャート式問題集を開いて何問か解いて、分からないのでうんざりして本棚泉鏡花全集に手を伸ばしたりしていた。

夕方普通に学校に行って帰っても親が帰るのは私の帰宅後だったこともあり、アパート駐輪場から自転車を回収し何事もなかったかのように帰宅する。

完璧計画であった。

自転車で通っていても、ふと、学校ではないどこかに行きたくなることがあった。

駅の公衆電話から腹痛が酷く自転車を押して向かっている、遅刻するかもしれないという旨の電話を入れる。

事務員さんが頷き、電話を切ると、制服ジャケットの裏ポケットに入れたスマートフォンを取り出してマップアプリを開いてはあれこれ考える。

空港に行って飛び立ってゆく飛行機を見て、展望所のすぐ近くのテーブル数学問題集を開いて空を眺めつつ問題と格闘した日もあった。

海に行って、靴下を鞄にしまい、ひとしきり波と戯れたあと小さなハンカチ必死に足を拭いた日もあった。

小学生の頃親しかった友人と秘密基地を作って遊んだ山に登ると、ため池が作られていて秘密基地があった場所には行けず、立入禁止看板の前で住んでいる市内を一望しながら体操座りで弁当を食べた日もあった。

毎日が最高に楽しかった。学校の友人らとカラオケに行ったり自撮りをしたり、恋の話をしたりアイドルの話をしたりなんて小指の先にも満たないしょうもないものに思えた。

それこそ高1の夏休み、ふと思い立って某中国四国連絡橋を単身歩いて渡り海を挟んだ隣県に行った時と同じくらい楽しかった(ちなみに高1夏、私は自県まで残り3kmを残してポカリスエット4本が底をつき海の上で死にかけた)。

月に3回のこの楽しみが、わたしを生かしてくれているように思えた。それこそ「行きたくなくなったら学校休もう」って決めた日以前の検索履歴には「首 吊り方 苦しくない」だとか「飛び降り 何階以上」とかい言葉散見されていたので。


しかし、この自分的にはなんとも素敵で素晴らしい日々のことを友人に話すと、それはもう極度の批判を浴びた。こんなに楽しいのに。

友人は勉強ばかりして、親の期待に応えることばかり考えてコドモゴコロだとか冒険心だとかを忘れてしまったのではないかと訝しんだ。

じぶんの楽しい思い出が否定されるのは嫌だったので、それ以降だれにもこの日々のことは言わなかった。



夏休みになると、大学受験を見据えて塾に入ることを親に勧められた。

県下ではまあそこそこの、毎年何名か東大合格者も輩出しているような学校に通っているからか、周囲がわたしを置いて受験モードに入るのがやたらと早かった。

大学受験と言われても、それまで進路なんて考えたこともなかった。彼氏いないし。コイビトと同じところに行きたいとかいあるある進路選択方法も、選択肢が存在しないのだから選びようがなかったのだ。

最終的に塾には通うことにした。初回体験授業の講師イケメンで、軽い気持ちで授業後アンケートにまた受けたいと書いてしまったのがいけなかった。布団の中で後悔して、今年の夏は一人でどこまで行こうかと考え気をそらしていた。

しかし、何回か通ううちに気が変わった。友人皆が大手塾に通う中、私はマンツーマン型の小ぢんまりとした場所だったので、周りに私を知る者はほとんどいなかったのが救いだった。

塾で分からないところは基礎の基礎だと薄々感づいていようが分からないとごね、分かったらこれでもかと喜ぶ(時々声がでかくてブースの外に聞こえると窘められた)。


夏も過ぎ二学期中間試験も終えた10月ごろ、仲良くなった塾講師に、件の日々の話をしてみることにした。この人はやたらと毒舌だが顔はいいので、何を言われても許せる自信があった。顔はいいので。

講義講義の間の休み時間の間に雑談のノリで喋った。学校サボって空港とか海とか行ったことあるんよね、マジでしかった。ホンマはアカンけど。

塾講師の反応は予想と違っていた。返ってきた言葉は「絶対勉強ばっかしとったよりええと思うで〜」「アホやなとは思うけどええとも思う なんも考えてなさそうで」という完全に私をアホとみなした上での肯定だった。


よく分からないがムチャクチャに嬉しかった。それはもうムチャクチャに嬉しかった。この人にはアホな所を堂々と、それこそ正弦定理余弦定理から2次方程式の解の公式までこれでもかと意味わからん何これと聞きまくっていたので、アホ呼ばわりされることがなぜか誇らしかった。

小学校中学校の頃は何もせずとも常に成績はトップだった。高校でも文系科目がまあそこそこできたおかげで順位は真ん中より少し下、成績を上げなさいとは言われるが面と向かってお前アホやなと言われる機会はこれまでの人生一度もなかった。いや影では言われてたかもしれないが。


「やろ〜!? いや自分でもやばいなとは思うけどなんか楽しかったんよね…冒険しとるみたいで…」と返すと、授業開始のチャイムが鳴った。


私は学校を休むのをやめた。

受験勉強、がんばります

またロリコン増田が暴れている

表現の自由増田もだけどさあ(同一人物かもしれんけど)

権利と言えば全部認められるべき」とナチュラルに主張してるけど

権利公共の福祉範囲内で認められる」って中学校公民で習わなかったのかな

2019-01-08

コミュ障初恋片思い6年間の一部始終

コミュ障婚活マッチングアプリ出会い別れるまでの一部始終」(anond:20190106214218)という日記を書いた者です。

前回の日記を通じて、自分経験文章に落とす作業をしている間はすごく気分が晴れるということに、生まれて初めて気づきました。文章を褒めてくださる方もいらっしゃったので、調子に乗ってもう1本、投稿してみます(読み手を選ぶ内容なので、さほどブックマークはつかないと思いますが)。また、前回の日記では、あたかも僕が恋愛経験コミュニケーション能力以外の点において完全なる真人間であるかのような印象を与えてしまったので、ちょっと彼女に対してアンフェアだったな、という懺悔の思いもあります

僕が中学生高校生時代に、人生で初めて好きになった方の話をしたいと思います

僕が通っていたのは、中高一貫男子校でした。所謂進学校で、有名大学進学率がKPIになっている、勉学を重んじる厳しい校風でした。

中学校の登校初日入学式を終えた新入生は、疲れた足取りで初めて行く自分教室へ向かっていました。殆どの生徒はお互い初対面なので、会話もまばらでした。1人で居ても目立たなくて良いな、ずっとこのままなら良いのに、などと思いながら、僕は人の波から少し外れたところを歩いていました。

廊下の角を曲がった時、僕は斜め前を歩いていた同級生の1人に気づきました。サラサラストレートの髪に、小さな顔、大きな瞳、長い睫毛。人生で見たことのある誰よりも格好良い男の子が、そこには居ました。

これが、一目惚れか、と、冷静に思ったのを、はっきりと覚えています

彼と僕は同じクラスでした。彼は、才色兼備な人でした。文武両道で、サッカー趣味。優しい性格で、愛嬌があり、話は面白く、友人も多い。笑顔キラキラしていて、王子様のように見えました。過去を美化し過ぎだと言われるかもしれませんが、アイドルグループ所属していてもおかしくなかったと思いますクラス文化祭に出店した、大して美味しくない割高なタコ焼きも、彼が声を掛けた女子学生は全員買ってくれました。

僕は、絶対に彼には自分の心の内を明かさない、と決めていました。傷つくのが怖かったのもありますが、彼の人生劇場の登場人物として、僕はあまり分不相応だと思ったからです。僕は、彼が僕を抱きしめ、名前を呼びながら優しく髪を撫でてくれることを想像し、時に嗚咽しながら床に就きました。僕の人生は泣いてばかりです。今思えば、この時の涙の理由自己憐憫でした。努力放棄し、自分自分のことを追い詰め、思考停止して悲劇のヒロインを気取り、自身を慰めて、精神的な安寧を得るのが日課になりました。幸せと虚しさが入り混じった複雑な気持ちで、彼と時空間を共有できない夜をやり過ごすことしか、できませんでした。

僕は「好きな人の好きなものを好きになる」タイプでした。彼があるアイドルファンだと聞けば、プロフィールを暗記し、出演するテレビ番組を観ました。彼がよく口ずさんでいた洋楽アーティストCDは全部借りて聴き、歌詞まで覚えました。そうして仕入れ話題で彼に話しかける勇気もないのに、です。

ある日僕は、彼と彼の友達教室の窓辺で繰り広げる雑談に聞き耳を立てていました。彼は、塾で出来た初めての彼女ファストファッション店に行き、お揃いのトレーナーを買ったと、少し恥ずかしそうに、しかしとても楽しそうに話していました。僕は彼に彼女ができていたことさえ知りませんでした。完全に狼狽しました。彼は彼女のことが好きで、僕が知ることのできない存在であるその彼女は、僕の見たことのない彼の表情を知っているのです。結局、その日は何もやる気が起きず、トイレに籠って残りの授業をサボってしまいました。泣き腫らした顔を誰にも見られたくなくて、放課後、日が沈んだ頃に個室を後にしました。親には怒られましたが、何も言えませんでした。

でも、サボってばかりいたわけではありません。むしろ勉強には必死で取り組んでいました。彼と同じクラスになるためです。入れ替わりの激しい特進クラスを6年間ずっとキープし続けたのは、とうとう彼と僕だけでした。彼は文系コース、僕は理系コースでした。本当は彼と同じコースに進みたい気持ちもありましたが、無理して高い授業料を払ってくれている両親の顔を思い浮かべると、人生を棒に振る可能性のある決断をする勇気は出ませんでした。それでも、少しでも多く彼と同じ空気を吸っていたくて、受験必要のない文系科目まで、教頭に頼み込んで時間割の許す限り履修していました。ただ、残念ながら僕の学力は彼に遠く及ばず、別の大学に通うことになるのは自明でした。最終学年になって勉強モチベーションを失った僕の成績は、急に翼を失った鳥のように落ちてゆきました。教師全員にひどく心配されたのを良く覚えています

高校3年の1学期の席替えで、僕の席が彼の後ろになりました。夏休みまでのたった数ヶ月だけですが、世界中の誰よりも彼と一番物理的に近い場所占有できる喜びで、胸がいっぱいになりました。居眠りの振りをして机に突っ伏し、いつの間にか仄かに甘い香りを纏うようになっていた彼の背中に近づきました。息をするたびに、彼と一体化してゆくような、幸せ気持ちが溢れました。放課後、憶えた匂いだけを頼りに、彼と同じ香水を探しました。塾を休んで、お店を何軒も梯子しましたが、結局見つけることはできませんでした。

ある授業の小テストで、僕が酷い点数を取ったことがありました。回収の号令が掛かり、自己採点した答案用紙を、前の席に座る彼に恥ずかしそうな顔で差し出すと、彼は僕の眼を見て「可愛い」、と言いながら、優しい笑顔で受け取ってくれました。どういう意味を持つ言葉なのか、しばらく理解できませんでした。その声色は、今でも耳にこびり付いています。辛いことがあった時に、何度も、何度も心の中で反芻して、その度に涙を流し、頬から耳まで真っ赤に染めました。

彼が僕の気持ちに気づいていたのかどうかは、卒業するまで、ついに分かりませんでした。

この日記は、彼の好きだったEric Claptonを聴きながら書きました(この日記では固有名詞を一切出さないという自分縛りがあったのですが、これだけ例外にさせてください)。自分の中で強く記憶に残っているエピソードを集めてみたのですが、結果として完全なる狂気という印象になってしまいました。常にこのような変態行為に走っていたわけではないことだけ、申し開きをさせてください。この時期にできた数少ない友人の一人とは、年に一度、母校の文化祭に行く間柄を保っています

彼とは、高校卒業以来、一度も会っていません。大学に進学すると、僕は別に男性が好きだったわけではないのだということに気づきました。ただ、6年間、彼という重いアイロンを掛け続けた心の折り目はなかなか消えず、随分とひねくれたまま大学生活を送ってしまいました。

客観的に読み返すと、僕は本来的には恋愛依存体質で入れ込みやすタイプなのかな、と思いました。これをコントロールできるようにしないと婚活中に精神病みそうですね。

この日記をどうしても書きたくなったもう一つの理由は、前の日記の「彼女」が、3次元ボーイズラブ小説執筆をこよなく愛していたからです。彼女は、本当に親しい人にしか言えない秘密だと言って、4度目のデートで僕にその趣味を打ち明けてくれました。彼女に僕の経験を伝える機会はついにありませんでしたが、あの時僕が彼女の良き理解者として振舞えたのは、中高時代の彼との思い出があったからこそでした。

この日記を、「彼」と「彼女」に捧げます

《2019/01/10 追記

ブックマークコメントを読ませていただきました。「まともな人かと思ったらヤバい奴だった」みたいなことを云われるのではないか心配していたのですが、杞憂でした。お薦めしていただいた漫画面白そうなので読んでみようと思います。あと、「明治文豪が書きそう」とあって笑ってしまいました。読書量の少ない人間がそれらしく文章を書こうとすると、学生時代に読んだ著名な本にしか影響されていないことが透けて見えてしまものですね。僕は「こころ」が好きでした。この日記遺書にならないよう精進します。

要る要らないで言ったら日本語の読み書き、四則演算だけできてれば生活はできるよな。

中学校いらなくない?

2019-01-07

東京都教育委員会学歴観について

かなり昔に都立高校生だった私が、現在の母校の位置づけを知るためにネット検索してみたらこんなのが出てきた。

概ね私が当時持っていた(学校の)レベル感とそう大きくは変わっていないんだけど、学区制がなくなって自由学校を選べるようになった結果として、ガリ勉してでも有名大学に行きたい子と、そんなに成績が悪いわけじゃないけど、受験勉強にばかり青春を捧げるのもちょっとね…という子がどの学校を選ぶかという差が出てきてるように思う。

http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/press_release/2017/release20170824_02.html

それにしても東京都教育委員会はずいぶん変わったなぁ…と思う。昔はあまり高校間のレベル差を強調しないよう、内申の比重を高くして、生徒たちを成績に応じて入れそうな高校に振り分けるのが中学校側の腕の見せ所で、いわゆる名門と言われる高校でもさほど倍率は高くなかった。が、そのことによってかつては東大等への合格者数が多かった元進学校凋落することとなった。(特に東京23区内では進学に強い私立校が増えたというのもあると思うけど。)

で、そのことに業を煮やしたと思われる都教委が出したのが「進学指導重点校」なるもの指定して学校間の競争あおり、かつての名門復活を目指す作戦だ(あくまでも私の推測だけど)。いかにもお役所っぽい書き方でごにょごにょ書いてあるけど、要するに偏差値で行くとトップが(1)進学指導重点校で、次が(2)の進学指導特別推進校で、それに続くのが(3)進学指導推進校だよね。

別に私はこのやり方が間違っているとは思わない。頭の出来が一緒でも塾に行く金や名門私立進学校に行く金のある子だけがエリート大学に行けるのではなく、安い学費でも進学に力を入れる都立高校勉強すれば名門大学に入れる…という選択肢を作ったんだからね。

そして、ここには「難関国立大学等」として「東京大学一橋大学東京工業大学京都大学国公立大学医学部医学科」というのが明記されている。関東圏の人であればだいたい納得するしかないラインナップではあるが、塾とか予備校でもここまで特定大学名を出さないのではないかと思うようなターゲットの絞りっぷりである

お金持ちの家に生まれなくても、努力すれば名門校に進学でき、将来有望職業に就くことができる」という意味では素晴らしい制度だと思う。が、比較的緩い制度時代都立高校生として青春を送った身からするとちょっとえげつないなぁ…という気もするのである

外に出たくないか遅刻する

バイトから遅刻が多いと怒られてしまった。

3ヶ月バイトして問題なければ正社員とのことだったのに、半年経った今も正社員になれていない。

どうすればいいんだ。

自分でも何故かわからないけど、外に出る準備をする時すごく気が重い。

保育園小学校中学校高校大学バイト仕事も遊びもデート病院も、小さい頃からいい大人になった今までずっとそう。どんなに楽しい外出でも準備する時は暗澹たる気持ちで、準備する手が止まる。だるさと外出先での最悪な想像からくる自己嫌悪無力感で辛くなって、とってもすっごく行きたくなくなる。

仕事楽しい病院は楽しくないけど嫌でもない。デートはとっても楽しい。けど行きたくない

結局ギリギリ時間になってから遅刻する!」と焦ってやっと用意を始める。そして5分遅刻する。

朝起きられないわけじゃない。間に合う時間に起きられる。着替えようと服を手に取って止まってる時間が長い。髪をとかそうとブラシを手に取って止まってる時間が、歯を磨こうと部屋のドアを見つめている時間が長い。

朝ごはんも化粧も最近は省略してる。その浮いた時間も手が止まってる。

朝ごはんを省略し続けていたらついに倒れてしまった。

【試したこと

時計を早める

遅刻するたびに時計を5〜15分ずつ(何分早めたかからないように目を瞑って時計操作する)早めていったが、部屋の時計が4時間前を指した頃やめた。

◆早めに着くようにする、早めの時間で予定を把握する

手帳に書く時間を早めに書くようにした。遅刻を重ねる度にもっと早い時間を書くようになって、早める時間バラバラにすれば緊張感を持つのではと考えて、最終的に2〜3時間早く書くようになったが、1日に1つしか予定を入れられなくなってやめた。

◆準備する時親に近くにいてもらう

準備できた。話していると気が紛れて手が止まることがなかった。しかし親も暇じゃないし、一人で用意できるようになりたい。

◆とりあえず行くだけいってみようって思う

行けば楽しいのはわかってるけど止まってしまう。

遅刻したらどうなるか考える

私ができない分他の人が仕事をする。私じゃなくてもできるし他の人の方がミスなくこなすだろう。自己嫌悪が増す。遅刻したら怒られるだろうな。他の人だって頑張ってるんだよ。私は頑張れないクズだなあ。自己嫌悪が増す。

病院に行く

別の事でカウンセリングを受けていて、そこで相談してみたけど解決の糸口は見つからず。とりあえずカウンセリングは続けている。

◆その前に予定を作る

一旦外に出てしまえば、外から外への移動は遅れずにいける。会社の前にカフェ一服しようと思ったが、カフェの魅力より用意してる時の暗澹たる気持ちの方が勝った。

用意をする時の暗澹たる気持ちのせいで、生活に支障が出てる。

遅刻した申し訳なさから、他の人に話しかけるのもためらわれる。

みんなどうやってあれに打ち勝ってるの。教えて。

追記

ありがとう明日から一つずつ試してみる。

結局遅刻が悪い事だと思ってないんだよ。変われないよ無理。

わかる。こういうこと考える。何度も遅刻をしてしまうのは遅刻してもいいやって思ってるクズからじゃないか?もう治らないんじゃないか?でも「治らないか遅刻します」なんて諦めたら「私クズなんでずっと人に迷惑かけ続けて生きていくつもりでーすw」って開き直るって事じゃないか。それは甘えで逃げだよ。その甘えと逃げで周りの人に迷惑をかけ続けるのか?それはいけない。ほら、あと手を3センチ動かして服を掴みなよ。うん。掴まなきゃね。うん…掴まないねダメだわ。私クズゴミだわ。他の人に迷惑かけていいって思ってんでしょ?クズゴミじゃん。生きる価値無くない?うんこ製造機じゃん…ってなる。わかる。

寝るか…

21の大学生です。

21の大学生です。

前置きとして、ただ自分気持ち吐露したいのと、増田で誰かに共感してほしく、乱文を綴っています

よくある話かもしれませんが、私は地方田舎の生まれで、都会のような中学受験や、どの中学校入学しようか、私立公立に通うなどの選択肢はありせんでした。故に近隣の1番近い学校入学するしかなく、また当時はそれが当然だとおもっていました。また選択肢として先生や親が、ここの学校がいいなどの提案はありませんでした。その延長で高校選択肢として、商業高校Fラン)か普通科偏差値数字上は50ぐらい(おそらく50もない)の2択しかなく、私は何となく将来の事を考えると後者の方が良いのではないかのかと、当時も今もそうですが、田舎特有マイルドヤンキーが嫌いで、入学しました。

高校では高3になり1日、10時間以上勉強しましたが、私は国語の成績が上がらず、東京文系の中堅大学入学しました。私は自分高校の中での、進学者の中では偏差値の高い大学入学できました。ですが、当時は第一志望には入学できなかったものの、使用がないと思っていました。(父には浪人はなしと言われていました)

私は大学入学し、勉強東京での生活田舎にはない新しい情報を得る機会が多くありました。一言で言うなら文化資本でしょうか。今更言っても、どうしようもない悩みかもしれませんが、その新しい文化資本を取り入れる中で、大学文系ではなく理系選択しておけばと思うことが多くなりました。いま大学勉強していることは楽しいですが、理系的な研究や開発をすることに対して魅力を強く感じています。私の浅はかな考えですが、実際に理系の方は多忙で大変だと思いますが、探究心によるトライアンドエラーは茨の道かもしれませんか、それほどに興味があります

私は今現在大学3年生であり、来年には本格的な就職活動が控えていますが、以下のような事を思います

私の家は田舎では比較的に収入は多いほうですが、けして裕福ではありません。(調べたら平均所得は250万でした)父親母親高卒です。私の高校では進学に伴い、利子付きの奨学金を学年の半分が借りる学校です。これが相対的普通なのか分かりません。何が言いたいかと言うと、学歴収入相関係数にあり、親は収入が多いと子供投資でき、良い教育を受けることができるため、収入も多くなるのは、知識として知っていました。ですが、1年前か、半年前にみた文献で、母親の最終学歴子供の最終学歴に大きく影響することを知りました。また経済資本が親から子へ受け継がれることは当たり前ですが、文化資本も同様に受け継がれることを知りました。また文化資本子供に与える場合にも経済的な状況が関係してきます。例えば家に児童向けの本の数が多いほど、学力は高いという統計がありますしかし、家庭の経済状況が裕福な程本の数が多いという統計もあります

長文で疲れたので終わりにしますが、

まり大卒収入が多い親は文化資本も有しており、それが子供にも受け継がれると言うことです。私が幼少期に文化資本享受し、親が大卒だったら、もっと違う選択肢を選んでいたのではないかとおもってしまます

文脈おかしな所もあるかも知れませんが、お許し下さい。

2019-01-06

anond:20181223213048

義務教育中学校までなのですが、それまでの勉強で事足りて事業を成す人も多いです。

要領が悪くて大学まで通わないと1人前になれない人に、なぜ我々の血税が使われなければならない?

働きながら大学に通う道もある。

もっと視野を広く世の中を見て欲しい。

2019-01-05

全校生徒数1人、飛島中学校ホームページ面白い

毎月発行される学校だよりをホームページで読めるのだけど、唯一の生徒「Aくん」の活動報告と化している。

例えば学校だよりの第1号なんか、時候あいつのあと、「さて、Aくんの義務教育も残すところ1年となりました。」なんて文から始まるのだ。

全校集会授業参観、持久走大会など、通常の中学校で行われるイベントも大抵行われている。

でも授業参観ではAくんとその両親の早解きレース、持久走大会では島の郵便局員なんかも呼んでいっしょにレースしている。

かにも、国際交流でAくんがアメリカ短期留学したり、合唱コンクール本土中学生と一緒に出たりしている様子がわかる。

こんな中学生活にも憧れる。

地方創生なんかせず、東京名古屋大阪福岡移住政策じゃあかんのか

地方創生推進交付金」に予算1000億円、「まち・ひと・しごと創⽣事業費」に1兆円とか予算がついているが、数年経っても目立った成果がない。

1000人の集落に毎年10移住が獲得できれば小中学校の人数が維持できるので、空き家をタダで譲って活用してもらうとかあったが、インフラ寿命などで維持が難しい。

そもそもそんな地域で育つよりも都市部の方が多様性を学ぶ機会も出来る。

お金を使って商品券を配っても需要先取りだけで意味がない。


人を移動させるのにインセンティブ必要なのだから都市部住宅を用意してお金を渡して移動してもらう方がいいのではないだろうか。

地方という地理的に不利な部分から新しい仕事を創出するよりも、都市部の方が創出するチャンスがあるように思える。

インフラ寿命がきたら修正はせず、新規発禁区域とし移動してもらう。

京大受験の思い出

anond:20190102063518

なんか盛り上がってるので参加させてくれ。

[基本スペック]

ややADHD気味で人の話に集中できない。図形脳で言語スキル特に会話)が弱い。

親は両方中卒で無口、兄貴不登校引きこもり、弟は知恵遅れ気味。親に何かを教わったという経験があまりなく、親の無口が自分にも遺伝している。

家は全く裕福ではなく、父親過去名鉄会社で工員勤務。俺が小さい頃に仕事中の事故で片足を失ったがそれでも家族を養うために働き続けてくれた。

[中学校]

大阪西成に近い、低階層クラスの家庭が沢山あるエリア。なのでヤンキーが沢山いる地域だった。周りの奴らと比べて頭の出来が良いかも?という自信はあったが、ある時進研模試を受けて自分偏差値が55程度であることを知る。しかしその当時は偏差値意味もよく知らず、周りは皆偏差値45ばかりの中55とってる俺は輝いて見えたし、学年一番の偏差値60の奴が天才に見えた。

勉強はあまりしなかったが図鑑などを読むのは大好きだったし特に数学が好きで他のやつが解けない難しい問題を解けるという自信があった。

周りの友達にはあまり行儀の良い子はおらず、いつも誰かの家に集まって夜中までワイワイゲームしたり、夜の公園に集まって時には朝まで駄弁ったり、楽しかったがあまり真面目に勉強はしなかった。授業中はほぼ教科書落書きパラパラ漫画を書いていた。

授業中騒ぐようなことはなかったが、もともとADHD気味で人の話を聞けないのと、夜まで遊んでいたり早朝新聞配達バイトをしたりしていたので先生からの覚えは悪かった。受験の時に「お前は内申点いか公立いけんぞ」と言われた。金のない親には非常に申し訳ないことをした。

[高校]

結果偏差値55くらいの私立高校に行くことになった。

高校に入って最初の構内統一試験みたいなものがあり、そこで自分は大して頭が良くないらしいということに気づいた。周りの友達と話をしていても、なんか自分の考え浅いし遅いな、と感じることが増えてきて、それまで自分はそこそこ頭いいと思っていたのが叩き潰されて結構なショックを受けた。この時に感じた自分は凡人以下であるという自己認識はその後の人生に大きな影響を与えた。それと同時に英語国語は負けてもいいが数学だけは負けては行けないというプライドに火がついた。

高校偏差値は高くなかったが担任教師偏執的に関関同立に執着しており、お前たちは人生に勝つために勉強しなければいけないという脅迫まがいのプレッシャー毎日のようにかけてきた。もともと中高一貫の進学組は大学受験マインドが高く、関関同立目指して頑張るぞ、という空気があったので自分だんだん感化されて勉強するようになっていった。

担任教師人間性としてはそびえ立つクソだったが奴がいなければ今の自分はなかっただろうな。

だんだん勉強が楽しくなり、受験マニア友達ができたこともあり、書店参考書を眺めるという日課ができてきた。

当時家に金が無いことはわかっていたので小遣いはもらっておらず、どこかに遊びに行くとか美味しいものを食べるとかできる状態ではなかった。思い返せば高校の間友達プールに行くとか遊園地に遊びに行くとかそういう経験は一度もなかったな。

しか書店にある沢山の参考書を買いたい欲が日に日に強まってきた。そこで、小遣いはもらってはいなかったが毎日昼飯代として500円支給されていたので週の半分くらいは昼飯を食わずお金を貯めることで月5,000円くらい貯めてこれで参考書を買ったり駿台夏期講習に申し込んだりできる仕組みを開発した。

参考書の数が増え真面目に勉強をするようになり、やはり自分数学能力は人より優れているという自信を再度取り戻すようになった。数学は本当に楽しくて熱中した。そのうち数学先生から大学への数学」の存在を紹介されて毎月購読するようになった。

と同時にやはり自分の頭の回転は良くないので自分が将来何かを成し遂げたいのであればただ一つのことに時間を集中しなければ他人には勝てないという確信を持つようになった。

から毎日往復二時間に通学時間の間はずっと参考書を読むようになった。Z会速読英単語など、最初は全く意味を取れなかったが何度も何度も読みまくることで次第に英語が読めるようになってきた。

高校3年になった頃にはもう勉強が非常に楽しくて生活の中心になっていた。特に大学への数学では毎月巻末に難問が出されて解答を編集部に送ると添削してくれるのだけどそれに本当に熱中していた。この問題は本当に難しく、自分の頭では数時間考えた程度では全く解けず、数日、時には数週間同じ問題をひたすら考え続けるという生活を送っていた。夜寝る前まで布団の上で考えて、眠りながら考えて、朝起きたら布団から出ずにまた考え始めるということをしていた。今考えると頭の使い方が稚拙というか同じところをぐるぐる周ってる感じだったのだけど、そうやって何日も考えると解答が思いつく瞬間が必ず訪れるのでそのカタルシスに当時は本当にハマっていた。毎月添削結果が送られて来るたびに模範解答のエレガントさと、自分の地をのたうち回るような回りくどい議論の差を見せつけられやはり自分は凡人であるということをつきつけられた。点数はいつも150満点中145程度で一度も満点を取ることが出きなかったのは悔いが残る。自分過去の思い出とかにはあまり執着がなく、京大博士卒業証書も使いみち無いのでゴミに出したのを友人に止められたくらいだがこの添削結果だけは今も大切に保管している。

自分記憶力が異常に弱く国語歴史は非常に苦手だったのだけど、物理化学も覚えることが多くて困っていた。しか駿台の著名な先生山本義隆氏と石川正明氏)の書いた書籍を読み、覚える物理化学から考える物理化学へとパラダイムシフトを起こすことができた。ただ暗記するのではなく、なぜその式が成立するのか、なぜそのような化学反応が起きるのかというより深いところを理解できるようになった。同時に物事を深く認識するということが自分性格に非常にマッチし、そして自分はそのために人の10倍の時間を捧げることができるということが自分の強みである確信するようになった。この強みは40になった今でも活躍している。

この頃は駿台河合塾模試でも上の方に乗ることが多く、志望学科の中では上から2番目を取れるくらいにはなった。そうなると今度は予備校の方からただで授業を受けませんか、というお誘いが来るようになる。これは合格者一覧の名前を稼ぐマーケティングである。その中でも駿台数学特別講義という非公開の授業にお誘い頂いた。数学がよくできる学生を数十人集めて難問の講義を行うというもので、これもなかなか楽しかった。周りは皆灘とか東大寺の中に偏差値55の学校が混ざっているのはむず痒い感じではあったが、すぐに自分はやはり彼らとはレベルが違うということがわかる(毎回試験があって採点される)。一人明らかな天才がいて、その人は今有名な数学者になっている。

後のことは上記の事の結果でしか無いので端折るがセンターは確か国語社会が6割くらいしか取れず志望学科はC判定、というのが送られてきて先生が「気を落とすなよ」慰めてくれたが自分としては全く想定通りの結果であり過去模試の結果からこの差は二次で覆すことができるという強い自信が会った。

家の経済的事情から滑り止めを受けるということはできず、前記京大後期阪大のみを申し込んだ。これについては先生から怒られた。本当は阪大の後期にも申し込みたくなかった。

試験数学は色々ケアレスミスをしてしまったが大筋では正しい解答ができ、物理化学はどちらも1問しか間違えなかったので合格確信した。

しか合格した当時自分中二病を引きずっていたので一緒にいた親に笑顔特に見せず「合格した」とだけ言った。これは人生の最も大きな後悔の一つ。

大学に入った当時は研究者になることを夢見ていたが大学に入ってからは本当の天才を目の当たりにし、また博士課程卒業間際になり研究というコミュニティコミュ症では構造的に海外リア充に勝てないということに気づき断念、IT企業就職して今はスタートアップをしている。

anond:20190105141422

中学校廊下フェイントの練習やってるヤツがいたかコートファサアって羽織るようにしてたよ

まあ視覚障害者をこけさせ大怪我させるまでやめないんだろうから早めに別れるか

師匠筋がまともそうならそっちに告げ口して絞ってもらえ

えーでも中学校にいるのに小学校で習う知識を知らなかったらこいつバカじゃね?って普通に思うでしょ

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