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2018-06-20

仕事を辞めようという話

自分の頭がめちゃくちゃなのと誰かに聞いてほしいので自分語り。
クソ長いし支離滅裂。
三行で書くと
・持病
・↑に関係して仕事ができなくなってる
・人間関係



元々持病でてんかん発作とそれに伴って左肩が反復性脱臼を持っています。 2年前から2ヶ月に一度発作で救急車案件だったけど、あまり気にしてなかったです。 奨学金返し終わったら自殺するつもりだったし、いくら薬飲んでも良くなる気がしなかったので。 はじめは1年前の1月に、前のバイト先を辞めバーで働きたいと思いバイト探し。 最寄りになかったので都内のバーに社員希望アルバイトとして入社。 前のバイト先がめちゃくちゃだったので8時間勤務、週休二日制はまあ天国だと思った。 持病持ちの通勤片道1時間半のフリーターを雇ってくれたのは今でも感謝してる。 面接ホール志望とアッピルしたのになぜかキッチンへ。 ここまでで3月終わり。 キッチンも前職に比べて楽だし人間関係も(この時期は)良かったと思う。 料理長Aは年が近くて話しかやすく、誰にでも気が利くいい人だった。 ただ料理人としては俺と同等ぐらいだったと思う。 後の原因のキッチンBは元中料理屋で働いてたらしく料理人としてはいいけど、人間的には害悪おっさんって感じだった(当時はバイトなんで鼻につかなかったけど) ただ他の社員曰く別店から追い出されてきただのといい話は一度も聞かなかった。 慣れてなくて疲れはしたけどまぁまぁ楽しく働けた。 発作が1度だけおこり4~5月は終わる。 6月イベントとかで忙しいなか爆弾低気圧テロで吐いてそのまま発作+脱臼。 新しくイーケプラが増える。 眠くなるらしいけどこの時点では自覚症状はなし。 ただこのあたりから睡眠障害が始まる。 7月、原因その2のキッチンCが入社。 いろいろな店で料理人として働いてたらしく(経営からしても)有望株らしい。 一応他店移動予定だけど一先ず一緒働く事になった。 8~10月は忙しかったけどライブ行ったり友達と飲んだりと比較的体力と精神的にも余裕があったと思う。 このあたりからキッチンBへの不満が募ってた。 言ってること的外れなのは兎も角、Bの仕事自分押し付け賄いに時間かけたり、自分ミスは笑って誤魔化すのに料理長ミスはきつく攻めたり…などなど。 上げれば切りないけどCが入社して「技術的にも大したことない奴」「口だけ社員」としか見れなくなった。 11月病院行く最中に発作。 入院案件にもなりイーケプラがまた増えた。 眠くはなかったけど意識朦朧としてくるのはここから。 まだ軽い程度で仕事には影響なかったので特に気にしてなかった。 飛んで2月料理長が辞めることに。 代わりに社員にならないか、という話をもらって何も考えずに承諾。 「今年度はまだ3回しか倒れてないし余裕でしょ」とか甘い考えだった。 半ばから本格的に社員としての研修が始まる。 バイトのころより1時間はやく出勤して、メインメニューの仕込み作り方やデザート、発注、賄い等。 正直どれも慣れなくて日に日にやつれ始めてきた。 毎日下痢もここから問題だったのがメインメニュー。 一度に大量にオーダーが入ると裁ききれない。 具材や量に対して隣でチクチク言われ、忙しいときにはBやCに手伝ってもらう。 テンパリすぎて担当になるたび吐きそうになってた。 そして3月、ついに社員に。 任されたのが期間限定メニュー作り。 これが厄介だった。 まず時間が取れない。 慣れない仕込みをこなしたら営業時間営業中にやれることも限界があって週に1回作れるかどうか。 4月中に出すのを伸ばしてもらっても完成できずにCに変わりにやってもらう。 このころから料理長Aが居なくなったせいか、BとCがホール愚痴愚痴文句つぶやくように。 ほぼ毎日愚痴愚痴言うのは決まって1人のバイトで、あとはこそこそキッチン愚痴。 そんな感じで体調が悪化。 家に帰ってもレシピ検索→寝ようとしても睡眠障害で3時間しか寝れずに出勤。 楽しみにしてたフリプのブラボDLして手付かず。 この頃からまぶたの痙攣が止まらなくなってくる。 5月、寝てる間に脱臼→3日後都内で発作+脱臼コンボ医者新薬をもらうもこれの副作用が強かった。 ・常時眠気がすごい、立ったまま寝れるレベル目眩が凄まじく、歩くだけで精一杯 あまりにも辛かったので新薬を減らしてもらってなんとか仕事できる状態に。 本当になんとかってレベルで、 ・以前よりスピードが遅い ・注意散漫 ・指示してもらわないと動けない とバイト以下の働きぶり。 限定メニューの失敗と副作用、BとCの愚痴もあって精神的に限界に近かった。 そして今月。 イベント社員全員メニューを考えるなか、今現在も俺だけメニューが完成してない状態。 BとCの愚痴罵声レベルになり、俺にまで飛び火する始末。 思ってること吐き出そうと思ってブログ自殺の詳細書き始めて、朝再度見直しときに「もう限界なんだぁ」悟る。
ある程度ぼやかして書いたけど、自分が甘いのは重々承知してる。 特に社員になってからバイトときと同じぐらい意識しか働いてないし、限定メニューもすぐ作れるだろう程度で考えてました。 でもBとCに関しては自分が原因ってわけでもないし、止められない変えられないので本当に無理。 最初は1年、早くて半年まで我慢とか思っていたけど日に日に愚痴聞くたび精神がやつれてく。 Bに関しては今も口だけで、Aが辞めて料理長になったので今まで以上に害悪っぷりを撒き散らし、 Cは色々とアイデア出してきたのか調子に乗り始めて(そもそもホール対しての愚痴はこいつが原因)Bも店長も手に負えない始末。 でも愚痴文句正論なんですよ。 言ってる事自体飲食じゃ当たり前だと思うし、間違ってない。 ただ言い方がきついのと数人にしか言ってない(店長にも言ってない)。 なによりふたりとも「キッチンやりながらホールやったよwww」って言ってるのにやる素振り見せないこと。 ふたりともどっかに行く気配もないし、1日でもあの空間に居たくない。 うつ病なのかと思ってネットでチェックしたらどこも重度のうつ病てんかん医者にも精神ストレスが溜まってると言われたの思い出して精神科予約。 一応自殺のやり方検索ヒッキーライブ行きたいけど辛いなら即死ぬつもり。 やれるだけやって6、7月は頑張る。 まだ話はしてないけど7月中に辞めれたらいいなぁ。 書きなぐってスッキリはしたけど明日の出勤いやだなあ…

2018-06-19

嫌われて部活を辞めた話。

高校生の時、部活同級生から無視されるようになった。

高校入学したばかりの頃、毎日が楽しかった。関西でそこそこ有名な進学校に受かり、高等教育を受けなかった親が泣いて喜んでくれたことが誇らしかったのを覚えている。

部活小学校から続けてきたこともあり、サッカー部に迷わず入った。中々ハード高校部活にも少しずつ慣れ、試合にも出れるようになってきた秋頃からじわじわ部活同級生の態度が変わってきた。

部活が終わると皆で日課のように立ち寄っていたコンビニも、皆俺を置いていくようになった。急いで着替えて走って追いかけると例のコンビニの前に皆いて、少したむろして解散すると、いつも同じ電車で帰っていた同級生は俺と話そうともせず、スタスタと先に歩いて行ってしまうようになった。最初は話しかければ素っ気なくも会話があったが、気づいた時にはすっかりスルーをされるようになっていた。休み時間に話しかけても部活同級生は俺の言葉に反応をしなくなった。自分でもいよいよこれは無視されている、と気付いた。

この頃から世の中の景色が一変した。あれだけ毎日通うのが誇らしく、楽しかった校舎も見るだけで気分が沈むようになった。それでも通学の自転車時間は一瞬で過ぎ、家を出て次の瞬間には学校の前に着いているように感じることがよくあった。

同級生と会うのが怖くなり、学校休みがちになった。胃が痛くなったり、身体が鉛のように重くなった。

世の中には殴られたりカツアゲされたり、物を隠されたり、もっと卑劣いじめをされる人が沢山いることは知っているが、人からこんなにもあからさまに嫌われることが生まれて初めてで、辛かった。

なんとか部活に出た日は、それでも練習が終わるとひとりぼっちになるのが嫌で、真っ先に着替えて日課コンビニに置いていかれないようにもした。無視されることに変わりはなかったし、思考回路がもう萎縮していた。

もうこんな生活は続けられないと思い、小学校から続けていた大好きなサッカーを辞めようと思った。顧問部活を辞めたいと切り出すと、

「辞めたいなら主将自分で話せ」

と突き放された。

部活辞めてどうするんだ、どうせ髪染めて煙草でも吸うようになるんだろう」

と言われた。この時顧問は部内の1年生に何が起きているか、把握していなかった。

中々主将に切り出せず、1ヶ月経ってようやく辞めたい旨伝えることができた。この1ヶ月毎日「言わなきゃ」と頭に渦巻き、それでも言い出せず、意識朦朧としていた。

やっと主将に辞める意思を伝えた。

そのあと駆け足で顧問

主将に言いました、もういいですか」

と言った。顧問

「そうか、元気でな」

とあっけらかんとしていた。

この日から俺は帰宅部員になった。

体調は少しずつ回復し、学校でも違う方面友達と付き合うようになった。今まで怯えて過ごしていたことが嘘のように思えるようにまでなり、日常を一応は取り戻すことができた。

—*************

辛い思い出だが、何故こんな目に遭ったのか、20年近く経った今でも考えることがある。この件、自分に原因があったと思っている。

原因は、自分の話ばかりしていたこと。人の話に自分の話をすぐに被せていたこと。どんな話題にも返しは「俺はー」だったこと。これに尽きると思う。理由もなく嫌われた訳ではないのだ。高校1年生といえど面倒くさい奴と思われたのだろう。

しかし、集団無視はきつい。どうか嫌いな人にもそういう罰は与えないでほしい。一生のトラウマになってしまうこともある。俺が今もし部活で一緒だった彼らに道端で会ったら、間違いなく物陰に隠れると思う。

そして、理由は様々あれど、部活を辞めることは決して恥ではないと思う。長い人生部活辞めたことなんてほんの些細なことです。本当に些細なこと。

部活を辞めてしまった学生の皆さん、どうか負い目を感じずに興味の持てることを探したり、一生懸命勉強したりして楽しく過ごしてください。

2018-06-18

誕生日なので死のうと思う

生没同日ってかっこいいなと思って。確かシェイクスピアがそうだったんだよね。昔演劇好きだったしちょうどいいや。

もう何をするにもだるくなってしまってせめてキリのいい日付けでもないと死ぬのも面倒なんだよな。ひたすらだるい。ここ一ヶ月くらいベッドの中でスマホ眺めるくらいのことしかしてない。

「残された人間の哀しみが云々」みたいなこと言われそうだけどそんなことははっきり言って世の中の大半の人間よりよく分かってる。私も自死遺族だし。14歳の時に父親がドアノブタオルで首吊って死んだ。夫と娘を自殺で亡くす母親は流石に可哀想。昔は自分絶対自殺だけはしないぞと思ったりしたけどなんかもうそういうのもどうでもよくなってしまった。

友人関係もっと悲惨で一回LINEアカウント消しちゃったから今連絡とってる友人は3、4人しかいないし向こうから連絡してくるのはまあせいぜい2人だからたぶん今私が死んでも誰も気がつかない。ていうか今の時点で誕生日祝いが誰からも来てないしな。ここ一週間誰とも喋ってなくて誰とも連絡とってないからいてもいなくても一切変わらないと言える。

なんかもう長い文章を書くのもだるい文章を整えるのもだるいし同じ単語が続かないようにするのとかもだるいんだよな。語彙力が死んでいる。いつからか本も読まなくなったからな。昔は読書が好きだったけどもうとてもそんなこと言えないな。

おまけに今は家の床に転がってた缶チューハイ飲んで酔っているからなおさら文章が乱れている。下戸なので普段飲酒しないんだけどなんとなくそこにあったし飲んでみた。意識朦朧としてた方が恐怖心も薄れるかもしれないし。眠るように安らかに死にたいもんね。

お酒のお供は昨日の夜買ってきたミスド最後の晩餐ミスドっていうのはどうかなと思ったけどなんかめんどくさいからそれでいいや。徒歩五分だったから。オールドファッション美味しうございました。一番好きなハニーチュロはなかったけど別の店舗まで行って探すほど食べたいわけでもないしそういうだるいことはできない。日を改めようにも私には明日は来ないので。

特にかに相談とか自殺予告的なことはしていない。死にたいって言ってもし死ななかったらタチの悪い構ってちゃんだもんね。死にたい気持ちが本物だったことを証明するには死ぬ以外方法がない。京都市左京区自殺ニュースがあったらそれは私なのでよろしく

もうみっともなすぎて人に相談とかはできないんだよ。相談する相手もいないし。

2012年くらいが一番幸せだったな……当時のメール読み返してたら悲しくなってきた。

「頼りにしてください」って言ってくれる人がいるうちに素直に甘えておけばよかったな。ついでに昔の年賀状も読み返して泣いてしまった。年賀状もこなくなって数年経つ。すごく優しい友人がいたんだ。色々助けてくれようとしたけど全部突っぱねちゃって後悔してる。もう連絡取らなくなって三年以上経つけど。でも今の私のことはたぶん嫌いだと思うよ。私も今の自分のことは嫌いです。死ぬ前に会いたい人に会いに行こうかなとか考えたりもしたけど今の自分を昔の友人の目に晒すくらいなら二度と会えないほうがマシだからやめました。あとクソだるいしね。

同情されたり見下されたりするのが嫌でつまづくたびに自分から連絡をどんどん絶っていった末路がこれだわ。願わくば今まで出会った人たちが私のこと全部忘れていてもう二度と思い出しませんように。どうせ嘲笑の的にしかならないし。

昔は「今のまま死んだら負けて終わりでみっともないから生き延びよう」とか思ってたけどもうそういうのもどうでも良くなっちゃった。私の人生が失敗作なのはもう確定だしなあ。これ以上もがいても苦しいだけだわ。

なんかやり直せるような気がしてたんだけどもうやり直せないし二度と誰にも合わせる顔がないしそしたらもう生き延びる理由はないじゃん。死んだらこれ以上恥を晒さずに済むし苦しくもなくなるし死はアド。むしろもっと早く死ぬべきだったとしか思っていない。そしたら楽しいままでしねたし無限可能性があったままで死ねたし惜しんでくれる人もそこそこいたのにさ。


昔に戻りたい。それができないなら死にたい。それができないか死にたい

やりたかたことは山ほどあるけどやりたいことはもうない。

子供の頃欲しかったおもちゃを今更買っても別に遊びもしないし処分に困るだけでしょ。でも未練だけは残っていて胸を押しつぶすわけ。本当に欲しかったのは子供時代に当時の友人とそのおもちゃ遊んだ記憶であってそれは一生手に入らないわけだから。まあ私の人生はそういう感じでした。


数日前に迷惑かけない自殺のやり方とか話題になってたけどそういうのを考えるのもだるいんですよね。ちょっと前は色々考えてたけどもう面倒臭いんで多少迷惑はかけるだろうけどオーソドックス首吊りでいきます身辺整理とかも結局間に合わんかった。

いい感じに眠くなってきたからもう行くわ。お疲れ様でした。

https://anond.hatelabo.jp/20180319174249

https://anond.hatelabo.jp/20180408192629

2018-06-14

いじめられる自分存在

そこそこ学歴あるせいで大学にいてる時間がながすぎた。

から職務経験が浅い

就職したらいじめられたりパワハラをすごい受ける

性格いじめられやすいせいもあるんだろうが、転職先で同じような目にあい精神疾患にかかり療養。ほぼひきこもり

再就職見込みなし

失業手当もそろそろやばい

就活取り組んでるがまた行った先で同じように苛め抜かれて自殺心理状態になるのではと時折苦痛になる

仕事を前にやめる寸前、全財産を親に送付して家の中も片づけて不動産解約し某県の海の中に入ったんだ

真冬だったけど、腰までつかってたあたりまで覚えてる。急に後ろから救助にかけつけたおじさんに引っ張られてそのまま睡眠薬朦朧して気絶

気づけば病院

目覚めたら親が号泣してた

いじめられる人間立場になると出口がなくてもがきすぎてしまう。なんの決定も決意もできないが死ぬ選択だけはあのときできた

当時は救助にきたおじさん(救急搬送した意識ない俺を見てから立ち去ったらしい。名前からない)かなり恨んだけど今思うとあれはいじめてない人間善意だったのだなと感じる

いじめてきた人の悪意しか知らなかったか普通の人の善意ってあのときはじめて接したんだろうな

しかし、こうして生きてても今なにもうれしいものがない

パワハラしてきたあの人たちの悪夢で相変わらずくるしんでる

いじめって人類最大の凶器だな

2018-05-21

体調のなおりかけが一番怖い

風邪朦朧と寝込んでたのから立ち直ったのでとりあえずシャワーでも浴びようとしたらキッチン棚にぶつかって食器落としまくるし粉ものもぶちまけて掃除に追われてしまったし起きたついでに漂白剤つけて漂白してたコップの水を一口口に入れてしまって(なんかコップに水がたまってるとおもって飲もうとしてしまった)死ぬかとおもったのでなおりかけにいろいろやろうとしてはいけない

観光施設での仕事介護を両立できず自殺未遂した話。

前置きしておくと、この文は後ろ暗い心持ちからまれた文です。なので、読んでスッキリ、なんて読後感をお求めの方は別のページへと向かう方が良いでしょう。

この文の目的は、復讐…とまでは行かないけれど、私の知らないところでいいから、あの人に報いがあればいいな、という小さな期待。それと、結局、一体誰が正しかったのか?という答え合わせをしたいという願望です。

から、もしお読み頂けるようでしたら、叱咤でもなんでもお言葉を頂けると幸いです。

まとめると、全てのタイミングが悪かった、という話です。

部署異動のタイミングで、家族介護をせざるを得なくなり、やむなく退職を願ったが上司に引き止められ、一ヶ月後、無理がたたって自殺未遂をして辞めることになった、と。

私の昔の職場は、日本でも有名な観光地です。都心としては少し外れたところにあり、昔はそこまで発展はしていなかった場所のようです。ですが施設が出来てからは、大きく様変わりし多くの人で賑わうスポットになった…そんなとある観光施設です。今では交通の便も悪くありませんしね。

観光施設、というと明るく朗らかなイメージがあるかもしれません。実態日本有数の観光地、という看板を背負えども、小さないざこざが絶えない職場でした。

それと、世の中どこもそうですがここも慢性的人手不足。なので、応募があると即雇う。なので少し問題がある人でも雇うため、さら人間関係がこじれるこじれる。

そういう悪循環に陥っている職場でした。

そんな職場に昨年まで私はいました。

接客の案内部門にいた私は、前々職の経験を生かせるかも、と軽く話していた別部署に急に異動することになり、急遽販売部門に異動になったのです。

まあ、前職の経験もあるし、きっとやっていけるだろう。

そう思ってたんですが、ここで2つ問題がやってきました。

ひとつ職場環境。

異動先があまりにもギスギスしていて、私はそこに溶け込めなかったんですね。

教わっていない事を聞くとなぜ知らないのか詰問されたり…なんというか、新人を受け入れるだけの余裕も無く仕事が忙しい、という部署でした。

それと私自身、ミスも何回かしたりして…本当に申し訳ない日々でした。ただ、そこから虚偽の失敗の報告を入れられたりするようになり、職場でどんどん孤立していきました。

噂では、職場圧力が強くて退職していく人が多い、とは聞いていましたが、それを実感するとは、思ってもみませんでした。

そしてもう1つが、そう、介護です。

父方の祖父が急にボケ始め、体も衰え寝たきりに。共に住むのは叔母ですが、私も流石に手伝いに行かねばならなくなりました。

介護って聞くよりも本当に大変でした。

血の繋がる祖父ですら、幾度となく殺意が沸くほどに。

なので、ここでは詳しくは書きませんが、介護士というのは本当に慈悲深い方にしか出来ない仕事だと実感しました。

それと、父が祖父の姿を受け入れられなかったのか荒れるようになり。前から粗暴な人でしたが介護強制するために暴力を振るうようになったのも困った点でした。

そんなわけで急に介護をせねばならなくなったのですが、仕事の都合があまりにも悪すぎる。

ざっくり早番と遅番の2パターンシフトで出勤せねばならないのですが、

早番だと始発で家を出て、夕方に帰る。

遅番だと昼頃に家を出て、終電で帰る。

というなんとも時間の振り幅の大きいシフト制でして。

しか契約社員からバイトのように選択権がない。なので、どうしても休みたい日3日以外は選ぶ余地もなく、上司の采配次第、という状態でした。

もーこれはあかんそもそも仕事だけでも体内時計狂いまくりなのにそこに介護なんて無理だ。こんな職場もう辞めたいし、もう無理。

そんなわけで上司相談をしたところ、その上司の方からのお答えはこうでした。

だって子育てして仕事して、二足の草鞋を履いてるの。他の人だってそう。でもみんな普通に生活してる。介護ぐらいのこと、どうしてできないの?このくらいのことを普通に出来ないの、本当に心配だよ?

これからここでもっと仕事していけるように頑張ろう?

それは心配の皮を被った、もっとおぞましい何かだと思いました。

私は普通に満たせていない。その言葉がどうしても怖くて、私は辞められませんでした。

心配なのは、私のことではなくて、人手不足職場の方なんだろうな、とはわかっていても、普通に生活が出来ていない、という言葉がどうしても怖かったのです。

そういって退職は取り下げたものの、結局は、その一ヶ月後に退職をすることになります

睡眠不足朦朧とした頭で、祖父の崩れていく姿と、介護強制するために受けた父の暴力と、職場の陰口の数々と、そして、普通に生活すらできないのだという烙印

全部が入り混じれば、なんだか、簡単だったのです。

腕に、切れ込みをスルリと入れるくらいは。

リスカをして、翌日には退職の話がまとまりました。

あんなにまとまらなかった退職が、腕の傷一つでこんなにスルスルまとまるなんて。

ホッとする反面、ああ、これでついに私は普通人間にはもうなれないんだ、という諦めがやってきました。

あんなに、この職場が好きだったのに。

この職場で働くことを夢見てたのに。

なんで、こんなことになっちゃったんだろう。

自殺未遂、だと人に知られると辛いよね?だからあくまで君から依願退職って体にしておいてあげるね。

その上司の優しさもなんだか申し訳なくて、何もかも裏切ってしまったようでいたたまれなくて。

そんな失意の中、私は前職を後にしました。

そうして一年がもうすぐで経ちます

あんなに辛かった職場から離れ、今は穏やかな社員に囲まれた、緩やかな仕事生計を立てています

家族関係も、大きく一変しました。

私がその後、父の暴力に耐えかねて、家を出たことで介護人員がいなくなり、仕方なく父も祖父施設に入れることに了承。叔母の負担も減り、祖父もきちんとした処置を受けることができるようになり、丸く収まりました。

金銭負担がかかるため、父は私を探しているようですが、警察役所保護されているため、私の戸籍住民票を、父は見れません。私は父からすればほぼ失踪したことになっているのです。

あんなに辛かった仕事とも、家族とも縁を切り、今、ようやく穏やかな生活を手にしました。

何も過不足ない日々。けど、ようやくそこへたどり着けたからこそ、今になって昔の日々への怒りや疑念が募ってしまって仕方がないのです。

どうして、私は職場あんなに冷遇されなくてはいけなかったんだろう。

どうして、私は介護強要されなくてはいけなかったんだろう。

どうして、普通ではないとまで言われなくてはいけなかったんだろう。

あの日々は、自分ばかりを責めてたけど今になって周りも十分におかしかったんじゃないかと思えてきて、腹立たしくて仕方がないんです。

冷静に考えると依願退職にされたのも私のためじゃなくて職場問題だと思うし。

接客運営業務委託されてる身だからクライアント自殺未遂した社員がいることを知られたくなかっただけじゃねーか、と今になって気づいてそれも腹立たしい。

から、この場を借りて、皆さんに聞いてみたかったんです。

何もかも捨てた私は、やっぱり、ダメなやつなんでしょうか。

それとも、周りもどこか、おかしかったんでしょうか。

私サイドの話しかしてないから、中立的に見ることは困難だとしても、何かしら他の人の話を聞いてみたいんです。

昔はずっと私が悪いんだと自分を責めていただけだったし、今になっておかしかったのでは?と疑念を持ったので、何が正しくて何がおかしいのか、自分でもわからないんです。

それに、今でも前の職場がやっぱり好きだったから、辞めざるを得ないほどに弱かった自分を今でも時々責めてしまうのが辛いんです。

本当は、もっとあの場所から景色を見たかった。

もっと、たくさんのお客様を迎えたかった。

もっと日本有数の観光地という稀有場所経験を積みたかった。

そう思ってしまうのです。

毎年十数人ほどスタッフが心を病んで退職していく、とは聞いていたけどまさか自分がそれに当てはまるとは思ってもなかった。

時折、東京の街を歩いていると、前職の建物が目に入ることがあります

その度に、期待を裏切ったこと、職場の悪意、介護への負担自分への落胆、あの辛い日々の全てをないまぜにした得体の知れない感情が心の中に生まれるのももう嫌なんです。

私、どうやったら楽になれるんでしょう。

私、どうやったら元に、普通に戻れるんでしょう?

2018-05-17

月収105万の一日

便乗

 

07時30分 起きる 既にヘロヘロ

08時00分 風呂に入ってから5ch見つつ仕事2の開発をする

09時30分 出社(仕事1)

13時00分 既に体力の限界、お昼を食べながら仕事2をする

16時00分 いつものウソみたいなだるさと眠気に襲われる(ガムとコーヒーで誤魔化す)

18時00分 体力は既に底をついて意識朦朧とする

19時00分 仕事1を終え、コアワーキングスペースに行く 仕事2をする

20時00分 仕事3をする

22時30分 帰宅趣味の開発をする

02時00分 いつの間にか椅子の上で死亡

03時00分 布団に移動する

 

これが月収105万の生活

休憩0分、月1回は倒れる

たぶん数年で死ぬ

 

仕事3は起業ネタ趣味は0円だけど、これらであと月40万くらい稼げれば満足なんだが

(ていうか起業ネタやらなきゃもっと稼げるんだよなこれ)

2018-05-07

死のうと思って睡眠薬を多用した

数日寝込んだ。

フラフラのまま車を運転してバイト先に行った。

早退を勧められた。

そのまま意識朦朧として帰宅した。

よく事故らなかったと思う。

また挑戦する。

2018-04-19

カフェインレスコーヒー

結婚して3年目、先日妊娠がわかった。

まだ妊娠超初期だったので、まずは定期的に産婦人科に通い、出生届が出せる状態になるまで赤ちゃんの成長を見守ることになった。

ところが何週間たっても赤ちゃんの体が大きくならない。心音確認できない。

ほどなくして、稽留流産だと医師から告げられた。

着床して胎嚢はできたものの、それから赤ちゃんが育ちきれずそのまま亡くなってしまい、なきがらが体内に滞留している状態をそう呼ぶのだそうだ。

もともと子供を強く欲しがっていたのはわたしよりも旦那のほうだったが、でもわたしもやっぱり妊娠がわかったときは単純に嬉しかった。

旦那からは気が早いと笑われたが、名前を考えたり、どんな顔のどんな性格の子どもが生まれてくるのだろうと想像したりして、自分なりに妊娠生活スタートを楽しんでいた。

生活も変えた。発泡酒の代わりにウィルキンソン炭酸水と、それとカフェインレスコーヒーを買い込んだ。

葉酸が多く含まれ食品積極的摂取し、ストレスがかからない範囲嗜好品を控えるようにした。

夜更かしを止めて早寝早起き規則的な生活を心がけた。

そんな生活を2ヶ月ほど続けていたところに稽留流産を告げられた。

エコー検査では毎回爪の先ほどの小さな影が見えるだけでまだ人の体をなしていなかったこともあり、正直赤ちゃんお腹の中にいるという実感はまだまだ乏しく、なので流産と言われても悲しかったがものすごくショックというほどではなかった。

残念だったね、でも次また頑張ろうねというふうな話を旦那とした。

妊娠超初期段階の流産とは、着床時の異常や遺伝子異常などでどのみち正常に発育することができない赤ちゃんに発生するものであり避けることができないものだと、母親生活態度などで左右されるものではないと、かかりつけの薬剤師先生からは聞かされた。だから自分を責めないでほしいと。

そういったサポートを受けられたこともあり精神的なショックはさほどでもなかった。

赤ちゃんが体内に残ったままでは色々と今後リスクがあるので、早いうちに赤ちゃんを体外に出してしまう手術をした方が良いと医師から勧められ、先日その手術をしてきた。

引き合いに出すのはおかしいかもしれないが中絶手術と同じようなやり方で、サジのようなもの赤ちゃんを体外に掻き出すのだそうだ。

土曜の朝から病院に行き、全身麻酔意識がなくなっている間に手術は終わった。その日の夕方には家に帰れた。

ほどなくして2カ月間止まっていた生理が再開し、経血が排出されていくのと同時に妊娠判明以来ずっとあったお腹もやもやとした異物感のようなものは解消されていった。

妊娠前の元気な体が戻ってきたのだ。

わたし妊娠生活はかくして終わった。少なくとも妊娠できるということはわかったのだし、今後に向けて前向きに生活している。

昨夜、女友達数人で飲みに行った。流産のことは誰にも言っていないのだが、旦那がちょうど出張中で話し相手に飢えていたこともあり、いろいろな馬鹿話で笑い転げた。久しぶりのビールは本当においしかった。

少しの二日酔いクラクラしながら今朝目が覚め、酔っ払って散らかし回した家の中を片付けていた。

キッチンカウンターに、使いかけのカフェインレスコーヒーが残っていた。

それを目にした瞬間、不意に虚しさが襲ってきた。

カフェインレスコーヒーは確かにコーヒーの風味はするのだけれど、やっぱりどこか味気なく、本物のコーヒーのほうがおいしいことに間違いはない。

でもそんな、柄にもないもの必死になって探して買い込んでいたついこないだまでの自分が、滑稽で、哀れで、愛おしくて。

手術が終わり、「増田さん、終わりましたよ」と麻酔科から名前を呼ばれて手術台の上で目が覚めた瞬間、朦朧とした意識最初に私が口にしたのが「出てきた赤ちゃんを見せてください」という言葉だった。

医師は一瞬迷った様子を見せた後で、小さなカプセルに入ったピンク色の塊を私に見せた。それは全くピンク色の肉塊でしかなく、赤ちゃんの体だと言われても素人には何が何だかからない。

見せてもらってどうするつもりだったのか自分でもよくわからない。そんなことを頼む心積もりはなかった。ただとっさに、まだ半分寝ている状態でそんなことを私は言っていた。

ごめんね。小さな赤ちゃん

自分を責めることはないと周りからは言ってもらえたが、でもやっぱり、ごめんねと思っている。

大きなショックは受けなかった。それは本当だ。でも何か、重しのような、ちょうど生まれたて赤ちゃんぐらいの、軽くて小さくて吹けば飛ぶような儚い、だけれど確かに重さを感じる、そんな重しのようなものが、わたし心臓にぶら下がっているような、そんな気持ちがしている。

2018-04-12

充分過ぎるほど生きて、もう満足だから死のうと思った。

自殺と聞いて思い浮かんだイメージ飛び降り首吊りだ。

いつも歩いている歩道橋に背を向ける。手摺に手をかけ空を見上げながらゆっくりと重心を後ろへ持っていくのだ。流れるように死ねる気がした。

けれど、問題はその高さでは恐らく死ねなさそうということだ。痛いだけだ。

から首吊りをしようと思った。

場所は最手入れしていた祖母がいなくなり荒れ放題の縁側。そこの物干し竿に何かをぶら下げれば良い。

最初マフラーでやろうと思ったが、うまく結べない。試しに落ちてたビニール紐で結んでみたらうまく言った。どうやら長さが足りないらしい。

しかし、紐を買いに行く気力なんてなかった。何か無いか、薄暗く様々な荷物が積まれた部屋を見渡す。

祖母がいなくなり、上に住んでいる家族が沢山使わない荷物を置いている。何かしらあるだろう、長いこと鎮座しているマッサージチェアの隣をすり抜け、無数の段ボール適当に眺める。

すると、すぐに有線ケーブルが見つかった。私が二階と一階でネット回線を繋げる必要があった際とりあえず買ったものの、結局使わなかった無用の長物だ。長さは100Mくらい。

しかしたら、今日のために買われたのかもしれないと思った。

紐をハサミで適当に切り、結び直す。今度は輪っかが出来た。

早速物干し竿にぶら下げてみようと思ったがーーふと上を見てブラインドが降りた窓があることに気がついた。

そうだ、ここは二階から見えるんだ。

存在を忘れていたくらいだから恐らく他の人も覗きはしないだろうが……居心地が途端に悪くなって慌てて窓を閉め引っ込んだ。

どうしようか、せっかく結べたのに。

疲れてその場に座り込んで短く切られたコードを見る。いびつな円形。試しに頭を通してみる。どこにも結ばれてないので、ネックレスのように首からぶら下がる。慣れないゴム感覚、実際つけてみると不思議な感じだ。引っ張ってみるとマフラーより硬く、なんだか容赦が無いように思えた。

隣には使い所がなくなって放置された介護用のおむつがあった。誰も片付けていないのだ。狭くて邪魔なような、逆に狭くて落ち着くような。

そう思っていると、さらに奥にドアノブがあることに気がついた。

そういえば、ドアノブでも死ねるのだ。介護おむつの山を踏み越えドアノブの横に座り込む。

ドアノブに結んで手を離してみる。

ドアノブからオレンジの輪っかがぶら下がる。

あとはこれに頭を通せば、死ねるかもしれない。

これさえあれは、死ぬことができる。

そう考えたら、急にすうっと頭が明快になってきた。

ぼんやりと、眠る直前のように朦朧とした感覚でうっすらと浮かび上がっていた死にたいという感情が、徐々に消えていく。

残ったのは、これさえあればいつでも死を選択できると言う、えもいわれぬ安心感だった。

今まで億劫ぼんやりしか描けていなかった死のイメージ。けれど、今は道具を手にした。あとは手に取るだけで良い。

ドアノブから外して掌に乗せた小さなそれは、力強く無感情感触をしていた。

明日だってそう考えれば良いのだ。

そんなふうに思えた。

2018-04-06

anond:20180406002429

そんなに蛇行してたのなら幅寄せは偶然では?

高熱や薬の副作用で強烈な眠気から意識朦朧していた、或いは泥酔している人の運転ぽく思える

そういう時はタクシー使って欲しいよね⋯

2018-03-27

ゲロ下痢が一緒に出てきたらどうすれば良いのか?

いや、どうすればよかったのか?

 

私は何を間違ったのか

 

一度冷静に鳴ってから考えてみたいのだ

 

ーー

皆さん冷静なツッコミだが

ゲロ時は意識朦朧としてるので難しいか

ゲロ下痢ゲロ&下痢と来て訳わかんなかった

何のゲームかと思った

たぶん初ノロですね

5時間下痢ゲロetcが続くの怖い

また寝ます

2018-03-25

家族で父を見殺しにした

21歳。忘れてしまう前に、死んでから2年少し経つ父の話をさせてくれ。

家は二代続いていた自営業で、祖父が亡くなった時に父はサラリーマンをやめ、三代目になったそうだ。

昔はけっこう上手くいってたんだって。儲かって儲かって仕方がなくて、お金を入れてた地元信用金庫の人からは未だに感謝されてるぐらいだ。儲かったお金祖父連帯保証人になってた親戚のせいで吹っ飛んだので俺におこぼれがくることはなかったがな!

でも俺が7才ぐらいのときかな、事業は上手くいかなくなってしまった。石油が値上がりしてな。夫婦仲は最悪になり、毎日喧嘩が聞こえてくるリビングと自室が離れていることが唯一の救いだった。すべてが最悪になってしまい、父は家を避けるように日中仕事場にこもり、帰るなりビールを煽る。高校生ときには家族が見てないところで酔った勢いで殴られてたので父のことは大嫌いだった。縋るように手を出した新事業も失敗。もともと健康だった父は日に日にやつれてしまった。

そんな家庭環境が続いて十数年、転機が訪れる。廃棄木材を大量に譲っていただけるツテが見つかったのだ。これなら石油に頼らずやっていける。でもこの10年で父の身体ボロボロで、病院で貰った血圧の薬をビールで飲む毎日。そんな父に廃材を運んだりバラしたりする体力があるはずも無かった。

そんな父に家族は冷たかった。母は心配するそぶりを見せているが全くそんなつもりはない。最大の関心はジャニーズと毎週のドラマである。上の兄弟大学生活をエンジョイしてるので家には全く関心がない(しかし母に同調するのが上手かったので母のお気に入りだ。それは今も)。

そう「家族は」と書いたからには俺も含まれる。苦しかった大学受験が終わり、新たにはじまった大学生活は楽しくて楽しくて仕方がなかった。家のクソさに嫌気がさして、大学理由に門限ギリギリまで外に出て、帰るなり自室にこもる生活だった。

廃材を使い始めて1年。案の定、父は倒れた。倒れているところをお客さんに見つかり、救急車病院意識朦朧の父が担架に乗せられたときの「ア、だいじょうぶで……」が最後に聴いた言葉だ。脳出血。なんと植物状態。ここで家族延命措置を取るか否かを迫られる。

まあここまで読んだらわかると思うが即決だった。

葬式で涙を流しながら親戚と話していた母と兄弟は忘れられない。お前が、いや、俺たちで殺したんだろ。愛情もなく、正直死んでホッとしたと思ってるだろう。生命保険もたくさんかけてて良かったな?ウン千万だって

親戚もすべて憎かった。父が家業を継いだ経緯を知ったのは父を殺した少し前のことだ。曽祖父祖父が死んだときハイエナのように遺産を奪いに来た親戚から必死家業を守ったのが父だった。サラリーマンをやめ、家業を継ぐから売却しないでくれと。家業は、大企業エリート営業マンだった父がそれを捨ててまで守りたかったものだったのだ。

俺は父のことが嫌いだが、親戚も同じぐらい嫌いだ。そんな親戚達が「あの人は立派だった」「お前は父に似ている」など涙ながらに語るのでハラワタが煮えくり返りそうだった。

そう、もうすぐ父の遺産が1/4手に入るからその金で家を出るんだ。父が死んでからの家はこれまた最悪で。縁をさっぱり切ろうと思う。大学はまだ一年残ってるけど、まあ何とかなるだろう。

以上。家族の愛を受けて育ってきた人たちが羨ましいぜ。俺は家族も親戚も大嫌いだ。

追記 増田投稿するの初めてだったので多くの人に反応していただけてとても嬉しい ありがとうブコメ全部読みました。増田カテゴリーとかあったんだな。全然おもしろ」じゃなかったわすまん。父のかわいそうな部分を後半書き連ねたので誤解してる人がいるが、俺は父の死について「内心ホッとした、もっと言うなら嬉しかった」人間だぞ ということだけ追記。それを踏まえて読んでもらえると本当に伝えたかたことが伝わるのかなぁ。

2018-03-20

生きてるのつれぇ

生きてるのつれぇ。

自分は今25歳なんだけど、安定した職を得るという新卒の関門に乗り遅れ、転々と職を変えながら生きている。


自分睡眠時間が人より多い。10時間くらい必要だ。7時間だと体調にちょっと支障が出る。6時間だともうボロボロ

から、たとえ8時間勤務だとしてもすぐに風呂入ってメシ食ってさっさと寝なければ毎日持たない。


あと汚い話だけど生理が爆裂に重い。本来なら生理間中ほぼ動けないくらいのレベルしかも周期が短い。

だけど仕事には行かなくちゃいけない。月に3~4日、下手に周期が立ちいかなくなると6~8日、ゾンビのような状態でやっと働いている。


あとすごい低血圧。疲れやすいし、朝起きられない。体力が無い。

そんなだから、万全のコンディションでいられる時間って、結構少ない。


そんなふうに朦朧としながら日々生きてるもんだから全然仕事に身が入らなくて、怒られるし、鼻つまみ者のように扱われるし、

しか人間付き合いも得意な方ではないか愛想笑いくらいしかできなくて、扱いづらいのだという空気が伝わってくる。

好きなことも当然できない。そんな時間、8時間働くだけでさえ、無い。

まりに好きなことをする時間がなくて、ストレスが溜まって、ちょっと無理をして夜更かしして趣味に手を出せば、当然次の日の仕事はズタボロなわけで。


結局、せっかく手にした職も長くて1年半、短くて数か月。全然持たない。

そうやって転々と生きてきて、社会人になって、4年経った。あと少しで自分は26歳になる。



幸いにして、ちょっと絵が描けるので、同人活動で大きく黒字を出したり、絵の仕事をたまーーに、本当にたまーーにだけど、請け負ったり、

短期バイトに入って短期間でガッと稼いだりしながら今、暮らしているけど、

でもそれでも自分は今年で26歳だ。きっとあっという間に30歳になってしまう。

いつまでもそんなふうに生きていくことができないのはよくわかっている。


ただ楽がしたい。

別にお金なんかたくさんなくてもいい。もちろんあればうれしいけれど。

ちょこっとずつ貯金して、無理のない範囲で働いて、帰ったらちょっと好きなことをして、十分な睡眠を取る。

そんな毎日を願うのでさえ高望なのだろうか。

世の中ってそんなに手厳しいんだろうか。


落書きを描いて暮らしていきたい。浮いたお金ガチャ回したい。


いっそもうあとわずかで寿命が訪れるとわかっているなら、

安定した職なんかなくても、その時まで食いつなぐことができればそれでいいやと割り切って、楽しく面白おかしく生きていけるのに。


今は30歳を皮切りに自殺しようかとか、それまでにもし居心地のよい場所を見つけられたらもう少し長生きしようとか、そういうことばかり考えている。

25歳なんてまだ若いってあちこちで言われる。でも、”もう”25歳なんだよ。


これらぜんぶって、私が怠け者だからなのだろうか。体調や体質のせいにしていいんだろうか。

いつもお前は怠け者で人嫌いで根性が無いと言われて生きてきたから、どこに行ってもそうだから

私は私のことを擁護したいと思うけれど、周囲から見た私の、「怠け者」という評価こそが正しくて、私の私に対する目は曇っているのだろう、とも思う。


私は自分のことがそこまで嫌いではないけれど、そのジャッジこそ幻想で、間違っているのは多分、つねに私なんだろう。

けれど、自分社会不適合者なので、「そもそも、私が怠け者にせよそうでないにせよ、こんな肩肘張って生きていかなければ立ちいかないこの世界のものが間違っているのでは?」と、すぐに社会責任転嫁してしまう。

こういう女だからこそ、淘汰されなくてはいけないのだろう。





葉酸、取るかぁ!!

2018-03-03

うちのお雛様九死に一生を得た話

1年ほど前のこと。

人形店で20年前に購入した雛人形

しま場所を移したところ、なんと湿気で顔とか髪にカビが生えちゃった……。

これは大変だとお店に連絡して聞いてみると、どうやら修理ができるらしい。

それから色々忙しくて、数ヵ月後にようやくお店に持っていくことに。

だけど、うちには車がないもんだから、買った時のバカかい木箱ごと大きな風呂敷につつみ、

えっちらおっちら電車でお店に持っていくしかなかった。

真夏である人形に何かあったらいけないから、あんまり早歩きは出来ない。

暑いし、めっちゃ恥ずかしかった。

店員さん曰く、専門の方に見せて、どういう修理方針になるか決まったらまた連絡しますとのこと。

ちなみに箱は預かってもらえないらしく、また同じように持って帰った。

すると、数日後の朝にお店の方から連絡が。

その時、私は寝起きで朦朧としながら朝ごはんを食べていたんで、母の電話口でのやりとりをぼんやりしか聞いてなかった。

お昼に、どうだったかと聞くと、お店の方曰く、「完全には取れないかも、それか顔を変えるかどちらかです」ということらしい。

母は、綺麗に取れるか分かんないみたいだし変える方にした、そっちの方が安いと私に言った。

最初は「ほーん」と答えた。

でも何かなあ、すっきりしなかった。ホントにこれでいいのか。

お雛様とお内裏様の顔立ちは、本当に綺麗だった。

忘れてたけど、そういえば小さい頃、3月になると和室に飾られるお雛様を見るのが楽しみだった。

かに、顔を変えれば綺麗にはなる。

だけど、顔を変えたら、それはどんなに似ていたとしても”あのお雛様”じゃなくなっちゃうんじゃないだろうか。

たとえ汚れが完全に取れなくてもいいから、あの雛人形が良い。

その日の夜、その旨を母に訴えた。

母も、私の言い分に納得したようだった。

翌日、またお店に連絡し、結局修理することになった。

で、2か月後くらいに修理が終わって、母が取りに行った。

そしたら、すごく嬉しいことがあった。

そのお雛様が、職人さんたちの間で「20年前のものとは思えないデザインの良さ!」と絶賛だったって。

顔立ちももちろん、着物も今ではもう作ることが出来ないらしい。

顔を変える方法から修理する方法に変更した際、職人さんはとっても喜んでいたんだとか。

それを聞いて、やっぱりうちのお雛様は凄い!と何だか誇らしい気持ちになった。



あとで知ったことだけど、そのお雛様は、私の亡くなった父が購入したものだった。

寡黙で、いつも買い物は母に任せっきりだった父が、珍しく「これが良い」と言って買ったらしい。

母は、「やっぱり貴女の言った通り、修理してよかったよ。顔変えたら、違うお雛様なっちゃものね。」

と喜んでいた。

顔に汚れがあったお雛様の方は、顔を少し削ったとのことだった。

職人さんも、すごく頑張ってくれてギリギリバランスで削った、と。

かにほんのちょっと鼻の線が滑らかになって、お顔がうす桃になったけど、

まあこれはちょっと整形したんだよね。

でも、戻ってきてくれて、ホントに嬉しかった。

やっぱりあの時、言ってよかった。

ようやく春になって、2年ぶりに雛人形を飾ることが出来た。

やっぱり、うちのお雛様とお内裏様が、一番綺麗だと思う。

2018-02-26

anond:20180225222930

うつだよー

仕事ミス連発、短い文章でも理解できなくなる。人の話を聞けなくなる。判断力泥酔した人みたいなおかしさだった。

眠くて意識朦朧熟睡5秒前の状態がずーっと続いてた。

その頃は帰ったら横になって朝までボケーっと過ごしてネットを見る気力もなかったな。

病院行った方がいいかなと思い始めてから、実際探して電話するまで半年かかってしまった。

2018-02-07

anond:20180207211359

自分自殺未遂キメた時はノリだったな。勇気じゃなくて。

意識朦朧としてきて、これ以上やったら本当に死ぬかも、と思った瞬間があったんだけど、その時に、うん、もっとやろう、と思ってそうした。

それでも結局生きてるんだが、あの時の気持ちはたぶん一生忘れない。

2018-02-01

今ほど歳をとるのが苦痛な世の中は多分ない

男も女も、あまりにも歳をとることにネガティブイメージを持ちすぎている気がする。私もそうだ。

原因はなんだろうと考えたけど、いまいちしっくりくるものが出ない。

年上の人のイメージを悪くするのは常に若者たちだ。

自分たちもいずれ向かう現実なのに、外見的にも内面的にも、自分はああはならないと確信している印象すら受ける。

外見的なことを言えば、別に太ってもいいじゃないかと私は思う。

シワが増えても、髪が減っても、背が縮んでも、体力が落ちても。

歳を重ねるっていうのは、それだけ長く頑張って生き延びてきたということなのだから、その過程で避けられない老朽化には自信を持って生きていきたいと思う。


しかしそれと同時に、内面的には、ああはなりたくないと憎しみにすら近い感情を抱くのだ。

若者はこれから社会を支える重要存在だ。狭い部屋に住んで、安い飯を食べて、たくさん働いて、税金を納める。それが私たち若者

しかし街中に出れば至る所で年上を敬えと強要される場面に出くわす。

だって蔑ろにしたくてしているわけじゃない、尊敬に値しない年上が多すぎるのだ。


高校の頃、部活で疲れて電車普通席に座って寝ていたことがある。

膝の上にはスクールバッグ部活用のエナメルバッグ、足の間には当番制で洗濯しているゼッケン袋があった。ヘトヘトになってうたた寝していた私を、誰かが突然叩き起こした。

朦朧としながら顔を上げると、目の前には手ぶらで佇む60代くらいのおばさんがいた。

おばさんは目を釣り上げながら私に「退いてくれないかしら、あなたが一番若いし。」と言うと、私を立ち上がらせた。

周りを見渡してもみんな見て見ぬフリだった。確かに、私はその車両では一番若かった。

結局私は彼女電車を降りるまで、立ったまま体の前にバッグを積み重ねてつり革につかまりながら寝続けた。


誰しもにある経験だと思う。

私たちはこれを、この先ずっと繰り返していくことになる。しかも優先するべき老人の数はどんどん増える。若者がこの椅子取りゲームに勝つ術はない。

この出来事だけでなく、言うことを聞かない年上の部下、根拠もなく私が若いというだけで提案無視する上司投票所に並ぶ私を見えてないかのように割り込みするおじさん。尊敬できない年上に蔑ろにされた経験は数え切れないほど存在する。

些細なことだけど、それがいくつも積み重なれば憎しみにも似た感情が生まれても仕方ないと思う。

私は彼らのようにはなりたくない。




自分指標となるような、尊敬できる大人を見つける必要がある。

若い私たちを疎ましく思わずに、導いてくれる人を。諭してくれる人を。

歳をとることへの恐怖に打ち勝つ一番の近道はそれじゃないだろうか。

そしていつかは、若者にああでありたいと思われるような大人になりたい。

2018-01-29

気持ち良いセックスがしてみたい

本当に気持ち良い、意識朦朧とするくらいのやつ。

2018-01-15

anond:20180115120336

何かのOL向けの小説描写で、ピル副作用吐き気がしてて頭が朦朧としているってのがあった。冒頭からだ。

何で私こんなことまでして、つまらない既婚男の為に尽くしているんだろう、不倫ってばかばかしいと気がついていく女の話だった。

他の女と出来なくなったというのは、他の女とゴム付きセックスしてもイケなくなったということだと捉えていいんだよな。

  

2018-01-14

anond:20180114112636

近所のスーパーはイートインコーナーがあるんだが

オーナー一族朦朧爺さんがいつも座ってて、馴染みの客以外が入店すると「知らん人だ!」ってつぶやくので

防犯効果高いヒューマン監視カメラになってる

2017-12-20

anond:20171220080242

そういう体験をしたのは20代後半のときドストエフスキー罪と罰」を読んだときだけだな。

でも、本の内容よりも、そのとき自分の体調の悪さが関係してたとしか思えないんだよね。

以下、自分語りが始まります自分語り嫌いな人は戻ってね。

読み始めた当時は体調が絶不調。

頻繁に発熱し、意識朦朧とし、寝ても悪夢を見る日々。

それ以前から出ていた皮膚の症状のため、病院には通っていた。

皮膚の症状は「難病だけどこれは予後がいいタイプ」と言われていて、治療を始めていた。

治療を始めたタイミングで、皮膚ではなく体調が絶不調になり、当時は治療薬のせいで悪化したのではないかと本気で思っていた(素人思い込み)。

自分とは一生縁がないと思っていた難病を告知されただけでもショックななかで、日々悪化していく体調をかかえた私は登場人物たちの絶望感にシンクロしていった。

作中でラスコーリニコフが熱を出して寝込んでいる。私も40度を超える発熱に苦しみながらそれを読む。

ラスコーリニコフやスヴィドリガイロフが悪夢を見る。私も悪夢を見る。

地獄を疑似体験しているような気分でおかしくなりそうだった……。

物語後半のスヴィドリガイロフの描写に至るところで私の体調不良ピークを迎えた。意識朦朧としている。全身の関節と筋肉に激痛が走る。高熱が続く。

スヴィドリガイロフとともに、自分ももうどうにかなってしまいそうだった。

なんとか読み終わったあと、私は救急車で運ばれて入院した。

入院して、難病の病名が、予後が良いと言われていたものからそうではないものに変わった。

点滴で脱水症状を補いつつ大量に薬を投与された私は副作用により集中力が激減し、1年くらいは本を読むどころかテレビを観ることさえできなくなった。

こうやって自分人生と強烈にリンクした作品は一生忘れられない。

病気寛解状態を保っている今、久しぶりに罪と罰を読んだとしたら、きっと当時とは違う印象を覚えるだろう。

でも今は「悪霊」のほうが読みたい気分だーい。

2017-12-08

anond:20171207223625

最近ストロングゼロみたいな安酒しか飲んでなかったんだけど、知人からボジョレーヌーヴォーを貰って飲んだら酔いかたがまったく違って驚いた。

ストロングゼロは飲んだ直後から変な酔いかたをして、ひたすら頭が朦朧とするだけなのに、ボジョレーのほうは気分が良くなって心地よい酔いかたができたのだ。

アルコール度数だけならボジョレーのほうが13.5%と高いのだが。

飲むアルコールの種類によって酔いかたが違うなんて今まで知らなかった。

アルコールならなんでも同じだと思ってた。

こういうのってみんな知ってて当たり前の知識なの?

わたしは恥ずかしいことに34歳にして初めて知った。

2017-12-01

高齢者施設虐待がバレない方法

最近よく老人施設での高齢者虐待ニュースを目にします。

入所者が命を落とすケースもよく見かけるようになりました。

実は私の祖母も昔入所していた老健施設で変死?というか事故に遭いました。

ある日老健から職員が見回りで部屋に入ったら車いすごと床に倒れていた」と連絡があり救急で運ばれた病院に近くに住んでいた伯父が駆けつけたところ

祖母は顔の半分が腫れあがって意識朦朧としていました。

そして意識朦朧のまま肺炎にかかって亡くなりました。

施設は「職員が見ていない時に勝手車いすごと倒れていてその時に床で顔面を強打したのだろう」と言うのですが、運ばれた病院医者

「これは殴られた痕だよ」と言いました。

警察にも通報して捜査もしてもらいましたが施設側は「勝手車いすごとこけていた」との一点張り

医者の「殴られた痕」の診断があっても施設側と職員が「自分がやりました」と言っていないので警察は何もできないとのことでした。

からここ最近の老人施設での虐待ニュースを見て「ここの施設職員自分の非を認めてなんて素晴らしい」と思ってしまうのです。

最後まで「自分がやりました」と口を割らなければ捕まらないし施設だって職員庇って隠し通せば施設名に傷が付かなくて済むじゃない。

え?それは警察無能から、ですって?

じゃああの警察管轄施設なら口を割らなきゃ大丈夫なんだよ。

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