はてなキーワード: 店長とは
常識や暗黙の了解や空気みたいな尺度を棍棒にして人を叩くなと言う。
しかしねえ。
少なくとも、無限に注文できるわけじゃないってことは阿呆にだってわかるはずなんです。倉庫の容積も牛の絶対数も有限なんだから。
ってか、goldheadさんご自分でも言うとるやないですか。
たしかに「50人前」は過度に見える。
おっしゃるとおり、50人前は過度なんですわ。無限には注文できない、50人前は過度。これが暗黙の了解でなくて何でしょう。
だいたい、食べ放題に相撲取りやプロレスラー、腹をすかせた体育会系の男子高校生が押しかけてくることだって、普通に予見できることだろう。
店だって当然それは予見しているでしょうし、10人の団体が50人前を頼んだんなら1人あたり5人前であって、その程度なら許容範囲かもしれません。しかし、ひとりひとりが50人前ずつ計500人前を注文したら多少人間のできた店長さんでもキレていいと思います。
(ってか、相撲取りやプロレスラーの団体は部屋や団体の看板をしょった社会人なので、あえて店と軋轢を生むような注文はしません。お互いハッピーに食べられる店を選ぶでしょう。高校生は知りませんけど。)
それはともかくとして、goldheadさんのご認識でも、1人前から50人前の間のどこかにボーダーがあることは確かですよね? 50人前でとうとう店がキレたってことは30とか40あたりでしょう。それはボンヤリにじんだ線かもしれないし、線を引けと言われて初めて検討される線かもしれない。でも、ボーダーが「存在すること」は誰にとっても明白です。どこにあるかはともかく、存在することだけは確かなんです。
しかるに、「上限数を断っていない以上、好きなだけ頼んでもいいはずだ」と居直るのは、ボーダーがあることを知っていながら、あえてそのボーダーがないものとして振る舞っていますよね。これ、正しい態度だと思いますか?
特に断りがなくても、ボーダーが存在することが自明である以上はどこかで自発的にブレーキをかけなきゃいけないことも事実です。
普通の人はブレーキをかける必要なんかありません。ボーダーがあることを理解していようがいまいが、店が設定したボーダーに達する前に満腹になるからです。というか、食べ放題のメニューはそうなるように組み立てられています。少食の人、大食いの人、あれこれバランスよく食べる人、偏った注文をする人、さまざまな客がいますが、平均をとれば確実に儲けが出るようなボーダーを設定しています。
自発的にブレーキをかけなきゃいけないのは、ボーダーを大幅に踏み越える能力を持ち、かつその自覚がある人だけです。数はごくごく少ないです。
くだんの人物はブレーキが遅かったのではありません。ブレーキを踏まなかったことを責められています。40とか50という数字に意味はありません。この人のようにボーダーがあることを知りながら故意にボーダーを踏み越えるような注文したりgoldheadさんのように「上限が明記されていない」と居直ったりするようなめんどくさい客は(ブコメにもたくさんいるように見えますが)実際にはほんの一握りであって、普通はそんな例外的なやつらのためにいちいちメニューに但し書きなんかしたくありません。それこそが風通しのいい社会です。
暗黙の了解があるというなら見せてみろ
見えないから暗黙なのですが、これはまあ、先生が出席をとるときに「欠席のやつは手を挙げろ」というような矛盾ギャグなのでしょう。でもあえて明文化するならば
ふつうの人は焼き肉食べ放題で上限を気にする必要はない。満腹するまで食べてよい。だが規格外の大食漢は自発的に手加減しろ
になると思います。
当たり前すぎませんか?
こんなこと、いちいち書かないとわかりませんか?
県二位の人口22万人の中核市であり、太平洋に面する港町、臨海工業地帯、外航・内陸航路の工業港を有し、東北新幹線八戸駅、東北縦貫自動車道八戸線、三陸復興道路の北の終点がある。東北有数を都市を自負し商圏63万人を誇る。
しかし、八戸市にはイオンモールがなく、イトーヨーカドーは2024年の夏に閉店する。
八戸市の映画館はかつて7館あったが、現在は完全になくなった。
2000年代前半40,000平米級のイオンモール計画が立ち上がるも、中心市街地の地権者や有力者等で構成する市の商工会が大反対運動を展開。当時の市長はイオンモール反対を表明するも落選。対立候補の官僚出身の新市長が状況に応じ検討するとして当選したが、過剰な商業施設は不要として事実上のイオンモール立地規制条例を制定。売場面積7000平米級の中途半端なイオンリテールがオープンした。
八戸市民は隣町のイオンモール下田まで車で約15kmのみちのりを30,40分かけて行く羽目になる。
車がない高校生は1日に5便しかない直行バスに長い行列をつくり30,40分かけていく。
中心市街地は、イオン立地に反対したあとほどなくシャッター街になった。全く商店街をシャッター街にさせない!商店街を守るんだって話はなんだったのだろうか。
かつて市民のデパートとして親しまれたヨーカドーは市内に2店舗あった。1980年中心街の再開発ビル(地下1階、地上7階建、屋上遊園地)にイトーヨーカドー八戸店出店計画が出て、当時の市商工会議所は大反対をしたという。市民には大歓迎されて開店してから東京の有名なデパートとして八戸の目抜き通り入口の街の顔となった
しかし、2003年に閉店する際は商工会議所は引き止めだそうだ。実に身勝手である。2024年夏にもう一つの郊外型の地上2階建てのヨーカドーが閉店予定である。
私は学生時代、そのヨーカドーの両方でアルバイトした。八戸店では閉店まで2ヶ月間を鮮魚コーナーでアルバイトの先輩に殴られながら、ホタテやホヤの殻を剥き試食販売の売り込みをしたり、閉店後のポッポでたい焼きや今川焼きをもらったり、最終営業日の店長の涙を堪えた客への挨拶を聞きながら、八戸の中心街はこれで一時代が終ったのだとしみじみ感じだ。
話を戻そう。その後、現在まで約20年近くが経ち、八戸の中心市街地はどうなったのか。
中心市街地には地元百貨店は最近まで2店舗あったが、コロナが瀕死の経営状態にとどめを刺し2023年に1店舗閉店。
さくらの百貨店は若者向けではなく、郊外CSはラピア長崎屋と前述の小ぶりなイオンリテールと、スーパーセンターがいくつか。バブル期前につくられた街中のファッションビルはほぼ空きテナントだったと思う。
市は20年ぐらい前には既に中心市街地活性化対策に乗り出し、再開発計画が出ては地権者の反対で消えを繰り返し、最終的に新市長が市営の箱物をたくさん作ったものの、商業施設の立地はほぼ皆無のままである。
中心街は仙台に次ぐ飲み屋街として名高く、屋台村のみろく横丁周辺が酒豪の呑んべいたちで賑わう。新幹線開通後、新たなホテルやマンションはいくつか建設された。
市内は、北東北を中心に展開する売上高1300億円、58店舗を展開するスーパーのユニバースが本社を置き市中を治めつつ、他社も含め無数にスーパーとドラッグストアがある。イオン系列のホームセンターのサンデー、市内の何箇所かにスーパーセンターがある。ヤマダ、ケーズデンキ、ユニクロ、GU、しまむら、西松屋、ワークマンもある。日常の買い物には困らない。
しかし、娯楽性に欠ける。買い物を楽しんだりするには物足りず、映画館もない。ヨーカドーもなくなる。イオンはリテールとスーパーのみ。
明治時代に日本鉄道が東北本線を八戸町の中心部に伸ばすかどうかで議論になった。
当時は他の町と同じく蒸気機関車忌諱説があり、流行病の懸念や軍部の要望があり外国軍上陸の脅威を減らすべく、市街地から4kmも内陸の尻内(しりうち)という辺鄙な場所に駅をつくった。あとで町民たちは鉄道は便利だと知ることになり、数年後に本線から分岐して八戸線が開通し中心市街地の800m北寄りに旧八戸駅、現在の本八戸駅を開設する。
そのあと100年以上が経ち、尻内駅は八戸駅に駅名が変わり、やがて新幹線駅に昇格した。しかし、あまりに市街地から離れすぎた立地のため、郊外の地方空港の様相であるかのように、22万人都市の玄関口としてはお察しくださいの状態である。
大正末期に八戸大火が発生し中心商業地区が焦土と化したが、田舎町には後藤新平のような都市計画家はおらず、当時の八戸町議会は多額の予算は出せないとして狭い道は藩政時代のままとなった。
太平洋戦争では基幹産業の日東工場爆撃が海側の地域で爆撃を受けるも、中心市街地の空襲被害はほとんどなかった。
市の北側に位置する旧日本軍の飛行場と基地は米軍に接収され、3,200人の米兵により飛行場を拡張し基地の街と化す。その後、陸海自衛隊基地として運用される。
八戸の中心市街地は、戦後しばらくして、東映、東宝、テアトルなどの7つの映画館が開店し、地元百貨店が開店し、緑屋、ニチイ、丸光(さくら野)、長崎屋、そしてイトーヨーカドー、地元資本のファッションビルが開店し、中心市街地は岩手県北を含め商圏62万人ともいわれ栄華を極めた。私はその時代を生きていないのでよくわならない。
八戸は昭和30年代に新産業都市に指定され臨海都市建設工事が始まり、八戸鉱山の石灰石産出、三菱製紙工場、八戸火力発電所、非鉄金属の精錬所、鉄工所、造船所が建設された。
漁業は栄光を極め、八戸港の水揚げ量・金額が日本一を記録し、第一・第二・第三魚市場は全国の漁船が集まったという。浜の景気は大変良く、飲み屋街や風俗街も発展した。北海道室蘭・苫小牧港へのフェリー航路が開設され北への玄関口となった。中心市街地を迂回する国道45号バイパスが整備され、市道の4車線の環状道路が次々と開通し、田畑の区画整理が次々と進み新興戸建住宅地や住宅団地は郊外に市街地は拡大し、市営バスは路線網を拡大し小中高校は増設を続けた。
一方で、青森寄りの天間林村(現七戸町)の上北鉱山は銅が枯渇のため閉山。また、八戸から60キロ北の六ヶ所村では新全国総合開発計画による巨大石油化学コンビナートや製鉄所を中心とした、1万7000ha開発計画は発表されたが、二度のオイルショックで完全に頓挫した。石油備蓄基地のみがつくられ、のちの日本原燃による核燃料サイクル施設建設を待つことになる。
青森県議会は東北新幹線建設に際し、八戸経由か弘前経由か決められずに結局盛岡駅止まりのまま以後八戸延伸まで20年待ちとなる。あの頃、早く決めていればとおもうと悔やまれる。
1991年に長崎屋が郊外に移転。屋内遊園地つきのラピア長崎屋が開店
1993年 六ヶ所村で日本原燃の再処理工場の建設が着工する。原燃PRセンターに家族で行った帰りに、父からこの工場で事故が起きれば将来は八戸に住めなくなると聞かされ幼心にショックを受ける
1994年 年末に三陸はるか沖地震(震度6)が発生、旧市庁舎、旧市民病院に大きな被害、中心市街地のビルが倒壊し死者発生、道路の崩落、水道管破裂など多数被害
1995年 隣町にイオンモール下田が開店(現在は売場拡張し53,277平米)県南地域では最大の売り場面積を持ち当時は大観覧車があり田んぼと山がよく見えた。
1997年 中心市街地の市民病院が郊外に移転し、いよいよ中心市街地の危機が地元紙で叫ばれるようになる
1999年 八戸臨海部の神戸製鋼の敷地にイトーヨーカドーの郊外型CSが開店、ホームセンター、のちにヤマダ電機、スーパー銭湯開店
2002年 東北新幹線八戸駅開業。北の玄関口として栄華を極める
2003年イトーヨーカドー八戸店が閉店、跡地に地元出資チーノオープン。市民映画館が開店
2000年前半イオンモール八戸田向店40,000平米級の建設計画が持ち上がる
当時建設中の4車線の県道八戸環状線沿い一帯の田んぼを区画整理し、中心街から八戸市民病院が移転した付近に立地計画
市民の多くは歓喜に沸いたと思う。わざわざ隣町のイオン下田まで行く必要がなくなるからだ。
しかし、中心市街地の商業者を中心とした商工会が猛烈に反対し、当時の市長も大反対。
地元新聞の投書には、商店街関係者と思しき女性が「イオンが来たら中心街がシャッター商店街になってしまう。そんなところで祭り(八戸三社大祭という由緒ある山車の祭り)は見たくない!」などと書いていた記憶。
ほかに、市民病院の近くが週末渋滞して救急車が到着できなくなるから反対との投書もあった。
その後、市長は1期で落選し、新市長が当選し立地規制条例を制定
2012年 郊外にイオン田向ショッピングセンター開設(7000平米級)
新市長は、空洞化した市街地を再建すべく、市営の箱を次々と建設。
2011年 市営のポータルミュージアムはっちが開設、中心市街地にタリーズコーヒが初出店
2016年 ガーデンテラスが竣工し市営の八戸ブックセンターが開設、Yahoo八戸センターが同ビルに拠点開設
2019年 国際大会用の屋内スピードスケートリンクが開館(中心市街地から徒歩圏の運動公園に建設)
2020年 元長崎屋跡地にDEVELD八日町が竣工 13階建で2階以上はマンション
2023年 イトーヨーカドー八戸店跡地のはっちが閉店。解体されマンションになる予定
2023年 八戸港の水揚げ量が昭和19年レベルに激減(戦後最悪水準、金額ベースで最盛期の10%の漁獲高)
2025年 青森銀行とみちのく銀行が合併し青森みちのく銀行設立予定
東日本大震災のあと、約10年で三陸復興道路が完成し、県道の環状道路は大半が開通した。
ロードサイドにはセブンイレブンも、タリーズも、コメダ珈琲も、スタバもできた。新しいスーパーやホームセンターはあちこちにできた。
中心市街地は市営の箱物はたくさんできて大変モダンな空間になったが、観光施設や、広場施設であり、結局、車社会の一地方都市には、かつてのイトーヨーカドーのような民間の商業施設は20年経ってもできなかった。地元商工会議所は郊外巨大CS進出を阻止に成功したが、経済の低迷は続き中心街へ商業立地の開発誘導を果たせず、三春屋とチーノは閉店し、今やさくらの百貨店が残るのみである。かつての商業ビルはマンションへ建て替えが進む。
商業床がマンションになるのであれば、予定通り40,000平米のイオンモールを建設しても問題はなかったと思う。
郊外のイトーヨーカドー八戸沼館店は閉店後は、1991年開店の江陽のラピア長崎屋と、2012年開店のイオン田向(リテール)のみになる。
GMS衰退の潮流は止められず、地方の車社会は市民は無料駐車場のあるイオンモールを求めていた。
よく巨大郊外型モールが撤退したあと社会問題になるため開発抑制が必要だという。都市計画の教科書的には正しいことは理解している。
しかし、近隣県を含め広域自治体レベルで規制誘導しない限り、一自治体が規制をかけても無意味だった。
結局、一番割りを喰うのはアクセスの不便さ、往復30kmから40kmのガソリン代を消費する市民自身であり、隣町のモールに買い物客が流出して意味をなさなかった。中心市街地の地権者は新たに商業施設を建てるわけもなく、文化的施設の建設に補助金が投入された。
2050年までに、八戸市の人口は社会保障人口問題研究所の推定で14万人台になるとしている(最盛期より10万人減少する)
人口減少社会は、かつての拡大した市街化区域を減らし、都市軸の再形成、まちなか居住、コンパクトシティの形成、魅力ある歩いて暮らせるまちづくりをするなど、さまざまなメニューがあるものの、あまりにも中心市街地再興への道のりが長すぎる。その過渡期に過ごす市民は、これからもイオンモール下田に通うことにになる。
せめて20年前に市商工会議所は、利己的な理由からイオンモール立地に反対せず、県道沿いの環状バイパスに40,000平米級のイオンモール田向店を作っていれば、あの長い行列をつくりバスを待つ市内の高校生たちはおらず、自転車でイオンモールに遊びに行けただろうとつくづく思う。こうして毎年彼らは高校卒業後、八戸を離れてしまうのだろう。
焼肉屋で20年以上のバイト経験があり、正社員の店長より業界に詳しかった40代後半の友達曰く、焼肉屋の食べ放題は、ランチで利用して食事より会話に夢中になってくれる主婦友達様が一番の乗客で、一番の最悪はひたすら食べ続ける1人男性だったそうな。後者に対しては意図的に配膳に時間をかけることで総量を減らす努力をしていたそうな。
尚、その友人は店長が入れ替わった後、シフト時間を減らされて、今は実質的にクビになって準引きこもりをしている…。貯金がなくなったら共産党に駆け込んでナマポを受けると言っている。何度もあった転職チャンスを物にできずに40代後半までバイトで繋いできた氷河期の末路…。こう言うのがいるから、生活保護受給をルールで明文化して厳格化しろって話が出てくるんだよ…。
お前らは食べ放題のよろこびを忘れてしまった。ああ、なんと悲しいことだろう。
思い出せ、食べ放題のよろこびを。食べが放題なのだ。何をいくら食っても良い。いくらばかり食っても良いし、肉ばっか食っても良い。その喜びをお前は忘れてしまった。
原因はわからない。きっと加齢だとは思う。胃が弱り、ガツガツするのをみっともないと思うようになり、アブラを受け付けなくなり、鶏肉とブロッコリーを蒸したやつしか食わなくなり、そしてお前らは食べ放題のよろこびを忘れた。
思い出してほしい、小学校6年生。サッカーか?野球でもいい。スイミングでもいい。運動会というパターンもあるだろう。なんでもいいが、試合の終わり、打ち上げですたみな太郎に連れて行ってもらった日のことを思い出せ。そういう記憶が無いなら脳内で捏造してもらっても構わない。
まずお前らはすたみな太郎の席につく。土曜日、ランチ。値段は2580円くらいだろうか?子供はちょっと安いから1580円くらいかもしれない。値段なんて覚えていない。親が払ってくれるからだ。
まあ、お前が小学生だった頃のすたみな太郎がいくらなのかは知らないが、とにかく驚くほど安い。最近はセブンイレブンでちょっと弁当とファミチキとアイスとコーラとコーヒーを買っただけで1580円くらい行くよな。しかしすたみな太郎なら食べ放題、食べが放題なのだ。
そしてまず肉を取りに行く。すると広がっている、肉が。食べホならではのよろこびだ。何をとってもいい。大人になると、すたみなたろうに置いてある肉が、ほとんど固形燃料か、あるいはゴムかの、どちらかであることに気づくが、野球終わりの小学生にはごちそうにしか見えない。
そして山盛りにとって席に戻り、ひたすら食べる。とにかく美味い。どうやって食べてもいい。適当にたべてもいいし、じっくりていねいに焼いてもいい。ここで問題なのは、食べホじゃない焼肉屋では"じっくりていねいに焼く"以外の選択肢が存在しないことだ。なんと不自由なのだろうか。
お前は小生意気だからきっと小6にして"すたみな太郎の肉とかゴムだろw"とか言って、少しでもマシそうに見える原価の高そうな肉ばかりをとるかもしれない。
だが、そんなことをされてもすたみな太郎は痛くも痒くもない。なぜなら、すたみな太郎にとって、お前の笑顔こそが一番の報酬だからだ。ほかの食べ放題屋はそうではないかもしれないが、すたみな太郎だけはお前の幸せを真剣に願っている。お前の打ち込んでいる、サッカーか、野球か、そろばんか、プログラミングか、なんなのかは知らないが習い事の成功を願っている。そして今でもお前の幸せを願っている。お前は今、幸せか?
お前は忘れてはいけない、食べホの魅力を。たとえお前が老いから食べホに行かなくなったとしても、食べホに魅力があったことだけは忘れてはいけない。
食べホには自由がある。何をどれだけ食ってもいい。殺人以外は何をしても許される。
たまに「デザートは一人1品」とか抜かす食べホもあるが、最初に告知しているのであれば別にかまわない。後出しジャンケンは卑怯だというだけの話で、最初からルールが決まっているのなら問題はない。食べホにおまけでデザートがついているのだと解釈すれば許せないことなど何もない。
食べホの魅力は食べが放題な部分にある。「ほかの客のためにほどほどにすべき」「ほどほどにしないと変なルールができて全員が損する」「品がない」などと抜かす奴は食べホの魅力をわかっていない。品がないのが食べホの魅力だ。(ホテルのレストランがやっている「高級中華注文制食べ放題」のように品のある食べホも世の中には存在するが、そういうのは例外かもしれない)
食べ放題の魅力は、後出しジャンケンをされないところにある。明文化されているルールの範囲であればなにをやっても許されるフリーダムさこそが食べ放題の魅力だ。「俺の行為で周りが迷惑するかも」なんて考える必要は1ミリも無い。マジで1ミリも無い。
自分にルールを決める権限がありながら後出しジャンケンをするカスの資本家店長も食べホの魅力をわかっていない。「スイーツは1品のみ」「フカヒレは1皿のみ」「一度に注文できるのは5皿まで」とルールを明文化して戦っている食べ放題屋さんは今ではありふれている。実にフェアだ。隣町のスポーツ少年団をサッカーでボコボコにしたあの輝かしい日のお前のように、完璧なスポーツマンシップにのっとっている。そういう店と比べると、ルールを決める権限があるのに明文化せず、シンプルなルールでお得そうに見せかけて客を呼ぼうとするのはフェアじゃない。
確かに、外れ値というものは存在する。赤字にならないようになっているはずの食べホに赤字の打撃を与える猛者というものは確実に存在する。だから外れ値が出たときの赤字を吸収できるように、それ以外の客で収益を上げられる仕組みにしておくべきだ。人間は食べる量が一定ではない。食べるものも一定ではない。だが平均すれば一定だ。
外れ値のせいで少食の人間は損をするかもしれないが、だからと言って外れ値を後出しジャンケンで排除したら、次に外れ値として後出しジャンケンで排除されるのはお前かもしれない。
後出しジャンケンで損をするのは外れ値の人間だけではない。お前も損をする。後出しジャンケンが横行すると心理的安全性が下がり、お前のような大して食べない老人までもが食べ放題を心から楽しめなくなる。だから、そういう資本家の横暴を許してはいけない。万国の労働者よ、団結せよ!
お前は年老いてしまった。豚バラを一切れ食べれば胃もたれする肉体になってしまった。店の弱点を突き、店長が泣くまで食ってやろうというガッツを無くしてしまった。そのガッツこそがお前をサッカーで活躍させたパワーの源だったに違いないのだが、お前はそれを忘れてしまった。
それ自体が悲しいことだとは思わない。老人には老人の役割がある。老人にガッツがあっても大して役にはたたない。お前のような老人には、威厳と、少しのユーモアさえあれば良い。
真に悲しいのは、お前がガッツを無くしてしまったことではない。お前が、食べ放題を楽しみにしていたあの頃の自分の気持ちを想像できなくなっていることだ。
老いてしまった肉体は取り戻せないが、老いてしまった想像力は少しくらいなら取り戻せるはずだ。今からでも間に合う。
だからこそ思い出せ、食べ放題の魅力を。そして行け、すたみな太郎に。
すたみな太郎に行きなさい。
そしてゴムみたいな肉を食え。それに飽きたらほとんど燃料としか思えない真っ白な肉を食え。そして黒毛和牛ではなく"黒毛牛"と書いてある謎の肉を食え。黒毛牛はそれでも他の肉よりは高そうだから、黒毛牛ばかりを食え。飽きたらラーメンを食え。タフな老人になれ。サンチュを焼け。手羽先を焼け。黒毛牛を焼け。ラーメンにカレーをかけろ。そのかわりに必ず全部食え。アイスを食え。他人の気持ちがわかる良い老人になれ。寿司にラーメンスープをかけてお茶漬けを作れ。黒毛牛を焼け。そしてサッカーで優勝しろ。サッカーじゃないのなら野球でもいい。お前が優勝できないならお前の子供が優勝しろ。子供も無理なら近所のガキでもいい。なんでもいいから優勝しろ。幸せになれ。お前の幸福、ただそれだけがすたみな太郎の望むことだ。そしてドリンクバーを混ぜろ。"黒毛牛"をラーメンに乗せてチャーシュー麺を作れ。そして唐揚げを焼け。寿司を焼け。
「増田さんメンタル相当弱いと思うわ。一人っ子で相当甘やかされて育てられたんやろな、違うか?」ってバイト先の店長に言われました。
本当の事なので何も言い返せなかったですがメンタルが弱いのは本当に気にしてて、少しでも強くなる方法があれば教えて欲しいです
食べ放題で上タンばっか50人前頼んだら店長にキレられた「嫌なら食べ放題やめろよな」
客にキレてるブコメ、余計な規制や制限が加わる事を憂慮してる傾向にあるけどさ
これで1人1種1皿とかいう極端な制限が掛かるなら話は変わると思うが
普通の人は誰もやらない(そもそも50人前も食えない、これほど同じ物を頼む事がまず無いetc)状態であるなら多少の皿数制限が入っても何の不都合もなくね
ええ…
例えばりりちゃんがバイト先のキモい店長にずっとつきまとわれてて嫌になってそれならいっそ金引っ張ってやるか…?ってなったならその理論も百歩譲ってわかるよ?
無店舗型性風俗特殊営業(いわゆるデリバリーヘルス)として、延岡には、ATOMがあり、店長は、消防次長(熊谷雄市)がやっていますが、平成31年3月17日に、
かんなちゃん、という女の子がいたので、ホテル営業サンタナに派遣したはずですよ、はい。言動としては、
あー、バイブレーターですか、入るかなあ、入ったばかりの子なのでね、入らんのじゃないかなあ。 ホテル営業サンタナの方は当時、老婆がフロントをしていました。
サンタナはもう、令和元年12月頃から5年間も延々と休業状態なので、廃屋のようにみえますが、実は居室には豪華な風呂があります。
ちなみに他の子は来ません。
CWの宮脇は臭い頃の小橋輝彦で令和2年3月31日に前の木田CWが異動されたので、R1.12.25の返還金額決定のときに既に宮脇がいたので宮脇かなとも思いますが
上野の痴漢電車のヤクザが、もう言葉も通じないしうちの店には来ないでくださいねといったのははるか昔の話で、女の子もいませんのでという話だったが、そこのヤクザはいい人そうだった
池袋LIPの店長は郵便配達員の大野雄市なのでおぺちなのでかわいいので、 平成30年10月30日にです、今来ても私しかいませんとかね、男の娘風俗の ラナ
店長は女性の人と、東京高裁長官だったように思う 会話の記憶は、み、みりょくwww というようなこと。
佐藤もぐらとは話が早いので、SMBCもぐら証券といったことを書いているとすぐに霊界の高野伸と中嶋康弘に指令が伝達されてソフトの店長とすぐ話がつくが
延岡のティアラ、キレイの従業員は、それの界隈とは関係がないので、何の結論にも到達しないから、事実上利用していないだけ。
ティアラ、キレイの従業員はおそらく、消防予防課の中でも糞見たいな奴がやっているので、そこを利用するには至らないっていってんだろ。
1 被告人は,幼少の頃から集団に馴染めず,友人もできないなど上手く対人関係を作ることができず,中学生の頃にはいじめを受けるようになって不登校となり,家庭内では粗暴な言動に及ぶこともあった。被告人は,中学卒業後,高校には進学しなかったが,
2 被告人は,求人広告を見付けて,平成30年4月から,aでアルバイト従業員として稼働していたところ,同年6月26日午後1時頃,勤務中に他の従業員と口論となり,仲裁に入った店長に注意を受けたことに立腹し,同人に暴行を加えて左肋骨骨折等の傷害を負わせ,アルバイトを辞めるつもりで同店を後にした。
被告人は,b警部補に対し,ナイフでその腹部,顔面等を刺すなどの攻撃を加え,途中,同警部補は,発射警告をした上,けん銃を2発発射するなどしたが,間もなくうつ伏せに倒れ込んだ。被告人は,同警部補が動かなくなると,直ちにその吊り紐を斧で切断して同警部補のけん銃を入手した。その頃,交番相談員は,通報の途中で受話器を放り出して同交番の正面出入口から逃げ出しており,同交番内には誰もいなかったが,被告人は,手にしたけん銃を構えながら同交番内に入り,各部屋をのぞき込むなどしていた
被告人は,同日午後2時24分頃,奥田交番から程近い大通りへと戻ってきたところ,奥田小学校の敷地内をc警備員が歩いているのを見掛け,その服装から同人を警察官と誤認し,約54.7メートル離れた位置から同警備員に向けてけん銃2発を発射したが,いずれも命中しなかった。さらに,被告人は,奥田小学校の敷地内に入り込み,その際,近くを歩いていたd警備員を警察官と誤認して,至近距離から同人の顔面に向けてけん銃1発を発射し,同人を殺害した。
5 その後,被告人は,けん銃の弾が無くなったため,その場にけん銃を投棄し,c警備員を追い掛けようとしたが,臨場した警察官らに呼び止められるや,同警察官らに襲い掛かろうとしたところ,警察官にけん銃で撃たれ,その場で現行犯逮捕された。
ホテルにいつも来る客は、お代の16000円を支払うだけで何もない人であるとかうんこちんちんであるというがそもそもお前の視覚や視点から大量にあるような
工業規格、もしくは、社会表現上の規格設計の人がホテルにいる方がおかしいのである。それはさておくとしても私がホテルにいるときの私の見た目や相手方からみえる
概要を誰がデザインしているのかいかんながら私はその場所にいるときに認識できない。わたしはただホテルに入って座って待っているという状態をみているだけで、実はそこに
諸般のデザイナーがいるということがあまり分からないのだ。分からないのはそもそも監視カメラがあってはいけないような個室をデザイナーがデザインしているということがおかしいので
おそらくその個室にいるときの私をデザインしているのはせいぜい、私が自転車でホテルに行く間に、知らない間にひっついてくるもぐらとか、その佐藤もぐらの知り合いの店長が、従業員に
今回はこのようにしてこいと命令する程度ではないかと思う。それ以外にもその周辺の家に住んでいるインターネット利用者が何かをしていること、特に、インターネット利用者、SNS関係者の
中には寝ている間に高度な技術を行う者がいるので、そういうことが出来るかもしれない・・・ しかし私がホテルに入り従業員が入ってくるときは覚醒しているときであり、覚醒しているときに
恐ろしい魔法があったのは強烈に眠くなるが確実に眠らせるほどではない他に、自転車の事故を発生させる魔法にしか遭遇したことがないので、覚醒中に奇跡的なことが出来る人は
いないのではないかと思う。 むろん社会経験上、 ある、というのは、そのプレイ中に、相当に従業員を傷つけてほしいとか、苛めてほしいとか、極めて短時分中に色々なことをすることを
相手方が希望しているのではないかと思われるふしがないのでもないが・・・ 日本語は極めて分かりにくいものであるため、これほど理解するのに苦しんだものはない・・・
延岡市のデリバリーヘルスは、ベルジュ金マツBB2のような名前がついている平成30年頃に出来たアパートに住んでいる社会に出てきてはいけない怪物が計算機で動かしているところが
ほとんどであるが、女性従業員が高性能計算機で稼働していると解するとしても、何の魅力もないようなものしか出て来ないのが現実であり
東京都の渋谷の場合は、平成30年、平成31年のじゅりちゃんや、はづきちゃんも出ていたが、はずきちゃんは当時40歳で、既に太っていたし、令和元年に入ってからも、カワイイガール
などを利用していたが記録に残っていないこと、池袋LIPの栃木ガールなどが出てきていた時代もあったが次第に出て来ないようになり、それ以後も記録されていない件が多すぎる。
現実的な経験則上、どのような設計計画に出ていくかによって出て来る従業員が違ってくるというものであって、ここでいう、設定というのは、言葉を間違えているが、法学上は、デザインに属する
ものであり、視覚的な美観がどのようになっているかという意匠であるが、そのデザインがない場合で、デリヘルに電話をすると、店長の方が、本人ではなく、セナさんという名前のついた振替嬢を用意して
おり、社会を知らず何の設計も考えないで店を利用すると、振替の従業員が部屋に来るというしかけになっているものである。この点を、大人は執拗に説明しないということになっており、我が社会における
まず、やつらの根底にある考え方は「勝ち」だけだということを言っておく。「負け」はない。
例えば、あるクズの学生が万引きしたと仮定しよう。学生は、どうしても学校や親には知られたくない。なので、その場で土下座したり、泣いたり、喚き散らしたり、プライドも何もなく、とにかくその場で収めてもらうように足掻く。
さて、では、無事に学校や親に連絡はいかず、解放されたとしよう。その学生が思うのは「助かった」ではなく、「勝った」である。自分は店長に許されたんだとか、学校や親にバレずに済んで良かった〜ではなく、「店長に勝った」みたいな、そういう考え方をしている。
いや、待ってくれよ。学校や親に知られたくなかったんじゃないの?だったら、バレずに済んでよかったと思うんじゃないの?
違うんだよ。学生にとって、それは、あくまでも「勝ちの条件」を設定してるだけで、本当にバレたくないわけではない。バレたら恥ずかしいから、バレたら怒られるから、みたいなそんな子供じみた理由すらない。学生はそういうゲームをしてるんだよ。もちろん、万引き自体、「バレなかったら勝ち」なわけなんだが。
では、逆に、店長に許されず、学校または親に連絡がいったとしよう。これは「負け」だろうか?いや、違う。これは「たまたまこの店長の性格が悪いから、自分は損をした」になる。つまり、店長のせいである。そして、学生はあろうことか、次のゲームを始める。例えばそうだなぁ…親に怒られずに済ます、とかね。
すると、学生は「受験でストレスが溜まっていた」や「周りの友達がやっていて、やらないと仲間はずれにされるから」のような、相手に「仕方ない」と思わせるような嘘をつく。あ、もちろん嘘ね。ストレスなんてないし、そんな友達もいない。
そうして、親に軽く怒られはしたが、最終的には「もう、こんなことするなよ」や「次からは相談しろよ」のような、円満な解決を迎えたとしよう。はい、これ学生の「勝ち」です。親にそんな怒られずに済んでよかった〜ではなく、「はい、俺の勝ち」です。
さて、では、すべてがうまくいかず、親にもこっぴどく怒られて、険悪な雰囲気のまま自宅へ戻ることになったとしよう。残念ながら、こればっかりは流石の学生も「どうやっても勝ちにはならないな」と考えてます。しかし、それは「負け」ではない!
「あーあ、運が悪かったな。あの店の店長もクソだったし、親の機嫌も悪かった。タイミングも悪かったかもな。今度やりたくなったら別の店でやるか。次は絶対にうまくいく。ほんと、酷い1日だった」
これです。負けなんか認めるわけがない。
たまたま、うまくいかなかっただけ。店長がもっとマシだったら、親の機嫌が良ければ、何か漠然とだがタイミングが悪かったように思う。こういうことしか考えない。反省もしないし、負けも認めない。
でも、加害者の中にはちゃんと反省してる人もいるじゃないかと、そういう意見もあると思う。確かにそういう人もゼロではないと思うが、ほとんどは、とんでもなく本当に酷い目にあって、「2度とこんな目にあいたくない」と思ってるだけだということを俺は主張したい。
例えば、さっきの話でいくと、親にボッコボコに殴られて本当に死ぬかと思ったとか、avみたいに店長に体を要求されて初体験を奪われて、精神的に大きなダメージを負ったとか。逆に言えば、そこまでしないと、何度も加害を繰り返す。
元より、人の痛みが分からないから加害者になるんだから、痛みを分からせてやれば加害をやめるかもしれないということ。それが良いこととは思わないが。
最後に。ふと、自分の人生を振り返って、本当に酷い目にあったな、と心が沈んでしまうことがある。そういう時、俺が元気でいられるのは俺に寄り添ってくれる人がいた、という記憶があるからだ。
もし、周りで何かつらい思いをしている人がいたら、加害者を責めることよりも被害者に寄り添うことを優先してほしい。加害者っていうのは、どれだけ優しい言葉で諭しても、そう簡単には反省しない。創作みたいにうまくはいかんのだ。
でも、被害者はちゃんと救われるし、助けてくれたといういい記憶があると、自分もいつか助ける側になるかもしれないから、と奮起させることもできる。だから、加害者を責めるのをやめて(誹謗中傷をやめて)、被害者に寄り添うことを優先してほしい。
後、別に体罰を復活させろー!みたいな立場でもないです。子供に対する体罰はほんとにダメだと思うし。
ほな、さいなら。