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はてなキーワード: 本質とは

2017-07-24

獣医待遇が悪いという話を聞いて

獣医師待遇改善というのは、絶対にない。

獣医学部に入った段階で、生涯年収はかなり低め、あるいは人並み以上の生涯年収は得られるが人の倍以上働く人生が待ってる。

まず、動物病院

動物病院で働くと、かなり安くこき使われる。

動物病院というのは、本質感動ポルノから

いい獣医さんと、そうでない獣医さん、その違いってわかる人なんかいない。

というより、いい獣医さんの基準なんて、人それぞれで、主観的もの

腕がいいとか、仕事が早いとか、そういう絶対評価じゃなくて、あくま主観

親身になってくれる、みたいなもんでしょ。

そして、次は安いこと。

度外視で汗水たらしてくれて、安い、そりゃそういう職場環境になるよ。

病院経営は遊びじゃないから、当然建屋には維持費がかかり、開業資金は返済しなくてはいけないし、そんな感動ポルノをやったら切り詰めるのは人件費しかないわけで。

ペットの高度医療なんて、本心じゃ誰も望んじゃいないんだよ。

客が、ペットの余命を5年延ばすために何百万出せるかって話。

動物病院だって、年に1回使うかどうかの高度な検査機器をに、1千万も出せるか?

検査費で何万も請求したら、即座に悪徳呼ばわりだぞ?

その情報がなかったら死なせてしまうような検査機器だったらそれでも買うかもだけど。

いや、買わないか

死人に口なし、というか死ぬから口なしだし。

万全の設備でオペをしても、なにもモニターしないでチャチャっとオペしても、客がみるのは請求額だけでしょ。

本当言うとさ、ヒトじゃ禁断の優生学を使って、病気も怪我も滅多にしない健康な犬でも猫でも作れるよ。

でも、そんなの求めてないでしょ?

筋骨隆々、雑に扱っても、なにを食べさせても平気って犬を求めてるわけじゃないでしょ?

しろ奇形を楽しむのがペット産業だし。

人の倍くらい働いて年収400万、終身雇用なんてないから、動物病院開業資金を貯めて、そんな稼ぎじゃ当然足りないか銀行に借りて、晴れて開業

そっから先はもっと死ぬ気で働く。

人を雇う余裕が出たら、自分がされたように、安く安く新卒獣医を雇う。

公務員待遇改善もない。

だって、本当は雇いたくないんだもん。

狂犬病予防法で、獣医野良犬捕獲の陣頭指揮役に保健所に置かないといけないけど、ぶっちゃけ置きたくない。

他の大卒と同じ給料から雇ってるけど、獣医保健所にいるメリットなんてないわけで。

最近じゃ野良犬も少ないからさ、窓口でエイズ相談受けたり、スーパーバックヤード指導に行ったりだけどさ、獣医じゃなくてもよくね?ってみんな思ってる。

当の獣医ですら思ってる。

食肉検査もさ、そりゃ重要仕事だけどさ、獣医じゃなくちゃいけないといやそうだけど、そうでないとも言えなくもない。

だってちょっとでも怪しかったらアウトだもん。

ヒトの医療現場だったらさ、専門的な決断要求されるじゃん?

リスクを取って全摘か、日常生活に支障が出ないように温存か、みたいなやつ。

でも、食肉検査ってそういうんじゃないじゃん。

流れてくる肉の色がおかしかったら、原因はさておき、全部アウトにするしかないじゃん。

普段と違ったら廃棄という決断をするだけ。

そりゃね、すっげー高い和牛なんて、廃棄は勇気がいるけどさ、食の安全のほうがずっと重要なわけで。

もちろん、獣医のほうが、なぜそんなおかしい色をしてるのか、おかしな病変があるのかの原因の推理は出来るんだけど、おかしいことは誰でもわかる。

からね、食肉検査をしてる獣医だって、それ以上の給料は望めないのは知ってる。

高度な教育を受けたのだから、高い給料をくれというのは通らない。

高度な教育を受けた人が検査しても、そうでない人が検査をしても、結果がかわらないなら、望む給料はもらえないのが道理だ。

まあ、そんなわけで、獣医薄給なのはしょうがない。

企業就職したって、同じこと。

長文になってきたらから省くけど、企業就職したってあんまり高い給料はくれないよ。

獣医を目指す高校生のみなさん、獣医学部制のみなさん、現世での幸せは諦めましょう。

2017-07-23

Twitterが息苦しい

Twitterいつから始めたかな。震災から始めて細々やってたから、多分6年くらい。って思い返して、あの頃と今でなんとなく居心地が違う、気がしてきた。

趣味わたしアカウントを分けることなく1つのアカウントで呟いていた。表立って言えないことを言うように鍵垢とメインのアカウントに何かあった時にとサブ垢を作っていたりもしてたけど基本1つのアカウントで呟いていた。

アイドル応援舞台観劇スポーツ観戦、特撮漫画などの感想などなどいろんなことを1つのアカウントで全部呟いていたけど特に何も言われなかったし、「その漫画わたしも好き!」とスポーツ観戦で知り合った人に言われたりすることあった。だからなんの疑問にも思わなかったんだけど。

3年前くらいにめっきりスポーツ観戦に行かなくなったのでアイドルに特化したアカウントを作ってそっちに移動し始めてくらいのことだ。フォローフォロワーは当然アイドル好きな人が多い。

もちろんわたしアイドルのことをたくさん呟くけど、たまに漫画のことや特撮感想舞台に行った時のことなんかを書いていたら、まぁリムられるリムられる!ブロックすらされた。ネトスト気質からブロックした人すぐ見つける。今のところブロックしてる人全員わかる。話が脱線した。

つの間にやらTwitterでは、一つの趣味につき一つのアカウント、みたいな風潮ができてしまった気がする。

確かにその方が同じ趣味の人を探しやすいし会話もしやすいし興味ない人からしたら住み分け出来てていいのかもしれない。

でも何か…なんかそれってTwitter本質というか、それとは違うような気がしてしまって…モヤモヤする……。決してリムられたことに腹を立ててるわけではない。いやちょっとそれもあるけど。だってたまに違う趣味のこと呟いただけでリムられるってなに…?!わたしには興味なかったってことなんだろうけどさー。わたしが話すアイドルに興味があるだけでそれを発信する人は誰でも良かったんだろうな…。

友達がほしくてTwitterしてるわけではないし、誰かに反応してほしくてTwitterしてるわけでもないけど、でも誰かと話せたら楽しいだろうなって気持ちはあって。そういう気持ちでずっとTwitterしてたけど最近はどうしていいのかわからなくなってる。

趣味自分がいけないのかもしれないけど、悲しき喪女趣味がたくさんないと孤独を紛らわせないしこの先も生きていけないから好きなものはたくさん持っていたいんだよ…。

趣味ごとにアカウント作ってたらキリないし呟くの面倒になるしアカウントごとに知り合った人が多くなってそれもな〜〜もうどうしたらいいんだろ。Twitterやめれば解決するけど友達いない喪女からやめたら人との関わりなくなる。ネットでの関わりな時点でお察しですけど。

ネトストからミュートされてるかすぐ確認ちゃうし知らない人でもブロックしてる人見つけ出しちゃうし。得意科目は人の裏垢探しで苦手科目は嘘松ツイート作りですって感じだよ。

Twitterを辞められる方法もしくは快適に過ごせるメンタルの持ち方教えてください。

https://anond.hatelabo.jp/20170723064204

申し訳ないけどそちらの言う「公害問題と同じ」とか「この問題本質」ってのは正直言ってよくわからない

ニホンウナギ絶滅漁業資源の枯渇は公害問題のように地方僻地に住まう少数市民犠牲だけで成り立つものではないし、それ以前に漁業資源保護議論日本一国だけで行われるものではなく、クロマグロ保全のためのWCPFCのように国際規模で行われてるもので、「公害問題と同じ」ってのは見方として乱暴すぎでは

消費者消費者立場意思を表明すること自体はかまわないし、まったく結構なことだと思うけど、「悪は**で我々は被害者である」みたいに話を矮小化するのは議論を反って混乱させるだけでしょ

ましてや最後

被害者が立ち上がらなかったら、営利を優先する企業は行動を改めませんし、政府も本気で規制に動きません。

そういう歴史のある国に生まれたことを自覚してください。

なんてのはまったく見当違いで、そもそもあらゆる国家元首権力者は常に市民を虐げてきたし、そうした圧力者に対応しうる力として市民たちによる一般意志機能しなかったことなんてないから。

市民市民立場で主張すべきことを主張すればいい。ただ、そこに劇画的な善悪加害者被害者関係性は必要ない

店のなかでスマホ見てる奴はなんとかしてほしい

http://www.sankei.com/west/news/170722/wst1707220039-n1.html


本屋とかコンビニとかで同じ棚の前から動かねーなと思ったらじっとスマホを見てる奴

同じ場所に立ち止まってスマホを見られると、通れないわ棚見られないわでとても迷惑


でも俺はスマホ使い全般はにくまないけどね

結局周りを見れないクソカスさんはスマホ持ってても持ってなくても迷惑なんだよ

スマホ見ながらでなくても邪魔な歩き方してるやついっぱいいるし

スマホのどうこうをいうのは本質からズレた議論になるよね

周りに意識を向けられない奴はだだっぴろくて人少ない田舎に住んどけ

https://anond.hatelabo.jp/20170723040411

この問題本質は、公害問題と同じなんですよ。

四大公害病の1つ水俣病の発生から解決までの経緯を考えたら、被害者である一般市民活動重要であることは分かるでしょ。

ウナギ問題で鰻が絶滅すると、一番被害を受けるのは消費者なんですよ。

だって値段高騰で消費者被害を受けているんです。

被害者が立ち上がらなかったら、営利を優先する企業は行動を改めませんし、政府も本気で規制に動きません。

そういう歴史のある国に生まれたことを自覚してください。

2017-07-22

二世帯つらい

風呂シャワー蛇口が壊れてる。

原因は、母と妹が「強い水圧じゃなきゃシャワーを浴びた気がしない」という理由で毎回お湯の蛇口限界まで捻ることにあると思っている。

限界まで捻らなくても、途中からもう水圧は変わらなくなると思うんだけど…

で、限界まで捻るから閉めるのがめんどうくさくなるのか、いつも蛇口を全開にしたまま手前のシャワー蛇口だけとめてお風呂から出てくる。

いよいよ水圧に耐えきれなくなって、蛇口の根元が壁から浮いてきてしまい、お湯がダラダラこぼれてくる。

ここ一年ほどは蛇口を開けると「ボー」という音が出るようになり、夜は特にその音が響くのが気になる。

もう何年も母に「水道屋さん呼ぼうよ」と頼んでいるのだが、その度喧嘩。今夜もそれでマジギレ。

限界まで開けるから水圧がかかるんだよ」っていうと「私たちのことを責めてる!!」ってキレられる。「あんだって洗面所蛇口ちゃんとしめてない」とすり替えてきたりとか。私はしめてる。大体は妹だ。でもこういう話が始まると無言で部屋に消える。私がその手を使うと母は私を部屋から引きずり出すというのに。

他にも、家の機能で完全に壊れてるところがあって、常識的に考えてそれは一刻も早く直した方がいい!と思うんだけど、それも言うたび母逆ギレ

でも、つらさの本質は、結局家の決定権は祖父母にあるということなんだ。母方の祖父母と一緒に住んでるんだけど、母も祖父母も親離れ子離れできてない。もちろん母の言うことは聞き入れてもらえない。

私は壊れてるのが気になるし、そういうのを直して維持しながら暮らすためにお金があるんじゃん、と思う。

から「おじいちゃんとおばあちゃんに言って」って言われるからちょくちょく訴えかけてるんだけど「お金がかかるのよ」って言われる。そりゃかかるよ!!!!!

母と祖父母は自分たちの考える理想の豊かな生活のために無駄遣いしてばっかり。

都内に家がある、土地がある」ということだけが自分たちの誇りだからマジで勘弁してってときがけっこうある。

墓参りの帰りに揃って鰻食べるの一回控えたら、それで水道直せるんじゃないかなあ。

家の壊れてるとこ直さないことのほうがよっぽど変だよ。

祖父母は自分たちではなんにもしなくて、友達全然いない。そのくせ親戚か知り合いの話ばっかりしてる。夏は避暑地にたてた別荘にいって孫たちの自慢。よその本当のお金持ちのひとたちに恥ずかしげもなくマウンティングしてる。数年ぶりについていってあげたら、行きつけのごはんやさんの人が私のことすごい知っててめちゃくちゃ恥ずかしかった。大学のこととか、高校部活のこととか。やめてほしい。お店の人にも、祖父母のつまらない自慢話に付き合わせてしまって申し訳ないと思う。

はやく家から出たいんだけど、私は第一子長女で下に男の子もいない。

母もそうだった。「家を継ぐ」ことだけを求められてきた、かわいそうな人だ。

祖父から「家を継ぐ気はあるのか」って言われる。拒否したらどうなんのさ?

つーかなに名家気取ってんだよ。マジ大した事ない普通の家だろ。

ホントちょっとした不動産があるだけで、ただの成金なんだ。しか最近知ったんだけど、別に先祖から代々受け継がれたものというわけでもない。え?そんなもんだったの?って思った。そんなもののために私たちはこんなに縛られているの?

あるだけですごいのも、ありがたみも、よく分かるけど、身の程を知ったほうがいい。

墓参り行く度に「あなたもこのお墓を守るのよ」って言われてきた。正直もうたくさんだ。

おかげさまで大学まで行かせてもらえて何不自由ない暮らしもさせてもらえてるけど、それ以外の精神的な安らぎみたいなものはまったくない。とにかくつらい。

就職が決まって、人事の人からも「最初の1〜2年は実家にいたほうがいいよ、都内ならなおさらだよ」と言われるけど、私はとにかく自分自分らしく生きていけるように、自由を手にするためだけにここまで頑張ってきた。

中学の頃から「家を出て一人で長く暮らしていくための様々な力をつける」ことを目標にして、大学受験就活も乗り越えた。

それでも家での私の評価はとても低い。

根暗とか元気がないとか生活力が低いとかやたらガミガミ言われるけど、勉強だけしてればいいっていってたのはどこの誰なんだよ。

それでも一歩家から外に出れば、そんな私を良いと思ってくれてる人がたくさんいるんだ。

なんで自分たちの死んだあとのことばかり気にしているの?

はやくお金をためて実家距離を置きたい。

こんな気持ちは本当にもうたくさんだ。

2017-07-21

https://anond.hatelabo.jp/20170720214441

「超絶的に偉い人の前でも(君は)できるのか」という問は本質を突いていると思いますね。

例えば観閲式で激励される時などは脱帽しないですよね。でも御前会議などのとき軍人が着帽のままというのもおかしい気がします。TPOがあるということでしょうか。

教会礼拝する時には脱帽のような気がします。

そうすると、着帽のままでいるというのは、「あなたは私にとって畏敬する人ではない」という意味か、あるいはそういう上下関係強制に対する反逆の表明という意味を持つのでしょうか。ひっくり返って着帽のままというのが相手への親密さの表現になったり、「私は気取っていませんよ、この場でリラックスしていますよ」という意味の表明になったりしているのでしょうか。

あるいはそういう文化的メッセージすら消えた単なる慣習になっている人も多いかもしれませんね。そういう人にとっては、人前で脱帽するというのが「神社に来たら柏手を打つ」ぐらいに非常に特殊な場面のみのルーチンとして痕跡を留めているぐらいの話なのかもしれません。

2017-07-20

性同一性障害を抱える人へ

わたしはいわゆる性同一性障害だった。

「だった」と明示的に書くのには理由がある。

性同一性障害世間に広く知られるようになってもう長い。

わたし現在20代で、比較偏見の目も少なくなりつつなる世に生まれた方だと思う。

言うまでもないが、性同一性障害といのは「性自認」における「同一性」の障害だ。

ジェンダーアイデンティティに置き換えても構わない。

よく性別適合手術まで受け、戸籍変更した元男性も言うが、性別適合手術を受けたからといって、遺伝子は変わらないし、元男である事実はまぎれもない事実だ。

要するに結局はアイデンティティに関する障害であると言うのがこの病の本質だ。

わたし自身性別適合手術を済ませ、戸籍変更も済ませているが、その後もカミングアウトによる偏見の目というのは少なからずある。

これは良い悪いという話ではなく、性同一性障害当事者をどう見るかなんて言うのは差別でも何でもない。

その人の捉え方だ。

もちろん、性同一性障害理由に不当な社会的制裁を下すのは現在法律では禁じられているが、どう思うかなんてのは自由しかない。

程度にもよるが、犯罪妄想したりするのと何ら変わりはない。

話を戻そう。

先にも述べたが、性同一性障害ジェンダー問題であると同時にアイデンティティ問題でもある。

アイデンティティ非難する理由の1つがジェンダーであり、ジェンダーというのは今の医療技術ではどうしても限界があるというのがこの病の難しい点だ。

しか視点を変えれば、アイデンティティジェンダーだけで構成されるものではない。

あたりまえのことだ。

わたし」を構成する要素は性別であり、年齢であり、特技であり、苦手なことであり、実に様々だ。

トランスセクシャル性的マイノリティというのはもちろんそれを構成する要素の1つだが、再三言うがそれだけではない。

自分遺伝子的な性はどうやっても変わらない。

それでも体を変えることで自分世界が少しでも明るくなるならば、治療を受けて見る価値はあるだろう。

性同一性障害を抱える以前にまず、自分アイデンティティについて一度考えてみるのも大切なことだ。

2017-07-19

https://anond.hatelabo.jp/20170719113244

生得的な部分とか自分本質だと思ってる部分でモテたいって思ってる傾向はあるよね

男性を無条件に承認してくれる存在なんか普通母親くらいしかいないか

民進党には他にも帰化した議員がいるけど話題になるのは蓮舫さんだけ

差別差別だと言ってる人にはそれがなんでか分からんのだなぁ。言論封殺のために本質から逸脱して差別を持ち出してるだけやん。

2017-07-18

天皇制なんてさっさと廃止しろ

天皇制本質は、家柄・血統による差別である

高潔なる天皇家を認めることは、当然その対極に、穢れたる存在を生み出す。

天皇皇族を、家柄や血統が良いとして崇める事は、構造的に部落民差別する事と一緒である

天皇が聖性を家柄・血統として、代々伝えることを認めるならば、部落民の賤性もまた、家柄・血統として代々伝えられることを認めることになるのである

また、賤であり穢れた存在を置くことは、天皇自らの聖性・浄性を相対的に高めるという効果がある。

天皇家にゆかりがある関西や、大和朝廷関係がある地域と思われる福岡熊本大分被差別部落が多いのは、おそらく古代中世期に天皇制権力賤民部落民の原形を作り上げたからではないかと考える。

天皇が聖性を家柄・血統として代々伝えることを認めるならば、部落民も当然その賤性を代々伝えていくことまで認めることになるのである

天皇家天照大神から万世一系に繋がっていると信じさせている。何が万世一系と見なされているのか。

一つ目は、三種の神器継承である。これは天照大神時代から代々伝わっているとされている。

二つ目は、霊が繋がっている、とされている。大嘗祭は、収穫を祝う祭であるが、それだけでなく、現在天皇が旧天皇死体と共に寝るという儀式もある。これによって、先帝の天皇霊が新天皇身体に憑くのである。したがって、天皇天照大神と霊的につながっている現人神とされたのである

三つ目は、血が連続している、とされている。皇位根拠古代以来連続してきた血統にあるとされた。

そしてこの連続性は当然今後も継続することが当たり前であるということを正当化させる。こうした天皇万世一系性は、あらゆる家系優越し超越する天皇家家系を強調し、皇位の不動性をわれわれに当然のものとして受け取らせるのである

万世一系を唱えることのメリットとしては、天皇宗教的権威統治権絶対性、さらには身分地位の永続性が担保されるということが考えられる。

しかし、万世一系大嘘である

奈良平安時代などは、天皇皇族後ろ盾にいる各豪族の抗争次第で、皇位血統原理関係なく移動したのである

例えば、聖徳太子は、血統原理から言えば正統な皇位継承者だったのだが、結局天皇にはなれなかった。また672年に起きた壬申の乱では、天皇と名乗る大友皇子天智天皇の子)を大海人皇子武力で倒し自らが天皇になった。

又、天皇家は、万世多系であった。桓武天皇母親朝鮮からきた人というのは有名な話である。また皇室には代々側室なるもの存在し、その側室平民から選ばれたのである明治天皇大正天皇側室の子である。(明治天皇側室大正天皇の生母であった柳原愛子さんは大正天皇知的障害者であったことの責任をなすりつけられたそうである)そのことは皇室家系図には書かれておらず、あたか天皇が一人で子供を産んだように書かれており、見る人に天皇家万世一系につながっていると思い込ませているのである

更に、現在天皇家足利尊氏が無理矢理作り出した北朝の子であることである血統原理でいくならば、正統な皇位継承権は南朝にあるのである。(南朝の子孫とされる熊沢という人が大東亜戦争後に、皇位継承権は自分にある。と訴えた話は有名である

天皇陛下はいつも国民のことを考えておられる。福祉にも御興味をもたれ、障害者にも優しいお方である。などと思っている人の何と多いことであろう。しか天皇家は実は思いっきり穢れた家柄・血統人間差別しているのである

天皇皇族部落民に対する差別事例をここでいくつか挙げてみる。

1868年に制定された『法令全書』の第1巻686号には、天皇が巡幸する際に穢れ多い部落が見えないように部落を筵で隠すべきということが書いてある。

そのことの事例として、1922年に起きた大分県の的が浜地区焼き討ち事件、がある。事件のあらましは、皇族列車で巡幸する際、沿道沿いにある、的が浜スラム地区、が皇族の目に触れないように、その地区警官が焼き討ちした、という事件である。的が浜地区は正確には被差別部落ではないが、非人系の部落民や、ハンセン病者や、浮浪者が多数居住していたスラム地区であった。

また、天皇は、部落民土地を取り上げたりもした。

これは大正年代出来事だが、奈良県畝傍山のふもとにあった洞(ほうら)部落が、その下にある神武天皇陵を見下ろす位置にあるとして、行政側は1917年にその部落強制移転を求め、20年にそれを強制執行した。その際、洞部落部落民の遺骨も穢れているとして、徹底的に取り除かせた。

今でも天皇皇族は家柄・血統差別を堂々とやっている。

例えば、宮中賢所に使える女官を選ぶ基準血統血筋である。穢れも未だに重視しており、彼女らが月経とき、お下り、といって強制的に休ませている。月経が終わっても穢れを祓う儀式をしないと元の仕事に戻れないそうだ。

そして最も重大なのが、結婚相手調査を正々堂々としているということである

1993年1月5日付け読売新聞朝刊の一面によると、宮内庁は、皇太子妃候補の身元調査大手興信所に頼んだとのことである。そこには皇室専門の興信所員がいるとのことである。そして直系は4代先まで溯り、大祖父祖父きょうだいまで徹底的に調べたそうである。そして雅子さんが優秀な家系で驚いたなどと興信所は言ったそうである皇室差別主義に凝り固まっていると言える。

天皇制擁護者の大多数は、天皇皇室日本の伝統だ。という理由で賛成していることだろう。しか天皇制日本オリジナルではない。天皇という概念は、中国における道教の最高の信仰対象であった天皇大帝から来ているのだ。

天皇家は、伊勢神宮京都御所儀式とか神主でもやるべきだ。もちろん、その際でも、天皇皇族国民という立場で勤労・納税の義務を負い、また参政権を含めた基本的人権を有する立場に置かれるべきだ。

2017-07-17

速報 NHKキモくて金のないおっさんがとりあげられる

・21時のNHKニュース内で、NHKが開発したAI社会問題本質を見抜いたと番組内で紹介

問題の中心には40代独身男性存在するとAIが見抜いく

・直接的な言及はなかったが、例として紹介された男性があきらかなキモくて金のないおっさんだった

キモくて金のないおっさん時代がくる

アニメを見る自分」に強い嫌悪感を抱く

20代後半にもなってアニメのような低俗で幼稚なものを見ている自分が許せない。

アニメなんて小学校高学年ぐらいで卒業するものだ。

たぶん自分低俗で幼稚な人間なのだろう。

低俗で幼稚な状態から脱するどころか、アニメという生ぬるいドブに引き寄せられる自分意志薄弱さも許せない。

年代のほかの人は休み返上仕事に打ち込んだり、婚活したり、子づくりしたり、家族サービスしたりといった

ライフステージに相応しい義務果たしているというのに、自分はこの期に及んで低次元事物に拘泥している。

小学校に入る前からうすうす気づいていたが、自分は失敗作である

 

アニメを見ようとしてもそういうことが頭を駆け巡り、画面すら直視できない。

最近だと『亜人ちゃんは語りたい』と『エロマンガ先生』、『この素晴らしい世界に祝福を』を見ようとしたらそうなった。

『賭けグルイ』は1話は見られたが、「青少年に悪影響云々」という冒頭の注意テロップのせいで

見終わった後に「こんな有害作品見るんじゃなかった…」と強烈な罪悪感に苛まれた。

 

例示した作品が本当に低俗で幼稚な作品かについては、ほとんど視聴していないため分からない。

ただ、自分の中で「アニメ低俗・幼稚」という図式が成立している。

そのため、アニメーションという技法を用いた時点でどんな内容であっても十把一絡げに「低俗で幼稚」判定が下されてしまう。

表層に幻惑され本質無視するあたり、やっぱり自分は幼稚なのかもしれない。

2017-07-16

最近やたら死を美化するというか美化するために死を利用するみたいな風潮を感じる。

誰かが死ね解決する問題って何よ?

問題を生きている間に解決して、少しでも良く生きていこうってのが普通じゃないだって、その問題別にその人で終わるわけじゃなくて繰り返し現れるものでしょ。一時楽になっても、またすぐに同じ問題に直面する場合の方が多いじゃない。

死とは嫌なもの、目を背けたくなるもの。でも、確実にあるもの。死は美しいものじゃないし、かと言って何か言葉数字で誤魔化していいものじゃない。ひとつひとつ受け止めるしかない不条理でしょ。

さらには、死の恐怖を煽って何かをさせようという人までいる。

こういう人って、実は事前に策を打とうっていうんじゃなくて、集団的な死を待ち望んでない?

ほーら、やっぱり、っていいたいんじゃないかな?それはノイローゼですよ。少し休みましょう。

死については、考えるというよりは周りにそういう事がなさすぎるのが問題なのかもしれない。ニュースで伝えられる死はすでに言葉になってしまっているから。

でも、言葉にならない、どうしても受け止められないものが死の本質から、これは疑似体験になっていない。

https://anond.hatelabo.jp/20170716164043

これ言っていいのか知らんが

こんなところのどういう意図かもよくわからん適当な書きなぐりなんて「本質」とやらがわかってるような立派な意見のほうが少ないのが現実だぞ

タワーディフェンスレベル上げがメインのネトゲは相容れない

レベルを上げて(もしくは課金で)ゴリ押し世界

パズル性がメインのタワーディフェンス本質を失っている

2017-07-15

信頼の話

百合が好きだ。百合本質とは何か? それは信頼関係である

異性であれば本能相手を求める。本能動物的なもので、「真実」ではあるが「真理」ではない。「あなたがいないと生きていくことができない」という愛の表明には程遠い、人間しからぬ反知性的な要素がどうしても混入してしまう。

百合にはこれがない。真実ではなく真理で、本能である性欲を越え(女性女性に性欲を抱く場合が多いのかもしれず二次元でも主流はそれだが)、「あなたがいなければ生きることができない」「あなたのために生きたい」という、理知的好意であるところの「愛情」による「契約」「契り」こそが美しいのである

時には男女の恋愛より尊く見えるのは、この「理性的愛情による契約」こそが現実的にはとても稀少性が高く、必然的に純度が高いものであるという理由に基づく。物語で描くのにも、男女が自然であり女性同士は本能的に不自然であるという点を越えるためのパワーが要るために、それを為していない百合モノはたいがいウソであると思ってしまう。

して、この「契約」、あなたを置いて突然いなくなったりしないという約束をわざわざ指輪で以て「結婚」としたりする文化もあるほど大事ものである信頼関係がない愛情は、真実であるかもしれないが真理を捉えたものにはなれない。

自分は21歳であり、LGBTなんかは当人同士が幸せであるならいい、誰かが誰かと一緒に居続けるという真理に基づいた契約制限することなど誰ができようと思うのだが、こういった考え方は風潮として身近な友人やツイッター世論などでもよく感じる。走りや発信者百合野獣先輩かもしれないが、それ以上に「誰かと信頼しあいたい」という欲求が、他の世代に比べてとくべつ強いのだろうと思うことが多い。

昔はインターネットなどなく、話をするなら面と向かってが普通だっただろう。これは普通に羨ましいと思う。社会スピード許容範囲世界へ抱けた夢の数、築けた信頼関係はより人間的なものだったのだろうなという想像が用意に浮かぶ。

いまは加速しすぎた。機械化が進み、コミュニケーション情報の速度も人間には到底扱いきれないものを感じる。理不尽な「出来て当たり前」が普通世界で、しかし出来なくて当たり前である自分たちは、これからどうしたらいいのかなんてわからない。社会にも大人にも信頼できる要素なんてないし、マスコミはよくないと一目でわかるし、それに騙される大人たちも信頼できるものではない。

自分たちは、自己実現よりも先に安定を求める。それは時間とか余裕のある給料とか信頼できる上司とかではなくて、深めていけば「信頼できるもの」と一括りにできると思う。自分を置いて勝手にどこかへ行ってしまわないもの本能精神論のような「真実」ではなくて、「あなたがいないと生きていくことができない」という「真理」に基づいた「契約」。こう言うと差別的と捉えられるかもしれないが、後天的LGBTは恵まれ信頼関係を持てなかったあぶれ者たちが行き着いた不自然契約ひとつだと思ってしまう。ただ、それは普通と違った形であっても、より美しく尊く罰されないべきものであるとも思う。

いまの大人が作る社会は、自分たちから見れば行き遅れたちのイス取りゲームしか見えない。そのイスは自分たちのぶんまで決して余ることはなく、30年経って自分たちがその世代になっても、きっと同じことを下の世代に繰り返すだろうとぼんやり察している。誰かが「ロスト・ジェネレーション」をもじって「シフトジェネレーション」と現代20代以下を指していたが、価値観の劇的な変化のなかで、最も大変な変化し始めを担う世代であるとしていたが、格好良くもあるが割を食えない世代でもあると思う。

いまや社会は、自分たちに真理の指輪を与えてくれはしない。だからこそ信頼関係をよそに求め、オタクというマイノリティ層さえもマジョリティ化して共通記号ひとつとされてしまった。バンドアイドルは神ではあるが自己実現の糧ではなく、物語投資することで自己実現委託するという歪つな信頼関係に変質した。そしてそれは更に加速している。

心が参る。㍄。安倍政権支持率が急落しつつもネットでは偏向報道情弱B層のせいだとしているが、それが真理であるかもわからない。自分たちは、ウソウソと見抜けなければ掲示板は使えない、すべてをすべからく疑うことが必要だと言われ続けたことで、逆に何も信頼できなくなってしまったと強く感じる。かつてない情報の氾濫と他者との分断。さながら情報の海に囚われた孤島。

からこそ僕らは叫ぶのである。「5000兆円欲しい!」と(それが貨幣経済における信頼関係根本的に破壊するものであると知っていても)。

https://anond.hatelabo.jp/20170715024409

お、ご丁寧な回答ありがとうございますポジションを読ませて頂きまいが、かなりリベラルな印象。私自身は、大麻知識図書館にある本を斜め読みした程度です、歴史も大雑把にですが知ってます。ただ、アメリカ滞在していたことがあるので直に大麻文化に触れたことがあります

現在大麻取締法妥当かと言われると私もそうは思いません。ただ、元増田でも述べてるように私の大麻解禁反対の根幹は、個人的好き嫌いです。なので、日本ではアウトローの人がメインユーザー大麻をどんな法律で取り締まられようと知ったことではないというのが本音です。

ただ、武田先生の著書でも述べられているようにTHC禁止法として抜本的な法改正をすること自体には目をつぶります。まあ、そうするとしたら適当に薬理効果があるもの製造・所持・販売的な扱いになるんでしたっけ。

愚行権の考えから健康的に悪影響だとしても規制根拠にはならないということですが、健康への悪影響というのはすでに否定されてるのでそもそも愚行権がしっくりこない印象です。コーヒー飲むのが愚行権とは言えないように。

仮に、愚行権と捉えるにしても他人迷惑をかけないという前提が必要ですよね。アルコールタバコ迷惑被ってる件についてはお話ししている通りで、私にはにおいだけでも大迷惑です。ただ、社会最大公約数的に迷惑かを考えるとアルコールはセーフでタバコはアウトな印象。大麻はどちらの嫌な部分も持ってるので完全アウトです。なので、仮に日本タバコ文化がなかったとしたら、それが愚行権の名の元に解禁されることも許しちゃいかんと思う次第です。

飲み会と同じようなノリでないのはその通りかもしれません。ただ、飲み会につぐ新たな大麻文化のノリが加わるだけの話で歓迎するようなものではありません。正直、うざいだけです。未成年の時はタバコでさえ格好のいきがりツールになって、吸ってるヤンキー圧力をかけてくることがありました。もし、解禁されたらと考えると未成年の人たちはかわいそうだなと思います

どうも大麻開放の根拠は、大麻犯罪として取り締まる根拠がないということみたいですね。ただ、これは問題本質過小評価しすぎかと思います

たとえば、外来種規制はその種そのもの危険からではないことも多いです(今話題ヒアリ別にして)。ペットとして飼っていれば何も問題ない動物もいるでしょう。ただ、だからといって日本にむやみに持ち込んでいいわけではありません。外来種在来種生態系駆逐してしまうという影響を考慮して規制されるわけです。社会に悪影響であれば規制されるというのは、当然です。大麻に関わらず社会の影響力を考慮して規制されているもの普通に存在しています

そして、私は個人的にも社会最大公約数的にも普通に迷惑だろうと考えているわけです。特にタバコなんかはそのにおいやマナーの点において忌み嫌われてるものなのに、昨今の大麻歓迎の風潮が全くもって理解できないと思う次第です。

別にそこまで反対じゃない部分も文章力のなさで、かなり批判に偏ってますがこんな感じです。

2017-07-14

冷笑クラスタ(左派)が増えた3つの理由

冷笑クラスタノイホイがこの言葉を用いていることからも分かるようにネトウヨバカにする言葉として定着した感がある。

この言葉が使われ出したのは2chツイッター観察板に立てられた「dadaと愉快な仲間たち」というスレの中からだと記憶している。

端的に言えばdadaやきくまこなどに代表されるような「あくま政治から一歩離れた立場に立ったように見せかけて民進党共産党、及びマスコミやそれに準じる左派馬鹿にして人気を取るクラスタ」の事を指す。

これは以前から指摘のあったようにニヒリズムを気取りたいけれども、インターネットに居るバカバカにしていたいという思いから生まれものであるというのが理由ではないかと考えられて居る。

ではこの冷笑という視点のもの右寄りに限ったものなのかというとそんな事はない。左寄りに立って政権ネトウヨを叩く人間はそれなりに存在する。これに対する適切な呼び名が思いつかなかったがここでは仮称として冷笑クラスタ(左派)と現す。具体例を挙げるとすると異邦人や4269や江戸西あたりだろうか。彼等のfollowerを調べてみると面白いかもしれない。

では何故彼らが産まれ、そして最近増えているのか考えてみよう。

逆張りで人気を集めたかたか

言うまでもなくインターネット逆張り流行っている世界である。周りの同調的な圧力が気に入らなくてそれに反抗するような感情的書き込みを繰り返す。これは2chなどの匿名掲示板ではよく見かけられる光景である

しかし、冷笑クラスタ(左派)の彼等はそのような感情的な行動はしない。該当URLを貼らず、直接的な言及をせず、仲間内逆張りをして人気を集めようとするのである。この行動は自衛の為でもありこの事に感情的になってクソリプをする人間を炙り出すという目的存在する。

反論先として明確なソースがあるから

ネトウヨや冷笑クラスタソースマスコミが彼等の受け皿になり得ていないのでインターネットに限られているという事情がある。

右派関係者や冷笑クラスタと呼ばれる人達ですら、ソース産経新聞ですらなくanonymouspostや正義の味方保守速報などのまとめブログなのである

それに対して冷笑クラスタ(左派)の選べるソースは潤沢だ。週刊文春週刊新潮などの週刊誌に限らず朝日新聞毎日新聞東京新聞などの大手紙も彼等にとっては頼もしい味方である

勿論その事をネトウヨや冷笑クラスタ理解しているから、朝日新聞毎日新聞の事をアカヒ変態新聞などと呼んでバッシングを繰り返すのである。また、彼等の中にはそれらを信じ込んでまとめブログの方が優れているという考えを持つものまでいる。冷笑クラスタ(左派)はそれを指摘するだけで十分なのである

ネトウヨと同じように見られたくないか

恐らくこれが一番大きな理由だと思う。

自分が頭がいいと言うインテリ意識が強い分、頭の悪いネトウヨと一緒にされたくないのだ。

頭の悪いネトウヨというのは具体的に言うとすぐさま韓国人認定したり、500円のようなデマを平気で流す人間を指す。というより500円の存在が冷笑クラスタ(左派)が増えた大きな原因なのかもしれない。

話を戻すと、そういう彼等との差別化を図りたいのと今の生活に対する不満があって冷笑クラスタ(左派)が増加したのではないかと見ている。だから民進党共産党マスコミなどのヘマは見なかった事にするし、自分にとって都合の悪い言説が流れると鬼のように叩く。あくま自分が優位に立ちたいという気持ちの強い現れである

冷笑クラスタというのは先述の通り「あくま政治から一歩離れた立場に立ったように見せかけて民進党共産党、及びマスコミやそれに準じる左派馬鹿にして人気を取るクラスタ」と述べたが冷笑クラスタ(左派)は「あくま政治から一歩離れた立場に立ったように見せかけて自民党政府、及びネトウヨやそれに準じる冷笑クラスタ馬鹿にして人気を取るクラスタである

まりどちらも本質は同じなのである

彼等には議論を深めようましやて日本を良くしようなんて理想はありやしない。ただマウンティングをとって仲間内気持ち良くなりたいだけなのである選挙には行くかもしれないが、特定政党支持者のようにリアル啓蒙なんて事は一切行なっていないだろうと断言できる。何故ならそれが出来ていればインターネット饒舌になる必要なんて無いかである。だから彼等は右翼でも無いし左翼でも無い。個人思想そうかもしれないが彼等が集まれるのはあくまインターネットの中だけである

我々が気を付けなければならないのは冷笑クラスタの述べる事はあくま人気取りの為であってそれのせいで考え方が右往左往してはならないという事だ。また、彼等に感化されると必然的悪口を言うようになり、ネットでもリアルでも悪影響を及ぼす事は必至である。そうならない為にも彼等の動向に惑わされないような確固たる考えを構築する事が必要不可欠だろう。

2017-07-13

リベラルはもう二度と「性教育の推進を」なんて言わないでほしい

『ゆらぎ荘の幽奈さん』炎上の件。

  

年齢制限によるゾーニングは、「子供に見せないように大人配慮する」と、「子供が見ようとするのを大人妨害する」という2つの方法があるんだけど、どっちに主軸を置くつもりなんだろうか?

この配慮妨害は、たしかに重なりあう部分もあるが、明らかに性質が異なる。配慮積極的にやってよいが、妨害というのは自由侵害なのだからいくら子供に対してであっても必要最小限に行われなければならない。

  

ジャンプを読んでいるのがあくま子供主体性の発揮だということ、それはもっと重視されてよい。

巻頭カラーで載せているのは配慮を欠いていた」という指摘は可能かもしれないが、子供は以前からこういう漫画掲載した雑誌だということを分かったうえで買っている。そして今後購読を続けるかどうかも、子供たちの選択にかかっている。

大人がこれに自主規制を求めるのは、配慮ではなく、どちらかと言いうと妨害になっているということを自覚してほしい。

無論、妨害はやむを得ないという自覚を持って活動しているならば、それはそれで一つの立場と言えるだろうが……。

  

  

  

ところで、たしか少年ジャンプの読者層は高校生~成人が多く、残りは中学生だったりするので、小学生(とくに10歳以下)となると、ほとんど読んでいないはずだ。これを一律に"子供"扱いすることには違和感がある。

  

そんなこんなで思ったんだけれど、子供主体性をあからさまに軽視しているリベラルは、二度と「性教育の推進を」なんて言わないでほしい。

貴様らには性教育を通して子供主体性の発揮を求める資格がないと思う。

  

例えば避妊性病予防について教えたり、その知識を持たないと自分加害者被害者になってしまう恐れがあると教えるのが性教育の内容だ。要するに、「コンドームを使いなさい」という主体性子供要求するものである

性教育は、決して子供たちがセックスをやることを推奨するものではないが、一方で、もしセックスをするならコンドームを使えと教えているわけだ。これは子供にも主体性があることを所与の前提としなければ成立しない。

  

リベラルは、エロ本18禁しろと言っていたり、ジャンプ漫画過激だと言っているが、18歳未満がコンビニ等でコンドームを買えるということをどう思っているのだろうか?

子供セックスをやることは望ましくないから、子供へのコンドーム販売自粛するべきだろうか?

勿論、エロ本ジャンプを買うことは遊興にふけることであって、コンドーム防衛のためだから、その価値を同列に論じるべきではない。しかしながら、遊興と防衛を分離して考えることもできないだろう。遊興のごとくセックスをやってしま子供、それに付き合わされる子供にこそ、この防衛手段へのアクセスを開いておくことが必要からである

  

「遊興的に性愛を楽しむことは不要だ」と決めつけて忌避する禁欲道徳は、性教育に反対する者たちの主張に説得力を与えてしまうようにも思われる。

なぜなら、反対派の主張は、「子供は無理にセックスをやる必要はない。純潔を保つことが一番の防衛だ」というものからである。この「遊興をしないならば防衛必要ない」という話は、ミクロで見るかぎり妥当になっているケースも多いと思う。

  

(※この論点は「リベラル宗教保守区別がつかない」というエントリで補足したので、そちらをトラックバックから読んでください。)

  

  

  

追記(2017/7/14 21:10

ブコメで突っこみを頂いたけれども、リベラル側の主張は、たしかに、「エロは許す。性暴力女性蔑視は悪だからさない」というものだった。

しかし、私がいつもリベラルに感じている苛立たしさは、まさしくこの点における洞察力の欠如である

  

どうやらリベラルは、エロを性暴力女性蔑視から分離できると考えているらしいが、それは誤りだ。具体的には下記リンクエントリで、「エロと野蛮さは切り離せない」の章を参照されたい。

一つ言えることは、お行儀のよいエロ表現なんか絶対に楽しくないってことです。

人権平等という正しい理念を詰めこんだエロ表現があるとすれば、おそらく私はそれを(ポルノ的な意味では)評価できないし、その偽善には吐き気を催すほどの不快感に見舞われるでしょう。私にとってのエロとは、どこまでいっても女性蔑視暴力性と切り離せないものです。

お行儀のよいエロは、ジャンプを読んでいる子供にもウケが悪そうです。子供不謹慎もの下劣ものが好きなのだし、性描写もそっちの方向でなければ楽しく受容されないでしょう。エロが野蛮さと結合してこそ楽しめるという子供感性は、なまじそれを否認してみせる大人より正鵠を射ています。この感性のあり方は否認せず、内心の自由として尊重し、一方でこの野蛮さを制御する文明的な理念について子供に啓発することができるならば、多分それが最適解だと思います

  

『【表現規制】『ゆらぎ荘の幽奈さん』炎上の件について』

https://anond.hatelabo.jp/20170712001904

エロが野蛮さと結びついているのは、漫画というフィクションだけに限らない。

しろ現実世界における男女のセックスにこそ、「とにかく女とヤリたい」とか、「彼氏に嫌われたくないからヤル」とか、そういう心理が含まれる。いくら相手への愛情があってもこの傾向は不可避だし、それどころか愛情希薄なままセックスをやることもあるわけだし、エロは野蛮さと切り離すことができない。

リベラルが言っている「差別暴力のないエロもある」などという綺麗事は、まったく現実を見ていないお花畑だ。大切なのは、そのようなお花畑信仰を捨てて、エロ差別暴力と不可分であること、それはフィクションでもリアルでも同じなのだという前提に立つことだ。

  

我々がリアルでやっている普通セックスが、レイプやDVと地続きであるということを認める覚悟もないリベラルは、ひどい偽善者か、そうでなければ呆れるほどに自己反省を欠いている。性欲はポリコレに反するようにして湧き上がってくるものだし、エロは、社会正義に叛逆するような侵犯に至高の価値を見出さんとする意志なのだ。つまり、「ルールなんか無視して遊興をやりたい!」というのがその本質だ。

性教育法律は、これに対して、最低限のルールを守りなさい、理性を働かせなさいと要請するものである。そして逆説的だが、このことは、エロ差別暴力とは切り離せないと自覚する(させる)ことによってこそ初めて可能となるのだ。

例えば男がコンドームを使うというのは、セックスが女を傷つけるものだと自覚し、理性でその悪を制御することだ。これは男が女を誤って妊娠させる行為について、「悪だからダメ」と決めつけて忌避するのではなく、「悪だから制御せよ」という前提を採用しておかなくては実行不可能だろう。もし「悪だからダメ」という前提の方をとるならば、セックスをやらなければいいわけであって、これは「遊興をしないならば防衛必要ない」という宗教保守論理である

リベラル表現物に対して「悪だからダメ」という潔癖な基準採用するのは、この宗教保守論理を補強してしまうのではないかと思う。そのように潔癖な考え方では、とてもではないが、性教育の推進を訴えることなどできないのではないか

性教育は、セックスが性暴力・性被害と密接に結びついている危険ものだという現実認識から始めなければならない。人があえてその危険を冒そうとする意志こそがエロティシズムである性教育はこの意志を野蛮だから無くせだの、悪いことだからダメだのと言って忌避するものではない。そうではなく、それ自体はやむをえないからと是認した上で、だからこそ安全制御するための方法を教えるものなのだ

  

再追記(2017/7/14 23:10

これは前回の記事で書いたことなので省略するけれども、「エロ問題ない」と言っているリベラルの嘘つきぶりには、もう本当にハラワタが煮えくり返りそうだ。

あの漫画が今回炎上したのは、確かに性暴力女性蔑視という文脈があったかもしれないが、それは後付けの理屈であって、第一義的にはその絵がエロいからである視覚に訴えかけてきて我々の感情を揺さぶる絵だからこそ、そこにある性暴力女性蔑視という観点が際立ってくるのだ。

これはエロと、性暴力女性蔑視との不可分性をあらわしている典型例だ。リベラルはそのことに無自覚すぎて、しかも両者を分離できると平然と言ってのける人も多い。私はその欺瞞ぶり、鈍感さには堪らない苛立たしさを感じている。

  

(※詳細は上記リンク先で、「エロからこそ批判されている」「差別表現には問題があるが、エロ表現にも問題はある」「作中で性被害肯定的に書いたことは問題本質ではない」等とした章を参照せよ。)

https://anond.hatelabo.jp/20170713173102

横だが、経済本質は、みんながどう思っているか?が一番重要なので、

みんなが「これはもっと価値が上がる」と思ってる限り、上がり続けるし、

そうやって上がり続けていると、徐々に「上がり過ぎじゃね?」と思う人の割合が増えだして、

その割合が(経済力的な意味で)過半数を超えた瞬間に、一気に揺り戻しが起こる。

バブルの崩壊もそうだし、行き過ぎた価格是正みたいな話も、ドル円の値段の上下動もみんなそう。

モテない問題無視するならミソジニーのまま女叩き続けるわ

っていう男多いでしょ。本質はそこなんだよね。

2017-07-12

表現規制】『ゆらぎ荘の幽奈さん』炎上の件について

一向に前へ進まない反表現規制派の議論 『ゆらぎ荘の幽奈さん』批判への反論価値がないわけ : 九段新報

http://blog.livedoor.jp/kudan9/archives/51659690.html

このブログを読んだ感想です。

各章が独立していた内容なので、どこから読んでくれてもかまいません。

  

表現への批判表現規制はどう違うのか

要するに、今回の件の批判者の主張は「少年誌にふさわしくない」と「このような構造表現は好ましくない」の2点に大別できます。そしてこれへの真っ当な反応としては表現媒体販売場所の適不適に関する議論か、どこまでの表現なら現状の媒体可能かといった議論しかありえません。

まず一点目の「少年誌にふさわしくない」という批判について。

  

被害肯定的に描いているのは、たしか問題表現です。しかし、それを少年漫画に載せるのが不適格なのかと言うと、簡単な話ではありません。

例えば正義のために暴力をふるうアンパンマンも、私刑肯定的に描いたという意味では問題表現だと言えます。また、サザエさんでは家事育児女性仕事とされていますから、これも女性差別肯定していると解釈することができます。こうなると、あらゆる漫画問題表現を見出すことが可能であって、どこで線引きをすればいいかは難しいです。

そもそも少年ジャンプに載せたらダメなのか、巻頭カラーで載せたかダメなのか、それとももっと読者層の年齢が高めの漫画雑誌に載せることもダメなのか。ジャンプ編集部判断を迫るのではなく、批判者たちも責任を持ってその提案をすることが望ましいです。

  

それに、出版社に対して自主規制を求める活動というのは、仮に権力者ではなく私人がやっていることだとしても、一歩まちがえると危険を伴います

例えば「LGBTは不快だから表に出てくるな」「反戦漫画子供に読ませるな」という"批判"をしている人たちだっているでしょう。かつて性描写暴力表現を潰そうとしていたPTAも今回の騒動とおなじ手法で、やたら大声で騒ぎ立てて世論をかきたてたり、出版社に要望を出してその世論忖度させるという手口だったんじゃないですか。昔のことはよく知りませんけどね。そして、これが公権力と結託すると恐ろしいことになります

自主規制の是非については、あくまでもケース・バイ・ケースですが、「世論に押されて自主規制に追いこまれるのも表現規制の一形態だ」という理解は持っておくべきだと思います

  

  

  

つぎに二点目の「このような構造表現は好ましくない」という批判ですが、これは非常に厄介です。かりに『ゆらぎ荘の幽奈さん』を年齢層が高めの雑誌移籍させたとしても、この批判を免れることはできません。

  

このブログ主さんは触れていませんが、「このような構造表現は好ましくない」というのは単に論評をしただけではなく、「好ましくないかゾーニングしろ」「好ましくないから内容を変えろ」という含意があることも多いです。

オタク規制されそうになったり、ゾーニングを求められたりして、いつもピリピリしているんです。だから作品名を名指しされてそんな批判を浴びせられると、オタク側が過敏に反応してしまうのは仕方ない気がします。

  

また、批判者は作品内容を論評するにとどまりません。「こんな好ましくない表現のある漫画を作ったり消費している奴らはクズだ」という侮辱をされることもあります

オタクはこの侮辱に対して、どのように応答すればいいのでしょうか? 頭を下げて、「この漫画は性被害肯定的に描いた作品です。こんなものを楽しんでいる私たちは罪悪な人間です」という懺悔をおこなえばよいのでしょうか? さすがにこの対応を求められるのは屈辱的だし、ハラスメントではないかと言いたくなります

もちろん批判に応答する義務はないですから黙殺しておくのが一番だと思いますけど、それはそれで「オタク社会的責任果たしていない」という攻撃材料を作ってしまいそうです。

  

(ところで、『ゆらぎ荘の幽奈さん』の件とは異なりますが、成人指定がかかっているエロマンガに対しても、「このような構造表現は好ましくない」という批判をすることが可能です。しかし、その批判を名指しでやることは、嫌がらせ以上の意味があるのでしょうか。製作者側も好ましくないと思ったから成人指定にしているわけですし、仮にその批判を向けられたせいで炎上案件になってしまったら困ります。)

  

  

  

表現規制において、右派だけを脅威とするのは誤り

また規制を進めようとしているのはフェミニストではありません。第一日本国内フェミニストはそこまでの政治権力を持ち得ていません。日本において議会多数派ほとんどの場合右派(というか極右)が占めており、規制も彼らの手によるものです。

もしフェミニスト規制を進める権力がないのだとすれば、オタク側はフェミニストから批判に耳を傾ける必要がなくなります権力のない者からいくら批判を受けたとしても、こちらは黙殺か冷笑をしておけばいいんです。

ただし実際には、自民党表現規制をおこなおうとするときリベラルフェミニスト等の左派勢力がそれに加担・黙認する恐れがあります。こうなってしまうと、民進党社民党共産党いくら反対をしたくとも、その足場が揺らいでしまます

  

オタク普段、左派勢力から批判ちょっとはまじめに聞き入れておかないと、いざというとき彼らに助けてもらえなくなるのです。

リベラルフェミニストは、オタク自分たち批判を聞き入れようとしなかったり、自民党山田太郎を支持している姿を見ると、激怒するでしょう。そうなると次は報復感情が芽生え、批判を押し通すために権力を頼ろうとするのが当然のなりゆきです。

その意味リベラルフェミニストは、自民党右派勢力ほどではないですが、オタクにとって油断ならない存在です。

  

もっとも、オタクが彼らの批判を聞いたところで、批判は次から次へと出てくるし、あげくのはてに土壇場で裏切られる可能性があります

自民党表現規制をやるとすれば、その大義名分は、「性暴力肯定している漫画けしからん!」「こういう漫画流通しているのは女性差別だ」というものになるでしょう。左派政党はともかくとして、その支持者たちがこの問題自民党に加担するのは、けっこう容易に想定できる事態だと思います

例えば自民党が、「少年誌から健全な性表現(=女性蔑視を促すもの)を追放する」という法案を出したとすると、それは今回の騒動ジャンプ編集部自主規制を求める人たちの目的合致するものです。このときリベラルフェミニストが「自主規制には賛成だが法規制には反対だ」という峻別をする人ばかりだとは限りません。

  

あーね、あとは、「リベラルオタクの支持を集めそこねたのは、リベラルがクソすぎる責任もあるのに、その反省はないのか」とか、「"表現の自由戦士"みたいなオタク像ばかりを見ていて、このブログ主現状認識おかしいんじゃね?」とか、いろいろ言いたいことはあるけれど、そこは私もろくに把握できていないので語るのはやめておきます

  

  

  

エロからこそ批判されている

批判者はエロから批判しているのか?そういうわけではありません。

このブログ主は、『ゆらぎ荘の幽奈さん』が批判されているのはエロからではないと言っていますが、それは違います

絵としてエロいものからこそ、我々の感情をゆさぶり、批判やり玉に上がっているのです。その証拠に、私刑暴力肯定している『ジョジョの奇妙な冒険』等は、エロくないか批判やり玉にあがりません。

  

今回のような批判が起こっているのは、この漫画の絵がエロく見えるからに他なりません。

もし視覚的には欲情を誘わない絵柄とか、エロくは見えない描写方法採用していれば、女性蔑視・性被害うんぬんという指摘があったとしても、それが大勢の人たちを巻きこむ炎上案件にならなかった可能性が高いです。

  

  

  

差別表現には問題があるが、エロ表現にも問題はある

今回の件で、はてなTwitterリベラルは「エロ問題ない」と繰り返していました。

しかし、私はそう思いません。

リベラルが褒め称えるような"エロ"ならば、それをどんどん子供に見せてよいですか? それを公衆に向けて掲示することは、ポリコレに沿っていると言えますか?

そんなはずがありません。どれだけ適切に描こうとも、やはりエロゾーニング対象にするべきです。

  

ところで、欧米基準に従えば、二次元三次元区別せず、「児童水着姿をエロティックに描くことは児童ポルノだ」という論を立てられると思います

今日日本リベラルフェミニストはまだこの基準採用していないようですが、萌えキャラは童顔ばかりだし、それが水着姿になっている漫画はアウトだという意見が主流になる日が来るかもしれないですね。

  

  

  

作中で性被害肯定的に書いたことは問題本質ではない

一言でいえば、「意図的がどうかにかかわらず女性被害を受け、それを肯定的に書いている」ことが問題視されています

女性が性被害を受けることをを肯定的かいたというのは、じつは問題本質ではありません。

例えば『ゆらぎ荘の幽奈さん』で、胸を強くさわられた女子が痛がっていたり、そのことで心が傷ついたシーンが描かれていれば、何も問題はなかったということでしょうか。

  

そういえば、この前に炎上していたクジラックス漫画について、リベラルフェミニストがどう思っているのかを知りたいです。

あの漫画ポルノとしては珍しく、レイプ正当化できない悪として描ききっていました。つまり、「レイプ被害者を傷つける暴力だ」「レイプをやる奴は卑劣犯罪者だ」という認識を貫徹していたのです。

作中での性暴力の取り扱いが肯定的否定的かということだけに注目していると、レイプ=悪という認識を徹底させたこの漫画が一周まわって健全だということになってしまます

参考:「クジラックス漫画って、むしろポリコレ的に正しいでしょ?」

https://anond.hatelabo.jp/20170619174431

  

  

  

被害を娯楽として消費しないことは可能

これは私見になりますが、萌えという欲情を誘う絵柄で描いた漫画である以上、性被害は抜きどころです。

  

ストーリー上でいくら否定的ものとして描いていたとしても、それは性的消費の対象となります

キャラが性被害を受けているとき、その肉体が露出していると、男性読者はそれを見ながら欲情してオナニーするのです。

胸や性器露出がなくても、その瞬間の女キャラの顔の表情を見るだけで、男性読者はきっとオナニーすることができるはずです。女キャラが恥じらいの表情ではなく、嫌がっている表情を浮かべているとしても、それはそれで抜けます

これではどうやっても、「女キャラが性被害を受けている場面を男性読者が娯楽的に消費する」という構図を脱することができません。

  

この構図をなくしたい場合萌え系の絵柄の漫画では、性暴力・性被害を作中で取り扱うことをやめるのが一番です。

また、該当箇所の絵を省略して、そういうことは文字で伝えるという方法もあるかもしれません。(しか男性読者は、作中では省略された性被害の場面を勝手妄想するし、あるいは性被害をうけた女性という属性に興奮し、それをオカズにしてオナニーすることができるでしょう。)

  

  

  

エロと野蛮さは切り離せない

フェミニストが彼らの言うところのエロ批判するのは、主に女性の軽視、蔑視搾取、モノ化といったことを肯定助長すると認識しているからです。フェミニストエロを憎んでいるように彼らに見えるのは、彼らの認識するエロ女性独立した人物としてみなさなものであるからです。その前提をクリアするのであれば、むしろ女性独立の証として肯定するフェミニスト大勢ます

この指摘は、いちいちもっともな話だと思うんですが、「そんな批判をされても知らんがな」という反発をしたくなります

  

フェミニスト女性独立の証として肯定するエロとは、どれだけ素晴らしいものでしょうか? "女性の軽視、蔑視搾取、モノ化"を解消したとしても、今度は女性男性に向かってそれをやり返すだけです。

例えば女性自分の好みで男性自由に選ぶということ、それは女性の権利です。しかし、その権利行使するとき女性は、きわめて動物的な性欲を発揮しています。金、地位容姿、安定感、人格、優しさ、そこには微塵もポリコレなどというもの存在しません。

パートナー人格や優しさを求めるのは人間的な営みだと言われそうですが、じつは全然そうではありません。女性恋愛において男性に求める人格や優しさとは、それはそれですごく動物的なものです。まるで獣のメスのようにオスを選別しているのです。女性恋愛セックスで感じる幸福も、すべてはこの獣性に支えられています

いずれにせよ女の性欲も、男と変わらず獣のそれと同然なのであって、どこまでいっても身勝手で汚らわしいものなんです。性欲は、社会正義を求める意志とは根本的に矛盾しています

こうなると結局、エロの正しいあり方というのは分からなくなります表現物において女性キャラクター主体性を重視すればポリコレに適するかといえば、すでに述べたとおり、決してそうではありません。

  

一つ言えることは、お行儀のよいエロ表現なんか絶対に楽しくないってことです。

人権平等という正しい理念を詰めこんだエロ表現があるとすれば、おそらく私はそれを(ポルノ的な意味では)評価できないし、その偽善には吐き気を催すほどの不快感に見舞われるでしょう。私にとってのエロとは、どこまでいっても女性蔑視暴力性と切り離せないものです。

お行儀のよいエロは、ジャンプを読んでいる子供にもウケが悪そうです。子供不謹慎もの下劣ものが好きなのだし、性描写もそっちの方向でなければ楽しく受容されないでしょう。エロが野蛮さと結合してこそ楽しめるという子供感性は、なまじそれを否認してみせる大人より正鵠を射ています。この感性のあり方は否認せず、内心の自由として尊重し、一方でこの野蛮さを制御する文明的な理念について子供に啓発することができるならば、多分それが最適解だと思います

  

  

  

そもそも誰のため、何のためにゾーニングをするのか?

少年誌といえども、子供はその本を自発的に選んで買っているわけです。これを「少年誌にふさわしくない」と批判して自主規制に追いこむのは、子供権利を奪っているのではないかという疑念があります

  

これはゾーニングにおける根本的な問題ですが、「子供の目に入らないように大人配慮する」と、「子供自発的に見ようとしているもの大人妨害する」を混同してはダメじゃないかと私は考えています。この配慮妨害は重なる部分がありますが、前者が積極的におこなうべきものであるのに対して、後者抑制的におこなうべきものでしょう。

今回は巻頭カラーから目立っていて、その点は大人配慮をせずに子供に見せつけたと言えるかもしれません。しかし、子供はこの雑誌が以前からこういう作風漫画を連載したものだと知ったうえで購入しているのですよね? それがあくまでも子供主体性の発揮だということは、議論の際にもっと考慮に入れるべきだと思うのです。

(なお、確か少年ジャンプの読者層は高校生~成人が大半、残りは中学生だったりするので、小学生の10歳以下となると、ほとんど読んでいないはずです。それを一律に"子供"扱いすることには違和感があります。)

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