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はてなキーワード: リーマンショックとは

2024-07-26

現物取引で5年間で+2,700%にするのはほぼ不可能

2019年9月から投資をはじめて+2,700%になってる話【 anond:20240725200007

上記投稿について、+2,700%は明らかに嘘だと思って相手にする価値は無いと感じて昨晩はスルーしたけど、現在ブクマ数180を超えている。しかブコメ一覧や注目コメントによると信じている人の方が多数の模様だ。

国内製造業株で5年間で+2,700%(28倍)なんてあり得るのか? と思ったので、ここ5年間で株価上昇率の高い銘柄を調べてみた。

銘柄コード業種株価上昇率
ジャパンエンジンコーポレーション6016輸送機器49倍
タカトリ6338機械31
TOWA6315機械26.6倍
内海造船7018輸送機器18.4倍
ダントーホールディングス5337ガラス・土石製品18.3倍
名村造船所7014輸送機器16.7倍
三ッ星5820非鉄金属15.6倍
デクセリアルズ4980化学14.3倍
マツモト7901その他製品11.9倍
大阪チタニウムテクノロジーズ5726非鉄金属6.3倍

株価上昇率はここ5年間の最安値に対する最高値の比から算出した。

上記の表によると、ジャパンエンジンコーポレーションタカトリなら可能だが、とても人間業とは思えない。アルゴリズム取引だとしてもまず不可能だ。2020年1月コロナショック(最安値)で買い、株価が最高値を付けた時点で売らなければ、上記の表で示した上昇率にならないからだ。

しかも、『俺の投資の決まりごとは信用取引をせず現物取引のみで行い』とあるので、上記の上昇率以上に稼ぐことは不可能だ。それに、ジャパンエンジンコーポレーションタカトリも海運動静に影響を与えるほどの大企業ではないから、元増田手法では銘柄スクリーニング(選別)できるはずもない。

よって、元増田は嘘であると私は判断する。

ただ、リーマンショックによる就職難という身の上話だったりMarineTraffic.comによる海運動静の分析などといった説明論理的になされていることから100%完全な嘘という訳でもなさそうだ。+273.2%を+2,732%とするように、1桁盛ったというのならあり得る話だ。

2024-07-23

anond:20240723171557

リーマンショックからきつかったよ

歴史修正しないでね

民主党政権になって数ヶ月でもうだめだったよ

anond:20240723165358

それ苦しかったのリーマンショックの影響でしょ

消費税上げるのも自民党の協力を得るためだったし

実際に景気条項を破棄してまで消費税を上げたのは自民党政権

2024-07-20

anond:20240719233856

補正予算の話を何で無視したのかわからなければ、リーマンショック日本での影響の大きさについて語ったものをなぜ「引き起こした」にすり替えたのかも不明

2024-07-19

anond:20240719231434

独裁が良くないからって参院民主党に勝たせてねじれ国会にし、補正予算どころか日銀総裁案すら反対で戦後初の日銀総裁空席を招いた結果があのリーマンショックなんで、

独裁ストップにしても、ちゃん有事には是々非々判断できる政党じゃないきゃいかんのよ

「これで一挙に政権交代だ!」をやりかねない党には任せられない

2024-07-15

演説日本から非正規を一掃するとか言ってた安倍

未だにその信者続けてる奴らが肝心のその非正規で水増しされた雇用を使ってアベノミクス雇用回復しましたとか寝言ほざいてんのマジで馬鹿

そもそも人口減少で人手不足なんだから少子高齢化改善するか大規模に移民入れない限り雇用回復する

その証拠リーマンショックの影響から抜け出した民主党政権末期の頃から既に回復が始まってんのに何がアベノミクス雇用回復だよバカバカしい

お前ら馬鹿を支持した馬鹿やらかしたのは強引に円安にして物価高かつ実質賃金低下のスタグフレーション引き起こし日本経済ぶっ壊しただけだろ

この程度の馬鹿が大量に居るんだから経済成長なんて無理

2024-07-10

都知事選蓮舫さんに古傷をえぐられた

蓮舫さんが都知事選公約説明してる動画を見た。

蓮舫さんによると、大学生子育て前の若者には、支援が不足してるらしい。

まあそうね、などと思って見ていると、

最近の若者不安なんですよ。就職もできるかわからない、そんな中でも安心して就労して、結婚して、子供を育てて欲しい。そうしたら、その子供たちがまた就労して納税してくれる。」

まあざっくりこんな話をしていた。

言ってることには基本的同意するのに、見てたらすごく腹が立ってしまった。最初何に自分が腹を立てているのかわからなかったんだけど、ここで言語化しておこうと思う。

私は2011年卒で、卒業式震災でなくなった世代

当時リーマンショック後のピンポイント氷河期で、私も新卒では結局非正規からスタートで。

まあでもその後、正社員転職して士業資格もとった。

現在仕事面白いし、職場環境も良く、お給料も良い。結果的に今の仕事について本当に良かったと思う。

プライベートでは良い人と結婚もできた。我ながら上出来な人生を送ってると思う。

まあ、非正規から始めて、自分人生を持ち直すのに、10年近くかかってしまったし、

年齢的なこともあって子供は持てなかったけど、それも別にそんなもんだと納得してる。

で、冒頭の蓮舫さんなんだけど…

・今は少子化で、就活は売り手市場では?

・かなりの低偏差値から大手普通に決まってますよね?

不安不安の解消にお金配るの?何それ貴族

という妬みと、

・私が就活で死にそうになってる頃、あなた与党で、特に何も対応しなかったよね?何なら見捨てた側ですよね?

という被害者根性と、

・やっぱり就活死ぬほどつらかったなぁ…

という、今さら感傷でした!

さらに、落選した蓮舫さんがぴえんしてるのを見てたら、怒髪天を突く勢いで腹が立ってしまった。

そこは自助努力だろう!

他人を見捨てておいて、何やってんだよ!

てか、もう14年も前の話で、私は浮上できた人なのに、若者支援するとかいう話一つでこんなに感情が乱されるとは思わなかった。

そりゃ氷河期(本体)で浮上できなかった人は、いつまでも恨み言いうわ…と妙に納得してしまった。

2024-07-08

ADHDであるが生涯初めての賞与がでた

吾輩は新卒の頃、東日本大震災リーマンショックといった混乱の中で、社会の荒波に呑まれた。

就労支援なるものを頼りに虫の息で入社した会社は、あっけなく倒産した。その後も派遣会社転々としながら働いたが、賞与の影は一度も現れた試しはなかった

賞与を求めて転職した会社でも、二年働いても賞与が出ず、ある飲み会の席で私と数名だけが賞与を受け取っていないことが明るみに出て、その後の面談でお暇することになった

その後、大手通会社派遣身分で身を置いたものの、そこで不逞の輩体現たるの上司と18時間も顔を突き合わせなければならず、やがて、うつ病が発現し、さらADHDASDの診断が下された。

しかし、私は諦めず、就労支援を通じて障害者雇用で働き続けた。最低賃金の増加の恩恵か、派遣時代よりも給料が上がり、ついに賞与支給された。三十半ばにして、ようやく手にした初めての賞与である

まれてこの方、一度も賞与を貰えなかったことが私の心の刺となっていた。ゆえに、このボーナスは私にとって、非常に感慨深いものである

せっかくなので何か買おうと思うが、今のところ思いつかぬ、父母には先々の日に送っているため、この手も使えぬ。さて何かあったか

2024-07-05

リーマンショック世代に恨まれ年金減らされそうで怖い

リーマンショックなんて誰も予測できないし誰の責任でもない」という意見は納得できる部分はあるものの、リーマンショック世代からすると民主党政権を生んだ上の世代のせいでしか無い

リーマンショック世代の説得をどうにか試みようとリーマンショック世代が書いたであろう増田はてブリアクションしているけれど、どうもこうもならないで居る

「たった数年の民主党政権を」って言う意見もわかるが、円高時に就職したリーマンショック世代にとってその時の就職大事だったのは言うまでもなく、しか製造業非正規枠が無くなったせいで数少ないバイトを奪い合っていたと聞いて、そりゃあ就職氷河期の就職率下回るわけだわって思った

そして今回の都知事選蓮舫候補執拗に叩いてるのは少なく無い割合リーマンショック世代だと思う

おそらくお前ら知らんだろうけど、今Youtubeとかで大手事務所所属するゲーム配信者やVtuber円高時代の話をしてるんだぜ?バイトも無かったみたいなことを10代や20代の子たちへ教えてるんだよ

からさまに党名出して政党批判とかしないけど「エントリーシート何十枚も書いてさぁ」とか「今エントリーシート電子化したのってそれが酷すぎて電子化したんだよ」みたいな話を若い子にしてんだよ

登録者数十万人クラスVtuber中の人リーマンショック世代だぞ?影響力ヤバすぎるだろ・・・乗せられた若い子たちが民主党政権を生んだ世代ヘイト向け始めてんだよ・・・

俺達が定年したら現役トップ世代リーマンショック世代だぞ?こういうことに気付いてないヤツがはてなには多すぎる・・・危機感持てよマジでリーマンショック世代と乗せられた下の世代年金取り上げられるぞ?

2024-07-04

anond:20240704050944

ほんの少し前までリーマンショック世代が30ぐらいだったんだけど、結婚するのも子供がいるのも一部の勝ち組田舎ヤンキーだけだった。

 

不景気さえなければ30ぐらいになれば子供がいてもおかしくない。みたいな価値観になるのが人間なんだなあ。

 

ほんの数年前なら同世代子供作っても

「うっわ、金あるんだなあ」とか

ヤンキーはすぐ出産するよな」とか

「親からの援助(土地資金育児補助)が多いのかな」

ぐらいしか思わんかったよみんな

 

子供がいるのは人生特殊オプションって感じ

ワイはそんな年代を生きてる

正直それでよかったなと思うわ

 

何が言いたいかっていうと、たかだかまれるのが5年違ったぐらいでグラグラになる価値観に惑わされてもバカみたいじゃね?ってこと。

2024-06-26

anond:20240626161037

しかありませんでした。書き起こす必要性感じなかったのでコピペ

フツーに読んだら嘘しかないけどな

 

パパもママも親戚も彼氏くんも(夫くん)も友達も『増田ってすごいね』って認めてくれるの!

でもそれじゃあ満足できないんだぁ🥺って

 

こんなんどうしたら真に受けることが出来んのよ

 

 

このどちらかですよ

マジで発達障害のみでお仕事に困るレベルなら、学習障害学業不信・成績不良の方で、まず引っ掛かるのですわ
あるいは発達障害で周囲とのあれこれで発動してしまった重たい二次障害鬱病とか統合失調とか境界性人格障害とか社交不安障害(SAD)の方で引っ掛かるのですわ

 

上記のどちらでもないのなら、『発達障害からお仕事困るんでちゅ~』は端的に言えば嘘ですよね?

極端に苦手で<やりたくなかったからやらなかっただけ>で、別にやった人は発達障害でもできます

医師の診断も受けずに自称で名乗るはもちろんのこと、

発達障害自体詐称ではないが何でもかんでも発達障害の箱にぶち込みたがるやつ

そしてそれで、SNS芸人エッセイスト芸人やってるやつな

 

こういうクソどもは知能面でかなりしんどい結果が出ている人と能力かわってやればいいのにって思いました

あるいは犯罪犯して刑務所行きルートしかないようないっさいの支援を受けられなかった人と環境かわってやればいいのにって思いました

 

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

https://anond.hatelabo.jp/20240618221543# https://anond.hatelabo.jp/20240618222241#

心理検査受けたら想像よりIQ低くてワロタ

https://anond.hatelabo.jp/20240619165951#

2024-06-25

SNSで言いたいことがなくなった

大学時代mixiがやってきて10数年。

ずっとSNSを使い続けてきた。

2010年代リーマンショックを契機とした社会不安も手伝って、大学生の間では意識高い系の立ち振る舞いや起業がフワフワとした流行りになっていて、

ご多分に洩れず自分Twitterプロフィールには "/"を使ってたくさんのカッコいい(と想っていた)属性を並べていた。

なんだかんだ就職はJTCに入ったけど、社会人になってからも気になったニュースを見つけては感想書いてシェアしたり、充実した日々をアピールするような投稿を繰り返していた。

20代後半以降はさすがにそういう投稿も身を潜めたけど、食った飯だったり趣味のことでは投稿を続けていたし、昔の友人たちともゆるく繋がっていた。

でも最近本当に、心底興味がなくなってしまった。

日々の暮らしが充実していないわけではない。むしろ毎日楽しい結婚して、お金もそこそこ貰って、とっても楽しい

でもその楽しさを誰かとシェアしたり、昔みたく共感してほしいとは思わない。毎朝起きて仕事行って帰って妻と仲良く談笑してご飯食べて寝る。その幸せは、昔必死になってみんなとシェアたかった幸せとは何かが決定的に違う。

それに最近SNSはいつも誰かが怒っている。差別について、平等について、男女について、戦争について、平和ボケについて、金持ちについて、貧困について。正反対事柄について常に怒りを発している人がいる。頼んでもいない何かしらの文句無限に流れてくる。

そうだな、今の私の幸せにはそういう怒りとか、昔必死シェアしていたアレコレのような「熱量」がない。

そして、そのことに対してすら正直どういう感情も湧かない。

これも老いの始まりなのかな。

2024-06-23

今の経済状況で金ない金ない言ってるZ世代ってやばいと思うよ。

リーマンショックみたいなことが起きたらもうおしまいじゃん

2024-06-20

anond:20240620091221 anond:20240620150513

それが悪いことだとは誰も思ってないけど(後進国でもようやくサポートが始まっている)

嘘つきは多いよね

 

医師の診断も受けずに自称で名乗るはもちろんのこと、

発達障害自体詐称ではないが何でもかんでも発達障害の箱にぶち込みたがるやつ

そしてそれで、SNS芸人エッセイスト芸人やってるやつな

 

こういうクソどもは知能面でかなりしんどい結果が出ている人と能力かわってやればいいのにって思いました

あるいは犯罪犯して刑務所行きルートしかないようないっさいの支援を受けられなかった人と環境かわってやればいいのにって思いました

 

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

https://anond.hatelabo.jp/20240618221543# https://anond.hatelabo.jp/20240618222241#

心理検査受けたら想像よりIQ低くてワロタ

https://anond.hatelabo.jp/20240619165951#

[]やブクマ狙いは今日も嘘つき

たまたま特技が仕事になり

かつ

自分のペースで仕事ができる自営業

という選択ができる人間けが

生き残ってて残酷やな…

今の世の中でお金に変えにくい能力を持つ人たちがいる事実や、

支援を受けるどころか、まさか故意妨害を受けることがある事実、悪気はないにしろ何かしらの妨害を受けることがある事実

それらを別に無視しているわけじゃないよ

 

 

たださぁ、あんまりにも嘘つく人多すぎるのよ、これらのブクマ狙いしてもそうだけどね

 

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

https://anond.hatelabo.jp/20240618221543 https://anond.hatelabo.jp/20240618222241

 

心理検査受けたら想像よりIQ低くてワロタ

https://anond.hatelabo.jp/20240619165951

 

母親か、中学時代女友達か、総務部女性結婚したい

https://anond.hatelabo.jp/20240626154759

 

 

SNS芸人エッセイスト芸人やるなら下記やりたくなる気持ちもわかるし、そうじゃなくても下記がまったく頭によぎらなかったか?って言ったら嘘になるけど、

 

  • メンサ入れる数値でした~⤴️😺(映え良)

 

  • 聞いてくださいあたちは境界知能ってやつだったんです⬇️🥺(映え良)

 

ここから『だから仕事に困るんでちゅ~』とか『いっぱい頑張ったか仕事できてるの~』とかマジで続けることができるの、

お仕事(SNS芸人エッセイスト芸人)でやってるんじゃなきゃ、フツーにどうかしちゃってるでしょうよ

 

マジで発達障害のみでお仕事に困るレベルなら、学習障害学業不信・成績不良の方で、まず引っ掛かるのですわ
あるいは発達障害で周囲とのあれこれで発動してしまった重たい二次障害鬱病とか統合失調とか境界性人格障害とか社交不安障害(SAD)の方で引っ掛かるのですわ

 

上記のどちらでもないのなら、『発達障害からお仕事困るんでちゅ~』は端的に言えば嘘ですよね?

極端に苦手で<やりたくなかったからやらなかっただけ>で、別にやった人は発達障害でもできます

 

 

発達障害でも主婦シェフ大工スポーツ大好きもおしゃれ命もいる

から発達障害からまったく料理できませんとか、発達障害からまったくDIYできませんとか、

発達障害からスポーツ出来ませんとか、発達障害から人会わない時は顔も歯も洗いませ~んとか、

そういうこと言ったらフツーにブチ切れなのに、

なんだってお仕事だけ、『できまちぇ~ん』が、『わかるぅ~~~』になるんですかね?

 

 

こういう嘘ついてる人らに共感寄せたいなら寄せりゃいいと思いますけど、下記みたいのと同じであなたと同じじゃないと思います
信じるなら人のプラス面を信じましょう

anond:20240620213112

2024-06-19

[]発達障害でも主婦シェフ大工スポーツ大好きもおしゃれ命もいる

から発達障害からまったく料理できませんとか、発達障害からまったくDIYできませんとか、

発達障害からスポーツ出来ませんとか、発達障害から人会わない時は顔も歯も洗いませ~んとか、

そういうこと言ったら普通にブチ切れだと思うんですよね

 

極端に知能面しんどい結果が出ている場合や重たい二次障害があるケースは除くけど、

それ以外の人は、極端に不得意でやりたくないからやらなかった(訓練しなかった)だけじゃん?

なんでお仕事に関してだけは出来なくて当然みたいになってるんでしょうかね

やりたくないからやらかった(訓練しなかった)だけでしょうよ

 

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240618221543

 

心理検査受けたら想像よりIQ低くてワロタ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240619165951

anond:20240619120444

運がいいっていうのは正解。あと5年早く生まれてたら(リーマンショックもっと苦労してただろう。

2024-06-18

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

2024-06-11

anond:20240610202108

氷河期世代が生まれたのは不景気だったからだけではなく、世代人口が多すぎたから。

今の人口構成だと、不景気一時的就職難になることはあれど、氷河期世代」が生まれるような事態にはなりえない。

景気が持ち直すと同時に第二新卒や若年転職ですぐ職にありつけるようになる。

現にリーマンショックコロナ禍のとき就職氷河期経験世代は今ではほとんどが普通に正社員として働いている。

2024-06-10

氷河期世代円高リーマン世代に恨まれ老後も安心できない

自民党に嫌気を刺して民主党投票したら政権を取ったまでは良かったが、想定以上に国家運営の舵取りが悪く下の世代円高リーマンショック煽りを思いっきり被せてしま自分たちと同じ存在再生産してしまった

お互いに運が悪かったねと傷を舐め合いたいものの、昨今の蓮舫都知事選挙出馬様相を見ていると明らかに円高リーマンショック世代蓮舫叩きを繰り返していて、もう分かりあえないんだなと諦観の念を覚える

anond:20220106101918

数年前の投稿への自己レスアップデート

  

10ちょっと前に5,000万円のローンで土地購入+注文住宅を建てたが得しかない、という例です。」

と書いていた物件の売却が決まり、リターンが確定した。

  

結局自分半年程度、家族含めて1年も住めないまま、国内外の転勤が続き、その間ほぼずっと貸しっぱなし。

質問住宅ローンでも貸せるのかというものがありましたが、住む予定で借りて、実際に住んで、業務命令で転勤した場合OKであることは確認済み)

  

リーマンショック後・東日本大震災前のほぼ底値で仕入れ土地・資材、そして変に高いものを勧めてこないまじめな工務店に恵まれ幸運もあり、

また、借主や周辺環境の変化にも恵まれた(地価も上がった)ため、年間ベースでは常に手取り賃料>返済を維持できた。

最近完済した残債と売却額との差が約2,500万円。当初入れた頭金やメンテナンス費用税金などもあるので、実質的には1,500万円くらいのリターン。

加えて、後述のような事情で後数年は賃料が入る予定なので、その手取り分は純粋な追加リターンとなる。

 

売却のきっかけは離婚。売却先は元妻の親族

  

離婚にあたっては婚姻中に得た財産を分割する必要がある。

自分としては普通に売却して綺麗に現金での分割を主張したが、元妻側が不動産要望

(将来住むためというわけでなく、収益物件として保有したいとのこと)

  

自分と元妻の結婚後の資産自分の方が多いが、圧倒的というわけでないし、慰謝料請求こそしないが元妻に親切にする気になれない離婚理由(察してください)なので、ただで譲る気にはなれなかった。

結局複数不動産会社に売却の想定価格見積もりをとり、その平均の評価額−ローンの残債をベース婚姻後の純資産の合計を計算不動産を元妻が得る分、自分現金を得ることになった。

そこからさらに色々あり、結局元妻ではなく元妻の親族が直接の譲渡先となった。譲渡価格は上の見積もりに若干色をつけてくれた。

ただし、支払いはしばらくかかるため、それまではこちのもの、となった。こちらとしては賃料が入ってくるので異議はない。

諸々契約をし、公正証書作成し、離婚届を提出した。

  

離婚ダメージ、そして、ほとんど貸しっぱなしの物件だったとはいえ、どこかでリフォームして家族で過ごすことも考えた家を手放すのは思っていた以上にダメージがあった、というかまだある。

  

でも悪いことばかりではない。

売却しても負債が残るような物件でなくて本当に良かったと思った。

元妻もそこそこ稼ぐ人だったが、家は頭金も名義も返済も全部一人でやっていたことも、物事が複雑にならなくて良かった。

あと子供が成人していて親権について争うこともなかったのも良かったし、子供との関係が維持できているのも良かった。

  

今後どうするか?

この10年くらい好調だった資産運用に加えて、上のようなキャッシュが入ってくるので、完全にFIREもできる程度の資産となる。

家・不動産について言えば、今買いたいと思える不動産もないし、自分一人なら賃貸の方がいい。

当面は大きな判断をせず、日々の仕事をしていくことになるのだろう。

  

自分もほんの数ヶ月前まではこのような展開になるとは思わなかった。人生何あるかわからない。

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