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はてなキーワード: リーマンショックとは

2024-06-20

anond:20240620091221 anond:20240620150513

それが悪いことだとは誰も思ってないけど(後進国でもようやくサポートが始まっている)

嘘つきは多いよね

 

医師の診断も受けずに自称で名乗るはもちろんのこと、

発達障害自体詐称ではないが何でもかんでも発達障害の箱にぶち込みたがるやつ

そしてそれで、SNS芸人エッセイスト芸人やってるやつな

 

こういうクソどもは知能面でかなりしんどい結果が出ている人と能力かわってやればいいのにって思いました

あるいは犯罪犯して刑務所行きルートしかないようないっさいの支援を受けられなかった人と環境かわってやればいいのにって思いました

 

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

https://anond.hatelabo.jp/20240618221543# https://anond.hatelabo.jp/20240618222241#

心理検査受けたら想像よりIQ低くてワロタ

https://anond.hatelabo.jp/20240619165951#

[]やブクマ狙いは今日も嘘つき

たまたま特技が仕事になり

かつ

自分のペースで仕事ができる自営業

という選択ができる人間けが

生き残ってて残酷やな…

今の世の中でお金に変えにくい能力を持つ人たちがいる事実や、

支援を受けるどころか、まさか故意妨害を受けることがある事実、悪気はないにしろ何かしらの妨害を受けることがある事実

それらを別に無視しているわけじゃないよ

 

 

たださぁ、あんまりにも嘘つく人多すぎるのよ、これらのブクマ狙いしてもそうだけどね

 

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

https://anond.hatelabo.jp/20240618221543 https://anond.hatelabo.jp/20240618222241

 

心理検査受けたら想像よりIQ低くてワロタ

https://anond.hatelabo.jp/20240619165951

 

 

SNS芸人エッセイスト芸人やるなら下記やりたくなる気持ちもわかるし、そうじゃなくても下記がまったく頭によぎらなかったか?って言ったら嘘になるけど、

 

  • メンサ入れる数値でした~⤴️😺(映え良)

 

  • 聞いてくださいあたちは境界知能ってやつだったんです⬇️🥺(映え良)

 

ここから『だから仕事に困るんでちゅ~』とか『いっぱい頑張ったか仕事できてるの~』とかマジで続けることができるの、

お仕事(SNS芸人エッセイスト芸人)でやってるんじゃなきゃ、フツーにどうかしちゃってるでしょうよ

 

マジで発達障害のみでお仕事に困るレベルなら、学習障害学業不信・成績不良の方で、まず引っ掛かるのですわ
あるいは発達障害で周囲とのあれこれで発動してしまった重たい二次障害鬱病とか統合失調とか境界性人格障害とか社交不安障害(SAD)の方で引っ掛かるのですわ

 

上記のどちらでもないのなら、『発達障害からお仕事困るんでちゅ~』は端的に言えば嘘ですよね?

極端に苦手で<やりたくなかったからやらなかっただけ>で、別にやった人は発達障害でもできます

 

 

発達障害でも主婦シェフ大工スポーツ大好きもおしゃれ命もいる

から発達障害からまったく料理できませんとか、発達障害からまったくDIYできませんとか、

発達障害からスポーツ出来ませんとか、発達障害から人会わない時は顔も歯も洗いませ~んとか、

そういうこと言ったらフツーにブチ切れなのに、

なんだってお仕事だけ、『できまちぇ~ん』が、『わかるぅ~~~』になるんですかね?

 

 

こういう嘘ついてる人らに共感寄せたいなら寄せりゃいいと思いますけど、下記みたいのと同じであなたと同じじゃないと思います
信じるなら人のプラス面を信じましょう

anond:20240620213112

2024-06-19

[]発達障害でも主婦シェフ大工スポーツ大好きもおしゃれ命もいる

から発達障害からまったく料理できませんとか、発達障害からまったくDIYできませんとか、

発達障害からスポーツ出来ませんとか、発達障害から人会わない時は顔も歯も洗いませ~んとか、

そういうこと言ったら普通にブチ切れだと思うんですよね

 

極端に知能面しんどい結果が出ている場合や重たい二次障害があるケースは除くけど、

それ以外の人は、極端に不得意でやりたくないからやらなかった(訓練しなかった)だけじゃん?

なんでお仕事に関してだけは出来なくて当然みたいになってるんでしょうかね

やりたくないからやらかった(訓練しなかった)だけでしょうよ

 

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240618221543

 

心理検査受けたら想像よりIQ低くてワロタ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240619165951

anond:20240619120444

運がいいっていうのは正解。あと5年早く生まれてたら(リーマンショックもっと苦労してただろう。

2024-06-18

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(22) | 22:15

2024-06-17

https://gendai.media/articles/-/131458

まあ不躾な視線は嫌だよねって話と共に思い出したのがリーマンショック前。

Googleに憧れてIT勉強会六本木に繰り出した時、もしこのまま日本資本外資に乗っ取られて日本経済的植民地化したら、あそこで騒いでいる外国人のような外資オフィサーがこの国の王になるのだろうってね。

そして「王の『女』」に不躾な目線を送った事に気付かれたマヌケは、その場で外資ボディーガード辺りに拉致られて外資オフィスで「女を視た『罪』」で生きながらに眼球を抉られるような世の中が来るんだろうなって。

早く英語ペラペラになってOS自分で作れるようになって外資の側にならないと、いつ眼球を抉られるか分からない、そういう訳の分からない恐怖感が入り混じった高揚感に急かされるようにして渋谷六本木IT勉強会に通い詰めてた頃があった。

今思えば躁の初期症状だったんだな。

2024-06-11

anond:20240610202108

氷河期世代が生まれたのは不景気だったからだけではなく、世代人口が多すぎたから。

今の人口構成だと、不景気一時的就職難になることはあれど、氷河期世代」が生まれるような事態にはなりえない。

景気が持ち直すと同時に第二新卒や若年転職ですぐ職にありつけるようになる。

現にリーマンショックコロナ禍のとき就職氷河期経験世代は今ではほとんどが普通に正社員として働いている。

2024-06-10

氷河期世代円高リーマン世代に恨まれ老後も安心できない

自民党に嫌気を刺して民主党投票したら政権を取ったまでは良かったが、想定以上に国家運営の舵取りが悪く下の世代円高リーマンショック煽りを思いっきり被せてしま自分たちと同じ存在再生産してしまった

お互いに運が悪かったねと傷を舐め合いたいものの、昨今の蓮舫都知事選挙出馬様相を見ていると明らかに円高リーマンショック世代蓮舫叩きを繰り返していて、もう分かりあえないんだなと諦観の念を覚える

anond:20220106101918

数年前の投稿への自己レスアップデート

  

10ちょっと前に5,000万円のローンで土地購入+注文住宅を建てたが得しかない、という例です。」

と書いていた物件の売却が決まり、リターンが確定した。

  

結局自分半年程度、家族含めて1年も住めないまま、国内外の転勤が続き、その間ほぼずっと貸しっぱなし。

質問住宅ローンでも貸せるのかというものがありましたが、住む予定で借りて、実際に住んで、業務命令で転勤した場合OKであることは確認済み)

  

リーマンショック後・東日本大震災前のほぼ底値で仕入れ土地・資材、そして変に高いものを勧めてこないまじめな工務店に恵まれ幸運もあり、

また、借主や周辺環境の変化にも恵まれた(地価も上がった)ため、年間ベースでは常に手取り賃料>返済を維持できた。

最近完済した残債と売却額との差が約2,500万円。当初入れた頭金やメンテナンス費用税金などもあるので、実質的には1,500万円くらいのリターン。

加えて、後述のような事情で後数年は賃料が入る予定なので、その手取り分は純粋な追加リターンとなる。

 

売却のきっかけは離婚。売却先は元妻の親族

  

離婚にあたっては婚姻中に得た財産を分割する必要がある。

自分としては普通に売却して綺麗に現金での分割を主張したが、元妻側が不動産要望

(将来住むためというわけでなく、収益物件として保有したいとのこと)

  

自分と元妻の結婚後の資産自分の方が多いが、圧倒的というわけでないし、慰謝料請求こそしないが元妻に親切にする気になれない離婚理由(察してください)なので、ただで譲る気にはなれなかった。

結局複数不動産会社に売却の想定価格見積もりをとり、その平均の評価額−ローンの残債をベース婚姻後の純資産の合計を計算不動産を元妻が得る分、自分現金を得ることになった。

そこからさらに色々あり、結局元妻ではなく元妻の親族が直接の譲渡先となった。譲渡価格は上の見積もりに若干色をつけてくれた。

ただし、支払いはしばらくかかるため、それまではこちのもの、となった。こちらとしては賃料が入ってくるので異議はない。

諸々契約をし、公正証書作成し、離婚届を提出した。

  

離婚ダメージ、そして、ほとんど貸しっぱなしの物件だったとはいえ、どこかでリフォームして家族で過ごすことも考えた家を手放すのは思っていた以上にダメージがあった、というかまだある。

  

でも悪いことばかりではない。

売却しても負債が残るような物件でなくて本当に良かったと思った。

元妻もそこそこ稼ぐ人だったが、家は頭金も名義も返済も全部一人でやっていたことも、物事が複雑にならなくて良かった。

あと子供が成人していて親権について争うこともなかったのも良かったし、子供との関係が維持できているのも良かった。

  

今後どうするか?

この10年くらい好調だった資産運用に加えて、上のようなキャッシュが入ってくるので、完全にFIREもできる程度の資産となる。

家・不動産について言えば、今買いたいと思える不動産もないし、自分一人なら賃貸の方がいい。

当面は大きな判断をせず、日々の仕事をしていくことになるのだろう。

  

自分もほんの数ヶ月前まではこのような展開になるとは思わなかった。人生何あるかわからない。

2024-06-01

日本って経済落ち込んだ時の回復方法知らないでしょ

バブルとかリーマンショックの時から思ってたけどもしかして日本って経済落ち込んだ時の回復方法知らないのでは・・・?投げられた時に受け身の取り方知らないみたいな。

なんかさ、コロナ世界中経済打撃受けたのは判るけど、海外でそこまで深刻な打撃みたいなの聞かないし、いつまでもコロナ不況がどうの~って言ってるの日本だけなんだよな。

2024-05-29

ブコメへの返信(ファクトのみではない)

Q.どうして実質賃金指数(毎月勤労統計)を使わないの?

A.①毎月勤労統計統計不正問題によって過去との整合性が完全ではない

②毎月勤労統計は本系列共通事業所系列で動きが違うなど信頼性に欠ける

③毎月勤労統計は他の指標春闘の動きと比べても不可解だと指摘されている

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD1585B0V10C24A5000000/

GDPに合わせて2022年までを見ているので速報性が要らない

とはいえ労働分配率を求める雇用者報酬数字には毎月勤労統計が使われているので、本来は以下の論文のようにGDPから組み立て直すべきだが、匿名ダイアリーでやるには手に余る上に2022年までのデータさえまだ手に入らない。

https://www.boj.or.jp/research/wps_rev/wps_2016/wp16j09.htm

Q.国際的に見るとむしろ低成長だろ

A.生産年齢人口が減少していっているので経済全体の成長率はその分だけ低くなるのは仕方ない。これは短期的には動かせない前提条件となる。子沢山の文化を持つ移民1世が増加している国以外では同様の問題が今後起きるであろうが、今のところ日本のような生産年齢が減少をしている国はないので比較すれば日本の成長率は低めとなるだろう。一方で生産年齢人口一人当たりの成長率では日本は高かった。

https://mainichi.jp/articles/20240118/org/00m/020/008000d

生産年齢を超えた者の労働参加など諸々の調整をしても、悪い方とはならないだろう。

Q.ドルベースGDPでは悪かっただろ

A.世界経済におけるランキングが気になる人はともかく、日本人の多くは円ベース生活しているので普通の人には関係がない。円安輸入品が高くなった分は消費者物価を通じて実質化するときに反映されている。

Q.野放図に増え続けた社会保険料手取りは減っているだろ

A.それはそう。ただし仮に社会保険料が据え置かれていれば手取りは増えてもそこから親の介護生活費に回す負担が大きくなって家計負担は平均的には変わらないだろう。負担に直面するのはしばらく先だったり、親がいない家庭では負担だけ減ったりといった金銭的に得する人、損する人は出てくるとしても。そもそも既に生まれている人が老人になっていく以上、成田○輔よろしく集団自決を迫るのでもない限り何をやっても大概は効果の乏しい弥縫策にとどまるのではないか

Q.民主党政権麻生リーマンショック後始末と東日本大震災があっただろ

A.リーマン・ショックが起きたのは2008年、それで日本経済が一番落ち込んだのは2009年の第1四半期だから2009年平均を起点にしている民主党政権期間の成長率にとってはむしろこれは有利に働く要因。東日本大震災は確かに不利な要素ではあるものの、2011年内は第2四半期に影響が出ただけで回復しており、停滞は2012年の方が長い。震災とは別に生み出されたものだろう。また、アベノミクス期間にも消費増税と何よりコロナがあったのだから民主党政権期間だけが特に不利ということもない。

Q.15年かけて労働者の平均給与が5%増えてトリクルダウンは起こっていたとw その間生産性は8%上がっているのにw

A.アベノミクス期間10年の話をしているのですが。その期間では労働分配率は上昇、労働生産性と実質賃金の上がり方は殆ど同じ。




anond:20240527015142

2024-05-28

anond:20240527020426

韓国のようにキャッチアップ中の国はともかく、アメリカドイツよりも生産年齢人口当たりGDP成長率は日本の方が上だから経済政策としては日本の方が上手く行ってたでしょ。始まって十年やそこらのアベノミクス生産年齢人口に影響を与えられるわけもないんだから所与の人口条件の中ではよくやった方。リーマンショックで落ち込んだところからさら就業者数を減らした上に大して賃金回復させなかった民主党政権を引き継いだ、スタート地点が凹んでいたことで成長が上振れて見える面はあるにしても。

2024-05-25

ドーラと40秒で学ぶ世代空気

バブル期「40秒で支度しな」

就職氷河期「40秒で支度できないのは甘え」

インターネットバブルそもそもインターネットによって40秒で支度という意味が劇的に変わるでしょうね笑」

リーマンショック後「君はなぜ40秒で支度できなかったか分かる?」

令和「40秒で支度できなくてもいいんだよ」

2024-05-24

就職氷河期最後就職した41才老害だが最近新卒マジ羨ましい

なんか10社ぐらい受けて、3つも4つも内定取るのが普通らしいな。しか大手とか準大手とか。

 

自分の時なんて、40社、50社申し込むのが当たり前で、それでも準大手とか中堅から内定1つ取るのがやっとだった。

まぁネットエントリーはできるようになっていたので、上の世代みたいに何十枚もハガキを書くことは無かったけど。

 

その上、入社直後のリーマンショックボーナス取り消しとか、残業代固定化とかもあったし、まだまだ長時間労働パワハラも横行してた。20代メンタル病んだ同級生入社同期もたくさんいる。

 

働きやすくはなったんだろうし、新卒に罪はないから直接は言わないけど、マジで嫉妬するわ。

2024-05-21

悪夢民主党政権というより悪夢になるしかないタイミング政権交代させちゃう国民悪魔

この前はリーマンショック直後

今は超円安ゼロ金利廃止に伴う経済衰退のどちらかを選ぶしかないタイミング

なんで悪夢しかならないタイミング民主党政権もたせちゃうのかね

悪魔だよ、国民

anond:20240516113305

ただコレが円高リーマンショック世代の話になると別

何故か就職氷河期世代円高リーマンショック世代就職率が更に下回っていたことや、就職氷河期世代の頃には存在しておりセーフティとして機能していた製造業などへの非正規雇用円高によって壊滅していた円高リーマンショック世代へ対しては非常に冷淡

同じ様な苦しみを経験したはずなのに、製造業などへの非正規雇用が無くなることを想定せず中高卒など低学歴を選んだお前らが悪いなどと自己責任論を主張したり、円高リーマンショック世代での就職難は国の責任ではなく大企業責任であると主張したりなど、就職氷河期世代でも同じことが言える謎の理論を主張し始める始末

しかも当時の派遣村存在を忘れ、派遣村に少なくとも同世代就職氷河期世代が居たことを見てみぬふりをし、第二新卒制度など無かったと言うがリアルタイム円高リーマンショック就職難にあっていたとき第二新卒制度なんて存在せず、更にGoogleトレンドで調べると民主党政権時の第二新卒への言及観測上最低ラインであり民主党政権後の経済が持ち直したタイミング第二新卒への言及は増えている

間違いなく就職氷河期世代円高リーマンショック世代は団結して行動を共にすべきであるのに就職氷河期世代円高リーマンショック世代対し冷淡どころか敵視すらしている

そんなに円高リーマンショック世代が当時の民主党政権や元民主党、その系譜議員をぶっ叩くのが気に食わないのか?お前らの自民党が気に食わないのとまるで同じだろうに

2024-05-12

anond:20240510163027

私も旧帝工学部修士卒です。正社員として現在まで10年以上働いています (IT系職種です)。中小企業にもメーカーにも在籍経験がありますし、結婚出産もしています配偶者フルタイムで働いています。偉そうにみえたら大変申し訳ありませんが、あなたの書いた内容に、個人的には違和感のある点がいくつかあり、コメントさせてください。

あなた大学入学後に感じたことに共感します。実は私も講義に出づらくなり、専攻推薦を受ける自信を最初からなくし、新卒では自由応募で中小企業就職しました。ただその後転職し、メーカーなどを経験しています。その上で、やはり一般大企業の方が労働時間面も給与面も条件がよいとは思います特にメーカーというかいわゆる日系大手企業には、扶養手当や住宅手当が手厚く、家庭をもつ社員が多い企業も多くあると思います (手当については、夫婦のうち収入が大きい方という支給条件が多いことに留意)。手当の他に育児のための特別休暇を設ける企業もありますが、いくら休めても自分だけ休んだら落ちこぼれるだけなので、個人的にはそもそも有給日数の方が重要だと思います中小企業については、色々な企業ありすぎて何ともいえません。行政書士はわかりません。家庭と両立しやすかったら教えてください。

大切だと思うのは、推薦にせよ自由応募にせよ、面接で「御社で何をしたい」と語れるくらいには、各企業が何をしているのかを調べ、そこで自分が何をしたいのか考え、その根拠自分経験に照らして説得力があるように言えるようにして選考に臨むことだと思います。私は新卒とき志望度が高い企業に悉く不採用になったのですが、旧帝大であることに慢心していたのか、業界企業比較調査が甘かったと思います。想定していた業界内定が出ないこともあるかもしれないので、理系院卒カードを捨てるとか捨てないとかいう以前に、広く検討した方がよいとは思います (現在リーマンショック当時より売り手市場ではあるでしょうが……)。信頼をおいて就職活動相談ができる同期や先輩の女性があまりに少ない/いないという点では、理工系女性が苦しいということに大いに同意します。

ただ、あなたの「理工系女性は苦しみを味わう」という主張については、家庭をもつことを前提にしているのもさておき、男性に対しても理工系でない女性に対しても理工系女性に対しても決めつけが大きいので、もっともらしいのか判断できません (私は学力が低い学生が混ざることで現場教員負担が増えるなら女子枠に反対ではあります)。

2024-05-06

自民党がどうとか民主党政権時代はどうとか言うけど

結局政権交代って

 宮澤自民バブル崩壊

 村山社会阪神大震災

 麻生自民党ははリーマンショック

 野田民主東北震災

って感じで何らかの災害やら経済ショックが原因だよね

今はドル高で岸田自民ピンチだし

何だかんだでみんな無意識に天人相関説が好きすぎる

2024-04-28

anond:20240428215334

リーマンショックの影響緩和するために他国金融緩和してるなか日本だけほとんど何もしなかったから。

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