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2018-12-11

anond:20181211175524

そうなんだ、フェイズを何体狩ってもガラスマスクを落とさないんだ。

2018年 Amazonで買ってよかったものランキング

1位:メープルシロップ

美味しかった。結構大きめのを買ったのでじゃぶじゃぶつかえた。

 

2位:iPhoneXsのガラスフィルム

滑りが悪いし、拭いても綺麗にならないで最悪。買い替えたい。しかもこれをかったせいで上のメープルシロップを買うことになった。でもメープルシロップは買ってよかった。もうAmazonガラスフィルムは買わない。

 

以上。

 

(※ 2019年度になってたので2018年に直しました)

2018-12-08

日本語散らかっててすみません雑貨店店員をしています

今日若いお母さんと娘2人(姉Aちゃん、妹Bちゃんとする)が来店。

Aちゃん小学生、Bちゃんはイヤイヤ期が抜けきっていない3,4歳くらい。

 

Bちゃんはお母さんの押すカート(よくある子供が座れるタイプの)に座っていたんだけど、そわそわしてたまに立ち上がって危ないなぁと思ってた。

流石にお会計中はお母さんが座り直させていたけど、お母さんが袋詰をしている間飽きちゃったのか立ち上がってしまった。

レジカゴがなくなり軽くなったカートはひとりでに動き出してしまい、ドア付近の窓ガラスにぶつかりそうになっていたところを私が発見して止めた。

びっくりしたね、危ないから座ろうね、座れるかな?と声をかけ、難しそうだったら抱っこして降ろそうかなと思っていた。

そしたらお母さんが飛んできてBちゃんをパシンと叩き「座れって言ったでしょ!」と一喝

子供を抱き上げたと思ったら無理やり椅子に乗せた。

こういうカートのイスって座面に2つ穴が空いていてそこから足を出して座れるようになっているんだけど、

お母さんはかなり乱暴にBちゃんを降ろしたので一度では足が入らず、何度か揺さぶるようにやり直してやっと座らせた。

突き指じゃないけど、足が捻挫?しないか心配するくらいだった。

Bちゃんはびっくりして泣き出す始末。

お母さんはまた戻って袋詰、娘2人を連れてそそくさ退店した。私には何も言わなかった。

お母さんといっしょに来たAちゃんはお母さんが他人である私の前で子供を怒鳴り散らしてヤバい空気を察したのか苦笑いでチラチラ私を見ていた。

 

①お母さんサイド

買い物中ずっとワガママを言う娘2人にイライラする気持ちわからんでもない。

Bちゃんカートにきちんと座らずそわそわしていたし。

子供サイド

怒られてもわりとヘラヘラ

でもお母さんが怒鳴り散らしてただならぬ雰囲気は察している。

Bちゃんコントロール出来ないお母さんがAちゃんに対してもキツくあたっていた。

Aちゃんは買い物中お母さんに話しかけてもまともに会話してくれずつまらなそうだった。

Aちゃんに対してBちゃん見ててって言ったでしょ!と保護者役を押し付けていた。

店員サイドだったら

どんな理由があれ子供カートに乗せたまま放置しないで欲しい。なんかあったら店の責任も問われる可能性がある。

怒り方、叩き方、カートの乗せ方が乱暴すぎて、虐待を疑うレベル

公共の場所で人目もはばからずあそこまで怒鳴るのはちょっと考えられない。

お母さんのイライラMAXになった結果であって常にあの扱い方というわけではない…と信じたい。

 

家族連れがよくくる店だから、いろんな親子を見る。

叱る光景日常茶飯事で、もちろんしつけの範疇だなと理解できるケースも有る(商品乱暴に扱う子供とか、叱ってもヘラヘラしたりね)。

でも一方であまりにも行き過ぎではないか?親の八つ当たりではないか?というようなケースも無くはない。

他人から子育てにまで口を出す権利はないんだけど、他人からこそ感じるものもあると思う。

他人の、生活一場面を見たに過ぎないからな…と自分に言い聞かせている。

Aちゃん達は普段から虐待を受けていて、私に助け舟を求めていたんじゃないか?なんて考えてしまった。考えすぎかもだけど、可能性はゼロではないし。

 

今まで虐待ニュースを見てなぜ防げなかったのか、なんて大それたことを思っていたけど、

虐待予備軍みたいな光景は意外と近くで起こっているし、それでいてどうにもできないんですよ。こういう一場面では判定が難しい。

虐待を見逃さないって結構難しいことなのかもと思いました。

anond:20181208165908

そんな事書き込むとアベ信者認定されてデモ隊ガラス割られるぞ

ボトルベル剥がし

ボトルなどのラベルの類はきっちり剥がしたい性分である

国内製品のラベルはだいたい難なく剥ぐことができるが、問題海外勢だ。

今回手強かったのは、ネイチャーメイドとか、サプリメント系のプラスチックボトルのラベル

奴らは異様に粘着力が強く、力任せに剥がそうとすると表面の紙だけが中途半端に剥がれて、非常にもどかしい結果になる。

こいつらをきれいに剥がすには熱を加えるのが肝心で、表面にかけるより中にお湯を注いで内側から温める作戦効果的。お湯はポットの70~80度くらいのものでいい。やけどには注意。ガラス瓶の場合も注意。中が液体だった場合は事前によく洗っておく。

お湯を注いでフタを閉め、そのまま少し待つ。ボトルが手で触れるくらいに冷めたら、端の方を少し剥がしてみる。粘着部分が緩んできれいに剥がれそうであれば、冷めないうちになるべく広い範囲に均等に力をかけながら剥がしていく。

一気にきれいに剥がれると最高に気持ちいい。

2018-12-07

anond:20181207120643

産後またキャリア詰んでいくことだな

女性場合独身で働いてもガラス天井があるんで、結局子ども義務教育終わるころには追いつくよ

小さい秋見つけたの怖さは異常

お部屋は北向き曇りのガラス

→暗い部屋で、明かりが入りにくいよう工夫された部屋

虚ろな目の色溶かしたミルク

→虚ろな目になる何かがあった。粉末のスキムミルクだろうか、粗末な食事が与えられていることがわかる

わずかな隙から秋の風

監禁を暗示させるメチャ怖フレーズ

2018-12-03

anond:20181203204704

代わり映えのしない喧騒

踏み合う人々の影

誰もが仮面を被ったまま

見えざる手歯車は回る  

叫んでも 叫んでも

足掻くほど沈んでいく

嘲笑う声に耳塞ぎ

それでも光に手を伸ばす  

がんじがらめのマリオネット

無数に立ちはだかるトリック

卍固めマリオネット

ガラスの上で一人踊る  

四の字固めのマリオネット

無造作に積み上げたロジック

コブラツイストマリオネット

瓦礫の上で一人踊る

anond:20181203170728

http://news.livedoor.com/article/detail/4938124/

ソウルで9日、天然ガスを燃料とする市内バス(以下CNGバス)が運行中に爆発する事故が発生した。乗客17人が重軽傷を負い、周辺の建物ガラス看板も一部破損した。燃料タンクの爆発によるものと見られており、猛暑との関係は考えにくいという。

2018-11-29

ワイ中学で一回ブチぎれたことあるんやが30人ぐらいで取り押さえても無駄やったらしい

学校中の窓ガラス破壊して中庭の鯉全部食い殺したあと麻酔銃5発ぐらい打ち込まれてようやく鎮静化したらしいで

記憶ないけど

2018-11-28

anond:20181128125158

ガラス天井意味違うよ。

あれは「女であるというだけで、どれだけ働いても、どれだけ優秀でも、男より遥かに実績出していても、一定以上には行けない」と言う意味

元増田みたいに「そもそも女に責任ある仕事が与えられないから上に行けない」って意味ではない。

女性でも未婚・子なし等の場合名誉男性的にある程度まで上がることはあります

ともあるしね。

そういう人が「ある程度以上は絶対に行けない」のであればガラス天井事案だけど、元増田には関係ない話。

anond:20181127235600

典型的ガラス天井事案じゃん。ブコメトラバもだーれもこの辺りの用語知るところからスタートなの笑える

最近神回判定が緩すぎる説

アニメ観てて今回は神回だっていうネット意見を参考にしつつ視聴してるんですけど、「まぁたしかに泣けるけど、良回程度で神回ではないな」と思ってガッカリすることがある。

自分アニメを見過ぎているのかもしれないが、アニメ大量放出のこの時代神回判定が緩くなっていないか?僕はもっとコードギアスR2最終回とかセーラームーン無印最終回とかそういうのを神回というのだと思うんだよな。歴史に残るエピソードレベルじゃないと神回と認めたくないわけ。

最近はすぐ神回だとか神曲とか神作品かいうじゃん!最近の神判定は奈良判定並みに緩いぞ!アニオタ歴史20年の僕はそう思うんだ。君はどう思う?

追記

ブコメで既に出てたところ申し訳ないが神回判定が緩いなと思ったのはゾンビランドサガ第8話だよ。サガ民はゴブリンと戦い過ぎて逆にサガの評価下げてるからな。だけどゾンビランドサガのOPは神だな!

コードギアスR2より第1期の最終回の方がたしかにこれからどうなるんだろうって期待が非常に高かったよな。今は廃れちゃったけど当時は神MAD動画がたくさん作られててニコ動観るのが楽しかったんだ。今では例のアレとかVtuberにその勢いを奪われてしまったけど、まぁそんな懐古厨的なもんなんだ。

ちなみに自分メジャーなところで神回だなと思ったのはるろうに剣心アニメ版の京都編で剣心が薫に別れを告げるシーンな。セル画最盛期に蛍の光り輝く描写カヴァレリア・ルスティカーナのメロディでまさに明治剣客浪漫譚というところ。

マイナーなのだ刀語最終話とがめのシーンとか蒼穹のファフナー(無印)の翔子回とか、〜efシリーズとか、あとうる星やつら映画版ガラス越しにらむとあたるが語り合うシーン。

マキバオーカスケード日本ダービーの戦い。あとヨルムンガンドアール退場シーンでしょ、ふしぎ遊戯EDの入りが毎回神ってるし。33話の柳宿との別れは泣いたし。

アニメの話って楽しいね!

追記

みんなコメントありがとな!お互いの神回を語り合う、そういうのが好きなんだよ。

リアルだとアニメの話してもロボ系が好きかアイドル系が好きかとか細かに趣味が分かれてんだよね。だから意外と今回良かったよねとか気軽に話せないかネット声聞ちゃう。そういう意味では神回判定が緩くなってもリアル恩恵を受けてる感じはあまりいかな。

コメントへの返答

シャーロットは尻すぼみ感があって2クールやれたら神作品だったかもよね。

プリキュア時代部活に打ち込んでたもんだから見てないんだ。すまん...

カウボーイビバップ出してくるのはセコいな〜笑 第5話は神回だと思う!

エグゾダス第9話は神回だ!初代から観てきた人間としては神としかいいようがない。

あとネットでは酷評だったけど鉄血のオルフェンズもすこなんだな。リアルで追っかけてたし、1期のビスケット亡くなり〜からMISIAはまじで神演出だった。

今後最強な神回があったら天照大神回とか表現方法変えて欲しいよ。天照大神回だったら絶対みるもん。九十九神回ならなるほどなって思うし。

2018-11-25

ぼくが自殺を決行した話をする

今だからあんまり気負わずに言えるけど、当時は人生に対して切実な思いを持っていた。もちろん自殺には失敗したから今生きている。

当時、ぼくは20歳ニート生活をしており、よくわからないまま何の目的意識もないまま、とにかくこの先の人生絶望しながら生きてきていた。

ぼくはそのとき大学中退してそれなりの年月が経過していた。大学に行ったのも特に目的は無かった。働きたくないし勉強もしたくなかったが、親が金を出してくれるということで、自分人生に対して責任というものがなく、ただ言われるがままに進学をしていた。受験勉強は全くせず高校時代は家で勉強したことはなかったが、学校の授業を高校1年生から2年生まではしっかり受けていたこともあって、受験成功し、ランクは落としたが大学に進学した。それでもそこそこの国立大学には進学したので、ぼくは同級生ほとんどを見下していたように思う。

大学に入ったときは「遊びまくれる」という意識があって、いままでの家庭内での抑圧が弾けるかのようにぼくは遊び回った。当時隆盛していたモバゲーやらGREEやらでメンヘラ漁りをしたり、ネトゲにハマったりPCゲームにハマったり映画を見たり、一般的パラサイト大学生として過ごしていた。大学ははじめのころは新鮮でおもしろいと思って通っていたが、慣れてくると結局勉強をしなければいけないことに気づきだんだん卒業後の現実が見え始め、やる気がなくなった。勉強をしてなんになると思い始めて学校に行く頻度が落ちた。卒業して働くということに絶望を感じていた。就活というもの意味がわからなかった。

「少なくとも残り38年、あるいはそれ以上、奴隷として働かなければいけない」という絶望感があった。ぼくはそこまでして生きたいと思っていなかった。好んで死にたいわけではなかったが、人生目的が本当に何もなかった。ただ言われるがまま、子ども学校に行くもんだという指令のもとに生きていた。こうした呪縛から解き放たれて自由を得た代わりに、選択肢が何もないように感じていた。「働いて、生きて、それでその後は?」「何十年も生きて、それでその後は?」「生きていれば楽しいこともあるだろう。それでその後は?」「たとえば何かしら名声を得るとして、それでその結果何が得られるのか?」という風に感じていた。すべての物事人生最後にどう意義深くなるのかを考えていた。こういう考え方は、防衛機制の知性化というらしい。

ひとまず2年生に進級した。必修単位だけはなんとか落とさなかったが、そのほかの単位ものすごく落としていた。状況は何も変わっておらず、相変わらず特におもしろいとは感じないながらも、まだおもしろさが比較的マシなゲームや女遊びに没頭していた。しか現実逃避に過ぎないと考えてぼくは自殺を考え始めた。「死」が選択肢に入ってくると、おもしろいほど転がり落ちるのが早い。ただの堕落した大学から、終わり始めていった。

ふつう人間は、何か行動を選択するときに「死ぬ」という考えは浮かばない。「おなかすいたかコンビニに行こうかな。めんどくさいな。まぁ食わなきゃ死ぬしいいか」というふうにはならない。どんな選択でも死ぬことが関わってくる。死神に呪われているがごとく。「窓が汚れてるなぁ。窓ガラスに首を突っ込んだら死ぬだろうか」「料理はめんどくさいな。包丁を刺すのは痛いだろうなあ」と、だんだん普通の行動を取れなくなる。完全に何かしらの病気なのだが、金がないし「この状況が薬で改善されるとは思わない」と思っていた。

当たり前だが大学には行かなくなった。大学をやめてバイトだけやろうと考えた。当たり前だがうまくいくはずもない。そもそも働きたくないのだから、すぐにバイトにも行かなくなった。身分学生なだけの人間に成り下がった。ぼくは大学も行かず、バイトで貯まっていた20万円を使って、「起きる→ゲームする→眠くなると寝る→腹が減ったとき、朝や昼なら近くのスーパーに行き、夜なら近くのコンビニへ行く」という生活をしていた。ゴミは出たらそのまま放置し、いよいよ虫が出てきたときゴミ捨てをするという、現実逃避以外の何物でもない生活をしていた。

何度も「餓死しようかな」と考えて飯を抜いては「限界。無理」と考えてがっつり食べたりしていた。「3日食べない」「たくさん食う」「2日食べない」「たくさん食う」の繰り返しをしていた。この食べるという行為けが幸福だった。コンビニの同じような弁当ばかり食べていたが、ただただ「うまい」と感じていた。脱水症状手前の状態から飲むポカリは格別だった。体全体が食物を欲している中で食べるハンバーグは絶品だった。ある種中毒になっていたのだと思う。

そうした生活によって金が尽きる前に、母親が迎えに来た。ぼくが携帯電話の電源を切っていたので心配になって見に来たということだった。ぼくは「失敗した」と思うと同時にそれを拒絶した。「現実がやってきた」というふうに感じていた。未来への思考をしないようにしていたところに現実を考えなければいけないトリガーが出た。死を保留することがもうできなくなったと考えて、ぼくはすぐさま死ぬことを考えた。急いで財布だけ掴んで家を飛び出し、ネカフェに3日ほど滞在したあと、富士山樹海で首を吊るのがいいんじゃないかということで、なけなしの金をはたいてぼくは中央線に乗り込み、最後の晩餐として、いくらかの酒やお菓子食べ物ビニール紐と睡眠導入剤を買い込んで、残金がほぼないような状態で、河口湖駅へついた。そこからバス民宿方面へ向かった。民宿の予約はしていない。

ついたのは夜だった。ぼくは民宿の前の道路から少し離れたところで樹海に入った。樹海は街とは比べ物にならないほど暗く、岩は月あかりのせいか血のように光っていた。懐中電灯などというものは持ってきていない。飛び出したおかげか携帯電話も持ってきていなかったので、でたらめに移動した。引き返すつもりもなかったので、財布の中に入っていたお札や小銭を取り出して、破いて樹海の中にばらまいた。そうして移動した。怖くはあったが「動物に襲われたくない」という怖さだった。死にたいが痛いのは嫌だったからだ。樹海は暗すぎて木に紐を結びつけることができなかったので、一夜を明かさざるを得なかった。当時は雪が降る時期で、異常に寒くまともに眠れなかった。「寝たら凍死できればいいのに」「寝たら死んでいますように」と考えていて、必死で寝ようとしては起きてという繰り返して、朝を迎えた。何時だったのかは全くわからない。薄明かりで木に紐をくくりつけられるぐらいになった。

ビニール紐というのは何度も巻き付けて首に巻くとものすごく痛い。そもそも数秒耐えることもできない。睡眠導入剤や酒など飲んだが何の効果もない。意識はかなり明瞭で「死ぬ」という恐怖心と戦わなければいけなかった。「死ぬ。これから死ぬ。なぜ死ぬのか。そもそも死ぬ必要があるのか。これで本当に死ねるのか。考え直した方がいいのではないか。死ななくてもいい方法があるのではないか」と考えた。痛いし寒いし死のうという決意も薄いしで、結局ぼくは死ぬことを諦めた。

朝を迎えた樹海景色が綺麗だった。樹海の中にある道を探すと、あっけなく道が見つかった。その道をまっすぐ進むとすぐ道路にたどりついた。全然道路から離れていなかったらしい。

道路に出て、ぼくは適当に歩き始めた。明らかに変なところを歩いているのに誰も話しかけることはない。それはそれでよかった。変に話しかけられても困るだけだった。道路をまっすぐ進むと甲府方面看板が出てさらにまっすぐ進むと、幸運なことにお店があって、横に公衆電話があった。あとで調べると12kmほど歩いていたらしい。何のためらいもなく110番をする。「自殺に失敗したんですけど」といって、ぼくはいろいろあって実家に帰ることになった。おまわりさんには「いろいろ人生つらいこともあるけど死ぬのはダメだよ」みたいなことを言われてぼくはひととおり泣いていた。ただ、そんな言葉で心変わりするぐらいならここまで悩んでいない。泣いて「ちゃんとした方がいい」と思ったのはほんの数瞬だった。

実家に戻ってまず思ったことは「状況が何ひとつとして良くなっていない」という絶望感がただそこにあるだけだった。死の保留が再びできて安堵していただけだった。当時の家庭環境もよくなかった。父母の仲はぼくが家を出たあとでいっそう最悪になったらしく、父は仕事に没頭しており、そもそも母と情報共有できていなかったので、ぼくが樹海に行ったことを知らないようだった。今も知らないだろう。ぼくも積極的に言うこともなかった。「自殺を図った」という言葉の上っ面では、他者にそこに至った経緯など伝わるはずもなく、その理由理解され難かった。

ぼくはそのまま自堕落生活を送った。

堕落生活で、ぼくはひたすらネット動画を見ていた。「動画を見る・起きる・夜目覚めて冷蔵庫にあるものを漁って食う・眠くなったら寝る」というクズ生活を送っていた。その一般的クズニート状態のまま1年がたって、当時の「死ぬことの怖さ」みたいな思いが風化して、ぼくは再び死ぬことに決めた。「親に迷惑をかけている」とは思っていなかった。「今まで虐待みたいなことを散々してきて育ったのだから当然の報いだろう」と思っていた。申し訳無さではなくて、この先どうすればいいのかを延々と考えていた。未来がない。「奴隷か・死ぬか」という二分的な思考の中で揺れ動いていた。いま思えば思考があまりに先鋭化しすぎているが、周りの環境がそう簡単に変わるわけでもない。むしろぼくの存在によって周りの環境がぼくの闇に引きずり込まれるように悪化し始めた。

死ねなかったのは、前回のプランが悪かったのだ」「そもそもプランをたてる暇がなかったのだ」と考えるようになっていた。「そもそもビニール紐で死ねるわけがないではないか」などと思って事前調査することにした。実際にはビニール紐ではダメで、ロープが良いのである死ぬというのは勇気というか、一大決心がいるものであるが、準備ができていないと死ぬことはできない。感情的であればあるほどめちゃくちゃなことができるが、めちゃくちゃゆえに準備不足で失敗することもある。ぼくの場合死にたい!!」という一撃の思いではなくて、ずっと心にためていた漫然とした「このまま生きていたくない」という学習無力感だったので、痛い思いもしたくなかった。

着々と準備を進めてぼくはやっぱり首吊りをすることにした。何度も首吊り選択している理由がわからいかもしれないが、首吊りリーズナブル苦痛が少ないという合理性からだ。ただし実際には苦痛は他の死に方と比べて少ないというだけで、ものすごくあることもあるし、一般的生き方での「痛い」と比べるべきものではない。基本的にはほぼすべての死に方について、死ぬほど痛い。幸運にも苦痛なく死ぬことができる人もいるはずだけど、最悪の場合永遠に苦痛を味わいながら生きることになる。

ともかく、ぼくはロープを買い、痛くないようにハンカチなども買って準備を万全にした。睡眠導入剤や酒も以前と同じく買った。

夜、ぼくは家を飛び出して近くの山に向かった。田舎だったので山には困らなかった。白昼堂々山に入って通報されたらたまったものではない。夜に行動するのは基本だった。

樹海ときと同じように外で寝た。犬の鳴き声が聞こえて不安を煽られたが、地元ということもあったのかそれはそこまで気にならなかった。今回は夏で、じゃっかんの肌寒さしかなかった。準備は万全で、今回は変に目が覚めることはなく、いったいどういう神経をしているのか、熟睡できた。

明け方ロープを準備した。ネットで調べてきたとおりにハングマンノットという結び方で、枝に結んだ。ぼくは最後の晩餐だとして、買い込んできたご飯を食べた。睡眠導入剤をすべて飲んで水やお茶を飲み、酒を飲みまくり最後ファミリーマートで買ったエクレアを食べた。食べ終わると猛烈な不安が込み上げてきた。「死ぬのか」という感情が心をとにかく揺さぶった。

ぼくは木に登った。木に登って、太い枝に立ち、丸く結んだロープ首にかけ「ジャンプすれば死ぬ」というところまで準備した。猛烈な恐怖が体を襲った。ぶるぶる震える。ジャンプする。ジャンプしさえすれば死ねる。足はとにかくすくむ。今でも怖いと思う。思い出すだけで恐怖心が現れる。

それで、どうやったかよくわからないけど、ぼくは自殺を決行した。枝からジャンプした。

しばらくするとぼくは暗闇の中にいた。そこにはものすごい多幸感があった。眠りから覚める以上の幸せがあった。何かの扉が見えて、眼の前には光があった。あとで「この世に生まれてくる」とはああいうことかというように表現できるたぐいのものだった。ぼくは目を覚ました。ぼくは何をしているんだろう。ここはどういう世界なんだろうか。不可思議感覚だった。

次の瞬間、全身に激痛が走る。人生で生きてきた中で最も痛い激痛だった。ぼくは理解した。死のうとしていたのだった。ぼくは痛さで発狂していた。ぼくは痛いのをなんとかしたいという一心で、自動的ロープから必死に首を脱出させようと試みた。痛い。とにかく脱出しなければ。痛い。ロープから首を。痛いの嫌だ。ロープに手でぶら下がれば首は締まらない。痛さが軽減した。

ぼくはロープから首を出してそのまま枝から落ちた。体がドスッと地面に落ちたがそんなことはどうでもよく、首が熱を持っていた。喉がひたすら痛かった。それどころか頭まで痛かった。どれくらいそこにいたかからなかったが、ぼくは死ねないことに深い辛さを感じていた。鋭い痛みと「死ぬことはできないのだ」という選択肢がなくなったことでぼくはずっと泣いていた。

この経験以来、ぼくは「あのとき実はすでに死んでいて、今も実は死んでいるんじゃないか」という感覚がある。いつかあるとき、今生きていることは夢だということで目が覚めて、あの飛び込んだときに戻るのではないかという感覚がわけもしれずある。当時の体験2chの関連スレにそっと書いていたが、あまりまれることもなくひっそりとスレの中に埋もれていった。基本的にみんな他人には興味が無いのだ。

どのくらいそうしていたか覚えてないが、ぼくは家に帰った。太陽はもう高くあがっていた。どのくらいぼくは首を吊っていたのか全く判然としない。数秒だったのか数時間だったのかわからない。現実的におそらく長くても十分も経っていなかったのではないかと思うが。家につくと母はぼくの首の痣にびっくりしていた。とにかくぼくは生きる選択肢を選んだ。痣は1ヶ月ほど消えなかった。

その後お寺に連れて行かれてカウンセリングを受けた。なぜお寺なのかは理解できなかったが、言われるがままについていった。自分でもカウンセリング必要だと感じていたからだ。話を聞いてて思ったのは「ありきたりな話の集合のくそくらえ」ということで、ぼくが考えていたのは「こいつは使い物にならねえ」ということと、今後の指針だった。幸いにもカウンセラーの口がそこまで達者ではなかったので、ぼくが宗教にハマることはなかった。精神的にだいぶ弱ってはいたが、ぼくが欲していたのは「現実的に機能する今後の指針」であって、よくわからんスピリチュアル的なものではなかった。ましてや自殺決行後の人に、死のうか悩んでいる人向けのカウンセリングをしたところで何の効果もないだろうと、ことここに至ってもまだ人を見下していた。逆にぼくではなく、母がスピリチュアルに頼るような人種になっていた。

自分正当化するようだが、母も別に聖人君子ではない。こうなるまでぼくは小さい頃、虐待とともに生きてきた。第三者から見ればただぼくが悪魔のように見えて、切り捨てたい汚物のようだと思うだろうが。ぼくは今になってようやく、母も祖母祖父からめちゃくちゃな教育を受け、育児嫁姑問題や父との不仲、父のめちゃくちゃさ等でストレスがたまっていたということを理解して客観的に見ることができるようになった。いわゆる毒親というやつだろう。今は遠く離れて住んでいるため、適切な距離を保てていると思う。

まぁそれは置いておき、死ぬという選択肢が消えたことで、ぼくは図書館にいって本をただ読んだり、ぐだぐだと生きていた。結局保留する癖は死ぬ目に遭っても治っておらず、相変わらず親同士は喧嘩が絶えない状態だった。ぼくはとにかくグダグダとしていた。前よりは安穏としているものの、結果的にそんなに状況が好転していないのだった。

そこで東日本大震災が起こった。ずっとテレビを見ていて思ったのは「いとも簡単に人がたくさん死ぬ」ということだった。

ぼくがずっと考えていたことは自然にとってはありふれたことで、一生懸命自分人生を生きてきた一人の人間が、人生を無理矢理終了させられ、大して深い意味もなく死んでいくという「人間ゴミのように死んでいく」光景が新鮮だった。可哀想などと思う人間気持ちを持つ余裕はまだ無かった。失礼な話だが、人が一人死ぬのを見るたび希望が湧きあがってきた。震災はぼくの死生観に強い影響を及ぼした。「人間が生きる意味などない」というのをかなりポジティブに感じた。

「そんなに簡単意味もなく死ぬなら深く考えるのはバカバカしい」と考えた。文字通り死ぬほど悩んだ結果、ありふれた結論に達するという虚無感に、絶望ではなくて乾いた笑いが出た。「死ぬことについて死ぬほど深く考えた結果、死ぬほど深く考えるのはバカ」という結論に達した人はそうそういないだろう。つまり思考停止なのだが、死に関しては思考停止するのが「生きる上で正しい」のだった。

よくよく考えれば奴隷にならない道もあるはずだと思って、ぼくは震災から数週間経つと、金もないのに家を飛び出して都会に出た。都会に出たあとは、世間知らずと社会不適合者が混ざった状態で、その後もまぁ紆余曲折あったのだが、今は生活好転し、ふつう人間のようにして日々を暮らしている。

いま、ぼくは当時を懐かしい思い出として、あるいはいささかの教訓を含む昔話として扱うことができるようになった。

そして、こうした日々に何の意味価値もないことをはっきりと知覚しながらも、さりとて刹那的にもならず、二律背反的だが、人生意味価値があると思いながら、未来を考えて前向きに生きることができるようになったと思う。ニーチェのいうところの超人というやつらしいけど、そんな上等なものではない。現代では一般的なありふれた考え方だと思う。

まぁ、自殺の決行がなんだとかって話だけど、何かの参考程度に受け止めてもらえれば嬉しいと思っています

追記

長すぎて最後の方の行が弾かれたのでこちらに書きました。

https://anond.hatelabo.jp/20181126040934

2018-11-20

この前の初耳学

『子の学力母親から遺伝し、衝動攻撃性は父親から遺伝する』という研究結果が紹介されていて、昔のことを色々思い出してしまった。誰にも言えないのでここに吐かせてもらう。

うちの父は母に暴力をふるっていた。食器ガンガン投げて、朝台所に行くと母が泣きながら破片だらけの床を掃除していることが何度もあった。

一番忘れられないのは、私が小学校低学年のとき

テレビに夢中になっていて、「早くお風呂に入りなさい」と言う母に、もうちょっと観てから入る!と言い、お風呂時間が遅くなってしまった。私がお風呂に入ると同時ぐらいに父が帰ってきたのだが、なぜか激怒。怒りの矛先は母へ。

「なんで早く風呂に入らせないんだ!」

母を蹴る音と、痛いと叫ぶ母の声を浴室でちぢこまって聞いていた。

しかも私は、お父さんが怖かったのと自分のせいでお母さんが痛い目に合っているのが申し訳なくて、お母さんに声をかけることができず、お風呂から出たあと小走りで寝室に逃げた。床に座り、泣きながら蹴られた箇所をさすっている母の背中が今も焼き付いている。

あの時「大丈夫?」と声をかけていれば、母は少しは救われただろうか。勇気をだして父に立ち向かっていれば、何か変わっていただろうか。まだ10歳にもならない私には、見て見ぬふりをして逃げるのが精一杯だった。

数年後父は出ていくのだが、出ていったあとは母が怖かった。

教育ママで、言う通りにしなければ怒る。

宿題参考書を解いてるときは横に張りつき。解いてる途中でも、少しでも違っていれば頭をはたかれる。

怒られてる時は一切口答えできない。ただ泣いて我慢するしかなかった。怒りながらテーブルガンガン叩いているのが恐怖だった。物が飛んでくることもしょっちゅうだった。母へプレゼントしたコップが飛んできた時は凹んだ。

高校受験前は、ありがたくも塾に通わせてもらってたんだけど、志望校には落ちてしまった。「この金食い虫が」と言われた。

土下座して滑り止めの高校入学させてもらった。「資格をたくさん取ってたくさん勉強します」と念書も書かされた。

「お母さんは、よその着飾っている母親たちとは違う」「お母さんは、あなたよりもあなたのことを知っている。だからお母さんの言うことを聞きなさい」が口癖。

高校に上がると私は反抗する術を覚えた。口では勝てないので私も物に当たるようになった。この破壊行動は、20代に入り就職実家を出る頃まで続く。母は自分に都合の悪いことは知らぬ存ぜぬを貫く人で、話し合いで解決したことひとつもない。

話が通じないから物に当たることしかできず、ガラスを何枚も割り、扇風機や障子も躊躇なく投げた。

物を破壊しても満足できなければ、母を張り倒した。

母なんて死ねばいいと本気で思っていた。そのうち本当に殺してしまうんじゃないか自分が怖くなるときもあった。

あれから幾年。私は30代に入り、母はとっくに還暦を過ぎた。母はだいぶ丸くなったが、私は未だに母の前では笑えない。丸くなったといっても、私の就職先にケチをつけたり頼んでもないのに転職先をリストアップしてくるから本質は変わっていないと思う。

父の消息は知らない。高校卒業時、親戚の計らいで私とだけ再会したことがあったが、その後お金をせびられたので連絡を絶った。

母は、父から暴力を受けていたことは覚えていないという。私に吐いた暴言も、覚えていないと言う。

周りからは「女手一つで大学まで行かせてくれたんだから」「留学もさせてくれたんだから」「今は丸くなってるんだから」親を大事しろと言われる。

でも、大人になった今でも、忘れられない。

母に叩かれていたこと。

友達の家に遊びに行く度に、友達の家に「遊ぶな帰ってこい」と電話をかけてきたこと。

金食い虫と言われたこと。

土下座させられたこと。

反論するたびに出ていけと言われたこ

学校を辞めさせると脅されたこと。

辛かったことを伝える度に、私がそんなことを言うわけないと否定されつづけたこと。

かに助けてほしかったけど、誰にも言えなかったこと。

父に蹴られる母の泣き声と破片だらけの床。

「産んでくれたから」「学費を出してくれたから」ぜんぶ忘れて、水に流して、優しくしなければいけないのだろうか。

こういった、俗に言う辛い過去を抱える人は今は成功して幸せになりがちだと思うのだが、私は平々凡々。むしろパワハラ上司に負けて会社を辞めてニートまっしぐらだ。唯一の救いは、こんな私を見捨てないでくれている彼氏と、飼い猫が私にはもったいないぐらい可愛いことぐらいだ。いやそれで十分なんだけど。

から、初耳学のあの発表を見て、封印していた黒くてドロドロしたものが溢れ出てしまった。

いつか父のように暴力をふるってしまうのだろうか。

お金にだらしなくなってしまうのだろうか。

母のように、言ったことを「言ってない」と言い張り相手を混乱させてしまうのだろうか。

それとも母やみんなの言う通り、私は金食い虫で、一人っ子から甘くて、事実じゃないことばかり言っていて、親不孝なのだろうか。

2018-11-19

anond:20181119233355

そうなのですか!ホログラムじゃないんですね!ガラスの映り込みとは知りませんでした。

anond:20181119232019

それホログラムではなくない?立体投影ガラス反射のトリックから

立体投影やるとしたらステージと客席に薄膜貼るような形になるし、視野角の問題がきつい

努力価値がないとは思ってないけど、努力を積み重ねて何かを成したとしても、結局は「運が良かっただけ」だと思うんだよね。

努力障害となる怪我病気にならなかった

努力邪魔する身内がいなかった

努力モチベーションを上げる出来事があった

努力を続ける才能があった

などなど。上げればきりがない。

努力に限らず、人生って自分ではどうにもならないことの積み重ねでできてるわけで、それを「お前が何もしてこなかったのが悪い」と言われても「そんなこと言われてもなぁ」って気持ちしかならない。

今抱えている問題について「改善をしていこう!」って気持ちが湧かなかったとしても、それ以前までの自分ではどうにもならないあれやこれやが積み重なってそういう気持ちが湧かないわけだから、もうどうにもならないよね、と。法に背くのは論外だけど、それ以外の「努力必要だったけど、努力はできなかった事柄」については、もうそっとしておいて欲しくなる。

ガラスハートからな、自分に向けられた言葉じゃなくても、こう、とても傷つく。

念押しで最後にもう一度書くよ。努力価値がないとは思ってないよ。

2018-11-18

anond:20181118205819

能がないってゆーか

当時は工具も全部木製で

今ほど効率よく農作業ができなかったわけさ

種まいても発芽率がすごく低かった

ビニルハウスもない、ガラスもないから温室・ハウスもなく

植える前の苗も作れない

種まきなわけね

作業はほぼ人力

運がよくて牛馬がいるレベル

大規模な土木建築ができないか

千枚田みたいな土地が便利だとされたのね

現代においては運搬用車両も通れないし、農地トラクター入れられないか放置されつつある)

んで手工業は秋~冬の農業ができないとき

米の茎の部分や、さつまいもの茎なんかを加工して行ってた

ALL人力でどこまでの数の茎を入手できるかどうか考えてほしい

さらには、昔はスーパーあったわけじゃないか

肉はわなを仕掛けてちょくちょく見回って運よく捕まえられるレベルだし

欲しい野菜は他の農家交渉するか、行商から買うとか

野菜ごとに別の人と交渉しないといけないレベル

魚は自分で取りに行く

当然歩いて移動するので時間クソかかる

生活時間がかかるので、

現代みたいに効率よく手仕事なんてできないんだよ

照明もないからね!!

2018-11-17

anond:20181117114626

iPhoneというかApple製端末の最大のメリット不具合発生時にApple Storeに行けば即日で交換までやってもらえるとこだな

キャリアAndroid端末は修理に一週間はかかるからクソ(現在Xperia XZ1修理預け中・・・

あと108円で手帳ケースやガラスフィルムが手に入る。

Apple Payはそこそこ使える。Google Payの完成度低すぎ

iPhoneアドバンテージはこれくらいか

そこそこのSIMフリーAndroidスマホを1年ペースで買い換えるのがコスト的にも一番じゃないかなとは思う

ガラス引き戸で取っ手を使わない奴ってなんなの?

そんなにガラス指紋を残したいの?

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