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はてなキーワード: 一年とは

2017-09-25

一年婚活頑張ってみて

成果が無かったら首を釣ろうと思う

2017-09-24

anond:20170924002029

時間の余裕、物理的な所有欲、承認欲求...

満たされない人向けなんだよ。

何人かとそのまま病室でスマフォしか持たぬ生活一年でも続ければ理解できるよ。

PC/据え置きゲームの魅力にない携帯性と話題の共有し易さにね。

anond:20170924111217

必修って言っても一年間ずーーーーっとやるわけじゃないですし……

ほんの数回だろ

参観日とぶつかるとも限らない

子どもなんか簡単ダンスうろ覚えでふにゃふにゃ踊るのが精一杯

学校でやるんだから煽情的振り付けはないし

格好だって体操服だ、キャミソールホットパンツでやるわけじゃないんだぞ

2017-09-23

anond:20170923080415

元増田です。

"PTAにできることもあればできないこともある、それだけのこと。"

それはそうなんだけれども、その「できないこと」が重大過ぎるんだ。

園で何か事件事故が起こってその責任を追及しようにも、PTAは園や教委の言いなりになるしかない。保護者の皆が団結して園と対立しようにもその時リーダーとしていて欲しい人達が何もしてくれないなんてどうかしてるっていうのが一般保護者自然気持ちだ。

通常のPTA活動の際に、いざって時に何もしてくれないリーダーに従おうという人なんかいるだろうか?

PTAに皆が不信感を抱き協力を惜しむようになったら結局その弊害子供達に返って来てしまう。現状園の運営PTAにかなり依存しているのだからPTA仕事をアウトソースするのは金がかかりすぎて公立ユーザーには無理だし(過去に一度大掃除外注して懲りたらしい)。

新しく保護者会を立ち上げたとしても、それが何でも問題解決出来る訳ではないとは私も思うのだけど、保護者にとっては行事運営以上にいざという時には自分達の側について共に戦ってくれるリーダー(あるいは勝手に一人で戦ってくれるリーダーかもしれないが)こそ必要なので、それが絶対に出来ない既存PTAは無くすしかないのではないかと思う。

ただしPTAの様に面倒な保護者同士の人間関係の調整を全部園に押し付ける様な事は、保護者会では決して出来ないので、一年目は勢いで活動出来ても後が続かないのは目に見えているので悩ましい。

理想としては保護者達で主体性主権を取り戻すべきなんだが、多くの保護者達は主体性なんか要らない、でも何か起こったら誰か戦ってっていうスタンスなので、どうしたらいいんだもう……。

一応コネを辿って議員さんに泣きついてみるという手も考えたんだけど、丁度今、諸事情からそれはかなり難しい。

しか行事が多いシーズン突入したばかりの時に教委から唐突にめちゃめちゃ上意下達されてPTA本部の信用が失墜してしまって、一体これは何の嫌がらせなんだと思わずはいられない。

(公立不要論議会でしばしば上がっている様なので、園内を引っ掻き回して子供達の保護者を園から離反させた入園希望者を減らすのが目的なのかもしれないと邪推したくなる。)

痛みで人生が返ってこない

去年の秋からずっと腰痛に苦しめられている。

それからというもの人生が止まっている。

入院もした。退院後は働きながら必死で痛みと戦った。半年耐えたけど悪化しただけだった。椅子に座ることですら痛みを助長した。地獄のような毎日で、自分が生きているか死んでいるかも分からなかった。

からずっと幸福感のない人生だった。過去記憶を捨てて幸せになろうと単身上京した。一年と少しが経ち、転職先での仕事もやっと軌道に乗ってきたところだった。上司にも信頼されていたと思う。頑張っていたし、もっと頑張りたかった。初めて自力で手に入れた平穏人生毎日が楽しかった。なのに、仕事で腰を痛めた。女なのに重い物を運びまくっていた。疲れの蓄積も自分のせいだと思って気付かなかった。

春には地元に帰ってきた。仕事とはお別れになった。痛みに全てを奪われた。

最初はすぐに治ると舐めていた。なのに全然治らない。あれから10カ月も経つのに治らない。

まだ二十代後半なのに、身体不自由なお年寄り感情移入してしまう。酷い時は足先から肩まで痛みがあった。杖をついて歩いていたら、おじいちゃんおばあちゃんに抜かされたことも何度もある。情けなくてショックで悔しかった。

いろんな病院鍼灸整体に行った。必死毎日バカみたいにストレッチをしている。試せることはみんな試した。MRIなどの画像診断上は原因が見つからないので治療も見付からなかった。

本や論文を読み漁り、筋肉由来の痛みだと突き止めた。一カ月ほど前、自分で探した薬を処方してもらったらよく効いた。先生も驚いて喜んでくれた。今までの苦労が嘘みたいに痛みが楽になった。嬉しくて早く治りたくて、リハビリもいっそう頑張った。

そんな矢先、先週くらいからだろうか。今度は脊柱仙骨のあたりに鋭い痛みが走るようになった。患部から脳天まで貫くような激しい痛み。立っていられない。気にせず暮らせば大丈夫かと思ったけど、今日は家の中を歩いただけで同じ痛みがやってきた。

なんで。なんで。今までこんな痛みはなかったのに。傷めた最初の時もこんなとこ痛くなかったのに。半年も無理して働かされてこんなとこまで悪くなってしまった。それでも頑張ってやっと良くなってきたと思ったのに。こんなに頑張ってるのにひどい。神様なんて絶対にいない。なんでこんなに貧乏くじばっかり引かないといけないの。みんなこんなに辛い人生送ってるの。

物心ついた頃から毒親で、小中と何度もいじめられて、もう性格なんてひん曲がってしまっていた。自信もないし酷い人見知りで、生きるのなんてなんにも楽しくなかった。大学卒業してやっと、自分を変えようと頑張って、見た目も考え方も変えた。だけど就職先はブラックばかり引き当てて身体を壊して苦しんだ。

それでも、それでも負けないと思って、過去なんて全部チャラにできると思っての上京だったのに、結局こんなことになってしまった。

惨めでたまらない。なんでこんなに痛いんだろう。身体が動かないことは本当に辛い。どこにも行けない。何も出来ない。社会が遠くて、毎日が寂しい。働けないことへの罪悪感だってある。最初は周りもみんな心配してくれたけど飽きられたみたいだ。みんな恋愛仕事結婚出産人生が進んでいるのに、私は家から出ることすら出来なくなってしまった。辛いよ。SNSを見てこんなに辛いなんて。健康な人が正直妬ましい。元気な身体がほしい。

一生こんなんだったらどうしよう。どうすればいい?どうすればいいんだろう。神様、本当にいるんだったら少しくらい優しくして下さい。私を解放して下さい。普通身体に戻して下さい。普通人生送らせて下さい。

2017-09-22

S.E.Mに救われた学生の話

匿名ですが、別にマイナスな話ではない。むしろプラスな話だし、私はS.E.MPさんに少しでも感謝を伝えたいのでもし何らかの形でこの記事を見つけたSideMのPさんは積極的シェアしてくれると嬉しい。

もちろん感じるものがなかったらそれは私の文章力がなかっただけなのでふーんくらいでいいです。

なぜ匿名なのかは読めばわかると思いますが、私がツイッターフォロワーさんに知られたくないことを書いているからです

さて、タイトルに戻る

私はタイトルの通りSEMに救われた、高校生ときに。今は大学一年生です

どんなふうに救われたのかというと、当然精神面なんですが

私は高校二年生でうつ病と診断されました、多分一年生の頃からその気はあったけど病院に行っていなかったので

で、うつ拗らせた原因が受験の失敗を引きずって自己否定がすごかったからなんですよね

一年生の最初の頃は無理やり頑張っていたけど空元気は長く続かないからどんどんダメになっていってとにかくつらかった

なにをしても自分絶対ダメっていうビジョンが頭から離れなくて、怖くて何をすればいいかからない、周りの目が怖い、結果何かをする気力がどんどんなくなっていく

そしてふとした瞬間にそんな自分への自己嫌悪が募って負のスパイラルです、もうどうしようもない

まわりの大人は弱いお前が悪いとか、理解したつもりで接してくるけど何もわかってなかったりとか

マジでどう生きていけばいいんだってな!!

次第に授業休みまくるようになって単位ぎりぎりサーフィンしてた

そんなとき出会ったのがSideMです

といっても一応登録はしてあった

友人に勧められて当時出ていたCDを全部借りた、確か彩とFRAMEまであった

そしてその中にSEMがいた

初めて曲を聴いたとき衝撃だった

教師ユニットということは知っていたのだけれど

この人たちが歌っていることは間違いなく「教え」だった

一切この人たちは聴き手である私を否定しなかった

私を否定せず手を引いてくれた

なんてすごい人たちだろう

特にね、∞ Possibilitiesの

「なんにもさぁ、わかんないって

諦めるReasonじゃなく

何処へでも行けるってことだろう、歩き出せ」

って歌詞が私の心に信じられないくらい響いた

この歌詞好きすぎて今打ち込みながらちょっと泣いてる

さっきも書いたけど、私この当時は本当にどうすればいいのかわからなかった

そのせいでいろいろ諦めていた

けど、彼らは私が再三繰り返し、そのたび「わからないじゃないでしょう!」と怒られた「わかんない」というワードプラスだと教えてくれた

わかんない、に対して怒られすぎていた私はとにかく焦っていたらしく、この歌詞を見て聴いた瞬間ボロボロ涙があふれた

なんの涙だったのかはわからない、安堵なのか、喜びなのか

とにかく私の心がすっと前を向けるようになったのは間違いなくこの頃

二年生は何とか単位ギリギリで進級しました

そして病状はどんどん良くなり、学校にはちゃんと行くようになったし、やりたいこと見つけて大学第一志望も決めて、AOで受かった

大学に受かる前に通院も終わった、単位余裕で卒業できた

あのときSEMに会っていなかったら果たして私はここまで元気になれていたのだろうか

今は大学でやりたいことやって楽しく生活しています春学期はフル単で終わりました

今でもSEMの曲聴いて励まされます

セカライは一日目が現地で二日目はライビュでしたが、ライブではとにかく楽しませてくれるSEMってアイドルの鑑だよなぁと思います

本当に楽しかった、ずっと笑顔だった

生徒を導く、という目標も、少なくとも私に対してはものすごく達成されていると思うし未だに導かれている

素晴らしいアイドルですよね

SEMに対してはどうしてもファン気持ちが強いので担当Pにはなれませんが、一人のファンとしてSEMと、担当Pさんにお礼を言いたい

ありがとうございます

あと貸してくれた友人もありがとう

支離滅裂でごめんね、セカライBDたから書きたくなっちゃった

ディズニーランドの補欠

小学四年生の頃、魚住という友達引っ越し・転校した。

俺の家から自転車で一時間ほどの距離だったから、年に数回は魚住の家に遊びに行った。


 

中学三年生の夏。

小学生の頃から友達山川から電話があった。

山川「今週土曜ヒマ?」

増田「え、なに」

山川ディズニーランド行かね? いや俺は行かないんだけど。魚住知ってるだろ。

   魚住魚住母親と遊びに行く事になってたんだけど、俺行けなくなっちゃって。

   お前が代わりに行ってくれよ」

増田「わかった」

山川「んじゃ魚住に連絡しとくわ、集合時間とか場所とか魚住に聞いてくれ」

そんなわけで、俺は魚住魚住母と三人でディズニーランドに行った。

しかったと思う。ほとんど記憶ないが。

だが、遊びながらもかすかにひっかかるものはあった。

……本当は山川がこうしてディズニー行ってたんだよな。俺は代理で。

そんな思いがよぎった。

魚住とはそれっきりで会うこともなくなった。

山川とは中学卒業してから会っていない。




時間はとぶ。

社会人一年目の夏。

仕事にも慣れてきたある日、先輩社員から社内メール

増田ちゃん週末空いてる? ディズニー行かない? うちのグループ若い連中(入社一年目~四年目位)で行く予定なんだけど。ホテルまりで」と誘われた。

俺は魚住の件を、当時のひっかかりを思い出した。

そして週末に予定は無かったが、その誘いを断った。

メールで断って数時間後、休憩中に先輩社員から声をかけられた。

増田ちゃん行けないのかー残念。いや~実はディズニーホテル予約してたのに一人行けなくなっちゃってさ~」

ああ、やっぱそうか。

元々ディズニーに行くメンバーは決まっていて、そのうちの一人が不参加になったから代わりに俺を誘ってみた、ってことね。

補欠じゃん。俺。




次、ディズニーに誘われたときもまた俺は「誰かの代理なのだろうか。



つーかグループで行く事になってて、急に一人欠けたから「じゃあアイツ誘ってみるか」で誘われるのなんて全然嬉しくないよ。

anond:20170922122331

小学校何年生かわからないけど、一年生とかなら良くあることじゃないか

辛抱強く何度も確認するしかないのかなあ

【追記しました】あなた忘れ物して、気づいたときにどう感じますか。

小学生の娘がいる。

親バカ心配するほど可愛い

愛くるしく細くて制服もまだまだぶかぶかだ。

ちょっと勝ち気なくせに、実はボンヤリしてて話を聞き漏らしてたりする。正直、学習についていけてるか心配しながら一学期が終わった。

ここにきて更に心配していることがある。

二学期になって、落とし物や亡くし物、忘れ物をしない日がない。

友達からは長い休み明けはみんなそうだよー…とも言われたし、確かにそうかもと思いつつ、病気障害じゃないんだろうかと不安にもなる。

学校から持ち帰るときに、なにかを忘れる。

例えばルーティンになっている週一持ち帰る上履きや、毎日給食袋。

上履きは洗わず使えばいいし、給食袋の予備に洗った箸やマスクを持たせ、二つ持って帰るように言う。

昨日の事。

持っていった赤白帽がなく、注意した担任に「家に忘れました」と話したらしい。連絡帳にも『帽子を持たせてください』と書かれて帰宅した。

帰ってからママ、赤白帽子いれてなかったー」と、文句を言う。娘と確認して週末揃えていれたのに。

「家からは持っていったよ。着替えるときに入ってるか見た?」と聞き返した。

「あった。でも、着替えた後になかった」と、あっさり話す。

大人としては、「家に忘れた」と「学校で着替えの最中に見失った」は大違いだ。

他意はなくとも、デタラメか嘘だ…と、私は感じる。

この他にも毎日何かを「無かった」「忘れた」と話す。

一緒にでかけてもトイレの個室に鞄を置き忘れる事は、ここ数年何度もやらかしてきたし、

一向に改善されないまま小学生になり、幼稚園の頃よりずっと増えた道具に悪戦苦闘してるんだろうなと思いつつも、親としてこう毎日「何かがない」と話されると「バカなの?」と応えるようになってしまっている。

子がバカなら親もバカで、昨日は「なんで先生に『家に忘れました』なんて言うの?」と怒鳴ってしまった。

ここ一週間、私が怒りすぎてどうにかなりそうだ。書ききれないほどあり、ほとんどルーティンに持ち帰ったり、移動教室で使うものだったりする。

私が小学生の頃も忘れ物をしなかったわけではないし、その場しのぎの嘘を先生に話して事を荒立てないようにしたこともあるの。

しかし、「袋の中にあった」「気付いたらなかった」「先生に忘れたって言った」「なかったから、明日までにいれといて」となると、説教だけでなく、怒りの感情がおさまらない。

いくら可愛いはいえ、娘に向き合う気持ちにならないほどで、きっと今日般若のような顔で出迎えるに違いない。

ましてや、昨日発覚した無くしものは他にも二つあり、今日登校したら探してみるようには言った。でも、無いだろうな。

明日の準備をする時には「保護者のかたも一緒に確かめあって準備をしてください」とお便りにあるので、その通りしているんだけど。

本当に何か1つが無いと、帰宅してから言ってくる。

ここで怒らず、どう応対するのがいいんだろう。

はてなーの皆さんにお伺いしたい。

私が今まで育てた通りに育ってるのは承知で、育て方伝え方が悪かったんだろうと思う。

でも敢えて。

こんなに忘れ物してた方いますか?ご両親はどんな反応でした?

豊田議員並に怒鳴られ育ったことはありますか?その時、どんな怖さでしたか

そして、今は親にどんな思いですか?

憎いですか?(ですよね)

いたらぬ母に教えてください。

■追記(9月23日 AM7:20)

皆さま、いたらぬ母増田です。

全てのトラバブクマコメント、読みました。心から感謝します。ありがとうございます

赤白帽あったの、隣の席の子が被ってたよ!自分のかと思ったんだって返してくれた、と喜びながら帰宅しました。

そして、汗ふきタオルはお道具箱の中に置いてきちゃった…ごめんね、と話してくれました。

行きつ戻りつでも、話してくれた安堵と、こちらでも叱咤激励頂いた余韻のなかで娘の喜びを受け止めました。

数人の方が書かれたように、娘は1年生です。すみません、何度も書き直すうちに書き漏らしました。

一学期に、体育のあと制服に着替えてる途中に机から体操服を着替えて(落としたらしいが気付いてない)たらなくなったと泣きながら帰宅したことがありました。

担任にはその日伝えられたらしいのですが、連絡帳にも書いたところ、翌日に全員で持ち物確認してくださり、斜め後ろの子が持っていたということがありました。

その際には「机から落とすと、誰かが持っていってしまうかもしれないね。落とさない方がよくない?」と二人で話しました。

親として落とさないで欲しいなあという気持ちと、一年生は誰の物かを確認しないものなんだな…と、知りました。

なので、今回もいじめターゲットになっているとは考えにくいと思っています

身バレ覚悟で書きますが、娘のクラスでは生活習慣について宿題にだされることがあります

「9時までに寝ること(誰かが遅刻常習らしい)」

「筆箱の中身を確認すること(これは他の児童の物が毎日なくなると、保護者から担任への訴えたとLINEでまわってきました)」

体操服を持ってくる(昨日書いてきた宿題で、体操服を持ってきてない子が複数いたらしいです)」

クラスの誰かが何か無いと言うのがデフォルトの様(個人的には信じがたい)で、娘の困っていない気分はその日常に慣れている感もあるのかなと。

二学期が始まり落ち着くかと思いきや、忘れ物無くし物は減らず、その場しのぎの返事をする姿、無くなる理由や経過が見えない・本人も探すらしいけれど見つけられない様子に、私の苛立ちが日々増幅していまいました。

一昨日に辛くあたり叱責し、そんな自分も嫌で絶望で1人号泣しながらこちらに書きました。

長々すみません、皆さんから叩かれるだろうなと覚悟していたのに、あたたかコメントに更に泣いてしまいました。

現実としては、やはりADHDを疑っています。ここでアドバイス頂き専門機関相談しようと決めました。

主人にはここを見せてませんが、何かテストを受けさせてみてはどうかと、ここ最近の様子をみて言われたので、反対されないと思います

本人は何の事かわからずも、忘れ物しちゃだめだなと持ち物のチェックリストを書いて玄関ドアに貼っています

行く前にすること、帰宅してからすることも、細かすぎるほど書いてあり、その項目の細かさや優先順位曖昧な点が親として気がかりでした。

日々の困り事に向き合い、どう伝えるかも、私も勉強したいと思います。そして、私自身もアンガーマネジメント心療内科受診します。

経験談アイデアを書いてくださった方、お叱りを書いてくださった方、いじめ心配してくださった方、酷い私を心配してくださった方、本当にありがとうございます

支離滅裂増田ですが、何度もここを読み返しては励みにします。

娘に「ねぇ、こっそり教えて。いつタオルを置きっぱなしにしたことを思い出したの?」と寝る前に尋ねました。

「いつも、帰り道の橋を渡ってる途中に『あ!』って思い出すの。そしてヒュ~って風が吹いて目の下に線がでる感じ。」と話してくれました。

毎日?橋のとこ?」「そう」

「気付いてよかったね!」「うん」

橋を渡る頃に気付けるのなら、校門を出る前に、教室を出る前に気付けるようになるといいんだろうな…時間がかかりそうだけど。

彼女にフラれた

彼女にフラれた。

先月21歳になった僕は、誕生日を迎える2日前に「別れよう」といった旨の長文メッセージを受け取った。そして今日、"正式別離"が相互に了承された。以下は、別れを告げられてから今日までの鬱々とした日々に散々思考し散らかした自己分析を綴る、ただのマスターベーション日記である

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友人の友人から繋がり、遠距離恋愛での付き合いを始めたのは去年の冬頃だった。社会人一年目の彼女は、ある程度の遊びは経てきたという大人の余裕を匂わせつつ、一方では学生感が抜けきらないのか、社会翻弄されつつも理想を見つめる、等身大の素朴さを感じさせた。友人宅の飲み会出会った彼女の、その妖艶な魅力と純真さのバランスが僕にとってドンピシャだったようで、出会って数日で告白をした。最初ネタだと思われてサラリと流されていたのだが、その熱意が本物だと伝わるには一ヶ月もかからなかった。

東京大学に通う私と、大阪企業に勤める彼女の間に広がる"距離問題"を解決するには、ライン電話を多用することとなった。毎日連絡するなど今までの付き合いでは考えられなかった僕だったが、現実問題として立ちはだかる"距離"を目前にして、情報距離圧縮する手段に頼らざるを得なかった。しかし思ったよりそれは苦ではなく、バイトからの帰路の20分に電話をしたり、帰宅したらゴロゴロしながらラインを打ったりなど、段々と生活の中に溶け込んでいく感覚があった。最初20分だった電話も、敢えて遠回りして1時間にしたり、朝までラインが続いて翌日死にかけながら学校に行ったり、コミュニケーションを取る時間けが指標たるべきではないのだが、それは僕らに確実に愛を感じさせていた。

また、直接に会う機会も月に一度は必ず設けていた。どちらかがどちらかの場所へ。次の月は逆方向で。と、よくある遠距離恋愛パターンである。金のない僕らは夜行バスを使ってお互いの家を行き来した。8時間眠ることが出来なければ非常に辛い環境の中、互いのことを思ってバスに揺られるのであった。その時間さえ、貴重に思えたのだった。

とある夜、彼女東京に来た日だった。自宅周辺の飲み屋を何件かハシゴし、ある程度知性が無くなりかけた頃合い、彼女帰宅早々布団に潜り込んで寝始めた。片道8時間の移動に疲れていたのだろう。僕はなんとなくぼーっと起きていて、眠くなるのを待っていた。少し経つと、突然彼女携帯が鳴り響いた。男性名前での着信だった。酔いに任せて、というと自己弁護臭くなってしまうのだが、いいやーと思ってそのまま電話をとってしまったことが、全てを狂わす元凶となったのだと、今になって思う。

もしもし?」

電話の向こうの男性が声を発した。彼以外にも何人か後ろにいるようで、様々な雑音が聞こえる。

それに対して僕は黙って耳を澄ませていた。

「今から○○と家いっていい?」

僕は黙る。向こうも酔っている。却って冷静になる。

「あれ、なんも聞こえねー。もしもし?」

「男といるんじゃねーの?」

「じゃあなんで出たんだよww」

「…」

電話こちから切った。会話を聞くのがしんどくなったから。

男たちは彼女のどういう関係なのだろう?

男たちはあの子彼氏がいるという事実を知らないのだろうか?

彼女の家には頻繁に男が出入りしているのだろうか?

僕は彼女私生活を全てを知っていると思っていた。何故なら、毎日連絡を取り合っているから。しかし今まで男が出入りしているなんてことは一度も聞かなかったし、疑ってすらいなかった。この時から彼女に対する猜疑心が少しずつ芽生えるのを、それを認めたくない気持ち拮抗しつつ、感じ始めていた。

その日のことは彼女には告げなかった。彼女は全て開示しているようで、そうではなかったからだ。心の最終的なパーソナルエリアまで僕が触れることは、ついになかった。そして電話に出たという事実彼女のその領域を侵すことになると、僕はどこかで気づいていたようなのだ

しか猜疑心侵食は止まらなかった。連絡を取るときはどこか監視的な意味合いを込めた言葉をつかったし、何をしているのか、何処にいるのか、誰といるのかが気になって仕方が無くなった。夜に突然連絡が途絶えると不安になった。そんな日の翌日には、連絡をしなかったことを咎めた。友人と遊んでいるなら遊ぶ前に連絡をしてくれ、と。彼女はごめんと言いつつも、最終的には同意をしなかった。それに対しても、謝るなら直せ。納得できないなら言うな。といった言葉を浴びせ続けた。そんな状況で彼女が怒ることは稀だったが、その時には信頼されていないのが辛いと訴えていた。自由を得るにはまず信頼を勝ち取らなければならないと、私は信じているのだが、その順序の認識が僕らの間では相違していた。しかしこの時点で既に僕が彼女を信頼することは、支配すること以外には不可能だっただろう。

私の未熟は、幾つもあるだろうが特記すべきは、支配することで人間関係コントロールしようとしたことだ。今までの彼女との付き合いを考えると、支配的な関係を築いてきたように思える。

しか彼女は違った。彼女にとって、人に支配、被支配は無いのだ。だからこそ無条件に信頼してほしいと訴えていた。そんな彼女の"素朴さ・純真さ"に惹かれたのは、僕自身支配的でありながらも本当は"非支配"を望んでいるからなのかもしれない。僕の続けてきた俗な人間関係よりも、彼女のような純粋な付き合いを求めていたのかもしれない。

それに気づいた時、涙が止まらなくなってしまった。単純に惜しいという気持ちと、僕のわがままに長く耐えた彼女のことを思ってだ。

しかし僕がそれに気づけたのも、彼女が耐えかねた瞬間の感情の発露によってだった。すでに、手遅れであった。

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男は元カノの成分で出来ている、といった記事が少し前に話題になっていたが、僕にとって彼女は紛れもなく僕の一部になった。滅茶苦茶に傷つけておいて、学びになったというのもおこがましい限りであるが、僕は彼女にフラれて、一つ大人に近づいた。

一生恋愛したくない

社会人一年目の女だけど、この年になっても全く恋愛に興味が無い。

元々人付き合いより本を読む方が好きで、プライベート他人干渉してくるのが嫌なタイプなのもあって、恋愛結婚もしたくない。

就活頑張ったからやりたいことが出来る会社に入れて、収入も割と安定している。あまり人付き合いもないし、今のところ実家暮らし(食費は入れてるけど)なので、趣味お金を注ぎ込んでも貯蓄ができるくらいには余裕が見えてきた。多分独り立ちする頃には給料も上がって、私1人だけで暮らしていけるはずだ。やっとやりたい仕事が出来るんだから専業主婦なんて以ての外。子ども時間を取られるのも嫌だ。

周りはずっと彼氏作らないの?と聞いてきたが、正直必要性は微塵も感じない。

私は異常なんだろうか。

風俗通いが原因で消費者金融を利用し始めて一年

借りたり返したりプラスマイナスを行き来してる。

現在ほぼマックスで借りている状態なのに明日風俗行きたくて、一応はちゃんと返済してるからか増額のお知らせが来てたので、ネット手続きしようとしたらなんと限度額が10から50万になるということだったのでさすがに怖くてやめた。50万借りれるようになるのは今の自分はまずい。地獄に堕ちていく自分が容易に想像できる。

結局は、増額に頼らなくても、お金かき集めれば、風俗にも行けるし次の収入まで生活もできそうなので、予約の電話入れた。

地獄までの道のりは長い。

2017-09-21

それでも最高にかっこいい

もう今日は何をしていても楽しくないし、笑えない。気を抜くと涙が出そうになる。

もっとこの一年を楽しまないとって思うのに、今はまだ、気持ちが前向きになれない。

ただ音楽が好きとか、見た目がかっこいいとか、憧れとか、そんなもんじゃない。

私にとって、体の中心を流れて、私を構成している、一つの軸になっているもの

この20数年間で、摂取してきたものと同様に、私の血肉になっている。

それが急に無くなってしまうなんて、もはやどう生きればいいのか、分からない。

体の中心から、大切な支えを引っこ抜かれるような感覚

でも、最後まで最高にかっこいい。私にとって、これ以上の人が現れることはない。幕の下ろし方によって、さらに思い知らされたよ。

掃除禁止

耳の中から汁が出てくるようになり耳鼻科にいった

掃除のしすぎで耳の中が傷んでるらしい

耳の中の皮膚?が治るには半年から一年かるとの事

一年くらいは耳掃除しなくていいと言われた

一週間ほど経った今耳掃除したくて疼いてる

この調子一年耐えれるんだろうか

例のオーブンレンジ使用レビューを書いた

https://anond.hatelabo.jp/20160809013401

なんで一年経ってから伸びてんだよw全然気づかなかったわw

ブコメ使用レビューを書いてって書いてあったので書いてみる。

ちなみに買ったオーブンレンジはこれな。

http://www.sharp.co.jp/oven/products/ress8d.html

なんか鉄板いらないだろってブコメあったけどフツーにいるっつーの。無いと天井にあるヒーターの熱が届かなくて焼けない仕様になってるから

で、結論から言うと、ずっと我慢して鉄板入れてトースト焼いてるわけではなく、かといってトースター買ったわけでもなく

ごはん食になった。

朝は市販のパックのごはんをチンして食ってる。パン食をごはん食にするレベルの使い勝手の悪さってことよ。シャープヨドバシにはつくづくしてやられたわ。

何万もするものを今更買い換える訳にもいかないし、かといってトースター置くスペースもない。今はもうオーブン機能は一切使ってない。そりゃごはん食になる。

あと、一年使ってて他に不便な箇所を書いてみる。

なんか「スチームあたため」「冷凍食品」「トースト(裏返し)」とかわざわざ一個のボタンにしてあるけど、全部使わないから。

・「スチームあたため」は専用容器に水入れて、その容器を中に入れて蒸発させて使うらしいが超めんどくさい。ラップしたほうがフツーに楽だろーがよw

・「冷凍食品」は自動解凍する時間を読み取ってくれるらしいが、

そもそも冷凍食品パッケージに「〇〇W、〇〇分」って書いてあるから!!w

その時間通りにするから!!

しかレンジに入れないと何分後か分からないんだったらあたため中にやる作業のめどがつかないから!!

・「トースト(裏返し)」裏返し専用のボタン!!wwwクソ面倒くさい裏返しトースト専用のボタンwww

せめて片面焼きのボタンもつけとけっつーのwww

しかもこれらのボタンがさもメインに使ってくださいって言わんがごとく中央にでっかく配置してあるっていう・・・ww

俺がほしいのは何ワットで何分かってとこだけなのよ。それ用のボタンつけとけっつーの。

以上、レビューを書いてみた。

2017-09-20

anond:20170920104910

失敗しない恋愛なんてありえない~の増田ですが、実はうちの両親も離婚しています

幼いころから両親の修羅場は何度も見た。

実家雰囲気は常に悪く、両親が嫌いで家が嫌いで、高校出たとき実家を飛び出して祖母のうちに厄介になることにしたくらいだった。

その一年後に両親はついに離婚した。

正直、失敗するたびに、こんなふたりに育てられた自分はもしかしたら一生パートナーなど望むべくもないのかもしれないと思ったことはなんどもある。

今は社会に出て親元離れて一人暮らし嫌悪憎悪すら抱いていた両親とも別々にではあれど飯にいくようになった。

しゃべってみると両親は美点も汚点もある普通のまっとうな人間だった。当たり前だが。

ふたりのなれそめや、なんで破たんしたかの思いなども聞いたりした。

それを聞いて、自分は同じ轍は踏まないと誓った。

今は、そういう二人を知ってる自分からこそ、パートナーをきちんと大事にできるはずだと思っています

2017-09-18

そろそろ包丁を買いたいかもしれない

一人暮らしを始めて一年半ぐらいになるのだが、

そろそろ包丁を買ってみてもいいのではと思っている。


今までも簡単料理は作っていたが、

使っていたのは親から渡されたステンレス製フルーツナイフで、

フルーツナイフだと千切りができないなど切るのに時間がかかるなどの不自由はしたものの、

そこまで買おうというモチベーションも湧かず、結局この初期装備めいたフルーツナイフをずっと使い続けていた。

フルーツナイフでできないことに直面している訳ではない。

ただ、なんとなく買ってみようかと、

他の調理器具は買い替えているのだから包丁も買ってみようかと、

買うことによってこの生活に変化が出てくるものだろうかと、

そんな適当なことをちょっと思っただけだ。

住宅街子供が騒ぎまくるのは公害だと認めてほしい

子供うるせーーーー!!!

なんなんだあの騒音。本当に公害だと思うんだけど親はなぜ放置するんだ?

うるさいのは子供特権? いや、分かるよ。子供がうるさいのはしょうがないのかもしれない。それは認める。けどさ、ここお年寄り中心の静かな住宅街から公園じゃないんだわここ。公園の近くでうるさいのは分かるけど、道路叫びまくってる子供がうるさいのはおかしくないか。それが子供特権? じゃあ酔っ払い住宅街で騒ぐのは酔っ払い特権? 違うだろ。酔っ払いしかるべき場所(居酒屋とか)で騒ぐなら、みんなそういう場所だって分かってるからまあ許されるけど、住宅街だったらブチ切れるでしょ。そういうこと。公園で騒ぐのは全然問題ないよ。公園そういう場所から。周りに住む人も子供が騒ぐって分かってるはず。だからいいよ。けどここあんたらが越してくるまで静かな住宅街一年休みの日ってなると朝昼晩騒ぎまくり。親もたまにはどっか連れてってやれよ。もう少しお行儀よくできない? って言ったおばあちゃんのまわりを数人で走り回って嫌がらせしたの見てたからね。隣のお家の親御さんよ。子供がうちの塀に乗って叫び声上げてるのってほんとに公害じゃないの? 暑い日に窓開けると決まって子供の奇声が聞こえてくるのってほんとに公害じゃないの? なんで道路や人ん家の駐車場で遊ぶの? なんで公園に行けないの?

離婚後の寂しさ

25歳位から6年付き合って結婚した彼女と、6年の結婚期間の末に離婚した。子供は一人いる。親権は元妻側。

面会交流は月一程度で会えるようになった。まるで会えない時期が一年ほどあったので子供と会えるのは嬉しい限りだ。

子供はパパと(も一緒に)住みたいと言う。これが辛い。

元妻はいわゆるボーダーというやつで、機嫌が悪くなった時の俺に対する攻撃性は尋常じゃなかった。自分が無くしたもの子育てに忙しいことにかこつけて探せよ!と叫んだり、俺が口答えしてしまうと、泣き叫びながらあんたのせいであんたのせいで!と叩いてくるのを繰り返した。極め付けは子供がいるのにも関わらず、睡眠薬を大量に飲んで半自殺行為をした。救急車を何回か呼んだ。子供は何が起きてるのか分かっておらず不安そうだった。もちろん元妻は浮気もしていた。浮気相手電話して警告したりして、俺は何をしているのか分からなくなり、あの頃は俺自体が深刻なう状態に陥っていた気がする。マインドフルネス仏道にはまって、諸行無常であったり一切皆苦であることを受け入れようとした。相手の男は俺と同じ会社(元妻も)で別の部署だったが会社を辞めた。いづらくなったのだろう。それは俺も変わらない。俺も色々ありすぎた会社にいるのがしんどくて辞めて転職した。表向きはステップアップで給料も二百万くらい上がったが、本当は現実逃避だった気がする。

一切皆苦であることを受け入れることはできなかった。人生がこうやって妻の激情にビクビクしながら生き、そんな妻をなんとかお茶を濁すが如くに喜ばすことだけが俺の人生なのかと思い悲しかった。それが何年も続いていた。どうにかしてこの終わりゆく世界から出られるだろうか考えた。世界は終わっていた。恐怖の中で奴隷のように生きる世界とはこのようなものなのか。隣の芝生は青いというが、私には現実に青かった。夫婦はお互い正直な気持ちを話し合えるのに、私は正直な気持ちは置いてけぼりだった。正直な気持ちで話すと私のことをあなた絶対理解しない!!と激怒されるだけだった。その割には腹を割って話したいと言われていた。腹を割って話すと激怒された。冗談でもなく、もうイヤァァァ!!!離婚するーー!!!と大声で叫ばれた。マンションなので恥ずかしかった。エヴァンゲリオンで言えばアスカみたいなものだった。そして一週間以上何も話してくれない、ということが何回もあった。

自殺することは実際にはないだろうと思っていたが、半自殺にかこつけて妻実家に頼ることにした。少し距離を作る必要があると思った。

ある日仕事が終わって夜遅くに家に帰ると泣いていて、理由を聞いても何も言わず子供には強く当たってしまうと言っていた。これはもう実家に頼るしかないと判断し、義母電話事情説明し「強制送還」した。強制送還された妻は激怒した。私のことをなんだと思ってる!!と言っていた。精神不安定だよ、心の中でつぶやいた。そして帰ってこなくなった。夫婦カウンセリングを受けた。カウンセラーも妻の圧力に困っていた。私のことを理解しない!そんなことでは結婚生活を続けられない!という主張から一歩も譲歩がなく話にならなかった。カウンセリングは妻側から突然打ち切りになった。

義母の様子もおかしくなってきた。明らかに私を攻撃しまくってきた。あんたのせいで娘はうつ病になった。あんたが根暗からこんなことになった。離婚しろ!と言ってきた。

離婚については子供のことを考えてするとは思っていなかった。でも心の奥では離婚たかったとは思う。幸せはここにはないと悟っていた。子供が生まれ子供からはたくさんの幸せがあった。お世話は大変だったけど一通り一人でなんでもできる。寝かしつけとかたくさん抱っこしてたからか分からないが子供は俺のことが大好きであるのは手に取るように分かる。

離婚すべきかは分からなかった。そして離婚調停が開始された。数ヶ月立って決心はついていた。だが中々離婚させてくれなかった。面会交流させないというめちゃくちゃなことを言ってきた。調停委員も奥さんが落ち着くまでは子供と会わないのも選択肢として良い、と言ってきた。全く許せない。完全に他人事だった。なぜ親子愛のうちにいる俺たちが、妻の精神不安定で会ってはいけない事になるのか。馬鹿げている。ずっと争った。普通は二、三回で終わるところが10回以上続いた。最終的には月に一度会えることになった。回数が少ないのが私には許し難いので、一年後に見直しとなった。

それからは元妻と三人で面会交流することになった。子供がいるとかであるのと月一ということもあり、妻の激情は発露せず、一見普通の親子三人のようになった。ただ面会交流の日時を決めるやりとりなどでは激情に駆られたメッセージが書かれており、俺をコントロールする意思をビンビン感じるので、実態は何も変わってないのだろう。そして今に至る。

一人暮らしして2年になった。妻と争っていた時はそればかり考えていたから寂しくはなかった。だがこうやって落ち着いてきて思うのは寂しいということだ。もしまたなんとかなるなら三人で暮らしたい。そんなことも思ってしまう。なんともならないと分かっているのに。子供には申し訳ない。一生つきまとう悲しみを与えてしまった。苦しい。だが俺が死ぬわけにもいかにい。

俺はこの先どうやって暮らしていけばいいんだろう。友人やお世話になっている人は自分を優先して自分人生を生きろという。でも子供を置いてけぼりにしてるようでそんなことできない。俺はどうすればいいんだろうか。子供言い訳にして現実を変えることを拒んでいるのだろうか。そんなことはない。仮に俺が新たな家庭を見つけてもしも幸せになったら、子供はどう思うだろうか。辛い。

2017-09-15

ネトフリで初代テレビシリーズルパン三世みてるけど

ここ一年70年代アニメもわりとみてるけど(自分は84年生まれ

この時代にしてはやっぱり後半の作画クオリティ高いな

精液がすごい好き

汚いタイトル申し訳ないけど、本当に最近精液にどハマりしてる

こういうことを同じカテゴリー友達に話すと、ドン引きされた上にすごいまずいと力説された。

それはそうだし不味いんだけど美味しいんだよ。なんというか、後味とか喉越しの違和感とかすごいワインと同系統な感じがする。

とにかく、最初彼氏が口に出した精液を飲むように頼み込んできてイヤイヤ飲んでいた。1回要求を飲んでしまったらエスカレートして次からは必ず飲むようになった。

とにかくまずいし喉に絡むしで最悪だった。

でもそれを一年ぐらい続けていると不思議と美味しく感じてきた。

多分自分自身に「精液は美味しい」と自己暗示を掛けたんだと思う。味はまずいんだけど脳は美味いと判断するようになった。

最近では週2回ぐらいに彼の精液を飲める機会も減ってしまって、我慢できずにTwitter上で変態さんに精液を送ってもらうようになった。

ペットボトルに精液を貯める趣味の人は結構いるみたいで、本当に臭いし最悪なんだけど我慢できないときはガブガブ飲んでる。

今度その変態さんとリアルで合うことになった。

どうなっちゃうんだろう、俺。

あれから一年経ったけれども、石田さんはどうなったの?

4ヶ月で大学中退起業します。レールに沿ったつまらない人生はもう嫌だ。 - いしだの話

http://yuki-season.hatenablog.com/entry/2016/09/15/193000

2017-09-14

日記 170914

午前7時にアラームの音で起こされて、寝ぼけながらデレステを30分やる。

シャワーを浴びて午前7時50分に家を出る。

8時の電車に乗って、職場の最寄駅からさらバスに乗って、職場に着くと9時10分になっている。

それから仕事をする。

昼過ぎ仕事を終え、急ぎでやることもないので帰る。

午後2時過ぎに帰宅する。

それから自宅のPCに向かってエロ絵を描く。

絵を描きながらインターネット他人セックスを見て自慰をする。

午後16時過ぎに射精をして、ゼロ年代始めのアニソンや昔のエロゲソングを聴きながら引き続きエロ絵を描いていると、段々と憂鬱気持ちになってきて死ぬことを考える。

一年前に離婚経験したので、それで最近希死念慮が強い。

もしくは、ゼロ年代始めのサブカルチャーが当時多感だった10代の俺に遅効性の呪いをかけたのかもしれない。

もしくは、俺はかつて自殺した元妻の元カレ生前着ていた部屋着を着て、元妻の家にヒモとして寝泊まりしていた時期があったから、それで俺に死の呪いがかかっているのかもしれない。

元妻は俺が自殺者の服を着て、毎晩隣で寝ていたのを憶えているのか?

酒を飲んで寝る。

2017-09-13

コツコツ努力出来る人と自分は何が違うのか

日記は3日以上続いた試しがない。TOEIC勉強しようと思い立って一年が過ぎた。部屋を清潔に保とうと思い立ち、掃除をした日を最後に、掃除をしていない。

世の中には、自分には出来ないことをいとも簡単にこなす人が無数にいる。

何故、自分だけ出来ないのだろう。

頭も悪くなく、友達も少なくない。何か脳にあからさまな欠陥がある様子もない。なのに、何故か誰でも出来る「継続」という行為けが出来ない。

ダレカタスケテ

anond:20170913071702

もうしゃあねえよ。

女なんてそんなもん。

こっちが女を思いやってると思ってても、あいつらからすれば思いやってるんじゃなくて「なんか距離感がある」だし。もっと言えば「私を見てくれない」だ。

いや、君の親が毒親だったのもあるのかもしれんな。それを察して離れたんだろう。仕方ない、君についていけなかったんだよ彼女は。

弱いものなんです、君もそうだけど。彼女場合は弱いか姑息卑怯な真似をした。それがバレなかった。円満で離れて円満婚約できた。これは彼女からすればの話。

からすれば、自分で書いてる通りひどい一年だったんだろうな。毒親っていうどうしようもないもの押し付けられて、彼女と別れて、今更彼女がそういう裏切りをしていたことに気付いたその恥ずかしさとか怒りとか。ひでえよな。

でも男女の関係ってそんなもんじゃねえのかな。もっと言えば夫婦になったらもっとひでえんじゃねえのかな。君の親が毒親化してしまったように、君もいずれは似たような環境を作ってしまうんじゃねえのかな。

から、良かったんじゃねえか?

少なくとも、そういう原因になりそうな女から離れられた。信頼出来ないパートナーというのは居なくなった訳だ。

これから先、彼女を作るのに二の足三の足踏んじまうだろう。以前より不器用アプローチ女性と接するだろう。でも、それは学んだことだからな。

毒親になってしまった親はどうだろう。なんでこうなってしまったんだろう。多分親に子供みたいな部分があるか、自分大人になっても割り切れない部分があるんだろう。

から、今後パートナーにそういう部分で負担をかけちまうんだろう。

縁を切るか、改善していくかはアンタ次第だな。

から、昔の女なんて忘れろとは言わないけれど、そこから学んでもっとマシな恋を見つけろ。

そしたら「いや元カノは女じゃなかった。今カノでやっと恋というものを知れた。」とか言い出すようになるからさ。

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