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はてなキーワード: 電車とは

2017-10-23

近すぎるのも考え物

以前勤めていた職場は自宅から3kmの場所、すなわち車だったらものの数分で着いてしまうし、徒歩でも1時間からず行けてしまう。

結果、台風だろうが雪だろうが出勤して当たり前だったので、昨晩のような台風や雪に見舞われると結構面倒。というか予報の段階で殺意を覚えたものだ。


結局、そこの仕事自分の適性と全く合わなかったので数年勤めて辞めてしまい、今はいろいろあってクルマ電車と使って片道2時間近くかかる職場だが、通勤時間については全く不満はない。

これは通勤の道のりが大学時代に通った道とほぼカブっていることと、何より仕事比較自分の適性に合っていることが大きい。

このような経験から、天候に左右されるレベル自律神経が弱い人でもない限り、通勤時間の長い短いなんて本当に些細な問題というのが、自分の得た教訓である

痴漢疑われ逃走・死亡の男、本当にやってた件

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20171017-00000061-jnn-soci

痴漢疑われ逃走・死亡の男、液体使った暴行容疑で書類送検

 横浜市で今年5月、痴漢を疑われ線路に逃走した男が電車にひかれ死亡した事故で、警察は、女性に対する暴行の疑いで男を容疑者死亡のまま書類送検しました。

 今年5月、東急田園都市線の車内で、当時34歳の男が女性(30代)に痴漢を疑われ、横浜市青葉台駅で降ろされました。男は、駅員と話している際にホームから線路に逃走し、駅に入ってきた電車にひかれ死亡しました。

 その後の捜査で、女性にかけられた液体と、男のバッグから見つかった液体の成分がほぼ同一のものだったことがわかりました。こうしたことなどから警察は、男が液体を使って女性暴行した疑いが強まったとして、16日、容疑者死亡のまま書類送検しました。(17日18:01)

この事件が当時どれだけ世間を騒がせ、マスコミが、週刊誌が、テレビが、まとめサイトが、ネット民が死んだ男性冤罪で死んだ可哀想被害者扱いしたか女性人殺しでっちあげ冤罪女呼ばわりしたか死ね地獄で苦しめ、クソ女、などと罵倒しまくったか

この女性痴漢された挙句目の前で死なれ、日本中から加害者扱いされセカンドレイプされ続けた。まさに生き地獄。にも関わらず、この続報は大して注目されず、誰も女性謝罪しない。真実拡散されず、この事件は「痴漢冤罪事案」として人々の心に残り続けてしまう。

どっちが冤罪被害者なんだか。

この女性人生責任は誰が取るんだ

台風災害を楽しむおばさんたち

自分が使ってるソフト情報得られることがあるからフォローしているおばさんたち

台風で倒壊した建物や反乱した川のことをあげつらっては

あーあ!あーあ!こんなになっちゃった!こわいなーこわいなー!と大騒ぎ

ココ電車が止まってる!!あっちは電線倒れてる!!あーあ!!って

注意喚起情報共有目的のふりしておもしろがってるだろ

東京ってなんなん?

秋雨前線が停滞する中、960hPaの勢力を保ったままの超大型の台風が、西をかすめるように通過したというのに。大雨らしい大雨も降らず、暴風らしい暴風もふかず。電車も止まってねえし、道路冠水もしてねえ。会社行けちゃうじゃないか

なに? 皇居って本当に結界とか張ってるの?

嵐の翌朝

たまたま早朝の電車に乗ろうと駅に向かったら、駅から戻ってくる人が

電車、止まってますよ」と。

山の上の住宅街、こういうことはよくある。

それでも様子を確認しなければどうしようもないので駅に急ぐ。バイク自転車が倒れている。木の枝が散乱している。

駅にいくと、駅員が隣の駅からなら動いていると説明している。道理タクシー乗り場に人があふれていた。隣の駅までなら、タクシーで行ける。

歩いてでも行ける。急いで歩けば15分だ。

隣の駅に行ってみると、ちょうど電車が停まっていた。乗り込もうとするが満員。

笑ってしまうのは、奥のほうがけっこう空いてることだ。このあたりの住人、満員電車に慣れてないんだろう。急に乗客が集中して、いつもと違うのに、対応できてない。扉の近くに突っ立ったまま、動こうとしない。

下まで降りると、ごく平常通りに街は動いていた。大嵐があっても世の中何も変わらない。

まるで、選挙のようだ。

中学から友達フレネミーだった話

 「フレネミー」という言葉をご存知だろうか。

アメリカ大人TVシリーズセックスアンドザティ」などにも登場し、「フレンド(友達)」と「エネミー(敵)」から作られた造語で、いわば友達の顔をしながらも実は敵である人を指す言葉だ。

かげながら悪口を言ったり、マウンティングしてくる人などを思い浮かべる人もいるだろうが、フレネミーのなかでも厄介なのが「居場所をとる」「対象と成り代わる」人たちだ。

 私は最近中学時代からの友人Aをこれを理由音信不通にした。

Aと友達であった時は、得体の知れないモヤモヤを感じながらも「私の心が狭いのかも」とあまり考えないようにしていた。

ある日「フレネミー」とい言葉を知りぐぐると、ネットにかかれた説明はまさにAそのものだった。

そして多くの人、とくに女性で悩んでいる人が多いこともビックリした。

私のように長年「なにかおかしい、でもなにがおかしいんだろう?」とモヤモヤストレスをためながら、でもどうしていいかからない人たちの少しでも助けになればと思って書こうと思う。

 初めに結論を述べるとフレネミーへの対処法は「距離をとる」というのが一番効果的だ。

穏便に済ませたい人には申し訳ないが、フレネミー普通関係を築くのはほぼ無理だと思ったほうが良い。

 Aとの付き合いは長い。中学高校と一緒で、よく遊んでいたし連絡も取り合っていた。

大学は私は東京、Aは地元大学へいき少し間疎遠になった。

ある日、中学同窓会があった。そこでAと2年ぶりに再会しまた連絡を取り合うようになった。

専攻が近いためレポート前などはお互いスカイプしながら徹夜したり、彼女東京へ遊びに来ることもあった。この頃のAは私にとって何でも話せる気の合う友人だった。

 大学卒業後、Aは地元社会人になり、私は地元にはもどらず東京フリーターをしながら資格勉強をしていた。

Aは志望していた業界が人気だからと諦め、近いけど違う業界就職した。お互い新生活に追われながらも時々連絡をとりあっていた。

私が資格をとってやっと社会人になれたのがそれから3年後の春、ある日Aから東京で改めて学生をすることにした、初上京から色々よろしくー!不安がいっぱいだー!」とラインがきた。

私は嬉しかった。中学からの友人が近くに住むぞ!と意気揚々東京で仲良くなった友人達にAを紹介しようと飲み会などをセッティングした。

 夏にAが上京しまカフェで会うことにした。

私の電車人身事故で遅延し走ってカフェへいくとAが店前で待っていた。そのとき「あれ?」と思った。

彼女が着ているスカートが私がお気に入りのものだとSNSに何回かあげているものと全く一緒だった。

でもブランド品だしかぶることだってあるかな、とその時は何も言わずそのスカートについても触れなかった。

 諦めた業界へ30歳までにもう一度挑戦したい、と専門学校へ入りなおすことを決めたA。

夢を語る彼女の姿に私も嬉しくなったが、Aがふとカフェ内のすみの方で手を握り合っているカップルに対して「あんな顔でよく人前でいちゃつけるよねー気持ち悪くない?年齢考えてって感じ!」と周りに聞こえる声で言った。

私は突然のことにビックリしたし隣の席にいたおじさんたちは怪訝な顔をしていた。

 この頃はAのこういう行動に対して「東京生活ストレスが溜まっているのかも」「環境がかわって神経がたっているのかな」と思っていた。

これは私に非があるが、あまり深く考えないようにしていた。同級生の悪い方向への変化を認められるほど私自大人になっていなかった。正直このとき違和感を信じていれば、と今でも思う。

 私はAをよく遊ぶグループ趣味グループ習い事や同僚など様々な自分が属するコミュニティの人たちに紹介した。

Aは少しシャイだが、私の長くからの友人ということもあり私をネタにしつつ徐々に皆と仲良くなった。

18歳で上京したとき友達ができるか、親元を離れて生活できるか不安だった自分を思い出し、なるべく彼女孤独を感じないよう色々なイベントにも呼んだ。

春はお花見、夏はバーベキュー、秋はおうちパーティー、冬はスキークリスマスパーティー忘年会などなど、私が今まで毎年していたことにAが加わった。

 冬のある日、お台場イベント大人数で遊びにいくことになった。

駅で合流し、Aもそこにいた。私と全く同じコートを着て、同じカバンをもってそこにいた。

周りは「おおおーさすが中学からの仲だね!」「おそろい可愛い!」と盛り上がり、Aは「私このブランド大好きだからなあ~」と何食わぬ顔で話している。

このときもしかして真似されてる?」と、前のスカートの件とあわせて疑うようになった。

その日はあまりAと話さないようにした、なんだか話す内容から次なにか真似されたら嫌だな、となんとなく思った。

 そのあとも真似は続いた。一度違う友達に「真似されるのってちょっと辛い」と漏らしたときに「あなたのことは大好きなのよ」「そんな真似とかなんとか中学生みたいな悩みもつなんて」と笑われた。

なんだか自分の心が狭く子供っぽいことで愚痴ってるように感じてその後、このことは誰にも言わないようにした。

新しい服やアクセサリーをつけて次にあったら彼女が同じものを持っている、それについて特に触れるわけでもなく、周りも「おそろいだ~」と笑うのみ。そのたびにちょっともやっとしてる自分人間として未熟なんだと落ち込んだ。

 その後、Aの真似はファッションだけでなく趣味や考え・意見にも及んだ。

私が軽い気持ちで参加したボランティアで関わったスウェーデン伝統工芸に惚れ込み、実際にスウェーデンへいったり友人にも「本当に好きなんだね、いつかスウェーデン人結婚したりして」と笑われるレベルにその話をしていた。

Aは最初興味がなさそうにしていたが、「最近スウェーデンに興味がある」に始まりあたか自分はずっと前からスウェーデンが好きというような態度をとるようになった。

私が参加しているボランティアにも来て「私の友人なんです~」と色々な人たちと仲良くなっていった。

この頃になるとAの髪型服装は後ろからみれば私と区別つかないレベルに一緒になっていた。

 私はこの頃には彼女のまるで私の居場所というかコミュニティ内のポジションに居座るかのような、私の成り代わりになるかのような態度にかなりイライラしていた。

しかし、最初に色々な自分コミュニティにAを紹介したこからどのコミュニティで遊んでも彼女がいる状態になっていた。

どのコミュニティでも私が誰かと話していたらAが寄ってきて、いつのまにか私が話していた人とAが話し、私が傍観者のような立ち位置になることが繰り返された。

 Aの他者に対する暴言ますますひどくなり道端で「あんデブでよくあんな服着れるね」「ババアのくせにあの髪型痛い!」と言ったりしていた。

私はそういう言葉をきくたびに疲れるようになっていった。

 この頃一度ネットで「友達に居場所を奪われる」「友達コミュニティを乗っ取られる」と検索たことがあった。

ヒットしたのはほぼほぼ中高生の悩みで、それに対して「人をとるとかとらないとかものじゃないんだから」「まねしたっていうけど自意識過剰では?」という意見を読み、自分モヤモヤしていること自体が間違っているように感じた。自分性格が悪い心の狭い人間だといわれてるような気持ちだった。

 段々私はAに限らず友人たちと会うのが億劫になっていった。

何か買ってもそれを着たり使ったりするのが怖くなり、何か新しいことに興味がわいてもそれを人に話すのが嫌いなった。集めたスウェーデン工芸品も全部売り払った。

不思議なことに私が中々イベントなどに顔をださなくあると毎日あったAからラインはパッタリと途切れた。

 Aに真似されるというのが、大げさだが自分アイデンティティをどんどん奪われていくような感覚だった。

同じ趣味教室に通う同僚が心配して声をかけてくれた時、いっそぶちまけてラクになろうと思ったときに「Aも心配してたよー!」と言われ何ともいえない脱力感に襲われた。

 Aはその後も私の友人達遊んだ様子などをSNSにアップしていた。

最初は同郷の長い付き合いの友人が自分の友人達と仲良くなっていくのが楽しかったし嬉しかった。

なのに私はなぜか友人達と会いにくくなり、孤独を感じるようになっていた。

28歳にして人間関係を丸ごとAにもっていかれたような感覚だった。

 春先に会社帰りにバーへ立ち寄った。

久々にお酒が飲みたくなったけど誰かを誘うのも面倒だし、誘って「Aも呼ぼう」ってなるのが怖かったので一人だった。

しばらくぼんやり飲んでると隣に40代くらいの女性が座った。とても身なりが綺麗な人、仮にBとする。

マスターを介してBさんが話しかけてきた、彼女大手アパレル企画をしている人でいわゆるキャリウーマンだ。

しばらく他愛もない話をしてたが、私はふとAのこと、今の自分の現状を話したくなった。

バーで会った私のことを今日知った人、私の属しているコミュニティのどこにも属していない「他人」だから話せると思った。

 ポツポツと話し出しBさんは真剣な顔で聞いていた。

私は「子供ぽいんですが」「本当こんな悩み馬鹿馬鹿しいんですけど」「自分の心が狭いのはわかっているんですが」「女子中学生みたいですよね、ほんとしょうもないんですが」とそういう前置きを何度も使った。

話している最中に、自分が寂しいと思っていることをやっと受け入れられるような不思議感覚だった。

 18歳で初めてきた東京最初友達も知り合いもいなかった。

大学でできた友達大学の外でできた友達フリーター時代にであった人たち、就職してから一緒に働いている同僚、ボランティアで一緒に一生懸命になった仲間…それまで考えたこともなかったけど、人間関係というのは自分が築き上げてきた財産だ。

それが、その財産が急に人の手に渡ってしまったような感覚、Aに対する不信感とそれを誰にも相談できない孤独さ、私がいた場所に私と同じ服やアクセサリーカバンをもっているAがいる違和感

 話しながら涙と鼻水がでていた。Bさんがティッシュをくれたけどたりなくてマスターが箱ティッシュをくれた。

Aとの楽しかった思い出がいっぱい頭をかけめぐった。でもAが東京にきてからは辛い思い出の方が多くなった。

Bさんは「それってフレネミーってやつよ、辛かったね」といってお酒を一杯奢ってくれた。

 「年齢の話はしたくないんだけど」と前置きしてBさんが話してくれた。

人間は年齢と共に人格が少しずつ変わること、それがいい方向に変わる人もいれば悪い方向に変わる人もいる。私はながいAとの付き合いのなかで無意識にAの味方をして自分直感違和感を信じずそれでストレスが溜まっていること。

子供っぽいというが誰だって自分が見つけたものや持っているものを真似されたら気分が悪いこと。自分テリトリー必要以上に入ってくる人間には注意しなきゃいけないこと。

そして、Aは私がいたポジションにおさまることで優越感や承認欲求を満たしているのだから、それはもう友人とはいえない、と。人との関係には寿命があるということ。

 決定的だったのは「あなたはAさんを色んなコミュニティに紹介したけど、Aさんはあなを彼女コミュニティに紹介はしてくれた?」という質問だった。

私はハッとした。Aは学校での友人の話やイベントの話をしてくれるが私をその人たちにあわせたり、イベントに呼んでくれたことは一度としてなかった。

 Aは他の友人たちに悪口を吹き込んだりはしてない(と思う)が、なんというか私と他の友人達遮断する影のようだった。

私の前にAがいて私は彼女の影のなかにいるような、段々彼女が私のオリジナルで、私がコピーのような感覚というか、成り代わられるというのは自分を消されるような恐怖感があった。

今でも何でAがそういうことをしだしたのかはわからない。私は真似されるような魅力のある人間ではない、もしかしたらAはAで寂しくて必死だったのかもしれない。

決定的なことをしたわけじゃないが徐々に食い込んでくるあの不気味さから、私はもうAに会うのはやめようと決意した。

 Bさんは別れ際少しこわばった顔で「彼氏旦那ができたときに、彼女に紹介しちゃダメよ」と言った。

私は帰って「フレネミー」で検索をかけた。冒頭にのべた通り、多くの人々がこの厄介な存在に悩んでいることを知って、不謹慎ながら少しホッとしてしまった。

 Aとの関係は綺麗には切れない。

自分所属しているコミュニティ彼女もまたしっかり根を下ろしているか共通の友人が多い。

でも、Aとは今では全く会っていない。何度か会う機会はあったが私がそういう場には絶対に行かないようにしている。

友達結婚式などどうしても会わざるえない事で今後会う可能性はあるが…。

そういう制限のなかでなかなか会えない人もできてしまったが、前より心が平穏だ。

周りは不思議がっている人もいるし、友人伝手にAの話も聞くことがあるが、それはもうあまり気にしないようにしている。

 夏になって私は新しい趣味に手を出しそのつながりで新しい友人ができた。

前に比べ人に警戒心を抱くようになったけど、やはり人との繋がりから得るものは大きい。

自分が着たい服、身につけたいもので遊びに行き、好きな話をしても真似される心配がないのが嬉しい。

ずっと付きまとっていた違和感がなくなって、孤独感が消えた。

 「フレネミー」は十人十色、Aのように真似をしてポジションをとろうとする人や、マウンティングしてくる人、心配するふりして不安を煽ってくる人…色々いるみたいだ。

今もし、友達のことでしんどい思いをしている人がいたら、一旦冷静になって考えて欲しい。その人は本当に友達なのかどうかを。

「そんなことぐらいで」と他人が言う事でも自分しんどいのなら、それは「そんなことぐらい」じゃないのだ。

 時々Aと過ごす時間が多かった十代を思い出し少し悲しくなったりもする。

しかしたらずっと先の将来でまた友達になっているかもしれないし、もうこのまま会わずに終わるかもしれない。

 長文&駄文失礼しました。

台風なのに無理に電車動かすな

電車が動くと通勤しなきゃいけなくなるだろ

駅に向かう途中で怪我したらどうするんだ

電車停めろ

2017-10-22

[]10月22日

明日も4時起きなので、寝ます

たださっきまで頭をフル回転させていたので、寝付けそうにないです。

電車通勤メリットなんて無いと思ってましたが、こうして徒歩圏内ホテルでも生活すると、電車の中で一息ついて頭のクロック数を落とす的なサムシングエルスがラストチャンスです

ラストチャンスカバーしてるアイドルグループがいるそうです

あとイライラしたので縦読み会社悪口を仕込もうかと思いましたが、難しいので辞めました

死ななきゃいけない気持ちに振り回されていた僕のお話

内面の整理のために吐き出しています、その関係上乱文になってると思います

僕の中学時代地獄だった。

間違いなくあそこに地獄があった。

少なくともあの時の僕にとっては地獄だった。

虐められた、とても虐められた。誰も味方がいなかった。

虐められるターゲットだった。友人は居なかった。一人だった。

家の中にも安らぎはなかった。家もまた気を張る場所であった。信頼ならない場所であった。

母は精神障害者だった。弟は知的障害として小学校の時分から養護学級の者として生きていた。父はそんな二人の世話に明け暮れていた。

とても頼ることなど出来なかった。

学校では「死ね」「キモイ」そんな言葉がずっと浴びせかけられていた。常に居場所がなく、昼休みは別の校舎の廊下音楽室の陰といったひと気のない場所避難する時間であった。

とても辛かった。そんな場所だった。

部活小学校の時にサッカーが好きだという理由サッカー部に入った。大失敗だった。

部活にも勿論居場所はなかった。選ぶ場所を間違えた。

部活中にも時折、野球部の方からボールが飛んできて僕に当たっていた。たぶん、ぶつけられていたのだと思う。頭に何度も当たっていた。とても辛かった。

中学校1年の2学期から休みがちになった。1学期でも体調を崩しがちであったが、休むために休んでいたのはこの頃だったように思う。

とても行くことが嫌だった。そんな風に休むものから勉強も遅れがちになった。宿題が溜まったのもより行きづらさに拍車をかけた。

英語がついていけなくなった。

家は貧しかった。貧しいが故に常識も知らなかった。小学校宿泊研修で初めてリンス存在を知る程度には貧しかった。

とても閉じていた。服もなく、娯楽を知らず小学校夏休みの絵日記に苦労していた、そんな記憶が残っている。

旅行に行く人達を羨ましく思いながら、隣町の祖父母の家に行く位が一番の遠出だった。

どんどん私は中学校に行けなくなっていた。田舎中学校故だろうか、治安もよくない学校であったのも一因だったとは思う。

通学の自転車指定自転車だったが、指定の物ではないものを買い与えられ、そのことがまた虐めの原因にもなっていた。

通学することが苦痛だった。

家の中では良い子でなければ、迷惑をかけないようにしなければならず、学校には居場所がなく、そんな状況が続いていた。

中学1年の三学期にはほとんどいけなくなっていた。ひたすら虐めの恐怖に怯えていた。布団の中でまるまって何故虐められるのか分からず、相談できる相手もいない、一人で苦しみ続けていた。

家の外に出るのが怖くなっていった。休んだことを揶揄されることもまた恐怖だった。ひたすらに家の中で時間を過ぎ去るのを願っていた。夜になってようやく少しだけ外に出られるような有様であった。

中学2年には全く通うことができなくなっていた。申し訳ないと感じつつも動くことができなかった。昼に父が職場から帰ってきてお昼の支度をしてくれる時間が僅かばかりの気晴らしといった毎日であった。

中学3年のころには少しだけ保健室登校のようなことをしていた。それでもほとんど休んでいた。勉強についていけなくなっていた。将来の恐怖に押しつぶされていった。

受験があった。とてもできず、また遠方へ通えるような財力はなかった。地元の県立高校に進学した。

高校に入った。周りは大人になっていたからか、虐められることはなかった。だが、僕自身人間不信になっていた。やはり一人だった。

そして、とても落ち着かなくなっていた。

授業中に突然笑いだすようなこともあった。エア友達脳内会話して笑いがこぼれていた結果だった。

ギャップを感じていった。普通が分からなくなっていった。休むようになっていった。精神科へ通うことを勧められた。ここで初めて通うようになった。

月イチでの通院の日々だった。それでも行けないことには代わりはなかった。

出席日数が足りなくなっていった。補修を受けるようになっていた。補修にも行けなくなった。単位を落としてしまった。通わなくなった。

単位複数落ちてから、一つだったら頑張ればなんとかしてあげれたと言われた。もう遅かった。手遅れだった。

留年するか転校するか退学するかの選択肢となった。金銭上、転校することは出来なかった。そのまま退学することになった。

高校に入ってからしばらくしてから与えられた携帯ネット依存するようになっていった。

普通じゃなくなっていく苦しみを誤魔化していた。なんとか逃れようとしていた。

ネットに居場所を求めるようになっていった。その間は少しだけ救われていた。

現実は苦しかった。

将来への絶望は消えなかった。

父母弟の介護をしつつ、田舎から出られず永久にそのまま終わるようにしか思えなかった。

ネットへの依存は加速していった。

17になった。心を誤魔化すためのゲームで繋がりができていた。オフ会に参加することになった。

オフ会に参加するのが唯一の遠出だったと思う。

隣の県まで電車で行った、少しだけその時は救われていた。

18になった。早く頑張らなければ、何かしなければという焦りと苦しみがちりちりと焦がしていたが見ないようにしてゲームに没頭していた。

19になった。オフ会で会った友人たちが大学生になっていった。僕は一人取り残されていった。

また一人になった。

一人の時間が長くなった。その分だけ余計に焦りと苦しみが増していった。向きあおうとして、オフ会の友人との繋がりを控えた。

より苦しくなっていった。薬に甘えないようにせねばと思ってあまり通院してなかった時期でもあった。

夜に原付飛ばしてみたり、自分なりの反抗をしていた。それでも苦しさは消えなかった。

夏の終わり、自殺を図ろうとした。海の近い町だった。このまま砂浜から海に入っていけば泳げない自分死ぬのではないかと感じていた。

服が海水を吸って重くなっていった。明確に死の恐怖を感じた。このまま自分が死んでいなくなる恐怖だった。この世から消え去りたくないと感じた。

砂浜へ引き返した。びしょ濡れのまま、一人家に帰った。自殺しようとしたなんて打ち明けることなど出来なかった。

死ななきゃいけないという感情はそれでも消えなかった。僕は考えを捻じれさせていった。

死ななきゃいけないなら、自分自身死ぬことを納得できる人間になろうとすればいいじゃないかと考えるようになっていった。

当時のニュースの影響もあって、大量殺人者に憧れるようになっていった。ああすれば死ねる!と。

30になったら行おうと思っていた。そこまでの命ならと思って、散財するようにもなっていった。

課金ゲームにハマっていった。諫められても、助けてくれなかった親への恨みから正当化していった。

深みにはまってどんどん続けていた。

20になった。成人式を迎えた。流石に焦りを迎えた。

バイト探しをするようになっていった。田舎から求人は貴重だった。

毎度のごとく落ちていった。

21になった。レンタルショップバイトに受かった。バイト代はすべて課金ゲームにつぎ込んでいった。

22になった。僕はバイトのままだった。世間就職にまた焦っていった。

23になった。友人の誘いで地元原発作業員になった。入ってウキウキ気持ち原発への嫌悪感がごちゃ混ぜになっていた。

半年で辞めてしまった。よりヤケになっていった。クレカ借金を作れば自分死ぬことに納得いくだろうと破滅的な行動が増えていった。

24になった。転職サイトで中途で入社した。ネット販売員だった。営業だった。件数全然取れなかった。頑張っても取れなかった。

頑張ることの意味が分からなくなっていった。努力しなくなっていった。ネットへの依存は深まっていった。

グループ内で転籍させられた。借金は増えていった。死にたくてたまらなかった。

25になった。課金ゲーで出会った友人に職に誘われた。僕は後先考えずに飛びついた。殴られるような営業から逃げられると思った。

転職先は良いところだったが付いていけなかった。そのころにはもう考えてもストレス意識が飛ぶようになっていた。

転職先を辞めてしまった。

無職になった。生活保護を受けるようになった。治療を受けても、あまり合わなかった。借金は残ったままだった。

四か月経ち、今日バイトを始めた。あまりのおぼつかなさに愕然とした。

死ななきゃいけない声が聞こえていた。今までは、周りを批判的に見たり、自分の実力を弱く見せたりして補助を貰おうとして誤魔化していた部分も遂に終わりを迎えた。

虐められていたときに亡くなった祖父母へのお別れの気持ちも1週間ほど前に整理がついた。

中学のころからの死ななきゃいけないを外すときが来た。そんな風に思えた。

借金は今、自己破産手続きが進んでいる。

精神状態が悪い時は山に行く?

2、3週間前人生で1番精神状態がヤバかった。

部屋でずっと泣いていた。

原因は自分の将来と家族関係

私は働いてなかった。引きこもった。1カ月に数日の派遣のみ。

就活は諦めていた。

それで家族主に母親毎日ケンカ

もう自分はいなくなった方がいいんでは、と思い部屋で電気消して体育座りして天井を見てぼっーとしてた。自分の死んだあとの家族の反応を思い浮かべながら。

なにをどうやればここから普通に戻す方法がわからなかった。

そしてとうとう首をパソコンケーブルでしめ上げた。

ときていたので考えずに強い力で。

しかったけどもう嫌だった。

でも怖くなって最後までできなくてはずした。

もう頭がキャパオーバーだったので寝ました。

次の日も部屋に引きこもっていたけれどお昼位になってどうせなら山行こう。

と考えネットでググって県内電車で数時間で行ける山へ行った。

電車でも涙が出てきた。

周りはスーツきた働いてる人ばかり。わたしニート!!!

から山行くよ!!!!?

惨め辛くなった。

1人全然人がいない駅で降り山を目指す。ケーブルカー時間が迫ってたので登ったあとケーブルカーで降りたかったけど逆にすることにする。

山を頂上から見てここから落ちたらすぐ死ねるなあ、、と考えながらひたすら下りました。

本当にあ、ここも降りたらいける!

とここも。

要するにいつでも死ねるじゃん!

じゃあ今回じゃなくてもいいじゃん!うん!!

という収穫がありました。

なにより誰もいない登山道楽しいけど怖いね

帰ってきて鏡を見たら首にうっすら線ができてた。あと声が出しにくくなった。自分では喋ったつもりではないけど声が出てない、小さい。という後遺症みたいな困る。自分のせい。

それでいま就活してます

自分みたいな人とうまくしゃべれない仕事できないのでとってくれる会社はあるのか。

就活を始めることで家族が前より普通に接してくれるようになった。

就職してからじゃないと始まらないけれど。

気分に波がありわたし精神状態が落ちつくとまた嫌な時があったことを忘れて喉元過ぎれば熱さを忘れて普通にまた就活しているという盾を持ち、

引きこもりするクソタイプであるので自分無能がバレるのが怖くて働きたくないけど就活頑張ります

かに話を聴いて欲しくて前に命の電話にかけたけど、繋がらなくて電話できなかった。

こういうことって恥ずかしくて話せないんだよね。

要するに甘えてる、甘えてるんだけど

って言われるだろうと自分の中で言われると思って言えなかった。

就活は落ちてもいいんだ!

どこかに引っかかればいいんだ!

ではあしたいってきます

JR東日本東日本旅客鉄道について思ったこと。

(例)大宮駅新宿駅区間を利用するとき区間通勤・通学定期料金について思ったこと。

 大宮駅新宿駅区間を利用するとき区間通勤・通学定期料金について思ったことは、埼京線大宮駅武蔵浦和駅赤羽駅池袋駅新宿駅)または湘南新宿ライン新宿駅経由)だけじゃなくて、上野東京ライン東京駅経由)と中央線快速東京駅新宿駅)でも利用できるようにすればいいと思います

 つまり大宮駅新宿駅通勤・通学定期券区間は、埼京線大宮駅武蔵浦和駅赤羽駅池袋駅新宿駅)または湘南新宿ライン新宿駅経由) と、 上野東京ライン東京駅経由)と中央線快速東京駅新宿駅)の両方のルートにしなければいけないと思います

 そのとき大宮駅新宿駅区間の定期代は、埼京線通勤・通学定期料金と同じ最短経路の値段で、なおかつ絶対に一番安い値段にするべきです。

 なぜなら、東北新幹線北海道新幹線上越新幹線北陸新幹線山形新幹線秋田新幹線乗客数を増やすことにより、JR東日本の売り上げを向上させればいいと思ったからです。

 なぜなら、上野東京ライン中央線快速も乗車すれば埼京線湘南新宿ラインが混雑緩和になると思ったからです。

 それで、普通列車グリーン車普通車の混雑緩和のため、大宮駅東京駅区間は、乗車券定期券でも東北新幹線秋田新幹線山形新幹線北海道新幹線上越新幹線北陸新幹線自由席特急券を利用できるようにするべきです。

 つまり普通列車グリーン車 980円 + 差額 90円 = 1070円(新幹線自由席特急券) だからです。

(例)大宮駅東京駅区間新幹線新幹線停車駅が2駅以上含まれる「Suica定期券」での利用について思ったこと。

https://www.jreast.co.jp/suica/use/shinkansen/commute.html

大宮駅東京駅区間新幹線新幹線停車駅が2駅以上含まれる「Suica定期券」での利用について思ったことは、大宮駅東京駅区間Suica定期券特急料金 を860円にすればいいと思います

なぜなら、東海道新幹線東京駅新横浜駅区間自由席特急券の料金が、860円からです。

そもそも大宮駅東京駅区間新幹線JR東日本なのにも関わらず、Suica定期券特急料金が860円毎日)と、自由席特急券ホリデー(土日祝日)料金が860円(平日の自由席特急券の料金が1070円)にしないその時点でホントおかしいんだよ。

平日の普通列車グリーン料金と自由席特急料金の差額が90円、および、土日祝日普通列車グリーン料金と自由席特急料金のホリデー料金の差額が80円の差額にできないその時点でおかしいんだよ。

から埼京線湘南新宿ライン上野東京ラインの混雑緩和が出来なくなっているのではないでしょうか。

から埼京線電車内のトラブルが激減できないのではないでしょうか。

(例)大宮駅東京駅区間新幹線東北新幹線秋田新幹線山形新幹線北海道新幹線上越新幹線北陸新幹線)の自由席特急券の料金と、普通列車グリーン券の料金の関係について思ったこと。

平日の自由席特急の料金と普通列車グリーン券の料金、土・日・祝日自由席特急の料金と普通列車グリーン券の料金はこれにすればいいと思います

普通列車グリーン車)今まで通りです。

https://www.jreast.co.jp/railway/train/green/charge/

大宮駅東京駅区間新幹線自由席特急券の料金)

平日は大宮駅東京駅区間新幹線の料金は1070円です。(差額:1070円(自由席特急券)-980円(普通列車グリーン券)= 90円)

それで、土・日・祝日大宮駅東京駅区間自由席特急券の料金は、大宮駅上野駅区間の料金と同じ860円にしてください。(差額:860円自由席特急券)-780円(普通列車グリーン券)= 80円)

なぜなら、普通列車グリーン車ホリデー料金があるからです。

まり、土・日・祝日新幹線大宮駅東京駅区間自由席特急券の料金は、新幹線ホリデー料金として860円大宮駅上野駅と同じ自由席特急券の料金)にすればいいと思います。(ただし、ホリデー料金については平日は別です。)

明日の朝は台風直撃らしいが自社から特に指示はない

客先から特にない

電車動いてたら乗って来いくらいの感じなのか

電車、徐行やら振替やらなんやらで混みそうだし

からかにしてくんないかなあ

してくれないよなあ

早めに家を出るのは直撃時刻から逆効果だし

あーだるい

しかしカラッと晴れ上がっていたりしたら

それはそれでムカついていそうだ

ランナー基本的マナーが悪い

皇居RUN禁止にしてほしい。なぜならランナーマナーが悪いからだ。


彼ら彼女らには、走っている自分達には、観光客やただ通りすがり人達には無い、

何らかの権限があるように勘違いしているような行動が多く見られる。

どうして観光客カメラを構えているのを避けようともせずに猛スピードで突っ込んで行くことができるのか?

なぜ移動中のサラーリマンに対して「どけ」と怒鳴ることができるのか?

修学旅行中の生徒達に対しわざわざ通りすがりに不自然な舌打ちをしたのはどういう意図があるのか?


どの立場においても、迷惑行為があれば注意すべきことなのではあるが、

そもそもランナー側が迷惑行為を注意すべき側にいることは稀であろう。

人が多いことで、自分の思い通りにならない事がストレスになるのだろうが、

その人は、人の多いところで走ろうとする時点で選択を間違っている。






そもそも大人数で走っているのはそれだけで歩行者にとっては迷惑なのである

それがわかっていないランナーが非常に多い。


せめて平日の夕方〜夜の練習?のようなものはやらないでもらいたい。

声をかけあっているのもうるさいだけで、ただただ邪魔しかない。

千代田区民でもない人々が遠くから電車でやってきているようだが、

できれば君たちの近所を走ってもらいたい。

人があまりいなければ、そこの方が練習やすいだろう?


誰にも見られない場所では練習せず、あえて見られる場所で、

かに見てほしくてやっている意識高い系ランナーが多い気がするが、

見てほしいのなら、ランナー以外の人を尊重し、場合によっては自分達のスピードを緩めたり、

止まることも必要だと言う事を理解してもらいたい。

それらができないなら来ないでもらいたい。

ちなみに、上記のような事を気にして赤坂御用地に流れてくるランナーもいるが、

ここにも基本的には走りにこないでほしい。

2017-10-21

二次元三次元という用語の偉大さ

電車に乗っていたとき女子中学生が二人が会話していた。

ずっとアニメの話をしていたのだが、電車の中なのですべては聞こえなかった。

しかし片割れが急に興奮して大きな声で言った。「私、人間嫌いだし!」

本当なら彼女二次元が好きだけど、三次元は嫌いということを言いたかったんだと思う。

だって人間が嫌いなら、二次元アニメを作り出す人間も嫌いにならなければいけないだろう

どうやってアニメが作られるかなんて女子中学生でも知っているだろう。

しかも、電車には当然人間がいっぱいいたのだから、本当だったとしてもこんな危うい発言はしないだろう。

彼女が少しでもネット用語を知っていれば全人類を敵に回す必要もなかった。

二次元三次元という用語に改めて感謝する気はないし、こんな言葉は知っていれば偉いわけでもない。

しかし、人類の敵になるきっかけはこんな小さなことかもしれないと考えると少し考えさせられる。

金曜日の21時、新宿へ向かう電車

かいに座ってた40代サラリーマンという感じの男性が、おもむろに左手薬指の指輪を外した。

私は、ああ、キーホルダーにつけるのかな、と思った。

ビジネスカバンの外ポケット内側にリングホルダーを用意してあって、そこに慣れた手つきで指輪を隠したあと、少しキョロキョロしてスマフォに目を落とした。とても嬉しそうだった。

そういうものがあるのかと驚いた。

新宿に向かうなかで、30代の新婚さんに見えるカップルが乗ってきた。もうほろ酔いで、今にもキスをしそうな雰囲気だった。

少し辟易しながらも、どうぞお幸せにとしか思うことができなかった。

隣に座り込んできた20代残業終わり風の男性シャツが半分出ていた。伸びた爪でソーシャルゲームをにこにこやっているのが窓越しにわかった。

かい指輪しまった、サラリーマンの靴は磨かれていてシャツはきれいアイロンがかかっていた。

愛って、こういうものかなと、母と旅行へ向かう途中の私は分かったような、違うような、眠気に襲われていた。

V6が私を救ってくれた

高1の秋頃、学校に行くのが嫌になった。

通学途中の駅のホームに立てば、ここから飛び降りたらどうなるのだろうと思っていたし、学校が近づくに連れて心臓が破裂しそうなくらい音を立てて速くなった。

頑張って通っていたけど回復の兆しは見えなくて、朝決まった時間に起きれなくなったり、学校のことを考えると吐くようになったりした

私は学校へ行かなくなった。立派な不登校のできあがり。

外に出れば誰か知っている人に会ってしまうかもしれないし、昼間家にいると近所の人に自分がいることが気づかれてしまうのが怖くて自分の部屋のカーテンを閉めきって、出来るだけ音を立てずに暮らしていた。

そのころの唯一の趣味といえば、イラク戦争から帰ってくる軍人サプライズ家族を訪ねる動画YouTubeで観ることだった。感動なのかわからないけどその動画を見てると泣けてきて、今思えば自分以外のことで泣く理由が欲しかったんだと思う。

何もしないで1日を過ごしてたから、学力も当然落ちていったし、友達ほとんどいなくなってた。

自分が荒んでいくのがわかってたけど止められなかった。現実地獄なら地獄は何だ。どうせ今が地獄なら死んでも変わらないだろう。いや自分地獄に引きずり込んだやつを殺してから死のうと思ってた。

そろそろ死ぬかと考えているとき学校から呼び出された。狭い教室教頭学年主任担任と私の4人で、出席日数が足りないからこの場で退学か休学か選んでって言われたから退学を選んだ。どうせ死ぬつもりだったし。

その帰りの電車の中で1つの区切りがついたことだし死ぬための準備を始めようと思って、LINE友達から死ぬ前に会いたい人だけを残して他を削除した。200人から40人ぐらいまで減らしたと思う。40人の中に消すか迷っている子がいて、中学同級生で凄く仲が良かった子だった。その子ホーム画面がV6で、彼女の好きなものを見てから消すか判断しようと思った。今でも何でそう思ったのかは分からない。

退学が決まったその足でTSUTAYAに行ってV6アルバムを買った。どれを買えばいいのか全く分からなかったから、Bestって書いてあるVeryBestを買った。

まぁ聞いたことある歌もあるなぐらいで飛ばし飛ばしで聞いてたけど、1つの歌で信じられないくらいに泣いていた。

太陽のあたる場所」という歌だ。あれだけ自分はもう死ぬって決めてたのに、それを聞いたらやっぱりやめようと思ってた。図々しいけど、私のための歌だと思ったしこんな私でもV6応援してくれるって思った。本当に図々しいね

太陽のあたる場所 歌詞

http://j-lyric.net/artist/a001a50/l00a954.html

それからずっとその歌を聞いてた。朝から晩まで延々と聞いてた。聞いても聞いても飽きなくて今度はV6動画ネットで漁った。ライブが見たくてDVDを買いたかったけど、お金がなかったか飲食バイトを始めた。朝に起きる理由ができた。車の免許は持っていなかったから歩きでバイト先まで行くようになった。健康的になった。稼いだお金貯金しながら、過去に出てるV6作品を買う日々を続けていた。

そんなときV6ライブが行われることを知った。絶対に行こうと思って初めてファンクラブというものに入った。1人で行くのは寂しかたから、ホーム画面がV6の子を私から誘った。その子OKしてくれて2人で行った。行きの電車から共通の好きなもの話題で盛り上がって凄く楽しかった。

ライブが始まった途端に私は号泣していた。私を救ってくれた人が目の前に存在している事実が嬉しくて泣いた。私を救ってくれた人たちが私を救ってくれた歌である太陽のあたる場所を歌っていて泣いた。MC面白い話を聞いて自然に笑っている自分にびっくりして泣いた。ライブが終わる頃になると終わらないでほしいと思って泣いた。ライブからの帰り道にV6ライブの話をする人たちを見ていて、自分もその一部なんだと思えて嬉しくて泣いた。

2時間半ほぼ泣いていた。キラキラした会場の中で私を救ってくれた人たちが笑顔で私を救ってくれた歌を歌っていた。多幸感に溢れて泣いたのはあれが初めてだ。

V6が私を救ってくれた。私はV6きっかけにいろんなことができるようになったし、いろんなことを知った。

朝決まった時間に起きれるようになった。部屋のカーテンを開けられるようになった。昔の友達自分から連絡を取れるようになった。適度な労働は適度な疲労と充足感をもたらすことを知った。お金を稼ぐことが楽しいことだと知った。

V6が私を救ってくれた。私は高認をとった。周りから見れば凄く遠回りになったけど、高校卒業した。カーテンを閉めきった部屋にいる高1の私には全部できなかったことだ。

相変わらず通学路だった道を歩くとドキドキするし、今度また同じようなことが起きたらどうしようと不安になる日もある。

だけど私は何度でも立ち上がり歩くことができることを私の人生をもって証明したい。だから私は今歩いていけるのか試している途中だ。太陽のあたる場所を目指して

都会は怖い

人は多いし店も多いし

車は多いし電車はたくさん走ってるし

道はあちこちにあってすぐ迷子になるし

ビルはどれがどれだかわからないし

広い駅なんてどこに何があるのかすらわからないし

何かをちょっとでも間違えるとそこは地獄へと豹変する

怖い

大東 夕方から暴風 台風21号 本島は今夜最接近

台風21号、週明けに西・東日本上陸の恐れ 接近前の大雨にも警戒

中心気圧は950ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は40メートル、最大瞬間風速は60メートルで、中心から半径220キロ以内では風速25メートル以上の暴風となっている。

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-597175.html

http://news.livedoor.com/article/detail/13772570/

地獄じゃん

日本国内において単に「風速」という場合、地上気象観測では、地上約10メートルの高さにおける10分間の平均風速を表し、0.25秒ごとに更新される3秒(12サンプル)平均を瞬間風速という[1]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/風速

3秒間で25メートル吹いちゃう風とか鳥の世界かよ

いや1秒間で25メートル吹いちゃうのか60秒で1500メートルで1.5キロメートルで1時間後には90キロメートル先まで飛ばされるとしすると空飛ぶ快速電車台風なんだな地獄じゃん

2017-10-20

東京まれ東京育ち

別に僕はなにもしてない。たまたま親がそこに住んでいただけだ。

なのになんだろう、出身地言うだけでやれ「金持ちボンボン」だ「苦労も知らないおぼっちゃま」だ。

会社員になって都外に転勤したが、完全に観光客扱いだ。

観光だと思って、まぁ楽しんで帰りなよ」って一言にとてつもない距離を感じてしまった。

ちなみに今の住まい地方都市のど真ん中で、徒歩圏内で買い物もレジャーもどうとでもなる。

便利度で比べれば、都内住宅地実家なんぞよりはるかに上だ。

東京まれというだけで変な距離感をおかれる。

神奈川県民とか別に電車ですぐなんだからそういう態度やめてよ。

普通にその辺の公園を鼻たらして走り回ってすっ転んで泣き喚いてたただのガキだぞ。

思春期少年から大人になるために青臭いケンカとか恋バナとかしてたただの若者だぞ。

それがたまたま渋谷だったからってなんだよ。別にいいじゃん。

別に地元が嫌いなわけではない。愛着はある。最終的には戻ってそこで暮らしたい。

でもなんかそれが「首都から」とかそういう優越性みたいなもの故だと思われてるととても嫌だ。

地元愛ってやつだよ。僕とっては鼻たらして歩いたあの町並みこそが「ふるさと景色」なんだ。

東京に住むために必要な稼ぎとか、そういうのが解らないわけではない。

地価が高いことくらい、今住んでる間取り東京物件検索すれば解る。

ただ、なんというかそういう額面的な価値とかじゃなくてさ、郷愁?があるんだよ、僕にとっては。

東京を語ろうとすると、やれビジネスお金財産だ、小難しくてカタカナ語な話ばかり。

僕に見えてる東京郷愁が、そこでは欠片もないようなものと扱われるようで、なんか悲しい。

くるり「東京」という曲をふと思い出した。

地元郷愁を懐かしみながら、東京という街に出てくる青年の語りだ。

こういう郷愁ソングは、いつも東京から地元を眺めるものばかりだ。

たぶん、そのほうが共感されやすいし、売れるんだろう。

東京のものを懐かしむ感性はどこかにないのだろうか。

ちなみに、近いうちに実家は売りに出されるらしい。

感情的には反対だが、財テク的にいえば正解なのはわかる。

両親にはどこぞの栄えた地方都市で老後の心配のない便利な暮らしをして欲しいと思う。

ただ、僕のふるさと景色が、どこかにいってしまうのかと、悲しい気持ちになっている。

これ以上、帰る場所否定しないでくれ。

電車に乗ったら涙が出てくるのはこれもうダメかもしれない

雨の日は電車は遅れるし混雑するので、普段乗っている時間でも20分遅延するとかひどすぎる……

やばい、今からちょうど電車だけどウンコしたい

20分くらいだからお腹もってくれる

2017-10-19

めいくあぶりーふなんとかがムカつく

JR、お前だよ。

電車内の出入り口近くの流れる電光掲示板のあれだよ、あれ。

電車が減速して止まるぞーって時に、

「あれ、ここ目的の駅?!降りなきゃ?!ココドコ??」

って時に、例のアレに目を向けると

This train will soon make a brief stop at xxx.

って、文字ゆっくり流れるわけだ。

もちろん最初日本語で表示されるんだけど、それを逃して、Thisから始まろうもんなら目も当てられない。

混んでんだから目的の駅ならさっさと席を立って出口に向かいたいわけ。

それなのにトロトロトロトロ文字が流れんの。

日本語なら流れる必要すらなく、

「次はxxx駅」

だよ。

ホント欠陥言語だよな、英語って。

いや、JR無能なだけか。

もっとはよ文字流せよ。

みんな実は痴漢したいの?

痴漢プレイが楽しめる風俗店というのが存在して、しかもそれはイメクラという名前でけっこうメジャー位置づけにあるということを今日知って、驚いた。

その店の経営者の話をきくに、他のプレイ内容の選択肢があっても(夜這いプレイとかあるらしい。実際はそれもどうかとは思うが)、ダントツ痴漢プレイを利用する客が多いらしい。

今まで俺は違法だとか相手が嫌がるとかいうのを抜きにしても、電車女性の体に触ったりしたいと思ったことはない。

実際に触るやつはもちろんだが、触りたいと思うやつさえ男性のごく一部だと思っていたんだけど、実は痴漢したいっていう欲望もつのはそこまでマイノリティではないのか?

実際に頻繁に痴漢被害に遭って、

さらに世には、痴漢モノのAVだの痴漢が疑似体験できる風俗店だのが蔓延っていたら、

俺が女性だったら男性のことを一切信用できなくなるわ。

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