はてなキーワード: サークルとは
・普通に私も恨みつらみがあるのでキツい言い方になってるとこもある
・普通にフェイクも含まれてるので辻褄が合わなかったらそのせいだと思って欲しい
そこでたまたま、創作が趣味の数人と知り合い、親しく話すようになった。
DiscordやTwitterの鍵垢なんかのSNSを中心に交流をして、創作企画をしたり、TRPGをしたりするうちに、疑似サークルのようになっていた。
出会いは新歓だったものの、ほぼほぼネットの知り合いといった感じで気楽に付き合っていたのである。なんせ顔も知らなかったので……
その中に、Aという人がいた。もともと昔から創作を続けていたようで、絵も文も上手く、グループの中でも一目置かれていた。私は、交流をした自キャラとAのキャラの絡みを小説で書いてもらったりするうちに、彼女の作品にどんどん惹かれていった。「Aの創作のオタク」になりつつあったのだ。
ただ、彼女と私は性癖が少しズレていて、キツイ時もあった。創作キャラを虐めるのが好きで、「あーあ、なんかひどい目に合わせたくなってきちゃった」などと言われて、「やめてくださいよw」と冗談交じりで止めるのが定番になっていた。
そんなこんなで遠隔で交流を続けていたものの、おや?と思うことが増えていった。
「親に殴られる、しんどい」「公園に逃げてきた」「今親に言われて家事させられてる」
どう見ても虐待を匂わすような内容に、TLの全員が心配し、Aにエアリプなどを飛ばした。近郊に住んでいるので、匿おうか?などと言う人もいた。
しかし、Aは大丈夫の一点張りで、我々は特にできることはなかった。
彼女のいない場で、心配だね〜などと話していたのだが、毎回「もう大丈夫!心配かけてごめんね!」とツイートされるので、だんだん過剰に心配する人もいなくなっていった。
それに、創作でも虐待の話をしないほうがいいよね、と思っていたものの、Aは普通に毒親持ちの創作キャラなどを出してくる。その時の私は呑気に気丈な人なんだな〜と思っていた。A劇場が始まっていることにも気づかずに。
突然、Aが「私のマシュマロに『創作やめろ』とか送ってこないでください」とツイートし始めたのだ。前述の通り、私達は鍵垢で交流を行っており、毒マロを送る人間は限られてくる。私達は疑心暗鬼に陥った。
他の人の内心は知らないが、私は「Aの創作のオタク」だったため、かなりのショックを受けてしまった。そして一次創作からとりあえず離れるために別のアカウントを作った。二次創作と愚痴を吐くオープン垢。創作グループには、昔からの友人がいたので、その人にだけその垢の存在を教え、FFになっていた。
鍵垢で呟くのが減ったものの、私はTLの内容は把握していた。大学の友達の会話なので……そんな中でもAは絶好調だった。(ここ恨みつらみのせいであげなくてもいい情報あげてるかも)
・ストレスで創作キャラの人格が表に出てきちゃう。ご飯もその人格が食べてるから記憶ない。私は憑依型だから〜
・私が辛いときに支えてくれたBちゃん(創作グループの一人)と交際することになりました。実はトランスジェンダーでバイなんだよね
・私は共感覚持ちだから毒マロの文を見ると色がトゲトゲしてて気持ち悪い
・色々しんどいことはあったけど頑張ったよ!親と他地方で(?)裁判(?)して縁切りました!やった〜!→なんだかんだあって親が戻ってきて今も召使いです
・実はクソ親のかわりに昔から叔母が金銭の面倒見てくれてたんだけどそのせいで過労で亡くなっちゃったんだ……
・実は中学の時からゲーム制作しててチームを組んで会社として(?)制作してるんだ、他のみんなは大人なのに「社長」って呼んでくるんだ、100万は稼いでるかな
私はおっとっと……になってしまった。グループの他のみんなは優しくそうなんだ!すごい!と反応していたが、私は性格が悪いので(九分九厘嘘でしょ……)としか思えなくなった。一度グループから離れて冷静になったからというのもある。前までしていたAの創作に対する感想ツイも徐々にやめ、Aをヨシヨシするエアリプもやめた。AはBちゃん(Bちゃんも憑依型で創作キャラの人格同士でいちゃつくこともあるらしい)と仲良くしていた。
「ひどい」「最近病むことばかり多すぎる」「関わっていきたい人とだけ繋がる新垢作ります」「なんでそんなことできるかな」
私と数人は切られた。私は若干心当たりがあったのでァ……と思ったが、なんだか私と数人がAに相当ひどいことをしたことになっているらしい。それは知らないな…??と思った。
私以外の数人は全く心当たりがなかったらしく、「気がついてないだけでなにか酷いことしたのかな……」と落ち込んでしまった。
Bに話を聞いたのだが、私を切りたくて新垢を作ったものの、「私さんだけを切ったら私さんが悪いことしたって分かっちゃうから、カモフラージュとして他の人も切った(?)」らしい。他の人たちは傷ついて落ち込んでましたけど???私のせいで切られたってなったら私とその人達の関係も悪くなるけど???そもそも何かしたっけ??
それは、彼女の創作世界の崩壊と、創作キャラが私に向けて怨嗟を吐くという内容のssだった。少しの間だったが、オタクになるまでハマっていたキャラクターに暴言を吐かれ、私はショックだった。さらにAの恋人のBから、長文のDMが来た。抜粋するとこうだ。
「あなたが裏垢でAの悪口を吐いていたから、Aが気にしてしまったみたいです。」「Aはただ謝ることを望んでいます。きっとそうです、寂しそうに見えるから。」
え〜〜…〜?????
寂しそうに見えるのはあなたの主観だし裏垢ってもしかしてしんどくなったときに作った二次創作オープン垢のこと……??
どうやら、Aは創作グループの友人のいいねから、私の垢の存在に気づいたらしかった。そこで「虐待ものの二次創作はしんどくて無理」と呟いていたものや、「一次より二次のが落ち着くよね〜〜今はそう」などと呟いていたものが、Aにとって攻撃だったらしい。
め、めんどくせ〜〜〜〜!!!
同じ授業を取っているから……と思って穏便に済ませようとも思ったが、面倒すぎた。まあ関わらずに上手くやればいいだろう……と思い、「すいません、私も今は心の整理がつかないのでAに会いに行けないです」とだけ告げ、謝罪要求を無視した。
結局、AとBとはそれで縁切りになり、共通の友人である創作グループのメンバーは「まあ私さんもやらかしたとこがあるかもしれんけど客観的に見たらそんなに悪くないし……」ということで私と友人関係を続けてくれている。というか、コメントしづらすぎて大体みんな触れられないといった趣である。
現在のAは何をしているのか、創作グループの人に聞いてみた。Bの裏垢曰く、
「通話で話をしたいものの、病みすぎて人格が色々でてきてしまって多重人格状態」「Aの兄から通話しないでと言われてしまった」
中学生の頃に一緒に帰ったりしてて、高校生になってから付き合い始めた同級生の彼女がいたんだけど、その子は高校3年生の時に亡くなったんだよね。
彼女の死を引きずって立ち直れず、なんてことはなく、その後も普通に毎日高校に行って大学受験を経て大学生になって、サークルワイワイやって、バイト先の女の子と付き合って、就活して、ゼミの仲間と旅行行って、社会人になって、共通の友人がいる女性と付き合って結婚して、子供が産まれてみたいな感じで生きてきた。
未だに彼女の事を思い出して涙が出る、なんてこともない。声も顔も忘れかけているので悲しい気持ちにすらならない。むしろ子供がいる身としては一人娘を失った彼女の親の立場から同情してしまうようになった。
ただ一つだけ引っかかるのが「高校生のまま死んだはずの彼女より大人になれた気がしない」ってことなんだよね。別に彼女が特段周りより大人っぽい子だったわけではなく、年相応の普通の女の子だったはず。
今の俺は30後半で、彼女の倍近く生きている。成人迎えて、大学卒業して、社会人経験が10年以上あって、結婚もして、子供も育てている。
高校生のままで死んでしまった彼女よりも確実に色々なことを経験して大人になってるはずなのに、あの時の彼女よりも大人になった気がしない。
まあええやろ大丈夫大丈夫wって言いながら不祥事になるようなことやる、責任感うんちな奴が無理。
未成年飲酒、悪質な交通違反、悪質商法、その他責任感のない言動...。大学生に多いイメージ。というか実際にたくさんいたし、勘弁してくれと感じることも多かった。
こういう連中は、まあ大丈夫でしょwって感じで、物事を深く考えずにヤバいゾーンへと突入していく。責任についても特に考えないため、非常に軽いノリで「責任は取る」と口にする。しかし、実際に問題が明るみに出て処罰される状況になったときに彼らが取る行動いえば、「どうしてこうなるの...」と落ち込むなり泣くなりするだけである。責任感のある行動は何もしない。
本人が勝手に自爆する分には別に構わないが、こういう連中が同じ団体やコミュニティに居る場合はもれなく自分にも火の粉がかかり己の身を滅ぼすことになる。それが嫌なので、そういう連中とはなるべく関わらないようにしている。
私はそれを理由に大学サークルをやめたが、特に被害を受ける前に辞められたので良かった。もし後悔があるとしたら、もっと早くに辞めておくか、そういう類いのサークルに入らなければよかったことだ。
幸福なことに、第一志望の会社に就職できることが決まったが、就職先の先輩方や同期はちゃんとしていることを願っている。
固い職種で世間に名の知れた会社なのでちゃんとした人ばかりだと思うのだが、同じ就職先に決まり向こうから近づいてきた知り合いが典型的な責任感無し大学生なので、早くも暗雲が立ち込めている。
無用なトラブルは避けたいので適当に受け流しているが、さっさと目を覚ますか、自分に火の粉がかからないうちに自爆してフェードアウトしてほしい。
合宿自体は行きたいが、手取り13万なんて家賃(東京の僻地)と学費でほぼ吹っ飛んでいる。
貯金はあるけど緊急用に残した生活費(3か月分)だ、病気でもしたら文字通りオシマイである。
だから2万は厳しいな~って友人(結構仲がいい)に言ったら「安くはないけど2万なら出せるのでは?」って感じでピンと来てないみたいだった。
自分の感覚がよくわからなくなってきたから聞きたいんだけど、大学生にとって2万って高い?安い?
仙台に長期出張している同期(A)と久しぶりに食事をした。酒が入ると彼は愛人が本当にできたと自慢話をはじめた。21歳の大学3年生だそうだ。写真もチラッとみせてくれたが、化粧が薄い地味目な感じの娘で、磨けば光るかもと思えた。
条件は、ほぼanond:20220220090026に書いた通り。2週間に1回のお泊りデート毎に8万円渡しているそうだ。彼女の親は、あまり裕福ではないらしく、学費は出してくれるが、仕送り(生活費)が少ない。彼女はバイトで生活費を補っていたのだが、理系の学部なので3年生から実習や実験が忙しくなり、バイト(飲食系)の時間も減って、サークルの合宿にも参加できず困っていたという。Fラン大学なので、家庭教師のバイトも決まらない。そんな時、バイト先の先輩(女)から勧められて、愛人クラブに登録したのだそうだ。
Aは初めから、勉強が忙しくて困っている学生をねらっており、思惑通りだという(さすがに甲乙契約書はやめて、メールで条件を交わした)。彼女からすると、2週間に1晩でよいところ、特にテストや実習で忙しい時期は、それを優先してよいとの条件がマッチしたそうだ(都度払いなので会えなければお金にならないが)。風俗でバイトすると、病気の心配や、身バレ、嫌な客に会うことも想像されるので、その点、この契約は安心感があるといわれたそうだ。彼女からは、Aが優良パパに見えているのだろう。
2週間に1晩というのは、Aにとっても体力(年齢)的に都合がよく、しっかり〇〇禁してからNNで夜2回戦、朝1回戦と楽しんでいるそうだ。風俗では時間内に回復できない場合があるが、お泊りなら余裕があって楽だという。
『親御さんが、もう少し生活費を出してあげればね』とAは笑っていた。
話を聞いている内に、自分も同じことをしてしまうのではないかという不安を感じた。
性的な興味ではなく、結婚して娘までいる男性への嫉妬が理由で愛人を作ってしまいそうだ。
自分もAと同じ48歳独身だが、愛人に手を出すのではなく、周囲に内緒で結婚相談所で婚活を始めている。しかしながら、今のところほぼ全滅。くじけそうになっている。
子供が欲しいので、33歳前後の女性に、見合いの申し込みをしているが、仮交際にも進まない。ちなみに婚活を始める前に、検査しており、十分子供が狙える質と濃度であることを確認済み。
年収だけはハイスペで、細マッチョ、身長176cmで、フサフサだ。プロフには書けないが、ローンなしで家も買えるし、子供の教育費も一人分だが準備済み(某サイトで全て国公立、大学卒業までの費用を計算。仕送り込み)。ついでに自分用の老後資金も確保した。年下の嫁さんよりは自分の方が先に死ぬので、さすがに専業主婦希望は受け入れられないが、この条件で何とかなるだろうと思っていた。
あと半年婚活してダメだったら、教育費(と考えている)を使ってAと同じことを始めてしまいそうだ。結婚出来て、娘までいる男性に対する僻みを、ほんの少しだけ和らげることができるかもしれない。女子大生の生活を助けて、勉強に集中できるようにしているのだから、これも一種の子育て、教育だよね。
苦労して育てて、大学まで進学させてやっている可愛い娘が、仕送りを渋ったばかりに、自分よりも年上男の精〇で汚されているなんて知ったら、父親は発狂だろうな。10年後に、怪文書と隠し撮りを送ってやったら面白そう。なんて考えてしまい自己嫌悪に陥っている。
誰か教えてくれ
自分は大学の専攻を決める時、最後の最後の最後まで西洋史学か商学か悩んだ。悩んだ末に商学にした。就活を恐れたからだ。西洋史学に進んだ先輩に連絡をした。就職先はどんな所があるのか。その人は学者志望だと言い、次いで西洋史学は他の専攻よりも就職先が少ないと聞いた。ビビった。次に商学に進んだ先輩に聞いた。やりたいことがあればそれを優先していいと思う。まあ、就職の時に夏目漱石を研究しました!って言うよりかはいいんじゃないかなと言われた。その言葉が決め手だった。
ブログを読んだ。19世紀スイスを専攻した人が就活に苦しむ内容だった。選ばなかった未来のようで怖かった。だけどどうだ?商学を選んで何かを得られたか?知り合いはみんな他学部で、サークルも入らずぽつぽつと単位を落とし、将来を不安に思う毎日を送ってないか?送ってるだろう。今年になってもオンラインが充実し、山奥まで通わなくて良い文学部を羨んでいるだろう。極端に史学じゃなくても良い塩梅の専攻があったんじゃないか?今学んでいることを胸を張って言えるほど自分のものにできてないのにこれで就活が有利になるのか?なってくれ。頼む。ガクチカなんて無いけどせめて真面目に登校してるこの苦しみが、オンラインにあぐらを書いている人達より1歩だけポジティブに働きますように。
そんなことしたら、そりゃそうなるよね
ってことをやって、実際にそうなってから騒ぎ出す
なんか大学の駄目なサークルみたいなことを会社でやってるの見ると、世の中知らない事って一杯あるんだなあって思う
視野が広がりましたわ(そうでも言わないとやってられない)
テレビもNHK以外基本禁止、漫画もなく、ポケモンも遊戯王もプレステもない家庭で育った。
親父の口癖は「テレビは毒」「俺は芸能人なんて一人も知らない」
平成初期生まれなので、自分が小中高のときはバラエティ全盛期。でも話に全くついていけず、「不思議ちゃん」扱いを受けた。仕方がない。SMAPも嵐もダウンタウンもとんねるずも知らなかったんだから。
毎日勉強しろと言われ、頑張っていたが、高得点を取っても褒められることはなかった。友達は上位50%でゲームソフトを買ってもらっていたのに、私のクリスマスプレゼントは毎年、欲しいとも言っていない本だった。
部活も無駄だから辞めろと言われたけれど、部活が唯一の居場所だったので、部活だけは続けた。正解だったと思う。
経済的には何故か余裕があったのか、海外旅行にはそれなりに行かせてもらった。周りからは良い家庭にみえていたんだろう。でも百万円以上かけて家族でヨーロッパへ行くより、5万で皆が持ってるゲームを買ってほしかった。iPodを買ってほしかった。週刊少年ジャンプを買ってほしかった。
別に海外旅行なんて大して行きたくなかった。中学受験だってしたくなかった。
意識高い系の親に育てられる息苦しさを知っているので、私は絶対に意識高い系とは結婚しないだろう。
「最低march」とか、馬鹿みたいだ。高卒で生きていける人なんて山ほどいるじゃないか。
小学生のとき、新宿の公園に連れていかれてホームレスの人を前にして「お前も勉強しないとこうなる」と言われた。
大人になって実家に戻ってみたら親がやってることと言えばスマホゲームかワイドショー見て政治家に文句言ってるだけ。学もない。
学がないから、インテリっぽいものを子供に浴びせ続ければ子供が幸せになるとでも思ってたんだろうか。
今考えたら馬鹿みたいだ。
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言っとくけどこれ思春期だけじゃなく大学一年になったときもだからね。こっちが入るサークルにまで口出してバイトはするなとかさ、頭おかしいんじゃない?
高校生まで勉強しろとしか言わなかった癖にせっかく自分でチャレンジしようと思った再受験は反対とか
人の人生なんだと思ってんだよ。クソつまんない十代二十代だったよ。一生引きずるよ。
大人になっても自分が少年時代に流行っていたことを何一つ知らない、なにも共感できない。
同世代でみんな聴いていた音楽も観ていたドラマも流行っていたゲームもやってない。
うちにあったのは意味の分からない知育系玩具と歴史漫画と科学雑誌。
あんたら、インテリでもなんでもない癖に、ふざけた教育してんなよ。
なんで子供にクリスマスプレゼントに買い与えるのは欲しくもない本なのに、自分たちが暇な時間やってることとはスマホゲームとワイドショー見て政治家に文句言う事なんだよ。
5月も半ば過ぎたあたりから毎年「あー、やばいやばいダイエットしなきゃ!露出も増えるし水着も着られない!」とか言って、自分のたるんだ腹や二の腕を鏡で見て焦りだす。
糖質制限だの16時間断食だの、続かないダイエット毎年やってなんの成果も得られず、それどころか無理なダイエットでリバウンドし、健康診断に毎回ひっかかては焦ってただただ歳を重ねていくお前ら。
そんなお前らでも出来そうな簡単なダイエット方法を教えてやる。
1.タンパク質を摂れ
タンパク質を摂れ、とにかく摂れ。日本人はタンパク質の摂取量が少なすぎるんだよ。筋肉や基礎代謝を落とさないためにも絶対に摂れ。
なんもわからんってヤツはタンパク質であれば、植物性でも動物性でもまず摂れ。コンビニのザバスとかで十分。あと摂るタイミングも教えてやる
・朝(朝食替わりでも可)
・昼食or夕食の30分前
食前に摂る理由としては、食後血糖値の上昇緩やかにするためだ。ドカ食いするってタイプは食べる30分前位にプロテイン飲め。多少ドカ食いも抑えられるしな、まぁ100kcal程度プロテインをプラスで飲んだところでお前の腹のでかたは大して変わらん。
2.カロリーを見ろ
「16時間断食しても痩せない」とか言ってるやつはカロリーを見ろ。消費カロリー>摂取カロリーはダイエットの真理なんだよ、そこを無視してお前の二の腕や顎のタプタプが無くなるわけねーだろ?
本当はPFCもしっかり管理した方がいいが、そんな事お前等に出来ないよな?
まず自炊はするな、カロリー制限ってのは「推測するな、計測せよ」が鉄則なんだよ、だからお前らが目分量で「身体に良さそうだからー」ってバカスカMCTオイルだのオリーブオイルだのかけるてるのはギルティだ。
お前らがしていい食事はカロリーの見えるものだけだ。コンビニ、スーパーに行って商品の裏面を見ろ。で、カロリーの書いてあるものだけを買え。できれば脂質が抑えてある方がいい。
そうすると1日の自分が摂るカロリーが大体わかる。あとはそこから200〜300kcalを減らした食事にすればいい。何度も言うが、脂質は抑えろ。脂質が無いならスイーツを食べてもいい、脂質がほとんど無い和菓子がオススメだ。例外として、カロリー表記が無いものとして寿司はある程度ならオッケーだ。フィッシュオイルは身体に良いからな、日本人に生まれて良かったわ。
3.歩け
歩け、とにかく歩け、毎日歩け
「ランニングの方が汗もかくし沢山動くから効果ありそう」って思ったそこのお前。数年前に職場のランニングサークルに誘われて買ったランニングウェア一式はどうした?三日坊主で終わったよな?
そんなお前でもウォーキングならできるぞ、だから安心してそのランニングウェア一式今すぐ捨てるかメルカリに出品するんだ。
当たり前だけど忘れがちな事をお前らに教えてやると、ウォーキングでもカロリー消費できるんだぞ、どうだすごいだろ?大人が1時間も歩けば200kcal位消費する。1日1時間ちょい歩けば1ヶ月で1キロ位は痩せられるはずだ。1時間なんて通勤や買い物プラス、ちょっとした散歩でクリアできる。
たった1キロかよ、と思ったそこのお前の。そのたった1キロも落とせないショボいヤツが今のお前だ、ちゃんと自覚しろよ。
ウォーキングは運動習慣が無くても、金もかからず意識せずに続けられる最強のダイエットメソッドだからな、お前らは歩ける事に感謝しろよ。
個人的にはウォーキングよりウェイトトレーニングの方が効果が高いと思ってるが、ダイエットと筋トレを別物だと忌避するヤツが多いから説明はやめといてやるわ。
今挙げた3つは簡単だけど、継続しないと意味ないからな。逆にこれが継続して出来るヤツなら、多少リバウンドしたりしても元に戻すのは容易だから心配はいらんぞ。
https://twitter.com/hatpinwoman/status/1646852069175820289
・DV被害や性的暴力の被害女性が、女性のみの心的外傷のグループセラピーを望むこと
・女性が「シス」「女性器のある身体」「出産可能な人」という呼称を拒否すること
・女性受刑者と男性受刑者、特に性犯罪で有罪になった男性が、同じ監房で服役させられることに異議を唱えること
・レズビアンのサークルに紛れ込んで肉体関係を持とうとする男性を拒絶すること
・デトランジション(訳注:性別移行医療を受けた後に元の性別に戻ること)経験者が自らの経験を語ること
・全般的な安全について、そして先進的な治療について、子供与える影響を懸念すること
・女性がオートガイネフィリア(訳注:ググって下さい)について話すこと
最近の「クリエイターと作品は別」という風潮に違和感を覚えているのでぶち撒ける。作品だけじゃなくてクリエイターも守らなきゃならんだろ、と。
Aはサークルでも頭一つ、いや二つも三つも抜きん出ていたが、ツイッターでもPIXIVでもどんどんフォロワー数は増えていった。
だからAが就活をせず、イラストレーターとして食べると宣言した時は誰も心配や反対なんてせず、むしろ当然だと思った。
卒業後もTwitterで常時繋がってたが、同人誌即売会がリアルの同窓会になり、会うたびにAの絵の上達や仕事を讃えた。
夏になっても毎年恒例の新刊案内も出さず、もちろん当日スペースに行っても誰も座っていない。
失踪したのだ。
でも、俺はこの時大して心配していなかった。
おおかたAのことだからどこかの企業から声がかかって商業作品に関わっているだけだろうと思った。
そういう話をAに会った時に聞いていたからだ。
でもその年の冬、翌年の夏も、Aは申し込みすらしなかったようでどこにも見つけられなかった。
さすがにこの頃には心配になったが、俺にも仕事があるからプライベートでAを探すなんてことはしなかった。
ある日、元サークル仲間のBとfpsをしていた時、突然Aのことを思い出して「そういえばAって今なにしてるの」とVCで聞いてみた。すると、Bは
「…………は?」
詳しく聞いてみると
・来なかった夏の直前に飲食店に強盗に入った(新刊の印刷代を稼ぐためじゃないかとBは言っていた)
・Aは実刑になった
・今も刑務所にいる
・どこの刑務所かは知らない
ということだった。
ここ数年漫画家とかイラストレーターが逮捕されるたびにAを思い出して胸が締めつけられる。
Aは捕まらなかったら今頃何かのゲームを任され人気のイラストレーターになっていたのは間違いない。
きっと何万、何十万人の人に感動を与えて救っていただろうと思う。
そんな才能を刑務所に送ることが本当に社会の利益になるのだろうか。
昔の文豪や芸術家には今だったら捕まってるようなエピソードが多くある。
それでも彼らは捕まらなかったからこそ、歴史に残る作品を送り出し、今なお世界中の人々を感動させ続けている。
創作の無限の可能性に賭けることこそクリエイターを尊敬し文化を守る社会ではないのか。
昨今、クリエイターが不祥事を起こすたびに仕事を下したり自粛させたりするキャンセルカルチャーが問題になっている。
無論、不祥事がどのようなものであれ、キャンセルは単なる文化破壊であり、絶対に許してはならない。作品には何の罪もない。
キャンセルを推進してる連中の取り締まりは国家の安全保障上何よりも喫緊の課題であると思う。
しかし、俺はクリエイター側に立つ人間がクリエイターを背中から撃っていることを憂慮している。
彼らはいう。「作品に罪はない。でも犯罪は犯罪だから罰されないといけない」と。
このような意見は作品を産み出しているのはクリエイターであるという至極当然のことを理解していない。
当たり前だが、逮捕されたり刑務所に入れられたりすれば物理的に創作が邪魔される。
そして、クリエイターの側に賭けることこそ、クリエイターを尊重するということではないのだろうか。
それは、つねにおもいがけない可能性に対して開かれた態度であり、慣習的な物事の結びつきを超えてあらゆる未来を否定せず、支配と被支配の天地すらもあいまいに塗りかえる。そうした状態に政治性を求めるのならば、こういいかえてもいい。NTRとは革命である、と。
NTRの宿る瞳は風景を革命する。たとえば、あなたは都会とも田舎ともいいづらい、郊外の住宅地に住んでいて、そこにしゃれたパン屋さんが建っているとする。味はそこそこで、町のなかでさえ注目度は低い。あなたはその店へ日常的に通い、品揃えと定休日を完璧に把握し、なんとなれば五回に一回は店主が声をかけて二言三言挨拶をかわす。ちゅうくらいな好ましさがある。
ある休日、幸福な遅起きをしたあなたはその店に向かう。しかし閉まっている。開店時間は過ぎているし、定休日でもないのに。店の扉に張り紙がしてある。「Aデパート地下街新春スイーツフェア出店のため、誠に勝手ながら、〇日~×日はお休みさせていただきます」。
世界がすうっと冷えて遠のいていく。
そのデパートは毎日百万人が乗り降りするような規模の駅の前にそびえている。
そこに行くと、よく見知ったパンが知らない装いで売られており、おそらくあなたが手をふったとしても、他人のふりで無視されてしまう。三百円の買い物ごとにスタンプを捺してもらっているあなたのカードも、存在しないものとされるだろう。
もうあのひとかみごとに皮が崩れ散るクロワッサンも、あの固くなった餅のような生地のベーコンピタも、もうその手には届かない。あの店は二度ともどってこないではないか。そんな感覚にあなたは襲われる。
開期が終わると、パン屋はもどってくる。以前の顔のまま、あなたのとなりに、なにひとつ変わっていないかのように。
だが、変わってしまったのだ。なにかが決定的に以前とは違うのだ。
営業再開初日の朝一番にあなたはその店を訪れる。柔和な顔立ちの店長が、変わらぬ笑顔で「焼きたてですよ」といいながら、あんパンを棚にならべる。あなたは礼儀正しく待ったあと、ひとつをトングでつかみ、瓶入りの牛乳といっしょにレジに出す。
あなたが知っているかはわからないが、あんパンはパンのなかでもっとも官能的なパンだ。NTRを体現している。それはおはぎと逆の極にある存在だ。おはぎで餅米を包んでいたオラオラ系のあんこが、西洋の象徴であるパンと出会ったとたん、しずしずと包まれるに甘んじている。 あなたはあんことパンを咀嚼しながら、自分が今、寝取っていると同時に寝取られているような、ふしぎな感覚を味わう。それこそがNTRの奥義だ。シナイ山でモーセはふたつの神の名を与えられた。ひとつはYHMH。もうひとつはNTR。発音できないことはそれ自体神聖さの証だった。
能動と受動ーー寝取りも寝取られもNTRというひとつの言葉に封じられている。わたしたちはそうした矛盾を孕んだ言葉を何の違和感ももたずに使っている。どちらでもあり、どちらもない状態こそが自然なのだ。そうした状態を自然にすることで、わたしたちは今ある景色を転覆できる。
NTRという言葉の両義性に想いを馳せるとき、わたしは菅井の顔を思い出す。
九十年代の善き日々に、わたしはフリーランスでいわゆるNTRビデオレターのディレクターをやっていて、彼はそのプロデューサーのようなポジションで助監督的な雑用からポストプロダクションまでを一手に引き受けていた。
あの時代を知らない子どもたちには、NTRビデオレターをヤラセだと思っているものも多いと聞く。たしかにそうした側面があったのは否定できない。特に大手の制作会社がAVのついでに量産しているようなものは、最初から商業的な流通を折り込んで、俳優を雇って制作されていた。
だが、わたしのいた現場はみな本物で真剣だった。寝取るほうには寝取るものの矜持があり、寝取られるほうには寝取られるものの葛藤があり、そしてかれらを撮るわれわれはそうした昏い機微、愛の真理といってもいい、そのさざなみのような感情を、一コマも撮り逃すまいという気概があった。誰もが真剣に傷つけあっていた。
独立系の低予算のチームである。撮ってくれと頼むのも、大手に発注できないような貧乏な若者ばかりだ。ビデオレターを撮って、送りつけたい。その情熱が何よりの対価だった。
菅井もそんな情熱しか財産を持たない若者のひとりだった。彼と出会ったのは大学のあるサークルの飲み会のことだ。三次会だったか四次会だったかを先輩の家に転がり込んでおっぱじめ、みなひとしくへべれけになったノリで、先輩が「おもしろいものがある」とVHSテープを取り出した。
それは当時話題になっていたNTRビデオレターで、メーセッジを収録している最中に寝取られる女性(四十代の主婦という触れ込みだった)が感極まって泣き出し、泣くのはよくあることだったが、その上にすさまじい量のゲロをぶちまけて寝取り役も撮影スタッフも大騒ぎ、という内容だった。要はネタビデオである。皆視聴済みの有名作で、先輩もそのことをわかっていたはずだけれど、みな初めて観る体で盛り上がった。
そして、例のゲロの場面が来ると、みんなで爆笑した。わたしも笑った。下に見る笑いだった。そうした笑いを仲間内で共有することが結束である、と信じていた。
だが、菅井はそうでなかった。
それまで部屋の片隅でちびちびキリンなどをやっていたのがいきなり、「笑うな!」と叫んだときは、おどけた反語的表現なのかなと思っていたが、先輩にくってかかるに及んで本気だとわかった。
押し倒された先輩の顔に浮かんでいたのは暴力を振るわれた怒りではなく、驚きと困惑だった。わたしたちも止めるでもなく、ただひたすら唖然としていた。先輩もわたしたちも、NTRビデオレターに対して真剣になる人間がこの世に存在するなどとは思わなかったのだ。 菅井は酔っ払いすぎだとして家に帰され、後日、酒の席のことと暴行は不問にされた。菅井はサークルで、なんとなくアンタッチャブルな存在になった。
サークルの他の人間たちとは逆に、わたしは菅井に興味を抱いた。
当時のわたしはNTRビデオレターの大半をヤラセだと考えていた。そうした作り物にたいして、あそこまで入れ込める人間がいるというのは不思議というより驚異だった。
菅井はふだんから近づきがたいオーラを発している類いの一匹狼だったが、こちらから話しかけると意外に愛想良く応じてくれた。
彼のNTRビデオレターについて該博な知識を持っていた。その歴史からジャンル、ゲームチェンジャーとなった名作の存在、業界構造まで、事細かに、しかも大変おもしろく教えてくれた。良い教師だった。
あるとき、彼の部屋でふたりだけで宅飲みをしていたとき、わたしは彼に訊ねた。「どうしてNTRビデオレターにそんなに興味を抱いているのか?」
菅井は、酒気に染まった赤ら顔しばらくゆらゆらさせたのち、立ち上がり、押し入れからひとつのVHSテープを取り出した。
部屋の明かりを消し、無言のままビデオデッキにそのテープを挿入する。あまり上等とはいえない画質に、ベッドに座った二人の裸の男女が浮かび上がる。男のほうは下腹が出ていて、若いようにも中年のようにも見える。女のほうは透き通った印象の美人だった。
男のほうがピースをしながら口上を述べる。さしてオリジナリティのない、平坦なセリフだった。菅井はその口上にかぶせるように、ぼつぼつと、VHSテープの来歴を語りはじめた。
ビデオに映っている女のほうは菅井の伯母であるという。知的でやさしくて、幼心に憧れの存在だった。伯母夫婦には子どもこそいなかったものの、傍目から見れば、仲睦まじく、理想の夫婦といった趣に見えた。夫婦で菅井をかわいがってくれ、週末にはよく遊びに連れて行ってもらったそうだ。
その伯母が急な病で若くして亡くなった。菅井が高校生のころだ。意気消沈する伯父を励ますために、菅井は伯父の家をたびたび訪問して話し相手になったやった。
しかし、伯父は一方的に話す菅井に黙って相づちを打つだけだった。菅井が三人で出かけた思い出を語らおうと、アルバムの場所を聞くと、伯父は「焼いた」といった。そこで菅井は初めて、家の中から在りし日の伯母の写真という写真が消失しているのに気づいた。
菅井はそのことを問い詰めようとしたが、伯父の返答は要領を得ず、ついには泣き出してしまった。
菅井は長らく伯母について伯父の前で触れずにいた。だが、大学進学が決まって伯父の家に挨拶へ行った日、めずらしく伯父が上機嫌で出迎えてくれた。自分から菅井にいろいろ話しかけてきた。流れで伯母の話題にもおよび、ひさしぶりに伯母の思い出について深く二人で語り合った。良い時間だった、と菅井はいう。
微笑みながらも目頭を熱くしていた伯父は、ふと思いついたように席を立って、どこかからかVHSテープを持ち出してきた。なにそれは、と菅井が訊ねると、伯母の映っている唯一のビデオだという。
そして、菅井と伯父はそれを観た。ふたりとも、ひとことも喋らなかった。
伯父の訃報を聞いたのは、菅井が大学の下宿へ引っ越した直後だった。自殺だった。
わたしたちの観ているビデオレターは山場にさしかかっていた。VHSと自らの由来を語り終えた、菅井の横顔はブラウン管の青い光にぼうっと照らされ、かそけく浮かび上がっている。画面を凝視している。そこにあるのが歓びなのか、哀しみなのか、あるいはまた別のなにかなのか、推し量ることはできない。