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2024-11-02

80年代以前(1989年まで)で最も重要コンピュータゲーム10

○選シリーズも下火になってきたところで投下するよ。


元ネタ1:

https://anond.hatelabo.jp/20241012181121

元ネタ2:

https://anond.hatelabo.jp/20241026213447


最初ファミコンだけで10選を作ろうとしたけど、方針を変えた。なぜならファミコンの初期にはアーケードから移植作が多く、それらはどちらかというとアーケード作品として評価すべきだからだ。

ついでに他のハードも含めて、同時代コンピュータゲームすべての中から選出することにした。なおシリーズ物は一作のみとする。ゲーム史のカンブリア紀におけるレジェンド級の作品を見て行こう。


ポン(1972年/アタリ/アーケード

アメリカアタリ社が開発し、世界で初めて商業的に大ヒットをしたゲームコンピュータゲームが一大産業として成立する道を開拓し、これをきっかけとしてアメリカアタリ時代が花開くことになる。

日本では翌年にタイトーセガがポンのコピー品を作り、これが日本初のゲームとなった。


ブレイクアウト1976年/アタリ/アーケード

アタリのヒット作第二弾。いわゆるブロック崩し。これのリメイク版にあたるのがアルカノイドで、現代に至るまで古典的ゲームの一つとして知られている。

日本ではタイトーナムコ正規ライセンスを持って生産していたが、それ以外にも日本の多数のメーカーがこれを模倣したようなゲームを作り、のちに日本ゲーム産業が花開くきっかけとなった。

いまでは有名なメーカーが、正規ライセンスもなしにコピー品を作っていたという、大らかな時代でもあった。後にタイトーが、これをもとにスペースインベーダーを作ることになる。


スペースインベーダー1978年/タイトー/アーケード

初の日本メーカーによるオリジナルの大ヒット作であり、日本で初めて社会現象を巻き起こしたゲーム。それまでゲームに縁のなかった日本お茶の間にまで、コンピュータゲームを知らしめた作品

日本アーケード史上最大のヒット作といわれ、喫茶店スナックテーブルがこのゲームテーブル型筐体に置き換えられるほどだったという。

数が減るごとに動きが速くなる敵、敵がこちらを攻撃してくる緊張感、たまに出現して撃ち落とすとボーナスの入るUFOなどアドレナリンの分泌を促す仕掛けが満載で、ゲーム面白さの本質が詰まっている。


ゲーム&ウオッチシリーズ1980年/任天堂/ゲーム&ウオッチ)

単独ゲームソフトではないが、シリーズまとめてランクインとする。

初の大ヒットした携帯ゲーム機で、特に低年齢層を中心に爆発的にヒットした。当時のゲームセンターは不良の溜まり場で子供には出入りしにくく、据え置きの家庭用ゲーム機もあったが値段が高く、

そんな中で比較的安く買えてどこでも手軽に遊べるゲーム&ウオッチは子供向けのゲーム機としてうってつけであった。

横井軍平代表作の一つであり、シャープ提携して電卓技術で作られた玩具。この横井軍平シャープのタッグは、のちにゲームボーイを生み出すことになる。


パックマン1980年/ナムコ/アーケード

ナムコの躍進のきっかけとなった作品にして、日本アーケードの大ヒット作第二弾。

敵の種類ごとに異なる思考アルゴリズム、敵との強弱関係を逆転させるパワーエサ、緊張を緩めるコーヒーブレイクなどゲームを飽きさせない工夫が随所に施され、その工夫の数々は多くのクリエイターに影響を与えた。

日本のみならずアメリカでも大ヒットを飛ばし日本ゲーム世界通用することを知らしめた。80年代ゲームの中心地がアメリカから日本に移っていく、その象徴となる作品


ウィザードリィ1981年/サーテック/Apple II

ウルティマとどっちを選ぼうか迷ったが、こちらを選択

ウルティマと共に、すべてのコンピュータRPGの始祖と言っていい作品。もともと机上で行われていたTRPGであるD&Dコンピュータ上に移植するというアプローチで生まれた、他のゲームとはだいぶ出自の異なる作品

ゲームシステムの多くはD&Dに由来しているが、移動画面と戦闘画面の切り替えによって進めるゲーム進行、コマンドを選ぶことで進める戦闘システムなどコンピュータRPG基本的システムが完成されており、

ウルティマと共に、後のドラクエFFに大きな影響を与えた。堀井雄二坂口博信もこのゲームをやり込んだという。


ゼビウス1983年/ナムコ/アーケード

スペースインベーダーギャラガと続くシューティングゲーム系譜を完成させた作品。初めて隠れキャラ採用した作品として知られ、ゲームにおける「隠し要素」の祖ともいえる。

グレーのグラデーションで描かれた光沢のある敵のデザイン航空写真のような森、海、道の風景は、真っ黒な背景に簡素グラフィックゲームが多かった時代に圧倒的なクオリティを誇っていた。

何度でも繰り返し遊びたくなる仕掛け、背景の物語神秘性と相まって、多くの人を熱狂させた。


スーパーマリオブラザーズ1985年/任天堂/ファミコン

説明不要宮本茂の生み出したゲーム黎明期最高傑作の一つである

その画期性はググればいくらでも出てくるのだが、改めて分析しても同時代の中で突出した存在である

どこまでも広がる世界解放感、至るところに隠されたアイテムボーナスステージ、操作に習熟するごとに感じられる上達の喜び、初心者が楽しみながら悔しがりながら上達できるレベルデザイン

どこを取ってもオーパーツのようなゲームであり、いまだにゲーム古典的教科書の一つである

アーケードから移植作が多かった時代に、この作品は「ファミコンしか遊べない大ヒット作」であり、これ以降ゲームの主戦場アーケードから家庭内に移ることになる。(ゲームセンターに風営法適用されたことも影響している。)


ドラゴンクエスト1986年/エニックス/ファミコン

ウィザードリィウルティマを元に、日本人にはとっつきにくかったRPG日本人向けに大幅にアレンジして生まれ作品

これ以前にも日本メーカーからRPGはいくらか出されていたが、ドラクエの爆発的ヒットを元に、日本独自RPG=JRPG市場開拓されることになる。

とっつきにくい要素を排除するために、元のTRPGにあったリアリティを大きく削ぎ落したりしているため、当時のTRPG界隈などから批判も受けたようであるが、そうでもしなければこのゲーム国民作品になることはなかっただろう。

反面、そのあまりにも日本向けに特化しすぎたアレンジが仇となり、海外展開にはあまり成功していない。

ドラクエが生み出した(時におかしな)JRPGの「定番」「お約束」は数知れない。その影響はゲームだけに留まらず、西洋ファンタジーを題材とした漫画ラノベ等にもおよび、今日に至るまでその影響を与え続けている。


ゼルダの伝説1986年/任天堂/ディスクシステム

宮本茂最高傑作第二弾。スーパーマリオとはまた違った方向性世界の広さを表現した、知恵と工夫と探索のゲーム

このシリーズは極めて神がかったバランスの上に成り立っており、簡単模倣できる作品ではないため、直接のフォロワーとなる作品はあまり現れてはいない。

しかゼルダシリーズの魂とでも呼ぶべき、閃きと発見の楽しさは形を変えて多くのゲームに受け継がれている。それはダンジョンの中のちょっとしたパズルや謎解きだったり、アイテムの入手によって切り拓く道だったりするだろう。

近年のインディーズ市場において、ゼルダシリーズから影響を受けたようなゲームが多数見られることからもその影響力の大きさが伺える。



◆◆◆


以降は選外となった作品


Tennis for Two1958年/ブルックヘブン国立研究所/非売品)

世界初のコンピュータゲームと呼ばれるものの一つ。オシロスコープアナログ機器で作られたゲームであり、正確にはコンピュータゲームと言えるのかも分からない。

研究所見学者に大評判だったが、その後忘れ去られ、後のゲームには影響を与えていないという。時代を先取りしすぎた作品


平安京エイリアン1979年/東京大学理論科学グループ/アーケード

学生サークルが開発し、商業的に成功した作品。いわば同人ゲーム草分けのようなものである点に着目したい。アマチュアが作ったゲームで初めてヒットした作品といっていいのではないか


ローグ(1980年/マイケル・トイ, グレン・ウィックマン/Unix

ローグライクと呼ばれるジャンルの始祖となった作品D&Dから影響を受けて作られた探索ゲームであり、実はウィザードリィウルティマよりも古く、最古のコンピュータRPGの一つに数えてもいいかもしれない。


ウルティマ1981年/リチャード・ギャリオット/Apple II 他)

コンピュータRPGの始祖の一つで、ウィザードリィと共に後のドラクエFFに大きな影響を与えた。2D見下ろし型のフィールドマップは、このゲーム元祖である


ドンキーコング1981年/任天堂/アーケード

正直10選に入れたかったが、宮本茂多すぎやろと思って外すことにした。

宮本茂の初のヒット作にして、後に世界的大スターとなるマリオデビュー作。コンパクトな画面に詰め込まれジャンプアクションで、後のスーパーマリオにつながるようなアイディアが、すでに多数詰め込まれている。


ポートピア連続殺人事件1983年/エニックス/PC-6001/mkII)

テキストアドベンチャーの傑作で、堀井雄二の原点。原作PC版だが、どちらかというとファミコン版の方に着目したい。

コマンドを選んで進めるというファミコン版のスタイルドラクエの原点ともいえ、このゲームの開発で得た知見はドラクエの開発に大いに影響したことだろう。


テトリス1984年/アレクセイ・パジトノフ/Electronika 60)

最も知られているのはゲームボーイ版だが、最初に作ったのは旧ソ連科学である

ゲームボーイ版の方は「ゲームボーイ史上、もっと重要ゲーム10選」に選出されているのでこちらはあえて原作をチョイス。純粋パズルでこれだけ人を没頭させるものは他にないだろう。


三國志1985年/光栄/PC-88他)

光栄歴史シミュレーションゲーム。この2年前に「信長の野望」が発売されており、歴史シミュレーションゲームとして最初にヒットしたのはそちらであるが、俺は三國志の方を評価したい。

これは歴史のifを楽しむゲームであり、人材登用のシステムによって史実では敵だった人物を部下にするなどして、夢のドリームチームを組むという楽しみ方ができる。

歴史を題材としたゲームでありながら歴史を大胆に改変してもいいという発想が大きな魅力につながり、こうした発想は現在歴史物のゲームにも影響を与えている。


ハングオン1985年/セガ/アーケード

世界初の体感ゲームにして、セガ体感ゲームシリーズ第一弾。バイク型の筐体にまたがり、身体を傾けて操作するバイクレースゲーム

ゲームの主戦場アーケードからファミコンに移る中で、そのアーケードしか実現不可能臨場感が注目された。こうした大規模なギミックは、後にアーケード復権する鍵の一つとなる。


ザナドゥ1985年/日本ファルコム/PC-88他)

ドラクエ以前の日本RPGで大きくヒットした作品日本PCゲームで最も売れた作品とされ、ファミコンともアーケードとも異なるPCゲーム市場を先導した。


悪魔城ドラキュラ1986年/コナミ/ディスクシステム

コナミ代表するシリーズの一つとなった作品任天堂メトロイドと合わせ、メトロイドヴァニアと呼ばれるジャンル形成フォロワーが多数現れている影響力を評価したい。


アウトラン1986年/セガ/アーケード

セガ体感ゲームシリーズの一つで、リアル系ドライブゲーム元祖。車を運転すること自体の楽しさに焦点を当てたゲームで、ドライブの楽しさが存分に盛り込まれている。


ファイナルファンタジー1987年/スクウェア/ファミコン

スクウェア本領が発揮されるのは90年代だと思うのでここに入れるかも迷ったが、初代が売れなければスクウェアが潰れていた、という点で重要作品



80年代末期は、シリーズ物の二作目、三作目がヒットの中心であるため、ここまでとする。

PCエンジンやメガドライブからも選出したかったが、ここに挙げたものに並べる作品がなかった。

2024-10-31

anond:20241030214134

エリート層のインナーサークルで上手く立ち回れるってくらいじゃないと価値ない

 ← だとしたら、ほとんどの英米人らは価値ないってことか

2024-10-30

anond:20241030013848

英語などの主要外国語バリバリにできれば特に問題は無いと思うぞ。

外国語バリバリにできる」って、単に流暢に喋ったり書いたりできるってだけじゃダメで、その国の文化に入り込んでネイティブエリート層のインナーサークルで上手く立ち回れるってくらいじゃないと価値ないけど、それは日本人ではほぼ不可能なんだよな。

弱者男性やってた頃の恋愛

この日記タイトルは、少し前にTwitter話題になった「はてな匿名ダイアリーから頂いたものである

https://anond.hatelabo.jp/20241021131553

なぜこの日記話題になったかというと、内容が「嘘くさい」、「弱者男性を装った女が書いたに違いない」と多くの人が感じたからで、いわゆる炎上に近い形でTwitter上で議論が白熱した。

私も当該日記をよく読んでみたのだが、確かに女性が書いた」ということもさもありなんといった印象だった。というのも、自分自身過去は「弱者男性」であったが、色々と経験を積み、今は結婚もできているというステータスで、まさにタイトル当事者であったからだ。

そこで、(元の日記の真偽はさておき)タイトル当事者自覚している筆者が、「弱者男性としての恋愛観」を綴ってみるとどんな感じの文章になるのかやってみた、というのがこの日記目的である。この日記たまたま見つけてくださった皆さんも、ちょっとした実験に付き合うつもりで読んでいただけると幸いである。

~1.なぜモテなかったか?~

そもそも弱者男性」は最近出てきたネットスラングで、色々と定義があるだろうが、ここではめんどくさい話に踏み込まず、弱者男性を単純に「モテない男性」、いわゆる「恋愛市場における弱者」と定義することとする。

自分はその意味で、過去バリバリ弱者男性であり、ともかくモテなかった。詳しいことは後述するのだが、高校卒業まで女子と話したことほとんどなく、当然彼女が出来たり、バレンタインチョコをもらったりなんてことは経験したことがなかった。

自分なりにモテなかった理由分析してみると、至極単純な2つのことに集約される。

 ①顔が悪い

 ②女子とどんな話をしたらいいかからない

①に関して、やはり顔が悪いのは大きかったと思う。恋愛において「顔」の良し悪しは世間で言われているよりもずっとずっと重要な要因だと感じる。イケメンに生まれていたら、恋愛における立ち回りも大きく違っていただろう。ただ、このことをうだうだ言っても仕方がないので、次に行くとしよう。

②に関しては自分家庭内環境が大きかったと思う。自分家族構成は、父母、自分と弟の4人家族で、家庭内母親を除くと男しかいない。なので、昔は女子普段どんなことを考えて生活しているか、どんなことが好きなのか、全くわからなかった(実は今でもよくわかっていない)。これは女子恋愛していくうえで、大きなハンデだったと感じる。

~2.幼少期を振り返る(小学生から高校生まで)~

前述のように、男兄弟で育ち女子が何を考えているか全く分からない自分は、モテモテない以前に「女友達」というものすら全く作れずに育った。

小学生の頃に自分が好きだったものと言えば、ドラクエガンプラカードゲームなどであり(あまり特定すると年がバレそう)、友達になるきっかけとして、「あのゲーム好き?」「君もガンダム好きなの?」みたいなアプローチ法は知っていたが、逆に言うとそれ以外の術を全く知らなかった。よって、必然的女子とどんな話をすればいいかからず、全く女子と話さな学校生活をつづけた。

小学校のころまではそれでも特にストレスを感じずに来られていたが、中学に上がるとそうもいかなかった。自分思春期真っ只中になって女子への関心と性欲が出てきたし、何よりもクラスの中の会話がほぼ恋バナになり、「誰と誰がやった/やらない」という噂が飛び交うようになっていた。

そんな中で自分は相変わらず女子と話す方法が分からずにいたので、どんどん自信がなくなり卑屈になっていった。そのオドオドした態度が女子にも伝わっていたのか、徐々に女子から嫌われているのを感じるようになり、覚えているのは、罰ゲーム女子が「自分握手する」というのをやっていたことだ(まあこれくらいは弱者男性あるあるだよね)。

さらに、この頃から女子に対するヘイトも強まっていった。上記のようなひどい扱いをされたこともあるのだが、それ以上に、自分が行っていた中学はいわゆる「スクールカースト」が強くあり、「ヤンキーしか女子と話せない空気感」が強くあった。このころ女子と話したことがないので噂の情報しかないのだが、どうやら「クラス可愛い子がヤンキーと付き合ってひどい目にあったらしい」みたいな情報だけはたくさん入ってきた。そのことから、「女子ヤンキーしか好きにならない」=「女子バカだ」という考えが自分の中で熟成されていった。

しかし、なんせ思春期真っ只中なので(というか男の生理として)、女子にはめちゃくちゃ関心があったし、性欲も人一倍強かった。よって、「女子は嫌いだけど、女体には(死ぬほど)触れたい」という思春期ベタ感情を抱いて悶々とした日々を送っていた。

そんなこんなで中学生活を過ごしていたが、高校進学のタイミング希望の共学の高校に落ちて、不本意ながら男子校に通うことになった。

高校では当然学校内に男子しかいないので、中学時代のような自己矛盾からくるストレスは減っていったが、女子と話す経験恋愛する経験は一向に積まれないまま、18歳を迎えた。

~3.人生の転機(大学時代)~

高校生活特に楽しいこともつらいこともなく、学校に行って帰るだけの生活で、よく言えば非常に穏やかな日々だった。ただ、3年次の受験勉強だけはそこそこ頑張って、何とか第一志望群の大学合格できた。

自分が行っていた大学はいわゆる私立文系マンモス大学で、当然可愛い女子もたくさんいた。中学時代女子ヘイトを経て、高校三年間男子校という監獄に閉じ込められた自分には刺激が強すぎる環境だった。しか女子と話す経験値が致命的に足りていないので、入学後の3か月くらいは、昔と同じで女子を遠ざけるような生活を送っていた。

転機となったのは、英語クラス好きな人ができたこである(思えば初恋だったかもしれない)。その時、男友達はそこそこ出来ていたので、親切にも色んな人が恋愛テクを教えてくれた。どうやらメール(その時にLINEはなかった、また年がバレそう)をこまめにやって、頃合いを見て二人でご飯に誘うのがいい、という今考えれば当たり前の恋愛プロセスもその時はじめて知った。

またその友達が他の女子自分を繋いでくれて、恋愛相談をするという形で、女友達を何人か作ることができた。この頃には、「女子とどんな話をすればいいか」がなんとなくわかるようになっていた。

ただ、肝心な好きになった子とは全くうまくいかず、それもそのはずで、その子には既に彼氏がいて分かれる気配もなかった。しか恋愛というものを全く分かっていなかった自分は「彼氏がいても好きなら諦めないのが純愛だろ!」などと痛いことを考えていて、ちょこちょことアプローチを続けていた。

AKB歌詞みたいだね。好きって気持ち大事なんだーって。さすが秋元康童貞気持ちをよくわかっている)

ただまあ当然うまくいくわけもなく、早まって告白をし、あえなく振られた。そんな感じで傷心状態が1~2か月続いたが、そのタイミングで同じサークルのある女の子と仲良くなった。

の子は正直言ってあまりタイプではなかったが、傷心を癒してくれたし、何よりなんだか付き合えそうな雰囲気があった。そこでやりたい気持ち半分、癒してほしい気持ち半分でなし崩し的に告白をして付き合うことになった。

から振り返って思うのは、やはりn=1でも女子と付き合ったことがあるかないかはとても重要で、一人の女性からでもその生態を深く知ることができた。

男と女は別の生き物なんてよく言ったものだ)

そこからの話はあまり面白くないので詳細は省くが、人並みに大学生らしい恋愛をした後、別れたりくっついたりして、やがてそれも終わり、その後新しい彼女が出来たりして…といった感じで、徐々に「弱者男性」だった自分は薄まっていった。

~4.「弱者男性だった頃の恋愛観」と今~

ここで、弱者男性だった頃の、下手で、精神的に未熟で、痛くて、という恋愛観を経て、今思うことを綴ってみる。

まず、弱者男性になるきっかけは、ほとんどの場合先天的ものと家庭環境だとおもう。冒頭にも述べたが、イケメンに生まれ弱者男性になる人は少ないだろう。あとこれも経験則でしかないが、家庭内に女兄弟がいたら弱者男性になる確率はぐっと低くなるだろう。

次に、弱者男性から抜け出す方法は、月並みだが女子と接する「経験」をともかくつむしかない。なので、今自分弱者男性である自覚していて、かつそこから抜け出したいと思っている人は、勇気をもって踏み出してみるしかない。当然傷つくことも多いし、自信を無くすかもしれないが、多くの男性がそれを乗り越えて幸せをつかんでいるのだ。こんなことを書くと精神論になって胡散臭いセミナーみたいなので、最後に具体的な方法を2つ示して、弱者男性から抜け出せる確率を少しでも上げられるように考えてみる。だれが読んでいるかからないが、少しでも参考になれば幸いである。

~①流行りの髪型ファッションを学び、お金をかけよう~

恋愛において顔が重要なことは何度も述べたが、顔は整形でもしない限り変えることができない。しかし、髪型ファッションは変えることができる。今となっては、自分他人恋愛相談に乗ることも多いのだが、モテない人はだいたいダサい髪型ダサいファッションをしている。そういう人はたいてい我が強い。自分のこだわりが強すぎて世間流行からかけ離れているか、もしくはすごくケチ美容院ファッションに金をかけたくないと思っている(趣味に金をかけすぎで、髪型ファッションに金を回したくない人も含む)。

そして、女子は男が思っているより何倍も外見で様々なことを判断する。男の何倍も髪型ファッションに関する関心が高く、自分が思っているよりかなり細かく髪型ファッションを見られていると思ったほうがいい。こんなことを書くと、「外見で判断する女は嫌だ」なんて反論が聞こえてきそうだが、そんなきれいごとを言ってもしょうがない。流行りの髪型ファッション雑誌SNSで学び、カネをかけるべきである

自分はと言うと、なぜか中学くらいかファッションにだけは関心があり、ファッション誌を読み漁り、誰に見せるわけでもないのに(高校生にしては)そこそこ高い服を買っていた。それもあってか、大学入学後は髪型ファッションに関してダサいと言われることは無かった。このことは弱者男性を抜け出すための大きな要因だったと思う。

~②女子の御用聞きにならない~

これは、弱者男性恋愛をすると初めに陥りがちなパターンである。つまり、好きになった女子要望をなんでもかなえてあげたいという思考だ。

「どこ行きたいの?」「何が食べたい?」「次どうする?」。こういったことを逐一聞いていると女子貴方のことを優しいとは思わず、むしろ「頼りない」=「魅力を感じない」となってしまうらしい。(自分もこういうことを言っていたので気持ちは痛いほどわかる…)

対策としては、デートまでの日時とデートプランこちである程度固めて、リードしなければならない。いちいち女子要望を聞いていてはいけない。迷ったら、お互いの休日を合わせて、映画に行ってちょっとおしゃれなお店(頑張って調べよう)で食事をする、とかで良いと思う。面白味は無いが、女子貴方査定するには必要十分なセッティングだ。

~5.おわりに~

いかがだっただろうか?この日記特に推敲もせずに思いつくままに書きなぐったので、読みにくい部分もあるかもしれない。

自分もまだやっていないのだが、自分日記と元の日記https://anond.hatelabo.jp/20241021131553)を読み比べてみて、どのような違いがあるのか考えてみよう。

もしこの辺境の地の日記たまたま読んでくれた人は、元日記との違いやざっくばらんな感想を教えてもらえれば幸いである。

では。

anond:20241028181233

以下の文章は、作者の創作か、もしくは現実の話を書いたかどちらかを判定し、その理由も詳しく説明してほしいです。

(全文コピペ

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この文章創作である可能性が高いと思われます。その理由を以下に説明します。

1. 物語性の強さと描写ディテール

文章全体にわたって、出来事や会話、心情の変化が詳細に描写されています特に、心情や夫婦間のやり取りがリアルかつドラマチックに表現されており、脚本的な構成を持っていると感じられます。これにより、フィクションとして読者に「物語」を提供する意図が感じられます

例えば、「探偵を使ったが無駄だった」「ボイスレコーダー不倫相手との会話を聞いた」などは、典型的物語エスカレーションで、登場人物心理が少しずつ追い詰められていく様子を強調しています

2. 出来事の展開とストーリー構成

文章の流れが綿密で、プロットに沿った展開が繰り広げられています特に6月初旬から10月中旬まで」の詳細な時間軸に沿って進むため、まるで小説ドラマの一章ごとに新しいイベントが発生するかのように区切られている点が強く創作らしさを感じさせます

また、緊張が高まる最後の場面においては、「自殺をするしかない」という結論に至るまでの主人公葛藤が重々しく描かれており、読者を感情的に引き込む意図が見受けられます

3. キャラクターの一貫した特徴と「象徴性」

夫のキャラクター像(熱しやすく冷めやす性格サークル活動への熱意、淡々離婚手続きを進める姿勢など)や不倫相手描写献身的理想的女性像)は、シンボリックであり、典型的物語キャラクターに見えます現実では多様な人物存在するはずですが、ここでは物語としてわかりやすキャラクターが展開され、読み手が各登場人物感情移入やすくなっています

4. 終盤の心理描写と劇的な結末の示唆

最後の部分で、主人公が「自殺」というウルトラC計画するという発想や、それによって夫と不倫相手に「現実を見せる」という結末は劇的すぎて現実にはやや不自然と感じられます。こうした劇的な結末の導入は、小説ドラマなどの創作において、物語を盛り上げるために使われる手法です。

結論

上記理由から、この文章創作である可能性が高いと考えられます

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逆に現実出来事を書いていたとしたら、その理由は見つけられるでしょうか?

現実出来事を描いた可能性があると仮定した場合、いくつかのポイント理由として挙げられます

1. 感情リアルな揺れと行動の細やかさ

文章全体を通して、感情の移り変わりや細かい行動が具体的に記録されています日常的な場面(例えば「夫婦口喧嘩」「母への電話」「探偵に依頼する」など)や日常に寄り添った心理描写(「夫の言動が気になり始める」「相手女性SNSアカウントを眺め続ける」など)は、現実経験からまれもので、作り話ではここまでの細かさを再現するのが難しいと考えられます

2. 対話の生々しさと、日常生活に根差した行動

文章中の対話には、現実的で人間らしい反応や表現が含まれています。たとえば、夫が「俺のこと好きじゃないんでしょ?」と尋ねた時の、主人公否定できなかった場面や、「サークルに来ないでほしい」と言われる場面など、言葉の端々に日常的で素朴なやり取りが見られ、これらは現実経験たからこその表現かもしれません。

また、普段仕事疲労から離婚話を避けたり、デート旅行費用負担についての細かな記述も、日常生活に即した具体的な描写であり、現実出来事を反映しているようにも思えます

3. 現実の「曖昧さ」を含む心理的な迷い

主人公は夫に対する複雑な感情を持ち続けています。好きだと思っていた夫の関心が他に向いたことで初めて動揺し、自分気持ちが整理できない状態に置かれている様子は、現実ありがちな感情の揺れを感じさせます。例えば、カウンセリングで「好きなところは出てこないが、離婚したくない」という発言や、相手女性SNSアカウントをチェックし続けるなど、混乱と依存リアル表現されています。こうした複雑で矛盾を含む感情は、創作よりも現実に基づいている可能性が考えられます

4. 無計画エピソードと後悔の繰り返し

作中の主人公は、事前に計画を立てず、衝動的に行動し、後悔を繰り返しています。例えば、喧嘩最中に勢いで「離婚届を持って帰る」と返答したり、夫に対して「1ヶ月だけ時間が欲しい」と頼んだり、不倫証拠をつかもうと探偵を雇ったが成果がなかったことなど、行き当たりばったりで結果的に何も進展しない行動が続いている点は、現実における人間の不完全さや衝動的な行動を反映している可能性が高いです。創作であれば、こうした無計画な行動を細かく描写するよりも、物語を進めるための筋が優先されがちです。

5. 感情的に壊れていく様子と極端な言動

文章の終盤にかけて、主人公感情不安定さを増し、最終的に「自殺」という極端な考えに至りますが、その決断唐突ではなく、過程が細かく描かれています。夫への不満や裏切られた感情不倫相手への嫉妬など、積み重なったストレスによって自己否定自殺念慮に至るプロセスは、心理的にリアルであり、実際の出来事としてもあり得るかもしれません。人間関係の破綻が原因で心理的に追い詰められる例は多く、現実の状況でこのように冷静さを失ってしま可能性も考えられます

結論

現実出来事だと考える場合、この文章は、複雑でリアル心理描写日常的なやり取り、無計画さ、そして極端に壊れていく心理過程がその証拠になると言えます

2024-10-28

かつての17歳女子が30半ばの男性と付き合った事のある体験談

17歳ときに30代半ばの男性と付き合っていた女性です。

あるイベント友達と売り子の手伝いをしていたとき20代前半のお兄さんに「演劇サークルに来ない?」と誘われました。友達がそのお兄さんを気に入り、一緒にサークルに参加することになりました。

半年ほどサークルに通った頃、団長の幼馴染で脚本担当の30代半ばの男性から告白されました。周りも勧めてくれたので、特に深く考えずに付き合い始めましたが、今思えば周りは彼を厄介払いしたかったようです。(その人は以前、主演クラス女性にもアプローチしていたそうです)

私は女子校育ちで、自分に自信もなく、男性と付き合う経験もなかったため、周りの言う通りに付き合ってみました。しかし、彼は見栄を張ったり、子どもっぽいところが多く、気持ち悪いと思うことも。年上の頼もしさもなく、サークルでもあまり人と関わらず、いわゆる「チー牛」タイプでした。

男性ってこんなものなのかな?」と思いながらも付き合い続けましたが、男女共学学校に進んで友達が増えた頃、彼がやっぱりおかしいことに気づき、別れを告げました。サークルも辞めましたが、別れた後でストーカー化し、警察のお世話になるまで苦労しました。

今思うと、「気持ち悪い…」という気持ちもありましたが、周りに祝福されていたこともあって「彼女として頑張らなきゃ」と無理をしていたのだと思います黒歴史であり、「自分青春無駄にした」と後悔しています

離れた年齢の女の子と付き合うとき大人はその子のためにも慎重に考えてほしい、と今なら思います

anond:20241028181233

【要約】

夫に好きな人ができたことをきっかけに夫婦関係悪化し、口論から離婚話が進展。最初はお互い軽い口論と思っていたが、夫の意志は固く、離婚に向けて話が具体化する。妻は途中で離婚に対する後悔を示し、関係修復を試みるが、夫の心は既に離れていた。夫には他に心の寄り所があり、妻は孤立を深める。最終的に、妻は夫への愛と苦悩の末に自分存在意義を失い、絶望的な結末を考えるに至った。



【もう少し長めの要約】

夫に好きな人ができ、夫婦関係に亀裂が入る中、夫から離婚しよう」と言われる。口論から始まった離婚話は当初軽い気持ちだったが、夫の態度が冷め切っていくうちに事態は深刻化。繁忙期もあって冷静に向き合えない妻は、夫への不満や苛立ちも重なり、離婚を受け入れようとする。しかし、いざ離婚が決まると、自分が本当に夫を愛していたことに気づき、後悔が募る。

離婚手続きを進める中で夫は生き生きとしている様子を見せ、さらに妻の気持ちに揺さぶりをかける。妻は夫の態度の変化や、夫の趣味サークル活動での振る舞いから、夫に特定女性存在があるのではないかと疑い始める。SNSを通じて夫の相手特定し、ますます不安定になる。自らの命を断つことまで考え、夫婦カウンセリングや義両親への相談などで関係修復を試みるも、夫は不倫相手への気持ちが揺るがず、冷淡な態度を貫く。

やがて、夫が優しく心許せる相手を見つけたことを知り、妻は自己否定絶望に苛まれる。その女性は夫の支えとなっていると感じた妻は、もう自分にはできることがないと感じ、夫が幸せになれるような方法として、極端な行動に出ることさえ考えるに至った。長年一緒にいた夫が自分から心離れていく現実を突きつけられ、絶望感と孤独感に包まれていく。

夫に好きな人がいる

6月初旬

喧嘩が増えてた。

私も、仕事が繁忙期なのもありイライラしていて、夫の些細なことが気になる。

ある晩に、夫から「気に入らないなら離婚」と言われる。売り言葉に買い言葉じゃないけど、私もカッとなってたので、「わかった近々離婚届持って帰るわ」と返す。

後悔してるんだけど、この時わたしは「もう夫のこと好きじゃないし、今後また好きになることもない」と言ってしまった。

でも、この時はただの口喧嘩で、お互い本気じゃないと思っていた。

そう思っていたのは私だけだった。

 

6月中旬

あれから何度か「離婚の話し合いしよう」「離婚届はまだ?」と言われていたが、繁忙期で疲れており、「仕事が落ち着くまで待って」と返していたら、次第に言われなくなった。

 

6月下旬

繁忙期が終わった。

頃合いを見計らってか、夫から離婚の話し合いしよう」と言われる。この頃の私は離婚のことをすっかり忘れてたし、思い出しても「ただの口喧嘩だったじゃん」としか思えず、イラついた。

これも今となっては後悔してるんだけど、夫からだってもう俺のこと好きじゃないんでしょ?」と言われて、否定できなかった。この頃はもう夫のやること成すこと全てにイライラしてて、実際、セックスは私側がレスってた。レスなので子供もいない。だから離婚していっか、とこの時は本気で思ってた。

とりあえず年内に離婚しよう。今後のタスクは、まずお互いに両親に報告すること。次に家と車の処分を決めること。子供がいないので決めることはこれくらいでしょ。って。

から、「苗字は戻してね。ウチの実家厳しいから、それだけお願い」って言われた。意味がわからなかったけど、なんとなくモヤっとした。

 

母親電話で報告した。「もうちょっと頑張ってみないか」と言われた。

それを夫に伝えたけど、夫は興味なさそうだった。

義両親は、すんなり認めてくれたらしい。

離婚署名はお互いの親に頼もう、俺は新幹線で行くから増田は車使っていいよ、と言われた。

本当に終わるんだ。と思ったら、どんどん怖くなってきた。

 

7月初旬

離婚が決まってから夫はすごく明るくなった。元気になった。というか、なんかいつも浮かれているように見えた。

夫は自分の欄を記入した離婚届をわたしに手渡した。

このときようやく「本当は好き、本当は離婚したくない」と言った。

自分でもよくわからないけど、涙がたくさん出た。

 

夫は明らかに困ってたけど、わたしが期待した返答はなかった。

「そうは言っても、もう決まったことでしょ?いざ離婚届を目の当たりにしたから動揺してるだけ。時間かかってもいいから心の整理つけてね。なるべく早い方が助かるけど。」

 

夫はずっと私にベタ惚れだと思ってた。

周りの人からは、私の隣にいる時の夫は幸せそうってよく言われた。

SNSでよく見る「理想恋人」象に夫はぴったり当てはまってた。

頼まなくても、私の写真をいっぱい撮る。スナップショットもいっぱい。

SNSわたし写真をアップする。

週末はかならずデートに誘ってくれていたし、記念日誕生日はもちろん、なんでもない日でもプレゼントをくれた。

私とデートに行った日のことを毎回日記につけていて、時折本から出してきては思い出話をした。

旅行に行くと、かならず風景と一緒に私の写真をたくさん撮ってくれて、それを製本アルバムにするのが常だった。

年に1回くらい、セックスを受け入れてあげると、とても喜んだ。

こんな風に、夫はわたしベタ惚れだった。ベタ惚れだと思ってた。

そういうところが鬱陶しくもあって、冷たく接したときもあったけど、

こんな夫に、私が泣いてしおらしく「離婚したくない」と告げれば、絶対にすぐに考えを改めてくれると思っていた。

現実は違った。

 

「心の整理になるなら、夫婦カウンセリングかにも付き合うから

 

それだけ行って、離婚届を押し付けられた。

 

今までは仕事飲み会が終わったらラインしてくれていたけど、何も来なくなった。ただいまも言わなくなった。無断で外泊することもあった。

この頃から、夫はもしかして浮気しているんじゃないかと思うようになった。

 

7月中旬

夫の気を引きたくて、ある朝トイレのドアノブコード類をぶらさげてみた。

夫は、「なにこれ?」と聞いてきた。

「辛くて、死のうとしたけど、ほどけちゃったの」

と返すと、「ふふっ」と笑われた。

 

夫が毎晩のように「離婚届書く気になった?」と言ってくるのが苦痛で、私の方から、「1ヶ月、もう一度夫婦として暮らさせて欲しい。それでも気持ちが変わらないなら、離婚を受け入れる」と告げてみた。

夫は、かなり熱し易く冷め易い。もし浮気相手がいるのだとしても、時間が経てばその気持ちも落ち着いて、私の元に帰ってくると思っていた。

夫は、「わかった、1ヶ月だけ、離婚の話はしない。でも俺の気持ちが戻ることはない。1ヶ月後は問答無用で別居する。あと、俺たちだけでは話が進まないから、いずれにせよこの期間中夫婦カウンセリングに行く」と言った。

今まで、セックスしたい、デートしたいと懇願してくるのは夫の側だったのに、立場が完全に逆転してる。なんだか薄寒い気分だった。

 

7月下旬

夫婦カウンセリングに行った。

よく覚えていない。聞かれたことに答えただけ。会話してて、私自自分支離滅裂だと思うくらいだったから、カウンセラーのキョトン顔も納得だった。

セックスはイヤ。一緒の寝室もイヤ。スキンシップもイヤ。夫のイヤなところはスラスラ出てくる。好きなところは出てこない。でも離婚したくない。

唯一覚えているのは、

離婚夫婦合意がないとできないから、離婚したくないならそのまま居ればいいけど、旦那さんの意思はかたい様だから、そんな人と一緒に居続けるのは、大変かもしれない。」

 

義両親の家に、夫に黙って伺った。

夫さんと、別れたくないということを伝えに行った。

義母はずっと困った顔をするばかりで、玄関より中に入らせてはくれなかった。

 

8月初旬

デートに誘った。断られるかと思ったけど、承諾してくれた。夫はもはや、わたし写真を撮ろうともしなかった。

旅行にも行った。夫は、ずっとスマホに夢中で、こちらを見向きもしなかった。

夫との旅行で、初めて私が宿や食事の支払いを担った。

こんな自分が夫に愛されているわけないのかも、とようやく気づき始めた。

 

夫が趣味でやっている釣り社会人サークルに、私も行ってみたいと伝えてみた。

そのサークルのことはホームページで調べていて、次にいつ集まりがあるのかも知っていた。

夫は、「今はメンバー募集をしてないから、連れて行っていいのかわからない。担当者に聞いておく」と言った。

 

8月中旬

夫は、「サークルには来ないで欲しい」と言った。定員の問題ではなく、夫が来てほしくないんだな、と思う言い方だった。

 

から、「1ヶ月経ったけど、離婚意思は変わらないので、別居するね」と言われた。

夫はその日のうちに荷物をまとめると実家に帰った。

別居とは言っても、ウィークリーマンションとかそういうのだと思っていた。

実家にすんなり転がり込んでいるということは、義両親は、もうわたしの味方じゃないんだなと、実感した。

 

毎週週末になると、夫は私が住む家に来て、離婚をせっつく様になった。

逆に、なんでそんなに離婚したいのか?と聞いた。

わたしは、本当はあなたが好きだし、離婚したくない。

これからセックスだってするし、子供も産む。

そう言うと、

「もうあなたとしたいと俺は思わない」と言われた。

夫は、「幸せにしたい人がいる。僕の人生を僕に返してください」と言った。

呼吸が止まるかと思った。

 

8月下旬

探偵にたのんで、夫の不倫証拠を掴むことにした。

でも、夫は毎日職場実家を行ったり来たりするだけだった。

お金だけを失った。

 

9月初旬

とある週末、夫との話し合いの最中に、なんだかものすごく苦しくなって、気づいたら廊下の床に倒れていた。

夫によると、ヒステリーを起こした末、階段の手すりで首を吊って、意識を失っていたらしい。咄嗟に夫が縄を切ってくれたから、床に落下したらしい。実際失神していたのは数分もないらしいけど、夫が話し合いのためにダイニングテーブルに着いた以降の記憶がない。

おしっこを漏らしていたので、シャワーを浴びて、その日の話し合いはそれでおわった。

 

わたし精神おかしいため、夫は別居を一旦辞めて帰ってくることになった。

ついでに、遠方のわたしの両親も、来ることになった、

夫は「たとえ殴られても離婚は諦めないよ」と言っていた。

夫と私の両親の話し合いは、私なしで行われた。

何を話したのかは聞かなかった。

そのまま、わたし母親がしばらく同居することになった。

私は職場休職することになった。

 

9月中旬

私が発狂するのを恐れた夫は、離婚について口に出さなくなった。

 

ある日、私の母が義両親の家に行っている隙に、夫が自室でスピッツチェリーウクレレ弾き語りしていた。

なんどもやり直していて、多分録音か録画かしているんだろうと思った。

私のことをこんな風に追い詰めておいて、自分は他の女にラブソングを歌ってる余裕があるのか。夫のスピッツチェリーを贈られる女は、もはや私ではないのか。

そう思うとカッとなって、気づいたらわたし包丁を出して、夫の自室に向かっていた。

まり覚えていないけど、気づいたら警察にいた。

逮捕されていた。

翌日、母と夫が一緒に迎えに来てくれて、帰ることができた。被害届を取り下げてくれたらしい。

夫は手を縫ったしい。本当に自分がイヤになった。

 

9月下旬

夫が入っている社会人サークルの人たちのTwitterアカウントを見つけた。みんなプロフィールサークル名前を入れていたから、すぐわかった。

夫のアカウントは非公開になっていたけど、@夫のアカウント名で検索したら、夫が交わしているリプライは見ることができた。

とある怪しいアカウントをみつけた。

顔写真がアップされていた。夫好みのルックスをしていた。

から好意的リプライを送られているようだった。

さらに、その子の仲良しのアカウントを見つけて、そのアカウントの返信欄を見てみると、その子の裏垢らしきものと会話している可能性が高いリプライを見つけた。

もちろんその子の裏垢らしきアカウントは非公開だが、夫との関係を匂わせるようなツイートでもしてるのか?と思う様な、夫の特徴を含んだリプライが、その非公開アカウントに対して付けられていた。

 

10月初旬

夫が飲みに行くと言う。詳しく聞くと釣りサークルコンパらしい。

わたしtwitterをチェックした。どうやらそのサークルコンパであることは間違いないらしい。

メンバーがアップしている写真Googleマップ情報と照らし合わせてみても、夫が言っていたお店で間違いなさそう。

そのサークルメンバーはいわゆるツイ廃だらけで、不倫相手と思しきアカウント普段1時間に1つはツイートしているようだが、

その日はツイートがなかった。

他のサークルメンバーが「飲み会しかった!」的なツイートをしているのに、その子だけは何も呟いていなかった。

夫にまだ飲んでいるのか?とラインを送っても反応がない。電話をしても出ない。

日付もとっくに変わり、帰ってきた夫に不倫相手と思わしき女のアカウントを見せて、「この子?」と聞いた。夫は何も言わなかったけど、態度でバレバレだった。

 

10月中旬

私は毎日不倫相手アカウントを眺めていた。優しくて、明るくて、純粋で真面目でサークル内でも愛される、すごくいい子に見えた。

夫に「この子と会わせて、夫から手を引けって言う」と言うと、夫は、「その子関係ない。俺が勝手に好きなだけ。それに、お前がその子になんて言おうと、そしてその子がどうしようと、俺はお前と離婚したいしその子が好きだよ」と言われた。

悔しくて泣いた。また首を吊ろうとしてしまったけど、夫と母に力ずくで止められて、できなかった。

泣きすぎて叫びすぎて酸欠になりながら、不倫相手の子の優しいツイートが思い出された。

前向きで、いつも誰かに寄り添ったツイート彼女に夫は救われたのだろう。

私のことも助けて欲しいと思った。夫に「その子のこと好きでいいか離婚しないで。3人で仲良くできないの」って聞いた。

夫は「あの子と二人がいい」と言った。

 

先週

の子アカウントフォローした。わたしだとバレてほしいような、ほしくないような、自分でもよくわからない気持ちだったが、夫との関係が良好であると思われたくて、そしたら彼女から夫を諭してくれる様な気もして、夫と仲が良かった頃に行ったデート写真をたくさんアップした。

しかし、フォローバックは返ってこなかったし、あの子twitterが、あれから全く更新されていないことに気づいた。毎日起きてる間は1時間に1つはツイートがあったのに。

わたしのせいか?」夫に聞くと、「奥さんのことを思うと、自分だけ楽しくツイートはできないって言ってたよ」と言われて、怒りと、混乱と、屈辱とで、目の前が真っ赤になる様だった。

から、「そうやって極端なことをやって脅して周りの人間コントロールして自分欲求を貫こうとするのは卑怯だ」と言われた。

その通りだとも思うし、そういうわけじゃなくてもう単純にいなくなりたいだけなんだよ、とも思った。

 

おととい

母が2人で散歩でも行こうと誘ってきた。

でも家に夫を一人にすると、また不倫相手に気色悪いラブソングを歌い始めるかもしれない。そんなのは耐えられない。が、ずっと家にいても更新されない不倫相手アカウントを眺めているだけ。

そこでわたしは、夫の部屋にボイスレコーダーを仕掛けてから出かけることにした。

これで、ひとまず夫が一人の間に何をしていたか、後からだけど把握できる。

知らないままよりはずっといい。少なくとも心理的には。

月曜は夫は出勤なので、それまで回しっぱなしにしておく。

 

今日

ボイスレコーダーを回収した。夫の様子に変わったところはなかったから、不安が強くあったわけでもないけど、レコーダーを回収した瞬間は安心した。

 

パソコンに繋いで、外出した時間帯の部分だけ抜き出し、レベルメーターをチェックした。

明らかに音が入っている部分が40分ほどあった。それ以外はほぼ無音だった。

緊張した。心臓が破裂しそうだった。

勇気を出してその部分を再生してみた。

そこで入力されていたのは、弾き語りではなく話し声だった。

どうやら夫は、不倫相手電話をしていたようだった。

 

心配してくれてありがとう。いつもごめんね」

「きついよ。奥の死ぬ死ぬ詐欺もきついけど、不倫相手ちゃんと会えないのが、一番きつい」

離婚してから死ぬよ、それならいいでしょって言われて、咄嗟に何も言えなかったけど、次に言われたらそうしてくれって言って離婚届突き出すわ」

「正直もう死んでくれていい。見てないところで死んで欲しい」

「こんな話聞きたくないよね。いつも俺に付き合わせてごめんね。全部終わったら恩返しするから。本当に、こんなに愛したのも愛されたのも心許せるのも君だけだよ。」

 

私は聞いたこともないような、弱々しい声だった。

こんなに素直に、本気で、茶化すことな自分の心を打ち明ける夫を見るのは、初めてだった。

夫は、心を許した人相手にはこんな風になるんだなあ。

私は、交際期間も合わせたら10年も一緒にいるのに、まるで知らなかった。

それに、不倫相手がいい子すぎる。

不倫相手の声ははっきりとは入ってなかったけど、夫が私に死んで欲しいって言ったのに対して、

「追い詰められてそんな風に思ってしま気持ちはわかるし私の前ではそう言うことを言ってもいいけど、ご本人には絶対に言ったらだめよ。優しく寄り添ってあげてね。」

「優劣つけるわけじゃないけど、奥さんが一番辛いと思うんだよね」

奥さん、どうしても回復しないなら、サークルに呼んであげなよ。わたし抜けるよ。」

「3人で仲良くしたいならわたしはするよ!」

的なこと言ってて。

あ〜〜〜〜惨め。

私が彼女立場だったら勝ち誇った様に「そうだよそうだよ死んじゃえ死んじゃえ☆」とか言う。

 

途端に、諦念に見舞われた。

本当に、私ダメだったんだな。

わたしちょっとたかったりそっけなかったりしたせいで、こんなことになってるだけで、

時間が経てば、セックスすれば、寝室を一緒に戻せば、もっと愛情を示せば、夫が不倫相手に飽きれば、もとに戻れると、思ってた。

楽天的すぎたんだ。なんか唐突理解った。

あんな子に盗られたら、もう凡人にはどうしようもないでしょう。

わたしだって、一緒に生きるならあの子みたいな人がいい。

包容力があって、理性的で、謙虚で、他人がいつも優先。

あれは本当に不貞行為ないと思う。セックスしてないと思う。

彼女は優しすぎて、「妻の愛情を感じず冷めて新しく好きな人ができたら妻に自殺企図を繰り返されて鬱になった男」である夫を放っておけないだけなんだろうと思った。

週刊誌であったり、サレ妻がよくSNSにアップしてる不倫ラインスクショでみる様な恋愛脳は彼女からかけらも感じなかった

そして、彼女は優しいから、私たち離婚すれば、夫と付き合ってあげるんだろう。

私には、手も足もでない。

 

ただ、唯一できることがある。

 

わたしが今ここで自殺というウルトラCを完遂すること。

これができたらどうなるか?

夫は、自らの裏切りによって自殺した妻が居ながらあっさり再婚できるかな

少なし、夫は今、恋愛御花畑から、それに冷水ぶっかけることは、できる。

親戚にどう話す?結婚式にも呼んだ大学の同期たちには?

私に死んで欲しいなどと、舐めたこと言ってるが、

本当に死んだらどうなるかなんて想像すらついてない頭の悪い夫。

夫の愛情フリーライドし続けて、愛想尽かされるまでそれに気づかなかった私にピッタリなバカ夫。

バカ夫に現実見せるには、私が死ぬしかないんです。

新しいお相手は、私が死んだ後の夫もちゃんと愛せるかな?

その包容力を持ってすれば可能かな?

 

もう死ぬしかやれることがない。

2024-10-27

玉木の石丸知らなかった発言を疑う人がいるが

ラバックレてるならそういう演出するコスいヤツって信用失うだけだし

マジで知らないなら演説者の調整もできない無能ってことになるし

どっちにしろマイナスなんだよな。

選挙考えるなら、知らなくても知ってたことにするか、あるいは事後でも拒絶しないと。

羽生田の2000万返金アピールとか、政治家としてはカスだけど選挙対策は上手いよな。そういう賢さは見習わないと。

聞いてないよ~😅💦じゃねえんだよアホさアピールしても頼りないだけで親しみやすさ上がったりしねーよ 大学サークルじゃねえんだぞ

2024-10-26

発言小町釣りしたんだけど後悔してる


食事のみで居酒屋を利用する人

https://komachi.yomiuri.co.jp/topics/id/1178098/

一昨日くらいに、このトピック発言小町で建てた。

前に、同じような記事増田に載せてさ、反応がちょっとあった。それで小町にも投稿してみようと思った。

でも、後悔してるかもしれない。

トピックを見てもらうとわかると思うが、ちょっと炎上気味である小町番付で一番上に載ってしまってる。

このトピというのは、自分女友達大学生の時にやっちゃってたムーヴを大体そのまま載せたものである

自分も、昔は東京都内大学生をやっていた。学習院大学で、同じサークル所属してた。

その女友達なんだが、皇族華族みたいな苗字してるのに、男を見極めるスタイルは極めて積極的だった(※約5年前)

飲み屋とかbarで好みの男がいる → 声をかける → トークスタート → 撃沈×複数回大学の授業中やサークルで恨みつらみを放ちまくる

というパターンがいつもだった。自分経験回数は10回は超えているだろうか。

そんな女と大学時代につるんでたなと思って、懐かしくて、このトピックを建てた。

でも、こんなことになるとは思ってなかった。せいぜい数十レスが付いたらいいと思ってた。

「やっちまった」という思いもあるし、ちょっとバズって喜ばしい自分もいる。

ちょっと吐き出させてもらった。読んでくれた人ありがとな。

今は体調がよくないから、変な文章になってたらごめんよ。

2024-10-25

anond:20241025111346

同意

アドバイスしてるけど、結局どうすればサークル入れるの?

軽くググるジモティー、つなげーと、LaBOLAとかのサークル募集してるサイトは出てくるんだけど、こういうのって急に参加したら浮かない?大学時代に未経験スポーツサークル見学行ってめちゃくちゃ放置された苦い思い出が蘇るんだけど・・・

anond:20241025111346

からでも全然遅くないよ

グループを増やしたいって気持ちがあるなら、まずは小さいところから始めるといいと思う

例えば、趣味アカ作成はいアイデアだし、オンライン趣味が合う人と繋がりやすいしね

あとは、リアルでの活動も考えてみるといいか

ボードゲーム会に参加するのもいいし、興味のある分野のワークショップイベントに顔を出してみるとか、初心者向けのサークルに入ってみるのもおすすめ

最初から深い仲間を求めるんじゃなくて、「ちょっと気軽に話せる人」ができれば十分だし、そこから自然と広がることもあるよ

見下している友人のことが毎日から離れない

婚活中の友人がいる。

いや、正確に言うと「婚活中」ではない。

彼女としては結婚以前に「まともな恋人がほしい」と思っているところなので、「恋活中」と言った方が良いかもしれない。

しか彼女は38歳。

恋活」なんて可愛い響きは到底似合わない年齢である

少なくとも結婚願望があるなら、そんな生ぬるいことやっていないで婚活に本腰を入れるべきだと私は思う。

しか彼女自分の年齢を10歳以上見誤っており、20代前半の感覚で生きているのでそんなことには到底気付かない。

ちなみに彼女の口癖は「おばさんになったなぁ~」なので、自分の年齢を見誤っている自覚は全くない。それがまた恐ろしい。

本題に入る前に、私と彼女についての詳細を書く。


38歳女。技術職。

30歳のとき婚活し、5年前に結婚。3歳の一人娘がいる。

彼女(以降はA子と呼ぶ)

同じく38歳。事務職美人

恋愛経験といえば、若い頃に何度か好きな人セフレになったくらいで、まともな交際経験ほとんど無い。


A子と私は、地方大学サークルで知り合った。

年代にはあまり知られていない、とある映画が好きだということが発覚し、意気投合

サークル以外の時間も、一緒に過ごすことが多くなった。

多感な時期を共に過ごしたこともあり、恋バナや趣味の話、将来の話などをしていつも盛り上がっていた。

いつか結婚式するときスピーチをお願いする約束もしていたくらい、本当に仲が良かった。


大学卒業後、私は上京した。

大学の専攻とは関係のない技術職に興味を持ち、独学で技術を学んで専門職に就いた。

彼女はそのまま地元に残り、事務仕事についた。

遠く離れて暮らしていても、それなりに連絡を取り合い、帰省した際には必ず会っていた。

20代後半になった頃からだろうか。

お互いに長いこと彼氏がおらず、私たちの会話はもっぱら

彼氏ができない」

「将来結婚できるか不安

といったような悲観的な内容ばかりになっていった。

学生の頃のような趣味などの明るい話はせず、自虐を言っては「幸せになりたいね」と、互いにただ願う日々。

私たちLINEは、傷の舐め合いのトークで埋め尽くされていた。


30歳の節目を迎えたとき何となく「このままではまずい」と思った私は、本格的に婚活を始めた。

お見合いパーティーやマッチングアプリに勤しみ、様々な男性と会った。

頑張った甲斐あって、約半年間の活動後、数年ぶりに彼氏ができた。

それが今の夫。

その頃から、A子とは話が合わなくなってしまった。

悲観的になって傷の舐め合いばかりしていた私たちは、他に共通話題が無かったのだ。

私が彼氏との出来事愚痴などを話しても、A子は交際経験が無いため碌な返しが来ず、「話すだけ無駄だったな」と思わされることが多かった。

仕事の話も、A子は何年も同じ愚痴を言い続けていた。

資格取って転職したい」

公務員試験受けようか考えてる」

大手総合職に応募してみようかな」

と口だけいっちょ前な事を言うくせに、特に行動を起こさないので聞いていてイライラするようになってしまった。

悲観的な思考になってしまったせいか、これといった趣味も無い。

とにかく、話していて楽しい話題が何一つ無い。

なので会話で盛り上がることは無くなっていき、昔のようなLINEラリーもしなくなった。

彼氏ができ、同棲し、婚約し、仕事でも役職を貰えたり後進育成の立場になったりと、1歩ずつ人生ステップアップしていくにつれ、A子がいつまでもその場で足踏みしているように感じ、私は次第にA子を見下すようになった。

もう昔のように、心から楽しく話せる友達ではなくなってしまった。

ただ、連絡が途絶えたわけではない。

お互いの誕生日にはLINEを送り合ったり、ふとした時の連絡のついでに近況を話したりする程度にはやりとりをしていた。

帰省した際は以前と変わらずご飯を食べに行った。

そして会うたびに「こいつは何も変わらないな」と思っていた。

A子以外の友人は、年を重ねるにつれどんどん生活が変わっていくのに、彼女だけは相変わらずその場で足踏みしている人生を送り続けていた。少なくとも私はそう感じた。


婚活して3年後、私は結婚した。

結婚式は、お互いの地元がかなり離れていて何だかんだ面倒なので、しないことになった。

A子に結婚式のスピーチをしてもらう約束は果たせなかった。

しかし、その頃にはA子のことをすっかり見下していた私は、むしろスピーチを頼まずに済んだことに安堵したのだった。


やがて、コロナ禍が到来。

帰省することができなくなり、A子と会うこともなくなった。

そんな中で私は妊娠出産と、人生における大イベントを迎えた。

里帰り出産ではなく東京出産したため、A子にもLINEで報告。

報告ついでにA子の近況を聞くと、どうやら婚活もとい「恋活」を始めたようだった。

コロナ禍で誰にも会えない日々が続き、寂しさを感じて彼氏を作ろうと決意したらしい。

美人とはいえ碌な交際経験がないA子。

恋愛弱者にマッチングアプリは厳しそうだなぁと正直思ったが、「良い人に会えるといいね!」とだけ言っておいた。

そこからしばらく、A子からの近況報告は無かった。

誕生日のお祝いメッセージなど、たまに連絡を取ることはあったがお互いの近況を言い合うことは無かった。


そして幾年月が過ぎ、コロナ禍がようやく終焉した。

今年、私たちは38歳。

コロナ禍で生まれた私の娘は3歳になった。

仕事にも復帰し、平凡ながらも幸せな日々を過ごしている。

そんな中、半年前。A子からLINEが来た。

東京に行く用事があるので、良かったら会いたいとのこと。

コロナ禍で会わせられていなかった娘にも会いたいと言ってくれた。

A子とは4年会っていなかった。

見下していたとはいえ、4年も会っていなければ色々と変わっているだろうから近況を聞きたいなと思ったし、何より近頃は友達と会う機会がめっきり減ってしまったため、声をかけてくれたことが嬉しかった。

そうしてA子と私は4年ぶりに再会することになった。

半年ぶりの再会

結論から言おう。

A子は何も成長していなかった。

同じ年の女性と話しているとはとても思えない時間を過ごした。

まず、仕事の話。

4年前と相も変わらず同じ愚痴をこぼしていた。

資格がほしいと言っていたわりに、新たな資格特に取得していない。

今の会社では、職種を変えない限り昇進は無く、ずっと末端社員のようだ。

年齢を考えると管理職くらい経験しておかないと今後転職は難しいと思うが、そこに対する危機感は感じていないのだろうか。

別に辞める気が無いならそれでも良いと思うけど、「辞めたい」の嵐。

何年も末端社員で同じ仕事をしながら、同じ愚痴をこぼしている。

お局という名の化石が出来上がっていた。


そして、「恋活」について。

この4年間で、彼女マッチングアプリを通して4人ほど交際したらしい。

交際経験が無かったことを思えば、それだけ聞いたら少し進歩したように思える。

しかし詳しく聞いてみると、進歩どころか退化を感じた。



何度も言うが、A子は38歳である

この話は20代半ば婚活女子の話ではない。

まず「全員年下」という点について。

A子はけっこう美人だ。美意識が高く、美容お金をかけている。引け目に見ても10歳くらいサバが読める。

それが問題だ。

私を含め38歳って、皆おじさんおばさんである

目元口元にシワが出て、白髪も生えている。

同じ年の友達に会うと、「年を取ったなぁ…」と必ず感じてしまう。

しかしA子は違う。10年前と変わらず美人である

そのため、おそらく自分のことを28歳くらいだと勘違いしてしまっている。

から世代のおじさんと付き合うことができないのだ。

見た目を許容できる範囲が年下になってしまっている。

年下とばかり付き合ってしまうのは、多分そのせいである。

きっとA子は、見た目や雰囲気相手を選んでいる。

でも冷静に考えてみて。

年下(30代前半)の、そこそこ見た目が悪くない年下男子が、真剣交際相手を探していたとして、

そんな年下女子にも需要があるであろう男性が、わざわざ38歳の女を選ぶ?

選ぶわけない。

なのでマッチングする相手は、真剣交際なんてする気のないヤリモクでしょう。

「全員交際前に身体関係を持っている」というのが何よりの証拠

ちなみに私は婚活していた時に何人もの男性に会ったが、身体関係を求められたことは殆どない。(ゼロではないが。)

ヤリモクが蔓延しているマッチングアプリ真剣出会いを探すため、私は徹底して“浮気しなさそうな男性”を選んでマッチングした。

浮気しなそうな男性、つまりモテなさそうな男性である

いいね数が多い、見た目が良い、女慣れして会話が弾むような男性はヤリモクの確率がぐんと上がる。

なので、いいね数が低く、見た目が地味な人を選び、お酒の力で会話が弾んでしまわないように昼間に素面で会うことを徹底した。

そうして出会った今の夫。

交際経験の無い童貞を引いたが、浮気心配のない優しい夫になった。結果的に大当たり。

マッチングアプリってそうやって戦略的に使うものなんだよ。

なんとなく見た目や雰囲気マッチングして、会って、お酒飲んで、身体関係を持った延長線上で付き合って…を繰り返して、本当に良い人に出会えるわけなかろう。

何度も繰り返すあたり、学習能力が無いにも程がある。

また、A子の「恋活」にはもうひとつ問題点がある。

全員、A子が「付き合ったあとに違和感を感じて別れた」という点。

(ここでは、前述の「全員ヤリモクだろ」説は一旦横に置かせてもらう。)

A子は元彼たちについて、

「こういう癖がイヤだった」とか

「私の話を聞いてくれない」

デートの行き先の趣味が合わない」などといった、しょうもない不満をつらつらと述べた。

浮気モラハラなどといった致命的なことは何も無かった。

しばらくは不満に目を瞑って付き合うものの、やがて嫌になって別れてしまう、というのがお決まりの流れらしい。

聞け、A子。

この世に完璧人間なんていない。

どんな人間でも、必ず欠点がある。必ずだ。

なのでこの世のカップルは、互いに大なり小なり何かしらの不満を持っている。

から、その不満を相手に伝えて話し合って解消していったり、落とし所を見つけていく必要があるんだ。

私たち夫婦だってそう。

優しい夫とはいえ不満はあるし、逆に夫も私に対して不満が沢山ある。

正直、価値観全然合わない。喧嘩も沢山した。

でも、そのたびにお互いの落とし所を見つけてきた。そうして夫婦生活が続いている。

それが、人と長く付き合うということなんだよ。

A子は人間関係を築く能力が欠如している。

勝手に心の中で不満を溜め込んで、勝手に爆発して、勝手に「無理だ」と決めつけて、勝手関係を終わらせている。

全て自分の中だけで完結していて、そこに相手の姿は無い。

不満を感じずに付き合える人といつか出会えると思ってるの?

そんな人、いないよ。

30代以上の婚活男性なら尚更。

不満を全て我慢するのでもなく、相手を切り捨てていくのでもなく、「関係を築いていく」という作業をしていかないといけない。

それができない限り、結婚どころかまともなお付き合いなんて絶対に無理。

そもそもA子が述べた不満は、すべて交際前に数回デートすればわかることばかりだ。

人となりの確認をすっ飛ばしセックスして交際してしまうので、付き合ってからさな不満がポロポロと出てくる。

まぁ20代前半くらいならその付き合い方でもいいと思うよ。

でも、A子は38歳。

こうしている間にも、体はどんどん衰えていく。そんな年齢。

1分1秒が惜しい年齢なんだよ。

そんな非効率な付き合い方をしていたら、あっという間に40歳なっちゃうよ。


…とまぁ、近況を聞いてイライラした点を書き連ねたが、A子本人には何一つ本音を伝えることはなかった。

本音を言ったところでA子は拗ねるだけなのが目に見えている。

それに私の本音をぶちまけたところで、A子にとっては単なるクソバイスにすぎない。

ツッコミどころをぐっと堪えて聞き流し、悶々としながら「大変だね」、「頑張ってね」と薄っぺら優しい言葉をかけることしか、私にはできなかった。


ここまで散々A子の近況をバカにしてきたが、彼女は決して悪いやつではない。

「不満があっても相手に伝えない」という人柄なだけあって、基本的人畜無害人間だ。

おそらくA子の事が嫌いな人はこの世にいない。

これだけ見下しているのに付き合いが続いているのも、A子が私に対して決して害を与えない人間からだ。

A子は、娘を懸命にあやしてくれた。

独身子供がおらず、さら一人っ子で甥や姪もいないため、A子は子供に慣れていない。

それでも「子持ちの友達が多いから、子供の扱いには慣れちゃったw」と言いながら、ぎこちなく娘と遊んでくれた。

そして、その姿を見て、私は「ダセーな」と思った。

まるで子供慣れしていない若い子が、懸命に子供をあやす姿のようだった。

実態若い子じゃなくて38歳のおばさんだと思うととても滑稽で、痛くて、ダサく感じてしまった。

本来だったら、「子供の扱いに慣れていないのに、頑張って接してくれてるんだな」と嬉しく思うところだと思う。

長所として捉えるべきところを、「滑稽」「痛い」「ダサい」と、悪い方へ悪い方へと考えてしまう。

A子の話し方、立ち振る舞い全てをマイナスに捉えるようになる。

人を見下すということは、そういうことなんだ。

私はもう、彼女の全てに対して対等な目線で見ることができなくなってしまった。

20年来の友人に対し、心の中で勝手に見下し、「どうせ言っても拗ねるだけだ」と決めつけて本音を言わず、こうして文章に書き連ねて全世界に発信する。

あぁ、一番滑稽で痛くてダサいのは私なのだ

本題

さて、ここまで書いた長ったらしい文章で、私がいかにA子を見下しているか理解してもらえたと思う。

しかし、この日記の本題はそこではない。


タイトルにある通り、A子のことが頭から全く離れないのだ。


A子と会ったのは半年前の話。

私はこの半年間、毎日毎日A子の事を考えて暮らしている。

結婚し、子供を産み、仕事もして、忙しい毎日を送っている。

それでも、ふとした合間にA子の事を考えて

あいつは一生結婚できない」と改めて彼女を見下し、ひたすらそれを反芻している。

無心で何か作業するときに、考えることが多い。

シャワーを浴びているとき

髪を乾かしているとき

食器を洗っているとき

掃除をしているとき

毎日毎日半年前に話した内容を思い出し、イライラし、彼女ダメな点を洗い出し、「だからあいつはダメなんだ」と再認識する、という流れを何度も何度も繰り返している。

この半年間、一日も欠かすことなく。


どうかしてる。

何の生産性もない。

宇宙一ムダな思考だ。

そんな事を考えるなら、可愛い娘のことを1秒でも多く考えるようにしたい。

でも、できない。

どうしても考えてしまう。

このことに、私はかなり本気で悩んでいる。

寝る前にA子の事を考えて、イライラして眠れなくなってしまう、ということも何度もある。

子育てする中で貴重な睡眠時間を、わざわざA子の事を考えて削っている。

なんて馬鹿たことをしているんだ。

反芻思考対策の本を読み、実践した。

考える時間を作らないように、隙間時間語学勉強を始めたり、無心の作業中には歌を歌うなどの対策もしてみた。

それでもだめだった。どれも長続きしない。


なぜ何度も何度も繰り返して考えてしまうのだろうか。

専門的な知識がある人がいたら、教えてほしい。

もしかして、A子のことを見下すことが私の中で「快感」になってしまっているのではないだろうか。

人を見下し、自分の状況と比べ、安堵する。

そのこと自体に脳が快楽を感じるようになり、それで何度も繰り返し考えてしまうのでは?

あぁ、恥ずかしすぎる。

下を見て安心する人間、恥ずかしすぎる。

それなら尊敬できる人のことを考えて成長できる人間になりたいよ。


A子とは半年前に会った日以来、誕生祝いのメッセージを送ったくらいで、他に連絡は取っていない。

半年も経てば、またきっとA子は何か変わっているかもしれない。

それでも、「どうせ変わっていない」と決めつけて、半年前のA子をひたすら見下し続けている。

おそらく、私はこのままA子が変わらないことを望んでいる。

そして今日も、A子の事を考える。


文章にして誰かに読んでもらうことで、この反芻思考が止められるかもしれない。

そう思い、今回この日記を書いた。

こんなに長い文章、生まれて初めて書いた。

書くのにとても時間がかかった。

そのため、今日は9割くらいA子のことを考えていた。

あぁ、思っていることを書き殴ってしまたから締めの言葉が思い浮かばない。

A子にメッセージでも書いておこうかな。

…って思ったけどA子に言いたいことなにもないや。

これからも私はA子のことを見下し続けるだろうけど、そのことについてはどうでもいい。

今後、この無駄思考時間が1秒でも減りますように。

自分のことや家族のことを考える時間が増えますように。

2024-10-24

anond:20241024220724

いや、大空幸星の売りは逆境から這い上がってきた経歴だろ・・・

インタビューではこういうエピソードほとんど鉄板トークみたいに出てくる

自民公認を出してるからウラ取りもされてるだろう


名門大で在学中に社会問題関連のベンチャーやらNPOやらを立ち上げて、サークルゼミOBコネをうまく使ってメディアに出て成り上がっていく

実情は知らないが、そんなのは別に珍しくもないルートだろ

親のカネとコネがなきゃ無理なんてことはない

2024-10-23

勉強したい人は国公立大学に行く事を勧める

受験生増田なんて居ないだろうけど誰かの参考に成れば…

俺はマーチと呼ばれる大学文系学部に1年通って合わなくて辞めて、いわゆる駅弁と呼ばれる国立大に入り直して楽しく卒業できた。

メディアの言説だと卒業生の数やマーケティングの影響で都市部私大が素晴らしいとなっているが俺にとってはそんな事は無かった。

俺は今で言う陰キャでウェーイ系のノリが苦手だった。大人しめのサークルに入ったが、都内の上流家庭か毎月家賃10万+仕送り10万もらってる地方豪族末裔みたいな子が多くて、金銭感覚が合わなくて無理だった。

大学学問する所と勘違いしていたが、都内私大文系勉強してるのは士業と官僚目指してる人だけ。ガリ勉ダサいみたいな風潮も有った。

それが国立大では逆で金銭感覚バグってる人も少ないし真面目に勉強してる人が多くて多浪だったけど溶け込めた。

性格大人しめで周りに勉強してる人が多い環境(県立の進学校のような空気)が好きな人には国公立おすすめ

2024-10-22

10代後半~20代前半の恋愛は「いかに体を許すか」になっていくぞ

周りの変化を見て思ったことがあるので書く。

俺は今年で21になる大学生なのだが、恋愛基準が「好き」から「性欲を求める恋愛」に大きく変わった肌感がある。

それこそ高校生の頃は「可愛い」とか「一緒にいて楽しい」とか、もちろん「ヤリたい」も中には含まれていたけれどあくまでもヤッているの母体数が少なくて天の上の話だった。

それが大学生になると大きく変わり、性交渉の機会が目に見えて多くなった。

友達と会えば「ヤった・ヤらない」の話になり、彼女と過ごした夜の経験談もよく耳にする様になった。

サークルや授業などの人間関係も男女問わず「この人とは体を許せるか」がボーダーラインとして引かれ、そうでないものは炙れているような感覚に陥る時がある。

そんな「恋愛が性欲中心の日常」に様変わりしたことで、そのことに苦しんでいる人も増えた印象だ。

具体的には女だったら「体を許し過ぎたことの弊害」、男だったら「性交渉プレッシャー」になる。

性欲がどこかに潜み続ける日常を送っていると、恋愛と性欲の狭間がなくなっていく感覚がする。

これは特に高校は真面目だったけど大学に入りのまれしまったやつに多いんじゃないかと思う。

恋愛と性欲を履き違えて、体を許し続ければ誰かに愛してもらえると勘違いしてしまった女。

周りが絶えず性の話をするからそのプレッシャーから本来の優しさを失ってしまった男。

そんな奴らがぽつりぽつりと現れては、ごちゃ混ぜにキャンパスライフを送っている。

特に一番悲惨だと思ったのが、それまで親しかった友達が性欲と恋愛混同して短期間の交際を繰り返していたことだった。

もうあいつには「〇〇さんが好き」なのか、「ヤらせてくれないから嫌い」なのか、多分区別がついていない。

それこそ興味本位な性のペースや居心地の良さを含めて運命だというのかも知れないが、1人を大切に出来ないのに性欲だけを優先させようとする姿は本来恋愛とかけ離れたものがあるんじゃないかと思ったりする。

この性欲至上主義恋愛が終わりを迎える時は来るのか、とても不安になる瞬間がある。

「誰かを愛すること」って体だけじゃない良さがあると高校の時は思っていたのだが、これから生きていく社会では違うのだろうか。

ともかく誰とでも触れ合えてしまう「10代後半~20代前半の恋愛」は闇であり、きっと若気の至りとはこの間の期間を指すのだと納得した。

遊んでおくのか、はたまた寡黙に真摯に生きるのか。

この選択によってどういう結果が生まれるのか分からないが、後悔ないように生きたいと思う。

この十年、選挙投票先をランダムに・サイコロで決めている話。

私はこの約十年間、市町村議会選挙知事選挙・衆参院選挙を問わず、あらゆる選挙投票先を、ランダムに決めている。

文字通りサイコロを使って(候補者が七人以上の場合ちょっと複雑になるけど)、とにかく自分意志であるとかを介在させないようにやっている。

(一方で最高裁判事国民審査は全部バツを付けているがちょっとこれは別の話にしたい)

なぜこのようなことをしているのかの発端は、前の自民民主政権交代劇の際に、「無党派層」というもの存在というか意義?について、考える機会があったからだ。

私は大学ゼミで、戦前男子普選の時代に「無党派層」というもの勢力としてあまり認知されなかった、と学んだ。

(↑かなりはしょっているが、つまりそれらが育つ前に社会が硬直化し戦争突入してしまったのと、地域社会や院外団活動関係で○○党の支持をやめたら××党の支持者になるしかないみたいな短絡さがあったらしい。これも本題じゃない)

選挙権を行使する機会を得たばかりの私にとって、「無党派って一体、どういう立場なのだろう?」と常々考えていた。無党派って、本当に「党派」じゃないのか?みたいな。

報道職場労組、近所付き合い、フットサルジムサークル……もろもろの影響を受ける中で「無党派」というのはただ「選挙に行く気がないか投票所の門をくぐった瞬間何かの党派空気で入った人」を指す言葉しかない。

党名を隠して政策だけでアンケートを取ると、共産党が一位になったという結果がどこかであったらしいが、しかしその結果を知ると、「共産党?うーんやっぱり自民党」みたいな行動を取る人がいるわけである

あるいは単に「負ける候補者に入れたくないか都知事選では石原に入れるし、2009年選挙では民主党に入れる」みたいな人もいる。

筋金入りの、自党が優位であろうが劣勢であろうが投票し続ける支持者をのぞいて、選挙に本当に「意志」を見出せるのか?その様な選挙が何十年と続いて日本は良くなっているのか?

良く分からない。その分からなさを理解するために、試しにやり始めたのがきっかなのだ

やり方は前述の通り、本当にランダムである。私の場合選挙公報に番号振ってサイコロを使い決めるだけだ。

具体的な党名は出さないが、泡沫というか「無党派層」が入れなさそうな党に「入れることになった」(ランダムなのでこういう表現ができる)こともあれば、勝ち馬議員に入れることになったこともある。

私の選挙区は、勢力があまり拮抗しておらず、ある党や議員が優位を保っている。この勢力基準に考えると、数万票単位の優位さに、私の「ランダムな一票」が加勢するのか・抵抗するのかみたいな問題になってしまっている。

まりランダム投票行動は選挙区によっても意義がかなり変わってくる。

日本ではなくアメリカになるが、今度の大統領選挙でも、カマラトランプの双方の選挙パフォーマンスを見るたびに支持候補を変える人々や、「隠れトランプ」(おそらく「隠れハリス」も)支持者など、

選挙活動にほぼランダムと言っていい影響を与える人が・・・言ってしまえば、「選挙に行く日の朝、最後テレビネットで見た顔の候補者の方に入れる」人が何百万人といるのだ。

私の選挙行動はそれを意図的にやっているかたちである

私は個人的に、皆さんには、制度的に意味のない白票であるとか、「支持政党なし」のような党名ハックではなく(ランダム投票先であれば仕方ないが)、

自分意思を介さない、何か人為的ではない要素や乱数による「ランダム投票活動」をお勧めしたい。この活動が何万票という力を持った時に、はじめて「選挙」の意義や「無党派層」の価値というものがわかってくると思えるからだ。

そして議員が、「自分存在乱数の上の存在しかない」ことを意識すれば、よりマシな政治活動を行うようになるのではないかとも思っている。そう考えながら、私は今度の投票にも臨んでいく。

もし私と同じようにランダム投票活動であるとか、何か珍しい(?)決め方をしている人がいたら、是非教えてください。

おじちゃんのたっぷんたっぷんな腹肉を写真集にしたら買う?

サークルきもオジ

2024-10-21

anond:20241021173522

暇さんのゲーム会社遍歴

セガ→②グループス→③グラニ→④サイゲームス→⑤グループ

だったと思うけど③④⑤は順番がうろ覚え

グループスというソシャゲ会社にいた時に先輩の谷さんがグラニを立ち上げるからとチーム単位で引き抜いて暇空を連れて行った

暇空は自分創業者の一人だと思っていて役員にしてもらえると思っていたが、谷さんからは手駒の一人ぐらいの扱いだった

ごねた結果役員にしてもらえたが、そこから2ヶ月で解雇された

株主でもあったため解雇後に最終的に谷さんに裁判で勝って6億ゲットするが、係争中はサイゲームス行ったり古巣グループスに行ったりした

グループスに帰った時、谷さんや他の人達社員が引き抜かれまくってグループスはボロボロだった

社長音信不通状態の中で、「神話帝国ソウルサークル」というソシャゲの開発が浮いていた

もう潰れる会社からどうでもいいとやる気がない社員能力のない新卒の中で、暇空が奮起して有名声優と有名絵師を集めて制作

その中にあきまんがいて仲良くなった

暇空のおかげでなんとかソウルサークルは完成するが、4ヶ月でサ終した

anond:20241019235135

何度もいうが、地域根付いている社会人スポーツサークルに入るのがいい。

体験見学をさせてもらって、自分に近い年齢のサークルで、雰囲気のよい、初心者歓迎のところがいい。

オススメなのはバドミントン。意外と生涯スポーツ高齢からも始められる。

2024-10-20

実家から近い地方大学に進学してしまたことの後悔に苦しんでる

今29なんだけど、実家から近い地方大学に進学してしまたことの後悔で死にたくなってる。学力的には関東圏の国公立にも行けたんだが、親から仕送り学費支援一切しないよと言われ、ビビって実家から通える大学にしてしまった。

何を後悔しているかというと、まず大学の規模が小さいので、入りたいと思えるサークルが無かった。適当運動サークル入ったけど、別に大して好きでも得意でもなく、活動も活発では無かったので、すぐに行かなくなってしまった。大学の立地的にも、近場にも殆ど飲食店レジャー施設がなく、かなりつまらない立地だった。(大学から徒歩圏内飲食店が2軒あるだけだった。)そして、実家から通っていたので、精神的な開放感が全くなかった。何をするにも親の目が気になり、親にいっちょ前に色気づいてると思われるのも恥ずかしくて、髪を染めることすら出来なかった。

いま大学生活景色を思い出すと、灰色で思い出されるくらい、虚無で寂しい生活だった気がする。写真フォルダを見返してみると、大学時代に撮った記念写真、院までの6年間で20枚も無かった。とにかく家と学校の往復で、毎日5限が終わるのを待っていた感じ。

自分能力性格問題も大いにあると思う。というか、自分自身の能力の低さが殆どなのかもしれない。別に自分が器用で愉快な人間だったら、どんな環境だろうと楽しめたんだろうと思う。

でも、不器用不愉快自分でも、都会の大学に進学して一人暮らししていたら、好きなサークルで仲間と忘れられない青春を送って、思い出すと恥ずかしくなるような青い恋愛もして、大学終わりに近場の居酒屋で飲んで、そのまま家で朝までゲームして、社会人になった今でも定期的に集まったりして…

そんなあり得たかもしれない別の人生を思うと辛くてしょうがない。

いい年していつまで青春コンプレックス抱えてるんだよって、自分でも思うけど、この後悔が死ぬまで続いて、どうあがいても挽回不能だと思うと、人生リセットボタン押したくて仕方がない。

ほんと人生って難しいし怖い。

その時は一生懸命生きてても、そもそも選択肢を誤っていたら、その後悔が一生つきまとってしまう。

職を変えて田舎から日本三大都市圏引っ越して数か月経った。地方Fラン大を卒業してさしたる資格もなく生保を下回る月収でも実家暮らしなので生きてこれたが前職の先輩に「俺たちはこれからずっと下っ端だからな」と言われてなにかがプツンと途切れた。そこから重い腰を上げて職を変えた。


転職相談したアドバイザーに当時の給与を伝えると「2〇才でこれだけしかもらっていないの?少なくとも年齢万円の給与を貰わないと駄目だよ。いま転職を決意して良かった。」と言われた。

学生時代に「公務員は愚かだ」とサークル部員馬鹿にされた。あなた発言個人思想なので自由ですが、世の中には親族の半分以上が公的仕事をしている家族がいるんですよ。その身分に憧れて将来はその道に進みたいと志望している人が目の前にいる、ということまで考えが及ばなかったのは浅はかですね。当時の私は「そんなことを言わないで欲しい。今目の前にいる私はその公務員お金で育ててもらってきたし、親の職業を誇りに思っている」と反論するのが精いっぱいだった。

親族が志望通りの職業になったときに「公務員馬鹿にする人が一定数いるが、そんな奴らは私たちを恨んで負け惜しみを言っているだけだ。」と吐き出していた。当時の私はその愚痴さえも眩しくて田舎高校生アルバイトに毛が生えたような給料しかもらえない自分の実力と努力不足だと諦めていた。

・30歳になる前に一人暮らしはしておいた方がいいよ。と講釈を垂れた実家の隣町のアパートで独り暮らしをしていた先輩。実家暮らし家事生活の全てを親に任せっぱなしだろうと決めつけてよく私を格下に扱っている言動を取っていた。


新しい職の身分公務員に準じている。興味がある分野なので新しいことを覚えていくのが楽しい理不尽な怒られや馬鹿にするような雰囲気や下世話な会話は全くない。指摘も的確で穏やかなので最初の頃は「休憩時間仕事をしない」 「残業ができる日を教えて欲しい」と言われて戸惑った。始業前や終業後に数時間残業は当たり前だったから。

時折ネガティブになりそうなとき過去に言われた上記発言を思い出す。そうすると少し溜飲が下がるんだ。過去自分が受けた憎しみが少し報われるような気がするから

anond:20241020011915

良くも悪くも人間関係希薄で同質化しているのかなって思った。

自分学生寮とかサークルとかで治験についての話とか悪徳商法とか宗教団体かについての話とかを聞いていたけれど、

バイトするような学生さん自分が当時触れたようなものに触れる機会がもしかしてないのかもしれないと思った。

そうはいっても騙す側は地方から出てきた何の経験もない若者を騙すなんて赤子の手をひねるようなものなのだろうけど。

治験には行かなかったけれど、悪徳商法の感じがする人からは何度も訪問を受けたし、某英会話塾は事務所まで行って契約までして、クーリングオフしたくらいなのだけれど。

学内で行われたゴスペルコンサートに行ったら、教会でもするので来てほしいと言われて、行ったら、ばりばりハングル文字の飛び交う世界だった。

熱烈な歓迎を受けたけれど、カトリック系の私学に通っていた自分には違和感しか感じない空間だったので丁重お断りした。

いやー、カトリック系の清貧雰囲気がある教団だったら入信してしまっていたかもしれない ^^;

あとはカトリック系の学校に通っていたのでそういう話をするのはそんなに嫌いではなかったから、自宅に某宗教の人が来たとき普通に話していたら、

気があると思われてしまって、「聖書のお勉強しませんか?何曜日が都合がよいですか?」と言われたので丁重お断りしたこともあったな。

訪問に来ていた信者の方よりも圧倒的にカトリックに対する知識があって、それを楽しく披露していただけで、知識不足のあんたらから習うことなんて何もないんだな。

...とまあ、経験はつめたので、空気やばい人たちなのかはなんとなくわかるようにはなったんだよな。

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