はてなキーワード: ストーリとは
終わった後、昼寝して映画館へ向かう。到着後、甘いものが食べたくなったのでセブンティーンアイスのブルーベリーチーズケーキ味を購入し、あっと言う間にに食べてしまう。昔、プールで遊んだ帰りによく両親に買ってもらったな。
映画の感想として、ストーリーに納得いかない。だってあのまましっかりした自分の弟夫婦に子供を任せれば良いのに、無断で連れ去って水商売で生計を立てている不安定な別れた本当の母のもとで育つべきだといって預けさせて自分は二人のために立ち去るってさぁ。何が深すぎる愛の物語だよ。ひたすら身勝手で幼稚な行為としか思えなかった。しかし、弟役のディーン・ストックウェルの演技と最後で出てくるナスターシャ・キンスキーのハッとするような美貌が素晴らしかった。それに専門用語がわからないから何といったら良いかわからないけれど、色使いや構図はとてもお洒落だった。最後に同じ監督の長い長い作品だった夢の涯てまでもを観た時思ったが、ヴィム・ヴェンダースの作品は苦手かも。ストーリがなぁ。後、この作品に関しては2Kレストア版よりフィルムの方が味が出て良いかも。
アイドリッシュセブン(アイナナ)を知って今日でちょうど100日経った。
我ながらもの凄いハマりようなので、心が荒んだおっさんにこそアイナナを薦めたい。
アイナナは女の子向けのコンテンツとして男が疎外してしまうのは、非常にもったいない。
だから、主にこの文章はおっさん、そして特に子持ちのおっさんに向けて書くものになる。
何を書けばよいのか全然まとまらないうちに書きはじめたし、そこそこ酔っていることもあり収拾が付かない可能性が高い。先に謝っておく。
まずは簡単に自己紹介をしておこう。私は30代の2男1女の子どもを持つマネージャー(アイナナファンの通称)だ。
アイナナの存在を知り、メインストーリを6部まですべて読んだ後、アニメを3期(53話)最後までみて、ムビナナ(先日千秋楽を迎えたアイナナの映画『劇場版アイドリッシュセブン LIVE 4bit BEYOND THE PERiOD』)に8回通った。アイナナを知ってから全部一ヵ月以内のことである。
もちろん仕事はフルタイムだし、土日は家族サービスDayである。なにか狂気的なもの感じるかもしれないが気のせいだ。大したことはない。ムビナナに関してはもっと行っておくべきだったと反省すらしている。
仕事関係者も見ているTwitter一ヵ月アイナナのことしかツイートしないなど大事故を起こしたのも懐かしい。(今はアカウントわけたよ)
そんな私がなぜアイナナになぜハマったのかを説明する前に、何故アイナナを知ったのか。まずはそこから説明させていただきたい。
今まで私は重課金されるようなゲームを触ったこともなく、重課金税の気持ちがわからないでいた。いわゆる落とし切りのゲームしか知らなかったのである。
このままだとなんだかビジネス的にもエンタメ的にも機会損失しているような気がしていたので、何かしらやってみたいとは前々から思っていた。
「ウマ娘は競馬のことよくわらかんし、とりあえずアイマスは聞いたことがあるからアイマスやってみるか」とアイマスをAppStoreで調べはしたが、アプリが複数出てき、そこで挫折した。まさにおっさん。
若いころはOSのアップデートなんて嬉々としてやっていたが、年を取った今、OSのアップデートなんて恐怖の対象になってしまうようなお年頃なのだから仕方がない。
身近にアイマスのことを聞けば教えてくれる知人は数人思いつくものの、そこまでする必要はないと思い続けてきたからこそ、今まで手を付けられなかったともいえる。
ちょうどそのタイミングで知人同士(この先輩マネの存在がものすごく大きかった)がアイナナの話で盛り上がっていた。「じゃあアイナナにしてみるか」とアイナナを調べたらアプリが一つしか出てこなかった。
さあこれで第一の難関である「インストール」をクリアしたわけだ。
インストールしたはよい。何をやればよいのか。やたらとメニューがあるぞ!これは冷静に考えれば当たり前で、当時は知らなかったがアイナナは8年前にリリースされたアプリだ。
そこで先輩マネージャ達が「とりあえずストーリーをやれ。ただし〇部の前にこのサイドストーリを読め」と初心者が陥りがちな罠をあらかじめ封じてくださったのである。(アイナナはストーリー+音ゲーで構成されているゲーム)
もうここまでお膳立てされたなら走るしかない、見つけ出したチャンス絶対逃せない!
ゲームシステムの解説だったり、各種グッズ関連(代行注文してもらったり映画の半券を譲ってもらったり)、過去イベントの解説をしてもらったり、過去の8年間と今をつなぐようなフォローをいまだにして頂いている。
つまり、よき先輩マネがいたことがとても大きかった。これは私の最大の奇跡だったといってよいかもしれない。その二人の存在がなければ私はアイナナを知ることすらなかったし、知っていたとしても挫折していたに違いない。
ストーリーは無料で最後までフルボイスで読めるので、ぜひお時間がある人には読んで頂きたい。最悪、相性が悪くても溶けるのは自分の時間だけである。推し活につながるかもしれない期待値に比べればたかが知れている。
掻い摘んで言ってしまうと、16人のアイドルが自分の過去を乗り越えたり、芸能界の荒波に揉まれながら成長し輝いてく物語である。
ストーリが完璧にできているかというと必ずしもそうとは言えないのだが、16人のアイドルが個性的で実に良いのである。
「16人?多すぎじゃね」と思ったそこのあなた。そう、最初は多く感じる。私もそうだった。名前すら覚えられなかった。しかし、それを乗り越えるための仕掛けが名前や音楽記号(キャラクター毎に音楽記号が割り当てられている)等にちりばめられている。しかも声優の仕事が良いことも相まって自然と覚えることができる。おっさんでも覚えられる。心配しなくてよい。ポケモンに比べれば全然少ない。昭和生まれのおっさんでも151匹程度は覚えただろ?
1/10だ。
メインとなる16人のアイドルは年齢で言えば高校生~20代前半というのも良い。数年後の自分の息子達と重ねてしまうし、新卒で入社してくる子たちと大差ない。
つまりストーリーを読むということは子どもたちや新卒の子たちのプライベートを見守るのと同義で、荒波に揉まれ、過去の自分と対峙している姿をみれば「頑張れ!」と応援してしまうのは必然なのだ。
そして、彼らには我々おっさんが仕事で目にする人間の汚さというものが全くない。清いのである。清すぎて尊いと言っても良い。メンバー同士で喧嘩していても名言が出てきてしまうくらいに相思相愛な彼らだ。自分の子どもにもこんなに思いあえる仲間ができてほしいと思ってしまうくらいだ。
そうなると、もう彼らは自分の子どもと見分けがつかないくらいに愛おしく感じてしまうのは時間の問題で、かくして私には新しく16人の息子ができたのである。きっとあなたにもできる16人の息子。
さぁ、そんな各アイドルのキャラクターも良いのだが、極めつけがムビナナだ。先日千秋楽を迎えたが、まだ上映している劇場はあるらしい。
あの映画の完成度はおかしい。狂気と言ってよい。千秋楽を迎えた後の今いうべきことではないかもしれないが、絶対に大画面で見るべきだし、欲を言えばドルビーシネマで見てほしい。
映画といってもストーリーなんてほとんどない。16人が歌って踊って合間にちょっとMCをはさみながら、ひたすらライブとして彼らがアイドルをしている姿を観る映画だ。後述するが20~30回程度見てからが本番であとは観れば観るほど寿命が延びるようなシステムだ。
子持ちのおっさんなら子どもの授業参観というイベントには参加したことがあるだろう。こんな友達とこんな環境で勉強をしているのかと色々な発見があって楽しいイベントだ。
では、もし自分の子どもが仕事をはじめたとして、仕事参観ができるとしたら?本当にしっかり仕事できてるの?お前の能力は発揮できてる?授業参観とは比にならないくらい色々と見てしまうはずだ。いろいろと思うところもあるだろう。でも現実的ではないんだよなぁ。
しかし!!!それを実現しているのがムビナナだ。おわかりか。子どもたちが目の前で仕事をしているんだよ。それも、とてつもなく素晴らしい仕事を。凄い演出と音楽と舞台とで。そうなると自分の子どもを引き立ててくれるすべての関係者に感謝を覚えるようになり、それが生きとし生けるものすべてに感謝できるだけでなく、それが存在するこの宇宙に感謝。そして、それらを育んできた過去の全ての出来事に感謝できるようになる。つまりムビナナを見るということはアルファからオメガまで感謝できるようになるということだ。
故に全てのストレスから解放される。だから寿命が延びる。ムビナナおよびアイナナは決して沼なんかではなく名湯であるとここに明記しておこう。
話を戻す。
ムビナナは狂気と言った。どこまでこだわればこんな作品ができるのかいまだに理解できない。
「個性的な16人」と前述したが、立ち絵のストーリしか見てないのに、ダンスの動きを見るだけで誰のダンスか見分けることができるほどの個性であることをあなたはまだ知らない。
意味が分からないかもしれない。だがストーリーを読み切った人に「ダンスで一番動きが大きそうなキャラは?」と聞くと多くの人は三月と答えるだろうし「ステージから客席に手を振るときに両手で振ってるのは?」と聞けば環と答えるだろう。
ストーリーにダンスの描写なんてほとんどないにもかかわらず各キャラクターの「らしさ」がストーリーにはふんだんに埋め込まれている。それをとことん回収していくのがムビナナなのである。モーションつくったソリッドキューブの仕事がマジ凄い。
それを16人やってのけている。驚異的なことだ。あなたは思ったかもしれない「だったら16回見れば良いの?」と。全然違う。違うんだよ。素人は黙っとれ。
私のムビナナの初回の感想は「目が足りない」だった。アイナナだけでも独立する眼球が最低でも7つはないと全く追うことができないなと。
彼ら自身も十分に魅力的ではあるのだが、同時に彼らの「関係性」もまた美しく尊いのだ。
つまりムビナナを楽しむためには人類を超越した何かにならないとならない。
しかしそれは叶わない。何かをササゲても叶わない。だから数をこなすしかないのである。
故に20回くらいは普通に超えてしまうものなのである。むしろ20回を超えたあたりから、ようやく2つの眼球で見るスタート地点に立ったといってもよく、そこからが本来のムビナナを楽しめるといっても差し支えない。そこ、脳筋とかいうな。
ムビナナに通っていると、自分の精神状態を大きく二つに分類することができるようになる。「ムビナナを見ている自分」と「ムビナナを見ていない自分」だ。
ムビナナを見ている自分は大体「尊い」の感情に支配されている。そして見ていないときは「ムビナナが見たい」という思いに支配されている。
それに気が付いた私は思った。「あ、自分って単純」と。そう思えると、今の自分の悩みなんて大したことはないんだと、ムビナナのおかげで気が付けるようになる。
だが、寿命が延びるなら治療する必要はあるまい。むしろ大いに歓迎されるべきではないか。公衆衛生の観点から言えば、ムビナナ鑑賞券は国民皆保険制度の適応対象とすべきだろう。厚生労働省は仕事しろ。
言いはぐっていたが、実はアイナナは音楽もよい。すごくよい。ランティスだ。何十回だって、何万回だって聞ける。
楽曲提供は小室哲哉やヒャダインもいるし、先月の新曲はANCHOR、今月は浅倉大介だった。つまりマネージャがお金を落とすサイクルを確立しているコンテンツなので、楽曲にも力が入れられる強者の運用をできるのがアイナナだ。
故にストーリーなしで曲だけ聞いても楽しめる。全方向からのアプローチを受け止めらるアイナナ凄い。あやかりたい。
このように楽曲にも恵まれ、8年という時間も相まって100曲以上の楽曲をリリースしてきたという実績がアイナナなのである。
書きたいことの5%も書いてないし、終始取り留めない文章になってしまったが、時間も時間なのでこのあたりで勘弁してやる。いえ、勘弁してください。
何か思うところがあったらアイドリッシュセブンをぜひインストールしていただきたい。掴み取れば明日は何色にも変わることをおっさん達に知ってほしい。
簡単に言ってしまえば「とにかく性行為を見たいんDA!」というのが「ヌキAV」で、
「性行為に至るまでのプロセス、ストーリィが大事なのだよ」というのが「泣きAV」だ。
なお「泣きAV」の性行為シーンのみを集めたダイジェスト「ヌキAV」も存在するため
本数で言えば圧倒的に「ヌキAV」が多い。
これはオムニバスやベスト、コレクション作品で性行為の再利用が頻繁に行われるためだ。
また「ヌキAV」は単一スタジオですべてコトを済ませられるというのもメリットが大きい。
「泣きAV」は住宅地風のセットや外ロケなど性行為外での支出、規制が厳しい。
私は圧倒的に「泣きAV」派だ。ストーリィのない性行為にはどうしたって反応しない。
男は女の裸を見れば立つんだよとか言ってる奴いるけど、んなこたーない。
モロ男が書くストーリって感じで女には思えないんだけどほんとに女なの?
…とだけ書いて終わるのは雑なので、個人的な偏見等を込みで色々思うところを書いていく。
おそらくここで語るものは陳腐で凡庸な面白みのないものであろう、しかしもし興味を持っていただけたら読んでもらえると幸いである。
オタクコンテンツはみなさんご存知の通り一般化した、街中にはアニメやVtuberなどとコラボした商品が散見され、街中でアニソンが流れていたりする。
アニメや漫画の話をしても嫌がられないし、むしろそのような話を積極的にしてくる人もいる。
オタクコンテンツは一般に広まったせいで過度に一般化してしまったと私は思っている(これはあくまで偏見である)
というのもまずは売れるかどうかという数値が前提にくるからである。
もちろんこれらは"商品"であるため、売れるのがいいというのは間違いがないし企業としては売れなければ価値がないというのは間違いないであろう。
そこで問題にしたいのはオタクコンテンツの精神性というふわっとしたものになる。
これらコンテンツは個人的な偏見等込みではあるが迫害の歴史であったと私は思っている。話をすればキモがられ、売っている場所は隔離されるそのようなものであった。
しかしそのような状態であってもコンテンツを作り続けた人たちがいた、彼らは自身の溢れ出るものを解放させコンテンツを作り続けた結果今のように市民権を得ることができた。
このようなコンテンツは最初はごく一部の人間が面白がり小さいコミュニティ、もしくは執着に近い発掘欲を持つ人間にのみ評価されていた。
また自身が面白いと思うコンテンツは他者に知らせたいものでさまざまな機会で、さまざまなツールで面白いと思う感情を広げていった。
問題はここからで私は一般層はものを評価する能力がない、もしくはあったとしてもそこまで高くないと思っている。
動物に悲劇があれば泣くし、子供が頑張れば感動する。弱者のサクセスストーリで涙し、悪徳企業に怒り、永遠の愛でしんみりする。
しかしわかりやすい感動にしか反応しない、もっと正確にいうならばわかりやすい感情の変化にしか反応しないのだ。
感動というものはさまざまなものがあるが大きくまとめれば感情の変化であろう。
感情の変化というものは各人のセンスや知識、経験に依存するものだ。感動するという行為にも才能と経験が必要になる。
例えばよくピカソの絵を見て誰でも描けるとかこれが芸術なんだとかいう人間がいる。しかしピカソが写実的な絵も描くことができ、キュビズムが本来なら同じ平面上に存在しないものを写実性を捨て記号化することにより同時に存在させるようにしようとした試みであることを知ればそれは難しいことがわかる。
コンテンツというのは歴史の流れがあり新しい評価基準や表現、感性を探求するという性質がある。
しかしそれらを評価するためには今までのコンテンツへの理解などが必要になる。
一般層の人間はこの知識や経験がない、そのため評価基準が他者に依存することになるかもしくはわかりやすいものしか評価できなくなる。
さてさまざまなコンテンツの多くは営利活動の結果生まれた産物である、営利活動の評価を行う際に基準となるものは収益であろう。
当然のことではあるが収益性のみを考えた場合、新しいコンテンツを評価するようなオタクやコミュニティ(ここではこのような人やコミュニティをまとめてオタクコミュニティと呼ぶことにする)と一般層、どちらの方が人口が多いであろうか。
考えるまでもなく後者だ、そして後者はわかりやすいものしか評価できない。
ではどうなるか
なので1手先しか考えていないようなわかりやすい一見深そうで薄いコンテンツが生産されていく。
間違いなくオタクコミュニティー向けの作品を作るクリエイターは一般層に評価はされないだろう、わかりづらい作品を作るので歓迎されることはないだろう。
では誰がコンテンツを作るようになるか、これは間違いなく一般層のクリエイターになる。
というのも感情が近いので作りやすいのだ、またオタクコミュニティー向けの作品を作るクリエイターと比較して、コンテンツ自体に執着が薄い(無いわけではないし一部の方はとても強いと理解しているが集合として見た時の話である)ので仕事と割り切れたりするという強みもある。
企業からすると一般層のクリエイターは収益も産みやすく優秀な金の卵であるが、オタクコミュニティー向けの作品を作るクリエイターは収益を産まない腐った卵であろう。どちらが優遇されるかは明白である。
このようにしてクリエイターの層が更新されていく(新陳代謝といえばそうかも知れない)
クリエイターが変わっていくとコンテンツ自体オタクコミュニティー向けのものから一般層向けのものへと大部分がシフトしていき、そのうち入れ替わる。
そうしてオタク向けのコンテンツは一般向けのコンテンツへと狂気が希釈されていく。(私はこれを一般層の文化的侵略だと呼んでいる)
そのような状況であってもオタクコミュニティー向けのコンテンツを作る人は作るだろう、しかし評価はされづらくなる。
もしくはそのようなクリエイターが時代の変化などさまざまな要因で一般層向けのものを作ることもあるだろう、映画などにある細かいネタや裏設定はそのようなクリエイターの少しばかりの一般層への反乱ではないかと思えて仕方ない。
さてオタク向けのコンテンツがオタクコミュニティーから一般層向けのコンテンツへと変わっていくという話をした。
ここで一般層の評価基軸をもう一度説明すると他社が評価しているか、わかりやすい感動かという軸で評価している。
後者と比べ前者は容易にハックすることができる評価基準である。資本とマーケティングの勝負に落とせるからだ。
つまり一般層のコンテンツは、芽が出そうなものに対して資本という栄養剤を投与することで完成する、そして一般層に収穫され消費されるのだ。
私は最近のコンテンツが話題になる期間が短いのはこのような背景があるからではと思っている。短くしないと次のコンテンツを消費できなくなるからだ。
ここで一つ誤解を解く必要があるが、私はこのような企業の行為に対して悪だと断罪するつもりはないし、営利活動を行う団体として収益を上げるのは正しい行為だと考えている。
このようにしてオタクコンテンツは終わっていくし、すでにアニメや漫画などは終わっていると私は考えている。終わっていなかったとしても一般層にリーチしないのでそのようなコンテンツを知り得る人はごく僅かであろう。
これが悪いのかどうかと言われるとそうではなくただ集団の行動の結果であるとしかいえない。
しかし、間違いなく言えることは一般層がオタクコンテンツに入ってきた瞬間にそれは終わるということだ。
昔モンティ・パイソンが「モンティ・パイソン・アンド・ナウ(And Now for Something Completely Different)」を試写にかけたときに観客は最初の50分は爆笑の連続で笑い続けたが、その後20分ほどほとんど笑わなくなって、その後また笑い始めた。
そこで彼らは観客が笑わなかった20分をちょん切って再び試写にかけたのだが、やっぱり観客は最初の50分は爆笑してその後ほとんど笑わなくなった。何度かネタの順番を入れ替えたり編集を変えたりしてみたが、やっぱり観客は最初の50分は笑ってくれるんだけどその後、静かになってしまう。
そこで彼らは「ギャグ」や「ネタ」で場が持つのは50分が限界で、50分以上笑わせ続けるためには必ず次に何が起きるんだろうかと予想させ、期待させるような仕組み(登場人物やストーリィ)が必要なんだということに気づいた。
任天堂「ゲームのセールやってますよ。このゲームとかどうですか?」
ワイ「『倒した敵を味方にできる、ローグライク要素のあるアクションRPG』、ほーんええやん!」
ワイ「ストーリーの方は……、主人公が女の子を生き返らせるためにネクロマンサーの力を求めるっちゅうシンプルなやつやな!」
ワイ「アニメーションまであるやんけ!主人公男の子の動きかっこええなあ」
ゲーム「女です」
ワイ「は?」
ゲーム「主人公は女。言ってませんでしたっけ?あ、言ってないですね笑」
ゲーム「ガチ百合ゲーです。ストーリはフルボイス付き!これは面白くなるぞ!」
ワイ「えぇ……まあゲーム自体はぬるぬる操作できて面白いから続けるわ」
~8時間後~
完
全てにおいて、それなりにそれっぽく、それなりに粗が目立つ
そう考えれば、こういうシーン入れとけば感動するやろ? みたいなシーン等は
安易な手段に逃げたわけでも手抜きでもなかったのだとすっと理解が進んだ
アニメとは何なのかを1mmも理解してないが、アニメっぽいものは作れるAIによってそれっぽく生成されたシーンだったのだ
もちろん現状完全にAI任せというわけにはいかないだろうから、最低限の体裁を整える人の手による修正は加えられているだろうが
この事実についていつ発表するのか、あるいは公表せずに終わるのか
公表するとしてひょっとして作中でしれっと公表してしまう可能性もある
今後の展開に目が離せない
ソーシャルゲーム版アイドルマスターSideM(通称モバエム)のサービス縮小(実質更新停止)のお知らせが9月1日に発表された
悲しむ人、寂しがる人、もうひとつのSideMのアプリであるサイスタに怒りをぶつける人など様々な人がいたが、自分がモバエムに感じた感情は『怒り』だった。
ハッキリ言ってモバエムにおいて担当ユニットの扱いはいいとは絶対に言えなかった。
ゲーム性もあまりにも古くイベントガチャは有償しか存在しないというあまりにも時代に逆行したゲームだったモバエムにおいて、最大の長所は長年かけて積み上げてきたストーリーにあると思う。
実際ここ近年はアイドル個人にフィーチャーした話も増えていたし、ユニット間の関係の変化を丁寧に描いていたところも好きだった。
しかし自分の好きなユニットはその恩恵を受けることがあまりにも少なかった。
モバエムで1番ストーリが長いイベントは俗に言うマラソンイベと呼ばれるもので、主にドラマや映画などの演技の仕事の時に開催されることが多かった。
全25話で構成されているため全8話や全10話のイベントに比べても情報量も多かったし、ストーリーが面白いことも多かった。
しかし、自分の好きなユニットがマラソンイベをユニット単位でもらったのはアニバーサリーイベを除けば2019年2月上旬の節分イベントが最後だった上にもう1組側が掘り下げのターンだったと思う。
もちろん他の形式のイベントでも面白いストーリーだったなら良かった。
しかし肝心のストーリーもライブや撮影のアイディアを偶然思いつく→実践して成功するというワンパターンなストーリが明らかに多い時期があり、
正直サイスタよりモバエムの方がストーリーが面白いって言葉を聞く度に「面白いストーリーをもらえていればそうだろうね」と荒んだ気持ちになることも多かった。
それでも、掘り下げるための伏線自体は張られているように思えていたから他のユニットが演技の面白いイベントやアイドルの核心に触れるようなイベントに参加しているのを羨ましく思いながらも、いつか自分の好きなユニットも、コラボでもアニバでもないマラソンイベントが来るはずだと信じて待っていた。
他のユニットの演技イベントが投票企画でフルボイスになってる中投票できる候補の作品さえ作ってもらえなかったのに。
モバエム以外の媒体では正直かなり優遇されている側だと思っているし贅沢だと思われるかもしれない。
でもSideMの軸となるゲームで掘り下げがないということは他の媒体でもゲーム以上の掘り下げができないということではないのか?
長い年月を掛けてアイドルの掘り下げをするのは実在性を高めるのにいいとして掘り下げられなかったら意味が無いのではないか?
そんな中途半端な状態で突然更新を停止するなんて無責任にも程があることをしたのは他ならぬモバエムなのに、サイスタにもたくさんの問題があることをいいことに責任を押しつける人たちが納得できない。
だからといってモバエムを嫌いになるわけでもSideMが嫌いになるわけでもなくて、飲み込めなかった感情をただ吐き出したかっただけなのだ。