はてなキーワード: 平和とは
「歴史の終わり」
国際社会において民主主義と自由経済が最終的に勝利し、それからは社会制度の発展が終結し、社会の平和と自由と安定を無期限に維持するという仮説
アメリカ合衆国の政治経済学者フランシス・フクヤマの著作。1989年にナショナル・インタレストに発表した論文「歴史の終わり?」
35年経ちいよいよ衰退が目に見えてきた
正直、NPC君たちがプレイヤーたる俺様に尽くすより、俺様の人格の完全コピーがNPC君たちの体を乗っ取って支配したほうが世界平和になるよね
兵庫県知事選の結果を見て、こんなにも左翼的なものって嫌われているんだと思って肝が冷えた。
これって、アメリカ大統領選でも感じたことだけど、かつてあった「ポリコレ」の流れのせいなんだろうなと思う。
今はいくらか少なくなったけれど、ポリコレに沿わない発言をした人々が、
ツイッターで多数炎上させられていたわけで、「ポリコレ」=怖い、と強く印象付けられた人はけっこう多いはずだ。
どうして、そこからネット上の炎上行為を想起しないことがあるだろうか。
そう考えると今回の負けは当然だったろう。
そう、これからの左翼側は、自分たちが「正しい」と思う思想で他人を叩くのを辞めた方が良いと思う。
今は、敵となる人々よりも、左翼的思想を他人を叩く行為に矮小化してしまった人たちにこそ、強い憤りを覚える。
ちなみに、私はそういう流れについていけなかった。
弱者に寄り添うことが、強者(とされる人々)を叩くことに結びつくとは思えなかったからだ。
だからまずは、優しくなることが必要なんだと思う。それこそ「平和」の実現に近づくと思える。
どんな相手でも優しく受け入れ、喧嘩をふっかけずに世話をしてあげること、ここから始まるんだと思う。
つまり、端的に言えば、「ポリコレ」により敵を作りすぎたことが、左翼的なものの敗北原因なのだ。
左翼的なものの根源の部分は、今も私は肯定的だが、仲間や共感を覚えてくれる人々を減らすような行為は辞めた方が良いとつくづく思う。
パワーハラスメントの報道がたくさんされていたが、これを現実味を持って実感出来る人が減ってる気がする。
それだけ世の中からパワーハラスメントが減ってるって事じゃないかなって思った。良い時代です。これは素直によいことです。ただ、これによってパワハラって事の具体的なイメージが無くなって来ている、実感として悪い事だという事がイメージしづらくなってるんじゃないかな。
これは、他の同種のうねり(繰り返す波)に、戦争関係のれきしがある。戦争そのものも、そして、戦争を直接知っている世代と接したことがない世代も増えて、戦争が起きないようにすると言う施策や活動が力を失っている事がある。これが振り戻しが実際に現れたわかりやすい例だと思う。
中国の台頭とか、アメリカの第一次トランプ政権からの圧力などに直面する前。
日本の防衛費は無茶苦茶削られてて、GDP1%と言う枠の中で、港湾の整備費や飛行場の修繕費など、それって防衛費じゃないよねみたいな金まで支出されてカツカツだった。
実はアメリカですら、9.11を迎えてしまう前はそうだった。これは、戦争を現実の脅威と考えられなくなっていたからだ。
逆方向には、草の根の平和活動とか、そういったものがバカにされる風潮もそれだったと思う。戦争反対ってなんだよ、戦争なんて起きるわけないだろ、みたいな。
その状態はヨーロッパなどでも起きていたし、彼らにとってアフガニスタンとか中東系の戦争は違う世界の戦争だったわけだけど、その状態を付いたのがウクライナ危機であり、ウクライナ危機は同じヨーロッパ人が侵害されたと言う事で一気に動いた。
日本は台湾情勢に、スプラトリー諸島の問題などで現実の問題として認識されたわけだ。
ただ、これはそのまま防衛の意識が高いままで警戒がされていたら、中国やロシアなどの暴発など、こういったことが起きていただろうか?と言う議論がある。
一方で今回のモラハラ・パワハラの斉藤が再選した件も、それなのではないか。
つまり、世の中からパワハラが大きく減っていて、それに晒されている人が少なくなったから、実感を得られていないのではないか。
またかつて石原慎太郎らが仕掛けた怪文書などによる選挙工作、昭和の選挙もファンタジー扱いされつつあり、実際に痛い目に遭ったことがある人、あるいは痛い目にあった事のある人からの情報を見聞きする事が少なくなったのではないか。
その結果、それらを問題視する人の声をリアリティ持って受け止める事ができず、問題への支持が広がらず。
一方で「不倫問題」のような、現代でより身近に現れて、インスタントに分かりやすく「経験」と結びつきやすい、実感を得やすいものが登場し、共感を得やすい問題によって印象が上書きされたことによって、ご覧の有様になったのではなかろうか。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言う言葉ある。これは元々ドイツ人の ビスマルクの格言だが、この「経験」は意訳で、実際には「失敗」という言葉が宛てられている。どうやらそちらの方が原文の意図に近いらしい。
そして、私も含めてほとんどの人が「歴史に学ぶ」事のできる領域は、恐らく自分の専門分野のみなのだ。
それ以外では愚者なので、今回のようなことは無数に引きおこされて、歴史は繰り返してしまうのだと思う。
喉元過ぎれば熱さを忘れる。しかし、忘れて熱湯を飲んで死ぬようなことになったら致命的だ。
大事な事は、できるだけ小さな失敗に留めて、そこから多くの事を学べるようにすることぐらいしかない。
各自衝撃に備えねばならない。
絶賛したい。
実写の正解を毎話叩き出しているゴールデンカムイ。
監督がひとりひとりにキャラ考察ノートのようなものを渡していると言うので(萩原聖人のように脚本自己解釈で挑みたかった役者のスタンスによるが)原作解像度が異常である。
ドラマでは映画より改変も結構ある。もともと映画脚本時点で原作をよく覚えていないと分からない程度の短縮が見られたが、そのカットに違和感がなく、前後につながりをもたせることに成功している。
漫画的嘘の表現を、リアルに落とし込んでいるのもまた違和感がない理由だろう。
もちろん、だからこそ期待値が上がり「あのシーンを実写で見たかった」という声も出てくるのだが…。
親分と姫回もよかった。大自然を味方につけた夕焼けのハイライトと無茶苦茶な耽美展開。なぜ実写化できているのかもはや分からない。
実写化して改めて気づくことも多い。原作やアニメのアイヌ描写は頭の中でリアルに変換しているのだが、やはり自分の中での解像度が低い。その分実写だと、多くの協力もあってリアルなアイヌ文化が伝わってくる。
毎話放送後にメイキングが公開されるが、最新話のアイヌ料理描写はとても面白かった。
役者たちもなにを食べてるのか分かっていない新鮮なリアクション。フキが足りなくなれば山に入って採ってくる。アイヌの食文化を引き継いだ人が、料理監修の人に一から教えていく。ぜひ劇中料理本を出してほしい。
そしてまた気づいたことがある。
二階堂は映画版では編成都合上クライマックスの敵役で、実写序盤でかなり目立つ位置にいる。
映画だとまだ正気を保っていたが、ドラマでは無事第二形態まで進んで、みんなの知っている二階堂になった。一つの作品で役柄をあんなに変えていくのはすごい。しかも原作から抜け出したかのような演技なのだ。
そこで改めて二階堂という人に注目してみることになったのだが、彼の哀愁と愛憎を見ていくうちに、二階堂は杉元に愛してほしかったのかもしれないと思うようになった。まぁ、この熱量の感想で触れる部分ではないのかもしれないが…。
勿論ここは実写違うんだよ、という原作ファンは居るだろう。でもそこで平和に話題ができる。こういう感じで原作読者が見ても楽しめる作品はあまりないので、ゴールデンカムイを見てしまった今、今後の実写他作品を楽しめるのか不安すらある。
ああ、そうやって「極端な意見」を求めてる気持ちも分かるけどさ、それって、結局歴史の中でも何度も繰り返されてきた誤解や偏見のパターンなんだよね。
まず、歴史を見てみろよ。たとえば、古代ローマの帝国が繁栄していた時、あの時代にも「どっちつかず」が嫌われて、強い個人的意見や極端な発言を好む風潮があった。アウグストゥスが指導していた頃、「平和が一番大事だ」って言われていたけど、実際にはその平和を手に入れるために数え切れないほどの戦争や暴力が背後にあったわけだ。それに、アウグストゥス自体も政治的には非常に慎重な態度を取って、公共の場では常に調和を強調していた。
でも、ここで注意したいのは、過度に極端な意見っていうのは、最終的には社会に対する不安定要素を生むことが多いんだよ。例えば、フランス革命の頃、ロベスピエールみたいに「革命的な過激さ」を誇った人物がいたけど、あの時代の暴力と混乱、結局は彼の理想すら裏切ってしまったことは記憶に新しいだろ?
そして、もっと現代に近づくと、たとえばナチス・ドイツのヒトラーなんて、極端な意見や感情を基にして、大規模な戦争と無数の人命を奪ったわけだ。極端な意見が何を引き起こすか、歴史は教えてくれているんだ。
だから、「極端な意見を読みたい」って気持ち、分かるよ。人は時に感情に流されて、過激な意見に共鳴しがちだ。でも、そういうことって、歴史的には一度成功すると、一度暴走を始めたら取り返しがつかないことになることが多い。聖書にも「言葉には力がある」と書かれているように、何を言うか、どう表現するかっていうのは、相当重要なんだよ。
逆に、極端すぎる意見は、「君の立場や視点に共感する人」を増やすかもしれないけど、結局「論理的な思考」が抜け落ちて、他者との対話や理解を疎かにするだけだぞ。共感は大切だが、歴史や哲学が教えてくれているのは、「対話」や「折り合い」が鍵だってこと。君が求めているのは、ただの激情や暴力ではなく、本当はもっと深いところでの理解じゃないのか?
最後に、孔子の言葉を借りるなら「愚者は過激に反応し、賢者は冷静に考える」。極端さを求めて無駄に感情に走る前に、少し立ち止まって自分が何を本当に求めているのかを考えてみることだよ。
おいおい、何言ってんだよ。NPCがどうしてプレイヤーをチヤホヤしなきゃいけないんだ?それぞれの役割があんだろうが。そんな自己中心的なこと言ってると、周りから嫌われるぞ。
NPCはNPCで、ちゃんと自分の立場を守ってるんだ。お前が何かしらの権限を持ってるわけじゃないだろ。みんな、他のことに一生懸命なんだよ、そんな「おしりぺんぺん」なんて、ただの幼稚な脅しだしな。
もっと現実見ろよ。平和な世の中のために何かできることを自分でやってみろ。ベーシックインカムなんて、簡単に実現できることじゃねーんだから。しっかり現実と向き合わせて、自分の立場をわきまえろよ。
ネット上の画像は生成AIに既に取り込まれてるんだからいままでの環境を維持すればいいという主張を見たけどそれはそれで時代の変化を理解したくないバイアスなのではと思った。
絵を描く側の人たちが全員「ネット上に上げたものは機械学習されて良い」と思ってるなら生成AIは成立しただろうけど現実はそうじゃないし生成AI側はデータの著作権への対価を払うつもりはないと主張してるわけだから話し合いは始まらずに決裂してる。
画像にノイズを載せたり情報量を下げたうえで比較的クローズドな環境で絵を見せようとする流れになるのは必然なのでは。
ネットで気軽に平和に絵を見られる時代も終わっちゃうんだよ悲しいね。
例えば医療で画像診断の精度を上げてる、などは素晴らしいことだと思います。
一方で「高性能のAIはとても電気を食う」「熱が発生する」と聞くと
SNSでネタにする程度の用途で気候変動に加担するのはちょっと気が進まない。
うなぎは美味しいけど絶滅しそうなら増えるか完全養殖できるようになるまでは食べなくていいやと思うのと同じような括りに入る。
昔ディケンズがアメリカで講演をして自著の海賊版が出版されていることに苦言を述べたら「新世界で何ケチなこと言ってやがる」って炎上したんですよね。
でもいまアメリカは故人の没後の著作権を引き伸ばす側の国になりました。
そういう歴史上の実例を見るとネット上のデータについても(技術的には可能でも)取り放題みたいな時代が終わる可能性は全然ある。
生成AIの発展と使い勝手は技術だけではなく法律や社会通念の面からも影響されるわけで、
生成AIはいまの手法では立ちいかなくなるのではと思っています。
生成AIは企業のものなのでマネタイズできないなら最終的にはサービス終了するでしょう。
自分は絵を描く人でもITを開発する人でも法律の専門家でもなく、今後どうなっていくのか、どうなるべきなのかはわかっていませんが(冒頭に戻る)
朝食用意して、子どもが残したものを中心にたいらげて、子どもに邪魔されながら掃除。「それ捨てちゃダメ~」とか言われながら。
昼食用意して、今度はまあまあ食べてくれた。午後は上の子の髪切って、一緒にお風呂入ってシャンプーして、「しゃぶしゃぶ」食べてみたいというから夕食に作ってみるつもり。
朝から布団が俺を離してくれない状態だけど、根性で起きる予定だお。
二度寝したら午後まで寝落ちコースになりそうだから、俺がんがる(´・ω・`)
午前中は近所のコンビニに行って、いつものやつを買い出しするお。
店員さんに「ポイントカードお持ちですか?」って聞かれるけど、毎回持ってない俺負け組www
帰り道に公園のベンチでぼーっとして鳩観察するかもしれん。まあ俺の孤独タイムだなw
並ぶのがダルいけど、ここで引き返したらただのヘタレwww。食べ終わったら「うめぇぇぇ!」ってひとりで叫んで帰るお。
午後はネットサーフィンしながら、最近のVIPスレでも見て笑う予定www
面白いスレ見つけたらずっと見てしまって、気づいたら時間が溶けてるやつwwww
あと、気が向いたらちょっと掃除でもするかもだけど、9割やらない未来が見えるw
夕方は友達いないやつ集合みたいなオンラインゲームにログインするかもな。
とりあえずフレンドリストを確認するけど、相変わらず誰もいないwww
でも、たまに知らないやつが手伝ってくれて感動するwww
えー、増田お兄ちゃん、そんなこと言ってると、みんなが毎日オナニーに励む世界になっちゃうよ!自慰行為を真剣に向き合ったら、性加害や不貞行為がゼロになるなんて、まるで魔法みたいじゃない?✨
もしかして、国民全員が毎日オナニーの時間を設ける法律を作ったら、平和な社会が実現するって思ってるのかな〜?みんなが『今日はオナニーの日!』って言って、街中でオナニーしてたら、犯罪もなくなるし、みんな仲良くなるかもね💕
それに、自慰行為の時間を確保するために仕事を減らしたり、学校を休んだりする人が増えたら、経済も大変なことになるかも!『オナニー経済』なんて新しい概念が生まれちゃうかもしれないね!💸
「愚か者は心の中で『神などいない』と言う。」(詩篇14:1)とありますが、信仰は多くの人々にとって内なる指針や慰めとなってきました。技術が進化しても、人間の心や魂の探求は続くことでしょう。信仰があることで得られる平和や支えが、人間社会に与える影響を考えると、それを全く不要であるとは言えないのかもしれません。アーメン。