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はてなキーワード: 里山とは

2024-02-22

クッキングパパ九州舞台に、80年代に「男がメインで家事」を描く

社会問題に触れて打ち切りになった美味しんぼより、社会問題ノータッチ長寿連載のクッキングパパの方がいいよね論がバズる

https://pbs.twimg.com/media/GGniBctbQAAm9xR.jpg

反論

温泉ペンギン@pen_pen2020

クッキングパパ』の舞台福岡で、初期のパパは周囲には自分料理してるのを隠しており、自作のお弁当も妻が作ったていにしているのだが。

社会問題なんて一切無縁」では全くないよ。

子どもの頃は何で荒岩パパは料理上手なことを隠すのかと思ってたが、自分父親になると理由が分かるよ。

男が家庭で料理してると訝しまれるもんね。

自分も家庭では料理担当で、毎日弁当自作してるけど、それを周囲が知ると「何で奥さんが作らないの?」的な反応がくるもん。

年配の上司からは「奥さん甘やかせ過ぎだ」とか軽く叱られたことすらあったもんな。

から自分料理して弁当作ってることは周囲には特に言ってない。

自分配偶者を悪く言われたくないしね。

https://twitter.com/pen_pen2020/status/1760194123490017697

わしお@washicomp

美味しんぼが終了→正しくは長期休載

クッキングパパ社会問題なんて無縁→「九州男厨房に入らず」「女は家庭、男は仕事」「男は家事育児しない」を覆し、ジェンダーヤングケアラー里山管理、熟年層の恋愛などさまざまな社会問題を扱ってきている

https://twitter.com/washicomp/status/1760488022762741881

葉真中顕

@hamanaka_aki

今『クッキングパパ』と『美味しんぼ』を比べて『クッパパ』は「無難すぎる生活を書き続けてる」とするコラ画像?が流れてきたけど(不快なので引用しない)、ほんとに『クッパパ』読んでんのかよ? フォカッチャ回とか、初期夢子とか、そこかしこ福岡狂気がにじむ件とか、無難じゃないだろ!

https://twitter.com/hamanaka_aki/status/1760243332511682957

かじめ焼き@kajime_yaki

クッキングパパ

普通に時事ネタ扱うでしょ。

パチンコ社会問題化したころには主人公の義父に苦言を呈させてるし。

あとは虹子さんが育児疲れでマコトを殺しそうになる話とか。

https://twitter.com/kajime_yaki/status/1760173531076448318

ミサンザイ 同人誌天皇を旅する本」「天皇を旅する地図」ほか BOOTHはじめました@katsunomisanzai

クッキングパパは「クッキングパパであることそのもの社会への問いかけだったんじゃないですかとおもうけど(しか九州男児なわけでしょ)そう思わない、疑問を感じない人が増えたのは時代の変化なのかも

あと「クッキングパパ話題を巻き起こすことない」と断言してるの、このひとにとっての「話題」ってなんなんだろう。アニメ化され実写化されたこともあってなお話題になってない扱いなのか

https://twitter.com/katsunomisanzai/status/1760229692244979911

リチウム@Lithium910322

クッキングパパ」でもキャンプの時に学校で教わった環境破壊の話を父に話すまことの話やら、妻の実家養豚業に継ぐ為に脱サラしたメガネさんが副業柑橘類農業廃業さぜるをえなくなる話やら、みゆき出産育児の時に育休の話が出てたりと、結構社会問題ネタやってますやん。

https://twitter.com/Lithium910322/status/1760173548596052319

KOMA太郎@Akoma83801450

オレンジ輸入自由化の時は、原反のためにミカンの木を伐採したさまを描き、いつか大変なことになるのでは、と批判している。

子供を授からない梅田夫妻。部下の工藤は育休を取得していたはず。

描き方は穏やかであるが、常に社会を見ている作品である

https://twitter.com/Akoma83801450/status/1760262420898140387

2024-02-06

プロ自分取材に行ったり資料を購入したりしている!」って言う人がいて、それを以ってAIガーって言う人いるけど、

取材先すべてに金出してから資料ならその資料の元に金が行ってるのを確認してから偉そうに言ってくれ。

建物やらなんやら、自然のように見える里山など全ては人為であり誰かが金を出して作ったものだ。

自分の足で取材に行ったからタダ(取材先に金は出さない)、その労力を金出して買ったから良い(元々の権利者に金が行っているか確認しない)はあなた達の論理で言うと通らないはずなんですよ。

法律保護されてないものからタダでも良いんだ、って論法ならそれは自分にもダメージいきますよ。

2023-11-12

anond:20231112214726

昔は万年ドングリ不作かつ視界が開けてて小動物にも逃げられやすい、熊にとって近づく価値もない不毛の地である里山が人里との間にあったんだけど

その里山間伐されなくなってどんぐりわっせわっせの熊が住めるエリアになったから熊の生息域が広がって人里と隣接しちゃったんだよね

2023-10-20

anond:20231020115035

逆なんだよなあ

里山管理放棄されて熊の生息域が広がった結果人里と熊の生息域が隣接するようになって熊騒動が増えとるんやで

2023-09-07

ドクダミはタフ。草むしりをしててもそれは感じる。

でも地下茎が地中に5cmでも残ってるだけで復活する、みたいな話にはまたまた……と思ってた。

抜いた草を突っ込んだゴミ袋が蒸れてるんでかき回してた時、真っ白い新鮮な根っこがニョロニョロと生えてるのに気がついた。

まさかな……と思って調べたらドクダミの地下茎で、小さい葉っぱまで生えていた。根っこも結構伸びてた。他の雑草腐葉土と化してんのに。

今年の夏は結構気合い入れて草むしりをした。更地になれば新たに生えてくる雑草も目立つもので、せっかく綺麗になったんだからマメに手入れをしてた。

質量保存の法則というものがあるんだからドクダミの成長だって無限じゃない。葉っぱがなきゃ光合成は出来ないだろうし、光合成が出来なきゃ地下茎だって減る一方に違いない。

根比べじゃいと思って少しでも葉っぱが出たらむしったし、根本の地下茎も毎回結構な所までほじくり返した。

でもゴミ袋の中で逞しく生きる生命力を目の当たりにして、なんかもう面倒臭くなってきて液体タイプと粒剤のネコソギポチった。葉と根で挟み打ちだ。

ビッグモーター御用達除草王が話題になってたけど、除草剤の効き目をこの目で見てみたいという思いも無意識的にあったのかもしれない。

緑一つない庭を見てると気持ちが良くなる。

心なしかヤブ蚊も少なくなった気がする。

土を掘り返して乾かしまくって砂漠化させたらとても気持ち良いんじゃないかって妄想を膨らませる。建物への害がなかったのなら塩を撒くやつも試してたと思う。

ガーデンニングとは真逆を行っている気がするがガーデンニングの楽しみのエッセンスに触れている気もする。理想支配の願望を形にしていく感じというか。

高校現代文里山って不自然だよなみたいな評論を読んで以来、盆栽とか不自然の極みみたいな趣味だよなって思ってる。

2023-08-08

anond:20230808180225

里山集落自然じゃなくて人の住む場所なんで、自然環境保護とか言われてもここは自然じゃないとしか

あとそんな原理主義キチガイ団体ばかりじゃない。ネットだとそう言うの目立つけど、実際の動物愛護団体はきちんとやってるよ。

2023-06-01

anond:20230601114029

職業世襲はたぶんダメだけど、

ややこしい田畑とか指定文化財とかは世襲じゃないとそもそも保存すらできないよ

子供の頃から「おまえはこのお堂を受け継いで守っていくんだよ」って洗脳してようやく成り立ってるわけだから

それをやらなかった千枚田みたいな田んぼを今鉄腕ダッシュという番組復興作業やってるけどどうみても人的資源を投入しすぎでもとがとれてない

一家族で維持できるギリギリ資源を維持するための世襲ってのがあるんだ

ないと日本が荒れ果てる

空き家程度は国が壊してくれるけれども

里山クマイタチハクビシンネズミイノシシだらけになって笹や竹、クズが地上をうめつくし

最終的にペストコロナあたりの病気人間も滅びるよ

2023-04-22

anond:20230422121819

平地の里山だの森林公園だのをイメージしがちだけど間伐などの手入れがされてない放置された山は入って遊べないよ

ピクニックシートを広げられるような開けた場所はない

傾斜に樹木と背の高い雑草がギチギチに詰まって駆け回ることなんかできないしヘビやイノシシなど危険も多い

進撃の作者は山に囲まれ暮らしを元にあの漫画を描いたけど山なんて壁と一緒

2023-03-05

anond:20230305142825

なんか環境科学関係ある?

人をふやさなきゃ里山も維持できない話のこと?

2023-01-27

anond:20230126120356

原始時代のことを言えば、女が選好するタイプの男は優しい男だったという説があるらしいよ。

食べ物を運んで来てくれて、子育てを手伝ってくれる男がよかったわけだ。そういう男と番になった女とその子供は生存確率がそうでない場合よりも高かったということ。


ホモサピエンス先祖から分岐した早期から既に直立二足歩行をしており、つまり、女の妊娠出産はその頃から負担が大きかった。女一人で子供を産み育てるのは大変だったので、番の力を借りていたということだ。

優しい男が選好されたのと、番の助けを得られなかった女子供は淘汰された事により、男側に生じた変化はというと、戦闘的ではなくなったということだ。

そして、それによってもたらされたのは、男同士での共闘可能化だった。

他の猿の雄に比べて、ホモサピの男達は狂暴性や体力・身体の大きさでの優劣がつきにくく、比較的争いを好まないのである

ホモソーシャルの誕生である。そしてホモサピエンスは百人以上の単位で行動することができるようになり、高度な社会を築いた。

まあ、その後、厳しい環境への適応だったり異集団との衝突だったりで、戦闘的な性格の男が生存に有利になったりもして、現在もっと複雑多様になっているのだが。

ちなみに、孔雀の雌が雄を選好する基準だけど、飼育環境下ではなぜか鳴き声など、羽以外の要素になったりするので、本能的なものではない可能性がある。

そもそも、鳥の羽の青色というのは羽そのものの色彩ではなく、羽自体の光の反射構造なのだが。すると、同じ羽でも環境によっては色の見え方が微妙に違うのかもしれない。インド里山で見るのと日本動物園で見るのでは、何かが違うのかも。鳥っていうのは人間とは違う色覚を持っているというし、人間の目には見えない点が孔雀の雌にとっては重要なのかも。

あるいは、狭い飼育環境の下では、近親交配の多発とか、平等環境負荷なんかで雄の羽の構造の均質化が起こり、雌の目にはどれも似たり寄ったりに見えて決め手が欠けるのかもしれない。

その点、鳴き声は本能的でもあるが学習によって変わる可能性もあるから、選好事由になることもあり得るのかも。

2022-09-09

anond:20220909225131

過酷肉体労働暮らしに不可欠で、しか寄生虫養分吸われてるぶん、消費カロリーが多いんだろう。

てかそも、今の里山自然が豊かだが、江戸時代以前は建材や燃料にするためや牛馬の餌にするために木や草を伐採しまくっており、そのせいで水害が多発してもいた。そのため里山には今ほど草木がなく、生物多様性もなく、よって、ご飯のおかずになるような物を自然から取るのは難しかったのではないかと思われる。

2022-06-25

薄いけど長時間かかって読んだ本。

『小さな里山をつくる チョウたちの庭』(今森光彦



概要

 写真家今森光彦氏が、段々畑のある里山土地を買ってアトリエを作り、雑木林などを大改造。様々な種類の樹木を植え、溜め池を堀り直し、花々の咲き乱れる庭を作った。大好きな蝶を沢山呼ぶためである。足掛け30年でつくり上げられた「チョウの庭」には75種類もの蝶が来るようになった。

 写真が多くルビも適宜振られている、分類としては児童書なのだが、大人が読んでも面白い本

増田感想

 私は庭いじりはあまり本腰入れてする方ではないが、必要に駆られてちょっとはするので、草木の手入れについて知っている事もあるけど、それでもこの本を読んで「へー初めて知った!」という事があった。草刈り必要性についてだ。

 年に数度の下草刈り必要という事までは知っていた。だが草を刈る事で特定の丈の高い草に土地を独占される事を防ぐ効果があり、それによって植物の種類が多様になり、するとその植物達を利用する昆虫達の種類もまた増える事になるというのは、私は知らなかった。つまり里山生物多様性は人の手によってつくられるのだ。

 昔、映画もののけ姫』の監督インタビューを『アニメージュ』か『もののけ姫を読み解く』で読んだ。そのインタビュー宮崎駿監督が、世の人々が「自然」だと思っている里山風景は人工的につくられたものだと言っていたと記憶している。

 人の手によってつくられた「自然」とは何か……その具体的な有様をこの『小さな里山をつくる』によって見せられた。人の手の入った里山の「自然」はありのまま自然よりも豊かなのだ。それは人間にとって有用という意味だけではなく、植物昆虫小動物など生物にとっても住みやす環境なのだ

 蝶は、それぞれごく限られた種の植物依存して生き、しかもその美しく奇妙な姿と優雅で愛らしい羽ばたきからよく人の目にとまる。そのため、ある土地暮らしたり立ち寄ったりする蝶の種類の数というのは、その土地生物多様性指標としてはもってこいなのかなと思った。

 30年もかけて土地に多様な種類の樹木や草花を植えてつくられた蝶の楽園楽園の維持には草刈りや木の間伐、野焼きなど、農業園芸を知らない人ならそんなにやって大丈夫なの? と心配になってしまうようなダイナミックな手入れが必要なのだ

 自然のまま草木の生えるままにしておけば強い草木けが生え、それに依存する少数の昆虫しかいなくなる。そしてやがてそこに生えていた木々老い共倒れにより滅びて、ただの荒れ果てた草原に戻る。

 人間による手入れは自然の中ではたまにしか起きない天変地異再現であり、しか計画のもとに行われる。本来だったら競り負けてしま草木を残し、土地養分日照権を独占する草木を打ち倒したり、勢力を抑えたりする。

 環境保護というトピックにおいてはつい人間存在不要の物として私は考えてしまいがちだったのだけれど、人間自然のよき管理者にもなれる可能性も持っているのだと知った。本書のメインの蝶の話から脱線しているけれど、私は本書を読みながらそんな事に思いを馳せた。

 裏を返せば、自然の中に住む様々な生物……こと植物……生態系ベースとなるので彼らの生き様というのは重要だ……にとっては、多様性共存共栄というものはあまり重要な事ではないのかもしれない。常に競い合い頂点を目指す、自分繁栄けが願いなのかもしれない。人の夢見る生物多様性というのは、不自然な事でしかないエゴなのだろうか。

 まあそんな面倒臭い思索は置いといて、庭がクリエイトされていく過程は読んでいてわくわくするし、里山風景草木や蝶をはじめとする昆虫写真は素敵だし、全75種類もの蝶がずらりと並んだページは壮観で興味深い。お、『鬼滅の刃』の胡蝶しのぶさん柄の蝶まで。アサギマダラという珍しく美しい蝶だ。

 それと、本書に度々登場するジャノメチョウ。私はこいつに嫌な思い出がある。だからまり出会いたくないのだが、本書で久しぶりに目にしてふと気づいた。昔はよく家の網戸に停まっていたのに、最近全然見かけない。本書によればジャノメチョウはススキ依存して生きる蝶であるらしいので、最近とんと見かけないのもむべなるかな。ススキの生えた場所なんて、市街地には全然ないもんなあ。

 読むのにだいぶ時間をかけたけれど、時間ほとんどは写真をじっくり眺める事に使った。

2022-06-17

anond:20220617205946

これをやらない企業時代遅れの仲間外れらしい。

森こそ二酸化炭素を持続可能に減らしてくれると想っているのだが、どうやら金にならんようだ。

そんなことよりも里山を切り崩して太陽光パネルを敷き詰めてるよ。

20年くらいでボロが出そう。

まぁ、それくらい先しか見てなくて持続可能って言ってる気がしなくもない。

2022-04-19

高級な唐揚げ屋に連れて行ってもらった

上司増田君、来年4月の第1週の金曜日、夜は空いてますか?」

増田「えっ、だいぶ先ですね。繁忙期も終わるし、大丈夫です」

上司「よかったです。この日にちょっとした会があるので空けておいてください」

という会話から半年弱。4/8の午後に、新幹線に乗って静岡県の某駅に向かった。

素直さだけをウリにしていて気働きが鈍い自分も、上司がああいう言い方をした時点で、それが「ちょっとした会」などではないことはわかった。

車中で交わした会話からすると、ごく内々の慰労で、お客さんは関係ないと。

ただ、「ちょっといい店」なんだよ、と。

店に行く自体目的だということ、自分には特にお役目がないんだということがわかった。

夕方5時過ぎに駅に着き、そこからタクシーに乗って20分ほど。

街中から離れ、周囲を夕日に縁取られれた稜線が取り囲むような里山の前で下ろされた。

看板が出ていない、綺麗に舗装されたゆるやかな歩道を上がっていくと、

簡素な門の向こうに、小さな庭園と池、RC造で軒のない平屋の建物が見えた。

玄関ドアに着いた呼び鈴を鳴らすと、和服仲居さんが出てきて中に通された。

割烹みたいな対面カウンターに先客がいて、それがウチの専務だった。

普段なら声もかけられないような関係の人が、「おお、上司君、増田君、お疲れさま」。

自分は小心者だから、さすがにちょっと、いや相当、テンションが上がった。

舞い上がってわけのわからない返事をしたかもしれない。

専務によると、ここは以前、地元企業経営者が所有していた別荘を店主が買い取って料理店に改装したのだという。

以前は都内で知る人ぞ知る店を構えていた店主が、一念発起して静岡拠点を移したんだと。

肝心の料理は、突き出しの後は、天ぷら屋みたいに色々な唐揚げを少しずつサーブするスタイルだった。

素材によって、唐揚げの衣の味付けが全く違う。

揚げ油も白絞油とごま油を使い分けていた。

大半は衣の時点で調味されてるので、天ぷらみたいに、塩をするとか天つゆを使って最後に味を付ける過程がない。

カウンター越しに出されたものを、そのまま食べる。

そのたびに口中に、脳内に、宇宙が広がる。

硬めの衣で包まれ、噛み締めた途端に口の中で爆発するプチトマト唐揚げ

ほんのり香るクミンが腸の苦味と絶妙に合う、ホタルイカ唐揚げ

から丁寧に外した1粒1粒の食感が楽しいトウモロコシ唐揚げ

青のりを散らした、目にも楽しい車海老唐揚げ

専務上司も、口に運ぶたびに少し静かになる。

神妙に味わってから、その料理の味についての話はせずに、また雑談に戻る。

これが彼らの、もしかたらこのお店の、作法なんだなと思った。

(帰りの新幹線では3人一緒で、2人はしみじみと一品一品の論評をした。

 自分も2人に比べたら幼稚な感想を申し上げた)

そして最後の「○○鶏の竜田揚げ」。

○○鶏は、70年代に大型化して復活した肉用名古屋コーチン原種に近い、どこにも品種登録されていない鶏だという。

唐揚げという言葉から想像するくどさとかジャンク感とは対極の、どこまでも澄んだ、静謐さすら感じる体験

地鶏らしい弾力と旨味が、薄く纏った米粉の衣の香りとともに鼻腔と味蕾を満たす。

このハイライトには、3人ともしばらく絶句してしまった。

最後は小丼の親子丼で締め。

これもまた途轍もない、自分親子丼に対するイメージを塗り替える代物だったけど、最後唐揚げの後ではどう評しても蛇足になってしまう。

とにかくすごい体験だった。2時間半が半日にも感じたぐらい。

客は我々を入れて4組。それでゆったりしたレイアウトの客席が満席

こんなご時世なのに、客の半分は外国人だった。

隣席の会話を聞くに、もう引退した有名政治家が、仲間を連れてお忍びで通ってきたりもするらしい。

自分は(接待では)超高級といわれる炉端焼屋も蕎麦屋寿司屋うなぎ屋も串焼き屋も行ったけど、

唐揚げというジャンルにも、そんな知られざる至高の高級店があるということを、初めて知った。

いろんな世界があるものだと思った。

この手の店ではよくあることだけど、予約は(普通のやり方では)取れない。

専務も他の客も、実際に店に行った時に、店主と話して次に「空いています」と伝えられた日程を

半年後でも1年後でもとりあえず押さえて、その日には仕事を入れない。

それを繰り返す。結果的に、客は常連さんか、常連が連れてきた一見客だけになる。

一度常連になった客達は、みんなこの予約のサイクルを切らしたくないから、

人数合わせで知人や部下を誘うことがあって、自分は今回たまたまそのお相伴に与れたのだ。

おそらく、自分がこの先の人生で、この店の会計を自腹で払えるようになることはないだろう。

でもめいっぱい出世すれば、専務が持っている予約枠を埋めるレギュラーになって、

年に1度ぐらいは通えるようになるかもしれない。

それか、あと5年ぐらいしたら、あの目眩のするような体験を思いっき通俗化・大衆化したような

「高級唐揚げ屋」が町場にたくさんできるのかもしれない。それはそれで楽しみだ。

2022-04-16

anond:20220416134801

そんな実態はない。むしろ、ソーラー売電で現金収入があると、森は手入れができるようになり里山がよみがえるまである

2022-03-30

独身中年男の居場所

あんま無い。

テニスランニングサークル若い男女の出会いの場か既婚者の集まりのどちらかになる。

バイク釣りカメラ自転車みたいに金を掛けることができる趣味は参加しやすい代わりにサークル内のヒエラルキーが酷い。

ボランティアも参加しやすいけどコロナで集まるタイプ活動が少なくなってしまった。

炊き出し里山管理は楽しかったけど今のところは少人数でやってるみたい。

いまのところはアームレスリングパワーリフティングの集まりに落ち着いた。

サークルとかじゃなくて市営のジム常連になって話ししてるうちに一緒にトレーニングするようになった。

ちょっとしたきっかけで自然消滅しそうな気がする。

基本的中年の男は結婚して仕事と家庭をバリバリやってる想定で世の中作られてるぽい。

2022-03-29

anond:20220328003510

しかに「里山/農村」と「地方郊外」の区別がついてない人多すぎるんだよな。

国道沿いのガチャガチャした場所で暮らすのと、1次産業に近い場所23区文化資本にたまにアクセスする、のQOLの違いたるやですよ。

2022-01-03

anond:20220103134300

薪ストーブ田舎では文化的地産地消エネルギーということでインテリ一定支持してる。

中東とかインドネシアから持ってくる灯油とかロシアから持ってくる天然ガスより良いと。

アサヒ記事にするのもそういう背景があるから

ただ各家庭がそれやると里山がはげ山になるから持続可能じゃないんだよな。

あと廃材は木材じゃなくて塗料や防腐剤がいろいろ添加されていたりするから排気ガス有害になりうる。

2021-11-20

anond:20211119172629

そらー山の奥、人の力の及ばない土地には、太古から自然と共に生きる神的なものがいて、開発しようとすると里山に進撃するからだよ。なぜそのように荒ぶるのか!

2021-11-07

江戸時代に松を植えたり昭和に檜・杉植えるのが良くてソーラーダメ理由わからん

里山の保水力なんて江戸時代からゴミなんだからソーラー設置しても問題なくね

2021-11-02

anond:20211026000426

浅すぎる。

平成狸合戦ぽんぽこ』は多摩の開発と自然破壊を題材にしているが、そこに描かれているテーマは「自然vs人間」ではない。

里山vs都会」だ。

なぜ狸が擬人化されているのか?

狸の反抗が左翼活動家集団のように描かれて、居座りやら内ゲバのようなものまで描写されるのはなぜか?

ラストに敗北した狸が「慰み」として作り上げた幻覚は、どうしてただの狸の生息する森や山ではなく、かつての暮らしをする人々のいる人里なのか?

狸たちは都会人としての生活に反抗し、里山的な生活を固持しようとする人間表象だ。

擬人化というよりは、擬狸化と言ってもいいくらいだ。

物語ラストで、敗北した狸たちは、人間に化けられるものは都会の暮らし余儀なくされ、人間ではない狸たちは社会から阻害されて死出の旅へと出る。

その表象現実と照らし合わせたときに、単に自然破壊はよくないという感想になるのだとしたら、あまりに貧しい。

この物語類型は、戦後日本において産業構造の変化に伴い、それまであった田舎といったものや、そこに住む人々たちが変化していかざるを得なくなったという話の仲間だ。

たとえば『フラガール』なんかは第3次産業に移行する時期の地方の村における人々を克明に描写している。

同じジブリでも、近い時期に製作された『耳をすませば』や『もののけ姫』は同じテーマベースにしている。

この時期というのは、宮崎駿漫画風の谷のナウシカ』の方向性を裏返してラストを書き上げた時期でもあるし、寄生獣岩明均が「環境問題への見方が連載当初と変わってきた」と述懐しつつあのラストを描いた時期でもある。

増田が考えるような純朴な「自然環境保護」の思想日本アニメ漫画で力を持っていたのは、藤子・F・不二雄が没するくらいまでだろう。

晩年大長編ドラえもんではかなり純朴な「自然環境保護思想描写される。

顕著なのが『雲の王国』や『アニマル惑星』などだ。

思うに、こうした「自然環境保護」の思想90年代前半にピークを迎えたあと、90年代後半には変質したのではなかろうか。

純朴なほうの「自然環境保護」は「道徳」と親和性が高いので、2000年代くらいまでは学校教育に根強く残っていたような肌感触がある(その後の教育がどのようであるかは寡聞にして知らない)。

この時期的なギャップから、この時代作品についての評価についてはかなり歪みが残っているように感じられる。

2000年代以降は複雑化し単純に善悪で語れなくなった「自然環境保護思想はあまりフィクションで求められることがなくなったというのもあり、当時鑑賞していた人間もこの認識無自覚のまま、見方更新できていないのだろうと思われる。

もし現在の視座から再び『平成狸合戦ぽんぽこ』をみるとしたら、空疎に都会化する郊外についてとか、ゴーストタウン化する商店街とか、高齢化した多摩ニュータウンに残る空き家とか、多摩で育った子供大人になってどこに行ったのかとか、そういったことに思いを馳せることになるだろう。

しかしやはり作品のメインとしては、活動をする集団人間くさい失敗あるあるをみて笑い泣くエンタメという楽しみ方になるだろう。

多摩自然が素晴らしい」という感想はその次に、絵としての美しい描写として出てくるものになるだろう。

そして、「自然を守らなければならない」というのは、この映画テーマとしてではなく、描かれた美しい自然に感動した観客が、自身良心でもって結論づける感想としてしか出てこないだろう。

2021-09-19

anond:20210919121434

メンマを作るにはまず里山を購入して

竹林を作るところから

250万もあれば山は買えると思う

2021-09-14

トキタガメメダカ絶滅危惧種っていうけど

そもそも人間が稲作したり里山つくったりしたか繁栄できた種なわけで、

まり人工的な不自然繁栄だったんだから

そんな奴らなんて保護しなくてよくない?

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