はてなキーワード: 作業とは
帰宅後、俺も子供をよくやったと褒めたが、子供の顔色はいまひとつ良くない。
理由を聞いてみると、
「自分の受け持ちの作業は最初の半分の時間で終わっていた。サボってると怒られてる子はさっさと終わらせて遊んでただけ。怒られたくない子は自分みたいに何度も同じ作業をダラダラ繰り返してるんだよ」
俺は面食らって、先生に『終わりました』と言えばいいんじゃないかと訊いたら、
「そしたら他の人の手伝いとか、関係ない掃除とかやらされる。それをやるくらいなら最初の自分の仕事をずっとやってた方がマシだ」
この間エアコンの取り付けを頼んでさ。
土曜の午前中から重たいエアコンをえっちらおっちら運んできて、この季節でも汗まみれになってさ。
今どきそのあたり会社もうるさいのかすごく礼儀ただしくて。ちょっと感動して冷蔵庫にあったペットボトルのお茶を差し入れちゃったよ。こういうのを労働っていうんだろうね。
一方俺はリモートワークで年中空調が効いた部屋でパソコンカタカタやってて、下手すりゃ丸一日部屋着の寝癖頭でもなんとかなるし。頭使わない作業のときなんかYouTubeつけっぱなしだったりして。
俺がやってる仕事によって動いてる金額はきっとエアコンの取り付けひとつよりはでかいんだろうし、頭脳労働ってこういうことなのかもしれないけども。多分だけど俺のほうが給料いいんだろ。なんか間違ってるよな。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/president.jp/articles/-/76282
sitsucho777 一応全部読んだけど、初っ端から粗収益と売上を比較してミスリードさせておいてそれについて一切の説明がない不誠実な記事でしかなかった。粗収益1億円プレイヤーと売上一億円プレイヤーでは意味が違いすぎる。
collectedseptember 「〜農業で生計を立てている主業経営体の農業粗収益は1638.8万円(農業所得は433.5万円)。そんな中、和歌山県ではなぜ1億円に達するような売り上げを誇る農家〜」 売上と利益を故意に混同してない?
el-bronco 初っ端の比較対照が粗利と売上っていうのが、分かりづらい。
nobiox 農業粗収益は1638.8万、って全国平均がってこと? 「そんな中、和歌山県ではなぜ1億円に達するような売り上げを」って、確かにこれは「粗収益と売上を比較してミスリード」だ。
この辺の人たち、たぶん全員、「粗収益」の意味を勘違いしてる。
おそらく「粗収益」を、「粗利」(売上から売上原価を差し引いた金額)と混同しているのだろう。
「粗収益」という見たことのない単語が出てきた時点でちゃんと調べなきゃダメだぞ。
https://www.ouj.ac.jp/mijika/tokei/xml/kw2_14025.xml
農業粗収益 Agricultural gross income
農業経営によって得られた総収益額をいい,当該期間の農業経営の成果である.農業粗収益には,耕種,養蚕,畜産など農産物の販売収入,農作業受託収入,家計に向けられた農産物の価額のほか,農機具,農用自動車など農業用生産手段の一時的賃貸料なども含んでいる.
なお,農業粗収益は,農業現金収入,現物外部取引価額,農業生産現物家計消費額,年度末未処分農産物の在庫価額および動植物の成長,新植による増加(価)額を加算した合計額から,年度始め未処分農産物在庫価額を差し引いて求められるものである.
だけだ。経費は差し引かない。
おそらく、「ぼくは売上と利益の区別がつくくらい経済に詳しいんだ」みたいな極めて自己評価の高い奴らが、せいぜい高校生レベルの経済学知識を根拠に、『農業経済学』という著書を持つ東大教授が出した「粗収益」という単語が「粗利」の誤記・誤認であろうと傲慢にも思い込んで、自分が「粗収益」という単語を初めて聞くことを気にも留めなかったのだろう。
「粗収益」という見たことのない単語が出てきた時点でちゃんと調べなきゃダメだぞ。
見てのとおり、たしかに農業粗収益には売上(農業現金収入+現物外部取引価額)以外のものも含まれている。けれど、1年物の作物の生産者の場合、年度末未処分農産物の在庫価額や成長・新植による増加額はかなり小さく、また農業生産現物家計消費額(要するに自家消費)も何百万円にも上るなんてことはない。
したがって、こういった農家の場合、農業粗収益は売上にかなり近い額になる。
売上額そのものではないが、売上額と農業粗収益を比較しても大筋では問題無い。
これをミスリーディングだなどといっている人は、おそらく「粗収益」を、「粗利」(売上から売上原価を差し引いた金額)と混同しているのだろう。
「粗収益」という見たことのない単語が出てきた時点でちゃんと調べなきゃダメだぞ。
こいつらに星をつけ、あまつさえはグリーンスターまでつけてるhirata_yasuyuki, ka5meka5me他多数のブクマかも、たぶん同じ勘違いをしているのだろう。
「粗収益」という見たことのない単語が出てきた時点でちゃんと調べなきゃダメだぞ。
一緒に作業してる先輩に午前中teamsかけて、ここってどういうふうに記載しますか?これでいいですか?って確認とったのに、午後共有してみたら先輩の担当部分全然午前中話した内容反映されてなかった 結局先輩のに合わせて私が微修正するし、主に体裁面の話だから別にいいんだけどさ、だとしたら午前中のはなんだったん?よっぽど私の説明が下手かよっぽど嫌われてる?
あなたが「トランスヘイトは人を殺す」と説くならば、わたしは「そしてあなたが武器商人だ」と返すだろう。
そもそも、日本のインターネット上で急速に広まりつつある「反トランス言説」の始まりは、
18世紀末に始まる女性解放運動が、SNSで結実した万民による草の根フェミニズム、
その中で芽生えた「ミサンドリー(男性憎悪)」という悪の根を、先人として指導的立場に立つべきアカデミシャンが、摘むどころか「フェミニズムの武器」として称揚したことにあるのである。
我々の社会は男に支配されており、虐げられる女がミサンドリー(男性憎悪)抱くのは当然の自己防衛だ。ミサンドリー、男性憎悪を力にかえて家父長制に抗っていこう。
これは、もう一歩抽象化すると、世界を「悪の帝国」とそれに抗う「我らレジスタンス」の2つに分ける、部族主義に基づく聖戦の喚起とまとめることができる、---しかし「ジェノサイド」を起こすのはまさにその「戦争」なのだ。
ここで、トランス排除言説とされる典型的な論理を確認しておこう。
同じ女性スペースといえど女子トイレと女子風呂では、議論にやや違った取り扱いが必要になるので、本増田ではより単純な「女子トイレ」に限定する。
なお、この論理が向けられる先はトランスジェンダーのみではない。トランス女性を非難する同じ人間が、同形の論理で男児と母親をSNSで責め立てていることも指摘しておこう。
一般に、幼い子供が外でトイレに行きたくなったとき、安全のため親は子供を一人にすることができない。確かに、母親は女子トイレを使うので、形式上は「男性が女性スペースに侵入する」ことになる。
幼い子供だって性欲や加害欲はある、女性トイレに入るなんて性加害だ。女親は男児を生むと「名誉男性」になって女の気持ちがわからなくなるんだ。
このようなツイートは平気で数千のいいねを集めてしまうのが現代日本のSNSである。
ミサンドリーとアカデミシャンと言えば、はてな村の諸賢にとって最も印象深いのは、『男性皆殺し協会マニフェスト』の紹介で知られる武蔵大学のフェミニスト北村紗衣教授であろうか。
しかし「去勢の恐怖におびえる男性」「びびるだろうね!楽しいな!」程度の発言であれば他のフェミニストにも見られるし、専門はシェイクスピアとフェミニズム批評でこの話題とはやや遠い。
この増田で本当に取り上げたいのは2人の「トランスジェンダー」「フェミニズム」双方に権威を持つ専門家
2001年『トランスフェミニズム宣言』でフェミニズムの世界史に名を残すアメリカ在住の研究者エミコヤマ、と
クィア理論の専門家で、ベストセラーのフェミニズム入門書の執筆者でもある東大教授清水晶子、である。
エミコヤマ@emigrl
清水晶子@akishmz
(世の中にこんなにミサンドリストが少ないことが)結構気になっていた。現状でミサンドリーとミソジニーは絶対に対称的に語れないはず。
(フェミニストが「私は男嫌いじゃないですよむしろ男好きです」的な主張をするくらいなら、)ミサンドリーを引き受ける方がマシだと思います。
前節で確認した「ミサンドリーがトランス排除を引き起こしている」という事実が目の前にあるのに、なぜ権威は、トランス排除との対決と、ミサンドリーへのラディカルな称揚を両立させることが出来るのだろう。
権威の答えは以下のようになる。
エミコヤマ@emigrl
ミサンドリーを口実にトランス女性を攻撃する人がいるとしたら、それはトランス女性のことを男性だと決め付けているのだろうと想像するけど、あなたはその判断に同調するの?同調しないのであれば「なんでミサンドリーが女性を排除する口実になるんだよ」で終わる話。
清水晶子@akishmz
ミサンドリーはトランス排除に繋がっているという意見について、その二つは自動的に「繋がる」のではなく、それを「繋げる」作業が進められてきたと私は理解しています。
必要なのはその回路を断ち切り、女性差別とそれを背景としたミサンドリーとをトランス排除の口実として利用させないことです。
「ミサンドリーはトランス排除に繋がるのでよろしくない」という理解は「繋げる」作業の存在を後景化させ、「トランス排除は性差別社会への反応としてのミサンドリーが呼び寄せたものだ」という形での正当化を可能にします。
特に清水教授の見解は、正直一読ではよくわからないと思うので、二人の意見を私なりにまとめよう。
あなたがトランス排除の原因としてミサンドリーを指摘したとき、
あなたは成立しないものを「繋げる」作業を行っているのであり、
つまり「女子トイレから男児を排除しようとするのはミサンドリー(男性憎悪)」「女子トイレからトランス女性を排除しようとするのはミソジニー(女性憎悪)」で全く異なるものだという理解になるのだろうか?
明らかに同じ人たちが行っている同じものであるのにも関わらず、政治的に正しくないから全く違うものなのだとであると。
アカデミシャンが配った武器「ミサンドリー」は事実として「トランス女性の尊厳を奪う」ために使われている。
アカデミシャンは自分の手が汚れていることを認めたくないだけなんじゃないですか?
清水教授はトランス排除に立ち向かう戦略として、「ノーディベート・ノープラットフォーミング」を日本に広めたことで有名である。
差別者と対話してはならない、差別者に発信の場を与えてはならない。
この後者、ノープラットフォーミングの実践の実例が、「トランス排除言説に利用される恐れのある本を焼く」、『あの子もトランスジェンダーになった 』の出版停止運動である。
しかし、『あの子もトランスジェンダーになった 』抗議運動に注目すると、ひとつ興味深い観察が得られる。
清水教授は基本的に沈黙を保っているのだ。まさか差別者KADOKAWAと対話しないという原則を貫いたのか?
実働部隊として動いたのは、テニュアを持たない大学院生、清水教授の教え子らであった。
仮にいかなる大義があろうとも「本を焼く」行為は、大きな批判を呼ぶ。本来リスクを背負うべきなのは、そのための終身雇用権テニュアをもつ教授であるはずなのに。
インターネットTV・アベマプライムが「トランスヘイター」を招き、討論番組を制作したことがあった。これをノーディベート戦略の観点から見てみよう。
【風呂トイレ】性の多様性と女性スペースどうなる?不安の解消は?女装男の暴走は?トランス女性の生きづらさとは?|アベプラ
まず見て取れるのは、清水教授はもちろんのこと、先に言及した若手研究者・文筆家を含め学術系フェミニストが参加していないことだ。
トランスを擁護する立場で参加したのは、やや所属するクラスタの異なる、ゲイの弁護士南和之のみであった。
またさらに観察を進めると、差別に抗うフェミニストはこのような議論に参加しないという、ノーディベート戦略はあまり効果的に働いていないのでは?という疑問が湧いてくる。
弁護士南和之は男であるがゆえに、フェミニズムを前提とする議論では劣勢とならざるをえないからだ。
「トランスヘイター」が女の苦しみを語るとき、南和之は「あなたの苦しみはフェミニズムよく分かる。自分は男であり虐げる側だ」と認めた。
「トランスヘイター」が「男が女性スペースに入るという恐怖」を語るとき、南和之は「トランス女性はより虐げられる側なのだ」と苦しい反論しかできない。
正しいフェミニストの女性が一人でもそこにいたら、女性として女性スペースがどうあるべきか語れたはずなのに。
そしてそれでも、SNSでは、南和之は女に対し「マンスプレイニング」しているのだと非難が飛び交った。
番組でも取り上げられている、「トランスヘイター」の日々の活動を見ると、さらに酷いことになっている。
デモにおいて、「女の風呂に男は入るな」という女の声に、覆いかぶさる「トランスヘイター帰れー」と男の声。
「あのトランスヘイターの本名は〇〇で家族構成は〜〜。どんどん個人情報を暴いていこうぜ」と語り合う男たち。
おらつき左翼男たちが「トランスヘイター」をシバいてやろうと、「トランスヘイター」と戦っているのだ。
もちろん「トランスヘイター」が返す言葉は、「女の声を聞け!」「マンスプレイニングやめろ!」だ。
はっきり言ってしまおう。左翼男とトランス排除者、どちらの側も争いの大義名分として掲げる諸概念は、アカデミシャンのフェミニストたちがもたらしたものではないのか?
そうであれば、これは、争いの両側に武器を授ける「死の商人」と言われるものではないか。
「ノーディベート」により、アカデミシャンは全面に出てこない。自らの手を「差別の穢れ」で汚さないためである。
相手が誰であろうと、個人情報を危険な場に晒そうとするような行為は不当。そんなこともわからないような愚かな男たちに攻撃されるたびに
「トランスヘイター」は自分たちは女の側でミソジニーと戦っているのだという確信を高めていく。
トランスジェンダーの生存戦略と称し、実態はジェンダー学者の保身戦略。
住民税が給与天引されてるのに肝心の市区町村に入金されてなかった、って話がXで出てるけど、そこの会社は手作業でやってるの?明らかにおかしい。
弊社はほぼ電子化されてるから、そこまで派手な間違いは起こり得ない。
まず、4~5月頃に1年分(住民税の1年は6月~翌年5月)の住民税データが各市区町村から来るから、給与ソフトに投入。
そして、天引した金額を毎月メインバンクのファームバンキングで送信する。(要はネット振込)
この時に、「天引金額合計=ファームバンキングへの送信金額」にならないとおかしいので必ずチェックするし、給与ソフトが市区町村&人別の金額リストを作ってくれるので印刷して保管してある。
退職したときも、「この人の住民税未徴収額はあと○円」というデータを会社→市区町村に送り、市区町村側は振込用紙を作ってその人の自宅に送ってくれる。
Notion?
Excel?spreadsheet?
今までチャットワークっていう社内向け用のSNSでの機能使ってタスク化したんだけど
最近会社変わって別のやつになって、今まで通りの作業ができなくなってな
それで今いろいろ探してるんだけど
どーもしっくりくるのがないのよ
単に戦えという命令ならともかく、産業革命とかそういういくら頭のいい人がアイディア持っててもそれを実現するための命令を理解する人がいなきゃ作業は遅々として進まないでしょ。
んでもって頭のいい人間が作業する側に回ることはない。そしたら今度はアイディアを考えるのに時間が割けなくなるからな。
かくしてある種のパラドックスがあると感じるんだが
最近忙しくてちょっとでも遅くなると6時間睡眠時間キープギリギリというか、
そうなると人として生きているF-ZERO99ってなに?ってなるから
そうなるってーと、
毎日行いたいお洗濯とか夜ご飯はもう外でパッと帰る途中で済ませておけば
そんでさ
面舵面舵ってみんな言うけど面舵の反対言葉って知らなくなくない?
私は分からないので、
そもそもとして面舵がどちらの方向かすら分かっていない自分を見失いそうなほどの毎日よ。
なのでどうしても夜更かしはなるべく避けまくりまくりすてぃーで
甲板にいる乗組員に水の樽が入った樽を転がせ!って言うの
航海中にお水って超貴重じゃん!
樽に入れて持っていくじゃん!
でもずっと樽の中に水がこもって入っていると新鮮じゃなくなるじゃん!
なるー!って思ったでしょ?
ちなみになるー!って言うのは以下省略したいほど
私が言うなるほどー!の略で秋の祭典でもある秋の季語でもあるから、
でもそう考えると樽を甲板の上で転がすのも納得してくれるんじゃないかしら?
なるー!ってたるー!って感じよ。
そんで見たいテレビドラマとか録り溜ていると
どんどん時間の積み重ねになって時間債務が増えていく恐ろしさを見て見ぬ振りはしていかないのよ。
あー冬休みには一気に解消したいのよね。
これでも私毎年言ってないかしら?
そもそもとしてギガが300しかないのももっともな話なのよね。
私のギガ少なすぎ!って私の年収少なすぎお姉さんを彷彿させる感じで
毎年あの口を押さえて絶望しているお姉さんの一時期ネット広告を一世風靡したセピアじゃない方のあの写真を思い出すのよね。
なので、
もうどうしようかしら?って可処分時間をいかにしてこれ以上増やすか!って
色々やりたいことが増えると思わない?
何もすることがない!って
私だって樽の入った水を甲板の上で思いっ切り転がしたい年頃なのよ。
あれはその名残なので
大玉転がしって元ネタはつまり甲板の上で水の入った樽を転がしていた思い出なのよ。
私も懐かしく思うわ。
って運動会でその類いのネタのような競技はあんまりやった覚えが無いのよね。
樽だけに!ってね!
うふふ。
いつも食べているスクランブルエッグにスモーキーなベーコンが一緒に挟まった美味しいやつね。
香り高くコク深くそんなベーコンのマッチが混同していることが素晴らしいわね。
朝は元気いっぱいにスタートしたいところよ!
曇ってるとそんなに朝冷え込むことがない反面
ゆっくりストレートホッツ白湯ウォーラーを飲み始めて途中でレモン果汁アンド甘みプラスのハチミツインで
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
追記(00:35):id:Falky氏のブコメのおかげで、複数のブコメにある謎の誤読の理由がやっとわかったのでタイトル修正。
(ついでに、誤字修正したつもりが誤って再投稿となりしばらく二重投稿状態だったことに気づいた、すまぬ)
https://twitter.com/kanose/status/1732048986259988949
抽象的にまとめれば、どちらも「本を焼く」行為である。ダブルスタンダードでは?
この論法の根本的な欠陥は、敵対する論者の思想信条に対する軽薄な理解で、ただ揚げ足を取ろうとしているところだ。
言論の自由を重んずる立場として、「SNS批判殺到で出版停止」といった動きはすべて倫理的問題を含んでいると私は認識しているし、『ゲームの歴史』の絶版時にもその認識の元で行動した。
『ゲームの歴史』の批判者としてもっともPVを集めた岩崎啓眞氏もこう述べる。
KADOKAWAの騒ぎで「ゲームの歴史」が絶版になった時文句言わなかったとデタラメ言っている人がいるので、明快にしておきますが、僕は絶版に対して批判的ですし、ブログなどでも明快にそう書いています。
https://twitter.com/snapwith/status/1732359430233374769
故・五島勉さんの『ノストラダムスの大予言』なんて、言っちゃ悪いけれど、今読むと失笑してしまう間違いと強弁の塊で、こんなものを自分は信じてしまったのかと恥じてしまうけれど、それが出来るのは言論・出版・表現の自由の下で、その本が手に入るからだ。絶版はもちろん筆者と版元の権利だし間違いを広めることを許容しない態度ではあるけれど、反面、検証の権利を奪い取ってしまうものでもあるので、今でもやってほしくなかったなあと思っている。
なお、岩崎啓眞氏はWeb連載として発表した『ゲームの歴史』の批判を、同人誌『ちょっとは正しいゲームの歴史』として発行、国会図書館に納本している。
抗議の声が今回ほど大きくはならなかったのは、類似の問題を孕んでいても深刻度には濃淡があるからだ。
『ゲームの歴史』の絶版回収と『あの子もトランスジェンダーになった』の刊行停止には、以下の2つの重大な違いがある。
私の居住地周辺を検索すれば、自転車で15分程度の距離にある最も近所の市立図書館に『ゲームの歴史』は収められていた。ただしなんと「貸出済」である。
さいわい、市内の別の図書館にもう一冊貸出可能で収蔵されているので、予約取寄さえすればいつでも読めるようであった。
新刊本は不祥事が起こらずとも、一部の例外を除き出版後しばらくすれば書店から版元へ返本されることになっている。
数年後には品切れ重版未定となって新刊書店では入手困難だ。長い目で見れば結局同じ状態になる、時計の針を進めただけとも言える。
ただし、
ここで述べた「違い」というのはあくまで深刻度の濃淡の説明であり、「ちゃんと出版されて図書館にあるから問題なし」という主張でないのは言うまでもない。
私はこれまでも、オープンでアクセシブルな表現の自由市場を保つため
の2点を『ゲームの歴史』の絶版時も含め、折りに触れて、当然の常識として確認してきたし、
無視できない数の編集者・作家・学者が、本の刊行停止をはばからずに喜ぶという末法の世(https://togetter.com/li/2270929)では、これまで以上に「本を焼く」行為へ大きな抗議の声を上げていく必要があると信じる。
さて、上で、『ゲームの歴史』との違いとして述べた1点目「オープンな議論を可能であったか否か」に関し、
『あの子もトランスジェンダーになった』の刊行停止はオープンな議論の結果なのだ、『ゲームの歴史』絶版回収と違いがないという反論がある。
繰り返すが、オープンな議論を可能にするには、本はアクセシブルである必要がある。
例えば、身体障害に関する議論であれば、点字も音声読み上げも使えない紙の本ベースの議論は、視覚障害者に対しアクセシブルでなく不当だし
日本で行われる議論では、本が日本語で書かれていないならば、議論の参加者のほとんどを排除することになる。
ましてや、原著 の Irreversible Damage は精神医学の専門英単語が多いため、洋書を日常的に読みこなす人であっても、なかなか読み進められないと評判なのである。
原著を読んだ日本人にしろ、海法紀光は、アニメを「乱れた性」の一例と扱うアニメヘイト本としての側面を紹介しているが
一方で小森健太朗は、あくまで本の中には、アニメに関する記述はほぼない、とする。
英語の読めない人はどちらを信用すればよいのだろう。なお、2方共に翻訳家としてのキャリアの長い方である。
2点めに関しても同様だ。その英語圏の議論に日本人はアクセスできるのか? 誰ならば読めるというのだ?
訳者は、ただ英文を機械的に置き換える仕事ではなく、文化的な違いを註釈その他の方法で乗り越える必要があるし、
議論は、原著の論点の1つ1つを日本という環境に置き換える作業を経なければ意味をなさない。
翻訳という文化をとことん軽視した、ただの詭弁と言わざるを得ない。
kanoseさんのブックマークコメントは極めて慎重なので、“kanoseさんの傘の下”に入っていれば99%のリスクは回避できるでしょう。
とまで言われた人がこれか。老いに逆らうことは難しい。はてなでは隠居して久しいとは言え、そろそろ正式に誰かに代替わりすべきであろう。
新時代の象徴としてのはてな村長は、永遠の女子高生 id:firststar_hatenoがふさわしいと思う。
ただし、村民や村の風習にまだ理解の足りない、はての村長では実務に不安がある。成長するまでの補佐として爺や id:zaikabou を付けよう。
全部大した事ないよな。
崩壊→ストーリーはこの中ではマシだがシステムが古い。キャラは可愛い。
アークナイツ→変に拗れて今のアイギスみたいなバランスの悪さが出てきてる。ドゥリン族もっと増やせ。
ブルアカ→慣れるとゲームとして結構退屈。根っこがパチンコなのよね。キャラはダントツで可愛い。
アズレン→流石にもうしんどい。色々と古すぎて作業感が。キャラは可愛い。
う~ん。
べた褒めするには厳しいゲームばかりだと思うんだよなあ。
正直スマホゲーで「これは凄い!」って感動したのは最初期のアイギスと最初期のウマ娘ぐらいだし、スマホゲー業界の中ではこんなのでも十分なんかね。
2年ほど前、「大陸から大資本を活かしたゲームが来る。おしまいだ」という話を聞いた→今年その"答え"がガンガン上陸してる - Togetter
https://l.pg1x.com/ZMJsG3qSpqxkuAod6
安い。マジで安い。
あと36協定ない。
日曜日でも会社で開発は全員揃って作業してる。休みだとか家族だとかそういう奴はいない。排除される。
あと全員若い。全員20代前半。ロートル皆無。CEOも20代。年かさでも32歳。
あと決断力が凄い。ただし責任は現場の末端が取る。普通にクビ。社員は守らない。
ジャップゲーム業界が元気だった80~90年代の労働環境で、道具と技術が超絶進化した世界でシナの会社はゲームを作ってる。
それだけなんだよ。
ジャップランドだって出来るぞ。労働基準法を廃止し、常に責任を末端の兵隊が取り続ける=社員は即日解雇+損害賠償の代わりに何でもかんでも新機軸を試すんだったら。
サブカルチャーとしてはこれこそが「大正義・大正解」なんだよ。「面白い以外無価値」なんだから。
シナの社会が向いてるんだよマジで。だってアイツラの「大正義」って「共産党に逆らわない」なんだから。
それ以外は何をやってもいい。そして儲かるんだったら「大正解」。
それを「大資本」というのは、さすがに違う。
平成キッズ共はそれを理解していない。もっとゲーム開発は殺伐としてるべきなんだよ。「面白さ」のためなんだから。オマエラの人生を捧げろ!
役所といえば「たらい回し」のイメージが付きまとう。実際にたらい回しにされた経験がある人も少なくない(私も何度もある)だろうが、もちろん役所側も好きでたらい回しをしているわけではない。
また、慢性的な人手不足から、役所全体の業務を横断的に把握して的確に問い合わせ対応できる人材も今後ますます減ってくると思う。
そこで、お互いの不幸な時間を減らすためにも、問い合わせる側の留意点をまとめてみた(役所側にたらい回しを防ぐ努力が必要なのは言うまでもない)。
はてな民ならこの点については心得ている人が多いと思うが、市の業務について国や県に問い合わせても答えられない(逆も然り)。国の下に都道府県、その下に市町村というイメージがあるが、法律上三者は全く別の組織で、業務も別々である。
ここを間違えてしまった場合「お住まいの市にお問い合わせください」などと言われて終わり、たらいすら回されない。
ちなみに現在は、一般市民が関わるような事柄は大体市町村が担当している(昔は都道府県が所管していた業務も多かったが、市町村への権限委譲が進んだ)。
役所に連絡を取ろうとしたきっかけはなんだろうか?手紙だったら手紙に、WebページだったらWebページに必ず代表電話ではない担当の直通電話ないし内線番号が書いてあるはずだ。イベントなど臨時の事業の場合は専用ダイヤルを設けていることも多い。
代表電話はどこを見ても担当が不明であるときの最終手段にしたほうがいい。代表電話の人は、問い合わせてきた人が話すキーワードを元に手探りで所掌を特定して振り分けるので、どうしても担当違いが起こりやすい。
ちなみにギャンブルなのは、代表でも担当でもない関係ない部署に直接かけてしまった時。ベテランの職員がすぐに取り次いでくれるかもしれないが、経験の浅い職員が電話を取った日には、長時間保留ののち更に無関係の部署を案内されるかもしれない。
役所の人手不足は深刻で、ある事業について職員一人で担当し、隣の職員は全く知らないということもザラだ。なので直通番号にかけているのに、なお担当外の職員が電話に出るということが起こる。長々と話をしたのに最終的に担当は隣の職員だとわかり、また一から説明というのは骨が折れる。そこで、手紙やWebページのタイトルなど「今何を見て連絡をしているか」を役所側に伝えるのをおすすめする。「〇〇っていうのが届いて、それについて質問があるんですが、担当の方お願いします」といった具合だ。
役所は一つの事柄に対しても様々な角度から関わりを持っている。
例えば一口に「障害者(児)に関すること」と言っても、手帳の交付、施設に関すること、差別解消への取り組み、バリアフリーの推進、特別支援教育など、業務は多岐にわたる。その一つ一つについて、担当が細かく分かれているのだ。
問い合わせの際は、できる限り具体的に内容を伝えてみてほしい。
まとめると、たらい回しを避けるためには、①正確な部署に連絡し、②具体的な内容で問い合わせることが大事だ。
先述した通り、役所は人手不足であり、職員は自分の所掌事務で手一杯で、曖昧な問い合わせがたらい回しされるリスクは減らず、むしろ今後増えていく気がする。
面倒だと思うかもしれないが、少しの準備でその後の時間(電話なら電話代も)が節約できると考えてみてほしい。
最後に補足だが、役所の業務についてchatGPTなどの生成AIに聞くのだけはおすすめしない。特に法令が関わるような事柄について、生成AIが答えた内容を信じて間違っていても役所は責任の取りようがない。面倒でも、わからないことは役所の公式の情報※を調べるか、直接問い合わせるべきだと思う。
※Webページについて、サイトURLが「go.jp」や「lg.jp」で終わるものは、役所しか取れないドメイン(goが中央官庁、lgが地方自治体)なので公式情報として信頼できる。ただし誰でも取れる汎用ドメインで運用されている役所HPもあるので、「go,lgは公式、そうでないものは公式情報かしっかり確認する」のがいいと思う。(12/7修正:地方自治体では非lgドメインで運用しているところもあるのですべてlgドメインという書き方を修正しました。ブコメでのご指摘ありがとうございます)。
たくさんのブックマーク、コメントありがとうございます。当たり前のことだったというコメントも多かったが、役所の客は管轄となる地域のすべての住民なので、参考にしてもらえる人がいたら何よりだ。
以下、いくつか返信させてもらえればと思う。
来訪する人はジャスコの文房具売り場で『活鮑』あります?って聴くと担当者は(中略)「はい、活鮑」と売ってくれる筈と思ってるが普通無理。
いくつかコメントにあったがいい得て妙だと思う(文房具を教育委員会、活鮑を農林系の部署にするとしっくり来る)。フロアや建物によってジャンル分けされているのも似ている。そして、
これもそのとおりだ。特に地方自治体は、「やっと今の仕事に慣れてきたと思ったら異動」ということが多々ある。ただ、問い合わせ対応自体のスキルは勤続によって向上していく(はず)ので、異動したてでわからない問い合わせに対しても相手をあまり煩わせずに対処できるようになっていく(はず)。
これは本当にそのとおりで、Webサイトを始め問い合わせを減らすための広報を充実できないのは、単なる人員不足もさることながら、それを重要なタスクだと認識して組織的に取り組むという意識の薄さも大きいと思う。
そうなんだよ〜だからこそ特定の一人に長い事時間かけらんないんですすみません。なるべく多くの人の奉仕者でいなくてはいけないんです。ご協力よろしくお願いします。
基本的には必要があって聞いていると思うが、万が一慣習で不必要な項目まで聞いているとなると、それは役所にとってもリスクだ(当たり前だが、必要ない個人情報は収集してはいけない)。
あまりにも理由不明だと思ったときは、「なんの必要があって聞かれていますか?」と聞き返してもいいかもしれない。
例えば保健所がそうで(政令指定都市・中核市は市が、東京23区は区が、それ以外は都道府県が担当)、コロナのときは混乱して大変だったと思う。全住民レベルで考えれば、自分の住んでいる自治体が政令指定都市や中核市なのか、把握していない人も大勢いる。
職員側は「お住まいの地域では市(県)が担当です」と簡単に済ませがちだが、問い合わせた側は「どこが担当とかどうでもいいから問題を解決してくれ!」といらだちが募るだろうなと想像する。
議員経由だと対応する職員の職位がグッと上がって組織対応になる(下っ端は解放というわけではなく、そのための事務作業は下っ端の役目)。最早「問い合わせ対応」ではなく「議員対応」だ。良くも悪くもしっかりと記録に残されると思う。
ブコメにも貼られていたが、アンサイクロペディアの「盥回し」の記事は秀逸。「再帰」も好き。
法的義務としての車検や定期点検は基準さえ満たせばパスできるけど、世間一般のドライバーは走行前の日常点検なんかしてないから、多くの業者の供するいわゆる車検サービスでは長期間弄らなくても平気なように総整備総とっかえしてるわけや
そういうパッケージサービスが不要な人にとっては、ユーザー車検やそれと同等の作業を代行するサービスで十分だし、それがディーラーとかカー用品店とかより安いからと言って悪いということにはならんやろ
たいした裏付けはないんだけどふとそう思った。
ひとりじゃできない規模の仕事は当然ながらチームで対処しないといけない。
人が増えるとマネジメントが必要になるので管理職がやらなきゃいけない。
でももしAIが手を動かす作業をやってくれるなら人のマネジメントがいらなくなるので
無職製造機と言われる過干渉ヒスママは学歴厨製造機でもあったという話を、去年の年収が400万超えた私が実体験を元に説明しようと思う。
去年の年収が400万を超えたを何故わざわざ書いたか、それは私が弱者だからだ。
毒親育ちと言う弱者的な要素を抱えると、他人から説教されたりマウントされたりする機会が増える。
だから、「過干渉ヒスママは無職製造機」という言葉に反応して「お前が無職なのは自己責任だろ。言い訳すんなゴミが」と言う言葉が返ってくるのを想定してしまう。
攻撃されることが前提にあるから「25歳の時に年収400万稼ぐ程度には社会に適合してたので説教しないでください。そう言う話をしたいわけではありません。」
ただ、人生を順当に生きてきた人には攻撃されたり説教されることが前提にないため、
「なんでわざわざ年収書くの?自慢したいの?そんな中途半端な金額で??うざ!」という反応になってしまう。
ーーここから本題ーー
私の父親は中小企業の役員で激務だった。対して母親は専業主婦だった。
自分の母親を見る限り、承認欲求が強く他人へ関心がある女性は専業主婦に向かない。
専業主婦のような立場になっても問題が起こらないのは他人への関心が薄く適度に面倒くさがりな人間だ。
「人から褒められたい、頼られたい」という願望を持った人間が専業主婦になると問題が起こる。
この手の女性は子供が赤ちゃんで夜泣きしているうちは(大変だけど)問題が起こらない。
子供に物心がつくと家族との関係よりも学校での友人関係を重視し始める。
すると母親の視点では最悪なことが起きる。誰も母親を必要としないのだ。
父親は仕事で忙しくて滅多に家に居ない。子供は学校での人間関係で満足してるから親からの愛情はそこまで求めていない。
「父親なら働くこと。母親なら家事をすること。そして、子供が悪いことをした時に適切な熱量で叱ること。」
これぐらいのものだと思う。情緒面のつながりとか一緒にいて楽しいとかは家の外で作る友達に求めていることで、親には求めていない。
子供は父親が働き、母親が家事をする様子を見て「そう言う役割分担で結婚したんだな」と解釈するので、
「お母さん、家事をしてくれてありがとう」とはならない。「そう言う役割なんでしょ。」と思ってしまう。
父親はずっと仕事しているので専業主婦のメンタルケアなどする暇がない。
「当たり前のことでお礼を言い合うのは格好悪いだろ」ハンターハンターのキルアが言ったセリフだが、現実の人間でも当たり前のことに感謝している人はいない。
すると母親の視点では「情緒面でも役割面でも誰からも必要とされていない」状況になる。
これが承認欲求の強い女性が専業主婦に向かない理由で、誰からも必要とされていない状況が続いた母親は狂い始める。
そしてトチ狂った母親は「子供から必要とされること」で自分の存在意義を見つけようとする。
当時の私には何で喧嘩しているのか分からなかった。兄に対して「短気でみっともない」ぐらいに思っていた。
この日を境に長男が母親に干渉されることがなくなり、代わりに私が干渉されるようになった。
子供から必要とされたいと思った母親は、子供のランドセルを勝手に触って勝手に時間割したりとか
小学生の私「子供が自分でやるべきことをお母さんがやったら、子供が何も出来なくなるでしょ。やめて」
母親「何?お母さんが悪いんか?何でもお母さんのせいなんか?」
私「責任の押し付けをしてるわけじゃなくて、お母さんがやっていることは悪影響があるからやめて」
長男がガラスを破る前は寝る前に自分で時間割をしていたのに、ある日急に母親が私のランドセルを勝手に触るようになった。
今まで自分で時間割してたのになと思ったが、自分で時間割をできない人間として扱われると自信が無くなってくる。
小学生なりに頑張って筋道立てて「子供の成長を願うならば子供が自分ですべきことを親がするべきではない」と説明したのを覚えている。
私「え、子供の成長なんかどうでもいいから自分の評価が欲しいってこと?」
母親「違う」
私「何が違うの?説明して。」
母親「違う!!」
私「違うなら説明して」
母親「ええか、あんたは小学生だから分からんかもしれんが、大人になれば親の言ってることが分かるようになるんや」
私「子供が時間割を忘れるなら自分で時間割をできるような人間にするのが本質的な解決なのに、大人になると問題を水面下に押しやって解決したことにするってこと?」
母親「違う!!!ああいえばこういう!!上司に向かっても言い返すつもり!そんなんじゃ社会で通用しないよ!!」
母親「感謝して!!!時間割してやってんだから感謝しなさい!!!」
家を出る時間、朝起きる時間、宿題をするタイミング、家を出る時の服装、予定の管理....etc
ありとあらゆることを母親が干渉してきた。専業主婦で働いていないだけ体力が残っていて、その力で全力で私の自立を阻害しようとしてきた。
呼吸の仕方にまで干渉されるんじゃ無いかと思うレベルで干渉された。
干渉を止めようとして筋道立てて説得しようとしたり、怒鳴って拒絶しようとしたり、罵倒したり色々と試したが母親と言葉が通じることがなかった。
「そんなに不満なら言えばいいじゃん」と言われた。
健全に社会生活を送れている人の大半は言葉が通じない人への解像度が低いせいでこういうことを平気でいう。
当時の私は「母親が高卒だから話が通じない」のだと考えだした。
本音をいうと母親がヒステリックなのは学歴の問題であって欲しかった。努力で解決する問題であって欲しかった。
良い大学に言って、言葉が通じる情緒の安定した女性を捕まえて幸せな家庭を築きたいと思っていた。
「過干渉ヒスママのもとに生まれたら学歴厨になった」というタイトルで多くの人が誤解してそうだが、母親から勉強しろと言われたことは一度もない。
まず入塾テストがあり、最低限のラインをこえている人間だけを生徒として迎え入れる。
そして、生徒の成績を伸ばすために成績の悪い生徒を公開処刑に処すことで生徒の成績を伸ばしている。
私は下級クラスも上級クラスも両方経験しているから分かるが、授業内容は上級と下級で全く変わらない。ただ、生徒の競争心を煽るためだけにクラスが分離している。
そして、クラス内でも成績で席順が決まる。成績の悪い人が前の席に配置され、成績が悪いという事実を席に座るだけで後ろから見られる仕組みになっている。
私は自己評価が低かったから、下級クラスの前の席に配置されても問題なかったし勉強すれば良いだけだと思ったが、プライドの高い人が下級クラスの前の席に配置されると捻くれ始める。
塾に入ったくせに「なんで勉強しなきゃいけないんだよ。高学歴でも無能な奴はいるって聞くぞ。」みたいなことを言い始める。
今から思えば、多感な時期の中学生を成績順で配置して公開処刑すると捻くれ始めるのは普通のことかもしれない。
ただ、当時の私はそう考えなかった。
「成績の悪いバカは性格が悪く、無駄にプライドが高いから文句を言い始める」というのが当時の解釈だった。
だから、必死に勉強して上級クラスに行こうとしたが、下級クラスから抜け出せなかった。
ある日、自分が勉強しても成績が伸びない理由に気づいた。無駄なことをしていたからだ。
勉強は良いことだと思ってたせいで、作業量の多いやり方で勉強していた。
無駄なことを増やしたせいで効果のある勉強に時間を避けず成績が悪くなっていた。
だから、作業と勉強を区別するようにして、どうやれば成績が伸びるか必死に考えて、勉強方法に改善に改善を重ねた。
その結果として、上級クラスに移動することに成功し、なんとか上級クラスの平均より上の成績になった。
ただ、勉強したことで自分がかなり深刻な問題を抱えているという事実に直面した。
問題点1)勉強を質の高い労働者になるための訓練と考えたとき「勉強のやり方を改善した」は「仕事のやり方を改善した」に該当する可能性がある
問題点2)仕事のやり方を改善できるのは職場で信頼されている人間である
問題点4)母親の過干渉が悪化し、私が自分でやるべき基本的なことは全て母親がやっている。怒鳴ってもブチギレてもやめてくれない。
問題点5)母親は頭が悪いが有能な秘書なのかと思うぐらい子供の予定を把握している。
問題点6)問題点5から察するに勉強しても頭が良くなっても「基本的なことを当たり前にこなす能力」は身につかない
以上の問題点から母親の干渉を全力で止めようとしたが、止まらなかった。むしろ悪化した。
私の母親は頭が悪く支離滅裂なのにしっかりと子供の予定を把握し、干渉してくる。
頭の悪いしっかり者という母親の存在が、逆説的に高学歴社会不適合者の存在を暗示している。
そして自分でやるべきことを自分でやってない私は高学歴社会不適合者になりつつあるんだろうなという恐怖があった。
勉強して色々と分かるようになった分、恐怖が強くなっただけだった。
「勉強ができても、頭が良くても、頭の良さが求めらる立場まで出世できる人間じゃないと意味がない。」
という可能性が頭をよぎったが、どうやって勉強するかが唯一私に許された意思決定だったから学歴に固執するようになった。
塾の教育方針が変わったてから、今まで自由放任で勉強できていたのに急に干渉されるようになった。
塾の先生がいう勉強方法は会社でいうと現場にいない上司がいう仕事のやり方みたいなもので、的確なものには思えなかった。
自分にとって唯一許された意思決定だった勉強を先生に干渉されるのもが嫌だった。
上級クラスの平均より上の成績だったといえ、地元で一番レベルの高い高校を目指していたせいで先生のご機嫌をとるために
わざわざ先生の指導のもと非効率な勉強をする余裕などなかった。
塾の先生もなかなか頭がおかしい人で「そんなに自分の意思で勉強したいなら、
私の意思はあなたの意思だと思え」とか「じゃああなたはあなたの勉強方法で100点取れるの?」とか言われた。
塾を辞めたいと言ったが親に反対された。必死に辞めたい理由を説明したが日本語が通用しなかった。
先生に親の許可はおりなかたが塾を辞めたいという話をすると「子供は大人が稼いだ金で生活してるから反抗する権利はない」とか言われた。
大学に行けばまともな人間と一緒になれるという原動力に近い幻想が塾の先生という頭のおかしな人と遭遇したことで壊れた。
どこに言ってもヤバい人にヤバいことされる人生が続くと考えた瞬間、精神を病んでしまった。
精神を病んだ瞬間、上級クラスから下級クラスに戻り受験は無事失敗した。
心を病んでから母親に干渉されることが無くなったので、母親は子供が成長して自立するのが怖かったから干渉していたんじゃないかと思う。
ただ、メンタルは治らなかった。
高校時代はずっと中学の嫌な思い出を思い出して、まるで現在進行形で嫌なことが起こってるかのように感じて苦しんでいた。
ずっと苦しい感情を抱えたまま苦しんでいた私には友達ができなかった。
お金が欲しかったわけではなく、友達のいないメンヘラで、基本的なことを親がやってきた人間が社会に適合できわけがないと思っていたから自己改善のためにバイトを始めた。
バイトを始めると高校受験の時に頭のおかしな大人に囲まれたいた弊害が出てきた。
例えば飲食店で料理を作った後手が空いた場合「手が空いたから皿を洗おうかな?」と考えて皿を洗うのが普通だろう。
ただ、私はこうならなかった。
「手が空いたから皿を洗えるな。で、私は何をするべきなんだろう?」という状態になった。
自分の時間割を自分でやろうとしたり、自分が下級クラスから上級クラスに上がった勉強方法を続けようとしたりすると母親や塾の先生に怒られることになっていた私は
「自分が正しいと思っていることをすると怒られる」という意味不明な経験を積んでいた。
だから「何が正しいか」の感覚と「どうするべきか」の感覚が全く別のものになっていた。
その結果「手が空いたから皿を洗えるな。で、私は何をするべきなんだろう?」みたいな支離滅裂な思考回路になっていた。
大人の人=自分に対して理不尽に怒鳴ってくるモンスターみたいな認識だったから、職場のコミュニケーションにも支障が出た。
そんなんだったから、バイトを何個か首になった。低学歴のしっかり者だった母親の対義語として高学歴社会不適合者になってしまった。
自分の中の壊れてしまった感覚と向き合って、何とか自己改善してバイトが務まる程度の社会性を身につけたと思ったら大学時代が終わった。