はてなキーワード: 物資とは
待ち侘びていたティアキン
発売日からプレイしてて、ゲーム部分は楽しいがストーリーに感情移入できない
昔ながらの「姫と騎士」の物語なんだからしゃあないとは思うが、民主主義国家生まれとしては「王国」や「王族」に感情移入できない
・貧げな暮らしの村人たち←→バカでかい城に住むゼルダ姫ら王族
・非文明的な暮らしをしている村人たち←→お抱えの研究者の作ったカメラ(プルアパッド)で趣味の研究に没頭するゼルダ姫
らへんにまずモヤる。
・ブレワイの頃からゼルダ姫・リンク・プルアら研究者の持つ技術が村人らの暮らしに還元されていない様子
技術があるならすぐに暮らしに還元できるはず、しろ、というのは「なろう」じみた考えかもしれないが、王族として国を支配する立場なのにゼルダ姫はブレワイから今まで何してたんだ?と思ってしまう。
・一心に姫を慕う村人たち
も理解し難い。「ゼルダ様は凶作の年に隣町から物資を届けて下さった」的な説明があるならわからんでもないが、そういった説明もとくになく、貧しい村人たちが「姫、姫」と慕っているところが共感しにくい。現代日本にも「アベノミクスで日本を救ってくださった安倍様」など言うやつは居なくもないが、普通の感性では受け入れられない。所詮天皇も象徴の時代の人間、王政のような宗教的なものを受け入れる下地がない。
今作でもゼルダは未だに「姫」で、国政をメインに担うのは「王」。ゼルダが何してるのか、何をしてきたのかよくわからない。よくわからないのに慕われててよくわからない。
ニンテンドーで王族の次に偉いのは学者先生らしい。好奇心旺盛であることが良いこととみなされる。ゼルダ・プルア筆頭に研究オタクキャラが多い。多すぎる。ニンテンドーのゲームに必ず1人はいる気がする。
「あーはいはい好奇心旺盛で研究のこととなると夢中になっちゃうオタクなのね」。いかにも「好奇心旺盛」「勉強熱心」が誉めそやされる世界で過ごしてきた人間のつくるキャラクターだ。おもしろみがない。
任天堂はキャラの「ガワ」を作るのはうまいが、「中身」を作るのは下手なように思う。
キャラクターは個性豊かだが、どこかで見たことあるものが多い。大抵のキャラが同じセオリー、同じ価値観に基づいて作られており、ロールに沿った言動しかしない。現実の人間ならあるようなゆらぎがない。大味でつくりもの感が強い。
「編集者が会議して作った漫画は没個性でつまらなくなる」とバクマンだかで言ってたが、任天堂も同じなのかもしれない。
ゲームのストーリー部分をボタン連打で読み飛ばす系の人間にティアキンのストーリーパートを楽しむのは無理なのだろう。
アクション、謎解き、オープンワールド、主人公の強化、あたりは楽しい。ムービーやNPCとの会話のような茶番を見せられる時間が発生するのがだるい。
ブレワイのストーリーパートを楽しんでるやつとかあんま見たことないが、なんでストーリー重くしたのか……
ってま、グッズ販促タイムか。ライダーベルトやプリキュアの変身グッズのCGと同じだよなあ。真面目に考察してもしゃあないわ。
という豆知識を知って驚いた。
災害用トイレが不安 → 「コンポストトイレ」を知る → 尿と便を分けると臭気が減る!!!
下水を使わないトイレがあるということも知らなかった。災害列島に住む日本人は全員知るべきだし、生活科の教科書に載せて欲しいと思う。
家には災害用トイレに使う排泄物の凝固剤を買っていたけど、これは便だけに使うことにした。便はせいぜい一日一回だから長持ちする。凝固剤で固めて溜めておいた便は自治体の指定した方法(おそらく燃えるゴミ)で捨てる。
トイレの大半である尿は一人一日1.5リットルほども出るらしい。それを全部固めたら重たくて保管も大変だし捨てるのも大変。なので排泄後クエン酸を混ぜて中和させ臭いを消し、ペットボトルに溜めて下水道が復旧したら捨てることにした。クエン酸は一度の排泄に小さじ一杯くらい入れれば臭気は消える気がする。試しに溜めて実験している。
アホみたいな話だけど真剣そのもの。水や食料はそのうち支援物資が届くだろうけど、トイレは別。大勢で利用したらどうしても汚くなるし順番待ちが大変。避難所ではわいせつ事案まであるらしく、家が無事ならなるべく家ですませたい。
なんなら、私がColaboの立場だったら、先ず妨害者を呼び寄せないために開催日時と場所を告知するの止めます。人を呼び寄せて開催するイベントじゃないんだから不要でしょう。どうしても告知が必要だとしたら公開はせず人伝でやります。バスカフェも長いですし、現状に理解ある人が集ってるんじゃないでしょうか?あとヘイトを減らすように方々に余計な喧嘩を売りません、買いません。粛々と若年被害女性支援事業に徹します。
これだけでも結構な効果あると思いますが、お金かかりませんよね?
その上でどうしても警備が必要となれば、抗議活動であれだけ人集められるなら保護活動の警備でも集まってくれるんじゃないでしょうか?最低限の人数でOKです。人集りとなるのは避けましょう。帰れコールは決して要りません。SNS配信も警察晒し上げも要りません。なんならあの目立つピンクのバスも暫く控えて良いんじゃないでしょうか。騒動となることを一切止め、若年被害女性支援事業に徹しましょう。
あのバスって、目立ったラッピングがしてあるだけの資材置き場なんだよね。中身は支援物資の類で、自治体から荷物を広げる場所を借りてバスから出した飯を食わせてる状態。機能としてはトラックと一緒。トラックで済むのにラッピングバスを使わないと気が済まないんだろうね。塗装費用とか都のカネから出してるけど、正直おかしい出費だと思う。トラックで済むものを何でわざわざ都のカネでピンクに塗装する必要があるんだ? 場所の案内なら「バスカフェあり〼」的な幟でも立てときゃいいわけで。
確か元ネタの韓国の事業では青少年をバスでピックアップして保護してるんだろ? だったらコラボもピックアップすればいいんじゃね。SNSで「Colaboのバスにピックアップしてほしい女の子」を募って、彼女らのあいだを巡回して保護してまわればいい。それなら塗装にも意味がある。ひと目で「Colaboの車」とわかる状態にする必要があるからだ。都心まで出てこれないような女の子も救える。最初のピックアップを都心でやれば都心の少女も保護できるし。そしてこれなら妨害者に追い回されることもなくなる。車でやってるわけだから撒けばいいんだよ。あいつら徒歩でイキってるだけだろ。どうせ車でやればついてこれない。
とにかく、なんで「バス」を採用してるくせに一箇所にとどまって活動してるのかがマジでイミフすぎるというか。もしこれが区の事業なら、狭い区内を巡回するより一箇所に固定したほうが、という理屈もわかるけど、都の事業なんだから多摩から都心まで動けるだろ(まあ島嶼部は仕方ないとして)。仏作って魂入れず感がすごいんだよね。お前バスが好きなだけちゃうんかと。元ネタの運動の形式にこだわってるだけちゃうんかと。
必勝祈願とか言葉で伝えるだけでは駄目だったんか?
「日本はウクライナの必勝を祈願している。そのための支援も日本の可能な手段で惜しみなく続けていく」とかいうだけでは駄目だったんか?
外交のことは詳しくないがあんな「奇妙なプレゼント」を贈ることってよくあることなんか?
言葉でいうより物で贈ったほうがより強いメッセージになるということか?
しかししゃもじより現金何億ドル供与した、支援物資何トン積み上げたみたいな話題のほうが強いメッセージのように見えるのに、しゃもじを贈ったせいでむしろ弱いメッセージに見えてない?
なんかしゃもじ一個贈るために行ったんか!?みたいなこと言う人もいるし。
お願いします。
ウクライナのゼレンシキー大統領に岸田総理が必勝しゃもじを贈った件、一部で被災地への千羽鶴と同じ無駄なもの扱いされてるけど、さすがに違うのでは。
「役に立たない縁起物を贈った」という表面だけを見て千羽鶴と同一視するのは、さすがに千羽鶴問題の本質を捉えられていないのでは。縁起物だからダメなんじゃなくて邪魔だからダメなんだよ。今回みたいに別に邪魔にならない局面で縁起物贈るのは全然アリでしょ。
ウクライナのネット記事、ウクライナ国営通信の平野さんの名前間違っててワロス。どっちも苗字じゃねーか!
«Японці добре знають, що Кісіда часто фотографується у своєму офісі з великим шямоджі перемоги, зокрема під час виборів. І цього разу він вибрав такий символічний подарунок зі своїм підписом для Зеленського. Здається, що його меседж до України доволі чіткий», — зазначив Хірано Такахаші у своєму дописі.
あとセルヒー・コルスンシキー駐日ウクライナ大使が「岸田のスペルはКішідаだよ!」って言ってるけど、いや別にКісідаでも間違ってないです、とは言いたい。訓令式だとKisidaだからКісідаと綴るのも正しい。ヘボン式だけが日本語の転写法ではないので、Кішідаと綴るのは自由だけどКісідаと綴る人に「それ間違いだよ」と指摘すべきではない。
ロシア軍のバフムートでの攻撃力「尽きつつある」 ウクライナ軍
2023.03.22 Wed posted at 07:37 JST
https://www.cnn.co.jp/world/35201543.html
ただ日本語では表記が揺れるが、ここでは、アルチョモフスクとする。
まずPMCワーグナーの発表するところではすでにアルチョモフスクの70パーセントは掌握。すでに中心部はロシアが掃討に入っている。日本でも中央で旗を振っている映像が流れた。
ウクライナの人数は1万人。
ウクライナはバンザイアタックか民間人を攻撃するかしかできない。
そもそもアルチョモフスクにこだわっているのはアメリカ。命令しているのもアメリカ。
したがってあとは全滅か降伏か。
(CNN) ウクライナ東部の要衝バフムートにいるウクライナ軍の少佐は22日までに、バフムートの戦況は依然として極めて難しいものの、ロシア軍は「攻撃力」を失いつつあるとの見方を示した。
この文章はおかしい。ロシアにおされているのにロシアの攻撃力がなくなるのか。説明が全くない。
マキシム・ゾリン少佐はSNS「テレグラム」の自身のチャンネルに「ウクライナ軍の主な任務は物資の供給や負傷者の退避を可能にするルートを維持することだ」と書き込んだ。
これは補給も撤退もできない。そういう連中がロシアに勝てることはない。
そもそもマキシムゾリンはネオナチ、バンデライナであり、一回負けて捕まって捕虜交換でウクライナに戻っているマキシムゾリン元司令官ではないか。それだと全く信用できない。
LGBT活動家を敵視してWOKEに染まらず、国民を分断しなかったこと
優れた継戦能力 多連装ロケット砲と供給能力、資源 そして技術
高精度ストライクにより大砲で「狙撃」レベルで相手を破壊できるためムダ打ちがないこと。
略奪どころか占領するとすぐ食料や医薬品を供給。カディロフのチェチェンも配っている。このため市民から支持されていること。
今のところこの辺がG7では無理。
幕府の領地を接収して、官僚の恩給にする計画があったからとしか
1 徳川は、オランダ東インド会社の支援で各藩の鉱山を幕領とし(リーフデ号)、金銀銅の輸出によって体制を維持していた
2 オランダは英蘭戦争の結果、国力が衰退し、1804年には仏ナポレオンに占領された(江戸幕府はそれで仏軍を軍事顧問にした)
4 1840年、イギリスは硫黄を巡ってイタリアの海上封鎖を試みて勝ったが、日本とも貿易をしたかった
6 幕府は鎖国体制でいたので黒船に攻撃させ、各藩の貿易規制も緩和させた
7 ただ幕府と各藩主と条約したとしても、幕府が倒されて政権が変われば条約破棄もされかねない、それならいっそ、幕府が倒れても条約が継続する天皇制にしてもらいたい
8 イギリスは日本駐在の英字新聞社を通して天皇制の必要を解き、支持藩を増やした(英国策論)
9 どこかの藩が外国船を攻撃したりするので、幕府は海軍増強に務めるが、米大統領リンカーンに軍艦の輸入を止められてしまう
10 薩長は天領の石高400万石を使って官吏軍人の恩給制度を作る計画をたて、公家を味方につける
11 問題は天領にいる旗本や会津などの佐幕派は、徳川が引退しても利権を離さないに違いない、できれば根絶やしにしたい、あとロシアが近い蝦夷にも兵をおいて天皇の管轄にしておきたい
12 1967年11月に大政奉還が行われたが、倒幕派はしつこく放火などで騒動をおこし、それに対し幕府は薩摩藩邸焼き討ちで報復
13 新政府は徳川慶喜にも難題を押し付けて蜂起させたうえ、死罪1名に付き一家3名死罪とする刑法を作った
14 幕府の軍で警察でもあった会津藩などは当然に反発し戊辰戦争が拡大するが、幕府側には仏兵、新政府側には英米兵も従軍し、はんば代理戦争となった、軍事物資もかなり輸入された
15 佐幕派は敗北し、新設の東京裁判所は首謀者らを一家死刑にして勢力を削ぎ、ゲルマン利権を確保(そのあとで刑法を穏健なものに改正)
16 1874年には大久保がドイツから明治通宝印刷機を購入し、新札を元手にのちの西南戦争も鎮圧
17 木戸は1975年頃から本当に公家軍人官吏の恩給制度を作りはじめ(現代の1.5兆円ぐらいがかかった)、そのことで農民が搾取されるようになった(パウル・マイエット談)
18 鉱山は新政府側の人間が乗っ取り、新たに家督優遇相続制度が作られ、二男三男は工場労働者か兵隊になり、貧しい農村の娘は売られ、地方と中央の格差は拡大
19 天皇にガーター勲章を与えたイギリスのために日清戦争、日露戦争もしたが、現地には入院施設も準備されず、負傷者は赤十字神戸丸で佐世保海軍病院まで連れ戻されていた
以下のくだりが、とても印象的だった。
その時にわたしの出身地の名産が好きで、通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね、とさりげなく話題をそらしてくれた年配の男性がいた。
その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分も神戸出身でさ」と言われた。
恥ずかしい話、「神戸出身だから」と言われて私は何も分からなかった。
私は自分が地震と津波の被災者で、東北で育った私たちが一番の被災者で、今後数十年はわたしたちが一番のかわいそうな立場だという感覚を持っていた。
「なぜ急に神戸?」とポカンとして「はぁそうなんですか…」と雑に返した気がする。
その後、関東に戻ってしばらくしてから、何がきっかけか覚えていないがオウム真理教の話になったとき、
上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウムの事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて
やっと気づいた。
ひとの災害経験というのは、ほんと様々で、一概にかわいそうな被害者としてのっぺらぼうな面をみるわけにはいかないよね。
自分だけが被害者面していたかも、という気づき。こういうちょっとワンクッションおいて、時間が経って考えること、こういうのが大切なんだと思う。
ただ、被害者という言葉で共通項を見出したとしても、阪神淡路大震災を経験したひとと、東日本大震災を経験した増田がこうして、何かのきっかけでお互いの体験の共通部分に触れようとしたときでさえ、お互いが経験したものの奥行や背景は全く違う。でもそれは、もっと言葉を交わさなければみえてこないもの。
多分、増田は上記の言葉を交わしたとき、その手前でふと立ち止まって考えたんだと思う。
ひるがえって自分の親戚の話。自分語りをトラバに混ぜるのはなんだかな、と思うところもあるが、テーマの性質上書かせてもらう。津波から数日後、東北のもっとも大きな漁港のひとつで、親戚が経営していた漁業関連会社と生産工場が全滅したとの一報を受けた。一方、杜の都に住む息子娘世代は全員無事だったという朗報にほっとしたことを思い出す。
しかし、それよりも震災から半年くらい経って、父が一言つぶやいた言葉のほうが忘れられなかった。
他界した親戚一家は、さかのぼると、昭和8年の津波の前から漁港で生計を営んでいた。1933年の津波で多くの財産を失った親戚は一から再建する際に、同じ場所でやり直すのはやめるべきだと再三にわたって、周囲から助言されていたという。しかし、結局、同じ場所で人生をやり直し、次世代が引き継ぎ、そして次第に事業規模が大きくなり、津波の記憶が遠ざかっていくなかで、そのまた次世代の方々が財を成し、地元の名士として羽振りよく、親族のなかで存在感を持つに至る。そんななかで、半世紀以上前、東京に出て行った東北の令嬢が結婚前の父と出会う。
大切な令嬢(大地主の長女)をどこの馬の骨ともわからないよその県の小作人の末っ子風情に嫁がせるわけにはいかない、という大反対の嵐。本家筋からなにから親戚中の冷たい目線。結局、結婚は許されて、父は母の家系に婿として入ることになるのだが、その時に受けた屈辱を忘れられないらしく、東日本大震災で全滅した親戚に対して、天罰、という言葉で自身のつらみを含ませて表現したのだった。
父にとっては、かわいそうだね、では決して片づけられない感情。
個人的には、なにより、貧しい者も栄華を誇った者も等しくなぎ倒した大津波の、客観的な、物理的な力に圧倒せざるを得なかった。
たとえ、誰と震災の経験の話をするとしても、このようなパーソナルヒストリーの違いによる温度差は避けることができない。そう思っている。
震災を経験していようがいまいが、あるいは同じく焼け出された隣人でも同じではない。大地震大津波の破壊力を前には、あの家は無事だった、無事でなかった、そういうさまざまな経験がそれぞれにあるにすぎない。
こうしたファミリーヒストリーな視点でそれぞれの思いがある一方で、
上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウムの事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて
やっと気づいた。
という上司の言葉。そして、「やっと気づいた」という言葉。このつながり方は、大変興味深い。「あの年は~」というのは個々の経験の違いを超えた、歴史を振り返った俯瞰的な総括を含んでいるからだ。1995年という時代、そういったマクロな視点での気づきをもたらすのも災害だ。
そして、それが何かの理由で、自分自身のファミリーヒストリーや神戸出身者とのちょっとした会話と結びついたのだとすれば、それは自分のある意味「かわいそうな」私的な思いを、歴史の一コマのなかに着地させようとする、そういう覚醒だったのかもしれない。
実をいうと、よりマクロな視点で、それぞれの災害にはそれぞれの社会的な背景があり、その脆弱性が被害を増幅させている、という視点を最初に提起したのは、阪神淡路大震災だった。
1990年代以前は、災害被害者というのは、災害管理の文脈で救援対象として、比較的ステレオタイプに捉えられていた。しかし、その認識を大きく変え、都市の社会構造の脆弱性に関心が高まったきっかけが1995年の震災だった。こう書くとなにやら上から目線風だけど、阪神淡路大震災が自分が仕事として防災の世界に入るきっかけを作った。
神戸の都市としての成り立ちは、明治の初め、神戸港が開港された時から始まる。以降、港湾労働者が多く流入、低所得層が脆弱な埋め立て地や条件の悪い内陸部へ集住するようになる。他方で、20世紀の鉄道の時代に入ると、阪神間の交通網が充実し、六甲山ろくに高級住宅地が開発されるようになる。高度経済成長期には六甲の開発で切り崩した丘陵地に住宅地を建設、その残土で海岸が埋め立てられ、工場用地や港湾建設が進められていく。おりしも公害問題が深刻化した時代、都市の生活環境はますます深刻化していった。そんななか、オイルショックを契機に産業構造の転換という時代の変わり目を迎え、神戸の産業のシンボルであった造船、鉄鋼は停滞してゆく。それは関連する神戸の零細地場産業を苦境に陥らせ、今度は人口流出が起こり都市部の空洞化が始まった。都市部に残っているのは、流動性の低い層つまり高齢者、低所得者ばかりとなった(インナーシティの形成)。
これに対して1980年代、神戸市の政策的な対応としては、財政問題の打開が先行した。バブル前の当時の考え方では、大規模開発こそが地域経済の再生をもたらすと信じられていた。埋立地の利用による、ポートラインラド、六甲アイランド建設、物流機能強化のための明石大橋建設、最先端技術産業の誘致、ニュータウン建設など、新たな付加価値の創出が事態打開の切り札だった。
その一方、社会の脆弱層への支援、行政による市街地の再生は後手に回っていた。
オイルショック後の産業構造の転換で取り残された低賃金労働者の町、老朽化の進んだ木造住宅密集地域、長屋建ての住宅の占める割合の多い市街地(長田区のスラムのようなオールドタウン)は新陳代謝が進められなかった。地震対策の上でも洪水対策の面でも取り残された街となった。どのような地域であったかは番町地区で検索をしてほしい。
このような経済格差や脆弱性が生み出された、マクロな構造変動のなかで襲ったのが1995年の大地震であり、被害が社会経済的に脆弱な人々に集中した。暴力団員が懸命に救助活動していたエピソードを覚えている人もいるだろう。そういう街だった。
社会学的な視点でみれば、この地震の教訓として、被害が高齢者、低所得者に集中したのは、ある意味、歴史的必然だ。格差が生み出された背景などのマクロな政治的・経済的な動向と切り離せないということだ。
そして、このような格差や脆弱性という切り口でみる構造分析は先月発生したトルコとシリアの大地震でも、当てはめることができる。
このように、可哀そうな存在というのを社会学的に脆弱性として構造的にとらえる、ひとつのきっかけは、やはり他の災害を知るということであるし、昔の災害を知るということだと思う。
パーソナルヒストリーとしてお互いに触れあうことで、お互いに違うバックグラウンドにあることがうすうすわかってくる、それもまた、大切な気づきなのだと思う。
また、パーソナルなコミュニケーションが、例えばまさに「通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね」みたいな会話、これが実はマクロな特性を知るうえでも、その人のパーソナルヒストリーをしるうえでに、もっとも重要なエントリーポイントだったりする。仕事上、ひとから話を聞くときにいつも気に留めていることでもある。
だから、トルコとシリアで現在進行形の震災について全体状況を大きな視点理解している国際機関よりも、よりミクロな視点で、特定の家族や地域の人たちにコンタクトがとれる小規模のNGOや支援団体に私自身は微力ながら支援金を送付している。たまたまシリア難民支援をしている人と知り合いの知り合いくらいの関係でSNSでつながっていたのがきっかけだ。アサド政権が物資を止めてしまう現状も現地の声としてより関心を持つようになった。そのほうが確実に、受け取った人の顔がみえ、困っている状況がミクロにもマクロにもわかってくる。自分が支援したお金が支援先の一家族あたりの支援額(しかも第一バッチ)の1/4にも満たないことを知る。こういうことも大切だと思う。
そのように、何かをきっかけに、他の災害に対して接点を持つ機会を大切にしたい。
というのは、居酒屋のトイレの洗面所とかで何気なくかわす会話、とか想像していたのだけど、そういうのが大切だよね。そういうのが心の残って覚えている、ということがさ。もちろん完全にひとのことを理解するなんてことはどんなに会話を交わしてもない。でも覚えてさえいれば、そのなぜか覚えていた思いを何かにつなげることができる。その「きっかけ」というのはとても大切に思う。
災害を忘れない、というのはそういうことだと思うので。
自分が大学生だった2000年前後、NGO・NPOの役割は社会学でよく取り扱われるテーマだったように思う。
一般教養の社会学概論の授業ではテンニースのゲマインシャフト・ゲゼルシャフトの概念を習う。要は共同体の相互扶助は地縁・血縁を同じくするものの助け合いから、近代では国家・公的機関が再分配の一部として行うものに移行したというお話だ。
しかしながら現代では、公的機関による直接の福祉には問題が多いことが顕在化している。それは例えば、支援が必要な分野がそもそも議論されていないという議会の問題であり、縦割り組織の合間の部分で押し付け合いになるとか、定期異動のため分野の知見が蓄積しづらいとかの官僚組織の問題であり、あるいは「小さい政府志向」の広がりで大きな予算で公務員を拡充するのが難しいなどの問題である。それを埋める役割を期待されていたのが「NGO・NPO」だ。
例えば「災害ボランティアネットワーク」のような組織はその好例だ。阪神淡路大震災のボランティア経験者などが立ち上げて、当時の経験から志願者と必要な作業・物資の整理と割当、地方自治体・関係省庁との窓口一本化など、ボランティア活動を円滑に行うための知見を蓄積する団体となり全国組織化、中越地震や東日本大震災ではおおいに活躍した。
各都道府県・市区町村でこうした知見の事前蓄積や準備は難しい。こうした事業はNGO・NPOの方が効率よく運営できるし、国や自治体も自前で福祉を行うよりも彼らに任せて金を出す方が楽だし効率的だし安価に済むことが多いはずである。
まだ行政がタッチしていない福祉が必要な分野で有志がNGO・NPOを立ち上げて活動し、賛同者個人や企業の寄付の他に、自治体に招かれての講演や研修活動の対価、依頼された役務の対価で活動のための資金を得ることは健全かつ社会に期待される姿だ。これがゲゼルシャフト後の福祉のありかたであると。
そして、内閣府の資料(https://www.npo-homepage.go.jp/about/toukei-info/ninshou-seni)では、国の認証NPOの法人数は年々増加、平成23年3月で198から、令和五年で1267となっている。今後もこの増加傾向は間違いなく続く。このようにNGO・NPOは社会の要請に沿って出てきたもので、実際に役に立っている組織は多くあるので十把一絡げで叩くのは大間違いだ。しかし、その活動を見張らなくてもよいというのも大間違いだろう。明らかに不要な支出を払うとか、活動内容自体に違法性がないかなどのウォッチは行われるべきである。
だが、増え続ける組織に対して、今回の騒動のように主に非専門家が隅から隅までチェックしてああでもないこうでもないとやるのはエネルギーの無駄であるし、いかに効率よくこうした法人の監査ができるシステムをつくるか、が今後の課題になる。実際の行政がどうなっているか全く詳しくないのだが、NGO/NPOの運営や監査にまつわるDXの議論って今どうなっているのだろう。
例えば、定時の活動報告が提出しやすいシステムであるとか、報告の記載内容・添付資料の良い例/悪い例であるとか、報告資料のデジタル化の自動化とか、被支援者の個人名を自動で匿名化プログラムだとか、申請できる/できない費用の詳しいガイドラインの配布であるとか、公的機関側から監査対象の機関への調査をAIで支援するとか、NPO専門の税理士を増やすとか、組織に対しての研修であるとか・・・
日本でもAI向けの半導体は研究されているが、どちらかというと低消費電力を売りにしたものが多い。
AIは学習向けと推論向けがあるが、そういうのは推論の方ばかりだ。
演算向けも、メモリーも、チップチップ間の通信も全然足りていない。
こんな事を書くと、出来るわけねーだろと想像は出来るのだが、
半導体が戦略物資だとするのであれば、経済的な持続性が必要で、しばらく需要が続きそうなのは、AI向けくらいしか思い浮かばない。
日々人命が消費されるように失われ、社会は悲しみにあふれている。
だからこそ失われた生命を無価値としないためにも、その意義を考えることは重要だと思う。
マスメディアにはプーチンの本質顕現論があふれているが、本当にそうなのだろうか。
プーチンとバイデンは対面での首脳会談を行っているし、対話や計算ができないような人間ではないだろう。
皆がそう思っていただけに、この戦争の発生は世界に大きな衝撃を与えたのだと思っている。
そこでは何らかの決定的な相違が生じたのだろう。
憶測はさておいて、この戦争が西側先進国に迫るものは、資本主義的な自由民主主義の再考だと感じている。
戦争やそれ以前のコロナ禍によって、東側諸国がもつ安価な労働力や資源を前提とした、資本主義的な最適化構造は大きな揺さぶりを受けている。
インフレという形で、資源や物資の枯渇を私でも実感するようになった。
インフレによって社会格差はよりいっそう強調されることになり、社会不安が起きている。
しかし中央銀行は行政機関との結合を強めており、民主的プロセスを経てでないと意思決定できなくなっている。
さらに自由民主的であるために、利害関係の民主的な調整はより難しくなる。
そのため貧困層や労働層の不安はより一層増幅し、社会統治そのものに疑問を持つようになり、権利をより強く主張するようになる。
こんなプロセスが起きているのだと思っているが、はたしてこれは悪いことなのだろうか。
ロシアが訴えることを見定めろ、という気持ちが鎌首をもたげる。
世界で起きるストライキ、労働者になびきだす日本首相、サウジに歩み寄るアメリカ。
そういった意味では、埋もれていた世界の価値観を再認識できる善い機会となっているのではないだろうか。