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はてなキーワード: 部活とは

2024-07-26

anond:20240726103729

そりゃ女性には狩猟時代から続くと言われる井戸端会議文化があるから

もちろん個人差はあるが男は基本的には一匹狼で女性集団を作りたい人が多い

男同士で打ち解けるのはスポーツ仕事などなにかの目標を一緒に成し遂げるためとかの理由必要

女同士は打ち解けるのは同法確認必須であり目的以前のもの

でこの大勢から外れる人は当然疑問を持つだろうし弾かれる

男で女性並みにコミュニケーションが潤滑な人は女姉妹に囲まれて育ったとか

部活バイトなどで女性特有のコミュニケーションの利点を熟知して取り込んだ異能者だわな

元増田を含め男増田には到底身につけることはできないほど高度な能力だわ

2024-07-25

anond:20240724144120

逆だよ。今までが少なすぎた。

山岳ベースっぽい界隈が部活と同じぐらい増えるべき。

2024-07-24

偏差値70超えの公立高校移転させ、サッカースタジアムにするしかない

アクセス良く避難場所にも好適

グラウンドに面した校舎を観客席に利用すれば屋根問題解決

高校の方は駅前ビル型の校舎に移転させて遠方からも通学しやすくする

グラウンドは近隣のところを借りればいい

部活はせず塾に行けばよい

2024-07-22

部活少年食事の時に食いちぎるような感じでむさぼり痛めつけるように食べるのが勝利への道だ

勝ちにこだわる、無心で食い散らかして、食べる時には無我夢中感謝をせずに食べ終わってから感謝

それが勝利ってもん

人の気持ちなんて考えてたら勝てないよ

武士の情けなんてのは100勝してから分かりだすだろう

AIを使った小学生勉強楽しい

AIを使わない小学生教科書を読むだけでつまらない、趣味部活AI禁止で嫌になる」

こんな暑いのに部活やるとか狂ってるわ

テレビで外出るなとか運動すんなって言ってんだけど?

行き帰りに倒れたらだれが責任取ってくれんの?

2024-07-21

後悔

もうちょっと大学に通えばよかった

メンタル落ちてたのが最大の原因だからどうしようもなかったけど

授業必要最低限しか出てなかったし、学部の人合わなさすぎたし、メンタル落ちてたかサークル部活も馴染めなかったし、

自分が〇〇大生やってたって胸はって言えない

〇〇大の学生証を発行されて所持していただけの授業聞いて単位取っただけの人間 聴講生と変わんない

合う人間がどこにいるのかわからなかった

自分と同じタイプ人間が見つからない

anond:20240721022421

人に好き嫌いがあることは中学校までの部活で学ぶべきこと

段階、発達の話

2024-07-20

高卒の俺が知らなかったこ

家族全員高卒もしくは中卒なんだけど、妹だけ頭良いか大学に行ってる 国立の超賢いとこ

大学どんな感じ?って聞いたらいつも俺の知らないことを教えてくれる

・皆お酒飲むし普通に友達同士で飲み会とかある

飲み会サラリーマンだけのものだと思ってた)

サークルの会費?を管理する人がいる

学生なのにしっかりしてる、俺ならちょろまかす)

・授業休むときにいちいち学校に連絡しない

毎日学校に行かなくてもいい

・有名な大学はどこも校舎が2つ以上ある

・生徒全員で集まる行事とかはない

・頭良い大学の子でも夜中に騒いだりして怒られる

・よく分からないスポーツ部活がさかん

(これが一番驚いた 野球よりもアメフトとかボートとかが人気らしい)

・よく分からない部活がさかん(合唱とか英会話とか)

女の子普通に彼氏旅行に行ったりする(大人すぎる)

苦学生みたいな子はあんまりいない

・皆パスポート持ってる

インドカレーとか民族料理男の子も平気で食う

・頭良い大学にも体育会系の人はいるし、そういう人が商社かに行く

(これも驚いた 運動苦手な子しかいないと思ってた)

卒業するときに何万字とかの論文書かないと駄目(この作業所謂卒論だってことを初めて知った)


大卒の人らにとっては常識かもしれんが、俺は妹に聞くまで全部知らなかった

皆こんな学生時代を過ごしてたんだな 俺と全然違うわ 大学おもしろそー

どうしても部活試合プレッシャー感じてる息子娘には。。

酒と煙草を薦めたらチームから解放されるのだろうか。

活躍が期待されすぎるのもつらいきに。。

2024-07-19

学校社会の中で達成すべき事って実は仲良しごっことか部活で結果出すとかテストでいい点取るとかじゃなくて、自ら孤高を選択できる事だったのかなと振り返る

なんか都知事選以降左翼解像度が上がった

左翼ってずっとXのトレンドに居座ってさも自分たちマジョリティのように見せかけてるけど

都知事選の結果見ると大目に見ても東京都民のうち120万くらいしかいないんだよな

今回の都知事選有権者数は約1150万人だからだいたい10人に1人

学生時代を思い出してみるとクラスに2~3人部活もせず生徒会委員会活動もせずオタクグループにも所属せず文化祭とかのイベントにも積極的じゃなかった奴いるじゃん

あれが今の左翼なんだなとなんか納得したわ

そりゃあ仲間増えねぇよ、仲間の増やし方を知る機会が青春時代にないんだもん

やりたい部活がないことをもっと深刻にとらえるべきだった

生きる目的を見失っていることに他ならないと深刻にとらえるべきだった。

それは行きたい大学がなく行きたい企業がなく付き合いたい人がいないことと相似形だった。

自ら人生を選ぶ機会において選ぶ当てがないことの危機感を抱くべきだった。

anond:20240719061955

高校生の校内での勉強以外のレクレーションっていうと部活生徒会委員からじゃない?

人と関わったりイベントを取り仕切る中での協力や成長をストーリーに組み込めるのでは

校外での活動になるとまた話の方向性変わりそうだし

友達が気付くといなくなってた

アラサー男、フリーターもどきをやってる増田だけど、これを書いてる深夜2時半過ぎに思った。あれ、俺って友達いないんじゃね?

友達定義によるだろうけど、少なくとも俺にはラインを寄越してくるような知り合いがいなかったことにさっき気がついた。小さい頃からしぶとい奴だ、死にそうにないと当時の仲間内で言われていたけれど、それにしてもあんまりじゃねぇか。高校の頃まで繋がっていた当時の友達は、俺が大学受験に失敗して数年経った頃くらいから今にして思えば連絡がなくなった。肯定的に見れば、あいつらも実生活が忙しいのだろうと思える気持ちもあるけど、たまには連絡を寄越してくれたっていいじゃないか。俺はそこまで、一瞬も頭をかすらない存在なのか。俺はたまに掠める。だからたまにはこっちからラインをしたりしていた。けれど逆はない。それって、俺が取るに足らないと思われているってことだ。

あんまりじゃねぇか。そう毒付きたくもなる。あの時俺は神奈川御三家と呼ばれる高校に通っていた。そこで得た友達も多くはなかったが、両手で足りるくらいはいた。なんなら部活を通じて後輩先輩とも繋がってた。でも今じゃ誰が何をやっているのか知らない。あっちは俺のことを落ちぶれた奴として見ているんだろう。俺は覚えている。前に、成人式の後の飲み会高校時代友達に誘われて行った飲みで、そう言えば今何してんのと訊かれて浪人してると答えた彼らの顔を。文章では表せないくらいの、本当にどう書けば良いんだって顔だった。それからなんとなく、ぎこちなく会話が進んでいったのを今思い出した。ああそうか。あそこで俺は篩に落とされたのか。友達の条件から。そりゃあそうだろうな。今、風の噂じゃああの時の同級生の中からGoogle就職したり、プルデンシャルだったりの外資でやってるのも出てきてる。官僚として課長補佐になったのもいる。そんなのと比べられたら俺はただのフリーター。付き合う理由がないか。俺は進学校の彼らが選民思考に染まっているって言いたいんじゃない、ただ俺が彼らの常識から外れてしまったってだけのことを今更になって気付いた。遊びに行こうにも、話をしようにも、たぶん俺はもう話にもついていけない。ただそれだけの話なんだろう。俺は明日は夜シフトから、こんな時間まで起きている。だけどあいつらは朝早いんだろうなぁ。それで今頃寝ているんだもんなぁ。そりゃあ生きている世界が違うよ。話が合うわけがない。そういや最近からも連絡がないのも気付いた。弟は既に所帯を持ってるからだろうなぁ。そりゃ忙しいよな。でもだからと言って、親父の死に目に合わせてくれなかったのはどうなのよ

2024-07-18

恋が終わったのに、ぜんぜんつらくないんだ

本当に本当に大好きで、大切に思っていたとしても、一ミリも伝わらないものだろうか。

世界の全てがその人になるような恋がおわってからわたしは何もわからなくなってしまった。その日、わたし好きな人は、3年間毎日既読を欠かさなかったインスタのストーリーを見るのをやめた。そのまま一生変わることはなかった。本当につらくて、何が起きたかからなくて、たくさんの友達相談したけど、そのたび何故かベッドにいた。本気で話した困り事がこの人の性欲のアペタイザーにしかならないことが悔しい。音楽を作る人は世界に沢山いるけど、どこを探してもあの人はいなかった。

仕事出会ったBは、ぜんぜんわたしの生きてる世界とは合わなそうな見た目と、合わなそうな退廃的な顔をして、わたしの前に現れた。先輩に可愛がってくれと頼まれたのでたくさん良くしてあげたり、お仕事を頼んだら、ものすごく話しやすいことがわかった。初めて話した日から打ち解けて3時間電話をかけて、その日から毎日のようにLINEするようになった。わたしの展示のために東京にまた来てくれるという本気か嘘かわからないのがうれしくて、東京じゅうを連れ回して、新宿路地裏、かわいい声に気づいたらキスをしていた。Bはわたしが熱中していたことを知っているから、仕草パーソナリティーがあの人に似ているせいでしょう、というときがあった。これは半分図星で、半分は嘘だと思った。わたしの大好きだった彼は、わたしを抱きしめてくれても、わたし存在も作るものも一つも認めてはくれない。救いになるようなことを言ってくれたことは、最初デートの時しかない。Bの存在わたし創作活動革命的な勢いをもたらしてくれた。

でも、思えばあの人の影をずっと追い求めているような気もする。どうしようもない焦燥感や痛みを止めて、つくりつづける楽しさをわたしに取り戻してくれたBは、その後にした会う約束3つ全てを破った。わたし、待ってたのに。待ってたのにな、と思って迎える有給の日ほど地獄の時はない。忙しいのに休まなければよかった、ああ神様がくれた休暇なんですねと自嘲する。なんでいつもいつも、信じたくなってしまうんだろう。絶対約束に来る人よりも、ギリギリ来なそうな子が来てくれるほうが嬉しいなんて、そんなわたしからから罰がくだるんだ。

うっかり酔って抱きしめた勢いで男性はこわいんだよ、だめだよ、と優しく教えてくれて、本当にはじめてで動転するわたしをみて、朝まで一緒に寝て、そのままジュースを奢ってくれた彼の言うとおり、わたし半年後に友達レイプされる。余りに悔しかたから逆に利用し返そうと一緒にODしてみたりしたけど、幻覚はうまく見れなくて、もっと傷付いただけだった。負の連鎖は続いて、とにかく性欲を向けられることが増えて、なんだかもう絶望し始めていた。今までインドア系の部活しかいなかったせいもあるかもしれない。美しくないのが怖い、わたし身体ってなんだったっけ?

ぐちゃぐちゃの毎日を過ごしていたら、珍しく2人で遊んだのにわたしのことを性的に見ない男性がいて、わたしは久しぶりに人間のことが好きになりそうになった。キスハグもしていない、性欲もきちんとあり、わたしの大好きなニッチ性癖の話も相槌を打ってくれるし、ご飯もごちそうもしてくれるし送り迎えもしてくれるのに、わたし言動のどこかを性的同意だと思わないでただわたしに優しくしてくれただけのことがあるんだと、男性のことが、気になって仕方がなかった。恋よりも性欲じゃないかなこれは。わたしはもう壊れているんだと思う。全然顔が好きとかじゃない。でもなんかひとと2人きりになっても人間として見られたのが久しぶりで、嬉しかったのかもしれない。あたしは触れ合うことがすきじゃなかったのかな。

なんかそうやって大切にされているうちに、わたしは、自分人間に生まれたことを思い出した。今まで酷い扱いをしてきた人間の全てに怒れるようになってしまった。だからみんなに言って回った。Bにも連絡した。なんで来てくれなかったのって。好きなのに、って。そういえば告白するくらいにはBのこと好きだった。なんで約束破って、謝るでもなく、自分都合の話を進めようとするのって。でも酷いことばかりなのに連絡してくるのってわたしのことが好きだからじゃないの?って、正直に書いて、すっごく泣いた。LINEは何日見ても未読のままだった。

日経ったらなんかミュートした彼の投稿ちょっと減った気がして、気のせいかなと思ったけど、意を決して見たら全部のSNSブロックされていた。

ああ、呆気ないなぁ。彼の送ってくれたデモソングを聴きながら遅刻してる中自転車を爆走してスタジオに向かった日、辛いことがあっても彼のために頑張った日、動画制作手伝った日、自分終電犠牲にして送って帰った日。なんでこんなに好きなのに、好きはいつも嫌いになって帰ってくるんだろうか。誠実であることは、誠実を求めてしま行為なんだろうか。わからないよ。

でもすこしだけ爽快感があった。「誠実にできない人にもう関わるべきじゃない」って世の中に教えられている感覚というか。

そして、わたしが気が狂うほど大好きだったあの人が3年間もわたしを手放さなくて、いまでも明確な拒絶をしないでわたしが好きでいる余地を与え続けている理由は生殺しだと思っていたけど、それは本当に愛なのかもしれない、と、改めて愛のないBの反応を見て思ったのだった。わたし人生はこの先も、ずっときみに守られ続けている。優しい愛に。

人生どん底小学校とき

私の両親は6歳のころに離婚した。

ある日突然、父が私と姉を実家に連れて行った。

父は離婚したくて、両親に相談したところ連れて来いと言われたそうだ。

母は大変驚いて、何が何だかからなかったそうだ。

ところが、祖父母は「私ちゃんは育てられない」と言ったらしい。

父は祖父会社で働いていたし、両親の手がないと子供を育てられない、自分だけでは育てられないから、両親の言うことを聞くしかなかったらしい。

祖父(父の)は祖母(母の)に電話をして、「その家を三日以内に出ていけ、お前の娘(母)は大阪に連れて帰れ」といったそうだ。

母は私と姉を父の実家に迎えに来た。私はその時のことを覚えている。

祖父母母親の言い争う声、母の泣き声、今なら母が不憫で仕方ない。

母は当時28歳とかで、父は37歳とか、実家は遠方で誰も頼れず、誰にも気が付かれず、頭のおかしい義両親にいじめられていたのだ。

母の実家サラリーマン家庭であることを馬鹿にし、週に何度も小言を言いに訪問し、二人の娘のうち、一人だけをかわいがり、母は参っていたんだと思う。

そんな状況の中で子ども拉致られ、取り返しに来たら罵倒され、姉の方は絶対に返さないけど、妹の方なら連れて帰れと母は言われたのだ。

「私ちゃんは本当に息子の子どもなのかわからないわ。」

祖母が実際にそういったらしいが、隣にいた私の父は一言反論もしなかったそうだ。

母と私はこうして二人で暮らすことになった。

別居状態で姉の親権一年ほど争っていたけど、父から婚姻費用も貰えす、離婚は成立していないので母子家庭状態かつ収入もほぼないのに児童扶養手当も貰えない状況で、母は離婚に応じるしかなかったらしい。

父は私に毎週会いに来た。父は私のことが大好きで、一緒に暮らしたいとしきりに言っていたし、なんでも買ってくれて何でも食べさせてくれた。

私は父が大好きだった。

母との暮らしは極貧だったうえに、母は病んでしまってアル中、家はゴミ屋敷だった。

家の中にコバエが死ぬほど飛んでいたし、シンクはカビだらけ、家中めちゃくちゃだった。

怖いもので、私はそんな家の中でまともな感覚を失い、その状態に完全に慣れていた。細かいエピソード割愛させてもらうが、私も母もまともじゃなかった。

そんな中、母に彼氏ができた。(離婚後、男遊びはまあまあしていたみたいだけど、さすがに育児放棄はしてませんでした。毎日帰ってくるし、男を連れ込んだりもしてません。そんな中一人の男が彼氏になりました。)

これを読んでくださっている人の中には、ヤバイ!って思った人がいるかもしれないけど、そうです、やばいです。

この彼氏DV男でした。すぐ不機嫌になるし、すぐキレるし、機嫌を取ってあげないといけないタイプでした。なんでや!!!

母はこの男と付き合いだしてから、家にいるときはずっと電話していた。マジでずっと。

母はキッチンでずっと電話してて、私はリビングで一人でご飯を食べて一人でテレビを観て、母と会話なんてほぼしない生活になった。やば。

私が母と話したくて話しかけに行くと、あっち行ってて、って感じだった。なんかかわいそうになってきた笑

まあ当然私は不愉快まりないわけで、最悪!!って感じでした。

その男と初めて会ったのはいつだったかな、忘れたけど、私と母でその男の住む地域に遊びに行った。

その時、その男は私と母をいろんなところに連れて行ってくれたけど、私は終止不機嫌。

なんせ父が大好きだったし、母が違う男に夢中になり、無理やり連れてこられ、何もうれしくないんだから

その帰りの電車で母に叱られた。

私は何も反論できなくてぽろぽろ泣いた。なんか悲しくて悲しくて仕方なかった。

そのうち私と母の暮らすアパートに男は入りびたるようになった。最悪である

母とその男喧嘩は壮絶で、すごい怒鳴りあうし、母は携帯を折られるし殴られるしガチやばかった。

私は殴られたことないけど、なんで付き合ってるのかわからなかった。

夜、私に風呂に入ってこいって命令して、私が風呂に入っているときに子作りしていた。グロすぎ。ちょっと成長してからあの時のあれって...ってなった時吐きそうになったわ。

そのおかげで、私が小3のときに母に赤ちゃんができたので、母はその男結婚すると言い出した。意味不明だった。

引っ越すから父や姉と会えなくなるし、転校することになって、今度は私が病み散らかした。

私と母は、その男が住んでいる県に引っ越した。毎週のように会っていた父とも会えなくなり、友達もいない、親戚もいない、来たこともない土地連行された。

小4にして人生どん底、母しか頼れないのに、母は新しい夫の世話と赤ちゃんに追われ、私は人生でこのときが一番孤独だった。

私の反抗的な態度に腹を立てると、男はその文句を母にぶつけて喧嘩がはじまる。

喧嘩は私のせいだと母に怒られる。

(あと母のいないところで若干セクハラされたことある実は。忘れてた。)

私と母はこのころから毎日のように喧嘩していた。今思えば、私の反抗期(?)と母の余裕のなさがベストマッチだった。

私は母に殴られるし、物投げられるし、首絞められるし、髪をハサミで急に切られるし、児相案件では??って感じだった。

母も母で、めんどくさい男の機嫌を損ねるうっとうしい娘と生まれたて赤ちゃんを抱えた貧乏生活で、すっごい大変だったんだと思う。今ならわかるよ。

まあ自分で選んだんやろって昔は思っていたけど。

当時はマジで貧乏で、母は私に、「パパに電話してお金もらって」って言ってきてた。

正直これは本当にしんどくて、父は母にお金を渡したくないから、超板挟みだった。ちなみに母の再婚後に父は養育費を払うのをやめました。

母もわかっているから、私が欲しいものを買うお金をもらう体で頼めって言ってきた。あれが必要、これが必要、あれが欲しいこれが欲しいって言えみたいな。

私はその電話を本当にしたくなかったけど、母は絶対に譲らないから、電話するまで何時間でも迫ってきた。

小学生の私はそこで折れないほど強くなかったから、父に電話してた。

父にお金をせびるのは中学生くらいまで続いたかな、父には申し訳なかった。私もつらかったんだけどね。

私は本当に病んでて、小学生の頃は腕切ってた。笑


中学校に入ってから人生楽しくなってきて、部活勉強に忙しくしてて、私の中で家庭が占める割合が減ってきたから、そこまで病み散らすことがなくなった。

母と男と弟で普通家族なのに、私邪魔じゃねって思っていたことぐらい。

でも母との仲は最悪で、喧嘩ヒートアップしてた。私も体力がついてきたので普通に殴り合いしてた笑

そういえば母はなぜか友達と遊びに行くことをよく思っていなかったのがすごく不思議。その喧嘩すごく多かった気がする。

高校受験の時はそれなりにもめた。私は県外の高校に行って親元を離れたかったけど母は猛反対。

私も頑張って説得しようとしたけど、結局無理で戦意喪失勉強する気が失せて公立落ちて私立に進学することになった。


高校に入ったらもう無敵、親に何言われようが無視。なんでも強行突破できるくらいには私も強くなった。

バイトも早々に始めたけど、はじめの一年くらいは母管理だった。普通お金取られてたけど、ほんと大したことない。小学生の頃のつらさに比べたら屁でもない。

あ、高校自分のせいで私立なっちゃったので学費バイト代で払うと申し出た。

3か月に一度13万くらいの引き落としがあって、私は月3万母に手渡し。

補助金は後から振り込まれるので、いったん払う必要があり、私はバイト代を渡していた。

私立助成が月3万ちょいあるから絶対黒字だったけど、私そんなに払わなくてよかったけど払ってた。自分私立選んだんだし、母はいるって言い張ってたし。

あと携帯代も1万円渡してたから、毎月母に4万円手渡ししていた。

からいっぱいバイトしてた。友達出来てすごい楽しかたから、別に苦じゃなかった。

さあ大学受験!私は絶対実家を出るという強い意志があったので、都内大学に進学することを決めた。

ここでみなさん心配してくださったかな、お金あるの?って

父の出番が来ました。父です。私の父は先述の通り私大好きなので、私が上京するよと言ったら大喜び、生活費を出してくれることになりました。

父は都内に住んでいます

さすがに一緒には住まなかったけど、生活費(家賃光熱費、食費)を毎月定額で支援してくれた。

わたしってスーパーラッキーガールだと確信しました。なんて恵まれてるんや。

ちなみに学費は全額借金です。これは仕方ないし文句もない、私の責任において私がしっかり返済する。

大学行けただけで大感謝。ほんと素晴らしい人生ラッキー人生

大学入学し、一人暮らしがはじまると、お金に余裕は全然ないながらも、めっちゃ楽しい生活

ただ定期的に母から金貸してって言われることがだるいくらい。消費者金融かに借金してほしくないから貸してたけど返ってこないのであげたことにする。

母と距離を置くようになったらめっちゃ仲良しになった。最高。マジ友達

私と母は一緒にいろいろ乗り越えてきた戦友で、家事育児(弟)も完全ツーオペで、離婚再婚貧乏DVも全部一緒に一生懸命乗り越えてきた戦友。

母の苦労を一番わかっているのは私で、私のことを一番よく知っているのももちろん母。

母は立派な親じゃないし、立派な人間っていうわけでもない。

親なのに、母なのに、大人なのに、って私はずっと理想の母と比べていたけど、母は母でしかないことにようやく気が付いた。

母は母なりに一生懸命やったし、母もどうすればいいかからなかったし、申し訳ないとか本当はこうしたいとか、いろいろ考えてたはず。

から今恨んだりしない。文句全然言うけど母を断罪できるほど私は偉くないし。

ちなみにDV男はDVこそしなくなったけど、(何回か警察沙汰になってる笑)いまだにわがままくそ自己中男です。

でも昔に比べたらほんと丸くなった。ちなみに私のこと大好き。マジで帰省するの超楽しみにしてるっぽい笑

さて、ただちょっとだるいことがまだありまして、父です。

父は私を溺愛しているから、私と一緒に住みたいとか、将来は一緒に住もうとか、私と暮らすのが人生目標だったとかいろいろ言ってきます

皆さんどう思いますか。

どういった経緯で離婚に至ったのか思い出してください。

私はちょっと複雑なんです。

私と母をある日突然捨てておいてって思っちゃう。姉と突然引き離して。

離婚はどっちが悪いとかじゃないとはいえ手段は悪かったんちゃいますの。

父がいなければ大学に行けてないし生活もできてないか感謝はもちろんしているけど、私と母がどんだけ苦労したと思ってます???

ついでに姉も大変病み散らかして大変こじらせていて、ヲタク高校中退のフリーター

姉が父の実家でどんな思いで暮らしてきたと思っているの。ある日突然母親を奪って。

私は母に申し訳なくて父と一緒に住むことはとてもできない。でもはっきりそう言えない。今は父に生かされてるから

これはコンプレックスの話なんですけど、いとこの存在が私の家庭環境コンプを刺激するんです。

母の妹は二人いて、それぞれ結婚して子供がいて専業主婦

それぞれ大変なこともあると思うけど、私の目には普通幸せな家庭に写る。

いとこたちは両親がそろった家で、食べるものにも住むところにも困らず、お金の苦労も知らず、本当に大切に育てられている。

めっちゃいいことなんだけど、私がなんだか惨めで。

全くの他人ならこう思わないけど、身内だから...

誰かを恨んでいるわけじゃないけど、自分が惨めで仕方ない。

私が欲しくて欲しくて仕方なくてどんなに努力しても頑張っても望んでも絶対に手に入らないものを生まれながらに持っているじゃん。

普段は接点ないから感じないけどたまに関わると自分が惨めになってて。

そんな自分が一番だるい

そんなどうしようもないこと考えるなよって思うけど、ほんとに誰にも言えなくて、誰かに聞いてもらったらすっきりするかなと思ってこれ書くことにした。

長すぎて誰も読まないかもしれないけど、私の誰にも言えない話を読んでくれたら本当にうれしいしこの気持ちが晴れる気がする。

家庭環境系の話って友達にできないんだよね、重すぎて。

読んでくれて本当にありがとう。読んでくれる人がいたらまた思い出話させて。

anond:20240718035311

人には好き嫌いがあることと距離感の保ち方は部活で学んでいるはずだ

思い出せ

2024-07-17

今思えば友人は自閉症だったのかもしれない。

 私が中学校の時の友人の話をしよう。名をMという。ガリガリでいつでもワンパンで倒せそうな子供だった。

 Mは体育の授業の持久走では絶対に走らなかった。体育の先生40歳くらいの柔道専門のいかにも強面の人で、いわゆる不良も体育の授業だけは真面目に受けていた。そんな先生相手にMは堂々と絶対に走らないと宣言し、牛歩戦術ばりのダラダラとした歩きを披露した。その光景はその先生を煽っているようにすら感じられた。

「ふざけるなよ!授業をちゃんと受けれないなら正座してろ!」

 体育教師の怒声が飛ぶ。正座のために先生が指さしたのは日陰でもなく太陽が照りつけるコンクリートの上だ。気まずさが辺りを包み込む。みんなの視線を集めているMは無言で歩き出し、当たり前のように正座を始め、グデーと腕を伸ばし体を丸めヨガポーズみたいな格好をした。このポーズは彼がやる気がないことを全力でアピールするために愛用していたものである

 ある日の給食時間中、Mは心無いサッカー部男子に「お前野菜とか食わないでデザートとかの美味しいものしか食べないな」と悪口を言われた。その日以来、給食時間には誰が何と言おうと頑なにあの謎ヨガポーズを取り続け一切給食を食べなくなった。Mのデザートはいつもそのサッカー部男子がありがたく頂戴していたという、胸糞悪い話でもある。

 あの謎ヨガポーズは彼なりの筋の通し方で、精一杯の反抗手段だったのであろう。非暴力・非服従ガンジースタイルで彼はいつも自分の気に入らないこと全てと戦っていた。

 私が中学に入るとクラス剣道経験者がいた。入学したての時に、その子に誘われて軽い気持ち見学にいくと、椅子に座らされて簡単には帰れなくなり、そのままずるずると剣道部に入ることになる。中学1年生の私を思いっきビンタしたい。踏みとどまれよ。何せそれまでの私の人生剣道との接点なんて何もなかったのだ。今思うと中学からいきなり剣道を始める方がどうかしていた。

 そんなこんなで始めた剣道は、いかんせん面白くなかった。野球サッカーバスケなどと違い、剣道は遊びでやっても全く面白くないというとにかく救えないやつだった。暑い臭い、汚いの三拍子そろっていた。

 私は己がはまり込んでしまった剣道という沼に1人でも多く引きずり込みたかった。そして生贄としてMが選ばれた。多少強引とも取れる平和交渉の末に彼は剣道部に入った。小学生ときは家にこもりがちだったMを外の世界に引っ張っていったので、彼の母には大層感謝された。WINWINである

 ある日、Mは、アップの素振り中に、面・胴・小手のリズムで、めん、どう、くせ〜〜と叫びながら竹刀を思いっき空高く放り投げた。Mは竹刀も拾わずそのまま部室に駆け込むと、周りの静止も聞かず、着替えてそのまま帰ってしまった。我慢限界だったのだろう。そのまま自然な流れでMは剣道部をやめた。1年持たなかったが、今思い返すとよく耐えた方である顧問4段、副顧問3段というガチ剣道指導者に囲まれた当時の私たちには逃げ場などなかった。中学から部活に入りそれまでまともな運動習慣がなかったMにとって、あの環境での練習に耐え忍ぶことは、想像を絶するほどのストレスだったのだろう。

 生贄はいなくなったが私は結局3年間剣道に捕らわれたままで、高校になったら絶対に辞めてやるとのモチベーションだけで最後までやり遂げた。

 Mが剣道部をやめても変わらず私はMと友達であった。

 

 Mには逃亡癖があった。自転車で実際に校外に出たのは1回や2回ではなく、駐輪場教員友達に捕まった未遂まで含めると1年で10回を上回る。駐輪場で確保された後に、教室に連れていこうとすると、自転車のチェーン式の鍵を持ち出して、近くの柱にズボンベルトと絡み合わせて己の体を固定させて、「動けない〜〜」と手足をバタつかせてみんなを呆れさせた。自転車学校からの脱走に成功したとしても、親の許可も得てないので家には帰れないし、インドアを極め煙草などの非行にも縁もゆかりもないMにいく場所などなかった。

 Mは遊戯王にハマっていた。カードでも遊んでいたが、何より当時放送されていた遊戯王5DSというアニメにハマっていた。

遊戯王アニメって所詮カードを売るためのでっかいCMだろ」

 と私がMに話した時、Mは口をパクパクさせて抗議の意をしめしてきた。私の失言癖は今も変わらないが、己の無配慮に今更ながら申し訳なく思っている。

 Mは遊戯王5DSの敵キャラ・鬼柳京介(きりゅう きょうすけ)から大きな影響を受けており、中学2年生の一時期は事あるごとにこのキャラの口癖である「満足できないぜ」を連発していた。清々しいまでの中2病だ。当時の私はというと、Mが何か変な行動を起こすたびに、同じアニメクロノス教授の真似をして、「ドロップアウトボーイなの〜ね!」と煽っていた。性格の悪い中2病だ。

 

 Mは持ち前の地頭の良さを屁理屈しか使わないので、学校の成績は壊滅的だったが、そこをイジるといつも半笑いちょっと怒っていた。普通に学校生活が送れないという意味では、リアルガチドロップアウトボーイであったMの言動は私を退屈させなかった。だからこそMと友達だった。酷い友情の形もあったものである

 

 不器用で要領悪いが自分を貫くMの姿に好感を持てた。多くの人が眉をしかめるMの言動も私は常に面白がっていた。

 あの頃の私はM君係として周りに認識されていた。1年こそ違うクラスだがその実績が認められ、当然のように2. 3年生の時Mと私は同じクラスであった。奇行が目立ち何かと周りから浮きがちなMに対して、私は特別扱いして諦めずに、失礼なこともいう対等な友達として接した。

 なぜここまで詳細にMのことを覚えているかというと、それは彼と過ごした中学生活がかけがえのない色褪せないものであるからというのももちろんあるが、正直に話すと、今の私が中学校特別支援学級担任からである

 特別支援学級にはMのような子が大勢いる。Mの特徴は自閉症に当てはまるのだ。今ならMはおそらく自閉症の診断名がつき支援学級に在籍しているだろうが、15年ほど前にそんなクラス存在しなかった。ただ変わった子が教室にいつも普通にいて、私はその子の世話係的な役割だった。

 巡り巡って今の私は中学生の自分と同じことをしている。

 教員になって特別支援クラス担当してから、私は再び彼に出会う。

14歳の時にパンツ売ってた

2024/7/19追記:スマホと書いたが実際はボーダフォンプリペイドケータイ一台(親に没収された)と、男名義のauケータイ一台もらったよ(ちなみに当時既にあったオンラインクレーンゲームに6000円課金して男ブチギレで一カ月で解約されたが)

もし優しい人がいたら一番下に書いた質問に回答してほしい。

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小学生の頃から「女の体って価値があるんだ。しか若いほうが価値が高い」と気づいていた。

ただ、愚かな私は、人間扱いされた上でプラスで女体としての価値が乗っかってくるんだと勘違いしていた。(数十年後にそうじゃないと気づいた。ババになって俯瞰しないと気付けないもんだね。若い頃はずっと上記勘違いをしていて、気づけなかった。これが若いフェミが少ない理由だと思う)


6歳の頃か、父親に連れられて入ったPCショップで、横目に見えるギャルゲーパッケージには小学生高校生くらいの美少女キャラ印刷されている。パンツ見えそう。



小学生。当時、ハンゲームというオンラインゲームにハマっていたが、見ず知らずのアカウントから課金アバターあげるからエロい話しよう」とよくメッセージが来たものだった。




中学生部活帰りに本屋立ち読みしていたら、後ろからヒョロヒョロの男性が足を触ってきた。

その後、さびれた商店街でも「僕のオナニー見てくれない?」と声をかけられる。

街に出るとおっさんが「電話番号交換しよう」と声をかけてくる。


やっぱり若い女には価値があるんだ。と わたしはどんどん図に乗っていった。






ネットで知り合った男性パンツを売り、ちょっとエロいこともすればスマホも買ってもらえた。

お金が手に入った。今まで我慢してたものが買える!自由に買える!

セックスはしなかった。私は、2chから処女価値が高いと学習していた。

買い与えていない物が家に増え、怪しんだ親に見つかった。スマホを捨てられた。

なんで自分で稼いでるのに勝手に捨てるの?

もちろん、やらなくて済むならやりたくないけどさ…お金が欲しいからやってるわけで、わたし我慢すれば良いだけの話なのに。なんで親が口出ししてくるんだろう。

当時はマジでこういう思考回路だった。




その後、パンツ買った男の1人を好きになって、メンヘラ化して捨てられて

「15歳のまんこパワーがあっても捨てられるの…?」と絶望したもんだな〜

しかそいつ性病うつされて、「ほんとに俺からうつったの?」とか言われてさ、その性病一生治らないし。田舎から病院もないし、母に頼んで産婦人科に連れていってもらったんだよね。

産婦人科で15歳、珍しいのか冷たい対応をされたよjな気がする。

一生治らないって聞いた後は泣いたな〜。しか運転してくれる母が心配そうに「なんだったの?」って聞いてきて

性病だったよ!一生治らないって言われたよ!!…」って怒鳴って。八つ当たりしてしまった。

バカだったな〜

お母さんも泣いてたな。

父親もあとで、泣きながら「相手は誰なんだ?責任をとらせる」って話してきたんだけど

「こういう時だけ父親ぶるんだ」としか思えなかったな・・・



今思えば、もともとメンヘラだったんだな〜

殺したいか死にたいのどっちかしか頭になかったもんな〜

パンツ売る時は、襲われたらやり返せるようにナイフなんか持ち歩いてたけどさ、本気の男に敵うわけないって今ならわかるなあ


そのあとは「若さバフが消える前にスキルつけないとヤバイ!」って勉強仕事も少しだけ頑張ったんだよね

そしたら出会う人が変わって、教養とか文化ってものを知るようになって

今はわりと普通に暮らしてる

当時に戻れるなら、女売り業してた時間を勉学にフルベットしたい!当時パンツ売って数千円で高いと思ってたけど、今は1時間で稼げるようになったよ。

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追記2024/7/19

例えば「女は若いほうがいいに決まってる」と言うと

「そんなことない!女も歳と共に魅力が増す!」って反論するババババいるよな。

これは"若い女に価値がある"説が正しいと、ババア不都合があるから反論してると考えられる。

コメント欄にはこの記事の内容を信じたい人、信じたくない人がいると思うんだけど、それはどういう心の動きによるものなのか解説しろくださいいただけませんか。

そういうのを知るのが生き甲斐なんで、ご解説お待ちしております

2024-07-16

anond:20240716105151

政治家の表情」について「ルッキズム」だと批判するのは小学生レベル

ちゃん学校の授業を聞いていれば高校生ぐらいからは「政治家の表情ってのはその人の売っていきたいセルフブランディング戦略なんだよね」ってことが理解できるようになるでしょ。

まり小池が「親しみやす雰囲気のオバちゃん」を目指していて、蓮舫が「女だてらにクールビューティー」を目指しているっていうイメージ戦略の違いの戦いなんだよ。

そしてまさしくイメージ戦略だけで戦いに来たのが石丸なわけで、今回の選挙は「政治家自分キャラクターイメージを売り歩くアイドルのような商売」ってことがまさしく描かれていたと思うんだけどな。

逆に言っちゃうと、この選挙を見た直後に「政治家が纏っている空気」が「意図的演出したイメージ戦略」ではなく「本人の生来性格のもの」だと思っているなら、それはあまりにも何も見えてなさすぎると思う。

政治のことも分かってないだろうし、それ以前に人間関係自体がまともに構築できなさそう。

ちょっと考えて欲しいんだけどさ、中学校ぐらいからはイケてる子は自分キャラ演出していくようになるでしょ?

あれに対して「自分を偽って格好つけても虚しいだけだぜ!」って漫画主人公なんかは批判するけど、ああいうことが出来ないと社会で上手く生きていくのは難しいよ。

「誠実であるかのように振る舞う」とか「怒らせちゃいけなそうに振る舞う」とかそういうのが社会ではどうしても必要になるんだよね。

人間が猿から進化しきれてないとかの話じゃなくて、本当に人間として社会で生きていくにおける「生存戦略」として大事ことなんだよ。

いわゆる「どういう立ち位置で振る舞っていくかに一貫性を持たせていくか」っていう話なんだよね。

クラスの冴えない人達の中にも本気出したら上位カーストに入れるのにあえて「冴えない感じのキャラ」を売っている人がいるでしょ?

あいうのって要するに自分趣味趣向や生き方の都合に合わせて自分ブランドを変えていってるわけよね。

そういう人がふと「冴えている人がやるようなこと」をすると、なんかクラスの中で「え?お前はどっちの方向性を目指してるの?」みたいな変な空気になるでしょ?

自分スタンスを一貫させないと周りが困るっていうのはこういうこと。

スタンスに押し込めて他人単純化するなんて愛がねえぜ!」みたいなのは漫画ドラマ主人公定番の決め台詞だけどさ、たかが40人程度のクラスメート、100人程度の同学年だって全員に平等に愛を持って接するとか不可能に近いわけよ。

部活の知り合いやネットの知り合いまで含めれば200人や300人へ平気で膨れ上がる対人関係、ある程度単純化していかないとやっていけないわけ。

そういう中で適当にやっていくと変なレッテルを貼られるリスクもあるし、いつまでも単純化されない人は「よく分からない奴」ってことで最も信頼できない部類として扱われたりする。

前もってそれを防ぐためにも、「私はこういうキャラですよ」って自分自分レッテルを貼っていくわけよ。

「俺はクールビューティーを目指そうとして失敗しているズッコケキモオタで行くぜ!」みたいなキャラであっても、そういうキャラとして一貫しているなら周りからすれば「おいおいアイツまた格好つけてかえってダサすぎてウケるぜ」みたいな感じで受け入れられるチャンスが広がるわけ。

学校なんかだと元の自分とあまりに違うキャラを演じるのはしんどいから、結局みんな元々の人格からちょっとステレオタイプに寄せただけになるけど、これがアイドル政治家になると全然変わるわけよ。

悪者俳優で食ってる人が私生活ではめっちゃいい人だとか、超陽気な芸人ほど普段はすっげー暗い性格でいつもブツブツ言いながらネタ探ししてるとか、そういうの聞くっしょ?

政治家キャラ作りはそのレベルでやってるんだよね。

まあ概ね「誠実」「誰かのため」「正義」あたりは一緒だけど、何において誠実なのかや、どういう正義を貫きたいのかは変わるわけよね。

石丸は「ロジカル分析に対して誠実であろうとした結果、現代蔓延政治屋やマスゴミシニカルにぶった切るのが私の正義なのです」みたいに振る舞ってますよね?

今は割とロジカルキャラが人気の時代から結構皆似通ってるけど「理論大事なんですか!人の心、地域社会への和、故郷への貢献、優しさこそが大事です!理屈ばかり並べる人達と違って私には赤い血が流れている!」みたいな感じで振る舞う人もまだまだいますよね。

こういうのって本当にその人がそういう人なのかと完全に一致してないんですよね。

まあ石丸場合なんかは「自分ではそう思ってるけど……」みたいな感じのズレ方な気はしますけどね。

そういう勘違いパターンも含めて振る舞おうとしてるキャラと本当の自分が一緒じゃない政治家結構いるわけです。

まり蓮舫小池私生活でどういう人なのかとか生まれつきどういう人なのかって話じゃないんですよ今してるのは。

今してるのはあくまで「どういうイメージで売っていく人が有利だったのかな?」という話なんですよね。

まあ元増田最初から小池みたいなのが絶対有利だよね!石丸蓮舫も下手くそだね!」と決めつけてからスタートしちゃってますけど、これはちょっと違うと思いますね。

石丸蓮舫もああいう「自分が上であり相手が下というのを印象付けるために、優位な立場の人が愚かな人をなだめるかのような笑い方」を戦略的にやっているんだと思います

まあそれが結果的に今回は敗北につながってしまったのは事実かも知れないんですが、二人ともそれによって結果を出したことはあるんですよね。

今回の都知事選においても、現職と同じ土俵に上るのを避けて別の路線を選んだ可能性は高いと思います

どうにしろ、これはルッキズムという「顔の作りがいいと印象が良くなる」という話ではなく、「どういうブランディングをしているのかを伝える手段として表情は重要だよね」という話なんですよね。

そこが理解できてなかった人、貴方人生を上手くいかせるためにもこれはちゃんと考えたほうがいいですよ?

貴方が周りの人にどういう印象を与えたいのかをコントロールする意味においても、他人がどういうキャラで行こうとしているのかを俯瞰的立場から「あーそういうキャラでやりたいのね」と冷静に分析するためにもです。

anond:20240716185024

ヤンキーもの部活物の大半は男しかでてこないが、

それすらいやなのか?

2024-07-15

anond:20240715224151

一部に集中してるからそれ以外の人に金が十分に配分されてなくて、そもそも雇用したり施設を維持したりするための金それ自体も足りなくなりつつある

今は金がないって言うと選択と集中の金ばっかり増えるんだけど、それをすると選択と集中問題が加速するだけなので選択と集中以外の金がないのが一番の問題なんだよね

例えば高校部活みたいなので遠征に"だけ"使える費用が何百万円とか降りてくるのに、そのお金用途が旅費や一部の活動のみに限定されていて顧問を雇う金とか学校電球を変えたりグラウンドを整備する金がほとんどゼロになってる感じ

お金要求したらまた遠征にだけ使える金が降ってきて、そっちは(一部の集中してる人は)使い切れないし、(それ以外の人は)金がなくて困ってるし、

遠征費用電球変えたりするのに使うと目的使用で最悪クビが飛ぶしでなんかいろいろややこしい

大森靖子が救いにならない

妹がいる。もう何年もまともな会話をした記憶が無い。物心ついた頃には嫌いで、時間が経つに連れて嫌いというか、無関心になっていた気がしていた。

からなんでもあたしの真似をしたがる妹のことが嫌いだった。あたしが中学バスケ部に入ると2年遅れて同じ部活に入ってきた。中学生の時、ラジオにハマってバンドを好きになり、高校入学して軽音部に入った。2年後、バンドに全く興味のなかった妹が、別の高校軽音部に入った。メイクを覚えたあたしが、なけなしのバイト代で買ったカラコンゴミを妹の机の上で見つけた時。教習所に払うはずで前日に確認したお金が、いざ払う時に数千円足りなかった時。全部嫌だった。

最近色んなもの無くなるな〜と思ったらそれが全部妹の机とか引き出しの中にあった時のあたしの気持ち分かる?高校生になって、ライブにいっぱい行きたくて部活終わりに数時間だけ入っていたバイトで稼いだ数万円から、知らん間にお金が減ってくあたしの気持ちは?

あんしか盗るひとおらんねん。お金返して」って言っても「知らんし」の一言で済まされて、お金はどれが誰のかなんて分からいから、泣き寝入りするしか無かったの、マジであの時のあたし、可哀想だった。流石に教習所に払うお金が無くなった時に、オカン電話して事情説明したらオカンが妹に問い詰めてそれだけは認めたけど。そのお金だけは返してもらったけど。その後、普段あんまり関わりない父親が「これに入れとけ」って南京錠付きの小さな金庫を買ってきてくれた記憶がある。でも、そんなのほんの一部でしかない。お金取られるのが嫌で、貯金箱に何円玉が何枚入っているかの紙まで入れてたのに、お金まれたこともあった。その時は馬鹿すぎて呆れた。「ここにどれが何枚あったかメモしてるからおかしいねん。あんしかやらんねん。パパとままがやる訳ないやろ。」って言っても「知らん」「やってない」の一点張りで呆れて1回リビング行って部屋に戻ったらしれっと棚にお金が置いてあって「そこあるやん。自分が見逃してただけやろ」って言われた。腹立つ。今思い出しても腹立つな。

こういうことがあたしの24年間の中にたくさんたくさんあって、妹のことが嫌い。「妹嫌いやから今何してるかとか知らん」って言うと「え〜?仲悪いん?笑」ってよく言われるけど、仲悪いとかそんな言葉で片付けないで欲しい。そう。とにかくあたしは、妹が嫌い。嫌いにならないとやっていけなかった。

から、妹にあたしの好きな物がバレないように、たかものがバレないように生活してきた。いつ真似されるか、いつ盗まれるか分かんないから。

そうやって生活してきたのに、あたしの神様だった大森靖子MVに、妹がいた。地獄だ。大好きな靖子ちゃんの歌に救われたくてMVを開いたら、大嫌いな妹がいるんだもの。靖子ちゃんはあたしの神様で、たかもの大事大事にしてきた。そのMVになんであんたがいる。もう嫌だ。いつまで経っても、あたしから全部を奪っていくんだね。大学卒業してから家を出て、もうお金を盗まれ心配しなくてもいいんだ、もう自由だ。と思っていたのに。つらい。助けて。死にたいあんたの顔、見たくもない。靖子ちゃん。あたしの神様だった。靖子ちゃんが妹の存在肯定しているように思えて、勝手に傷付いている。被害妄想にも程があることは分かってる。靖子ちゃんはなんにも知らない、なんにも悪くない。あたしが、あたしが悪いだけ。あたしだけが、ずっと、昔されてきたことを引きずってる。妹は、もうあたしにした事なんて覚えてもいないだろう。忘れたまま、音楽活動をしていて、たまたま靖子ちゃんMVに出ていただけ。分かっている。でも悔しい。あたし、ずっと前から大事にしていたの、靖子ちゃんの事。靖子ちゃんの歌を。こんなん、傍から見たら好きなアーティストMVに出てる妹に嫉妬してるだけでしょとか言われそうで、それも全部嫌だ。そんな、嫉妬とかで済ませないで欲しいよ。あたし本当に靖子ちゃんを救いに生きてきたよ。それがこの有様だ。情けないね。かなしい。死のうかな〜。しぬ勇気も無いけどね。笑える。

これから靖子ちゃんの歌を聴く度に妹を思い出すようになっちゃった。最悪。しにたいね地獄だここは。

助けて靖子ちゃん

2024-07-14

余裕のない家庭で育った

Twitter?Xで流れてきたこの人

@Tree_kiki09

見てたら気分悪くなったからここで供養する

うちは俺入れて子供が4人いる家族だった

親はこの人と同じ、多分年収300万以下

父親は寝ていることが多かった、夜勤仕事

両親の実家は遠く頼ってなかった

今思うと祖父母すら貧困世帯だった

俺ら兄弟部活は入っていたがずっとサイズアウトしたスニーカーを履いていた

友達に誘われた遊びは断ることが多かった

みんながバーベキューしてる日、俺は図書室で本を読んでいた

それでも在学中に付き合ってくれた友人には感謝している

親にお小遣いが欲しい、サイズが合わないと言えなかった

家族行事もほぼなかった、クリスマスには手作りケーキを作っていた

一度でいいかケンタッキーが食べたかった

それでも幸せだと感じてたのは幼少期だけ

大きくなって外と比べられるようになると今までみたいに無条件で幸せだなんて思えなくなる

そうじゃない自分が惨めで恥ずかしかった

幸せと感じるのは本人次第、というが

子供は好きで生まれたわけじゃないのに急に放り出される

親は幸せだと言った、俺らはそうじゃなかった

世の支援は親に対するもので、俺らのことは見てないのが事実

お金出すのは親だからそうだろうが、結局親のものなのだ

俺は大学に行けなかった、積立はしてたが、行きたい学校と見合わなかった

親に言った、もうこれ以上は出せない、下の子お金もある

学校でこの学校は?と言われたが虚しくなって高卒で働く方を選んだ

2番目も行けなかった、そのおかげが3番目4番目は進学をした

大学に行かなくても十分な社会になる方がいいのはわかるけど、そうじゃないしそういう世界なのは事実で、行けるようにするのが親の義務だと思うがな

俺も弟も子供を持つのは諦めた

こんな苦労をさせたくない、から

この人が言うように持たない理由はたくさんある

この先の日本を思うと苦労することが目に見えている

この家庭の子供たちが幸せに行きたい大学に行けることを願う

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