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2018-07-15

部活帰りに駅までくっついて歩いたり

一緒に誕生日パーティーとかしたり

二人で真剣文化祭の準備したり

合宿で、みんなで枕投げしたり

河原花火をして騒いだり

カラオケに行ったり

しかった

あのとき、もう少し真剣なら、勇気があれば、付き合ってたか

クラスハブられて、糞みたいな冴えない俺は、部活で君に会えるのが楽しみだった

うまく話せない俺の話を、興味深そうに聞いてくれて、俺は嬉しかった

進路が決まったとき、君ともう会えなくなるのは、どこか諦めがついていたけど

君が自分のことのように喜んでくれたのは、よく覚えてる

楽しい思い出をくれてありがとう、優しい子だったよ、君は

夏の日が来るたびに、あの蒸し暑いアトリエを思い出すよ

意味もなく、君の隣に箱イス並べてデッサンしてた

俺はさ、あの日からずっと止まったままだよ

君はあの日のままだよ、俺の中で

から、だめなのかもね

でも、思い出はこのままで、仕舞っておくよ

たとえ、君が俺のことをなんとも思ってなかったとしても、俺が楽しかったのは、本当だから

2018-07-13

学校の授業にeスポーツ

なんというか、学校の授業になったら一気にやりたくなくなりそう。

FPSの授業になったらひたすらAIM練習とかさせられるんでしょ?

部活FPSするとしても、まずは基礎が大切ということで、目のトレーニングとか、反射神経を鍛える練習とか、使った道具に感謝をっていってコントローラー毎日10分ぐらい磨けっていわれそう。

しかAIM合わせるのが遅かったり、ゲームスコアが低いと通知表でひどい評価をつけられたらゲームが嫌いになっちゃいそう。

 

体育嫌いだったけど、たまーに昔の仲間と集まってやるバスケとか楽しいんだよな…

anond:20180713171532

それを信じて毎日部活頑張ったけど、

不条理にしごかれて

自分価値ない」と言う思考根付いたよ・:

オタクリア充憎悪

あれマジでなんなの?

美少女教室部活でダベってるだけみたいな内容のアニメにすらリア充憎悪持ってるとか病気だろ

なんらリア充なんて関係ないケモふれにだってあいオタク沸いてるし

2018-07-12

増田被災状況

anond:20180712022508

自分はこの日の夜、うかつにも実家のある呉に向かって車を走らせていた。

昼を過ぎたあたりで、フロア中のスマホがけたたましく緊急エリアメールの受信を告げる。

初めは安佐北、佐伯、安佐南。避難準備、災害対策本部設置、避難勧告などと、ほんとうに10分おき位に緊急エリアメールアラートが鳴り響く社内。江波舟入宇品・・・会社がある南区にも、豪雨の濁流が近づいてきているのを感じ、同僚たちは落ち着かない雰囲気で顔を見合わせていた。

自分仕事そっちのけで市のホームページの緊急情報にかじりついていた。

仕事が終わったのが18:30。いったん荷物をまとめるため自宅に戻る。しかしすでに平和大通りは激混み。段原の同僚から床下浸水したとかなんとか連絡をもらい戦々恐々。普段なら10分もかからない自宅についたのが20:00。

荷物をまとめて呉に向かうことにした。

なぜなら、市内が一番危険だと思っていたからだ。

(これが最大の判断ミス。)

特別警報は、県内で一番に広島市内にむけて発令された。

口田は明るいうちからすでにとんでもないことになっていたのをツイッターで見て知っていたし、それこそ四年前の災害も市内北部で起きたことだ。そして呉市内(中央付近中心部)に住む両親や姉とのラインでは、二人はいたって普通で、市内ほど緊急エリアメールも届いていないようだった。

とにかく市内から逃げるのが最適解だとその時は思っていた。

しかしその目論見もあえなきさだめとなる。

会社を出た時点ではまだ生きていた広島高速道路がついに全域通行止めになっていたのだ。こうなったら焼山経由か31号線で帰るしかない。

家を出る前に確認しておけばよかったと歯噛みした。

(第2の判断ミス。高速が止まったことに気づいた時点で引き返しておけばよかった。)

東雲あたりに到着したころには21時になっていた。普段から混む場所ではあるが、自宅から時間もかかったことはない。

車のガソリンが切れそうでイライラしていた。今にもエンプティが点滅しそうな領域

目につくガソスタは全部閉めていた。そりゃそうだ特別警報発令中、ガソスタ店員だって避難してるにきまってる。

雨脚は弱まることはなく、車の天井をたたく雨粒の音でカーラジオオーディオ聞き取りにくいほどだった。

渋滞に巻き込まれてる間も緊急車両はそこらじゅうでひっきりなしにサイレンを鳴らしていて、数分おきには路肩によけるような状況だった。西区、安佐北や安佐南の署名が書かれた消防車が目立ち、不思議だと思った。なぜなら自分が走っている道は市外へ向かう道。市外から応援が駆けつけてくるならともかく、広島市内の緊急車両が市内を手薄にしてまで市外を目指すなんて妙だ…。この先でなにかがおきているのか…?

このへんで高校時代部活ライングループに連絡が入る。

「坂で土砂崩れ

吉浦浸水

31通行止め

焼山通行止め

瀬野川氾濫」

中野付近2号線崩落」

呉市孤立

広島東西分断」

このときにようやく自分が向かっているところは安全じゃないと気づいた。なんだか予想以上にとんでもないことがおきている。

そもそも呉にたどり着けるルートは完全に失われているようだった。

その時にはすでにバイパスに乗っており、引き返すことができない状況だったうえにガソリンも切れる直前だった。

とにかくいったん海田に抜けて、ガソリン入れてから考えよう!と思った。

渋滞中、ガソリン節約のため空調を切っており土砂降りのため窓も開けられない蒸し暑い車内で、あわててツイッターなんかで情報取集すると、呉も地元もひどいありさまだった。

見慣れた景色が土砂や濁流にのみ込まれている様子は、どこかリアリティに欠けて見えた。

ようやく大正交差点に入るころには、やや雨脚は弱まっていた。

そしてガスメーターのエンプティマークは点滅していたけど、頼むから持ってくれ!という気持ちで覚えのあるセルフ24hのガソスタをところどころ勃発している通行止めイライラしながら目指した。

悲痛な願いは届き、蛍光灯と値段表示でらんらんとかがやくガソスタにたどりつけたときは半泣きになった。

ガソスタの床には、流木ゴミが散らばっており、一時は冠水したのかも、と思い背筋が凍った。

ふんずけてパンク、なんてことにならないよう、細心の注意をはらって車を進めた。

救急車も給油していた。

さて、ガソリンも入り車内空調にようやく電源が入り曇りまくっていたフロントガラスクリアになったところで0時過ぎ。

未明にかけて雨脚は強まると昼間ラジオで言っていた。

ここで選択にせまられる。

1.市内の自宅に引き返す

2.そのへんで車中泊する

ぶっちゃけもう運転はしたくなかったので車中泊をしたい気持ちもあったが、すでに一部冠水していた海田町にとどまるのはおそろしい。すぐそばには荒れ狂う瀬野川もある。

帰宅してしまえば鉄筋マンションの6階の自宅は流されることはないだろう。かといって市内の状況もわからない。マンション付近浸水していたらジ・エンドだ。この時ばかりは、リバービューに憧れて部屋を選んだ自分を恨んだ。

それにどこかでまた通行止めで立ち往生する可能性もないとは言えない。

これ以上判断ミスするわけにはいかない。いろいろと取れる限りの情報収集し、迷った末に、市内の自宅に引き返すことにした。渋滞に巻き込まれている間に対向車線確認した限りでは、下りはそんなに混んでるように見えなかった。(逆にどこかで通行止めしてるんではないか不安でもあった。)

運転時間はぶっ通しで6時間にのぼろうとしていたけど、この判断が間違っていないと信じて、がむしゃらに車を走らせた。幸い通行止め渋滞もなく、恐ろしいほどスムーズ広島市内に帰ってこられた。

驚いたのは、緊急車両が市内に向かう車線を逆走しながら市外へと向かっていたところだ。当方は片側三車線の最も左を走っていたので何事もなかったが、なんの警告も交通整備もなく逆走しているのをみて世紀末を感じた。。

(それくらい市外へ向かう道は混んでいたというのはある)

市内に帰ってくると拍子抜けするくらい渋滞もなく浸水もないようだった。緊急車両よりタクシーが多かった。

最悪週末は一歩も部屋を出られない覚悟を決めてコンビニでアホほど買い物をし、自宅に戻った。

この時すでにコンビニの水のペットボトルの棚は空白が目立っていた。

自宅につくと、おそらく間違っていなかった判断安心し、疲れていたので風呂も入らずに眠った。

皆さんに忠告

車で避難するときガソリン確認しとけ。

2018-07-11

教えてよ恋愛強者の人たち

僕は就活生だ。

これを書いてる時点ではもう内定もらって正確には就活生ではないけど。

この間、ある説明会グループワークで一緒になった女の子が、その次の週のまた別の会社説明会にもいたことがあった。東京しかも小さな会社説明会だったから並みの偶然じゃなかった。その子も僕に気づいたみたいで、(あっ!私のこと覚えてる?)と懸命にジェスチャーで伝えようとしてくれたのでそれににっこり笑って応えた。それだけならそれで終わりだったけど、その会社は一次選考としてグループ面接も同時にやるところで、偶然にもその女の子と僕は同じグループだった。面接自体はあまりうまくいかなかったが、仰天したのは学生時代に力を入れたこと質問をされた時、彼女とあるマイナースポーツ部活を挙げたことだった。実は僕も大学で同じスポーツをやっていたのだ。詳しくは言わないけど競技人口は決して多い方ではない。それが今、同じ部屋にその選手が二人もいる。なかなかあることではない。むしろ奇跡。むしろ運命を感じる!僕は面接が終わると、彼女と同じタイミング荷物を整え出口に向かいエレベーターに乗り込んだ。エレベーターで隣同士にになると、勇気を出して話しかける。おそらく彼女も僕に声をかけたかったのだと思う。

「前、説明会で一緒でしたよね」

「ですよね!グループワークしたときの」

「そうです!部活、〇〇やってたんですね。実は僕も…」

しばらく話すと、驚くほど共通点があった。夢や趣味、好きな本(好きな本が一致するってなかなか無いぞ!)など、こんなに自分方向性が似ている人が存在しているのかと驚愕する。極めつきに共通の友人がいることが判明し、すっかり意気投合し翌日飲みに行くことになった。

彼女の印象としてはふわふわした天然系の女子大生といった感じ。リクルートスーツをきている姿しか見てないけれど、私服だとしたらお嬢様っぽい雰囲気の格好がよく似合うと思う。その頃僕は就活がうまくいかず落胆していたが、同じような状況にあった彼女はいたって楽観的だった。どこからそんな自信が湧き出てくるのだろう。彼女には大きな夢があった。その内容には詳しく触れないけれど、僕も似たような夢を持っていた。ただ彼女場合、それを周りに公言していた。僕は人に知られるのが少し恥ずかしかった。彼女小説を読むことが好きだった。僕も好きだったけど、それを語り合う人は周りにいない。彼女はそういった仲間に恵まれているようだった。他にもいろいろ話して時間が過ぎていった。終電前に解散し、僕は少し飲みすぎて山手線で寝過ごしそうになった。彼女は帰りが遅くなって母親ちょっと怒られたらしい。

そんなこんなで今日に至る。普通、男ならこの状況、二回目誘いますよね。こんなに趣味が合うなら、相手自分に(ある程度でも)好意持ってくれてるって期待しないわけにはいかないですよね。

で、今日やんわりと会わないかと誘ってみました。そしたらやんわりと拒否されました。本当に用事があっただけかもしれないけど、でも僕知ってます。女の人ってある程度好意があれば、代替日をあちらから探ってくるって。それがなかった。僕からしつこくじゃあこの日はどう?なんて一回飲みにいっただけなのに言えるわけないし、実質フラれたと思う。なんで。何か僕がヘマをやらかしたのだろうか。思い返してみても、心当たりが見つからなかった。単に僕がタイプではなかったから? 確かに僕はイケメンではないし、話し上手ではないけれど…でもそういう問題だろうか。彼女就活に専念したいから?それならそう言ってくれるはずだと思う、たぶん。彼氏がいるとか?ならなぜこの前はサシで飲みにいってくれたのだろう。分からない。そりゃあないぜ。諦めたほうがいいのだろうか。でも、何が悪かったのか全然納得できないんだ。誰か助けて。どうすればいいんだ、どうすればよかったんだ僕は。

anond:20180711030850

ちげーよ家事ができるように親が躾けないからだよ

男の子勉強頑張るか部活に打ち込むかすればいいと思ってる親が家事を教えないんだよ

夫が家事手伝ってくれないとか文句言ってる女も息子に家事教えない

で、その息子が次の「家事ができない夫」になるわけだ

2018-07-10

anond:20180710194859

試合はひなただから・・・

どこまで行ったら具合悪くなるか等の体感必要

その部活がまったく休憩取ってなかったのならともかく

適度に休憩取っててひなたで部活してたくらいではいちいち言うことでもない

anond:20180710190026

家計節約っていう共通目標に向かって動いてる部活なんだよ。ノれないなら無理して入るな。

[]ダイエット8日目

現在

体重:80.4kg

体脂肪:46.1%

昨日から変化なし。

■昨日の運動状況

目標可否
目標1万歩以上
ストレッチ×
水をこまめに飲む×
プランク30秒
足上げ運動、空中文字書き
フリパラ体操

ご飯状況

時間昨日飯今日
朝飯ブラックコーヒー1本サラダチキン豆乳バナナねぎサーモン巻(合計391kcal)
昼飯チョコチップスティックパン3本(300kcal)ツナマヨおにぎり1個
間食なしから貰えば食べるかも
夜飯焼き魚(鯖)、きゅうり浅漬け、 お味噌汁キャベツたっぷり)納豆豆腐卵かけご飯焼き魚(ホッケ)、きゅうり浅漬け、冷やしトマト、 お味噌汁キャベツ入り)、豆腐納豆ご飯50g程度

表の改行のしかたが分からない…半角スペース2つって見たけど出ないよ??気のせい?

雑記

血圧の薬を飲み始めて2日目?

最高136,最低90,脈75 と正常な範囲だった。

からか、少し体調は良くなってきてる。いいねー!

今日ご飯は、教えてもらったことを参考にしたよ!

豆乳バナナ美味しい・・・! 欲を言えば無調整豆乳飲みたかったんだけど売ってなったからなぁ。

サラダチキンご飯 の順で食べたんだけど、サラダチキンってめっちゃお腹いっぱいになるね!朝から苦しい(笑)

夜ご飯サラダチキンってのも良さそう。意外と美味しかったし。

今まで太ってきたのって、栄養が偏って必要カロリー量も食べてなかったからかなぁ。

マーチングバンドという運動系(?)の部活に入っていて、それから一切動かなくなって

デスクワーク椅子から動くことを禁止されたこともあって……

まぁどうでも良いね。うん。

歩き時は早足で、そしてお尻を引っ込める(腰を上に持ち上げる?)ようにして歩き始めたら

ズボンウエストが本の少しゆるくなった。頑張るぞー!

2018-07-09

anond:20180709062709

文化系部活ものなら探せばありそう 他校にライバル宣言されるけどウチはそういう空気でもないんです...みたいな流れとか

さすがにスポーツ漫画だと熱血主人公に水を差す先輩たちくらいしかいなそうだなあ

優勝を目指すことを否定するスポーツ漫画は何でないの?

楽しい思い出を作るのが目的なんであって勝つことを目的とはしていない」ってキャラクター部活者だと悪役として描かれるよね。

でも彼らの言うことが間違っているわけじゃないよね

「後輩が可愛い」って言ったら友達と話が噛み合わなかった

同期が好きじゃないっていうのは多分にあるけれど。

(なんだかなぁってヤツが多過ぎてまともなやつが1人しかいない)

毎年毎年違うカラーの新入生が入ってくる

みんな面白くて優しいから好きだ

毎年私もこの学年が良かったって思うくらいだ つまり私は後輩ちゃん達が可愛くて仕方ない



という話を違う大学友達にした

そしたらエエーわたし可愛いと思わないと言われた

そうなんだ後輩可愛いって思わないんだ。そっか。

話をしていくと 奢ったりするのよくわからないしたくないって言われた

おやっと思った なんだそのワード

どうやらつまり友達にとって後輩を可愛がるということは奢るなどすること らしい なんだかモヤモヤした後輩を可愛がる場合は奢らなきゃいけないんだろうか


私は決して豊かではないから 後輩におごることは羽振りのいい人に比べればそれほど多くない

もちろんあるけれど 私の可愛がると言うには部活活動時間に構う

しかけに行く など積極的コミュニケーションをとることだった

その友達は愛想がいいけれど対人関係は意外とサバサバしているタイプだった。そこに由来するのか?

後輩って可愛くないか?お互い運動部だった。

可愛いがるかどうか、という話し方ではなく、後輩ちゃんたちが可愛いしょうがないという言い方をしたのは間違いないし、相手は私よりコミ力が高いから間違って伝わったとも考えづらいんだけれど……

これはどういうことだったのかわからなくね未だにモヤモヤする。

そのまま?





正直四年生になったとき一年生は離れすぎてて話も通じず、わりとどうでもいい存在だったけど。

2018-07-08

anond:20180314081632

私立中高一貫校に落ちて公立中高に行った僕は、ノンビリと部活趣味に打ち込んで京大に進学したが、有名私立一貫校に合格した同級生は、学校になじめず中退して中卒で就職したよ。心を病んでしまったそうだ。

人間万事塞翁が馬だ。

上を目指すよりも、自分が向いたところを目指すのがいい。

anond:20180708193435

中学ときに同じ部活にいたなー

発達障害一種だと思う。

だが、そいつ小学校から

競技をやっていて、

中学から始めた素人の俺より

立場上だったんだよな

彼は、今どうしているのだろうか。。

野球部否定する人は防衛大学校での教育否定するの?

体育会系部活における理不尽ってのはまず軍隊方式教育が先にあって、それを真似したものなんだよ。

そして軍隊方式教育ではまず最初に「理不尽な状況において冷静さを欠いても良いことはない」というのを理解させるために徹底的に理不尽な状況に耐える訓練をする。

これは何も日本だけじゃない。

フルメタル・ジャケットという映画を知っている人は多いだろうが、あれが日本で生まれ映画でないことも皆走っているはずだ。これ以上の説明は、必要ないよね?

軍隊における理不尽「の」教育日本限定のことじゃない。

さて、話を野球部へと持っていこうか。

野球部での教育最初に言ったように軍隊式の教育コピーだ。

甲子園には魔物が住むという言葉もあるように試合ってのは何が起こるのかわからない。

そんな時に平常心を失わないためには、平常心を失いかねないような理不尽に耐えてきた経験必須なんだ。

ピンチの時に最も恐ろしいのは全員がバラバラになることだ。そうならないためには、どんな苦しい時でも皆でそれを乗り越えてきたという経験必要になる。

まり野球部軍隊式の教育を取り入れるのは合理的なんだよ。

もしもそれが合理的ではないというのなら、世界各地の軍隊が行っている理不尽教育のものが間違っていると疑問符を投げかけることになる。

さて、諸君

諸君は出来るのかい

世界中の軍隊、その司令官たちに「貴方方の教育方法は間違っています。そんなやり方では優秀な兵士士官も育つことはありません」って言えるのかい?銃を持ったこともない平和ボケした君たちの意見に、どんな説得力が宿るんだろうね。

高1でイラストサイトを畳んだ時の話

中学1年生の頃に創作サイトを開設した。

当時はYahoo!ジオシティーズが全盛で、自分もやってみたかったのがきっかけだった。

幸いにして父のPCには Photoshop 5.5 があり、マウスで描いた絵を投稿したり、日記を書いたりした。あとは当時流行っていた RPGツクール 2003 で簡単ゲームを作ったりしていた。絵は下手だったしゲームは何度もエターナったが、それでも本当に楽しかった。やるたびに世界が広がっていくような実感があった。

当時の自分はあまり版権モノに頓着しておらず、二次創作文化にはあまり触れることがなかった。

ただ、描く習慣はつけたかったので、日記では鉛筆落書きをアップし、カラーの絵は毎月必ず更新されるトップ絵という形で描くようにしていた。今考えると大したペースではないが、年に必ず12枚は本気のカラー絵を投稿する習慣があったのは良かったと思っている。

中学の頃の僕は絵の部活には入っていなかった。

しかし3年が経って高校生になり、いよいよ絵に注力したいと思った僕は、漫画研究部に入った。思ったよりもちゃんと描いてるサークルで、僕は安心した。ここなら楽しく創作できそうだ、と思った。

しか漫研に入った最初の夏に、僕は3年続いたイラストサイトをいきなり閉鎖した。

高1の期末試験が終わり、明日から夏休みが始まろうという日だった。

部誌に描くマンガネタに悩みながら、自分は帰り道ゲオ漫画を買い、長い道草を食った後に最寄り駅についた。

最寄り駅と言ってもそれなりに家までは歩くので、母親との都合があう日は車で迎えに来てもらって買い物しながら帰るということが多かった。その日もそんなつもりで家に電話をした。

母が電話に出た。電話口の母親は、力のない声で「今日は歩いて帰ってきて」…と言ってきた。具合でも悪いのか、聞いてもよく分からなかった。僕はそのまま歩いて帰った。

家のドアを開けると、同じく早く帰ってきてたらしい妹の泣く声が聞こえた。また母親喧嘩でもしたのかと思ってリビングに上がると、母親がなぜか正座をして迎えてきた。なんだなんだと思っていたときだった。

その日の朝に、父親逮捕されたと聞かされた。

援助交際だった。いわく相手未成年であることは知らずに行為に及んだようだが、相手方の少女家族にバレたらしく、その相手だった父が捕まった。僕の高1の夏休みはこうして始まったのだった。

いきなりのことで不安なことはいろいろあったが、まず気になっていたのは、こういう事件がどのくらいニュースとして広まるものなのか分からない、というものだった。

もし地方局レベルでもTVで流れてしまった場合、あっという間にいろんな人にバレるだろう。大げさな話、名前を変えて隠れて生きなければいけないんじゃないか?とか当時は本当に心配してた。今思うと無知だったとも思う。

結局、幸いにして(?)、事件のもの地方紙三面に小さく載った程度だった。父の名前は出ていたが、何気なく新聞を見ていて気づく確率はそんなに大きくないだろうと安心した(母はそれでもダメージを受けているようだった)。

父も一ヶ月拘置所に入る程度で済み、一旦家族はもとに戻った。8月の後半だった。7月トップ絵は更新できなかった。

イラストサイトの方では、自分個人情報はそれほど晒していなかった。住んでる地域ぐらいなら日記を見てれば分かるだろうが、管理人本名と紐付けること、ましてやそれが地方紙三面報道された事件容疑者の息子だと知ることなど、到底できそうには思えなかった(もし当時Twitterがあったらどうなっていたかからない)。

にもかかわらず、報道に怯えている間、インターネット自分晒しているということが次第に怖くなっていった。隠れて生きなければならないかもしれないのに、どうして自分サイト運営などできようか?

そうして僕は、父が逮捕された日にサイトを閉じた。一ヶ月後、新聞の小さな記事を見て後悔した。この程度なら続けていても良かったじゃないかって。

しかしこれは家族にぶつけてもしょうがない怒りだった。父が捕まったことは家族以外には内緒だったので、結局誰にもこれを相談することはできなかった。

サイトを閉じた後に一人Skype心配して声を掛けてくる人がいたのは嬉しかった。サイトバックアップを取らずにジオシティーズアカウントを消したのでそのまま復活させることはできなかった。しょうがなくブログという形で活動を再開していたが、その時にはもう色んな気力が萎えていた。

貧困本質とはモノやお金がないことではなく、先行きが見えないことだと言われることがある。僕の実家別に貧乏でもなかったが、それでも先行きがずーっと見えなかった。

三年間続けてきたコミュニティとの縁を何も言わずに切ってしまった。下手でも続けていた絵を投稿する習慣が途切れた。漫研にいたので絵そのものは続けていたが、よほど張り合いがなかった。インターネット活動する場所がなくなり、やることがあまりなくなっていった。

pixiv登録したり、mixi でかつてのサイト仲間とマイミクになったり、なんとかやり直そうとしていたが、そもそもあの時サイトを消すことなんて無かったんじゃないか、という気持ちがずーっと消えなかった。そんなこんなの間に受験が来て進学した。

大学入学前後の時期、僕は人生で一番絵を描いていた。とにかく遅れを取り戻したかった。が、二ヶ月もするとすべてが辛くなってしまった。入学後に始めたTwitterアカウントはどんどん病んでいき、またインターネットをやめた。

もうおしまいだと思った。

おしまいになってから五年が経った。

高1のころからそろそろ10年が経つ。

今は絵を描く仕事ではないが、やりたい仕事にはついた。

創作自体はしているが、もう誰も知らない、ずっと細々としたものになっていた。

あの時サイトをやめていなければ、自分はそのまま楽しく創作を続けていたのだろうか。

きっと順調に進んでいたとしても何らかの挫折はあっただろう。

創作にはそもそも挫折はつきものだし、反応がなくてやめてしまうケースなど珍しくはないと思う。

しかし、それはまだ「正しい挫折」じゃないか、とつい思ってしまうのだ。

幸福人生とは、つらいことがない人生ではなく、つらい出来事があってもそれにちゃん意味のある人生のことだ。それが努力の結果の挫折なら、それはちゃん存在意義のあるつらさだ。自分が一番不幸だとは考えないが、自分の不幸が一番無意味だと考えてしまうのはいかんともしがたい。

自分の当時の苦しみにはまったく何の意味もなかった。そもそも創作とは何の関係もない出来事きっかけに、まったくの非合理な思い違いから、ただ間違ったつらさだけが残った。どうせ理想がかなわない人生になるとしても、せめて後者意味では幸福でいたかった。つらいことがあるにしても、存在意義のある苦痛だけを背負って生きたかった。

そのことだけが悔しくてたまらない。

2018-07-07

anond:20180707021958

部活に行けばJDと話せたけど、めんどくさくなって帰宅した。

その帰路でこの日記を書いていたので、努力する力はない。寂しさはある。

今日は授業間、一人でパン屋パンを食べたけど冷たかった。孤独の味だった。

学校を休むことについて

友達部活(文化部)のことで悩んでいた。大会が迫っているのに、部員学校休みがちなのだと言う。そして、友達そもそもなぜ学校を休むのか意味がわからないとも言っていた。ここから話は学校を休むことの是非に移る。

私は中学校に半分ほどしか行かなかったので、学校を休む気持ちはそれなりにわかる。「精神にしんいから休むんじゃない?休むことで部活迷惑をかけるのは良くないけど、学校を休むこと自体は悪くないと思う。きつかったら休むのが正常」と伝えた。

それに対して友達は、「精神的にきついといって学校を休んでもどうしようもないから、休むんじゃなくて問題解決努力をするべき。私はそうしてきた。それにそんな考えでは社会に出てからやっていけない。」という旨のことを言っていた。

まあそうなんだけどさーーーーーーーーーきつかったら休むよねーーー休まないのが普通と思ってる社会おかしいんだってーーーーーー

でも、そういう考えの人が社会では多数派で、うまくやっていくんだろうなあと思う。その友達とは話も合って考えも似ていると思っていたので、まあまあショックを受けた。やるせねえよ。社会が悪い。

女性ありがちな暴力の本当の恐ろしさを知らない人の発想だと思った

中学の時に運動部員に集団で虐められた俺は、というか俺自身も同じ運動部員で部活中にしつこく虐められたんだが、その日切れて暴れた。

切れていても素手じゃとても敵わないって判断力は残っていて、椅子掃除用具や文房具を振り回した。

運悪く、部員の一人の片目が傷ついて、医者最初見立てでは視力が一生メガネコンタクトでも補正できないほど低いままになるかもしれない、好きなスポーツを続けるにしても相当のハンデになるだろう、という話になった。

運良く、そいつ視力は健常に戻って、俺は心底ほっとして、心底暴力が怖くなって、自分暴力を振るわれることも他人暴力を振るうことも徹底的に避けて生きようと誓って、その通り今まで過ごしてきた。

仁藤 夢乃 - ‪今日の14時半ごろ、渋谷から山の手線に乗っていたら、私の前を6歳の女の子が通り過ぎた。そのあとすぐ、... | Facebook https://www.facebook.com/100002499840432/posts/1793406944085950/

3人いれば捕まえられると思ってその人たちを選んだのだが、「いやあ、僕たちにもこれから仕事があるんで」と、真顔で断られた。ショックだった。

(……)

一人になると、「なぜ、30代と思われる3人組のサラリーマン風の男性たちは、助けてくれなかったのだろう。目の前で幼い子が怯えているのに、なぜ。なぜ車内にいた他の大人たちは、あの行為を目撃していた男性たちは、誰も助けてくれなかったのだろう」という思いでいっぱいになって、涙がでそうになる。

(……)

男の人たちに、ちゃんと助けて欲しかった。

この人は

痴漢と同等の腕力を持つ男がそれも複数いたのだから痴漢一人の制圧などたやすいはずだ、そんな簡単なこともやろうとしない理由は男たちが女子供の性被害の訴えを軽く見ているからだ」

みたいな発想で男たちに不満を感じてるんだろうけど、それは間違いで、男たちが動かなかった理由暴力への恐れだと断言できる。

たとえこちらが男多数で相手が一人のショボくれたオッサンだったとしても、追い詰めたらどんな反撃をされて一生残る障害を負うハメになるかわからない。

中学生でも大人と変わらない体格だったいじめっ子の目を小学生と間違われる体格だった俺が潰しかけたように。

いや、むしろ逆の恐れの方が強くて、痴漢を取り押さえようとして重度の障害を追わせたり、最悪殺してしまうかもしれない。

暴力をほどほどに使って犯罪者制圧できるのはそのための訓練を受けた警官だ。

素人にできるのは切れて相手に大怪我をさせるか、切れた相手に大怪我をさせられることだけだ。

ほとんどの男は素人の分をわきまえているから「痴漢を捕まえて! あなたちは男で数も多くて強いのだから簡単にできるでしょ!」と暴力の恐ろしさを半分しか知らない女性に煽られても関わりを避ける。

女性は、男が自身の加害経験から暴力に巻き込まることを強く恐れていることをよく理解すべきだ。

そうすれば、この人のように男に暴力をもって暴力制圧することを当然のように期待して失望することも無くなるだろう。

2018-07-05

クイ研ネットワークによる日本支配

今、新しい学閥的なネットワーク日本知識階層に張り巡らされようとしている。

ほとんどの人は気づいてないだろう。

地域トップ進学校特に長い歴史のある高校には、たいていクイズ研究会クイズ同好会がある。

近年、TVでのクイズブームのせいで人気のある部活である。ただし、だれしもがその部活に参加し続けるかと

いうとそうではない、結局、そのクイズ研究会所属しづづけるのは、トップ進学校の中でも特に勉強が得意な奴らである

いわゆる各県の「トップ・オブ・お勉ツヨ」の面々である

そいつらが、各地域、全国レベルクイズ大会だの、例会だので高校中学の頃から顔見知りになり、クイズを中心に人的ネットワークを張っていく。

そいつらが、いわゆるトップ大学に入り、その後も交流をつづけていく。

近年、だんだん日本エスブリシュメントの入り口に入り始めてきている。

ここまで書いて飽きた。でもほんとクイ研連中の進学実績すごいよ。

恋愛は少なくともメンヘラとは両立できなかった話

 本文をうっかり読んでしまうのは時間無駄なのでいくらか前置きで警告をしておく。

 これは一人のクソ女の自分語りだ。

 多分恋愛をしている人にもメンヘラをやっている人にも響かないと思うので、ノンフィクション小説好きな人とかが読んで哀れむなり蔑むなりネタにするなりしてくれたらいいと思う。

 文章にすると落ち着くたちなので、一回字に起こして整理したかっただけだ。

 特に意見アドバイスを期待してはいないけれど、私が想像も出来なかったような現実を打開する魔法があるなら教えて欲しい。

 そうじゃないなら今はほうれん草を沢山使うレシピくらいしか知りたいことはない。

 石を投げたりして気持ち良くなるなら好きにこの文章の私を罵ってくれて良い。もし肯定したいとか共感したとか優しい言葉を掛けたいとか思ったら、それは上手く受け取れないので胸に仕舞うか何かしておいて欲しい。言って満足するなら言って満足して欲しい。

 それから、ぼかしたりフェイクを入れてはいるけれど一応念のため。私の彼氏さん。あなたがこれをもし読んでいたら、私にいい加減愛想を尽かして下さい。メールもしなくていいし、顔も合わせなくていいです。ここにはあまり書いてないけどあなたはすてきな人なので、きっと可愛くて気立てが良くて知的趣味の合う恋人や奥さんがそのうち出来ると思います。私抜きで幸せになって下さい。でも今までありがとう

 さて、数えてないけど多分これ五千字くらいある本文。

 私には彼氏がいる。中学生の頃男女混ざった仲良しグループに居た同士だったが、彼は当時テンプレ中二病クソ女であった私に親切だった。私はいわゆる愛情に飢えたメンヘラであり、被虐待児でもあったので親切な彼を好きになった。

 親に無理矢理突っ込まれ進学塾、殴られたくないから沢山勉強して、私が目指した志望高校は彼と同じ学校だった。志望理由は、当時不良やヤンキーが苦手だったのでそれでもやって行けそうな校風であることと、私のやりたい部活の成績が良かったこと。通える範囲で目指せる偏差値勝手に割り出されたその高校を志望していると自分に言い聞かせるために、彼と一緒に高校に通えるかもしれないことを考えていた。彼は頭が良かった。彼の頭が良いところにも好感を持っていた。

 結果として高校受験は失敗だった。兄弟が多い我が家は長子の私の滑り止めを用意出来なかった。模試きれいな紙に印刷された合格する確率が70%まで落ち込んだ。挑戦は許されず漫画のように家庭の都合で通いやすくそれなりの偏差値の親が決めた高校受験して合格した。

 妥協のご褒美に私は携帯電話を買い与えられた。猿のように熱中した。友達とひっきりなしにメールをするのが楽しかった。そんな携帯中毒に付き合ってくれたのが彼だった。

 彼は愚痴をうんうん聴いてくれた。肌寒い日にはコートをかけてくれて、雨の日は傘を差して家まで送ってくれた。

 彼は誰にでもそうする人間だ。

 そういう人間を私は好きだと思った。

 高校一年の夏、好意を伝えた。彼はいわゆる恋愛恋愛した面倒は嫌だけど、と前置きした上で私と付き合う返事をくれた。友達にも家族にも内緒だった。私はおおっぴらに恋愛満喫して盛大に恋心に振り回される友人たちのようになりたかったが、その夢は絶たれたと言ってもいい。

 彼は時折、家族が留守にしている放課後休日、私を自宅に呼んだ。彼の家は急な坂の向こうにあり、私は暑い日も寒い日も自転車こいで彼の呼び出しに応じた。二人でカーペットの床に並んで座って、他愛もない話をするのはとても楽しかった。彼はキスがしたいと言ったので応じた。こんなもんか、と思った。彼は私の胸や下半身に触れたがった。胸は触らせたが、下半身他人に触られるのは嫌だったので精一杯かわいこぶって断っていた。

 彼が満足そうで良かった。私にかわいいとか偉いとか頭が良いとか言ってくれるのは彼だけだったからだ。

 たまにデートなるものもした。彼は共通の友人にばれたら面倒だから地元ではないところで待ち合わせて、博物館などに行った。博物館が好きなので楽しかったが、多分一人でいても楽しかったとは思う。彼は理系なので解説をしてくれて、知らないことを知れたのは楽しかった。

 いわゆる中学生ぐらいのいじましいお付き合いは高校三年生になるまで続いた。

部活大会模試で顔を合わせたら、こっそり示し合わせて抜け出して会って話したりしていた。

 関係が、と言うよりも私が変わったのは高校三年生の秋頃だっただろうか。

 私は学校へ行けなくなったというより、身体が動かなくなった。

 鬱を発症していたと知るのは年明けに通院をはじめてからだ。高校卒業も危うくなった。彼のメール無視し続けた。友人たちのラインブロックした。手首を切った。酔い止めを何箱も一気に飲んだりした。苦しかった。とにかく早く死にたかったが、癇癪を起こすと椅子を投げてくる母親から兄弟を守らなければならなかったので死ねなかった。

 音信不通を続け、両親の説得も不登校支援センター保健室も諦め、私は精神科に通院することになった。

 高校三年生の一月、私はセンター試験どころか学校へも行かず精神科に通った。薬が効き始めるまでが地獄のように長かった。向精神薬睡眠薬がなんとか効力を発揮する雰囲気を醸しはじめた頃には、卒業はほぼ絶望的だった。

 私は主治医から診断書をぶん取り、校長などのお偉方と交渉を重ね、補講を組んでもらうことでなんとか、卒業から数日はずれが生じるものの年度内に卒業出来ることになった。周りの大人は私の想像はるかに超えて優しかった。同情し、時には私の身の上話に涙ぐんでくれた。そんなことで悩んでいたなんて知らなかった、と口々に言った。進学校だったので不登校前例が無かったのが幸いした。先生方は私一人のために会議室卒業式をやってくれた。

 さて、話を恋愛に戻そう。私はなんとか卒業証書をぶん取り、彼は第一志望の難関大学合格していた。サイゼリアで久し振りに会って彼は「元気そうで良かった」と言った。

 私は全くもって元気では無かった。

 恋愛どころじゃない、何度も死にかけた。

 人に説明する元気もあまり無かったので、かなり端折って私はことの顛末説明した。ずたずたの腕を見せて「メンヘラと付き合うとろくなことがないって言うから、別れるなら今だと思うよ」と彼に提案した。彼は「それは別れる理由にはならない」と言った。

 そういうことでお付き合いは継続されることになった。

 彼は大学入学した。私はそれを祝福した。彼が受験勉強を頑張っていたのを知っていた。とても尊敬している。

 私はといえば、自分を殺そうとする自分に耐え、病状を必死家族説明し、ひたすら精神科に通った。

 彼は以前と変わらず家族が留守の合間に私を家に呼んだ。私は行かなかった。外に出る元気も無かったし、当日朝「今日家誰もいないよ」と言われても動き出す頃には翌日の昼間だ。

 彼はサークルが忙しかった。理系から男ばかりで可愛い子いないよ、と言っていた。

 私達はあまり会わなくなった。

 彼は学業を、私は治療を、お互い頑張っていた。

 彼は私が死んだら悲しむだろう。優しくて弱い人だから自殺だけはしてはいけないと自分に言い聞かせた。

 色々なことがあった。

 死なないために意識を失うことが必要だった。私は酒浸りになり、睡眠薬はどんどん強いものに変わった。早朝起きて、Amazonで買ったウォッカを水で割り、それで頓服を服用して眠り、昼過ぎに起き出して母に罵倒されながら(これは10年来の日課だ)食事をとり、薬を飲んでまた眠った。眠れない夜は頓服を酒で服用した。そうすれば眠れる。眠っている間は死にたくならないので楽だった。

 私某居酒屋で酒を飲みすぎて意識を失い救急車に乗った。倒れたはずみに骨折もしていたのでそれを治療するため更に入院した。入院中は母に罵倒されず三食昼寝付きだったので手術の痛みを差し引いてもお釣りが来るくらい快適だった。

 退院してからはまた酒を飲んで眠るだけの生活をした。

 そんな状況を医者は許さず、私は精神科閉鎖病棟入院することになった。彼は見舞いに来たがったが、私は断った。誰にも会いたく無かった。自分自身と二人きりになりたかった。何もかもに疲れ果てていた。

 入院生活幸福だった。

 看護師さんは優しい。変な人が沢山いるけどそれぞれが自分のことで精一杯だから誰も干渉してこない。

 母の罵倒が無いなら、現実逃避するためのスマートフォンは要らなかったので無くても困らなかった。

 少しの本、ポータブルCDプレイヤーと何枚かのCD。それだけで完結した生活は確実に私の心を癒した。

 これが人生の正解だと思った。誰も、何も要らない、天国だと思った。

 あらかじめ定めていた期間が過ぎ、私は退院した。

 閉鎖病棟入院したことがあるレッテル付きの私は母から罵倒が少しは薄まったと感じた。もう死にたくならないために一人で十分だった。

 そして同い年の彼が大学二年生になると同時に、私は大学一年生になった。

 母が勝手に推薦入学に出願して受験料も払い込んでいた。仕方がないので面接に行ったら大学に受かった。入学した。

 彼はおめでとうと言ってくれた。

 新調したスーツきれいなキャンパス、好きな学問、新しい友達

 私はまともな人間に戻れるかもしれないと期待した。

 アルバイトもはじめた。友達徹夜で飲み明かしたりした。

 しかし、ゴールデンウィークが明けた頃には既に私はくたびれていた。夏休みが明けて、大学へも行かなくなった。アルバイトはクビになった。

 主治医からストップがかかり、休学する事になった。

 私はただ家で時間を潰し、母の(以前よりはマシな)罵倒に耐え、薬を飲み生活していた。もう死のうと思っていた。

 大学で新たな人間関係を築いた彼は、私の死を受け入れるキャパがあると思った。

 そういえば私は彼とセックスしていなかった。

 呼ばれても家に行かない、共通の友人たちと遊ぶ以外では会わない、そんな恋人であったから、私はなんだか彼に申し訳が無かった。

 セックスすることでそれを清算できると思った。

 セックスする前に私は酒を飲んだ。

 薬の副作用で性欲は無く、彼とキスしても気持ち悪いと思ったからだ。

 彼が取ったホテルで私は彼と昼間からセックスした。

 こんなもんか、と思った。

 彼は別にセックスたからといってこれまでより優しくなる訳でも冷たくなる訳でも無かった。

 その日私からやや強引に誘い、夕食を食べながら話をした。私は彼と話がしたかたからだ。彼と話すのは楽しかった。

 それが数ヶ月前のこと。

 それ以降、私は彼と一度も顔を合わせていない。

 なんだかひどく億劫で、気の許せる女友達しか話したくない。

 精神科に通い続けて、自傷行為をやめられた。アルコール中毒も治った。睡眠規則的になった。

 兄弟が進学と同時に一人暮らしを始めた。もう自分の身を自分で守ってくれる。

私の生きる価値は無くなった。

 ある夜母が癇癪を起こして私に出て行けと怒鳴り、私を家から蹴り出そうとした。

 終電が無かったので私はははに頭を下げて「一泊止めてください、明日出て行きます」と言ってその場をおさめた。

 翌朝、私は最小限の荷物だけを持って逃げるように家を出て、何度か遊びに行っては掃除をしてやったりしていた兄弟一人暮らしをしている家に転がり込んだ。

 それから紆余曲折あり、結局兄弟仕送りで私は生活している。兄弟大学に行き、私は自分兄弟の二人分の家事をしている。おそらく幸せなのだろう。私が欲しかった暮らしは手に入ったのだろう。

 もう死んじゃおっかな。くたびれた。もう何も要らない。

 今死んだら同居している兄弟がショックを受けるだろうから、死んでないだけ。

 彼と連絡を取っていない。

 これが自然消滅と言うのならそうなのかもしれない。

 私は多分もう駄目だ。大学は妹宅から距離的に通えないので中退する。アルバイトでせめて食い扶持を稼ぐのが目標だが、達成出来るのはいつになるやら。

 こういう駄目な人間恋愛などしても彼に何の得も無いだろう。

 だから自然消滅であってもさよならを言っておきたい。

 もう恋愛感情がどういうものなのか思い出せないのだ。

 自分異性愛者ではないのかもしれないとも思ったが、同性も好きにならないのでたんに今恋愛をしたくないだけだと思う・

 彼は人間としてすてきだから好きだけれど、セックスはしたいと思わない。それじゃあ社会的地位の高い彼にぶら下がりたいだけの厄介メンヘラだ。しかセックスさせてくれないときた。そんなクズになってまで恋愛かいフィールドに立っていたくない。情けないし申し訳ない。

 友達に戻って彼と飲みに行きたい。手を繋がないで一緒に博物館に行きたい。一緒に食事がしたい。でも今は会いたくない。

 さよならを言うために約束を取り付けようと思って、彼が通う大学夏休みの期間を調べている。

 でも何だか会うのも連絡するのも嫌になってきた。

 こうやってぐずぐずしたまま、付き合い始めてこの夏で四年。嫌だ。

 生活が忙しくて、朝起きて夜寝るのが精一杯で、恋愛なんかやってる場合じゃない。

 そろそろ死んじゃおうと思っている。

 メンヘラはよく人生を虚無虚無言うけど例に漏れず私もやはり虚無を感じている。

 恋愛には向いてなかった。

 多分健康でいることが出来なくなった段階で恋愛なんかやめにしておけばよかったのに、彼の優しさでそれは人工的に延命措置を受け続けている。

 罪悪感はそれだけで健康を害するから排除しなければ、と、病気治療する上で判断出来る。だからさっさと別れようってメールを打てば良いのだ。

 参ったなあ。

 

低学年でmedu4やる意味ある?(医学生向け)

ここ2,3年で医師国家試験予備校業界は色々な動きがある。

数年前まではMEC、TECOMがほとんどのシェアを占めていたのが、medu4やQ-assistといった新規勢力が急速に台頭し始め、医学生にとって選択肢がかなり増えた。

その中でもmedu4というのは、元MECの講師が中心となって始めたもので、他の予備校との差別化点を簡潔にまとめるとすれば

比較的安く科目別に利用可能

過去国家試験網羅にわかやすくまとめている

テキストpdf管理可能

といったところであろうか。筆者も全ての予備校を見ているわけではないため、他人感想も参考にしている。

また、予備校というものを介さず、オンラインで誰でも申し込めるため、最近は4回生以下でmedu4を始めるという状況がちらほら見受けられる(主にtwitterで見かけるのだが)。

特に印象的であったのは、

医学知識の非効率的な復習がダルいからと、一通り終わらせてる高学年で改めて使う便利なコンテンツビデオ講座なのに、低学年で使っちゃうと「高1で赤本解く」並みに無意味やぞ。そんな時間があるなら、もっと大切なことがあるやろ。遊んだりとか、低学年でしかできない基礎の勉強したりとか』

というツイートに対して、medu4代表講師が直々に

『私が学生時代に教鞭をとっていた鉄緑会では中学2年で中学の内容が終わります。そして中3から高校の内容をはじめ、高1で東大過去問を解きます。 そして今や理III合格者の3人に2人が鉄緑出身者です。 つまり、本当に効率良い人は高1で赤本解いて、余った時間遊んだりしています。話の次元が違う。』

と返信していることだった。

しかし、本当にそうであろうか?私は低学年(1、2回生もいるらしいが)でこのような国試向けの教材に手を付けるのはよくないと思う。以下に理由を述べる。

①低学年で国試対策をすることが無駄である

医師国家試験には傾向という概念がある。厚生労働省医師に何を求めているかが色濃く反映される試験であり、それは近年の知識重視から臨床重視へのシフトという形で表れている。そしてこれから高齢化社会など、日本医療形態が変わりうる状況は続いているがゆえにこの国家試験の内容も今のまま変わらないとは考えられない。そんな状況で、低学年からその直近の国試をターゲットにした教材を解いたところで、自分が6回生になった頃には何の役にも立たない知識である(もちろん不変の知識もあるが)。考えてみてほしい。5年前のQBを解いている受験生など、どこを探してもいないのである。そのため、国家試験を見据えてmedu4を早いうちから始めることに意味はない。

医学勉強をしたいなら成書がいくらでもある。

そもそも、medu4に限らず予備校教材というのはいかに効率よく国試に必要知識を身に着けるか、あるいはどのようなことが次に問われうるか、というメタ的な勉強を重視している。国試合格だけを目的としているので当然である。よって、その内容は偏りがちになる。同じ病気についての知識でも、過去に問われたことがあるかないか、それがこれらの教材の中での重みづけとなっている。しかし、実際医学はそれだけじゃない。もっとかい知識や新しい知識、調べれば面白いことが山ほど出てくる。ならばあえて最大公約数のような教材よりも、論文や各大学研究室、あるいは最低限ハリソンをはじめとした成書を基に勉強するのが後々のためにもいいのではないだろうか。そもそも低学年でmedu4に目を向けるような人は意識が高いはず、その高い意識もっとレベルの上の領域に向ければ周囲から尊敬されるような存在になれるのでは。

③国試ベース効率化された知識体系を早期から身につけるのはよくない。

大抵の大学は、基礎や臨床の科目の試験で国試で問われているかなんて考える教授はいない。各自が専門にしている高度な内容まで趣味踏み込み学生を苦しめる、そんな試験を作ることが意外に多いのではないだろうか。あるいは国試ではほとんど触れられないような分野、例えばリハビリ遺伝医学などが設置されている大学もあるかもしれない。そういった内容に、国試用にチューニングされた知識体系をもった人が触れたらどう思うだろうか。これは国試に出ないか重要じゃない。そんな風に思う人も出るのではないだろうか。教授趣味で出す高度な内容や、一生使わなさそうなマイナー知識、そういった多種多様知識必死に詰め込み蓄えた後に国試の勉強をすると、意外な発見があるものだ。だから、せっかく大学が凄まじい数の講義提供してくれるのだから、まずはそれに力を入れてもいいのではないだろうか。

④国試の心配なんかせずに遊ぶべき。

回生から国試の勉強してたら心が持たない。せっかく大学受験が終わったのでちょっとは外の空気に触れるべき。勘違いしてほしくはないが、医学勉強はどんどんしてもいい。研究室に通って実験したり、勉強会に参加してみるのはよいことだ。もちろんバイト部活に精を入れるのもよい。でも、5年以上後の国試のことを考えていたらどんどん目の前の楽しいことを逃してしまう。どうせ直前に死ぬほど勉強するのだから、今しかできないことをやれ。国試なんて6回生からギアを入れたら90%受かる。気にするな。

これくらいだろうか。以上①~④が、国試を目前に控えた私が思う、医師国家試験予備校教材との付き合い方だ。本当は医師国家試験なんて気にせずに医学勉強するのが一番良い。詰まるところ低学年でmedu4をやるのは勝手だが、あたかもそれがbetter choiceであるかのように周りに布教するのは最早悪といっても過言ではないと思うがどうだろうか。

重病でなければ健康なの?

幼い頃から花粉症蓄膿、緊張型頭痛など、重病ではないけど、ひどくだるい症状が続く病を持っている。

今だからこそ病名を本で知る機会があり、病院でも診断してもらったことで自分がそういう体という認知が持てた。

でも、小中高と部活学校、家庭はそれを受け入れなかった。

親や顧問に訴えることが多かったが誰も聞く耳を持たず、本当につらいまま学校や塾への通学路を歩み続け、頭に入らない授業を受け続けた。

なんとか適当国立大学に入ったが、話を聞いてくれる大人がいればもう少し自分のペースで、自分の行きたいとこに行けたかなあとは思う。

今は小説好きの理系大学生で、バイトも在宅でどうにかなってる。

健康人間は重病でもないと聞く耳を持たない。

こういう人間がいることも知ってほしい。

10最後の日

今日わたしの長いようで短かった人生に一区切りがつく。わたし明日、正確には今日の夜中には、誕生日を迎えてハタチになる。こんな子供みたいなハタチがいていいのかなあって思うんだけれど、なってしまものはなってしまうので、良しとすることにする。

わたし人生はそんなにドラマチックではなくて、多分さほど苦労することもなく他人から見たら順風満帆みたいな道のりだったけど、それでもなんだかちょっとだけ感慨深い。

中学生の頃、ハタチになったわたしもっと大人だと思っていた。今では恥ずかしい話だけど、あの頃はよく、未来自分に宛てて手紙を書いていた。時々そういうものを読み返してみると、全然変わっていなかったり、少しだけ成長していたり、考え方が変わっていたりして、面白かった。でもやっぱり、何回読んでもわたしはあの頃のわたしが望んでいた風には上手に大人になれなかったなと思う。わたしはあの頃何だかとても生き辛くて、だから未来わたしに色んなことを託して生きていたのかなと考えている。もう覚えていないのだけど。今あの頃の自分に会いに行けたら、未来貴方はちっとも大人になれなかったけど、それでもちゃんと生きているか大丈夫だよって伝えてあげられるのになぁ。

高校生の時は、色んなことがあった。好きな人と非常に面倒くさい恋愛をしたり、一生やることもなかったような部活をやったり、色んな人に出会ったりした。その度に自分ちょっと嫌いになって、反対に好きになることもあって、何だか毎日がころころころころ変わっていくような、不安定だけどその分刺激的で退屈しない日々を過ごしていたように思う。わたしはこの頃にどうやったら上手に生きられるのかとか、楽に生きられるのかとかいうことを学んだ。それまで過ごしてきた仄暗い人生の成果だった。随分と生きやすくなって、上手に呼吸ができるようになった。同時にわたしの思い描いていた大人からは遠ざかっていったようにも思う。けど、そんなものはさっさと捨ててやれば良かったのだ。だって今こうして、のうのうと生きているから。理想未来なんて、わたしには必要なかった。

あぁ、それから夢があった。ずっと。それでその夢は今も変わらない。職業とかそういうことではない。具体的に叶う瞬間があるわけでもない。強いていうなら、今のこの一瞬一瞬でさえ、わたしの夢だったのかもしれない。

子供の頃の夢は大人になったら忘れちゃう、なんていうけど、わたしはまともな大人になり損ねたのでしっかりと覚えている。これからだって忘れないし、これからもそのために生きていくつもりだ。

もうハタチへのカウントダウンが秒刻みで始まっていて、あと10なんとか時間後には、わたしはそうなる。法律上の立派な成人になるわけだ。年金書類も来て、わたしは本当に20歳になるのだなぁと実感する。

今日大学で、課題もたまっていて、昨日米を炊くのを忘れたから今炊き上がるのを待っていて、冷蔵庫には豆腐サラダしかなくって、ベーコンエッグ食べたかったのにって昨日の自分ちょっと恨んで、朝から暑くって、今日は雨で、東京今日も昨日とほとんど変わらない数の人間によって回っていて、たぶんその先もいつもと何一つ変わらない生活が待っていて、それでわたし10代の自分にお別れをしないといけない。

長い間どうもありがとう。ずっと一緒にいてくれてありがとう。ここまでわたしを連れて来てくれてありがとうわたしはまだまだ子供だけど、周りから見たらきっともう大人から、そろそろもう少しだけ大人になろうかなって思います。よく覚えていないことも沢山あって、きっともうすぐ、もっと沢山のことを忘れてしまうから、今の気持ちを書き残しておきます

今日も1日がんばろうね。

それで明日は、お誕生日おめでとう。

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