はてなキーワード: 障害とは
発達障害も性同一性障害も今の精神医学で診断できる(ということになっている)し、
将来的には「脳のこの部位がこのタイプなので、この人は性自認トランス女性・性指向レズ・強めのASD」と診断できるようになるかも知れないぞ。
多産の家庭は大学を無償化、と言うアイデアが「少子化対策」として出てきたが、
https://digital.asahi.com/articles/ASRD67KLKRD6UTFL011.html
これは
といえるので、最低でももう少し工夫をしてくれという話をする。
簡単に言えば、少子化の主因を捉えていないから、少子化対策にならない。
これは繰り返し言われてきたが、少子化の主要因は、非婚化と言われている(注1)
詳しくは注記に文献を上げておくので見てほしいが、簡単に言うと
と言う状況があるためだ。
結婚した夫婦がもうける子どもの数は微減状態にはあるが、そこに合計特殊出生率の変化のグラフと、婚姻率のグラフを重ねてみてほしい。そうすれば一目瞭然で「結婚した夫婦も減ってるじゃ無いか」という抗弁は枝葉であり、全くマトを得てない事が分かると思う。
結婚しない人を結婚させるより、3人目を諦める人を支援した方が良いと言う事実はない事も既に研究で明らかになっている。確かに理想の人数の子の数を理由でアンケートでは経済を上げる人が多いが、統計で分析すると
もちろん、金銭的理由を挙げている人がいるかぎり、それをフォローする事は重要ではある。また経済対策として子育て支援は効率が良い施策なのでやるべきではあるのだが、これを有効な少子化対策として捉えられてしまっても困る。
子育て支援は少子化対策としては有効ではないと言うことをとにかく認識してほしい。
よく「子育て支援・少子化対策」と並べる人がいるが、この二つは似て非なるものである。少子化対策とは別に考えるべきだ。
まず、前提の事実を並べる
最新の統計はコロナ禍の影響があるとは言え、再配分が間に合っていない状況である。
その中で、最近は所得制限なしに給付を行うのがはやり始めている。高所得者層にはそれほど大きな金額ではいのかもしれないが、負担率という形でみると低所得者層ほどインパクトが大きいので、所得制限無しの上に、低所得者層に給付対象者が少ない助成金などをやったりすると、一気に格差が広がる。
つまり、言い方はあるにせよ
と言う事で、現在の状況をより補強し、子育て支援は本質的に少子化対策としては問題が多い。
特定の部分をターゲットにして単純に補助金を作ると、産業が補助金に対して最適化するので、全体として金額が上がって非効率になる。例えば、ネットで買うと5000円、地元で買うと8000円だが、1/2補助の地域振興券がつくので地元で買う、と言うような現象だ。この構造から、一見すると消費者に対する補助の様に見えるが、実際には店側の方への補助金としての性質が強い。
また、最近問題になっているのが、出産一時金である。出産一時金をはじめとして、出産に関する各種の補助は強化されて金額が増えているが、結果どうなったかと言うと、病院がそれに合わせて、出産費用を値上げをした。出産に関わる費用が上昇しているのである。これを受けて政府は、出産を保険診療のように、標準報酬のようなものを定めようとしている。
何も考えずに補助を作ると、大学にも同じ現象が発生する。授業料分は補助が出るだろうが、全体としては助成金を充てにして値上げが行われ、補助の大部分は大学への補助として作用し、実際に支援したい子育て世帯への恩恵はわずかになるだろう。
ではどうするかというと、補助をする対象を個人では無く、大学に支払うようにするべきだということだ。何故かと言うと、個人に給付するときに個人に条件を付けるのは難しいが、大学に条件を付けることは容易だからである。
例えば、便乗値上げをしない事、上限金額を決めた上で「追加で対象の学生から授業料を徴収しないこと」といったはどめをかけて、条件に合致する大学にだけ対応させるといった処置である。
再掲するが、せめて
が必要だ。
ばらまきはある程度民主主義のコストであるので、人気取りで分かりやすい施策をやろうとするのは、まぁ仕方が無いと思う。
ただ、それで「やった感」だけを醸し出して、あるいは、有限の予算の中で優先度を間違えて支出された予算になってしまって、本質的な対策が行われないがまずい。
政治的に
みたいなことを堂々といったら炎上するだけで難しいのはわかる。例えば、子育て支援は所得制限無し無制限が支持される一方で、自治体が頑張って結婚相談所を作っても参加補助どころか無料も無理で、実費請求されるところがほとんどだ。これは有権者の支持が得られないというところであろう。
が、もうこれを上手くオブラートに包んで実行していくほかにないのでは無いと思われる。
子育て支援をするなと行っているのでは無い。子育て支援はやるべきだ。しかし、子育て支援は少子化対策にならないのを直視して、少子化対策は別枠でちゃんとやってくれと言う事である。
知的障害の人がどうしても苦手。
中学生の時に障害のある人が働く作業所に体験授業で行ったんだけど、友達が知的障害の男性にレイプされそうになった。
引率の先生も作業所の職員も近くにいなくて、クラスの男子が必死に男性を友達から引き剥がそうとしたけど、男性の方が力強くて無理で。私は急いで先生と職員を探しに行った。
職員が男性を押さえた時には友達は服を脱がされてインナー破られて泣いてた。
その後は救急車やら警察やら来てすごく混乱した。警察からの質問に答えるのが辛かった。
あの時のことがトラウマで、障害ある人を見かけると避けてしまう。
軽度で普通に生活できる人、重度で生活するのにサポートが必要な人、色んな人がいるのはわかってる。
でも、どうしても皆同じに見えてしまう。
※ここでの「ゆるめ」とは前提知識とか過去の議論とかを全く知らない素人意見という意味であって、思想そのもののゆるさとは無関係
一杯一杯になってる
背中も強張ってる
寝つきも悪いし、寝起きも変な時間
リモートワークの上、寒さで出歩かないからか自律神経が狂い初めている
内臓が熱く感じる…
師走の初めでこれか…
乗り切れるかな…
追記(00:35):id:Falky氏のブコメのおかげで、複数のブコメにある謎の誤読の理由がやっとわかったのでタイトル修正。
(ついでに、誤字修正したつもりが誤って再投稿となりしばらく二重投稿状態だったことに気づいた、すまぬ)
https://twitter.com/kanose/status/1732048986259988949
抽象的にまとめれば、どちらも「本を焼く」行為である。ダブルスタンダードでは?
この論法の根本的な欠陥は、敵対する論者の思想信条に対する軽薄な理解で、ただ揚げ足を取ろうとしているところだ。
言論の自由を重んずる立場として、「SNS批判殺到で出版停止」といった動きはすべて倫理的問題を含んでいると私は認識しているし、『ゲームの歴史』の絶版時にもその認識の元で行動した。
『ゲームの歴史』の批判者としてもっともPVを集めた岩崎啓眞氏もこう述べる。
KADOKAWAの騒ぎで「ゲームの歴史」が絶版になった時文句言わなかったとデタラメ言っている人がいるので、明快にしておきますが、僕は絶版に対して批判的ですし、ブログなどでも明快にそう書いています。
https://twitter.com/snapwith/status/1732359430233374769
故・五島勉さんの『ノストラダムスの大予言』なんて、言っちゃ悪いけれど、今読むと失笑してしまう間違いと強弁の塊で、こんなものを自分は信じてしまったのかと恥じてしまうけれど、それが出来るのは言論・出版・表現の自由の下で、その本が手に入るからだ。絶版はもちろん筆者と版元の権利だし間違いを広めることを許容しない態度ではあるけれど、反面、検証の権利を奪い取ってしまうものでもあるので、今でもやってほしくなかったなあと思っている。
なお、岩崎啓眞氏はWeb連載として発表した『ゲームの歴史』の批判を、同人誌『ちょっとは正しいゲームの歴史』として発行、国会図書館に納本している。
抗議の声が今回ほど大きくはならなかったのは、類似の問題を孕んでいても深刻度には濃淡があるからだ。
『ゲームの歴史』の絶版回収と『あの子もトランスジェンダーになった』の刊行停止には、以下の2つの重大な違いがある。
私の居住地周辺を検索すれば、自転車で15分程度の距離にある最も近所の市立図書館に『ゲームの歴史』は収められていた。ただしなんと「貸出済」である。
さいわい、市内の別の図書館にもう一冊貸出可能で収蔵されているので、予約取寄さえすればいつでも読めるようであった。
新刊本は不祥事が起こらずとも、一部の例外を除き出版後しばらくすれば書店から版元へ返本されることになっている。
数年後には品切れ重版未定となって新刊書店では入手困難だ。長い目で見れば結局同じ状態になる、時計の針を進めただけとも言える。
ただし、
ここで述べた「違い」というのはあくまで深刻度の濃淡の説明であり、「ちゃんと出版されて図書館にあるから問題なし」という主張でないのは言うまでもない。
私はこれまでも、オープンでアクセシブルな表現の自由市場を保つため
の2点を『ゲームの歴史』の絶版時も含め、折りに触れて、当然の常識として確認してきたし、
無視できない数の編集者・作家・学者が、本の刊行停止をはばからずに喜ぶという末法の世(https://togetter.com/li/2270929)では、これまで以上に「本を焼く」行為へ大きな抗議の声を上げていく必要があると信じる。
さて、上で、『ゲームの歴史』との違いとして述べた1点目「オープンな議論を可能であったか否か」に関し、
『あの子もトランスジェンダーになった』の刊行停止はオープンな議論の結果なのだ、『ゲームの歴史』絶版回収と違いがないという反論がある。
繰り返すが、オープンな議論を可能にするには、本はアクセシブルである必要がある。
例えば、身体障害に関する議論であれば、点字も音声読み上げも使えない紙の本ベースの議論は、視覚障害者に対しアクセシブルでなく不当だし
日本で行われる議論では、本が日本語で書かれていないならば、議論の参加者のほとんどを排除することになる。
ましてや、原著 の Irreversible Damage は精神医学の専門英単語が多いため、洋書を日常的に読みこなす人であっても、なかなか読み進められないと評判なのである。
原著を読んだ日本人にしろ、海法紀光は、アニメを「乱れた性」の一例と扱うアニメヘイト本としての側面を紹介しているが
一方で小森健太朗は、あくまで本の中には、アニメに関する記述はほぼない、とする。
英語の読めない人はどちらを信用すればよいのだろう。なお、2方共に翻訳家としてのキャリアの長い方である。
2点めに関しても同様だ。その英語圏の議論に日本人はアクセスできるのか? 誰ならば読めるというのだ?
訳者は、ただ英文を機械的に置き換える仕事ではなく、文化的な違いを註釈その他の方法で乗り越える必要があるし、
議論は、原著の論点の1つ1つを日本という環境に置き換える作業を経なければ意味をなさない。
翻訳という文化をとことん軽視した、ただの詭弁と言わざるを得ない。
kanoseさんのブックマークコメントは極めて慎重なので、“kanoseさんの傘の下”に入っていれば99%のリスクは回避できるでしょう。
とまで言われた人がこれか。老いに逆らうことは難しい。はてなでは隠居して久しいとは言え、そろそろ正式に誰かに代替わりすべきであろう。
新時代の象徴としてのはてな村長は、永遠の女子高生 id:firststar_hatenoがふさわしいと思う。
ただし、村民や村の風習にまだ理解の足りない、はての村長では実務に不安がある。成長するまでの補佐として爺や id:zaikabou を付けよう。
しかし一向にできない。おかしいなとも思いつつどこかで機会や出会いがあるのだろうと思っていた。
そんなこんなでもう四年目。就活もそろそろあり、このまま社会人になったら自分は一生童貞でしかも孤独に死ぬ未来予想図がありありと見える。
夏休みになってマッチングアプリというものを始めてみた。結果的に現在はマッチングアプリを9個やっている。
自分は身長165cm、顔は下の下でないことを祈りたいくらいの塩顔。髪型は短髪で体型はいわゆる普通体型。大学もまあまあ名前が知れてるし、自己評価としては好物件ではないが悪くはないだろうくらいに思っていた。
男はマッチングアプリで課金をしないとメッセージもできないということを知り、4000円近くの金を突っ込んで始めた。
そしてマッチングアプリを始めて1ヶ月、誰一人としてマッチしない。世界から否定され、自分の無価値を世界が認めたような気分だ。最悪だ。
マッチングアプリには足跡という機能がある。これは誰が自分のプロフィールまできたかわかる機能だ。1ヶ月で100人くらいはプロフィールを見に来ているようだ。
つまりケーキ屋で言えば店内入ってきてショーケースまで見てそこで帰ってる客が100人いる。自分がパティシエだったらコック帽をおいているだろう。
何が辛いかというと足跡があってマッチしないことが辛い。つまりわざわざ中を見るまでされ、精査された上で「お前には価値がない。魅力がない」と突きつけられているのだ。
そしてまず考えたのはアプリが悪いのではないかということ。今振り返ると別にそんなことはなかった。ただそのときは自分の価値が自分の想定より断然低く見えており現実を見えていなかった。
ということで次のアプリを始めた。結論からいうと全くもって同じ結果であった。
つまりどういうことかというと自分は完全にこのマッチングアプリという市場において無価値であるというがサンプル数2で太鼓判を押されたのである。
しかし2個ではたまたま偶然同じようなアプリを選出した可能性があると自分を鼓舞した。なので3個目のアプリに手を出したのだが結果は裏付けるサンプルが増えただけなんだ。笑えるよな。
弱者男性というものに自分が属すのではないかと不安になり、そしてそれを受け入れ始めた。
自分が使ったアプリはいわゆる恋活アプリというものであり、恋愛を目的としてアピールされているマッチングアプリである。これに対し結婚をアピールする婚活のアプリも存在する。
そして傾向としてかわいい(一般的な美的感性の美人)は恋活の方が多い。考えれば当たり前で可愛い子は別に結婚など若いうちにする必要はなく、遊びでマッチングアプリでいい男を探せばいいのだ。
これに対し婚活アプリになった場合はかわいいの平均が著しく下がる。実際の顔の美醜ではなく、写真写りが露骨に悪い。自己プロデュースが下手な女性が多いのだ。
また婚活アプリのプロフィールは20~25歳くらいだと極端に精神疾患や障害などなんらかの追加情報を持っていることが書いてあることが多い。また必ずと言っていいほど「それを理解してくれる優しい男性」を希望しているのだ。
そして自分は恋活アプリでは全くもって箸にも棒にもかからないくらい相手にされなかったのだが、婚活アプリに関して言えばまあまあ健闘できた。
理由としては写真だろう。自分はオシャレなどとは程遠い人生を送り、理系の大学でびんぞこメガネをかけた陰キャを地で行く人間だ。悪くいうのなら垢抜けず、野暮ったく、ダサいのだ。
しかし婚活アプリの市場においては相手側はいわゆる恋愛強者が少なくなるので、それらの女性の非恋愛強者(恋愛強者と恋愛弱者が排反ではない)がオシャレな男とマッチするという自己評価をしておらず、一見誠実で遊んでなさそうに見える男性を同程度またはそれ以下の相手だと考えてマッチするのだと予想した。
マッチングアプリの難しさというものは自己改善の難しさである。
当然なのだが男性は女性のプロフィールしか見えない。もちろん女性であれば男性のプロフィールしか見えない。
マッチングアプリの基本的な形式だが、男は女に選ばれる側という明らかな上下関係にある。女は選り好みしなければ男なんて掃いて捨てるほどアプローチがくるが、男は1ヶ月しても1回もアプローチも来なければ自分のアプローチが実らないこともザラなのだ。
つまり男はマッチングアプリにおいて競争環境に置かれているのだが、レースで言えば横を走っている相手を知ることができないのだ。
受験だって普通は他の人の成績を見て自分は日本で何位で他の人より英文読解が弱いとか分析することができるのだが、マッチングアプリではそれができないのだ。
これが非常に辛かった。これでも理系のはしくれなので論理的に改善をできるなら前向きに生きることができるのだが、そのための比較ができず改善もできない中で完全な暗中模索。しかも結果は出ないのだから辛かった。
写真写りなのだが正直ここがよくないとマッチもしないので交際のスタートラインにも立てないのだということが分かった。
新宿のホストっぽい写真(なんかいかついスーツ)・スーツのビジネスマンみたいな写真・TDL背景のただの笑顔で服を女性に選んでもらったカジュアル3割フォーマル7割みたいな格好の写真・自分の普段のオタクみたいな写真の3つをそれぞれ1週間ごとで写真を変えた。
他人の写真を使うのは倫理的に憚られるのでPhotoShopで気合いでアイコラしてゴリゴリのフィルターで1枚目の写真を作成した。2枚目は大学の入学式あたりの写真を使った。
3番目はカメラマンの友達に金を払って「マジで仕事と思って頼む」といって相手が断る中で半ば無理やり金を握らせて撮ってもらった。
結果はとして受け取ったいいね(自分からいいねしていいねが返ってきてマッチしたいいねも加算してる)
0/1/2/1
1/0/4/0
これだけを見れば女性に服を選んで貰ってカメラマンに撮って貰えば改善するように見える。
ここで比較としてホストをやったこともあるイケメンの友人にお願いして同じアプリで同じようなことをしてもらった。(この友人の彼女には自分の方から謝罪と事情説明をしてOKをもらった)
ホスト風の写真/普段の写真(ファッションがわからない自分には女性に選んでもらったやつくらいオシャレ)/自分がチョイスしたださ目オタクファッション(自分の普段着)
98/238/134
ここでわかるのだが結局顔なのである。身も蓋もなさすぎる気付きなのだが大きな気づきだった。
マッチングアプリは顔がよければどうにでもなる。
この結果は救われたような気すらした。所詮顔の差でしかなく、逆に言えばここがよければ改善も可能なのだ。自分は人間としてオワリなのではなく、ただ顔が良くないだけで人間的にオワリとは言い切れないということが収穫だった。
※上記実験は全て同じプロフィール、同じステータス(毎日ログイン)、同じ会員ステータス(課金)、同じ開始時期なので差は完全に写真だけなのである。またマッチングアプリには新規登録ユーザーの優遇が存在するため、自分と友人のアカウントはアカウント作成後1ヶ月放置し、そのあとに課金を始めている。
写真を以下の条件のもと、プロフの文章を長め(趣味嗜好・休日の過ごし方・恋愛遍歴などの長文)と基本的な自己紹介と挨拶だけの短めの文章(写真の実験で使用した文章)を用意した。
それぞれ1週間の実験期間であるが、この実験は写真の実験のあとに行っている。
長文 5 短文 2
長文 5 短文 4
長文 57 短文 43
長文 290 短文 238
ということで気持ち長文の方が増加傾向なのだが、写真以上のインパクトはない。しっかり書けばだいたい1.1~1.2倍程度いいねの向上が見られた。
記載の通り、この5週間で以下の成果を得られた。これはおおきな進歩だ。正直最初にいいねをもらった時は嘘じゃなく飛び上がるほど喜んだ。生きていていいんだと感じた。
驚くべき成果だ。自分は無価値だと思っていたが見せ方次第ではある程度改善が見込めるのだ。
しかも努力が反映され、これが即結果につながることが分かった。この時点で自分は完全にマッチングアプリを数値的なゲームの感覚で触れるようになった。
与えられた環境で最大点を出す努力をするのが快感になり始めた。自分はもともと資格勉強とかの結果が明白にすぐ出る努力が好きなのでこの環境で頑張ってみようと思った。
でも、ほんとの恋愛強者ってのは高校とかの時点で彼女を作って、別にマッチングアプリなんか始めずに大学生活を周囲の女子とかとディズニーとか行って惰性で付き合ったりしてるんだろうな。まあもう自分にはなれないからただただそんな人は羨むしかない。
ここから先はメッセージしてから実際に会える確率についての実験と9個のアプリに手を出す話が続くのだがこれはまた今度書きたい。
子なしを選んだ30代前半だけど
老後の事も1ミリも考えず実家暮らしで「ソシャゲに今月10万使ったw」とか言ってる貯金ゼロの人は独自既婚子あり子なし以前の問題だよ。
その子の実家が極太だったら羨ましい……となるし、そうでもなかったら大丈夫か……?と思う
私は色々なリスクを考えてしまって子供を産むことを辞めたけど、子供が嫌いな訳じゃないので、障害児が生まれる可能性を考慮しなかった、または考慮してなんとかなると思ってた人が羨ましいと思うよ。
けど私は子供がいる家庭に比べれば親の介護費や自分の老後のための貯蓄だったり、娯楽にお金をかけられるし、自分が選んだことだから納得してる
病気(びょうき) とは?
1 生体がその形態や生理・精神機能に障害を起こし、苦痛や不快感を伴い、健康な日常生活を営めない状態。医療の対象。疾病 (しっぺい) 。やまい。
2 悪い癖や行状。「いつもの—が出る」
ゆうて、『頭が悪くても日本の日常生活で何も困らない、なんなら日本の平均以上貰うの余裕で可能』、
たとえ頭が悪いが障害のニュアンス(知的障害等)も含むものだったとしても、
『作業所ではなくフツーに正規雇用で働いて暮らしてる。なんなら障害に無自覚なこともある』って言っても、増田は納得せんじゃん?
根本的な原因は、増田が親から無条件でありのままを肯定してもらえなかった、親から条件付きの愛情しか与えられたことだと思うけど、
そもそも自我や自由意志なんてものは科学的根拠がないもの*1だから、自分で自己肯定しちゃっていいって言っても、それも出来ないっていうじゃん?
多くの神経科学者や哲学者は、生物学や神経学の進歩を踏まえつつ、
自由意志が完全に自律的で絶対的に存在するという考えは非常に疑わしいと一般的には考えてる
これは、脳の活動や遺伝子などの要因が個体の行動や意思決定に影響を与えるという科学的な研究結果に基づくものなんだね
つか、古典物理的な視点でも唯物論的視点でも自由意志は存在できない
あと、Natureにも発表されてたけど、
食用として解体された豚に特定の処理することで脳や内臓の反応が戻るので(OrganEx:2022年の実験、BrainEx:2019年の実験)、
必要であれば自由意志、なんなら生命の定義自体をかえるべきだと思うよ
つか、生命と非生命には本質的な違いは無いしね。日本生物物理学会の見解でもこうやで?
『生命システムは複雑ではありますが、非生命の物質と同じ、通常の物質系(原子・分子・イオンなど)からできています。したがって材料的には生命と非生命の物質び本質的違いはありません』そもそも、無機物にも自己組織化という概念がありますし、巨大ウイルスには“免疫”の仕組みがあり、自己と非自己の認識があることが分かってるやんけ
結婚して子供がいて仕事もあっても、それが本当に良いことかはわからないんだよね。
自分は、結婚して子供が生まれたが、子供は重い障害児だった。生涯自立はできないので、子供の人生をずっと介護し続ける人生が決まっている。親の自分が先に老いるのにね。子供の方が自分より長く生きると思うと、不安と絶望しかない。
おまけに、仕事をクビになったよ。独り身ならとにかく、障害児を抱えてこれからどうすればいいんだ。
とにかく子供を産めば万事うまくいくと言う人たちがTwitterにはいるけど、あれは嘘だからよく覚えておいた方がいいよ。あの人たちは運が良かっただけで、親ガチャではないが、子供もガチャだよ。人生を絶望の底に沈める可能性だってあるんだよ。
って、思われてんの本当にふざけてる
ヘルプを出しても見てくれないだけだろ
みんな、そうですよね
プロが早めに見つけて、「貴方には問題があります」って言わなきゃ
障害があると認めて貰ったあの人も
精神の病と認められたあの人も
手帳を持ったあの人も
何かの病院に通ってるあの人も
みんな必死に、見苦しく生きることを許されててムカつく
普通の印を押された人間が泣いてもがいてると「みっともない」なのに、
アイツらが泣いてもがくと「頑張ってる」になる。
私が何かを出来ないと「無能」扱いだが、
アイツらだと「仕方ない」になる。
ただ、健常者と言われたばかりに。出来ないことが罪として課せられていく。
泣きたい
人前で騒いで
不満を聞かせて
過呼吸になったら背をさすって貰って
「薬を飲み忘れたの?」って、私じゃない何かのせいにして欲しい
「病院に行けば緩和する」って「貴方の苦しみは和らぐものだ」って言われたい
「普通ができない人」「一部分野ができない人」って認めてもらいたい
「出来なくていい」って許されたい
「私は病気で苦しいからそっちは自分で解決してなんで普通なのに悩んでるの?知能に問題は無いからお前が勉強出来ないのはただの馬鹿だ朝に起きれないのは夜に寝ないからだIQに問題はなかった自律神経のせいにするな自分で整えられるでしょ精神的な不安定さは思春期だからだ将来を考えなさい今だけ見るのは幼い嫌な記憶なんて忘れればいいのに馬鹿みたいすぐに忘れるのは馬鹿だからだなんでこんなこと出来ないんだそういう所が貴方の悪い所でむかつく改善しなさい人になりなさい人間社会に溶け込みなさい普通になりなさい生きなさい老後も将来も考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えてこっちも必死に考えてるのにさあ、固まっちゃって馬鹿じゃないのそれでどうやって生きていくの?ちゃんと考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて」
なんて、さあ
私には「そういう症状」ってつけてくれないなら
良い顔のフリしたいだけなら
みんな私の役に立ってくれないなら
認めてくれないなら
否定したいだけなら
全員消えてしまえ
どこか遠いところで、私が嫌だって思った面だけ消されてきて欲しい
アイツらだけ狡い
アイツらが憎い
私も助けて欲しかった
よく分からないクリニックに連れて行かれてIQテストを受けさせられた
IQテストの点数を結んだ折れ線グラフは引くほどギザギザしていて「あ、自分は健常者じゃないんだ」って子供ながらに思った
普通の人間の検査結果のグラフは平坦で、山や谷なんて出来ないらしい
俺が小さい頃、高機能アスペルガーは「個性」じゃなくて「障害」だった
障害者だからたくさんの人が配慮してくれて、道を踏み外さないですんだ
健常者と同じペースで競争しなくて済んだ
中学高校でいじめにあっても先生達は「障害者」だから味方してくれた
本当なら進級できないような出席状況だったのに成績だけなら悪くないからってどうにか便宜を図ったりしてくれた
今思えば当時の自分はいじめにあって当然のクズだったけど、それが後からちゃんと分かるように社会が人生に余裕を持たせてくれた
長い時間をかけて俺は健常者のフリなら出来るようになった
ASDの小さい子供達は昔の俺と同じくらい学校に行くのが苦しいはずなのに、もう誰も俺たちを「障害者」として扱ってくれない
「個性だから頑張ればどうにかなるでしょ」とか言われて、脳の仕組みから絶対に無理なことをやらされて精神を病む
不登校も障害のせいじゃなくて自己責任になって、全部お前が頑張らないせいだって言われるんだろう
どれくらいたくさんの子供が未発達な心を罪悪感に押しつぶされているんだろう、精神が歪むんだろう、道を踏み外して非行や犯罪に走ってしまうんだろう
俺みたいな子どもからIQテストの話をだんだんとあまり聞かなくなった
たぶん、生まれつきのことを調べようとするなんて差別的だってことなんだろう
でも俺達は障害者なんだ
プラモデルを黙々と組み立てたりすることだけ得意で、雑談が苦手で、口を開けば他人を怒らせる
脳の機能が足りてないんだよ
子どもたちにこんなことを「個性」だって言って押し付けるのは残酷だよ
「障害」って言ってくれた方がずっと優しいよ
俺は障害者だから配慮してもらえたのに、今の子どもは自力でサバイブしないといけない
私は多分本能的に子供を産み育てたい側の人間だから見返りとかは一切考えない。
子供が成人するまで、自分と旦那が心身ともに健康で職にあぶれず、子供も健康に生まれてきて、大きな怪我や病気をせず、犯罪者にならないという保証があるなら、老後子供から邪険に扱われてもいい。
けど、そんな保障は無い。
自分や旦那が両方又はどちらか片方が死んでも、子供が進学を諦めなくていい環境であること。
障害がある子が生まれても、自分たちが死んだあとの子供の人生に不安がないこと。
障害がある子が生まれても、その他兄弟の人生がその子の世話中心にならないこと。障害がある兄弟の人生とそれによる自分の人生不安を持たないこと。
無理だろうけど子供の人生潰したくもないし、世話ばかりで自分らしく生きれないのも辛いので、最低限こうならない限りは産まない。