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はてなキーワード: 文系とは

2018-02-25

基礎をちゃんとやらなかった結果

30代前半、フロントエンドエンジニアです。

20代後半で異業界から転職だったので(未経験枠)歴は5年てところ。

にしてはレベルの低い話かと思うが、まあ一般人てこんなもんかと思って読んでください。


最初ついてくれたメンター可愛い子には旅をさせよタイプというか、

子を崖から突き落とす獅子タイプというか

天才肌で理解できない人の気持ち理解できないタイプというか


端的に言って面倒見の悪い人だったため基本的な考え方を教わることな自力でなんとか這い上がってきた。

自分も割と感覚物事をやってしま典型的文系タイプなので、相性は悪くないと思ってた。


なんでも自分で調べて身に着けた。

ついでに、色々調べてると情報源豊富になって色々な技術が目に入るので

直接的な関連性はないが関心が散漫になって広く浅く技術が身に着いた。

今思うとそこの目的意識が薄かったのも悪かったな。

JS技術スタックの変化が激しいとかい事情もありますが。


他方、面倒見の良いメンターに育てられた先輩はちっきりした設計コードかい

自分結構お手本にさせてもらっているほど。

新卒入社なので歳はだいぶ下だが歴はそれほど変わらないはず。彼も文系だ。


最近またその先輩が設計したライブラリを見せてもらって参考にしながらコード書いてたら

最後コミット一年前で、まだそこに追いついてないのかよと愕然としている。

設計が綺麗ならなんでもいいかっていうとそうじゃないこともあるだろうけど。

設計力は応用力かなと思うので、悔しいがその点負けてると感じる。


基礎は大事だよ・・・

最初はあれやれこれやれ、これ関連はこう考えてここを見ろ、

っていちいち全部言ってあげた方がいいよね。

設計実装のものは任せちゃえば自分で考える頭もつくし、

言われたこしかできないってことにはならないかと。


これからどうすっかなあ。

anond:20180225144604

なんだかなあ

途中までいいこと言ってたのに、

プログラミングができる人材を育成する」「社会の現状を知る」だけの薄っぺら知識

って、disに走ってしまっては、

文系はおろそかにされがちである

というdisに対抗できなくなる。

大学入試に思うこと

数学が出来ないか文系」をなくしたい。

ここでは学問を、理系文系二項対立的に捉える、と仮定する。

文系は素晴らしい学問である

科学技術がなければ豊かな生活が送れない、という理系研究に比べて、文系はおろそかにされがちである

法学政治学歴史上の経緯を学んだ上で国家という団体統治するために必要な要素であり、

経済学経営学社会をより豊かにする学問である

そのような魅力が理系文系にあるにも関わらず、高校時代数学が出来なかったからという理由だけで

他者から決められたルールに基づき、強制的存在する学問の半分を切り捨てなければならないことは残念である

実際に、数学経済学でも利用する。

また、数学をすることで鍛えられるとされる、論理的思考力は法学においても重要な要素の1つである

にも関わらず、今の世の中は高校1年生の段階で"大人の都合"によって進路を半分に狭めることが求められる。

また、近頃文部科学省が言い出した「国公立大学文系廃止論」が実施されると、ただでさえ半分に狭められた進路をより限定的にされる。

大学は、学問をする場所であり、専門学校ではない。

プログラミングができる人材を育成する」「社会の現状を知る」だけの薄っぺら知識専門学校範疇であると思う。

学問とは、先人たちが発見した知恵を生かして、社会を豊かにする方法を自ら提案することであるように感じる。

大学に通うことで今後の社会を豊かにする方法を自ら提案できる力を鍛えられるような大学が生き残り、

現状維持を目指すための人材育成専門学校に任せるべきであると思う。

受験生は「この学問をすることで【現在存在する】この問題解決し、それによって【将来的に】このようなことが解決されることが期待されるから

この大学学部学科で学びたい」という意思のもと、大学を選び、成長されたい。

また、文部科学省は現状の考え方を改め、5年後の世の中がプラスに動くことも重要だが、それ以上に50年後の世の中に対してプラスに動く政策をとって欲しいところである

2018-02-23

anond:20180223190113

悪いが、論理も意義もはちゃめちゃな研究してる人が多いから。

統計もろくに使えず、変な解釈をしてドヤ顔で恥ずかしくもなく発表するから

企業においては、エリート文系理系技術者を単純に使い潰すから

理系文系への憎悪って何なんだろうな

何であんなに敵視するんだろ。必死文系バカにしたり、見下そうと必死になったり。なんなんあれ。

非モテ女怖すぎ

この前飲み会したんだけどさ。そこにブスが来てたんすよ。

詳細は省くけど、何でこんなブス連れてきたの?酒がまずくなるだろと言いたくなるようなブスだった。

そいつがずーーーーーーっと、その場にいる男に対してグチグチ言ってんの。

男は性欲に脳を支配された猿だ。いかにして男を去勢させるか、ということを真剣に考えるべき。男を許すな。

男にはGPSを埋め込め。常に監視し、少しでも不審な動きがあれば殺せ。

私は有能な高学歴だ。私のような常に努力を怠らず仕事で結果を出し高収入を手にしている女に男がいないのはおかしい。男死ね

私より能力が低い無能男は去勢されるべき。生まれてくる子供が可哀そうだ。

チャラチャラしたチャラ女が男と遊んでいる間に私は血のにじむような努力をした。お前らは(その場にいる女達を指さして)努力たか?私はしたよ。だから経済的に豊かな暮らしをしてる。どうだ!!!    

私のようなハイスペックガールを捕まえようとしない無能男は底辺を這いつくばってろ。

大した学歴収入もない脳内ゆるふわガール高学歴高収入高身長の男を捕まえやがった。ちょっと顔がいいくらいで調子乗りやがって。ふざけんな。

私みたいな勝ち組負け組男と飲んであげでるんだぞ?もっと気持ちよく飲ませろよ!

人生結果が全て。貧民どもは来世で頑張れや。

努力競争放棄した無能を助ける必要はない。価値のないやつに高給払う理由はない。救済価値のない奴はそのまま死ね

文系は遊んでただけ。弛まぬ自助努力の積み上げもしてこずに娯楽にばかり興じてきた奴らだ。文系底辺に落ちろ。理系の私は文系が遊んでいた間に勉強してた。文系死ね

読モだろうがアイドルだろうがなんだろうが男に性を売っている売女死ね

「優秀なら起業すれば?起業したほうが稼げるよ?」に対して、「うるさい!私は優秀なの!正社員なの!すごいの!」

男が悪い。私は悪くない。男は死ね


こんなことをずーっと言ってんの。完全に酒に飲まれてたわ。

みんないい奴だから、うんうん^^って聞いてたけど、ドン引きしてたよ。

当然飲み会が終わった後、「あんな奴連れてくんなよ」「あん性格から外見もブスなんだろな」「だからブスは嫌いなんだよ人格歪んでる」と男から顰蹙を買ってた。

でも、「モテない女が拗らせると、あんな風になるんだねw」って女友達と笑いあえたから、まぁいいや。

2018-02-21

anond:20180221112826

日本文系社会が本当の「教養人」を作るのを阻害してる感じありますよね

文系科目が必要ないんじゃなくて、「理系ではないもの」としての文系村が必要ないと思う

教養アピールする人たちは、「物理」や「数学」、最先端サイエンス意識的教養から外すことで

自分たち安全領域に止めようとしていて醜い

東大京大レベル国立大学卒業した人が教養について説くならわかるが

文章よりも的確に世界法則を描き出す理系科目から逃げた私立文系たちが

知識の喜びだとか教養だとかをアピールするのは、むしろ教養がないのではないか

教養とは知識思考人格が結びついた状態のことだから

anond:20180221002102

元増田だが、学歴差別を加速させたいって意味じゃない。

AIが利用されるようになるので大学進学率をあげる必要がある」と

文科相経験者のおっさんがあったりめーのように言ってたが、根拠はなんだ?

しろAIが普及したら「営業マンになるために大学文系に進学」とかいらなくならない?

経済簿記企業の業績や統計値なんかはお願いすればAIが調べてくれるようになるよね。

高卒くらいのスキルあれば十分に生きていけない?

英会話だって自動翻訳通訳されるでしょ?

しろ国民の払う無駄教育コストを減らし、もっと多様に自由に生きれるようにしたらいんじゃない?

そうなると大学に行く人は就職のためってより、

本当に技術科学の発展に寄与したいという内在的な希望を持った人に限定されて進学率は下がる。

そういう世の中を目指すことができるのに。

おっさん人間AI知識量で勝負させようとでもしてるのかなあ。

2018-02-20

anond:20180220161937

横田理解した上でそれなら何の反論にもなってない

何でビットコイン構造的欠陥を指摘されると支持派は「全然違う(証明終わり)」になるのか

文系

大学落ちた、日本死ね

衝撃的な題名申し訳ない。だが、今年の大学受験について言いたい。

わいは今年受験生だった。

一応偏差値48まであった。

受けようと思ったところの過去問は、初見で八割超えていた。

だが、実力相応のところは全部落ちた。

そしてニッコマ以上も全部落ちた。

そして学校先生にその事を言うと、

「今年の私立大学文系入学キツイよ」

と言われる。

ではなぜそうなるのか。文科省地方創生のために24区内の大学の定員削減と24区内の大学設立制限して、地方大学に行かせようとしているのだ、

これを守らないと私大の国から出る補助金が削減されてしまう。

だが、これで地方創生になるのだろうか。地方創生意味を、政府は捉え違えてるのではないだろうかと思ってしまう。

なぜ大学生が都会に出るのかを考えたことはあるのだろうか、わたしは学びたい学科があるから都内大学を受けた。

わいの地方には、受けたい学科がなかったのだ。だから出たのだ。

こんなふうに色々な理由もあると思う。

定員削減以外にやることがあると文科省に言いたい。

地方に有名私大キャンパスを作ったら、補助金アップとか、魅力的な学部を作ったりとか、Fラン大学を潰して、普通学力に安定させるとか色々方法があると思う。

実際、近くに偏差値50ぐらいの、魅力的な大学があったら、そっちに行くに決まってる。逆に言えば、東京いい大学が集中してるってだけなのだ都心を除く田舎には、なかなか有名な私大がないのが現実だ。だから作って欲しい。文科省はい大学地方

最後に、文科省は定員削減よりも他にやるべきことがあることに気づいて欲しいと思っている。

2018-02-19

anond:20180219114242

なんとなくわかってきた。お互い大分遠い分野にいるな。

そっちが挙げてきた理系分野の例は動物学とかなんだが、増田数学物理天文学地学化学分子生物あたりの理系の印象で語ってた。こっちではBook Review欄はあっても純粋教科書の評判であって専門的な議論としてはほとんど読まれてない。文系書籍事情無知だったのはすまない。

追記で書いたけどシビリアンの戦争博論書籍化だっていうのは一応評価してて、ただよくも悪くも売れてしまって一般人から評価されてしまっているのでもっと専門家からの論争がちゃんと前に出てこないと駄目なんじゃないのっていうのはある。

指摘の通り、理系では実際に関わっている人が多くてオーサーが多人数になってしま論文や、関わってる関わってないの境界線上でギフトオーサーシップ問題が除けていない(オーサー定義理系内でも分野によって慣行が違う複雑な問題)ということもあって、人の実績を眺める時どうしても割り引いていく思考になってしまう。コネ採用を当てにするんでなければ、これは確実にこの人の成果だねっていう目に見える業績が欲しいところ。査読なしや日本語発表はあったとしてもこれ評価されないよなって諦めながら実績欄に書く。ショボいって煽ったのはよくなかったかもしれんが、元増田もそこで三浦ダメだって決めつけてはいなくて(上の教授には大事にされてるんだし)、最後の行で実際の学会の評判どうなのよ?って知ってる人に疑問を投げかけたつもり。ブコメちょっと拡大解釈して三浦をディスってる人もいるけどそこら辺は元増田責任を持たないし、自分テレビ解説する学者としての能力があると示すのは三浦説明責任


文系に関しては外国研究とかはあまり視野になかった。自分日本文系で二流分野って評判を聞いてたのも、主に経済学とかであとは社会学系(あまり各国の文化に根ざさないやつ)の知り合いからだし。

文学外国研究に関しては各国の大学自国語で教える意義も大きいし、各国が独自コミュニティ多様性のある研究をする意味もあるのだろう。哲学理系元増田もよくわからん。活発に議論したいなら翻訳頑張れってところだろうか。最近文学系は国から予算削減や学部再編の風当たりが強いようなので当たってなくても流れ弾に敏感になるのもわかる気がする。


国際政治学」に関してはどうだろうか?ここまで議論してわかったが英語論文を書くべきかを決めるのは理系文系かじゃなくて、グローバルなつの学会形成すべき分野か否かってことだと思う。グローバル化効率化に繋がるが一方でローカルの軽視につながる。自然科学世界は一つでなければならない。日本アメリカ物理法則が違ったら困る。日本語研究重要性を説く文系増田だって理系もっと日本語論文を出すことに意味があるとは思っていないだろう。

テーマにもよるが経済学国際関係世界的な一般性を持つ話題だし、国民からもそういった研究が望まれていると思う。日本語で高みを目指してはいけない理由はないと言えば聞こえはいいが、高みに至る勝算がないなら結果は世界から無視されるだけだ。そういった分野は日本語固執してはいけないと思う。

あと単純な利便性。これは日本学会世界で有力になるのとは別の問題。喩えるなら日本常任理事国を目指すことには世界メリットもあるだろうが、日本語国連公用語を目指すと言ったら他の国に迷惑から止めろというべきだろう。

anond:20180219205849

彼らの文系イメージは、つまらない古典歴史の授業で止まっているのだよ。

なんで文系DISされるのか

自分の周りにいる文系がクソだからって

文系全体をDISるのはやめないか

自分バリバリ文系だが、

仕事に正確さを求めるとどうしても理系の協力が必要になる職種

検証校正を頼むので理系の知りあいがどんどん増えて

理系の人は尊敬するところばかりと思っているので

やたらと理系DISする人も苦手だし

文系DISるのも苦手

相手叩くと自分が偉く感じるからやってるのか

謎すぎる

Fラン学生就職活動ってどうしたらいいの

東京私立大学文系

大東亜帝国なんて受験界では呼ばれてる大学の1つに通う大学3年生。

便宜上タイトルではFランって言ったけど正直Fランとは思っていない。まぁ早稲田生とかから見れば思いっきFランなんだろうけど。

就職活動をしなければならない。

どうしたらいいんだろう。

なりたいものなんてない。

金融は嫌だ(多分向いてない)、アパレルは嫌だ、バイトでもできる仕事(店舗勤務)は嫌だ、家賃補助が欲しいもしくは社宅に住みたい、東京で働きたい、給料が割といいところで働きたい、完全週休二日制が良い、残業はあまりないほうがいい、やりがいのある仕事がいい、職場人間関係が良好なところに勤めたい

本音はコレ。

ただそんなの贅沢なのは知ってる。

もっと言うと

大企業に勤めてみたい、自己肯定感が低いからそういう分かりやすステータスみたいなのを得れば少しは自己肯定感を得られるのでは?でも大企業に勤めたところで自分はきっと役に立つ人材じゃないか自己肯定感なんて得られず寧ろ劣等感を感じるかもしれない。あ゛ー、社会人になったら出会いないっていうし、大学時代彼氏とそのまま結婚もしくは新卒で入った会社の同期と付き合って結婚とかじゃないともう遅いって聞くし、大企業に入って出会いを求めるのもアリなのでは?てかそもそもこの学歴大企業なんて無理だから考えるだけ無駄じゃね?ワロタwwww

とかそんな感じのことばっか考えてる

自分が目指したいところ、ゴールが見つからいから、ゴールから逆算して就職活動のために何をするかっていう計画を全くたてることができない。

もし慶応とかの学生だったら大企業とか目指してたんだろうな。

ゴールがないまま就職活動なんかしても多分無理だ。でもゴールが見つからない。やりたことって何だろう?得意なことってなんだろう?

好きなことはインターネットだ。

ツイッターで人の人生とか考え方、リアルでは聞かない部分を垣間見るのが好きだ。同じような理由ブログ巡りも人のインタビュー記事を読むのもツイキャスを聞くのもアイドルも好き。あとは化粧品が好き。

う〜〜ん

全く中身のない、纏まりのない記事申し訳ない。

ただどうしたらいいかからないのよ、本当に。皆さんはどのように就職活動したんですか。

anond:20180219114242

これは元増田責任じゃないけど,

理系ローカルルール勝手学術界の一般ルール敷衍するのやめてもらえます

全学対象研究不正を防止するためのweb講義を受講しなさい,これは必ず受けてね,と言っておいて延々とラボノートの書き方を解説された時は流石にふざけんじゃねえ理系学部だけでやってろと思ったわ.

学振書類理系文系で分けてほしいんだよな.書式は別々にできないにしてもせめてマニュアルは分離しろよ.何で単著論文でいちいち自分名前に下線引かにゃならんのだ.ああ鬱陶しい.

anond:20180219070454

なるべく多くの人に見てもらって情報、反応、反論等欲しかったので煽り気味に書いてるところはある。そこが気に障ったのならすまん。

まあ私の文章煽りや売り言葉に買い言葉がないとは言わないのでそこはお互い様ということで。仲良くマサカリ投げあいましょう。

あくま自分見方を紹介しているだけで理系のやることが全て正しいとも思ってない。ただ理系では日本が一流研究をしていると誇る分野が数多くある一方で、文系の多くの分野で全体としては日本学会は二流という嘆きが聞かれるのも確かだ(もちろんどんな分野にも日本人の一流研究者はいるだろうが)。

これ[要出典]ってタグ貼るべきところ? 私は最初増田anond:20180217012945)で(1つだけだけど)実例挙げたし、体験談ベースの話でよければ私の見た限りでは日本外国研究ってけっこうレベル高いと思うんだけど。外国語に訳されても遜色ないモノグラフがたくさん出てる。

理系では著書でオリジナル発見研究成果を発表する奴はまずいない。いるとしたらほぼトンデモだと思って間違いない。文系増田が挙げてる怪しい医学博士とか。

文系では違うのか。正直文系ガチ研究書は見たことがない。三浦瑠麗の著書も調べてみたが、タイトルや値段を見る限り一般向けだろう。大学書籍部や図書館を探せばあったんだろうか。ただ(博士論文出版等は除いて)著書で最新の研究を発表するというやり方は、どの部分に新規性があるのかの表明や議論双方向性等に問題がないのだろうか?新規研究成果なら第三者査読を経て論文にするのが正統なように思えるが。数学証明のように検証可能性が極めて高ければホームページで発表とかでもいいんだろうけど。

そこからか。何のために研究雑誌Book Review欄があると思ってるんだ……(和文だろうが欧文だろうがたいていのメジャー学術雑誌にはBook Review欄はあるし、場合によっては書評査読がつくよ)。ていうか普通、序章とか第1章とかで先行研究の整理をするし(一般向けも混在するレーベルだと編集に嫌がられることもあるらしいけど)、そこで自分オリジナリティについても言及するよな。

あくまで一例だけど、先日出た研究書の目次はこんな感じ→http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0871-6.html適当なUniversity PressのHPを開いて適当新刊をチョイスしただけなので、内容については何も言わないし、言えない。なぜなら私は読んでないからだ。あくまで「ちゃんと章立てに先行研究って入ってるでしょ」というサンプルとして受け取ってほしい。目次で明示されてないだけでちゃんと先行研究の整理をしている本もあるので気をつけて。それはそれとして面白そうな研究だと思うんで余裕があったら読んでみたい)。

駄目な研究は本として出版したってロクに引用されずにアカデミアから消えていくだろうし(もちろんあまりマニアックすぎて引用するひとがいないという悲しい状況も有り得るのだがそういう場合学術雑誌書評でちゃんと良い研究ですよって言われてるからな。おべっか書評がないとは言わないけど、むっちゃ辛辣書評も見かける)、まともな研究書なら議論典拠は明示してあるんだから議論双方向性に問題はないでしょ。

三浦瑠麗の著書、内容(https://www.iwanami.co.jp/book/b261983.html)を見る限りでは研究書ということでいいと思うけど。文系は割と凝ったタイトルつけるひと多いかタイトルだけで研究書じゃないと即断することはできないし(『想像の共同体――ナショナリズム起源流行』も『〈日本人〉の境界――沖縄アイヌ台湾朝鮮 植民地支配から復帰運動まで』も立派な研究書です)、値段についても、うちの分野の研究書の半額くらいの値段で売れて羨ましい限りと思うけど、それが研究であることを否定する材料にはならない(ていうか一般書だとしたら3000円以上ってクソ高では)。国際政治学一般理論みたいに需要がある分野ならそれなりに廉価でも採算取れるよね。研究書は別に専業研究者けが読むものではないので、政治学者以外の教養人にも売れそうだと判断たらこのお値段になるのは別に不思議じゃない(逆にマイナー分野では……お察し下さい。売れない→高い→売れない→高いの悪循環でございます学術成果刊行助成でなんとか刊行できてる研究がたくさんあるんだよなぁ)。気が向いたら図書館で実物見てみるわ。

何度も言うけど、中身は知らない。ひょっとしたらダメダメな内容かもしれない。でもそれは、査読通ったちゃんとした学術論文でも中身がショボかったりオリジナリティ希薄だったりすることがありうるのと同じで、ダメダメから研究業績にカウントされないということにはならない。たとえそれがサラミ論文であったとしても、英語で書かれた査読つき論文だったらそれは業績としてカウントされるべきだよね。公募採用されたり学術界で優れた研究者として認知されるためには内容が優れてないといけないし、こんなサラミ論文しか書いてないやつがなんで○○大の講師なんだ! という批判はされていいと思うけど、それはあくまで内容を見た上での話であって、形式だけを見て業績じゃないと言うことはできないはず。今回の元増田批判が内容を見た上での話なら『シビリアンの戦争』を未読の私は何も言ってないし言う資格がないけど、理系増田も読んでなくて、ここではあくま形式の話をしてるんだよね。形式の話をするなら彼女学術業績としてカウントされるべき本を書いていますしか言いようがない。

一般論からすると著書はオリジナル研究業績であり得るが、逆も然りで著書は必ずしもオリジナル研究業績とはみなされないというべきなのでは。門外漢は著書数もオリジナル業績数とみなせという主張は言い過ぎだろう。

「著書はオリジナル研究業績(でありうる)」「研究書は立派なオリジナル研究成果」と私は書いてるよね? それで前段へのアンサーになってると思うし(そのうしろでちゃんと「一般向けの本」と「研究書」を分けて記述してるよな)、そもそも私は最初増田anond:20180217012945)で「新書2冊はおいといて」って書いてるので、“すべての著書”がオリジナル研究業績なんて端から主張してないってことは読めばわかってもらえると思ってたんだけど(オリジナル研究書籍化したものを「研究書」と呼ぶわけだから、“すべての研究書”はもちろんオリジナル研究業績です。一方で著書のすべてが研究書というわけではないので、“すべての著書”が研究業績というわけではありません。こう書けばわかるかな?)。

後段、著書はオリジナル学術業績とはみなされないという理系ローカルルール持ち出して他人を業績が少ないと批判する方が言い過ぎでは。いやもちろん他分野の常識に詳しくあらねばならない必然性はないけど、他人を「業績が少ない」と批判する以上は他分野の「業績」の基準も知っておくべき、って、そんな無茶な主張? 文学でも歴史学でも政治学でも社会学でも教育学でも文化人類学でも哲学でも法学でも、おおよそメジャー文系研究分野ではだいたい研究書はオリジナル研究業績としてカウントされるんだから(これは英語圏でも変わらないと思うよ。少なくとも私の専門分野や隣接分野では英語だろうがフランス語だろうがドイツ語だろうが韓国語だろうが研究書はオリジナル研究業績です)、文系からするとその常識通用しない方が非常識ですよ。理系ローカルルール勝手学術界の一般ルール敷衍するのやめてもらえます

院生だろうが単著論文を発表するのがふつうの分野の人間からすると、理系では指導教授論文の著者に名前を連ねるのか、変わった慣行だなぁ、って思うけど、それは理系慣行なんだなとして受け止めてるし、この研究者自分学生論文名前を連ねて論文数稼ぎしてる! なんて主張しないよ(もちろんギフトオーサーシップ批判されるべきだけど、理系では自分指導してる学生論文の共著者になるのはギフトオーサーシップではないんだよね? このへん詳しくないので間違ってたらごめん)。分野が違うと業績のカウントの仕方も違うんだなぁ、って受け取っておけばいいじゃない。

その上で現在日本語地位が低い分野や日本語でやる意義がまるでない分野まで、日本語で最新の論文を書いてもよい、あるいは日本語地位を高めていこうなんていう理由がよくわからない。例えば挙げてくれた西洋古代史の最新論文日本語で書くことに何の意味がある?日本全然関係ないのに?解説書や教科書は別だ。日本語で多くの人が学べることには意味がある。でも論文なのだとしたら欧米研究者が読まなければ学問進歩に乗らないんだからただの自己満足だろう。アマチュア研究者だとしたらそれでもいいんだが、大学研究者プロだろう。国から研究費貰って英語が中心の分野で日本語しか書かないのは国民が納得しないだろうから税金泥棒しか言えない。

将来英語が中心じゃなくなることもありうるだろうという論を挙げているがそれは詭弁だ。理系だってラテン語から現代語への変化やドイツ語フランス語凋落を経ているが、最新の論文を主流の言語で書かない理由はない。(欧米科学力を中国が圧倒的に上回ることは考えにくいが)将来中国語になるんだとしたらそれもいいだろう。もし仮に日本がその学問分野で覇権国家になるプランがあってそのためのリソースを投じているっていうなら別だけど、そうじゃないなら英語に圧倒的に負けてる分野はさっさと降伏して英語ベースにしたほうが世界中学者のためになるし日本人世界に認められる学問的成果をあげるためにも効率的だと思うんだけど。国際政治学についていえば英語圏研究が中心だという知識増田にもあって、反米主義だったり日本世界覇権を夢見ていたりといった特殊思想的背景があるわけでもない研究者英語論文を書かないのだとしたら、怠慢あるいは研究先進性の不足の誹りを免れないであろう。

これ最初にも書いたけど、主要国のアカデミアでは文系研究の多くの部分を自分の国の言語でやってます。たとえそれが自分たちとは縁遠い地域のことだとしてもね。日本語英語以外の言語で書かれた日本学論文なんて日本人研究者はあまり読まないんじゃないかと思うけど、たとえばポーランド人ポーランド語日本学論文書いてるし(https://ci.nii.ac.jp/naid/120006355425。ちなみに、このポーランド人みたいに、日本人外国研究者がその国の言葉日本での研究状況を紹介するっていうのは既にあちこちでやられてます)、それは日本アカデミアで読まれていないとしても日本学の発展に寄与ポーランドアカデミアを豊かにしていて、仮にポーランドで極めてオリジナリティが高い研究が出てきたら日本人日本学者も何らかの方法でそれを読まないといけないだろうと思うわけですよ(別に自分で読む必要はない。他人に読んでもらえばいいんだから翻訳ってそういうことだよね)。ポーランドアカデミアは当然ポーランド固有の問題意識を持っているし、その土壌から日本にはない新鮮な日本観が生まれてくるかもしれない、という点で、色々な国のアカデミアがそれなりに独自の発達を遂げていることは重要だと思うけれども。

当たり前だけど西洋古代史の論文日本語で書いてあっても最新の研究動向は反映されているわけ。書いてるひとは西洋諸言語読めるわけだしね。向こうがそれを読めない、または読もうとしないからといって先進性がないわけではない。読まれる/読まれないという尺度研究先進である先進的でないという尺度は別だよね? 混同すべきじゃない。そこにはちゃんと研究蓄積というもの存在しているんだよ。明治期以来、主要文系分野では日本語の分厚い研究蓄積がある。もちろんそこには西洋猿真似だったり「横のものを縦にした」だけの研究もたくさんあるかもしれないけど、それらは日本アカデミアを間違いなく豊かで質の高いものにしてきたと思う。

で、哲学の本場はドイツとかフランスとかイギリスとかだと思うけど(イメージ貧困すぎたらごめん。正直哲学のことはよくわからないんだ……)、日本人哲学者が優れた哲学書を発表すればそれはちゃんと英訳されてオックスフォード大学出版から出版されていたりするのね(https://en.wikipedia.org/wiki/Kojin_Karatani)。これは日本語圏で外国人に読まれない研究を積み上げていても、良いものを書けば「日本研究者面白いことやってんじゃん。翻訳して読んでみようぜ」ってなる実例なんじゃないかと。

根本的な話をするなら、「国際政治学」という分野の標準言語英語である必然性はどこにもないわけだよね。それは英語圏で優れた研究が積み上げられてきた帰結であって、英語圏の人が自分たち言語研究成果を積み上げた結果それが参照されるべき言語になっているだけの話。要するに彼らは先行者利益を得ているわけ。現代思想の分野でフランス語大手を振って歩いているのも、フーコーやその他の人たちがフランス語で優れた成果を書いてきて、それが受け入れられてきたか英語日本語フランス語の文献が訳されまくっているという現状がある。日本語がこの高みを目指してはいけない理由はないよね。

私はここまで書いてきたような理由日本語論文を書くのも重要営為だと思う(加えて、執筆言語自国であることは東アジア欧米の主要国の文系アカデミアとしての標準に則っているので、ことさら日本アカデミアだけが批判される謂れはないよな、とも思う)。ただ理系増田がそれにどうしても同意できないなら、それを説得する言葉を私は持たないなぁ、とも思う。私の論拠はだいたい言い尽くしたので、執筆言語問題についてこれ以上理系増田に答えようとは思わない。なんと言って終わらせればいいかからないけど、とりあえず、お互い研究頑張りましょう。

anond:20180219050719

たかだか二十有余年生きただけの若造が知ったような口を叩くな

お前が卑下する程度の努力私大文系、つまり世の中の上位2割~4割には入ったのだろう?

それだけ結果を出せれば立派な才能だよ

下はよくあるコピペだが一面の真理だ。遭うものを選べ。両方でもいい。

黒柳徹子「今始めなかったら来年の私は『去年始めていればピアノ歴1年だったのにって思うわ』」

・「10年後にはきっと、せめて10年でいいからもどってやり直したいと思っているのだろう。 今やり直せよ。未来を。10年後か、20年後か、50年後からもどってきたんだよ今。」

anond:20180215230733

出来るよ。増田場合言葉だけで覚えきれなさそうなものは全部画像記憶する。電話番号とか。

暗記科目は教科書のページを画像記憶していた。ただ教科書ってどのページも似ているか増田言葉での記憶に補完する感じで使っていたけど。

どうしても落とせない所はそれこそ寝ていても頭の中に教科書があって再現しながらページめくっていけるくらいだったよ。

これで東大文系受かった。ご主人も上手く利用してれば高学歴だったかもね。

anond:20180219020929

なるべく多くの人に見てもらって情報、反応、反論等欲しかったので煽り気味に書いてるところはある。そこが気に障ったのならすまん。


あくま自分見方を紹介しているだけで理系のやることが全て正しいとも思ってない。ただ理系では日本が一流研究をしていると誇る分野が数多くある一方で、文系の多くの分野で全体としては日本学会は二流という嘆きが聞かれるのも確かだ(もちろんどんな分野にも日本人の一流研究者はいるだろうが)。



理系では著書でオリジナル発見研究成果を発表する奴はまずいない。いるとしたらほぼトンデモだと思って間違いない。文系増田が挙げてる怪しい医学博士とか。

文系では違うのか。正直文系ガチ研究書は見たことがない。三浦瑠麗の著書も調べてみたが、タイトルや値段を見る限り一般向けだろう。大学書籍部や図書館を探せばあったんだろうか。ただ(博士論文出版等は除いて)著書で最新の研究を発表するというやり方は、どの部分に新規性があるのかの表明や議論双方向性等に問題がないのだろうか?新規研究成果なら第三者査読を経て論文にするのが正統なように思えるが。数学証明のように検証可能性が極めて高ければホームページで発表とかでもいいんだろうけど。

一般論からすると著書はオリジナル研究業績であり得るが、逆も然りで著書は必ずしもオリジナル研究業績とはみなされないというべきなのでは。門外漢は著書数もオリジナル業績数とみなせという主張は言い過ぎだろう。




論文英語日本語問題についてはとりあえず冷静に原文を読んでくれ。

3本しかないので数が少ないと書いただけで日本語は業績に入れないとは言ってない。日本学会で発表したり国内研究者向けに文章を書くのも意味がないわけではないことは知っている。そもそも三浦の業績もショボいと酷評しただけで全くないとは言っていないし。

それからここは誤解があったみたいだけど英語でないことは「国際政治学」だから批判しているのであって、日本中心で行われている学問なら日本語でも問題ないことは理系元増田にもわかっている。文系増田動物学を例として挙げてくれているがああいローカルな側面がある学問についてまで何でもかんでも英語統一しろと言ってるわけでもない。アジア研究についても日本語論文重要視されているということもよくわかった。


その上で現在日本語地位が低い分野や日本語でやる意義がまるでない分野まで、日本語で最新の論文を書いてもよい、あるいは日本語地位を高めていこうなんていう理由がよくわからない。例えば挙げてくれた西洋古代史の最新論文日本語で書くことに何の意味がある?日本全然関係ないのに?解説書や教科書は別だ。日本語で多くの人が学べることには意味がある。でも論文なのだとしたら欧米研究者が読まなければ学問進歩に乗らないんだからただの自己満足だろう。アマチュア研究者だとしたらそれでもいいんだが、大学研究者プロだろう。国から研究費貰って英語が中心の分野で日本語しか書かないのは国民が納得しないだろうから税金泥棒しか言えない。


将来英語が中心じゃなくなることもありうるだろうという論を挙げているがそれは詭弁だ。理系だってラテン語から現代語への変化やドイツ語フランス語凋落を経ているが、最新の論文を主流の言語で書かない理由はない。(欧米科学力を中国が圧倒的に上回ることは考えにくいが)将来中国語になるんだとしたらそれもいいだろう。もし仮に日本がその学問分野で覇権国家になるプランがあってそのためのリソースを投じているっていうなら別だけど、そうじゃないなら英語に圧倒的に負けてる分野はさっさと降伏して英語ベースにしたほうが世界中学者のためになるし日本人世界に認められる学問的成果をあげるためにも効率的だと思うんだけど。国際政治学についていえば英語圏研究が中心だという知識増田にもあって、反米主義だったり日本世界覇権を夢見ていたりといった特殊思想的背景があるわけでもない研究者英語論文を書かないのだとしたら、怠慢あるいは研究先進性の不足の誹りを免れないであろう。

人生何者にもなれなかった、けど

お前、もうすぐ大学出て就職だけどさ、才能とかセンスとか、独特の感性とかさ。そんなもん自分にあるとまだ思ってるの?ないよ。あるわけないじゃん。自分しかない何かがあるとかさ、マンガの読み過ぎなんだって。思い出してみてよ、子供の頃とか。何かで他人に褒められた事、ある?ないよね?でしょ?やっぱり。

からそうなんだよ。運動だって何にも出来なかったし、勉強だって頑張らないとできなかったし、頑張っても結局数学とか全然わかんなかったし、結局入ったのはその辺の私立文系大学だよ。頭が悪いの、地頭が。

勉強だけじゃないよ、本とか読んだり何か意見を求められた時に内容が全然理解できなかったりさ、ゲームだって下手だったでしょ?格闘ゲームとか思い出してみ?友達と対戦して、友達だって別に上位ランカーとかでも全然ないのにすぐ対応されてさ、でもこっちは何十回、何百回対戦しても相手効果的な対策とかひとつも思い浮かばないの。なんで?バカからでしょ。

運動部入ってたよね?球技やってさ、ヘタクソだし身体能力は低いし頭も悪いからなんにも上手くならないし、試合出ても使えないし、というか練習もついてけてないじゃん。もはや練習邪魔だったじゃん。基礎練習のひとつもこなせなかったじゃん。中学から始めて、引退するまで。永遠のベンチ、てかベンチにも入れてなかったよね?地区大会一回戦負け常連チームで。しかも弱小地区なのに。ありえねーわ。センスねーなお前マジで

歌とか好きだったじゃん?ちっさい頃から家とか風呂とかでよく歌ってたじゃん?中学の頃はちょっとだけ合唱とかやってたじゃん?高校からは1人でカラオケとかも行くようになったじゃん?歌い方の本とかも読んでるじゃん?

なのに録音したやつ聞いてみ?ヘタクソ。シンプルに、ヘタクソ。それ以上の感想無いつて。無理だもん、感じる所がない。残念だったね。声にも魅力とか全然いから。

音楽の授業、クラスで歌ってる時にも別にクラスメイトに褒められたりとかなかったろ。

小説とか書き始めたじゃん?結構頑張ってさ、色々考えて、どんなメッセージを込めようか、どんな想いを込めるか、どんな感情表現したいか、ずっと悩んでたじゃん。何作も書いてさ、創作系のサークルに入ってて、定期的に機関誌を発行してたからさ、それに寄稿してたじゃん。それでその機関誌感想とか言い合う、割と真面目な会に出るじゃん。「雰囲気だけだね」って言われたね。それも一回だけじゃなく、ずっと。最後まで。なんとなくの雰囲気作れるだけなんだってさ、お前の感性限界は。

二次創作とかやるようになっても、全然見て貰えてないじゃんね?その程度だよお前。

ていうか人間関係も下手だよな?話しかけるのダメ、話しかけられてもダメちょっと仲良くなっても関係を維持できない。今、友達何人?「遊びに行こうぜ」とかってラインに気軽に個人トーク飛ばせる人って何人いる?いても1人とかだろ?20年も生きて?何考えてんの?

本当に誰にも評価されてねえのな、悲しいなお前。

でもさ、1番ショボいのはさ、結局お前なんにもチャレンジしてこなかったよな。努力してこなかったよな。

勉強、どれだけやった?毎日時間もやってたかノート1ヶ月に何冊も無くなるくらいやってたか?違うだろ。

スポーツ毎日練習してたか?どうやったら上手くなれるか考えて、人に聞きまくってたか?誰かつかまえて一緒に練習とかしてたか?違うだろ。

歌ならレッスンとか受けさせて貰えばよかったじゃねぇか。親に頼んでさ。何駅か電車に乗ればそういう場所もあったろ?自業自得じゃん。

小説、賞に応募とかした?え、してない?ウソウソ、え?ウソでしょ?論外。

うるせえよ、そうだよ。でも言い訳くらいさせてくれよ、怖かったんだよ。俺は俺なりに頑張ってたんだよ、でも全然なにもできるようにならなかったんだよ。確かに勉強量とか練習量とか全然話にならないくらしかやってなかったよ。でもやってはいたんだよ。でもセンスいから上手くならなかったし、頭悪いか全然飲み込めなかったんだよ。そりゃやって能力上がるならもっとやってたよ、でも全然上がらなかったんだよ。最初はやってて楽しかたことも、結局ちょっと経ったら周りと凄い差がついてんだよ。周りの奴らも別に凄いやつらじゃないのに凄い差がつくんだよ。ふざけんなよマジで

レッスンとか賞とか、もし通ってみて応募してみて、才能ナシ扱いされたらどうすんだよ。薄々わかってはいるんだけど、それ言われたらもうおしまいだろ?そういう感性かに自分らしさ」とか「独創性」があるって、評価はされないけどあるんだって、思ってたいんだよ。否定されたくないんだよ。怖いんだよ。

こんな文章だって、他に何人、何十、何百、何千、何万人も同じ様なことを書いてる奴がいるって、全然独創的なんかじゃないって事わかってるよ。

結局俺は今まで、何者にもなれなかったし、なろうともしなかった。認めるしかない、「なろうともしなかった」。客観的にはそうなんだよ。どう見ても。

実はこれさっき考えながら「自分に生きてる価値あるのかなぁ、全部終わらせようかな」って本気で考えたよ 、本気で死ぬ事考えたよ。何にも価値あるものが生み出せない自分が嫌すぎた。

でもやっぱり、俺は自分の事全部は嫌いになれなかったよ。才能もセンスもないし頭も悪かったけど、何の努力もしてこなかったけど、自分感性は嫌いになれなかったよ。

20年生きてきた、誰にも評価されなかった、何者にもなれなかった。でもたったそれだけだよ、早熟とか大器晩成ってあるだろ?才能もセンスもないお前が20そこそこで評価されるわけないだろ自惚れるなよ。

俺には才能もセンスもない、頭も悪いし経験値全然無い。でも、たったそれだけの事だ。

自分には何かある、それは何か探すんだ」って考えるからダメなんだよ、もうわかってるだろ、俺には何もないんだ。ない。それでいい。

でも多分、「自分しかできないわけじゃ全然ないけど、誰でもできるけど、でも自分にできること」ってあるだろ。どんだけショボくてもあるだろ。例えば「人を褒める」とかあるだろ。そこでさ、ほんの少しでいいから、褒められた時により喜ばれる様な言葉の使い方とか考える位ならできるだろ。どんだけバカでもそんくらいはできるはずだ。

そういう事をやってけばいいんだよきっと。いやわかんねえよ、それでどうなれるかは全然わかんないけどやろうよ。できるにはできると思うから

後はさ、怖くてもチャレンジしてこうよ。才能とかセンスとかはさ、からっきしなのはわかってるからさ、否定されても大丈夫だよ。当たり前の事、わかりきってる事なんだからさ。今更でしょ?

そうやってちょっとずつできそうな事だけ頑張っていってさ、10年後、いや20年後。今の俺には才能もセンスも何も無いんだからさ、評価されるわけはないよ。たださ、20年、いやもっと先かもしれないけどさ、それだけ経ったら、もしかしたら何かで世界一になってさ、誰もが知ってる人間になれるかもしれないじゃん。20代評価される天才と比べんなよ、意味ないよ。

多分、みんなそうやって生きてるんだよきっと。だからさ、ちょっとずつだけできそうな事を頑張ってさ、できるだけチャレンジしてみようよ。

後はさ、実は友達かにほんのちょっとだけ言われた褒め言葉とかさ、あるんじゃないか?「お前の歌うあの歌聴きたいなぁ」とか無かったか小説、「好き」って1人にでも言われた事無かったか?確かにただの世辞かもしれないよ、俺才能ないもん。でも、もしかしたら本心かもしれないだろ?そういうのも大切にしてこうよ。もしそういうのが無かったとしても、まぁ才能ないから当たり前だよ。気にすんな。

少なくとも今は何者にもなれないけど、才能もセンス経験値もないから当たり前。一年や二年頑張ればどうこうって話でもねえよ。甘えんな

そうやっていって、20年後20年後だ。20年経ったら絶対勝ってやろうぜ。「積み重ねは天才を超える」って、もう人生20年経っちゃってからの、ほぼゼロ積み重ねだけどさ、やってってさ。絶対勝ってやろうぜ。才能もセンスも頭の良さも無いけど、経験値だけはたくさん積んでいって、見てろよ、世界20年後に俺は勝ってやるぞ。絶対だ。もし20年後ダメならまたその20年後だ。また経験値積み直すだけだ。その経験値だけで俺は頂点に立ってやる。見てろよ。

(追記):吐瀉物みたいな文章を書いてしまったし、読んだ人には無駄時間を過ごさせてしまったんじゃないかと思う。

もうこんなクソみたいな文章は二度と書かないよ。善く生きるよ。

正直、「勝つ」とか「世界一」とか自分でも書いてて一切意味わかんないし具体的にどうなりたいか、どうなれるか全然わかんないけど、とりあえずそれがこんな文章を書く事なんじゃないというか、こういうのがやりたい事じゃないのはわかった。とにかく善く生きて、生きて、生きて、生きて……。もう何が何だかわかんないや。

善く生きる、キーワードは「誰かの為、自分の為」だと思った。気持ち悪がるなよ。それが一番良いと思うんだよ。

ホント書いてる事しっちゃかめっちゃかだな、流れとか一切ないわ。もう終わり。

とりあえず、善く生きようぜ。以上。

anond:20180219033321

横やり失礼、最後の箇所の意図がよくわからなかったからもう少し詳しく説明して欲しい。日本社会への貢献と個人研究論文として多くの人の目に留まることは全く違うベクトルじゃない?

文系研究では、もちろん社会から遊離したことを扱ってる人も大勢いるけど、社会とか政治とか歴史とか文学とか言語とか、現実普通の人の営みと切り離せないテーマを扱うことが(理系と比べて)比較的多いんじゃないかなと思う。そして研究者問題意識もその研究者の埋め込まれ社会から自由でいられないわけで、最先端研究成果を日本語で発表することは日本社会への貢献としての価値も持っているという話(つまり外国政治学者に読んでもらえなくても無価値というわけじゃないよ)をしたかったんだけど、伝わりにくい文章だったらごめん。

国粋主義とまでは思わないけど、そう受け止められられるかもしれない気がした。

でも、国民の皆様の税金から研究費をいただくってのはそういうことじゃない? なんらかの形で日本社会還元することを求められているよね(国粋主義を強く批判するような立場研究だって、「日本国国威発揚」には資してないにしても、「大勢異民族外国人が暮らす日本社会」には間違いなく貢献してるわけで)。自国研究プレゼンスを高めるために多くの論文英語で書くべきだ、というのと、学術言語としての日本語価値を守り育てていこう、というのは、同じベクトルじゃないかと思うんだけど。

anond:20180218204936

業績については「研究者としての実績」に絞ってとりあげた。ただ文系若手研究者増田とは、「研究」の捉え方自体が随分違うようだな。

理系研究者を名乗るには必ず「まだ誰もやっていない新しいこと」を研究する必要がある。

文系でも同じですが。研究という営みの本質文系理系も変わらんでしょ。お作法がかけ離れているか相互理解が難しい局面があるだけで。一部の理系研究者の「お前ら文系研究とは何なのか正しく理解していないのかもしれないが~」みたいなナチュラル上から目線はほんと何なの?(あと、仮に百歩譲って理系文系で「研究」の本質がまるで違っていたとして、なんで問答無用理系の方が標準的であり正しいものなのだと思えるの?)

もちろん理系でもレビューや著書を書く人もいるが、それを皆がありがたく読むのはその人が最前線研究をしていることが前提だ。

いや、レビューオリジナル研究業績じゃないってのはその通りだけど、著書はオリジナル研究業績(でありうる)っしょ? 何度も言うけど三浦瑠麗論文や著書は読んでないので、どのくらいオリジナリティがあるのかは知らない。ただ文系では研究書は立派なオリジナル研究成果だ。博士論文書籍化なんてその典型。もちろん一般向けの本とかを書くひともいて、一般向けと専門向けの中間みたいなレーベル典型的には講談社選書メチエみたいなやつね。パンピー向けの概説書とガチオリジナル研究成果が混在してる)もあるから、そこにはグラデーションがあるわけだけど、著書がオリジナル研究成果じゃないというのは不当な言いがかりでは。

ひょっとして文系研究書とか見たことなくてどんなことが書いてあるかイメージ湧かない?(いや別に異分野の研究書を読んだことないのは悪いことじゃないけど、実物を知りもせずにイメージだけで語っていいんですかね、「理系」ってのはずいぶんと気楽なもんだ、と嫌味のひとつも言いたくなる)

理系から視線として、博論を除けば日本語レビュー啓蒙しか書いていない三浦瑠麗は「最先端研究者」とは見られない。

から、私そこは否定してないよね? 三浦瑠麗個人研究者としての資質をあげつらうならどうぞご自由に。私だって彼女政治学者として素晴らしいなんて微塵も思ってないし、私の知ってる(まっとうな)政治学者彼女学者として評価してる人なんて見たことない。でも和文は業績じゃないかのように扱うのはやめてね、っていうのが私の指摘の趣旨ですよ。彼女雑誌に書いた文章が全部レビューだってのは、ブコメでkyo_juさんが指摘したことであって、元増田最初和文しかない」ことを問題にしていたよね? そう言われたらそりゃ「和文でも立派な業績になりうる」と反論するに決まってるでしょ。「言語を問わずレビューしか書いてないなんて研究者はいえない!」という主張ならなんの異議もなかったよ。

いずれにせよテレビ研究者枠にはもっと実績積んでバリバリ研究している(あるいは過去にした)人を呼んだらどうかという話にはなる。

そこに関しても私はまったく否定してないよね。和文論文研究業績であり、また共著が研究業績としてカウントされないことは不当である、と言ったけど、三浦瑠麗の業績が学振PD東大講師、あるいはテレビ出演者にふさわしい立派なものである、とは一言も言ってない。あんなのを東大講師にするなら私の先輩たちに職を用意してやってくれよ、と思うし、テレビに出ずっぱりの「学者」がマトモな学者だった試しなんて滅多にないよね、とも思うけど、そんなの私や「文系」あるいは「政治学者」に言われても知らんわ。東大の人事は東大問題だし、テレビがロクに論文書いてない若手を連れてきて「社会学者」や「政治学者」としてチヤホヤするのはテレビ問題言論人として活動してる人を肩書だけ見て研究者と誤認するのは視聴者リテラシー問題でしょ。理系学位肩書がそういう怪しげなショーバイに一切利用されてないってんならともかく、現実には医学博士号を利用してニセ科学撒き散らしてるひととかいるよね。アカデミアが自由開放的性格を維持していく上では、アカデミアのハクを利用してそういうことをする人たちが出てくるのはどうしても避けられないんじゃね、って私は思うけど(まあ、アカデミアでは全然相手にされてませんよ、と表明する責務くらいはあるかもしれないけど、それはもう色んなひとがやってるよね)。

文系増田日本研究者日本語論文が読まれないことの解決策として日本語論文の良さを英語論文内の引用アピールするという案を提案しているが、理系から見たら不効率まりない。一つの研究分野に標準言語がいっぱいあったら世界中学者言語習得に苦労するだろう。

うんだから文系研究者が色んな外国語勉強してるのはそういう事情があるわけ。たとえば西洋古代史を研究するんなら、まあ英語に加えてフランス語ドイツ語研究文献を読めないと話にならんわなぁ。一つの研究分野に標準言語がいくつかあるのは文系だと割と普通で(古代中世に関する研究だと権威ある学術言語がいくつもあってどれかひとつに決められなかったりするし、複数国にまたがる地域や事例を対象にしている場合なんかは一意に定めることが不可能なのは流石にわかってくれるよね?)、その中で日本語地位が低いことをどう捉えるか、だよねぇ。

これに関して、日本語を諦めて別の言語で書くべきだ派と、日本語地位を高めていくべきだ派と、日本アカデミアを最優先に考える派(これが実のところ多数派だろうねえ)がいるんだなと私はぼんやり思ってる。私が見ている範囲では、現代日本文系研究者多様性は、アメリカイギリスほどじゃないにせよフランスドイツロシアとは肩を並べられる水準にあるんじゃないかな。日本史英文学からアフリカ人類学オセアニアの少数言語中央アジア歴史、とあちこちの分野に手を伸ばしていて、アメリカ人フランス人ドイツ人がそうできるように、自分たち言語でそれらの分野の最先端研究成果を手にすることができる。東アジア中央アジアからは、自国のことを研究するために日本に来て日本語博論を書いて自国教授になるひともいるんだよ。これは、欧米人が読めない・読もうとしないってだけで捨て去るには勿体無い環境だと私は思うけども。

もちろん、日本研究を専門としていない欧米人日本語をわざわざ読ませるのは難しいだろうけど、たとえば日本論文につけられた欧文要旨なら彼らは読めるし、和文で書いたもの翻訳して欧米人にも読めるようにしている研究者だっている。どうやら俺らには読めないがチェックすべき先行研究日本にはたくさんあるようだ、と彼らが認知すれば、いずれ彼らの側から、じゃあ日本語読めるやつに翻訳してもらおうとか、そういう話が出てくるかもしれないし、せめて「読んでないけどこういう先行研究があるらしい」と書かれるようになるかもしれない(これは重要なことだよ。「気づかれない」と「読まれない」はぜんぜん違うんだから。この辺はウンベルト・エーコが書いてたな)。地位向上って、そういう積み重ねの上に成り立つものだと思うんだよね。

こういうプロセスって、文系だけじゃなくて理系にもあるよね。たとえば、優れた魚類学の論文アメリカ人日本語翻訳してまで読みたがったとか、和文論文をチェックしなかったせいでアメリカ人が大損こいたとか(http://shinka3.exblog.jp/8059554/)。それに英語が標準言語になったのは、せいぜいがここ半世紀程度の流れにすぎない。その前はドイツ語とかフランス語とかロシア語とかも有力言語だったけど(たとえば、ちょっと前にサザエの新種記載がされたときは、18世紀フランス語の本が引用されてたよね→https://www.okayama-u.ac.jp/tp/release/release_id468.html)、英語頭角を現してきて残りの言語は標準言語とは見なされなくなっただけで、別にからずっと英語が標準言語だと決まっているわけじゃないし、今後もそうなるとは誰にもいえない(数十年したら欧米人中国語で作文するようになるかもね。そうなったら英文業績しかない人が「中文論文を書いてないなんて!」と馬鹿にされたりするのかな)。日本産動物種の研究だと英語論文和文論文引用されてるのもちょくちょく見るし(網羅的にたくさん読んでるわけじゃないので、私の錯覚だったらごめん)、標準言語統一されてないとダメだ! というのは近視眼的見方だと思うけどなぁ。

いくら書いても読まれないんじゃ意味がない、という元増田感覚はわかるんだよ。というかそれは文系研究者にとっても当然のことだと思う(そりゃ全員が意識高いわけじゃないけど、それは文理問わずだよね)。繰り返すけど最近の若手研究者には外国語積極的に発信しているひとが大勢いる。ただ、日本国民1億人が最先端研究成果を自分たち言語で読めて、どんな地域研究だって自分たち言語遂行できる、という環境が、無意味なこととは私は思えない。増田は、日本にまつわるテーマなら標準言語日本語でもいいんじゃないか、と言った(これは良い感覚だと思うので大事にしてほしい)。でもたとえば、ツキノワグマ研究ホッキョクグマやマレーグマの研究と繋がっているよね。日本史研究する上で西洋史探究されてきた研究モデル概念意味を持つことだってある。国文学だって世界文学の中に位置づけられる必要があるだろう。外国政治についてなんの情報もなしに、自国政治改革ができるだろうか? 外国の失敗や成功についてしっかり学ぶためのツール必要なんじゃないか? ジャーナリスト政治家欧州統合アフリカ経済アメリカ大統領選について勉強しようと思ったときに、日本EU研究者アフリカ研究者アメリカ政治研究者がみんな英語論文を書いていて、日本語にはあっさりした概説書しかない、というんじゃ、不便じゃないのかな。そういう意味で、日本語による研究発表は、世界で読まれていないのだとしても、社会貢献としての意義はけして小さくない、と私は信じてるよ。

2018-02-18

そもそも文系アカデミズムの泊付けを批判している

理系元増田博士)より

https://anond.hatelabo.jp/20180217012945

個人攻撃で人を撃ってるんじゃない。自分問題点に感じたところを撃っているのだから、流れ弾上等。

結果として大学ポストで過剰な印象付けを与えている例として三浦瑠麗批判になっているわけでもあるが(メディア・読者・視聴者の過度な期待が悪いという説もあり)。

業績については「研究者としての実績」に絞ってとりあげた。ただ文系若手研究者増田とは、「研究」の捉え方自体が随分違うようだな。

理系研究者を名乗るには必ず「まだ誰もやっていない新しいこと」を研究する必要がある。もちろん理系でもレビューや著書を書く人もいるが、それを皆がありがたく読むのはその人が最前線研究をしていることが前提だ。海外には教育専門の人もいるらしいがそれはまた別の評価軸になる。

理系から視線として、博論を除けば日本語レビュー啓蒙しか書いていない三浦瑠麗は「最先端研究者」とは見られない。DC2は博論として完成を見ているのだろうが、学振PD研究論文にならなければその研究費はどうなったのかという話になる(まだ気の早い話かもしれないし、研究には失敗がつきものなのでちゃんと取り組んだ上で成果なしであればそれは責められない)。いずれにせよテレビ研究者枠にはもっと実績積んでバリバリ研究している(あるいは過去にした)人を呼んだらどうかという話にはなる。


最先端研究をしたならそれは世界に向けて発表すべきだ。発表しないのは論外。研究者仕事個人修養ではない。理系では一部の例外分野を除き発表のための言語統一されていてそれは英語になる。中東研究ではフランス語も標準になっているというならそれもいいだろう。もちろん国文学日本史日本法学では日本語が標準だろうから日本語論文だけで構わないし、海外研究者日本語論文を書くべきだ。

国際政治学日本語でもレベルが高い研究はあるという反論の何が駄目かというとそれが国際的研究分野であろうと考えられるのに世界からまれない点。読まれないのであれば例えばアメリカ学者に全く同じアイディア研究されてそれを新規研究として英語発表されても責められない。日本学者がそれに文句を言ってそれが認められる力があればいいんだがどうもそうは見えない。日本語論文はその「レベルの高さ」に関わらず学問の潮流からすれば全くの無駄になるだろう。辛辣になるがそんな研究には国から研究費を交付すべきではない。


文系増田日本研究者日本語論文が読まれないことの解決策として日本語論文の良さを英語論文内の引用アピールするという案を提案しているが、理系から見たら不効率まりない。一つの研究分野に標準言語がいっぱいあったら世界中学者言語習得に苦労するだろう。英語圏に勢い負けてることが確定した分野では英語論文を書け。自分で書けないなら金払ってでも誰かに訳してもらえ。雑誌国内研究者交流用じゃなくて世界トップジャーナルなりたければさっさと丸ごと英語に移行しろ欧米学者には必要ない手間に研究費が使われるのは悔しいだろうが、国際的学問の流れの中で研究した一切合切無駄になるのと比べればよほどいい。世界から孤立して「日本式国際政治学」や「国際政治学者(日本国内向け)」を名乗るのなら構わんが、それを正直に言わないなら国民を騙していると言われても仕方がない。

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