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2019-01-23

anond:20190123120341

こんな状況で育てられたらワイなら中学生で引きこもってるかな。

対して増田中学時代は素敵な青春を送れたとのたまっている。

つーか要所要所で表現に遊び入れてるし、心に余裕が感じられる。

その余裕はなんらかの自信から来ているのだろう。あるいは希望か。

その気持ちの源泉は大事にした方がいい。

あと、祖母常識人のようだし、大事にしてあげて

20年近くの自分人生を整理したい。

何となく、今ここで自分人生文章に起こして整理をするべきだと思った。

かなり長い文章になっているかもしれないので、とてつもなく暇で好奇心旺盛な人だけ読んでくれ。

公開する必要性は無い気はするけど、鈍感な私に誰かが何かを気付かせてくれるかもしれないと期待して公開することにした。

とはいえ身バレすると面倒なので所々フェイクは入れさせてもらう。

そして、私やここに出てくる登場人物が、貴方の周りにいるあの人だと勘付いたとしても何も言わず、仄めかしたりもしない事を約束して欲しい。


前置きはさておき、出来るだけ時系列にそって思い出しながら書いていこうと思う。

私は物心付いた頃には母と祖母と一緒に暮らしていた。

この頃は何も知らない純粋子供で、毎日を楽しく生きていた。

母や祖母と一緒にお出かけをしたり、クリスマス誕生日の時はケーキを食べたり、多分その辺の家族と何ら変わりない幸せな家庭だった。

今の私にとってもこの頃の思い出はかけがえのない大切な宝物だ。

でも、この頃から周りとの違和感をずっと感じていた。

母は毎日沢山の薬を飲んでいた。

幼稚園友達は爪が綺麗なのに私だけ真っ黒だった。

それを見た先生ちゃんと綺麗にしなさいと言われて、ちゃんと一週間に一回お風呂に入ってるのにって思った。

私の家は床がゴミで埋め尽くされていたから、夕方テレビで映る綺麗な家や友達の家が羨ましかった。

周りの友達と同じお稽古に通う度に、先生ちゃんと家でも練習しなさいと言われる。でも、ゴミだらけの家でどうすればいいかからいから何もしなかった。

書き出してみると私は何も知らなくて、何も出来なかったのだと改めて実感した。

知らないのは子供から当然だとしても、行動くらいは起こせたのではないかと思う。

もし、そうしていれば私が今こうして整理する必要もなかったかもしれない。

小学校に上がってからはその違和感がより強くなってきた。

いじめにあったからだ。

一部のクラスメイトから臭い、頭の上にフケが積もってると言われ続けたけど、何故自分けが言われているのかわからなかった。

仲の良い友達先生も誰もそんな事を言わなかったから、私が気に食わなくて傷つけたかったのだろうと思っていた。

でも、悪いのは自分だった。

当然だ。一週間も風呂に入っていない奴が同じ教室に居て耐えられる訳がない。

臭いと言われて当然で、それを指摘しない仲の良い人達はあまりにも優し過ぎた。

今思いだしたが、お稽古先の講師でさえ「私ちゃんって、ちょっと臭くない?」と私の影で言っていた。

それでも、この頃の私は皆と同じで、何故か自分だけ不当な扱いを受けていると思っていた。

気付けよ、鈍すぎるだろ。

それか、心の奥底で幼い自分にはその現状を変えられないと諦めて思考停止していたのかもしれない。

結局、そのいじめは学年が上がるに連れて収束していった。

イジメっ子も気付いたのだろう、コイツは訳ありなんだと。

もう一つ、小学校時代に思う所がある。

母が私をアーティストライブに連れ回すようになった。

毎週何処かしらのライブイベントに連れて行かれ、気付いたらファンクラブにも入っていた。

それについてよくクラスメイトと話していたら、授業参観の時にその子の親に「どうしてそんなにお金があるの?」と聞かれた。

私は上手く答えられなかった。何故なら、知らなかったから。

大人お金事情はきっと子供の私には理解出来ないだろうと思って一切考えて居なかったから。

でも、母がお金をかなり切り詰めていたのはわかっていた。

母がその事で祖母に怒られたり、よく家の電気が止まったりするのを何度も見ていた。

働いても居ない母が何故あんなにお金を使えるのかは大人になったらわかる事と思い、考えるのは先回しにしていた。

そして、段々とライブイベントに行く頻度はどんどん落ちていき、一年後には全く行かなくなっていた。

そういえば、何故母に連れて行ったのかと聞いたら、辛い思いをしている私を元気付ける為と言っていたのを覚えてる。

それは違う。きっと私を自分繋ぎ止めて置く為なのだろうと、今の私は思う。

中学時代は素敵な青春を送ることができた。

いじめにあう事もなく沢山の友達純粋に向き合う事が出来て、良い先生にも恵まれてかなり充実していた。

とはいえ、何度か辛い思いをした。

一つ目は学校休みがちだった。

中学の頃になるとちゃん毎日風呂に入っていた。家の風呂が壊れるまでは。

直す為には金と家のゴミ掃除が不可欠だった。

でも、家族全員働いていないし、私は学校生活で忙しく、祖母と母は体を悪くしているので、あのゴミ屋敷を掃除できる人間は誰も居なかった。

から、一番近い銭湯で体を洗わなければならない。

前述の通り、金が無くて毎日なんて行けないから2日に1回だけ通っていた。

それもまた異常だと気付いているから、また臭いと言われて苛められないか友達不快な思いをさせないかとずっと心の底で怯えていた。

たまにどうしても疲れて銭湯へ行けなかった次の日は母と適当理由を考えて学校を休んだ。

ベタベタ臭い身体学校に行けるはずがない。

二つ目友達を家に招けなかった事だ。

休日は仲良しグループの皆の家に行ってパーティをしていたけれど、私だけは人を家に入れられるような環境じゃないから、何とか理由を付けて断っていた。

友達は行きたいのにと少しはゴネていたけどすぐ引き下がってくれた。

本当は皆と同じように自分の家に人を招いてパーティをしたかった。

"皆がしているから"じゃなくて、皆が楽しそうなのが羨ましかたから。

三つ目は身バレするので詳細は書けない。

言えることは、母の衝動的な行動によって私の心が大きく傷ついた事だけ。

今まで点と点だったものが線になったのは高校の時。

きっとここまで長ったらしい文を読んでくれた人の何人かは気付いているだろう。

私の母は呪われている。

急にファンタジー要素が入ったと思うかもしれないが、ただのフェイクを交えた言い回しだ。

具体的な呪い名前が浮かんだとしてもそっと胸の中に閉まっておいて欲しいし、詮索は控えてくれ。

きっかけはふとエゴサしている時に、SNSで母を探しているといった投稿を見かけた時。

名字名前普遍的から違うだろうとは思ったが、読み進めていくと自分の母の事だとはっきりわかった。

何故あの時あんなに金があったのか。

答えはそこら中の金融機関や知り合いに借金をしていたから。

そういえばと思い、ポストを見ると弁護士から封筒が沢山入っていて内容は全て借金

私があの頃楽しめたのは母が返せもしないのに人から金を借りたから。

裏切られた気分だった。

今まで家族とは絶対的な物だと思っていて心から信頼していたのに。

世界が崩れ落ちたような気がした。

からといって、問い詰める勇気は無いし、その後の居場所が無くなるからととりあえずは様子見する事にした。

そして、その数週間後母の友人から相談が来た。

「母が私の部費が足りないかお金を貸してくれと言われた。どうすればいい。」と。

例年同じ時期に部費を徴収する習わしで、顧問に言われる前からわかっていたので予め母に伝えておいた。

流石にきちんと取っておいてくれているだろうと信じていたから、徴収する前に母とちょっと良い外食をしたり買い物をしたりした。

でも、そうしなければ余裕で払えた額を借りようとしていた。

母は何の計画性も無く、後の事なんて一切気にしない人間だと気付いた。

それから、別の母の友人から相談された事もある。

「母が金を返さない。問い詰めればその場しのぎの理由を作りだしたり、逆ギレする。」と。

その人への申し訳無さと母に対する呆れしかなかった。

そういった出来事がいくつか重なった後、母は自分呪いについて初めて打ち明けた。

そして、今まで悩み苦しんできた出来事根本的な原因は母にあった事に気付いた。

とはいえ、私は母を悪人だと、巷でよく聞く毒親だとは思わない。

ただの他人迷惑をかけ続けて生きる種類の生き物だと思った。

生きているだけで周りの人間を不幸にする生き物なのだと。

からといって、今すぐ縁を切れるような状態では無いから、それなりに努力しなければならない事にも同時に気付いた。

このような出来事が立て続けに起こる度に、今までぼんやりとしていた輪郭がはっきりしていくかのような気分だった。

私の家は異常なんだ、人と違うのだと。

そう気付いた瞬間、心にずっとあった霧が晴れた。

でも、霧が晴れた先に見えたのは茨の道だけだった。

自分は人と違うから人と同じようにレールに乗る事は出来ない事がわかった。

自分は人よりも辛い思いを乗り越えて生きなければならない人間だとわかった。

それに絶望して私は何もかも出来なくなり、高校不登校になった。

幸い環境に恵まれていたか卒業は出来たけど、かなりギリギリだった。

今は何となく無気力でぼーっと生きている。

一回精神病院に行こうかなと思った事はあるが、別に頭痛もしないし健康体だから行かなくても良いかなと思う。

とはいえ、やりたい事は沢山あるし、その為にやるべき事も頭の中ではっきりわかっている。

から、もうウジウジ悩んで足踏みするのを辞めようと思い、この文章を書く事で全て自分の中で終わらせる事にした。

実際問題は何一つ解決しないけれど、一度何がしたいか、どうするべきかを自分の中で明確にさせる為に、一度全て振り返って決着を付けたかった。

そして、私は決めた。

もうこの事で悩まないと。

暫くはそういう事が付き纏う人生を送らなければならないけど、これは私の人生から絶対にその邪魔はさせないと。

努力して、ゆくゆくはそれを全て消し去ってやると。

これでもう全て終わりだ。

追記➝沢山の人が読んでくれて凄く嬉しいけど、まさか創作扱いされるなんて思わなかった。

それくらい私の人生普通の人とかけ離れた物なのだろうと改めて自覚させられた。

からといって傷付いた訳では無く、もっとこの現実味の無い人生を大切に楽しんで生きていこうと思うよ。

2019-01-22

劇場版若おかみは小学生!」の謎「命の恩人のいうことは聞くもんやで

劇場公開も終わったので・・・

「命の恩人のいうことは聞くもんやで」

どうやってウリ坊はおっこの命を救ったのか?

ウリ坊は物理的・ニュートン力学作用を、現実存在する物体に及ぼすことはできない。

鯉のぼりを操ったり雑巾がけをしたりトカゲを石の落下から守ったりできる美陽(白ワンピース)とは違う。

可能性A

もっともらしい説明は「その時不思議なことが起こったから」であろう。生と死の境目に位置したものについては干渉することができるとか何とか。

実際、ノベライズではそんな感じのようだ。

小説版はおっこ一人称であり、ウリ坊がそう説明した、ということだ。

だが、我々は「信用できない語り手」という概念を知っている。

可能性B

・ウリ坊はおっこを救っていない

B-1

・おっこもあの事故で死んでおり、劇中のおっこは幽霊である

 主人公主人公相手が実はとっくに死んでいた、幽霊だった、というのは「(ネタバレ)」「(ネタバレ)」などいくつか先行作品がある。

 マンション引き払い、転校手続きなどを小学生一人で実行できたとは思えないことから、これには一定説明力がある。

 ただし、大女将、春の屋スタッフ宿泊客「だけ」に見える幽霊というのはあり得ても、学校先生同級生全員、秋好旅館モブスタッフあたりにまで全員見える幽霊というのはさすがに無理がある。

B-2

・おっこは偶然助かった。

 スーパーナチュラルな要素なく、偶然助かった。ループものでいえば100000000000000000000回に1回助かった、みたいな。

 あまりスマートではないがいったんこの説を保留しておこう。

B-2-1

・おっこが助かったのは偶然であり、ウリ坊は自分が命の恩人であると騙しておっこに旅館の若女将役を務めさせようとした。

 だが、ウリ坊が嘘をついたと決めつけてよいのだとすると、何でもありではないか? スマートではない。

そもそも「命の恩人のいうことは聞くもんやで」の謎について考えていた。

しかし、問いの立て方が間違っていたのではないか

「(おっこの)命の恩人(であるワイ)のいうことは聞くもんやで」

との解釈が間違っていたとすれば?

「(Xの)命の恩人(であるY)のいうことは聞くもんやで」

C

「(大女将の)命の恩人(であるウリ坊)のいうことは聞くもんやで」

 たしか自分がおっこの命の恩人であるとは言っていない。物理的にも不可能だ。あらためて述べるが、プリンも食べられない幽霊であるウリ坊にトラックにはねられた人体を動かす力があるわけではない。

 だが、幽霊になる前、たしかにウリ坊は若き日の大女将を救っている。  

 とはいものの、大女将の命の恩人だとして、なぜ?という問いが

D

「(おっこの)命の恩人(である祖母)のいうことは聞くもんやで」

 たしか一龍斎春水の声で「織子ヨ春の屋の女将になっておくれ」との台詞はない。

 だが、幽霊であるウリ坊にとって、声帯を用いて発せられた明示的な言葉と、内心の声の区別がつかないという可能性もあるのではないだろうか。

 ウリ坊が大女将の内心の声を「いうこと」と表現したとすれば・・・

可能Bダッシュ 触媒

 ウリ坊単独でおっこを救ったのではないとしても、勝手自然に偶然に助かったのではなく、ウリ坊が何らかの存在の助けを借りておっこを救ったとしたら、

 ウリ坊がおっこを救ったとも言えなくもない。

 それは両親や大女将(の生霊。美陽タイプニュートン力学干渉能を持つ)かもしれないし、春の湯(概念)かもしれない。

続く

2019-01-21

anond:20190121223559

なんか、めっちゃ豪華なご飯だなぁ。

玄米って、10時間くらいひたしておかないと普通炊飯器で炊けないんですよ。

孫に、ヘルシーなご飯を食べてもらおうと(玄米食物繊維半端ないし)お祖母ちゃん、面倒なのに

炊いてくれてんじゃん?食物繊維は約10倍、ビタミンB110倍以上

小豆ごぼうの3倍の食物繊維が含まれているが入ってて健康に良さそうだよ。

https://josei-bigaku.jp/azukikouka1122/

anond:20190121121945

認知症になった祖母も毎晩お金数えてノート計算してた。

同じ金額になる足し算を何回も数ページに渡って計算してたのはほんとに見ててきついもんがあった。

2019-01-20

思考の書きなぐり

人生はもうだめ。

努力が全くできない。今までの人生努力をした記憶がない。なにかやるときは常に怯えながらやっていた記憶

勉強するにしても親が観ている間は勉強しているポーズを取らなくてはいけなかった。

そのせいもあって実家では気が休まらないし、勉強と恐怖が結びついてしまっているし、なにかやっていないと気が休まることはなく、何もしていないと罪悪感に駆られる。

やりたかった射撃も今となってはできない可能性のほうが大きい。

精神面の問題だ。

精神科や心療内科受診歴があったりすると許可が降りなかったりするらしく、それを避けるために性違和の受診をしなかったし、違和感に気づく頃にはすでに強迫観念と同居していた。

それにもし許可が降りても競技の際、どちらで出ればいいのかという問題がある。

自分を受け入れてくれない社会が怖いし、受け入れようとしてくれる人の気遣いが心苦しい。それが本心なのかもわからない。本心だとしても『かわいそう』と思われたくない。

容姿に関しても自分で受け入れることができないし、手術でいじったところで本質的男性であることには変わらない。ごまかすことすらできない。それに維持コストも高い。普通に生きて行けている純女が羨ましくも妬ましくもある。

性違和に関して周りの認識がどうも合わない『なりたい』じゃないってことを誰も理解してくれない。

『なる』ってことは今が違うものであるということをはっきりと自覚していないといけないのだが、自分はそうじゃない。『そうなのに、そうじゃない』コレが多分自分の語彙で持てる一番簡潔な言葉

義体に救いを求めて次の大学に行こうと思ったがそもそも努力することができないので難しい。それに実現してもその頃には自分老いているし、送りたかった青春はそこにはない。

恐怖と戦うことが嫌になって逃げることを途中から覚えてしまったのでもう何もすることができない。いっそ首でも釣るかと思ったが、後始末を考えると心苦しいのでできない。

更にまだ両祖母が存命なので悲しむ人がいる。両親は知ったことではないが、それ意外の悲しむ人は少ないほうがいい。

動脈を掻っ切る方法も考えたが、すでに苦しいのにこれ以上の苦しみを味わいながら死ぬなんてゴメンだ。

最適解として冷凍庫窒素を充填して窒息で死ぬことを思いついたが、買うかねもなければ作る金も技術もない。

大学に行く理由がなくなってしまった。

このまま穀潰しで生きているのは非常に心苦しい。

核が自分の真上に降ってこないかと願う日々だ。

日本人現実的エロ的に最悪にも程があるだろ

 確かにから最悪と言えば最悪なような気もした。昭和時代は、凄く素晴らしい時代で、ありえないくら世間が善良で、

俺が生まれときは、ニコニコしていた。昭和天皇がいて幸せだったからな。平成に入って、国が一気にダメになって、

国民もデスになって一気に悪化してから、親も豹変して、小中9年のいじめ虐待という最悪が始まったが、不登校するとか

祖母の家に逃げるとか、いろいろ方途はあって、今の子供みたいに自殺するほど最悪ではなかった。それに、昭和天皇死去前後

東京渋谷とかのゲーム店に、ドラクエⅢ欲しさに若者殺到したり、95年にはエアマックス95が流行り、みんな本物のやつ

欲しさに、全国を探しまくり、田舎にはパチもんしかなく、原宿にいって25万払わないと本物は買えないとか、活気あって良い時代だった。

その後、芸能界音楽業界が大爆発して、若者革命が起きたと思って、幸福絶頂だったし、ゲームボーイから始まって、ゲームが段々に

発展していき、ファミコンスーファミでも、良作が出まくったし、プレステセガサターンで、更なる革命が起きて、特にプレステでは

1000本以上の良作が出て、当時の若者は、この国はやばい、俺らはこんなすげえ国に生まれたのかよ、と、みんな歓喜に包まれており

すさまじい昂揚感があった。その勢いで、若者は、自分勉強頑張るぞと思って、次第に全国的受験競争に発展していき、それもまた面白かった。

2002年には吉野家はできるし、食欲におおらかで、みんな食って食って食いまくって、そりゃ、最高だったな。もうこの国は、超絶最高で

みんなドエロエロエロ快感の渦の中にハマっていき、不幸はないもんだと思っていた。2ちゃんのVIPではクソ面白スレが立ち、みんな

爆笑。こういうのが大体2005年までは続いて、この国には、もう昭和の厳しい不幸はない、性的幸せなことしかないのだ、もう地獄

ないはずだ、という勢いで、とにかく最高だった。

 それが、なんでこんなに最悪になった。

2019-01-19

加害者になりたく無いか戦争して欲しくない

というのをいつのからかずっと持っている。

祖母の生家は広島県曽祖父が亡くなった時に母親ぽろり曽祖父のお姉さんは原爆で亡くなり遺体も見つかっていないと言っていた。祖母が始めて母に観たいから連れて行ってとお願いした映画は「この世界の片隅に」だった。見慣れた街の景色をとても楽しんでいたと聞いた。

小学生の頃の私は酷く内向的で人と話すより空想したり本を読むのが大好きで図書室にある本は全部読んだ。はだしのゲンが唯一置いてある漫画だったので漫画も読みたい私は全部読んだ。時間が余った総合学習時間サトウキビ畑の唄を全部見せてもらった。映画が好きで、あと嵐が好きだったか硫黄島からの手紙父親たちの星条旗も見た。総合学習時間学内新聞を作るため私たちの班には日本軍が行なった生体実験というお題が与えられた。字を読むのが好きだし家に当時からパソコンがあったから調べまくった。

中学生修学旅行では長崎に行き被爆地を目で見た。写真で見るのとは全く違って、建物は静かで異空間の恐怖を覚えた。それは原爆に対するものではなく長崎のそのピンポイントに対する恐怖だったと思う。

大学生になって、留学生が多い学校だったから何かの流れから戦争の話になり、アメリカ人韓国人日本人で話していた。韓国人感情的に私へ怒りをぶつけてきたことを覚えている。講義原子爆弾関係映画をいくつか見た。一番印象的だったのは「太陽を盗んだ男」だ。パワフルさがたまらなく心に刺さった。映画を見て議論するという講義だったが、この時はあまり議論は盛り上がらなかった。それでもこの映画で描かれた9番という立場は当時の私にとって衝撃的だった。

多分私の生きてきた中に、戦争加害者としての日本が強く意識づけられている。原子爆弾を落とした蛮行未来永劫たとえ彼の国が滅びようとも許すことはできず、曽祖父の姉を奪ったそれがとても憎い。曽祖父爆弾の落とされた街を歩き姉を探しそうして見つかることなく生涯を終えるまで一体何を感じたのか想像することもないだろう世界は憎い。数多の人の命を一瞬に、そしてゆっくりと奪い今も苦しめ続ける原子爆弾をまた使うような未来絶対に避けたい。

それと同じくらい、戦争をして私たちがその立場になるのが嫌だ。私は女なので戦地に行くことはないかもしれないけど女性社会参加が都合よく叫ばれている今行かなくてはいけないかもしれない。そんなことはしたくない。見ず知らずの日本の誰かが顔も知らない世界の誰かを傷つけて欲しくはない。私に怒りをぶつけ暴言を吐いた彼女不快な思いは偉大たがたとえ大義名分を得ようとも彼女の命を奪いたくはない。

奪いたくないし、もちろん奪われたくもない。それが保たれることはとても平和で、命に限らず生きる中で何も奪わず奪われないことは、ある視点から見たらつまらないけれどとてつもなく幸せなことだと思う。満たされているということだから

そういうことを思う。

そして満たされないからあらゆるものを巡って争うのだなということも分かっている。切ない。欲望がもう少し小さければいいのに。

2019-01-15

anond:20190115230357

祖父祖母の死はそれほど悲しくなかったな。

みんな死ぬべくして適齢で死んだんだし、自分もいずれ死ぬだろうしという普遍性が顔を出した。

さみしいなあとは思ったけど、理不尽ではないのであまり感動しなかった。

友人が二十歳で癌で死んだときは酷かった。失語症になりかけた。

人それぞれ納得する思いが鍵なんだろうと思う。

大好きなじいちゃんが死んだ...みたいなやつ

祖父祖母が死んで悲しくて悲しくて、泣き喚いて、できなかったことを後悔して...

みたいなエントリーを読むたびに、なんか納得いかないんだけど、世間一般の人にとってそんな祖父祖母の死ってインパクトかいの?

かに高校生までは、数ヶ月に一回じいちゃんち泊まりに行ってたし、正月はいつも一緒に過ごしてたし、まぁお世話にはなったけど...

でもいうてもも実家出てだいぶ経つし、久しぶりにあってもあんま話すこともないし...

もう4人中3人死んだ。まぁ悲しいは悲しいけど、寿命だしそりゃ死ぬでしょ。ぐらいしか思わない。

増田たちはどうだった?

親が死んでも兄弟が私あんま悲しくないかも。夫と息子が死んだらかなり悲しいというか、辛くて死ねるけど。

私にとって家族はもうこっちの家族だけなのかもしれん...

まりにも人生が上手くいかない

小学校の頃から不登校、友人ができてもくだらないすれ違いで長続きせず、恋人はおろか片想い相手すらいない。

どうにかこうにか大学に進学こそしたものの、周りに馴染めず勉学に打ち込むこともできず退学。

趣味と呼べるようなものもなく、ゲームを通じて交友を結ぼうとしてもやはり上手くいかず。肝心のゲーム自体下手。

自己肯定感の低さと人間不信、それに伴う人嫌いか仕事も見つからず何をやっても上手くいかない日々。

最近はもう、取り繕うことすら苦痛になってしまった。

せめて両親や祖母安心させたかったけど、それすらもできずに終わりそうで、そうなったらきっと山程後悔するのだろうなと今から枕を涙で濡らしている。

今更そごう記事について思うこと

書いていてめちゃくちゃ今更かよ、もう二週間も経ったよって思ってしまったけど、書いちゃったから上げる。

パイを投げられている広告女性差別的外れがこないだ話題になったけれど、この一年でこういった女性差別もの見方が随分変わった気がする。

女性差別について、前なら、ひどいなあ21世紀になってもまだこんなひどいことが横行しているのかという気持ちだった。でも今だと日本だもんなそんなもんだろうなっていう気持ちになる。

あの広告をつくった人間がどういう気持ちでつくったのかは知らない。でも私にどんな文才があったとしてもあの広告にはたどりつかないだろう。

きっかけは就職活動だ。私は就職活動で初めて自分差別される側の人間だということを知った。

多分そういう女の子は少なくないんじゃないかと思う。

家庭内差別されたことは一度もなかった。成績の良し悪しについて性別理由文句を言われることもなかった。大学に行くことも反対されたことがなかった。祖母も喜んでくれた。

学生のうちでもそういう差別を見たことがなかった(単に私が気がつかなかっただけなのかもしれないけれど)。大学だって私の学科は男女比が半数だったのもあって肩身の狭い思いをしたこともなく、所属サークルの今の代の長は女の子だ。

ちょうど昨年まで運よく痴漢にもあったことがなかった。(よくよく考えれば高校下り電車に乗る関係痴漢ができるほど混んでなかったし、大学では田舎住みだった関係で朝は基本的に座ることができたのが大きかったのだと思う)故に私にとって女子差別とは過去のものという印象が強かった。

でも就職活動が始まるようになってそんなことないんだっていうことを有り有りと認識させられた。

説明会に行けば、女性の働き方というものがわざわざパワポで一枚使って表示させられる。育休から復帰する女性の人数ですと出される。女性社員の育休からの復帰率はわかったけどじゃあ男の人は育休とるの?って何度も思った。(これに関しては男性差別でもあると思う)

面接を受ければ、結婚後はどうしていきたい?出産後も働く?みたいなことを聞かれる。知るかよ、結婚するかもわかんねえよ、出産したいかわからんわ。

男の子であればこんなしょうもないこと聞かれないんだろう。男性社員だって育休とってがっつり子育てに関わりたい人だっているのかもしれないのに。

会社によっては、もっとからさまだった。エントリーシート通過後に説明会開催の企業では、私が希望した部署そもそも男性社員しかいないということを私は説明会で初めて知った。今年女性を取る気があったのかはしらない。でも、それを知った時点で私は何を考えたらいいのかわからなくなった。今となっては落ちてよかったなと思うけど。「重いものを運ぶことが多いから今のところ男性社員しかいないですね」みたいなことを言っていた。じゃあそれをどうしてエントリーシート書かせる時点で明記しておかないの?っていう気持ちでいっぱいだった。私の他にも女の子は何人もいたけれど彼女たちは何を思っていたんだろう。

最終面接直後に、「うちは女性社員が少ない会社だし、あなたを取るかはこれから会議にかけてから決めます。しばらく時間をください」って言った企業もあった。私が女だから会議にかけないといけないのかと愕然とした。面接説明会内では確かに女性は少ないという話はあった。別に私自身はそんなことあまり気にしないし、大丈夫ですと何度も言ってきた。

でも、私の性別が男だったらこんなこと言われないんだろうなって思ったらものすごく悔しかった。結局私がこの企業からOKもらえたのかはわからない。ここの結果を待つより先に他の企業内定をもらって、ここには断りを出してしまたから。

日本という国は私にとって生き辛い部分が少なからずあるのだ、ということを突きつけられたのが2018年だった。(ついでに就活中に初めて痴漢にあった。クソみたいな社会だなって余計に思った)

2018年の一月の私ならめちゃくちゃ文才があったらあの広告をつくったかもしれない。でも今の私には絶対に作れない。

だって、「わたしは、私。」、ということを訴えてもどうしようもないのだから面接という場において、「あなたという人物が見たいです、ありのままを見せてください」なんて言う面接官は多い。私も何度も見てきた。つまりわたしは、私。」を発揮する場所みたいなもんだろう。でも、その場で私はお前は女だからちょっと結果待っててよ。会議かけるわって言われたのだ。

たとえ仮に、「私は私です。女というレッテル判断しないでください」って最終面接後に会議しますっていった面接官に言ったところで何が変わるのだろうか?きっとその人は困った顔をしながらも、「そういう訳にはいかないから」としか言わないのだろう。

だって時代の中心は男なのだから。あの面接官は私の気持ちなんてちっともわからなかったはずだ。だってわかっていたら、「あなた女の子から会議にかけます」なんて絶対に言わない。あの面接官は自分社会の中心であるであるから、こんなことが言えたのだろう。私がその言葉にどのくらい深く傷つけられたのかなんて絶対に知らないのだ。

一人ひとりがつくればいい、という無責任さ、それが男の人が女に思う気持ちみたいなものだろう。仕事?いいけど家事もおろそかにしないでね、みたいなそれに近い。

女がパイを投げられる時代を終わらせるには、男が必要なのだ白人黒人が手を取り合って黒人差別に立ち上がるように、男と女が共に協力する世界必要だ。

あの広告をつくったひとにはそのことから目をそらさないでいて欲しいと切に思う。

2019-01-14

温泉の女湯に小学校中学年ぐらいの男子がいた

お母さんとお祖母さんらしき人たちが、男の子を3人連れて女湯に入っていた。

幼児小学校低学年ぐらいの子中学年ぐらいの子

特に中学年ぐらいの子は少なくと見積もっても身長が140cmはあったと思う。

これぐらいの子なら、その下の子を連れて男湯に行ってほしいんだけど、これってこっちの我儘なの?

スタッフさんとかに言って注意してもらっていいものなの?

こんなに大きい子が女湯にいるのを見たのは初めてで本当にびっくりした。

部屋に帰って利用規約確認したけど、特に男湯女湯の利用に関する年齢制限はなかった。

2019-01-11

31歳女(顔はかわいい)の半端ない汚部屋

から片付けが苦手だ。

あなたの部屋はブタ小屋だと、父に言われ続けてた。その時の記憶(13歳ぐらい?)は特にない。別に困ってないもんねという感じだったのかも。

でもある日。祖母が珍しく部屋に突入してきた。理由は忘れた。

祖母は部屋の様子を見るなり泣き崩れた。

普通に育ててきたと思ったのに。」

そう言って泣いてた。

泣くのもビビるけどその発言の方がショックだよね。。。

時は過ぎ31歳のわたしの部屋は、かつてないほどに荒れていた。まず玄関DMが敷き詰められている。ドアについてる郵便受け限界を迎え放出されてしまったのだ。

仕方ないので踏みながら部屋に入る。

文字が書いてあるものを踏むと目が潰れる」

祖母に言われてたので若干びびりながら気持ちつま先歩きで通過。

ちょっとこんな感じで書いてると長くなりすぎるからやめよ。

ワンルームの部屋に入るとまさに足の踏み場も無い空間。お前は罪と罰か。ついでに煙草の空き箱も捨てちゃうぞ。

テーブルにはコンビニ弁当箱的なものが散乱。カップラーメンとか。汁の上に膜張りがち。

そこをかき分けてまたご飯を食べてるとですね、、、食べてるとですね!

コバエがどんどんご飯突入してきて全然食べれないんですよね。あれには驚いた。いまどき東南アジアでもこんなことないぞっていう。ちなみにゴキブリは8年間で3匹とかしか出なかった。何故だろう。

気が滅入ってきた。

診断済みのADHDなんですが、この汚部屋に関しては自分ADHD性質が爆発してるなと思う。つらい。

あと二次障害で鬱もあるから全てが億劫だるい。つらい。

汚い部屋でも人は死なないけど、自分は汚い部屋に住んでる人間だという気持ち簡単に人を殺す。

みたいな文章ツイッターで見かけたけど本当にその通りだと思う。出典気になる。教えてエロい人。

特にオチとかないんですけど、汚部屋は早めに立て直さないとかなりやばいことになるよっていう共有でした。せめて生ゴミは捨てような!増田との約束だぞ!

追記

エピソード一個書き忘れてた。

15年前ぐらいににちゃんねるで「藻前らの汚部屋を晒せ」みたいなスレッドを見つけた。仲間がたくさんいる!自分の部屋も投稿しよう!と思い、ワクワクしながら投稿した。

「これは病気

というコメントがついた。画面越しに他の投稿者も引いてるのが伝わってきたような気がした。

後にADHDの診断を受けるので、あのコメント真実だったと知ることになるのでした。

2019-01-09

anond:20190107214043

研修医として思うのは、増田よりコメ欄の「医者」「医療」への過大評価

初診外来医師にとって嫌というか難しいものだけど、1人に数時間かけられるわけじゃないし、病歴や身体所見上緊急性(命に直結するもの)や典型的な所見がないと判断できれば大した検査もしないし、対症療法的な処方して終わらせることも多い。

通常はそれで問題いからこそそれで済むわけだけど、中には症状が持続する人もいて、再度受診してきたとき改めて次の一手を考えるということもある。

初回の受診で全て済ませろや、というのが患者としての本音だろうけど、緊急性もなく非典型的な所見でいちいち採血してX線撮ってCT撮ってMRI撮って、、などとしていたら医療費が10倍あっても足りない。X線CT被曝するからメリットないと撮らないし。MRIは予約で埋まってるし。その他技師さんにやってもらう検査だって予約埋まってて入院患者だって2週間後まで施行できないとかままある。

おそらく医療費やマンパワー無限にあるとすれば即検査入院して数多の検査して必要情報集めて診断下すことは今よりはできるようになるとは思うけど、そもそも時間経過しないと重要な所見が取れないこともある。インフルエンザだって発症すぐに検査したって偽陰性になることが多いわけだし。

増田では整形外科槍玉に挙げられているけど、開業医レベルの無床診療所骨折等緊急性のある所見がなかったら、初回は痛み止めや湿布処方するのは当たり前だろうと思う。もちろん大病院救急外来に行っても同じことになる。半年も痛みが変わらない、という重要情報があればそれで改めて何が原因なんだろうね、となることもあるだろうけど、整形外科診療の幅(専門性)が高いし私は研修してないので実際どうなのかわかりません。

コメ欄で気になることにちょっと私なりの意見を。

id:tkomy ずっと同じ病院にいき、「腹痛」だといわれ続け、破裂寸前で「盲腸」だとわかり別の病院で緊急手術になった私が通りますよ。自分判断もヤブ医者判断も正解かはわからない。別の病院ちゃんと診てもらって。

急にお腹が痛くなる「急性腹症」は原因が色々ありすぎて診断が難しいものひとつ特に急性虫垂炎(いわゆる「盲腸」)は一見ありふれているけど診断は難しいし遅れると大変なことになるのでしんどい疾患ではある。私は、高齢者虫垂炎が進行して穿孔した汎発性腹膜炎を危うく見落とすところだった経験があります。。足が痛いとは言うけど全くお腹が痛いと言わないのでお腹のことは綺麗さっぱり鑑別から抜けていたというもの。炎症反応がやたら高値だったので原因検索のために撮ったCTで診断がつき、即緊急手術となりました。

id:FlowerLounge ウチの親とかパーキンソン病と診断されるまで数年かかったよ。何度も病院をかえて診察してもらった。

神経変性疾患の症状を来したので神経内科受診してすぐ診断がつく、というのはあまり考えられない。大学病院でも神経変性疾患疑いで紹介してもらって長々と検査してようやく、ということも多い。然るべきタイミングで然るべき専門機関受診する難しさもある。

id:abababababababa 平熱が35度の祖母微熱訴え続けてたけど、36度にしかなってないから『微熱とは言え一般的な体温なので』とあしらわれ続けつつも、病院を回った。その中去年亡くなった。肝臓ガン末期。最後医者は手遅れ、と。

お悔やみ申し上げます腫瘍熱は診断基準があるわけでもないし、36度の熱のみで癌を疑うのは相当に無理めだなあというのが正直なところ。。よく平熱は低いんで、と言われるけど発熱医学的には定義されていて、平熱をどこまで考慮できるかというとわからない。平熱の状態患者医者は見ていないわけだし。

id:naruoe 最初医者に処方されたクスリ飲んでも全く咳が止まらない上「飲んで即効く薬などこの世の中に存在しない」と諭されたが、耐え切れず別の医者に処方してもらったら、ピタリと咳が止まったことがある。

咳の原因が感染症ならば咳を止めることを目的としても意味がないし、咳を止めてくれ、という受診は割と困る。むしろピタリと咳を止める薬を処方した、という方がなんか怖い。。ちなみに最初医者と別の医者の処方薬は何でしたか?後学のために教えていただければ。

セカンドオピニオン

セカンドオピニオンは、一度診断がついたものについて、別の医師から再度診断を仰ぐ相談なので、この場合全く別物です。

増田へ。

慢性疼痛というのも医学的に対処が難しくて、麻酔科領域でも研究対象領域になっているくらい。

どうしても痛いならペインクリニックに行ってみるのもひとつの手ではある。非医療従事者が思うような「完全な完治」が望めるかはわからないけれど。

追記

AI

診断をするには必要情報を集めなければなりません。年齢、性別社会背景(職業も)、家族歴、既往歴、現病歴、陽性症状陰性症状身体所見などなど。必要に応じて、採血したり各種画像検査したり、と情報を得ていくわけですが、検査にも当然不確実性があり、偽陽性偽陰性なども多々あります身体所見上の各種徴候にも、感度が高いとか特異度が高いとか特性があって、100%の所見はありません。

症状があって受診しても、緊急性や顕著な所見でもない限り経過観察になることが多く、それを不満に思う方がAIを望むことがあるのだと思うのですが、必要情報を取らないことにはAIが鑑別を挙げることも不可能でしょう。初めに述べた通り、あらゆる訴えについてあらゆる所見を取ることに医療費的にもマンパワー的にもメリットがないし、不可能です。保険診療上では無理なので、むしろ患者の望む通りになんでも検査して診断しようとしてくれる自由診療機関必要なのかな、と思いました。

追記2

id:nannimonai そう初診で全てなんて無理。あなたも書いているが初回は経過観察と伝え「痛みが引かなかったらいらっしゃい」と伝えることが抜けている。それをコメ欄はヤブと言っている。

急性発症だが軽症の場合、突然のことで患者さんも不安になっていることも多い。なので当院では「対症療法的な処方なので痛みが強くなったりしたらまた受診してくださいor近くのクリニックを受診してください」と必ず伝えるように指導されている。それがないのは、それを言えないくら外来患者数が多い(疲弊している)のか、そもそもそういう指導を受けたことがないかのどちらかなんだろうなと。若い医師ほどそういう接遇力は向上していると周囲を見ていると感じるのだけどいずれ気にしなくなってしまうような気がしないでもない。。

id:zeromoon0クコメが気になった。

恥ずかしくなってきたので無難コメ欄修正しました。

追記3

id:narukami 風邪が元で咳が止まらなくなって何度も薬変えた挙句で出たユニコンが劇的に効いたんだけど同じ人を感染源として同時に風邪引いた別の友人は最初からユニコン処方されてたので咳が一発で止まった話「あるある」しか

風邪による咳にユニコン錠(一般名テオフリン徐放錠)を処方されたと。テオフリン気管支喘息COPD適応があり、咳を止めたり息苦しさを和らげたりします。テオフリン中毒になりやす血中濃度が少し高まるだけで不整脈やけいれんを来すリスクがある(特に小児)ため血中濃度モニタリング必要、というのは医師国家試験レベル知識なので、実際成人への内服薬投与ではそこまで気にしてないのかもしれませんが、どのみち感染による咳には本来適応はないので、研修医としてはなかなか恐ろしい話だと思ってしまます。。

id:AyanoIchijo 私も元増田、他の病院行こうぜって書いちゃったけど、同じとこにもう1回行ってもいいのかー。/でもまあ「なんかあの医者やだった」感があったなら、他のとこ行くのも手よね。

上で書き忘れたのですが、病院を変える最大のデメリットは、【初診時の所見がわからない】ことにあります最初受診時の情報がない、というだけで再び診断の難易度が上がります患者さんは初診時の医師がどういう意図でどういう治療方針を立てたのか十分に説明できないうえ、初診時の医師説明が不十分なことも多いので(外来では十分に説明して納得してもらう時間もない)、病院を変えたところで、新しい医師医学的に重要情報が伝わらず同じことが繰り返されることもあるでしょう。

エントリにぶら下げたけどただの怨嗟になった

関係ないがばあちゃんが死んだ時孫名義で貯めてた貯金遺書がないからと問答無用で親のもんになったわ。

貰った途端に韓国旅行やら温泉やらいきまくってんじゃねーよクズ

五十台まで親の年金から小遣い貰って子の養育費一切出さなかったクズが!

温厚で社交的な実の祖母に「アレは屑だから」って言われて生前に貯蓄があるからこれ使いなさいとわざわざ親不在の時に教えられたというか親がクズとか言われた表現出来ないショック!あと希望しかしばーちゃんあなたの子は、あなた想像の上ゆく屑でした。

嗚呼ばあちゃん死んじゃって悲しいよ、じいちゃんそっちはどうですか……?

あなたの息子は相変わらず運転手なのに酒飲んでますアル中じゃありませんと言いながら、絡み酒がひどいし定期的に飲んでるし飲んでない時は呆けてます

ばあちゃんじいちゃん、じい……会いたいよ。でもみんなぴんぴんコロリだったから今死んだらあの世で「クズの子クズ」って言われそうで悲しいから生きるよ。

anond:20190109124207

自分祖母を対比させて、わたしは良く出来た妻です、って言ってるようにみえるけど。

嫁が嫌がるって書き方もすごいなぁと。

おばあちゃん平穏に暮らせますように。

anond:20190109122028

言えると思う だって私両親より断然夫と一緒にいたい人間から

だってたぶんたとえ夫が海外赴任になってもついて行くよ もともと転勤族だったし

友人は環境違っても新しくできるしそのバイタリティがなくなったらそれこそ老人ホームとか入った方が人との触れ合いはあるでしょう

あと何度も言うが祖父母が今いるところは住み慣れたところじゃないんだ

祖父母が若かったころ過ごした住み慣れた場所祖父が帰りたいって言っているのを祖母が嫌がっているんだ

から捨てるものはないっていうか 祖母の友人とかもそっちにいるんだ

新婚?とか言われるかもしれないけど結婚してからは片手以上

anond:20190109112801

ちゃんと離縁する

でなくば妾持つ


からそれをせんかったって祖母ちゃんは自慢しとるわけやろが

anond:20190109111631

うちの祖母は「私が若い時に結核になっても爺さんは浮気しなかったのよ」って

晩年になってもよくのろけとして言ってたけど、

逆に言えば「妻が病気になれば夫は浮気して当然」な時代だったって事なんだよなあ

現代若い妻が「私が病気になっても浮気しない夫自慢」してたらこの人毒され過ぎだろと思うけど

ああ、姑にいびられて何度も逃げ出しては駅で捕まった(田舎から一つしかない駅行くしかないし電車も少ないから)

とかそういうありがちエピソード普通に聞いた。

anond:20190109101943

夫のお祖父さんが去年亡くなった時に、お祖母さんは涙ひとつ見せなかった。

親戚の女性がお祖母さんに、

「これで肩の荷がおりたね、よかったねぇ」

と泣きながら声をかけて、お祖母さんは

「(お祖父さんは)好き放題やって、言いたいだけ言って死んだんだ。もう十分だんべ」

って吐き捨てるように言っていた。

親戚が大勢集まってるところでそう言ったのには驚いたけど、お祖父さんの横暴さは私もよく知っていたから、まぁ、お祖父さんの自業自得だよな、と思った。

50年以上添い遂げた夫婦の末路

事情故郷から離れてしまった

祖父が後年は里に帰りたいっていうから

ケアの入ったマンション老人ホーム祖母と一緒に暮らすことを提案したら

祖母祖父と二人きりで暮らすのは嫌なんだって

自分の夫なのに

共白髪になるまで添い遂げてるのに嫌なんだって衝撃だった

昔の人だから見合い結婚してて

恋愛感情じゃないんだろうね

まさに生活の糧としての結婚

ずっと一人なのと

パートナーと割り切って結婚するのと

どっちが幸せなのか考えてしまうね

anond:20190109002757

いや、ケースワーカー医師に厳重に会うな、連絡先を教えるな、取り合うなと言われて縁は切ったよ。

ちゃん大人になって大人として俯瞰で両親を判断しようと思って連絡取ってたんだ。祖父祖母は好きだし、やっぱ兄弟仲間意識あったしね。

生保って三親等に一応あなたの親戚やばいです保護義務ありますけどどうしますかってハガキ出すんだけど全部(兄弟からも)返信なくてふっ切れたよね!

まあ、吹っ切れても体調が戻るわけでもないんで数年寝込んでるけど今年の正月急に家に来いとかいメール来てちょっと感情的になってたわ。元増田ごめん

ちなみに晦日に来いとか4年ぶりにメール来てキレてメールしたらちょっとだけ金送られてきてんのワロタ

住所知られてんのまじワロタ。これっぽっちじゃ手術代にも足りねーよ(ちな倒れたのはうつじゃなくて内臓系)

2019-01-08

傷痍軍人を見た話

昭和50年代の話。

幼い頃、祖母と買い物に行ったとき商店街入口に白い服を着たおじさんが座ってアコーディオンをひいていた。

おじさんの片足がなかった。

おじさんをじーっと見ている僕の目を祖母はすぐに手で覆い、すごい剣幕で

「見ちゃダメ!!!!」

と叱った。

いつも優しい祖母から初めて怒られたので驚いたのをおぼえている。

癖になるなよ酔っ払い

初めての匿名ブログ

新年一発目にどうしようもないものを書く。今自宅のトイレに籠もって新年会の遺恨をリバースしてる。

どうしてこんなことになったのか。何も恨むことはない。ただ己の愚かさを恨む。どうしてここに書き記すだけの知能をのこひしながらこんなにも新年会で飲んでしまったのだろう。

気がつくとベッドだった。

胸苦しさに襲われて洗面所に行った。何度吐いても報われない。一年に一度あるやつだ、呑み過ぎた。昔は眼鏡レンズをまるまる失ったが今年は失うものがなさそうだ。あるいは人としての尊厳んか。まだ垂れにも失礼がないことを祈る。

吐く。

よだれ以外ない。まるで昨年自分が何も残さなかったかのようだ。いっそ気持ちよく胃袋から嘔吐すればどれだけ気が楽か。

まわりには誰もいない。そうだ、一人だ。飲み会明けの嘔吐でしすってくれるパートナーがいるような幸せとは無縁だ。今後もない。叱っても、呆れられも、しない。これからもそう。

頑張って吐く。明日のために吐く。洗面台が詰まったらなんとかする。明日のことはわからない。これが社会人かと思うと泣ける。学生時代のみぅともなさを思って泣く。

もっとマシな大人になると思ってた。けれと何も変わらない。小さな大人は小さいみま。大きな子供は大きいまま。実家祖母がみっともないと笑うだろう。

なぜこんなに苦しいのか。酒の飲み方を忘れたからか。なぜこんなに苦しいのか。つまらない大人になったからか。何故こんなに苦しいのか。吐き方を忘れたからか。。



昔はこんなのメモ帳にすら残さなかったんだけどな。匿名はてなは悪い文化だ。初めて書いた。きみらも限界をこらえて洗面台で書くといい。もどしたとき投稿だ。

泣くしなにたい

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