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はてなキーワード: 忌避とは

2019-03-24

男性オタクに苛められてたこ絶対に忘れないから 追記

男性オタクってひとくくりにすると「俺なんもやってないもん!」な人が出てくると思う。

そうだね。でも傍観してたよね。

たしなめてる人見たことないよ。

もっともそんなことしても女認定されて取り合ってもらえなかったかな。

十年前のネット界隈は「男にあらずんば人にあらず」だった。

なに不自由なく伸び伸びできてた人達には私が感じた屈辱はわからないだろう。

美少女の乳揺れやロリエロネタは垂れ流されるのに、イケメンキャラへの称賛は罵られる。

書き込みが少しでも女っぽいと「女だろw」「くっさ」とまるでそれが悪いことかのように嘲られる。

美少女アニメが飽和してるなかで、ただ男キャラが二人並んでるだけの絵がでると「腐向けかよ」「女に媚びてる」「腐女子侵食された」と非難囂々。

少年漫画腐女子に駄目にされた! オタク文化は腐女子に駄目にされた! 女はなんでも男の後追い!って主張を真に受けて悲しくなってたけど、調べたらコミケは当初九割が女で、今もサークル側は女が多いらしいじゃん。

あと萌え絵って少女漫画の画風が元なんだってね。

後追いはどっちなんだか。

ニコニコ声優が映ってる動画があった。

男性声優が出てるときに「かっこいい」「かわいい」「○○さん」などのコメがあったが、「腐女子わきまえろ」「腐コメするな」と言われコメが減り謝罪する人もいた。

ところが女性声優が出たら「くぎゅゅゅゅゅゅゆう!」が画面を埋めつくし、誰も文句言わない。

唖然としたけどほかの動画でもいつもそんな感じだった。

個人サイトを漁ったりpixivゾーニングされてる作品を持ってきて笑い物にしたりもしてたよね。

BLだけじゃなくて女体化とか男体化とかのお遊びもキモイってこきおろしてたね。自分達がやってたクッパ姫とかは自画自賛してたのにね。

基本的に女は乙女ゲ好きだろうと腐女子だろうと攻撃されたけど、腐女子特に人間扱いされなかったから夢女子の人が「腐女子と一緒にしないで」って必死で言ってるのもよく見たな。

あと「この作品は確かに腐女子に人気があるけどあいつらイナゴから! ちゃんと熱い内容だから!」とか。

その一方で男オタクはどれだけ中身の薄い美少女アニメに熱狂しててもいいし、ロボットものなのにロボットそっちのけで女キャラの乳揺れに騒いでても文句言われない。

オタクアニメ映画試写会監督に「硬派な作品にしたかったのに女性がこんなに多いなんて残念」って言われたのに。

ずーっとずーっと理不尽な思いはしてきた。

直接男オタク粘着されたり痴漢されたりした人に比べたら私はまだ被害がないほうだけどね。

なんで同じオタクのはずなのに性別が違うだけでこんな馬鹿にされなくちゃいけないの?って悔しかった。

それでもオタク文化が好きだったし、最近は女がお金だすって起業がわかってきたからほんの少し扱いがましになった。

から普段はなんにも気にしてない顔でオタクやってる。

たださぁ、「男オタクは優しいのにモテない。女はわかってない」「腐女子他人事じゃないんだから表現規制に一緒に対抗しろ、仲間だろ?」とか言われると、「てめぇどの面下げて」って修羅の顔になっちゃうよね。

あいにく腐女子は隠れろ隠れろと言われ続けてきたのでゾーニングときでがたがた言う人の気持ちはわかりかねます

だって私、「原作好きな人捏造カプや18禁エロ見たら不快になるから隠そう」っていう腐女子界隈の理屈はまぁ納得してたもの

腹が立ったのは、男キャラ同士のハグ絵や笑いあってる絵、酷いときは男一人しか描かれてない絵に対し「腐向けキモイ」って大合唱する奴らと、そんなこと言っときながら美少女エロ絵はがんがん出してきて乳袋だのスジだのを喜んでる奴ら。

ダブスタも大概にしろや。

苛めてた方は覚えてないけど苛められてた方は覚えてるってよく言うよね。

君ら男性オタクは何故か自分迫害されてる立ち位置で言うけどね。

正直私がオタクになり始めた頃はもうオタクはそんな忌避される存在じゃなかったんだわ。

今となってはすっかり市民権を得てるのに相変わらず被害ぶって、そのくせ女への性器呼びも配慮なしエロ絵も女オタクミーハーっていう見下しも続けてる。

連帯なんて世迷いごとはクソみたいな界隈の風潮自浄してから言え。

そして二度とオタクは優しいなんて抜かすな。

>たしなめてきたわ の人

ありがとう

そりゃ中にはまともな人もいるよね。

できれば私もそういう人は傷つけたくない。

でもヤバい奴が多すぎてそれが当たり前の界隈になってるんだよ。

漫画家児童ボルノ所持で書類送検された時、ネタツイ大喜利ツイは万リツイートされてたけど苦言を呈した男性オタクツイートは300リツイートぐらいだった。

残念ながらまともな人は少数派だ。

>ネットオタクはなんでも攻撃する の人

そうだね。

大人しくしてるとつけあがるよね。

でも当時の腐女子は男同士でカップリングするのは悪いことだと思わされてたし、女がエロ扱うのは白い目で見られがち(さもなくば痴女扱いされがち)だから、後ろ暗い気持ちがあって反論できなかったんだろうね。女の方が外聞気にするし、自分が好きな作品自分のせいで貶されるの辛いし。

反撃すれば良かった?

かにね。男性オタクの好きな同人誌晒し馬鹿馬鹿しい誇張表現あげつらってクスクスやればよかったかもね。うわ全然楽しくなさそう。

理論的に反論? 「顔真っ赤w」「ま~ん」ってやられるのが落ちだよ。

ただまぁ私のように若い頃は悲しい思いを圧し殺してオタクやってたけど段々成長して「あれやっぱおかしかったよね!」ってなる女オタク一定数います

そういう人たちがツイッターとかで今変なことを指摘しているわけ。

フェミ系のアカウントアニメ絵アイコンにしてる人が多いのはそういうことだよ。

なーにが「フェミオタクを憎んでる」じゃ。こっちもバリバリオタク文句あるか。

2019-03-18

ピエールの件で忌避感が強すぎる人

自分が薬物にハマり兼ねないか

マウント取りたいだけ

・薬物依存人間迷惑を掛けられた経験があるから

のどれかにしか思えない。

anond:20190318144455

全く分からんやつ。

漫画版THE ORIGIN なら初代ガンダム全編を分かりやす再構成して描いている上、

君の言ってる赤い彗星の話も全部入っているか忌避感ないならお勧めだよ。

2019-03-13

anond:20190312215843

日本も嘘で医療施設設備を使わなくなったらクオリティ上がると思う

十分な供給を遊びに使う人が多くなるからダメになる

元を取ろうって精神で整備されてる備蓄無意味に消耗させようとするのは

妨害行為で消耗させるのと同じってわかってない

戦時軍事忌避し過ぎてそれは敵がする事だってからずに

善人づらしてお得なことだと勘違いしてる人が多い

2019-03-10

表現の自由戦士に肩入れしない理由について述べる

毎回フェミ晒しあげられる光景を見る度にモヤモヤする。ブコメだけではではいつも言いたい事が何も言えず、一度そのモヤモヤを雑ではあるが増田アウトプットしてみたいと思い、不慣れな長文を書いてみる。当方フェミに同情的な商業クリエイター、オタ男性

フェミの主張の大筋は要するにエッチものを世に溢れさせるなという主張だと何となく考えている。この問題は非常に議論しづらい難しさがある。例えばエッチものとはそもそも何なのか誰が決めるのかという切り口だけでも大変複雑な難問であり、それに対して「表現の自由侵害」「お気持ち押し付けるな」という反論だけでは有効カウンターになってないのではないかというのが俺の見解だ。後に詳しく説明するが、この問題において議論されるべきだと俺が考えているのは公共空間デザイン表現の自由バランスについてなのである。ところが当のフェミからもオタからもそのような議論がされている様子はほとんど見られず、見るも無残な中傷合戦に終始している。クリエイターからはそのような話が出る事が多々あるのだが、オタもフェミもこれらの問題に対して無関心を貫いていると言わざるをえない。ある意味で我々の価値観の過渡期であるにも関わらず、肝心の論点が置き去りになるその不毛な状況に対しての失望こそが俺が感じるモヤモヤの正体なのだ、とようやくこの文章を書きながら気づいた。

例えば近年、学校官公庁公園などといった公共空間に設置されている裸の少女の像や裸婦像の絵画などがフェミによって問題視されるケースがある。一見するとそれは荒唐無稽な主張かもしれない。しかし裸の女性というモチーフ西洋芸術文脈においては古くからの一大ジャンルではあるが、一方ではエッチモチーフでもあり、我々は単にそれをエッチものと捉えてはならないと繰り返し教育を受けてきただけに過ぎない。パブリックアート公共空間における彫刻や造形、絵画のあり方としては、すでにエッチものには疑義が生じているという状況と考えてもいいだろう。

言うまでもなく公共空間というものは幾多もの他者自分とが相互に関わりあう空間であり社会のものである。そのような場にエッチ創作物がさも当然のように鎮座する事が保証されるのが表現の自由というのはいささか暴論だ。他者と関わりあう場だからこそ公共空間における表現は常に綱渡り的なバランス取りを強いられる。仮に頭のおかしフェミによる病的なクレームであるにせよ、クリエイターは観客のリアクションを受け止めざるをえない。おそらく世の大抵のプロアマ含めたクリエイターはそれを十二分に自覚しているはずだ。つまり表現の自由公共空間社会という危うい綱渡り最初から常に晒されており、真なる表現の自由というのはそもそも幻想なのである。真なる表現の自由がもし完全に存在する空間があるとするなら、それは引き出しの中の鍵付き日記のような私的領域における創作という場において以外はありえず、フェミがそこまで創作行為批判しているようにはどうにも思えない。公共空間作品を送り出す以上、我々は常に公共空間にとってセーフかアウトかを社会に対して問いながら、あるいは喧嘩を売りながら生きていく他なく、現代においてエッチもの忌避されるならばそれは綱渡り判断材料の一つと捉える他ない。それは別に表現の自由侵害でも何でもない。元から創作活動というものはそういうものなのだ

そんな議論ができればいいなとは思うのだが、フェミもオタもそういう話には興味がないらしい。公共空間からこそ快不快という主観のぶつかり合いが大切なのに、一番のキモであるお気持ち」が軽視されている現状は何なんだろうな。

anond:20190310030651

自分紆余曲折あって偏見ないけど、偏見あった時代もあった。

人間は愛をヘテロ親と幼児自分というモデルから認識しはじめることになっている。

それだとふつうの「愛」が「性愛」を含みつつもっと大きいものであるということがなかなか理解できないので

「親がちんぽとまんこをべちょべちょにしたいやらしいセックスして自分を生んだのだ」という概念さえなかなか受け入れない。

親が自分を生んだ行為、あるいは性犯罪など合法でない行為への警戒を知るのと、

ほぼ同時期に、同性愛という概念も知ることになるので、

同性愛」もねちょねちょしたいやらしいものみえしまうんだろう。

(つまり、悪い方からさきに知ったら良いはずのものも悪いものと同一の箱に分類されてしまう。

人間の脳はそういうふうにしくまれていて、なかなか訂正がかなわない。

そういう意味でも性犯罪は罪深い。訂正できないことで苦しむ本人によって魂の殺人形容されることもあるほどだ。)

そして「同性愛」のなかにはそういうお行儀の悪い同性愛者(もっぱらねちょねちょしていたくて同性愛している)もいる。

もちろんヘテロにもそういう体をつかった愉悦スポーツ感覚セックスばかりして愛はそっちのけのタイプがいる。

人間社会参加とか愛への認識アセクシャルから始まるんで

そこから対極にあるゲーム感覚セックス教育の都合上忌避されてきた。

そうなれば両者の中間にある成熟した愛までも忌避されてしまう部分が今の時代まで残っていても多少ならばしょうがない。

愛の営みへの理解解像度を挙げていく人生けが人生だけでないのでアセクシャルで死んでもいいんだと周知されるまでは。

  

あなたたちが少子化でもプライバシーにくちばしはさまれたくないでしょ。

少子化からもっと腰を振れなどといわずほっとくんだから

私たちのこともほっといて、というしかないです。

2019-03-08

anond:20190308233637

おまんこついでだけど、女の子たちって、お互いに性器の話をせざるをえない状況下で「私のおまんこが〜」と言及するのかな。

男の子が「ちんこ」「ちんぽ」と言及する際には特段の忌避感はないのに対し、「おまんこ」は御が付く割には全くいやらしさを隠せてないよね。

かといって「私の性器が〜」と言及するのもフォーマルすぎるし。

「まんぽ」みたいなニュートラルなやつが求められていると思う。

2019-03-07

私は別に紙の本でもいいです

「俺にとっては」と言うなら否定はしないので電子書籍を選び続ければよろしいのでは?

一般論としてならメリットとされるそれらよりも消失するリスク忌避されているだけの話でしょう。

挙げられているメリットにしても業者宣伝文句鵜呑みにしたような印象ですね。

「どれだけ紛失しても」と言われても紙の本を紛失するようなことはそうそうないのでは?

場所をとらない」や「常に持ち歩ける」などと言われても「だからどうした?」以上の話にはなりませんし。

本気で電子書籍を推進したいなら、どうしてそれらがメリットになるのかまで説明すべきでしょう。

説明不足なんですよ。

2019-03-05

小学生の時、休み時間に描いた絵を黒板に貼り出されて、それをみんなに笑われた。

家に遊びに来た友達が、ゴミ箱に捨てた紙をわざわざ取り出して、そこに描いてあった私のイラストを笑った。

中学生の時は、パソコンタイピングが早い事を、クラスメイトによくからかわれた。

漫画アニメが好きで、パソコンが早くからわりと得意だったという事により、受けた扱いや、苦い思い出が、他にもいくつかある。

田舎からかもしれないが、私の子供の頃はまだ、いわゆるオタ趣味は恥ずべき事、という空気プレッシャーがあった。

私はあんなに大好きだったアニメ漫画が苦手になって、だんだん関わらなくなった。

大人になった今でも見る事はなく、むしろ嫌悪感を持っている。

でも、パソコンなんて今は当たり前だし、みんな持っていて、使っている。

高校生大学生になると、漫画オタクアニメオタク自称する、非オタクだと認識していた人たちが現れはじめた。

現在、つながっている同級生たちのSNSでは、アニメアイコンだったり、私を笑っていた人がプロフィールに「アニメを3000話見るのが目標」と書いてある。

偏見差別がなくなり、大衆に受け入れられているというのは、つらい扱いを受けた側として、喜ぶべきかもしれない。

でも私は、昔私をからかっていたサイドの人たちが、今は平気でそれらを楽しんでいるという状況が嫌いだ。

むかつくとか、もやもやするというより、嫌い。

自分勝手な思いなんだろうし、今でも子供時代を引きずって根に持っているのはおかしいんだろう。

対象アニメ漫画じゃなくとも、子どもは何かにつけて色んなものからかいいじめは起こる。

趣味に自信を持たず諦めたのは、他でもない私自身だ。

そして私は、オタクじゃなくなったからといって、勉強スポーツコミュニケーションに重きを置いたわけでもなく、これといって得意なものが一切ない平凡以下の人間となった。

同じくからかわれていたイラスト好きな女の子は、それを貫き、美大へ進み、イラストレーターになっている。

私もあのとき、絵を描くことを辞めなければ良かった…という後悔が、最近よく襲ってくる。

クラスメイトたちは、なんの忌避もなく、私をいじめ理由にしていたものを楽しんで生きている。

私は今でも、漫画アニメの類を目にすると、嫌な思い出ばかりが過ぎる。

2019-03-02

anond:20190302030750

ジジイ社会から頑なで孤立してる

ところからハイジのおかげで心を開いてく

ハイジが都会に引っ越し名家の家で作法近代教育を受けて鬱病みたいになる→山に戻って元気になる

やっぱり自然が一番

でも読書したり勉強は続けるよ

クララの足が良くなってくるが、クララは立てそうになってくるのに立つことを恐れて忌避的な行動をとるも、周りの支援で遂に立つ

ハイジドラマ的なビッグファクターはこの辺だな

2019-03-01

anond:20190301090341

世界自分の思う「善き」方向に変わっていって欲しい、ぐらいまで抽象化するときっかけの気持ちとしては誰でもそうだよといえるぐらいに穏当なのにね

社会が共有してる手続きや仕組みに乗っからずにダイレクトアタックしようとするから忌避される

2019-02-19

プライドと100円、どちらを取るか

松屋でPayPayキャンペーンが始まるらしい

20%還元なので、おれの食ってる牛丼大盛り500円は400円になる

おれはPayPayをやっていない

還元を受けるためにはこれまで忌避していたPayPayを始めなければならない

100円のためにおれは自分を曲げられるのか

2019-02-16

百合ジャンル歴史現在 前

 本稿では、BL/やおいと比べ論じられることの少なかった「GL/百合ジャンル確立歴史と、その現状について考察する。

 はじめに、「百合」というマンガアニメにおけるジャンルを示す言葉概要説明する。「百合」とは主に、女性同士の恋愛と、それに満たない関係性も含めて描いた作品ジャンルを指す。川崎によれば、定説として語源ゲイ雑誌薔薇族」に由来する。男性同性愛を指す「薔薇族」と対になるよう、女性同性愛者を「百合族」と呼称した「百合族の部屋」というコーナーが1976年から不定期連載されるようになったのが始まりであるとされる(川崎2014:44)。当時はレズビアンを指す用語だったが、徐々にサブカルチャーに輸入され女性同性愛を扱った作品群を呼称する言葉に変化していった。

 まず、日本での「百合」のマンガジャンルとしての成立について述べる。そもそも大正ごろの日本においてマンガとしての形態以外で女性同性愛テーマにした創作物としては、性描写過激男性向けポルノか、少女向けの小説に二分されていた。特に女学生同士の姉妹関係エス」をテーマにした少女小説金字塔として、「花物語」(1925)などが代表される。しかし、大正時代少女文化として流行した「エス」の概念現代の「百合概念とは違い、上田は「自覚的女性を愛することを選択したというよりは、良妻賢母になるための安全なる予行演習という側面もあった」と述べている。(上田 2014:192)

マンガが発展し、女性同士の関係性を主題とした最も初期の連載作品1970年代ごろから山岸涼子「白い部屋のふたり」(1971)、池田理代子おにいさまへ…」(1974)、「ベルサイユのばら」(1972-73)のオスカルロザリーなどにみられはじめる。これらは、「24年組」に代表される少年愛テーマとしたマンガと同時発生的に少女マンガ誌に掲載されたものだ。藤本は、このころの百合マンガの大きな特徴として

 ①対照的な二人の容姿(中性的・くっきりとした美人可憐少女イメージ)

 ②演劇モチーフ(宝塚歌劇の影響)

 ③悲劇的なストーリー(少年愛を扱う作品対照的同性愛による葛藤描写)

を挙げている(藤本 2014:101)。これらの特徴は、1970年代女性の抱えていた抑圧感を反映していたものなのではないかと考えられる。女性作家による「少年愛」が現実の抑圧から解放として、性的未分化存在(少女)の何物にも縛られない感情の動きを描写したものなら、このころの「少女愛」はそれと対照的に、抑圧からの逃避としての悲劇的な結末が設定されることが多かったのではないだろうか。表現手法舞台設定は耽美幻想的でありながらも、当時の日本での女性のおかれる立場に忠実な閉塞感が描写されたものだと考えられる。また、この時代百合マンガ少年愛ほどの大きなムーブメントには発展せず、作品数も多くはなかったため、自然消滅的に衰退していった。

 しかし、1990年代同人誌文化の発達に伴い、百合ジャンルも急速にその勢いを復活させる。

まず、「美少女戦士セーラームーン」(1992-97)によって、女児向けマンガにおける戦う美少女という概念ジェンダー論的な観点においての大きな転換点となる。異性愛的な要素が物語の中心に関与していたにもかかわらず、同人イベントではセーラー戦士同士のカップリングを描いた作品が爆発的なブームとなった。その理由として考えられるのは、消費される客体としてではなく主体としての戦う美少女像が確立されたことではないだろうか。これにより、百合的な描写70年代における悲劇的な結末に向かう物語ではなく、少女が二人で主体的に幸せを獲得していく過程が重視されるようになっていったと推測できる。

そして、物語の中の関係から百合文脈を汲み取っていた時代から、前提として百合のもの主題においた作品も増加していく。代表的なものとして、「少女革命ウテナ」(1996-98)がある。この作品は、古典的少女マンガシンデレラストーリーを基盤に「王子様」と「お姫様」を少女同士に置き換えてなぞりつつ、70年代百合作品に見られた演劇的なモチーフや学園モノ、男装美少女といった設定を取り入れ、また絵柄としても耽美で繊細なものであったが、これらは意図して行われたパロディ化された演出だった。ストーリーの結末も、最終的には二人が離れ離れになる点は悲劇的にも取れるが、その後ヒロインたちの再会が示唆されている。アライによると、「王子様」と「お姫様」が結ばれてハッピーエンド、という構造少女同士で反復するだけではなく、最終的にヒロインたちは「王子様」と「お姫様構造破壊し、自身覚醒させ歩き出すことで、社会的女性規範を打ち砕くことができるのだ。(アライ 2015:57)それこそが「世界革命する力」であり、この結末によって投げかけられたのは、異性愛規範や家父長制へのアンチテーゼと、黒人女性解放運動日本女性ウーマンリブ運動などの背景を踏まえた社会的メッセージだった。

これらの2作品によって、社会的な動きと呼応した百合マンガの潮流が形作られはじめる。「セーラームーン」も「ウテナ」も少女マンガ誌に掲載されており、本来ターゲット層は10代の少女対象にしていたと考えられるが、ここでのプラトニック少女たちの絆がオタク層にも受け入れられ、恋愛的な文脈解釈した成年層による二次創作が爆発的に流行する。これと同時に一次創作オリジナル同人誌においても、「百合」という概念が定着しはじめ、少女同士の恋愛主題にした作品がみられるようになる。

 そして2000年代に入ると、マンガジャンルとしての百合を専門に掲載した「百合姉妹」(2003-2005)が発刊される。その後、「コミック百合姫」(2005-)に統合され、現在刊行中。専門誌の発刊は大きなジャンルの発達の手掛かりとなり、この雑誌に連載されていた作品アニメ化や二次創作流行によって、「百合」というジャンルがはっきりと定義されはじめ、広く認知されるようになっていく。しかし、その定義に関して「男性が主要人物として登場し、恋愛関係に介入する」「性的関係が生じた場合百合ではなくポルノ」などといったさまざまな議論が巻き起こったのもこの時期である

また同時期に、「神無月の巫女」(2004-05)や「舞-HIME-」(2004-05)などの少年誌で連載される百合作品が登場する。これらの作品は、少女マンガ作品よりも直接的な同性間の恋愛としての描写性的表現が強く押し出されていた。ここから現代男性向けと女性向けの要素を同時に内包した現代百合マンガ形態確立しはじめたといえる。2007年には、前述した「コミック百合姫」の姉妹紙として一迅社からコミック百合姫S」と「コミック百合姫Wildrose」が発刊。「S」は本誌よりソフトで繊細な関係性の百合を扱い、なもりゆるゆり」(2008-)が代表するような「日常系百合」の流れを作った。一方「Wildrose」は、それまで成人向けポルノとしての過度な性描写忌避されがちだった(厳密な定義での「百合」ではないとされる議論があった)当時の風潮の中、直接的な性描写掲載した作品を扱う専門誌として独立した挑戦的な試みだった。

 ここで、2008年に行われた「コミック百合姫」の読者アンケートを参照してみる。2008年7月号時点の『コミック百合姫』読者の男女比は男性27%、女性73%であるのに対し、『コミック百合姫S』の方は男性62%、女性38%となっている。つまり現在統合された「コミック百合姫」の購買層は、この男女比を単純に平均すると男女差はほぼ半々で、やや女性読者のほうが多いということになる。ここでは百合マンガの購読層を性別と消費の形態に4つに分類して考察した。

①「傍観」型女性

 女性購読層において基本的には、社会的比率を前提にすると異性愛女性のほうが多いと考えられる。彼女たちは少女同士の関係性に、「現実における異性愛ジェンダーロールによる苦痛から隔絶された「非現実的な同性間による越境快楽」を心の拠り所として愛好するのではないだろうか。なおこれについては、やおいBL ジャンルを愛好する女性においてもほぼ同じ理論適用できる層が存在すると思われる。

②「投影」型女性

 百合というジャンル性質上、他の恋愛形態をメインとしたジャンルよりもレズビアンバイセクシャルを自認する女性が購読層に多い傾向にあることは考慮するべきである彼女たちは、異性愛女性が「少女マンガにおけるロマンティクラブ」を夢見るのと同じように、自身性的指向に一致した自己投影先として「百合マンガにおけるロマンティクラブ」を享受していると考えられる。

③「傍観」型男性

 百合自分投影先の存在しないストーリーを消費するものとして受け取っている購買層。①「傍観」型女性とほぼ同じ論拠が適用できると考えられる。

④「投影」型男性

 百合マンガ登場人物自己投影する男性は、ジェンダーロールから解放と、女性との恋愛の疑似体験を同時に達成できる。この購読層の性的指向に関しては、社会的比率として異性愛男性が多いと思われるが、異性愛コンテンツNL)ではなく百合GL)を愛好する彼らに関しては、③「傍観」型男性よりさらに複雑な感情ルーツを持っていると考えられる。また、TS願望を持つ男性MtFとは区別する)や、同性愛男性共感を持って少女同士の関係性を愛好する例も、この枠にひとまず収めることとする。

⑤「乱入」型男性

 特に男性向けの性的描写の含まれ百合マンガ等においては、その世界の中に没入し登場人物の中に「混ざりたい」という観点で消費する層も存在する。これは上記の4つの例と異なり、少女同士の関係性ではなく「(男を知らない、穢れのない存在として描写される)レズビアンである少女を自らの男性性によって屈服させたい」というマウンティングによる性的欲望や、男性主人公やその代わりとなる女性キャラクター存在しない「ハーレムもの」といった受け止め方に由来するものと思われる。ただし、これらの男性百合ジャンルファンから忌避される傾向にあり、特に近年の百合主題とした作品においては減少している。

これらのファンがそれぞれ百合というジャンル定義について議論を重ね、各需要を満たすような創作物制作していったことにより、百合ジャンルが発展していった時期だった。

次に、2010年代百合文化を振り返る。このころに代表的な作品として挙げられるのはテレビアニメ魔法少女まどか☆マギカ」(2011)だろう。この作品は、「セーラームーン」にルーツもつ戦闘美少女系譜を受け継ぎながら、現代調に前提として百合意識して構成された作品ひとつで、魔法少女同士のカップリングを扱う二次創作が爆発的に流行した。

 また、少女マンガ誌において百合を扱った作品が満を持して再び登場する。70年代以降、異性間のラブストーリー(NL)に偏っていた少女誌において約30年ぶりに百合が復活した形で、「野ばらの森の乙女たち」(2011)や「ブルーフレンド」(2010―2011)が連載された。これらの作品は、少女漫画特有の筆致でありながらも明確な少女同士の恋愛関係としての描写があり、また両作品とも70年代のような悲劇的なラストを迎えることはない。少女向けの要素として、学園設定や疑似姉妹などの設定は残されているものの、これらは批判的なパロディというよりも前時代少女誌における百合作品に対する敬意からくるオマージュ解釈するほうがふさわしいだろう。これは近年において少年誌よりもジェンダーロールの強固だった少女誌界隈に百合ジャンルブームの波及がみられた、極めて注目すべき例である

<続きと参考文献リストこちら>

https://anond.hatelabo.jp/20190216025236

関係性を志向するファンダムのこれから 前

 本稿では、現在の「ファンオタク」が「関係性消費」を志向するようになってきているという事象を踏まえ、その内部の「男オタク」と「女オタク」のジェンダー格差や、関係性消費の今後について多角的視点から分析を試みる。なお、本稿においての「オタク」は、二次元三次元を問わずある作品概念グループなどを愛好すると自認している人々のことを指すポジティブ言葉として用いる。拡散多様化するオタク文化は2次元と3次元の壁を超え、全体像画一的に語るのはほぼ不可能なため、ジャンルジェンダーに関する詳細については各部で詳細を補完したい。

1【現代オタクデータベース消費から脱却する】

日常系が売れるのは「関係性」を読み取れるから

 「日常系」は広大なオタク市場の中でもかなりの割合を占める作品群だ。基本的には複数女性キャラ日常生活描写した4コマ漫画が多く、それを原作としたアニメ2010年代以降各クールに2~3本は放映されている。基本的ドラマティックで壮大な展開や激しい戦闘を行わない、いわば反「セカイ系カルチャーともいえるだろう。源流としては美水かがみらき☆すた」(2004)や、なもりゆるゆり」(2008)などが代表的ものとして挙げられるだろう。00年代初頭から現代まで増加傾向にある「日常系」は、現在も各メディアで売れ続けている。この背景には、やはり弛緩した日常風景の一瞬・ごく短いセリフや1コマのシーンの行間を読む関係性消費への志向への高まりが一因であると思われる。日常系の「物語性のなさ」は、逆に巨大な「行間」を生み出し、そこにオタクが各々関係性や物語想像して消費することができるからなのではないだろうか。

・「行間を読む」相関図消費の“複雑さ”への萌え

 関係性消費について、2,5次元舞台での「リアリティ担保に参加しつつ、舞台裏も消費するファン」や、「タカラジェンヌの四層構造」(東 2015:96-98)*1 で取り上げられた「各レイヤーを横断し、その要素を複雑に融合させながら関係性を消費するファン」は非常に興味深い。これに似た位相にあるコンテンツに、「バーチャルYouTuber」が存在する。「バーチャルYouTuber」とは、2D3D二次元アバター現実の肉体の動きとシンクロトラッキング)させ、そのキャラとしてゲーム実況雑談配信などを行う人々の事を指す。そもそもYouTuber」の動画には前提とされる物語世界観はなく、その動画単体でも楽しめることが前提とされており、多くのバーチャルYouTuberも同じく、上記の「日常系」にも通ずる他愛もない放送を行っている。しかしここにおいて重要なのは、「日常系」を「実在人物が演じる」ことがコンテンツとして確立し、今流行していることである難波優輝は「Vtuberの鑑賞の構成要素は、パーソン、ペルソナキャラクタという三つの身体に分けられる。そして、ペルソナキャラクタ画像がつねに重ね合わせられ、かつ、パーソン/キャラクタとペルソナの層がそのつど関係づけられながら、装われるペルソナが鑑賞者の鑑賞の対象になっている」(難波 18:121)*2 と論じ、これを「Vtuberの三層構造」と名付けている。

そしてバーチャルYouTuberは、電子の肉体によって軽々と他のバーチャルYouTuberとの関係性を構築する。コラボ放送などでみられる仲睦まじい様子を、鑑賞者は「Vtuberの三層構造」を横断し、「彼/彼女らのパーソンのレイヤーでの関係性」が見え隠れする片鱗をSNS動画において意識しながら鑑賞しているのである。また、バーチャルYouTuber側も当然「パーソンを消費される」ことに対する意識を持っているため、現実世界でパーソン同士が実際に会い、その時食べた飲食物画像投稿する、それに対して「パーソン・レイヤーにおいても継続される強い関係性」を読み取れるようになる、といった事象もあった。これはまさにタカラジェンヌの四層構造における「芸名存在」におけるパフォーマンスと相似であり、その表象が3DCGやVR機器の発達によりさらに「オタク」向けに変化(美少女美少年だけに限らず多様化)したものではないだろうか。「日常系」と「関係性消費」の拡張であり、またジェンダー次元の攪乱への大きな手掛かりとなるムーブメントだと考えられる。

まり、「実在人物が裏に存在するという事実に裏打ちされた生々しい日常系関係性」が、液晶内のキャラクタバター動画配信という形態の手軽さにより、オタク関係性消費への志向次元を超えてさらに加速していくと予想できる。

2【やおい文化百合文化から読み解くオタクジェンダー格差

関係性消費における性別によるジャンル分け(女性向け/男性向け)の無意味

 前章で関係性消費への志向さら高まると予想したが、本章ではオタクジェンダー格差について女性向けジャンル男性向けジャンルという分類の持つ意味合いやその内部の消費形態差異があるのだろうか。

もちろんHL(異性愛文化を扱う少女マンガ少年マンガにおいても恋愛友情ライバルなどの相関図は存在するが、メインとなるカップル男女の恋愛関係がメインに据えられることが多い。一方BLGL文化ではそれ以外の登場人物関係性をより深く読み込み二次創作に落とし込む、あるいは理想の相関図を一次創作で描き出す。今後どんどん規模を増していくであろう関係性消費においては、性別によるジャンル分け(女性向け/男性向け)は無意味になっていくのではないだろうか。しかしここではあえて、わざわざラベリングされている「腐女子」と「百合男子」という言葉意味合いについて掘り下げ、BLGL同性愛ファン文化それぞれの特徴から考察してみたい。

・「腐女子特有の親密さ

女性オタク人文学社会学研究に関しては、特に腐女子論」か「ジェンダー論」による先行研究が数多くある。その中でも数多く散見されるのは、「主体的女性性的欲望解放」といった視座からの言説であった。特に腐女子論」と「ジェンダー論」を組み合わせた言説では、「自らの女性身体が侵されない安全領域において、性的表象を消費するためにやおい文化は発達した」といったもの存在する。しかし、現在においてこれらの言説に私は違和感を感じる。勿論そういった側面も確かに存在する(した)と思うが、現在日本混沌としたオタクカルチャーの中で女性オタクの中から腐女子だけを切り取って上記のように論じるのは既にごく限られた一部の事例においてしか適用されない理論であるように思う。

 今あえて「腐女子」を論ずるならば、私は「腐女子同士の関係性」に目を向けたい。腐女子であることによる世間からマイナスイメージ払拭しようとしたり、イベントSNSでの趣味スラングの共有による特殊連帯が、このコミュニティでは無数に形成されている。やおいコミュニティ特殊性について東は、「やおいを好む女性たちは、一様に異性愛から疎外されているわけでも、異性愛を拒絶しているわけでも、異性愛を欲しているわけでもない。彼女たちはただ、異性愛排除したところで成り立つ、女同士のホモソーシャルな絆がもたらす快楽を求めているのである。」(東 2015:236)と述べている。さらに、腐女子は扱う創作物特性セクシャルマイノリティに対する理解が深く、またホモソーシャルな絆から発展し、腐女子同士が交際していることなどもよく小耳に挟む。シスターフッドレズビアン連続体、ホモソーシャル関係性を含んだ腐女子コミュニティは、作品上においても現実世界においても強い「関係性」を追い求めている集団なのではないだろうか。

・「百合男子」はなぜ流行らなかったのか

 では次に、GLを愛好する男性オタクについて考察してみたい。残念ながら、男性オタクの先行研究は数多くとも、その内容は美少女キャラクタへの欲望コミケでのゆるやかなホモソーシャル交流などになり、「百合男子」単体にスポットライトを当てたものは見つけられなかった。なぜなら、GLというコンテンツ受け手ジェンダーによって大きくそ意味合いが変化してしま場合があるからである。そして男性GL愛好者は、「美少女キャラクタへの性的な消費」という使い古された言説の中に含まれ見えなかった存在であり、その消費の仕方は齊藤によって「腐女子との比較でいえば、男性おたくの『萌え』にとっては、関係性のプライオリティはそれほど高くない」(齊藤 2009:154)*3 と評されていたのだ。よって、ネット上でGLを愛好するファンは「百合厨」「百合豚」などと呼称され、その性別限定されていない。これはGLというジャンル男性けが消費することに対することが上記齊藤の言説のような文脈を帯びてしまうことに対する対策と、実際にファンの男女比がほぼ半々であるため、両方の理由によるものと思われる。逆説的に考えれば、「腐女子」という呼称流行ったのはBLというジャンル女性が消費することを蔑視されることに対するアンチテーゼとして、BLファン当事者たちが自らをそう名乗ったことに起原するのではないかとも考えられる。

 また、百合コミュニティにおける異性愛忌避姿勢は、腐女子コミュニティのそれに比べてはるかに厳格なものに感じられる。先に述べた「男性による女性キャラクタの性的消費」とは違うことを宣言するために「百合男子/厨」を名乗った男性オタクたちは、腐女子のようにホモソーシャルな絆を構築することはなく、二次元三次元を問わずして異性愛的な欲望を抑圧されるようになった。この構造腐女子ジェンダー論に見られた主体的な性消費の解放とは真逆の道を辿っており、非常に面白い点だと思っている。

関係性消費によるジェンダー越境可能

 こうして述べてきたように、同性愛コンテンツファン構造は非常に複雑で特殊ルールの基に成立している。しかし、上記性的欲望を抑圧される百合男子に関しては、百合というジャンルの男女比がほぼ同じであることに大きく由来するだろう。つまり、「同性愛コンテンツを扱うにあたり、そのファン異性愛忌避しなければいけない」といった暗黙の了解のようなものオタクの中で存在しているということである。これに関しては、創作物消費者セクシャリティは隔絶して考えるべきであるという立場をとりたい。そして、特殊連帯プラスにもマイナスにもなり得るBLファン界隈と、ジェンダー問題に揺れるGLファン界隈は、第一章で述べたバーチャルYouTuber関係性消費をモデルとして再構築されつつあると考えている。バーチャルYouTuber関係性消費は、非常に複雑なジェンダー攪乱が日常的に行われている。パーソンがシス男性ペルソナシス女性キャラクタがシス女性キャラ同士の「絡み」は、GLともBLともタグ付けをすることが難しい議論になってくる。しかし、その関係性に惹かれるファンキャラクタとパーソンのジェンダーを軽々と越境し、その複雑な「関係性」を消費することができるようになるのである。これに似た現象アニメ漫画においても進んできており、創作物受け手ジェンダー必要以上にファンを語るうえで関係づけられることも少なくなっていくのではないだろうか。

【続きと参考文献リスト

https://anond.hatelabo.jp/20190216024058

2019-02-13

anond:20190213143753

地方公務員一般的意味でのリストラが発生するような自体まで想定するなら、

とはいえ中央官庁その他への出向という形での転勤が発生する可能性も考慮すべきでは……?

あと、地方公務員とはいえ職員は県全体だから結構範囲広くて忌避する人も多いと聞くし

2019-02-06

anond:20190206134448

保守がそういうのを嫌う理由が全く分からん

ピルの普及阻止したがるのもだけど

もはや宗教なんだろうか

合理的理由なんかないんだろうか

海外でも性教育忌避したり純潔教育したがるのって宗教右派だし

しかキリスト教しろイスラム教しろ神道しろ宗教って何でそっち系になるんだろう

なぜVtuberオリキャラなりきり動画投稿者流行ったのか昨日まで分からなかった

まず断っておくと、自分はめちゃくちゃVtuberという存在が嫌いだ。

中身おじさんなのを知りながら男が(同性愛としてではなく)ガチ恋だとかエロいだとかと言っているのを見ると身の毛もよだつ思いだったし、いわゆる普通の生身のYoutuber小馬鹿にしてたくらいの層の人間が、Vtuberのことは嬉々として喋るようになったのを嫌と言うほど見てもやっとした気分になっていた。

いくつか有名どころの動画を見たことあるけど、結局普通Youtuberと内容に大きく差があるわけでなし、むしろ内輪感みたいなのがより強いように感じて、中身がないだの信者気持ち悪いだの生身のYoutuberに浴びせられていた批判は、こっちにも浴びせられてしかるべきなんじゃないかとずっと感じていた。言葉を選ばなければ、結局こいつら絵が付いてないとブヒれなくて、自分ブヒれないのに世間話題になるコンテンツは無条件で叩くってだけだったんだな―と思ってた。

けど、今はすっかり下火とはいえVtuberアンチ自分から見ても相当流行りに流行った。評判がよろしくないらしいけどアニメが今やって(もうやってない?まだやってる?)たり、NHKニュースにまで出るようになっているらしい。テレビで取り上げられたのは近未来感があって面白い試みだから…とかいろいろ理由があるにせよ、オタク趣味持ってる人間Vtuberのこと全く知らないというのは、深夜アニメを一切見ない人種と同じくらい少数派になっているように感じた。

自分萌え系のコンテンツ積極的にハマりに行くタイプではなかったが、オタク趣味全般はある程度知識の「守備範囲」に入っているというつもりで、自分気持ちと一致するかは別としてmその辺のジャンルの何が受けているのか、ファンはどういう気持ちでそれを見ているのかをある程度理解できるつもりだった。

からこそ、ここまで自分にとって受け入れられない、楽しんでるヤツの神経がわからないコンテンツ自分守備範囲から世の中に肯定的に取り上げられていくというのは個人的に初めての経験で、ハンドル含め名前の出るところでは「詳しくないけど面白そうと思っている」くらいのスタンスを演じつつ、匿名掲示板死ぬほどくさしたりしていた。(増田には書いてなかった)

ただけっこう過激派アンチだと思う自分でも、Vtuberのみんながみんなを毛嫌いしているわけではなく、どうやら自分の中に「これはまあ許せる」という基準があるようだった。一言でいえば、「自分知識技能を発信するときに、生身とか解説動画でやるより多くの人に見てもらえそうだから」という感じでVtuber活動をしている人たちには、あまり嫌悪感がないのだ。○○〇〇学という素人にはちょっと気乗りしたい分野の知識シリーズ動画で話しているVtuberを知っているが、この人は中身はおそらくおじさん(たぶん学者さん?)で、お嬢様風の萌え萌え女の子アバターを使って活動しているのだけれど、これは自分勝手基準の中で「許せる」。

逆に中身とアバター性別属性が一致している(若い女の子が中身の人とか、アバター別にイケメンでもない男だったりとか)としても、自分は大半に対してさぶいぼが出るほどの嫌悪感を抱く。女体化だのおじさんがかわいい女の子の振りをすることだのに抵抗があるわけではないということだ。じゃあ自分Vtuberの何が嫌いなのかというのをこっから吐き出すとともに、「でも、お前らだってそうだったはずじゃん!」と駄々をこねたいというのがこの投稿の主な目的だ。

一言でいうと、つまり自分は、「キャラなりきり」というものものすごく気持ち悪く感じるのだ。

基本的Vtuber自作キャラになりきって、そのキャラを演じて動画を作るから、ここが嫌いではそりゃ大半はどうしようもない。そもそも自分には絶望的に合わないコンテンツだったのだ、と自己分析としてはすんなり納得がいっているのだが、その中でも「許せる/許せない」が出るのはどういうわけか。

これは、「許せる」側の投稿者は、キャラなりきりをあくま情報発信のための都合がいい手段としてとらえている(ように自分には見える)ということが要因なのだと思う。町おこしのためにゆキャラが考えられ、中の人着ぐるみになりきって活動していたとしても全く嫌悪感はないわけで、Vtuberの中でもそちら側のタイプっぽい人は全然許せる、という心情をどうも自分は持っているらしい。

反対に許せないタイプVtuberは、どこからどう見てもキャラになりきることが目的の人たちだ。別に誰にも迷惑をかけていないのだから自分が許さな道理はないのだが、どんなに友人におすすめされても、こういう人たちは全く好きになれる気がしなかった。なまじ設定が凝っていたりすると余計ダメで、その設定を持ち出して動画の中で一笑い起こそうとしているのを見たりすると、もう半日くらいおなかを壊すくらいにどうしても受け入れられなかった。

この「なりきり」への嫌悪自分の中で醸成された過程は正直定かではない。ぶっちゃけ自分が人並外れてこのジャンルへの嫌悪感が強いとは全く考えていなかった。嫌悪感に今まで気づかなかったという意味ではなくて、みんなこれぐらい嫌っている(忌避している)ものだとばかり思っていたのだ。

SNSだのが登場する以前、ネット上のコミュニケーションBBSやらチャットだった頃、普通自分ハンドル雑談するコミュニティのすぐそばに、「なりきりチャット」やら「夢BBS」やらがあるのは目にした覚えがある。なんなら覗いてみたこともあるかもしれない。でも、そこでやっていることが楽しそうだとはどうにも思えなかった。多分、初めてその存在認識した時から、なんとなくそういう趣味普通雑談よりもキモチワルイものだと感じていたのだと思う。

SNSが、とりわけミニブログ系のやつが登場して以降、「キャラクターなりきり垢」みたいなものもたまに目にした覚えがある。テニスの上手い〇部とか不〇とかになりきって会話してるやつ。ああいうのも存在は知っていたが、やっぱり気持ち悪いやつらがやっていることだと認識していた。ジャニーズの夢メール画像だとかと同じジャンルのものとして。テーマに沿った、あるいは沿っていない雑談をする中でも、かなりヤバい奴が集まっているテーマというか、あまり直視したくない「ネットの闇」の方のコンテンツだと思っていた。

ましてや、オリキャラのそれなんて、もっと見たくないものというか、あけっぴろげに言えば思いっきり見下していたジャンルだった。

そもそも素人オリキャラ作ってそれをみんなに見せて…という行動自体メアリースーだの、オリジナルSSだので割と見下されることの多い趣味だったように思う。その上、それ自体も怖いコンテンツであるキャラなりきり。このような趣味は、もうネット恥部恥部の重なりの部分、見下す云々以前にどんな奴がやってるんだかむしろ怖いもの見たさで知りたいくらいの闇ではなかったか

そして正直なところ、自分のここまでの認識がそこまで一般ライトオタクとずれていたというつもりはない。Vtuber流行以前なら、キャラなりきりに対するスタンスを聞いてみれば、結構な人が(程度の差はあれ)同じような答えだったのではないかと思う。

ぶっちゃけオリキャラ作って他人に見せて…のほうは、「その中でも認められて素人でなくなった人はいる」という所を指摘されるとどうにも反論できない。が、そういう風に羽ばたいていった人たちに備わっていた力量みたいなものが今流行っているVtuberにあるとは思えない。そもそもそういう人たちの創作内輪ネタみたいなものと無縁な気がする。反論しきれていないというのは重々承知だが、「なりきりではあるがオリキャラからVtuber流行れた」ということにはならないのではないかと思う。

というかぶっちゃけ、「オリキャラなりきり動画投稿者」と呼んだ時、ほとんどの人は何かおぞましい、自分が上で言っているようなネットの闇っぽいもの連想しないだろうか?以前似たようなアンケート匿名の場でとったことがあるが、大体のオタクはこれをVtuberのことだとは思わずゆっくり茶番劇をやるようなのだとか、一人で必死に声色を使い分けてヴォイスドラマを録ってるようなヤバいの(そんなのがあるらしい)だとかを連想していた。

でもVtuberって要するに「オリキャラなりきり動画投稿者」だよね?これ以上の要素も特に含まず、過剰に誇張している部分も特にないと思う。意味を端的に表そうとすれば相違なくこうなるのではないだろうか。

からこそ、自分にはなぜこのおぞましいジャンル流行し、多くのオタクに受け入れられたのかが分からない。たとえ最盛期のVtuberファンの半分が「みんなが見てるから」でファンになったのだとしても、もう半分はこのネットの闇を好意的に捉えたということになる。一体それはどうしてなのだろうか。

Vtuber好きが集まるところでこんなことを言えば荒らし扱いで無視されるだろうし、同じアンチ同士で話しても「最初工作でそれに流された奴がファンになった」だの「あいつらはシコれればなんでもいいだけだから」だのいまいちピリッとした答えをもらえないでいる。

多分自分認識のどこかにずれがあるからこうなったのだと思う。それがどこなのか、誰かに教えてほしいのだ。

追伸

反応を見て、だいたい「Vtuberオリキャラなりきり的なコンテンツではなくて、単に中身本人の人格のままアバターを被せただけのものである」や、「TRPGやPBWのように、素人オリキャラなりきり自体言うほど忌避されるものではない」というあたりが自分勘違いだったのかなと感じている。

前者の方はかなり納得していて、要するに自分の「許せる」基準に合わせて言えば、Youtuberとして自分自身を発信していきたい人間が、生身の自分よりも多くの人に親しみを持ってもらいやすいと考えてアバターを使ったということなのだろうと思った。アンチの中にはこういう捉え方をした上で「○○とか○○は単なるYoutuberワナビーが売れるためにアバター被ってるだけじゃん」みたいな嫌い方をする人もいるかもしれないが、自分自身としてはそうであってもいいんじゃないかと感じるし、ファンになれるかは別として、こういう方針活動をしている人なら別にサブイボが出るほど嫌いにはならないと感じている。

後者の方は確かにオリキャラなりきり系コンテンツの中でもまあまあ高尚(というか多少カッコが付くくらいの意味)な趣味もあったなあ、と感じたのだけれど、TRPGやらPBWはあくまで本人が楽しいコンテンツであって、誰かが作ったオリキャラ情報発信ファンが楽しむ、みたいな構図はあまりなかったように思う。人生で数回やったことがある程度の知識しかないので、この辺の認識違いがあればまた指摘してもらいたい。

VNIに関しては、正直自分の頭からVtuberと同ジャンルのものだというイメージ全然抜けていて、指摘されて自分でびっくりした。構図的にはかなりそっくりものなのに、なんで抜けていたのだろう。(これ自体広く受け入れられたかというか、ネットの闇扱いされていなかったかはこの際考えないでおく。)

多分、VNIあくま受け手側の気持ちとして見ていたので、「オリキャラなりきり」と自分は捉えていなかったのではないかと思う。Vtuberは、ネット上の知り合いが何人もなっていったりして、中身の人間、つまり発信する側が自分視野の中に入っていたせいで、そういうものとして見ることになったのかもしれない。

流行った理由考察としては、もともとゲーム実況が好きになる素養のあった人が、可愛い女の子アバターに惹かれて見に行ってファンになったというのがとても自分でしっくりきた。というか以前から何となくそういう推測は自分の中にもぼんやりあった気がするのだけれど、「それでもあのオリキャラなりきりっていうコンテンツへの拒否感が普通は勝たないか!?」と考えてそれを流行った理由として捉えられていなかったのだと思う。その拒否感の方が自分勘違いだったと分かってしまえば、すんなりと腑に落ちる。

自分としては、今挙げたような内容が自分勘違いのせいで認識のずれが生じ、世間で受け入れられたもの自分は許せない、という状況が生まれたということである程度納得している。だからと言ってたぶん好きにはなれない(これは完全に個人的な好みとして嫌いなタイプ文化が界隈にあるから)のだけれど、多くの人に受け入れられて流行った理由も、ファン心理もとりあえずは理解できたように感じている。

もしこれらの他にも自分認識の違いがあったり、あるいはまったく的外れなことを言っていたりするようならば、また指摘してもらいたいと思う。よろしくねがいします。

2019-01-29

anond:20180207165151

3DCG作品MMDじゃないと見て貰えなくなった」と言うなら、それは元々MMDより機能的にも上に在った界隈で「Blenderで作っている」「MAYAで作っている」「C4Dで作っている」という主張が停滞しているのが要因だろう。

以下長くなるので、謝っておきます。拙宅の言及も独り善がりで、各方面から非難が上がる事を覚悟で上げます

要因の原因はMMDではなく、MAYAなどを使う様な商用系の人間3DCGの商用仕事で手一杯で、趣味自由作品を作る時間が少ない窮状なのだから自然個人出品できる作品数が限られ、人の目に付かず認識は普及しない。

再生数が欲しいのなら、その時に人気のジャンルで上げるのは、自分能力の無さを補える比較的に楽な手法というだけ。

それじゃなきゃ売れないと考える方がおかしい。

「え、これMMDじゃないの!?〇〇すげぇ」と思わせるだけの作品を作るという選択肢がある。それじゃなきゃ見て貰えない、というのは自分Blender等でそれだけの作品が作れないと自己宣言してるのだからもっと恥ずかしがって良いと思う。

そんな状況下で「アレの所為だ!」と。「自分は悪くない他所環境所為だ」と言っても、頭が可哀想しか思われない。

それが自分にとって扱いづらい分野であるなら、諦めて自分土俵で作った物を力作だと自慢して出せばいい。

他所環境から人口や作物を取って来るのでなく、周りの人間自然既存環境に集まる様にして、自分が居る場所ルール人口で長く続けて行けばいい。

MMDが出始めの頃も、3Dモデルによる動画は「AEやMAYAとかプロ御用達ソフトで作られたものなんだろ」と受け取る人が多かった。拙宅も、友人でさえもニコニコ動画MMD動画が上がり始めた当初は「どうせMAYAとか、プロ普段仕事で使ってる個人で持てないような最低ウン百万する環境が使われてるんだろ…」としか思っていなかった。

たとえMMD文字が付いて居ても、単語意味を知らなかったから、認識出来ていなかったからだ。

そこからMMDは、ニコニコ動画の持つタグ機能タグ解説による投稿動画識別の容易さ、動画画面へのコメント埋め込みなどの特性から視聴者投稿者の両側からMikuMikuDanceタグ付け作業等による普及の努力が息長く続き、MMDというジャンル認識確立性を積み上げたのだと思う。

拙宅も筆者もMMDはそれでやってこれたのを現実に目の前にしてる筈。

実例も有るってことなら実現不可能でない。

筆者が言う主張ほど強く求める意志が有るなら、やれないことはないのだろう。

そこまで強く思うなら、自身がやってやろうと立ち上がれるほどの有志をお持ちの事と思う。

MMDが人気で、そのせいで「今は」何でもかんでもMMD作品だと思われるのは、MMDが悪い。

筆者のような主張の人は大仰に「大衆の為の善悪」として記事を書きたくなるようですが。

結局の所「自分能力では儘ならない不満を、手近な物で八つ当たりしてるだけ」の話でしか無いのが、ひしひしと伝わってくる。

MMDだと無料であれだけの物を作っているのだから仕事でもこれだけの低予算で」と押し付けられる場合があるなら、そういう相手先の人間性が問題である。それを相手先に言えない時、八つ当たり先が無いかMMDが憎く思えるだけ。

そういうアホな相手先にはちゃんと「あれは仕事抜きで自分がやりたいことだけを他人からダメ出し無し、無制限時間で出来る趣味環境から可能な事であって、もしあのレベルを求めるのであれば、生活を圧迫しても納期を確保するだけの特急料金、仕様注文による期間中精神的苦痛に対する報酬に加えて、作業することに対する技術料としての基礎報酬必要です」と提示できない自身問題

自分が窮地に立たされた時に、他人の憩いの場を身勝手に壊して逃げ道にして良い理由にはならない。

私的著作物で好き勝手されてるなら、その件については言えるが、問題外の事で文句を言えることは何もない。

MMDをプッシュする人口からコメントで傷ついている点も、MMDだけしか知らないでコメントする人口あくま有象無象視聴者側であって、MMD制作者側が文句を言われる事ではない。

MMD側では作成者側が視聴者に呼びかける運動は起こっていて、馬鹿な輩の居所が分かろうものなら悲惨レベルで吊し上げられている。

リッピングなど「ぶっこ抜き」されたデータ、素材利用違反データが配布に流入していると分かれば、運営や開発側が動く前に「草の根すら残すな焼き払え」という勢いで使い手側が対処する。地道な啓蒙運動の果てに視聴者側が自主的に取りこぼしの目になってくれる事も有る。

更にMMDにやってきて場違いオープンを謳う人口の、流用改造の作成者もどき問題を起せば排除され、彼らは肩身が狭い思いをする事になる。

VRChat等は視聴者と言う利用者のみならず、データ放出している配布側すら人口が多いからと無断転載が横行し流入の歯止めが効いておらず、時にツール環境開発をする人間すら、それらの問題解決出来て居ない現状を鑑みず「MMDの蓄積をオープン解放しろ」と望む。

VRChatが海外含む人口が多いからという理由制御できない事が許されオープンを求めて居るなら、制御できない程の人口安易に招き入れた事に起因している問題であって、MMDオープンを受け入れる理由に成り得ない。

まず「〇〇の所為だ」と言い切る程の不満は、他所から流れて来たと思う視聴者文句を言う前に、自身の内部を取り締まり身綺麗にしてから、言い始めれば良いと思う。それなら、納得する人も出てくるだろう。

MMD100%身綺麗でも無いが、開発側と人目に目立つ作成者が共に自身の影響を理解して他所プラット文句を言わずに黙々とやっているので、外野文句を言いたくはならない。

視聴者コメントが付いたというなら、視聴者が悪い。作成者が悪い訳では無いだろう。

2019/1/28追記記事も読んでさえ、人口比率の多い視聴者側に文句を言えば人が離れていくのを直感的に忌避して、自分の我が身可愛さにMMD作成側に責任転嫁したくなっているだけとしか思えないな。筆者の論点を見る限り。

2019-01-25

TC高山紗代子と私

TCお疲れ様です

高山紗代子Pの一人です

ここに書いてあることは中身のない愚痴なので、そのようなものを目にしたく無い人は早めに閉じることをお勧めしま

必要のないストレスを抱える意味なんてありません






ですます調はここまで

さて結論から話すと私は持てる票を紗代子には1票も投じなかった

正確には紗代子のバスターブレイド役には投じなかった

765票をきっちり取得していたので最終的にバスターブレイド役で紗代子と役を争っている候補に入れるつもりでいたのだけど、そちらは早々に決着したのである別の役の紗代子に765票を投じて私はTCを静かに締めくくったのでした

いくつかの感想総評を見ていたが、2位に終わった原因を「やはり美希は強かった」というところに求めているものが多い

それ自体は恐らくその通りだろう

しかし最終的に獲得した票を見れば紗代子がかなりの健闘をしたことも解る

それにも関わらず、期間を通して紗代子陣営は精彩を欠いているように見えた

複数回当選組だからか?それもあるだろう

ガシャがなかった?数多の理由の一つではあるだろう

それは一つ一つは無関係ではないだろうが小さな要素だった

実際のところ期間を通して紗代子Pたちの熱が全体的に欠けていたのだ

多くの人がバスターブレイドという役割に入れ込めていなかったのだ

声優ネタから始まって、当の声優からブーストを受け、熱狂的に注目の集まった「高山バスターブレイド紗代子先輩」のタグ

そこに高山紗代子の中身は無かった

TAから通し、誰もが楽しめる期間の一つがテーマ発表から開始までの

「どの役が担当に合うだろう」と想像を巡らせる期間がある

陣営によっては終始考えが割れ、まとまらないこともあるだろう

なあなあで投票先が決まりいまいち熱意なくスタートした陣営もあるだろう

しかし紗代子ほどこの期間を無為に過ごした陣営はいないだろう

錦の御旗として掲げられた「長い」のたった2文字は口走った本人の思惑を超えてこれ以上なく強制的圧力を持ち

尚も他の選択肢を主張する紗代子Pには敵意すら向けられた

バスターブレイド自体どのような役割なのか、そして紗代子だったらどうかという議論すらされる事なく一瞬で投票先は定まった

実際その後の応援をみていると

この役は紗代子だからこそ、という主張に説得力のあるもの殆ど見られなかった

絵師たちによる気合いの入った支援絵はどれもこれも感動を覚えるものだったが

荒廃した未来において描かれる紗代子の姿は別のアイドルでも差し支えないような物に留まった

謎のガジェット「鉄を編んだような刀」に興味を持っていそうな人はおらず

単なる大剣日本刀を持ったルックスであることがほとんどだった

尤もこの点については過去に紗代子が演じたダークセーラー齋藤から刀のイメージが固まるのも無理からぬことだろう

主人公の(おそらく)相棒役というポイントは紗代子のパーソナリティとの相性は良かったかもしれないが

これは逆にバスターブレイド役でなくてもよいというポイントでもあり推すトーンは強くなかった

2018年夏に披露されたTB勝利者に与えられた報酬はすさまじいばかりのインパクトだった

ユニット楽曲イベント衣装SSR、ただでさえ出番のローテーションを疑問視する声も増えてきている中でTCでの勝利大前提におくPが大多数を占め、そこに考えの中心が行く事は仕方のない事ではあるし悪い事でもない

その事について担当に合う役をプロデュースしたい!というお題目から外れる事を忌避する人もいるだろうが、勝てなければ無なのでそれ自体は目を背ける程のことではない

幸い我らが紗代子は比較的出番に恵まれている部類だがそれでも年間のスケジュールに3ヶ月もの空白が確定するというのは余りに恐ろしい想像

ほぼ全ての陣営でそのような考えはそれなりのシェアを持っていただろうということは想像に難くないが、今回理想としてあるべき役をプロデュースするという考えからもっとも遠い盛り上がり方をしたのは間違いなく紗代子陣営だった

思い返せばTAから向こう、勝ち続けてきたのは殆どのケースにおいて「この担当にこの役を」という盛り上がりで浮動票の目を引く事のできた陣営だった

そしてTCの紗代子陣営にそんなものはなかった

かにタグはバズった

声優認知されたこともあり紗代子PでないPにまで広く広く拡散した

拡散しただけだったのだ

ちゃんのような意味合いを持つ拡散では決してなかった

それに油断があったのか、それとも熱に浮かされて必要なことだと思われなかったのか

バスターブレイド高山紗代子世界観に関心を持つ人は結果的に多くはなかった

これは声優のせいか

もちろん違う

彼女責任を求める考えは間違っている

それがなければバスターブレイド役ではなかったか

それも違う

からネタとしての勢いはあったため、投票先が決まるタイミングが多少変わる程度であったと思われる

しかし、考察議論はより多く行われたはずだ

繰り返すが実際のところ紗代子Pたちの熱が全体的に欠けていたのだ

多くの人がバスターブレイドという役割に入れ込めていなかったのだ

ただし、恐ろしいことにみんな熱があるように錯覚していたのだ

象徴的に感じたことがある

一般的に「みずさよ」と呼ばれる真壁瑞希高山紗代子カップリングがあり

個人も気に入っているが、どちらかといえば「接点はそれなりにあるが認知度はそこまで高くない」

というミリオンライブではよくある認知レベルの組み合わせのひとつ

これを支援する声やイラストTC序盤において激増した

邪な考えをすれば声優による言及があったことで紗代子陣営勝ち馬だと判断した真壁Pたちが乗っかったと言えるだろう

しかしその波はかなり早い段階で小さくなり、普段からみずさよが好きな人普段通りに推す日常へと戻っていった

結局二人がダスクバスターブレイドを演ずる理由というもの説得力を持つ人は多くはなかったのだ

投票先を纏める行動が出遅れもの議論の末に投票先を決めたということを再三にわたって強調し

鬼斬りという役割との結びつきもあるプロモーション見出し勝利をもぎ取った美希陣営の動きも象徴的だった

紗代子陣営が行ってきた動きと何もかもが逆だったのだから

もちろん、美希陣営が強かった理由は外的な要因も多く考えられる

例えば待望のASの参戦でありかつ連続当選を狙う紗代子と比べての判官贔屓的な浮動票の興味

こういった要素は基本的に終盤中の終盤にこそ力を発揮する

本来担当勝利の目がない、逆に勝ち確なので他を応援したい、複数候補がいるが決めきれない、ミリシタを始めたばかり、

そのように十人十色理由で浮く事になった票を集めるのは最後の日までにどんなプロモーションをしてきたかが物を言う

「決まらいかダイマして」という有権者は論外の存在だが大抵の場合浮いた票の持ち主はどこに入れるかはある程度は絞り込まれていることが多い

浮動票の持ち主とて一月以上の期間を通して様々なものを目にしている

更に言えばTA以降あるいはTB以降にミリオンライブに触れたPにとって過去勝利は大きな動機にはなり辛いだろう

次に、例えば期間中投票権のついたガシャに限定SSRとしての登場

これは実際に凄まじい補正であったろうし、周囲に脅威として受け止められただろう

しかし多くの人が分析しているように有償ガシャによる票の割合は全体の総得票数から見れば多くはなく

限定ではないにしろ同じ状況をもらったあずささんは多くの予想に反して惨敗した

しろ、4回あった100票つきガシャの対象者勝利を勝ち得たのは志保ぐらいで、他はむしろTCにおいては振るわなかった陣営しかいない

他にもASの中でも一際に高い人気がある上、近未来アウトサイダー信号機が揃うという魅力的な構想

それらも強力な要因であるように思えるが、同テーマに参加の他のアイドル理由とする得票の訴えは

正直なところ大した訴求力がないというのは多くの人が実感としてあると思う

特に近未来アウトサイダーにおいてはその事を利用した荒らしが各コンベンションセンター過激な行動を続けたこともあり

次第にそのトーンは小さくなっていった

ここまで「推進剤は色々あったけどいうほどの効果はないと思うんだぜ」という事を述べたが

それでも後押しには違いないだろう

補足しておくと限定美希の登場はローテーションから確実視されていたため、他の陣営に比べて課金へのモチベーション比較的高かったろう

でも紗代子にだって誕生日があったのだ

箱根駅伝という努力根性を試される催しも行われたのだ(実際に走ったのは琴葉Pだが)

受験間近という紗代子にとって強力な結びつきを持つシーズンでもあったのだ

それらをバスターブレイドという役割に結びつけようという人は結局ほとんどいなかった

しろそんなイベントのない陣営のほうがよほどテーマを重視した投票企画を考えていた

ほとんど注目を集めなかったがTC間中紗代子になぞらえた筋トレをする人達のほうがまだ紗代子に寄り添ったプロモーションをしていたと思う

それら様々なものが重なって、TCにおいて紗代子は役割を勝ち取ることができなかった

訴えるべきものに乏しいのに熱だけはあるように錯覚する極めて厳しい状態に陥った結果

負けるべくして負けた

誇るべきことがある

今回紗代子は2位とはいえ取得した得票は驚くべきもの

スクや女主人が演じた死闘などと比べると派手な数字ではないが

中身なく突っ走ってこれほど得票なのだ、恐るべき潜在能力と言えるだろう

私はバスターブレイド役が決まる流れにまったく納得することができず

バスターブレイド役の紗代子を応援するという事から離れた

そういった紗代子Pは決してマジョリティではないだろうが、しかし決して一人や二人ではない

それでさえこの得票なのだ

やっぱすげえよ紗代子は

この力を次は活かせる

私はそのためにできることをする

そう信じて私はTDのその時を待つ

PS

バスターブレイド以外の役割について言及した私や私の知り合いに

罵詈雑言を向けた複数のPの名前絶対忘れんから

2019-01-20

なぜパチ屋クレカが使えないの?

自分33年生きてきて一度もパチ屋遊んだことはない。トイレの為入店したことはあるが、そういう男なので、パチ屋事情はよく知らない。

だがはてブで「飲み会代を代理クレカ払いして実質現金化しパチ屋へ」という記事を見かけて、疑問が湧いたのだ。

クレカショッピング現金化はダメですよという話はよく聞くし、ネット上でもアマギフやらチュンカやらを経由してそれを実行しようとする人がいるのは知っている。

でもそこまでして現金調達したがる人は、多重債務で返済に追われている人か、ヤクザのような現金オンリーの闇取引をしている人だけだと思っていた。

パチ屋三店方式賭博として扱われないようにズルをしているグレーなビジネスだということは知っている。

でも賭博からクレカが使えないという訳ではないようだ。

調べたらtotoBIGのようなスポーツくじには使えるし、競馬競輪といった公営賭博でもクレカは使えるらしい。

また、賭博ではないがいわゆるソシャゲでもごく普通にクレカ決済ができるし、限度額まで使う人の話もちらほら耳にする。

けれどパチ屋クレカが使えない理由は、少しぐぐった程度ではよく分からなかった。

現金化の手口を紹介するサイトばかりだ。

仕方がないか自分考察すると、おそらくパチ業界自主規制なのではと思う。

あるいはカード会社が、パチ屋反社勢力と捉えて忌避しているかのどちらかだろう。

パチ屋自分たちのビジネスが、上で挙げたような他の賭博類よりもいかに悪質である理解している。

そして顧客いかに愚かであるかも理解している。

クレカを解禁すると破滅して「被害」を訴える顧客が続出し、当局に見逃してもらっていた立場が危うくなるのではないか

そうであるとしたら、パチ屋にはぜひクレカを解禁していただきたい。

そうでないと、本当に愚かな人は、負けを取り返そうとして闇金や換金業者を装った詐欺師にすら引っかかるのだ。

パチ屋問題は、パチ屋自体悪質性だけでなく、こういう完全な犯罪集団も寄せ付けているところにある。

オンラインゲームが、RMTに手を出してカモられるユーザーを減らすために「公式RMT」とも呼べる仕組みを作り出したように、

パチ屋もせめて自前でなるたけ健全顧客欲求を叶えてやるべきではないか。それこそクレカ解禁などによって。

それをしない時点で、パチ屋とそれをとりま詐欺業者グルである証明しているようなものだ。

2019-01-18

睡運瞑菜」を実践して1年が経った

はてな民にとって、すでに常識となった「睡運瞑菜」。言葉の通り、これは四つの生活習慣の総称である

宣教師の際立った存在感のおかげでネタとして消費されがちであるが、これらが現代の厳しいストレス社会を生き抜くために極めて効果であることに疑いの余地はない。

一方で、これら全てを実践することが容易ではないこともまた事実である

ここでは、私がいかにして「睡運瞑菜」を実践してきたのかについて話したい。

「睡」:十分な睡眠

疲れを取るのに必要睡眠時間には個人差がある。

個人比較ロングスリーパーであり、経験的には、少なくとも8時間睡眠が確保できなければ明らかに仕事の能率が低下する。過去に1日6時間睡眠を続けた時期もあるが、金曜日には体力を消耗しきってしまい、まともに仕事ができない状況になってしまっていた。

また、長年にわたる学生生活 (入学から博士を取るまでに9年) での不摂生の結果、午前中には強烈な眠気が襲い、夕方から目が冴えてくるという体質になってしまっていた。

 (なお、睡運瞑菜を続けた結果、今ではこの体質は大きく改善した)

職場裁量労働制残業代が出ないこともあって、夜中までだらだらと職場に残って仕事をするのが日課になってしまっていた。

 

睡眠時間を確保する方法自体は非常に簡単である

  早く寝るか、遅く起きるか だ。

私は後者選択した。

以前は、裁量労働制であるにも関わらず、上司に気を遣って定時出勤を厳守していた。

上司は早い時間に出勤する生活習慣を取っているが、私までそれに合わせる必要はないと思うことにした。

その結果、朝ゆっくり寝て昼前に出勤し、夜は遅めの時間に帰るというペースを確立した。

上司は内心では快く思っていないようだが、それによって不当な扱いを受けるということはなかった。

どの道、以前の働き方では午前中の能率が低すぎたから、寝ていたほうがマシなはずだ。

「運」:適度な運動

仕事デスクワークであるため、普通に家と職場を往復しているだけでは十分な運動時間を確保することは難しい。

出不精な私にとって、ジム通いを続けることもハードルが高い。ジムでの運動が嫌いなわけではない。まともな人には理解できないかもしれないが、受付の人とほんの一言や二言やり取りするのを想像するだけでも、心の中に忌避感が充満するのだ。

新たにスポーツを始めるのも難しい。昔、嫌々やっていた部活なんて思い出したくもない。

そもそも、私の特性上、他人と関わりを持たねばならない習慣は中々続かない。完全に個人でできるスポーツというのも限られている。

そういうわけで編み出したのが「通勤の中で運動時間を確保する」という手法である

基本理念は非常に単純だ。

  1. 職場から徒歩1時間くらいの場所引っ越して、毎日歩いて通勤する
  2. エレベータを使わずオフィス (7階) まで階段で昇降する

雨の日も風の日も、とにかくこの二つをひたすら厳守して生活する。これにより、毎日およそ10kmを歩くスタミナ、加えて、階段を上っても息切れしないほどの心肺機能を手に入れることができた。

また、明らかに睡眠の質も向上し、以前よりも精神が安定し始めるなど、多様な効果が得られたように思う。

 (ただし、これは「睡運瞑菜」の相乗効果によるものであり、運動のみの効果と断ずることはできない)

「瞑」:瞑想による心の休息

睡運瞑菜」の中でも、何をすれば良いのかが一番分かりにくいのが瞑想ではないかと思う。

瞑想を行う目的は、はっきりとしている。現代人はとにかく脳 (心と頭脳) を使いすぎているのだ。

暮らしのこと、仕事のこと、たくさんの心配事でいつも頭が埋め尽くされて脳が疲れ切っている。

心配から気をそらすために、スマートフォンを握りしめ、さらに過剰な情報疲れた脳にぶち込んでいる。

こんなことをしていては、脳が「壊れて」しまうのも時間問題だろう。

目に見えて「壊れる」という状態にまでならなくても、いつでも頭の中はネガティブ思考が充満していて、まともな幸福感が得られなくなっている人は多いのではないだろうか。

 

とにかく、脳が疲れているのだから、休ませないといけない。

  瞑想は、脳に休息を与える手段である (諸説あります)

脳を休ませるにはどうすれば良いのか。様々な手段があるだろうが、私はマインドフルネス

https://ja.wikipedia.org/wiki/%e3%83%9e%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%89%e3%83%95%e3%83%ab%e3%83%8d%e3%82%b9

という概念に着目した。

Wikipedia記述にある通り、マインドフルネスとは「今現在において起こっている経験に注意を向ける」ことである

これは特にネガティブ思考を何度も頭の中で繰り返してしまう「反すう」や,頭からこびりついて離れない「心配」を減らす効果がある。

個人は非常に心配であるし、幼い頃から過去の嫌なことをひたすら「反すう」する癖がある。

学生時代、研究の成果を学会で発表すると周囲から褒めてもらえることが多かった。その日はすごく気分が高揚して、自己肯定感が急上昇したように錯覚する。しかし、次の日の朝に目が覚めると、胸の中には既にネガティブ感情が渦巻き始めて、一週間もすれば朝の目覚めが最悪になる。

  自己肯定感カケラもない「あの」自分を思い出してしまうのだ。

ポジティブ経験をすると、ほんの一瞬だけ気分が良くなるが、その後、楽しい気分は指数関数的に減衰する、というのが経験則だ。とにかく、「睡運瞑菜」を始める前は、メンタルがいつもズタズタになっている状態だった。

 

閑話休題マインドフルネスの話に戻ろう。

脳というのは非常に創造性の高い代物になっていて、放っておくと、蓄えられた膨大な記憶や刺激をもとに、極めて雑多で有害情報を次から次へと生成して人の精神を蝕んでしまう。

そこで、1日にほんの10分程度でも、過去の嫌なことや将来の心配をすべてシャットアウトし、無理やり今現在という限られた対象に注目させる時間を取る。

  これにより、脳の創造性を強制的に低下させるのだ

PCをつけっぱなしにしていると、どうしてもメモリにはゴミが溜まっていく。そうすると思わぬ不具合が出始める。

こういう事態を避けるために、再起動 (リブート) が大事であることはもはや常識ではないかと思う。

  1日1回、脳をリブートしよう!

経験上、睡眠だけでは不十分だ。睡眠中、脳はここぞとばかりに創造性を発揮する。夢の世界に浸るのは愉快かもしれないが、それだけでは脳はゴミにまみれたままだ。

リブートが、必要なのである

1日たった10分で良いのだ。難しい話ではあるまい。

「菜」:1日350グラム以上の野菜摂取

私のように家事の苦手な人種にとって、最大とも言える難関だったのがこれである

長年、コンビニ弁当スーパー惣菜依存しきった食生活を送っていて、お世辞にも栄養バランスが良いとは言えない状態だった。

   朝食は摂らず、昼食はコンビニ弁当、夕食はスーパー惣菜という黄金ループ

そもそも、手軽に購入できる食事は、栄養価が炭水化物や脂質に偏重していることが多く、十分な量の野菜を摂ることは難しい。

昔、自炊をしていたこともあるが、あれは学生時代に時間が有り余っていたからできたことだ。私のように手先の不器用人間は、野菜を切るだけで1時間以上かかるのだ。食後の洗い物も苦痛だし、やはり不器用なので時間がかかる。

私のスキルでは、仕事をしながら自炊をするなんて不可能に近い。

 

そこで、どうしたのか。

実は昨年、良縁に恵まれ結婚することになった。

相手は5歳年上の家庭的な女性健康栄養に詳しい医療専門職

(信じがたいことに) 家事が大好きで、私とは比べ物にならないスピード家事をこなしていく。

職場に不満もあったようで、結婚と同時に退職。今は専業主婦をやってくれている。

  毎日3食、手作り食事

厚労省策定食事摂取基準準拠して、献立を立ててくれる。

https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/0000041824.html

  妻曰く「野菜350グラムなんて、普通にしてれば余裕で摂れるわ」

……完全に他力本願であるが、こうやって「睡運瞑菜」を実践する環境が整ったわけだ。

 

あ、ちなみに瞑想の項で私自身の実践方法を書き忘れましたが、毎日、妻と無言でハグする (甘える) 時間をとって、マインドフルネスしてます

みなさんも、「睡運瞑菜実践してみてくださいね

それでも私は痴漢あいたい

痴漢によるトラウマ痴漢冤罪による胸糞逮捕痴漢線路に逃げたせいで電車が遅延する…。

痴漢問題は掃いて捨てるほど出てくるけど、それでも私は痴漢あいたい。

仕事責任とか、もちろん大変なことだってたくさんあるだろうけど、私は男の人が羨ましい。

性欲たまったら風俗なりで解消できるし、社会もそれを容認している。

ヤリマン忌避されるけどヤリチンは許容される。

特に結婚してしまうと、浮気不倫なしに、性欲を解消させる方法が女にはない。

一人でしてても虚しいのは、男の人もそうだろうからかると思う。

男の人は風俗で解消していらのはそういうことだろう。

から痴漢されたいのだ。

痴漢であれば、あくまで「被害者」でいられる。

浮気でも不倫でもなく、被害者だ。

その無理やりなシチュエーションは、マゾな私にとっては想像するだけで気持ちがいい。

私みたいなゴミにでも価値見出してくれる人がいて、触ってくれているんだ。

二足歩行人間のメスとして認識してくれたんだ。

自分から触ってくれなくなった夫とは違うんだ。

そう思えてくる。

女子高生の時は痴漢にあって泣いたこともあったのに、今じゃ自分から望むようになって、なんて惨めなんだろう。

DMM動画サービス(fanza)の女性に人気の動画の種類で、痴漢が2位に来ているあたり、私とおんなじような境遇の人も多いんだろう。

もちろん痴漢してない人に痴漢しろって言いたいわけじゃないし、心底トラウマになる女の人だって世の中にはいるし、そもそも性的嗜好が捻くれてなきゃ嫌だろうし、痴漢はなくなるべきだって理解している。

でもね、それでもね、私は痴漢あいたい。

2019-01-09

anond:20190109074426

デマはお前だカス

>貰うには理由がいるし

避妊したい、ってだけでOK

正確には血栓症とガンのリスクから血液検査子宮頸がん検査をしないともらえない。

避妊したいって理由だけだとおいそれとはもらえない。何重もの検査があってやっともらえる。

ちなみに普通産婦人科でもらおうとするとピルだけで3時間待ちはザラ。通販はニセモノばかりで危険

副作用ホルモンバランス崩れるし

海外じゃ数十年に渡って多くの女性が使ってきた実績があるもの安全性確立してる

絶対安全ではない。ピルは長期服用で子宮ガンの発生率をわずかにあげる。

血栓症リスクもあるけどガンの方が発生した時の金銭的・肉体的リスクが大きいからたとえわずかな発生率上昇でも忌避するのは当たり前。

検査だって内臓機器を突っ込むわけだし。

絶対危険とか絶対安全とか言い切るのはよくない。メリットデメリット双方理解し、負担考慮した上で他人に勧めるべき。

2019-01-06

anond:20190106154627

シャープナーってうまく研げるの?

砥石しか使ったことないからああいうのには忌避感ある。

2019-01-05

anond:20190105010704

まあな。今でも地溝油が使われている国だ。元から食への衛生観念は低めで、だからこそ「加熱されていない食材」には忌避感を覚えていたのまでは分かる。

でも今は中国都市部は綺麗になってきているわけで、綺麗なら食材に熱を通さずとも食えるし美味しい、ってのは当然広がりうる事柄からな。

おにぎり流行るのは必然といえよう。

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