はてなキーワード: 忌避とは
友情・努力・勝利の方程式を単項で解くとインフレする、というだけの話
同時期のバトル漫画でも雑誌が違うと「友情・努力・勝利」ではなかったりするので
一方でジョジョは明確にインフレとは違っていて能力バトルになっていった
ドラゴンボールに対するアンチテーゼとしては同じジャンプのジョジョになるんだと思う
「友情・努力・勝利」を単純に見せたいだけなら別にインフレして問題無い
ゲームで映像のクオリティを上げれば面白い、というのはちょっと違っていて
例えばオープンワールドだとそもそも映像のクオリティを上げないとゲームとして成り立たない
これは写実的かどうかというだけじゃなくて膨大なアイテムやクエスト、敵をちゃんと表現できるかどうかによってゲーム性が変わる
例えばマイクラって写実的ではないけれどレンダリング範囲が狭いと全然ゲームとして成り立たないのでSwitchだとクソゲーになってる
8番出口も現実と見紛うほどのリアリティがあるからこそ違和感に意味があるのであって
昔はCGクオリティを上げるのにめちゃくちゃ資金と技術が必要だったけど
今だと環境が充実しすぎてて割と簡単に高クオリティの映像が作れてしまう
ただ、それをゲームにどう活かせるかが重要、というのは昔から一緒
そして今も昔も「映像が凄い」というだけで名作扱いされるようなことは一切無い
そもそも映像に金がかけられるようなゲームはゲーム性やトータルバランスをちゃんと考えていることが「多い」のでそう思われてる
そこではインフレし放題といわんばかりに次の章に進めばより強大な敵が!みたいな流れが主流だったわけよ。
でもさ、インフレ展開だって万能じゃない。そのうち読者も気付くわけよ。
これキリがなくね?って。それに次の展開をインフレばかりに任せているとワンパターンになって、強大な敵が現れるものの最終的には主人公が倒すってなる。
延々同じことするなら、続きやる意味ある?
だからバトル漫画における安易なインフレ展開は次第に忌避されるようになって、今では二次的な価値を見出している。
作中で各キャラクターを深堀して設定を緻密にしたり、、群像劇を見せたりなんかしてストーリーをより面白く、見応えのあるものにしているわけだ。
それに対してゲームはどうだ。
もちろん、すべてのゲームに対して言えるわけじゃない。けど、一部のゲームは未だに映像のクオリティを上げて、アクションシーンを派手にすれば受ける!なんて思ってる新作ゲームもあるんだよ。
今は凄い!ってなってもあと数年すればもっとリアルなものが出てはすぐに凌駕され、売りとなっている良さの部分はすべて駄目になってしまう。
だったらそこ以外の、たとえゲームの映像が後に格段に進化しようとも「あのゲーム凄いよね」って言われるような、インフレ化しない面での工夫があるようなゲームを作るべきんなんじゃないのか!!
その友人は制度だから、と辛いときは使っていたらしい。私も年に数回キッツイ日があるが、上司が女性とはいえ生理であることを伝えるのには羞恥と抵抗があり、薬を飲みやり過ごすか体調不良で休むとしか言えない。友人の職場は男性ばかりらしく、その勇気は素直に尊敬に値したし、一種の憧れのようなものも覚えていた。
が、今はその友人に確かな嫌悪を覚える。このままだったら軽蔑に至るのもそう遠くなさそうな気がする。
先日その友人とお茶をし、仕事の愚痴を言う流れになったのだが、その時彼女は「男は生理休暇がなぜ必要なのか分かっていない。どうして必要なのか事細かに説明してやろうか?下半身血濡れになってみろよ」と憤慨していた。話ぶりからして異動で生理激軽女性が上司になったという訳でもなさそうで、ならば無理解な男が休暇を認めないとかイヤミを言うとか、気遣いの形をとったセクハラ親父が上司になったとか、そんなものかと予測した。
だが彼女は「はじめは『大丈夫??お大事にね』と言ってくれていたのに、最近は慣れてきたのか『あっはい』とか『そうですか』ってだけなんだよ。最低じゃない?どんだけ無理解なわけ?」だそうだ。
……。
…………。
………………ハアァ?!
理解したが故の反応じゃね??
個人差があって本人でもどうしようもなく、耐えることしかできないから休むわけじゃん?
生理の具合とか聞いたら、心配100%でもセクハラと捉えられるリスクがあるわけじゃん?
「生理のことを男性にも知っていて欲しいか」と「生理であることを男性にも知っていて欲しいか」は別じゃん?前者は大多数の女性はYESと答えるだろうが、後者は大多数の女性はNOだと思うぞ?
セクハラリスクと生理期間開示忌避の両方の解決じゃないの?「あっはい」「そうですか」って。普通の有給っぽく取れて、余計な説明はせずに休める。
最高じゃないか。
下手に「お大事に」とか声かけてたら、「Aさん体調悪いのか? そういえば先月のちょうど今くらいの時期も休んで…あ……」ってならないか?そうなったら尋常じゃなくいたたまれないが?少なくとも私はそうだが??
めちゃくちゃいい男上司じゃないか、としか思えない私は異端なんだろうか。少なくとも無理解だと蔑まれ、下半身を血濡れにしろと呪われるような男性ではないと私は思う。
なんだろうな、この嫌悪感。
推しが整形した。
ある日、Xの界隈がざわついていた。
たしかに久しぶりに見る動画ではなんとなく前と顔が変わっているように見える。でもそれ以上にすごく痩せたように見えるし、メイクとか光の加減で顔が違って見えるなんてこと当たり前にあるし、思い違いかもしれない可能性がまだ少し残されていた。
そもそも最初のうちはそんなことを推しの名前出してSNSで開けっぴろげに言う奴への反感が大きくて、特に「前の方が好きだったのに」とか「◯◯顔変わってない?」とか言う奴の気が知れなかった。究極的に言えばことの真偽は本人にしか分からないことだし、わざわざ名前つきでSNSに載せるようなことでもない。整形自体が悪とは言わないけど、芸能人である以上「整形した」という評判はあまり良いイメージを持たれないことの方が多いし、下手すればアンチの格好の攻撃材料にすらなる。
そういう前提があるにも関わらず自分の好みと違うというだけで推しへのマイナスイメージを名前つきで撒き散らし注意されれば「気持ちを吐き出す場を奪わないで」と被害者ぶる。そういう奴を見て腸が煮えくり返る思いだった。少なくとも不特定多数の人間に見える場でそれを言うことの意味が分からない。下手をすれば推し本人が見るかもしれない場で、もう済んでしまって取り返しのつかないことを「前の方が好きだった」と自分の気持ちを押し付ける。
本当にオタクってやつは救いようのない生き物だ。推し活とは誰かを消費しながら楽しむ娯楽であることはどうあがいても否定できない。だからこそ一人一人の線引きが重要で、どこで何を言うか、そして何を言わないかが本当に重要だ。それはいくら金を積んでいようが推しのためにどれだけ貢献していようが関係なく誰もが平等にわきまえるべき線引きのはずだ。消費者だから金を出してるやつは何を言ってもいいと考えてるオタクが多すぎる。オタクが決定できるのはそれに金を出すか出さないかだけで、意見を言ってもいいのはそれが改善される余地があることだけだ。(もちろん改善できるからといって推しに痩せろとか整形しろとかそういうことを言ってもいい訳では無い。待遇改善とかの話だ)それ以外の愚痴なら表に見えないところで同好の士と存分に語り合えばいい。誰かを消費している以上、少なくともその誰かの不名誉になることだけはすべきでない。それがオタクとしての最低ラインだ。
とまあここまでグダグダ他のオタクについてさんざん説教して来たが、騒動から数日後、自分はどうなのかということを考えるようになる。
推しの整形自体はどうやら本当らしいことが後のコンテンツではっきりした。たしかに前とは顔が違う。個人の好みをここで書くことは避けるが、前とは顔が違うのだからどうあっても推しの顔に対する違和感は拭えない。違和感は見慣れないからであってしばらくしたら慣れて普通になるだろうと自分に言い聞かせることにした。だが、どうにも推しの新しい顔を見るとなんだか気分が沈む。かっこよくないとかかわいくないとかそういうことではなく、推しの顔が変わったという事実にそこはかとない悲しみを覚えるのだ。
整形自体は本人が納得していればそれでいいと思うし、それで本人がコンプレックスを解消して明るく生きられるのなら全く構わないと思う。事務所命令で整形させられるなんて話も聞くけど最終的に決断を下すのは推し本人である以上そこにオタクの意見が介入する余地はない。それらは大前提としてそれでも私の心境は複雑なものだった。
今の気持ちを紐解いてみると、あれだけ可愛いと伝えたのに届かなかったのか、という無力感がひとつ、整形などしなくても衣装とメイクの力でどんどんビジュアルを更新し続けていたのになぜ今更不可逆的な整形という手段を選んだのか、という整形という行為自体への忌避感、そして、今まで私の払った金がその行為へと(間接的にでも)使われたという憤り(そのままの推しが好きだから金を払ったわけであって推しの顔を変えるために金を払った訳ではない)の3つが大きな柱として存在しているようだった。
もちろんオタクに何を言われようが整形しようという決定を覆すほどの影響力がないのは重々承知しているし、勝手に理想を押し付けていたのはこちらだと言われればぐうの音も出ない。整形という行為自体のハードルや捉え方も個人や文化によって乖離があって当然だ。過去に金を払った云々もその分の金を払った時点で何かしらの対価を受け取っているはずで、その使い道に関してまで消費者が口を出すことは出来ないのは当然のことだということも分かる。
でも悲しい。見慣れた顔がいきなり知らない人になった。思い出の中にいる人物とは違う見た目の人がどうやら今の推しらしい。色々な気持ちを伝えて、それを受け取ってくれていたと思っていたのに繋がりが消えたようで悲しい。これは全部全部どうしようもない愚痴だ。他人には書くなと言っておいてお前はここに書いてるじゃないかと思われるかもしれないが裏で愚痴を言い合う友達がいないからここに書いているダブスタ野郎だ。
つくづく推し活向いてない。オタクも向いてない。推しのことが好きなのかどうかもなんだかよく分からなくなってきた。今すぐファンを辞めるかどうか判断するのはまだ早いと思うので、とりあえず少し推し活から距離を取って時間が経つのを待とうと思う。前の顔(嫌な言い方)のグッズはとりあえず目につかないところに片付けた。お気に入りのビジュのものも全部片付けた。推しを入れようと思って買ったトレカケースも新しいグッズが出るまでは寝かせておくことにする。新しい顔(なんかアンパンマンみたいな言い方だ)に慣れて、推しは推しだと開き直ることができたらその時に使うことにする。
ふと思ったんだが、推し活はテセウスの船に似ているのかもしれない。人間と人間である以上、推しもオタクも多かれ少なかれ変化していく。何をもって推すかというのも人によって千差万別で、いつ船を降りるかも自由だ。私がいつまでこの船に乗っていられるかは分からないが、推しが整形したオタクの独り言をここに残しておく。
最後に一つだけ、推しが誰か分かったとしても「これって◯◯ですか?」とかしょうもないことをコメントするな。XでRPして「◯◯?」とかも言うな。これ自体を黙ってRPしてもお前の推しが整形したのかと思われるからやめろ。よろしく。
最初に私自身について述べると、クリエイターとして飯を食っている人間である。
口幅ったいがプロを自称しても差し支えないぐらいの稼ぎと仕事だと自認している。
話題の生成AIについて、今後私達の社会生活のあらゆる場面に普及していくと考えており
私自身いつかは仕事のフローに生成AIにまつわる技術を意識的に組み込む時が来るのだろうと考えている。
その流れは是認しつつ、かといって生成AIを取り巻く現状を良しとするわけでもない。
何らかの法的規制あるいは運用上のガイドラインが必要だという立場にいる。
大別すればAI規制派であるが、スタンスは総論賛成各論反対、ぐらいの温度感で事態を静観していると思って欲しい。
昨今の反AIと呼ばれる先鋭化したアンチ画像生成AIの人々について
一人のクリエイターとして、かなりの危機感をもって眺めている。
重ねて言っておくと、私は決して”反”反AIではないし、規制を望む立場にある。
私自身、作品がAIの学習に使われているし、その漠然とした忌避感や嫌悪感も体験し、理解している。
おそらく反AI、と言った時点でその界隈の人々からは「反AIという蔑称を使うなんて話にならない!勉強不足だ!」と一蹴されてしまうのだが
皮相的な党派性にとらわれて本質的な議論を進めようとしない時点で、その未熟さ・幼稚さを露呈してしまっている。
勿論、所謂推進派と呼ばれる人々、AI使用者の非倫理的で冷笑的な振る舞いについても承知しているし、問題視している。
今現在、互いに互いの粗を探して吊し上げていることは大変残念に思う。
しかし現状、私がより不安視しているのは反AIの人々の振る舞いの方だ。
反AIの言動が過激化すればするほど、現実的な落とし所を決める意思決定の場で
規制を求める人々の声は届かなくなり、立場を危うしてしまうのでは…という懸念を抱かざるを得ない。
生成AIに関する問題意識を持っている人はどうか以下の項目について調べ、自分なりに咀嚼し十分に理解して欲しい。
・現在主流である拡散モデルの学習・生成機序を理解すること。生成物は学習した画像の切り貼りやコラージュではない。何十億という画像データを数GBに圧縮することはできない。
※学習データの画像にほぼ近いものを再現することがある、という海外論文を引用する人もいるが、プロンプトで狙い撃ちにしても再現されるのは天文学的な確率の低さである。
・著作権法・隣接権の概念や文化庁及び政府見解を理解すること。人・AIを問わず学習行為は規制されていない。「無断学習」という概念自体が現状では不当である。
・開発企業や使用者に対する非現実的な要求をしても事態は解決しない。
・成果物の類似性・依拠性(LoRAなど)については肖像権、著作権に関わる現行法で争う余地があり、対処可能である。これは手描きでもAIでも同様である。
・これまでに観測された諸問題は、厳密には使用者自身のモラルの問題であり、より正確に言えばSNSの問題である。
(誹謗中傷やLoRAによる嫌がらせ、ラフをi2iで勝手に清書された、自分の絵柄で性的なコンテンツを生成され誤認される…といった問題は、原理的にはAIがなくとも可能である)
公的に開示されている資料を読めば、概ね同じようなことは書いてある。
現状における事実或いは公的な見解であり、これらを推進派や技術者のレトリックと断じて耳を塞いではいけない。
彼らと同じ前提を共有し、同じ言語で会話しなければ、交渉のテーブルにつくことすらできない。
実際に手を動かすのは法を整備する政府であり、AIに携わる技術者だからだ。
規制を求めるのであれば、彼らの認識を正すのではなく、事実の解釈で争うべきだ。
”お気持ち”で戦える段階はとうに終わっている。
おそらく、私のこうした声もポジショントークとされて届かないのかもしれないが。
「おうらん」を「おんたん」と呼ぶのはふつうのニックネームっぽいけど、
そのうえでヤカラ諸君にはその子のことを単なる肉便器として侮っていてほしい。
”清潔でとにかく無口でテンション低いのが平常運転だけど、自分の価値をわかりきってる美人”
が合意の上でそういう男に股を開いて、ハメ撮りや乱交も喜んで受け入れる・・・・・・
そんなシチュエーションに何よりも興奮するんです私は。
多分、中学時代の経験がこういう性癖に影響を与えているのだと思います。
メガネ黒髪無口なのにもかかわらず学年No.1人気があった憂いのある美人の同級生が、学校最凶と悪名高かったヤンキーの同級生と付き合っていたんです。
「非常階段の踊り場でバックでヤったw」とヤンキー君が男連中に自慢してたらしいのを小耳にはさんでほんと最高だったし感謝感激だったんですよ。
贅沢いえば……
「反社・ヤカラにいいように肉便器にされそのことを喜んでいたのにもかかわらず、
大企業勤めの同年代とシレッと結婚し落ち着いた聡明な美人の家庭人として豊洲や二子玉や品川や小杉のタワマンに住む」
そんな締めくくりであってほしいものです。
とにかくですよ?
一見すると関東連合と区別つかないようなヤカラの皆さん(できれば学歴弱者の前科持ちであってほしい)は、どんどんこういう女性にアプローチしていってほしいんです。
そうしてくれると私、ドピュッドピュッと良く精子を出すことができるのであります。はい。
余談ですけどねえ。
「この手の女子は才女、育ちが良さそうに見えるだけで実は反社の情婦がお似合いのアッパラパー」
むしろ彼女ら女子校で学年生徒数少ないのに例年東大何人も受かるような中高一貫校に中学受験で入ってたりして、私立専願ながらちゃんとお馴染みの難関大出てたりするんですよ。
受験生時代から英語と世界史が妙に得意だったりしちゃってね!!
それなのに、それなのに……
大学進学後、男なんかに影響されて腹や尻にタトゥー入れてみたり、乱交(反社様やヤリサー幹部様、複数の強き者から求められる悦び)に忌避意識なかったりしてもう最高。
なんのための実家暮しだあ!笑
もうすぐ三十路だが、今までの人生で一度も本気で人を殴ったことがない。
暴力が必要になるような場面に遭遇せず暮らしてきたので当然といえば当然だろう。
そもそも暴力といった野蛮な行為は推奨されるべきじゃないし、忌避すべきことだと思ってる。
それでも、たまに思うことがあった。
自分はこれまでの人生で、本気で他人にぶつかったことがないんじゃないかって。
だから他人との距離感を計りかねていたし、本気でぶつかることで拒絶されることを恐れていた。いい歳してヤンキー漫画を読むのも殴り合いへの憧憬と、心が通じ合う様に惹かれてのことだと思う。
本気になるということは言い訳が出来ないということだ。
それを"やさしさ"といえば聞こえは良いが、実際は単なる臆病者に過ぎない。
自分の力加減で関係が崩れてしまうのを恐れる癖に、それでも目一杯自分の力を振るってみたいという欲望に駆られてしまう。
彼女とはアプリを通じて知り合い、はじめから目的が一致していたので事に及ぶまでは早かった。
俺は彼女を思い切り抱いた。力の限り抱きしめ、荒々しく挿入し、野獣のように腰を振った。
彼女を抱いたことで男としての自信を…いや、人間としての自信と、尊厳を初めて得られたような気がする。だからこそ彼女には感謝している。セフレであるこの彼女とは、今付き合っている彼女よりも先に知り合った。今も関係は続いている。
かといってセフレである彼女との間に強い絆があるわけではなく、別れようと思えばいつだって別れることが出来る。向こうもそれを重々承知しているだろう。だからこそ俺たちはいつも初対面のような面持ちで会い、その距離感が心地よく、なんでも話せてしまう。そうした部分に甘えているのかもしれないが、これだってずっと続く関係じゃない。
付き合っている彼女はこのことを知らないが、今のところセフレとの関係を断ち切る気はない。このままひっそりと、続けていこうと思っている。
夏場になると高齢者の方が水分の補給を忘れてしまって熱中症になることがある。
話に聞くとどうも身体は脱水し始めているのにのどが渇いたという欲求を感じにくくなっていることによることに原因があるらしい。
自分の場合はそういう脱水を感じないこと性欲バージョンとでもいうのだろうか?
性欲が溜まってきていて、そろそろ抜いてあげないといけないのにそのことに気づきにくくなってきている。
もちろん自分は水分補給を忘れて熱中症になる高齢者の方ほど年齢がいっているわけではない。
それでも中年としては大ベテランといっていいほど月日は経った。
そのくらいの年令になると日々の強烈な性欲に惑わされることはなくなる。
週に一回程度は義務的に行っていた自慰行為ももうやめてしまった。
ときおり気が向いたときに興が乗ったときに自慰行為にふけることはあるものの、果てたあとの虚しさのほうが強くて気がつけばそのような行為を忌避するようになってしまっていた。
そう感じるほうが多くなってしまった。
我ながら歳をとったものだ。
……で、済んでいればいいのだがそうはいかないのが残念なところ。
性的な刺激を受ける機会が少なくなる。
いや、むしろ普段性的な感情を爆発させていないだけに一旦火が付くと抑えられなくなる。
そのことに気づいたのは半年まえほどのことだ。
ある日、仕事中ふと視界の中に入った、コピー機の前で用紙の補給をする新入社員の女性。
その曲げた腰つきが目に入った瞬間、異常な興奮とともに性器がカッチコチに固まってしまった。
自分の頬が上気して赤くなっていることだろうことが鏡を見なくても感じられる。
〇〇君(新入社員の女性の名前)から視線を外すことが出来ない。
その視線に気づいたのかどうか。
〇〇君がふりかえってこちらを見た。
今思い返すと。
それSNSや転職サイトに悪評を書き込まれる可能性があるってことだろ
全員ではないけど、観光ビザで入国して、不法就労したり家族を呼び寄せたりしている人を移民と呼ぶべきではない。
難民申請も強制送還を避ける便法として使われているだけなので、難民と呼ぶのも不適当。
日本の外国人受入制度は、欧米の移民政策の失敗を踏まえて制度設計されている。
大まかにいうと、ブルーカラー系労働者とホワイトカラー系労働者で違う。
ブルーカラー系の場合は、転職も大変だし、日本で働ける期間も上限が決まっている。
上限なしでとどまりたい場合、そうとう高度な試験に合格しなければならない。
一方、ホワイトカラー系の方はわりと緩やかで、人によっては永住権も取りやすい。
今後はブルカラー系労働者の比率が増えるけど、不正申請やごまかしが多いので、国側の仕事は増える。
また、ウクライナなど、難民条約上の難民には当たらない(出身国の迫害を受けていない)場合でも、在留を認める法改正があった。
認定されれば難民に準じて日本語教育などの支援が受けれるし、どこで働いてもいい。