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2018-02-23

会社子供つれてくるのは良いんだが、騒ぐな馬鹿女共が!!!!!(ブコメ返信追記2

かわいいぃい」「うわー」「ぎゃはは」

「もうババだよね…ババだよ~♪」

「うふふふ、あははははは!!」

「心が洗われるようだ」

い・い・か・ら、仕事しろ!!

休憩時間にやるか、他所行けアホ!!!

声がでかすぎるから抑えろよマジで。うるせぇな!!

私の席が会社入ってすぐの所にあるから

そこで騒がれると耳痛いし仕事集中できないんだよ。

どっかいけアホ共!!

ムカついたかトイレ避難したけど、

たぶんお昼までずっと居るぞコイツら。

仕事しろくそ野郎が。

※一応、私は女です


追記。

赤ちゃん連れてきたパートさんは「産休(育休)」で休みなのに会社子供を連れて来た。

会社を休んでいる人が、仕事をしている人の時間を奪い邪魔をしている状態

会っちゃったか愛想笑いして「かわいいですね」って言ったけど、

正直どうでも良いです離してくださいご飯食べに行きたいので。

ブコメへの追記

id:shiromatakumi 顔を出すだけじゃなくて、長居してるから増田はキレてるんだろ。

 その通りでございまする。

 お昼に食べたご飯が悪かったのか、トイレ引きこもり…ということで返信。

 まぁ、長いも嫌だけど、うるさいのも嫌。

id:koenjilala 子供結婚、温かい家庭、クリスマス正月不快になるのは、生育環境トラウマがある人だと思ってる。

あと、現在進行形不倫してる人。単純に職場の人に子供を見せたいだけなら昼休憩に飲食店で合流してた

 言い分に納得いかない。

 人の幸せを見てまるでこちらが僻んでいるような言い方だけれども

 私は仕事中にキャッキャとうるさい彼女たちに腹が立ったんだよね。

 別に来るなとは言わないけど、静かにしてほしいの。

 どっか会議室でも取っておいて欲しいんだよね。そういう意味では他の人が悪いんだろうけど。

 プライベートは順調です。

id:trini 小学生くらいの子どもがそういうふうに会社に来るときがあるけど、

今何が流行ってるの!?って逆にこっちが色々情報収集できる貴重な子どもと話す機会w

ちなみに、泣くことしかできない赤ちゃんです。話せません。

(社内では泣かない良い子だったけどね。周りの大人が騒ぎすぎてウザかった)

id:nekonuma そのパートさんは会社に遊びに行ったわけではなく

復職に向けた面談か何かがあって、顔を出す必要があったんじゃない?

子連れ出社で一番辟易しているのは、増田ではなく子供本人と親。それで馬鹿女扱いとは辛い。

 その可能性はあるな、と思ったか

 育休パートさんの上司と、人事件 経営経理担当にかるーく探りを入れてみた。

 聞いたら「可愛かったね~、急に来てビックリしたよ。会議室あいてないから、慌てた慌てた」と言われた。

 育休パートさん、[[お呼びでない!]]

id:quality1 産休育休中にも職場コミュニケーション取らないと離職率が上がってしまう。

これも人事的な業務の一つなのではないか

私の仲の良いパートさんは育休中に一度も来なかったよ……

一番悪いのは人事。キャーキャー五月蝿く騒いでる周りの馬鹿社員が悪い。

でも、可愛いって言わないといけないような状況にしている育休パートも要因のひとつだよ。

id:astromi 前に似たようなことがあった。子供大好きだし別に増田ほど忌避したりはしないが、

廊下の真ん中ではしゃぐのだけは勘弁してほしい。

道を塞がれると人権を踏みにじられたように感じてしまう。

わかる。邪魔はしないで欲しい。

別に子供嫌いってわけじゃないんよ。ここは職場から。てか仕事に集中したいときだったか

本気で勘弁してほしかった。

id:testa_kitchen 追記の『プライベートは順調です。』

『その可能性はあるな、と思ったから育休パートさんの上司と、人事経営経理担当にかるーく探りを入れてみた。』

←で「あっ…(察し)」と言う気持ちになった

これはどういう意図

お局だろコイツwwwっていう考え?

何を察したのか、この内容に「言及」して教えて欲しい。

私には全然わからんので。

「あっ…(察し)」って言い方が物凄く不愉快馬鹿にしてマウンティングする気満々にしか見えない。

馬鹿女に当てはまる人だったんだろうか?

2018-02-20

anond:20180220214006

種類による

クサギカメムシとかは本当に臭い

 

しか増田の言うこともわからなくもないね、糞尿の臭いとかとは明らかに異質というか、忌避感の程度が弱い

不快というより不愉快

 

夏場にバキュームカーが近くを通るとご飯なんて食べられたものではないが、

カメムシが飛び回って悪臭を放ち始めた空間でもご飯は普通に食べられる

anond:20180220022328

それな。人間の弱さを過剰なまでに忌避する独善タイプ

自分が何らかの理由で衰えた時に、誰からも助けの手を差し伸べられず、強い者に邪険に扱われながら怨嗟の声と共に孤立すればいいよ。

今居る「キレやすい老人」って案外、若い頃こういタイプだったのかもな。

2018-02-19

https://anond.hatelabo.jp/20180218033519

まあぶっちゃけ女性を避けて生活することはできるんだよ

電車で近くなったら離れることや降りることだってできる

女性に近づくこと自体痴漢を発生させるとして離れることを前提にすれば

痴漢冤罪であることをほぼ100%肯定することができる

もし近づいたら自らが痴漢行為を行う状況に瀕しているとすることで

していない痴漢犯罪要因となるが実際にはしていな時点では冤罪だという形で成り立つ

存在しいない悪魔はいった箱を悪魔の箱だと呼べば中身が空の状態場合は「まだ悪魔の入っていない状態の箱」なのだ

悪魔が入る前にあけてしまうと冤罪という仕組みだが痴漢場合は実際に入り得る

なので実際に痴漢を行わない時間までがすべて冤罪とすることができる

そうしないデメリットが大きく二つありひとつ痴漢をされたくない女性のために男性自虐的に行動しなくてはならないのかという問題

これは意識的問題なので女性は汚れている汚らわしいので近寄らないという定義にすればいずれなくせる

悪魔というのが忌避すべきだという存在定義だけであった時は避けられていたもの魔女裁判異端審問はては教育的なものとして

比較しよりよい選択肢のための排除対象として取り入れられるようになってただの凶悪な因子使い勝手によってはよいものでもあると

価値観の広がりから悪魔もふれてはいけない存在からふれてもいい場合やふれてメリットのある場合などが考察されるようになっている

逆に進行させれば女性禁忌にできようしかつては禁忌とされた事柄場所もあった

次に男性女性関係性についての産業

女性を呼び込めば男性がついてくるという構図でなりたつ料金制度商品サービスなどさまざまな分野でありそれは単体ではない

それぞれが関連し投資をしあい販路顧客をつないでいる

商業的にはこれがあまり乖離することは好ましくないだろう

逆に男女が大きく切り離されるべく必要商品としてなにか出てくるとそれは盛り上がるかもしれない

男性女性かを示すカードファッション文化など身体的な性別以外に分類やふるまいやサービス場所など開発の余地はある

しかし現状の市場が男女がそれぞれ半分ずつほぼ全世界的にあるのだからこれを破壊するメリットよりも企業事業存続が重要視されるだろう

いちばんいいのはやっぱり知らない女性には近づかないってことだよ

女性男性からどこの位置に立つべきみたいなのとあわせて

男性女性に対してどの位置にたつべきみたいなのを大昔のようにつくってかつ現代風に平等さをだせばいい

近づいて冤罪男性の負けだよ

2018-02-18

自転車通勤ときで恩着せがましい…って思ったけど

その自転車通勤ときすら忌避して専用車両を求めた属性もっと醜悪ということになってしまうので思いとどまった

2018-02-16

わかり手氏の魔女集会タグについての意見ログをなんとなく漁ってみての私感

わかり手氏のコメント炎上に近い状態になっており、自分も興味があったのでわかり手氏のツイートザクっと読んでみた。

以下引用

https://twitter.com/anbakurakoya/status/963574691775447040

https://twitter.com/anbakurakoya/status/964050886040289280

https://twitter.com/anbakurakoya/status/964051192367144961

ここまで引用

要点はここで、「キモさの自覚」というものをどう捉えるか、が肝になる。

私も俗に呼ばれる立派なキモオタなので、自分キモい、という自覚がどういったものなのか、想像がつく。

ここでいう、キモいことを自覚せよ、というのは、「その欲望自覚し、公共世界でそれを表出させないよう注意を払え。」ということだろう。

漫画小説アニメは素晴らしいが、まずはそうはいっても、現実に生きる自分は、冴えない集団に属し、替えの利く賃金労働をしており、あまつさえ大っぴらにすべきでない要素で高揚感や幸福感を覚えてしまう。ということを前提にせねばならない。

そしてなにより、人間はそこまで賢くはないので、創作美談に影響されて、性的であったり、支配的であったりする欲望リアルダダ洩れになってしまう。

行くとこまで行けば神の声が聞こえてしまう人がいるように、信心から妄想まで、いつリアル自分侵食するかわからないのだ。

ロリコンなので少女を守る、や、YesロリータNoタッチ、という標語はとても正しい視点で、ロリコンいか世間から受け入れられない嗜好か、を警告してくれている。

BL業界のような女性需要が多い萌え業界で、このような警告はあるのだろうか。

BLも、オメガバースも、おねショタも、ロリも、巨乳も、種付けも、触手も、NTRも、何もかもフィクションであるのは誰だってわかっている。

しかしながら、そういった欲望現実に表れてしまう、というのはみんなわかっているからこそ忌避するし、気持ち悪がる。(これは直感的な事実なので、ソースは聞かないでほしい。)

何も難しいことは書いていない。

要は、善良で無辜なる市民義務として、それは個性だとか、自分自分とか言わず、「うわ、こんなんあるんだ。」という態度を社会で示してほしい。

公共と想定されうる場面では、私はまともな倫理観社会性を持ち合わせています、とアピールしてほしい。

DQNだって酒で女眠らせてパコって写真撮って沈めた、とか身内以外では言わないだろう。

妄想から大丈夫みたいな言い訳ではなく、そういう内省をどこかに染み付けてほしいだけなのだ

2018-02-14

anond:20180210213227

それは非常に正論なのだが、その好きな人を選ぶ時点でズレてる女が多いと思う。

そういうのに見込みのない片思いをして、がんばっても相手が振り向いてくれないので非モテって思ってる女けっこういる。

たぶん、普通に気のいい身近な知人を好きになることから始めるべきなのではないかと。

2018-02-11

出しにくい感情

楽しい」「うれしい」とかポジティブ感情公共の場で出してもよくて、「悲しい」「辛い」「苦しい」などネガティブ感情は表すことを忌避される。

みんなの前では泣くな。辛そうにするな。顔に出さな。そう言われて、一人の時にしか表に出せない感情がある。

不均等で心の在り方に反する。もっと均等に表に出せればいいのに。

女になりたくなかった

幼少期に女嫌いをこじらせすぎた。

原因は母親ヒステリー

毎日夫婦喧嘩は絶えず、家ん中じゃ麦茶が飛んで皿が割れた。

喧嘩の発端は、毎回、母親が突然に不機嫌になる事だ。

母は人付き合いが壊滅的に苦手だったが、父の仕事関係で、妻として表に出る事が多かった。

その中で生まれネガティブ感情が、大体二週間ぐらいかけて『そもそも結婚なんかしなけりゃ』という不満に発酵し、その後は『超不機嫌モード』に移行する。

そんな母の態度に、生来短気な父の堪忍袋の緒が切れると、家の中で怪獣大戦争が勃発するという仕組みだった。



──と気付いたのは大人になってからで、幼い私は兄と抱き合って震えながら、『うちのおかあさんは何故急に怒ったり不機嫌になったりするのだろう』と考えていた。

喧嘩が終わった後、私たちはよくベソをかきながら父に聞いた。『なんで母さん、ああなの』と。『気に入らないことがあるなら、言葉で言えばいいのに』と。すると父はこう返した。

『母さんは女だから。女の人は男の人と違って理論的じゃないから、よくわからないところで感情的になるんだ』と。

私は兄と一緒にふんふんと聞きながら思った。

『そうか、女だからか。女ってクソだな。』

健全な性の道を踏み外し出す、記念すべき第一歩だった。



第二ステージ

母親を疎み、兄や父と主に過ごしてきた私の読書習慣が、歪んだ固定観念をより強固なものとするに至った。

少年マンガの購読である

(先に断っておくが、私は少年マンガ糾弾する気は一切ない。ただ事実ありのままに書き記していくだけである。そして私はありとあらゆるジャンル漫画が大好きだ。)



兄弟と育った私は、コロコロを読み、ジャンプを読んで育った。父のコレクションである少年漫画に手を伸ばし、特にドラゴンボールを好んで読んだ。

しかし私はドラゴンボールブルマちゃんが嫌いだった。天才科学者とかそういう長所は、曇りきった私の目には見えておらず、『何も出来ない癖にすぐ泣いてすぐ叫び、恋や欲求にすぐ目がくらむ、ヒーローの足を引っ張る存在』とそんな風に見えていた。『ああ、父を煩わせる母と同じだ。やはり女というものはこういうものなのだ』と。



同時に、私の性の芽生えの切っ掛けもブルマちゃんであった。

詳しくは割愛するが、あのマンガって結構えっちだよね。

とにかく女体に興味を覚えてしまった私は、こっそり父の読んでいる青年漫画に手を出した。前に一度ちらりと見えた時、なんだか非常にえっちっぽいページが見えたかである

親の目を盗み、どきどきしながらページを開いた。そこには大人世界が広がっていた。

どろどろとした愛憎入り乱れる大人世界だった。女はひどく誇張された化粧と共に描かれ、男相手に股を開いていた。

べっとりとした口紅と真っ黒な性器が、多大なる忌避感を私に与えた。



『おヴぁああああああああああああ』と私は心の中で叫んだ。

ブルマちゃんの可愛らしいお胸とは正反対のものがそこにはあった。

だがリアル調のその漫画の方が真に迫っているような気がした。

なるほどこちらが真実だったのか、と小学三年生の私は納得した。

『女はクソだ、内面だけでなく外面も。』

齢九、私は何処へも辿り着かぬ道へと順調に足を踏み外していった。

ついでに化粧が嫌いになった。



さて私はある時期より、重大な気付きに直面する事になる。

それは『自分も女である』という事実であった。

私は自分母親のようになる事を極端に恐れた。ゆえに『感情的にならない事、理論である事』を信条に掲げて日々を過ごしてきた。

また、既に女という性を軽んじていた私は、『女子なんか』と遊べば『女』になってしまうと思い込んでいた。

ここでの『女』というのは、しばしば侮蔑的な響きを含むあの『女』のニュアンスだ。『まったく女ってのは』というあの感じだ。



女子ままごと菓子を好み、恋の話に興じるもの男子は外で体を動かし、虫やボールを追いかけるもの。前者は幼稚かつ非建設的で、後者建設的なもの──。

私は男子に混じって遊んだ。虫をつつき、ボールを追いかけ、カードゲームに興じては『女子にはわかんねーだろ』と男子と一緒に男ぶった。

てめーも女子だろ。

ともあれ男女問わずパンを履きまくっていた時期にそれを咎められる事は一切なく、私はこのままずっと『男』に混じって生きていくものだと思っていた。



しかし年齢が上がるにつれ状況は変わっていった。



中学時代より、『女子』としての振る舞いをするよう諸所で注意を受けるようになった。

足を開くな、スカートを履け、髪を整えて身綺麗にしろ

私はその度に反発を覚えた。それが身に染み付いた女嫌いゆえであるというのには、未だ気付いていなかった。ただ女らしくしろと言われる度、いいようのない嫌悪が体を駆け巡り、肉体を引き裂きたいような衝動に駆られた。

父や母も男勝りな娘の教育ほとほと手を焼き、私を『反抗期』と称した。私もそうであると思っていた。

──『反抗期』という言葉に、ひどく感情的な、理論の欠如の時期、という印象を見出した私は、すぐに『反抗期』を終え、男らしく振る舞うのをやめた。

女らしく振る舞う事もしなかったが、それで周りは満足したようだった。



さて年月が過ぎ、こうして高校までをしのいで来た私であったが、大学へ出るに当たり、いよいよ『社会』という漠とした強敵対峙する事になる。

家族は言った。『お前もそろそろ化粧を覚えないと』。

Wait, what?

私は心の中で叫んだ。脳裏に浮かんだのは、幼少期に見た、あのべったりとした口紅と醜い性器映像だ。

あの醜悪気持ちの悪い化学製品を、醜い女の象徴を、私に塗りたくれと言うのか。

女は醜いものだと教え込んだお前達が、今度は私に女になれというのか。そりゃないぜworld。



齢十八。私は化粧から逃げ回った。

言わずもがな、最たる要因は、家庭環境の最悪だったあの時期に読んだ例の青年漫画だ。

あの裸の女が身につけていた口紅だ。自業自得はいえ、最早トラウマだった。

親はありとあらゆる手で私を説得しようとした。

『最低限のマナーから』『そんなんじゃ社会でやっていけない』『化粧は有害じゃない』

『今はただの練習でいいから』『ええい駄々をこねるのをやめろ!』。



さて、呆れた事に私は自分がなぜこんなにも化粧品嫌悪を抱くのかを、未だ理解していなかった。

いくら醜悪描写漫画で見たからといって、なぜそれが全てだと思い込む?テレビを見ろ、タレント達は男女問わず化粧をして美しいじゃないか。──』

その裏に繋がる根深い『”女性性”への嫌悪』に気付けなかったのは、外面的な事に関して言えば、私の嫌悪がごく限定的である為であった。

化粧、ヒール、裸体を連想させるような肌の露出。装いに関して嫌だったのは、この三点に尽きた。

別に女の肉体を持っている事について、不満はない。

男の肉体が欲しいとも思わない。

着物であれば女性のものを好んで着たし、ミニスカートヒールでなければ、多少はフェミニンな装いも吝かでない。

非常にややこしく凝り固まった嗜好がどこから来たのかと、私は大いに悩んだ。

こうして書き出せば理路整然としているが、書いていない様々な事ゆえに気付きは遅く、私は自分が一体何故こうも屈折しているのかと懊悩した。



齢十八と半分。ようやく気付いた切っ掛けは恋だった。

幼馴染に、太陽のような男がいた。

高い背とおおらかな心が皆を惹き付け、彼の周りには男女問わず人が集まった。

私と男は気安い仲だった。ある時、抱えきれなくなった想いを彼に吐露した。

彼は赤面していた。想いが伝わったのだと浮かれ、私は何度も愛を告げた。間違いなく、あれがそれまでの生涯で一番幸せな時だった。

やがて彼は真っ赤な顔をして、はにかみながら、人を惹きつけるあの笑顔でこう言った。



『お前も可愛いよ』



大抵の女性であればここで舞い上がったのだろうか。しかし私は違った。

『おヴぁああああああああああああああ』と心の中で叫んだ。待て、お前、可愛いよってなんだ。可愛いよってなんだ。

かにも、私はその瞬間まで気付いていなかった。男に慕情吐露する事がどういう事なのかを。人として心から愛していたから、それを告げたい。ただそれだけだった。無責任な事だったと今なら思う。

いや、私は付き合いたいとは思っていたのだ。だがそれが必然的に『女扱い』に繋がるという事に気付いていなかった。彼は私に化粧やお洒落を望むだろう。まだ若く健全な男として、『可愛い彼女』を会得する事を望むだろう。

私は絶望した。

私はこの男を愛してはいるが、彼の女にはなれない。自分の中で育ててきた固定観念が、私に盛大に牙を剥いた瞬間だった。

ようやく私は自身に深く根をはる『”女性性”への嫌悪』に気が付いた。



私と幼馴染はどうともならなかった。

幼馴染も馬鹿ではない。彼は『可愛い』という形容詞がおよそ私には合わない事にすぐ気付いた。



暫く友人以上恋人未満のような関係を続けたある日、彼は言った。

『やっぱ俺、お前を女としては見れない。』

私は返した。

『然もありなん。』



さて、ようやく氷山の全容を眺める事が出来るようになった私だったが、ぎちぎちに凝り固まった偏見を見つめ直し、途方に暮れた。どれだけ難儀な奴だと。

いっそ潔く『俺は男だ!』と思えたら楽だった。

いっそ『女は等しくクソだ!』と思えたら楽だったかもしれない。

だが私は男でないし、女はクソではないし、女友達普通にいたし、大好きだった。

『””』を使って『”女性性”への嫌悪』と書いたのは、この『”女性性”』が、『世間一般蔓延してはいるが真ではない、女性に関する漠然として、かつ悪意を孕んだ偏見』に過ぎぬ為だ。

ネット漫画で嫌という程に見る”醜い女像”など、現実人間関係では見た事がない。

強いて言えば母親ヒステリーぐらいだが、それもも母親を一個の人間として見られるようになってからは、『母は女だからそうなのだ』という訳でない事を知った。



全てが根拠なき偏見ゆえと気付けたのなら、何も気にせず、ただ己として人生を歩めるだろうと思っていた。

だが、最早これは理論ではなかった。『女』として社会に出る事を考える度、『女らしい』格好をする度、どこからともなく嫌悪と惨めたらしさが迫り上がった。

『女の格好をすれば、きっと皆私を”女”と見るに違いない。甘ったるい菓子を好み、ぺちゃくちゃと甲高い声で噂をし、感情的に泣き叫ぶ、あの生き物と同類に思うに違いない。──』

『あの生き物ってどの生き物だ。お前の女の友人に、そんな奴が一人でもいるか。あと誰もお前の事は気にしねえよこの自意識過剰野郎。』

絶え間ない反駁でどうにかその考えを埋葬しようとするが、気が緩むと、それは何度でも蘇っては私の前に立ちはだかった。

また、たちが悪いのは、偏見が純然たる嘘でもない事であった。

私が私の中に根付かせた偏見は、何も初めから私が生み出したものではない。

漫画文学ネット、口さがない噂。

母親の姿。

買い物に少々時間をかけて良いかと問いかけ『女の子ってほんと買い物好きだよね』と返された事。

転んで涙を滲ませた私に『女って何ですぐ泣くの?』と問い掛けたクラスメイト──。



世間”が私を『女』と見る。女として生きたくない。いやそれは偏見に過ぎない。お前は女の友人達侮辱するのか。だがこの先、私が囚われてきた偏見と何度直面する事になる?

いっそ男になりたい。いやそれは逃げで甘えだ。男達をも侮辱する考えだ。だが少なくとも、私が嫌悪してきた女性性を押し付けられる事はなくなるだろう?



一つ、確かな事がある。私に恋愛が出来る気はしない。

私は幼馴染を心より愛していたが、『女』として扱われるのは耐え難かった。いっそ最初から男であったなら、私は彼を友人として愛せていただろうか。

近頃、新たに気付いた事がある。寝台で、男に抱かれる女としての自覚を得た途端、私は完全に不能になる。



必ずしも恋愛がしたいわけではない。

ただ目の前の人々を愛し、尊重し、あとは流れるままに生きていければいいと思う。

反面、やはり人と愛し合ってみたいという願いも漠然と持ち続けている。



こうなりたくてなったのではない。だが後ろ向きでもない。

『女はこうだ』『男はこうだ』と括る前に、目の前の人間を、一個の人間として見る事、

己と違う、十余年、数十年の生を歩んできた人間を、ただ一人の、別個の人間として尊重する事を信条に、

取り敢えず前を向いて生きている。

2018-02-10

ヴィーガン人達健康ちょっと心配

ちょっと前にヴィーガンがどうたらこうたらってのが話題になってた

俺はヴィーガンではないのだが、料理趣味なので興味本位でその手の料理チャレンジする事はある

豆腐関連のレシピ普通料理にも応用が利くものが、結構あって料理の幅を広げるのに役立てさせて貰ってる

豆腐唐揚げ鶏肉っぽい食感を再現できた時は、ちょっと感動した

ただ、気になる点はある

レシピ通りに作ると塩分多過ぎじゃない? という事が多いのだ

理由は分かる

豆腐などを肉や魚の代わりに使ったレシピ場合、肉や魚を使った料理そのままの同じ味付けではかなり薄味になってしまうから

肉無しで料理を作ると強く実感できるのだが、肉や魚の持ってる味の力は凄まじいものがある

ヴィーガン人達に言わせれば「動物性たんぱく質中毒になっているからだ」というところなのだろうが、俺は単に食材としての旨味の濃い、薄いの違いでしかないと思う

ヴィーガンの人は味の素の様な化学調味料忌避する人も多い

当然ながら動物性のダシも使えない

禅寺の料理みたいに昆布+干し椎茸などの乾燥キノコのダシなどである程度は補えるとはいえ、全体としては旨味不足になりがちだ

それを補う為に濃い味付け、特に塩分を多く使う傾向がヴィーガンレシピにはあると思う

もちろん、それこそ禅寺の修行みたいに自分精神を高める為のトレーニングとして、薄味のヴィーガンレシピで頑張ってる人は問題ないとは思う

ただ健康の為に肉を控えようみたいな考えで、でも薄味だと満足できないから濃い味付けでごまかしてる人は、塩分摂取量には気をつけた方がいいのかもしれない

特にネットで公開されてるヴィーガンレシピを真に受けて作ってる様な人は、要注意だと思う

2018-02-07

モンハンの「ゆうた」レッテル

モンハンワールド皆さん楽しんでいますか。

自分は楽しんでいます。以前、ヘビィボウガンに対する愚痴を書きましたが、それでも楽しんでいます

ちなみにヘビィボウガンのあまりの変わりっぷりに弓に移行しました。

 

今、モンハンワールドで起こっている、「斬裂ライト」について、言わなければならないことが有ります

最初に言っておきますが、私はかなりガンナー側です。

それはほとんど近接をしないプレイヤーであることと、近接は近接で武器種によって互いに敵視しているような感じが見受けられるので元々「太刀一本」とか「ランスにこだわり」みたいな話を避けてきたからでもあります

 

近接職の皆さんは、斬裂弾を使い、近接プレイヤーをふっとばすガンナーを「ゆうた」と認定していますよね。

私はそれが残念でなりません。

 

ヘビィボウガンのガンナーとして、斬裂弾は確かに忌むべき弾だと思います

私がヘビィボウガンに惹かれてやっていたのは、近接の動きを阻害することなく着実にダメージを与えて貢献する裏方のような武器が好きなためです。派手な行動、大きなダメージ必要なく、ただただダメージを黙々と与えることに快感があったからです。

それをダメにしたのは斬裂弾でしょう。ダメージは派手で、エフェクトも大きく、そして味方ハンターをふっとばす。性能は言うことなし。ピンポイント射撃破壊可能部位に着実に切断ダメージを与え、ヒット数が多いからか相手をひるませる事も得意とします。

間違いなくですがこの斬裂弾は壊れ弾種です。大タル爆弾ボウガンから発射しているといっても過言ではないと個人的には思います

 

そのぶっ壊れ弾である斬裂弾を最大限に使う戦術を「斬裂ライト」と呼びます

ライトボウガンの機動力を斬裂弾の高火力で活かしに活かし、ころんだ相手には必殺地雷殴り(ハンマーよりスタン値が高い)で頭を殴る。全く隙のない戦術です。

自分興味本位作りましたが、驚きました。火力はと言うと、(装備が火力盛りではありますが)ヘビィボウガンと同等の火力を出しつつもヘビィボウガンのようなもっさり感はなく、スタミナ管理必要なく、回避判断を迫られることもなく、立ち位置を決められる事もなく、ただただダメージを与えていける。

ヘビィボウガンネルギガンテと戦うとだいたい5~6分かかるのですが、初めてライトボウガンを使ったにも関わらず4分程度で倒せ、なんというか、初めてP2で覇弓を使ったかのような錯覚すら覚えました。

 

こんな強力な戦法が広まらないわけがなく、今では結構ライトボウガンをもったガンナーがいます

そう、上で述べた「剣士をふっとばす斬裂弾」を最大限に使った最強の戦術で戦うガンナーが。

 

そんなプレイヤーを指して「ゆうた」とするプレイヤーが多く、残念でしかありません。

「斬裂ライト」は厨戦術ではあり、確かにプレイヤーの性能を必要としないです。(もちろん、プレイヤーの性能が良ければもっとスゴイことになりますが)

しかし、この斬裂ライトは今使ってる弓、使っていたヘビィ、全てを総合して「ガンナーであれば最大限の火力」であることは間違いがありません。

私が「はきゅん☆を初めて使ったような錯覚」と言いましたが、これは的外れではないと思います

モンハン詳しくない人に説明すると、モンハン一年ぐらいすると「G」と名前がついた「アップデート版」がでるのが通例(2を除いて)なのですが、モンスターハンターポータブル2ndというゲームも、Gというアップデート版が出ました。

このアップデート版には難易度の一つ上のモンスターG級」が出てきて、このG級モンスターから作る武器は当然無印のものよりも数段強いものになるのですが、2ndに出てきた「覇弓レラカムトルム」という武器は強すぎたためこのアップデート版で弱体化が行われ、なんと、弱体化前の性能をほぼ同一の武器G級モンスターからの素材で作れ、しかもその性能が全然G級通用した、つまり「一つ上の難易度武器を使えていた」と言っても差し支えないがない事が起こり、「はきゅん☆」という愛称で呼ばれているのですが、まさにこの斬裂ライトも「一つ上の難易度武器を使っている」ような印象を強烈に受けました。

 

言ってしまえば現状「斬裂ライト」はガンナーの最適解です。

その最適解を「ゆうた」といって忌避しているのが残念でなりません。

 

来そうな反論に対して

だったらソロでやってろカス

ソロでやってろと指図すること自体おかしく「ゆうた」のような人の心を理解していないことに気が付かないのか。

モンハンそもそもワイワイとやるゲームであり、例えば味方をハンマーがかち上げてしまっても「すまんやで」「ええよ」で終わるはずである

それを斬裂ライトだけ目の敵にし「ゆうた」とレッテル貼りソロでやれ」というなら大半の武器選択肢を無くす。

ワイワイとやるゲームじゃなくて効率を求めるゲームだとしたら、それこそなんで効率のいい斬裂ライトを使わない選択肢を取っているのかが謎である

 

味方をふっ飛ばし迷惑をかけんな

斬裂ライト迷惑をかけたくて斬裂弾を撃っているのではない。これがガンナーの最大効率ダメージから使っているだけである

その行動に味方をふっとばすという行動がついてしまっただけで、本質的にはガンランス砲撃を織り交ぜたコンボをし味方をふっとばしてしまう事となにが違うのか。

また、ふっとばすからという理由ガンランス砲撃封印しろと言うのか、いや、言わない。

そもそも、味方に迷惑をかけない武器のほうが少ない。ほとんどの武器に味方をふっ飛ばしたり打ち上げる行動がある。自分ダメージを求めるがあまり味方に迷惑をかけていない武器種のプレイヤーけが斬裂ライトに石を投げなさい。

 

近接が殴らないところに撃て

それはごもっとである

ソロの方が斬裂ライト効率がいい

それもごもっとであるぶっちゃけ、斬裂ライト野良マルチ行くやつは私もどういう思考なのかはわからない。

 

私の立場

「斬裂ライト」は肯定する。

この「斬裂ライト」はゲームバランス調整から来たものであるため、肯定する。

すなわち、ゲームバランスの調整が甘かったから出来上がったビルドであるため、プレイヤーがそれを利用することに何ら問題はないと思っている。

から自分問題とするのは「失敗したゲームバランスである」という事。

まりにも斬裂弾は強い。先程も言ったように大タル爆弾を撃ち出しているようなものだ。このバランスを「調整不足だった」とカプコン認識させたい。

まりMHW初期バージョンはガンナーにとって不幸せバランスである」事を、周知させ、ここに残しておきたい。

ハッキリ言うと、悔しい。ボウガンものすごくクソ化した作品はない。使わない方がいいと言われた時代もない。ただただ、ボウガンの強みを信じて貫通弾を撃ってきた私にとって今作のボウガンの調整は楽しくない。結局ここに行き着く。

斬裂弾を使わないことも考えて、貫通強化や通常強化、属性弾が撃てないボウガンは無属性強化で火力アップを信じて最大限貫通弾が輝ける装備も考えて考えて、ワクワクドキドキしながら作った。

でも、それをしても斬裂弾を使わないという行動はただの縛りプレイしかなかった。目の前にパソコンがあるのに、国語辞書言葉を調べるような、そんな非効率しか感じなくなった。そもそも強化をしたボウガンは貫通弾の攻撃力を上昇させたが、斬裂弾の攻撃力も上昇させるので意味がなかった。

それに気がついてしまった時、私はのびのびと自由に狩りをしているつもりが、斬裂弾に縛られている事に気がついた。私は執着していたヘビィボウガンを捨てて、弓を手に取っていた。というか、竜の一矢をでかいモンスターにぶち込むのはまさに自分が求めていた貫通弾の在り方であった。

から認識してほしい。

・斬裂ライトはとても強く効率のよい戦法である

CAPCOMはこの調整をミスだと認め、Gをまたずして調整・アップデートをするべきである

わかったら、CAPCOM要望を出してくれ。それが斬裂弾に縛られ、武器を変えてもまだ縛られているガンナーからの願いである。

2018-02-06

なんか美術館の絵が時代遅れどうこうって問題になってるけど

そもそも美術館ってそんな時代の先端に沿った時流に合うものばっか置くようなものなのか?

だいたいが結構な古いものを置くものであって、むしろ人によっては時流に合うものばっか置くほうを忌避するのもいるってイメージなんだが。

場合よっちゃ古いからこそ価値がある的な考えもあろうと思うんだが。

まあある美術館が、最先端の新しい芸術のみおきますって言うのならそれは個別事例として良いのかもしれんけど

美術館一般が古いのが合わない場所みたいに解釈してるような意見を見ると素人目ではとても違和感を覚える。

仮に歴史的には評価されて、現代価値観では評価されなくなったものでも、そして歴史的評価とやらが今考えてみると間違いで負の歴史であったのであっても、

それを伝えていくというのだってやっていけないということはないのではないのかと思う。

2018-02-04

俺TUEEEとか全然本質的じゃない。

そもそも強さとか相対的ものなので、自分対象Aより強いってのは、対象Bと自分関係に影響を与えないのだ。俺TUEEEEとかその意味全然重要でも本質的でもない。

俺TUEEEEに期待されているのは「対象にはアクセスできない権能や理由によって俺の強さが保護される」という非対称性だ。たとえば、原始の荒れ野においてそれは一本の棍棒だ。その取るに足りない棍棒が、「俺専用」であり他者からアクセスできないとする、その非対称性こそが俺TUEEEEの魅力であり、爽快感の源泉なのだ

著名人への匿名批判でも幼稚園に俺だけ通わせろでもそれは全く同じ構造で、「俺にだけアクセスさせろ」なのだ双方向とか相対的なのは気持ちよくない。公平でゲームバランスがよいなんてくそくらえ。

現実世界はおおむね相対主義だしダブスタ忌避される。しかしその忌避されるものこそ手に入りさえすれば蜜の味なのだ

他人差別糾弾しつつ自分差別放題がエンタメなのだ弱者である自分は救済を共用するが、自分自分より弱者を救済しないのだ。戦闘にもならない片殺しが人々の願いなのだ

強いことなんて面倒だ。なぜなら強いということから利益を引き出すためには戦闘を経なければならないからだ。そんなの手間がかかりすぎる。求められてるのは戦闘ではなく優遇だ。俺は自由謳歌したいが俺の自由を支えるための不自由は俺以外の誰かが義務として背負うべきなのだ

2018-02-02

友達友達じゃない?

この匿名ダイアリーは、ある二人のすれ違いを片方の視点から書いた非常に不平等ものだということを前提に置いてほしい。

私は同人作家で、文章を書いている。今回話題に出す友達同人作家で、そっちは漫画を描く人だ。

数えるのも億劫なので適当に記すが、数年の仲になる。結構長い方だ。

2ジャンルほど一緒にいて、互いの感想を言いあったり、合宿をしたり、楽しい日々を過ごしていた。

ある時、彼女は別のジャンルに行った。我々が今までいたジャンルマイナーで、あちらはドがつくほどのメジャー人口は勿論、優秀な人材の数だって違う。

その中で、彼女は大きく変わった。

階段飛ばしと言いたくなるほどの勢いで、どんどんうまくなっていった。

彼女処女作と最新作を並べると、ストーリー人物、背景諸々が別人では?と思うほどだ。

私は寂しかったし、どんどん飛翔していく彼女に対して素直に祝福できなかったけれども、表向きは称賛を惜しまなかったし、陰で努力を始めた。

変わったのはもう一つ。当然だが、目が肥えた。

合宿をしたときに、彼女がぽつりと言った。「A×Bのカップリング小説で、上手なものを読みたい」と。

そのカップリングは私との共通のもので、「じゃあ私が何か書くよ」と言いたかったけれども、日和見をして「●●さん(同じCPの人)なら書いてくれるよ」と答えた。

そうしたら、彼女は「美味いA×Bの小説が読みたい」と言った。それで話は終わった。

「私が書く」と言えばきっと彼女は「書いて」と言ってくれるだろう。だが、私が黙ればそれきりだったことを考えると、私は「下手なA×B書き」だったのだろう。

生憎オプティミストではないのだ。

そのジャンルでの他の彼女は、あまり思い出したくないことが多い。

私の住む都市でのイベントがあった時、彼女は私の家に泊まって、私を置いてジャンル人達と遊びに行ってしまった。持って帰ってきたのは食べかけのお菓子。まあ、ゴミだ。

遊ぼうと思ってどこに行こうかとか考えていたけれども、どうやらうちはホテルだったらしい。

逆に、彼女忌避するジャンルに私が参入して、電話で何度もやめておけと言われたこともある。モラル的な意味では彼女は間違っていないことだけは、明記しておく。

他にもたくさんの嫌なことがあった。良かったことなんて数えるほどだろう。

そして、ある時、私の新しいジャンル彼女が様子を見にきた。

正直なところ、このジャンルキャラクター以外はあまりよいものではない。

なので、彼女を前にして、不満をぶちまけてしまった。

彼女は人であり、不満をぶちまけるためのバケツでないとわかっているのに。

それでも彼女は話につきあってくれて、カップリングの話になった。

私が好きなのはα×β、彼女が好きなのはγ×βとしよう。

彼女考察が好きで、その末でのγ×βが好きなのは否定しない。

そして、α×βが成立する理由を何度も何度も聞いてきた。

私はフィーリングカップリングを決めるから、その辺りの相性は悪いのだろう。

だんだんつらくなってきて、責めるのはやめろ、人のカップリング否定するな、議論時間無駄だ、などと言ったと思う。よく覚えていない。

彼女議論なんてするつもりはなかった、といって、しばらく連絡を絶った。

しばらくかっかしていた私も、段々寂しくなって、何が問題だったかからないままに、なんとなく謝罪した。

そこで今に至る。

今、私たちは時折戯れる程度の連絡を取るだけだ。

互いに互いを傷つけあって、何が友と言うのだろう。

これ以上何かが起こる前に、相手と縁を切るべきか。

他にいないくらいに大好きな気持ちのまま友達で居続けるか。

答えはいまだ出ていない。だって、おばかだもん。

何があってもあの子が大好きという、究極のおばかだ。

はずかしい追記

修正方法自己解決しました。ご迷惑をおかけしました。

2018-01-29

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仏教ではカルマは「自分ではコントロールできないこと」を意味する。同じく仏教では、ダルマは「自分コントロールできること」を意味する。

「この順番」で考えるだけでどんな悩みも解決できる

Amazon.co.jp: 天才の閃きを科学的に起こす 超、思考法――コロンビア大学ビジネススクール最重要講義: ウィリアム・ダガン: Book

幸福への道はただ一つしかない。それは、意志の力でどうにもならない物事は悩んだりしないことである

エピクテートス

提要 エピクテートス 人生談義〈下〉 エピクテートス

諸々の存在のうち
ある物はわれわれの権内にあるが
ある物はわれわれの権内にない
意見や意欲や欲望忌避
一言でいえばおよそ
われわれの活動であるものは
われわれの権内にあるが
肉体や財産や評判や官職
一言でいえばおよそ
われわれの活動でないものは
われわれの権内にない
そして
われわれの権内にあるものは
本性上自由であり
妨げられず
邪魔されないものであるが
われわれの権内にないものは
脆い隷属的な
妨げられる
自分のものでないものである

そこで次のことを記憶しておくがいい
もし本性上隷属的なもの自由ものと思い
自分のものでないもの自分のものと思うならば
君は邪魔され
悲しみ不安にされ
また神々や人々を非難するだろう
だがもし君のものだけを
君のものであると思い
君のものでないもの事実そうであるように
自分のものでないものと思うならば
誰も君に決して強制はしないだろう
誰も君を妨げないだろう
君は誰をも非難せず
誰をもとがめ立てしないだろう
君は何一ついやいやながら
することはなく
誰も君に害を加えず
君は敵を持たないだろう
けだし君は何も害を受けないだろうから

エピクテートス 提要 1 人生談義〈下〉 epictetus


ラインホールド・ニーバーの祈り The Serenity Prayer

[ゲシュタルトの祈り][Gestalt Prayer]

私は私のことをします。ですから、あなたはあなたのことをして下さい。

anond:20180129022125

現実ゲイが嫌いな腐女子や、ミサンドリー腐女子も知ってるけど

彼女たちがフェミニスト自称したのは見たことないし、むしろ忌避している印象だったけどな

単に年齢が若くて、政治的なことや差別問題について無知なだけな人もいるし

まあ腐女子も多様で、腐女子当事者としてもうまく捉えきれない

2018-01-28

男性(女性)恐怖症は差別

女性だけの街の件では「男性性犯罪者と見なしている」とか「憎むべきは性犯罪者であって単に男性排除するのはおかしい」みたいな意見がちらほらある。はてなでも人気のある意見だと思う。

そこで思ったのが男性(女性)恐怖症の人の事だ。私の周りにはいないので正確な症例は知らないが、そういった人は対象性別にひどく忌避感を覚えるらしい。これは差別ではないだろうか。仮に過去に異性にひどい目にあって患ったとしたら、本当に恐怖すべきは異性全体ではなくひどい目にあわせたその異性ではないだろうか。

病気から仕方なくて許される差別なのか。そもそも私の考え方が間違っていて差別ではないのか。一周回って実は私が男性(女性)恐怖症の人を差別しているというオチなのか。

精神的な病気理解がありがちで、差別を許さなはてなの人たちはどう考えるのだろう。

2018-01-27

統計的事実に基づくなら差別排除OKなのか…?

http://b.hatena.ne.jp/entry/conia617.hatenablog.jp/entry/town-for-woman

birisuken8574 でも実際に犯罪者の約80%が男だからな。女性女性だけの街を作りたくなる気持ちわかるよ。



赤と緑のカラースター黄色スターが約350、と。

これだけ大勢の支持者がいるんだね。

統計的事実に基づくなら、犯罪性向の高い属性を恐れたり忌避したりすることは仕方がないし、

そうした犯罪性向の高い属性がよってこないゲーテッドコミュニティ設立するのも無理からぬ、と。

まあ、気持ち分かるよ。

私も西成なんか絶対住みたくないし、スラムからは遠く離れた場所に住みたいし。

でもこれは差別排除ではないんだよね。

それはもちろん、差別ではなく、統計的事実に基づいた自己防衛感情の発露に過ぎないわけで。

そうか、よかった、私は差別者でも無ければ排外主義者でもない。

はてなにいてよかった。

2018-01-25

生きたいのか死にたいのか分からない

死ぬために天井の梁にロープをくくる金具とロープを買った。

今日金具を取り付ける作業をしようと思ったら大寒波と雪のせいで気力が出てこない。

死ぬつもりはかなりあるのに、生きていたら先々に必要ものを準備しようと考える。

少しは動くけど、寒さに逃避して録画した深夜アニメを見つつビールを飲む。

自分でも生きたいのか死にたいのか分からない。

死にたい気持ちが根強くあるのは確かだ。

一方で死ぬための作業への恐怖もある。

苦しんだり長引いたりするのが嫌なんだ。

一発で簡単に確実に死ね方法があれば実行したい。

でもそうした痛みや苦しみを忌避したいというのは生きているからだとも思う。

迷いはますます迷走する。

2018-01-24

https://anond.hatelabo.jp/20180123140326

たか二次ロリ絵で、変態殺人鬼かのように忌避され侮蔑されるのに

いつでも人が殺せる凶器に乗ってる人間冬タイヤを履かないという故意の行動には、この程度のリアクション

人の危機感なんて、みんなそんなもんよ

2018-01-22

スクールセクハラ

スクールセクハラ」に注目が集まるようになってきた。

先日、それをテーマに取り上げたテレビ番組を見て勇気付けられた。というのも、これを書いている自分自身、かつて被害を受け、被害に伴うPTSD等にえらく苦しんだ経験があるので.....

注目が集まるのは認知が広がったり予防の上でもいいことだと思う。

ただ、「スクールセクハラ」に該当する行為の内容・被害の深刻さに対して、名前があまりにも軽いんだよな。

性的いやがらせ」じゃ生ぬるい。「性暴力」以外の何物でもないよな、って思う。

はいえ、「スクールセクハラ」って名称のよさもある。

忌避感が薄く、普及しやすそうだし。広範囲のものを含むことができそうだし.....とか。

何にせよ、

これを契機に、地域を問わず被害に遭った子が、短期間で充実したサポートアクセスできるようになってほしい。そういうことの実現を願っている。

2018-01-14

生きることは贈り物です 人を大切にしましょう 自分を大切にしましょう

死人の腐った臭いのする言葉だ。

おまえらが大好きな感動ポルノと何が違うというのだ。

自分の好きなことをやるというのは、他人迷惑をかけることだろう?

お前の配偶者は、他者恋人になれない。なれたとしてもそこで順位ができる。

そのことに無関心でいられる人が一体どれだけいるだろう?

自分が最も愛してる人が、他者キスをする時、自分との予定よりも他者との予定を優先した時、

その相手を憎いと思わないのか?その相手嫉妬をしないのか?その相手を殺してしまいたいと思わないのか?

人だけじゃない。仕事ポストだって限定だってそうだ。

もっとさなもので言えば、自分が買おうと思った最後の一個のおにぎりを横から割り込んだ他者に取られたら?

体が動くことは幸せな事だ?一体何を言っているのだろう?当然のことが幸せ

どうして体の動かない奴と自分を比べて感謝しなければならないのだろう。

どうして言葉話せない奴と自分を比べなければならないのだろう?

どうして皮膚病で体から異臭のする奴と自分を比べなければならないのだろう?

綺麗事を言う奴は、その綺麗事を好む奴は、その言葉自分が綺麗になったと、立派になったと思い込みたいだけだ

路上で車に引かれて、血と泥まみれになった鳥を見て、可哀想可哀想と言ってスマホ写真を撮る奴ら

糞尿を漏らす、夜中に徘徊する、突然泣きわめく老人を殺した人を人でなしと罵る奴ら

痛みを、苦労を、責任忌避して、快楽を、安楽を、権利を、求める奴ら。

俺の、お前の、生まれたばかりの赤子の、オーストラリアで死んだ若者の、事だ。

2018-01-11

anond:20180111204148

地球人の側は相手星人にメロメロになって、やたら仲良くしようと必死になるけど

向こうから見ると地球人の外見がマジで無理なために、その必死さがキモがられる、という悲しい展開になる

人間の外見を忌避しない、地球イヌネコ感謝せよ

anond:20180111113217

その人はあなた迷惑をかけているの?

そうでないなら、他人をどうにかしよう、どうにかできると考えるのは傲慢ではない?

そういう思考一種の病的なもののように思える。

時代により比率は変われど、世の中には一定割合のそういう人が常にいるものだ。

それをどうにかしようとするのは複雑すぎる困難な問題だし、一個人の手に負える問題ではない。

から政治アプローチしようとしている分野。そこに、個人が「常識」やら「モラル」やら「病気」やらを説いて、

説得、恫喝暴力などで人を動かそうとしたところで、それは人権を脅かしかねないゾーンに足を突っ込むことになる。

から個人レベル戦略としては、他人を変えようとするより、自分が変わる・自分環境を変えることが良策だろう。

身内だったら、無理にでも叱ったり躾けたりして家族全員の価値観をある程度統一することも許されるかもしれないが、前時代的な考え方だ。

価値観多様化した現代においては、一緒に暮らす家族といえどまったく異なる価値観問題を抱えている。成人ともなれば尚更だ。

 

そもそも科学的には自由意志存在しないのが濃厚で、自己責任というもの存在しえない。

科学的には存在しないものを、社会的に秩序立てるために存在する、自覚しろと言っている状況がある。

不幸なことに人類は脳がたいへん発達しており、はっきりした自意識は持っている。

ただし、自意識を持っているからといって、神経系の全権を自意識が有しておりコントロールできる訳ではない。

しろ1%たりとも自分意図的に脳を動かせる人などいない。腸を意識して動かせる人がいないように、それは勝手に動く。

その脳は、感覚器を通した周囲の環境からインプットを、肉体的に好悪を選好しつつ電気的に保存しておくものしかない。

それに基づいて、その人の言動のようなアウトプットが成される。

それを私たちは、自分意思で決めたのだと感じているに過ぎない。

それでどうして、自己責任などと言って、一個体にその言動責任を負わせることができるだろうか。

その意味で、この宇宙には自由意思もつものなど存在しないだろう(宇宙を創った神のようなメタ存在を除いて)。

諸器官が作り出すハーモニー自由意志幻覚を見せているだけで。

脳をハッキングすれば、その人の好みも価値観発言コントロールできることは想像に難くないだろう。

そしてそれには、高度な神経科学技術必要なく、大昔から、脳のインプット源をコントロールする、

いわばソーシャルハックのような形で世に溢れている。

というか、教育からビジネスまで、人類の営みのすべてがそのソーシャルハックに終始していると言えるほどだ。

 

その人が社会に出ることを忌避する思考の持ち主に育った原因には、遺伝的(先天的)なものもあるかもしれないし、

育ちによる(後天的)なものもあるかもしれない。現代では特に後者の影響も大きいだろう。

人間の脳は成長の過程で、外部からさまざまな情報学習して、そこで個人個人で異なった価値観形成する。

普段似たような価値観もつ人たちと社会生活を送りがちな人間は、そのバラエティの深さについて思い至りにくいし、それゆえ寛容を欠きがちだ。

率直にいうと、あなたがもしその30になっても働かない人として生まれ、その人生を0歳から現在までトレースしてみたとき

彼と同じようにならない自信が持てるだろうか?持てる人は存在しないだろう。

彼のような状況、心境、価値観に至るには、他人とは共有できないさまざまな巡り合わせの累積があったに違いないからだ。

 

それでも彼が生きているというだけで立派で賞賛すべきものだ。

働かずとも生きているということは、養ってくれる存在がいて、愛されているということだろう。

愛されるに足るだけの存在でい続けているんだろう。

扶養者が親であれば、当人への理解も深かったり、あるいは親としての責任も感じてかもしれないが、

それでも勘当されないだけの関係性を保っているんだろう。

家事を手伝ったり、面倒事を代行したり教えたり、体を労ったり話相手となったり、あるいは存在だけで癒やしとなったり。

それらの価値を、扶養者が受け入れているという事だろう。

会社社会価値基準でみるとそれらは釣り合わぬ価値かもしれないが、その価値基準がすべてではない。

あるいは相続した蓄えで生活しているのかもしれないが、それはそれで認められた権利だ。

ここは社会主義国家ではないから、働けるけど働かないことが直ちに罪になるわけではない。

それぞれの境遇にあったそれぞれの生き方模索することが許される現代国家の、労働が急速に自動化されていく未来において、

増加していく「働いてこなかった人」はむしろキーとなる。

労働に心身と時間を費やしてきた人の目線だと、働いてこなかった人を見下しがちで怠惰人間だと思うかもしれないが、

人間無限怠惰はいられない。労働市場ただちに評価される形ではないかもしれないが、

彼らなりのスキル感性を日々研ぎ澄ましながら生きている。

オンラインゲームをしながら、最適解を導き出すために高度な関数APIを駆使して計算・発表する技術を身に着けていたり、

あるいはチートクラッキングについてのディープ知識をつけているかもしれない。

そういった類のものは働きながら学習するのは困難だ。

そこまで高度でなくとも、ゲームを続けていたならゲームについて人並み外れた審美眼が養われており、

テスターだとかブログのような形で何かの機会に活かされる可能性がある。

他にも、Webコミュニティ(wikiギルドなど)のメンテといった、有志に頼る、大変だけどお金にならない部分をニートが支えている例は多いのではないだろうか。

ニートはいえ、労働市場に出るのは嫌でも、人の役に立ちたい、褒められたいという欲求は人並みにあるものだ。

なので人知れず、市場経済にではなく人間社会に対して良いインパクトを与えている可能性を考慮してほしい。

きっと2ちゃん良識的で穏健な発言をして荒れるのを防ぎ、初心者に優しくしているのもニートおじさんなのだ

彼らは、働いて疲れて擦り切れて攻撃的になっている社会人のみなさんの棘を受け止めてくれているはずだ。

ニート歴数年とかの駆け出しニートは逆に精神不安定で拙い言動迷惑をかけることが多いのかもしれないが、

基本的ニートは肉体も精神も拘束されることがないので、金はないが心の余裕があるものだ。

その余裕で人を包んであげたいと思うのは自然なことで、ネットでもらう匿名の温かい言葉ニートによる率は高いと思う。

忙しい人は、そもそも無関心になりがちで、応じるにしても一言二言で短絡的に答えがちだから

 

そんなわけで、増田のみなさんには、働かざる人に対して一概に人格否定したり、どうにかしようと攻撃したりしない人になってほしい。

働かざる人を許容できるようになっていかないと、わりと深刻に国の未来は暗いと思う。

ミニマル環境適応し、モノやココロ断捨離に自ずと卓越していくニート知恵袋が、

収縮していく社会で穏やかに生きるためにはきっと役に立つはずだから

時にはフレンドリーに、いろいろ話を聞いてみてほしい。

よく話せば、誰しも決して無知蒙昧な人間のクズではなく、世界見方世間とは違うだけの、いい意味で「普通人間」だと気づくはずだ。

あなたとて、何かに躓いて世界見方が変わってしまう機会に直面したら、明日は我が身なのだし。

2018-01-06

anond:20180106142509

若者保守化と言うと盛りすぎだが、まあ若い子の中に保守化していく人らはいる。

その人たちは、政治とか思想がどうのという以前に、もっとカジュアル左派に反感、右派に好感や共感を持ってるように感じる。

それで考えたんだけど、若者がそう感じるのは経済とかの影響もあるけど、昔っから言われる「若い世代反体制になりやすい」っていう原則のまんまなんじゃないか

なんで反体制保守化なのかというと、この場合反体制は反教育からだ。

70年代後半~90年代まれくらいの世代だろうか、彼らを支配してきた「体制」は、「政権」ではなく「学校」や「親」や「テレビ」など「教育」だった。

そこで教えられるのは、人に優しく、思いやりと助け合い自己犠牲調和謙虚戦争への反省武力忌避、驕らない、政権批判などなど……

保守自民党政権でありながら、なぜか学校などでは現在左派が主張してるような内容が教育され、そして若者自分たち支配してきたそれに反発しているように見える。

一時期、日教組ネットでめちゃめちゃに叩かれていたが、あれは日教組若者にとっての「体制」だったのだろう。

なんせ地方によっては、現在存命の日教組OBが「わが県の教育歴史中央との戦いの歴史だった」というようなことを言ったりしている。

教育反体制だった。だからそれに逆らう若者は反反体制となり、それが結果として保守になっているという流れがあるのではないか

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