はてなキーワード: POTATOとは
2024年4-6月期 雑誌印刷部数を分析する | 広報・PR支援の株式会社ガーオン
https://gaaaon.jp/blog/2024_4-6mediadata#66b98424362a712259f5c021-1723449543860
コロナ禍で息を吹き返したかのように見えた女性ティーンズ(アイドル)誌のMyojoですが、85,000部減の156,667部となり、ここにきてコロナ前よりも悪化してしまったようです。
【2019年】
10代 | 20代 | 30代 | 40代 |
16600 | 6100 | 3500 | 3300 |
【2023年】
10代 | 20代 | 30代 | 40代 |
9500 | 4900 | 3800 | 3800 |
🍵
@KEbab_3tuR
コロナ禍 9万台後半、コロナ明け 7万弱、2023年1~3月と4~6月だけ特需的に8万9万台で、その後7万弱
duet
雑誌「ポポロ」が休刊、32年の歴史に終止符(コメントあり) - ナタリー
https://natalie.mu/music/news/583203
「ポポロ」編集部は、X(Twitter)アカウントを通じてコメントを発表。突然の発表となったことを謝罪しつつ、「1992年の創刊以来、32年以上もの間、絶大なご支援を頂きましたことを、この場を借りまして厚く御礼申し上げます」「長年ご愛読いただき、誠にありがとうございました」と感謝の言葉をつづっている。なお休刊の理由については「諸般の事情」と記されている。
麻布台出版社が刊行する「ポポロ」は、1992年に創刊された月刊誌。STARTO ENTERTAINMENT(旧ジャニーズ事務所)所属のタレントを中心に、人気俳優らが誌面でフィーチャーされていた。最終号の表紙は森本慎太郎(SixTONES)、宮舘涼太(Snow Man)、なにわ男子、Travis Japan、Aぇ! groupらが飾っている。
この日が巡る度、毎年思い出す。
しんどかったな~って笑
ハッシュタグの飛び交う中、嬉しいのに純粋に120%この日を喜べない思いを消化し、きちんと喜べる日にしようとこの日記を書きました。
そもそも何故なにわ男子の結成日が『6日』なのかと言うと、Duet、POTATO、Wink UPの所謂『3誌』の発売日だからである。
なにわ男子の結成は上記3誌で発表された為、発売日の2018年10月6日と相成った。
どこのユニットもほぼそうだと思うが、結成日と言いつつ正確には結成『発表』日である。
早売りの情報が流れて来たり、見ない様に流れて来ない様にしたりの毎月であるが、この日この情報を見なかった関ジュオタクはいないと思う。
メンバーは西畑大吾、大西流星、道枝駿佑、高橋恭平、長尾謙杜、藤原丈一郎、大橋和也。
今と同じ7人である。
メンバーが発表されたことで、この短文の情報がありとあらゆる関ジュのオタクに混乱をもたらせてしまった。
·MAINで活動していたのは西畑大吾、向井康二、大西流星、室龍太の4人だったのに4人中2人の名前が無い。
年齢的にオタクも焦っていたと思うので、下から下克上を起こされ、省かれた様な空気が流れた。
·藤原丈一郎·大橋和也の公式ユニット加入も、Funky8と言う屋良朝幸くんの作ってくれたユニットの事実上自然解散を思い知らされない訳にはいかなかった。
『リューン』の時に丈ちゃんが言っていた『3列目の逆襲』が本格的に始まったのである。
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正門良規·小島健(もんビバ)
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※西村拓哉·大西風雅·嶋﨑斗亜·岡﨑彪太郎·當間琉巧(ちび5)
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※藤原丈一郎·大橋和也·林真鳥·古謝那伊留·朝田淳弥·今江大地·末澤誠也·草間リチャード敬太
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他
※は場合によって入れ替わっていた様に思う。
此処のもんビバを飛び越えてしまったことにより、もんビバ担にも衝撃が走った。
こじけんは兎も角、この年はれんれんのデビュー年でもあり、当時の関ジュからするとユニットもないのに『デビュー』なんて言葉が思いついている訳もなく、同期の正門くんも『早くデビューしてほしい』どころか『やめないで』と言った不安が気持ちが何処と無く漂っている時期であった。
そんなこんなで、なにわ男子と言うたった7人のユニットが結成されたことにより、ほぼ関ジュのオタク全員をゆるがす大事件となってしまった。
当時私は関ジュ担のTwitterに住んでいたが、あの日の凍った空気は忘れられない。
(今後の自担が何も見えていない中でとてもじゃないけど『おめでとう』等言える心境ではない)
(そんな空気の中でとてもじゃないけど喜べない)
私は当時からなにわ男子のメンバーの担当であったが、例に漏れず誰からも『おめでとう』とは言ってもらえなかったし、自分自身も何も発信出来る空気感ではなかった。
(兄組の担当さんはまた違ったのかもしれない)
色々書いたが空気的にはやはり『康二くんは?』と言うみんなの思いが1番強かった様に思う。
そんな一夜にして訪れた問題の数々をオタクが解決出来る訳も無く、私達にはその時『Fall in Love』と言う梅芸公演が迫っており、常に目の前に見えていながらその問題は一旦見ない、と言った本当に無理矢理な方法で終わった。
勿論なにわ男子に入る入らないで関ジュオタク同士がお互いを好きになる訳でも嫌いになる訳でもなく、複雑なその問題は受け止めつつ華麗にスルーする運びとなった。
関西Jr.のバリバリサウンド、略して関バリと言うラジオ番組は当時藤原丈一郎·大橋和也·正門良規·高橋恭平の4人がレギュラーメンバーとして放送されていた。
丈くんの面白さ、正門くんのフォロー、橋橋のおバカ加減が絶妙なバランスで、この中に担当がいない私も当時は毎週楽しみに聴いていた。
メンバーを見てお分かりのことと思うが、4人中3人がなにわ男子となった。
生放送だったので同じ時間軸で進んでおり、なにわ男子が結成されて初めての放送を固唾を飲んで聞いていた。
挨拶は変わらず、『関西ジャニーズJr.の藤原丈一郎』『大橋和也』『正門良規』『高橋恭平です!』で始まった。
ユニット名を名乗らないどころか、その日の放送ではなにわ男子が結成された話は1mmも出なかった。
こんな大きなニュース近年の彼等に無かった筈なのに。
彼等もまたオタクと同じ様に、『なにわ男子を一旦スルー』することを、なにわ男子も、なにわ男子以外も、選択していた。
彼等もきっと、苦しんでいた。
私は、『あの大らかそうな正門くんでもこんな空気になってしまうのか』とことの重大さを改めて思い知ることとなった。
一方で、その頃丈くんは『タイヨウのうた』と言うふぉ~ゆ~辰巳くん主演の舞台にも出演していた。
当時なにわ男子は勿論関ジュも今みたいな爆発的人気はなかった為、この舞台も当日券で、大阪の初日を観劇することが出来た。
そこには、最後のカーテンコールで『なにわ男子の藤原丈一郎です。』と挨拶をする丈くんがいた。
『僕、今初めてお客様の前で『なにわ男子』って言いました』と嬉しそうに言っていた。
関西ジャニーズJr.が他に誰もいないこの空間で、初めて丈くんは何にもとらわれず自由に『なにわ男子』を出すことが出来ていた。
話は戻るが、SNSでの反応が芸能人に届かない時代でもなく、恐らくなにわ男子自身が1番反対されている空気感を感じ取っていた(SNSでは応援より批判の声が常に大きいしね)。
それが梅芸初日に立ってみて『応援されていることが分かって安心した』と言う様な彼等の当時の発言に繋がっていたと思う。
梅芸が終わり、クリパが終わり、序列が変わったことをオタクは口に出さずに徐々に受け入れて行くしかなかった。
そんな時にまたしても大事件が勃発する。
私は入っていなかったが、同日に3公演もあり、それぞれを観ていたオタク達10人近くと夜に打ち上げと言う名の新年会をすることになっていた。
終演後、出て来たオタク達は精神状態がかなりボロボロであった。
ROTでも取り上げられているし、素顔4でも発売されたが、公演があんな状況であった。
マイドリでみんなが泣いている。
今迄ああ言う時の関ジュは誰かが辞める時であり、『この人が辞める訳では無いと思う』『こっちかなぁ?』『何だったんだろう?』と解散する迄ひたすら答えの出ない議論が繰り広げられた。
康二くんのSnowMan加入は彼に残された最後のチャンスであったことは誰の目にも明らかであり、喜ばない人はいなかった半面、あんなに関西を愛して来た彼が何故東ジュにならないといけないのか。
そんな中、希望が見え始めたのが『Lilかんさい』の結成である。
私はユニットが『なにわ男子』だけでなくなったことに心底安堵した。
元々『ちび5』として非公認ながら5人でいることが多かった為、こちらは誰も増えず欠けず、すんなり受け入れられた様に思う。
そして『Aぇ!group』の結成。
Funky6の行方が知れない中での末澤·草間、そして間にいたもんビバの活動が保証されたことで、なにわ男子担的にも自担の長年のツレが多いユニットであり、『良かったね』と言う雰囲気であった。
立て続けのユニット結成であり、非加入組担にも既に『関ジュは変わってしまった。仕方がない』と言う空気も流れていた。
こうして、『一方的に叩かれ続けたなにわ男子』はこの辺でふんわりと歴史を閉じることとなる。
その後、龍太くんも俳優専業となり、真鳥くんも振付師への転向、朝田くんは3月の春松竹で退所と、徐々にみんなの道が決まって行った。
夏の8·8で、康二くんは加入から7ヶ月でデビュー組への階段を昇ることが決まり、同じく夏にAぇ!groupはなにわ男子より先に単独関西ツアーを回ることになった。
叩かれたのは何だったのか。
Aぇが出来たことによりこれで叩かれなくて済む、と言う安堵感と、モヤッと感と。
そこから何年も経ち、なにわ男子が出来てからのファン、デビューしてからのファンがもりもり増え、何のしがらみもなく純粋に喜ぶ人が沢山増えた。
10月6日は、私にこの1年弱の色々な感情を思い出させる日にちなのであった。
ちょっと話してみたい。昔の話だ。
若い頃、都内の繁華街にある飲食チェーンで店長職を務めていた。今はもう会社を辞めて実家に帰り、細々と親の仕事を手伝ってる。農業を営んでるから、食料品という意味では繋がってる。
あの頃はまだ30代半ばで、男が乗っている時期だった。心も体も無理がきいて、若者の考えもなんとか理解できて。懐かしいなぁ。今では50代が近づきつつある。
守秘義務とか一応あるから、どこの飲食チェーンかは言わない。読んでるうちにわかるかもしれないが。できればそっとしておいてほしい。
何の話をしようか迷ったが、『人』の話がいいだろう。何人かに絞って話がしたい。皆、よくも悪くも思い入れがある。三人だけ挙げよう。
もちろん仮名だ。雰囲気で名付けている。背は低めだったかな。危なっかしいけど、素直な子だった。だが、ある事件を機に店を辞めてしまった。
大学二年生で、MARCHクラスの大学に通っていた。やんごとなき方々が通いそうな大学名だった。私は専門学校出なので、大学生と聞いただけで眩しい感じがした。
彼は夕方~夜のメンバーだった。クローズまで残ることもあった。ところで、ある従業員I氏との折り合いが悪く、さらにスダ君が好きだった女子店員TさんがI氏と交際していることもあってか、勤務中に不安定な感じになることがあった。若さというものだ。
閉店作業中にI氏と諍いになることがあったらしい。マネージャークラスのアルバイト従業員の場合、連絡日誌を付けるのだが、そういう報告をみかけた。
実際、迷ったものだ。I氏は当時、二十代前半のフリーターで、付き合っていたTさんは大学四年生だった。I氏はほかの女子アルバイトにも手を出していた。時には、新人クルーを無理やり自分のビッグスクーターに載せて、当店の近くにあるラブホテルに直行することもあった。
相関図
I氏 ⇔ Tさん ← スダ君
↓
当時は2000年代の半ばだった。男のそういう行為も甲斐性のひとつとされた時代だ。迷惑行為ではあったが、相当の戦力だったため目を瞑らざるを得なかった。
ある年の秋、閉店数時間前だった。いつもだと、店の目の前にある事務所でシフトを作ることが多いのだが、この日ばかりは実店舗で指揮を取っていた。どんな時間帯にもインして、店舗の運営状況を確かめねば……という意識もあったが、正直この日は気分だった。
夜9時頃、スダ君がお店にインしてきた。この日は3時間半のシフトだ。だが、様子がおかしい。足早にタイムカードを切ったかと思うと、店の奥にあるシンクに手をかけてうずくまるように立っていた。
ほかのアルバイトも「様子がおかしいのでは?」と察していた。私は、スダ君と仲のいい大学生ふたりに事情を聴くように指示した。こういう時はこれでいい。私が聞いても真実を答える保証はない。聞き取りするとしたら彼らの後だ。
大学生ふたりが聞き取ったところによると、スダ君が事務所に入った時、こんなことがあったらしい。
・運悪く、スダ君が入ってきた音に気が付かずに目撃することとなった
・過去にもスダ君の目線からみてそうなのでは、と思うことがあった
これには悩んだ。どう対処すればいいのか。店を預かる者としては判断に迷うところだ。というのも、I氏もTさんも、はっきりいって当店の最高戦力(I氏はマネージャークラス、Tさんは接客専門職クラス)であり、辞めてもらっては困る。困るのだ。ただでさえ人手不足なのに。
本来は免職処分とすべきだ。事務所を本来の目的以外に使うな、とは言わない。待機時間に学校での課題を片付けたり、シフトを上がった後にお喋りをするとか、そういう使い方をしてもいい。少しくらいは。
ただ、過去においては、休憩室で飲み会を催していたクルー3名をまとめて免職処分にしたことがある。線引きが難しい。
結局、I氏もTさんも当店に残すことにした。I氏は「次やったら辞めさすぞ」と何度もクギを差したうえで、出勤停止の処分とした。Tさんは、大学卒業まで残り数か月だったのもあり、比較的温情のある処分をした。※思惑までは書かない。自分なりにバランスを取ったつもりだ。
スダ君には、「人生いろいろあるけど挫けてはいけない」「あなたはひたむきだから。きっと報われる時がくる」など精一杯フォローしたものの、冬になるまでには店を辞めて、同系列チェーン店に移籍した。確か、そこの店長から電話があって、「面接に来たけど、彼どんな子?」と聞かれたから、「ひたむきでいい子です。ちょっと心が弱いところもありますね。でも、戦力になりますよ」と答えた。今でいうリファラル採用だった。
それから約一年後、あの時スダ君から聞き取りをしてくれた大学生から連絡があった。スダ君が、移籍した先の系列店でマネージャークラスにランクアップしたという。私もその店に行ってみたところ、確かにスダ君がいた。社員と同じ服装でキビキビと働いていた。あの頃とは雰囲気が違う。人間として成長したのだ。
それからすぐ、私も遠方の店に異動になってしまって、スダ君を見ることはなくなった。今はどんな人間に成長しているのだろう。いい男になっているだろうか。そんな未来を願っている。
この子は、いわゆるプレーヤータイプの極致だった。ほかの繁盛店から移籍してきた子で、クルーとしての実力は折り紙付きだった。POSでの接客もキビキビとこなすし、サービスレベルは最低限以上だし、料理を作るオペレーション作業も人並み以上にできた。
どんな分野でもマルチに活躍できる子だった……ただし、現場作業に限っての話ではあるが。残念ながら、性格であるとか、人格であるとか、気質であるとか、そういうところに問題のある子だった。
話は逸れるが、圧倒的美人だった。街を歩いていたら男は皆振り返るし、雑誌でモデルをしていたとして不思議ではない。そういうルックスの子だった。
ただやはり、性格に難があった。気に入らないクルーに雑談を振られても冷たい態度を取ったり、無視することがあった。相手のことをミカンの皮くらいにしか思っていないのだ。
ある時だったか、フナモトさんの接客の現場でこんなことがあった(※当時は、女子で厨房に入る子は極端に少なかった)。母親と子どもふたりがレジに並んでいて、子どもがおもちゃ付きセットの説明を求めた。店内のカウンター横には、おもちゃの反則セットが豪勢に飾ってあった。※フナモトさんmaidになる。
だが、彼女は冷たい様子で「ポケモンです。種類はこちらから」とメニューを指さすだけだった。そのお子さんが十秒ほど迷っていたところ、フナモトさんがローファーの先でコーヒーシロップやストローが入ったラックを何度も蹴り飛ばすのが見えた。
またある時などは、夜の店内におばあさんがテイクアウトの注文後、「お水を持ち帰りでくれませんか」と言ってきた。フナモトさんはマニュアルどおり「お水は持ち帰りができません」(※衛生管理上の問題。お客の家で水が品質劣化した場合など)と答えたところ、おばあさんは「車にいる孫が薬を飲むので……水がほしいんです」とのこと。
さて、こういう時はどうすべきか。一応、会社のマニュアルには、接客については「ルールに準じつつも、自分らしい接客スタイルを求めてください。お客様のためになる接客を。迷った時はマネージャーに指示を仰ぎましょう」といったことが書いてある。
フナモトさんはおばあさんに告げた。「その子がカウンターまで来るなら用意できます」と。なるほど、機転が利いている。おばあさんが了承したところ、フナモトさんが水を用意してカウンターの前にいるおばあさんに水を届けた。
しかし、おばあさんは水を取って、そのまま車に戻ろうとしたのだ。フナモトさんが一瞬早かった。おばあさんの二の腕を掴んで、水泥棒をガードしたのだ。
船「ダメっていいましたよね!?」
婆「いいでしょ。やめて!」
船「ダメって言ったよな、おい!?」
婆「ちょっと!」
船「おい!! ……お廻りさん呼びましょーか?」
婆「……」
さすがに堪忍したのか、おばあさんは諦めて外の渋谷通りに留めてあった車に歩いていった。私はその様子を観ていたけど、どっちもどっちだと感じた。フナモトさんはお客様ファーストではなかったし、おばあさんにしてもジュースを買えばよかっただけのことだ。別に水でなくてもよかった。
私だったら、「本来は衛生管理上の問題があり認められませんが、今回はお薬の事情があるということで持ち帰りを認めます」と言っていただろう。マニュアルに反する行為ではあるが、これなら上の人間が観ていたとしても申し開きできる。
三つ目になるが、フナモトさんが専門学校を卒業する半年前のことだ。店内のポジションを替わりたいという要望があった。弊社では、漢字表記だと接客専門職とでもいうべきランクがあり、それに選ばれるとお洒落な制服を着ることができる。昔懐かしい、アンナミラーズの制服にちょっと似ている。
だが、それはフナモトさんのわがままに過ぎなかった。本人から理由を聞いたところ、「可愛い制服だから、最後に着てから卒店したい」とのことだった。当然却下したのだが、それに激昂したフナモトさんは「だったら店を辞めます!!」と宣言して、マネージャールームのパイプ椅子を立った。そのまま事務所を出て行き、二度と連絡してくることはなかった。残りのシフトはバックれてしまった……。
約二週間後、別の系列店から「フナモトさんという子が面接に来ているけど、どんな子ですか?」という問い合わせがあった。ちょっと迷った挙句に、こんなことを答えたかな。
「一本筋が通った子です。いい方に働くこともあれば、そうでないこともあります」
と告げた。嘘は言っていない。確かに嫌な別れ方はしたけれども、かつての仲間だ。応援はしたい。少なくとも、ほかの店への移籍を妨害したくない。
人格者じみたことを書いたけれども、保身のためでもあった。フナモトさんとは過去に二度、ホテルに行ったことがある。お店の公式飲み会があると、私はいつも若い子だけの方がいいだろうと思って(一万円を置いて)早めに帰るのだが、その時は最後の方まで残っていた。
宴も酣(takenawa)ということになって、二次会に行こうと幹事が言い出した後で、フナモトさんと帰り道が一緒になり、いろいろ話すうちに飲み直そうということになった。私はまだ三十代だったので、いろいろと抑えることができなかった。
フナモトさんの見た目はクールビューティといったところだが、いざ一緒に寝てみると情熱的なところがあった。やはり、体のいろいろな部分が柔らかかったのを憶えている。そういう体験が二度あった。
それで、上の段で電話を受けた時は、フナモトさんが暴走したらよくないことになるのでは……!? という懸念があった。そうはならなくてよかった。
思い返すと、これも懐かしい記憶だ。あの子は今も元気にしているだろうか。健やかであってほしい。
この子も鮮烈だった。当時は大学生。独得な雰囲気の子で、普段はボーっとしているかと思えば、厨房でのオペレーション中は熱気に満ち満ちていた。閉店時のクローズ作業も抜群に早かった。
難点があるとすれば、マイペースなところや、人を怒らせる発言をするところや、常識のなさだった。ある時などは、冗談だと信じたかったが、早朝の開店作業中に「今日は気合いを入れるためにビールを飲んできました!!」と宣言していた。
今でいうところの、発達障害というやつだと思う。そうでないならパーソナリティ障害か。医師ではないので判断はできないが。
さて、そのワタベ君だが、大学三年生のある時に「マネージャーになりたい」と言ってきた(※説明が遅れたが、正社員の仕事をするアルバイトをいう)。確かに、作業能力的には余裕でマネージャークラスだった。しかし、彼の発達障害的な言動は、他のアルバイト仲間の間では賛否両論だった。マイルールに対して過剰適応なところがあり、それが特に若い高校生クルーとの間に軋轢を生んでいた。
当時のマネージャー全員に賛否を聞いたところ、半々ということになった。これは低い数値だ。普通は八割以上が賛成する。そして、ワタベ君本人に対して「貴君の意に添いかねる」という意思を告げたところ、なんと……彼は弾けた。バックレたのだ。
フナモトさんと違って、自分のシフトはちゃんと消化していったが、店長である私に何も告げずに店を辞めた。ほかのアルバイト仲間には辞めることを伝えていたらしい。なんということでしょう……(劇的ビフォーアフター)。
でも、これでよかったのだ。こういう極端な行動を取る人間は管理者として相応しくない。彼がマネージャーになっていたとして、またどこかで軋轢を生んで誰かが店から消えてしまうような、そういう事態になっていたに違いない。
それから、約七ヶ月が経った頃だった。なんと、ワタベ君がお店に戻りたいという(ほかのマネージャーから聞いた)。なんでも、そのマネージャーにワタベ君が電話をかけて「就職活動が終わったので店に戻りたい」という旨を伝えたらしい。
これは、社会人でいうところの根回しに相当する行為だ。ワタベ君は成長したかもしれなかった。直球ストレートではなく、カーブを覚えた的な意味で。ワタベ君やるなぁ……。
実際、この時期はとんでもない忙しさだった。スタッフの頭数があまりに少なく、基準に達していない人でも雇わざるを得ず、それがまた現在のクルーとの摩擦を生むという悪循環だった。さすがの私も、相当な日数出勤することになった。時間外手当はゼロだった。名ばかり管理職というやつだ。
話が逸れた。数日後、ワタベ君とマネージャールームで面談をしたところ、次のような意見があった。
・もうマネージャーになりたいとは思わない
・これまでは申し訳なかった
・週に四日以上必ずシフトに入る
まあ、バックレではあるが、これからちゃんとするならいいだろうということで、ワタベ君を再雇用することにした。
しかし、私が人を見る目がないのは皆様すでにお分かりのとおりだ。本当に見る目がない。この会社でも、最終的にはエリアマネージャー(部長級)までは行けたのだが、そこでさらに上のクラスの人達と揉めごと(本部長クラスのセクハラ関係)を起こしてしまい、最終的には理不尽な降格処分(店長に戻れ!!)を突きつけられ、会社を辞めることにした。
さて。ワタベ君は普段はマジメだった。しかし、稀に凶悪な面を見せることがあった。ある日の早朝、お店の目の前に食品資材を搬入するトラックが停まっていた。ワタベ君は、せかせかと動いてトラックドライバーと協力し、荷台から野菜ジュースやコーラのシロップタンクやPotatoを下ろし、店内に運んでいた。
だがある時、見てしまった。トラックドライバーの目を盗んで、ワタベ君が野菜ジュースが50本ほど入ったビニル巻きの段ボールを――丸ごと盗んでいるのを。一瞬の早業だった。私でなければ見逃していたね。※一応、どうやって盗んだのかは伏せる。同様の行為を防ぐため。
その時ほど、自らの人を見る目のなさを恨んだことはない。ワタベ君はすでに雇用三ヶ月目だったし、彼がいなければ深夜と早朝のシフトが回らない。困った事態だった。当時の私には、見て見ぬ振りしかできなかった。
それから、ワタベ君は大学卒業まで店に在籍した。発達障害はやはりそのままで、ほかのアルバイト仲間との小競り合いが度々起こった。実は、ある時期から人手不足は解消していて、別にワタベ君には辞めてもらってもよくなっていた。クビにしようかと思ったことがある。しかし、性格や人柄が悪いとしか思えない彼が、多くのスタッフから嫌われながらも、一部のスタッフには懐かれているという現象を目の当たりにして思い留まった。
なぜ、そんな判断をしたのか? 彼は本当に悪どい人間なのか、と思ったのもあるが――今風の言葉でいえば「多様性」だ。彼は確かに、社会人以前に人として未熟なところが多くあった。だがしかし、一部の得意分野においては紛れもなく輝いていた。だったら、嫌なところには目を瞑ろう。それが当時の私の判断だった。
風の噂だと、新卒時点での彼は、都内の某区役所で地方公務員としてのキャリアをスタートしたらしい。東京生まれの東京育ちだから、やはり地元が一番ということだろう。彼も、元気でやっているといいのだが。
以上で終わりになる。
当時を振り返ってみて、間違いだったと思われる行動は多々ある。どれだけ後悔しても足りない。でも、それも人間だ。迷いながら進んでいくしかない。
ところで、満たされない心というのは、すごく大切だと思う。当時も今も、満足できる仕事をこなすというのは、とてもとても遠いことだと錯覚していた。
成長していくためには、これまでの自分を一人ずつ殺害していく必要があるのだと30代の頃は思っていた。朝が来るから起きるのです、みたいな当たり前のことだと思っていたけど、違うんだな。
人生が満たされなくても、自分は自分なのだ。理屈も何もない。ただ、それだけだ。だから、店長として飲食チェーンで働いていた頃の失敗だらけの自分も、今では受け入れられる。そういう情けない私まで含めて私なのだ。再確認できてよかった。
【続きのようなもの anond:20230328202632】
三年前に祖母が亡くなったとき、私は孫代表スピーチを頼まれた。それで葬儀に出るまでの短い間におばあちゃんとの思いでをふりかえることになった。
そのころ大好きだったアイドルが載っていたMyojoやPOTATOを見せて、おばあちゃんに誰が好みか聞くと、「みんなすてきでかっこいいけど、この子が明るい感じでお話がしやすそう」といって、当時の私の推しを選んでくれた。
画家だった曾祖父の描いた、ふたつのあけびが木になるままにはじける刹那をとらえた、グロテスクで美しい日本画をいつもいとおしそうにながめていた。
横山大観の展覧会に行きたいというから、じゃあ一緒に行こうと博多駅で待ち合わせをした。前日に何度も何度も電話で確認したホームにおばあちゃんはいなくて、慌てて必死に探したら、私の母が以前に贈ったあみめの大きなベージュのレースのよそ着をきて、博多口のすみっこにぽつんと立っていた。
ずっと戦争の話をしなかったのに、終戦70年の年だけは、学徒の鉢巻きを巻いて軍需工場に潜水艦の部品をつくりにいっていたこと、午前中から午後の四時半まで作業して、だからろくに学校にいけないまま学齢を終えてしまったことがとてもくやしく、今もかなしく思うことを、ぽつりぽつりとはなしてくれた。
彼女は何らかの情感を込めて、何かを語り伝えようとして話した様子ではなかった。そのとき自分の身におこっていたことを「それ以上でも以下でもない、ただ覚えていること」として恬淡と、他の話題と何もかわらない調子で話すものだから、太平洋戦争は決して歴史上の出来事ではなく、今日につらなる地続きの事実であり、たった今目の前にいる彼女や誰かの人生なのだなと私は思った。
さきの戦争は、今ここにあり、明日へ続く祖母のきた道の最初の方にあることで、彼女にとっては、そのときすごした日常にほかならないのだと。
そして、桜の咲く時期にみやまの清水寺に行こうねとずっと話していたのに、とうとう行かずじまいになってしまった。
またいつか会える日があれば、絶対に行きたいと思っている。
そういうことを、ひとつひとつ言葉にしながら思い出していったのだけど、そのときその話をきいてくれていた男性と私は、まさにセックスを行おうとしており、私は話しながらも彼の乳首をいじりまくっていた。
彼は私の話をしばらくしんぼうづよく聞いてくれた後、「ごめん、気持ちいいのとしんみりするので感情がくちゃくちゃになる。集中できないので乳首かおばあちゃんの思い出話かどちらかにしてほしい」というようなことを言った。
わたしはそれもそうだなと納得したので「ごめん、確かにしんみり乳首はよくないね」と反省の意を示した。それでしまいのつもりだった。
ところが大変なゲラである男性は、「しんみり乳首」ということばがどうにもツボに入ってしまったようで、ひとしきりげらげらと笑った後、怒り出してしまった。
彼は、エロとしんみりの相性がいかに悪いかということ、自分の考えをまとめるためにしゃべりながら手すさびのように他人の性感帯をさわるのはよくないこと、自分がされて嫌なことを人にしてはならないこと、エロと笑いの相性はエロとしんみりの相性よりもさらに悪いのだから、しんみり乳首などという単語を創出するなということを、怒りながらひとつひとつ述べた。
もう今日はそういう気分がそがれてしまったので一回寝る、よくよく反省したまえ、というようなことを最後にいわれてお説教は終わった。
私はそのひとつひとつのことばに反論するすべをまったくもちあわせておらず、しかし性行為への未練があったためにちょっとはぷーぷー言てみたが、男性の、今日はもうそういうことはしない、という決意が翻らないとみるや、おとなしく就寝した。
セックスは翌朝にした。
そして昨日も、私はその男性と性行為を行おうとしていた。(この3年間恒常的に会っていた)
生理で少し間が開いていつもよりむらむらしていたし、世間話をしながらこたつの中で足をもちゃっとさわりあったりしていたので、頃合いもよいだろうと、私は「乳首が吸いたい」と切り出した。
しかし彼は、勤務先の広報誌の自分が載っているページのことについて話したかったらしく、私の「乳首が吸いたい」という言葉を全く無視して、広報誌を広げて「このページの…」と、しゃべろうとする。
まだそういう気分でないのであれば、その旨を一言述べてくれれば私も一度は引き下がり、そのまま広報誌の話でもなんでもきく用意はある。
が、そういう打診がいっさいなかったので、私は男性の言葉をさえぎり「乳首が吸いたい」と再度申し出た。
男性はやはりその言葉をまるできこえていないかのように無視して、広報誌の話をしようとする。
そのやりとりが4・5回あったところで、私の方が一旦折れ、しかたがないので広報誌の記事についてひとしきり語り合った。
その後、実際に男性の乳首を吸う段になって、私はさきほど「乳首が吸いたい」という申し出をさんざん無視されたことについての苦情を述べた。
別に一言ことわってくれればいくらでも話をきくのに、なぜ乳首が吸いたいという私の言葉を無視するのか。人の言葉を無視するのは人権侵害だ! というようなことを乳首をちゅぱつく合間に言いつのっていたのだが、私はそこでハッと気づいた。
これはもしかしなくとも、三年前の状況に酷似しているのではないか。乳首をいじりながら別のことをしゃべると気がそがれると怒られたあの状況に。
思わず、「あっ、人権侵害だとかいいながら乳首すってたら、またしんみり乳首のときみたいに怒られちゃう。人権乳首じゃん。人権乳首で怒られる!」とあたまに思い浮かぶままにしゃべると、それまであんあんいっていた男性は急に「人権乳首!!」と短く叫び、あのときと同じようにげらげら笑いだした。
男性は「人権乳首ってなんなんや!」(関西人)と笑いながらいうので、「しんみり乳首のときと同じだよ。しんみりした話をしながら乳首をさわらせてもらえないように、人権侵害を訴えながら乳首をさわらせてもらうことはできないっていう事象だよ」と答えると、男性は私の肩をつかんでぐいぐいと遠ざけ、ひとしきりひいひい笑ってから「ちょっと一回お茶飲む」といって寝床から出て行ってしまった。
さすがの私も学習している。このままではセックスできない。だが私は絶対にセックスがしたかった。なのでお茶を飲んで仕切り直し、寝床にもどってきた男性に有無を言わさず襲い掛かり、喘ぎ声を除いて無言の時間の比率を増やすことで笑いのツボを絶対に刺激しないように気を付け、無事に本懐を遂げた。
しんみり乳首のときは私に全面的に非があったのはみとめるけれど、人権乳首に関しては私の言い分に一理あるのではないかというのはちょっと思うが、どっちに理があるにしても相手の気分をそぐとセックスはできないという、ごく当たり前のことを感じた一日だった。
イギリス英語は普通に「トマァトゥ」。potatoはイギリスも「ポテイトゥ」。
昔からある言葉はしょうがないけど、現代で海外から入ってくる言葉を無理にカタカナ表記にして、一見日本語っぽくするのをやめろ。
今、リコンファーム(reconfirm: [予約など]を再確認する)が話題になってて、そもそもカタカナとか英語とかじゃなくて「再確認」でええやろと思うけど、どうしても英語で言いたいならreとcon-firmに意味があるわけだからreconfirmって書けやって思う。
まあ発音は日本式でもいいけどさ、たとえば「ハロー効果」ってあるけど、日本人ってまずこれ見たたときhelloか波浪と連想するよね?でも実際にはhaloで「後光」って意味。後光って意味を知らずに「はろー効果」っていう言葉だけ覚えるのむずかしいと思うわけよ。「ハロー注意報」と同じぐらい難しいんじゃない?
ホールケーキもさ、hole cakeだと思ってるんだろうな。a whole cakeで「ケーキまるごと1つ」って意味だから、カタカナにするともう1回英語に戻さないとわけわからなくなる。これは昔からある言葉だからしょうがないんだろうけど……そうだから、サイクリング(Cycling)、ライフサイクル(Life Cycle)、シリンダー(Cylinder)、サイクロン(Cyclone)、シクロアルカン(Cycloalkane)とかの共通点を見いだせず、1つ1つバラバラに覚えるハメになる。
「パルスオキシメーター」とかさ、pulse oximeter[パルスオキシメーター]って併記したりルビふって書けばいいじゃん。pulseが波/振動、oxiが酸素、meterが計測器なんだから、「パルスオキシメーター」ってカタカナにして暗号化する必要ないじゃん。クリアホルダーとかな、clear folderで、clear(透明な)、fold(折りたたんで収納する)、er(やつ)なのに「ホルダー」とか書いてあるから「hold」と勘違いして、PCの「フォルダー」とは全然無関係なものだと感じてる人が多いんじゃないか。
こういうのって、せっかく漢字で書けるのにわざわざカタカナにしてるのと同じなんだよな。外国人向けにわかりやすくなると思って「誤解を招く発言をしてしまい失礼しました」を「ゴカイをマネクハツゲンをシテシマイシツレイシマシタ」みたいに変えたり、「巨漢の男性が玄関の扉をぶち破った」を「キョカンのダンセイがゲンカンのトビラをブチヤブッタ」って変えるぐらい迷惑。ヨミニクイイガイはモンダイナイノデコウシタヒョウキでもドッカイジタイはカノウダトオモウケド。
中国出身の人が、習近平を「シーチンピンってカタカナっぽく言わないで、わからない」っていうふうに言ってたけど、本当に外来語、特に英語を誰のためにカタカナにしてるのか理解できない。英語がわかってる人もカタカナにされるとわからなくなる。発音が違うから認識できないし、普段カタカナで話さない英語をカタカナにされると迷惑。potatoはポディトゥって聞こえるから、ポテトって言われてもポディトゥのことだと認識できないって感覚。誰にとっても迷惑。情報にたどり着きにくくなるだけではっきり言ってうざい。「この記事はポテトだ」って言っても「何が芋なんだ?」ってわけわかんないけど、「この記事はpotatoだ」なら、なんか日本語じゃない意味があるんだろうなって推測できるじゃん?
「ゴ・ジューのトオ」って書かれて何かすぐわかる?「ケンドウ・モツカナェイ」って書かれて何かすぐわかるか?
もとが外国語のカタカナは意味がある。マーチャンダイザーっていうのは「merchandiser(商品[merchandise]計画をする人)/ merchant: 商人」だし、インテークマニホールド(エンジンへ空気を取り込む複数の弁[Intake: 吸入、manifold: 多様体])とか、インフォームド・コンセント(Informed[知らされた]、Consent[同意])とかさ。コロナ(Corona: かんむり)でいうとバリアント(Variant: 変異体、vary: に変える/を多様にする)もそう。ジングルベルも「Jingle: チリンチリン」で、チリンチリンって鳴るベルだし、全部意味があるのにカタカナで台無し。スペルの1つ1つに歴史や意味があるのに消してるんだよなあ。
マジみんな、なんのために今まで日本語に存在してなかった外来語をカタカナにしてんの。インディビジュアルなオピニオンのタームスでは、エジュケーションにアットオールでコントリビュートしないからナンセンスだとコンシダレイトなんだが?イディオット?マストゲットリドオブでは?ファック。
→ 米麺
→ 許されている
https://wendys-firstkitchen.co.jp/news/?nwid=404
https://idahopotato.com/recipes/french-fries-and-ice-cream
→ カジュアルな洋食屋・ステーキ屋だとパンと一緒にご飯出てくるじゃん
→ 餅トースト
ほかは、解釈は広いし、そこまで酷くないだろ……
と思って、歌詞を見てみた。
https://www.uta-net.com/song/304161/
この歌、コロンブスは別として、2つ現実の事象を描写している。
それ以外はぼんやりした何とでも取れる話。
で、その2つは、
途方もない時間を割いて
捻り出してきた(ようやく)
拍子抜けに乾杯(完敗)です
ポテトヘッドは(what's rule)
謎めいてく昨今のルール
なのだが、
まあ、あだ名なしルールは、20世紀に子供時代を過ごした者にとっては違和感を持つところは無いではないが、現場の知恵として、有効だと考えてやっているのだろうし、単純に愚かな事と断じるのも浅はかだろう。実際昔からあだ名で加速するいじめはあった。そもそも、いじめ対策はそれだけでないだろう。
これに続けて、『正義ふりかざすいじめっ子 一番厄介な現実』と言うにいたっては、何が言いたいのかわからない。
そして、後者のMr.ポテトヘッドにいたっては、事実誤認である。
おもちゃのシリーズブランドが『Mr. Potato Head』から、『Potato Head』に切り替わるのであって、Mr. Potato Head も Mrs. Potato Head もキャラクターとしては変わっていない。Mr. も Mrs. もいるのに、ブランドが Mr. なのはどうか、というので単に「Mr.」を外すのだ。
https://corporate.hasbro.com/en-us/articles/create_your_potato_head_family_launching_this_fall
つまるところ、この歌の芯は、ワイドナショー史観というか、予断に満ちた『いきすぎた』ポリコレを笑うという程度の視点しかもたないのである。
(ワイドナショーでポテトヘッドの件を揶揄していて、わかってないなーと思った記憶がある)
本気で作ったという歌が、ポリコレを揶揄する視点しか持てないのは、まあなんというかね……。せめてそれ以外の視点もあれば説得力が多少あったろうに、自民党のLGBT法案めぐる情けなさとか、オリンピックのあれこれとかさ。
一般社団法人日本雑誌協会の公式サイトで印刷証明付き発行部数が公開されている女性ティーンズ誌・女性ヤング誌・女性ヤングアダルト誌
に区分
媒体資料で読者の年齢層が公開されていない、且つ雑誌の内容からターゲットの年齢層が絞り込めないFUDGEとNumero TOKYOは除外
部数が多い順にソート
雑誌名 | 出版社名 | 印刷証明付き発行部数 | 年齢層 |
ニコ☆プチ | 新潮社 | 94,300 | 小学生(9~12歳) |
nicola | 新潮社 | 176,425 | 中学生(12~15歳) |
Seventeen | 集英社 | 140,000 | 高校生(15~18歳) |
雑誌名 | 出版社名 | 印刷証明付き発行部数 |
non・no | 集英社 | 117,500 |
ViVi | 講談社 | 89,000 |
Ray | 主婦の友社 | 61,250 |
JJ | 光文社 | 45,200 |
雑誌名 | 出版社名 | 印刷証明付き発行部数 |
MORE | 集英社 | 170,000 |
CanCam | 小学館 | 55,667 |
ar | 主婦と生活社 | 54,000 |
雑誌名 | 出版社名 | 印刷証明付き発行部数 |
anan | マガジンハウス | 137,500 |
with | 講談社 | 83,333 |
GISELe | 主婦の友社 | 78,900 |
Hanako | マガジンハウス | 54,167 |
GINZA | マガジンハウス | 46,000 |
mina | 主婦の友社 | 39,726 |
雑誌名 | 出版社名 | 印刷証明付き発行部数 |
CLASSY. | 光文社 | 143,900 |
BAILA | 集英社 | 115,000 |
Oggi | 小学館 | 93,333 |
and GIRL | エムオン・エンタテインメント | 70,400 |
SPUR | 集英社 | 60,000 |
madame FIGARO japon | CCCメディアハウス | 55,167 |
ELLE JAPON | ハースト婦人画報社 | 41,113 |
雑誌名 | 出版社名 | 印刷証明付き発行部数 |
VERY | 光文社 | 222,200 |
&Premium | マガジンハウス | 76,833 |
VOGUE JAPAN | コンデナスト・ジャパン | 54,000 |
Domani | 小学館 | 42,500 |
25ans | ハースト婦人画報社 | 42,037 |
CREA | 文藝春秋 | 35,000 |
Harper’s BAZAAR | ハースト婦人画報社 | 29,573 |