はてなキーワード: 段落とは
HoYoFairチャンネルだから外部アーティストによる公式コラボ的な感じのもんだが一本の動画として洒脱な作りで、予算…いや気合が違うわ
5組の中で2組日本からH ZETTRIOと大橋トリオが参加してたのも偉いわね
いやーこんなこともあろうかといいイヤホン買っておいてよかった
中価格機からは低域中域高域どれも抜かりなく解像度や響きが一定水準あるようになる
最近は平面駆動が流行ってたし骨伝導ユニット入ハイブリットも流行の兆しがあるけど
やっぱ1DD+4BAが鉄板の隙のなさだわ
それはさておき、このイベントページにあるカクテルレシピに添えられたフレーバーテキスト
https://act.hoyoverse.com/puzzle/hkrpg/pz_0cLNSIl80j/index.html
まあ、「はるか昔に滅びた星トワッテイ」だからおふざけとも言えるが
しかも英文では"an ancient and long-forgotten planet named Tavyet"だから滅びたとは言ってない
それからレンがロビンの本名だとしたら…いや明らかにロビンの意匠に満ちたカクテルになってるが…初出情報だろう
あの公式SNS上でのホタルの実装発表のフレーバーテキストで初出の設定が明かされたのと同じように
ほのめかしという意味では、原神のレムリアのオルガン風建築の意匠や
夢による統合・支配をフィーチャーした内容も明らかにピノコニーを意識させる作りだったし
もしかしたらこの先の展開をレムリア世界任務によって示唆している側面もあるのかもしれない
というか崩壊3rdも、千織の実装に同じくして裁錦・裁断要素のあるセルマの深堀りイベをかぶせてきたり
セラペウムが図書館という夢の中に人々を「結合」させる様子を示してきたり
これはあれの示唆なのか?それともそっちなのか?全部が繋がっているのか?と
作品やメディアの境界を超えてセンス・オブ・ワンダーを感じさせに来てる感じがする
とにかく、レムリア世界任務の水路で演奏するシーンはめちゃくちゃよかった
美しすぎてなんか謎の部位が極まるようなへんな感動した
話を戻すとスタレの考察については
一介のナナシビトもとい名無し増田にすぎん自分は体系立てて語れるほどの能力はないが
今日みつけたネタを元にググってたら、サンデー大好きっぽい人による鋭い考察をみつけたので貼っておく
https://note.com/ashino_open/n/n97d91b350e70
https://note.com/ashino_open/n/n499ddac2e1fa
こんだけ考えて楽しめる作りになってるシナリオ作り、どう考えてもアツすぎる
これはガチで死んでる
また、カンパ金を集めると裁判で不利になるから死んだ設定で香典名目にして集金してる疑惑がささやかれたが
香典中止しているので金目当てでもない
これはガチで死んでいる
https://twitter.com/mamiyamamamirin/status/1783838873476562951
@mamiyamamamirin
初めまして、家族の者です。
生前の皆様からの温かいご支援等、本人に代わって厚く御礼申し上げます。
こんな馬鹿な俺を笑ってほしい。
30半ばにもなって彼女も居らず、毎日9時から17時の工場勤務。一日誰とも口を利かずに終わる日なんてざらにある。
元々趣味なく、これまで何かに熱中するようなことがない人生だった。今ではパチンコが唯一の趣味と呼べるのかもしれない。
かといって大勝ちしたところで使い道はなく、ソープ行って居酒屋で一杯するのが関の山だ。
今年に入ってから一度、驚くほど勝てた日があった。
その日もソープに行った。土曜の夕方。馴染みの店だった。指名したのは一番若い子。初指名だった。
くつろぐようにと案内された黒革のソファで待ち、並びには50近くに見えるスーツ姿の男と、大学生ぐらいのカジュアルな格好をした青年が居た。
ようやく俺の名前が呼ばれると立ち上がり、迎えに来た嬢が一瞬眉をしかめる。俺はそれを見逃さなかった。
こちらへどうそ、と嬢はにこやかに俺を案内する。俺の一歩前を歩き、手は握りらない。踵は少し擦り減っていて、俺の靴と同じように。
靴を脱いで部屋に入ると嬢は俺に抱き着いて来る。キスをすると、洗い場に向かい、体を洗うために衣服を脱ぐ。
俺を担当する嬢にはいつも刺青がある。それは顔に彫り込まれ、”笑顔”という刺青を俺は絶えず目に入れる。
嬢は俺を座らせ、身体を洗いながら「どんなお仕事をしているんですか?」と聞いてくる。
俺は適当に嘘をつき、嬢はそうなんですね~と頷く。
ここの女は大抵の男を馬鹿だと思っており、俺も大抵の女を馬鹿だと思っているので、ちょうど釣り合いがつく。
だからときどき俺は自分というものを見失いそうになる。挿入し、快楽に浸るその瞬間でさえ俺は自分のことを俯瞰するように考え、すべてが馬鹿らしく思えることがあった。まるで彼女の刺青が俺の肌にまで浸透してきたかのように。
年齢のせいかもしれない。
地元の駅に着いたのは昼頃で、家までそれほど遠くないので歩くことにした。
遠くない、といっても徒歩で1時間ほどは掛かり、それでも町の様子が変わっていないか確かめて歩くのも悪くないなと思えたのだ。
彼は(Aとしよう)記憶のままの顔をしており、今も裸眼で、当時の面影を深く残していた。
Aは俺だとすぐに気づいたようで、声をかけてきたのは向こうからだった。最初、親し気に近況等を話しながらも何処かそわそわした様子を見せ、一段落つくと口を閉じた。一間を開け、勢いをつけて口を開けると本題と言わんばかりに「そういえばさ~」とAはにやけながら言った。
え?と口に出した。そんなことは知らない。
俺に構わずAは片手の指で輪を作ると、もう一方の手の指をその輪に通し、それを繰り返して見せた。
その様子をAの隣で観ていた青年が戒め、すみませんと俺に言った。彼は眼鏡をかけた青年で、面識はなく、そのことに気付いたのか「Aの弟です」と彼はそのあとすぐ自己紹介をした。
失礼なことをしてすみません。そう言いながら弟は含み笑いを持たせ、軽く頭を下げ、それから俺たちは別れた。
実家の前に着くと俺は家に入るのを躊躇った。その場で行ったり来たりを繰り返していると家から姉が出ていて「何してんの?」と言われた。
数年ぶりの再会だったがの姉の印象は記憶通りで、40前にしては若々しく見えた。
俺は姉の目を見れなかった。どうかした?と聞かれ、最初は答える気にはなれなかったが根負けして「Aに会った」とだけ伝えた。
姉は「ああ…」とだけ言い、それから二人とも黙り込んだ。実家の前の道路で、しばらく二人で立ち尽くしていた。
ここに居ても仕方がないから、と姉は家に入るようにと促してくる。
渋々俺は姉の後に続いて家の中に入ると両親は縮こまったように見え、リビングは昔よりも広々と見えた。がらんとしていて、実際に物もなくなっている。
自分の部屋に行ってみると家を出た時のままで、時代に取り残されたように変わっていなかった。
このうち、壊すから。いつの間にか姉が戸口に立っていて、俺にそう言った。動揺の同様の色を見取ったのか、建て替えるってことだからと姉は言う。
だから、この部屋の物もどうするのかちゃんと決めといて。どうでもいい。と俺は言った。
居場所がないように思えて俺は散歩に出かけた。行く当てはない。ぶらぶら歩いていると一軒のパチンコ屋が目に入った。ずいぶんと昔からある店舗だった。
まだあるのかと感慨深くなり、中に入ると安堵感がどっしり現れた。俺は日が暮れるまで打った。最終的には-1kで終わり、少し歩くと明かりが見えた。
それはブックオフだった。学生の時と比べると俺は本をまったく読まなくなっていた。漫画すら読まず、気になる漫画があればYouTubeで調べ、そこで得られる情報だけで十分に満足していた。
だから本を売っている場所を訪れること自体が本当に久々なことだった。どうして入ったのか?なんとなくだったと思う。
店内を歩いていると一冊の本が目に入った。
それはエミリーディキンスンの『続自然と愛と孤独と』という本だった。
俺はエミリーディキンスンなんて全く知らないし、手に取るまでこれが詩集であることさえ知らなかった。
それでも気付くと俺はこの本を持ってレジへと向かっていた。まるで俺に残された唯一の良心がそうさせたように。
定価1100円と書かれている本を俺は1000円で買い、それから暗くなった夜道を歩いて帰った。
リビングに入ると両親の姿はなく、テーブルの上には料理だけが置かれている。ちょうど姉がお風呂から出てきたようで頭にタオルをかけて歩いてきた。
おかえり。どこ行っていたの?と聞かれたので俺はブックオフと答えた。
ブックオフ?珍しい。と姉は言った。
テーブルの一角にあぐらをかくように座り、頭のタオルを撫でるようにして髪を拭いた。
とうさんとかあさんはもう寝たから。ごはん、まだでしょ?と姉がいい、俺は頷いた。
じゃあ一緒に食べよっか、と姉がいい、俺は頷いた。
食事が終わり、自分の部屋に入り、自分のベッドで久々に横になると俺は買ってきた本を袋から取り出した。
仰向けに寝そべり、適当にページを開いた。111ページ。そこにはこう書いてあった。
私はあなたと暮らせない
これが人の世というもの
そして「人生」はあちら側の
俺は本文を読むのも忘れて、あの嬢のことを思い出していた。俺は酔っていたのだ。
嬢の笑みが脳裏に浮かび、その顔が一瞬、姉になった。
俺は本を閉じ、横に置くと、深く深呼吸をした。目を閉じ、祈りたかった。
しかし誰かを救うために祈るには、俺はもう歳を取り過ぎていたのかもしれない。
おそらく今年のGWは帰らないだろう。
俺はもう駄目かもしれない。
トルク制御によって実現されるのは、自動運転じゃなくてもっと根本的な方です。
例えば雪道やアイスバーンなど悪い路面状況の中で、タイヤを空転させずに安全に運行する
トルク制御とサスペンションの制御によって路面から来る微小な振動を吸収して快適性を上げる
緊急時(例えば事故に巻き込まれそうなときとか)の緊急回避をするとか
そう言った方面の話。で、自動運転に直接関係あるのは4つめだけで、後は手動運転でも十分恩恵に預かれるもの。
ただ、市販車ではほぼ実装されていない。一方でレーシングカーの世界とかでは運用されている技術ですね。
技術デモンストレーションとしては、トルク制御とフライバイワイヤを組み合わせる事で、一台の車であらゆる車の挙動、動き方、特性を再現する特殊なシミュレータのような車があったりします。
誤解があるようですが、別にそのために追加のバッテリーを積もうという話ではないです。
そもそも日常の足として毎日家庭で充電する運用の場合は100km分ぐらいのバッテリーがあれば良いが、たまに長距離を運転するときに必要だからと実際にはもっと大量のバッテリーが積まれている、と言うギャップを利用するものです。
そして、そのギャップ部分のバッテリーだけで、一般家庭なら数件分の電力バッファーとして役に立てます。
また、V2Hは急速充電などを行わないのと、むしろバッテリ-の保護にも役立てられる(バッテリーは満充電に近くても、一定より充電レベルを低くしてもどちらも痛む)ということもあります。
正道としては蓄電池の普及なので、そちらが出てくればお役御免だとは思いますが、ボトルネックは蓄電池側のコストよりも、送電網側の対応の方なので難しいですね。
現状では、例えば郵便局や宅急便のように、比較的短い距離をストップアンドゴーで配送するようなものにしかメリットはありません。
そして、三菱自工がiMiEVを出した時に指向したのがそこだったはずなんですが、いつの間にか本質を見失って暴走している感は否めません。
産業として巨大であるがために、各国が時代の変革期にあたって、自国の自動車産業を優位にしたいと補助金をばらまいたせいで、歪んでしまっていると思います。
環境性能についても、現状のEVは、充電する電力が再生可能エネルギーであると仮定すると、それでようやく内燃機関の自動車に勝ることが確定すると言う様な環境性能しかありません。
もちろん、排気ガスが出ない、騒音が小さいというメリットはなくは無いのですが、それは決め手では無いですよね。
ですが、内燃機関でできないことができれば、話は別です。価格に比べれば枝葉であると言いますが、実は逆で、EVであることを生かした設計ができなければ、コストメリットも生まれてこないという話でもあります。
例えば内燃機関で強引にトルク制御をしようとするとものすごく大変です。
それをインホイールモータやそれに類する技術を用いると、従来の複雑な機構を配して安く造る事ができる、トルク制御が可能になれば、従来の内燃機関の自動車に必要だった機構を配することもできます。
しかし内燃機関の設計を引きずっていては達成出来ないと言う事ではあります。
まぁ、でも何でお前純内燃機関の車両とEV比べてんの?別にHVでよくね?できるじゃんねだいたい、HVシステムの価格むっちゃ安くなってるし、って話はまぁあるんですけど。
俺だけ働いてる子なし夫婦。
NISAが始まってからは俺の分の信託口座も管理してもらって生活費を考慮して適切に金を入れるように頼んでた。
ある日マンションを買うこともあって資産状況を見せてもらったら妻自身のNISA口座も作っていて直近の月にそこへ30万円入れてた。
ちなみに同月俺の口座に入れてたのは数分の1だった。
どうしてこんなことになるのか聞いたら「あなたの口座を勝手に触ったら嫌かなと思って」という意味不明の理由を語った。いや毎月触ってるよね。
というかこんなことして大丈夫なのかなと思って調べたらやはり贈与税がかかってしまいそうだったのでそれを伝えたらブチ切れ始めた。
「だったら働いた方が得じゃん!」とかいう反論の余地がないキレ方だった。
働いた方が金銭面で得なのは当然だしそれをせずに家事や家計管理をすることを選んだのは君だろうと言いながら俺は別の点にモヤモヤしていた。
俺が金を渡してるのは「2人の金」として管理してもらうためだったが、彼女は大部分を「自分の金」と解釈していた。
あまりに考え方が乖離してしまっているのでいったん食料品以外の支払いも資産運用も俺がやることにして、毎月その月に使った生活費を言ってくれれば妻の口座に振り込むという形にしてみた。
まず口座に100万入れておいて「毎月補充するから必要な分はここから使ってね」という形だ。
しかしやはり「2人の金」という感覚は理解してもらえないようで、「現金ではなく楽天ポイントとかで買った分も別途請求する」と言われた。
「会社に経費請求するときはポイント支払い分も請求できるんだから同じだろう」と。
俺は「君に不便がないよう、好きに使える“2人の”口座を準備して、減った分は俺が毎月補充すると言ってるのであって、ポイントを使って節約してくれるのはありがたいがその分をさらに現金で上乗せする意味がわからない」と伝えた。「2人の金」という感覚を共有したかったので根気よく。
全く納得はしていないように見えたが最終的に「もういい!」と一応は受け入れてくれた。ケチすぎるとかまあまあ罵倒された。
ローンの支払いや光熱費も含まないので、内訳は食料品とケータイ代、あとは化粧品やら服やらジムやらという感じになるはずだ。
俺の年収では今後もずっとそれだと破綻するので、カードの明細だけ見せてもらったらペットのグッズやらが入っていて、「こんな額がずっと続くわけではない」と説明された。現金をおろした分もあったが、その使い道は特に聞かなかった。
その後は毎月20万程度を申告されている。
こういうことがあってから、何だか自分の生き方が虚しくなってきた。
家事はよくやってくれてるが年々作業を上手に減らしながら1日の大半の時間をアニメやドラマに費やしてる妻と、激務の中大きく昇給しながらさらにリスクヘッジのために英語やら何やら勉強してる自分が、ひどく滑稽な関係に見えてきた。
休日は一緒に旅行や食事に行きたいがそういうのにはあまり乗ってくれない。
妻に幸せになってほしい一心で、できることを全てやってきた結果だ。
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ネットの海に愚痴を書き込んでポツポツコメントもらえたら気が晴れるかという魂胆だったが思った以上にコメントもらえて驚いた。あまりフェイクを入れてないのでバレないよう祈る。反応ありがとうね。
疑問っぽいものがあったのでいくつか回答する。やり方間違ってたらすまん。
読みづらい
はてな記法慣れてなくて改行しただけで段落みたいになるとは思わなかった。文章自体の問題ならすまん。書き殴りなので許して。
どこが良くて結婚したの
出会った当時は俺も大した収入じゃなかったし、可愛らしい妻がそんな俺と一緒にいてくれるのは幸せだと思った。ちょっと鬱傾向というか、幸福を感じにくいし表現もしない女性だったので俺が何とか幸せにしたいと思った。セックスレスとか問題は多かったが家事はちゃんとしてくれるし何だかんだで離婚には至らなかった。
コミュニケーションは下手だが、普段は穏やかで可愛らしい子なんだ。節約家でもある。ただ自分のしていることを否定されたと感じると冷静さを失うのと、お金に関しては親に扶養される感覚というか、麻痺しちゃってて、貰えることが当然だと思ってるように見える。
正直いい歳なので妻が今から独身になって生きていけるのかが心配。あと離婚して俺が他の女性と結婚したとしても結局同じようにどこか嫌なところが気になってくるだけなのではないかと思ってしまう。一方で今後財産が大きく膨らんだとき(実はそういうあてがあるし最近それを伝えてしまってる)になってから離婚を切り出されて半分持っていかれるとしたら癪だという疑心暗鬼になってるのも確か。
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追記2
みんな愚痴聞いてくれてありがとうな。顔知ってる奴に話して妻を悪く言われたくないからな。
それはそう。ただ妻に任せていた「家の金」を俺が使うハードルがあまりに高かったのも事の発端だった。俺は浪費家とまでは言わないがルーズなので、少なくとも金に関してはしっかりした妻に財布の紐を握らせておいた方が資産が貯まって老後や俺の死後も安心できると思っていたが、あまりに「それは“自分で”出して」と言われる件や金額が増えてきてこちらの限界がきてしまった。「これ家の出費だよね?」という件でもイレギュラーなものは基本的に出したくないという感じ。妻の家計に対する責任感が変な形で出ちゃってたんだと思う。
これは年月が経つにつれ本当にそうなんだろうと思ってきた。社会から長期間断絶するのはよくない。その選択肢を妻に与えてしまったのは俺だ。
妻は何か隠してるとしか思えない
いや隠してるにしても単に貯め込んでるだけだと思う。今までの実績より。そしてそこに文句はない。
すまん、意味がわからん。そんなことをした覚えもされた覚えもない。
俺はそう考えてるので、無駄に贈与税をかけるより俺名義のNISA口座に入れた方が得じゃないかって話をした。ただそれでも自分名義の資産がないのが不安なようだったから、毎月妻名義の運用に回す金(贈与税がかからない範囲に自分で調整してもらう)と生活費との合計額を請求してほしいとしたのが今の形。
正直それが一番の悩みだ。
1月頃、掲示板で見つけた人たちとスリーピースバンドを組んだ。全員同い年。ベースが僕。ドラムの子は募集主のギタボの知人。ギタボが作詞作曲を担当していてドラムとベースはそれにアレンジを加えてそれっぽい曲にしていく。ギタボの作った曲は好きでもなく嫌いでもなく、でもちょっと歌詞が幼いかなとか思ってはいたけどメロディは割と好みだったしやる気めちゃくちゃある子だったので組むことにした。
月二三回のライブが組まれていて、それに出演。無名バンドなのでもちろん客はギタボの知り合いが数人いるくらいでほぼ身内だったし、そもそも僕は人望も人脈もなかったので客は全然呼べなかった(でも他のメンバーは怒らなかった)
今まで1人で部屋に籠って練習してたから、人生で初めて組んだバンドはすげーわくわくしてたし身内しかいないライブで曲披露するのもちょっと楽しみだった、てか最初の方は楽しかった。
でも最近は全然楽しくない。最初の頃は目をつぶってきたことが気になってきた。例えば技量の差とか。他のメンバーははっきりいってあんまり上手くない。レコーディングなんかがわかりやすい機会だった。ドラムもギターも全然リズムあってないのに何故かこれでいいよって言ってレコーディング終わらせてた。
他の楽器に興味が無いのか、それともズレてることに気付いてないのか、、、、 変に完璧主義な自分からしたらめちゃくちゃ気になってしまうしこんなのが音源として仮に配信されたとしても恥ずかしくて皆には聴かせられないなとか思ってしまった。
それとバンドが売れるまでの道のりに僕が耐えられなかったのもある。今の時代、SNSなんかで宣伝する訳だけどあんなバンドやこんなバンドのように都合よくバズったりはしてくれない。バンドのフォロワーは友達くらいしかいないし、こんな知名度で売れるわけもないし、なんならこの下手な音源を聴いてファンが生まれるとも思えない。
そんなこんなでバンドやるのが辛くなってきたよーって話です。自分の落ち度としては、結成当初他のメンバーの技量の差に気づかず見切り発車でバンドを初めてしまったこと。そして売れるまでの辛い道のりに耐えられる性格でもないのにバンドを初めてしまったこと。
結局僕は音楽がやりたいんじゃなくてバンドごっとをしたかっただけだったんだなぁって、
気になるねえ
何故気になったのか
「自然薯を探すときはまず特徴的なハート形の葉を探すとよい」のような説明がされることがままある
「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯や山芋の葉のような形を何と呼んでいたのか、というのを知りたい
調べましょうね
なるほど、西洋からいわゆる「ハート」概念が伝来する以前から土器や織物にハート形の文様が存在する、と
神社仏閣など建築物には「猪目」と呼ばれるハート形の意匠が施されている、と
なるほどねえ
じゃあ昔の日本で自然薯を探すときは「猪目型の葉っぱを探すとよい」と説明されていたのだろうなぁ~
……とはならない
「西洋ハート伝来以前から猪目と呼ばれるハート形の文様が存在した」イコール「自然薯など芋系のハート形の葉っぱを当時の人は猪目のような形の葉っぱと呼んでいた」とはならない
芋掘りする農民が「猪目」というある種の専門用語を日常的に使用するか?という点を疑う
農民が子を連れて山に入り、山芋の探し方を教える時に「山芋はこういう形の葉っぱだ」と伝える時、その葉の形をどういう形と表現するか?
勘だけど逆なんだろうな
すなわちハート形を「芋の葉のような形」と呼んでいたのではないか……という勘
その場合、
の問いの答えは「自然薯や山芋の葉のような形はそのまま『芋の葉のような形』と呼んでいた」ことになる
農民が子に山芋の探し方を教える時も、山芋の葉の形を何かに例えたりせず「こういう葉っぱの形は芋の葉の形だ」と表現する……?
さて、この勘由来の仮説を検証するにはどんな文献を探せばいいのか
いろいろぐぐってみるか
1911年(明治44年)、奈良県農事試験場(現農業研究開発センター)がツクネイモの品種試験を開始した。黒皮ツクネの特徴として「所謂大和薯にして本県の原産なり 蔓褐色にして太く葉は広き心臓形にして葉肉厚く濃緑なり 草勢強壮にして本県の風土に能く適正す 塊根は球状にして豊肥凹凸なく外皮粗厚にして小亀裂をなして亀甲形の斑点をなす 肉質純白水分少なく粘気強くして品質頗る佳良 料理用菓子用蒲鉾用等に用途広く四ヶ年平均反当収量六百三十二貫四百匁(2.37t)にして種薯に対する生産割合は約八倍に達し供試各品種中第二位にありと雖も其価格高きが故に経済上は寧ろ第一位を占む 該薯は零余子(むかご)は頗る小にして二ヶ年間栽培せざれば種薯に供養し難し[9]」と記録されている。
キリスト教伝来から300年以上経過しているからハート形という概念が浸透していても不思議じゃない
いや、リンネの分類学の著作が日本に伝来した時期あたりも調べる価値があるか?
西洋の植物図鑑で「heart-shaped」のような説明がされているのが翻訳されたことで明治期に一般に普及の可能性……
『日葡辞書』になんか自然薯の記述とかないかなあ……いや、あったとしてもポルトガル目線の記述だから意味ないか……
園芸アサガオの葉っぱの形で「芋葉」と呼ばれる変異パターンがあるようだ
時間切れ、また夜に調べるか……
三つ葉葵紋は西洋人にハート形と誤解されたみたいな逸話をどこかで読んだような……
これは日記です
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Wikipediaの「葉身」の「葉の概形を表す用語」を見ると興味深い
自然薯や葵のような葉は「心臓形(cordate)」と分類されている
その一方でカタバミのような葉は「倒心臓形(obcordate)」と分類されている
きっと西洋でメジャーなハート形の葉が葵みたいなタイプで、後からマイナーな側に倒心臓形と名付けられた、みたいな流れがあるのだろう
ヨーロッパでメジャーなハート形の葉っぱの植物……西洋菩提樹とかかなあ
知らんけど~
おそらく現代人の葉っぱの形に対する分解能が昔と比べて落ちている
色の分解能が上がって青と緑が別々になった現象の逆
葵の葉の形と芋の葉の形を現代人は一括りにハート形としてしまうが、昔の人は正しくそれぞれ「葵の葉のような形」「芋の葉のような形」と認識していた可能性がある
ゆえに、「ハート形」に類する形を指す言葉は不要だった……とか
その場合、
に対する回答は「ハート形より細分化されたそれぞれの植物の葉の形に例えられた表現で呼ばれていた。芋の葉は芋の葉のような形と呼ぶほかないし、葵の葉は葵の葉のような形と呼ぶ。」
となる
そもそも葉っぱ以外でハート形をしたモノが例えば江戸時代にどれだけあったというのか、という話がある(桃とか……しかし葉っぱを指すときに「桃の形の葉っぱ」とは言わんやろ、たぶん)
市松模様とか唐草模様とか、古くからある文様でいわゆるハート柄っぽく見えるものはないっぽいしなあ……一応「猪目文」があるのか
それこそ数少ない葉っぱ以外のモチーフでハート形が現れたときそれを「猪目」と呼んでいたのではないか
検証できるかどうか
うーんどうだろう、例えばこういう攻め方はどうか
博物学と医学薬学の中間みたいなジャンルという認識なのだが、植物の葉の形で分類するみたいなことをやっていたらしい
ただなぁ~、学者先生が使う言葉や認識と、市井の人々の使う言葉や認識って別だろうからな……
とりあえず1759年ごろに書かれた『花彙』という名の植物図鑑を国会図書館デジタルコレクションで読んでみよう
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面積を求める和算の問題で、ハート形の図形の面積を求めよ……みたいな問題あるかもな
もしあったなら「〇〇に似たこの図形の~」みたいな記述があるかも
一応調べること
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調査がとっちらかったので自分の関心の向き先を言語化しておこう
・「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯や山芋の葉のような形を何と呼んでいたのかの調査(昔の人は山芋の探し方をどうやって伝えたのか問題)
■サブクエスト
・昔の日本における(芋の葉以外の)「ハート形」と類似した図案、文様の使用例、またその呼称の調査
・幕末~明治期の文献から「ハート形」」「心形」「心臓形」の記述を探して市井の人々の中に「ハート形」という概念が定着していった流れの調査
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メモ:
こういう調べものをしていると古辞書に何と書かれているか確認したいというシーンがしばしばある
また、現代語訳された古辞書が書籍として売ってあるなら購入も検討すること
また、もしも辞書に「猪目」が載っていないなら当時の一般的な語彙の中に「猪目」が含まれていないとみなすことが出来るかもしれない
ここまでの調べものは「猪目は確かに日本古来から存在するハート形の模様だけど、昔の日本の多くの人は猪目って単語を知らないのではないか」という話が前提にあるので、その裏取りにもなる
神社仏閣に猪目模様があって、その模様があると知っている人でも、その模様の名前を知っているかどうかは完全に別
例えば……コンクリートブロック塀の松みたいな模様の穴が開いたブロック、あれの名前を知っている現代人は少ないのではないか
似たような構造があることを疑っている←この例は適切ではない……「身近にある模様でも名前を知らないものはある」という意図で例示したが、……上手く言語化できないな、後で再考する バックスペースを押さないことがアウトプットしやすくなるコツみたいな文章を何かで読んだ
トランプのハート柄が「猪目柄」と呼ばれないという傍証はあるんだけどな……→昔の日本人でも猪目という単語を知っている人は少ない説
それはそれとして、そろそろくずし字を読めるようにならないと調べものが滞る……教材を探して勉強してみるか
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・「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯や山芋の葉のような形を何と呼んでいたのかの調査(昔の人は山芋の探し方をどうやって伝えたのか問題)
→率直に「芋の葉の形」と何にも例えず呼んでいた、あるいは「芋の葉に似た植物の葉の形」を例に挙げて説明していた……と思われる
しかし古い植物図鑑を見ていると、例えばサツマイモの葉の説明をするときに「葉は朝顔に似る」のように別の植物で例える記述が多くみられた
(余談だがアサガオはヒルガオ科サツマイモ属なので葉が似ているのは納得、リンネ式階層分類体系は偉大っすなあ)
■サブクエスト
・昔の日本における(芋の葉以外の)「ハート形」と類似した図案、文様の使用例、またその呼称の調査
芋って家紋のモチーフにないんだなあ、考えてみるとちょっと意外(芋桐紋とかあるけど、これは芋ではなく桐モチーフと呼ぶべきだろう)
♡の幾何学的な図形の特徴を指す呼称という意味では、そのような概念は存在しない……か?
猪目が一応それではあるんだけど、市井の人々に広く知られた概念ではなかった(これも証拠なし)
だからこそ芋や葵の葉も「♡の幾何学的な図形の特徴を指す呼称」で形を例えられないということになる
・幕末~明治期の文献から「ハート形」」「心形」「心臓形」の記述を探して市井の人々の中に「ハート形」という概念が定着していった流れの調査
→ https://web.archive.org/web/20181002182121/nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/261341.html
人口が少ないから労働者が不足するし、労働者が減れば経済は回らん。
多分税収減とかも、そもそも税を負担してくれる人間が減れば当然の流れだし、それでも税収を維持しようとすれば増税しかない。
で、増税すれば生活がいっぱいいっぱいだから結婚出産が出来ない。だから人口減が加速する。
じゃあどうすれば解決できるかっていうと、実質的に無理じゃない?
エロ漫画にありがちな「種付け法」とかできたとしても、現在の出産可能人口ってどんぐらいなの?
人口が1億と仮定して、半分が女性だから5000万、その内半分ぐらいは可能としても2500万か。
年間2500万人が出生したらすごいことになりそうだけど、誕生した子供たちが労働力として使えるようになるのってまぁ15歳とかだろ。
法律で中卒労働を義務付けたとしても最短15年は人口減少の流れが続くわけじゃん
(この段落は全部仮定だから「そんな法律あり得ない」とかいうバカなコメントはやめとけよ)
そうすると15年のギャップをどう埋めるかが問題になるわけだけど、これって移民しかないだろ?
あり得ないほどラディカルな仮定を積み上げてもかなり積んでるんだから現実はもっと積み状態だよな。
まぁ落としどころとしては移民を入れつつ人口回復を狙うしかないんだろうが…。
俺は個人的に移民とか別にいいんだけど、お前らめちゃくちゃ嫌がるだろ?
でももう代替案ないレベルまで来てるんじゃないかなって思うんだけど。
実際問題出島みたいな移民居留地とかにして外に出さないようにすればいいのかな?
お前らどう思うよ
80年代生まれのおっさんだけれど、恋人同士で送りあう定番なんてものはなかったと思う。
さらに上のバブル世代だとブランド装飾品なんかがいい感じのプレゼントだったんだろうか。
あるいは、ブランド装飾品はいつでもいい感じのプレゼントなんだけれど、自分も相手もそういうのに興味がなかっただけなのか。
同じく、安かろう悪かろうだったけれど、時々ハッピーセットのおまけがいい感じのだったりしたので、そういうときだけ買ってた。
ユニクロも一段落ちるレベルというイメージだったけれど、品ぞろえ豊富だからそれはよかった。
Appleはマニア向けブランドみたいな感じだったのがスティーブジョブズが帰ってきて、iMac出したあたりからおしゃれブランド認識され始めたという印象。
携帯音楽プレーヤーなんてiPodよりも安くて軽くて電池の持ちも音質もいいものなんてあの時代普通にあったけれど、すでにステータスだったから買われていたと思う。
OSもMacOSからDarwinに変わったところで潮目が変わり始めたというイメージ。単なるおしゃれブランドではなく、ハイセンスな人から技術者まで使える端末になった。
iPhoneを取り扱えるように携帯キャリア間でし烈な争いがあって、Softbankしか当初取り扱ってなかったというのもブランド戦略には寄与したと思う。
中身大して変わらないと思うんだけれど、Androidは格下みたいな感じだったよね。
キャラクタービジネスも別に昔からそう変わらないと思う。むしろ、お高く留まっているものから市中で手に入るものに変わってきていると思う。
キャラクターグッズはかつては専門店でしか見かけなかったのが、西松屋、しまむら、100均とかでも見るので、暴露率はすごく上がったなとは思ってる。
かつての若者はハイソなブランドで身を包むことでステータスを感じていたけれど、
今の若者はどこでも出会えるブランドで身を包んで安心感や快適さを得ているって感じなのかな。
経済がしぼんできたということかもしれないし、そこそこの生活でそこそこ楽しく生きられるようになったともいえるかもしれないし。
※この文章にはキャバクラを悪く言う意図は全くありません。不快に思われた方がいたら申し訳ございません。
労働先のコンビニで毎日ブチギレながら働いている。なんてことない街のなんてことないコンビニであるはずなのだが、コンビニって割と誰でも気軽に入れてしまうのでそれはもういろんなお客様やおきゃクソ様がご来店くださる。今日は後者側の人間である常連K(クソのK)にブチギレていく。
近所のコンビニとなると来店数が自然と増え、行く時間帯がある程度同じであれば店員の顔や名前も覚えていき、なんならちょっと親しくなったりもするだろう。
それ自体は別に良いと思っている。誰にも迷惑をかけずお互いが気持ちよくコミュニケーション出来る関係性であればいいことだと思う。
ここで重要なのが、『誰にも迷惑をかけず』『お互いが』『気持ちよく』という点だ。括弧が多いのは勘弁してほしい。この三点はしつこいと思われても強調したい大事な部分だ。
常連Kにはお気に入りの店員がいる。若い女性の店員。名前をAさんとする。明るく親しみやすい。私も大好きだ。なので好きになる気持ちはよくわかる。よく会うなら仲良くなるのもわかる。別に仲がいいのはいい。
しかし常連Kは前述した『誰にも迷惑をかけず』『お互いが』『気持ちよく』という点が欠落している。
はっきりと申し上げて、気持ち悪い。距離感を間違えていらっしゃる。仲良くなろうがあくまでコンビニの店員と客でしかないということを忘れているように見える。忘れているというかそういう意識がないのだろう。本当に、無理。ありえない。信じられない。
来るたびにもう勘弁してくれと思っていたが来てしまうもんはしゃーないと流していた。私の前では普通の人だし......。しかしこの日の常連Kの行動が私の怒りの導火線に火をつけた。爆発したのでこの文章を書いている。
今日は私とAさんのシフトがかぶっていた。毎週のことなのでふわっとした役割分担がある。Aさんはいつものように品出しの作業をしていた。
そこに来たるは常連K。まあ来て買い物するくらいならもういい。Aさんにヨーグルトを渡すのだけはやめてほしいけど、だって他人からもらうヨーグルトって怖くないか?一番食べないと言っても過言ではないのでは?いやそんなことはいい。なんかレジに来ないな〜と思っていた。あとなんか話し声がする。
店の奥を見たらAさんとKが話していた。はいはい、優しいよねAさんは、でも業務の邪魔だし通路塞いでるしうるさいからやめてほしいなと思っていた。こっちはこっちの仕事があるし、Aさんだってある程度話したら流すだろうと、その時はスルーした。しかし一向にKは来ない。コンビニの平均滞在時間の五倍はいるだろ。ず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っとAさんに話しかけている。
お客様がたくさんいらっしゃる時間帯だったので対処出来なかったが、そうでもない時間帯だったら私は突入していただろう。
社会性や倫理観などを一旦捨てさせていただくと、本当に殴るかと思った。
私の性格や怒りっぽいところ、すぐキレるところが悪いというのは理解しているつもりだが、さすがに。
なんなの?
Aさんがほんのり嫌がっているのを私は知っている。
というかそうでなくても邪魔だしうるさいし迷惑なのでやめてほしいが。
コンビニのちょっとしたお買い物のついでにお気に入りの女性とおしゃべり。楽しいでしょうね、あんたはそれで気分良く帰れるでしょう。
でももう少し視野を広げてみてほしい。わからないだろうか?あなたの行動がこの場にそぐわないということを、理解できないだろうか?
他のお客様のお買い物を邪魔していることに気づかないのだろうか?
Aさんの業務の妨げになっているとは思わないのだろうか?
Aさんは決して高くない時給で働いている。でもその中におっさんとのおしゃべり代は含まれていない。
女の子とお話がしたいなら、それがお金を払えば許される場所でどうぞ。
Aさんはコミュニケーション力が高い方だと思いますが、その力はあなたとタダでおしゃべりするためにあるわけではない。
結局KはAさんの品出しがひと段落してレジに戻ってくるまで喋り続けた。クソ狭い通路で。
Kの会計はAさんが行った。私のレジに来いよ。恐れ入りますが他のお客様のご迷惑になりますので長話はおやめくださいくらい丁寧な言葉で文句を言えたのに。
もう二度と来ないでほしい。顔を見ると今日のキレを思い出してまたキレてしまうと思うので。
宵越しのキレは持ちたくない。
私は他の時間に発生した別のことでもキレていたので、これはいかん、なんとかして落ち着かねばと思いイライラを抑える何かがないか探した。
店にあったストレスを軽減する効果のあるラムネを購入しムカつくたびに噛んでいたが、私のイライラは森永の想定を遥かに上回っていたようでラムネが美味しい以外の感想がない。
コンビニの店員は怒ることで自分を責めたり、怒ってしまったと反省するような人には向いていない。遠慮なくブチギレられる性格、環境などがある人間か、何をされても全く怒らない人ならある程度の期間働けるのではないだろうか。あくまで個人の意見だが。
子育ても一段落して少し余裕が出てきた。妻はその余裕の中で韓流ドラマを見始めた。
ドラマ見てキュンキュンしてその余韻からかセックスに前向きになってきた。
元々仲良くてだいたい週イチくらいでしてるんだけど、明らかに積極的だったり楽しみにしてる感じ。
でもおれに筋トレをすすめてきたんだよな…。昔から筋トレしてもぜんぜんマッチョにならないガリガリタイプだから、「言うのは簡単だけど、こっちは大変なんだよ!」という気持ちもあるんだけど、
「韓国俳優に負けてられるか!」という気持ちもあり、珍しく筋トレが続いている。
全然マッチョ化はしてないんだけど、「筋トレがしてる姿がすてき♡」と言ってくれるし、何よりセックスが充実してきた。
筋力アップして力強く(当社比)抱きかかえる感じが伝わるみたい。
こないだリモートの日に昼寝してたら帰ってきた妻も潜り込んできて、燃え上がって昼からした。こんなのはじめて。
以前はおれだけが「したいしたい」という感じで、生理のときなんか「あ~今日はできないね~、残念だね~」と茶化してた妻が、こんなに積極的になるなんて。
生産性になぜ差異が生じる かの原因の 1 つは,おそらく文章を書くという作業があ る種のスキルであることに起因していると考えられる. すなわち,生まれつきの技能や特別な才能ではなく,地 道に練習をすればある程度までは論文を執筆するスキル は身に付けられるものであり「文章を書くという作業を 習慣化する(生活の中に組み込む)」ことこそが最も重 要なのではないかと思う.
自分自身を振り返ると,授業 や学内業務,社会活動をはじめ様々な日常業務がある中 で,いつも忙しいというのを言い訳にして「もう少しま とまった時間があれば,もっと論文が書けるのに」とい つも考えており,その改善策を考える上で,私の周りに いる生産性の高い研究者に教えを乞うことが有効だと考 えた.
そのため,論文執筆の生産性が高いと考えられる 研究者を対象に,執筆作業の効率化およびそれを習慣化 するための具体的な工夫等について聞き取り調査から明 らかにすることを試みた.対象者は,論文の生産性がかなり高い研究者 3 名(男性 2 名, 女性 1 名)であった.調査内容は, 1 )論文執筆作業を習 慣化するための具体的な工夫, 2 )論文執筆作業を効率 化するための具体的な工夫,の 2 点である.
論文執筆作業を習慣化するための工夫として,「タイ ムマネジメント」の一環として,論文執筆の日は出張に 行く日と同じという感覚を持つことが挙げられた.具体 的には,実際は自分の研究室にいるが,出張で終日不在 にしている体裁で論文執筆作業のみを行うというやり方 であった.特に,手帳に論文執筆の日であることを明記 し,他の予定を入れない,メールの確認頻度を減らす, 急用でないとメールは開かない,集中度が高いときは電 話にもでないという工夫をしていた.
また,早朝の時間 を論文執筆作業に充てるという意見もあった.学生指導 を含めた業務時間を自他共に分かるようにし,指導学生 には業務時間になってから相談して欲しい旨を伝える工 夫を行っていた.
さらに,無駄な時間や作業を減らすた め,非常勤講師や超過コマを持たない,むやみに学会発 表をしないといった意見もあった.
一方,いつまでに書 き上げるかのタイムスケジュールを(数カ月単位で)徹 底的に組み締切を作る,最低でも一文を書いてから帰宅 する等の「目標設定」を上手に行っていた.また,構想 から論文化までを一括管理し,何をどこまで書いたかを 常に把握しておく(可視化する)といった「セルフ・モ ニタリング」,できる限り大学に行く(まずは **やる場所** に行く),ふと良い流れや改善点,文章が浮かぶため, 常にメモができる状態にしておく等の「環境整備」に関 する工夫がみられた.
論文執筆作業を効率化するための工夫としては,作業 過程を 5 段階に分類するという意見があった.具体的に は,
①先行研究の動向を把握する段階(雑誌の最新号目 次のメール配信サービスの活用),
②データを分析し, 結果を確定させる段階(シンタックスを自分で書き, 分 析手続きの記録を残す),
③論文構成を考え,まとめる 段階(「日本語で」「段落ごとに」執筆する内容や主な引 用文献を, 箇条書きに簡潔にまとめる),
④文章を執筆す る段階(数日程度, 執筆のみを行う時間を作り, 細部は気 にせず一気呵成に書き通す),
⑤文章をブラッシュアッ プさせる段階(冷静に見直すため少し日数を置き, 全体 の一貫性など細かな修正を行い, 仕上げる)であった.
また,書く→修正→書く→修正ではなく,執筆自体が止 まらないようとりあえず全体を書いてから修正する,上 手に気分転換を図る(同時に複数の論文を書き, 1 つが 行き詰まったら他の論文を進める)といった意見も挙げ られた
論文執筆作業を習慣化するとい うことは,自分が重要性を感じているその他の時間との 価値交換を行う場面が多々あるため,なぜ自分は論文を 書くのかということを改めて突き詰める必要があるよう に感じた