はてなキーワード: 奨学金とは
自分はバイトで塾講師をしている大学生で、高3の受験生たちに「もっと夏期講習の講座を取らせろ」と会社から言われている。
でも自分が見ている限り、生徒たちは夏休みには自学自習するのがもっとも効率よく成績を上げて合格に近づける段階にある。
受ける講座を増やしてお金を失うだけならまだいいが、自学の時間まで失って成績が伸び悩む危険性すらある。
このような場合どうすべきなのかネットで軽く調べてみた。すると雇われている身分である限り、会社の方針に従うべきだとされていた。自分もこれには納得できた。もっと講座を取るように働きかけないなら、バイトを辞めるべきである。
でも田舎なので他に満足の行く時給のバイトがない。奨学金とバイトで生活費を賄っているので死活問題である。だから自分は生徒のためにならないと分かっていながら、夏期講習を取らせまくるように働かなければならない……
正義を貫通すRPGというテーマが掲げられたゲームがあったなあ、と思いだした。確かテイルズオブヴェスペリア。正義を貫ける環境にあるってのは、大事だね。
「収入の半分近くを税金として収めている日本!!!あぁ我ら国民は苦しい!!」
...みたいな話題がこないだネットで出てたけど、まぁそれは事実だとして、そんなにしんどい事になってるか?
普段生活していて「重税で手元にお金がぜんぜん残ってないよぉ...」とかあるか?無いんだが...
家も買ったし車も買ったし奨学金の返済だってしてるから、大体の人が抱えそうな債務はひと通り負ってる。
節約も特にしてなくて、スーパーでは好きに食材を買い、月に2~3回は外食してる。エアコンも惜しみなく使うし毎日湯船だってはる。
前置きがだいぶ長くなってしまったが、幼少期の出来事が一番印象深いのでそこは勘弁してほしい。
電話での一件で、私は自己中で母に苦労させる猿という考えが自分の中に染み付いた。
ここから次の印象深い出来事が起こるまでも、何度か虐待を疑った学校の先生や塾の事務員がいたが
私が虐待ではないと言ったり母が電話で猛抗議をしたりして特に何かの介入はなかった。
高校を卒業したら母と縁のある企業に就職予定だったが友人の付き添いで参加したオープンキャンパスがきっかけで大学進学を志すようになった。
母に入学金と学費と食費をこれまでのバイト代(入学金と1年目の学費くらいはあった)と奨学金でなんとか大学に通わせてほしいとお願いをしたが、これが母の逆鱗に触れた。
まず、これまで私は勉強が全くと言っていいほどできなかった。
母は私に評判のいい塾に何度も通わせ、成績向上の機会を与えてくれていたが、本人のやる気がなくどこへいっても成績が上がることはなかった。
いろんな塾に行くのにはお金がかかる。母は何百万もの大金を私に使ってくれたのだが、意味がなかったのである。
だから母も進学は諦め、就職し実家で慎ましく生活することを勧めてくれたのだ。
なのに、たった1回大学に行っただけでいきなり勉強し出したり、お金を大学に使いたいと言い出したことで母は裏切られたと感じたらしい。
当時あるアイドルにハマっていた私は、誕生日に買ってもらったグッズや本屋から貰ったポスターなどを部屋に飾っていた。
それらの全てを壊されてしまった。
私は勉強してこなかった今までの自分への申し訳なさとお金の負担をかけてしまう申し訳なさで
母に大学進学の話をするのを躊躇っていた。そのため、勉強をして成績をあげ全てではないが大学進学でかかる費用を賄うことで進学する許可は降りるだろうと考えていた。
だがしかし、私の中で、大学進学の話はこれまでの私の自己中由来の罰とは違うものではないか?と思うようになった。
これまでの人生、全て母が決めた通りに歩んできた。
だが高校を卒業したら独り立ちしなくてはならない。それならば、自分のしたいことをしたいと願うその自分勝手さは私のために必要なことなんじゃないかと思った。
母の言うことを聞く必要はもうないと、部屋の中でめちゃくちゃにされたポスターやグッズを見て、強く思った。
そしてふと私は猿ではなくて人間ではないかと思うようになった。
続きます。
貧困家庭の子ほど、それで食っていけるわけねーだろって分野に金払って進学してる率高い気がする
就職できるかすら分からんワナビ系専門学校に奨学金借りて進学とか愚の骨頂と思うんだがいるんだよな
多分それじゃ食えねえよって誰も教えてくれないんだろう
12年前、
借りていた奨学金の募金活動で桜木町駅に日がな一日立っていた。
この活動に前向きで意欲的な奨学生もいるだろうけど、私はそうではなかった。
なぜ週末の駅中で、私は親を亡くしました。でも勉強がしたいのです。だからご協力をお願いします。と、楽しそうで幸せそうな人たちに向けて声を張り上げ続けなければならないのか。
多くの人は一瞥するも通り過ぎ、
あるいはこちらを見もしない。
俺だって大学に行っていない、甘えるな。とおじさんに言われたり、
ここの団体の資金のやりくりは不明瞭で、とそんなことをおばさんに言われたりした。(そんなことを私に言ってどうする?と思いつつ、聞かないわけにもいかなくてしんどかった)
募金と見せかけて
好き好んで親を亡くしたわけでもないし、
好き好んで看板を吊り下げて立っているわけではない。
あえてこちらを見ようとせずに通り過ぎる赤ちゃん連れの若夫婦などを見ていて、
足もしんどくなってきた夕方、
癖っ毛で眼鏡をかけた小柄なスーツ姿のおじさんが寄付をしてくれた。
ありがとうございます。とお礼を言うと、おじさんは何も言わずに去っていった。
しばらくして、さっきのおじさんが戻ってきた。
それを差し入れにくれるという。
募金活動の差し入れに甘栗。しかも殻付き。と思ったけれどありがたく受け取った。
おじさんはこう言った。
君らがここでこんなことをせなあかんのは間違ってるんや。僕ら大人が悪いんや。ほんまごめんな。ほんまごめんな。
おじさんは最後、少し涙声になっていた。
なぜこの人が謝らなければならないのだろうか(しかも偶然出張で桜木町駅にいるだけなのに)、と思ったけれど
私はずいぶんとこのおじさんの言葉に救われた。
1日立ち続けて
私たちはちゃんと存在して、見えていたのだな。ということがわかったことと、
なにより、おじさんのその気持ちに。
もう12年経ったけれど、
おじさんのことを忘れたことがない。
名前も聞かなかったし、もう会うこともないだろうし、
お年としては、定年を迎えられているのかもしれない。
どうか元気でいてくださいとおじさんを思い出すたび、祈っている。
人は人の心を挫くこともできれば、
反対に守ることもできるのだと
おじさんが身を持って教えてくれた。
おいしかった。
見ず知らずの学生の姿を認めて
耳を傾けて、言葉をかけてくれた。
あのおじさんのような大人になりたいと思ったし、
べこべこに凹んだ自尊心を守ってくれた。
おじさん、元気ですか。
あなたはもう忘れたと思うのですが、
あの時はものすごく嬉しくて
12年経った今でも
私は母子家庭で育った。4歳下に弟がいる。経済的には不便はなかった。だが母親はアル中に片足を突っ込んだ状態で、精神科に通っているメンヘラだった。
私は母親のよき相談役で、理解者で、いい子として生きてきた。実際に(精神の)病気の母親が心配で、私が守らなくてはいけないと思っていた。
高校受験。成績には問題がなく、どこでもいけるとのお墨付きがあったため、公立で一番いい高校に進んだ。
高校に通いだすと、母の態度がどんどん硬化していった。私には、何が起きているのか理解できなかった。
日々罵倒され、色気づいているとか、だらしないとか、自分勝手だとか、ありとあらゆる否定をされて夕飯も用意されないことがあった。
高1の冬には、本当に何が原因でそうなったのかわからず、思い出せないのだが、母は私に怒り家に入れてくれないことがあった。仕方なく、母校でもある近所の小学校に忍び込んで一夜をしのいだ。
今思えば警察に行けばよかったのだが、15歳ではそんなことは分からなかった。
最終的に私と母の関係はどんどん悪化し、私は18で家をでて住み込みで働ける仕事についた。
最近になってアダルトチルドレンの役割というのを知り、ヒーローとケアテイカーの役割だった私が、新しい男性の登場で不要になり、スケーブゴート役に変更されていたのか、と合点がいった。そしてその配役を押し付けたのは母親だ。
配役を変更するなら、教えてほしいものだ。
「好きな男性と一緒になるのに、年頃の娘でもあるあなたがいると不都合なのよ、ごめんなさい」とはっきり言ってくれたなら、私はもうちょっとダメージが少なく迷惑をかけず自立する方法を考えられただろう。まぁ、仕方がない。
ちなみにそれまでのスケープゴート役は、浮気をして離婚した父親だった。母はよく罵倒していた。
あまり書かなかったが弟はあえていうならはピエロタイプで、いつもにこにこしていた印象がある。頭は少し足りないが、スポーツが好きないい子だった。私は弟が大好きだった。母と弟と新しい男性の3人で幸せになるために私が不要なら、それはそれで仕方がない。
幸いにも家を出たあと私は、仕事や友達、彼氏や実の父親の援助などにも恵まれ私はお金をためて大学にはいり、就職し、楽しく暮らしていた。
私を切り離した家族3人も幸せにやっているものだと思っていた。
そんなある日、弟が自殺した。
母親は「実の父親が学費をだしてくれなかったせいで、奨学金を借りて大学に行くことに悩んでいた」と言っていたが、まったく理屈にあうことではなく意味が分からなかった。弟は養子縁組も終え、今の父親は新しい男性だし、第一奨学金を借りるくらいのことで自殺をするということが考えにくい。
私というスケープゴート役もいなくなってしまったことで、うたれ弱い弟にその役割が回ってしまっていたのではないか、と。
それはまったく仕方がないことではない。
入試での成績優秀者の学費免除、大学の成績優秀者に返済不要の奨学金がでる大学入って
家庭教師って契約解除とかあるから、セフティネットがあるに越したことないんだよ
だから、成績優秀者優遇の大学探してそれをセフティネットにしてるわけ
頭が冴えてるうちはこれを使って生きていくつもり
先月のクレジットカードの支払総額は4万8000円だった。私はほとんどの支払いをクレカで済ませているため、これに家賃と奨学金の返済額を加えて9万9000円。先月はだいたい9万9000円が私の口座からおさらばしていった。月によって上下はすれど、だいたい毎月の出費額は同じぐらいだ。それでも貯金とは程遠い生活を送っている。何故か。私の労働意欲が低いからか。月に2、3回、私は仕事を休む。なんとなく、メンタル的に行きたくなくなる。ので休む。時給制なので休めば収入は減る。働けど働けど猶、というほど働いてもないし働く気もないが、お金に不自由するのはそれなりに応えたりもする。交通費抜きにすれば月8000円浮くのになぁといつも思う。いつもだ。今気がついたが毎日思っている。毎日思っていたのか私は。驚いた。元々お金を使う性格ではないのだが、やはりもう少しお金があればと思うことは多い。気になっているお店で一度食事をしてみたいだとか、ニンテンドースイッチがほしいだとか、昼食にサラダをつけたいだとか、小旅行したいだとか、新しい本棚が、掃除機が、布団が、服が欲しいだとか。欲しいものが多いな私は。書き出してみて驚いた。欲しいものが多かったのだな私は。書くと気づきがある。アウトプットは大事らしい。さて晩飯の支度をするか。
NHKは法案可決しなくても公約を達成しているのに、れ◯わはしてない
立法前でもできることをしてないのは、ただの弱者ビジネスであり、まともな野党ではないからでは?
奨学金チャラにする法案が可決しなくても、れ◯わが代わりに奨学金を払えば、国民は「奨学金チャラ」状態になる
それをしないのは何故か?
そういう口だけ野党がいても国民のためにならないのでさっさと見捨てて、公約を実現する気概のある野党を育てろと言ってる
「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」はまさに野党時代の日本社会党の功績
たとえば、NHK党はNHKと裁判になった人の費用を肩代わりし、国民がNHKにお金を払わないようにすることを実現してる。
受信料制度廃止はNHK党だけでは実現できないため、「NHKを見てないのにお金を払わないといけない人」がお金を搾り取られるのを防いでいる。
NHK党はまともな野党ではあるが、受信料制度が廃止されたら解散すると公言されてる育てられない。
その反面、れ◯わは奨学金チャラを謳ってはいるが、何もしてない。返済額の一部だけでも政党助成金から出すとかしたら良いのにそれすらもしないから、まともじゃない野党なのよ。
消費税の廃止ができないなら、低所得者向けの還付制度を作ったりとか本気でやろうと思ったら、手段はあるのにやらない時点でお察し。
分かりやすくNHK党とれ◯わで比較しましたが、まともな野党と、まともじゃない野党の違いについてご理解いただけましたか?
自民党とか本当にどうでも良い。関係ない。プライマリーバランス黒字化という名の増税やめろってくらい。
俺の高校の同級生も田舎の貧乏クソ親家庭から頑張って勉強して奨学金たくさん調べて有名な大学に行った。
学校の先生も親身に相談に乗ってて奨学金についても調べてやってた。晴れて合格決まったあとに先生が「お前と一緒に色んな大学とか奨学金とかについて改めて色々調べたから色んな事情の子に対してもその知識を使って進学を勧めてやれる」みたいなことを言ってたらしいが同級生は「たまたま自分はクソ環境でもやっていける精神力とか負けてたまるかな気持ちが強かっただけだからそうじゃない子にこんなこと勧めたら病むからやる気ある子だけにしてやれ」みたいなことを言ったらしい。
そいつの妹は当然家族なので同じ家庭環境であったけども精神的に弱ってしまって中学も休みがちで有名大学進学どころか高校進学すらも難しい状態だったから無邪気にそういう選択肢を出すことで余計に前に進めなくなる人の存在に気づいてて敏感だったんだろうなあと思う。
来月くらいにボーナスが出るらしい。
巷では270万出たなんてツイートが話題だが、俺はその十分の一くらいが手取りで入れば御の字という感じ。
でも、それが入れば、貯金が3桁万円の大台に乗る。
この貯金はいわゆる「万が一入院した時のための金」とかとは完全に別になってる分で、消し飛んだとしても(俺のメンタルが致命傷で済む点を除けば)困らない。
借金や奨学金の返済に充てるとか、結婚するから初期費用がとか、そういうの一切想定しなくて良い金ということだ。
はてなーは金持ち多いだろ。投資がどうのとかよくやってるだろブクマで。
あとMacBookの新作が値上げしてるだろ。日銀の総裁もいけ好かないこと抜かしてるし。
普通預金で持っとくのって、なんか損かなって思うんだよね。
資産運用っていうのをやってみたいんだけど、どういうのがいいか教えてほしい。
或いは、誰に聞けば/どういうことを調べればそういう情報が入ってくるかのヒントが欲しい。
教えてくれ偉い人。
金持ちのすなる「お金に働いてもらって増えてもらう」とかいうものを、貧乏人もしてみむというやつだ。
追記:
ちょっと見ないうちにいっぱいトラバとコメントついてて嬉しい。
みんなありがとうございます。
FXは昔やって10万くらい溶かして終わったことあって、二度と手ェ出さないって決めてるからごめんな。あれは結果的に金が増えたとしてもメンタルの収支が割に合わなすぎる。今ロシアとウクライナで世界中アレだし。
個別株も無理。俺もう自分が今やってる仕事でいっぱいいっぱいで、興味を持ってないことにそれ以上アタマ働かせる余力がない。脳みそオーバーヒートして死ぬからごめん。
「普通の人が資産運用で99点取る方法〜」の記事はいいな。こういうのから始めてみる。ありがとう。
あと積立ニーサとイデコも調べて始めてみようと思う。ほったらかす分には構わない金だ。最短でも10年とか、何ならそれ以上寝かせてもいい。
自分の贅沢に使っちまえ案、すごく良いんだけど、やめておく。
俺はもうだいぶ自分のために好き放題してきて、田舎の家も継がずに飛び出してきたし、やりたいことしかやれない続かないたちだから仕事も自分のことだけ考えて選んだし転職もしたし、何というか、自分のために動くのに飽きてきてる。飽きたことにかける金としては、俺的には、額がデカすぎる。
母の日父の日、今年の分はもう手配したし、そもそもあんま高いモン贈れない。高い額が毎年続かないし、受け取る方がビミョウな顔になる。そんな金あるのかよって。
結婚してたら、恋人がいれば、その人と楽しくやるために使っちまえたんだろうな。
追加その2:
俺はもう若くない。30代後半。
コロナ前は十分いろいろチャレンジしたよ。一人ハンググライダー体験とか一人海外旅行とかな。面白かったよ。興味があるなら一生に一回くらい経験しといて損はない。
でも今、もう何にもやりたいことがない。
いや、強いて言えば結婚して子どもをもってみたいが、子どもって育てるのにいろいろ要るじゃん。家とか金とか時間とか。あと言うまでもなく伴侶とか。
俺がイデコとニーサで増やした程度のカネじゃあ、俺の奥さんになる人も、生まれる子どもも可哀想ってもんだろ。
「入院とかのための金」は30万くらい。それくらいいつでも動かせるようにしとけば、病院もまあすぐには追い出さねえはずだ。そうだろ?
昔から彼氏や趣味友達には君の親はいいね、といわれる事が多かったけど、最近では親ガチャあたりだねって言われる事が増えた。
親に怒られる事は普通にあるし、しつこい時だってあるし私自身はあまり…って感じ。
家には家政婦がいて毎日栄養の取れた食事に洗濯洗い物全てやってもらったし、成績さがれば家庭教師読んで勉強。
中学生から小遣いもらって3〜5万(貰いすぎだと言われた)、大学(費用も親。奨学金ってなに状態)
行ってからは親名義のマンションで一人暮らし。光熱費(これが自分が払わないといけないのは結婚してから知った)親負担で別途仕送り10万、姉は20万だった。
泣きつけば多分普通におかわり貰えた。した事ないけど。
車関係も車本体(ベンツ)保険やら税金修理なども親任せで払った事ない。
誕生日は結婚するまで店貸し切りでお祝いとか、コロナの時は二人で楽しんでねと現金30万とかだった気がする。
話は変わるけど、お姉ちゃんが交通事故起こして女子高生を致死させた時も
親戚のおじさん達(議員と弁護士)がうやむやにして実刑にならずに書類送検だけですんだ。
一度大きく怒られた事があったけど、大学時代の彼に頼まれて親が私名義にしてあった定期100万を解約して彼に渡したらビンタされた。
でも彼と連絡取れなくなって1ヶ月後には親から殴って悪かったね。とまだ定期作ったから許してねと言われたし、
別に彼のせいにする発言した覚えないのに「男にたぶらかされてお金渡した」という話になってた。
ちなみに大学出た後すぐに親の紹介で親の同級生の息子さんと結婚して専業主婦なので今まで一度も働いた事ない。
たまに会うと結婚して自由になるお金ないんじゃないっていつもいくらか持たせてくれる。
ある程度感謝はしてるけど当たりとは思えないわ。優しい親だとは思う。
校則の厳しさから遅刻してはいけないという強迫観念で自律神経失調症になったことだと思う。
中学1年の半分と中学2年は丸々休んだ。出席日数ゼロの圧巻の通知表はどこに行ったっけ
不登校時代は特別だと思っていたけど、自分が不登校時代にやっていたことは学校に行きながらでもできるなんて事のないことだった。
親は最初は過干渉だったけど、そのうち諦めて、自分も自分なりに体勢を整えることができた。
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学校に行かず、自分で勉強して、英数の要点だけは頭に入れた。中学3年生の4月頭に突然復帰した。
不登校児が復帰するのは勇気がいるとか色々思うかもしれないが、転校とそんな変わらない感覚だった。
中3は塾に通わせてもらい、英国数の3教科に絞って勉強した。わからないことは授業終わりに質問した。
誰も嫌な顔せず教えてくれた。
高校は小論文と英国数だけで入試ができた。事前にこの情報を知っていたので本当に良かったと思う。
結果は合格。偏差値50の普通よりちょっと女子の多い学校へ行った。
引きこもりの陰キャだから、パソコンにはそれなりに抵抗がなくて、高校ではITを学んだ。
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一人暮らしの大学生活はお金に困ったけど、奨学金があるからなんとかなった。
給付型の奨学金も受けることができて、学生生活は不自由なく過ごすことができた。
基本情報保持、プログラミングはちょっとTwitter APIで遊ぶ程度
勉強がてらラズパイでLAMP環境を構築する程度のITレベル。理工系以下、文系以上。
普通の普通。ちょっと不登校が2年あっただけで、本当に普通のよくいる学生なんじゃないかと思う。
ADHDっぽいと診断されたけど、古いおじいちゃん先生なのでよくわからない。致命的なことはなく
期限の迫る卒業論文は追い詰められて能力を発揮・・・することなく、本当に普通に終わらせた。
大学は卒業。家賃2万未満のボロマンションとおさらば、案外短かった4年。
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・・・コロナによって案件が少ない。経験できることが僅かで3ヶ月も経てば作業手順なんて忘れてしまう。
テレワーク上の報連相、相手は本当に見てくれているのかわからない。レスがない。
仕事のやり方が不明瞭。標準がないので上司3人に聞くと3人の答えが返ってくる。
僅かに得られた案件機会の僅かな記憶を頼りに、もう1年前のことを思い出して行うような作業を行う。
自分は何の仕事をやっているんだろう、この仕事はどこからどこまでの作業があって、終わり次第どこに引き継げばいいんだろう。
何もわからない、聞いてる間は仕事が止まる。期限が迫る。俺は何もできていない。会社のお荷物だ。いる意味がない、これから怒られたり失望されるに違いない。
夜、叩き起こされ尋問が始まる。誰のせいか、誰が問題を起こしたのか。自分が確認してもらった部分に食い違いが生じていた。間接的に悪いのは私である。
課された仕事は難易度が高く達成できず、できるどころかミスをして周囲に迷惑をかける。
親と姉も病んでいた。手帳2級。
結果はIQ100で特に問題はない。苦手はあるが、生活はできるはず。
本も読めず、飯も食えず、ボロボロだった。
学校生活がうまく行かない人は、中学生時代に何かあったんじゃないかと思う。
俺のような、そろそろ復職で上手く行けるか不安な人間にはなるな
難しいけど、緩く生きて、失敗してもいいから。
俺はダメそうだが