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はてなキーワード: 派遣とは

2017-06-27

非常勤危機感

若い頃、上司が「しばらく非常勤スタッフに来てもらう」と言った。

おそらく一般的であろう読み方「ひじょう・きん」だと、非常事態派遣されて、危機回避する特殊部隊のようではないか

ぼんやりと、そんなイメージを抱いていた自分は、ワクワクして待っていた。


しかし、普通のお姉さんが来て、普通に働いて帰っていった。


非常勤」は「ひ・じょうきん」って読むべき。

接客アルバイトを初めて

四月から接客の長期アルバイトを始めた。

高校生の時は校則アルバイト禁止されていたから、卒業後の三月だけ派遣工場アルバイト転々としていた。

接客アルバイトを始めてわかったことがある。

それは買い物を終えた後、カゴの中にレシート放置したまま返却する人が多いことだ。

中にはお客さんが「このレシート初めから入ってたんだけど...」とクレームを言ってくる時もある。

はいえこちらも全てのカゴをチェックすることは出来ないため、申し訳ありませんと伝えてレシートを受け取りゴミ箱に捨てることしか出来ない。

使ったカゴにレシートを入れたまま返却して、次に使うお客さんが放置されたレシートを見てどう思うか考えないのだろうか。

買った商品をすべて袋に詰めたらレシート存在を忘れてそのまま返却したのだろうか?放置するほど要らないレシートならレシート入りませんと言って捨ててもらえば良いのではないのだろうか。

接客アルバイト理不尽なこともある。始めて二ヶ月もまだ経っていないのに、お客さんからバカだのアホだの罵倒されたこともあった。

でもお客さんにありがとうと言われると嬉しいし、自分POPを書いた商品が売れると小さくガッツポーズをしてしまう。

きつい事もあるけど大学卒業までの4年間続けたい。

2017-06-25

オタの定義とは

私は音楽オタである

作詞作曲楽器演奏ライブフェスも行くし、聴く音楽邦楽洋楽JAZZクラシックなんでも聴く(演奏してた)ので、音を楽しむという点においてなんでもやる!

さらにな音楽を人に届けるためにどうしたらいいか(マーケティング)や、演奏力(ITでいう技術力)、グッズ販売におけるチャネル芸能としての個人へのプロディュースなどいろいろ考えてしまう。これが、音楽オタだと思っていた。

でも、実はこれがいけない。

結果として何者にもなれず(何オタかわからない)、中途半端に世の中をバランス良く行きてる人とのレッテル貼られ、今に至る。

話は変わるが私は若い頃はミュージシャンを目指して高校中退し、フリーター派遣ブラック企業、今は一部上場企業、、、と経験してます。→ちなみに年齢は35前後半。

時代の流れに流されないよう、良くも悪くもわがままに蔑まれ、認められ行きてきました。

で、話を戻すと、、、オタの定義として、個人的には何かに詳しい人!と思っていたが実は違うんだな。と思い出した。もしくは、詳しいの定義が幅広くなればなるほどオタにはなれないのか。

結果、私はオタにも真面目にも、、、そして、起業家芸能人にもなれず、どこにも所属できないまま生きてくしかないのか。

ちなみに、田舎村社会多様な価値観を認めない社会)も嫌いで都会に来てます

はぁー。何が言いたいのか。

とりあえず、増田の書き方知ったので書いてみました。(ぽちぽちしてみました)

2017-06-24

もう随分前だけど

事務派遣やってた友人が就業先を探してる時に

Excelだって使えるよ!四則演算できるし!」

て自信たっぷりに言い放ってたのを不定期で思い出す。

あの位強い心で生きていきたい。

2017-06-23

https://anond.hatelabo.jp/20170623141400

あなたが本当に勉強ができるのであれば,海外大学に行ってはどうでしょうか?

日本人留学っていうと,ハーバードMITに箔をつけるために留学するというイメージが強いですが,箔を付けるためではなく,大学院に,しか会社から派遣(出向)されるという形ではなくて,退路を絶っていけばいいと思いますあなた環境を変えるためです.

海外大学に行けば,そもそもバックグラウンドが異なる人間だらけですし,そういう意味で言えば,あなたが言う「あん青春」を送っていない人だらけです.でも,みんな気にしてないですよ.勉強できる奴はクールだって言われますし,大学ってそもそもそういうところです.オタクも多ければ,明るいヤツも多く,少なくともキャンパス内で差別的発言をする人は(分野によるかもしれませんが)まずいません.ついでに言えば,開成筑駒桜蔭誰も知らないので,あなたが仮に進学校出身であっても,色眼鏡で見られることも,それを褒め称えられることもありません.ハッピーですね.University of Tokyoは知られていますが.

おそらくあなた日本社会最適化しすぎているのですよ.一度環境を変えて,人生っていろんな最適化方法がありえて,いろんなゴールがあって,いろんな楽しみ方があるって気づくと,あなたギフトである頭の良さや成績の良さも正しく活かされると思いますよ.がんばってください!

https://anond.hatelabo.jp/20170622120617

うわー分かるわーこれ。よし、じゃあ俺も思いつくままに書くか。元増田との重複もあると思うけど勘弁してくれ。

複数派遣会社での出来事なので、内容に矛盾があるが、概ね事実だ。多少のフェイクは入れている。


10

自席がない時

別途作業するスペースさえ確保してくれているのであれば、机がないのは許せる。

だが荷物置き場が一切なく、背広もコートもかけるスペースも提供されず、傘も置けない現場だった時は結構困った


■9位

最初に出勤できない、最後に退勤できないと知った時

入退室管理カード権限上、派遣社員は一番最後に退勤することができないし、逆に朝イチの出勤もできない。

これを初めて知ったのは、「俺以外の全社員ビルから退館している」と気づいた時だった。正社員電話して戻ってきてもらった。

パターンでは、障害発生のメールが届いたので夜中に出勤すると、ビルに入れなかった事があった。ビル常駐の警備会社とさんざんやりとりして、結局正社員の重役に電話確認後、やっと入館できた。

後日この件について始末書を書かされた。


■8位

自席備え付けの電話から国際電話回線発着信不可だった時

国外とのやりとりが主な職場での話。電話する時もいちいち正社員座席に行って、「あのう、電話させてほしいんですけど・・・。」と言わないとダメだし、俺の席を直撃できる電話番号はない為、国外から俺に電話をする際には絶対正社員が取り次がないといけない。

正社員英語ができないやつも多かったんで、そんな奴がうっかり電話を取ってしまった場合は面倒だった。正社員は何故か俺に文句を言ってくる。俺じゃなくて総務か役員あたりに言ってくれ。

あと、部長級以上のやつらは全員英語ができないのに、そいつらの席の電話は全て国際電話発着信可能だった。気持ちは分かるが非効率すぎる。


■7位

エンドユーザーから文句を言われた時

とあるプロダクトの窓口にいた頃の話だが、炎上気味だったこともあり、担当派遣社員コロコロ変わっていた。

引継ぎもロクにないくせに、メアド無駄個人名@社名.co.jpなので、エンドユーザーからからすると

メールでやり取りしている

ある日突然メールが不達で返ってくるようになる

info@に問い合わせると、「担当者が変わりまして・・・」と言われる

担当に問い合わせる

ある日突然メールが不達に(以下ループ

となり、俺が担当になった頃にはエンドユーザーの怒りはMAXを超えていた。

エンドユーザーから「お前らの会社との過去経緯です」と言ってメールを送り付けられた時には、引用符「>」の数に笑ってしまった。


■6位

派遣社員のみ、Webメール監視していることを知った時

もっとも、これは入場時から知っていた。何故ならその監視システム担当として派遣されたから。

正確には「わが社メインの〇〇システム保守やって。ああ、あとついでに派遣の奴らの監視もしといて」って感じだったが、どうせなら全社員監視しとけよ。

俺はログ抽出だけして中身は見なかったが、正社員から派遣の〇〇さんって正社員の□□さんと付き合ってるみたい」とか聞かされて、若いやつはアホなんじゃないかと思った。LINEでやれ。


■5位

社食の値段が違う事に気づいた時

社員証がそのままsuicaみたいになってる会社があって、社員食堂や売店では社員証をピッと通すだけで支払いできるところがあった。

当然、俺らは社員証を持っていないので、専用のカードを作ってもらってそこに現金チャージして使う。

現金払いもできるが、割高だったのでチャージして使っていた。

ある日、社員と話している時に「社食のAランチってあれだけのボリュームで760円って激安じゃないですか?」的な会話をしたところ、「えっ?・・・ああ、俺らはアレ150円から」と返された。


■4位

飲み会に参加できなかった時

社内メーリングリストで懇親会の出欠確認が回ってきて、ご丁寧に俺の名前も出欠確認リストにあったんで「出席」と返信したら、「派遣の人は参加できないんですぅ~」と総務部のネーチャンに言われた時


■3位

派遣先企業のノー残業デーの日に残業している時

「あ、君らは明日までに〇〇やっといてね」と言って飲み会に行く正社員を見送るのにも慣れた。


■2位

請負」と「派遣」の定義を都合よく使い分けている時

業務請負派遣作業では「やってもいい仕事」「やってはいけない仕事」がある。ざっくり言うと、指示命令系統がないと動けないのが派遣で、なくても動けるが最初に交わした契約以外の事はできないのが請負

請負で入場した派遣先で、正社員から「これやっといて」と契約にない作業押し付けられた際に抵抗すると文句を言われる。

最悪、正社員から派遣会社クレームが行く事もある。そして俺が派遣会社に怒られる。なんでなんだぜ?


■1位

派遣先企業に「ウチの正社員になってよ」と言われ、派遣会社を辞めて入社手続きをしている時に派遣会社からクレームが入り、俺の入社白紙になった事。

多分一生忘れない。派遣会社のやつの勝ち誇ったような顔も、派遣先企業の「今回の件はなかったことに」というメールも。

退職手続きを終えた後だったので、次の就職先を急いで探す羽目になった。

2017-06-22

自立も就職も贅沢になる時代がくる

最近おそ松さんの二期をやると知り、一期を見ていた頃「自立も就職も贅沢だ」というセリフを聞いた時、なるほどなと納得したのを思い出した。制作陣が意図した事かどうかは知らないけど、自立や就職が”贅沢で高望みな行為”だと思われる時代が来るだろうなと、アニメを見ながら思ったんだよ。

説明するまでもない事かもしれないけど、昔は普通で当たり前だった事が、今や普通でも当たり前でもない事なんてたくさんある。恋愛結婚子ども代表的になるのかな。収入の少ない家庭で問題が起きれば、すぐに「金がない癖に子どもなんか作るからこうなる」というレスが大量につくし就職も同じだ。就職口が見つからなくて困っている若者が、休日がまともに取れない企業は避けていると言えば「ブラックを避けてりゃ見つかるわけないだろ」と、傲慢さを指摘するレスが大量につく。

お金がないのに子どもを作ったりするから、不幸になるのは仕方ない」とか、「お前程度の人間ブラック企業しか働く術はないのだから、消耗させられてもありがたく働け」というのは、ものすごい地獄を感じる。でもそういう批判にもちゃんと理屈があるし、間違ってるとも言えない。そして、そう言わせる様な社会の方が狂ってる事は皆わかってると思うけど、社会はそう簡単には変えられないから、仕方ないんだよね。リスクを避けるしかまともに生き延びる方法がないんだから、「リスクを避けない方が悪い」としか言えない気持ちはよくわかる。

それはともかくとして、今や結婚していない事、結婚していても子どもがいないことは普通の事で、就職できなかったり、就職できても会社ブラック企業であったり、ブラック企業で消耗する事、そして悲鳴をあげる暇もなく誰かが消えていく事は、どこにでもある、ありふれた光景になってるってことが言いたい。そういう話題新聞記事やらまとめをやら増田を、一体いくつ読んできたか。実際に自分の身近な人間から、何度聞いてきたか。本当に嫌になるね。

正社員派遣社員じゃ身分が違う」というのはもうよくきく話だけど、「正社員になること」が真っ当な大人の当たり前の通過点とだとは思われない時が、すぐ来るんだろうなと思う。というか、これはもう来ていると言ってもいいのかな。簡単には正社員になれないから、先が見えなくても派遣契約バイトで働いて、とりあえず今を生きるのが当たり前になるんだろう。「就職したり正社員になって安定した収入を得る事は、もう当たり前なんかじゃない」とか、すぐ言われるようになる。いい歳してフリーターってのも、馬鹿にできなくなるよ。そうなれば、経済的にひとりで生きていく事、つまり「自立」も難しくなる。「独り立ちして、家族干渉されない自分だけの空間時間を持ちたいなんて贅沢な望みだ。なんて傲慢なんだ」、とか言う叩き文句が当たり前になる未来なんて、簡単想像できる。

パラサイトシングルって言葉もあったけど、もうどのメディアも使ってない死語だ。むしろ大人になっても一緒に暮らせる様な家庭環境を持っているなんて、幸せなんだなとすら思える。もっと言えば、働かずに親に「寄生」していると蔑まれニートだって、働かなくても親の資産労働で食わせてもらえる、「家や環境が裕福な生まれながらの勝ち組」扱いになるのかもしれない。(というか、今考えても実際そうなのでは?)

「そんな事言っても、将来どうするの?親が死んだら?老後は?病気になったら?」という批判不安も生まれると思う。でも、来年、数ヶ月後、今月末の生活も見えない不安定な状況で、10年後20年後未来に備えるような余裕がある人がいるんだろうか。「将来の為に備えたくない」とか思う人いないでしょ。誰だってもしもの時の為に備えておきたいでしょ。でも、やりたいけど出来ないのが現実なんじゃないのか。逆に、将来に備えられない程の厳しい現実をとっくに受け入れて生きている人の方が、もう多いんじゃないか

そう考えるとほら、もう「自立も就職も贅沢」って言われる時代が来るかもな〜って気持ちになってこない?恋愛結婚他人と深く繋がること自体が難しくなっているいま、親兄弟と協力して経済的不安を分け合って生きていけるなんて、羨むような幸せなんじゃないか無職ニート貧乏孤独死も、明日は我が身なんだよ。

ギャグアニメをみて、自分も親兄弟と仲良くしときゃよかった!!って本気で後悔する日が来なきゃいいけどね…。

ある派遣社員のみじめ体験ランキング

ようやく正社員内定を得たので、派遣社員時代(今もだけど)にみじめだと感じた体験を振り返る。

大学卒業後1X年、正社員の職を転々としていたらブラック企業に引っかかり、精神肉体共に限界に達したため退職して派遣社員になった。

再び「しばらく派遣のんびりしたいな」と思った時に読むための覚書として記す。

10

就職が決まらないので契約更新して、次のチャンスは3ヶ月後か…と思う時 (契約更新タイミング以外で辞めることはできない)

9位

座席表の一部の席にある謎のマークが、派遣社員の席を示すものだと知った時

8位

何もかも派遣社員に丸投げするぼんくら正社員出世したことを通達で知る時

7位

正社員にはない出費がある時 (自費で定期券を買う、6月に1年分の住民税を払いに行く)

6位

与えられたメールアドレスコンピュータ名と同じだと気付いた時

5位

正社員の職を求めて活動することを「転職活動」と言えない時 (派遣社員就職している状態ではないような気がして「就職活動」と言っていた)

4位

正社員が楽しそうに夏休みゴールデンウィークの話を振ってくる時 (派遣社員には夏休みがないし、ゴールデンウィークは無収入なので大迷惑)

3位

書類職業選択欄で「派遣社員」を探す時

2位

職業を聞かれて「派遣社員です」と答えて、うわ…聞かなきゃよかった…という空気が流れて、あわてて明るくフォローする時

1位

名刺がないので、名刺交換の場で一方的名刺をもらう時

2017-06-21

1人で生きている感覚

最近、生きていて生活にあまりにも彩りがない。

ツイッターで垂れ流すのもあまりに情けなくてこっちに来た。2月ぶりに増田

ちょっと色々あるから番号つけて書く。

1.

去年の12月から一人暮らしを始めた。

タイトルの件とはそれほど直接的な関連ではないと思うけれど、じわじわ効果をもたらしていることだと思うので最初に書く。

2.

中学卒業から工学系で、周囲は常に男女比9:1よりも偏った状況。

その上でモテない。

お笑い気質というか、三枚目タイプなことと、

育ちから来る自分に自信が無いこと、

それから背が無いこと。いろいろ合わさってこんな感じ。

たぶん「人は良いのかもしれんけど彼氏として隣に置くのは嫌」と思われてる。

どうせ増田だしイキリ男子しとくけど、見た目は普通より大丈夫なはず。後述のアルコールの場でもウケは悪くない。

3.

仕事情報系。特に今は情報派遣社会人は4年目。

知らんチームの知らん業務4月から一人でぶち込まれ仕事中。

4人くらいいるメンバー(それぞれ自分より年上だけど普通に先輩くらい)とはゲラゲラ笑いながら話すけど、距離は近くない。

3月まではかろうじて同じ会社の仲の良い先輩が隣に居た。思えばこれはなかなか大きかった。

4.

その4月からのチームが残業上等すぎる。

今日もついさっき帰った(23時過ぎから書き始めた)。

毎日遅い。朝食を抜く、あるいは出勤中にコンビニ仕入れる日も増えた。

夕食を抜く日も増えた。

やりたいこともやるべきこともどんどん溜まっていく。そのくせ土曜は半分寝る。

ネットゲームとかツイッターとかするけど、それが唯一の他の人との絡みだと感じる。

5.

1人暮らし初期の頃には街コンにも行った。それからやたらバーに通った。

1月2月街コンに8回くらい行った。この6月まで残った収穫は無い。

2月からふらっと入ったバーで友達が出来たりして、結構通った。

やたら毎週誘ってくる友達(男)ができたのが大きい。

その場とかそこから寄った相席とかで会った女子とやたらLINEしたりした。

そっから二人でメシっていうのも5月連休までで何件かあった。

これもぶっちゃけ「やたら誘ってくる友達にはまだLINE送れるかな」くらいしか残っていない。

人と話したいタチなので随分に楽しかった。

6.

で、そのバー通いとかも5月連休からしていない。

先週あたりからやたら誘ってくる友達からの金曜LINEも止まったと思う。

何があったって訳じゃないつもりだけど、

相席で会った女子と一緒に連休最後にメシ食った時、

そこそこ酔って色々好き好きアピールしすぎて(実際かなり好みな性格だった)、

その上できっぱり断られたのがなかなか大きい気がしている。今思った。

変なタイミングで書くけど、彼女居ない歴ほぼ人生で、唯一「付き合おうか」ってなった19歳の時の年下は1週間で別れた。

7.

と、まあここまであって、これから先、深い交友を結べる相手が得られる確率なんて無いんじゃないかと思った。今日の帰路。

どれだけ飲み屋で会っても刹那的。その場限り。その日限り。

というか出会いがそういうところなせいで連絡を取ってもなんだか建前取り繕い気味。しんどい

ツイッターグダグダやってるとたまに同級生とメシ食いに行こうってなって、これが本当に楽しい。知った相手と会うのが本当に楽しい

しかしながら恋愛とか恋人とか結婚かいう話になると同級生はあてはまらない。ていうかほとんど男だ。

唯一一人だけ未だにメッチャ好きな女子がいるけど、そいつは何年も前に、いや去年もだな、断られてる。友達だって言い切られてる。

8.

こうなった時、過去選択肢はもうつぶれたと思っていい。

掘り返して掘り返して、8年も連絡を取ってないような中学同級生に居た好きな女子かい選択肢を信じられるほど夢を見ていない。

ていうかそのかつての中学同級生も何も変わらず8年とか過ごしている訳が無い。何が言いたいのかわからんがとにかく地に足がついた話じゃない。

ついこないだも「結婚相手学生時代までに知り合った相手 **%」(忘れたけどそこそこ高いパーセンテージだった)とかいう話も聞いた。

やっぱりそういうことだと思った。

結婚するほどに距離の近くなるような相手普段日常から顔を合わせる機会のあるような相手普通に考えて居ない。

特に業界なのはあると思うけど、マジでそんなもん居ない。

--

色々書いたし結論もねえけど今こんなかんじ、自分用の「こんときのお前こんなんやったぞ」メモになるだけかもしれんし、神のような増田ユーザーから天啓が降ってくるかもしれんと思いながら書いた。

ぶっちゃけ勘のいい知り合い(主にツイッター同級生)に見られたら特定されるんじゃねえかって気もするけどわざわざ言わなきゃ増田なんぞ見ん奴ばっかりだろう。

とりあえず将来的には転職かなと思う。既に転職カード1回使ってるからしんどいんだけど。

あとまあ個人的には認めたくないんだけど、色々広い範囲の状況は変わってないはずなのにこんなに落ち調子な原因については、絶対4月から残業のせいだよね。ほんと国外仕事してえ。日本は嫌いじゃないけど日本労働社会人間に厳しすぎる。サルだって生きてんだからみんなもっとルーズでいい。そっちのが健康だし幸福だろたぶん。

話が逸れた。以上です。お疲れ様でした。歯磨いて寝ます。メシ食ってねえ。

2017-06-20

頭いい増田おしえて

IT土方なんだけど、ベンチャーのA社に勤務している。

んで、社長から「B社に派遣するから行ってきて」といわれたのでB社に行ったらB社は「じゃぁ、C社にいって働いてね」で今週からC社に出社して働いてる。

調べたら二重派遣っていう駄目なやつっぽいので社長に話したら「よくあること」と言われた。

これは実際IT土方なら普通にあることなの?俺この会社やめたほうがいい?

2017-06-18

凡人が生き残るには、継続による蓄積しかない

業種を絞ってバイト派遣を続け、スキルノウハウを得られるだけ得たら次に行く

俺はそうやってバイト派遣社員フリーになった

https://anond.hatelabo.jp/20170618180857

2017-06-17

家電量販店販売員はなぜ口が臭いのか

体感的に、ヤ◯ダとビッ◯の販売員はほぼ口が臭ってる。ヨドバ◯は多少確率下がるけど、それでも口臭のない販売員に当たったらラッキー!てかんじ。

先日ヤ◯ダに母とカメラを買いに行ったけど、販売員のあまりの口の臭さに母と私はどちらも気持ちが悪くなって結局買わずに逃げ帰った。気持ち悪さはその後3時間くらい続いた。正直、吐くかと思った。

なんかいろんな説明とか受けてても、口が臭すぎてこっちは息を止めるのに必死で頭に入ってこないんだよね。いくら商品知識がすごくても、後から思い返すと「口が臭かった」以外の記憶が思い出せない。

そりゃネット通販に負けるよ。ネットは臭くないもん。通販最高。

本社は、販売員口臭チェッカー配るとかしてほしい。商品知識ナンバーワンよりも、口臭対策ナンバーワンにしてほしい。

余談だけど、携帯コーナーとかメーカー派遣で来てる人は随分マシな印象。外部の人だからかな。

先進国だと母国語が読み書きできても、肉体労働最低賃金仕事しかありつけない

発展途上国だと母国語の読み書きができないせいで力仕事しか出来ない人がいるというニュースを見た。

それを見て、自分と同じだなと思った。

学ぶ機会がなくて、ありつける仕事制限があるという点で強く共感した。

 

先進国だと文字の読み書きは学校で教えて貰えるけど。

会社で使うような高度なコンピューターの使い方や、締め切りに間に合うようなスケジュール管理方法や報告の仕方なんて学校じゃ教えてくれない。

最初入社した会社で始めて教えてもらえる。

 

 

就職氷河期で失敗して派遣とかフリーターやってたら、普通の人が会社で教わるような知識勉強する機会もなく、

景気上向いたころには30代過ぎてて、あっという間に仕事で使える高度な知識が皆無な単純労働しかできない人間になっていた。

 

 

 

発展途上国でも先進国でも、仕事をする知識を得る勉強できる機会が運ゲーで、

機会を逃してしまうと貧乏から逃れられないような気がした。

2017-06-16

https://anond.hatelabo.jp/20170616194502

その後輩と同じこと、派遣中国人に聞かれたよ。

Java案件で、Javaを知らないとわかった時のPMの顔が忘れられない。

2017-06-13

http://anond.hatelabo.jp/20170613181216

関連リンクメモ元増田じゃないよ)

陸自日報問題幹部の指示

陸自では削除したけど陸幕が持ってた」と同じロジックごまかすと思われます。この件は、実は防衛省幹部からの指示での削除だったことはマスコミ報道されましたが、大した騒ぎになっていないので、ディレイディフェンス有効です。


www.fnn-news.com: 日報問題 去年7月に「隠ぺい」指示 05/29 12:31

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00359599.html

今回、FNN取材で、2016年7月南スーダンの情勢が悪化した直後に、別の情報開示請求があり、この際、陸上自衛隊幹部の指示で、日報存在を隠ぺいしていたことが明らかになった。

複数関係者証言によると、「日報」に対する最初情報公開請求は、2016年7月首都ジュバで大規模な武力衝突が発生した数日後に受理され、派遣部隊司令部が置かれている「陸上自衛隊中央即応集団と、南スーダン派遣施設部隊との間でやりとりされた全ての文書」の公開を求めるものだった。

中央即応集団担当者が、「日報」のデータが残っていることを確認して、上司に報告したところ、上司は「バカ正直に出せばいいってもんじゃない」などと叱責(しっせき)し、「日報」を開示しないよう命じたという。

これを受け、担当者は、陸上幕僚監部に「『日報』は、個人保管の資料で、開示すべき行政文書に該当しない」と説明し、陸上幕僚監部も了承したため、2016年9月中旬、「日報」以外の文書けが請求者に公開された。

内閣委員会での自民による過去民主党委員長解任動議

参院内閣委員会委員長は、民進党難波議員ですから、解任動議をする可能性はあります平成25年12月に、水岡俊一大久保委員長をそれぞれ与党提出法案の採決を決定しなかったカドで解任していますから難波さんも解任した上で、参院内閣委員会のこれ以上の開催を見送る可能性はあります。ちなみに野党委員長の解任は安倍政権しかやったことが無いです、これ豆知識な。


参院民主・水岡内閣委員長を解任 与党から選出へ  :日本経済新聞

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS0404X_U3A201C1000000/

2013/12/5付

 参院は5日未明本会議で、民主党水岡俊一内閣委員長の解任決議を自民公明両党の賛成多数で可決した。同委で審議中の国家戦略特区法案の今国会成立を確実なものにするため。参院はこの後に開く本会議で、水岡氏に代わる新委員長与党から選出する。

奇しくも? 4年前の解任決議の理由が「国家戦略特区」を巡る動きだったのね。

 

かつ、国家戦略特区法案の裏で動いていたのがこの時の国会での注目だった特定秘密保護法内閣委員会民主党委員長の解任決議の2日後に成立してたのか

 

特定秘密保護法に関するタイムラインビューアー:朝日新聞デジタル

http://www.asahi.com/topics/timeline/?keyword=%E7%89%B9%E5%AE%9A%E7%A7%98%E5%AF%86%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E6%B3%95

いまいちパッとしないRe:CREATORS覇権アニメにする方法思いついた

長門有希

お兄様

セイバー

サイタマ

御坂美琴

アインズ様

この登場人物陣で作り直せば派遣狙えるだろ

昔のデスクワークって

俺ちゃん今37歳のオッサン

18歳からバイトやら派遣サポセンやら編プロやら色々なデスクワーク転々としてきた。

22で正社員になってからの今も、営業したりしつつも基本デスクワーク

で、ふと疑問に思ったんだけど、

自分世代よりも昔のデスクワークってどんなことしてたんだろう。

自分くらいの年齢のオッサンでも、働き始めたときは既にエクセルワード使えなきゃ話にならない。デスクワークPCパチパチという記憶しか無い。

ワープロは知ってるし、小中学で使ってたけど文書制作だけですよね?

今当たり前にやってるような表計算グラフ作成プレゼンって、どんなのだったのだろうか。

気になって仕事ができません。

体験していた方居たら教えてください。

派遣女の子エロい

私服派遣なので会社の決まった制服じゃない。

前屈みになると、胸チラ全開。

ノースリーブなので、脇全開。

ローライズなのでしゃがむと、ケツ全開。

派遣なので昇給はありません!

残念!

2017-06-12

IT業界(SIer)の話

## 日本IT企業の半分くらいは奴隷商人

以前大手SI企業に常駐していた時期が4年ほどある。

日本ITの中でもSI業界はほぼ常駐派遣という奴隷制度で成り立っているのは有名な話である

私もその奴隷の一匹としてこき使われていた。

SI業界はご存知の通りゼネコンなので、私は一次請け企業社員として常駐していた。

一次請けだったから私は運が良かったが、最高で五次請けの人とあったことがある。

私が在籍していた一次請け企業をA社としよう。

A社は社員10人程度の中小企業で、社内開発は一切しておらず全ての技術者SI企業へ常駐させられていた。

その為、会社オフィスは無く全ての社員人身売買SI企業に売られる奴隷だった。

社長との面接居酒屋でやるという糞っぷりだ。

そしてA社はB社という協力会社という名目兼業奴隷商人がおり、B社の社員がA社の社員と嘘を付きSI企業にA社の社員として潜入することは日常茶飯事だった。

当然の如くA社はB社に仕事を流すため、単価の20%をピンハネして流す。(悪徳企業もっとヤバイ)

例えばSI企業がA社に100万で仕事を流す、A社は20%ピンハネするため80万でB社に仕事を流すという流れだ。

実際の単価はSE単価とプログラマ単価と別れており、SE単価が70万程度、プログラマ単価が50万程度が相場のような気がする。

SE単価が70万でA社に投げられた仕事をB社が作業すると、B社はA社から56万で受注していることになる。

正社員を1人雇用すると実際の給料の倍の経費がかかるらしいという話を聞いたことがあるが、この法則でB社の受注単価だと25万以上は給料を出せないということになる。

プログラマ単価の場合、もう生活できる給料保証されない。(都内場合

当時の私の単価の話をすると、SI企業からA社に支払われる私の単価は67万だった。

私はA社で最初正社員で働いていたが、途中からフリーランス契約を変更した。

正社員給料は総支給26万(茄子無し)、フリーランス契約での支給額は50万だった。

(現場仕事内容は変わっていない 仕事内容にしては給料安い)

これが二次請け三次請けならもっと少ないため、エンジニアやめるレベルである

私が常駐していたSI企業二次請け社員までと商流制限をしていたが、保険証等を確認することはしていなかったため全く意味をなしていない。

## マジクソIT企業の特徴

1. 東京23区近郊とか書いてある。(タコ部屋にようこそ)

2. 勤務時間現場次第とか書いてある。(客の奴隷

3. 茄子が無い。(払えない)

4. 退職金とか美味しいの?(商流深い場合積み立てる余裕とか無い)

5. 派遣の認可番号とか書いてある

## まとめ

未来ある若者IT業界には就職しないほうがいい。

奴隷がやってきたプロジェクトなど転職時に評価されない。

茄子がない会社正社員やる意味はない。

SIに入るのであれば、ピラミッドの頂点の企業就職すべきであるが、管理のみをやっているため実際の物を作ることができるのは30歳くらいまででそれ以上になるとプログラムなんて書かない。

SI奴隷になるならフリーでやる方が金はよいが、技術は身につかないためさっさと離脱するのがよい。

物を作りたい人はベンチャーに行くか、海外に逃亡するのが吉である

2017-06-11

続・白紙に戻せぬ遣唐使教科書の読み比べ)

http://anond.hatelabo.jp/20170611183038

これのつづき。今回も文字数制限にひっかかったので、分割します。

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

一方、インドの僧菩提、林邑(ベトナム中部)の仏哲、唐僧鑑真らの外国人も、遣唐使船に便乗して来朝し、インド西域東南アジア文化を伝えた。

遣唐使船は日本人が唐へ往来するためだけではなく、外国人日本に招くためにも使われていたのです。「遣唐使」「鑑真」というのは中学生レベル用語です。しかし、この2つを結びつけて説明できる人は案外少ないんじゃないでしょうか?

ちなみに、山川の『日本史B用語集』によると、菩提僊那、仏哲という用語を載せている教科書は、唯一これだけみたいです。しか桐原書店は彼らの業績を説明するための註を設けている徹底ぶりです。入試問題になったら難問だと思いますが、大切なのはこういう人名を丸暗記することじゃなくて、東大寺大仏開眼供養会はインドベトナム出身僧侶たちも参加していた国際色のあるイベントだった、それは遣唐使船がもたらしてくれたものだということでしょう。

  

日本がしばしば新羅従属国として扱おうとしたため、両国関係はしばしば緊張した。しかし、日本遣唐使が唐において新羅人に助けられることもあった。」

これもこの教科書に独特の記述です。遣唐使新羅人に助けられたというのは、円仁著作『入唐求法巡礼行記』のことを念頭に置いているんでしょうか?

また、上掲の講談社日本の歴史シリーズから引用すると、次のような話もあります

遣唐使派遣が間遠になり、日本の船が唐まで行かないなか、それでも求法の念止みがたいとなれば、来航する新羅船を利用するしかない。そしてまた新羅商人たちは、概して好意的に彼らを助けたのであった(坂上早魚『九世紀の日唐交通新羅人』)。こうして入唐と研鑽を果たした天台真言の平安仏教旗手たちが、仏教の使命は鎮護国家にあるとする考えに則り、護国の修法による新羅調伏を担うことになったのは、実に皮肉なことであった。

  

坂上康俊『日本の歴史05巻 律令国家の転換と「日本」』

  

  

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

このころ唐では、みずから世界の中心とみなす中華思想が強まり、周辺の国々を夷狄として見下す考えが生まれていた。この考え方は日本にも影響をあたえ、朝廷新羅や、朝廷に服属しない東北九州南部の人びとを蝦夷隼人とよんで夷狄として蔑視しはじめた。

朝廷東北地方九州南部進出した経緯を説明する際、そこには中華思想の影響があったことを説明しています。それに絡めて新羅との関係にもちょこっと触れているので、先にとりあげた東大入試問題を解くときのヒントになるでしょう。

もっとも、この点はやはり、山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)の方が優れています。私が先に引用した箇所のすぐうしろ([後略]とした部分)では、朝廷が「東北地方蝦夷九州南部隼人異民族夷狄)として服従させ」たことを説明し、「律令国家が蛮夷を服属させる帝国であることを内外に示した」と結んでいるのです。

それに比べると、三省堂教科書は、遣唐使中華思想という2つのものを関連付けて理解することが不可能です。

  

  

  

東京書籍日本史B』(日B 004)

遣唐使8世紀には6回、9世紀には2回派遣され

実教出版にも「奈良時代遣唐使は6度派遣され」たとありますが、東京出版9世紀のことも記述していてグッド。

遣唐使は894年、菅原道真の建議で廃止されました。ですから9世紀末まで遣唐使派遣する制度は残っていたはずなんですが、8世紀と比べるとその回数がめちゃくちゃ減っていることが分かるでしょう。

理由は、日本がもはや唐から学ぶべき必要・意欲がなくなってきたこと、唐が政治的混乱に陥って衰退したことによる国威の低下、商船の往来が活発になったことで日本が唐に朝貢をしなくても舶来品を入手できるようになったこと、などです。

これがさっき桐原書店のところで述べた話にもつながっています時代が9世紀(すでに平安時代)になっても、仏教では唐に確固たる先進性がありました。だから日本僧侶たちは唐に留学することを熱望したのです。しか朝廷遣唐使派遣積極的ではなく、彼らは新羅商人の助力を得なければ、渡航が困難という状況だったのです。

  

[引用者注:702年の遣唐使派遣の再開について] その目的なかには、「日本」という国号を認めさせることも含まれていたと考えられる。

東京書籍教科書にだけある、この一文。「日本」がはじめて国際社会に登場したのがこの時点だったと言っているんです。

これ、すごいことを言っていますよ? 「日本」が太古の昔から存在したという皇国史観に対する強烈な一撃です。

ちなみに、このとき天皇」は国際デビューしていません。倭国はなんとかして「日本」への国号変更を唐に認めさせることはできても、皇帝にあたる「天皇」という称号を用いて唐と対等外交をする力がなかったのです。唐では天皇のことを「日本国王主明楽美御徳」(日本国王メラミコト)と呼んでいたようです。もしかしたら当時の日本朝廷内では、「スメラミコトは唐の皇帝に臣従したが、天皇は臣従していないか日本国王ではなく、したがって日本は唐の朝貢国ではない」という回りくどい官僚的答弁があったかもしれませんが、その点は不明です。このような高度に政治的問題は、国史編纂ときに巧妙な隠蔽がおこなわれるからです。(上掲の講談社日本の歴史シリーズ青木和夫著の中央公論社日本の歴史3巻 奈良の都』を参照せよ)

  

さて、これは東京書籍にかぎらず、多くの教科書でそうなのですが、古代史において「天皇」「日本」という表記を用いるときには慎重になっている様子がうかがえます。例えば白村江の戦いでは、唐・新羅と戦った国が「日本」ではなく、「倭」倭国」「朝廷」等の表記になっています

なぜ教科書がこんな表記になっているかというと、「天皇」「日本」という称号国号は、ある時期の特定政治状況のもと、人為的に作られたものからです。具体的には天武朝(673年~686年)のころ、大王とその国を神格化する目的で、初めてこれらの称号国号使用が開始されました。ですから、もし神と同一であるところのその「天皇」、その神のおさめる国である日本」が、天武朝より遥か昔から存在していたかのように記述するならば、それは皇国史観に他なりません。

無論、教科書では便宜的に仁徳天皇推古天皇というような表記が使われていますけど、古代史における「天皇」「日本」という表記の取り扱いについては一応注記が設けられていたりします。例えば『詳説日本史』は壬申の乱ののち、天武天皇が「強力な権力を手にし」て、「中央集権国家体制形成を進」めていく過程で、そのころに「大王にかわって「天皇」という称号が用いられる」ようになったと書いています。同社の参考書『詳説日本史研究』はそこがもっとクリティカルです。「大王から天皇へ」というコラムで、「天皇」という称号が天武朝に始まることの歴史学的な検証を載せ、唐の皇帝が一時「天皇」と称していたのを知った日本側が模倣したという説を紹介しています

こういう細かな表記へのこだわりからも、各社の教科書がどんな史観に基づいているかを見ることができるはずです。

白紙に戻せぬ遣唐使教科書の読み比べ)

山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない」

http://anond.hatelabo.jp/20170604204919

これの筆者です。

id:netcraft3さんに「このままシリーズ化してほしい」と言われたんですが、そのつもりはないです。歴史学に対してろくな知識もないから恥をかきそうだし、人気の増田国会ウォッチャー)みたいに注目をあびるのは恐ろしいです。

  

なので今回で最後になるかもしれませんが、ひとまず「遣唐使」について見ていきましょう。

山川出版社『詳説日本史』の「遣唐使」という項は、次のように書かれています。全文引用します。

618年、隋にかわって中国を統一した唐は、東アジア大帝国をきずき、広大な領地を支配して周辺諸国に大きな影響をあたえた。西アジアとの交流もさかんになり、都の長安(現、西安)は世界的な都市として国際文化が花ひらいた。

東アジア諸国も唐と通交するようになり、日本から遣唐使は8世紀にはほぼ20年に1度の割合で派遣された。大使をはじめとする遣唐使には留学生・留学僧なども加わり、多い時には約500人の人びとが、4隻の船にのって渡海した。しかし、造船や航海の技術はまだ未熟であったため、海上での遭難も多かった。遣唐使たちは、唐から先進的な政治制度国際的文化をもたらし、日本に大きな影響をあたえた。とくに帰国した吉備真備や玄昉は、のち聖武天皇に重用されて政界でも進出した。

朝鮮半島を統一した新羅とも多くの使節が往来したが、日本は国力を充実させた新羅従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた。8世紀末になると遣新羅使派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった。一方、靺鞨族や旧高句麗人を中心に中国東北部建国された渤海とは緊密な使節の往来がおこなわれた。渤海は、唐・新羅との対抗関係から727(神亀4)年に日本に使節を派遣して国交を求め、日本も新羅との対抗関係から渤海と友好的に通交した。

これはひどい遣唐使派遣再開が何年だったかという記述がありません。

そもそもこの派遣が再開であるという基礎知識すら、この教科書では把握できません。ページを戻って第2章「1,飛鳥の朝廷」の「東アジアの動向とヤマト政権の発展」という項では、「倭は630年の犬上御田鍬をはじめとして引き続き遣唐使派遣し」たとあるのですけど、その後にしばらく派遣を中断した時期があることは記載なし。

一時期は中断していたからこそ、702年の派遣再開に歴史的意義があります。第1回の遣唐使派遣が630年ですから、何と、まだ大化の改新をやっていない時代ですよ? それくらい古い時代から派遣していたにもかかわらず、多くの教科書8世紀初頭の出来事として遣唐使のことを説明するのはなぜでしょうか。それは再開というターニングポイントを重視しているからです。本書もそれに従って、「3,平城京時代」という単元に「遣唐使」の項を配置しています。それならば、中断・再開の経緯について説明を載せるべきです。

  

ちなみに、他の教科書では、遣唐使派遣再開についての説明が次のようになっています

7世紀前半にはじまった遣唐使は、天武・持統天皇時代にはしばらく中断されていたが、702年久しぶりに難波津を出発した。」

東京書籍日本史B』(日B 004)

「また政府は、8世紀のはじめに遣唐使派遣して、669年以後とだえていた唐との国交を回復した。」

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

「日本は唐の文化積極的にとり入れようと意欲をもやし、ほぼ20年に1度くらいの割合で遣唐使派遣した。」

山川出版社高校日本史 改訂版』(日B 017)

白村江の戦いののち、30年あまりとだえていた唐との国交が、701(大宝元)年の遣唐使任命によって再開され、以後、遣唐使がたびたび派遣された。それまで、半島から渡来人新羅などに学びながら、ある程度の国家体制を整えてきたが、この年の大宝律令とともに、唐との直接交通を始めたのである。」

桐原書店新日本史B』(日B 011)

律令制度を整えた朝廷も、702(大宝2)年に遣唐使を復活させ、唐の文物制度摂取につとめた。[中略]

こうしたなか、朝廷は新都の造営や貨幣鋳造、国史の編纂などを次々に実行して、中央集権体制にふさわしい国家づくりに励んだ。」

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

  

引用者注教科書のページを戻って「白村江の戦い国内体制の整備」の項では、白村江の戦いののち、遣唐使が「669年を最後に中断した」という記述あり。]

この中では、桐原書店ダントツに優れていると思います

遣唐使が中断していた理由もわかるし、大宝律令の制定と遣唐使の再開という2つの出来事を結びつけて理解することができます

  

三省堂記述おもしろいです。私は前回、この教科書について、「時代の流れがよくわかる」「時系列にしたがった記述が多い」というようなことを書きましたけど、ここでもその特徴が出ています

大宝律令の制定、平城京への遷都、貨幣鋳造、国史編纂というのは国内政治です。一方、遣唐使新羅・渤海との関係は、外交政策です。普通教科書はこれを別項に分けますが、三省堂はこれを同じ項にまとめて一つの時代様相として語っているのがすごい。

  

東京書籍実教出版も、中断・再開に触れています。その点は『詳説日本史』より絶対にマシです。

  

山川出版社高校日本史 改訂版』(日B 017)は、教科書のページ数が少なくて、内容もぺらぺらに薄いです。『詳説日本史』と同様、これでは大雑把に奈良時代の初め頃だったということしか分かりません。(しかも正確には702年に派遣再開されたので、これを奈良時代出来事と把握すると誤りになります)

  

  

  

東大入試でよくわかる遣唐使

東大入試2003年)は、遣唐使の本質にせまる問題を出しています

次の(1)~(4)の8世紀の日本の外交についての文章を読んで、下記の設問に答えなさい。

(1) 律令法を導入した日本では、中国と同じように、外国を「外蕃」「蕃国」と呼んだ。ただし唐を他と区別して、「隣国」と称することもあった。

(2) 遣唐使大伴古麻呂は、唐の玄宗皇帝元日朝賀(臣下から祝賀をうける儀式)に参列した時、日本と新羅とが席次を争ったことを報告している。8世紀には、日本は唐に20年に1度朝貢する約束を結んでいたと考えられる。

(3) 743年、新羅使は、それまでの「調」という貢進物の名称を「土毛」(土地の物産)に改めたので、日本の朝廷は受けとりを拒否した。このように両国関係は緊張することもあった。

(4) 8世紀を通じて新羅使は20回ほど来日している。長屋王は、新羅使の帰国にあたって私邸で饗宴をもよおし、使節と漢詩をよみかわしたことが知られる。また、752年の新羅使は700人あまり大人数で、アジア各地のさまざまな品物をもたらし、貴族たちが競って購入したことが知られる。

  

設問:この時代の日本にとって、唐との関係新羅との関係もつ意味にはどのような違いがあるか。たて前と実際の差に注目しながら、6行以内で説明しなさい。

これの答えがピンポイントで載っている教科書があります

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)です。これ以外は、どの教科書も上記引用した『詳説日本史』と似たり寄ったりの内容ですからいくら熟読をしても答案を書くことが難しいと思います。(三省堂のぞく。後述)

8世紀に入ると、日本は20年に1度の回数で大規模な遣唐使派遣した。日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢であり、使者正月の朝賀に参列し、皇帝を祝賀した。[中略]

一方、日本の律令国家内では天皇皇帝であり、日本が中華となる唐と同様の帝国構造を持った。日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけており、従属国として扱おうとした。

白村江の戦いののち、朝鮮半島を統一した新羅は、唐を牽制するために日本とのあいだにひんぱんに使節を往来させ、8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった。やがて対等外交を主張したが、朝廷はこれを認めず、藤原仲麻呂新羅への征討戦争を準備した。一方で、新羅民間交易に力を入れ、唐よりも日本との交流が質量ともに大きくなった。現在の正倉院に所蔵されている唐や南方の宝物には、新羅商人仲介したものが多いと考えられる。[後略]

  

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)

以上に準拠しながら、私なりに要点をまとめておくと、次のとおりです。

  

(1)は、日本が唐から律令を学び、その中華思想の影響を受けたことを言っています。つまり、日本はみずからが「中華となる」という「帝国構造」を作ろうとしたのです。「日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけ」て、彼らを野蛮だと侮蔑し、従属国として扱おうとしました。ですが、唐だけは別格です。あのような大国を敵にまわすと、恐ろしいことになりかねません。そういう遠慮があって、唐のことだけは尊重して隣国と呼びました。

(2)は、「日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢」をしていたということです。唐の臣下となって朝貢する国々の中にも、その立場にはランクがありました。日本と新羅はともに唐の臣下だったのですけど、日本は新羅より格上の臣下になろうとしたのです。

(3)は、日本と新羅関係悪化について述べています新羅が「8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった」ので、その間は関係がうまくいっていました。しかし、新羅が「やがて対等外交を主張」するようになったから、両国関係はこじれてしまったのです。それが最終的には藤原仲麻呂が「新羅への征討戦争を準備」するくらいにエスカレートします。

(4)は、日本と新羅政治的には対立しつつも、経済的には交流が盛んだったという内容です。「新羅民間交易に力を入れ」ました。「新羅商人仲介し」、日本へ「唐や南方の宝物」をもたらしたのです。それは貴族たちが競って購入したがる垂涎の的でした。現在「正倉院に所蔵され」ている宝物も、そういうルートで輸入したものが多いのです。

  

教科書の読み比べをすることの目的は、なにも入試対応するためだけではありません。

例えば『詳説日本史』には、最初引用したとおり、「日本は国力を充実させた新羅従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた」とか、「8世紀末になると遣新羅使派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった」という記述があります。この短い記述が伝えようとしていることの本当の意味は、『新日本史B 改訂版』(日B018)のような他の教科書と併読することにより、はじめて正確に把握できるのです。

  

ところで、この教科書の著者は、東大の先生が3人、京大の先生が1人です。本書だけに載っているネタを使って入試問題がつくられたのは、そのへんの事情もあるのかなと勘ぐってしまます

もしくは、これは2003年入試問題ということだから、ちょうど講談社の『日本の歴史シリーズ2000年2003年)が発行されていた時期ですし、そちらの内容を意識しているのかもしれないですね。一応、そっちのシリーズから引用しておきましょう。

国内及び新羅などの諸国に対する時と、唐に対する時とで天皇の顔を使い分けるという、まことにすっきりしない状況でもあった。このような努力・苦心を払って日本が手に入れようとしたのは、東アジアの有力国としては新羅より格が上、という地位の確認であり、また初期の遣唐使が唐の高宗蝦夷を見せたことに示されているように(『日本書紀』斉明五年七月三日条)、日本は隼人蝦夷などの異民族をも支配下にいれた大国かつ君子国であるという評価であった。いわば唐を盟主とする諸国の中での相対的に高い地位を求めるとともに、自らの小帝国であることを唐に認めさせようとしたのである。(石母田正天皇諸蕃』)

  

坂上康俊『日本の歴史05巻 律令国家の転換と「日本」』

さきにもふれたように、「日本国」は唐帝国との公的な外交関係では「天皇」の称号を用いることができず、実際には二十年に一度の使い――遣唐使――を送る唐の朝貢国位置づけられていたと考えられるが(東野治之「遣唐使船」朝日新聞社、一九九九年)、国号「倭」から「日本」に変え、「天」をつけた王の称号を定めたのは、唐帝国に対し、小なりとも自ら帝国として立とうとする意志であったことも間違いない。

実際、「日本国」は「蛮夷」を服属させる「中華」として自らを位置づけ、「文明」的と自任するその国制を、周囲の「未開」な「夷狄」におし及ぼし、国家領域を拡げようとする強烈な意欲を、その発足当初は持っていたのである

[中略]

このように、朝鮮半島に対しても圧力を加えて、朝貢を強要する姿勢を示す一方、「日本海」をこえてたびたび使者を送って交易を求めてきた渤海については朝貢国として扱うなど、「日本国」は自らを「中華」とし、帝国として四方に臨もうとしていた。しか東北侵略を止めた9世紀に入ると、こうした「帝国主義」的な姿勢列島外の世界に対する積極的な動きはしだいに退き、十世紀になれば、ほとんどそれは表に現れなくなっていく。

  

網野善彦日本の歴史00巻 日本とは何か』

日本が置かれている立場としては、唐への朝貢という屈辱外交をやめるためには、遣唐使派遣を中止するしかないわけです。しかし、日本は唐と断交して敵対的にのぞむ国力も、その覚悟もありませんでした。

いっぽう、遣唐使は唐の皇帝から賜った国書日本国王へ勅す)を持ち帰るわけにはいきません。日本が唐に朝貢していると認めることは、天皇の威信を傷つけることになるからです。

こうなると、実際には日本が唐に朝貢していることが明らかなのに、国内での建前としてはそれを否定してみせる必要が出てきます。要するに、「遣唐使派遣は朝貢ではない。天皇が唐に臣従しているという批判は当たらない」という建前をでっちあげ、国内的にはそれをゴリ押しすることで、この矛盾を乗り越えようとしたのです。

  

私がこのエントリ題名に「白紙に戻せぬ遣唐使」と付けた由来は、多分みなさんもご存知の、894年に遣唐使が廃止されたことを指す語呂合わせ「白紙に戻そう遣唐使」です。しかし、日本がほんとうに、この"遣唐使"的なるものを白紙に戻せたかというと、それは甚だ疑問です。為政者国内国外で異なる顔を見せたり、外交姿勢の実態と建前を使い分けているというのは、室町時代に明に朝貢して「日本国王」となった足利義満に、ほとんどそのまま適用できる視点だと思います

それに、このことは現代外交問題についても、重要示唆を与えてくれます。例えば政府国内に向けて愛国心ナショナリズムを煽っておきながら、それと同時に国外に向けて国際協調アピールをするというチグハグな状況は、まさにこの延長にあるんじゃないでしょうか。

あるいは唐側の視点で見ると、日唐関係はこんな見方もできるかもしれません。唐は日本がおとなしく朝貢するかぎり、細かいことに目くじらを立てなかった。唐としては蕃国をヘタに刺激して事を荒立てるより、多少その尊大なふるまいを黙認しておく方がメリットがあった。すなわち唐は日本と妥協しあって、朝貢関係があるとも無いとも、どちらとも言える状況を作りあげた。――こういう分析がどれだけ妥当か分かりませんけど、2国間に争いがあるとき玉虫色の決着をつけ、両国政府がそれぞれ自国民の耳に心地よい解釈で説明をしているというのは、これまた現代によく見かける話でしょう。

  

  

  

教科書の読み比べ

遣唐使についての解説が長くなりすぎましたが、じゃあここから、各社の教科書の読み比べをしていきます

  

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

遣唐使船はふつう「よつのふね」とよばれ、1隻に100人まりが乗りくみ、多い時で約500人の大使節団であった。

悪くはないですが、遣唐使について普通説明があるだけです。

おもしろい特色がありません。

無理に良い所探しをするなら、「よつのふね」という文学的呼び方を紹介し、その規模がいかに大きかったかを強調していることです。

華々しく飾り立てた大使節団というのは、それを送りだす側も、それを受け入れる側も、両国にとって国威発揚イベントになったと推測できますもっとも、沈没行方不明になることも多々あったので、華々しさとはかけ離れたのが実態だったかもしれませんし、どうなのでしょう?

  

  

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

  

……って、今回はここで文字数制限なのか。

引用をしていると、あっというまに文字数が膨らみますね!

つづきを書きました→ http://anond.hatelabo.jp/20170611234459

2017-06-10

上司はてなーかもしれない

4月から派遣でお世話になっている職場上司イケメンだ。

そして話も知的でドキドキする。

仕事もよくできる。

だけれど、はてなーかもしれない。

雑談話題が、だいたいはてなブックマークでバズッてるやつ。

しかも、トップブコメとだいたい同じ意見を言う。受け売りか?

はてなーって身近にいるんだな。

みんなNPCだと思っていたのに。ああこわい。

世代論は嫌いだがあんたらハイジャック世代でしょ

よど号ハイジャック事件[編集]

よど号ハイジャック事件とは、1970年3月31日羽田空港板付空港現在福岡空港)行きの日本航空351便(ボーイング727、乗員7名、乗客131名)が、富士山付近の上空を飛行中に、日本刀拳銃、手製爆弾などの武器を持った赤軍派学生を中心とした犯人グループによりハイジャックされた事件犯人グループ航空機関士を拘束し、機長と副操縦士に対して北朝鮮平壌に向かうよう指示した。

この要求に対し機長は、北朝鮮に直接向かうには燃料が不足しているとして犯人グループを説得し、給油のため板付空港に着陸した。ここで女性子供などの一部の人質が解放された。その後要求通り北朝鮮に向かおうとしたものの、韓国領空内で、韓国空軍機ソウル金浦空港誘導し着陸させた。その後韓国政府犯人たちに平壌に到着したと偽装する工作を行ったものの失敗。4月3日事件解決の為にソウル訪問していた山村新治郎運輸政務次官乗客の身代わりとなることで決着し、客室乗務員を含む人質全員を解放し、その後犯人グループとともに平壌に向かった。

その後同機は平壌郊外飛行場に着陸し、犯人全員は北朝鮮当局投降、その後亡命し、機長と副操縦士山村政務次官らは4月5日に同機で帰国した。


ドバイ日航ハイジャック事件[編集]

ドバイ日航ハイジャック事件とは、1973年7月20日に、丸岡修ら4人の「被占領地の息子たち」と自称するPFLP日本赤軍の混成部隊が、爆弾等の武器を持ちパリアムステルダムアンカレッジ経由東京羽田)行きの日本航空機(ボーイング747-246B型機 JA8109)をハイジャックし、アラブ首長国連邦ドバイ国際空港シリアダマスカス国際空港等を経由し、リビアベンガジにあるベニナ空港に着陸させた事件

その後、乗員乗客141人の人質解放後同機を爆破し投降した後、犯人グループは、ムアンマル・アル=カッザーフィー大佐率いるリビア政府の黙認の元逃亡した。



ダッカ日航機ハイジャック事件[編集]

ダッカ日航機ハイジャック事件とは、1977年9月28日フランスパリ発南回り東京羽田)行きの日本航空472便(ダグラス DC-8-62型、JA8033、乗員14名、乗客137名)が、経由地のインドボンベイ国際空港を離陸直後、拳銃手榴弾等で武装した日本赤軍グループ5名によりハイジャックされた事件。その後同機はバングラデシュダッカ国際空港に強行着陸し、犯人グループ人質身代金として600万ドルと、日本で服役および勾留中の日本赤軍メンバー及び日本赤軍に加えようと目をつけた囚人9名の釈放を要求した。

これに対して福田赳夫内閣総理大臣が「人命は地球より重い」と述べて、身代金の支払いおよび、超法規的措置としてメンバーなどの引き渡しを決断身代金と、釈放に応じたメンバーなど6名(3名は拒否)を特別機でダッカ輸送人質は全員解放された。

ちなみに、人質の段階的解放最中にこの身代金を狙ったクーデターが起き、現地の管制塔が2時間ほど銃撃され、バングラデシュ全土でバングラデシュ要人を含む11人が殺害され、現地に派遣された日本政府日本報道機関の要員もクーデター軍に銃撃されかかった。この時、バングラデシュから機内の犯人へはクーデターが発生し、ハイジャック機内の身代金や、犯人一味や人質達の身柄がクーデター軍に狙われている事は伝えられずに「自分の身は自分で守れ」とクーデター軍への射撃許可を出している。これを受けて身代金強奪を恐れたバングラデシュ大統領令ハイジャック機は人質の一部を乗せたまま強制離陸させられ、日本外務省が手配したアルジェリアに向かった。

その他[編集]

上記3件は全て日本赤軍及び赤軍派に関連する事件だが、過激派等の組織的背景はない単独犯により日本航空旅客機が乗っ取られた事件としては以下がある。いずれも国内便において発生している。


日本航空351便ハイジャック事件[編集]

日本航空351便ハイジャック事件とは、1972年11月6日羽田空港福岡空港行きボーイング727覆面をした男が乗っ取りキューバへの亡命要求。膠着状態の後、犯人は逃亡用にダグラス DC-8機を用意させ、乗客解放したが、DC-8への移動時に逮捕された事件。在米日本人の単独犯であった。



日本航空903便ハイジャック事件[編集]

日本航空903便ハイジャック事件とは、1974年3月12日羽田空港那覇空港行きボーイング747那覇空港着陸直前に青年乗っ取り、2億円の身代金那覇空港で給油のうえ羽田へ引き返すようを要求した事件。同空港着陸後、6時間余りにわたり乗客人質に立てこもったが、同日夜、操縦席に突入した警察官らによって逮捕された。犯人は18歳の青年であった。



日本航空124便ハイジャック事件[編集]

日本航空124便ハイジャック事件とは、1974年7月15日伊丹空港羽田空港行きダグラスDC-8中年男が乗っ取り、元赤軍派議長を釈放した上で北朝鮮へ行くよう要求した事件羽田に着陸後も機内に立てこもった末、翌日未明に再び機を離陸させ、名古屋空港に着陸の後説得に応じて投降逮捕された。犯人赤軍派とは無関係だった。


日本航空514便ハイジャック事件[編集]

日本航空514便ハイジャック事件とは、1975年4月9日千歳空港羽田空港行きボーイング747羽田空港の滑走路上を滑走中、男が乗員を拳銃脅迫した事件犯人乗客を降ろした後に逮捕されたが、その際犯人拳銃を発射した。



日本航空768便ハイジャック事件[編集]

日本航空768便ハイジャック事件とは、1976年4月5日バンコクドンムアン空港マニラ国際空港伊丹空港経由羽田空港行きダグラスDC-8を、マニラ国際空港寄港中に男2人組が乗っ取った事件伊丹を経由せずに羽田直行するよう要求されたが、犯人は説得の末逮捕された。



日本航空112便ハイジャック事件[編集]

日本航空112便ハイジャック事件とは、1979年11月23日伊丹空港羽田空港行きダグラスDC-10ナイフを持った中年男が乗っ取りソ連へ行くよう要求し、成田空港に強行着陸させた事件犯人から要求で給油作業を行っている間、客室乗務員柔道の心得がある乗客を前方に集結させ、操縦室に突入の上犯人を取り押さえた。機長は犯人との格闘の際手の指を骨折した。犯人の男は逮捕時に数十円しか所持金がなく、犯行動機不明

https://ja.wikipedia.org/wiki/日本航空ハイジャック事件

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