はてなキーワード: 殆どとは
みたいなセリフがあったはずのマンガのタイトルが思い出せない。
というか内容自体もよく思い出せない。
というか内容自体もよく思い出せないんだけど。
とにかく印象に残っているのはひとつだけ。
どこかの星に集めた少年少女たちの中から、自分の新しい身体を選んで頭をその身体に移植して若返る大富豪たちが出てくる。
もちろん主人公はその醜悪な老人たちから逃げ出す立場の人のはずなんだけど、
とにかく内容が殆ど出てこない。
でももう一度読んでみたい。
10年以上前の話なんだけど、友人のOがひょんなきっかけであるテレビ番組に出る事になった
Oはどちらかと言えば今で言う所のチー牛タイプ
友達として付き合う分には普通に気の優しい良い奴だったけど、異性からはモテるタイプでは無かった
何でそんなOがテレビに…と思ってたけど(本人も「何で(沢山いたサークルメンバーの中から選ばれたのが)俺なんだろ?」なんて言ってたけど)
撮影が終わった後のOの落ち込み具合と、実際に放送された番組で理由は判明した
今で言う非モテのキモオタを弄って嘲笑う、という趣旨の内容だった
明らかにキャラ作りを超えて弄る(虐める)行為に「手慣れている」様なグラビアアイドルだかモデルだかやあまり売れて無さそうな芸人らに徹底的に愚弄されていた
今だったら大炎上だし、当時ですら掲示板の一部の片隅では少し話題になってた
今まで男女問わず見せていた気遣いや優しさが異性相手には無くなり、明らかに女性不審と憎悪を拗らせて敵意を見せる様になった
そんなOに対し「世間はあんなクソ女ばかりじゃないよ」なんて励ましてたけど
例のテレビの件で近寄ってきた女も居て、その殆どがわざわざOをからかいに来た様な女達ばかりだったこともあり
遂にOは完全に壊れた
女性への憎悪をむき出しにする様になり、彼の周囲からは人々が離れていった
あれから何年も経ったけど、Oに恋人が出来たとか結婚した、なんて話は当然聞いた事がない
そんなOの名前を久々に見かけたのは、大学の同級生が「これ、Oじゃないか?」とシェアしてきた、ある事件の犯人としてのニュース記事だった…
自分の知る限り、元のOはさえないタイプかも知れないけど、真面目で心優しく親切な人間だった
そんなOが、あの番組をきっかけに、完全にブッ壊れたミソジニー男になってしまった
まるでイジメ被害者が歪んで加害者になっていく経緯そのものだった
「他人に優しくない人は他人から優しくされるわけがない」みたいな言葉があり
「だから弱者男性は他人に優しく無いから異性から相手にされないんだよ!」と弱者男性差別を肯定する論調で使われているけれど
女性からあそこまで悪意をぶつけられ、優しくされなかった人間が、女性に優しく出来るわけないだろって今でも思う
Apple MapのWeb版が今更リリースされたと聞いて、色々試してみたら面白いことを見つけたので適当に書く。
掲題でWeb版のマップの話をしておきながら恐縮だが、以下はすべてスマホアプリ版の話だ。
WebアプリのマップはApple MapもGoogle Mapもバス路線情報は表示してくれないっぽい。
2021年に気になって調べたら、Google Mapは名古屋、新大阪、広島など名だたるJR駅周辺のバス路線情報が全く表示できないポンコツっぷりで殆どの場合でApple Mapの足下にも及ばない品質だった。
しかし、2024年現在Google Mapはバス路線情報においてApple Mapを文字通り猛追し、殆どの場合においては「後は好みの問題」というレベルまで来ている。広告屋の資金力は伊達では無い。
ただ、ちょっと笑ったのは、なんとなく新大阪駅から伊丹空港北ターミナルに向かうリムジンバスの経路情報を表示したときだった。Apple Mapはキチンと道路に沿って経路情報が表示されているんだが、Google Mapは新大阪駅のバス停から伊丹空港北ターミナル近くの次のバス停までビルも道路も無視して一直線に経路情報が表示される。
誤解の無いように言うと、細かくバス停が配置されてるバス路線についてはGoogle MapもApple Mapも基本的に道路に沿って経路情報が表示されるし、バス停間で表示されてる経路が怪しいことはどちらのマップアプリでもたまにある。
ただ、リムジンバスという性質上長距離をバス停に停車無しで移動する関係でGoogle Mapの方だけがダメなパターンが出てしまっただけだ。どこに行くかは分かるけど笑えるから一度見てほしい。
余談として細かいネタだけど、昔はGoogle Mapはバス停を選ぶとそのバス停から出る全バス路線の経路がマップ上に一度表示され、そこから路線を選んでいくと表示路線が絞り込まれるという挙動で、それに対してApple Mapは、バス停を選んだだけでは路線情報はマップ上に表示されず、バス路線を選択した後にその経路情報が表示される挙動だった。
それが、今見る限りはGoogle MapもApple Mapと同様に路線を選んで始めて経路情報が表示される方式に切り替わってるようだった。
Google Mapの昔の方式は、アレはアレで選んだバス停からどこに行けるのかが一覧できて不慣れな旅先では便利かなと思っていたが、今の方式もそれはそれで使いやすい。
旅先でバスに乗るときは、地元のバス会社のアプリとかがあればそれが一番だけど、なかったりアプリ入れたくないとかなら、マップアプリを使うと良いよ。昔はiPhone使ってるなら問答無用でApple Mapってレベルで差があったけど、今はもうどっちでも基本的には問題ない。
片方の意見に偏るのは良くないよねって思って、
プロフィールにAIに肯定的あるいは積極的なことを書いてるアカウントとと、
できるだけ過激なのを避けてほぼ1対1でフォローしたアカウントで、
それぞれの発言を観察している。
場合によってはAIに対して否定的であっても筋が取っていると思われる意見なら、
「この画像生成AIでこんな透かしが!こんなキャラが!これは違法学習!」みたいなのばっかりで、
アカウント作って1週間位で、別にこいつらの話は聞かなくていいかな?って思い始めている。
たまに「うんうん、それは深刻に考えるべき問題だよね」って意見もあるけど、
そう言う人のプロフィールに飛ぶと、色々な社会問題にアンテナを張って、
広い視点で物事を見る中で、AIに言及しているんだろうってパターンが殆どで、
AI問題を批判的な立場から専門に取り扱うって奴らは本当に話にならないレベルの奴が多い。
リアルスポーツの方のオリンピックと同じ4年周期にしちゃうと2大会ぐらいしか1つのタイトルがオリンピックの舞台に上がれない。
今で言えば、格ゲー部門のスト6は2030年頃にはもう別のナンバリングタイトルに変わっててゲームシステムももちろん違う別競技だろう。
商品寿命がスポーツ名乗るには短すぎて、ライト層がルール把握する前に競技が変わっちゃうんだよな。
それとも、リアルスポーツのオリンピックと違って会場設営はメッチャ楽だから、毎年開催とかにするんだろうか?
リアルスポーツのオリンピックが金まみれになってるのと同様に、e-Sportsのオリンピックも競技種目選定はエグいことになるだろう。
しかも、1つの競技を1つの私企業が担いでるから、よりエグいことになりそう。
前述の通り競技寿命がリアルスポーツと比べて極端に短いから競技選定の機会が頻繁に訪れる。
ただ、1つの私企業から絞れる金なんてリアルスポーツの競技団体とかと比べるとたかが知れてるので規模は案外ショボいかも知れない。
初回は金持ちが支えてくれるおかげで実現しそうだけど、継続的な運用を考えるとバランス調整ミスってゴミみたいな状態で大会迎えたらどうすんのとか、逆にオリンピック前だからって事でバランス調整を後回しにしてユーザーの不満が増えないかとか、色々懸念点はある。
でもまぁ、やってみるしかないな。
Twitterのアカウント見てりゃわかるんだけど「弥助は伝説の侍!!!それに反対派は白人のレイシストだけ!!!日本人は全員アサクリ楽しみにしてるぞ!!!」って鼻息荒く主張してる海外の層って大多数が黒人アカウントなんだよ。
なんというか、こう、、、、きつい。今まで自分たちの人種が主人公のゲーム作品なんて滅多になかったからどうしても弥助庇いたくなっちゃうんだろうなって思う。
黒人で歴史的に有名な武将なんて殆どいないから、物事を冷静に見れず、弥助を戦場を駆け巡った立派な戦士だと妄信しちゃうんだろうなって思う。それが側から見ててすっごい哀れできっつい。
アサクリのゲーム喜んでる層って大体アニメ好きの親日家なんだよ。それが弥助関係のキツさに拍車をかけてる
映画館で予告編を観て、『ウィキッド』が映画になるのを初めて知った。
タイトルに『ふたりの魔女』とか付いているるし、どうも映画はダブル主人公として描いてるっぽい…?
ミュージカルの方は『ウィキッド』(悪い)というタイトルといい、宣伝に使われているのが緑の肌の女性である点といい、
あくまで後に西の悪しき魔女とされるエルファバの単独主人公だと認識していたんだけど。
そしてフィエロのエルファバに対する愛がメインテーマの一つだと思っていたので、
予告にミュージカルではエルファバの相手役である男性フィエロが殆ど出てこないのに違和感があってしょうがない。
もしかして昨今流行りの、女同士の友情素晴らしいシスターフッド尊いをやるがために男女の恋愛をなかった事にするパターンか…!?予告とタイトルからはそうとしか思えない
しかも役者さんもエルファバが黒人、グリンダが白人でそれもアリアナ・グランデという人気者を使っている時点で
グリンダの方に人気を出したいのが見え見えなんだよなー
まるでガラスの仮面のふたりの王女で最初の予想通りにアルディスを亜弓さん、オリゲルドをマヤが演じていたバージョンみたいじゃん
何の面白味もない
雑で不謹慎な嘘をつくのをやめろ、嘘でもいいじゃんきゃっきゃってしていいラインを考えろとしか言ってないし、
自分自身と他人につく嘘が増田の生きづらさをつくっていて能力に原因は無いとしか言ってない
あと、真面目に何かこの話題でやりたいなら下記の増田にしたらいい(2回目)
あと、嘘ばかりつく増田とブクマカとブクマカを兼ねた増田に対してはこうしか思ってない
世の中には重たい知的障害があっても正社員雇用で働き、余暇にピアノやゲームを楽しんでいる人たちがいるという事実を重く受け止めてどうぞ
殆ど脳が物理的にないけど、公務員(ホワイトカラー)職に就いて、結婚し子どももいて、44歳まで過ごしてきた男性もいるし、
Meet The Healthy, Functioning Man Who Survived With Almost No Brain. | IFLScience
https://www.iflscience.com/man-tiny-brain-lived-normal-life-31083
『頭が悪くても日本の日常生活で何も困らない、なんなら日本の平均以上貰うの余裕で可能』、
こういうクソどもは、身体面や知能面でかなりしんどい結果が出ている人と能力かわってやればいいのにって常日頃から思っています
あるいは、犯罪犯して刑務所行きルートしかないようないっさいの支援を受けられなかった人と環境かわってやればいいのにって思っています
それは特にO-1グランプリ(沖縄1グランプリ)なる、沖縄ご当地お笑いコンテストを見ているときに感じる。そこで行われている惨状は、恥ずかしくて見ていられない時すらあるほどだ。
そんなひどい感想には、あまりにも個人的な偏見が含まれていると思っているそこの心優しき人も、「ありんくりん」というお笑い芸人は存じあげないであろう。なんとその得体のしれないコンビが0−1グランプリを3度も制覇しているのである。由々しき事態だ。
「ありんくりん」はよしもと沖縄所属のお笑い芸人だ。そもそも沖縄にも吉本があったことに驚かれる方も多いと思う。「ガレッジセール」や「スリムクラブ」などの、世間一般にも認知された沖縄芸人はともに東京吉本所属である。結局のところ、沖縄の才能がある人たちは活動拠点を本土に移してしまうことが多い。
この事実を踏まえると、大阪・東京のどちらでもなく、敢えてよしもと沖縄に所属するということは、よくてご当地テレビお抱え芸人に甘んじる選択に他ならない。歴史が浅いこともあるが、よしもと沖縄から全国に羽ばたいた芸人は存在しないし、今の若手にもその萌芽すら見受けられない。
「ありんくりん」はもともとトリオだったが、一人のメンバーが脱退し、今のコンビになったそうだ。トリオから抜けたメンバーは本土風の笑いがしたかったらしいが、残りのメンバー、つまり現ありんくりんの二人は、沖縄らしいお笑いに拘ったそうだ。
O-1グランプリに出場している多くの芸人が、本家のM-1グランプリにも殆どがネタを使い回しの上で出場している。沖縄芸人は本土風のお笑いをするにしても、沖縄らしいお笑いをするにしても、どちらにせよ、すべてが中途半端に見える。
まず第一に、東京や大阪の芸人がやるようなスタンダードなネタを沖縄芸人がやると、積み上げてきた経験の差が如実に現れ、ただ芸人っぽいものを集めてまとめたようなネタが見られる。それはプロを名乗りつつも、芸人の真似をしているだけだ。これは養成所のライブや大学の学園祭のお笑いライブにも同じ感想になるので、沖縄の芸人特有のものではなく、単純な技術不足と恥ずかしさを捨てきれていない情けなさからくるものだろう。売れている芸人でも養成所時代のネタなんて黒歴史として封印していることのほうが多い。
誰しもはじめから立派な漫才はできない。出来ないことは問題ではない。失敗をしないと成長もない。沖縄の芸人が問題なのは、東京や大阪の芸人がやるようなスタンダードのネタから逃げて、安易に沖縄にすがることだ。それが非常にダサい。
自分たちの個性を模索するのは結構なことだが、彼らの選択はただ勝負から逃げているように見えてしまう。それはおそらく、本人たちも自覚していないことだろう。彼らにこんなことを言うと、顔を真っ赤にし、自分たちは沖縄を愛しているから、沖縄らしいお笑いをすると言うだろう。もしかしたら、匿名で攻撃している私に向かって、「この内地かぶれは黙ってろ!」と叫びだすかもしれない。
「ありんくりん」本人でもないし、何ならファンですらない私が、彼らのネタから彼らがいう沖縄らしさを抽出したところ、
・強烈な訛りと方言(ボケが典型的な沖縄訛りで多くの若者が普通は使わない方言を多用。ツッコミはアメリカとのハーフでこちらも訛っている)
・どこの地元にも存在するような、県民だけに伝わる細かなあるあるネタ(どこどこの交差点は交通ルールが分かりづらい、地元のスーパーは台風でもいつも空いてる、など)
しかない。
こうやってキャバ嬢や風俗嬢やAV女優がホストに壊されて自殺する。
まあヤクザ業界の橋渡ししてるのもホストだったりする場合もあるけど、殆どは壊されるだけ。
人気AV女優の桃園怜奈さん、ホストに全財産貢ぎエッチもしていたwww
https://livedoor.blogimg.jp/ge_sewa_news-xxx/imgs/c/6/c6d3b44c.jpg
https://livedoor.blogimg.jp/ge_sewa_news-xxx/imgs/9/a/9a329127.jpg
俺は自分がつまらない人間であると大いに自負している20代後半男性。
今日も暇なので、なぜ自分がつまらない人間なのかを、下記の記事にある「ものすごくつまらない人に共通する16の特徴」に則って整理したいと思う。
https://www.businessinsider.jp/post-100566
どうも俺がつまらない人間である根幹はそこにあるような気がする。
大いに該当する。
確かASDの特徴として、「発言するタイミングが分からない」みたいな項目があった気がする。
定型の人たちは仕事の場でも飲み会でも日常会話でも、お互いに目に見えないボールをゆっくりローテーションして、ボールを渡された人(もしくは奪った人)がその場の一時的なメインスピーカーになってるように俺には見えてる。
だけどそのボールの扱いが全く分からず、ボールをパスされたのに気付かず拒否したり、いつまでもボールをパスせず持ち続けてることが多い。
飲み会とかで誰かが「増田君ってxxxだったよね?」みたいに綺麗にボールをパスしてくれたのに、「そうですね」みたいな軽い相槌だけで済まして場が沈黙したり、自分の趣味の話だと饒舌になってしまう。
振り返ると反省することばかりだけど、いざ実践となると難しい。
『あなたが話していることに興味はないけれど、礼儀として数秒ごとに頷いているだけ』というシグナルやボディー・ランゲージに気付かず、絶え間なく、べらべらと話し続ける人
俺にとっては、相手がとりあえず笑顔でいたらそれはもう肯定の表現なのよ。
その人との距離感や場の雰囲気にも依存するから、考えることが多くて俺には無理。
極端な例だけど、明石家さんまさんがゲストに「お前アホやろ!」ってつっこんだら盛り上がるけど、その逆は成り立たないじゃん。
俺はこういう場の空気やその人のキャラや距離感がよく掴めないから、人を笑わせるなんて繊細なコミュニケーションは無理だな。
うるさくてがさつな人は、自分こそが最も面白い人間だと信じ込んでいる。静かでつまらない人は、何も言わないのが一番だと信じている。自分の言葉を聞きたい人間なんていないと考えているからだ。
何も言わないのが一番だと本当に信じてしまってる。
幼少期から今まで、自分の発言を肯定的に受け入れられた経験が極端に少ないからだろうな。
発言するにしても頭に浮かんだ事をそのまま言ってしまう癖があるから、場にそぐわない発言をしがち。
私にとってつまらない人の特徴は、変化のない、単調な生活を送っていることだ。様々な経験は、週末のパブでの会話をより面白いものにしてくれる。実際、いい話題を提供できる
これも該当する。
俺はロードバイクが趣味なんだけど、ここ4年間くらいずーっとロードバイク乗ってる。
平日はローラー台に乗ってるし、週末は峠に行き、長期休暇は自転車旅行に行く。
他にことに興味は無い。
発達障害特有の、興味の範囲の狭さ、強いこだわりが色濃く反映されていると思う。
自分の発言に価値を感じられないから、自分の意見を言うことも少ないかな。
これも難しい。
昔、誰かが話した面白い話をコピーして別の場所で披露したことがあったんだけど、全く受けなかったことがある。
場の雰囲気の作り方や話し方や相手との距離感みたいな、ノンバーバルな要素のコントロールができていなかったんだろうと思う。
こういった目に見えない要素を敏感に感じ取って自力でコントロールできる人マジですごい。
俺には無理。
何かしら新しい学びを与えてくれない人が、私にとってのつまらない人
今はロードバイクしか興味がない人間だから、目新しさなんて皆無。
簡単にいうと、自分が知っていることは相手も知っているし、自分が興味あることは相手も興味があるとナチュラルに考えてしまうこと。
定型の人にとっては「そんなの少し考えれば分かるじゃん」って思うかもだけど、俺は油断するとすぐ自他境界線がぼやけてしまう。
だから例えば俺が仕事で何かを説明する時、前提知識の説明が足りないか、意識しすぎて過剰な説明になる時が多い。
殆どの人はロードバイクの話題に興味がないことに気付いたのも、ロードバイクをはじめて2年くらいの時だった。
それまでは意気揚々とロードバイクの話を職場の人にしてたなぁ。
会話に興味を持っている他人を、その会話に参加させないこと
俺の話に興味を持つ人はいないので該当しない。
アドリブに弱くて困ってる。
俺にとっては会話は、あらかじめ準備したアセットをいかに早く引き出してナチュラルに話すかどうかであるので、急に話を振られるとパニックになることが多い。
逆に定型の人は急に話を振られた時って何を考えてどう対処してるんだろう?
親が死んだら首吊ろうかなとかしょっちゅう考えるくらいにはネガティブ。
発達障害で虚勢ではなく本気でポジティブな人っているんだろうか?
基本的に幼少期から発言や行動を否定されることが多かったから、がっつり学習性無気力になってしまってる。
発達障害でも何か突出した能力があって、そのおかげで社会的な居場所を確保できていれば人生にポジティブになれるのかもしれない。
残念ながら、俺には何も突出した能力はない。
ロードバイクは好きだけど貧脚だしね。
話題のストックが少ないから、場が持たない時につい同じ話を話してしまいがち。
「多くの人が単純に、周りに自分がどう思われているか自分で想像し、その想像に合わせて行動している」
「そして多くの場合、それは実際に周りがどう思っているかとは全然違う。だが、それを考えすぎて、自身のアイデンティティーを失っている」
発達障害者として一般社会に溶け込むため、また他人に迷惑をかけないために常に自分の振る舞いが周りの人にどう思われているのかは気にしている。
周りからの視線を気にせず自己中心的な振る舞いをするようになったらお終いだと思ってる。
ASD故に他人とのコミュニケーションに摩擦が多すぎて、毎日が楽しいとは一生言える気がしない。
趣味は楽しいとは思うけど、趣味に没頭しているのは現実逃避の意味合いが強いしね。
「いつもネガティブ」の項目でも述べたけど、何か能力があって社会に居場所があれば楽しいと思えるのかもしれない。
俺には無縁だな。
これが他責思考ってまじ?民主主義理解できてなくてアホすぎて草
そもそも民主主義のカケラも理解できてないこの増田みたいなボンクラは、どういった政治戦略で自民党議員が再選してるかわかる?蓮舫側が言ってることじゃなくて現職側が言ってることだからね?B層って知ってる?
バカ国民には事実確認する能力も政策理解能力もないから、具体的な政策を言わないで、バカ国民はバカだから言わなければ勝手に納得するため答弁は適当に逃げて、やる気のある無党派層には税金をじゃぶじゃぶ広報にぶちこんで、雰囲気だけで中身のない打倒既得権益候補をぶつけて票を割らせ、
これがこの国の多数の国民の評価だし、この国の選挙の勝ち方ですよ?
「日本の軍拡のため中国脅威論を喧伝して自衛隊予算を増やそうとしているのではないか?」
そう言った声が一部の人達から聞こえてくる昨今、日本政府は下記のような分析を行った
これを読んだ瞬間に戦史へ詳しい者や海運に携わる者たちが少々ざわついた
「機雷戦だ・・・」
「海上火災保険の値上がりは必至か?」
「運賃や船のチャーター料も上がるだろ」
「黒潮で機雷や対機雷兵器が日本に漂着する」
「民間船員は危険海域の航行を拒否できるぞ」
「沖縄の食料自給率的にまずいのでは?」
「例え話ではない"護送船団方式"か」
知られているように日本は海上輸入する場合、インド洋や大西洋経由の際は南沙諸島→台湾→尖閣諸島→沖縄の沿岸を通過する航路が最短であり、この付近の戦時リスクが増大すると様々な海運コストもまた増大するようになっている日本の弱点の1つだ
そしてまた機雷は沿岸防衛の際の定番であり、戦後すぐに国際問題化し海上自衛隊の評価が高まるきっかけの1つとなったのが参戦各国が執り行った機雷戦により不発弾が海上へ残置され撤去を行う掃海任務であった
中国が超短期決戦を台湾へ仕掛けると言うのならば、台湾は十中八九で機雷による沿岸防衛を始めるのは戦史を振り返れば当然のことであり、台湾が機雷戦を決断したその瞬間から日本の海運は滞って日本の物価は現在の物価高なんて誤差とも思えるような状況へ突入する
そしてその影響は食料自給率が日本の中でも著しく低い沖縄では更に強く出る。民主主義国家の民間船員は乗船の拒否が可能で、運行は自衛隊が行うことになるだろうが機雷から貨物船を守るため護送船団方式による遅々とした運行であり、そして自衛隊が運行する貨物船を中国が見逃すかはわからない
中国が台湾侵攻を現実的に行う素振りを見せ、台湾が機雷戦を決断しただけで沖縄では飢餓が起こり得るのだ
これを単なる中国脅威論と切って捨てるのは簡単だが、日本やアメリカが中国を煽らなくとも中国が台湾の領有権を主張し続ける限りこの可能性はゼロにはならず、浙江省沖など台湾周辺で軍事訓練を続ける中国が台湾を諦める未来は非常に遠いだろうと言わざるを得ない
沖縄では殆ど報道されることは無いであろう台湾機雷戦想定、島国日本に住む我々の生活を守るためほんの少しは考えてみて良いのではないだろうか?と海運関係者として強く思う
今日もシングルマザーの彼氏が子供を殺してしまったニュースが流れた。俺もシンママと付き合ってるからこの手のニュースを見るのが非常に辛い。相手と家にいる時こんなニュース流れると気まずいのなんの。
でもこの際言うけど血の繋がってない子供なんて微塵も可愛くないよ。当たり前だけど他の男とセックスして作った子供なんて可愛いわけないだろ。自分に全く似てないし。
俺は暴力なんて振るわないし必要であれば手助けもするけど、それは俺が大人だからであって愛情があるからやってる訳ではない。
遺伝子的にも他人な訳でそんな子供を愛せる人なんてほぼいない。だからハッキリ言って自分の子供が大切ならシングルマザーは彼氏なんて作らない方がいい。ロクなことにならない。
俺は利害関係が一致してお互い納得の上で付き合ってるけど、普通の男女関係を築きたいならマジでやめた方がいい。
殆どの男が母親の体目当てだから。それか年頃の娘狙いの線もある。
そんな当たり前の事も分からないから離婚するんだよ。他人とセックスして作った子供含め全部大切にしてくれる人なんていません。菩薩かよ。
最近、タイトル戦とか見てると毎回序盤の展開が同じに見えるんだけど、どうして?
いつも飛車の前の歩をつくところから始まって、金で角の前を守って、って十手目くらいまで殆ど同じやり方ばっかりじゃない?
前は飛車が左に動く戦いとかも結構あったのに最近全然みないし。
いつも同じ展開ばっかだとみんな飽きない?
今日もシングルマザーの彼氏が子供を殺してしまったニュースが流れた。俺もシンママと付き合ってるからこの手のニュースを見るのが非常に辛い。相手と家にいる時こんなニュース流れると気まずいのなんの。
でもこの際言うけど血の繋がってない子供なんて微塵も可愛くないよ。当たり前だけど他の男とセックスして作った子供なんて可愛いわけないだろ。自分に全く似てないし。
俺は暴力なんて振るわないし必要であれば手助けもするけど、それは俺が大人だからであって愛情があるからやってる訳ではない。
遺伝子的にも他人な訳でそんな子供を愛せる人なんてほぼいない。だからハッキリ言って自分の子供が大切ならシングルマザーは彼氏なんて作らない方がいい。ロクなことにならない。
俺は利害関係が一致してお互い納得の上で付き合ってるけど、普通の男女関係を築きたいならマジでやめた方がいい。
殆どの男が母親の体目当てだから。それか年頃の娘狙いの線もある。
そんな当たり前の事も分からないから離婚するんだよ。他人とセックスして作った子供含め全部大切にしてくれる人なんていません。菩薩かよ。
左翼政治家というのは殆どがビジネスで、日本に5%程存在するという鉄板の左翼票を奪い合って凌ぎを削る
5%の支持でも自治体の議員や比例代表などでは当選出来るので、多くが議員報酬狙いで支持母体のケツを舐める
共産党なら古のマルクス主義を拗らせた個人の野良左翼(多くが後期高齢者)という事で棲み分けが出来ている
どちらも議員報酬や政務活動費、公設秘書給与などが目的なので究極の公金チューチュースキームと言っていい
共産党は個人が相手なので党が強固に組織化されており、立憲は支持母体が巨大組合組織なので政治家はただの傀儡に過ぎない
左翼同士で争って左翼票を奪い合うので、左翼アピールがどんどんエスカレートして奇天烈な行動や言動に走る。照れたり正気に戻ると蠱毒壷で淘汰されるように落選する
ガイドラインでは、誤嚥リスクのある宿主に生じる肺炎、と定義される。
そのうち最も多くを占めるのは高齢かつ進行した認知症患者が発症する誤嚥性肺炎である。
内科救急で最も多く経験する疾患で、入院で受け持つ頻度もかなり高い。
特異なことに、最も多く接する疾患の一つでありながら、専門家が存在しない。
肺炎だから呼吸器なのかといえば、呼吸器内科医は認知症への対応は専門ではない。
精神科は認知症診療が業務範囲に含まれるが、身体疾患が不得手である。
脳神経内科医は嚥下や認知症を専門領域の一つとするが、絶対数が少なく、専門領域が細分化されている。
そんなわけで多くの場合は内科医が手分けして診療することになる。
そういうわけだから、誤嚥性肺炎に対する統一的な見解はない。ガイドラインも2013年から更新されていない。また誤嚥性肺炎に関する文献や書籍はあるし、質の良いものが出版されているが、多くは診断、治療、予防に重きを置く。価値観に深く踏み込んだものは殆どみない。患者自身が何を体験しているかを推定している文章は殆ど読んだことがない。
病状説明も僕が研修医でほかの様々な医師の説明を聞いても、肺炎です、誤嚥が原因です、抗菌薬で治療します。改善しないこともありますし、急変することもあります、といった通り一遍の説明以上のことを聞いたことは殆どなかった。
もっともよく経験する疾患でありながら、どうするべきかの具体的な方針は大学教育でも研修医教育でも提供されないのだ。
にもかかわらず、認知症患者の誤嚥性肺炎は最も多い入院かつ、その患者は入院期間が長い傾向にある。入手可能なデータだとおおよそ一か月の入院となる。死亡退院率はおよそ15-20%で、肺炎としては非常に高い。疫学については良いデータがないが、専門病院などに勤務していなければ、受け持ち患者のうち5人から10人に1人くらいは誤嚥性肺炎が関連している印象がある。
誤嚥性肺炎は、進行した認知症患者ほど起こしやすい。そして、誤嚥性肺炎を起こすことでさらに認知機能が低下する。しばしば経口摂取が難しくなる。そして自宅や施設へ退院することが難しくなり、転院を試みることになる。
典型的には進行した認知症を背景に発症するので、意思決定を本人が行うことができない。患者は施設入居者であることも多く、施設職員がまず来院する。その後家族が来院して、話をする。肺炎であるから、治療可能な疾患の前提で話が進む。進行した認知症=治療不可能な疾患があることは意識されない。
ここでは、進行した認知症、つまり意思決定能力があるとは考えられない患者、今自分がどこにいて、周りの人がだれであって、自分の状況がどうであるかを理解できないほどに進行した認知症患者、と前提する。
退院してもらうための手段、という意味では治療は洗練されてきている。口腔ケアを行い、抗菌薬を点滴する。嚥下訓練を含めたリハビリテーションを行い、食事を早期から開始し、食形態を誤嚥しづらいものに変える。点滴を早期に切り上げて、せん妄のリスクを減らす、適切な栄養療法を併用して低栄養を防ぐ…。
そういったことを組み合わせると、退院できる可能性は高まる。身体機能も食事を再開できないレベルまで低下することはあまりない。
しかしそこまでして退院した患者は、以前の身体機能・認知機能を取り戻すわけではなく、少し誤嚥性肺炎を起こしやすくなり、活動に制限がかかり、介護をより多く要するようになり、認知機能がさらに低下して退院していく。
だから人によっては一か月とか半年後に誤嚥性肺炎を再び発症する。
家族や医師は以前と似たようなものだと考えている。同じような治療が行われる。
そこに本人の意思はない。本人の体験がどうなのかを、知ることはできない。
というか、進行した認知症で、ぼくらと同じような時間の感覚があるのだろうか。
本人にとって長生きすることの体験の価値があるのか、ないのかも知ることは難しい。
というのは逃げなんじゃないか。
状況認識ができなければ、そこにあるのは時間感覚のない快・不快の感覚だけではないか。だとすればその時間を引き延ばし、多くの場合苦痛のほうが多い時間を過ごすことにどれほどの意味があるんだろうか。
なぜ苦痛のほうが多いかといえば、状況を理解できない中で食形態がとろみ食になり(これは美味とは言えない)薬を定期的に内服させられ(薬はにがい上、内服薬をへらすという配慮がとられることはめったにない)、点滴を刺され、リハビリをさせられ(見当識が障害されている場合、知らない人に体を触られ、勝手に動かされる)、褥瘡予防のための体位変換をさせられ、せん妄を起こせば身体拘束をされ、悪くすると経鼻胃管を挿入される(鼻に管を入れられるのは、快適な経験ではない)
どちらかといえば不快であるこれらの医療行為は、治療という名目で行われる。
多くの医師は疑問を抱かずに治療する。治療される側も、特にそれに異をとなえることはしない。異を唱えるだけの語彙は失われている。
仮に唱えたとしても、それはせん妄や認知症の悪化としてとらえられてしまう。
老衰の過程が長引く苦しみがあり、その大半が医療によって提供されているとは考えない。
ここで認知症というのは単なる物忘れではないことを説明しておく。それはゆっくりと進行する神経変性疾患で、当初は認知機能、つまり物忘れが問題になることが多いが、長期的には歩く能力、座る能力、食事する能力が失われ、昏睡状態となり最終的には死に至る疾患である。
多くの内科医はこの最後の段階を理解していない。肺炎で入院したときに認知機能について評価されることは稀だ。
実際には、その人の生活にどれだけの介護が必要で、どのくらいの言葉を喋るか、笑顔を見せることがあるか、そうしたことを聞けばよいだけなのだけど。
進行した認知症で入院するのがどのような体験か、考慮されることはめったにない。
訴えられるかもしれないという恐れの中で、誤嚥のリスクを減らし、肺炎を治療するべく、様々な医療行為が行われる。身体が衰弱していくプロセスが、治療によって延長される。
医療において、患者の権利は尊重されるようになってきた。僕らは癌の治療を中断することができる。良い外科医を探すべく紹介状を書いてもらうこともできる。いくつかの治療法を考慮し、最も良いであろうと考える治療を選択することもできる。
しかし患者自身が認知機能を高度に障害されてしまった場合はそうではない。医師が何を希望するかを聞いても、答えてくれることはないし、答えてくれたとしても、状況を理解できないほどに認知機能が損なわれている場合は、状況を踏まえた回答はできない。
そこで「もし患者さん本人が元気だった時に、このような状況をどうだったと考えると思いますか」と聞くこともある。(これは滅多に行われることはない。単に、どんな治療を希望しますか、と聞くだけだ。悪くすると、人工呼吸器を希望しますか、心臓マッサージを希望しますか、と聞かれるだけだ。それが何を引き起こすかは説明されずに)
しかし問題があって、認知症が進行するほどに高齢な患者家族もまた、高齢であって、状況を適切に理解できないことも多い。また、記憶力に問題があることもしばしばあって、その場合は話し合いのたびに最初から話をしなければならない。このような状況は、人生会議の条件を満たしていない。もしタイムマシンがあれば、5年前に遡れば人生会議ができたかもしれない。
親類がいればよいが、これからの世の中では親類が見つかりづらかったり、その親類も疎遠であったり、高齢であったりすることも多いだろう。
そうした中では、理解が難しい場合も、状況を理解して改善しようという熱意に乏しい場合も、(本人の姉の息子がどのように熱意を持てるだろうか)、そして何より、医師が状況を正確に理解し彼の体験を想像しながら話す場合も、めったにない。
意思決定において、話し合いは重要視されるが、その話し合いの条件が少子高齢化によって崩されつつあるのだ。
「同じ治療をしても100回に1回も成功しないであると推定されること」
この二つを満たすことが無益な治療の定義である。この概念を提唱した、ローレンス・J・シュナイダーマンと、ナンシー・S・ジェッカーは、脳が不可逆的に障害された患者を対象としている。
彼らはいかなる経験をすることもないから、治療による利益を得ることもない、だから無益な治療は倫理的に行うべきではなく、施設ごとにその基準を明示するべきだ、というのが彼らの主張である。
高度に進行した認知症患者の誤嚥性肺炎の治療は、厳密な意味での無益な治療ではない。彼らは何かを体験する能力があるし、半分以上は自宅や施設に帰るだろう。自宅や施設では何らかの体験ができる。体験を感じる能力も恐らく完全には損なわれていないだろう。
この完全ではない点が、倫理的な空白を作り出す。
そこで死に至る疾患である印象が失われた。
専門家の不在は、価値の普及を妨げた。病状説明の型がある程度固まっていれば、それがどのような形であれ、専門家集団によって修正され得ただろう。ガイドラインは不十分である。医療系ガイドラインはエビデンスのまとめと指針である。つまり誤嚥性肺炎の診断・治療・予防であり、その価値に関する判断はしばしば言及されない。ガイドラインはないにしても、診断・治療・予防に関して役立つ本はある。ただ、価値に踏み込む場合も、基本的にはできる限り治療するにはどうすればよいか、という観点である。
人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン、人生の最終段階における医療・ケアに関するガイドラインは存在するが、そもそも高度な認知症を合併した誤嚥性肺炎が、人生の最終段階と解釈されることはめったにない。だからこのガイドラインを用いた話し合いができることは少ない。また、多くの医師は、押し付けられた仕事と認識していることから、じっくりと時間をとって家族と話をすることはなかなか期待できそうにない。多忙であればなおさらである。
さらに状況が不利なのは、個々の病院のKey performance indexは、病床利用率であることだ。
認知症患者の誤嚥性肺炎は、しばしば酸素を必要とし、時に昇圧剤やモニター管理を要するなど重症であることが多く、入院期間が長くなる。そのため、看護必要度を取りやすい。多くの病院は、その地域に病院が不可欠であることを示す必要がある。不可欠であることの証明に病床利用率と、看護必要度は使用される。そのため、誤嚥性肺炎の患者を引き受けない理由はない。救急車の使用率も高く、数値上は確かに重症であるので、病院経営上は受け入れておきたい。
介護施設に入所した場合は、誤嚥性肺炎の死亡で敗訴し、2-3000万円の支払いを命じられる訴訟が複数あることもあって、搬送しないという選択肢は難しいだろう。
介護施設から搬送された患者が誤嚥性肺炎であることは多い。その一方で、こういった場合家族が十分な話し合いの時間を割けないことが多い。片手間でやっている医師も、長い時間をかけて説明したくはないので、お互いの利益が一致して肺炎治療が行われる。
一方、最近増えている訪問診療は、誤嚥性肺炎の治療を内服で行うとか、そもそも治療を行わないという選択肢を提案できる場である。そこには期待が持てる部分もある。定期的な訪問診療でそうした話がしっかりできるかといえば難しいが、可能性はある。ただ、訪問診療医になるまでに、誤嚥性肺炎に関する専門的なトレーニングを受けるわけではない点が問題になる。しかし家での看取り、という手段を持てるのは大きいだろう。
訪問診療を除けば、医療の側からこの状況を改善することは殆ど不可能なように思える。
病院の経営構造、施設の訴訟回避、医師の不勉強と説明不足、そしてEBMと患者中心の医療を上っ面で理解したが故の価値という基準の不在、めんどうごとを避けたい気持ちと多忙さ、患者自身が自己の権利や利益を主張できないこと、家族の意思決定能力の乏しさや意欲の乏しさ、こうした問題が重なりあって、解決は難しいように思える。
現在誤嚥性肺炎を入院で担当する主な職種である内科医は、糖尿病の外来診療を主たる業務とする内分泌代謝内科という例外を除いて、減少しつつある。
専門医制度が煩雑になったからというのもあるが、ぼくは少なからず認知症高齢者の誤嚥性肺炎を診療したくないから、希望者が減っているのだと思っている。確かに診療をしていると、俺は何をやっているのだろうか。この治療に何か意味があるのだろうか、と考えることがあった。同じようなことを考えている医師は少なからずいる。露悪的なツイートをしている。しかし構造上の問題点について踏み込むことはそこまでない。
僕は構造的な問題だと思っていて、だからこういう文章を書いているわけだ。
進行した認知症患者の誤嚥性肺炎とは延期可能な老衰である、という共通の認識が広がれば、状況は変化してくるかもしれない。事実、認知機能が低下していない高齢者で、延命を希望しない方は多い。その延命の意味は具体的に聞けば、かなりしっかりと教えて頂ける。
誤嚥性肺炎の診療は、所謂延命と解釈することが可能な範疇に入ると僕は考えている。
後期高齢者の医療費自己負担額一割と、高額療養費の高齢者優遇の組み合わせを廃止することや、診療報酬改定によって、誤嚥性肺炎の入院加療の色々なインセンティブを調整することで、否応なしに価値が変化するかもしれない。そういうやり方をした場合、かなりの亀裂が生まれる気もするけど。