はてなキーワード: 転職とは
普通、中途転職の場合は転職したい≒今の会社を退職したい理由がまず明確にあって、その上でどういう条件で会社を探しているかがちゃんとあるもんなの。
だからその条件に対して弊社がどうマッチしたから興味を持ったんだって内容を無礼にならない程度に言ってくれればそれで良いの。
応募者の方に
「数ある求人の中から弊社にご興味を持っていただけたのは何故でしょうか」
と聞いたら
「私が今回の転職で大事にしたいのは『仕事のやりがい』と『人の役に立てる仕事』でして~」
とか語りだしたから、いやそれは新卒の時ならまあそんなもんだけど、社会人歴10年以上の30代半ばの人からそんなこと言われたら、申し訳ないけどこいつアホかというかいくらなんでも面接準備してこいよとしか思えないので普通に不合格にした。
人口減少とは一体何なのか?
よく考えて欲しいんだが、例えば全てにおいて現状を維持するためには、コンビニ店員の子供がコンビニ店員であり続ける必要があるし、
吉野家店員の子供が吉野家で働いてくれる必要があるし、郵便配達員の子供が郵便を配達してくれる必要がある。
まあ多少入れ替わっても問題ないが、トータルで現状を維持するということは、つまりそういうことだ。
普通に考えて達成可能か?無理だろ?だからコンビニ店員は移民によって成り立っている。
ひろゆき理論では、移民の受け入れをやめればコンビニ店員の給料が上がってコンビニのビジネスモデルが持続可能になるように思われるが、
実際には地方都市からコンビニや吉野家が消滅して終わりだろう。サービスの価格が上がれば消費が滞るからだ。
つまり、消費者としては、今よりも高い金を出して同じサービスを受けるか、我慢するかの二択。
スキルを磨いて年収を上げるゲームをしたいけど、転職繰り返したりすると普通に会社に恨まれる
こういうジェンダーバイアスの塊みたいな人なんなの?
年収800万の彼女と一緒に生活してれば、仕事を休業したり転職したりと非常に生活が楽になるだろ
なんで女がペットな前提なんだよ
前提として、私はとある女性Vの「ユニコーン」であり「後方腕組P」で、いわゆる「厄介オタク」です。
推しには絶対に男性Vとはコラボさせませんし、配信内容について「あれが良かった」「ここはダメだった」「次はこうしてほしい」といったフィードバックを送る、典型的なド厄介オタクです。
本来であれば排除されるべきコッテコテの厄介オタクである私ですが、推しの転生前を含めると約5年間、配信サイトの収益が推しのバイト代を上回った今でも応援させてもらえています。
そんな私が推しにやってきたことをつらつらと書いていこうと思います。
最初にやったことは、推しの夢である「歌ってみたを出す」「オリジナル曲を出す」の2つを叶えることでした。
楽曲制作、ボイストレーニング、レコーディング、動画制作などを知識が無いなりに調べ、用意しました。
つまり、あとは推しが「歌うだけ」で済む環境を私一人の「金の力」で整えたのです。
こうして「歌ってみた」を毎月出し続けられるように用意しました。
しかしながら、7本出した歌ってみたはどれも1000再生程度であり、あまり良い結果ではありませんでした。
また、最初のオリジナル曲は、公開してから転生までの約半年間でわずか500再生という拙い結果でしたが、それでも、推しが初めてオリジナル曲を公開したとき、ものすごく喜んでくれたことは今でも鮮明に覚えています。
そこで次に取り組んだのが「人脈作り」でした。
解釈不一致を解消するためには、その辺に転がっている安い素人クリエイターに依頼するだけでは私の推しの魅力を引き出すことが出来ないと考え、プロに依頼することが必要だと結論づけました。
当時、ちょうど転職活動をしていたので、推しのためにアニメ系のコンテンツを出しているエンタメ業界の会社に転職しました。
幸い、事務系のスキルがそれなりにあったおかげでスムーズに転職でき、生活も豊かになりました。
その後はひたすら仕事に励み、社内外のイベントや飲み会にも積極的に参加することで、サウンド系や映像系の技術者、イラストレーターなど、技術で飯を食えるクリエイター達と公私共に関係を築きました。
つまり、ハイレベルかつ、個人的な依頼を受けてもらえる環境が整ったことで、よりお金を掛け、クオリティの高い作品を制作できるようになりました。
その結果、投稿したとある歌ってみたは、たった2日で1000再生を超えました。
100、200、500、と再生数が跳ねるように増えていくごとに、推しと一緒になって喜びました。
このように、私が「金」と「人脈」を得たことで、厄介オタクとしての欲求を満たせるようになりました。
ここからは、後方腕組P、ユニコーンとして満たせる欲求についてより具体的に書いていこうと思います。
まずは、後方腕組Pとしての「満足感」です。
エンタメ業界に転職したことで、トレンドを常に追えるようになりました。流行のゲームやバズっている動画、ネットの時事ネタなど、推しのコンテンツになりそうな情報をリサーチし、即座に推しに提供できます。
これにより、推しが枯れることなく、次のコンテンツを出せるのです。
そして、私が「これやってみよう!」と提案したコンテンツが伸びる度に、今よりも誇らしげに腕を組むことができます。
推しが活動を辞めたとしても、転職した今は私一人で推しを養える程度には稼げるようになりました。
さらに、信頼できるクリエイターたちで推しのコンテンツを作れるため、某MIX師がやらかしたような推しが毒牙に犯されるようなこともありません。
また、出会った当初は半ニートだった推しでしたが、今では外に出られるようにもなり、
特にお母様から推しの情報を得られるようになったことで、変なリスナーが涌いたとしても圧倒的な情報マウントの力で角をピッカピカに保つことが出来るのです。
以下、まとめに入ります。
そもそも推しは推してくれる人がいるからこそ活動を続けられます。
なので、誰よりも推しを応援したいという気持ちは間違ってはいないんです。
厄介オタクと言われ忌み嫌われるのです。
厄介オタクは「金」と「人脈」を手に入れましょう。
「金」と「人脈」を使って推しの夢を実現し続けられればどんな厄介オタクだったとしても推しを推し続けられるのです。
まあ、推しが私のことをどう思ってるかは分かりませんが。
私のやってきたことが今を生きる厄介オタク達を救うきっかけになれば嬉しく思います。
以上。
俺らは輝こうとしてはいけない。
夜空を見上げ、星を見る人々はその後ろにある闇を認識できない。
・噛むと奥歯が痛い時があり、ただ本当に時々なので原因が分からない。前に別の歯でも同じ痛みがあったが、虫歯ではなく大丈夫だということで噛み合わせの調節をしてもらった気がする。面倒だけど、念のため予約した
・仕事でよく分からないところがあるが、毎回確認するのもなんだしなんとなくでやってる部分がある。本当はその分からない部分を明確にしたい(自分がASDなので気になる)のだが、どうしたものか
・子供に最近会っていないのが気になる。今週末くらいにLINEしてみよう
・美容院そろそろ行かないといけない。ただこれも面倒なのでどうしたものか。もう少し後でもいいかな
・血圧が下がらない。薬の副作用で太ったのが原因だと思われるが、血圧降下剤を飲んでも下がらない。今日病院行って最大量まで増やしてもらうかも
・歌の練習をしているが、本当はもっと練習しないと上手くならないだろうなと思っている。楽器の練習と同じで、上手くなるスピードが本当に少しずつで、イライラしてしまう。元々上手い人はいいなぁと思う
・余暇の過ごし方が基本的に家にいるだけなので、そんなのでいいのか、と思ってしまう
・最近増田で伸びる記事を書けていないのも気になる。別に義務でもなんでもないんだけど、何か書きたい気持ちがある
・収入が少ないので将来が不安だ。でもどうしようもない。転職できるような元気さがないから
・言ってる間に年末年始だなぁ
・音楽聴きながら仮眠を取ろう
よくある話だか、同じ進級の仕方をしてた友達と初めて差がついてしまった
仕方ないと受け止められるところもあるが「なんであの子が受かってうちの子が落ちるんだろう」って気持ちが消えない
試験の頻度は半年に1回、その間、歯を食いしばらなければならない
悔しい気持ちでいっぱいだが、夫は「前より良くなってるから良いじゃないか」って感じだ
そう思えるのがいい親なんだと思う。
私みたいに、他人とすぐ比較するやつは、自ら生きづらくしてて、きっとそのまま\(^o^)/するんだろうな
なんでこうなっちゃったんだろうか
最近こんなふうに、仕事の悔しさで夜中目が覚めて寝られないことが多い
趣味にも手を出す気にならない
それでいっぱいになってしまっている
疲れたなぁ
最近、職場で「〇〇くん、いつも定時で帰れて羨ましいね」と何度か言われるようになった。
俺は30代の独身男性で、仕事はそれなりにやるけど、特に熱心でもない。ただ、定時で帰れるのは自分なりに効率よくやってるからだと思っていた。
でも、ある日、先輩に言われた一言が気になった。
「〇〇くんって、本当、容量いいよね。〇〇部長が〇〇くんにはあんまり仕事振らないようにしてるって言ってたよ」
その時は「え、そうなんですか?ありがたいです」って軽く流したけど、なんとなくモヤモヤした。俺って仕事ができないと思われてる? それとも上司に気を遣われてる?
心当たりがないわけでもなかった。実は去年、メンタルが限界にきて3か月休職したことがある。それ以降、職場では変に気を使われるようになった気がする。
ただ、ここからが問題だ。その「気の使われ方」が、最近、少しずつ自分の居心地を悪くしている。
例えば、会議で意見を求められることが減ったり、重要そうな案件から外されたり。最初は楽だと思ってたけど、ふと気づくと周りから「軽く見られてる」感覚が積み重なってきた。
先日、歓迎会で新人に「〇〇さんって、ずっとこの部署なんですよね?」と聞かれた。
「そうだよ、まあ長いことやってるけど」って答えたら、なんか「へえー…」って微妙なリアクションをされた。心なしか、少しバカにされてるように感じた。
それ以来、俺は気になって仕方がない。
「俺って、ここでの存在価値あるのかな?」って。
…とはいえ、転職する気力もないし、辞めたら生活できないし。結局、次の日も同じように、定時でさっさと帰る俺がいる。
周りの目なんて気にせずに、このままでいいんだと言い聞かせながら。
もうおばさんと言われる年齢だ。職場で働いている中で悩みがある。将来のことだ。このままずっと、これでいいのか不安でしょうがない。
十年くらい、関西にある地元の市役所で臨時職員(※今は会計年度任用職員)として採用されて、働き続けてきた。
部署の異動は一度だけ。最初は水道の庶務の仕事だった。今の部署はさすがに言えない。ごめん。
会計年度任用職員、略称としては会任なんだけど、それになってからは異動がない。臨時職員がアルバイト・パートだとすると、会任は契約社員の位置づけである。
ずっと同じ部署にいても、民間みたいに正社員転換しないといけないルールはないらしい。長い人だと、地籍調査とか用地取得の部署で、正規じゃないのに15年以上働いてる人もいる。
私の人生の何がつらいのか、書き綴ろうとしたけどまとまらない。何がどう辛いのか、自分でわからないところがある。しいていうと、恋愛とか、結婚だろうか。世の中の一般の女性にとって大事なことだ。
私は女らしくないし、あまり可愛くもないし、なんならハムスターとか、チンチラに生まれたかった。あの子達の世界にもブサイクはいるのかもしれないけど、人間目線だとみんなカワイイ。
不安はたくさんあるけど、ここでは一つだけに絞って話をする。
不安の全体だと、恋愛や結婚もそうだし、生活のこともあるし、やや遠くで暮らしてる親のこととか、相続とか、自分の健康のこともある。
けど、一番は恋愛とか、結婚のことだ。アラフォーになったばかりだけど、正直結婚は難しいと思う。本当にそう思う。
私と同期で、約十年前に入庁した臨時職員の子達は、全員が自分の道を見つけている。適当な男性とくっついて離職した子もいれば、普通に転職した子もいれば、市役所から直接スカウトを受けて、コネ採用みたいな恰好で、公開競争試験じゃなくて個別試験をセッティングしてもらって、裏口のような形で正規職員になった子もいる。みんな、ちゃんとした理由があった。
入庁当時の私は、25才だった。美容の専門学校を卒業したけど、リーマンショックの関係で職が少なくて、フリーターを転々として、生活が貧しくて毎日泣きそうで、そんな私を最後に拾ってくれたのが生まれ故郷の市役所だった。
月給は額面13万円+残業代で、ボーナスは当然ゼロ。病気・傷病休暇もない。有給は年に5日だけ。私も皆も、風邪・インフルエンザでも普通に出勤していた。こんな私が働けるのはここしかなかった。
数年前に会任制度がスタートしてからは、ボーナスが年間二か月分出るようになって、まともに貯金ができるようになった。今でもこの職場に感謝してる。
話がまとまらなくなる前に、恋愛とか結婚の不安のことを話したい。わかりにくいところがあったらコメントとかで教えてほしい。できるだけ答えるので。
20代後半の頃は、結婚できるのかなって勝手に思っていた。男性の人が話しかけてくれるし、アプローチがあったし、同じ職場の人にデートに誘われたこともある。交際経験もあるけど、そんなには続かなかった。
しだいに焦ってはきたけど、私が三十路になる年のことだった。水道の部署から現在の部署に移ったばかりのことだ。この職場に、いいなって思える男の人(A君)がいた。私と同い年で、小学校・中学校が一緒だった。
当時の私は、残業や休日出勤が多い部署で、毎日地道に仕事をがんばっていた。イベントで使う資機材をまとめたり、パンフレットを作ったり、式典会場の準備をしたり、てんてこ舞いの日々だった。
私は当時、その男の人A君と一緒のペアになって仕事をしていた。心の距離が段々近づいていって、仕事帰りにラーメンをおごってもらったり、イベント帰りに家に送ってもらったり、辛い時に慰めてくれたりした。優しい人だった。
以上を一年目とすると、二年目にそれは起こった。
新卒で入庁してきた子がいた。大卒の子だった。おそらく22才のはずだ。この地域にある名門企業の代表者と同じ苗字だった。この子はSさん。年代は違うけど、私やA君と同じ焼酎学校の出身だった。
直属の上司である係長(※蛇足だけど係長も学校が同じ。Sさんとは出身高校も一緒)からは、「Sさんは大学出たばかりで、最初は全然慣れないだろうからフォローしてあげて」と言われていた。そうしてあげるのが先輩としての正しい道だと思ってたけど、後日別の意味で否定された。
Sさんは、仕事ができる子だった。難しい言葉を使うと、利発な子だった。都会じゃなくて、地元にある大学出身の子。別に、京都大学とか大阪大学とか、そういうレベルの大学出じゃない。
けど、頭の回転とか、コミュニケーションとか、気遣いとか、嫌いな相手とも表面上仲良くするとか、そういうのができる子だった。
あれは今でも覚えてる。私とペアになってたA君だけど、Sさんを目で追ってるのがわかった。
関係ある仕事でも、関係ない仕事でも一緒に話をしようとするし、Sさんと話してる最中は、私の時と比べて笑顔だった。
反面、私と一緒にいることは少なくなった。一緒にご飯を食べることはなくなったし、一緒の車に乗せてくれることもなくなった。同じ仕事をして、彼を補助する仕事は変わらなかったけど。
Sさんは人懐っこいとか、そこまでではないけど、皆とよく一緒に話していた記憶がある。若い子らしくて、さわやかな印象だった。よく笑っていた。ブサイクな方ではないと思う。
結局、A君はみんなが見てる時でも、Sさんに対して恋愛的にがっつく……は言い過ぎだけど、熱烈に会話をするようになってた。「あれはひどい、やばい」という次元だった。
上司である係長に「あれはよくないです!」と進言したこともあった。けど、係長も、そんな2人をむしろほほえましい感じで、ノホホンとした眼差しを送っていた。「増田ちゃん。あんなのイチイチ止めてたら、日本の少子化待ったなしだよ~」だって……。
その係長だって、Sさんには甘々だった。この部署の中では、Sさんは新卒とは思えないほどスキルがあったとは思うよ?私なんかとは別格の。係長は、そんなSさんを散々利用していた。
本来はベテラン職員がやる仕事まで、入庁一年目であるSさんに割り振っていた。イベントだって、ほとんど休みなくSさんを休日出勤させていた。
「こんなのおかしい。職場って恋愛する場所じゃないよ」、て言いたかった。なんでそんなに、Sさんばっかり使い倒すの。私だっているじゃん。私の給料、Sさんと同じくらいなの知ってるよね。私に休日出勤の仕事を割り振ってよ、残業代欲しいよと思っていた。そんなもやもやが一年以上、ずっと続いた。
※Sさんのことたくさん書いてるけど、彼女はもう職場にいない。A君も。
在籍中だったら、公共の場所にこんなことは書けないし、書かない。
さらに、その次の年度だった。
季節は春を過ぎたくらい。Sさんが朝礼の時、皆の前に出てきて、「私。今月結婚します。仕事にはもちろん支障ないので、これからもよろしく~」と皆の前で告げた。
A君の顔を見ると、茫然としていた。生気が抜けた表情だった。残念、みたいな表情を通り越した顔( ;∀;)だった。
ざまあみろ、ていう薄汚い感情が自分の中にあった。でも、ここは職場だから。そういう思いを出す場ではないから、と自分に言い聞かせた。
Sさんの結婚相手は、やっぱりというか、地元の名士の苗字だった。京都~和歌山の人なら、聞いたことがあるかもしれない。CLAMPの漫画に出てくるような、鳥系の氏だ。
入庁して二年目で、結婚かぁ……私が入庁して二年目の頃は、そんなこと考える余裕はなかった。恋愛のアプローチがあっても、応えるだけの生活の余裕がなかった。貧しかった。
月給13万円台で、京都市内での一人暮らしは不可能に近かった。実家を頼ろうにも、父母にそんな余力がないのは明らか。私は学生向けのボロアパートに住んでいた。
私が好きな少年漫画で、「ドン詰まり」という表現が出てきたのを思い出した。本当にこのドン詰まり、という状況だった。若い頃の私は。
でも、Sさんは違う。私と違って余裕がある。実家は太いし、皆から人気はあるし、私みたいな隠キャラとはわけが違った。生まれた瞬間からして違う。
それから今に至るまでの私は、ずっと同じような縮小再生産だった。
[仕事]…一般事務と、イベントのお手伝いの仕事。正規職員登用の声がかかる気配なし
[生活]…近所のスーパーで夜に割引食材を買う。奇跡が起こると、6.6割引になってることがある
[趣味]…たまにアニメ漫画・小説を読むくらい。作品イベントに行けるだけの余力なし
最後にSさんと会ったのは、同じ年だった。Sさんが妊娠後、もうすぐ育児休業で職場からいなくなるタイミング。
うちの部署のイベント大成功のお祝いで、みんなで夏にバーベキューをすることになった。係長が、お手頃な値段でたくさん食べられるというお店(というか山の中……畜産農家の圃場内だった)を紹介してくれた。私の少ない給料でも全然参加できる料金だった。そこにSさんも参加していた。
バーベキューだけど、みんなイベントの疲れを癒すというか、ねぎらうというか、和やかな雰囲気だった。広い車庫ガレージの中での立食形式のBBQだった。
私はやっぱり隠キャラで、食べたり飲んだりはしてたけど、会場の設営とか片付けとか、飲み物の氷の準備とか、お肉を焼いたりしていた。誰かが焼酎の水割りとかハイボールで使う氷を取りに来る時、その人の背後に付いて、「氷入れますよ」という案内をしていた。※「増田ちゃん、暗殺者かよ~」とツッコまれた
あとは、ほかの人のところを巡って、コップが空いてたら飲み物を注いだりした。そこまで飲み食いはしなかった。お肉とオニギリは本当においしかった。本物の食肉卸だった。限られたお客さんにだけBBQパーティのサービスをしてるとのこと。
その日も、Sさんはみんなに人気があった。焼肉と野菜を食べてお酒を飲みながら、ガレージ内でおしゃべりをしていた。ずっと。そんな時に私は、Sさん~~職場友達の話に聞き耳を立てることがあった。
こんなことを、話していた。
(早く結婚できてよかったねと言われて)
「えー。運がよかったんです。親の紹介で、京都御所の建物の中まで入れる限定の行事があって、そこで知り合って」
(仕事ができるねと言われて)
(育児休業どれくらいするの、と聞かれて)
「係長からは上限の3年まで取っとけって言われたけど、自分は1年半で十分です」
(Sさんが羨ましいと言われて)
「幸運があったので。ありがたく、この環境はもらっておきたいですけど、でも別に、ここまで恵まれてなくても、私は幸せになれるように頑張ったんじゃないかな」
嫌な感情が湧いた。
彼女は、Sさんは、私にはないもの、絶対に手に入れることができないものを持っていて、それが才能とか、環境とか、そういうのじゃないって、自分の力だって。絶対にそう思っている。
そういうのがムカつくって、あの時の自分は思った。ガレージの中で涙が出そうになった。焼肉の煙が目に入ったのもあるけど。自分はこんなに苦しいのに、Sさんは自分が恵まれた環境にいることに気が付いてるフリをして、実際には気が付いてない。
Sさんと自分との間には埋められない溝がある。でも、この時、こんなに人生で初めて、悔しい思い、誰かを憎んだのは初めてだった。
Sさんとその友達の空いたコップを見つけた時、「Sさん、何飲んでるの?」と聞いてみた。
すると、「あ~、じゃあ。私は焼酎の水割りにします。あそこの奥にあるやつで、焼酎少なめがいいです」とのこと。Sさんの職場友達は、「ありがとう。私はカルピスでいいです。お願いします!」と言った。
あそこの奥にあるやつ……その焼酎は、ガレージの奥のテーブルにあった。卓上の保冷ケースの陰に隠れていた。獺祭の高いやつだ。私も焼酎が好きだけど、こんなに高いのは飲んだことがない。
保冷ケースの裏で、私は焼酎を少し注いでから、テーブルの真下にあった開封済の農薬袋を見つけた。右手で、農薬の粉瘤を二掴み手に取って、Sさんが飲むはずの焼酎のコップにそれを入れた。
水じゃなくて炭酸水を入れて、攪拌用の割りばしでかき混ぜて、ニオイを嗅いでみると、何も感じなかった。味見した感想も焼酎のソーダ割りだった。カルピスは急いで作った。
「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」
何度、心の中で叫んだかわからない。気持ちを止めることができなかった。
あなたはだって、ここまでずっと人生幸せだったじゃん。不幸もないと、おかしいよ。
「人生には不幸があった方が幸せになれるよって、そっちの方がいいよ」って、この時思っていた。
2人のところに飲み物を持って行って、「暑いし氷溶けるし、早く飲んだ方がいいよ」と伝えた。
2人とも会釈だけして、Sさんが獺祭のソーダ割りを飲んでいた。こんな会話が聞こえた。
「え~、これ炭酸割じゃん!」
10分くらい経って、Sさんが別の男性に「獺祭おいしい、おかわりほしいです~」とねだっているのが見えた。
翌週、Sさんが職場にこなくなった。「体調不良です」と係長が上司に報告していた。
産休予定だったので、早めに開始することになった。それからまた日常が戻った。私の仕事内容は、今後もずっと変わることはないと思う。定年までずっと、いやきっとそうなんだと思う。
昇給だって、年に三千円だけ。しかも一定のところまで行ったら頭打ち。「こんなのっておかしい」と思うけど、ルールだから従うしかない。正規職員と違って身分保障がないのに、今までクビになってないだけ「ありがたい」と思わなきゃいけない。
今年に入って、育児休業中のSさんがベビーカーに子どもを乗せて職場に来た。みんな、生まれたばかりの赤ちゃんを間近で見ようと寄っていた。私もそうだった。
後ろの方には係長も来ていた。Sさんがいなくなったせいか、仕事量の負担が大きくて元気がなさそう。
Sさんに、ほかの皆と一緒に「元気に生まれてよかったね!」と伝えると、Sさんは幸せそうだった。でも、なにか違う気がした。
この、赤ちゃんを職場に連れてくるシチュエーションは、私が子どもの時も、学生の時も、社会人になってからも、何度もあった。その時、新しいお母さんは、みんな誇らしげな表情をしていた。安心がまざったような。
でも、Sさんの表情は悲しそうだった。もしかして辛いことがあったのかな。だったら、それでよかったのかもしれない。無事出産できたのはいいことだけど、人生にはつらさも必要だと思うから。
同じ職場の仲間として、Sさんが職場復帰する時が来たら、これまでと同じように一緒に仕事ができたらと思う。私は貧しい生活だけど、それを受け入れることができている。ここまで達観できるようになった。これも成長だ。これから人生どうなるかもわからないし、不安もあるけど。
いや〜。
ありがとね。
という触れ込みで計12回前後スカウトメールを送ってきてくれた会社
書類で落ちるだろと思ったら受かり
人柄だけでなく経歴も褒めていただけて、具体的なポジションまで提示してもらえた。
最終面接の前はオフィスツアーで空いてる席まで見せてくれてほぼほぼ内定みたいな空気が出ていた
自己紹介のあと「えっと、このままだと落ちるけど大丈夫?うちでまわせる業務ないけど。」
「どんな思いも受け止めます。未経験だからって怖がらないで!飛び込んできてください(セラミック歯でニッコリ)」
とドッシリ構えているが、その採用担当者と同一人物が目の前でなんか喋ってる。
やってきた経験は
「そんなん誰でも通る道でしょう」
「これはノーベンで取れるやつだし価値ないよね」
「質問してきたら答えるけど、質問も答える価値がなければ答えません」
「お金をいただくってすごい大変なことなんだよ。お金を生み出す価値があなたにあると思いますか?」
まぁ申し訳ないけど貴方は取れないと思うよ。無理でしょ。どう見たって。」
「あのさ、このスキルなら風俗がいいよ。風俗ならとれる。そこでマネージャーでも目指したら?」
※本当に風俗だと言われたわけではないが、離職率圧倒的に高い某職種。
なんか成り行きで応募職種ではない全く違う職種への配属前提で話が進んでいった。
頭がおかしくなりそうだ。
前提として、このエントリが刺さる人はそう多くはないと思うけれど、
それでも同じ悩みを抱えている人を救えたらと思って書いている。
増田、34歳。
新卒時にコンサルに入社し、かれこれ10年間必死に働いてきた。
初任給は600万ほど。
そこからも給与はどんどん上がって、30手前で1000万円を超えた。
だが、一方でとてつもないハードワークでもあった。
特に2~3年して昇格してから顕著だったが、複数のプロジェクトを掛け持ち、一つの案件がクローズしたらまた別の案件に放り込まれるような状況だった。
ほぼ全ての案件が当たり前のように大炎上していたので、2週間に1回くらいは徹夜して乗り切る日があったし、休日出勤も数えきれないくらいにしてきた。
クライアントからも鬼のように詰められる日々で、メンタルも磨耗していた。
それでも、何も持たない自分がこの年齢で1000万稼ぐにはこれしかないんだと思ってしがみついていた。
特に結婚して子供が産まれてからは、家庭を守るためにも働かないといけないと思いハードワークに身を投じてきた。
思えば、忙しすぎて思考をするだけの余裕がなかっただけだったかもしれない。
転機は1年ほど前、プロジェクトとプロジェクトの間で少しだけリソースに余裕ができた時期があった。
特にやることもなく、1週間くらい20時ごろに帰っていた(言っても20時だが、当時の自分は定時上がりどころか、早退くらいの気持ちで帰っていたと思う)。
久しぶりに娘としっかり向き合い、妻と一緒に夕食を食べた時、この上ない幸せを感じた。こんなにも近くに幸せがあるのに、何を犠牲にしてここまで働いているんだろうと涙が出てきた。
そこから、もっとしっかり時間を取れるような職場に転職しようと決めた。
実は一度転職経験があったのだが、その際は提示された給与があまりに低く感じてしまい、結果として同業他社に転職し、労働環境もほぼ変わらずだった。
しかしながら、改めて自らの収入と月々の出費、あとは今後の出費などを計算していると、明らかに自分の収入が過剰であることに気がついた。
もちろん教育費だの家賃だの、青天井ではあるのだが、普通に暮らしていくだけであれば、今の自分の収入から400万くらいは下げても大丈夫だということに気がついた(税金や保険料が下がるので、実際の手取りは400万円も下がらないが)。
と、いうわけで、かなり年収を下げたものの、残業は基本的にはほとんどなく、あってもせいぜい20時くらいには帰れるような職場に転職した。いわゆるJTCで福利厚生もかなり充実しており、額面ほど生活が苦しくなった感覚はない。
何より家族と過ごす時間がかなり増えたし、自分の使える時間に余裕があることで、休日にふらっと散歩したり、家族で出かけたりする余裕も確保できるようになった。
もちろん貯蓄のペースはかなり落ちたし、きっと今までほど何不自由なく生きて行くことはできないのだろうけれど、それでも幸福の総量は明らかに今の生活のほうが多いと思う。
同じく激務で疲弊している人に、ゆったり働く良さを伝えられたらと思う。
ブラック企業時代、女性上司の下で働いていたことがあるが最悪だった。
仕事ができないのはともかくとして、やること全部が悪役令嬢のような陰湿な嫌がらせばかりで、毎日それに耐えなければならなかった。
たちが悪いのが、自分のミスを他人のせいにするのが上手いことだ。
何をいいふらして回っていたかは知らないが、無能な部下のせいで自分の足が引っ張られているという情景を上司に信じ込ませるのが格段に上手かった。
たとえ嘘でもそういう告発があれば人は「被告人」を疑ってしまうものだ。
「嫌がらせをした人」にはそれをするだけのまっとうな理由があり、それに対して少しでも嫌な顔をすれば「本性を現した」ことになるらしい。
とはいえ、ブラック企業というものは得てして勘のいいガキを排除するようにできているものだ。俺は辞めるべき人物だったし、実際に転職は成功した。
上司たちも騙されているというよりは、自分の信じたいものを見せてくれるイタコみたいな存在が欲しかったのだろう。
何が嘘で、何が真実か?そんなことはどうでもいいはずだ。
斎藤知事が嫌いな人は斎藤知事が悪の親玉であってほしい。佐々木朗希が嫌いな人は佐々木朗希が海外で失敗してほしい。ビットコインが嫌いな人はビットコインが暴落してほしい。
数少ない友達とは社会人になってからライフステージの違いで徐々に疎遠になった。
父親が転職癖持ちで小さい頃から引っ越しや転校が多くて環境の変化には強いつもりで生きてきた。
場数を踏んでるから第一印象は良いみたいで初めましての人がいる場にはめっぽう強い。
けど時間をかけて徐々に集団から孤立して、気がつくと話しかけづらい人になってる。
喋りすぎないように空気読んで会話をすると人から嫌われないけど誰とも仲良くなれない。
少なくなった友達とたまに話せると本当に嬉しいけどお互い大人になったから学生時代みたいに本当に気を遣わないで話してる感じじゃなくなった。
寒い夜に話し相手が欲しくなった時とか、仕事でダメージを受けた時とか、吐き出したい気持ちがある時に受け止めてくれる人が誰もいない。
そういうときは胃が重くなるような孤独やストレスを誤魔化すためにさっさと寝てしまうんだけど世の中の独身って皆こうやって耐えてるの?
Twitterで見かけたけど、羨ましいよねやっぱり
いいなぁ実家が太いって
いいなぁ
スタッドレスタイヤも買わないとなぁ
あ〜いいなぁ実家太くて
でもお母さんには女手一つで育ててもらったし、すごく感謝してるし大好きだよ〜
頑張ろう
40手前になってもバカみてえなポエムを書き、200万の借金を嘆く手取り20万前後の童貞こどおじ
新卒採用後半年で複数回転職しているくせに自分の評価が異常に高いバカ
沖縄に行ってみたり、母親の手料理を食べたり、仕事をさぼってみたり、とにかく幸せそうなのだ
私は毎日朝起きて飯を食い、仕事に行き帰宅し風呂に入り飯を食い寝るだけ
休日は妻と出かけたりするが、幸せかどうかと言われると、うーん・・・。と考えてしまう
妻とケンカすることもある、友人との飲み会が楽しい日もある、子供が出来た、と聞き父親としての自覚を持たなければいけない、と思った日もある
幸せかどうか、何かに満足しているか、というのは上を見ても下を見てもキリがない、置かれた場所で咲きなさい、というのが私の信条だ
幸せかどうかは他人を羨むかどうかであり、比べるまでもなく自分が幸せだと思えばそれで良いのだ
確かにそうだな、と膝を打った
ただ、置かれた場所で咲いているのだ
転職で企業の面接を受けているけど、みんなノーマスクだしこいつらシェディング信じてるんじゃねえの?って思えてくると怖くてそんな会社で働けない
兵庫県庁でおびえてる人たちは団結できるだけマシに見える、東京で働いていると、隣に座ってる人がイスラエル支持だったりして笑えない
それでも、「詐欺」 「欺瞞」 「不誠実」 「似非科学」 みたいな会社しかそもそも受けることもかなわない…
リンゴの木を植える仕事、目の前にいる人をバカにしない仕事、公衆衛生を大事に考える仕事がしたいのにそんな仕事はこの世のどこにもないのかもしれない