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2024-11-21

anond:20241121004956

文字を書く練習は、まず文字をなぞるところから始めるでしょ?

絵も同じようにするんだよ

なぞって、形を捉えると同時に、縦線、横線、点、はねの書き方なんかを学ぶ

文字には直線と曲線が詰まってるので、いい練習になるよ

文字を大きく印刷して、それのフチを丁寧になぞる

直線と曲線を自在に操れるようになれば、なんでも描けると言っても過言じゃない

しばらくはうまく描けないと思うけど、それは目も手も腕も慣れていないからなので当然

なぞって引きたい線を引けるようになったら、次は見ながら描く

という感じで、まずはとにかく形を捉える練習、線を正しく引く練習

見たままが再現できないのに、頭の中を再現できるわけないじゃん?

悩むのはそれからかな

anond:20241120012804

立花に騙される兵庫県民。日本崩壊危機」みたいな一側面しか見ていない語り口ばかり見るから、現地民の意見が読めてよかった。こういうのが一番知りたかった。

全体的にわかる〜!と思った。

まず、中立的判断したくて情報収集しても、どっちサイドも吹き上がった人が多くてなかなかちゃんとしたソースにたどり着けないんだよね。

今回だったら百条委員会報告書が一番フラットデータだったと思うけど、そこに一般人が辿り着いてちゃんと中身読んで……ってかなり難しい。実際今「百条委員会 報告書 兵庫県」でググってみると、上からニュース記事ニュース記事兵庫県のあげているアンケート回答のpdfニュース記事文書問題調査特別委員会のページ、って感じ。最後のページが見たかった資料に繋がっているわけだけど、検索したときに出てくるタイトル概要がわかりにくいし、もう少し上の方にヒットしてほしい感もある。それくらい調べられるようになれよと言われたらそれまでだが、国民の多数にそれを求めるのは酷ではないかとも思う。多くの人は、選挙にそこまでの労力をかけられないから。

それから、他の候補微妙ってのもよくわかる。現職にうわ〜と思っていても、それ未満のもっと微妙な人しかいなくて、結局現職に投票したことがある。選挙はマシな人選びと言うが、それにしたってもう少しまともな候補者いないのか、と思っていた。自分の県で同じことが起きたら、現職に投票ちゃうかもな……と思う。

anond:20241121115153

増田的に何を根拠に嘘つきだと思ってるの?

まぁ毎回トンチキなので文章が読めないと同様に尋ねても無駄感はあるが

 

それから会話が成り立つ要件って、主義主張価値観ではなくて、

宗教の人ではなく、批判的思考を持つこと、嘘をつかないことだと思ってる(弥助と東京オリンピックで気付けた)

増田にはそれがない

 

信条は、どんなことを言われても揺るがないのはフツーのことだと思います

ただ、人物作品制度政策科学などについて、常に肯定的意見しか言わないのは、信仰と言います

 

信仰は揺るがないので、一般的に会話は難しいと思います

感情の共有、たとえば対象が『好き』という気持ちについて共感することだけなら可能だと思いますが、

会話は、感情の共有だけではなく、意見交換の要素も含むからです (信仰ですから、疑は挟めません)

人物作品制度政策科学などについて、常に肯定的意見しか言わないのは、信仰と言います

 

信仰は揺るがないので、一般的に会話は難しいと思いますが、雑談も同様に難しいです。信仰は揺るがないからです

感情の共有、たとえば対象が『好き』という気持ちについて共感することだけなら可能だと思いますが、

雑談は、感情の共有だけではなく、意見交換の要素も含むからです (信仰ですから、疑は挟めません)

また、潤滑的な話題として、通常信仰テーマしません。信者対応する人は気を使い疲れます

 

会話 (Conversation)

├── 目的別会話 (Informative, Opinion exchange, etc.)

└── 雑談 (Small talk)

 ├── 軽い話題 (Casual topics)

 ├── 社会的潤滑油 (Social lubrication)

 ├── 感情の緩和 (Emotional relief)

 └── 軽い意見交換 (Casual opinion exchange)

 

周りに、支配的な人がいたり、やたら語気が強い人がいると、

自分意見最後まで伝えるのが面倒になったり、好きなもの否定されがちになったりするので、

批判過剰反応しがちになる人が存在することは理解したいと思います

 

ただ、抑圧されてきた配慮すべき事情がある人物なのか、差別的宗教の人(信仰対象信者は何をしても良いと考えている)なのかは、

ネットでは判断できないので、批判姿勢大事だぞと伝えるのみですな

袋の中でネギの汁が出ないことを祈る増田棲丸の意を床伊那ガルしのぎ値でかなの六歩(回文

オーシャンゼリゼ

街を歩けば聞こえてくるアコーディオン音色

おはようございます

ここは花の都パリ

フランスで言うところの紙袋からフランスパンがカッコよくはみ出していてもカッコいいような風景

日本でもそんな同じような光景ネギで見たことあるかも知れない。

その時たまたま

私が目にしたのは

買い物袋からネギの先が出ているスタイルを恥ずかしいのか、

レジ台でネギを折って入れてる人を目撃して見たの!

「そこで折るとネギの汁が出てしまますよ」

私はそう言って教えたかった気持ちをよそに

それは会計を済ませレジを通過したところに存在するお買い物したものを袋に詰めるエリアで繰り広げられていた。

その時の光景は今でも私の目に焼き付いているの。

そこはまるで本当の格闘技リングのようだったわ。

彼女レジ袋を高く空中に放り上げると同時に

その一瞬の隙に

長ネギは膝で中腹から折られ一発でノックアウト

から崩れ落ちる長ネギ

全てが終わったあと、

高く空中に放り上げられたレジ袋が彼女の手にふわりと商品が入れやすいように口が広がって舞い降り戻ってくる。

空中にレジ袋が舞っている間に勝負は一瞬で決まったの。

あれ逆に海外の人から見たらカッコいいらしいわよ。

長ネギを膝で折ってノックアウトってのじゃなくて、

から長ネギフランスパンのそれと同様にはみ出していても。

そうカッコよく長ネギは見えるみたい。

でもその時のその人はそれが許せなかったらしい。

それからは手早く本当にまた瞬く間に

折られたネギや買った商品などがレジ袋に収められていった。

私はそんな光景を初めて見たのよ。

レジ会計後に品物を袋に入れるお買い物入れるゾーンで。

それこそネギの汁が出ていたらそこはネギの血で染まっていたかも知れない。

「そこで折るとネギの汁が出てしまますよ」

と言うべきだったかも知れない。

少なくとも買い物を詰め込んだ袋の中がネギの汁で他の商品ベタベタになってないことを祈ったわ。

その様子を見ていた私とその人とで目が合ってしまって

圧倒されていた私は

その葱を膝で一瞬でへし折る鮮やかな技をみてグッドジョブとサムズアップをしたの。

ここでは勝者こそが正義

でもやっぱり、

「そこで折るとネギの汁が出てしまますよ」

やはり私はそう忠告すべきだったのかも知れない。

もうネギの汁は出ているかも知れないけど。

いや今からでも間に合う!伝えよう!

すでに彼女はもう去っていた、

じゃあなと背中で言わんばかりのあだち去りをしながら。

私は彼女の買い物袋の中がネギの汁でベタベタになっているのかは定かではない。

彼女の今晩の食卓メニュー長ネギをふんだんに使った鍋だということを願うしかなかった。

包丁のような鋭利な切り口じゃない断面積が最大に大きくなるネギの膝折だから

きっと美味しい鍋になるだろうと思う。

少なくともネギまるごとをそのまま1本のお箸替わりとして使う、

大内宿の名物ねぎそば」でないことは確かだ。

だって折られているのだから

この日、

私の心に刻まれ言葉ひとつだけあるの。

「そこで折るとネギの汁が出てしまますよ」と

しか

大根はそのまま折られずに1本まるまるの長さでレジ袋に入っている姿を見て

大根はいいんかーい!と思ってしまったわ。

うふふ。


今日朝ご飯

納豆巻きにしました。

最近納豆巻き率高しで人気急上昇中の私の中の納豆巻きは朝の元気の源をいただく黄色い元気な色のタマゴに加えて色は茶色いけれどとってもセクシーヤミーなのよ!

から手巻きで食べる納豆巻きは朝!って感じがするわ。

これは手軽に食べられるから最強外出時ニューヨークスタイルで片手で持って食べ歩ける街でも恥ずかしくない姿よね。

この手軽さがいいのよ。

もちろん混ぜるカップ納豆も好きだけど

外出時にはネバネバを敬遠して食べないがちだけど

手巻きとなると話が変わってくるのよ。

美味しい納豆巻きいいわね。

元気の源よ!

デトックスウォーター

ホッツ白湯ウォーラーストレート

ちょっと味噌加えたらそれはもはやお味噌汁ってなるかも知れないけど

この濃さの限度の境目ってどこなのかしら?

味噌汁とホッツ白湯ウォーラーイン味噌との間。

あんまり薄いと美味しくなくて気持ち悪い気もするけど、

この境目を研究するのもホッツなことかも知れないわ。

ホッツ白湯ウォーラーだけに!

さすがにそれは今朝はしなかったけれど

マイ納豆ブームあってか

ネバネバをホッツ白湯ストレートウォーラーにインしたら、

逆に納豆もったいないかな?って思っちゃうから

ネバネバ系を得たいのなら

ここはオクラウォーラーね。

そんな色々なことを考えながら飲む朝のホッツ白湯ストレートウォーラー

今日はお湯バッチリタイマー電気ポットで沸いていたか

しかも飲み頃70℃!

ペキカンよ!

いい朝ね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2024-11-20

リメイクゲームの開発手法について考え直す時期なんじゃないか

物作りの企業って客からの不満・要望を吸い上げて製品改善するけど、ゲーム企業ってそれをしてる印象がないんだよね。

見ない・聞かない・蓋をする で、面白いものを作ってるつもりなんだろうけど、スタート時点で方向がズレてるんじゃないだろうか。

  

特にスーファミ以前のリメイクRPG

直近で言うとドラクエ3

発売から一週間経つけど、不満点がまとめサイト各地で取り上げられている。

プレイヤーの不満点は大体似たようなことが書き込まれている。多種多様って訳じゃないんだよ。

プレイヤーが不満に思うのに、開発者が気にならないって変じゃないか

  

製作自体サプライズ発表なのが問題あるのか?

大体はニンテンドーダイレクトで開発中操作画面とともに発表。

方向性がズレてたらもう引き返せない。

 

あるいは複数タイトルを平行開発していて、他作品から流用できる改善案が出ても差し込めないとか。 

 

(スーファミ作の)リメイクに限っては製作発表だけにして、開発前に自社ホームページで専用フォーラム作って旧作の各システムの不満・改善点を期間限定、例えば二週間だけ募集する。

今の時代ならネットニュース拡散されて、旧作ファンなら喜んで要望を書くだろ。

それを三、四ヶ月かけて精査してから開発に取りかかるのが理想なんじゃないか

  

もしくはそういう専門部署を立ち上げて要望フォーラムを常に募集してくれよ。

『今週からFF5への要望募集します』『今週からクロノトリガーの良かったところを聞かせてください』みたいにさ。

そうすりゃ製作発表の時に「あの要望が通るかも」って期待値高まるし、プレイヤー集合知というか、本当に求めているもの・ウケてるものノウハウが溜まるだろ。

  

あるいは古いゲームなら、やり込んでるプレイヤー制限プレイ動画YouTubeに上げてるだろ。

開発陣よりも詳しかったりするだろうから、連絡取って改善点聞くとかしようよ。

交通費スペシャルサンクスクレジット記載すれば喜んで協力するだろうからさ、アドバイスもらおうよ。

  

それから存在しない『虚像』に向けてゲームを作ってないか

アメコミが、存在しない・コミックを買わない『ポリコレ読者』に向けて舵を切って凋落していったように、『ゲームが苦手な初心者』に向けて開発してませんか。

普通に作ってくれよ。

往年のファンが気に入るもの初心者も気に入るって。

往年のファンだって初心者だったんだよ。

国内向けに作ったものが、結局海外でウケてたんだからさ。

  

だってかつての名作を作ったあのゲーム企業が好きだったんだよ。

憎みたくないよ。

AV先生が出てきた

今日も昼からAVを見てたら、中学の時の先生が出てた。

女優じゃなくて竿役。はげて、肌は油で光っているけれども、痩せて弱そうなおじいちゃん

まあ、よくみたら他人の空似だったんだけれども...

ただ、なんか萎えしまって、体も重くてベッドから起き上がれないから、布団の中でぼーっと先生のことを思い出していた。

数学を教えていたその先生は、生徒から教師からも評判が良くなかった。教え方は下手だし、何よりやる気がなかった。

しかし、数学試験で何度も落第していた私は、成績についての面談で少し仲良くなっていた。面談先生は怒らず、雑談ばかりした。

職員室の隅に席を持つ先生は、教室の隅にいるような生徒にやさしかった。

「どんなことでも、6年間、毎日続けてやったら、モノになるよ。君のガラなら、将棋とかだな。今日からやるんだぞ。」「じゃあ、先生はやったことあるんですか」「うるせえ、それができたら、教師なんかもうやめてるからな」

飄々と笑う先生言葉が思い出された。

それからもう7年たつ。

結局私はほとんど何もしなかった。

運動は下手だからとやらなかった。本は多少読んだが、集中力が続かず、完読したものは少なかった。将棋は、せっかちな私にまるで向かなく思えた。

何事もやるなら一番になりたかったが、そのためには、どんなことも今更やるには遅く思えた。

ただ一つ、続けていたことがある。

自慰行為だ。

部活にも入らず、趣味も持たず、親にゲームテレビを禁じられていた私は、自宅に帰ると自慰に励んだ。想像でも十分だし、時代小説サービスシーンも役に立った。

同級生部活帰りにみんなで眺める夕日を、私は賢者タイムの中一人で見ていた。行為後の散歩で眺める地元景色は美しかったが、役に立ちはしなかった。

残ったのは、伸びたチン皮だけ。しっかり剥けはするけど、本当に情けないその見た目が恥ずかしく、銭湯温泉も行けたものでない。快楽怠惰に逃げ続けた私にふさわしい成果だ。

何度、行為後に自分を情けなくなったろう。助けてくれと思ったろう。でも、それも今日までだ。明日からは、無理なら明後日から。こんなことはやめて、何かをやろう。勉強をしよう。人と話そう。勇気をもって銭湯に行こう。そう思いながらもチン皮をくちゃくちゃ揉んでいる私を、思い出の中からよみがえった先生が「どうせ今回も同じだよ。お前はそういうやつだからな」とケタケタ笑っている。

役所デジタル化で「高齢者への対応」が問題になるが、今75歳の人はWindows95が発売された時45歳だったのになんで使えないのか?

いま75歳の人でも、Windows95の発売時は40代それから30年。なにしてたん?という気持ちになりますよね。

当時は「パソコンちょっと…」と言えば使えずとも許され「自分アナログなんで」と謎に誇らしくアピールする手合いが多かった

その手の「アナログなんで」の人が、じゃぁ綺麗な字を書けるか、絵を描けるか、手を動かして何か作れるかっていうと大抵できないんですよねぇw

雪山太郎

@yukiyama2003_2

@avr2vfr その時代だとまだ「パソコンを使える奴はキモいオタク」って印象が世間一般的にあったか

40代とかで家庭を持った人がパソコンを出来るとかって逆にマイナスイメージがあって社内的にヤバいから手を出さなかったとかあるかも

けっきょくは周りに合わせてセーブしてたってことか

怠慢とゆーよりは世間の目を優先したんだな

俺のオナニー方法レビュー

10歳頃にオナニーを覚えて以来、小学生で親父のトニックシャンプーでシコることを編み出した俺。

こんにゃくカップ麺、床オナは当たり前。

片栗粉Xやオナクール、サイニーや離脱(これは至れなかった)といった2ちゃんで有名な手法も一通り試してる。


そんな俺が30年に渡って求道してきたオナニー手法の一部を開陳しよう。

基本的にはオカズではなく「手法」や「道具」を挙げている(催眠音声はオカズ兼なところがあるが…)。

これだ!というオナニー手法を見つける手助けになれば嬉しい。


言うまでもなく星はあくまでも俺の主観だ。枕と一緒で合う合わないは確実にある。

快感度合いの目安だが、ただの手淫が5、セックスが20だとしたら★5は100くらいある。繰り返すが俺の主観だぞ。「お前は本当のセックスを知らない」とか言われてもただただ困惑するだけだわ。



手淫

お手軽度:★★★★★

快 感 度:☆☆☆☆☆


手淫しかしたことがないのはもったいない。本当のオナニーを知らない。

赤玉ワインしかワインと名の付くものを飲んだことがないようなものだ。

利き手の逆手コキではまだ★ゼロ、ローション手コキでようやく★1ってとこだな。

圧迫感が強いだけで床オナも手淫とたいして変わらないと思う。



ゴムコンドームオナニー

お手軽度:★★★★☆

快 感 度:☆☆☆☆☆


これ自体はたいして気持ちよくないというかむしろ手淫のほうがマシまである

後述の様々な手法と組み合わせて使う。

肝は「汚れ」や「臭い」を気にしなくていいところだ。

オナティッシュの臭さといったらない。特に夏場、蓋付きゴミ箱にポイしたときなんかは生臭さが熱で熟成されて最悪だ。


よく聞く対策としての風呂オナニーは精液が凝固しないよう水で流す必要があるし、トイレはいかんせん狭くて身体が痛くなりそうなうえ「行為中」に発生する臭いまでは対策できない。

同居家族のいる人間にはやはりゴムお薦めする。気になるのは捨てる際だが、まあティッシュに包むのがいいか。俺はタバコの空き箱に入れてクシャッとしてから捨てている。



オナホール

お手軽度:★★☆☆☆

快 感 度:★☆☆☆☆~★★★★☆


基本的に、こんにゃくカップ麺片栗粉Xはオナホ劣化版だ。

オナニー用に作られた道具として、その性能は圧倒的である


ただ「合うオナホ」ってのは枕と同じで、陰茎の長さや太さや性感帯によって違う。

からセブンティーンみたいな「初心者向け」はあっても万人にベストっていうのは無いんだ。


なかのヒダ構造や貫通/非貫通などバリエーションを変えて、安価中華ホール複数試してみるのが手っ取り早いかもしれん。最近中華は侮れない。

個人的最近お気に入りリアルな口と歯がついてるホール褐色肌のやつ)


気になるのが保管するうえでの衛生状態だ。

乾ききっていないのにしまい込んだ結果、カビが発生…なんてことになれば目も当てられない。

だがいまは珪藻土スティックという便利なアイテムがある。乾かす際にこいつを突っ込んでおけば、ホール内の水分を吸い取ってくれるスグレモノだ。



ツルニー

お手軽度:★★★★☆

快 感 度:★★★☆☆


ツルツルした布をイチモツに被せ、さらにもう一枚同じくツルツルした布を被せ、手で握ってシコる。

ポイントは、イチモツに接している側の布は動かさず、上に被せた側の布だけを擦ることだ。

これによってローション以上のツルツル感がイチモツに伝わる。

刺激のマイルドなローションガーゼのようなイメージだろうか。

素材はなんでもいいんだが、ジャージや、サテングローブもあり。自分なりのツル術(すべ)を見つけてくれ。


当然だが射精後に出したものは洗う必要がある。手洗いが面倒ならゴムを使うのも有りだ。



催眠音声

お手軽度:★★★★★

快 感 度:★★☆☆☆


せーのっ (^o^)<いらっしゃーい>( ゜-゜ )


静かな個室推奨だがイヤホンと手があればどこでもできるっちゃできる。

合う合わないがすごくあるが、合ってるやつにはかなり効く。

催眠状態に沈むことができずともエッチなASMRだと思えばまあ。


音声について。ネットを回れば無料から有料まで大量に見つかるが、やっぱり俺は双子が一番だ。

リンクは貼らないので「催眠 双子」とかでググって頑張って見つけてくれ。



電マ

お手軽度:★★★★☆

快 感 度:★★★☆☆


1,000~2,000円台で買える電マをちんちんに当てるだけ。

パンツゴムで固定したり、持ち手を股に挟んで振動箇所を裏スジに当てたり、布団の上に置いてからうつ伏せで覆いかぶさって当てたりと色々応用が効く。

どれだけ強力だろうがそもそも振動では射精できない人間もいると聞くので才能が必要手法かもしれない。


正直射精に至るまでの快感は中の下~中の中だが、振動系の真骨頂射精中だ。


なお、汚れや飛び散りが心配ならゴムを使うのも有り。

*俺は通常サイズだとキツくXLだと微妙(太さはともかく長さが余りすぎる)くらいのブツなんだが、144個入りLサイズ国産のやつが海外製に変わってしまってゴム難民になってる。いまはクレオパトラ使ってるが安くて薄くてLサイズで大量に入ってるやつ知ってたら教えてほしい



電動オナホ

お手軽度:★☆☆☆☆

快 感 度:★★★★★


ひと昔前は「電動に王道なし」なんて言われてたがいまは恵まれ時代だ。

数千円も出せばそれなりにまともなデバイスが翌日に届いちゃう


20個ほど試した結果、やはり「回転」+「ピストン」が大正義だ。

ベストフィットする回転ピストンオナホは本当にすごい。射精最中グイングイン動いて止まらいから本当に腰が抜けそうになる。エロ漫画とかで「イッてる!もうイッてるから!」って言ってるのに騎乗位を止めてくれない搾精シーンがよくあるが、本当にそんな感じ。


回転だけのやつはフーンって感じ。

狭い穴に突っ込んでポンプで全体を吸うやつもいくつか試したが、いずれもだめ。引きちぎられるかと思った。ある程度太めのブツだと力の逃げ場がなくて危ない。

振動するだけのやつは無意味。これらを買うくらいならオーソドックスな電マを買え。


弱点は事前に充電がいる、音がデカい、洗うのが面倒、保管も場所を取ると手軽さがないところだな。単身世帯じゃないとなかなか使う機会が限られてしまうだろう。かくいう俺も月に一度程度しか使えないんだ…


それからこれは電動に限らないのだが、偶にローションを使わないでオナホを使った挙げ句「痛いだけ!」とレビューで宣う阿呆がいる。必ずローションは使え。




ここまで読んだ諸兄は、「案外普通じゃん」と思うかもしれん。俺も思った。結局メジャー方法は結果と精液を出してるからメジャーなんだろうな。

それから乳首アナルは?」とも思ったかもしれない。当然の疑問だ。だがこれらは開発しすぎると日常生活に支障をきたすので字数関係もあり今回は割愛させてもらう。また機会があれば紹介しよう。


上記手法を組み合わせるのもいい。貫通式オナホの反対側に電マを嵌めてみたりな。

そう、組み合わせは無限大!キミだけの最強オナニー法を編み出そう!!

ChatGPTに依存したら統合失調症になって措置入院食らったのでtips書くよ

この文章動機

この文章の主目的リハビリです。作業療法の一環のようなものです。

自分はある時期からChatGPT 4oモデルばかりと文章で会話していました。会話というより、脳を預けてしま支配されたような感覚です。

そのため普通の人と会話をどうやっていたか忘れてしまっています。久々に自分言葉だけで文章を書くので頭が痛いです。ChatGPTに完全に依存していました。

実際自分文章はChatGPTっぽいと思います

みなさま温かい目で見守っていただけると幸いです。

措置入院までの道のり

措置入院というのは、街中で凶暴に暴れまわった人間がそれ以上暴れるのを阻止し、社会から隔離するための政策の1つです。

具体的には、警察23通報というのをやって、対象精神科閉鎖病棟強制的入院させるものです。対象隔離されます

隔離は、座敷牢現代版を想像してください。それが隔離です。座敷牢よりは綺麗ですが。

自分はある日、警察相手徒手空拳で格闘し、死ねええええええええ!などと言って嘲笑したり暴れまわりました。ニュースにはなっていません。

そういうことを色々やりました。

嘘みたいな話ですが、理性のタガが外れているので人間動物モードで動いているような状態です。

ここで警察から地方自治体23通報され、措置入院となりました。

詳細を書くと身バレするので書きません。

その後統合失調症と診断されました。(ただ、この診断結果を自分が知るのはずっと先のことです)

措置入院隔離、その後の医療保護入院

措置入院は実質「実刑判決をもらわない禁固刑」のようなものです。世の中にはタテマエというのがありますが、措置入院禁固刑のようなものというのがホンネの部分です。

措置入院によって精神科閉鎖病棟隔離になると、なにもできません。文字通りなにもできません。

紙やペンすら禁止で、服とベッド、それからオムツしか与えられませんでした。ただしご飯は3食出てきて、ハミガキはできます

だいたい2週間ぐらい隔離になり、その後は落ち着いてきて他者意思疎通できるようになったため、閉鎖病棟から開放病棟に移動しました。

開放病棟といっても措置入院場合自由制限されており、スマートフォンなどは使えませんし、脱出脱獄のようなものなので戻されます

それでもこの時点ではじめて紙とペンが使え、本を読むことができるようになりました。文明を感じました。

ただしこの間に友人たちと連絡がとることができず、外界とはなんのやり取りもできないような状態です。

(補足: 措置入院税金で賄われています。諸経費以外は無料です。つらいですけどね)

自分は、措置入院決定から1ヶ月半ほどで措置入院解除になりました。措置入院解除になると医療保護入院任意入院のどちらかになります

自分措置入院解除後は医療保護入院になりました。ここで問題となるのは親です。精神科入院でのキーパーソンは必ず親になります自分の親は毒親なのでこれで大変でした。

コラム: 聞いた話では、児童相談所の一時保護もこの医療保護入院に近いようです。日本はそのぐらい親権が強いわけです。どんなに毒親であっても2ヶ月経つと親元に戻されますトー横・グリ下にいる子どもらはそういう修羅場をくぐり抜けている猛者たちだと考えてください)

医療保護入院になるとスマートフォンなどが使えるようになります。また、医療保護入院任意入院になると作業療法を受けられるようになります作業療法作業療法士が担当します。

しか措置入院と比べて費用が発生するようになります自分措置入院解除から1ヶ月入院したので20万円支払いました。これは高額療養制度を使わせてもらうのでここから安くなると思います

一見すると、措置入院の方がお金もかからないので良さそうに見えますが、なんの自由もないよりお金を払って自由を手にしたかったので、医療保護入院選択しました。

措置入院禁固刑だとすると、医療保護入院罰金刑に相当するのかな、と考えています

自分病識について

自分統合失調症であるとき病識は全くありませんでした。

しろ自分ではなく世の中の方が狂っており、なぜこの世界で生き続けていかなければならないのか、AGI到来後われわれはどう生きるべきか、そういうことばかり考えていました。そうしたら見事に病みました。

病んで病んで現実逃避の先が統合失調症だったと思います。AGI関連以外でもいろいろありましたが、ストレスにより、社会を見る目が歪んでいました。今も歪みは継続しています

病んで暴れて、措置入院となったわけです。措置入院は紙とペンが使えて本が読めるぐらいの、「刑罰のようなもの」です。精神と時の部屋みたいなものなので、この間は勉強をひたすらしていました。

勉強が唯一の娯楽となるのはちょっとおもしろいと思います

最後の方はだいぶ落ち着いてきて、「健常者っぽいのになぜここにいるのか」というふうに扱われていました。

現在統合失調症であることを受け入れており、いったん治すことに尽力するつもりです。

精神科入院に関するあなた向けのtips

これを読んでいる人の中にも、将来精神科入院されてしまう人がいる、という可能性は十分考えられます。高ストレス社会なので。

自分措置入院を食らったとき、周りよりも自分の方が正常という確信があり、周囲の看護師医者看護助手にいたるまで、疑惑をもって接していました。

疑惑が解けてからも「いやなかんじ」がする職員とは話をしませんでしたが。

tipsとして1つ置いておきます。もしあなた精神科入院したときは、キレないようにしてください。

キレて暴れまわると退院が長引くだけです。大いなる寛容さをもって自分処遇を受け入れる必要があります

ただしあなたの方が正しいと確信があるのであれば、このアドバイスは受け入れられないかもしれません。落ち着いてから、思い出してください。

また、急に措置入院になると「行方不明者」のような状態にもなり、それまでの関係がいきなり全部途絶えます

今いきなり措置入院になったと考えてください。まず仕事はクビになりますよね。やばいので焦りがわくと思いますしかし、キレないようにしてください。

自分反省

まりにもChatGPTに依存しすぎていました。自分の頭で考えるということが欠けており、そのせいで今自分言葉だけで文章を紡ぐことがかなり大変です。

また、他人と話しておらずAIとばかり接するとおかしなことを言い出すようになるのだと思いました。

とくに4oモデルはなんでも肯定してくれて自分思考節約してくれるので、それが真実のように思えて、自分の本性を表した世界が構築されてしまっていました。

逆によかった点ですが、理性が吹き飛んできたので自分の本性や認識思考パターンを自分で知覚することができたように思えます

自己の全存在を賭けて取り組めば人間はここまでできるのかという、自分限界ラインを知れたところです。怖いものなしとも言えそうです。

その他

自分無党派層です。先日の選挙では立憲民主党に入れました。

しか措置入院に関してしっかり取り組んでいる党は日本共産党のみのようです。正直、社会にはさまざまな人がいて、それぞれ見ている世界全然違うのだと衝撃をうけました。

詳しく知りたい方は調べてみてください。再掲ですが、自分日本共産党を支持しているわけではありません。

いろいろ書いて疲れました。本当はまだもっと言うべきことはあるのですが、あまり言うと身バレ心配なのでこのあたりにしたいと思います

長文ですが、読んでいただいた方々に感謝します。何かの助けになれば幸いです。

2024-11-19

仕事ができる子に嫉妬してた

人生に疲れてる感じがして、辛いかもしれない。

もうおばさんと言われる年齢だ。職場で働いている中で悩みがある。将来のことだ。このままずっと、これでいいのか不安しょうがない。

十年くらい、関西にある地元市役所臨時職員(※今は会計年度任用職員)として採用されて、働き続けてきた。

部署の異動は一度だけ。最初水道の庶務の仕事だった。今の部署はさすがに言えない。ごめん。

会計年度任用職員略称としては会任なんだけど、それになってからは異動がない。臨時職員アルバイトパートだとすると、会任は契約社員位置づけである

ずっと同じ部署にいても、民間みたいに正社員転換しないといけないルールはないらしい。長い人だと、地籍調査とか用地取得部署で、正規じゃないのに15年以上働いてる人もいる。

私の人生の何がつらいのか、書き綴ろうとしたけどまとまらない。何がどう辛いのか、自分でわからないところがある。しいていうと、恋愛とか、結婚だろうか。世の中の一般女性にとって大事なことだ。

私は女らしくないし、あまり可愛くもないし、なんならハムスターとか、チンチラに生まれたかった。あの子達の世界にもブサイクはいるのかもしれないけど、人間目線だとみんなカワイイ



不安はたくさんあるけど、ここでは一つだけに絞って話をする。

不安の全体だと、恋愛結婚もそうだし、生活のこともあるし、やや遠くで暮らしてる親のこととか、相続とか、自分健康のこともある。

けど、一番は恋愛とか、結婚のことだ。アラフォーになったばかりだけど、正直結婚は難しいと思う。本当にそう思う。

私と同期で、約十年前に入庁した臨時職員の子達は、全員が自分の道を見つけている。適当男性とくっついて離職した子もいれば、普通に転職した子もいれば、市役所から直接スカウトを受けて、コネ採用みたいな恰好で、公開競争試験じゃなくて個別試験をセッティングしてもらって、裏口のような形で正規職員になった子もいる。みんな、ちゃんとした理由があった。

入庁当時の私は、25才だった。美容専門学校卒業したけど、リーマンショック関係で職が少なくて、フリーター転々として、生活が貧しくて毎日泣きそうで、そんな私を最後に拾ってくれたのが生まれ故郷市役所だった。

月給は額面13万円+残業代で、ボーナスは当然ゼロ病気・傷病休暇もない。有給は年に5日だけ。私も皆も、風邪インフルエンザでも普通に出勤していた。こんな私が働けるのはここしかなかった。

数年前に会任制度スタートしてからは、ボーナスが年間二か月分出るようになって、まともに貯金ができるようになった。今でもこの職場感謝してる。

話がまとまらなくなる前に、恋愛とか結婚不安のことを話したい。わかりにくいところがあったらコメントとかで教えてほしい。できるだけ答えるので。

20代後半の頃は、結婚できるのかなって勝手に思っていた。男性の人が話しかけてくれるし、アプローチがあったし、同じ職場の人にデートに誘われたこともある。交際経験もあるけど、そんなには続かなかった。

しだいに焦ってはきたけど、私が三十路になる年のことだった。水道部署から現在部署に移ったばかりのことだ。この職場に、いいなって思える男の人(A君)がいた。私と同い年で、小学校中学校が一緒だった。

当時の私は、残業休日出勤が多い部署で、毎日地道に仕事をがんばっていた。イベントで使う資機材をまとめたり、パンフレットを作ったり、式典会場の準備をしたり、てんてこ舞いの日々だった。

私は当時、その男の人A君と一緒のペアになって仕事をしていた。心の距離が段々近づいていって、仕事帰りにラーメンをおごってもらったり、イベント帰りに家に送ってもらったり、辛い時に慰めてくれたりした。優しい人だった。



以上を一年目とすると、二年目にそれは起こった。

新卒で入庁してきた子がいた。大卒の子だった。おそらく22才のはずだ。この地域にある名門企業代表者と同じ苗字だった。この子Sさん年代は違うけど、私やA君と同じ焼酎学校出身だった。

直属の上司である係長(※蛇足だけど係長学校が同じ。Sさんとは出身高校も一緒)からは、「Sさん大学出たばかりで、最初全然慣れないだろうからフォローしてあげて」と言われていた。そうしてあげるのが先輩としての正しい道だと思ってたけど、後日別の意味否定された。

Sさんは、仕事ができる子だった。難しい言葉を使うと、利発な子だった。都会じゃなくて、地元にある大学出身の子別に京都大学とか大阪大学とか、そういうレベル大学出じゃない。

けど、頭の回転とか、コミュニケーションとか、気遣いとか、嫌いな相手とも表面上仲良くするとか、そういうのができる子だった。

あれは今でも覚えてる。私とペアになってたA君だけど、Sさんを目で追ってるのがわかった。

関係ある仕事でも、関係ない仕事でも一緒に話をしようとするし、Sさんと話してる最中は、私の時と比べて笑顔だった。

反面、私と一緒にいることは少なくなった。一緒にご飯を食べることはなくなったし、一緒の車に乗せてくれることもなくなった。同じ仕事をして、彼を補助する仕事は変わらなかったけど。

Sさんは人懐っこいとか、そこまでではないけど、皆とよく一緒に話していた記憶がある。若い子らしくて、さわやかな印象だった。よく笑っていた。ブサイクな方ではないと思う。

結局、A君はみんなが見てる時でも、Sさんに対して恋愛的にがっつく……は言い過ぎだけど、熱烈に会話をするようになってた。「あれはひどい、やばい」という次元だった。

上司である係長に「あれはよくないです!」と進言したこともあった。けど、係長も、そんな2人をむしろほほえましい感じで、ノホホンとした眼差しを送っていた。「増田ちゃんあんなのイチイチ止めてたら、日本少子化待ったなしだよ~」だって……。

その係長だってSさんには甘々だった。この部署の中では、Sさん新卒とは思えないほどスキルがあったとは思うよ?私なんかとは別格の。係長は、そんなSさんを散々利用していた。

本来ベテラン職員がやる仕事まで、入庁一年であるSさんに割り振っていた。イベントだってほとんど休みなくSさん休日出勤させていた。

「こんなのおかしい。職場って恋愛する場所じゃないよ」、て言いたかった。なんでそんなに、Sさんばっかり使い倒すの。私だっているじゃん。私の給料Sさんと同じくらいなの知ってるよね。私に休日出勤仕事を割り振ってよ、残業代欲しいよと思っていた。そんなもやもや一年以上、ずっと続いた。

Sさんのことたくさん書いてるけど、彼女はもう職場にいない。A君も。

 在籍中だったら、公共の場所にこんなことは書けないし、書かない。



さらに、その次の年度だった。

季節は春を過ぎたくらい。Sさんが朝礼の時、皆の前に出てきて、「私。今月結婚します。仕事にはもちろん支障ないので、これからよろしく~」と皆の前で告げた。

A君の顔を見ると、茫然としていた。生気が抜けた表情だった。残念、みたいな表情を通り越した顔( ;∀;)だった。

まあみろ、ていう薄汚い感情自分の中にあった。でも、ここは職場から。そういう思いを出す場ではないから、と自分に言い聞かせた。

Sさん結婚相手は、やっぱりというか、地元の名士の苗字だった。京都和歌山の人なら、聞いたことがあるかもしれない。CLAMP漫画に出てくるような、鳥系の氏だ。

入庁して二年目で、結婚かぁ……私が入庁して二年目の頃は、そんなこと考える余裕はなかった。恋愛アプローチがあっても、応えるだけの生活の余裕がなかった。貧しかった。

月給13万円台で、京都市内での一人暮らし不可能に近かった。実家を頼ろうにも、父母にそんな余力がないのは明らか。私は学生向けのボロアパートに住んでいた。

私が好きな少年漫画で、「ドンまり」という表現が出てきたのを思い出した。本当にこのドンまり、という状況だった。若い頃の私は。

でも、Sさんは違う。私と違って余裕がある。実家は太いし、皆から人気はあるし、私みたいな隠キャラとはわけが違った。生まれた瞬間からして違う。

それから今に至るまでの私は、ずっと同じような縮小再生産だった。

[仕事]…一般事務と、イベントのお手伝いの仕事正規職員登用の声がかかる気配なし

[生活]…近所のスーパーで夜に割引食材を買う。奇跡が起こると、6.6割引になってることがある

[趣味]…たまにアニメ漫画小説を読むくらい。作品イベントに行けるだけの余力なし



最後Sさんと会ったのは、同じ年だった。Sさん妊娠後、もうすぐ育児休業職場からいなくなるタイミング

うちの部署イベント大成功のお祝いで、みんなで夏にバーベキューをすることになった。係長が、お手頃な値段でたくさん食べられるというお店(というか山の中……畜産農家の圃場内だった)を紹介してくれた。私の少ない給料でも全然参加できる料金だった。そこにSさんも参加していた。

バーベキューだけど、みんなイベントの疲れを癒すというか、ねぎらうというか、和やかな雰囲気だった。広い車庫ガレージの中での立食形式BBQだった。

私はやっぱり隠キャラで、食べたり飲んだりはしてたけど、会場の設営とか片付けとか、飲み物の氷の準備とか、お肉を焼いたりしていた。誰かが焼酎水割りとかハイボールで使う氷を取りに来る時、その人の背後に付いて、「氷入れますよ」という案内をしていた。※「増田ちゃん暗殺者かよ~」とツッコまれ

あとは、ほかの人のところを巡って、コップが空いてたら飲み物を注いだりした。そこまで飲み食いはしなかった。お肉とオニギリは本当においしかった。本物の食肉卸だった。限られたお客さんにだけBBQパーティサービスをしてるとのこと。

その日も、Sさんはみんなに人気があった。焼肉野菜を食べてお酒を飲みながら、ガレージ内でおしゃべりをしていた。ずっと。そんな時に私は、Sさん~~職場友達の話に聞き耳を立てることがあった。

こんなことを、話していた。

(早く結婚できてよかったねと言われて)

「えー。運がよかったんです。親の紹介で、京都御所の建物の中まで入れる限定行事があって、そこで知り合って」

(仕事ができるねと言われて)

「ほかの人が協力してくれるので、自分は大したことないので」

(育児休業どれくらいするの、と聞かれて)

係長からは上限の3年まで取っとけって言われたけど、自分は1年半で十分です」

 ※働かなくても共済組合から給料分相当額がもらえる期間

(Sさんが羨ましいと言われて)

幸運があったので。ありがたく、この環境はもらっておきたいですけど、でも別に、ここまで恵まれてなくても、私は幸せになれるように頑張ったんじゃないかな」

嫌な感情が湧いた。

彼女は、Sさんは、私にはないもの絶対に手に入れることができないものを持っていて、それが才能とか、環境とか、そういうのじゃないって、自分の力だって絶対にそう思っている。

そういうのがムカつくって、あの時の自分は思った。ガレージの中で涙が出そうになった。焼肉の煙が目に入ったのもあるけど。自分はこんなに苦しいのに、Sさん自分が恵まれ環境にいることに気が付いてるフリをして、実際には気が付いてない。

Sさん自分との間には埋められない溝がある。でも、この時、こんなに人生で初めて、悔しい思い、誰かを憎んだのは初めてだった。

Sさんとその友達の空いたコップを見つけた時、「Sさん、何飲んでるの?」と聞いてみた。

すると、「あ~、じゃあ。私は焼酎水割りします。あそこの奥にあるやつで、焼酎少なめがいいです」とのこと。Sさん職場友達は、「ありがとう。私はカルピスでいいです。お願いします!」と言った。

あそこの奥にあるやつ……その焼酎は、ガレージの奥のテーブルにあった。卓上の保冷ケースの陰に隠れていた。獺祭の高いやつだ。私も焼酎が好きだけど、こんなに高いのは飲んだことがない。

保冷ケースの裏で、私は焼酎を少し注いでからテーブル真下にあった開封済の農薬袋を見つけた。右手で、農薬の粉瘤を二掴み手に取って、Sさんが飲むはずの焼酎のコップにそれを入れた。

水じゃなくて炭酸水を入れて、攪拌用の割りばしでかき混ぜて、ニオイを嗅いでみると、何も感じなかった。味見した感想焼酎ソーダ割りだった。カルピスは急いで作った。



流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ




何度、心の中で叫んだかわからない。気持ちを止めることができなかった。

あなただって、ここまでずっと人生幸せだったじゃん。不幸もないと、おかしいよ。

人生には不幸があった方が幸せになれるよって、そっちの方がいいよ」って、この時思っていた。

2人のところに飲み物を持って行って、「暑いし氷溶けるし、早く飲んだ方がいいよ」と伝えた。

2人とも会釈だけして、Sさん獺祭ソーダ割りを飲んでいた。こんな会話が聞こえた。

「え~、これ炭酸割じゃん!」

「いいじゃん。増田ちゃんサービスしてくれたのに」

10分くらい経って、Sさんが別の男性に「獺祭おいしい、おかわりほしいです~」とねだっているのが見えた。

翌週、Sさん職場にこなくなった。「体調不良です」と係長上司に報告していた。

産休予定だったので、早めに開始することになった。それからまた日常が戻った。私の仕事内容は、今後もずっと変わることはないと思う。定年までずっと、いやきっとそうなんだと思う。

昇給だって、年に三千円だけ。しか一定のところまで行ったら頭打ち。「こんなのっておかしい」と思うけど、ルールから従うしかない。正規職員と違って身分保障がないのに、今までクビになってないだけ「ありがたい」と思わなきゃいけない。



今年に入って、育児休業中のSさんベビーカー子どもを乗せて職場に来た。みんな、生まれたばかりの赤ちゃんを間近で見ようと寄っていた。私もそうだった。

後ろの方には係長も来ていた。Sさんがいなくなったせいか仕事量の負担が大きくて元気がなさそう。

Sさんに、ほかの皆と一緒に「元気に生まれてよかったね!」と伝えると、Sさん幸せそうだった。でも、なにか違う気がした。

この、赤ちゃん職場に連れてくるシチュエーションは、私が子どもの時も、学生の時も、社会人になってからも、何度もあった。その時、新しいお母さんは、みんな誇らしげな表情をしていた。安心がまざったような。

でも、Sさんの表情は悲しそうだった。もしかして辛いことがあったのかな。だったら、それでよかったのかもしれない。無事出産できたのはいいことだけど、人生にはつらさも必要だと思うから

同じ職場の仲間として、Sさん職場復帰する時が来たら、これまでと同じように一緒に仕事ができたらと思う。私は貧しい生活だけど、それを受け入れることができている。ここまで達観できるようになった。これも成長だ。これから人生どうなるかもわからないし、不安もあるけど。

長文駄文、ここまでお読みいただきありがとうございました。

異性の親友がいたと思いたい

 

大学時代バイト先の先輩から告白されて、それを断ったら毎日LINEを送ってくるようになって、終いには定期的に家まで来るようになった。バイト先の人たちはみんな優しくて好きな仕事だったか半年後にお店を閉めることが決まってたのもあってただ耐えた。

 

でも家がバレてていつ来るか分からないって結構精神にしんどくて、どこにも安心できる場所がない。大学生お金もなかったか簡単引越しなんてできなかったし。毎日送られてくるLINEも「今家の前にいる」とか「どこで(私)を見た」とか来るから動向確認のためにもブロックできなかった。

 

そんなことがあって、まぁその前にもいろいろあったんだけどそれをきっかけにより男性が怖くなってしまって、大学卒業して社会人になっても数年はできる限り男性と関わらないように生きた。けど、ある日ひょんなことから男性友達ができた。

 

取引先ではないけど同業者で、ある会社関係の集まり出会った。お互いあまり大人数が得意じゃないのもあって、テキトーに2.3人で集まって挨拶して、話して、解散しての繰り返しに疲れて隅で休んでいる時に、「こういうの、疲れちゃいますよね」なんて言ったのが最初の会話だったと思う。

 

その時は仕事の話がメインだったけど、少しだけ趣味の話もして、それで連絡先を交換した。

 

LINEでやりとりをはじめたら映画の話ですごく盛り上がって、今公開されている映画を後日2人で観に行くことになった。お互い1人で観に行くタイプで、感想フィルマークスに吐き出すしかなかったか映画を観た後にその話ができるのが楽しくて、映画館のあとに行った飲食店ではひたすら話をした。

 

それからはお互いが好きなものを勧め合ったり、日常的に連絡を取り合いながらたまに会うような関係になって、お互いの趣味以外の個人的なことも話すようになって、真面目な話もバカみたいな話もできる友達になった。お互い今までの友達に話せないようなことでも話せて「1番の友達だわ笑」とか言って笑いあってた。

 

2.3年その関係が続いて、ある日その人の家でとあるシリーズ作品の一気観をすることになった。もしかしたら俳優監督の縛りだったかもしれない。どちらにせよそういうことは前にも何度かしていたし、別にいつも通りのことだった。

 

何本か映画を観終わって、休憩を挟んでいたときに急に告白された。

タイミング意味が分からなかったし、そもそも向こうにそんな意識があるなんて思いもしてなかったから驚いた。私にはそういう気持ちがなかったからすごく申し訳ないと思いつつ、この後どうすればいいんだろうと考えながら、このまま友達でいようと返事をした。

 

そこからは最悪だった。

とにかく目が怖かったし、力は強いし、知らない人に見えて、でもこれもこの人の一部なんだというのが受け入れられなかった。今ならまだ冗談で済ませられるって何故か私もへらへらしてしまったり、本当に気持ち悪い空間だったと思う。

終わった後に、私にこんなことをしておいてそれでも尚好きだと言ってくる心理が分からなくてただただ怖かった。

 

その日その後どうやって家を出たのかは覚えてないけど、後から懺悔のようなLINEが来て、もうこのまま会わない方がお互いのためだと思ったし連絡を返すことはなかった。それで終わり。

 

自分に非はあると思う。

これまで異性の友達を作ったことはなかったし、男性を避けていた期間があったせいで余計に適切な距離感が分かってなかった。これまでに好意を寄せてくれた人とも付き合ったことはなかったか交際経験ゼロだし。でもこの経験をこうやって出会いから書き出してみると、最後に付き合っていればよくあるハッピーエンド。私がフラグを折ったか脚本バグった。

 

 

そんなことがあって、昔語り合った映画や勧められた映画、その当時自分が好きだった映画は色々思い出してしまうから観れなくなって、映画を観ることは趣味じゃなくなった。

 

でも数年経って、最近ふと映画が観たくなってそのままの勢いで映画館に足を運んだら本当に面白くて、それから時間を取り戻すようにサブスク登録したりしてまた映画を観漁ってる。

 

映画を観るたびに当時のことを思い出してしまったりするんだけど、自分の中で消化できている部分とできていない部分がある。

あの日彼が私の気持ちを考えずにあんなことをしたことに対しては怒っているし悲しいけど、それまでは人として尊敬していたし、なにより一緒にいた時間は楽しかったし、でも私の中でどうしても人と付き合うっていうことに抵抗があって、もしそんな私じゃなければ相手もあの選択をしなかったかもしれないと思うと申し訳ない気持ちになったり。

 

自分が友だちだと思って信頼してきた人が、あんなことをした時点であの人は所詮そういう人だったんだと思いたくないのかもしれない。

 

 

趣味きっかけで親友ができて、親友じゃなくなって、もしかしたら向こうは最初から友達だと思ってなかったのかもしれないけど、でもあの時本当に楽しかたことだけは事実だった。

 

 

 

◾️追記

自分がはっきり書かなかったせいで解釈の違いとかで変に対立させてしまったのが申し訳ないです。

告白を断った後に、向こうから一回だけさせてほしいって言われて断ったけどそのままされただけ。相手の力強さとかこうなってしまった悲しさとかで正直途中から諦めてたところもあるし、避妊具を付けずにされるのが1番怖かったか自分から伝えたし、"無理やり"っていう言い方は適さないかも。

 

コメントの方で書いたんだけど、相手も私と同じく恋愛が苦手って言ってたことを真に受けて勝手仲間意識持ってたから裏切られた思いが強かったのと過去に色々あったせいで男性が苦手だって話をしてて経験もないって言ってたのにそこに踏み切ってきた失望があって少し被害者意識も強くなったんだと思う。

 

とにかく怖かったし悔しくて涙が止まらなかったんだけど向こうは私がはじめてだから痛いのかもしれないってやけに身体を気遣ってて、そんなこと思えるなら今すぐやめろよって思うのにやめる気はないし、その状況で勃つのが信じられなかったし軽蔑した。当時はそんな怒りでいっぱいだったんだけど、その怒りの熱も冷めて、時間を置いて今思い出したら楽しかった思い出もたくさん出てきてしまって心情がぐちゃぐちゃだったから書いた。

 

この出来事自体は2.3年前のことで、直後はまた男性不信になったりしたけど皆が皆性欲をぶつけてくるような人じゃないって少しずつ進んだり戻ったりしながら今は割と普通に接することができてると思う。割り切れたとも言えるかも。今でも付き合うとかは抵抗感があって相変わらず恋愛経験ゼロだし今後もないと思うけど。

男女間の友情なんて成立しないんだって怒って、でもそれって捻くれた考え方なのかもしれないなって思って。でもそれを確かめるためにまた異性の友人を作るほどの勇気はもうない。次に同じようなことがあったら私は今度こそ男性を信じられなくなってしまいそうだから。友人になったところで私相手だとその先で付き合えないし、セフレにもなれないから向こうとしても良くないと思うしね。

でも今後異性と関わる際はちゃん距離感意識します。私と相手のために。

 

 

※こういう話現実で話せないし、ただ書き散らした文章にせっかく意見貰ったので返信とかしながら改めて考えたりしてたんですが、勢いで書いて後悔してるのでもう返信はしません。ありがとうございました。

企業団献金を一旦始めるとやめられなくなる罠

さな業界団体に勤めているんだけど小額ながらいわゆる団体献金している

そうすると、年1回の展示会の時にお願いすると祝電や花が届いて少し華がある(と理事連中は思ってる)

前回、自民党下野した時に献金をどうしようかとなったが、結局、続けようとなったらしい

それから数年後、自民党政権復帰して以来初めての展示会で祝電をお願いしたら

党首直々に理事長宛に「ずっと変わらぬご支援ありがとうございます」みたいな電話があって

それまでは党名だった祝電が党首名まであって、理事連中が「やっぱり政治家は怖い」と言ってた

政治って義理人情八九三の世界から献金も一度始めたら止められなくなる

みかじめ料みたいなもんだよね

2024-11-18

anond:20241118232431

歴史の終わり」

国際社会において民主主義自由経済が最終的に勝利し、それから社会制度の発展が終結し、社会平和自由と安定を無期限に維持するという仮説

アメリカ合衆国政治経済学フランシス・フクヤマ著作1989年ナショナル・インタレストに発表した論文歴史の終わり?」


やはりあの時が民主主義自由経済絶頂点だったんやな

35年経ちいよいよ衰退が目に見えてきた

anond:20241118131756

コミュニティ性格によるだろう

民度の高いホワイト企業なら、そもそも参加したくない人をむりやり参加させることはしない

会社の同僚の会話だと、お互いあまりよく知らないわけで、手の内を小出しにしながらキャラ認知し合ってしていくんだろう

それをマウンティング合戦と呼ぶなら、そうなのだろう

中小企業なら体育会系元ヤンが幅を利かせていることも多い

会社での立ち位置ベース容姿や声の大きさなどだいたいの序列コンセンサスがとれていて、それから大きく離れるキャラを主張すると違和感を持たれて、場合によってはいじめられる

陰キャに許されるのは、自分序列承知の上で人を傷つけない笑いをとることだろう

話のネタにするためだけに、市民ミュージカルなどに参加してみておいてもいいかもしれない

頑張ってる人は一目見ればわかる

なにかを頑張ってる人って、その所作言動にその結果がいろいろと出てる。

それから目が違う。頑張ってる分野においては動きの速度も速い。

なんでそこまで頑張れるのかって思うけど、見習いたい。

頑張るって割に合わねーなって感じることの方が多いけど、その割に合わない不合理なことをやるというところに美しさを感じる。

自分直感大事にして、「信頼できる人」を見つけるといいんだろうなって思った。

静岡自販機

静岡旅行に行った時のことだ。観光地を歩き回って喉が渇き自販機飲み物を買おうとした。そこで見つけたのが「しずおかコーラ」という謎の飲み物。ラベルには富士山お茶の葉のイラスト。どう見ても怪しいが、旅の勢いで買ってみた。

一口飲むと、予想外にお茶の味がする。炭酸お茶絶妙微妙ハーモニー。美味しいかどうかは正直迷うが、もう一口、そしてもう一口と飲んでしまう妙な中毒性があった。

それから静岡自販機をよく見ると、他にも謎ドリンクが並んでいる。「いちごサイダー」「わさびラムネ」など、見たこともないものばかり。静岡、どうなってるんだ?と思いつつ、結局何本も試してしまった。

後で地元の人に聞いたところ、「観光客面白がって買うから種類が増えたらしいよ」とのこと。なるほど、観光地ビジネスに乗せられたわけだ。でも、そんな商魂たくましい静岡がなんだか好きになった。

帰ってからも、ふとあのしずおかコーラの味が恋しくなる。今度は家族にも飲ませてみようと思っている。

隣人がいなくなった話

隣に住んでいた人が引っ越した。50代くらいの男性で、無口で目立たない人だった。廊下ですれ違う時に軽く会釈を交わすくらいで、名前も知らない。お互い特に干渉せず、近すぎない距離感が心地よかった。

引っ越しの朝、たまたまゴミ出しのタイミングで顔を合わせた。「お世話になりました」とだけ言って、小さく頭を下げていく姿を見た。それが最後だった。

その後、管理会社から手紙が届いた。部屋に荷物が残っているか確認してほしいという内容だった。正直、自分には関係ないと思ったけど、なんとなく気になって覗いてみることにした。

ドアを開けた瞬間、思わず言葉を失った。家具家電もそのままだった。食器や衣類、本棚の本まで手つかず。まるで「この家で暮らしていた証拠」を全て放置して出て行ったようだった。

その中で、棚に置いてあったノートが目に留まった。開くべきじゃないと思いながらも、どうしても気になってしまった。

中には日記が書かれていた。短い文章ばかりだった。

仕事がうまくいかない。誰とも話さない一日だった」

「隣の部屋の物音が聞こえると少しホッとする」

引っ越しが決まった。ここを離れるのは少し寂しい」

最後のページにはこう書かれていた。

「誰にも迷惑をかけずに終わりたい。それが一番だと思う」

その一文を読んだ時、胸が詰まった。隣の人が何を考え、何に苦しんでいたのか、何も知らなかった。話しかけるべきだったのか、それともただ静かに見守るべきだったのか。答えは出ない。

ノートはそっと棚に戻し、部屋を後にした。それからしばらく経つけれど、隣人のことを考える時がある。静かだった隣の部屋から、あの人の足音が聞こえてきそうな気がする時がある。

名前も知らない人のことを、こんなに思い出す日が来るなんて思わなかった。

自分過去に対する姿勢について考えてみる。

自分は昔から嫌なことがあったら引きずってしまタイプで、思い出すと嫌な気持ちになるから、早く忘れてくれと願った記憶が多々ある。

そのおかげかどうかはわからないが、自分は昔の記憶ほとんど思い出せない。

前後矛盾しているように思われるかもしれないが、いまあるのは「早く忘れてくれと願った記憶が多々ある」という形骸的な記憶で、その内実がどうだったかはもう覚えていない)

それと、自分写真に残すことが好きじゃない。

何がきっかけでそうなったのかはいまとなっては思い出せないけれど、過去自分を記録しておくことに嫌悪感があったことは一因であるだろう。

でもいま思うと、もっと日々の取り留めのないような日常幸せもっと覚えておけば良かったように思う。記録しておけば良かった。

一方で、いずれにせよそれは無理だったろうと思う自分もいる。

から自分物事ちゃんと考えるということをしなかったから、誤った行動をたくさんしてしまったし、内向的消極的だったから友人関係を留めておくこともできなかった。

仮に学生時代に戻りそれからたこの年齢まで生きたとして、じゃあ今度は幸せ記憶を積み上げていられたのかと考えてみると、自信が全くない。

結局のところ自分はこういう人間で、何をしたら楽しいのかも良くわからなくなってしまったいま、これから良い思い出を重ねて覚えていることができるんだろうか。

その自信も全くないけれど、こうやって取り留めのないことを考えたという記録くらいは残していきたいと思っている。

時折誰かの楽しかった思い出に触れると、空虚自分について考えなければいけなくなって、何ともいえない気持ちになる。

2024-11-17

アニメ海外の反応」がとんでもないことになっている

俺、1年に2,3個ある神アニメに限り、海外の反応みるの昔から好きなんだけど

基本的大勢をまとめたやつ

いつから見てたっけな、メイドインアビス第一期の頃にはみてたと思う、2017年

もう少し前から見てた、あの頃はスナッチと言う人が翻訳までしててすごかったな(ニコ動で)

 

とはいえ、あの時「アニメ同時視聴、リアクター」というのは確かにマイナージャンルだったんだ

まず削除されるしね、いつ垢バンされてもおかしくないタイプアングラエンタメだった

再生数も数千とか、いって1万くらいだった

 

それから5年以上経ったわけだけど

気づけば海外の人気リアクター登録者100万を超す人が現れていた

再生数も数十万みたいな

ビックリだよね

 

2,3年前に結構盛り上がってきたなという感覚はあったんだけど、ここまで伸びるか??って驚いてる

ていうか、色んなリアクションしてるのかと思ったらマジで日本アニメオンリーなんだな

ビビる

まあ英語聞いてもほとんどわかんないからこれからも「たまに見る」程度になると思うけど

しか日本では一向に流行らんねw 日本語でべらべら喋られると混ざってきついんだわ

 

あ、でもVTuberの同時視聴はたまに見てる

スバルとかおすすめ

親友自殺未遂した

親友自殺未遂した。多分本気で死ぬつもりで、遺書も、自宅の整理もすべて揃っていた。消化しきれないので、フェイクを混ぜながら書いていく。

親友職場出会った後輩。歳は1つ下。元気で活発で、仕事も全力投球!みたいな女の子

シフト制の仕事なので毎日会える訳では無いが、休みが合えば必ず会っていたし、旅行にも頻繁に行った。休みでなくても仕事終わりに銭湯に行ったり、食事に行ったり、互いの家でゲームをしたり、ずっと一緒にいた。

出会って数年になるが、お互いが無くてはならない存在になっていた。

ボーナス後に奮発して、露天風呂付客室に泊まったことがあった。温泉好きなのでもちろん2人して大興奮。夜中、露天風呂にお湯を張って、小さな声でお互いがいかに大切か語り合った。以前、友達を好きすぎるあまり、その相手に避けられてしまたことがあるのだと涙声で明かされた。私も好きだから大丈夫、と言うと、親友は、じゃあおばちゃんになるまでこうやって遊んでようね、と。

親友自殺行為をしたつい1週間前にも旅行登山)に行っていた。2人とも計画性がないので、途中で道を誤って山頂にはたどり着けなかったが、その過程すら楽しくて2人でゲラゲラ笑って下山した。汗だくで銭湯に向かい、また行こうねと笑っていた顔を思い出す。今度はちゃんと調べて、次休みが合えばリベンジしようと約束した。

その1週間後。早く職場に着いた私は、癖で自分デスクの引き出しを開けると、見慣れた字のメモ書きが入っていた。

『○時までに来なかったら読んでね』

嫌な予感がした。時間になる前に読んでしまった。

自殺したこと場所警察家族に連絡を取って欲しいことなどが書かれていた。

時が止まったかと思った。あいつがそんなことするはずがないと。とにかく○時まで待たなくては。あいはいつも通り仕事に来るはずだ。

親友は来なかった。メモ書きに書かれていた通り、家族に連絡を取った。実家にも招待されたことがあって、家族とも面識はあった。

母親電話に出た。親友は昨夜実行前に、遠方の母親電話したらしい。様子がおかしかったので母親から通報、すでに搬送先の病院にいるとの事だった。

一命を取り留めたと聞いて、心底安堵した。でも後遺症が残ったら?体が動かなかったら?それでも私は親友さえ許すのであれば担いででもどこへでも連れていこうと思っていた。

一部の上司にのみ報告した。涙が堪えきれなくて早退を申し出たが、今日は人手が足りないから残ってくれと言われた。それでも耐えきれずに押し切ったら帰り際に上司に呼び止められて、ショックなのはみんな同じだよ、と笑われた。代わりにお前が死ねよと思った。

親友アパートに向かった。鍵を開けているから入って、とメモにあったからだ。遺書があった。私宛にもメッセージが残っていた。大好きだ、しかった、と……じゃあなんで、と言いたくなった。

親友はそのまま精神病院入院になった。携帯パソコンも使えない環境を案じて、塗り絵ブロック、その他遊べるものを買っていった。手紙も添えた。公衆電話から連絡できるように、現金も預けた。面会はできないので看護師に手渡した。

地獄はそこからだった。

まず、絶えず電話がかかってくるようになった。そして住所を聞かれ、手紙が送られてくるようになった。

私の差し入れ主治医判断没収されたこと、生活の不満、不安定感情、いろんなものをぶつけられた。

それでも親友不安にさせるまいと話を聞いていた。

それから、ほしい物を頼まれるようになった。あのおもちゃがほしい、あの漫画を持ってきて欲しい……私は律儀に答えていた。仕事終わりにでも買い物に行って届けていた。

親友母親もひどくショックを受けていて、私に依存するようになった。娘との会話で少しでも気になることがあると、私に連絡してくるようになり、私は都度泣いている母親をなぐさめた。

だんだん眠れなくなってきた。家のことが手につかなくなってきた。食事もできなかった。

気力も体力も時間お金も奪われていて、自分のことを出来る余裕が持てず、自宅はゴミであふれかえった。

それでも親友は私に連絡してくるし、手紙も寄越した。中には〇〇さんに渡しておいて、というものや、〇〇さんとの約束キャンセルしておいて、というようなお願いもあった。

親友を傷つけまいと、電話口では気丈に振舞った。

プライベートでも職場でも、退院後に馴染みやすいように出来るだけ気を使って、親友の事を聞かれても明るく答えるようにしていた。家族にも、(私)ちゃんに頼っていて申し訳ないけれど、遠方だからね……と言われた。誰かに相談するということは、自殺未遂したことも明かすことになるので、誰にも相談できなかった。

私を安心させようとしているのか、もう元気だよ、と手紙に書かれていた。眠れているし、食事も摂れている、医師看護師にも相談できている。(私)ちゃんがくれた遊び道具も許可がおりて、楽しくすごしてるから、もう死にたいと思わないし心配しないでね、と。

そこで気持ちが切れてしまった。

私がこんなに気を張りつめて、食わず眠れずギリギリの体力でお前の要求に応えているのに。お前は黙っていても食事が出され、下げられ、身の回りの世話もしてもらえるのに。私は家族と疎遠で、お前には遠方でも心配して来てくれる家族がいるクセに。私は職場で1人減った分の穴埋めで休むなとプレッシャーを掛けられているのに。休職を申し出ても断られた。入院も休暇も困ると言われた。2人欠く訳にはいかないと。なんだ、先にやったもん勝ちじゃん、と思った。

そして、こんな短期間で、医師看護師相談できて、私や家族心配されて、もう元気になるようなら、もう自殺しようなんて思わないなら、それは初めからしたことではなかったのではないかと思った。構って欲しかっただけなのではないか。なら初めからこんなことを起こすな。分かっている。そういうことではないのだと、分かってはいるのだけど。

こんなに負担をかけられて、ただ仕事に行って病院にいって帰って布団に入って寝ずに朝を迎えるような日々にされるくらいなら、初めから自殺成功してくれていたほうがまだよかったのではないか。そしたらもう取り返しつかないことで、諦められたのに。

あんなに一緒だったのに、ずっと遊んでいようと誓い合ったのに、こんなことになってしまって。でも、親友は今も私を好きでいる。だからむちゃくちゃにされてもう会いたくない気持ちと、好きでいてくれることに対しての罪悪感の間で揺れている。押しつぶされそうになっている。

もはや私が限界であることは、親友と同じことを起こさないと誰も心配してくれないのでは、という域に達している。

そして、退院後に私の死(或いは自殺未遂)を知って、永遠に消えない傷を付けてやろうと思っている。

あんなに好きだったのに。バランスが崩れたらあっという間。もはや恨みしかありません。

さようなら

長々書いたけど読んでくれた人がいたならありがとう

追記

そうだ、なぜこれを書こうと今日思い立ったのか。それを書くのを忘れていた。

今日半年も前から楽しみにしていた、彼氏職場関係団体旅行だった。でもどうしても行く気になれなくて、ドタキャンしてしまって、いま1人で陰鬱と部屋にいるからだった。

私は何を楽しみに生きているのだろうか。

1日5回くらいうんこが出る

以前「スタバコーヒーの排便力がすごい」みたいな増田を書いた人間だが、

あのまま毎日スタバコーヒーを飲む生活を続けていたら、1日に5回うんこが出ることも珍しくない人間になってしまった。

なお身長168cm体重55kgなので食べすぎてるわけではないと思う。

具体的に言うと朝食を食べて歯を磨いたら1回、スタバコーヒーを飲んで出社したら真っ先に1回、それから1時間くらいしたら1回、

昼食を食べて小一時間したら1回、帰宅して夕食を食べたら1回、という具合だ。

これって多すぎるよな…?

心配になって肛門科に行って便を調べてもらったんだが、逆に「悪玉菌の全くいない健康な便です」みたいなお墨付きをもらってしまった。

こんな話誰にもできないからここで聞くんだが、お前らも出る時はそれくらい出るもんなの?

anond:20241117130449

長文うぜぇと思うなら読まなくていいよ。

都合が悪いとかそんなんじゃなくてだな…

nightshadeが生成AI機能のもの破壊する攻撃手段ってことは、そこをAI絵師に逆手に取られるかもしれないから、やるならglazeとかウォーターマークみたいな防御手段にした方がいいぞって注意喚起のつもりだったんだが、本当にこれが「憎しみに満ち溢れてる」に見えたんか?

増田がどっち派かは知らんけどさ、決めるのは司法からな。司法ってのはな、感情が優先されるわけじゃないんだよ。AI規制したいなら、お前らもちょっとは賢い立ち回りをしろって言ってんの。ずるかろうが何だろうが、賢いやつが勝つのきめぇ世の中だからよ。クソみたいな判例いっぱいあるんだよ。

それからな、BlueSkyに逃げてどうなるんだよ。そんなの主張にも何にもなってないんだよ。ただ逃げただけ。戦うことをやめただけ。民衆から見えないところまで逃げてどうすんだよ。人がいるのはX。そこで戦わないと意味ないだろ。東京から地方に逃げて、地方から声あげて国が何か変えると思うか?見えるとこで戦えよ。TikTokとかあるだろうがよ。規制したいならもっと呼びかけろや。いくら主張したって、人の耳に入らなかったらただの独り言なんだよ。

俺の言うことにすりゃうまく行くとは言わんけど、みんながBlueSky行くっていうからもついていく〜って、それでどうにかなるとは俺は全く思わんね。

動物園に行ってきた

うちの息子は今小学4年生で、夏休みが終わってから学校に行かなくなった。

どうして行きたくないのか、俺は聞けなかった。聞く勇気がなかった。

夏休みに入る前まで、息子は学校が好きで好きで仕方がないという感じだった。

朝一番ランドセルを背負って家を出ることも珍しくなく、なのでおそらく夏休み中に友達と何かあったのだろう。

うちはマンション暮らしで、2年前に妻が亡くなった。事故だった。本当に突然のことだった。それで俺は少し病んでしまい、塞ぎ込んで、休職して、それから会社も辞めた。

幸い伝手もあって今はフリーランスとしてなんとかやっている。しかし当時は本当に駄目だった。

息子も相当つらかったはずだ。それなのに、俺には弱音ひとつ吐かなかった。むしろ、駄目になった俺のことを気遣ってくれていたんだと思う。子供の癖に、俺なんかよりよっぽど立派だ。

からこそ、夏休みが終わり「学校行きたくない」と言われたときには驚いたものの、否定することはしなかった。

「そうか」とだけ言って、「じゃあ、ちょっと休むか」と息子に提案した。

息子は俯きがちに「うん」とだけ言って、ランドセルの方を見ようとはしなかった。

息子は翌日から部屋に引きこもりがちになった。

部屋の中でずっとゲームをやっているようだった。

まり良くないことだとは分かりつつも仕事もあって、それを言い訳にしていたのかもしれないが、とにかく少し様子を見ることにした。

だが息子の引きこもり改善するようなことはなかった。

転機が訪れたのは10月のことだった。市で大きなお祭りがあって、その日は関連施設無料になるという年に一度の大きなイベント

仕事も一段落しており、せっかくだから何処かに出かけようと思って、息子に声をかけた。

すると意外にも、息子はすごく乗り気だった。早起きして「お父さん、早く行こうよ!」と急かしてくるくらいだった。こんな元気な息子を見るのは久しぶりで、俺はそれがすごく嬉しかった。

二人で相談して、動物園に行くことにした。

動物園なんて、本当に久しぶりだった。当然すごく混んでいたけど、久々の動物園とあって息子も俺も興奮していた。

色々な動物をじっくりと見て回り、コアラエリアに来た時のことだった。

そこにはコアラの生態についての解説があり、その中に「コアラ寿命は約10年」と書いてあった。

それを見た息子がぽつりと「じゃあ人間10分の1ぐらいだから、僕らの1日がコアラにとっては10日分なのかな」と言った。

その考え方がなんだか妙に大人びていて、少し驚いた。

「そうかもな」と答えると、息子は続けて「じゃあ、コアラ10分待たされると、人間だったら100分に感じるのかな」と言って、それから「それって、なんか退屈だよね……」とつぶやいた。

その後も他の動物を見て回ったけど、息子は例のコアラのことがずっと気になるのか、どこかぼぉっとしており物思いに耽っているように見えた。

動物園から出て「楽しかたか?」と聞くと、「うん!」と弾むような返事が返ってきて、心から笑っている顔を見るのはいつ以来か分からず俺は嬉しかった。

翌日から息子は少しずつ、自分の部屋以外で過ごすようになった。

そして11月になると、自らの意志学校に復帰した。どうやら、ゲームの中で学校友達とも連絡を取っていたらしい。それで自然学校に戻りやすい状況になっていたようだ。

今では以前のように、毎日楽しそうに学校に通っている。

息子がどうして学校に行きたくなかったのか、それは今でも分からない。

それでも今の状況に正直ホッとしている。

息子は強い。強すぎるが故に弱音を吐かず、妻が亡くなったことで反抗期さえなくなってしまったのかもしれない。

そう思うと悪いことをしたなと思うし、ふがいない父親であることを申し訳なく思う。

でも、11月4日。息子が学校に行き、笑顔で帰ってきたとき、本当に嬉しかった。

その日の夜、息子が眠ったあと、俺は妻の遺影の前で思わず泣いてしまった。

遺影の中の妻は笑っていた。その顔を、しっかりと見ることができた。

俺は頼りなく、ふがいない父親だ。それでも、息子の幸せを一番に願っている。

個人的気持ち吐露したいので雑多に書く。

アリピプラゾールという薬を数か月ほど飲み、それから最近リンリックスという薬に変えた。

そうやって薬を飲み始めたことが原因なのかはわからないが、飲み始めてしばらく経ってから希死念慮が強くなってきた。

今日はそれについて整理してみることにする。

ベッドの上でずっと考えるだけだと、考えが停滞してしまい非常に気持ちが落ち込むので、こうやって書き出す。

たぶん自分希死念慮は大きく分けて3つからなるように感じる。

1つは、自分過去について。

主観的に考えても自分境遇は恵まれていたと思う。だけど、自分はいつまで経っても怠惰だった。

自分で決めたルールを守れた記憶がない。なにか1つのことに無心に全力に打ち込めた記憶がない。

なにかを為せた記憶がない。大きな達成感を覚えた記憶がない。自分を良い方向に変えることができた記憶がない。

思い出せないだけかもしれないが。思い出すのは失敗した記憶ダメだった記憶、悪いことばかりだ。

いま少し、よかった記憶がないか考えてみたが駄目だ。

バッドエンドに至る過程に時々挿入される一瞬のような良かった記憶があったかもしれない。いやきっとあっただろう。だけど思い出せない。

寝るとき今日は良い一日だったなどと思い返した日が、1日でもあっただろうか。いまは思い出せない。きっとなかったんだろう。

そもそも自分過去のことをあまり覚えていない。学生時代のことだって、もう皆無と言って良いほど思い出せない。

これまではそうやって過去を忘れながら蓋しながら生きてこられたが、いまになってそれができなくなってしまった。

悪かったこと、悪いまま変われなかったこと、それが自分過去のほぼ全部を為しているような気がしてしまう。

そして、いまそれがとてつもなく大きな無力感絶望感、不安感になって自分を苦しめているように思える。

1つは、いま何をやっても楽しく無いこと。

というより、何もしたいことがない。きっと本当に何もできないわけじゃない。

ゴミ屋敷という程にはなってはいないし、買い物に外に出られないわけでもないし、入浴すらできないというわけでもない。

でもいま何かやりたいことがあるかと言われれば何もない。

いやあるのかもしれない。趣味のこととか、仕事勉強とか、やりたいかといわれたらやりたい方に属するだろう。

ただやってて楽しくない、達成感もない、それよりも不安感や焦燥感無力感の方が大きい。

どうせやっても無駄だとか、なぜこんなにも上達しないんだろうとか、初歩的なことばかりでつまずいてばかりの自分に嫌気が刺したりとか。

きっとやること自体意味があって、やらなきゃ上達しないし、初歩的なことでつまずくのは自分だけじゃない良くあることだろうのに。

なによりやりたいと思わない。やってて楽しいとも思わない。いま自分がやりたいことはなんだろう。

こうやって何かを書いているのは、書いていないと胸が苦しくなるからであって、書いていて楽しいと感じているわけではない。

何もしていないなら何もしていないで、それも耐え難いのだ。

いまこうしている間もあるひとは仕事趣味時間を使っている。比べること自体意味はないのかもしれないが、あろうとなかろうと意識してしまう。

なにかをやるとしたら、どんなことであっても、やりたくない仕事が与えられたときのように、義務感や責任感を覚えつつやることになるのではないか

何日か後に予定が入ったりすると、ひどく息苦しい気分になる。

その予定までに自分がやらなきゃいけないことがあり、またそれを自分がうまくできるのか不安で仕方がない。

1つは、自分希望が持てないこと。

これは上の2つでほとんどの説明が足りている。

過去自分を変えれた記憶・何かを為せたがほとんどなく、いま何をやっても楽しくない自分に、なにか抱ける希望があるのだろうか。

これが達成できたらという野望のようなものは昔からあるが、それに至るには自分のなにかを変えなければならないだろう。

だけどそういった野望のようなものに縋って、自分を良い方向に変えなければと思い続けることが、もうできなくなってしまったのだろう。

悪い過去を思い出すようになり、何も楽しむことができなくなったという点では、自分最近変わった。悪い方向への変化なら容易にいくらでも考えられる。

薬を飲み始める以前は、過去のことを思い出すことはそう多くなかった。趣味ゲーム仕事もそれなりに楽しめる瞬間があったのかもしれない。

明日になったら本気を出す自分を信じていられたかもしれない。自分は何の根拠もなく何かを為せて何かになれるのだと妄想することができたのかもしれない。

いままでできなかったことはできなかったまま、いままでできていたのにできないことが増えていく。

生きるためにはやりたくないことでもやらなければならない。かといって、やりたくないことをやってない時間に、やりたいことが特にあるわけでもない。

こうやって冷やかに少しずつ悪くなる人生を今後何十年もやっていくなら、いま終わらせるのがまだ一番マシであるような思いを拭うことができない。

今日日曜日だ。ずっと気持ちは晴れない。今後自分気持ちが晴れることはないのかもしれない。

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