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2018-01-19

彼氏いたことないけど出会い系処女は捨てた

※長い

まれて22年間彼氏ができたことがない。ここで私の容姿客観的判断しかねるので一旦置いておく。話の論点はそこじゃない。

好きな人ができて、告白して、でも振られたり、すごい癖のある変な人に好かれたことはあったけどお付き合いをして彼氏になってくれた人は1人もいなかった。もちろん処女

でも残念なことにセックスにはすごい興味があった。自慰中学生の頃からずっとしているし、AVエロ漫画、TL漫画BL漫画、R18二次創作もめちゃめちゃ読むし見るし、知識だけはめちゃくちゃ豊富

もっと残念なのはセックスしたいと男に思ってもらえるってことは女として認めてもらってるってことじゃん」と思っていたこと。自分セックスたことないから女として見てもらえてないんじゃないかと自信がなくて不安になってた。

今思えば別に22歳で処女なんて山ほどいるし、べつに焦る年齢でもないと思う。でもそれは処女じゃなくなったからこそ言えるのかも知れないし、別に後悔もしてないけど自分はまぁまぁ他人から見ればクズな考えをしているなと思った。

去年の9月ぐらいに急に思い立って18禁出会い系サイト登録結構有名なサイトなだけに登録している人は多いし、いろんな人がいた。

私が処女喪失した相手地元から新幹線で3時間かけて行かないといけない地域に住んでいる同い年の学生男の子。1人旅行が好きだったから宿代わりにその子の家に泊まらせてもらった。後腐れなく別れたくて遊んだり一緒に食事はしなかった。

の子はすごく言い方が悪いけど「当たり」だったと思う。顔は別にかっこいいわけではないけど、清潔感もあるし何より優しくて終始女性向けAVみたいな感じだった。嘘だと思うけど「好き」「可愛い」と言ってくれたし、「女」として扱ってくれて自分はすごく満足だった。やっと女になれた気がした。満たされた。

この後何回か知らない男とセックスするけどこの子が一番優しかったし、一番私が満たされるセックスをしてくれた。

この時は知らない男とセックスしてしまったという罪悪感で半端なかったけど、それから出会い系で同年代の男とアポ取ってはセックスするという流れを何回もしてしまった。みんな奢ってくれるし、お金からないし綺麗なラブホセックスできるし、みんなちゃんとゴムつけてくれるし最高じゃん。と思っていた。でも必ず帰ってから罪悪感と虚無感に襲われて空っぽになる。またその空っぽを埋めようと思って知らない男とセックスする。ゴム付けてくれてるのなんてただ運が良かっただけだし、犯罪に巻き込まれてないのがおかしいぐらいだと思う。中には「知らない人とセックスちゃうなんて悪い子だなぁ」なんて言いながらケツをペチペチ叩いてくるやつもいたけど、そいつの言ってることの方が100倍正しいと思う。

別にセックス気持ちいから繰り返しているわけじゃない。よく言われる「イク」という感覚には全くわからないままだし、今セックスをしている!!という雰囲気を感じるだけで濡れたし、だからセックスして女として認めてもらえる欲求を満たしてもらえて、この人は私とセックスしたいんだなと感じることの満足感を得るために繰り返したんだと思う。まだ私には見知らぬ男の人に性的な目で見られることの気持ち悪さがあまり理解できない。

恋人もできたことないのにセックスだけはそこら辺の友だちより回数を重ねている自分がどんどん気持ち悪くなって、挙げ句の果てに開き直っていっそのこと風俗で働くか!!って行動し、デリヘル面接に行った。

体験入店のはずがあれよあれよと採用になり正規入店

その日に2人の客をとるけど「中に入れさせて」しか言わないジジイ。2人の客を取って無理な体位をしたせいで筋肉痛になって9000円。この仕事自分には荷が重すぎたし、風俗で働いてる女の子たちに失礼な気がして仕事トンズラした。失礼な気がしてるのにトンズラするあたりがクズ

それから同じ生活年末まで続けて、途中でめちゃくちゃ優しい出会い系の同い年の男の子に恋をするも「よく考えたら好きになっても向こうはセックスするしか考えてないじゃん」って目を覚ましてセックスして音信不通になった。

年が明けて私は一切の出会い系サイトを退会して、出会い系のためだけに使っていたカカオトークも削除した。今この世の中、何があるかわからいから、もしかしたらセックスした男がストーカーになって追いかけてくるかもしれないし、トンズラしたデリヘル店長が家に来るかもしれないし、気づいていないだけで性病になっているかもしれない。私はこういう人間をなんと言うか知っている。「ビッチ」「ヤリマン」だ。学生時代その言葉軽蔑する時に使う言葉だと知って、そういう噂のある女の子のことを軽蔑していたはずなのに。私は結局その道に進んでいた。

見えるものは全部消したけど自分記憶には残っているし知らない男で処女喪失したという事実は変わらない。

今でも無性にセックスしたくなる時があるけど、出会い系にいる男なんて所詮そんなレベルしかいなくて、自分も同じレベルなんだと思うと我慢ができるようになった。

もしどうしても同じ過ちを繰り返しそうになった時に読み返せるように自分の戒めのためにここに残しておく。誰かに叱ってもらいたくても、親にも友だちにも言えないから。

2018-01-18

生きているのがしんどい

生きているのがしんどいと思い始めて、多分だけど15年とか経っている、ちょっとした消えたがりの散文が、つらつらと下に書いてある。

時間がある人はちょっとだけ読んでほしい。そして何か、少しでも意見が欲しい。いろんな考えが知りたい。でも、かなり怖い。

いや、読むのは時間を持て余した人だけでいい。かなり端折って書くけれど、15年くらいの時間を書いていく。きっと恐ろしく長くなる。なんか流行りだからここに書いたけど、きっと読む人は片手ほどで、その中でコメントを残す人を期待するのも間違っているんだろうけれど。なんてったって散文だし読みにくい。

でも、誰でもいいから話を聞いてほしい。私かうすればよかったか、これからどうすればいいのか。無責任で構わないから教えて欲しい。

初めて消えたいなと思ったのは5歳くらいだったと思う。6歳だったかもしれない。

親の都合で転園してきた先で同じ園の女の子に仲間はずれにされた。

ぼんやりしか覚えてないけど転園する前も、仲良くしていたのは女の子ひとりと男の子ひとりだけだったから、昔からまり好かれるような子じゃなかったんだろう。多分、すごく生意気子供だったから。

みんなが可愛いお姫様ごっこセットをつかって、私はなんか地味な、柄のないスカートだけ渡されて、「それもお姫様から使えばいいじゃん」って。キラキラの、可愛い模様がついたフワフワのスカートを我が物顔でつかいながら、私に言うのだ。

先生が「順番ね」と注意をして、真ん中くらいの順番を手に入れたけど、気づいたら割り込みされて最後になっていた。

私の順番は回ってこなかった。

その時に、私はここにいてはいけないんだなと思った。いる価値がないというか、いる事の方がおかしいと言うか、そんな感じ。転園してきた訳だから、仕方ないけれど。それで、早くここから消えてしまいたいと思った。

その時、唯一できた友達は、多分友達じゃなかった。

あれ持ってきて、これ持ってきて。何かを持ってこないと仲間に入れてあげない。そういうことを言って来る子だった。パシリにされていた。

でも、パシリでもすれば一緒に遊べたから、喜んで従った。あまりいいこととは言えない。けれど、一人で積み木で遊ぶよりずっとマシだった、消えなくてもいいと思った。頼られているのだと錯覚した。

小学校に上がって、ランドセルを買い与えられた。普通赤色じゃなくて、少しくらい、ワインレッドランドセル

母親はなんでピンクとか真っ赤じゃないのって言われたけれど、ワインレッドが可愛かった。ランドセルの蓋の裏が、赤系のチェックでとっても可愛かった。気に入りだった。

パシリはまだ続けていた。というか、パシられることが普通だった。

小学生になって、一緒に登下校をするようになった。

なんで変な赤色なの?って笑われた。

それを「可愛かったから」と言ったけど、それは可愛くない!こっちが可愛い!と言われた。多分、その子達に「センスがない」という判定を受けたんだと思う。

パシリにされてて、さらセンスもない。なんとなく流れで、みんなよりも立場が下だった。

ジャンケンランドセルの持ち合いをした時、他の子が負けたらみんなで持ち合いっこするのに、私が負けた時だけ全部持たされて、持つ距離も長かった。挙句、置いてかれた。前に進んでも誰もいなくて、置いていかれたんだと泣いた。おうちも少しだけ離れた同級生の重いランドセル5つを持って、道の真ん中で泣いた。泣いて数分たったら、なんだか自分のことが惨めになって、どこか誰もいない、遠いところに行きたくなった。結局はその子たちが戻ってきて、どうにかなったけれど。

小学2年生になって、夏休みで転校した。どことも知らないところだった。でも、一番長く住んでいたし、今の友達大学友達を除いて全部小中高で一緒に過ごした子だ。それまでに比べてとても恵まれていて、いい友達だと思う。一人一人が唯一無二の友達だとおもう。

でも、友達がいても、残りの4年半はいじめられて過ごした。

最初は多分「遠いところから変なやつが来た」っていう理由それから訛りが違う。あとは真面目ぶってる。オタク父親の見ていた深夜アニメを一緒に見ていた。デ・ジ・キャラットとか、ギャラクシーエンジェルとか。今でも大好きだ)であること。あと態度が生意気。たぶんこの生意気って言うのは、生意気だという子の都合が悪いことを「誰にも言うな」と言われても担任にチクッたからだと思う。自分あんまりにも理不尽だと思ったことは黙っていられなかった。多分、そういう意味では「いい子」ではなかった。

でも、石を投げられて先生に報告したら睨まれるって、おかしいじゃん。石投げる人の方が酷い。チクった私が悪いのか。

多分悪くは無いんだけど、こどもの世界ではご法度だっただけ。けれど、それがどうしても辛かった。おかしいと言ったら「お前の方がおかしい」と言われてすごく辛かった。ここにいたくないと思った。

親に「ここの学力は低いんだから、90点以上取らないとダメだよ」と言われた。頑張って100点とっても褒められなかった。周りからは「勉強もできるっていう自慢か」と妬まれた。

言っておくけど1番を取れたことは無い。せいぜい10とか20とか。自分ではすごいと思った。100人近くの1020って凄いじゃん。って。でも親にはそれじゃダメときつく言われた。ちょっと点数が下がったらお小遣いを減らされた。

生きているのがしんどかった。でも頑張らないと、価値がないと思った。

中学に入って、小学校の時みたいな勉強をしていたら、順位が真ん中よりも下の、後ろから数えた方が若干早い場所になった。その時に「さすがにやばい」と思って、塾に入りたいと言った。一人でする勉強限界を感じていた。

下がった順位を元に戻したら「当たり前だ」と言われた。

中学では部活に入っていた。周りはみんなキラキラしているのに自分だけ見ずぼらしく感じた。部活に入ってすぐ、どうしてかレギュラーに選ばれた。自分初心者で、周りには小学校の時から続けていた人がいたのに、自分担当に人がいないからという理由レギュラー入りした。初心者なりに練習した。練習中、何度も泣きそうになった。でも自分が頑張ることがこれからに繋がるとおもった。最後までやりきったあとに残ったのは「初心者なのにレギュラーに選ばれた変な人」だとおもう。若干避けられてたし、自分も周りにどう接していいかからなかった。ここで必要とされていないとさえ感じて、練習サボりがちになった。先輩からは、嫌われていたと思う(練習をサボったから当たり前だ)。同級生からもよくは思われていなかったと思う。

部活同級生から「〇〇先輩はあなたと同じように生徒会もやって部活もやって成績もいいのに、なんであなたは同じことが出来ないの」と言われた。生徒会が忙しくて休みがちになっていた。そんなの言い訳だと怒られた。それでも暇を見つけて部活に行っていた。それでも怒られた。今消えてしまえば楽だろうけど、消えたら迷惑をかけるなと思って、最後まで頑張った。意地汚く残り続けた。高校進学は「〇〇高校の□□学科じゃないと、ご飯作らないから」と言われた。当時、高校授業料無償化されていたから、ご飯を作らないになったのだろう。端的にいうと「親の希望に添えなかったらお金は渡さないし育てないから」といわれたのだ。必死になって、どうにか合格した。合格したけれど、自分学力じゃ、高校勉強は厳しいなと感じた。もう一つの学科自分レベルに合っているとおもった。でもそこでは絶対ダメなのだという。辛くなるんだろうなと感じたけれど、それでも合格したのだから通うと決めた。

高校に入って、それなりの地位をもてたと思う。部活は変わって、生徒会には入り続けた。その部活がいわゆるパソコンをいじる様なもので、関連分野で色々頼られた。今度はパシリみたいなのではなく、よく巷で話題になる「絵をかけるならちょちょいっと描いてよ」の類でもない、本当の意味での「頼り」だった。

得意分野を持つということは自分自力で立つことのできる力であると、その時感じた。普段だったら近寄れない、スカートを曲げて薄く化粧をした、クラスの人気者と話せる。そういう立場をその時手に入れた。

多分、高校生の時が一番、生きていて楽しかったと思う。みんなが私のことを知っていた。それに対する恐怖もあったけれど、決してマイナスではない視線は「自分はここにいていいんだ」と思える自信に繋がった。

大学は推薦で入った。センター前に決まって、受かるとは思わなくて、とても喜んだ気がする。

クラスメイト合格を伝え、「あの〇〇か!?」「嘘ついてるわけじゃないよね!?」と言われながらも喜んでくれた。学校先生もとても喜んでくれた。自分の妹も、私よりも喜んで泣いてくれた。

母親合格たことを報告したら、おめでとうよりも先に「お金がかかるなぁ」と言われた。

正直なところ、大学に進むことについては消極的だった。高校に入った直後は専門学校に入りたいと思っていた。でも父親は「進学するより働け。進学するなら国立じゃないとだめだ」と言われた。だから専門学校を諦めた。中学生の予想通り高校勉強はつまづいてしまって、学科では後ろから数えた方が本当に早いくらい、勉強はできなくなっていた。どれだけやっても勉強が伸びなかったから、早い段階で部活シフトチェンジした。そんな経緯があったから、大学は行かないで高卒で働くかなとなんとなく思っていたら、母親が「高卒で働くより大学に行ってほしい。私立じゃ学費は出せないけれど」と言ってきた。これに逆らうとまた何か言われるんだろうなと思って、とりあえずやるだけやってみることにした。でも、勉強はできなくなっていたから、模試はどこも最低判定。ただ、推薦でチャンスがあるところがあったから、一かバチかで受けてみた。これでダメなら学力じゃ到底叶わないから、就職をしようとおもった。部活の成績がよかったから、それで受けた。

そうしたら受かった。奇跡だと思う。なにかの間違いじゃないかと思ったが、それでも受かったら嬉しかったのに、おめでとうもなく「お金がかかるなぁ」しか言われなかった。

誰が国立に行ってほしいと言ったのだと、その時は悲しくて悲しくて仕方がなかった。

こんなの傍から見たら「親の言う事しか聞いていないからそうなる」と思うのだろう。私もそう思う。

けれど、高校受験の時に「お金さないよ」といわれ、大学受験に「国立しか認めない」と言われ、受かったら「お金がかかるなぁ」。反抗するなら自立しろ、親に頼るな。

それでは何をすれば良かったのだろう?

奨学金は申し込まなかった。心のどこかで受からないなと思ったし、親の収入などの関係で、ほんの少しだけ規定より上回っていたから受かるわけもなかった。し、なんとなく大学に入れても、やめてしまうかもしれないなと思ったのもある。とにかく奨学金は取らなかった。だから親に学費を払ってもらうことになる。お金がかかるのは、百も承知だった。

でも、まさか合格おめでとう」よりも先に「お金がかかるなぁ」だなんて。なんだか悲しくなった。受けるのをやめた方が良かったのではないかと後悔した。

何より、ひたすら「お金がかかる」とい割れるのが嫌で、消えてしまいたくなった、なんのために頑張ったのだろうと、ひたすらに悩んだ。

大学に入るまで、そして入ってからお金がかかると言われた。言われ続けた。

大学に入ってしばらく経った頃、仕送り勝手に減らされた。1万円も減った。バイトをやりながらも結構ギリギリで頑張っていたのに、なんの前触れもなく減らされた。

なんで仕送り勝手に減らしたの?せめて減らすなら前もって言ってよと親に言った。そしたら、「元々この金額だったでしょう?」といわれた。頑張って節約しながらも生きていたのに、あたかも「余分にお金をねだっている」風にされたのがひどく苦痛だった。

その年の夏、節約しなきゃとおもい、電気代をとにかく節約した。外に出るようにしたり、電気をつけなかったり冷房をつけなかったりした。

その月の電気代は1,500円もしなかった。

純粋に、自分すごいとおもった。

こんなに節約頑張ったよ!と母親にいったら、「もっと節約できるでしょ」と言われた。

電気をつけず、テレビもつけず、パソコンもつけず、ご飯はまとめて炊いて冷蔵庫に保管して、一瞬だけ電子レンジでチンする。冷蔵庫も止めてしまうと食べ物が保管できないから。そんな最低限だったのに、もっとと言われた。

馬鹿らしくなった以上に、親から私は「ただただお金のかかるダメな長女」だったのだろう。お金がかからなければかからない方がいい。そんな認識だったのだろう。

こんなに頑張っても文句を言われることに、自分が生きている意味とはなんだと問いたくなった。

答えは出なかったから、ただただ消えたくなった。

どう生きていてもお金がかかると言われて、生きているのがしんどくなった。我慢するのがバカバカしくなった。

バイトはしていた。学校に慣れるまで、夏休み前後から始めたいといったら、それでは困ると言われて5月くらいから始めた。バイト先の先輩に厳しくされて、辛いと嘆いたら「みんなそんなもの」と取り合ってくれなかった。辛かった。

そういうことも含めて、たまにTwitter愚痴を呟いていた。愚痴をいうと今まで仲良くしてくれた人が、なんでも話せた人達が「自分の方が辛い」と言い始めた。自分の方が不幸合戦が始まって、私の「つらい」が軽くあしらわれた。次第に愚痴を言えなくなった。私だけ「辛い」が軽くあしらわれるのが辛かった。

頑張って大学に通った。頑張ってレポートを書いても単位が取れなくて、好んでとったパソコン系の授業を始め、授業に出ると頭痛が激しくなったり、気分が悪くなったりした。1年間くらいだったと思う。でも、お金をかけてもらっているから行かないといけないと、頑張った。

しばらく立って新学期になった。自分の妹が私立大学に入った。

母親は、私立入学するのを許したらしい。

どうして?という気持ちがすごかった。父親が許したのかという疑問もあったのだが、早々にほかの選択肢を諦めた私とは違って、妹は頑張って説得したんだなと思ったら、それは認めてあげるべきだと思った。合格たことは喜ばしいことだし入学も喜ばしいから、合格おめでとうと、素直に伝えた。

しばらくして、父親入学を許していないということが分かった。それで父親に「お前も加担したんだろう」と責められた。私は何も知らなかった。

なんで私が責められているんだろうと、つらくてつらくて。消えてしまいたいと思った。私から奪われた仕送り1万が、妹の入学金や学費になるんだなと思うと、なんとも言えない感情が湧き出てきた。

しばらくして両親が離婚すると言うことを伝えられた。どう思うと聞かれて、私が何か言ったところで何か変わるの?と答えた。冷たいなとも思ったが、私は私でそれどころじゃなかった。

学校に行けば嘔吐頭痛を繰り返して、正直もう限界だと思っていた。

しばらくして父親から伝えられた。

離婚とともに破産すると思う。妹の学費や母方の生活費は払えなくなるが、お前の学費生活費だけは出してやるからな」

素直に喜べという方が無理だ。体調不良等でまともに単位も取れなくなっていったのに、どうして喜べるのか。それが決め手になって、学校に行かなくなった。休学届けを出して、今はアルバイトだけやってる。

両親から連絡が来るだけで胃が痛む。学校に行けない自分社会に出てもやっていけるとは思えない。大学友達とは疎遠になっているとおもう。ただたまに道ですれ違って、名前を呼んでくれて、元気?と声をかけられると、いい人と友達になったなと思う。同時に、こんなダメ人間友達でごめんねとも。

高校までの友達は「そのまま社会に出てもやっていけるよ」という。でも、日本会社というのはおおよそブラックだと思っているし、そんな所に行ってしまったら自分は生きながら死んでしまうのだろうと思う。きっといまのオタク趣味もままならない。二次創作をする時間もなくなるだろう。そうやって仕事に謀殺されて、私は私でいられるのだろうか。

そこまで考えて、今までの人生の中で、私が私でいた瞬間とは何なんだろうと思った。

私とはいったい何なんだろうか。

私が生きている意味とは。

なんでこんなに必死になって生きているのか。

辛いという言葉は、私の方が辛いで潰されて、楽しいことなんか二次創作を始めとしたオタク趣味ばかりで、そのオタク趣味すらも、今じゃ疎外感を感じている。自由に慣れていたはずのSNSは、現実と同じように苦しいものになっている。

辛いと思うことも軽んじられ、ひたすら金がかかるといわれ、遊びに行くと贅沢だお母さん達は頑張ってあなた仕送りをしているのにという。

私はなんのために生きているのだろうか。

こんな生活、生きているというのだろうか。

ただ呼吸をして、心臓を動かして。ただそれだけ。

生きているのがただただしんどい。早く死んでしまいたいとすら思う。でも死ぬお金がかかる。親が困る。周りも困る。

ある日母親に言われた、「お父さんはあなたを生んだ時に『なんで生んだ』といったのよ」と。

母親はそれを私に伝えて、何がしたかったんだろう。

必死に育ててくれてありがとうと言って欲しかったのか。

ひたすらお金がかかると言われて育って、なぜ生んだと言われたと言われる。

「なんで私のことを産んだの?」とは言えなかった。「産まなくてよかったのに」とはもっと言えなかった。言ってやりたかったけど、それを言ったら家から追い出されると思ったから。

私は「そう」とだけ返したのを覚えている。いつ、こんなことを言われたのかなんて、細かい年は覚えていないけれど、そういうことを言われたということだけは鮮明に覚えている。

私は

どうすれば良かったんだろう。

何をすればもっと前向きになれたんだろう。

何をすれば「頑張ったね」と言ってもらえるようになるんだろう。

毎日生きているだけでも精一杯なのに、もっともっとと周りはいう。頑張ることが当たり前。

でも、私はまだ頑張ってないんだと思う。恵まれているのだ。奨学金を借りずとも大学に行けたのだから。好きなことをやれているのだから

世界一不幸だと思うな。世の中にはもっと不幸な人が、辛い人が沢山いる。

みんなそう言う。私のつらいという気持ちを無いものとして。みんなそういうのだ。

生きていることの何が楽しいのだろう。

生きるなんて、辛いだけじゃないか

早く誰か、私を殺してほしい。

金だけかかって、だれの期待にも応えられない私を早く殺してくれ。

生きているのがただただしんどいということすら認められない世界なんか、壊れてしまえばいいのに、世界はそれを許さない。それなら。私を早くこの世界から追い出してほしい。

早く私を殺して欲しい。早く殺して。早く。こんなに辛いのに、世界は生きれという。お前はまだマシだと。

何がマシなのかちっとも分からない。生きているのがしんどい

anond:20180118193002

子供の頃、遅刻忘れ物・紛失・提出物忘れなどが本当に酷く、受け答えやテストの点だけ良かった

私は会社員として労務経理契約管理と庶務の実務をやっているが、正直全く向いていない。

自分もそんな感じだ。文章の読み書き、聴いたり話したりは並みかそれ以上だけど、煩雑フォーマット漏れなく正確に速く潰すような作業が苦手。だから役所の窓口の人などは凄いなと思う。

増田の向いている仕事転職するのを勧めるよ。転職エージェント系のサービスリクルートエージェントとか)にいくつか登録して、相性良くて面倒見の良いエージェントを選んで相談して。自分にとって、人の倍努力して人並みにしかなれない分野もあれば、人の倍努力すれば達人扱いされる分野だってきっとある

それからフォーマットを埋めたり、それをサポートしたりするような仕事担い手は、今この瞬間にだってどんどん人から機械へ置き換わっている。あと5年、10年もすればみんな機械がやってくれるようになる。その時になって、いまの上司会社増田かばってくれたり、別の仕事を用意してくれたりするとも限らないでしょう。自分がすり減るほど頑張っても大した評価はもらえないのに、すり減った挙句に数年後には社会からポイっとされるのが目に見えてる仕事。そんな仕事に恋々とする必要はないよ。

みなさんは現実土下座謝罪されたことがありますか?

わたしはありますドラマみたいだなと思いました。


みなさんはコップの水を目の前の人間にぶちまけたことがありますか?

わたしは一度だけあります土下座している人に向かって、そのとき持っていたコップの水を全部勢いよくぶちまけました。うわっ、ますますドラマみたいだなと思いました。

すなわち、わたしには「土下座して謝っている人に向かってコップの水をぶちまけた経験」があります稀有経験だと思いますが、リアルで話すと絶対に引かれるので、致し方なく匿名ダイアリーに書いています


どうしてそんなことをしたのか?

相手土下座という、およそ非現実的謝罪方法選択したときわたしは強い危機感を覚えました。彼の必死さが怖ろしく、一方で、ここで舐められたら終わりだと思いました。わたし相手絶対に赦さないことをはっきり示し、復縁を諦めさせる必要があると感じました。

伝統的には土下座をしている相手を踏みつける方法もありますが(ドラマとかで)、現実にそれをやると犯罪なので、とっさに手に持っていたコップの水をぶちまけました。水は弧を描いて、土下座をしている相手の後頭部と背中を濡らしました。

厳密に言えば、これも暴行罪に該当する可能性がありますが、場所が自宅のリビング相手パジャマ姿だったので、万が一、被害届を出されても警察は動かないだろうと考えました。

相手は、土下座して謝っている最中に水をかけられるという完全に異常な状況であるにもかかわらず、特に驚く様子もなく、か細い声で「ごめんなさい。本当に反省してる。許してほしい。」と言いました。

わたしはここが正念場だと思ったので、普段は出さない大きな声で「うるさい。早く出て行け。視界に入るだけで不愉快だ。」というようなことを言いました。その夜はさすがに眠れませんでした。


その日に至るまでの3カ月間、彼はほぼ一日おきに「とても反省している。愛しているのは君だけだ。君を失ったら生きていけない。なんでもするからやり直すチャンスをくれ。」といった内容のポエムメールを送ってきていたのですが、その夜を境にピタリと止み、2週間ほどで荷物をまとめて出て行きました。

彼が去ったあと、がらんとした部屋のテーブルの上に記入押印済の離婚届と一緒に四つ折りにされた便箋が置いてあり、確か「君と暮らし10年間、とてもしあわせだった。本当にありがとう。傷つけてごめんなさい。」というようなことが書いてありました。

わたしはそれを読んだあと、すぐに鋏で細く切って他のゴミと一緒にマンションゴミ捨て場に持って行きました。

部屋に戻って靴を脱いだ瞬間、ああ本当に一人になってしまったんだなという実感が湧いてきて、涙が溢れて止まらなくなり、床にうずくまって、文字通りわんわんと泣きました。

離婚たことについて後悔はなかったのに、それでも10年の歳月はあまりにも長く、喪失感は大きく、どうしようもなくてわんわん泣きました。


それから一年は、これまでの人生で最もつらい期間でした。一番つらかったのは、人を信用できなくなったことです。わたしはおろかだったので、10年も一緒にいた相手が病的な嘘つきであることを見抜けなかったのです。客観的証拠により相手が膨大な嘘をついていたことが分かった後は、誰も彼もが嘘つきに見えました。

周囲の人からは、なんであんなにいい人と離婚したのか、もったいないと責められたり、浮気は男の甲斐性だ、許せない女のほうが悪いと説教されたりしました。

離婚後も相手からは「元気にしてる?君のことをとても心配している。落ち着いたらまた会えないかな。」といった内容のメールときどき来ていたのですが、返信せずに削除していました。

最近連絡がないなと思った矢先に、「ご報告」という妙にかしこまった表題メールが届いて、開けてみると「結婚再婚)することになりました。相手妊娠しています。」といったことが神妙なトーンで書いてありました。彼が出て行ってから半年も経っていませんでした。


彼の再婚相手は、複数人いた浮気相手の誰でもなくて、わたしもよく知っている、ほんの数日前に一緒に食事をした女性でした。わたし彼女を友人だと思っていました。お酒がとても好きなはずなのに、その日はガス入りの水しか飲まなかったので、体調が悪いのかなと少し心配していたのです。ああ、なるほど、妊娠していたかアルコールを飲まなかったのかと妙にスッキリ腑に落ちました。

わたしは、「土下座して謝っている人に向かってコップの水をぶちまけた」瞬間が一連の出来事クライマックスだと思い込んでいたので、まだ続きがあるなんて想定外でした。事実小説より奇なりとはこのことかと思いました。

そして、ようやく治り始めた傷口に乱暴に塩をすり込むようなことをした彼らを強く憎みました。彼らを憎んでも自分を損なうだけだと頭では分かっているのに、感情コントロールできなくて、四六時中、彼らがしたことについて考え、彼らが不幸になるように願いました。そのときには、もうわんわん泣く余裕もありませんでした。


その後どうなったかというと、特に何もありません。

彼が出て行ってから一年くらい経ったある日、気が付くとすべては過去になっていました。時折、激しい憎しみの名残が発作のようにやってくるのですが、それも長くは続かなくなりました。ただ、不倫浮気を美化する内容のドラマ小説に強い嫌悪を感じるようになりました。

彼らが不幸になったかも知りません。子どもは無事に生まれたらしいと風のうわさに聞きました。それでよかったと思いますわたしの見ている前で、彼らが不幸にならなくて本当によかった。

さっき「離婚して、わんわん泣ける女になりたかった。」というタイトル記事を読んだら、一連の記憶フラッシュバックしてつらくなったので、気持ちを静めるためにこれを書きました。

自分経験に照らすと、記事中できれいごとを言っている元夫は嘘つきで、本当は慰謝料を払わず離婚して他の女性再婚したいだけなのではないかと感じましたが、そんな風にうがった考えを持つことは人を幸せしません。



なので、ここに書くことで忘れてしまうつもりです。

最近また脳が死んだ

はじめまして

突然ですけど自分、よく脳が死にます

これは脳死とかそういう“ガチ”ではなく、深く思考が出来なくなったり、記憶力がクソになったり、そういう意味での死です。こうして書き起こすと、自分マジで脳の病気にかかったんじゃないか不安になりますね。

それで、最近また脳が死んだんですよ。原因は確実。ブルーライトTwitterと、学校に行かず家にこもり切っているが為の運動不足勉強不足です。

皆、先程までツイートしようとしてた内容が何だったのかとか、打とうとしてた単語が一瞬で思い出せなくなったとか、Google開いた瞬間脳の思考リセットされて検索ワードが分からなくなったりとか、1度は経験してると思う。でもそれってそんな頻度は多くなくて、多くても週に3、4回とかですよね。そんで去年の秋かな?冬かな?脳死したので、マジで覚えてませんがそんくらい。もっと前かも。それくらいにさっき書いた現象が1日に何回も何回も起こって「アッ久々に本格的に脳死んだな」と自覚したんですね。ツイートする度に「あれ?入力しようとしてた単語が思い出せない。今さっきまで思い浮かべてたのに」になる。もしこれをツイ廃の方が見てらっしゃるのならお分かりいただけると思うんですが、本当にこれ地獄なんですよ。ツイ廃から1分に3回ツイートしたいのに、単語が思い出せなくてなかなかツイートできず、欲を満たせない。掻き消えた単語以外に俺が言いたい事を的確に表現する単語が無い。もしくはあるけどそれも思い出せない。それかしっくり来ないか

塵も積もれば山となるって言葉。まさにそれで、ツイート欲を満たせないイライラ不安感、確実に脳が衰えた事への絶望感、色々なもの毎日毎日積もっていって メンタル中国建物よりも崩れやすい俺はもう限界フォロワーツイート葉っぱ天国一時的メンタルを癒す日々。まさに地獄

でも時が経てば少しは治る。

最近は、前よりもほ~~~んの少しだけ学校で頭を使ったのでクソ事象の頻度が減った。メンタル中国人瓦礫の中に閉じ込めて崩れたままだけど、まあイイだろ。

でもさ、火曜日にさ、教授の呼び出しすっぽかして電話して水曜日にしてもらって、水曜日にもすっぽかして、そんで別の大事用事もすっぽかして、今日大事用事をすっぽかした。(大事用事ってのは、友達同士の楽しいやつとかじゃなくて、思考勉強をするタイプの畏まったアレね。遊びだったら行ってる。楽しいから

そんな事したら皆はどうなるか分かってるよな?そう、脳が死んだ。もうなんの気力も湧かねえ。インターネットスプラトゥーン梅酒以外に関してはだけど。

そんで話はガラーって変わるけど、こうやって脳死ライフを送ってみて、学校は何故あるのか理解出来た気がするんですよ(行かないけど)。多分学校って、そりゃ社会を生きやすくする為のトレーニング場とか自分が対人に向いているかかめられる場所とか色あるけど、脳が死なないようにする所なんですよね。

学校まで行くってのは相当偉いことで、まず学校行く前に起きるじゃん?ここで体力と気力を使う。無意識でもそう。少しだけしか使わない人から大きく使ってしまう人もいる。ホント大変だね。でも寝過ぎも良くないんだって。人体なんかクソだ。

そんで次、服着替える。女の子場合、それにメイクとかヘアスタリングとかアクセサリー選んで装着したりとか。いや、これは男の子もする人いるか

ここでもヤベエほど大きくHPMP(気力)が減る。自分はここで何もかもがLv.100宝具レベルMAXの弓ギルの宝具を食らったぐらいに減る。それもう死んでんじゃん。死んだ時はその日すべての用事をすっぽかして寝ます。これぞ社会不適合者。

それから家出て歩いたりケッタ漕いだり電車乗ったりして学校に行き、勉強したり他人交流したりして帰ってメイク落としたりなんなりしてTwitter。なあ、重労働すぎん?これを毎日毎日やれる奴は本当にイカレてる。そこの貴方自分でもそう思いませんか?滅茶苦茶偉いですよ。まあ、俺も偉いんだけどね。

で、毎日これやってたら当然脳みそはずっとクソみたいに働いてるんですね。死ぬ暇が無いぐらいに働いてるんです。だから学校に行ったら脳は死なない。心が死ぬ事はあるけど、脳は死にません。だってそりゃ、これだけのことしてんだから

マジでこれ書いてて、学校って脳を死なせないとこなんだなって気持ちが強くなってる。でもさ、俺は学校に行かない。脳が死ぬと、学校に行くことがどうしようもなくだるくなって、そんで学校に行かないから脳が死んだままになる。その悪循環の中にいるから、まだ脳が死んだままなんですね、僕は。

こんな人、世界にも結構いると思うんです。で、大体の人はここから抜け出して脳を蘇生した方がいいと思ってる。偉いね

でもさ、治さなくてもいいんじゃない?楽しかったら良いんだよ、人生。ただ、蘇生したらもっと楽しくなると思うならそりゃ蘇生させた方が断然いい。蘇生して息抜きスプラトゥーン2してまた蘇生活動してさ。イイじゃん。脳なんていつでも殺せるしな。そうじゃない人は、俺と一緒にダメ人生を楽しく送ってよう。スプラトゥーン2してさ。みんなでアメフラシかまして梅雨にしようぜ。イイね。脳なんていつでも蘇生するしな。

から皆、スプラトゥーン2して俺と遊ぼうぜ。スプラトゥーンも持ってるけど、ゲームパッドがねえんだよ。だから蘇生したい奴も死んでない奴も死んでる奴も、みんなSWITCH定価で買ってスプラトゥーン2買って、俺とクソみたいに遊ぼうぜ。時間はいくらでもあるし、死ぬ機会も蘇生する機会もいくらでもあるんだからスプラトゥーン2しよう。もし俺とスプラトゥーンしたい人間が現れたら、フレンドコード追記するからさ。人生、楽しくしていこうな。




p.s 俺を殺すボールドマーカーとスシはクソ

2018-01-17

弟が好きだ(長い)

私には弟が2人いて、どちらも大好きだ。もちろん恋愛的な意味じゃなくて家族として。

上の弟は今高校三年生で、この間センター試験を受けた受験生でもある。

7歳から剣道をやっていて、小柄で痩せすぎな体格を逆に生かして先鋒としてすばしっこく活躍する姿は、姉としてのひいき目を無しにしてもかっこいいと思う。

中学でいろんな大会やらで結構いいとこまで行って、その結果を持って高校で推薦をもらったスポーツ少年(剣道スポーツと呼ぶのはどうかというのはあるが)なのである

下の弟は今小学六年生で、こちらも6歳から剣道をやっている。先鋒を務めることが多い上の弟とは対照的に、主に大将をやることが多い、体格がいい少年だ。相手の動きを見切り、堂々とした動きで相手を確実に仕留める戦い方は、もうすでに上級生をも上回る貫禄を見せていて、これからに強く期待が持てる。中学九州剣道強豪校からスカウトをもらっていて、親元から離れてそちらの寮に入ることが決まっている。

話が変わるが、私の家は、母親バツ3で、今の父親は4人目になる。

そして、私、弟1、弟2という兄弟構成なのだが、全員父親が違う。

私の実父はクソ男で、マルチをやってたらしくて豚箱に入ったりしたと親戚から聞いたが、顔も覚えていないし私が2歳の時に離婚したようだった。私はその父親認知されてることを18歳の時免許を取ろうとして戸籍謄本を取得した時初めて知った。ちなみにその次の父親とは子供を作っていないが、私に性的虐待をしていたことがバレて離婚した。

現在はマシだが上の弟がまだ乳児で、私が小学生だった頃、私と上の弟はネグレクト被害に遭っていた。

上の弟の父親借金を抱えてしまったせいで母親が心を病んでしまって、私たちの世話をしなくなった。前々から結構な量の家事をやらされていたので、少しやることが増えたなくらいにしか思っていなくて、弟の世話をしながら家事をする日々が中学卒業するまで続いた。

その頃は新しい父親もいて、下の弟も生まれていて、母親もだいぶマシになった。ネグレクトからひどい過干渉(私にだけ)になっただけだけど、私たち食事を用意するようになったからマシになったと思う。

けれど、親の代わりに授業参観避難訓練の引き取りに中学生を行かせたり、学校結構な回数休ませて弟を病院に連れて行ってあげたりするのはやっぱりおかしいと今でも思う。

もちろん下の弟の保育園の送り迎えもやっていたし、熱が出ると親ではなく私の携帯に連絡が行くようになってて(親に連絡しても出ないので)、私は仮病で早退しては弟を保育園に迎えに行っていた。

とにかく、そんな経緯もあって私は弟が好きだ。これは育児をしたことがある親御さんが聞いたら怒るかもしれないが、私が半分は育てたようなものからなのかもしれない。

ろくに友達と遊ばないで(遊ぶ時間がなかった)、毎日学校から走って保育園に向かった。

中学の時は下の弟と手を繋いで小学校学童保育に向かって上の弟を迎えに行ってから家に帰り、高校の時はママチャリで通学していたので、下の弟をチャリに乗せて学童保育向かってから帰宅した。帰り道に、2人に今日は何があったの?と聞くのが大好きだった。

19の時に私は家出をした。

私は大学でやりたいことが見つからなくて、それなら就職して家出資金貯めるか〜という気持ち高卒就職をした。

就職しても母親の過干渉はなくならず、むしろひどくなって、色々我慢できなかったことが多すぎた。さすがに自分携帯代を支払っているのに携帯GPSで居場所がわかるキッズケータイなのは我慢ができなかった。

何より、上の弟の大学進学の話で、「弟の大学進学の資金あんたも出してよ。ボーナス入るでしょ」と上の弟の前で言い放ったことが本当に我慢できなかった。

その話の後、上の弟はこっそり「姉貴は払わなくてもいいからな。ごめんな。」と言ってくれた。こんなこと高校生男子に言わせて恥ずかしくないのかと憤慨した。こんな家には居られないと、頭に血が上った結果だった。

結果的に私は家出した3ヶ月後に父親から一人暮らしをしてもいい。保証人になるから一度帰ってきてくれ」と連絡が来て、3ヶ月間働きながらネカフェ生活をしていた私はちゃんとした家に住むことになった。

それから四年経った現在実家との関係はまあ悪くはないが私は母親のことは許していない。時たま贖罪のつもりなのか母親から食料が送りつけられてくることがあるが、許せないことは許せない。

年末年始お盆には実家に帰ることにしている。もちろん弟の顔を見に帰るためだ。父親にも、まあ、元気ですかくらいは言う。母親は知らん。

会うたびに小遣いを渡そうとしても、上の弟は「姉貴も生活しんどいだろ。無理すんなよ」と言ってくれるし、下の弟は、「お金よりお姉ちゃんが家に来てくれる方が嬉しいからいらない」と言ってくれる。泣けてくる。

2人の誕生日は毎回奮発する。PS4京都友禅染の財布、ちりめん細工の飾りが付いている斜めがけバッグ、switch本体、他にも本人が欲しいと言ってくれたものたち。LINEタイムラインとかで「姉にもらった」と言ってくれたり、ふとした時に使ってくれてたりするのを見ると本当に嬉しい。

普段はツンケンしてるしラインもたまにしかくれない上の弟も、私が元彼に暴力を振るわれていたと知った時はひどく怒ってくれたし、殴り込む勢いだったのを止めたことがある。

下の弟はいつも、次はいつ来るの?と懐いてくれて、覚えたてのSMSでたまにメッセージをくれたりして(内容が、テストで100点だったとか、いい試合動画が撮れたとかでかわいい)とってもうれしい。

私は弟が大好きだ。誰かに理解されなくても、きっと、2人がいなかったらあの家で私は潰れてしまっていただろうから

ときどき「目が死んでる」とか言われることがあったが、

さっき風呂入り前に鏡を見たらぜんぶ死んでた。

かなりやばかった。

それから怖くて鏡見てない。

最近小学校が同じという人と出会って忘れていたことを思い出した。

小学校の頃の事はあまり記憶になく、その人もかなり若い子なので何か共通話題あるかしらと記憶を探っていたらそういえば私誘拐されそうになった事があったんだった。

夏休み学校プールに行く途中、後ろから羽交い締めにされて、可愛い顔してるね、と耳元で言われてなんか人生終わった!って思ったら一緒にいた友達が大声で叫んでくれて、

その途端、その途端誘拐犯?が手を離して逃げた。

本当に足が笑って動かなかったけど兎に角なんとか走った。

近くの公園に行ってやり過ごして、

それから学校に行った。

担任先生に色々聞かれて家に連れて帰って貰っておまわりさんにも何か聞かれたような気がする。


別に記憶封印していたわけじゃないし偶に思い出して友達誘拐されかけた事あるよ!とネタにして話してたと思う。

でも、今日、あれ、あんまり小学校の時は何してたか覚えてないのとか、引っ越ししたのとか、母が過干渉だったのとか、もしかしてこのせい?と、今日ふと合点がいった。

そう考えると大したことない事件だけれど確実に私の人生に影を落としていたんだなとわかった。

会社から帰って来る途中あのまま死んでたかもとか、誘拐犯じゃなくていたずら目的だったらとか昔のことなのに頭の中がぐるぐるしてる。

とりあえず、叫んでくれた友達ありがとう

友達いると気付かなかった間抜け犯人で良かった。

なんかどうしていいかからいかダイエット中なのにチクワ磯辺揚げポテトチップスという禁断の食物食べて自分を落ち着かせた。

書いてスッキリたかった。

anond:20180117190949

私も昔そう思ってましたが、

ある時、音楽業界の人から彼がゲイだと聞いて、それから彼の歌に対する見方が変わりました。

[] #47-5「嫌煙の仲」

俺たちは市長に直談判しに向かった。

いきなり赴いて通して貰えるとは思わなかったが、意外にもすんなり事は進んだ。

今日はどういった用件で……」

「現状は理解しているでしょう。今すぐ禁煙法を撤廃した方が賢明かと」

「……答えを出す前に、1つだけ聞きたいことがあります

市長。つまら駆け引きはナシでいこうや。お互い時間無駄だ」

「この『禁煙法』は悪法だと思いますか。それをどうしても聞いておきたいのです。私が禁煙法を制定したキッカケになった、あなたたちに」

ナンセンスな問いだ。

市長は既に答えを用意しており、それは俺たちがどう答えても変わらない気がした。

だが禁煙法を制定した時も“キッカケ”があったから、今回もそれがないと市長は踏ん切りがつかない。

俺たちをアポなく通したってのはそういうことだろう。

そしてマスターたちは手向けとばかりに答えてあげた。

「結果から言えば、悪法ではありますな。全面禁止にして万事解決というのは、些か短絡的かと」

古今東西、こういった禁止法が円滑に進んだ試しはない。一度与えたものを、そう易々と奪えると思わないほうがいい」

俺も市長に答えた。

「つまり“人を憎んでタバコを憎まず”ってことなんだと思います

「マスダ、二重丸をあげよう」

「あれ、花丸じゃないんですか」

割と自信のある回答だったんだが。

だってタバコが体に悪いことは事実だし、それを吸う人間裁量だけ憎むのはフェアじゃない。タバコも、それを吸う人間どちらも批判対象にはなりうるよ」

「オレたちの主張は、体に悪かろうが、人に迷惑をかける可能性があろうが、それが権利のものを奪ってもいい理由になるとは限らないってこと」

画像キャプチャーとかと一緒で、悪目立ちすれば取り締まり批判対象になりやすい、奨励はしていないものからね。でもだからといって、権利自体を取り上げたら弊害が発生することもあるんだ」

ああ、やっと分かった。

「つまり禁煙法は、タバコを吸う権利のもの侵害しているかダメってことですね」

センセイは小さく頷く。

花丸はくれないらしい。

そして俺たちの話を黙って聞いていた市長は、いよいよ口を開いた。

「ふむ、お話を聞けて良かった……」

既に用意していたであろう答えを淀みなく、高らかに宣言した。

禁煙法を撤廃します!」

タバコを吸わない俺にとっては素直に喜ぶべきことではないのだろうが、なんだか奇妙な感覚だ。

「ただし条件があります

条件?

「だろうな」

そしてタケモトさんたちは、何となく察しがついているようだった。


…………

それから数日後、あの殺伐とした状況が嘘のように、俺たちの町は良くも悪くもいつも通りに戻っていた。

市長のやつ、最後っ屁でタバコに対して重税という条件こそ出したものの、随分とあっさりと容認しましたよね」

いつもみたく尤もらしいことを言って、しぶるかと思っていた。

「たぶん市長は内心とても焦っていた。禁煙法を制定したものの、予想と違って社会好転するどころか悪化したんだから。だが今さら禁煙法を撤廃したら、自身政策が短絡的だったと認めることになり、面子にかかわる」

から解禁する代わりに、高い税率をかけるという妥協案を持ち出しってことか。

「その提案も、お上市長に指示をした結果だろうがな。おそらく政府は、禁煙法が最初から上手くいくと思っていなかった。最終的に撤廃するつもりだったんだ」

え、一体どういうことだ。

撤廃するつもりだったのなら、最初から禁煙法を制定する必要はなかったのでは?」

「実のところ、政府タバコを売りたいんだよ」

んん?

ますますからなくなってきた。

(#47-6へ続く)

anond:20180116130219

例えば、コピーライター10人(底辺9人、大物1人)にそれぞれコピーを書かせて、

その中から「一番良いと思ったのを挙げて」ってアンケートを取ったら票はバラけるんじゃない?(多分)

糸井重里ジブリのような確固たるコネで繋いでる例外は抜きにすると

コピーライター仕事を大方この方法で掴んでる。

コピーライターオファーをもらってそれからコピーを考えて報酬を頂戴するのではなく、

企業業界内で開催するコンペにひたすらコピーを提出して食い繋いでる。

応募者名を伏せて審査するからある程度実績があっても採用されず、せっかく考えたコピーが闇に葬られることは日常茶飯事。

しかもその金になるかわからない一文を捻り出すのにボツ案を無数に生み出してブラッシュアップしている。

もっと言えばコンペに参加できるようになるまで糞みたいな下積み期間を何年も過ごさなきゃならない。

コピーライターのギャラの殆どは食えなかった期間の補填みたいなもんだ。

てか今時コピーライターなんていない。

キャッチコピー制作代理店メーカー広告制作部が片手間にやる仕事になってる。

SNSだかで誰でも自己表現出来る時代には見合わない仕事だよなコピーライターって。

おいしいパンの作り方

ボクはおいしいパンを食べたかった。

おいしいパンを食べている友達が、とても嬉しそうだったから。

ボクのお父さんお母さんがくれるパンは、いつも味気なかったのだ。

今となっては、あの二人もおいしいパンの作り方を知らなかったんだな、ってわかるんだけど、ボクがそれに納得できるようになるのはまだ先の話。

ボクはおいしいパンを食べたかった。

でも、友達のおいしそうなパンを欲しがることはできなかった。それはボクのためのパンじゃないからね。

ああ、おなかが空いた。

おいしくないパンしか食べてなくても死にはしないけど、でもおなかがいっぱいになることもなかったんだ。

からボクは、おいしいパン自分で作れるようにならなきゃ、って思った。

けれども、おいしいパンを作るのはとてもとても難しかった。

なんせ食べたことがないから、何をどうしたらおいしいのかさっぱりわからない。

出来上がるパンはどれもおいしくなくって、ボクはおなかを空かせるばかりだった。

そしてある日、限界がきた。

ボクはおいしいパンを食べたい!そう心から叫んだ。

そうしたら。

ボクのためにとてもおいしいパンを作ってくれる人が現れた。

その人のパンは本当においしくておいしくて。何もかも飲み込んでしまいそうだった僕のハラペコがすっかりいっぱいになってしまったんだ。

そしてそれから、ボクも少しはおいしいパンを作れるようになってきたのだ。

ボクはあの人に出会えなければ、一生おいしいパンを知らないままだっただろう。

そして自分の子供にも、おいしいパンを与えられないままだっただろう。

全てはあの人に出会えた幸運だった。

そしてだからこそ、ボクにとってのあの人に出会えないハラペコ仲間たちを忘れられない。

2018-01-16

仕事をやめたのを家族内緒にしていた人の話

元同僚の友人の話

僕の友人は40代後半に妻をガンでなくした

それまで人並みの給料をもらっているのに贅沢を全くといっていいほどしなかったのでただでさえ金があったのに、さらに妻の退職金保険金、あわせて3000万円がはいってきた

妻が死んで働く気力がなくなった

子供はまだ小学生だったがある程度の金融資産があるのでやっていけると思い、年老いた同居している母にはいわず小学生の娘にも言わず会社をやめてしま自分退職金も手に入れたのだ

それまでは休日も月に3度くらいしかなく朝7:00に出社する毎日だったのだがそれから毎日することがないが家族には内緒なので、図書館に行ったりスーパー銭湯に行って過ごしていたという

そんな生活を3年以上続けていたがあるとき、別の家に住む妹に「ボロいか実家を建て替えろ」といわれた

余計なお世話と思いながらも母親のこともあるし無碍にはできず一応母親相談した、老人というのは生活が変わるのを嫌がるので反対すると思ったのだ

ところが母親はぜひ建て替えたいといい、見積もりをすぐ取るように言ったのだ

見積もりは約2000万、もちろん仕事をやめているのでローンは組めないので現金で払うしかない

現在7000万ほどの現金はあるもののそこから2000万をひかれ、年間200万ほどの生活費さらにこれから子供教育費がある、自分の老後の金がほとんどなくなってしまうのだ

会社のある地方都市まで車で45分かかっていた酷い田舎子供地元で就学、就職することはないため、子供独立したら高齢者賃貸に引っ越す予定だったのだ

10年後に誰もすまない家に2000万もかけられない」と言っているのだが果たしてどうなるか

境界性人格障害のアイツ

境界性人格障害ボーダーボダ、聞いたことはあるだろうか。

感情の起伏が激しくちょっとたことで切れる、切れると人格が変わったように人をこき下ろす、そうかと思えば相手神格化ベタベタしてくる。

基本的に見捨てられ不安というもの根底にあり、見捨てられないか相手を試すかのように酷いことをしてしまうらしい。

一方で境界性人格障害の人たちは落ち着いている時は凄く魅力的な人に見える。

自分もその魅力にやられた一人だった。

ボーダーの人たち特有らしいが、距離感が異様に近くすぐ仲良くなれる。子供のようなところが多くよく笑う。

当時の自分にはその子供のような明るさがとても魅力的に見えた。

しかし実際に近づいてみると徐々に本性を現し始めた。

些細なことでスイッチが入りこれまでにないほど罵倒される。

あの手この手を使って罪悪感を植え付けられる。

こうなればもうボーダーたちの手の中だ。逃げることは難しくなる。

それからというもの本当に散々な目にあった。散々という一言ではあまりに生易しいほどに。

書き始めると止まらないので詳細は書かないが、家族とも友達ともあまり連絡を取らなくなった。貯金もだいぶなくなった。

知らないうちにジェットコースターに乗せられたような、そんな気分だった。

そうは言ってもこれは過去の話だ。

最近ようやくアイツから逃げることができた。

逃げてみて初めて境界性人格障害というものを知った。まさにアイツのことだと思った。

それと同時にこれまで怒りだった感情が同情に変わり、可哀想だと感じ始めた。

境界性人格障害の人たちは本当に好かれたい人に限って酷いことをして酷いことを言ってしまい後で激しく後悔するそうだ。

それは本人達自覚がありやめたいのにやめられないという。

実はアイツも罵倒したり酷いことをした後に後悔し自己嫌悪に陥っていたんだろうか。

いつになるかわからないけどアイツのボーダーが治れば、今度はちゃんと対等な関係で一緒に楽しく遊べるようになるといいな。

anond:20180116115756

どっちもちげーよ。違法なのはアップロードした当事者だけなのさ。

あと違法と知りながらリンクして紹介すると幇助罪を適用される可能性があるけど罪を問われるのはそこまでだ。

アップロードする場所提供しただけじゃ罪には問えん。

今の制度では著作権侵害の訴えを起こされたらそれから削除すれば問題ないわけ。

さらにその申請著作権者本人じゃないといけないから、訴えると本人確認を求められるんだぞ(親告罪)。

ピンドラARBカバーアルバムだしてたけど、そらのおとしものエンディングテーマコレクションしかり、最近アニメもっと昔の名曲カバーしてほしい

若い人でも感銘受ける曲たくさんあると思う

現に自分がそうだったし

それからしばらく昔の曲かぶれになっていろいろ聞いてたりした

追記

ローリングガールズはなんとなくしってたけどコンクリートボルティオもそういう系だったのか!

とりあえずアルバムきいてみるか

おじさんのバイト隠蔽対策

https://anond.hatelabo.jp/20170410000627

https://anond.hatelabo.jp/20170702225355

どうも、バイトのおじさんです。

あけましておめでとうございます

おじさん、もちろんバイト継続中です。

はい12月1月は閑散期なので年末年始はおかげさまで、大晦日ビールあけましておめでとうビールニューイヤー駅伝見ながらビール箱根駅伝見ながらビール!!と飲んだくれておりました。

さて年も明けると、そろそろ確定申告の季節ですね。

おじさんもバイト収入はきっちり申告が必要なので、いろいろと調べ中です。

これまで普通なリーマン人生を歩んで来てましたので確定申告とか詳しくないんですよ。

まあ、でも最近Web上で出来ちゃうみたいなんで楽チンですな。

それよりもおじさんの悩みどころは、住民税ですよ。

バイトしてなければ普通に本業給与から会社経由で支払われるわけですが、バイトしてる場合、何もしないとその収入分も本業会社請求されるらしいんだよね。

そうすると、会社社長さんとか経理の人とかに、あれ?こいつ住民税多くね?となり副業バレする仕組みらしいですよ。

おじさん一応、会社役員なので別に副業問題ないんだけど、積極的にはバイトしてる事知られたくないわけですよ。

本気でほぼ趣味バイトしてるようなもんなだし、なぜ?とか聞かれても困っちゃうし。

逆に、増田さん借金でも抱えてるのかな?それとも...とか変な心配されたり、「えーマジバイト?」「バイトが許されるのは学生までだよね!」「キャハハハ!!」とか言われそうでも怖い。

てなわけで、インターネッツで調べてみたら確定申告普通徴収にチェックしとけとか、市役所行けとか出てるけど、結局、市区町村で違うっぽいか市役所に聞くしかないらしい。

市によっては、会社経由での徴収しかしない所もあるらしいので、そうなったら覚悟完了するしかないなーと思いつつ市役所電話

かくかくしかじか副収入分を個人で収めたいんですが可能ですか?」

「できますよー。具体的には2つの手続き必要でして、まずは確定申告の際に住民税徴収方法選択という項目がありますので、そこで自分で納付にチェックして下さい。それから会社バイト源泉徴収票市役所にお持ち頂いて市県民税申告の手続きをお願いしますー。2年目から郵便とかでも手続きできるんですが、最初は間違いがあると大変ですので窓口にお越し下さいー」

なるほどですね

これで、おじさんも安心してバイト続けられそうです。

以上、よろしくお願いします。

2018-01-15

人売りITいたことあるけど何か質問ある?

https://axia.co.jp/2017-09-12

https://anond.hatelabo.jp/20180112170210

ここ見てたらなんとなく昔2ちゃんでやってたみたいに自分語りしたくなったので

■俺スペック

20代半ば

フツメン

文系私大

新卒で人売りITに入ってちょうど1年くらい前に辞めた。今は全く関係ない業界で働いている。リア厨の頃からねらー

東京就職たかったけど、大手から内定もらえずめんどくさくなって人売りIT入社した。その時は人売りなんて言葉しらなかったが、無名零細企業で、面接1回で通過できたりと不自然なところがあったので薄々ヤバいところかなって思ってたが、未経験者歓迎って書いてあったし内定を焦っていたので入ってしまった。

実際入ったら、研修中は給料もらえないとかは当たり前。ネットでよく見るブラック要素のオンパレードだった。「人売りなんだから研修あるだけありがたく思え」ってツッコミはなしの方向で。採用面接がまるで機能してなくて、この研修間中Hello, world」とかプログラミングの初歩的なことすら身につかない人間が何人かいた。そしたら責任者社員2人きりで会議室に入って「君は辞めるべきだ」みたいに退職勧告を1時間くらい続けていた。なかなか戻ってこないので他の社員は呑気に「まだ粘ってるな」みたいなことつぶやくくらいで無関心そうだった。俺もあそこまでできない奴なら仕方ないだろくらいにしか思ってなかったんだが。

研修後すぐに配属された。最初の配属先はうちの先輩社員いるから分からないことがあれば頼ればいいと言われたんで、何も考えずに「客先常駐」した。常駐先に行くと、最初の顔合わせのミーティングで先輩社員がなんの予防線もなく「××社のAです」と違う社名を名乗ったので、俺もとっさに忖度して同じように別の会社を名乗った。求人情報では「一次請けが多い」とのことだったが、いきなり多重派遣案件アサインされた。そういや職務経歴書名前書いたら「名前イニシャルにして」と言われたし、改めて「あー、俺派遣社員なっちゃったんだな」と思いながらも、どうでもいいやと思ってミーティングを続けた。

からわかったんだが、あるベンダー経由で1名とか2名の人手が欲しいと紹介のあった案件プライム(一次請け)と称しているだけで、自社ではまともに要件定義もできてなかった。

残業時間は当たり前のように月40時間オーバーし続けていた。少ないって?具体的に書くと特定されるだろ?ここでも裁量労働制とかなんとか言って残業代は出なかった。勤務時間が決まってるのにおかしいよね。休日出勤ももちろんあった。でも相変わらず俺は無気力だったのでおとなしく従っていた。仕事内容は大半がドキュメント整理だった。いわゆるエクセル方眼紙。図形やフォントちょっとでも違っていたら修正しろって言われるやつ。あとスクショエビデンス客先常駐なので自動化ツール使用許可がおりなかった。数ヶ月で契約終了になって、別案件アサインされたがやはり残業時間は多かった。更に悪いことに、プロマネ技術管理もできないクズで、スケジュールが遅延しそうになると「緊急ミーティング」を開催して何時間派遣社員たちを罵倒する。遅延の原因はだいたい発注元のミスか他社の不手際なんだったんだが。そのくせ自分設計ソースコード問題があっても知らん顔。今思うとなんで辞めなかったのか不思議だが「3年以内に辞めたらどこも雇ってもらえないよ」みたいな脅し文句がきいてたんだと思う。それからもちろん「単独常駐」もやった。他に自社の人間がいないので、仕事内容を指示するのは当然派遣先社員成果物を納品するので請負だと言われたけど、納品する成果物というのが派遣先での勤務時間を記入した書類。どう見ても偽装請負です。本当にありがとうございました

これを読んでる人からは「うちはもっとひどかった。甘えてる」とコメントが来るかもしれないが、実際暴行事件とか過労死とかもっと酷いブラック企業ニュースはいくらでも流れてくるんで知ってるから。あの会社暴行過労死もなかったみたいなのでそういうとこよりはマシなんだと思う。俺はブラック企業の酷さで張り合う気はないんで、とことんブラック企業限界に挑戦して欲しい。

■なぜ辞めたか

こんな感じで酷い労働環境でも反抗することな無気力に過ごしてきたが、同級生は俺よりだいぶ稼いでいるとか、あいつはもう結婚したとかいう話を聞いたりして、1年経ったあたりからだんだん正気に戻ってきた。あと、大企業派遣されると正社員だけの福利厚生制度が目についてかなりみじめな気分になるてのもあった。業務派遣先が変わるたびにリセットされて、単純作業ばっか。昇給も昇格もスキルアップもできない。だが結果として、3年どころか2年で転職できた。実力というより運が良かったのかもしれんが、知り合いはまだ若かったからとか言ってたので、そうなのかもしれない。

■こんなネガティブ情報だらけの人売りITにそれでもなぜ人が入ってくるのはなんでだぜ?

俺は新卒で入ったけど、中途で入ってくる人間もかなり多かった。中途と言っても、ほとんどが20~30代くらいで、しかプログラマ経験だった。この人たちの前職が何かというと、飲食チェーン店店長(いわゆる名ばかり管理職?)とかノルマのきつそうな営業販売員とかフリーターとかで、いかにも将来性のなさそうなとこから逃げてきました、って感じだった。この辺の人達からすれば、言うとおりにしてるだけで給料もらえる今の仕事はるかに良いんだと思う。新卒場合は、たぶん俺と同じようにあんまり将来のこと考えてなかったんじゃないだろうか。辞める人にも2通りあって、1つは研修についていけなかった人とか口では仕事できるアピールするがいざ仕事すると何もできない奴。だいたい1年以内に辞める。2つ目は、真面目で技術力のある職人気質の人(だいたい経験者)や将来の目標がある上昇志向の強そうな奴。このタイプ能力があるんだけど、あの会社じゃろくな仕事ができそうにないからか1~2年くらいで辞める。といっても帰社日以外で顔を合わせることがないので辞めた人間全員を知ってるわけじゃないんだが。なので結果として、ひどいブラックから逃げてきたけど他に行くところのない中途組や、騙されてることには分かってるが辞める勇気のない新卒会社に長く残ることになる。

■人売りITを避けるにはどうすればいいか

人売りITは、求人情報で「自社開発」「自社製品」「直請けが多い」「研修が充実してる」「労務管理ちゃんとしてる」「上流工程へのキャリアアップもありえる」「業績好調(じゃあなんで給料払わないんだ)」みたいな嘘や誇大広告を平気でやるので求人情報はあてにならない。そもそも偽装派遣を「客先常駐」と言い換えてる時点でね。特に新卒場合給料を安くできるし、中途と違って労働法知識もなく、労働環境待遇について質問するのがタブー視されてるので人売りITにとっては格好のエサ。実はコンサルじゃなくて人売りITでしたとか、実は給与ボーナス込みの額でしたとか、残業手当込みの額でしたとか、研修中は給与でませんとか、実は正社員でなく契約社員でしたとかはざらにある。もちろん人売りIT以外のブラック企業でもあるんだが。採用面接に行かなくても簡単にできる判定方法は、最初エントリにもあるように「会社概要から従業員数とオフィスの規模を比較する」のが一番だと思う。社員派遣するんだから自社に社員全員分のデスクを用意しなくてもいい。よって人売りITは高い賃料で都内に広いオフィスを借りたりしない。オフィスが小さな雑居ビルのワンフロアだけなのに、従業員数が数十人とかになってるところは間違いなくクロ。もっと規模の大きい人売りITもありえるけど、そういうとこはネット口コミ情報が流れやすい。最近グーグルマップがあるので現地に行かなくてもオフィスの規模は推測できるが、オフィスの大きさがわからないなら、特徴的な求人情報の有無でわかる。「未経験者歓迎」「勤務地23区内」「就業時間は客先に準ずる」が全部揃ってたらまず間違いない。

さびしさの運用について

「このさびしさをどしたらいいの」ということを延々考えて、人生単位で見てもそれはそれは長い時間を浪費しました。

その中でまず気付いたことは「人はさびしいとおかしくなる」ということでした。

ひっくり返すと、人がおかしなことやってるときは、だいたいさびしいんだよな。

さびしさを動機にして人や自分を裁いても、よけいさびしくなるばかり。

なにかを裁くということはなにかを切り捨てることだ。

一度切り捨てられたもの時間が止まってしまう。

うそからは何もうまれないのでした。

さびしいのに、いろんなものをどんどん切り捨てて、自分さえも許せなくなって、狭く、小さく、よけいさびしさを募らせるばかり。

おかしなことだ。

さびしさとは無縁に見える、幸福そうなあの人と、わたしは何が違うんだろう。

考えればなにもかも違うように見えたし、でも本当のところはどこがどう違うのかよくわからない。

ただ、自分さびしさにふりまわされていることだけがわかる。

で、ここでひとつ実験をしたのです。

自分がどうしてさびしいのかわからなかったし、さびしくなさそうなあの人との違いもわからなかったので、わたしは「楽しく見えればそれでいい」と決めて、それ以上のことは求めないようにしたのでした。

その実験わたしにとって正しい試みでした。

それからもうひとつ気付いたことがありました。

「人が吸い寄せられるものは、優しい」ということ。

一見優しさとはかけはなれて見えるものでも、そこに人が吸い寄せられているならば、それはその人にとって優しいのだよ。

この世にはわたしのしらない優しさが無数に存在していて、ただ見出だされるのを待っているのだと気付いたとき世界が変わって見えました。

では、その優しさに反応する心とは何だろう。

たぶんそれがさびさなんじゃないか

そう思いました。

人それぞれが固有のさびしさを抱えていて、固有の優しさに惹かれて、繋がって、世界というのは出来上がっているようだ。

そういう気がする。

そしてまたわたしひとつ決めたのでした。

さびしさは引力とする」

さびしいときに、そのさびしさの犯人探しのようなことをして、いろんなもの一方的に裁いたりしていたけれど、それはわたし幸福にはしなかったから、もうさびしさに意味を求めるのはやめようと思ったのです。

さびしさは、優しさを指向する引力で、それ以上でもそれ以下でもない。

から、その引力を濁らせないで、本当にいちばん惹かれるところに、素直に引っ張られてみよう。

わたし場合は具体的な話をすると、それはたとえばボードゲームだったりKBG部だったりするのですが、とにかく、なるべくさびしさで世界を切り捨てたりゆがめたりしないで、素直に優しさに惹かれていこうと思ったのでした。

そうやって決めたことも間違いではなかった気がします。

さびさなんてどうせちょっとうれしいことがあれば蒸発してしまう揮発性の感情で、それをわざわざ恨みとか自己嫌悪なんかのめんどくさいものに加工する必要はない。

今でもときどきさびしさの波のようなものは訪れるけど、別におそれるようなものではなくて、そういうときもあるわね、というぐらいで、おおむね楽しくやれています

なりたかった状態自分を持っていけたことは、うれしかったし、安心した。

それで今になって思うのは、かつてさびしさに無縁で幸福そうに見えたあの人たちにも、きっとさびしさの波は訪れていたのだろうということです。

決して、わたしけがさびしかったわけではないのだと。

ただ、彼らはさびしさを正しく運用していただけなんだ。

それだけのことなんだ。

大人なんてさびしくて当たり前で、でもそれはただ優しさを指向する力で、だれのせいでもなくて、みじめに感じることもなくて、その力にさからわずに、惹かれるままに、自分のさがしているものを見つければいい。

会いたい人には会いたいといって、いきたいところには素直にとびこんで、泣きたいときには思いっきり泣いて、さびしさでいろんなものとつながっていけばいい。

わたしはこれからもきっとさびしい。

でもそれでいい。

たくさん間違えて、長い時間がかかったけれど、ようやくここまできたよ。

https://anond.hatelabo.jp/20180115225245

寂しさを自覚してしまった

詳しくは書かないが、ひょんなことから寂しさを自覚してしまった。

それまで寂しいと思ったことがなかった。「寂しいと頭の中で言ったことがなかった」のほうが正確かもしれない。

が、自覚してしまった。寂しいという感覚を知ってしまった。これまで生きてきてこんなポピュラー感情の味を知らなかったなんて自分でも驚いた。「あぁーこれがかの有名な!」と。「寂しいってやつですか」と。

それからというもの、ある種の中毒症状というか、頻繁に寂しいと思うようになった。やばい。なんだこれは。やばい

寂しさを紛らわすためにあれこれ行動してみるけど、一向に逃げ切れない。なんだこれは。なんだこれは。


とにかく、自分にまだ知らない感情があったことに驚いた。まだまだ人生長いのでもっと色んな感情を知りたい。次はもっとポジティブなやつを知りたい。


・・・なんかAIの書いた日記みたいだな。

ペンを捨てられなかった話

最近色々と思うところがあってぼんやりと考えていた。

前置きとして私は多少の絵が描けるアラサーの女オタクである

絵が描けると言っても、絵描きとか絵師とか、そういうのを名乗るほどでもない。個人的絵師って表現自体が好きじゃないが、それを差し引いても、だ。

と言うのも私はもともと文章を書く方が好きで、書いた話やキャラクターの補足として絵を描くようになった。たぶん割と物書きにも多いんじゃないだろうか。それでそこそこに描けたのでだらだらとこの歳まで描き続けてきたに過ぎない。

から絵を描くことがめちゃくちゃ好きとか、私には他者に己の世界観を示すにはこれしかないとか、そういうわけではない。

そんな私は十代の頃からネットをやっていて、まあまあ若気の至りで痛々しい言動やらかししまったりしたこともあった。今思えば恥ずかしいまでの厨二病だった。

そのあと、HNは単なる気まぐれで数回変えたが、自分がいたジャンルも使っていたHNも全部つまびらかにして今の今までやってきている。

去年に、以前いたジャンルちょっと戻った。ジャンル、と言うと語弊があるのだけれど、詳しく言うと身バレして面倒なので省かせてほしい。

そのジャンルに顔を出すのはもう10年ぶりくらいだった。

そのとき、全くの初対面(本当に会ったわけじゃなくネット上での初対面)で恐らく私よりずっと若いだろう人にやたらとキツくあたられた。私の書いたものに対して物凄く否定的ものをぶつけられた。古巣で「久しぶりだね」と再会したり一緒に古巣へ戻ったりした友人たちからも「あれはひどい」と言われた。私は単に「この人の地雷か何かを踏んだのかしら」程度に思っていた。まあそれでもそのあとしばらく恐怖を抱いて、同じジャンル内の人に自分から話を振るのは控えるようになったりはした。

そのあと、その人とTwitterで話をする機会があって、「思ってたよりずっとずっと優しくていい人だった、ごめんなさい」と謝られて(実際私は優しくも何ともないのだけれど)、「私も傷付いたけど、他の人には同じことを絶対にしちゃいけないよ」とだけ言い含めて、終わった。

終わってからおかしいな、と思った。

完全な初対面だったはずだ。歳も恐らく離れていたし、私が以前このジャンルにいたとき、この人はいなかったはずだ。

そのあともおかしいなと思うことが何度か続いて、私はネット検索をかけた。

まあ、出るわ出るわ、私に対するあることないことの話!!!

私が以前に陰湿メッセージ個人に送り付けてジャンルから追い出しただの何だの。

挙句の果てには家族構成から今までの学歴身体的特徴に対する嘘八百

「これかー!!!」ってなりました。

すごくない?以前このジャンルにいたの10年前だよ?最初から数えたらもう20年近くだよ?意味からなくない?

私は割とTwitter私生活をだらだら明かしてしまうのだけど、どうもそれにめちゃくちゃな曲解を加えて悪意に満ち満ちた改変をしているらしくて、ここまで来ると逆に凄いな、なんだその執念は、という感じで。

私の私生活や経歴くらいは私の本名明かされてるわけでもないからどうでもいいし至って無傷なんだけれども、まあ、お察しの通り、絵が下手だとか絵柄がババアだとかも書かれているわけだ。

それから私は何気に絵を頑張って描いた。黙らせてやろうと思った。上手かったら、絵柄が今風だったら、こいつら悔しがってくれるんじゃないかなって思った。

でも違うわけですよ。仮に私の絵が上手くなろうが流行をとらえようが、何をしたってそいつらは悪く言うわけだ。

道行く人に道案内を頼まれてやったと言えば「いい人アピールw」と笑われるだろう。それと同じで、たとえば流行の絵柄になれたって「ババアが無理して流行追ってて痛々しい」とか言われるわけだ。

じゃあなんだろう、なんで私は頑張って絵の練習なんかしちゃってるんだろう。こいつらに笑われるために絵を上げたりしてるんだろうか。私が描いた、私が大好きなキャラもこいつらに笑われるんだろうか。私が描かなかったら笑われなかったんだろうか。

このジャンルからは出たあともそれは続いて、申し訳なくなって、別ジャンルの方ももう描かなくなった。

まあ今はちょっと持ち直したんだけれど、それでももう昔みたいなモチベーションはなくなってしまった。絵を描かないのが1ヶ月続くこともざらになってきた。

自分のために描いてるからそれでいいの」と突っ撥ねる強さは私にはなかった。

「私の絵を好きだと言ってくれる人がいればそれでいいの」と笑える余裕もなかった。

いくら私に向けられていたからと言って、それを私が気にしなければいくら心無い言葉でも「ない」のと同じだったのに、それもできなかった。

もうなんかよくわかんねえなという気持ちで、でもたぶん、私自身が思ってたよりは多少なりとも絵を描くことが好きだったのか、未練がましくもペンタブを捨てられないでいる今日この頃です。

別に教訓とかない話でした。

120になった

艦これ司令部レベルの話。

14年春からはじめた。「やったら絶対ハマる」と思っていたか敬遠していた。当時は色々炎上もしてたから、普通に関わりたくなかった。

女の子が戦う物語が好きだった。男ばかりではダメだった。乙女ゲーム商業BLも。刀なんて絶対ムリ。

だけど、なんのきっかけだったか、突然始めてしまった。最初の頃のことはあんまり覚えていない。

2-4をはじめてクリアした時の妙な興奮だけが残っている。

結局それから、ずっと甲勲章を取ってる。俗に言う呪いにかかっている。

戦果もろくに稼がず、ランカーでもない自分が甲12先駆者たちにはほとほと頭があがらない。

別に報酬の良し悪しはどうでもいい。それがなくても、ケッコンしていなくても、改修が微妙でもクリアできることは証明されている。

出撃制限ルートによるギミック解放は、運営が忠実をなぞりたいのなら、これからもぜひこだわってほしいと思っている。

だってあんルートギミックなんて攻略には本当に面倒なだけで、「ああこれは忠実通りの艦隊でうんぬん」なんて気がつく人はほんの一握りだ。

でもそういう面倒なところがなんか好きで、あれこれ言いながら今日まで続けてきている。

もちろん批判は相次ぐ。思い通りにいかないストレス。大破撤退。資材の確保。私もストレス経験があるから、ひとえに無視できない。

友達で続けている人間はもうほとんどいなくなってしまった。もうこれはしょうがないことだ。

コンテンツを消費して消費して消費しまくって、枯れ木になったらオワコンと呼ぶのがいまのインターネットだと思うから

けれど艦これはもはや、私の費やした時間のかたまりになってしまった。

スマホゲーや他のブラウザゲームが続かないのも、ブラウザの端っこでいっつも母港が開いているのも、もう当たり前になってしまった。

同じ艦をモデルにしたゲームも試してみたが、どうしても続けられずにいる。


司令部レベル120になったら、思い返してみようと思っていたから書いてみた。

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