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2018-07-17

何処か別の国に行きたいが、何処へ行けばいいのやら

こんな顔で偏差値が低い大学に通っていると色々と考えてしまものだ。

https://i.imgur.com/NRNNxks.jpg

https://i.imgur.com/jpIY7E4.jpg

https://i.imgur.com/qAtuOre.jpg

ただ自分があれこれ考えても、「あぁやっぱり自分は低偏差値大学に通っているレベル頭脳なのだな」と感じる。

どん詰まりなのだ

最近、高偏差値大学に通う高校時代同級生の女を見た。

頭もよく、要領よく生きている。そして、容姿がいい。

自分が苦労してギリギリ出来そうなレベル就職も、華麗にこなしていそうだった。

容姿が良い人間は周りが良くしてくれて良い方向に転がる。

例え、政権がやりたい放題やろうが彼女人生を楽しく過ごすだろう。

権力に従い上手に生きるのだ。

司法行政が腐敗しようが、関係ない顔をしていられそうだ。

例え迫害されても、容姿やら要領、頭脳故に逃げ場所があるのだろう。

一方の自分は、醜いし頭が悪いのでどうにもならない。

最近、麻原氏などが死刑になったが恐らく大抵の人間は疑問もなく当然だと思っているのだろう。

しかし、自分はどうもそうなれない。

罪人の人権というものを考えてしまう。フェミニズムなんかよりも重要だと思っている。

自分容姿が醜いか冤罪やら、微罪逮捕やらされる可能性が何時だってあるんじゃないか不安で怯えているのだ。

さゆえに世間憂さ晴らしなどに都合がよくボコボコにされるのではないかと。

最近ニュースを見ても十分に起こり得ると思っている。そして、恐怖する。

街を歩くと皆何も考えていなさそうで楽しそうだ。

行政司法立法の腐敗など何も深刻に考えていないのだろう。

国家やら巨悪は見て見ぬふりをして、貧しき者の食い逃げに怒っているような人ばかりな気さえする。

そしてワールドカップ政治的主張があれば、試合邪魔をするなと怒るのだろう。

現実が息苦しく、ネットを覗いても息苦しい。

巨大企業ばかりが潤い、現実での肩書が大切であり、自由はなく匿名性などなにもない。

同調圧力国家による監視商業主義が覆っていて息苦しい。

内閣与党へのアクロバティックな擁護を見るのはうんざりだ。

親が小金を持っているから、海外にでも行こうかとも思ったりする。

ただ、容姿が醜く低偏差値大学に通う自分の行き場所などあるのだろうか。

自由というのは得るのが難しい。

2018-07-15

なんでカルテルは黙認されているの?

大手スマホキャリア然り、あらゆるものが結局談合してない?司法は裁けないの?それとも法的な認識を間違ってるの?

死刑廃止派は「死刑」と「現場射殺」は違うって言うけど、

死刑廃止派がデマデマだって騒いでた「死刑廃止国では現場で射殺している」が本当だったって検証されたわけだ。

そしたら今度は、「死刑現場射殺はぜんぜん違う」だってさ。

正直、「ハア?」としか思えないよね。

一度主張したデマ検証されて論破されたら「実はそこが論点じゃなかった」だって

しかも、死刑賛成派を頭が悪い奴と見下す余計なディスり付きで。

トランプ大統領を生んだリベラルの余計な態度がまだ理解できてないんだね。

曰く、「死刑は『国家による殺人』だけど、現場射殺は『緊急避難』で周囲の被害を防ぐためにしかたなくやるもの」なんだって

なんで「緊急避難」が本当に正しかったのか無条件で信じられるの?

司法証拠を基に判断して死刑を下すのと、現場の一人か二人の判断で殺すのとどっちに信用をおくんですか?って話だよ。

正直、自分警察官検察官裁判官もそこまで信用してるわけじゃないけど、法律判断の信用性で順序を付けるとしたら、裁判官判断を信じるよ。

そして、「周囲の二次被害を防ぐための『緊急避難』で射殺」が認められるなら、

社会の秩序を守るために裁判に基づいて死刑」も認めるべきだよね?

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.yaserucola.com/entry/shot_dead

anond:20180714231916

家庭内で兄が妹をレイプしたこと第三者が知って警察通報したとして、

近親婚がOKなら「二人は結婚を前提とした真剣交際をしていた。レイプに見えたのはちょっと喧嘩しただけorそういうプレイだった」

という身内を前科者にしたくない家族の口裏合わせを破るのが難しくなる。

自身も、経済力健康状態実家を出て自立するには厳しい感じで、両親に口裏合わせを強制されているならなおさら

特別性犯罪の追求に熱心な警官検事でなければ

「まあ、婚約者同士の喧嘩のようなものなら、民事不介入で……最近は近親カップル絡みをうかつに事件化すると性的少数者弾圧だ、のような批判も来ますからね……」

と腰が引けてしまいそう。

それほど極端な想定では無いと思うけど、どうかな?

司法が動きにくくなるだけなく、近親レイプ件数自体も増えるかもね。

学校から帰るなり制服スカートを脱いでソファの上でスマホを弄りながらゴロゴロしている妹(16)の姿を毎日見せつけられているお兄ちゃんが、

今日から近親婚が施行されて、あいつとの結婚もアリになったんだよなあ……)

と理性を投げ捨てる最後言い訳を与えてしまうかもしれん。

元増田じゃないが、俺にそんな妹がいなくて良かった!(酸っぱいブドウ

2018-07-13

anond:20180706182250

死刑制度日本で続いてるのは、戦後日本司法制度に対する国民の信頼の現れだと思う。

自分や身近な人がなにかの間違いで冤罪になった場合、という死刑冤罪回避論に対しては、悪いけど一法曹がそれをいうのか…と思ってしまう。人間人間を裁く場合、確かに間違いは起きる。ただ、そのための三審制じゃないの?とも正直思う。死刑可能性のある裁判だけ四審にしたら?逆に、冤罪が怖いなら死刑以外も減刑するべきでは?死刑廃止論で盾にするべきなのは冤罪じゃない気がするけど…。そもそも冤罪な時点で、無期懲役だって懲役三年だってものすごく大問題なのだ。死ななければいいという話じゃない。

死刑廃止論を語るなら、冤罪ではなく、社会が人命を奪うことを許容する、人権社会価値に対する危機感を伝えてほしい。

私自身は死刑廃止論に反対。諸外国廃止しているからといって、じゃぁ日本も、というほうが信用できない。

死刑に相当する罪を犯したひとの人権を守るなら、被害者の奪われた人権の重さを、どう社会は消化すればいいのだろう、と一層考えてしまう。

政府とは

デジタル大辞泉

政治を行う所。立法司法行政のすべての作用包含する、国家統治機構総称日本では、内閣および内閣統轄する行政機構をさす。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

広義には立法司法行政など一国の統治機構全体をさし,狭義には内閣およびそれに付属する行政機構のみをいう。

百科事典マイペディア

日本ではおもに行政担当する機関内閣および官僚機構)をさしていう


政府の初期対応が遅れていた」って言う人達は何故か官僚たちの働きを無視するんだけど

こういうこと言う人達の「政府」って何なんだろう?

容姿が醜い自分に行き場所などない

容姿が悪いと何処までも苦しむものだ。

アニメを見ていると、容姿よりも大切なものがあると提示するようで最後容姿だよねというオチ提示してくる。

更に容姿とは関係ないものでも、それを含んで評価される時代だ。

おそらく、何もかもが差別化できなくなった結果だろう。

最近卒論相談先生とした時に日本やばいという話になった。

行政政治司法の腐敗、死刑制度やらの恣意的とも思える運用やら、それを自分関係ないと思っているバカ国民

会話のあとに分かったが、死刑囚の遺骨が遺族が求めているにも関わらず渡されないのも正直怖い国だと感じる。

どこか別の国にでも行きたいと思うものだ。

ただ、どこにも行き場所などないのだろう。

会話の中で従来の弱者観だけでは対応できないという内容になったときだ。

みんなもご存知のアメリカ非モテインセル」の話になったのだ。

先生自分の子供が白人圏に留学しているが白人女に相手にされるわけもなく、アジア人男性集団皆がカップル文化の中で苦しんでいるとか言うのだ。

フランス人作家ウエルベックはかなり前に「闘争領域の拡大」で容姿が醜く性的ロマンを得られない悲壮を描いている。

おそらく、自分のように容姿が醜いとどうにもならないのだろう。

2018-07-12

外国暖かい海の近くに住んで外見コンプ解決してゆったり暮らしたい

最近思い描いているのは外国暖かい海の近くに住んで整形やらで外見コンプなども解決してゆったり暮らすことだったりする。

アメリカIT起業成功率の低下などを見ても富を築くなどは無理だろうと感じる。

ただ、親の小金はあるし、資本主義崩壊ときになったらアレコレできるように準備したいとか夢を描いている。

真夏太陽が照りつける中で、卒論相談先生と話したとき日本やばいという話になった。

行政政治司法も腐敗しているとか。そしてバカ国民自分関係ないと思って、喜んで公安やらを支持して死刑制度にもバンザイしていると。

そして、いつの間にか監視カメラだらけの監視社会になっている。

いつ権力自分に牙をむくかを全く考えていない人間が多すぎてヤバイなどと。

今日大学で友人?と話した。

彼は何も考えないタイプ人間で、サービス業系の職種就職が決まって喜んでいた。

第三次産業だとか感情労働だとかネグリハートとかも知る気はないのだろう。

以前は与党野党どっちもどっちかいDD論を展開していた。

おそらく、何も知る気も考える気もないが分かった気にはなりたいのだ。

そして、何も考えずに権威主義になっている。彼も結局何も体制やらから危害を与えられないと思っているのだろう。

自分は何故体制やら後期資本主義やら様々なものを疑うのかと言うとやっぱり容姿が悪いからだろう。

国家から社会から資本から容姿が醜い自分必要とされないと知っているのだ。

しかしたら警察冤罪で取っ捕まえに来るかもしれないとか、社会からサンドバッグにされるかもしれないとか。

いつも恐怖で怯えている。

出来ることはやっていて英語力を高めたり、匿名性を高めるVPN契約したりと。

いつか自由を手に入れたいものだ。

ただ、容姿が醜い自分に行き場所などあるのだろうか。

先生との会話のなかでアメリカ非モテインセル」の話が出てきた。留学している息子がアジア人男だから白人女に相手にされなくてキツイ思いをしたとか云々。

おそらく、自分自由になりたいが行き場所などないのだろう。

アニメでは容姿がやっぱり大切だよねとか言う内容の話が流れるし、文学界隈でも容姿が大切と捉えざる得ないことが起きていたりするものだ。

容姿が良くなって自由になりたい。

2018-07-11

場所がないけど、一体どこへ行けばいいのか

最近日本やばいと思っている。

いや、世の中全体が申告で少しも自分に対して味方をしてくれないと感じている。

政治行政司法が腐敗している気がしてならない。

親が少し金を持っているが、自分がうまくやっていける気はしない。

金を増やそうにも、アメリカでは起業成功率が低下したりしている。資本主義自体が無理な領域に達しているのではと思うくらいだ。

また、いつ国から冤罪をふっかけられるか、あまりない財産を取り上げられるかなど様々なものに怯えている。

ネットをやるにもtorVPNを使っている。

攻殻機動隊lainかいう一昔前の創作物に描かれた自由さなネットには微塵もなくて、国家による監視大企業の独占ばかりが目につく。

そんな息が詰まるネットを見ると「犯罪者」というものを見るとき自分は違うと考えて警察やら国家権力を盲信している輩ばかりだ。

とても自分には信じられない。

よくここまで権力体制、今の時代というものを信じられるなと感じてしまう。

自分は盲信できそうにない。おそらく、自分容姿が醜いからだろう。

いつだって社会容姿が醜い自分排除しようとするだろうと思っている。

容姿が醜いと生きているのか死んだいるのかよくわからなくなるのだろう。

2018-07-10

anond:20180710162410

大切かどうかは関係ないでしょ。司法の話だよ。

被害者遺族の被害者への愛情を計測して量刑判断に加味するとでも。

2018-07-09

anond:20180709055614

この増田の論旨の一つは「看護師にもまともな倫理教育をせよ」ということだと思うが、どうしてそれに対して労働時間がとか給与を増やせとかそういう話になるのか理解できない。

そんなのは教育課程で1単位設けてやれば足りる話ではないか

あとはせいぜいなった直後に1回やれば済む話。

法曹倫理については、法科大学院で1単位司法修習で1回、弁護士については登録後1回の教育課程があるが、それすらも無理なの?

死刑になりたい人の殺人【追記あり】

死刑になりたかたから」と通り魔をする人がいる。

まり死刑をなくせばこういう人に殺される人もいなくなる。

死刑賛成派はこれとどう折り合いをつけているのかな。

数が少ないから考えないことにしている?

↓を見ると21世紀に入ってから1~2年に1件起きている。

参考

死刑になりたいと望んで引き起された犯罪事件の一覧 - いちらん屋(一覧屋)

https://ichiranya.com/society_culture/122-crime-which-wished-for-death-penalty.html

7/10 23:59追記

犯罪を犯したら病院送りにするのが正しい」(anond:20180710152412)を読んで思い出した。

『罪を犯した人を排除しないイタリアの挑戦』(浜井浩一)によるとイタリア憲法には「刑罰は更正のみを目的とする」とあるそうだ。

イタリア制度共通しているのは、社会的に困難に陥った人に必要支援を届ける、その際に、困難に陥った理由によってクライアント差別しないということにある。障がい者も薬物依存症者も受刑者も困難から回復するために支援必要な人として等しく支援を受けることができる」

イタリア犯罪処遇の特長は、行政の中に、犯罪司法問題ではなく社会問題であり、市民社会的困難を抱えることによって犯罪が生まれるという認識を共有しているところにある。そして、それに対処するためには、彼らの抱える社会的困難を解決することが必要であること、そのためには様々な支援必要であるという認識が共有されている」

浜井浩一『罪を犯した人を排除しないイタリアの挑戦』 - 三日坊主日記から引用

ちなみにこの本の著者は『2円で刑務所、5億で執行猶予』の人。どちらも好著。ついでに『反省させると犯罪者になります』(岡本茂樹)もよかった。

この方向で考えれば、死刑をどうするかとか終身刑ならいいのか、安楽死を設けてはという議論にはあまり意味がないとわかる。

ブコメから

  • そうなんだよね。だから,みんなが「死にたくない」と思う世の中にしないといけないんだが,これがなかなかに難しい。
  • というより、死刑になりたいという人をどうにか生きやすくする方が重要なのでは。

その通りですね。

そりゃまあ確かにパソコン遠隔操作事件は、警察自白でっち上げたことを立証した点ですごい功績だと思いますね。

死刑の有無が犯罪抑止に繋がっていない」は本当にそうなのかな? と思って検索したら増田が出てきた。

アムネスティにも同様の記事があった。

死刑には、他の刑罰に比べて特別な抑止効果があるとはいえない、というのが今日世界における共通認識です。

死刑に関するQ&A : アムネスティ日本 AMNESTY

死刑犯罪抑止に効果あり」という記事もあったが阿修羅か…

とっちらかった追記になってしまって申し訳ありません。

みんなで死刑についてもっと考えましょう。とむりやりまとめて終わり。

2018-07-08

容疑者男性看護師だったらもっと叩かれていただろう」

という主旨のブコメが多いが、残当しか言いようがない。

社会女性を守るためにできてるんであって、犯罪処罰例外ではない。どんなに男女平等司法制度を整えても、本能レベルで「女性を守るために犯罪を取り締まってるのに、女性を取り締まったら本末転倒やな」という思考無意識にある。

anond:20180708122814

2018-07-07

死刑が不可逆的であることについての奇妙な反論

死刑存廃問題に関してはいろいろと意見があってもいいと思うし、とりわけこのような凶悪犯罪に関してやはり死刑必要ではないかという意見も当然あってしかるべきだと思う。(EUですでに廃止している国でも、国民意志としては死刑存置のほうが多かったりするし)

今回気になったのは、「死刑は不可逆である」という意見に対する下記のような反応だ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20180706182250

懲役10年の後に冤罪わかっても不可逆じゃん。冤罪問題なら懲罰全部無理やんけ。

増田は、わずかな確率であっても、増田増田の大切な人が、冤罪で(長期の)懲役刑になること(受刑中死亡する場合も含む)を許容できますか?許容できないとしたら、(長期の)懲役刑は廃止すべきだと思いますか?

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20180706182250

死刑は不可逆というのがいまいちわかんないんだよな。懲役は可逆なのか?不可逆だよね?

例えば袴田事件。もし日本司法根本から腐っていなければ、きちんと再審して名誉回復は出来たはずだった。実際は高裁再審請求棄却になってしまったけど、それでも袴田さんは二度と収監されることはない。袴田さんの失われた人生はもちろん帰ってこない。45年もの長きに渡って死に怯えながら暮らした日々は不可逆だ。しかし、地裁執行停止判決を下したことで、一定名誉回復された。死刑執行していれば、どうなっていただろうか。

四大冤罪事件といわれる、免田事件島田事件、財田川事件などもそうだ。これらは再審無罪によって正式無罪が確定し、名誉回復されている。

そもそも日本司法は、死刑が不可逆的であることを十分に理解している。名張ぶどう酒事件や、帝銀事件などに関しても、受刑者は結局、死刑執行されないままに獄死している。結果的に、冤罪の疑いがある死刑判決の多くは、刑が執行されないまま事実上終身刑という形になってしまっているのが実情だ。しかも、日々処刑されるという恐怖に怯えながらの終身刑終身刑であれば、常に再審請求のチャンスが有り、DNA鑑定のような新しいテクノロジーの出現により真相が明らかになるチャンスがあるが、死刑執行されたあとの再審開始は極めてハードルが高く、困難であり、そして仮に無罪が確定したところで、釈放されるべき被告人存在しない、ということだ。

実際、冤罪の疑いがあった飯塚事件に関しては、遺族の再審請求却下されている。死刑執行したあと「あれは間違っていました」という判決は、とても下せないだろう。

から死刑廃止しろ、と主張しているわけではない。この増田で書きたいのは、「死刑は不可逆である」という意見に対して「懲役刑も不可逆的である」という反論は成り立たないということだ。常に本人から再審請求のチャンスが有る懲役刑と、刑が執行されたあと事実上再審不可能である死刑イコールではない。

anond:20180707110210

死刑か否かって司法判断だよ。

それをネット投票おかしくて茶がヘソを沸かすぐらいに変。

死刑反対論者の理屈がさっぱりわからない

EUトップ真剣に言ってるみたいだからあいつら大丈夫か?って思うんだけども

国家権力人権侵害だみたいな言い方だけど、司法だけじゃなく軍隊警察国家権力でしょ?

そうなると軍隊警察もあらゆる殺人を犯せない事になるけど、EU見渡してもそうなってないよね?

バンバン射殺してるし空爆してるし

あいつらの中ではどう理屈付けて死刑と分けてるんだ?

誰が死刑批判できるか

駐日欧州連合と各国の駐日大使が「日本死刑執行されたことを受けた、現地共同声明」を発表した。

https://eeas.europa.eu/delegations/japan/48047/node/48047_ja

私は、死刑制度はすでに「ある」ものなので、存在を疑ったことがないタイプ人間である。多くの人が通勤時に信号を受け入れているように、人を何人も殺したことが確実と思われる者は死刑になると考えて生活している。

ただし、このような駐日欧州連合と各国の駐日大使の声明についてはモヤモヤとしたものを感じてしまう。なので、彼らの主張が本件に当てはまらない点と主張の欺瞞を明らかにしてみたい。すでに「偉い人」によってナンセンスとされている議論かもしれないので、皆さまの叱正も乞いたい。

過誤の存在

声明文には『どの司法制度でも避けられない、過誤は、極刑場合は不可逆である。』と書かれている。しかしながら、オウム事件刑事裁判において、犯罪事実行為自体は争われておらず、弁護側から反論は主に責任能力だった。したがって、本事件については冤罪ということはないように思うし、本事件について冤罪を疑うレベルの懐疑心の持ち主は日常生活を送ることは難しいだろう。また、「じゃあ、過誤じゃなかったらどんどん死刑にしてもいいの?」と反対論者に聞いても絶対に賛成しないのでこの主張は本質的でない。

犯罪抑止効果

より説得的な意見は、同声明文の「犯罪抑止効果がない」という箇所である。例えば、人権団体アムネスティは、「科学的な研究において、『死刑が他の刑罰に比べて効果的に犯罪を抑止する』という確実な証明は、なされていない」と主張している。さらに同団体は、以下のようなデータを示している。

1981年死刑廃止したフランス統計でも、死刑廃止前後で、殺人発生率に大きな変化はみられません。韓国でも、1997年12月、一日に23人が処刑されましたが、この前後殺人発生率に違いが無かった、という調査が報告されました。また、人口構成比などの点でよく似た社会といわれるアメリカカナダを比べても、死刑制度廃止していない米国よりも、1962年死刑執行を停止し、1976年死刑制度廃止したカナダの方が殺人率は低いのです。(http://eumag.jp/feature/b0914/)」

しかしながら、ここでは統計的な手法によって科学エビデンスを示していないので、主張は信頼性が低い。要は、死刑制度について賛成派も反対派も明確な科学エビデンスを持ち合わせていない。つまり犯罪抑止効果については、仮説によって類推するしかないのだ。その点、わが国の法務省の主張は明瞭(もちろん皮肉だが)。

刑罰犯罪抑止力があることは明らかであり,刑罰体系の頂点に立つ死刑に抑止効がないというのは説得的ではない。(http://www.moj.go.jp/content/000076135.pdf)」

事件に当てはめていても、(報道から)1審で死刑判決を受けたとき麻原は「何故なんだ! ちくしょう!」と叫んだことが知られており、宗教的インセンティブから罪を犯したものでさえ死刑対してコスト認識していたことがわかる。

誰が死刑批判できるか

ここまで、駐日欧州連合の主張が少なくとも本事件に当てはまらないことを論じてきたが、一般的に「死刑は残忍で冷酷であり、」誰に対しても行うべきではないという主張もある。この点については私も賛成する点もあるが、所謂おまいう案件でもあり主張は欺瞞に溢れているように思う。ここでは、EUに加盟しているフランスチベットダライ・ラマ法王の二つの行動に着目したい。

例えば、駐日欧州連合が「欧州における死刑廃止の取り組み」として紹介しているフランスである(http://eumag.jp/feature/b0914/)。フランス2015年11月ISISによる同時多発テロ対象となったことは、記憶に新しい。(事実として)フランス空軍は、1週間も立たないうちに、ISIS首都とするシリア北部都市ラッカ空爆している。そこには、過誤の議論も抑止効果議論もない。

これに対して、もう一人の死刑廃止論者の意見も紹介しよう。こちらは、2007年のサダムフセイン死刑に反対したダライ・ラマ法王声明である(http://www.tibethouse.jp/news_release/2007/070118_sdm.html)。チベット中国による人権自治侵害に晒され続けているが、法王は「私は、中国敵対などしていません。私が目指しているのは、チベット自治確立することです。」としている。法王は、フセイン死刑に対して「とても悲しいことです。大変、悲しいことです。」と表明している。

ここまで紹介したら、欺瞞なく「死刑批判できる人」が誰か明確になっただろうし、この問題日本が取る立場も見えてくるように思える。「国連人権理事会普遍的・定期的レビュー(UPR)の枠組みにおける勧告」なんて知らない。

2018-07-06

野蛮だから死刑に反対、この説明で納得する人がいるのだろうか。

冤罪を生む可能性が腐った司法にはあるから反対、という説明のほうが納得できる気がする。

anond:20180706205923

司法にそんな信頼されると照れるわ

死刑廃止派の一法曹としての意見

松本智津夫オウム真理教事件の確定死刑囚死刑執行された。

 私は死刑制度自体に反対の立場ですが、なぜそう思っているのかについて簡単に書いておきたい。およそ日本の今の状況で、松本らの死刑執行タイミングほど、死刑制度についての関心が高まることはないと考えるからです。

有罪であるという確証が持てない時に、多くの裁判官はどういう行動を取るのだろうか

 司法制度では疑わしきは罰せず、という原則があるのは、ほとんどの人が知っていることだと思いますしか現実裁判官がそのように行動しているかというと、そういうわけでもないようです。先日twitterである弁護士が、下級審簡裁だったかな)の判決書きで、若干の疑いがあるからちょっと罪を軽くしとくね、というような文面を書いてしまったため、控訴審でそれが棄却された、というものが流れてきました。これは判決書きに書いてしまったおバカな事例ですが、上級審であっても同じような運用がされていないわけではないようです。元裁判官で、刑法学者植松正は「無期懲役誤判の吹き溜まりである」と言いました。事実認定に若干の疑いがあるが、情状は極めて悪く、真に犯人であるのならば、死刑にするしかないというような場合無期懲役にすることが多い、というのです。これは裁判原則に反しています。実際には、情状に関わらず、事実認定合理的な疑いが残るのであれば、無罪とせねばなりません。なぜそれができないのでしょうか。裁判官人間ですから世論はまちがいなく気にしています世間を騒がせた大きな犯罪である場合裁判官のうち一人に合理的な疑いが残っていたとしても、合議の中で、簡単無罪判決を出せるものではないでしょう。つまり裏を返せば、合理的な疑いが残っていたとしても、死刑をいう選択をされてしま可能性は0ではないということです。死刑という刑罰存在する以上、確実に、100%、全くの疑いの余地なく、死刑に値する、と考えられない場合にも死刑選択してしまう例が存在するということです。

死刑制度問題は究極的には被疑者被告人人権問題に帰する

 死刑に値する犯罪を、まさか自分が行うはずはない、とほとんどの人は思っていると思います。ゆえに、とんでもない罪を犯した人間は、死刑でも仕方ないし、死刑が速やかに実行されるべきだ、という考えを持っている人が多いのではないでしょうか。被疑者被告人人権よりも、被害者の応報感情の充足が優先されるべきだ、と考える人も多いでしょう。しか100人死刑囚の中には、1人の無辜人間がいるとしたらどうでしょうか。その人を国家権力が殺す、という不正義をあなたは許容できるでしょうか。99人の”真実犯罪者”の被害者の応報感情社会要請としての死刑制度は、そのリスクを甘受するべきだと考えるでしょうか。

 では自分痴漢として裁判にかけられるかもしれない、と思う人はどれほどいるでしょうか。自分痴漢をやっていないことは天地神明に誓えるけれども、なんの証拠もない。被害者は、あなた痴漢されたと言っている。裁判所はあなたの訴えを合理的な疑いが残るとして認めてくれるでしょうか。捜査機関は、被害者の主張を、合理的な疑いが残らないように、矛盾をなくした形で、調書を作成するプロです。また裁判所は一応独立機関であるとされていますが、かつては判検交流と呼ばれる制度もあり、基本的裁判官検察官親和性の高い人たちですし、基本的検察提示証拠を信用して事実認定をすることが多い組織です。あなたの主張は認められず、あなた有罪判決を受けるかもしれない。あなたはそのリスクを甘受するでしょうか。疑いがかけられた以上は、痴漢という、卑劣犯罪行為に対して、その犯行を認めようとしない犯人であるあなたには、何の反省も見られない、と言われるかもしれません。

 裁判人間が行うものである以上、無謬ではありえません。痴漢冤罪場合、たとえ有罪であっても、人権上の制約は小さいと言えますし(むしろ冤罪であったとしても認めてしまった方が人権は制約をされないという残念な状況にある)、もし防犯カメラなどから無罪証明できた場合名誉回復され、損害賠償請求できる場合もある。しか死刑場合においては、それは究極の人権制約なのです。

団藤重光は以下のように論じています

例えば懲役刑などにしても、長いこと刑務所に入って、後で無実だということがわかって出されても、失われた時間、失われた青春は再び戻ってこないという意味では、これも確かに取り返しのつかないものです。しかし、そういう利益はいくら重要な、しか人格的、その意味主体的利益であろうとも、人間自分の持ち物として持っている利益ですが、生命はすべての利益帰属する主体存在のものです。もちろんこのことと、前述の人間尊厳が人命の上位にあるということとを混同してはなりません。死刑はすべての利益帰属主体のもの存在を滅却するものですから、同じ取り返しがつかないと言っても、本質的に全く違うのであります

 痴漢冤罪による被害を最小化するために、真犯人を含む、すべての被疑者被告人人権を守りましょう、被疑者実名報道はやめましょう、無意味身体拘束をやめましょう、という主張に対して賛成できる人は、死刑存置を考える人よりも多いのではないかと思いますいかがでしょうか。

 本質的には、これは死刑冤罪による被害をなくすために、真犯人を含む、すべての被疑者被告人に対する、究極の人権侵害である死刑廃止しましょう、という主張は私には同じものに思えるのです。しか死刑廃止するべきだ、という人はずっとずっと少ないのです。

被害者(周辺を含む)の応報感情を軽く考えるべきではない

 痴漢で捕まった人が、周囲に実は自分自白させられただけで、無罪なんだ、と主張することはよくあると思いますが、特に妻子持ちの人に多いのですが、私の経験上、やってないと強く主張していた人であっても、ここで認めても家族に知らされることはない、ということを教えると、スルッと実はやったんだ、という人が結構ます。ですから冤罪を主張する人たちの中に、罪を逃れるためにそう主張している人が多くいることも事実でしょう。しかし実際に痴漢冤罪によって人生が狂ってしまった、という人は確実に存在します。死刑においても同様のことが起きていないとは、誰にも言えないのではないでしょうか。

 しかし多くの人は、死刑に値するような重大な犯罪で、自分冤罪当事者になることな想像もしないでしょう。それに比べれば、自分たちの周りの大切な人たちが傷つけられたということへの怒りはとても身近で、応報感情に流されてしまいがちです。これは非難されるようなことでありません。前述の団藤は、父ブッシュとデュカキスとの討論で、妻を強姦され、殺害されても、死刑に反対するのか、という質問に、淡々と「それでも死刑には反対だ」と主張したデュカキスに対し、世論は非常に強く反発したと書いています。これがデュカキスの敗因ではないと思いますが、死刑廃止を訴える人に対し、「お前の家族を殺されても、死刑に反対だと言えるのか」という主張はよく向けられます殺害される、などという、およそ通常経験しないことを経験した人たちが、犯人を自ら殺してやりたい、あるいは国家によって同じような目に合わせて欲しい、という感情自然ものであると思いますしかし、当事者でない我々が、そう思うのは当然だ、とその応報感情正当化をする必要は必ずしもないとも思うし、死刑廃止論者であった人が、実際にそのような目にあったときに考えを変えたとしても、それはごく自然な話であると思うのです。その感情否定はできませんが、団藤が述べているように法の論理は、もう一段上の次元で考えるべきはないかと思うのです。

自分は無実なのだと内心で叫びながら絞首台に向かう人の存在を許容できるか

 私は貝になりたい、の主人公床屋は無実ではありませんが、死刑に値する罪を犯しているか、と考えるとそうではないと思います。あの絶望を持って、死刑にされる人間がいる、という不正義を許容できるかどうか、結局はその価値判断なのだと私は思います

 私はその価値判断において、死刑廃止して欲しいと考えていますが、それゆえに、死刑の存置を訴える人の価値判断尊重したいと考えていますしかしその上で問いたいのです。あなたは、たとえわずかな確率であっても、あなたあなたの大切な人が、冤罪死刑になってしまうことを許容できますか、と。

司法判断行政が従わないと大問題になるけど

死刑にかぎって、裁判判決にしたがった法務大臣にあれこれ言うってダブスタじゃないですかね。

anond:20180706153604

ところが最高裁受信料を「合憲扱い」した。

もうこの時点で日本司法ってオワったって感じなんだけど、

それについては話す気力もない。

anond:20180706153229

司法司法がと騒いでる暇があったら立法を通して受信料廃止すればいいのに。

日本って民主主義国家じゃなかったの?

みんなSONYNHKが映らないテレビ」どう思ってんの?

きっかけは「最高裁受信料合憲と認めた」ってことで。

 

なお、この判決をしたのは「裁判長寺田逸郎長官」です。

過去にも罷免される恐れがある判決には定年前の裁判官が割り当てられます

司法は無敵で何もできない国民は糞雑魚です。

 

この判決が出るまでは「なあなあにして騙される馬鹿受信料を支払ってきた」で通して

民法メーカーもカモが支払ってるのは自分意志で支払ってるから認識していた。

それは「契約自由」が憲法保障されていることを知っている限り

契約を断る権利がある…はずだったからだ。

 

ところが最高裁受信料を「合憲扱い」した。

もうこの時点で日本司法ってオワったって感じなんだけど、

それについては話す気力もない。

 

で、「受信料合憲」扱いになったせいで、

今まで「騙されるやつが悪い」からTVを持っていたら全員支払う義務がある」に転じてしまった。

まり地上波に繋がるTV持ってるだけで今まで支払ってなかったやつも支払い義務が発生してしまったわけ。

※正確にいうと地上波を受信できるアンテナがある時点でアウツ

そうなると特にTV見てなかった人や興味の薄い人の行動って何だと思う?

 

「よし、TV捨てるか」

今まで見てなかったし今後も見る予定がないのでTVを捨てるという選択

新しければメルカリ二束三文で売ってもいいしな。

ただし、これはTVさえ用意すれば相変わらずNHKが見れる環境なので厳密には契約を結ぶ必要がある。

 

「というかテレビアンテナいらなくね?」

これは一軒家で増えてきた。

そもそも受信しないってやつ。

子どもがいる家庭でも今の子どもはネットiPadYoutube見せてた方がはるかに食い付きがいい。

子ども番組なら専用チャンネルがあるネトフリとかAbemaとか見せればいい。

正直子どものためのNHKはもう必要ない。

これは物理的にその家ではNHKを見ることができないのでこの場合は支払う義務は発生しない。

余計なストレスを減らすため工事費を減らすためにもこの判断は今後一軒家に増えると思われる。

場合によってはマンションでも適応される可能性があるし、

個別TV回線を引くかどうかを選べるようになるかもしれない。

 

さて、こういった一連の動きでどうなるかというと

 

まずTVメーカーダメージが入る。

単純にTVを買ってくれなくなる。

TVを買う」=「NHK受信料を支払わなければならない」

こうなったからだ。

新居のためについでに買っておくかという選択から外す理由ができてしまった。

NHK受信料払うくらいならネトフリに加入した方が安いしいつでも番組が見れるからな。

 

次に民放ダメージが入る。

民法視聴者広告を見てもらうために収益を得ているのに、

絶対数のものが減ると広告主はTVから別のメディアに変えていく理由ができてしまう。

ただでさえTVは昔のメディアなのにさら受信料合法化ときたもんだからユーザーの受けは悪くなる一方。

いくら視聴率が高くても絶対数が少なければ広告効果なんて得られない。

NHK受信料税金運営費を獲得できるが、

民法スポンサーがなくなれば消える未来しかない。

 

先に動いたのはメーカーだった。

 

SONY業務ディスプレイとしてBRAVIAを発表した。

これは地上波が映らないのでTVという扱いではなく業務ディスプレイという扱いだ。

しかネットにつなぐことができてオンライン動画を映し出す操作可能

これでホテルNHK受信料を免れることができる、という意味を示したいのがろう。

しか現実はそうはいかない。

NHK電波を受信できた時点で支払い義務が発生する」のだ。

まり映らないディスプレイだけだったとしても、もっと言えば何もモニター存在していなくとも、

アンテナさえあればNHK受信料徴収できるということだ。

それについての反例は既にいくつか出ている。

 

NHKだけ映らない機器設置の男性受信料1310円支払い命令 東京地裁機器取り外せる」 男性反論「今度は溶接して司法判断仰ぐ」

https://www.sankei.com/affairs/news/160720/afr1607200032-n1.html

 

NHKだけ見えないテレビが開発 それでも「受信料払う義務あり」らしい

https://www.j-cast.com/2015/04/13232888.html?p=all

 

まり受信料逃れのために業務的にこのディスプレイを買ったところで、司法では負け確なのだ

なぜなら最高裁が「合憲」として認めたから。

まりTVメーカー合憲判断で受けたダメージをこの商品で解消することはできない。

問題本質合憲判断アンテナの有無にあるからだ。

 

 

今のところ民法が「合憲判断」について何かリアクションしたという話は聞かない。

俺がTV業界ドンなら一刻も早く受信料合憲判断撤回させなければならないと行動を起こすが、

実際はメタボ気味で金も力もない中年なのでこうして外野根性で経過を見ているに過ぎない。

とにかく、今後家TVを置く理由がどんどんなくなってくるわけだが

民法はどうやって生き残っていくつもりなのだろうか?

今まで「カモが徴収されている」という情強とは違い、「支払わなければ違法」扱いされる状況になってしまった。

TVを捨てるのは対策とは言えないが、ユーザーレベルでこの完全ではない対応策は水面下でどんどん広がると予想される。

未来、1,2千人規模にまで下がったメディアスポンサーはまだ魅力を感じてくれるのだろうか?

 

民放この先生きのこることができるのだろうか?

 

【追記 なぜNHKは自ら受信料法廷に持ち込んだ?】

そもそもの話をすると、なぜNHK最高裁合憲と認めさせるところまで行ってしまったのか?

そんなことをしてしまえば、TV廃棄やアンテナの除去を社会引き起こししまう、という予測はできなかったのだろうか?

元々NHK放送局を維持するための予算を毎年十分すぎるほどもらっている、全部税金だ。

その上でなぜ受信料徴収する必要があるのか?というと謎でしかないが、単にボーナスのためで、謎でもなんでもなく、

最初から契約自由侵害していたがNHKのために可決されてしまった。

それが現代まで伝統として生き残ってきたわけだが本来なら表に出してはいけない問題であった。

細々と、よくわかってない弱者からボーナス徴収していけばよかったはずである

なぜ法廷にこの問題を持ち込んでしまったのか?それが大きな疑問である

受信料徴収のために躍起になって合憲化してしまたことが、

逆にTV破棄やアンテナ破棄に繋がり受信料徴収絶対数が減ってしまうとは考えなかったのだろうか?

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